2016年9月30日金曜日

出張所 2

 クロエルはまだ仕事から解放されない部下たちに、「ちょっくら飯食いに行ってくる。」と声を掛けた。部下達は、他所の班のチーフが自分達の仕事ぶりを監視せずに出かけるのを密かに歓迎したので、めいめいが頷いて承諾を示した。
 チームリーダーだけが出張所の出口まで見送りに来た。

「この街は初めてでしょう? 店はわかりますか?」
「僕はわかんないけど、セイヤーズが頭の中に地図を持ってるよ。」

話を降られてダリルは自信なさそうに言った。

「18年前の地図ならあるけどね・・・街の様相が変わってなけりゃ良いけど。」

チームリーダーが笑顔を見せた。

「貴方は18年前と全然変わってませんよ。また一緒に仕事が出来て嬉しいです。」
「私もだよ。」

 彼はダリルと軽くハグを交わしてから、クロエルに南へ2ブロック先に行った所にお薦めのケイジャン料理の店がありますと告げた。クロエルは1時間ほどで戻るから、と言った。
 通りを歩いている間、ライサンダーは通行人の目が気になった。自分たちは、可笑しな4人組に見えるだろう。ど派手な格好のドレッドヘアの中米系の兄ちゃんと、明らかに遺伝子管理局のダークスーツを着た男と、埃まみれの少年少女だ。彼は父親に尋ねた。

「父さん、この後はどうするの?」

 ダリルは当然の如く答えた。

「ポールをドームに送り返す。ジェリー・パーカーも恐らく一緒だ。JJも行きたがっている。」
「そうじゃなくて、父さんはどうするの? ドームに戻るの?」

 ダリルはクロエルをちらりと見た。クロエルはJJと端末を通してお話中だ。

「ラムゼイ博士がまだ逃走中だから、捕まえなきゃいけない。恐らくこの街のどこかに潜伏しているはずだから、明日から捜索に入る。」
「俺が聞きたいのはそんなんじゃなくて・・・」
「今夜は近くのホテルに部屋を取ろう。同じ部屋でいいだろう?」

ライサンダーが不満顔をすると、ダリルは優しく言った。

「今夜、その話をするから。」


2016年9月29日木曜日

出張所 1

 元ドーマーと脱走ドーマーの違いは、ドーマーがドームの外で生活することをドームから容認されるか否かと言うことだ。ドーマーはドームが地球人復活プロジェクトの為に研究目的で育てている地球人だ。だから死ぬまでドームの中で暮らすことが前提とされている。結婚は許されるが、子供が生まれるとその子供はドームの裁定で養子に出される。我が子を自らの手で育てたければ、ドームを出なければならない。ドームの中でドーマーが子育てすることはプロジェクトにはないからだ。
 リュック・ニュカネンは、遺伝子管理局の仕事で支局巡りをしている時に、現地の女性と恋に落ちた。彼は超が付く堅物として知られていたので、これにはドーマー仲間も執政官たちも仰天したのだ。彼は結婚を望んだ。ドーマーでない女性との結婚は認められない。ドームは彼の決意の固さを悟ると、渋々彼を外へ出したのだ。
 元ドーマーは完全にドームと縁を切る訳ではない。先ず、ドーム内で行われていること、つまり「取り替え子」のことは一切口外してはならぬと誓約させられ、仕事はドームが用意した職業に就くことを義務付けられる。発信器は外されるが、ドームに定期的な連絡を取る義務もあるし、ドームから呼び出しがかかればすぐに応じなければならない。
これらの一つでも違反すれば、即刻ドームに再収容される。
 ニュカネンの仕事は、セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンにある遺伝子管理局出張所の統括だった。支局の仕事は妊婦の保護や結婚・養子縁組の申請受付や許可証の発行だが、出張所は遺伝子関連の研究施設の監視が仕事だ。
出張所では現地採用の職員が毎日各カレッジを廻って違法な遺伝子操作や実験が行われていないかチェックする。所長のニュカネンはその報告書に目を通し、調査が必要なものがあれば臨検するし、悪質と思われるものはドームに報告する。
 今回のメーカーの大物ラムゼイ博士の組織を一網打尽にする大捕物は、ドームの方から持ちかけられた。それも協力要請が来た時には、既に現役の管理局員が計画を立ててしまっていた。
 こともあろうに、子供時代から一番馬が合わなかった「兄弟」ダリル・セイヤーズ・ドーマーと、彼がドームを出る数年前に南米分室から突然アメリカ・ドーム本部へ転属してきた、許し難き「おちゃらけ」クロエル・ドーマーだ。
 そして救出されるのは、これまた犬猿の仲の「兄弟」、ポール・レイン・ドーマーだ。
今回の捕り物はニュカネンにとって、不愉快な仕事だった。

 ニュカネンは3階建てのビルを出張所として使っていた。ビルの所有者はドームだ、勿論・・・
 1階に職員たちが普段仕事をする事務所と所長室、応接室があり、2階は広い会議室と支局巡りで立ち寄る本部局員が休憩する部屋、3階は検挙した違反者を警察が来る迄拘留しておく「個室」があった。
 ニュカネンがポール・レイン・ドーマーの事情聴取に付き添って警察署に行っている間に、クロエルが指揮するレインのチームは会議室に入った。現場でチェックして詳細なチェックが必要と判断した押収品の再確認をしたり、書類をまとめたり、と休む間もなくドーマーたちは働いた。
 クロエル・ドーマーはジェリー・パーカーを「個室」ではなく、休憩室に入れた。ジェリーは光線で麻痺させられた後、改めて麻酔を打たれて昏睡していた。身柄を確保された折、所持していた銃で自分の頭を撃ち抜こうとしたからだ。自殺防止の為に眠らせて、監視する為に敢えて目の届く場所に寝かせておく。それがクロエルのやり方だった。
 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは彼自身の報告書を驚異的なスピードで仕上げ、クロエルに見てもらった。クロエルはざっと目を通しただけで、「お疲れさん」と言った。もう休んでいいよ、と言う意味だ。 そしてダリルの机のそばで大人しく控えていたライサンダーとJJに声を掛けた。

「ちょっと早いけど、夕飯食べに行こうか?」




2016年9月28日水曜日

トラック 14

 ライサンダー、JJそれにポール・レイン・ドーマーはクロエル・ドーマーに誘導されて管理局の車に案内された。遺伝子管理局の局員たちが押収品のチェックをしている横で、彼等は所持品と健康状態のチェックを受けた。

「お帰りなさい、チーフ、ご無事でなによりです。」

 局員が嬉しそうに声を掛けると、ポールは彼を制した。

「今日のチーフはクロエル・ドーマーだ。」

 クロエルが

「そうは言っても、こいつ等のチーフは君だから。」

と言うと、頑固に

「いや、命令系統をはっきりさせておくべきだ。俺はドームが許可する迄チームに戻れない。事件関係者だからな。」

と言い張った。クロエルはあっさり引き下がった。部下に、まぁそう言うことにしておこう、と笑いかけた。部下もそれ以上は突っ込まなかった。ポール・レイン・ドーマーは誰の目から見ても疲弊しているとわかったからだ。
 ライサンダーは、自身が局員たちの好奇心の的になっていることに気が付いた。ダリル・セイヤーズ・ドーマーの息子は葉緑体毛髪を持っているが、それは何を意味するのか? ライサンダーは悟った。ダリルはまだ息子の片親の正体を公にはしていないのだ。
ポール自身は既に彼が息子だと認めたと思える発言をしている。だが、それは実際に本人に接したから認めたのだ。そしてダリルも、ほんの10数分前に、初めてポールが息子のもう1人の親だと息子に向かって明かしたのだ。ライサンダーは途方に暮れた。自分はこれからどう振る舞えば良いのだろう?
 父を振り返ると、ダリル・セイヤーズ・ドーマーは、額の広い赤毛の男と何やら口論をしていた。赤毛の男はスーツを着用しているが、局員の服ではなかった。いつも穏やかなダリルが何を怒っているのだろう? とライサンダーが訝しく感じていると、口論していた2人が揃ってやって来た。

「レイン・ドーマー!」

と赤毛の男がポールを呼びつけた。ポールが面倒臭そうに彼の方を向いた。

「セイヤーズが君をすぐにドームへ送り返すと言っているが、君は事件関係者だ。注射の効力が切れる前に警察で事情聴取を受けて欲しい。」
「ポール、リュックの言うことなど聞く必要はない。早くドームに帰って休め。」

 ライサンダーはポールの表情を伺ったが、ドーマーは何の感情も見せなかった。JJが彼の手に触れようとしたが、ポールはそれを拒否した。

「メーカーどもの罠にはめられた時から救出される迄の経緯を話せば良いのだろう?」
「そうだ。」
「ではさっさと済ませよう。案内しろ、リュック・ニュカネン・ドーマー。」
「元!!ドーマーだ。」

 赤毛の男は「元」を強調した。
ダリルが首を振った。彼はポールをこれ以上疲れさせたくないのだ。ライサンダーは声を掛けてみた。

「俺も行こうか?」
「おまえは行かなくて良い。」

ダリルとポールが同時に発言した。見事にハモって、2人は決まり悪そうに顔を背け合った。クロエル・ドーマーが親たちの代わりに説明してくれた。

「君たちは、遺伝子管理局が保護した子供だから、警察は接触出来ないんだ。」

「保護された子供」が「違法製造されたクローン」と言う意味だとは、クロエルも言わなかった。
 ポール・レイン・ドーマーは1分でも無駄にしたくなかったので、さっさとニュカネンの車の方へ歩き始めた。ニュカネンがクロエルに「出張所で待ってろ」と言ってポールを追いかけて行った。
 ライサンダーの耳に、部下たちの囁き声が聞こえた。

 相変わらず堅物ニュカネンは高飛車だなぁ。
 早くレインを返してくれないかな、彼が今にもぶっ倒れそうな顔をしているのに、堅物野郎は気が付かないんだ。
 ニュカネンの辞書に「気遣い」って単語はないんだよ。

 「元ドーマー」と「脱走ドーマー」はどう違うのだろう? とライサンダーはふと思った。そして父を振り返ると、ダリルは視線をポールからジェリー・パーカーに移していた。
 ジェリーは麻痺銃で撃たれて動けなくなったところを車に押し込められて連れてこられたのだ。メーカーは遺伝子管理局に逮捕された後、警察に引き渡される。管理局は押収品からメーカーの違法の証拠を探し出して警察に渡す。「手柄」は警察のものとして公表されるのだ。しかし、今回管理局はジェリーの身柄だけは警察に引き渡さなかった。ラムゼイ博士がまだ捕まっていないので、ジェリーから情報を引き出したいのだ。
 ジェリーは野原を1人で歩いて何処へ行こうとしたのだろう?


2016年9月27日火曜日

トラック 13

 クロエル・ドーマーがポール・レイン・ドーマーとJJを連れてやって来るのが見えた。ポールは古着のジャージ姿だが、妙に様になっている。彼は何を着ても似合うんだ、とダリルは今さながら感心した。
 ライサンダーを体から離し、JJが来るぞと囁くと、息子は慌てて涙を手で拭った。ダリルはハンカチを貸し与えた。
 JJがポールの手から離れて駆け寄って来た。勢いでライサンダーを押しのけ、ダリルに抱きついた。ダリルは彼女の頬に涙の痕があるのを見たが、それには触れずに、彼女をハグして、

「無事で良かった、JJ。 元気だったか?」

と声を掛けた。JJは笑って見せた。それからライサンダーにも抱きついた。ライサンダーは『妹』に銃撃戦は恐くなかったかと尋ねた。JJは恐かったと指文字で答えた。

ーーでもPがいてくれたからだいじょうぶ

 ダリルはポールをちらりと見た。

 疲れているだろうに少女の感情を全部受け止めたのか。

彼は近くに来たポールを無視してクロエル・ドーマーに尋ねた。

「味方の損害は?」
「警官が2名銃傷を受けたが、命に別状はなし。局員は全員無事。北米南部班は優秀だね。」
「チーフは誘拐される阿呆ゥだけどね。」

 ダリルにからかわれてポールはムッとしたが、救出されたばかりなので、言い返すのは止めた。それに彼は疲れていた。ほとんど満足に眠っていないし、ほんの少し前まで少女の激しい感情の爆発を受け止めたばかりだ。
 ポールが何も言わないので、その体調を本気で心配してやるべきだな、とダリルは判断した。

「リュックは何処だ、クロエル?」
「あの堅物君は・・・」

クロエルは目で誰かを探した。

「あー、トラックの積荷の押収の真っ最中だねぇ。メーカーどもは大方捕縛しちまったみたいだ。」

すると、ポールが思い出したようにライサンダーに声を掛けた。

「パーカーは何処だ、ライサンダー?」
「ジェリー? 彼は・・・あそこ・・・」

 ライサンダーはラムゼイの秘書の存在を思い出して、野原を振り返った。
 草の中を歩いて行くジェリー・パーカーの姿はもうかなり小さくなっていた。ポールが呆れたと言いたげに呟いた。

「部下を置いて1人で逃げるつもりか?」
「そうじゃない・・・」

とライサンダーはトラックを降りた時のジェリーの様子を思い出した。

「なんだか様子がおかしかった。急に何かに取り憑かれたみたいな・・・」
「兎に角、この集団の頭だろ? 捕まえなきゃ。」

クロエルはピッと指笛を吹いた。近くにいた局員数名がそれを耳にして振り返った。クロエルは片手を揚げて、それを水平に、パーカーが歩いて行く方角へ向けた。追え、と言う合図と解釈した部下達はそばの車に乗り込んだ。

トラック 12

 ライサンダーは銃撃戦の音が止んだ時、遠くの方にジェリーの姿を見たと思った。彼は溝から顔を出した。 草むらの向こうを、ジェリーが歩いて行く。走らずにただ歩いて行く。何処へ行くつもりだろう?
 立ち上がり掛けた時、後ろで人の気配がした。

「動くな、手を揚げてこっちへ来い。」

 ゆっくり振り返ると、メーカーの1人が銃口を向けて立っていた。荒い息をしている。銃撃戦の場から逃げて来て、人質を見つけたのだ。ライサンダーは息を呑んだ。
男の後ろからダークスーツの男が現れて、いきなり男の腕を掴んだ。ためらいなく腕を捻った。男の悲鳴が上がり、銃が地面に落ちた。銃はダークスーツの男が後方へ蹴飛ばして、後から来た警官が慌てて拾い上げた。

「うちの子に銃を向けるんじゃない!」

とダークスーツの男はメーカーを叱りつけた。警官にメーカーを引き渡すと、彼はライサンダーを振り返った。

「怪我はないか?」

 ライサンダーは父親を見つめた。父は、自分でカットしたぼさぼさ頭ではなく、綺麗なビジネスマンのヘアスタイルで、土埃と汗の染みこんだ野良着とスニーカーではなく、パリッとしたダークスーツに白いシャツにネクタイ、革靴だ。ダリル・セイヤーズではなく、ダリル・セイヤーズ・ドーマーだ。ドームは逃げた雄馬を取り戻し、烙印を押して所有権を明確にしたのだ。
 ダリルは差し出した手を息子が掴まずにただ見つめているだけなので、この子は父親がここにいることにまだ実感が湧いていないのだな、と解釈した。彼は自分で息子の手を掴み、溝から引っ張り出した。

「私のベビーは、心ここにあらずの状態だなぁ。」

 昔から変わらないのんびりとした口調で、ライサンダーの服の埃を払い、息子が怪我をしていないかチェックした。
 ライサンダーは涙がジワジワと滲み出てくるのを止められなかった。会いたくて堪らなかった父が目の前にいる。でも何故だか遠い存在にも思える。少年は混乱しかけていた。メーカーから救出されたことより、父親との再会に彼は戸惑っていた。
 ダリルが正面に戻って来た。

「おまえの顔をじっくり見せてくれ、ライサンダー。」

2人は目を合わせた。ダリルがにっこりした。

「おまえは目元がポールにそっくりだなぁ、でも残りは全部私だ。」

 ライサンダーはいきなり父親に抱きついた。そして感情を爆発させた。
大きな成りをして幼子の如く泣きじゃくる息子をダリルは優しく抱きしめていた。

2016年9月26日月曜日

トラック 11

 ジェリー・パーカーは積荷を守ることを放棄した。ライサンダーに指示も与えずに車外へ出たのだ。ライサンダーがあっけにとられているうちに、彼は道路から野原に出て、歩き始めた。
 ライサンダーは前方を見た。パトカーに警察官たちが乗り込み、赤色灯を点滅させてこちらへ動き始めた。
 突然、後続にいた真ん中のトラックが向きを変えた。逃げるつもりだ。パトカーがサイレンを鳴らした。ライサンダーは銃声を聞いて、座席に身を倒した。メーカーたちが警察に発砲している。 ライサンダーのトラックのフロントに衝撃があり、罅が入った。向きを考えたら、警察が撃ってきたのだ。こっちは何もしていなのに。
 真ん中のトラックは完全に向きを変える前にパトカーに前に回り込まれ、荷台にいたメーカーたちが外へ出て警察と銃撃戦を始めた。ライサンダーはジェリーが開けっ放しにした運転席側から外に転がり出ると、野原に向かって走った。
 背後で誰かが怒鳴っていたが、耳に入らなかった。彼は涸れた溝に転がり込み、身を伏せていた。 ジェリー・パーカーが何処へ行ったのか、JJとポールが無事なのか、皆目わからなかったが、武器も持たない少年には手の施しようがなかった。

 JJはトラックが走り出してすぐにポールの手錠を外した。トイレ休憩の前にもそうしていたので、2人は自然に手を触れ合い、静かな会話をして時間を過ごした。JJはドームのことを知りたがった。女性は何人いるのか? 服はどこで買うのか? 食べ物はどうするのか? ポールは初めのうち適当に答えていた。面倒だったからだ。しかしJJがあまりに熱心に質問するので、彼女は本当にドームへ行きたいのだと悟り始めた。
 ベーリング博士は4Xの数式を長い間秘密にしてきた。娘の存在をひた隠しにしていた。つまり、JJは家の中に閉じ込められて育ったのだ。彼女にとって、ドームは家より広い自由な世界に思えるのだろう。
 トラックが不意に停まった。先刻の休憩からそれほど時間がたっていない。目的地に着いたとも思えなかったので、ポールが不審を覚えた時、荷台の壁の向こうからサイレンが聞こえ、銃声が響いて来た。それも1発や2発ではない、激しい撃ち合いになった。
 JJがポールにしがみ付いて来た。彼の首に腕をまわし、全身を震わせて・・・
 ポールは、白煙と銃弾が飛び交う部屋のイメージを脳の中で見た。血を流して倒れる女性。ママ! と叫び声が聞こえた様な気がした。あれはJJの声なのか?
 JJは銃撃戦の音を聴いて、両親が死んだ事件を思い出したのだ。今までずっと気丈に振る舞っていた少女の心の壁が一気に崩れた。 ポールは彼女の恐怖と悲嘆を感じたが、心をシャットアウトすることはしなかった。彼女を抱きしめ、彼女の感情を受け止めてやった。首筋に熱い雫が落ちてきた、JJが泣いていた。
 何分続いただろう? 実際は10数分だったはずだ。銃声が止んだ。外が静かになり、それから誰かが荷台の扉をノックした。 ポールは黙っていた。JJはまだ声をたてずに泣いていた。
 扉が開かれ、午後の日差しが荷台の中に差し込んできた。狭い荷台だ。扉を開けたど派手な服装のドレッドヘアの男が目の前に立っているのが見えた。

「あーー、もしかしてお邪魔だったかなぁ?」

 のんびりした口調に安堵の感情が混ざっていた。ポールはJJに大丈夫だ、と声を掛けた。それから、外の男に言った。

「なんで君がここにいるんだ? カリブ海は方角違いだぞ。」


トラック 10

 ライサンダーが運転席に戻ると、ジェリー・パーカーが時間をくったことについて苦情を言った。少年は無視した。エンジンをかけて、トラックを出すと、後続車が続いた。

 さっきの運転手は確かに父だった。髪はきちんとカットされてスーツに合わせた髪型だったが、あの淡い赤みがかったブロンドは父の髪の色だ。そしてあの声は絶対に忘れない。
 でも、どうして父がここにいるのだ? ドームは貴重な女の子を生める男を何故危険なメーカー狩りに出すのだ? それほどあのスキンヘッドは貴重な存在なのか?

 物思いにふけりながら運転していると、いきなり左側で大きな警笛が鳴った。
ハッと我に返ったライサンダーは、トラックの横を3台の乗用車が猛スピードで追い越すのを見た。危うく側面にぶつかるところだった。
 と思う内に、今度は背後からパトカーのサイレンが近づいて来た。ジェリーが窓から顔を出して後方を見た。

「どうする?」

ライサンダーが尋ねると、ジェリーは道路端に停めろ、と言った。

「それが世間の常識だ。」

 言われた通りにすると、後続の2台も停まった。4台のパトカーがサイレンを鳴らしながら横を通り過ぎた。先刻の3台の乗用車を追跡しているようだ。
何かあったのか? とライサンダーはラジオの周波数をいろいろ変えてみたが、どれも犯罪のニュースは流していなかった。
 再び退屈なドライブが始まった。ライサンダーはセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンに到着したら、自分たちはどうなるのだろうと考えた。
そもそも目的地がどんな土地なのかも知らない。名前から判断すれば医科大なのか?
そんな所に父は何の用事があるのだ? ラムゼイ博士の隠れ家に行くのか?
 前方に車が数台停まっているのが見えた。パトカー4台に乗用車4台、ハイウェイを塞ぐ形で停まっている。しかも乗員は全員外にいるようだ。
 ライサンダーがジェリーに声を掛ける前に、ジェリーも気が付いた。

「封鎖だ。」
「突破する?」

 ライサンダーの威勢の良い提案に、ジェリーは乗らなかった。

「強硬手段に出てもこの図体ばかりでかいトラックでは逃げ切れない。」

 彼は停止を命じた。





2016年9月25日日曜日

トラック 9

 ライサンダーが運転席に乗り込み、ジェリーが助手席に座った時だった。
 1台のセダンが後方から走って来て、横を通り過ぎてから急停止し、バックで戻って来たのだ。 ジェリーが警戒して上着の下に隠している銃を手にした。ライサンダーはシートベルトを外した。

「俺が様子を見るよ。」

 セダンがトラックの左横に停まった。窓が開いて、1人の男が顔を出した。

「ちいっと道を聞きたいんだけど・・・」

 ドレッドヘアの肌の浅黒い若者だ。ライサンダーはドアを開けてトラックから降りた。高いところからでは話がしにくいし、相手の様子がわからない。
 相手が武器を持っている危険もあったので、距離を置いて様子を伺った。

「何処へ行きたいんだ?」
「セント・アイブス・メディカル・カレッジ。ローズタウンから来たんだけど、ずっと同じ風景なんで、自信がなくなってさ。分岐で曲がる方向を間違えたかなぁ?」

 ドレッドヘアの男は原色の派手な模様が入ったシャツを着て、サングラスを掛けていた。頭にはこれまた原色の小さな帽子を被ると言うより載っけている。首から提げた金色の鎖のネックレスは3本だ。

「うん、この道でいいよ。」

ライサンダーは今までこんな派手な男は見たことがなかったので、ちょっと興味が湧いた。

「あんた、ミュージシャンかい?」
「まぁ、そんなとこかな。」

ドレッドヘアは笑って、自分の車の運転席の男を紹介した。

「僕ちゃんの運転手。」
「へぇ、運転手付きなのか。」

 ライサンダーは何気なく身をかがめてセダンの向こう側の運転席を見た。運転手らしいダークスーツにネクタイを締めた、サングラスの男がいた。こちらはブロンドの白人で、ライサンダーの動きに気が付いて振り向いた。そして片手を揚げて、「よお!」と挨拶した。
 ライサンダーは心臓が停まるかと思った。その声は忘れもしない父の声だったからだ。
 ドレッドヘアがカラカラと笑った。

「ミュージシャンの運転手を初めて見たのかい? 田舎の兄ちゃんは初心だねぇ。」

 その笑い声で、ライサンダーは救われた。我に返って、背筋を伸ばした。

「田舎者を馬鹿にするなよ。道はこれで合ってる。さっさと行っちまいな!」




トラック 8

 ラムゼイ博士とシェイが乗ったオフロード車は全く姿を見せなかった。別の場所へ向かったか、あるいはトラックより速く走れるので既に目的地に到着してしまったか・・・。
 ライサンダーは初めての大型車の運転でくたびれた。2時間もすると眠気が襲ってきたので、隣で居眠りしていたジェリーに声を掛けた。

「そろそろ限界だよ、起きて替わってくれるか、休ませてくれないかな?」

 ジェリーが目を開き、外の景色を見て、端末で位置情報を見た。そして頷くと、後続車に休憩の指示を出した。
 3台のトラックは一列に並んで路肩に駐車した。ドライバーたちも同乗者たちも外に出て体を伸ばした。ライサンダーも降りると、伸びをして、最後尾のトラックの捕虜を思い出した。ジェリーにそっと相談をもちかけた。

「人質にもトイレ休憩は必要だと思うんだ・・・」

 ジェリーが渋々認めたので、3台目のトラックの荷台を開いた。
最初にJJが外に出て、野原へ出て行った。ジェリーは部下たちに彼女を追いかけるなと命じてくれた。問題は、ドーマーだった。後ろ手に縛られているので、1人では用が足せない。だからと言って手を自由にするのは危険だ。と言う訳で、ジェリー自らがついて行き、銃を向けて用足しをさせた。ライサンダーはメーカーたちがポールのものを興味深気に見るのが不愉快だったので、JJに気分は悪くないかと声を掛けた。JJは微笑した。
指文字で返事をする。

Pとなかよくなった

 ライサンダーの前ではポール・レイン・ドーマーはいつも不機嫌な顔をしていたので、ライサンダーは彼が女性には実はとても愛想が良いことを知らなかった。そして、JJが実際にポールと仲良くなった手段は全く想像がつかないものだった。
 JJの指が、彼の理解不可能な言葉を綴った。

Pはてでわたしのこころをよむ

 ライサンダーがそれは何かと尋ねようとすると、彼女は唇に指を当てて、「しーっ」っと言う仕草をした。彼が理解して言葉に出そうとしたと思ったのだ。
 ライサンダーはポールを振り返った。ドーマーは用を終えて、服装を整えたところだった。ジェリーがJJにトラックに乗るようにと言ったので、JJは「またね」と手を振って、ポールに駆け寄り、彼の腕にしがみついた。

 なんだか妬けるなぁ・・・

 ライサンダーはJJを妹みたいに思っていたので、恋人を盗られたと言うより、妹に彼氏が出来たと知らされた兄の気分だ。そしてふとジェリーを見ると、ラムゼイの秘書も不愉快そうな顔をしていた。

「彼女に運転が出来れば良かったのにな。」

とジェリーが呟いてライサンダーはまた驚いた。

トラック 7

 JJがジェリー・パーカーと共に戻って来た。ジェリーは先刻の「積荷泥棒」騒動を承知していたし、ヘリのパイロットがどうなったのか、部下から報告を受けていた。彼は敢えてそれを捕虜に教えるつもりはなかった。
 荷台に入ってポール・レイン・ドーマーが縛られたままで無傷であることも確認した。彼に手を触れられた時、ポールがびくりとした表情を一瞬見せた。ライサンダーは目敏くそれを目撃したが、ドーマーが何に驚いたのかわからなかった。
 JJがポールの隣に座った。手にフレンチフライの袋を持っていた。ポールにお土産を持って来たのだ。ジェリーがライサンダーに確かめた。

「こいつ、まだ何も食ってないんだろ?」
「うん。ハンバーガーをさっきの騒動で誰かに盗られたんだ。それに食欲がないって。」
「食わせなきゃ、体が保たん。こいつは明日になれば抗原注射が切れる。食べていないと本当に動けなくなるんだ。」

 半分ポールにも言い聞かせているのだ。ライサンダーはJJに目でフレンチフライの礼を伝えた。それからジェリーが思った以上に心配りするヤツだと言う事実にも感心した。
JJにポールの食事を任せることにして、ライサンダーは運転する為に外へ出た。
 ジェリーが先頭のトラックに彼と一緒に乗るようにと命じた。それから、残りのトラックの運転手たちに指示をして、捕虜のトラックを列の最後尾に順番を変更させた。
何故そんなことをするのか、ライサンダーは不思議に思った。しかし、ジェリーは自分の決定に他人が口をはさむことを好しとしなかった。
 ライサンダーが運転席に座ると、ジェリーは助手席に座った。

「いいか、おまえがおかしな真似をしたら、JJと『氷の刃』を載せたトラックはすぐに別の道へ移動する。彼等はおまえに対する人質だ。そしておまえは彼等に対する人質だ。
俺が言っている意味がわかるな?」
「わかる。ちゃんと言われた通りに運転する。」

 順番を変えたのは、そう言うことか。ライサンダーは溜息をついた。それから初めて運転する大型トレーラーを制御することに専念した。
 カーオーディオから音楽が流れてくる。ジェリーの趣味なのか、かなり古い曲だが、歌声が心地よい。DJがリクエストを読み上げ、ジョークを飛ばす。こんな番組を流す局があったんだな、とライサンダーは平地の電波状況を羨ましく思った。山の家に居た頃は、電波状況が良くなくて、受信出来る局数が限られていた。アンテナを立てようとライサンダーが提案しても、ダリルは取り合わなかった。今思えば、アンテナで居場所を察知されることを心配していたのだろう。
 父は息子を守る為に、どんなこともしてくれていた。しかし、息子が勝手に山を下りて遊びに行くのは防げなかった。緑色の髪の少年が山から下りて来ると、街で噂が広がるのを止められなかった。

 今の事態を招いたのは、この俺自身なんだ・・・

 ライサンダーは唇を噛み締めた。父親が無性に懐かしかった。


2016年9月24日土曜日

トラック 6

 コンテナトラックの後ろへ廻ると、締めたはずの錠が開いていた。 ライサンダーは手に持っていたハンバーガーの袋をそっと地面に置いた。ポール・レイン・ドーマーが中から開けたはずがない。誰かが助けに来たのか? それとも・・・
 中の気配を伺うつもりで耳を扉に近づけた時、中で重たい物がコンテナの壁にぶつかって車体が揺れた。
 ライサンダーは勢いよく扉を開いた。
 薄暗かった荷台の中に日光が差し込んだ。
 金属の輝きが目に入った瞬間、ライサンダーは叫んでいた。

「積荷泥棒だ!!!」

 周辺にいたトラックドライバーたちが振り向いた。
ライサンダーは中に居た男がナイフを振りかざしながら跳びだして来た時、素早く身をかわしてやりすごした。男は彼に目もくれず、走り去ろうとしたが、集まって来たドライバーたちに捕まった。

「積荷泥棒は許さねぇ!」
「この野郎、叩きのめしてやる!」

 男が何か言い訳しようとしたのだが、ドライバーに混ざったメーカーに間髪を容れず殴りつけられた。忽ちリンチ状態になった。
 ライサンダーはその隙に荷台に入ってドアを閉めた。
 ポール・レイン・ドーマーは片側の側面に背を預けて座っていた。少々息が荒いが怪我はしていない様子だ。 ライサンダーが猿轡を外してやると、大きく息を吐いた。

「大丈夫か?」
「きわどいタイミングで戻ってくれて、助かった。」
「積荷泥棒?」
「いや・・・」

ポールは忌々しげに説明した。

「昨日、俺と部下を誘拐し損なったヘリのパイロットだ。ラムゼイに叱られた上に報酬をもらい損ねたので、俺に逆恨みをして仕返しに来た。蹴飛ばしてやったら逆上して刃物を出して来たのだ。」
「そうか・・・あんたが無事で良かった。」

 ライサンダーは心底そう思った。自分の目の前でポールに何かあれば、父親は自分を許さないだろうと。
 それから、ハンバーガーの袋を思い出し、扉を開けると、既に袋は消えていた。

「あんたの昼飯が盗まれた。また買ってくる。」
「いい。」

ポールは楽な姿勢を取ろうと体を動かして位置を変えた。

「水だけもらえれば、蒸留水でなくても我慢する。」

 ライサンダーは思った。ドーマーと言うのは何と手がかかる生き物なのかと。



トラック 5

 ラムゼイのトラック部隊は夜明けから4時間ほど走り、小さな寂れた街は通過して、大きなドライブインに入った。長距離トラックがたくさん駐まっている。ジェリー・パーカーは部下たちにそこで昼食と休憩に1時間留まると連絡を入れた。
 ライサンダーとJJは荷台から下ろされたが、ポール・レイン・ドーマーは猿ぐつわを嚼まされ、「後で飯を持って来てやる」と車内に閉じ込められた。
 
 ドライブインの食堂は男達の汗と料理の脂とタバコの匂いでむせかえりそうだった。
ライサンダーはジェリー・パーカーが顔をしかめるのを目撃した。ジェリーもこんな場所に慣れていないのだろう。出来るだけ空気清浄機に近いテーブルに陣取ると、両脇にライサンダーとJJを座らせた。部下たちに現金を渡し、ハンバーガーや珈琲を買わせて、朝昼兼用の食事だ。
 男達は空腹だったのだろう、無駄な喋りより先に食べ始めた。
ライサンダーとJJも脂ギトギトのハンバーガーを口に入れた。贅沢は言っていられない。次の休憩が何時なのかもわからないのだから。
 JJがタブレットでライサンダーに話しかけた。当然、ジェリーの目の前に画面が提示される。

ーーPにもご飯あげなくていいの?

「P」と言うのは、ポールのことだ。それはジェリーにもわかった。ライサンダーが『氷の刃』のファーストネームをラムゼイに教えたのだから。

「なにもかも完璧なのに、どうして口だけ利けないのかなぁ」

とジェリーが不思議がった。JJが返事を書いた。

ーー必要ないから。

「でも、不便だろ?」

ーーいいえ、全然。

 ジェリーはライサンダーを見た。

「不便だと思わないか?」
「そうかなぁ。」

とライサンダー。

「生まれつきだから、それが彼女には自然なんだ。僕等の方がおかしいと思っているはずだよ。」
「それじゃ、ここに100人いて、99人は喋るのに、1人だけ喋らないのは、99人が不自然なのか?」
「視点がその1人だったら、99人は不自然なんだよ。」

ジェリーが考え込んでしまった。ライサンダーは、子供の頃に父親と話した時の、父親の回答をそのまま言っただけなのだ。彼はその時、父の言葉を理解したと思った。しかし、ジェリーはわからないのだ。

「おまえ、難しいことを言うんだな。」

とジェリーが妙に感心した。そして、ライサンダーに現金を渡した。

「それで何か買って、Pちゃんに食わせてやれ。あいつは俺たちの手からは何も食わん。おまえはドーマーの子だから、少しは打ち解けているんだろ?」


2016年9月23日金曜日

トラック 4

 遺伝子管理局の本部局員と支局職員の違いは、ドーマーかドーマーでないか、もしくは、ドーマーか現地採用か、と言うことだ。そして本部局員は支局内をフリーパスで動けた。支局の警備員はドーマーたちが支局長の部屋を勝手に捜査し、勝手にコンピュータの中を覗くのを黙って見ているほかなかった。
 北米南部班第1チームのチームリーダー、クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは部下をローズタウンに送れと言う本部の指示に従ったが、当人はまだ中西部支局に残っていた。行方をくらませた支局長レイ・ハリスの銀行口座を差し押さえ、支局長の所有するファイルは全部本部へ電送した。
 本部指令を無視して居残っていたアレクサンドル・キエフ・ドーマーが衛星の監視システムで砂漠を逃げていくハリスの自家用車を補足した。キエフは、仕事に関しては本物のプロなのだ。チーフに対する偏愛さえなければ・・・
 こいつが昨日飲んだ牛の放牧場の池の水で腹でもこわして、それが元で人格が変わってまともになればなぁ、とクラウスは残念に思った。

「大きな画面がないので詳細は無理ですが、支局長の車ですよ。」

 キエフがコンピュータのスクリーンに画像を映してクラウスに見せた。
クラウスは画像を縮小表示して、ハリスの現在地と支局との距離を測った。すぐに支局裏にある空港に電話を入れた。

「大至急高速ヘリを用意してもらいたい。パイロットは僕だ。これからそっちへ行く。」

 クラウスが部屋から出ると、キエフが付いて来た。鬱陶しいが他の部下は飛行機に乗せてしまったので、我慢するか・・・
 支局の航空部は、昨日支局長が用意させたヘリが本部局員を誘拐してしまったので、名誉挽回に所有する機体で最高の物を大至急準備した。
 
「買収されていたパイロットは戻ったのか?」
「いいえ、自宅にも戻っていません。逃げたのでしょう。警察に連絡して今日から捜索してもらう手筈です。」

 支局は長を失って混乱するだろう。地球人復活プロジェクトの業務が滞ってはいけない。大至急、代理支局長を本部から派遣してもらおう、とクラウスは冷静に考えた。
支局長秘書のブリトニー嬢が、犬を従えて空港へ見送りに来た。

「ワグナーさん、今日も平常の業務を行って良いでしょうか? 大勢の人が朝早くから順番を待っています。支局は休む訳にはいきません。」

 クラウスは彼女を振り返った。若い女性らしい軽装で、局員たちにいつも愛想を振りまいているだけの薄ぺっらな女性だと今まで思っていたが、この様な事態になると意外にしっかりしている。

 ここに支局長代理がいるじゃないか。 第1、支局の仕事を仕切っているのは実際のところ、彼女だろう? ハリスはお飾りだったはずだ。

 クラウスはにっこり笑った。ブリトニー嬢がちょっと赤くなった。彼が優しく言った。

「平常業務を遂行して下さい。今は貴女が頼りです。混乱が収まる迄、支局の管理をお願いします。」

 彼とキエフがヘリコプターに乗り込んで飛び去って見えなくなる迄、彼女はずっと見つめていた。

「ああ、どうしよう・・・胸キュンだわ。あの人、奥さんがいるのに・・・」

2016年9月22日木曜日

トラック 3

 ダリルは作戦会議室で1立体俯瞰図を見ていた。道路上に表示されている赤い点が少しずつ東へ移動している。ポール・レイン・ドーマーの体から発信される電波が示す位置だ。同じく、ライサンダーが使った携帯端末と思われる機器から発せられるGPSが示す位置だ。2人は一緒にどこかへ移動している。連れて行かれる最中だ。JJも一緒だと良いが、ばらばらにされると厄介だ。
 背後に人の気配がしたので振り返ると、クロエル・ドーマーが立っていた。先刻まで早い朝食を摂りに食堂へ行っていたのだ。

「どこへ向かっていると思う?」
「このままハイウェイを走れば、ローズタウンが一番近いかな。ラムゼイのアジトの一つがあるらしいですよ。レインのチームが小さい所は掃討しちゃったけど、一箇所だけ商売を続けているそうです。なんでも政治家とか財界人のスポンサーがいて、表向きの看板に上客が多いもんだから、迂闊に手を出せないって、ワグナーも愚痴ってましたね。」
「正体がばれている場所に、人質を運ぶかなぁ・・・」

 ダリルはハイウェイの分岐を指した。

「ここから南下するルートを取ると、セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンがある。野生生物復活事業が盛んな土地で、クローン研究に熱心な土地だ。小さな街だが、全体が大学施設とそれに関連する商売人と大学関係者の住居で占められる学究都市と言える。ここに入り込まれると、探すのに一苦労だ。」

 ふむ、とクロエル。

「早く朝飯に行って下さい。ジェット機を用意させてますから、準備ができ次第、飛びますよ。」
「何処へ?」
「ローズタウン。」
「そっちか?」
「空港はそっちしかないんです。」

 きっとクロエルと言う男はもの凄く才能に恵まれているのに軽薄な外見で損をしているんじゃないか、とダリルは思った。
 中央研究所ではなく、普通のドーマーたちが利用する居住区の食堂へ行った。早朝だが、ドーム施設の維持保守をする仕事に就いているドーマーたちで食堂は賑わっていた。
スーツ姿のダリルが食べ物を取って空いているテーブルを探すと、彼らはすぐに気が付いて、「あれ? こんな人がいたっけ?」と言いたげな顔をした。
 ふと、一箇所、2人用のテーブルの片側が空いているのが目に入った。先客は食事を済ませて珈琲と端末で新聞の時間を楽しんでいる。ダリルはためらうことなく、その正面に座った。失礼しますよ、と声を掛けると、相手は目を上げずに、どうぞ、と言った。
 出動まで時間があまりないので、ダリルは山盛りのスクランブルドエッグと刻みトマトとミルクで食事を済ませた。

「もう少し栄養価の高い物を食べたら?」

と相手が言った。彼はミルクを飲み干してグラスを置いてから、言い返した。

「サラダと珈琲だけの人に言われたくありませんね、ゴーン博士。」

ラナ・ゴーンとダリルの目が合った。彼女が意味深な笑みを口元に浮かべた。

「寝間着よりスーツの方が似合ってるわよ、セイヤーズ。」
「それはどうも。管理局は私を研究所から奪い返したつもりでいますよ。」
「ええ、知っているわ。私も貴方をいつ彼等に返そうかとタイミングを探していたのよ。長官やクローン部門の執政官たちは貴方を手放したがらないので、昨夜の会議は好都合だったわ。」
「随分お優しいんですね。」
「女性執政官たちが、貴方の相手をする順番でもめて困っていたの。ドーマーをペット扱いする悪い病気ね。風紀的にも良くありません。」
「私のせいじゃないですよ。」
「わかっています。」

 ラナ・ゴーンは時計をちらりと見た。

「そろそろ行くわ。貴方も外へ行くのでしょう? 気をつけてね。クロエルと仲良くしてあげて頂戴。 あの子は、あれでかなり苦労して育った子なのよ。」


トラック 2

 ライサンダーが乗ったトラックの荷台は、緩衝材で包まれたガラス容器などが積まれており、人間が座っていられるスペースはあまりなかった。つまり、3人で一杯だったのだ。既にメーカーたちがポール・レイン・ドーマーを真ん中に座らせていたので、ライサンダーとJJはその両脇に座ることになった。ポールは端に移動してやろうと言う気持ちはなく、また気力もないのか、若者たちにはさまれても我関せずと言う風情だった。しかし、トラックのエンジンがかかると、ライサンダーの方へ少しだけ腰を動かして移動した。ライサンダーは自分に何か話しがあるのかと思ったが、ポールはJJと肩が触れると女性に失礼だと思っただけだった。
 荷台内に空調はなかった。申し訳程度の換気口があるだけで、酸欠は免れるらしい。薄暗い照明が点いていた。トラックの揺れでダートの山道から舗装路に入ったとわかった。
 JJがタブレットに文字を書いて、ライサンダーに見せたが、それはポールの目の前に提示するのと同じだった。

ーー何処へ行くのかしら?

「俺も知りたいよ。東だったらいいけど。西ならドームから遠ざかってしまうから。」

ーー博士はどれだけ隠れ家を持っているのかしら?

「沢山持っていないことを祈るね。一箇所だったら、君と離されずに済むし。」

右側からタブレットを突き出され、左で言葉で返事が来る。ポールは目を閉じて、少年の声も出来るだけ無視しようと努力した。抗原注射の効力は後半日だ。体力を無駄に使いたくなかった。すると、ライサンダーも

「後で運転を代われと言われているんだ。ちょっとだけ眠るよ、ごめん。」

とJJに断りを入れた。
 荷台内に沈黙が訪れた。トラックのタイヤの単調な揺れを感じていると、ポールも眠気に襲われた。
 不意に右腕のジャージの上からJJが腕を掴んだ。目を開いて振り向くと、JJと視線が合った。何か? と目で問うと、彼女がタブレットに文字を入れかけた。ポールは小声で言った。

「手を直接握って、言葉を頭の中で呟いてくれ。」

 JJの柔らかな手が彼の手をそっと握った。

ーーこれで良いの?

「それで良い。」

ーー貴方を助けたら、貴方の友達はラムゼイをやっつけてくれるかしら?

 かすかに親の死を悼む感情が流れて来た。悲しみ。疲れている時はごめん被りたい感情だ。ポールは言った。

「ラムゼイの組織は叩き潰す。」

2016年9月21日水曜日

トラック 1

 引っ越しは夜明け前突然に始まった。
 ライサンダーとJJはいきなり起こされ、荷物らしい物は持っていなかったので、ほぼ着の身着のままで前庭に出た。
大型のコンテナがトレーラーに繋がれていた。小型のコンテナトラックも2台。荷物の積み込みは既に終了しており、出て行く部下と残る部下が3,4のグループに分かれて低い声で喋っていた。
 ライサンダーはラムゼイ博士の姿を探した。博士がトラックに乗る姿を想像出来なかった。大型トトレーラーの向こうに大型のオフロード車が駐まっていた。そこへ博士と秘書が現れた。博士はシェイに右肩を支えられていた。シェイはいつも身につけていたエプロンは着けて居らず、新しいワンピースを着ていた。そのせいか動きがぎこちない。
博士がオフロード車の後部席に体を潜り込ませ、ジェリーに何か言った。注意事項でも与えたのか、ジェリーが何度か頷いた。博士の姿が完全に車内の暗がりの中に消えると、ジェリーはシェイにも後部席に乗るよう指図した。シェイはためらっていたが、結局なだめすかされ、車に乗り込んだ。
 意外なことに、ジェリーはオフロード車に乗らなかった。博士を乗せた車が走り出すと、手を振ったが、恐らく博士にではなく、シェイに振ってやったのだろう。
 ライサンダーがジェリーの別行動を不思議に思っていると、秘書は彼の方へやって来た。

「寝たりなさそうだな、ライサンダー。」
「トラックの中で寝かせてもらえると有り難いけど・・・」
「寝かせてやるさ。居眠り運転は困るから。」

 彼が家屋の方を向いたので、ライサンダーもJJも釣られてそちらを見た。
ポール・レイン・ドーマーが連行されて来るところだった。誰かのお古か、ジャージを着せられていたが、ジャージが様になっている。体を鍛える為に日頃運動をしているせいだろう。腕は後ろ手錠で縛られていた。ライサンダーは、彼の足許がしっかりしていたので少し安心した。
 ジェリーは他のメーカーたちの様な下ネタや下品な言葉で彼を迎えたりしなかった。

「おはよう、『氷の刃』。気分はどうだ? 今日はこれから長距離ドライブに出かける。車内で気持ちが悪くなったら、素直に言えよ。世話係を付けてやるからな。」

 ジェリーはJJの肩を掴んで前に押し出した。

「ほら、JJ、こいつが『氷の刃』だ。おまえの親父の研究内容をうちの博士に教えてくれた張本人だ。つまり、おまえの両親の死の原因を作った男ってことだ。」

 JJはポールを睨み付けた。しかしライサンダーは知っていた。JJはラムゼイ博士を憎むほどには管理局を憎んでいない、と。

「おまえたちは、真ん中のトラックの荷台に乗れ。JJ、しっかり世話をするんだぞ。そいつに怪我でもさせたら、女の子でも容赦しないからな。」

 ジェリーは小さなコンテナを牽引するトラックをライサンダーに指した。

「おまえには2時間やるから、JJと一緒に中に入って寝ていろ。交代時間が来れば、すぐに起こしてやる。」


牛の村 18

 遺伝子管理局の局員たちは腋の下の皮膚下に発信器を埋め込んでいた。18年前、ダリル・セイヤーズ・ドーマーが逃亡してから、ドームが局員たちの所在地を常時把握しておくために始まった処置だ。
 ダリルはその処置を施され、寝間着から制服とも言えるダークスーツを始めとする衣服と靴をもらった。その格好で田舎へ行けば、管理局かその筋の役人だとばれるだろうと心配すると、クロエル・ドーマーが、変装は現地調達で行う、と暢気な顔で言った。
 局長は局の会議室にポールの北米南部班のチームリーダーたちを招集していた。
彼らはダリルの顔馴染みで、チーフ・レインの災難を既に知らされていた。夜中にもかかわらず、彼らは命令さえもらえればすぐに現地へ飛んで行きたい様子だった。
 局長は、彼らに救出作戦の指揮は、クロエル・ドーマーが執る、と伝えた。

「ワグナーではないのですか?」
「ワグナーはメーカーに顔を知られている。ラムゼイが何ら取引を持ちかけて来ない以上、人質救出は正面から交渉しても難しいだろう。だから、敢えて中米班の人間を用いる。」

 クロエルが「よろしく〜」と挨拶した。彼の軽薄な態度はドーマーたちの間で有名らしく、チームリーダーたちの間に、大丈夫か? と言いたげなムードが漂った。
指揮官が誰か、ともめることはなかった。サポート役にダリルが加わると聞いた時だけ、彼らは驚いた。ダリルは2度とドームの外に出ないと誰もが信じていたからだ。

「発信器を埋め込んだから、セイヤーズは管理局の人間に戻った。もう研究所には返さない。 これ以上執政官の夜の相手はさせないぞ。」

と北米北部班チーフが言った。

「ドーマーは種馬じゃないからな。」

とダリルを赤面させたのは、局長その人だった。

「さて、指揮官紹介はこれ迄にして、作戦会議と行こう。ラムゼイは、管理局が接触してきた以上、ぐずぐずしてはいまい。明日・・・今日にも動くはずだ。移動の最中に彼らを抑えられないものかな。こちらは、レインの発信器から出る電波と、セイヤーズの息子が電話で使ったラムゼイの端末のGPSで連中の位置を掴んでいる。
 ルーカス・ドーマー、君がヘリで飛んだ時に見た情報をみんなに説明してくれないか。」

牛の村 17

 クロエル・ドーマーが陽気に「はいっ」と手を揚げた。

「僕がセイヤーズのサポートをします。北米2班と違って、僕はこっちのメーカーには知られてませんからね、近づいても怪しまれませんよ。」
「それに、誰もそんなおちゃらけたヤツが管理局にいるなんて思わないだろうしな。」

と南米班。
 ダリルはクロエルを眺めた。確かに、中西部でドレッドの男は珍しい。たまに長距離トラックの運転手で見かけるくらいだ。クロエルは態度こそ不真面目に見えるが、抑えるべきポイントで質問を入れ、意見を述べている。中米は地峡とカリブ海諸島の複雑な地域だ。支局は形ばかりで、局員たちはほとんど独力で担当地域を飛び回って仕事をしている。「馬鹿」では絶対に務まらない地域だ。
 ダリルは局長を見た。

「彼にサポートをお願いしたいと思います。」
「君がそれで良いのであれば・・・」

 ハイネ局長はケンウッド長官を見た。ダリルは外に出せないドーマーのはずだ。出すには長官許可が要る。
 ケンウッド長官は、ラナ・ゴーン副長官を見た。私はセイヤーズを信じるが君は? と目で問うたのだ。ラナ・ゴーンが頷いた。
 長官は「許可する」と宣言した。

「ワグナーがまだ現地にいる。彼は『通過者』だ。彼も使え。」
「では、これから局に戻って作戦を練ります。セイヤーズを連れて行きますが、宜しいですね。」

 長官と副長官の了承を得て、ドーマーたちは会議室を出て、中央研究所から遺伝子管理局へ向かった。歩きながら、ダリルは何となく違和感を覚えた。各班のチーフたちは、彼の後ろでこそこそ喋っているし、局長は何かに気を取られていて、ダリルが声を掛ける迄端末を眺めていた。

「もしかして、最初から私がレイン救出に行くと手を揚げるのを期待していたのではありませんか?」

 ハイネ局長が画面から顔を上げて振り向いた。ダリルは相手を怒らせる可能性を承知で考えを述べた。

「さっきの会議は芝居がかって見えました。」

すると、クロエル・ドーマーが後ろから話しかけて来た。

「レイン救出は、僕が行くと決まっていたんですよ、セイヤーズ・ドーマー。」

彼は真っ白な歯を見せて笑って見せた。

「でもリオグランデから北は不案内で、サポートが必要だったんです。それで、ジモティの貴方に参加してもらえないかと、僕から局長に頼んだのです。伝説の『ポールの恋人』と一緒に仕事もしたかったしね。 貴方を外に出すには、長官許可が必要なので、さっきの茶番劇をやった訳です。 ご協力、有り難うございました。」



2016年9月20日火曜日

牛の村 16

 ダリルは局長の言葉が理解出来なかった。否、出来たが信じられなかった。まさか、と彼は呟き、ハイネ局長の言葉が間違いであれと思った。

「レインは私より利口です。メーカーの罠などにはまったりしない。」
「だが相手が一枚上だった。支局長のレイ・ハリスだ。」

エッと驚いたのは、ダリルだけではなかった。チーフたちの間に動揺が起きた。南米班チーフが、「確かですか?」と尋ねた。ハイネ局長は頷いた。

「南部班第1チームのリーダー、ワグナーが支局を捜査して、ハリスの部屋から大量の抗原ワクチンのアンプルを押収した。ドームで製造した純正ワクチンではない。
 抗原注射を知っているのは、ドーマーかドームの外に出かけるコロニー人だけだ。偽造ワクチンを作る発想は、元ドーマーか元コロニー人のものだが、ハリスにそんな技量はないし、設備も持っていないはずだ。
 つまり、ハリスは誰かが製造したワクチンで薬浸けにされて、スパイをしていたと思われる。」
「1週間我慢すれば、抗原注射なんか必要ない『通過者』になれるのになぁ。」
 
 クロエル・ドーマーが呟いた。

「そのハリスって野郎は、よほど雑菌が恐かったんだろうよ。」

と南米班のチーフが吐き捨てる様に言った。彼は局長とケンウッド長官を見比べた。

「それで、ラムゼイはレインを人質にして何か要求してきているのですか?」
「否、まだ何も・・・」

 ケンウッドが苦渋の表情で言った。

「ラムゼイがラムジーと同一人物ならば、ドームと交渉するよりも美味しい話があると考えるだろう。つまり、レインにはいろいろと使い道があると言うことだ。」

 ダリルは、南米班と中米班がこそこそ喋るのを聞いた。メーカーが捕らえたドーマーをクローン製造の材料にする為に切り刻んだ実際に起きた事件の話だ。年長の北米北部班のチーフが生まれるより前の事件だから、ほとんどホラー伝説化している。
 いてもたってもいられない、とは今の心理状態を言うのだろう、とダリルは思った。彼は立ち上がっていた。

「レインを助けに行きます。私は抗原注射なしで動けるし、あの近辺は生活圏でした。私に行かせて下さい。」
「助けるのはレインだけなの、セイヤーズ?」

 不意にラナ・ゴーン副長官が声を掛けてきた。ダリルは彼女を振り返った。ゴーンが母親の目で言った。

「優先順位を付ける必要があると、男性たちは言うでしょうね。でも、私は、貴方に息子と女の子も助けてあげて欲しいわ。 子供たちは、お父さんを待っているはずよ。」

牛の村 15

 あれきり、息子とは会っていない。ダリルは急に不安に襲われた。この会議は何だろう? 深夜に叩き起こされて、逮捕される迄の経緯を説明させられている。ライサンダーがどうかしたのか? 何故、この会議にポール・レイン・ドーマーはいないのだ?
 再びハイネ局長が語り出した。

「ニューシカゴ近郊の山間に、牛の放牧をしている農家がある。牛はクローン技術で増やして、今は自然交配も出来る様になった。その農家は、パーカーと言う人物の名義なのだが、パーカーは数年前に死亡していることがわかった。
 北米南部班はその農家の内偵をして、多くの人間が出入りしている事実を掴んだ。
さらに、出入りする人物の中には、葉緑体毛髪の少年も含まれていることを、付近の聞き込みで掴んだ。」
「ちょっと待って下さい。」

ダリルは聞き捨てならぬことを耳にして、局長を遮った。

「その緑の髪の少年と言うのは・・・?」

なんで部下たちは自分の話を遮ってばかりいるのかなぁと言いたげに、ハイネ局長は苦虫を潰した様な顔をした。

「レインはその少年を君の息子だと断定した。」
「どうして・・・」

とダリルは呟いた。息子が謎の農家にいる理由を考えたのだが、局長は違う意味に捉えた。

「少年が自らレインの直通電話に掛けてきたそうだ。」
「ライサンダーが?」
「何故彼はレインの番号を知っていたんだ?」

尋ねられてダリルは考えた。何故だ? そしてポールがダリルに送付した端末をライサンダーが壊した時の光景を思い出した。息子は端末を勝手にいじって番号を見たのだ。
そして、記憶した。

「レインが連絡用に送って来た端末で番号を知ったのでしょう。」

親子ねぇとラナ・ゴーンが呟いたが、その言葉の意味がわかったのは極少数だった。

「息子はレインに何の用があって掛けたんです?」
「少年はレインに、『ラムゼイは引っ越す』と告げたそうだ。」
「ああ、成る程、その農家がラムゼイのアジトだったんですね。」

北米北部班のチーフが発言した。この男はそこにいるドーマーたちの中で局長の次に年長で、と言っても48歳だったが、落ち着いていた。

「すると、ベーリングの娘もそこに居るんですね?」
「南部班のルーカスが目視で確認した。娘もそこに居る。但し、子供たちが捕虜なのか使用人になったのか、それは不明だ。」

そこでやっとハイネ局長は本題に入った。

「昨日の早朝、レインは北米南部班第1チームを率いてラムゼイのアジトへ家宅捜査に向かった。子供2人を保護してラムゼイも逮捕出来れば上出来だったはずだが、計算が狂った。」

局長は一拍おいてから、結果を述べた。

「支局にいたスパイに罠を仕掛けられ、レインがラムゼイに捕まった。」

牛の村 14

「私がレインと取引したのだ。」

とそれまで黙していたケンウッド長官が口を開いた。

「セイヤーズを逮捕せずに説得して連れ戻すと彼が言うので、それなら4Xの保護に協力させろと、ね。」

 彼はダリルを見た。

「君は4Xを見つけただろう?」
「はい。」

ダリルは素直に認めた。ここで誤魔化しても意味がない。

「自宅に保護しました。」
「それで?」
「引き渡すつもりで、中西部支局を通してレインに連絡を取りました。」
「だが、中西部支局長を君は殴って怪我をさせた。」
「支局の職員の指示でボーデンホテルのレインに面会に行きました。フロントで取り次ぎを頼むと、レインの部屋に行けと言われ、行ってみたら知らない男がいたので・・・」

クロエルがクスッと笑って、また口を出した。

「反射的に殴ったんだなぁ・・・」
「クロエル!」

ハイネ局長がイラッとした声を出した。ケンウッドはクロエルも局長も無視して話しの続きをダリルに促した。

「続けなさい。」
「支局長が私を権限もなしに逮捕しようとしたので逃げました。それで、レインが追ってきて、私を逮捕しました。」
「子供たちはどうした? ベーリングの娘と、君自身の子供が家にいただろう?」

ダリルの子供? チーフたちには初耳だったらしい。室内がざわっとした。
ダリルは簡単に説明した。

「少女を見つけた時、ラムゼイと出遭ってしまいました。後をつけられた可能性があったので、留守の間、子供たちを山奥の隠れ場所に隠しておきました。レインが来た時、子供たちは山にいたのです。」

2016年9月19日月曜日

牛の村 13

 ローガン・ハイネ・ドーマー遺伝子管理局局長が、テーブルの中央に3次元画像を立ち上げた。熟年の男性の画像だ。

「元執政官サタジット・ラムジー博士だ。50年前、アメリカ・ドームで起きた『死体クローン事件』の中心人物で、火星に送致される直前に逃亡し、今もって行方をくらませている。」

 彼はチーフたちが誰1人として反応しないことに気が付いた。全員50歳以下、若いので、50年前の事件など知らないか、歴史の一コマ程度の認識だ。ハイネ局長は事件の説明をしている場合ではないと判断したので、話を進めた。

「2月ほど前に、北米南部班が、メーカーのベーリングが4Xと言うクローン技術を開発したと言う情報を得て、それを故意に巷に流した。情報に飛びついたのが、ラムゼイ博士と呼ばれるメーカーの組織だった。」
「つまり、ラムジーとラムゼイは同一人物?」

ダリルが初めて見る、ドレッドヘアの浅黒い肌の若い男が口をはさんだ。中米班チーフだ。局長は口をはさまれて、ムッとした。

「未確認だが、恐らくそうであろうと考えられる。」

ドレッドヘアが何か言おうとしたが、彼は話しを続けた。

「ラムゼイはベーリングの研究所を襲撃してベーリングの妻子を誘拐した。それをベーリングが取り戻そうとしてラムゼイの研究所を襲い、2つの組織は共倒れになった。
しかし、ラムゼイ博士は当日不在で生き延びたのだ。そして、ベーリングの4Xだが、それは当局が考えた数式ではなく、遺伝子組み換えで生まれたベーリングの娘であることが判明した。」

おやおや、とドレッドヘア。静かにしていられない性分の様だ。

「北米南部班チーフ、レイン・ドーマーは、何を血迷うたか、18年前に脱走したセイヤーズ・ドーマーを共倒れになった両メーカーの研究所の近くで発見し、ラムゼイの研究所から逃亡した4Xの捜索をセイヤーズに依頼した。」

 ダリルは室内の人々の視線が自分に集まったのに気が付いた。既にドーム内では知れ渡っていることを、何故ここでわざわざ言うのか、と局長を恨めしく思った。すると、ドレッドヘアがまたしても横槍を入れた。

「レインは合理的に仕事をしただけでしょう。脱走者を働かせて娘の捜索をさせて、後で2人共回収する。」
「少し黙ってくれないか、クロエル・ドーマー!」

クロエルと呼ばれたドレッドヘアの男は、舌をぺろりと出して、黙り込んだ。そしてダリルを見てウィンクしたので、ダリルはちょっと驚いた。

牛の村 12

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは夢の中で誰かに名前を呼ばれた。ポールかと思ったが声が野太い。勿論ライサンダーではない。息子は絶対に名前で父を呼んだりしない。誰の声だったろう?と考えていると、体を揺さぶられた。

「起きろ、セイヤーズ! 長官がお呼びだっ!」

 無理矢理目を開くと、保安課のゴメス少佐が立っていた。体を揺すっていたのは監視役の保安課員だ。

「何? 誰が呼んでるって?」

もう1度毛布を被り直そうとすると、剥ぎ取られた。

「ケンウッド長官がお呼びだ、と言っているんだ。早く起きろ。」

毛布を取ったのはゴメス少佐だった。ダリルは渋々起き上がった。上体を起こすと少佐が身を引いた。寝ぼけたドーマーは扱いを間違えると危険だ。
 ダリルは床に降りて、寝間着の着崩れを直した。サンダルを履いてから、少佐が下半身こそ制服だが上はTシャツ1枚だけだと気が付いた。少佐も寝入りばなを起こされたのだ。
 監視役は観察棟に残して、ダリルとゴメス少佐は中央研究所に向かった。深夜の1時だ。ドーム内は静かだが、宇宙で生まれ育ったコロニー人は地球生活に慣れるまでは夜でも活動している。研究棟の窓のいくつかは灯りが点っていた。地球生活に憧れてやって来たゴメス少佐はすっかり地球に順応していたので、非常事態さえなければ夜は寝る習慣だった。そして、今は非常事態が発生していた。
 連れて行かれたのは長官室ではなく会議室だった。ドアが開くと、中にいた人々がこちらを振り向いた。 ハイネ管理局局長、北米北部班チーフ、中米班チーフ、南米班チーフ、医療区長、そして正副長官。ラナ・ゴーン副長官は唯一人の女性だが、今夜はすっぴんだった。それでも美人だ。
 ゴメスに誘導されて、空いた席に座ってから、ダリルは北米南部班チーフがいないことに気が付いた。ポールはまだ・・・?
 ケンウッド長官がダリルに、起こして悪かった、と謝った。

「だが、今回の事案は君の力を借りた方が良いと思ったのでね。」

牛の村 11

 ライサンダーはポールから視線を外した。この男は少年が自分の遺伝子を使って創られた息子だと知っているのだろう。でも一言もそれには触れない。きっと認めたくないからだ。遺伝子管理局の幹部ともなれば、クローンの息子がいるなど、恥としか思えないはずだ。

「俺は、親父を取り戻したい。」

ライサンダーはためらった。

「あんたを人質にして交換を要求する。」

 ポールが独り言の様に呟いた。

「それは無理だ。」
「どうしてだ?!」

ライサンダーは立ち上がった。大声を出してしまったので、見張り役が外から「どうした?」と声を掛けた。彼は慌てて、「なんでもない」と答えた。

「今、捕虜に尋問しているんだ。」
「尋問? おまえにそんな役目を与えたのか、ジェリーが?」
「ジェリーは関係ない。俺はドームって所を知りたいだけだ。」

すると見張りは「捕虜を殴るなよ」と言って、それきり沈黙した。
捕虜を殴るどころか、捕虜に投げ飛ばされたライサンダーは、ポールを見下ろした。
ポールが彼を宥めるように言った。

「ダリル・セイヤーズは、俺より価値があるドーマーなんだ。そして危険な要素も持っているドーマーだ。進化型と言ってな、地球人にはないコロニー人の遺伝子を持っている。現在の段階の地球に拡散させることは出来ない能力を持つ。だから、本人も納得してドームに残ることを決心した。」
「嘘だ・・・」

 ライサンダーはポールの言葉がよく理解出来なかった。わかったのは、最後の1文だけだ。

「親父は外の暮らしが好きなんだ。あんたは嘘を言ってる。親父を独り占めしたいから・・・」

 ライサンダーはポールに接近し過ぎた様だ。ポールがすっと立ち上がったと思ったら、いきなり抱きしめられた。唇にキスをされた。ライサンダーは気が動転しそうになった。ポールのキスは彼の全身の血を逆流させるような、体がとろける様な激しいものだった。
 キスは、始まった時同様、不意に終わった。
 ポールは彼を突き放し、自分でベッドの上に横になると背を向けた。

「おまえは普通の子供だ、ライサンダー。ダリルの能力も俺の力も持っていない。そう強くアピールしろ。自由に生きたければ、ドーマーの血と関係ないと周囲に宣伝しろ。誰もおまえに関心を持たないようにするんだ。」

 ポール・レイン・ドーマーは、ライサンダー・セイヤーズを我が子と認めた。


牛の村 10

 ポール・レイン・ドーマーは身じろぎ一つしなかった。ライサンダーはトレイを丸テーブルの上に置き、自身の上着を脱いで、ポールの腰に掛けてやった。

「腕を自由にしてやるから、暴れないでくれよな。JJが台所にいるんだ。あんたが探していた女の子だよ。」

 シリコンゴムの手錠ははめられている人間が外そうともがいても締め付けるだけだが、外部からある一定方向に力を加えると簡単に緩む。
腕が自由になった途端、ポールが仰向けになり、ライサンダーの両二の腕を掴んで壁に投げつけた。
 ライサンダーは何が起きたのかわからなかった。咄嗟に首を縮めたので背中を壁で少々打って、そのまま俯せにマットレスに落ちた。彼の体の上に、ポールが体重を掛けてきた。ライサンダーは大きく息を吐いた。距離がないのが幸いして、打撲と呼ぶ程度のダメージはなかった。ポールの力もそんなに出ていなかったのだ。

「何故ここにいるんだ?」

 ポールが囁く様に尋ねた。ライサンダーは両肩を押さえられて動けない。

「川に落ちた時に、脚を折って動けなくなったところを、助けられたんだ。」
「普通に歩いている。」
「3,4日で治ったんだ。」

ライサンダーは脚を動かしてポールを振り落とそうともがいた。

「暴れないでって言っただろ? JJは人質でもあるんだ。」

 不意に軽くなった。ポールが彼の上から、そしてベッドから降りたのだ。彼は椅子を探したが無かったので、仕方が無くベッドの端に腰を下ろした。ライサンダーの上着を拾って腰に掛けた。ライサンダーは起き上がった。頭は打っていないが少しくらくらした。

「ラムゼイは引っ越すのか?」
「うん、明日ここを出て行く。JJと俺も連れて行かれるんだが、行き先は教えてもらえない。」

少年は付け加えた。

「あんたも連れて行くって言ってた。」
「嬉しくないな。」

 ポールは少し考え込んだ。ライサンダーはスープを思い出した。ボウルを差し出したが、ポールは無視した。そして、尋ねた。

「あのパーカーと言う男はラムゼイの腹心か?」
「秘書だ。でも、ほとんど息子同然だって、みんなが言ってる。シェイも・・・」

 ライサンダーはポールに聞きたかったことを思い出した。

「シェイはコロニー人の女なんだ。台所で働いているけど、多分ラムゼイのクローン製造に細胞を提供している。」
「それで、ラムゼイのクローンは品質が良いんだな。女の細胞を使っているから。」
「もし、遺伝子管理局がラムゼイを逮捕したら、彼女はどうなるの? 処分されるのか?」
「まさか・・・」

ポールは初めてライサンダーを振り返った。

「普通の人間だぞ。クローンだって人間だ。ドームは人間を処分したりしない。ラムゼイのクローンなら、健康に問題がなければ、子供だったら養子に出されるし、成人していればそれなりに・・・」
「それなりに?」
「犯罪に関わった経歴がなければ自由だ。」

 ライサンダーはどっちだ? ポールとライサンダーは同時に同じ疑問を抱いていた。




牛の村 9

 ラムゼイ博士の農家では、博士と秘書のジェリー・パーカー以外は台所横の部屋でみんなで食事を摂った。JJはライサンダーが来るのを待って、一緒に座る。料理人のシェイはいつも大鍋のそばにいて、お代わりは彼女の許可が必要だ。
 その日の夕食時の話題は当然のことながら、捕まえたドーマーの肉体美だった。どうすればあんな筋肉を持てるのかと羨ましがる者がいれば、抱いてみたいと欲望を口に出す者もいた。ライサンダーは下品な話題に参加するまいと、食べることに専念して、JJが指文字で話しかけるのを危うく見逃すところだった。

ーーしぇいが ほりょに ごはん あげてって

 視線を向けると、シェイが微笑して頷いた。
 牧童やメーカーたちが食事を終えて部屋から出て行くと、JJは後片付けだ。ライサンダーも手伝うのだが、その日は、シェイがスープと水をトレイに載せて彼に渡した。

「ジェリーから頼まれているから、ちゃんと食べさせてね。明日は移動だから、あの人に私の手料理は最初で最後だけどね。」

 シェイはこの農家から初めて外に出る。台所ともお別れだ。彼女は引っ越しを告げられた時、残りたいと駄々をこね、博士に叱られた。おまえはただのコックではないのだ、と。勿論、彼女にもわかっていた。彼女は博士の商売の為に買われ、育てられ、養われているのだ。
 突然、ライサンダーは気が付いた。遺伝子管理局がラムゼイ博士を逮捕したら、シェイは刑務所に収容される。それからどうなるのだ? 世間で噂されている様に「処分」されるのか? それともダリルが以前言った様に、「検査」されて新しい生活をもらえるのか?

 『氷の刃』に尋ねたら、答えをもらえるのだろうか?

 廊下を歩いて、パティオに面した1室の前に行った。見張りがいて、捕虜の食事だと言うと鍵を開けてくれた。
 部屋の構造は、ライサンダーとJJが2人で使っている部屋と同じだった。狭くて家具は粗末な古い鉄製のベッドと小さな丸テーブルだけ。手洗いがないから、見張りに声を掛けて外へ出なければならない。
 ライサンダーが入ると、見張りは照明を点けてくれて、ドアを閉めた。
 ポール・レイン・ドーマーはベッドの薄っぺらなマットレスの上に入り口に背を向けて横になっていた。後ろ手に縛られているので、仰向けになれないし、着る物をまだ与えられていないので、こっちを向きたくないのだ。ライサンダーは恐る恐る声を掛けた。

「起きてるか? 飯を持ってきた。」



牛の村 8

 ポール・レイン・ドーマーが捕まったと聞いて、JJは失望した様な表情になった。
タブレットに文章を書いた。

ーー私が管理局を呼んだりしたから、犠牲になる人が出た。

「そんな訳ないよ。」

 ライサンダーはポールの衰弱振りがずっと気になっていた。メーカーたちから暴行を受けた形跡はなかった。ラムゼイ博士とジェリーは、誰であれ管理局の人間を捕らえる時は怪我をさせるなと部下たちに言いつけてあった。ドーマーは細菌感染に弱い。地球人が普通持っている抗体が出来ていないからだ。あの弱り方は何が原因なのだろう。

「JJ、君は『氷の刃』の塩基配列を見たことがある?」

ーー彼が連行されて来た時、廊下でチラッと見た。

「どこか、俺たちと違うところがあった? つまり・・・健康に関係するところとか?」

ーーないと思う。あの人の体は完璧。

 では、心的なストレスか? 管理局の偉いさんが、そんな柔なヤツなのか?
JJがライサンダーに寄り添ってきた。

ーー彼のことが心配?

 ライサンダーはよくわからない。父親を奪った憎い男だが、アイツも父親なのだ。
彼は思いきって彼女に告白した。

「『氷の刃』は俺の、もう1人の親なんだ。」

JJが目を見張った。じっと彼を見つめ、考え、そして、頷いた。

ーー目元が似ている。

牛の村 7

 クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは、アレクサンドル・キエフ・ドーマーを山中で拾った後、上司からの連絡を待った。しかし、ポール・レイン・ドーマーからはいくら待っても連絡はなく、放牧地で銃声が数発と牛の鳴き声とが混ざった騒ぎがあった程度で、それっきり世間は静まりかえってしまった。端末のGPS記録を見ると、ポールの端末の最後の発信地点が放牧地の中と言うのが判明しただけで、後は「信号消滅」で終わっていた。メーカーに破壊されたか、あるいは仲間の情報を守る目的でポール自身が端末を破壊したのだ。実際、ポールは牛囲いの中で牛に踏ませたのだ。メーカーが発見した時には修復不可能な程度に粉々になっていた。
 日没が迫る迄山に留まってから、クラウスは街へ引き揚げた。支局へ向かわせた部下からは、支局長レイ・ハリスが「外出」で行方不明との報告を受けた。
 支局は夕方には一般の受付を終えて、職員たちは帰宅してしまう。
クラウスはブリトニー嬢を足止めすることに成功した。 彼女は帰宅しても暇だと言って、本部局員たちの目的を知らぬまま、支局の家宅捜査に協力した。
 職員の多くは現地採用の一般人で、経歴は確かな人々だ。クラウスは彼らの預金口座や家族構成などのプライバシーを本部局員の権限で開示させ、怪しいところがないか確認した。
 最後に、支局長室に入った。ブリトニー嬢は知っている範囲で、直属の上司を裏切った。

「ハリスさんは、注射をよくされていますよ。糖尿ですか、とお聞きしたんですが、違うと言っていました。」

 クラウスは、今朝ポールと共にこの部屋に入った時、ハリスが何かを机の引き出しにしまうのを見た、と思い出した。鍵がかかった引き出しを、いとも簡単に開けてしまうと、ブリトニー嬢が心配そうに覗き込んだ。

「麻薬ですか?」
「似たような物です。」

 引き出しの中には、薬剤のアンプルが入っていた。空が少々、残りは薄桃色の液体が入っている。ドーマーにはお馴染みの薬剤だった。
 それは、ドームでしか手に入らないはずだったが、クラウスはブリトニー嬢に念のために質問した。

「こう言うのを、街で購入出来るんですか?」
「私は見たことがありません。少なくとも、街の薬局では、と言う意味で。ハリスさんは、時々ヘリのパイロットから買っていました。あのパイロット・・・なんて名前だったかしら・・・?」

 ポールとキエフは、そのパイロットが操縦するヘリに乗せられたのだ。
 クラウスは、自分が操縦すれば良かったと後悔した。

「これ、犯罪なんですか? 麻薬じゃないんでしょ? 犯罪になるのかしら?」

 ブリトニー嬢は上司を心配していた。

「これの使用自体は犯罪ではありません。」

とクラウスは彼女を安心させようと努力した。

「ただ、支局長はちょっと困った立場に立たれた様です。」

 彼は部下を呼んで、彼女を自宅まで送ってあげるようにと命じた。彼女が部屋から出て行くと、彼は端末を出して、ドームの本部へ電話をかけた。

「クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーです。大至急、ハイネ局長に繋いで下さい。」



2016年9月18日日曜日

牛の村 6

 ライサンダーは、ポールが苦痛の表情を浮かべたのを見逃さなかった。ラムゼイ博士に手で触れられて、ポール・レイン・ドーマーは嫌悪感以上のものを味わった様だ。博士がポールの顎から手を離した。ポールがよろめいた。ジェリー・パーカーが博士を庇う為に2人の間に割り込み、部下がポールを抱える様に支えた。ポールが居間に来て初めて声を出した。

「汚い手で俺に触るな、メーカー野郎!」

 そしてそのままぐったりと体の力を抜いた。ライサンダーは思わず駆け寄った。ポールは気絶していた。ライサンダーは博士を見て、ジェリーを見た。

「彼に何をしたんだ?」

 ラムゼイ博士はポールの顎を掴んだ自身の手を眺めた。訳がわからないと言う表情だ。

「無菌状態で育ったんで、今日の出来事で神経が参ったのでしょう。」

とジェリーが考えを口に出した。それ以外に誰も何も思いつかなかった。
 博士は、部下に捕虜を閉じ込めて置くように命じた。部下が2人がかりでポールを担ぎ出して姿を消すと、彼は椅子に戻った。
 ジェリーが尋ねた。

「恐らく、明日の夜迄、あの男の抗原注射は効力を維持すると思いますが、どうしますか? 移動の時に、動けなくなっている方が、運びやすいですが・・・」
「否、予定通り、明日出発する。」

 ライサンダーは、ポールが連れ去られた出口を見ていた。

「あの衰弱の仕方は異常だよ。」

と彼は呟いた。 遺伝子の片親の健康が心配になっていた。

牛の村 5

 ライサンダー・セイヤーズは居間でラムゼイ博士とチェスをしていた。彼は父親に勝ったことは一度もなかったが、博士には負けたことがなかった。ラムゼイ博士は特に不機嫌になることもなく、むしろ自身の作品の出来映えに満足しているかの様に、愉しげだった。そこへ、昼食後にどこかへ出かけていた秘書のジェリー・パーカーが戻って来た。開口一番、彼は博士とライサンダーを驚かせた。

「博士、『氷の刃』を生け捕って来ましたよ。」

 博士とライサンダーはほぼ同時に居間の入り口を見た。
 スキンヘッドの若い男が部下に小突かれながら部屋に入って来た。ライサンダーは立ち上がった。間違いなく、ポール・レイン・ドーマーだ。
 ポールは泥水と牛の涎で汚れたので、捕まって農家に連行された後、風呂に入れられた。関節を外して逃げたり出来ない様に、シリコンゴムの特殊手錠で手首を縛られたので、ジェリーの部下の手で洗ってもらったが、その手を通して不快な思考が感じられたので、酷く気分が悪かった。ドームのファンクラブの連中が酔っ払った時の感情に似ていて、不愉快な空想をしているのがわかったから。
 衣服はもらえず、腰にタオルを巻かれ、その上からバスローブを掛けられた。そんな恥ずかしい姿で屋敷内を歩かされ、ラムゼイ博士の前に引き出されたのだ。
 博士の横にライサンダーが居て、テーブルの上にチェスボードが載っていた。ライサンダーは捕虜ではないのか?
 ラムゼイ博士が立ち上がった。重力サスペンダーのブーンと言うモーター音が聞こえ、初めてポールはこの大物メーカーが自力で立てないことを知った。

「『氷の刃』・・・それとも、ポールと呼んで欲しいかね?」

 博士が彼の本名を知っていようがいまいがどうでも良かったので、黙っていたら、博士はすぐそばに来た。バスローブを剥ぎ取られ、タオルも外された。博士が後ろから前から、右から左から、彼の体をじっくり眺めた。ポールは宙を見つめ、博士もライサンダーもジェリーも、その存在を忘れようと努めた。

「さながら生きたギリシア彫刻だなぁ。」

と博士が感嘆の声を漏らした。

「そう思うだろ、ライサンダー?」

ライサンダーは何故か顔が赤くなるのを防げなかった。見まいと思うのに、目が離せない。こんな美しい男は見たことがない。

 親父が愛した相手だ・・・

彼は力を振り絞って逆らった。

「俺の親父の方がずっと綺麗だ。」

ラムゼイ博士が、カッカッカッと笑った。

「確かに、おまえの父親も別の美しさだな。儂もアレが大好きだよ。残念なことに、ドームが閉じ込めてしまったがな。」

博士はポールの顎を掴んで、自分の方へ顔を向けさせた。目と目が合った。

「おまえは自分の価値を知っているかね?」

と博士が囁きかけた。

「儂は、おまえが知っている以上に知っているぞ。」



牛の村 4

 端末のGPSで位置確認をすると、件の農家が一番近い民家で、味方はまだ山一つ南に居ることがわかった。絶望的だが、山越えの道があったので、そこへ向かって歩き始めた。
キエフが申し訳なさそうに声を掛けてきた。

「軽率な行動を取りました。僕がドアを開けさえしなければ・・・」

ポールは遮った。

「過ぎたことをくよくよ考えるな。どのみち、敵の中へ連れて行かれることになっていた。」

 レイ・ハリスが憎い。コロニー人の分際でドーマーをメーカーに売るのか?
2人は池から流れ出る水路に沿って歩き、山道が始まる辺りまで来た。太陽はまだ中空にあるが、普段座って仕事をしているキエフは脚が痛くなった様だ。靴の中の水がまだ残っていて、歩き辛い。
 ポールは前方に土煙が立ち昇るのを見つけて立ち止まった。キエフも同じ物を見つけて叫んだ。

「チーフ、メーカーが来ます!」

武器はない。相手は既にこちらの存在を発見してスピードを上げた。ポールは周囲を見回した。身を隠すのも手遅れだろう。彼はキエフに命令した。

「左へ走れ。俺は右へ行く。俺が捕まっても戻ったり、立ち止まったりするな!」

 キエフの返答を待たずに走り出した。左へ行けば味方が通る山道へ出るはずだ。敵はキエフではなく、自分を追って来る、とポール・レイン・ドーマーは読んだ。自分のスキンヘッドは目立つから、連中は間違いなくこっちへ来る。だから、キエフが安全圏へ逃げる迄時間稼ぎをしてやれる。
 果たして、メーカーの自動車軍団は、向きを修正してポールの方へ走ってきた。ポールは岩を越え、ブッシュを抜けて、開けた場所に飛び出した。メーカーの車が迂回して先回りしていた。ポールは目の前にあった牛囲いの中へ跳び込んだ。
 まだ若い牛の群れだったが、牛の年齢などわからない。彼は牛を掻き分けて柵から離れた。メーカーたちは彼を見失い、牛囲いの手前で自動車を駐めて降りてきた。柵の周囲を歩き、誰かが足跡を発見すると、彼らは牛の群れを前にして考え込んだ。
牛を脅かすと暴走する恐れがある。下手をすると、ドーマーを踏みつけるだろう。
 ポールは牛と押しくらまんじゅうしながら、そろりそろりと移動した。時々べろりと牛に舐められた。ポールは牛に手を触れたくなかった。混沌とした、人間のものでない「思考」が怒濤のごとく手から入ってくる。悲鳴を上げたいくらい気持ちが悪い。接触テレパスのコントロールが利かなくなっていた。落ち着け、と彼は自身に言い聞かせた。

「おい、『氷の刃』!」

誰かが彼の渾名を呼んだ。勿論、返事などしない。

「大人しく囲いから出てこい。牛に踏まれる前に出てこないと、不幸な結末になるぞ。」

メーカーたちは一箇所に集まって、どうするべきか相談していた。ポールは、若い牧童らしき男が1人だけ離れて立っているのを見つけた。男は仲間の相談結果が出るのをただ待っている様子だ。 手にしているライフルは本物だ。ポールは牛の群れの中を、その男を目指して移動した。

「牛をあっちへ移そう。」

そんな声が聞こえた時、ポールは柵から跳び出した。若い牧童にとびかかり、銃を奪い取ると、牛の群れの頭上に向かって数発撃った。牛がパニックに陥った。
牛が銃声とは反対の方向へ走り出した。牧童がポールに掴みかかった。ポールはそいつを銃身で殴りつけたが、直後に足許に別方向から銃弾を撃ち込まれた。

「銃を捨てろ、ドーマー!」

 背後で男の怒鳴り声が聞こえた。 ポールは、敗北を認めた。





牛の村 3

 ドーマーたちは子供時代から、着衣のまま水に落ちた時の訓練を受けている。ドームは生命を守る術なら何でも子供たちに教え込んだのだ。
 ポールは泥水の中に着水した時、水を飲まないよう心がけ、泳ぐのに邪魔な上着を脱いだ。端末だけは苦労して取りだし、掴んで水面に顔を出した。ヘリが上空を旋回していたが、着陸するには岩場や立木が邪魔なようだ。
 ポールのすぐ近くでキエフも顔を出した。彼が泥水を吐き出したのを見て、ポールは拙いなと思った。ドーマーは雑菌に免疫がない。キエフは「汚染」された。
2人は泳いで岸に這い上がった。地面には牛と思われる動物の足跡や落とし物が無数に残っていた。臭いし、衣服が体にへばりついて実に不快だ。
 シャツを脱ごうとして、ホルダーが空なのに気が付いた。銃を落としたのだ。ポールはホルダーを捨て、シャツも脱いだ。下半身は気持ちが悪いが濡れたままの物を着るしかない。
 キエフも上半身を脱いだ。彼は銃を所持していたが、チェックすると泥水が入り込んでいて、使い物にならないと判明した。彼もホルダーごと銃を放棄した。地球の銃と違って、宇宙空間の武器は、この手の事故には弱い。
 端末は防水処置を施されていたが、水に落ちた時の衝撃で、キエフの物は壊れていた。ポールのは、動作はするが、酷く鈍い。
 ヘリが家宅捜査対象の農家の方角へ飛び去った。

「あいつ、メーカーだったんですね?」

とキエフが悔しそうに呟いた。

「メーカーではなく、買収されていたんだろう。」

ポールは、操縦士に自分たちが乗ることを教えたのは誰だろうと考え、思い当たる人物が1人しかいないことに気が付いた。

車組は無事だろうか?

鈍い端末を操作して、何とか電話を呼び出した。クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーに掛けると、平常の声が返答した。

「ワグナーです。チーフ?」
「レインだ。ヘリの操縦士がメーカーに買収されていた。」
「何ですって?!」
「なんとか池に飛び降りて逃げたが、銃は使えないし、山の中の放牧地にいるらしい。」

クラウスは動揺を何とか抑えたようだ。

「サーシャも一緒ですか?」
「一緒だ。2人とも怪我はないが、サーシャは泥水を飲んだようだ。」
「すぐにそっちへ向かいます。」
「車に異常はないか?」
「ありませんが?」
「ヘリの操縦士に俺たちのことを教えたのは誰なのか、考えた。」
「それは支局の・・・」

クラウスが息を呑むのが聞こえた。

「ハリスですか?」
「恐らく。迎えの車は1台で良い。もう1台は支局に引き返して、コロニー人を確保しろ。」
「了解です。」

通話を終える前に、クラウスは言った。

「捕まらないよう、頑張って下さい。」





2016年9月17日土曜日

牛の村 2

 ヘリコプターは砂漠の端の上空を飛び、山地へさしかかった。ダリルが住んでいた山より北西で、森林もある。北へ向かってなだらかな斜面が広がり、牧草地として利用されているようだ。
 ポールは遊覧気分になれなかったが、それでも下界を眺める余裕はあった。隣でアレクサンドル・キエフ・ドーマーが乗り物酔いを耐えていたが、そのうち我慢出来なくなったのか、座席を離れた。扉を無断で開くと言う暴挙に、操縦士が悪態をついた。
ポールが席に着けと怒鳴った直後、ヘリが大きく傾いた。キエフがひっくり返り、床の上を出口へ滑った。彼は辛うじて物に掴まったが、腰から下は空中にはみ出した。
ポールは席を立って、キエフの体を抱えようとした。再び機体が揺れ、キエフがさらに滑った。ポールは彼の手を掴んだ。もう片方の手で自身を支えたが、銃を落とした。彼の銃はキエフの目の前を滑って下界へ落ちていった。
 操縦士が怒鳴った。

「そいつは落としてしまえ! 用があるのはおまえだけだっ!」

ポールは操縦士を振り返った。また機体が揺れて、キエフが悲鳴を上げた。

わざと揺らしたのか・・・

彼は満身の力を込めてキエフを引っ張り上げようとした。キエフも必死で縁に片方の手をかけて上がって来ようとしている。しかし、操縦士が度々機体を揺らすので、脚を機体に掛けられない。
 下界に青いものが見えた。近づくと家畜用の水場なのか、小さな池があった。水深はいかほどだろうか。ポールはキエフに顎で下を見ろと合図した。キエフは這い上がるのに必死だったが、それでも上司の合図に気が付いて、下を見た。池を見て、ポールが言いたいことを理解したが、首を横に振った。高度があり過ぎた。ポールは操縦士に怒鳴った。

「高度を下げろ! 部下を池に下ろしたい。」

3回怒鳴って、やっと操縦士に聞き取ってもらえた。操縦士としては、獲物は1人で充分だった。雇い主が所望しているのは、スキンヘッドの美しいドーマーだけだ。髭面のひょろっとしたヤツじゃない。第1、着陸した時に武道の達人であるドーマーを相手にしなければならないのだから、1人しか連れて行きたくない。操縦士はポールの頼みを聞き入れてやることにした。
 1度越えた池に、旋回して戻った。ヘリが降下して水面に波が立った。これなら生命の危険は少ないだろうと思われる高さまで降りた時、ポールはキエフを掴んでいた自身の手を離した。キエフが叫び声を上げて落ち、続いてポールもヘリから身を投げた。


牛の村 1

 2日後の朝、ポール・レイン・ドーマーと第1チームは中西部支局に到着した。支局長レイ・ハリスは、彼が支局巡りで来る日ではなかったので、かなり慌てた。支局の裏手にある飛行場にドームの専用機が着陸するのが見えて、腰を抜かしかけたのだ。
受付のブリトニー嬢がドームから一行が到着したことを告げた時、彼は焦って机の上の物をひっくり返し、ポールが彼女の横をすり抜けて室内に入ると、何かを引き出しに押し込んだところだった。
 ポールはハリスを取るに足らぬ執政官崩れとしか認識していなかったので、彼の焦りを無視して、ニューシカゴ近郊の農家を家宅捜査するのでヘリを準備するよう要請した。
ハリスはヘリの準備をするので半時間待ってくれと言い、ドームからの一行を別室で待たせた。
 6人のドーマーたちは、普段婚姻許可申請者たちが書類を作成する部屋で時間を潰した。ポール・レイン・ドーマーは、アレクサンドル・キエフ・ドーマーが仲間からつまはじきされていることを承知していた。どのチームに入れても仲間と馴染まないので、一番穏やかで面倒見の良いクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーのチームに入れたのだが、クラウスももてあましている。キエフがユーラシア・ドームからトレードされてきたのは、ロシア系のドーマーの血を入れようと言う上層部の判断からだったが、ユーラシア側が彼を選択したのは、単に厄介払いしたかったからじゃないか、と思った。
 厄介払いしたいのであれば、ドーマーを辞めさせて外へ出せば良いじゃないか。
どうしてそんな単純なことを執政官は思いつかないのだろう? とポールは内心苦々しく思うのだ。
 ブリトニー嬢がお茶を運んで来た。ポールのお茶好きを知っているので、当地で手に入る最上のお茶を使って淹れてくれた。

「綺麗な色に淹れてくれたんだね。」

ポールがお茶の色を褒めると、彼女は白い頬をピンクに染めた。

「綺麗な色を出そうと思ったら、香りの方が疎かになるのでは、と心配なんです。」
「香りも素晴らしいよ。有り難う。」

ポールは、男相手には滅多に見せない笑みを彼女に向けた。クラウスは、キエフの表情が強ばるのを目撃した。ポールがこれ以上ブリトニー嬢に愛想を振りまくと、彼女が危険に曝されるかも知れない。クラウスは咳払いして、ポールの視線を自身に向けた。目でキエフをそっと指して注意を促した。ポールは彼女に、これから仕事の打ち合わせをするから、と言い、彼女は素直に「お仕事頑張って」と全員に向けて挨拶して部屋から出て行った。
 部下たちは、チーフが忽ち不機嫌になるのを察知した。ポールはブリトニー嬢がお気に入りでもっとお喋りしたかったのだが、キエフが邪魔をした、と彼らは解釈した。
実際、そうなのだが、キエフだけが理解していなかった。
 お茶を飲み終える頃に、ハリスが現れた。

「急なことなので、ヘリは1機しか用意出来ない。車を用意したので、指揮官以外は地上から行ってもらえないか?」

ポールはクラウスを見た。クラウスも彼を見た。クラウスがハリスに尋ねた。

「車は何台です?」
「2台、もしもっと要るなら・・・」
「2台で充分、でも後で追加要請する場合もあり得るので、数台空けておいて下さい。警察にも待機してもらえると有り難い。」
「わかった。」

 部下たちが顔を見合わせている。ポールは彼らが何を思っているのか想像がついた。
彼らは、キエフと同乗したくないのだ。ここへ来る迄の機内でも、彼は1人離れていたのだ。

「ヘリには俺とサーシャが乗る。君らは車で後から来てくれ。」



JJのメッセージ 22

 外からドームへ電話を掛けると、直通に見えるが、実際はターミナルの機械を経由している。ドームの壁を形成する特殊素材が電波を通さないから、内からも外からも直通で電話を掛けるのは不可能なのだ。
 出産で収容される女性たちは、ドームの入り口にある受付棟で持ち物全てを預けなければならない。消毒の手間を省くのと、内部で私物の紛失などのトラブルが起きることを防ぐのが目的だ。だから電話は、公衆電話使用となる。外から掛けるのが大変厄介になるので、「通話時間」が設定されており、女性たちは1日のある時間、グループ毎に電話が設置されているホールに集まり、家族との会話を楽しむ。
 ドーム内の住人たちは、各自の個人番号を成人した時に与えられる。仕事用と私用の2つあって、それぞれ番号の組み合わせで外線と内線の2通りに使えるので、結局のところ1人に4通りの番号があるのだ。
 ポール・レイン・ドーマーは、私用の外線を滅多に使わない。外に友達がいないせいだが、仕事で彼と話しをしたい人間が多いのも確かで、だから専ら仕事用外線を使う。
私用外線を使ったのは、ダリルに与えた端末が初めてかも知れない。
 だから、非通知で私用外線に掛かってきた電話に彼は驚いた。直ぐに「発信元解析」を押すと、見知らぬ番号が出た。市外局番は、ニューシカゴだ。
 通話ボタンを押すと、無言だ。荒い、緊張した様な呼吸音が聞こえた。
悪戯にしては遠距離過ぎる、と思った時、若い男の声がした。

「ラムゼイが引っ越すって・・・」

ポールは電話を切った。悪戯か、罠か、それとも・・・?
あの声には聞き覚えがある。それに、この番号を知っている、あるいは知ることが出来る人間は1人しか思いつかない。
彼は確認の為に、掛かってきた番号に返信した。
向こうはためらったのか、少し間を置いて出た。名乗らないが、やはり緊張した呼吸音が微かに聞こえた。
 ポールは、相手が誰なのかわかった、と言うことを伝えた。
少年から何か情報を聞き出す手もあったが、恐らくそれはライサンダーを危険な目に遭わす可能性が高いだろうと判断して、短い言葉を伝えて切った。
切ってから、番号を登録し、位置登録もした。これからライサンダーがその端末を持ち歩く限り、少年の位置がわかるはずだ。

 ラムゼイが引っ越す。 恐らく、隠れ家を移すのだ。 農家の家宅捜査を急がねばなるまい。
 ポールは急にダリルに会いたくなった。深夜だったが、彼の地位ならドームの大方の場所に時間に関係なく入れる。 ポールはダリルが医療区を退院してクローン観察棟に再収容されたことを知っていたので、アパートを出て向かった。
 ダリルは、女性執政官と「お仕事中」だった。ドアをノックしてから開けたのだが、執政官に睨まれた。それならそうとノックした時点で断ってくれれば良さそうなものを、とポールは恨めしく思いながら、廊下で待った。
 10分ばかりして、執政官が部屋から出て来た。ポールを見て、クスクス笑った。

「いつ現れるかと、みんなで賭けをしていたのよ。」

彼女は、ダリルの子種を採取したカプセルを保温容器に入れていた。

「あなたのものも、採取してみたいわね。」
「俺のは不良品ですよ。」

ポールはぶっきらぼうに言った。

「男しか作れないんでね。」

失礼、と言って、室内に入った。
ダリルはくたびれたのか、横になったまま彼を迎えた。

「夜中に何だ?」
「別に・・・」

ポールはベッドの縁に座って、ダリルを横目で見た。

「いい思いをしているんだろ?」
「まさか・・・」

ダリルは眠くなって目を閉じた。

「本番なんてないんだから・・・空しいだけだよ。」


JJのメッセージ 21

 再び部屋に戻ると、JJは既に眠っていた。
ライサンダーは彼女の会話用タブレットを手に取った。

 これがただの作文用ソフトしか入っていないって訳がないよな・・・

 彼は椅子に腰を下ろすと、タブレットをいじり始めた。メーカーはこれをJJに渡す時に沢山の制限を掛けていたし、機能も削除していたが、電話を見つけるのは案外簡単だった。電話に掛けられていた「保護者用」セキュリティもライサンダーはたやすく破った。
そして、ポール・レイン・ドーマーがダリルに送って来た端末を親に隠れてこっそり操作した時のことを思い出して、ポールの電話番号を入力した。
 ドーム内に直通なのか、ターミナルを経由するのか、わからなかったので、4回目のコールで男の声が聞こえた時は、流石に驚いた。

「レイン」

と冷たい声が名乗った。あの声だ。山の上の家で聞いた声だ。山道で、彼が銃撃した時に岩陰から呼びかけてきた声だ。
 ライサンダーは冷汗がドッと出るのを感じた。なんて言おう?
 沈黙を怪しんだのか、相手も黙り込んだ。まごまごしていると切られてしまう。ライサンダーは、カラカラに乾いた喉から声を絞り出した。

「ラムゼイが引っ越すって・・・」

 カチッと電話が切られた。
 ライサンダーはしばし呆然としてタブレットを見つめた。自分は今、何を言ったのだろう? ポール・レイン・ドーマーに何を言いたかったのだろう?
 突然、タブレットに着信があった。ライサンダーは震える指で受信操作をした。

「ダリルの息子か?」

 ポールの声が尋ねた。
 情けないことにライサンダーは気が動転してしまい、「ああ」としか答えられなかった。
ポールが言った。

「悪戯は止せ。早く親父の元に帰るんだ。」

そしてまた切られた。


2016年9月16日金曜日

JJのメッセージ 20

 逃げ出したりさえしなければ、とラムゼイ博士は言った。
逃げ出したりさえしなければ、ドームは比較的自由な場所なのだ、と。普通に仕事をして、趣味を持って好きな相手と暮らせる場所だ。ただし、規則を破ると厳しい罰則が待っている。

「おまえの親父は好きな相手との間の子供が欲しかったのさ。ただ、残念なことに、その相手は同性だったのだな。自然な地球人の生殖活動を目標としているドームとしては、それは許せない。恐らく、相手は駆け落ちに同意しなかったのだろう。おまえの親父は相手の遺伝子を盗んで逃げたのだ。」

 ラムゼイ博士は自分の想像したダリル・セイヤーズの過去を語った。彼の空想に過ぎないのだが、実際当たらずとも遠からずで、ダリルが聞いたら赤面しただろう。
 ライサンダーは、ポール・レイン・ドーマーが初めて山の家に現れた時のことを思い出していた。父親は息子に知られまいと努力していたが、かなり興奮していたはずだ。ポールに発見されて、本当ならば即刻逃亡しなければならないのに、見つけられたことを喜んでいるかに見えた。
 そして、ポールも興奮していたことを、ライサンダーは気が付いていた。

俺の片親は、あのスキンヘッドだ・・・

「あいつ、ポールって言うんだ。親父がそう呼んでいた。」
「ああ・・・」
 
 ラムゼイ博士が嬉しそうに頷いた。

「そうだろうな・・・似ているからな。」

 誰に?  俺に? 

 ライサンダーは博士が何か重大なことに気が付いたらしいと察した。それが何なのか、わからなかったが、ライサンダーに今直接関わってくる気配はなかった。


JJのメッセージ 19

 「引っ越すって、何処へ行くんだ?」

 ライサンダーが尋ねると、ラムゼイ博士とジェリーが彼をじろりと見た。敵味方の判別すらされていない新入りに、言う訳ないよな、とライサンダーは思った。
 博士は少年の質問を無視することにして、ジェリーに準備に取りかかれと命じた。

 ライサンダーは部屋に戻った。JJがそばに来て、タブレットに「今日は退屈だった」と書いた。ライサンダーは暫くその短い文を眺めていた。
退屈なのは、閉じ込められているからだ。
ラムゼイと行動を共にするなら、この先もずっと監視が付き、行動が制限されるだろう。
そんな生活を望んだだろうか? ドームと一緒じゃないのか? 
 親父はJJに何と言っていた? ドームに協力して働けば、自由に出入り出来るようになると言わなかったか? そもそも、親父はドームの何が嫌で逃げ出したんだ?

 ライサンダーは、先刻の居間に戻った。ジェリー・パーカーは既に退室して居らず、博士が1人で端末を眺めていた。少年がドアをノックして入室すると、顔を上げた。
ライサンダーは彼より先に声を掛けた。

「博士、あんたはドームで働いてるスキンヘッドの男を知っているか? 水色の冷たい目をした男だ。」

 ラムゼイ博士がニヤリと笑った。

「知っているとも、坊や。儂等メーカーは、『氷の刃』と呼んでいる。情け容赦なくメーカーとクローンを摘発して逮捕しまくっているヤツだ。 類い希なる美貌の持ち主だ。綺麗な男だったろう?」

彼は目を細めてライサンダーを見た。

「おまえの親父を攫ったのは、そいつかね?」
「そうだ。ある日、突然やって来て、親父にJJを探せと言ったんだ。探し出せば、指名手配を解除するみたいなことを言って、親父を騙した。」
「逮捕してしまえば、指名手配は終わりだからな。」

 博士は可笑しそうに呟いた。

「親父の罪は何だったんだろ・・・」
「逃げたことだろう。」

博士は事情を知ってるかの口ぶりだ。

「男のドーマーは、女の赤ん坊と取り替えられた子供の中で、何らかの能力や、外に出すと都合の悪いことが起こる遺伝子を持つ子供が選別されて残されるのだ。
おまえの親父は、恐らく進化型の遺伝子を持っているのだ。おまえを見ればわかる。折れた脚が直ぐに治っただろう? 体躯の損傷を修復するのが常人より早すぎる。地球人には不自然な、コロニー人の遺伝子だ。ドームは、地球人の生殖能力を可能な限り地球人の力で復活させたい。おまえの親父の染色体には、復活能力を高める因子がある。だから・・・」

老人は少年に笑いかけた。

「ドームはおまえの親父を使って、女の子を創りたいのだよ。」

2016年9月15日木曜日

JJのメッセージ 18

 ライサンダーは、JJが見た静音で飛ぶヘリコプターが遺伝子管理局のものだろうと疑わなかった。父親が管理局に攫われた時も、静音で飛ぶヘリが彼らの自宅に来ていたのだ。
管理局は、JJを発見した。恐らく、この農家の内情を偵察し、ここがメーカーの隠れ家だと見当をつけたはずだ。
 ライサンダーは、自身の存在も確認されたのだろうかと考えた。あのスキンヘッドはまた追ってくるだろうか?
 ラムゼイ博士が何を考えているのか、少年にはさっぱり掴めなかった。博士はこの家ではクローン製造を行わなかった。人間のクローン製造設備は、砂漠の施設内にあったので、ここでは出来ないと言う。農家では、牛の交配と遺伝子組み換えが行われているだけだった。勿論、それは弟子たちの仕事で、博士は一切関わらない。
 家の中を取り仕切っているのは、秘書のジェリー・パーカーだ。ライサンダーを子分にして、雑用を言いつけた。細かいことに気を配れる男で、台所で働くJJとシェイに優しかった。 ライサンダーは、ジェリーが博士を親と見なしているのではないか、と感じた。脚が不自由な博士に寄り添い、外出の際には必ず同行した。ライサンダーが運転手に採用される前は、ジェリーが自身で博士の車を運転していた。
 JJは、助けを呼ぶつもりでヘリに手を振ったことを、ライサンダーには伝えなかった。ライサンダーは管理局を敵と見なしている。父親を奪った憎い相手だ。もし、管理局がここへ乗り込んで来たら、彼は闘うのだろうか?
 JJはドームへ行こうと思っていた。ダリルが、その方が良いと言っていた。彼女の塩基配列を見る能力を生かせる場所は、ドームしかないのだと。 働けば、自由ももらえると言っていた。ライサンダーが想像しているより、悪い場所ではないのだ。
ドームの人々がここへ来た時、抵抗するなとライサンダーに巧く忠告出来るだろうか?

 ラムゼイ博士が引っ越しの準備をするようにとジェリーに言ったのは、ライサンダーとJJが農家に来て20日目だった。ジェリーは驚いた様だ。彼はほとんどこの農家と砂漠の研究所以外の場所に住んだことがなかったからだ。

「全員ですか? シェイも連れて行くのですか?」
「何人かは残すが、シェイは連れて行く。大事な『金の卵を生む鶏』だからな。」

 ジェリーが部屋の隅に控えているライサンダーに目をやると、博士が頷いた。

「勿論、ガキと小娘も連れて行く。」
「後でこの家を焼きましょう。」
「いや、ここはこのままにしておく。牛の生産は続けるつもりだ。」


2016年9月14日水曜日

JJのメッセージ 17

 プールで救助された女性アメリア・ドッティが、御礼に朝食を一緒に、と誘いをかけて来たのだ。ダリルは特に断る理由がなかったので、ケンウッド長官の許可をもらって承諾した。彼はもう1人の「恩人」保安要員のピーター・ゴールドスミス・ドーマーが非番になるので、2人で行くつもりだった。すると、長官が「レインも入れてやれ」と言ったので、驚いた。長官が理由を言わなかったので、ダリルも尋ねなかったが、何かあるのかも知れないと思った。
 約束の時刻に、ポール・レイン・ドーマーはラフな服装で現れた。滅多に着ない私服姿だったので、道で彼と出会ったドーマーや執政官たちはびっくりした。
 もっと驚いたのは、中央研究所の食堂に居た人々だ。医療区の食堂はマジックミラーの壁で中央研究所の食堂と隔てられており、研究所側からは収容者の健康状態をチェックする目的で医療区を観察出来る。
 彼らの目の前に、私服のポール・レイン・ドーマーとピーター・ゴールドスミス・ドーマーが、寝間着姿のダリル・セイヤーズ・ドーマーに伴われて現れ、同じく寝間着姿の8人の女性たちが彼らを出迎えた。そして、朝食会が始まった。
 基本的に、ドーム内での女性たちの食事は無料だ。全て「地球人復活委員会」が払うのだ。しかし、ドーマーは違う。ドーマーはドームに養われているが、成人して各自仕事に就くと、普通の地球人同様、給与制で収入を得る。ただ、ほとんどドーム内で生活しているので、食費・被服費、家賃など、基本的な必要経費は天引きだし、それ以外の出費は全部カードで払う。だから、ドーマーの多くは現金を見たことがない。
 朝食会の3人のドーマーの食費は、アメリア・ドッティの「奢り」と言う形になるので、ケンウッドはそれを財務部に報告してくれた訳だ。ドームが彼女に後で請求するのか否か、それは誰も知らなかった・・・。

 アメリア・ドッティが何者なのか、ダリルとポールは知っていたが、ピーターは知らなかった。

「海運王アルバート・ドッティの奥方だよ。」

とダリルがアメリアを紹介しても、世間知らずの保安要員はピンと来なかった。
ただ、富豪の奥様だと言うことは理解した。彼女の取り巻きの女性たちも裕福な家庭の妻たちと見えた。アメリアは翌朝には男の赤ちゃんを連れてドームを退所するのだが、収容されてすぐ、この期間中にドーム内に居る女性たちのリーダー格になっていた。
 彼女は、仲間に、ダリルとピーターと、もう1人、アフリカ系の女性を「命の恩人」として紹介した。
 その女性は、カモシカの様にほっそりとした、美しい人だった。ポールは思わず、「芸術的だ」と呟いてしまった。ダリルはこの女性がプールサイドで最初に見かけた時同様、どこかもの悲しそうに見えるのが気になった。

「彼女、ポーレット・ゴダートは、お産の翌日にご主人を事故で亡くされたの。」

ポーレットが飲み物の追加を取りに席を離れた時、誰かがダリルに囁いてくれた。

「それで、ドームから子供を養子に出すように勧告されているのよ。彼女の結婚は双方のご両親から反対されていて、ドームを出てからの行き先が決まっていないのですって。」
「お仕事も臨月に入った時に辞めてしまったのね。だから生活が安定しないので、子供を育てるのにふさわしくない家庭環境だって、行政は判断した訳。」

女性たちは、もの凄く情報通だ。仲間内のプライバシーもしっかり把握していた。
ドーマーたちは、事態を理解した。ドームはポーレット・ゴダートの再婚の確率を高める為に、子供を彼女から取り上げたいのだ。
 ダリルは気に入らなかった。ポールとピーターは当然だと考えるだろう、「普通の」ドーマーだから、子供を持つ親の気持ちが理解出来ないのだ。
 アメリア・ドッティはポーレットに同情していたし、彼女は親が仕事で世界中を飛び回っている金持ちの子供たちの教育問題に取り組んでいたので、ポーレットに仕事を世話したいと申し出て、彼女を喜ばせた。
 難しい話題が何となく終わって、後は世間話をしながら和やかに朝食会を続けた。
アメリアを初めとする女性たちの関心は、美しいポールに向けられた。ピーターは、女性と会話するのが初めてで、ドキドキしていたが、それが可愛いと冷やかされて赤くなっていた。ダリルはポールが思ったより女性慣れしていたので、安心した。巧く相手の話に会わせてドーマーの仕事やら生活の説明を誤魔化している。それにしても・・・

どうして長官はポールをこの会食に参加させたのだろう?

ダリルもポールも、マジックミラーの向こう側で、ポールのファンクラブの面々が悔し涙を流しているのを知らなかった。




JJのメッセージ 16

 キエフをやっとの思いで追い払ったポール・レイン・ドーマーは、もう書類仕事をする気分でなくなった。
 ライサンダー・セイヤーズが生きているらしい。
 彼は謎の老人とその仲間と行動を共にしているらしい。
 ベーリングの娘も同じ所にいるらしい。
全部「らしい」の推測だが、それでも幾分か気分が楽になった。これでダリルと顔を合わせることが出来る・・・かも知れない。ダリルが植物状態から覚醒してから、まだ会いに行っていなかった。ラナ・ゴーン副長官は見舞いに行っても良いと許可をくれたのだが、ライサンダーの行方不明の件がある間、ポールはどうしても医療区に足が向かなかった。
ダリルから息子の消息を尋ねられたら、と恐かったのだ。
 今夜はもうアパートに帰って寝よう。机の上を片付けて端末の電源を落とそうとすると、電話が着信した。発信元は医療区だ。
 ダリルに何か異変でも? 急いで通話ボタンを押すと、当のダリルの声が流れて来た。

「やぁ、ポール、まだ残っていたんだな? 忙しいか?」

あっちはやけに楽しそうな声だ。ポールは一瞬でも焦った自分が嫌になった。

「もう引き揚げるところだ。こんな遅い時間に何用だ?」
「明日の朝、時間空いているか?」

明日は先刻の第5チームの報告を元に農家に家宅捜査に入る相談を残り4チームで行うつもりだった。しかし、相手は他ならぬダリル・セイヤーズ・ドーマーだ。

「9時迄に終わる用事だったら、時間を割いても良い。」
「1時間程度で終わるさ。 7時半に医療区の食堂へ来てくれないか?」
「医療区の食堂?」

 意味がわからない。

「俺は病人じゃないから、入れないぞ。」

出産で収容されている女性中心の食堂だから、ドーマーは傷病者でなければ利用出来ないのだ。しかしダリルは、

「長官の許可は取ってあるから、フリーパスで入れるさ。」

と言った。

「場所が場所だからな、スーツで来るなよ。中に居る人間は全員寝間着だ。せめて普段着で来てくれ。」
「一体、何をするつもりだ?」

すると、ダリルの返答は驚くべきものだった。

「女たちと朝食会だ。 合コン だよ、ポール・レイン!」




2016年9月13日火曜日

JJのメッセージ 15

 アレクサンドル・キエフ・ドーマーは、室内にポール以外の人間がいたので、ちょっと表情を固くした。ジョージ・ルーカス・ドーマーは、年長者らしく、手にしたティーカップを持ち上げて、「よう!」と言った。キエフは第1チームの所属で、ジョージは第5チームのリーダーだ。キエフは仕方なく、上司であるジョージに挨拶した。
 ポール・レイン・ドーマーは、キエフにはお茶を出さなかった。

「それでは、持参した情報をさっさと投影しろ。」

 ジョージが自身のチップを取り出したので、キエフは衛星画像のチップを円卓に挿入した。ポールが必要な部分の選択をした。
 北米大陸の画像が出て、中西部に焦点を絞られ、先刻ジョージのチップが映像化したニューシカゴ近郊の詳細画像が出た。
早送りで見ていると、件の白い農家では、朝から数人の人間が車で出入りしているのがわかった。ポールはもう1度時間を戻して今朝からの画像を最大まで拡大して見た。
 動いているのは、全員男だ。太った男、細身の男、黒髪、金髪、白髪・・・

くそ、緑の髪の野郎がいやがる・・・

 コロニー人の高度な技術は、地上の人間の着衣までしっかり撮影していた。農夫と言うより、兵隊だな、と思った。銃を装備している男も数名。
 緑に輝く髪の男は細身で若い。動きが俊敏だ。車の運転席に乗り込み、同じ車にダークヘアーの男と白髪の男が乗り込んで外出。 2時間後に帰宅。
白髪の男は、他の人間たちから傅かれているかの様だ。農家の主人なのか? 何者だ?

 ポールは画像を消した。
 チップを抜き出し、キエフの手に、肌に触れないよう注意しながら落とし込んだ。

「ご苦労。」

 そして背中を向けた。キエフに、もう帰って良いよ、と態度で示したのだ。
キエフは、ジョージ・ルーカス・ドーマーを振り返った。ジョージはまだ座っていて、お茶を飲んでいた。 ポールがそんなジョージに声をかけた。

「君も休んだ方が良いな。そろそろ注射の効力が切れる頃だろう。」
「そうですが・・・」

 ジョージは時計を見た。

「お茶のお陰で、自力でアパートまで帰れそうです。ご馳走様でした。美味しかったです。どこでお買い求めに?」
「先月オールドタウンの支局へ行った時、26番街、アジア系の住民が多い地区だ、そこの食料品店で見つけた。パットの推薦の店だ。」
 
 パットは、中国系の若いドーマーだ。
 ポールは自身でジョージから空のカップを受け取った。
 キエフがまだ円卓のそばにいたので、ちょっと睨んで見せた。
キエフが尋ねた。

「チーフはまだセイヤーズと関係を続けていかれるおつもりですか?」

 立ち上がってドアまで来ていたジョージが、足を止めた。キエフの不作法を咎める目つきで睨んだ。
 ポールは感情的になるまいと努力して言った。

「俺が誰と付き合おうが、君には一切関係ない。」



JJのメッセージ 14

 部下の名前は、ジョージ・ルーカス・ドーマー。 子供時代は誰もなんとも思わなかったが、成長してから大昔の映画の巨匠と同じ名前だと知った時は、みんなでちょっとからかった。
 ドーマーの名前はファーストネームが父親から、ファミリーネームは母親のクローンの卵子を提供したコロニー人の姓から付けられるので、これは偶然であって、執政官がふざけた訳ではない。しかし、それ以来彼の渾名は「監督」だった。
 ジョージは映像を記録したチップをオフィス中央にある円卓のサイドポケットに挿入した。円卓の上に3次元画像が立ち上がった。

「ニューシカゴから南西30キロの牧場なのですが、この白い家のパティオに少女がいましてね・・・」

 俯瞰図が特定された場所へと縮小され、次に一軒の大きなメキシコ風農家が拡大されて現れた。口の字型の建物に囲まれたパティオがあり、植え込みのそばに女性が立っていた。顔に手を当ててカメラの方を見ている。

「確かに、少女に見えるな。」
「少女なんです、次の旋回でわかります。」

ヘリが一旦農家から離れ、ぐるりと旋回して再びパティオが見下ろせる位置へ移動した。
少女はまだ同じ位置に立っていて、ヘリが戻って来ると、手を振った。顔がはっきりと見えた。
 ポールは端末の4Xの写真を呼び出して見比べた。同一人物に見える。
ジョージが撮影した少女は、ヘリが飛び去る迄手を振り続けていた。

「彼女は合図を送っていたのか? まさかヘリコプターが珍しいと言う訳ではあるまい。手を振ると言うよりも手招きしていたと、俺には見えた。」
「そんな風にも見えますね。」
「この農家は何だ? ただの農家なのか?」
「調べたところ、パーカーと言う人物の名義になっています。牧畜をしている農家と登録されていますが、主人のエルウィン・パーカーは30年程前に死亡届けが出ています。」
「今は誰が住んでいる?」
「ニューシカゴで聞き込んだところ、複数の人間が出入りしているそうです。法的には、エルウィンの養子ジェリーが相続したことになっていますね。」
「養子? 取り替え子か?」
「それが・・・」

ジョージは端末で確認した。

「該当する年齢や住所で、ジェリー・パーカーと言う人物はドームにも地元の行政機関にも登録されていません。」

 ポールは部下の顔を見た。ジョージも上司を見た。
ジェリー・パーカーと名乗る人物は、偽名か、もしくはクローンだ。

「その農家に出入りしている複数の人間とは、どう言う種類の連中なんだ?」

 ジョージはその連中を見たことがなかったので、返答出来なかった。
ポールは端末の電話を操作した。

「サーシャ、今日の衛星画像解析は終わったか?」

相手がアレクサンドル・キエフ・ドーマーだと知って、ジョージはうんざりした。
嫉妬深いキエフは、ポールのそばに居る人間に片っ端から突っかかる。正直なところ、キエフを生まれ故郷のユーラシア・ドームに返品したい。シベリアの永久凍土にでも埋めてしまいたい。どうしてドームはこの男をユーラシアから譲り受けたのだろう?
 ポールがキエフに解析結果を送信するようにと命じるのを聞いて、彼はホッとした。
そんな彼に、ポールは椅子を勧めて、お茶を淹れた。
 「氷の刃」と渾名されるポール・レイン・ドーマーが手自らお茶を淹れてくれる。これは、ポールが率いる5チームの中では、大変名誉なことと見なされていた。ポール自身は何も考えていないのだが、滅多にないことなので、部下たちにとっては、光栄な出来事なのだった。
 ジョージは温かいお茶を一口飲んで、リラックスした気分になりかけた。
しかし、彼の幸せは直ぐに終わった。

 ドアが開き、アレクサンドル・キエフ・ドーマーが入って来たのだ。
自席に着きかけていたポールが、不機嫌な声を出した。

「送信しろと言ったはずだが?」


2016年9月12日月曜日

JJのメッセージ 13

 ポール・レイン・ドーマーはドームの中に居た。今回の捜索は部下たちに任せて、自身は大嫌いな書類仕事を片付けることに専念だ。報告書や必要経費の請求書や業務計画書や、兎に角、見たくないけど見なければならない書類を読んで署名していく。
出世する度に、この手の仕事が増えていく。ポールは現場の方が好きだ。机の前に座っているのは苦痛だった。秘書が欲しいなぁ、とふと思った。5チームを束ねるチーフなのだから、十分秘書を持つ資格があるのだが、面倒だったので今まで上層部に申請してこなかった。

 申請書を書く時間が出来たら申請しよう。

 何事も書類なのだった。ポールはペンを投げ出し、席を立ってオフィスの片隅に備え付けられているポットへお茶を淹れに行った。ドーマーはカフェインを抜いた嗜好品しか飲んだことがない。コロニー人はとかく彼らを過保護に育ててきて、健康を害する恐れがある物は遠ざけられてきた。ポールは外で仕事をするようになって、初めてカフェインを含んだお茶が美味しいと知った。珈琲は苦くて好きになれなかったので、専らお茶を買ってきて飲んでいる。いろいろな種類のお茶があって、試してみるのが面白かった。
 ポットの横に、郵便物を入れる箱があって、封書が何通か入っていた。消毒処理された封書は、大半が養子縁組みに便宜を図って欲しいと言う嘆願書だ。妻になる女性が少ないので、男たちが養子を望んでいる。どうしても子供が欲しいのだ。ポールには理解出来ない感情だった。
 1通、変わった封書があり、中身は選挙用のチラシだった。ドーマーも国民だから選挙権はある、と考えられているのだろう。選挙に行ったドーマーの話など聞いたことがないが・・・。
 チラシを送って来たのは、現役大統領の陣営だ。次の選挙でも続投を狙って頑張っている。チラシはハロルド・フラネリー大統領の演説会の案内状だった。
 ポールはフラネリー大統領が嫌いだが、その理由は単純で、大統領が葉緑体毛髪の持ち主だったからだ。ポールと同じ、光線の具合で緑色に輝く綺麗な黒髪を持っている。ハロルドが生まれた時、ドームは葉緑体の因子を取り損なったのだろう。ハロルドの父親で元上院議員のポール・フラネリーも現在はすっかり白髪だが若い頃は緑に光る黒髪だったと言う。
 フラネリー大統領は、ドームにクローン技術の開放を求めていた。彼の母親はクローン技術を用いた自然界の再生プロジェクトに賛同し、熱心に野生生物の復活活動を支援していた。ドームの優れた技術で地球を元通りに戻したい、と言うのが、フラネリー家と支持者の希望だった。
 ドームは政治に口出しはしない。そして、技術を公開するつもりもなかった。メーカーに悪用されるのは目に見えていたから。
 ポールはチラシで飛行機を折ると、ゴミ箱に飛ばし入れた。
 そこへ、捜索から戻ったチームのリーダーが面会を求めて来た。報告書が電送されて来ていたので、直接面会を求めるのは珍しい。帰投組は早くアパートに帰って休みたいはずだ。ポールは部下の疲労を心配して、直ぐに面会許可を出した。
 オフィスに入ってきた部下は、開口一番、ポールを驚かせた。

「4Xを発見しました、チーフ!」


JJのメッセージ 12

 ダリルはキエフを見上げて尋ねた。

「君は私に腹を立てているようだが、私が何か気に触るようなことをしたのかな?」

キエフの髭面の隙間が赤くなった。

「あんたが現れてから、僕の上司は心を乱されっぱなしだ。『氷の刃』はクールな人だ。あんたは邪魔だ。上司を苦しめないでくれないか。」

 ダリルは監視役を見た。上司とはポールのことか、と目で尋ねると、監視役が頷いた。
ダリルはキエフに向き直った。

「私は何もしていない。君の上司が誰か知らんが、私は好きでドームに戻って来た訳ではない。私がここにいて困るのであれば、上層部に訴えて、私を追い出してもらえば良かろう。」

 キエフの顔がますます赤くなった。こいつ、危険だな、とダリルは思った。異常に嫉妬深い。誰であれ、こいつにつきまとわれたら、人生がメチャクチャになるだろう。
キエフが、何か言い返そうと口を開きかけた時、女性側のプールで悲鳴が上がった。

 プールサイドの植え込みの向こうで女性が助けを求めていた。溺れたのか? ダリルは立ち上がって、そちらへ向かった。キエフが後ろで怒鳴った。

「まだ話は終わっていない!」

 そんなものは聞いていられない。ダリルは水際に到着すると、水の底に沈んでいる女性を見つけた。先刻のアフリカ系の女性が既に跳び込んでおり、沈んでいる女性を引っ張っていた。水底の女性は逆立ちしている様にも見えた。
 ダリルは、何が起きたのか、理解した。追いかけて来た監視役に怒鳴った。

「排水ポンプを止めてくれ、早く!」

そして自身は水に跳び込んだ。
 水深は2メートルほどだが、女性は右腕を肘まで底にある排水口に吸い込まれていた。
もがく手足の力が弱々しい。ダリルはアフリカ系の女性と交代して彼女の体を抱えて引っ張ったが、腕は抜けない。すっぽりはまって、もの凄い力で吸い込まれている。
ダリルは彼女の口に口移しで空気を与えた。
 一旦浮かび上がって、深呼吸して、再度潜った。アフリカ系の女性が彼女に空気を与えていた。ダリルはもう1度腕を引っ張り、それから彼女に空気を与えた。
次に水面に顔を出すと、プールサイドには人だかりが出来ていた。女性ばかりだ。
施設維持班のスタッフは何をしているんだ?
 3回目の潜水で、彼女の腕がやっと抜けた。排水ポンプが止まったのだ。
傷だらけの腕から出血しながらも、彼女は力のない手足を動かして、生きようともがいた。ダリルは彼女を抱きかかえて水面に上がり、女性たちから拍手を受けながら、岸に泳いだ。
 ぐったりした女性は、プールサイドの女性たちの手で引き上げられ、人工呼吸の心得がある女性が直ぐ蘇生措置を施した。あまり水を飲んでいなかったのだろう、彼女はすぐに正常な呼吸を取り戻した。
 監視役が救護班を連れて戻って来た。女性たちは溺れかけた女性がストレッチャーに載せられると、彼女を囲んで歩き出した。アフリカ系の女性がダリルを振り返った。

「有り難う。」

彼女が言うと、女性たちも口々に有り難う、と声を掛けてきた。ダリルは彼女たちに手を振って、それから監視役を振り返ると、握手を求めた。

「ポンプを止めてくれて助かった。」
「間に合って良かったなぁ。僕もあんなに速く走ったのは初めてだよ。」

それから、彼はプールサイドを見回した。

「さっきの阿呆ゥは何処へ行った?」


2016年9月11日日曜日

JJのメッセージ 11

 ドームには庭園がある。野山を模した空間に、人間に直接害を与えない動植物が育てられ、出産の為に収容された女性たちのセラピーに利用されている。コロニー人たちは本物の地球の自然を味わえる立場だが、外気が恐いのでこの庭園で我慢して「地球気分」を楽しむ。ドーマーにとっては自宅の庭だ。 クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーはここでキャリー・ジンバリスト・ドーマーとデートを重ねて結婚した。
 庭園の外れに水泳用プールが設けられており、女性たちはそこでお産に向けての運動をしたり、産後のリハビリを受けたりした。水中出産用プールは医療区の建物内にあるので、庭園のプールは比較的自由に利用出来た。
 特に仕切りはなかったが、スポーツ用のプールも隣にあった。こちらは純粋に競泳用プールで、ドーマーたちの体力創りの為の施設だ。女性が使ってはいけないと言う規則はないので、女性ドーマーが泳いでいる時もあるし、産後の女性が友人同士で競泳を試みている姿も見られた。
 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは、2週間寝込んで体力が落ち、見た目にも貧弱な体になったので歩けるようになるとプールに通うことにした。覚醒して3日目だった。医師は心配したが、彼は平気だと言う自信があった。それで保安要員を監視役に付けて、プール使用を許可された。
 医師は、中央研究所にそっと所見を送信した。

「進化型1級遺伝子保有者の快復力は驚異的である。」

 ダリルは1000メートル泳いで休憩した。流石に息が切れた。プールサイドのビーチチェアに座って隣の女性たちの水着姿を眺めた。なかなか良い眺めだ、と思って、何気に監視役を見ると、彼も同じ方角を見ていた。男の興味は同じだなぁと思っていると、ダリルよりずっと若いのに女性には目もくれないで2人に向かってまっすぐやって来る男が目に入った。 監視役もその男に気が付いた。監視役は背筋を伸ばした。ダリルは彼が何を警戒しているのだろう? と疑問に思ったが、若者の顔には見覚えがなかったので、また視線を女性たちの方へ戻した。 アフリカ系の綺麗な女性がいて、出産後と思われた。ダリルが彼女に目を留めたのは、彼女が水中ではしゃぐ女性たちの仲間に加わらず、プールサイドでぼんやり座っていたからだ。なんだか哀しそうだな、と思った。
 若者がダリルの近くで立ち止まった。監視役が止まれと合図しなかったら、ダリルの面前まで来たはずだ。

「僕は、アレクサンドル・キエフ・ドーマーだ。セイヤーズに話がある。」

 保安要員は、ドーマーたちの名前と顔のリストを所持しているし、ほぼ空で暗記している。キエフが管理局員で、衛星情報解析係だと言うことも知っていたが、別の理由でもその名を知っていた。
 
「セイヤーズは病人だ。話をするなら医師の許可を取れ。」

 本当は、そんな規則などない。ダリルが再び無茶をしないように監視役が付いているだけだ。監視役は、キエフがポール・レイン・ドーマーのストーカーとして悪名高いことを知っていた。今一番ダリルに近づけたくない人物だ。アナトリー・ギルの時は、ギルが武芸に縁遠い執政官だったから、簡単にダリルに返り討ちにされた。しかし、キエフは事務系とは言え、戦闘訓練を受けた管理局員だ。ここで暴力を振るわれたら、銃使用を余儀なくされるかも知れない。

それは、一般人の女性たちの前でしてはならないことだ。

監視役が困っていることを、ダリルは察した。何だか知らないが、相手は怒っている様だ。 実のところ、ダリルの記憶は、ハイネ局長が「ドーマーのハッキング記念日」と冷やかして命名した日から脳神経科の手術室を出て2日目までが綺麗に飛んでいて、彼はギルをぶん殴ったことも忘れており、ポールのファンたちとのいざこざをあまり問題視していなかった。


JJのメッセージ 10

 ダリルとライサンダーのセイヤーズ父子と、ラムゼイ博士と秘書ジェリー・パーカーの遺伝子的共通点とは何だろう? ライサンダーはひどく気になったが、遺伝子の知識がないので、さっぱり見当がつかなかった。父親なら管理局で働く為に子供時代から遺伝子に関する教育を受けたはずだが、それはライサンダーには遺伝してくれなかったらしい。
それとも、父親は授業をさぼってちゃんと学習しなかった・・・とか?
 兎に角、JJは、パーカーと博士には、他の男性たちとは異なるものがあると言った。それが何なのか、彼女は巧く説明出来ない。塩基配列を指して、ここが違う、と言われても、ライサンダーにはどう違うのかわからないのだ。

 ラムゼイ博士の隠れ家は、メキシコ風の白い壁の農家を改装した建物で、パティオがある。噴水や植木や草花があって、外出がままならない者にとっては、生き抜きの場になった。
 台所仕事が一段落付くと、JJは庭に出て、植物や空を流れる雲を眺めて過ごした。
植物は、様々な塩基配列で面白い。眺めていて飽きない。昆虫が飛んで来て、花粉を雌しべに受粉させて行く。細胞分裂が始まる。昆虫が飛ぶ。人間でもない植物でもない塩基配列の塊が飛び回っている。
 ふと、彼女は風の中に聞いたことがない音が混ざったことに気が付いた。
空を見上げると、ヘリコプターが飛んでいた。それはコロニー人の技術で製造された静音で飛ぶヘリだったが、航空機の知識に疎い少女に、普通のヘリとの違いはわからなかった。そんなに高度を取らずに飛んでいたので、JJには男性が扉のないヘリの側面から双眼鏡で地上を眺めているのが見えた。
 彼女は男性がパティオを見つけた時に、手を振った。空を飛んでいる人に少し興味があったからだ。ヘリは一旦通り過ぎ、暫くして、戻って来た。
今度は、さらに音を落として、速度も落としていた。 ゆっくりと、静かにパティオに影を落とさない様にコース取りに気を遣いながら、農家の屋根の上を飛んで、JJの存在を確かめている様に見えた。
 JJはもう1度手を振った。男が手を振り返してくれた。ヘリが旋回して飛び去る迄、彼は3回農家の上を飛び回り、彼女の映像を撮影した。
 シェイが台所で呼んだので、JJは屋内に入った。

「卵を切らしちまったのよ。鶏小屋で卵を集めて来て頂戴。新しいのをお願いね。」


JJのメッセージ 9

 ライサンダー・セイヤーズとJJがラムゼイ博士の隠れ家で「世話」になり始めてから2週間たった。
 ライサンダーはラムゼイ博士の腹心で秘書のジェリー・パーカーと行動を共にすることが多かった。パーカーは秘書であり遺伝子学者であり執事でもあり、運転手でもあり・・・何でも屋なのだが、あまり表に出ることはなかった。外での作業は部下たちに命じてやらせるだけで、自身は監督すらしない。それでもてきぱき仕事をこなしており、部下たちは彼を信頼しているらしく、逆らう者はいなかった。ライサンダーはパーカーに見張られていると言う事実を脇に置いて、彼から学ぶものは多いと思ったので、わからないことは質問したし、出来そうなことはやらせてもらった。
 ラムゼイ博士はJJに興味を持っていたが、彼女が彼を親の敵と見なしていることを承知していた。だから、当分は距離を置くことにして、彼女に用事がある時はライサンダーを通した。
 JJは、台所で働いていた。家事が下手なのにそこで働いたのは、女性がいたからだ。
コロニー人の女性でシェイと言う名の、既に50歳を越えていたが隠れ家で唯一人の女性だ。彼女は、博士の商売であるクローン製造の際に使用する卵子の提供者でもあったので、隠れ家の男達は彼女に手出しすることを固く禁じられていた。だから、シェイは隠れ家では威張っていた。シェイのそばにいればJJは安全だと博士もパーカーも考えたのだ。

 「あんたの彼氏は、博士に弟子入りしたの?」

 突然現れた2人の若者が捕虜でもなく客人でもない扱いをされていることに、シェイは戸惑っていた。しかも少女は口が利けない上に全く家政婦として使い物にならないほど無知だ。
 JJはパーカーからもらった会話用のタブレットに素早く言葉を打ち込んだ。

「博士の弟子ではなくて、秘書の弟子。」
「変なの・・・」

シェイは深く考えない人だ。ずっとラムゼイ博士の隠れ家で暮らしているので、外の世界を知らない。だから、あまり複雑なことは考えない。でも、ある事実は認識していた。

「ジェリーは、博士の息子同然なのよ。博士は組織外の人間がジェリーに近づくのを嫌がるわ。あんたの彼氏は特別なんだね。」

その夜、2人で一つの部屋を与えられているライサンダーとJJは夕食後にその日の出来事を報告し合った。いつもと変わらない、使用人生活だが、JJは久し振りに紙に図を描いた。DNAの塩基配列だ。いつも通り、ライサンダーにはよくわからない。

「これは誰?」

JJが図に名前を書いた。 ジェリー と。
それから、もう一つ描いた。 ラムゼイ と。それからタブレットに打ち込んだ。

親子ではない。でも、X染色体に共通点がある。

次の文章は、ライサンダーを仰天させた。

貴方とダリル父さんも同じ共通点がある。



JJのメッセージ 8

 ラナ・ゴーンは、ダリル・セイヤーズ・ドーマーが教えられたはずのないセキュリティシステムのコードをいつの間にか知っていることに驚いた。 ダリルがアナトリー・ギルをぶん殴った直後だ。彼女が何に驚いたのか、当のダリルは全く理解出来ないで、彼女が保安課の最高責任者ロアルド・ゴメス少佐を端末で呼ぶのを眺めていた。
 ゴメス少佐は元宇宙連邦軍特殊部隊の精鋭だった。部下が起こした事故で負傷し、療養中に地球の映画を見て、何故か無性に宇宙生活が空しくなって退役した。単身で地球へ来て、「地球人復活委員会」に再就職、アメリカ・ドームの保安を任されることになって3年目だった。
 ラナ・ゴーンから呼び出された理由を聞いた彼は、事の重大さにすぐ気が付いた。直ちにケンウッド長官に通報し、ハイネ遺伝子管理局局長と交えて長官室で最高幹部4人は話し合った。
 4人の最高責任者の認証の元にマザーコンピュータを呼び出し、ダリル・セイヤーズ・ドーマーのハッキングが判明した。

「遂にやりやがった!」

ダリルと同じ進化型1級遺伝子保有者のハイネ局長が頭を抱えて呻いた。教えられなくても、先祖の記憶を遺伝子が持っている。何の記憶を持っているのか、それはそれが発揮される瞬間でなければ本人にもわからない。

「セイヤーズは、ドームコンピュータを開発した技術者の子孫なんだ・・・」

 教えられなくてもコンピュータのデータベースに侵入する方法を知っている訳だ。
問題は、ダリルがこのハッキングで何を知ろうとしたかだが、それはラナ・ゴーンが知っていた。彼はただ息子の消息を知りたかっただけなのだ。その為に、見なくても良いデータを全部見て、全部記憶した。
 ダリルがデータを悪用する人間でないことは、わかる。しかし、将来また同じ様に無意識にデータを使って問題を起こす可能性がないとは言えない。
 宇宙連邦軍特殊部隊に籍を置いた経歴のあるゴメス少佐が提案した。

「1日分の記憶を消そう。それしかない。」

 ケンウッド長官は反対した。失敗すれば廃人にしてしまう恐れがあったから。
ラナ・ゴーン副長官は、ダリルが息子を心配する気持ちがわかった。少年が川に落ちて行方不明と言う報告を読んでしまったはずだ。その記憶を消して気持ちを楽にしてやりたかったので、彼女は賛成に票を投じた。ハイネ局長も賛成側だった。進化型1級遺伝子がドームの外に出せないのは、この手の「事故」を防ぐ為だ、と彼は理解していた。この手の遺伝子が拡散してしまったら、地球上の「セキュリティ」と言う言葉の意味が失われてしまう。
 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは睡眠薬を与えられ、そのまま脳神経科の手術室に運ばれた。月にある宇宙連邦軍の病院から、急遽脳神経科の医師が到着したのはその半時間後だった。

「処置は成功したはずです。でも、セイヤーズはそれから2日間意識を取り戻さず、3日目に目を覚ましてからは人形の様に動かず、ただ呼吸しているだけでした。処置を施した医師は、彼の意識を呼び覚ます起爆剤があれば元通りになると言いました。」
「何故、すぐに俺を呼んでくれなかったんです? こんなになる迄放置して・・・」

 ポールの抗議に、ゴーン副長官は肩をすくめた。

「貴方が彼の息子を探し出して連れて来るのを待っていたのです。」
「俺よりガキの方が効き目があるとお考えなんですね。」

ポールは皮肉っぽく笑った。ゴーンは悪びれた様子もなく、

「親子3人の対面の方が感動的でしょう。」

と言った。ポールはカッとなった。初めて上司に憎悪を感じた。手に力が入ったのだろう、ダリルが囁いた。

「痛いぞ、ポール・・・」

 その一言がその場を救った。ポールはダリルを抱きしめて、その空白に近い感情を感じ取り、自身の気持ちを静めた。ラナ・ゴーンは、ダリルがポールに優しく囁くのを聞いた。

「怖がらなくていい、ポール。私がここにいるから・・・」


 


JJのメッセージ 7

 ポール・レイン・ドーマーは副長官が苦手だった。ラナ・ゴーンはいつも彼の弱点を突いてくる。だから彼女の意見には反論が出来ない。それにしても、病室で会見するのだろうか?
 305号室の前には、保安要員が立っていて、ポールを認めると頷いてドアを開けてくれた。 ポールは疑問を口にすることなく、室内に入った。
 ベッドの上にダリル・セイヤーズ・ドーマーが横たわっていた。そのやつれ具合に、ポールはギョッとした。2週間前、最後に彼を見たのは中央研究所の食堂だ。あの時のダリルは元気そのもので、女性たちと世間話をしていた。
 ダリルは半眼を開いてぼんやり天井を見ていた。ポールが近づいても反応しない。ポールは不安に襲われた。一体、どうしてしまったんだ? 彼は恐る恐る声を掛けた。

「やぁ、ダリル・・・」

 ダリルが首をわずかに動かして、視線を彼の方へ向けた。それっきり反応がない。
俺がわからないのか? ポールの不安は急激に恐怖へと変化しかけた。
その時、ダリルが瞬きした。

「ポール?」

夢を見ている様に呟き、それから自身の声で目が覚めたかの様に、目を大きく開いた。

「ポール!」

やせ細った腕で体を支えて起き上がろうとしたので、ポールは駆け寄って抱き起こした。

「どうしたんだ、一体・・・?」

すると、ダリルが彼の肩にしがみつきながら、微かに笑った。

「へまをやった・・・」

悪戯を失敗した子供みたいな笑みだ。
 病室のドアが開いたが、ポールは気にせずにダリルにキスをした。今、2人を引き離そうとする者がいても、梃子でも離れないからな。そんな気分だった。
 咳払いが聞こえて、ダリルの方から唇を離した。 ポールは気配で、ラナ・ゴーンの入室を悟った。 ダリルの顔から目を離さずに尋ねた。

「いつから、こんな状態なんです?」

このやつれ具合は昨日今日のことではない。ダリルはずっと具合が悪かったはずだ。それなのに、誰も教えてくれなかった。

「2週間前からです。」

 ラナ・ゴーンが答えた。心なしか、安堵した声だった。


JJのメッセージ 6

 帰投したポールは直ぐに休める訳ではなかった。捜索に加わらなかったチームは定時勤務、つまり支局巡りをしているので、その報告書にも目を通さなければならない。彼が見たと言う署名をして、やっと部下たちの仕事が終わるのだ。
 抗原注射の効力切れが近づく頃に、ポールは大嫌いな事務仕事を全部終えてオフィスを出た。軽い夜食を摂る為に食堂に向かって歩いていると、執政官のアナトリー・ギルを見かけた。鼻が腫れている。思わず声をかけた。

「ギル、その顔はどうした?」

 仕事以外でポールからファンクラブのメンバーに声を掛けるなんて、滅多にないことだ。しかし、その光栄な出来事にギルは喜ぶ気配もなく、ぶっきらぼうに「転んだだけだ」と言って足早に去った。
 なんだ? とポールが訝しく思った時、端末にメッセージの着信があった。見ると副長官からで、手が空いたら医療区に来て、とあった。
 ポールは夜食は止めにしてその足で医療区へ出向いた。自身の健康問題に誰かがいちゃもんを付けたのか? その程度の思いだった。
 夜の医療区は静かだと思っていたが、存外雑然としていた。出産は夜が多い。スタッフが昼間と変わらず忙しく歩き回っていた。
 
「チーフ・レイン!」

 受付でポールに声を掛けたのは、クラウスの妻、キャリー・ワグナー・ドーマーだった。コロニー人のクローンで、ドームの外の取り替え子には出されずにドーマーとして育てられ、医療スタッフとして働いている。精神科のお医者さんだ。クラウスとは珍しく純粋な恋愛で結ばれた。クラウスがいつも落ち着いてポールのサポートが出来るのは、彼女の存在のお陰だと、誰もが思っている。ポールも彼女が好きだ。彼女がクラウスの奥さんで良かったといつも思っている。もし、他のドーマーの奥さんだったら、ちょっと甘えにくい・・・
 しかし、今夜は精神カウンセリングを受ける予約はないが・・・?
 キャリーが近づいた彼に、305号室へ行くように、と告げた。

「後で副長官もお見えになりますからね。」



JJのメッセージ 5

 ポール・レイン・ドーマーは動ける様になると直ぐに第3チームを率いてライサンダーの捜索に出た。そして空振りに終わって帰投すると、4日後には第4チームを率いて再び出かけた。
 ハイネ局長が、副官のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーと交代で出るようにと忠告を与えたが、耳を貸さなかった。まるで何かに憑かれたたかの様に、彼は山から川、川の下流・流域を走り回った。どうしてもライサンダーの生死を確認しないとダリルに会わせる顔がない。もし、ライサンダーが生きていなかったら? ダリルは彼の元に還って来るだろうか? また独占出来るだろうか? 
 ポールには自信がなかった。あの夜のダリルの全身全霊を込めた拒絶が、彼の心を傷つけていた。18年間独りぼっちにされた後のあの拒絶。 
 
 ダリルはもう俺だけのものでなくなってしまった

 捜索が巧くいかないのには、別の理由もあった。衛星情報解析係の部下、アレクサンドル・キエフ・ドーマーが絶不調なのだ。ポールのストーカーとして悪名高いこの若い部下は、ポールが元恋人を取り戻したと先輩に聞かされて以来、言動がおかしくなった。
仕事では実に優秀な男なのでポールは使っているのだが、出来るだけ接触は避けている。
それがキエフを苛立たせる。キエフの苛立ちは、他の部下にも悪影響を与えた。誰もがチーフ・レインの不機嫌を恐れるし、キエフと同席するのを嫌がるし、でチーム内に不協和音が出来ていた。
 副官ワグナーは流石にこの事態を憂慮し、ハイネ局長にこっそりと注進した。

「チーフ・レインが精神的に不安定になっています。局長命令で休ませて下さい。」

 ハイネ局長は、ポールに忠告ではなく、命令を与えようとしたが、ポールはそれより早く第5チームと出動してしまった。 局長はじっくり考えてから、副長官に相談をもちかけた。

 ライサンダーとJJが行方不明になってから2週間たとうとしていた。
 ポール・レイン・ドーマーと第5チームは空振りで帰投した。 ただ今回は1つだけ収穫があった。葉緑体毛髪を持つ少年が30代半ばの男と2人でニューシカゴ近くの街で買い物をしていたと言う目撃情報があったのだ。ポールは目撃者と面会し、少年の人相を尋ねた。ライサンダーの写真がないので確証はないのだが、本人と思われた。
同伴していた男の人相もついでに尋ねて記録しておいた。 第5チームのチームリーダーが、その男の人相を聞いて、ちょっと心配した。

「ラムゼイの腹心と言われている秘書のパーカーに似ていますよ。」

ライサンダーはラムゼイに拾われたのか? ポールは考えた。 ライサンダーがラムゼイに創られたクローンだと言う予想はついていた。同性の染色体だけで子供を創る高等技術を持つメーカーなど、他にはいない。 ラムゼイは自分の作品を取り戻しただけなのだ。




2016年9月10日土曜日

JJのメッセージ 4

  ごめんなさい

 ラムゼイと秘書のジェリーと言う男が部屋から出て行った後、JJがライサンダーに謝った。

わたしがかれらにたすけをもとめた。あなたをきけんのなかにいれてしまった。

「君のせいじゃないさ。」

 ライサンダーは腹が立っていた。JJにではなく、不甲斐なく負傷して気絶してしまった自分自身に。

 遺伝子管理局は、彼をフルネームで手配していた。だからラムゼイは少年が「はぐれドーマー」の子だと知ったのだ。ダリルが「死んだ」と嘘をついて守ろうとした子供だ。男同士の染色体を掛け合わせて創った、類い希な作品が、美しく元気な若者に育っていた。ラムゼイは嬉しいのだ。
 しかも、ベーリングの娘がライサンダーと行動を共にしていたのも嬉しい誤算だ。
ダリル・セイヤーズは、きっと砂漠で彼女を拾ったのだ。拾って、知らないふりをした。
嘘つきドーマーは結局昔の仲間に捕まって、生まれ故郷に送還された。実に惜しい話だ。
あのドーマーからは女の子が創れるのに・・・
ラムゼイが、ライサンダーを創る報酬にダリルから得た染色体は、使用人のコロニー人の女の卵子と受精してしっかりと女の赤ちゃんになった。素直に驚きだった。地球人の男から女の子は創れないと言うのが、今の世の常識だったのだ。女の子は全部で5人、中東の富豪の娘として高値で売れた。1箇の受精卵を分割した5つ子ではなく、5箇の受精卵の5人姉妹だ。
 ラムゼイは、ジェリーに言った。

「あのガキも使えると思うか?」
「どうでしょう・・・」

 秘書は首をかしげた。

「二親が男性ですからね。」
「だが、遺伝子管理局はあのガキを探しているぞ。」
「研究材料としては価値があるからじゃないですか?」
「研究材料か・・・」

ラムゼイはジェリーを横目で見た。

「ベーリングの娘は研究材料としては、どうかな?」
「遺伝子組み換え人間ですか? ドームなら、あの程度の技術はあるでしょう?」
「封印されているがな・・・何故ドームはあの娘を欲しがる? ベーリングは何故全滅覚悟であの娘を取り戻そうとしたのだ?」




JJのメッセージ 3

 ラムゼイ!

その名を聞いた途端に、JJが青ざめた。彼女はいきなり拳を握って老人に突進した。ライサンダーが彼女を止める前に、若い男が彼女を抱き留めた。

「暴力はいけないな、お嬢さん。」

彼はJJをライサンダーの方へ押し戻した。狭い部屋なので、彼女は転ばずにライサンダーの腕の中に収まった。ライサンダーはなおも老人に殴りかかろうとする彼女を抑えねばならなかった。

「駄目だよ、JJ、今は抵抗しても無駄なんだ。」

どんな大きさの家なのかわからないが、砂漠の中で見かけた時は、ラムゼイはかなりの数の手下を連れていた。多分、この家から出るのは不可能だ、とライサンダーは賢明にも判断した。

「父親に似て、腹が据わっているんだな。」

とラムゼイはますますライサンダーを気に入った様子だ。

「もっとも、どっちの父親ですかね。」

と若い方。

「どっちにしても、儂の手の届かない所に行ってしまったな。
ライサンダー、おまえのX染色体の父親はドームに連れて行かれたぞ。あの憎たらしいスキンヘッドの『氷の刃』が捕まえたのだ。あの男は儂の欲しい物をいつも壊すか攫ってしまう。だが、おまえたちは捕まえることは出来なかった。いい気味だね。」

 老人はライサンダーたちに背を向けた。ブーンと言う微かなモーター音が聞こえて、ライサンダーは初めて彼が何か機械を体に装着している事実に気が付いた。

この爺さんは、自力で立てないのか?

若い方の男がライサンダーとJJに言った。

「捕虜と言う扱いはしないが、客人でもない。もし出て行きたければ出て行ってかまわない。だが、次に会った時は獲物として狩る。」
「出て行かなかったら?」
「働け。」

男がぴしゃりと言った。

「お嬢さんは台所で働くと良い。その辺りをうろつくと身の安全を保証しかねるからな。
ガキは適当にこき使ってやる。」





JJのメッセージ 2

 「おや、もう歩けるのかね? 驚異の回復力だな。」

老人が笑いながら連れの男を振り返った。若い方が呟いた。

「どんな遺伝子なんでしょうね。」

 ライサンダーは急に不安を覚えた。

この人たちはメーカーだ!!

「賢い子だね、儂等が何者か、もうわかったらしいよ。」

老人がまた笑った。彼はJJを見た。JJは恩人が何者かまだわからないが、ライサンダーが警戒を始めたことはわかった。彼女は彼に寄り添った。
ライサンダーは取り敢えず、彼らに助けられたことはわかっていたので、笑顔はなしで礼を言った。

「助けてもらって有り難う。俺たち、もう行かなくちゃ・・・」
「何処へだね?」

老人と男は出入り口を塞ぐ形で立っている。ライサンダーは彼らを突き飛ばして逃げるのは可能だろうと思えたが、JJが付いてこられるだろうか?

「儂等は君たちをどうこうしようとは思わんよ。ただ、君たちは夜中にびしょ濡れで儂の農場の外れにいたのでな、保護しただけだ。君は脚を折って気絶していたし、女子は口が利けない。思考翻訳機がないので、筆談でしか話せない。行く所がないので、ここに留め置いただけさ。
 どうしても出て行くと言うなら、止めはしないが・・・」

 老人は少年少女の顔を見比べた。

「遺伝子管理局とその協力要請を受けた警察が男女の子供2人を探していると聞いてね、ちょっと心配だね。」

ライサンダーは、JJの顔を覗き込んだ。JJが彼の腕をぎゅっと握った。
どっちが安全なのだ? 管理局か、メーカーか?

「あんたの名前を聞いてもいいかな、お爺さん? 俺は、ライサンダーだ、多分、その名前で手配されているんだろう?」
「ああ・・・ライサンダー・・・」

老人は心底嬉しそうに目を細めた。

「お帰り、ライサンダー、儂が創った芸術作品よ、儂はおまえの創造主、ラムゼイだ。」

JJのメッセージ 1

 ライサンダーは、自分は馬鹿だと思っていた。最先端の武器を持つ管理局の連中に闘いを挑んだ挙げ句、川に落ちて流された。追いかけて川に飛び込んだJJに助けられ、なんとか岸辺に這い上がってすぐ気絶した。
 目が覚めた時、彼は知らない部屋のベッドに寝かされていて、そばにJJが付き添っていた。彼は頭を動かして、場所の確認をしようとした。低い天井に薄暗い電灯が据え付けられ、片隅でエアコンが作動中だ。広さは山の家の彼の寝室より狭く、JJはどこで寝ているのかと思ったほどだ。高い位置にある窓は小さくて明かり取りでしかない。
彼は思わずJJに尋ねた。

「ここは牢獄?」

 JJは首をかしげただけだった。
ライサンダーは上体を起こした。左脚に添え木が為されていて、包帯で巻いて固定してある。脚を折ったらしい。しかし、動かしてみると、痛みはなく、彼はベッドから下りた。
JJと筆談する用具が何もない。
仕方がないので、JJに手話を使って欲しいと頼んだ。。
ライサンダーは、教わったことがなかったが、テレビで見た記憶はあったので、山の家に居た時にJJに手話を教えた。単語を示すジェスチャーではなく、指文字だ。時間がかかるが、それしか知識がなかった。

おじいさんのいえ

と彼女が手話で言った。
どこのお爺さんなのか、当然彼女は知らない。

あなたは3日ねていた

3日間も! ライサンダーは仰天した。そんなに長く気を失っていたのか?
では、父親はどうしたのだろう? 管理局がライサンダーとJJを追ってきたのだから、ダリルは・・・

そう言えば、スキンヘッドが親父を捕まえたと言っていやがった・・・

ダリルは遠い東海岸のドームに送られてしまったのだろうか。
ライサンダーは心細くなった。父親と離れて暮らした経験がない。2日3日の留守番をしたことはあっても、長期、それとも永久に離れて暮らすなど、想像出来ない。

親父は俺がいなきゃ駄目なんだ。

ライサンダーは立ち上がった。脚が折れたのだから歩けないかと思ったが、普通に歩けた。彼は、包帯を外し、添え木を外し、傷があるはずの部分を手で触れてみた。
どこも痛くない。治ったのだろうか?
 その時、ドアをノックする音がした。
2人が振り向くと、ドアが開き、かなり高齢の男と30代半ばの男が入って来た。
JJがライサンダーに紹介した。

おじいさんとジェリー


中央研究所 13

 アナトリー・ギルは、ダリルが寝間着姿で観察施設を抜け出すのを、偶然自身の研究室の窓から見つけてしまった。
彼のアイドル、ポール・レイン・ドーマーの元恋人、ポールを18年間苦しめた許しがたい男だ。彼はスタンガンを掴むと外へ出た。スタンガンは収容したクローン達が暴れた時の用心に執政官たちが装備している物だ。それでダリルを大人しくさせて、ポールから手を引けと言い聞かせるつもりだった。言うことを聞かなければ、辱めてやっても良いと思った。
 しかし、彼は、ダリルが元管理局員だと言うことを失念していた。管理局の人間は事務系も含めて、戦闘訓練を受けている。そんな人間に「いきなり腕を掴む」行為など、もってのほかだ。
 鼻から血が流れ出た。ギルは思わず悲鳴を上げた。

「助けて、殺される!」
「大丈夫よ、死にはしないわ。」

 ギルの手から逃れたダリルは、少し離れた所にラナ・ゴーンが立っているのに気が付いた。彼女は一部始終を目撃したのだ。 それに、他にも目撃者がいた。
彼の無断外出に気が付いて追いかけて来た保安要員だ。彼は尻餅をついていたギルを助け起こしながら、

「あんたが悪い。」

と言った。 彼はダリルがどう言う戦闘能力を持っているか、既に管理局から情報をもらっていた。 ダリル・セイヤーズ・ドーマーに不意打ちは厳禁だ。体に敵の手が触れた瞬間に相手の顔に的確に拳骨を叩き込む。ほとんど本能的な防御行動だ。
だから、あの夜、ポールは麻痺銃を使用した。監視役も距離を置いてついて歩くだけだ。彼のリーチ圏内には入らない。
 ラナ・ゴーンは保安要員にギルを医療区へ連れて行くよう指示した。保安要員は彼女がダリルと2人きりになるのを心配したが、彼女は大丈夫だと言った。

「この人は、危害を加えさえしなければ暴れません。」

そして、何故ギルが怪我をしたのか、きちんと説明するようにとの指示も忘れなかった。

 ギルと保安要員が立ち去ると、彼女はダリルを見た。ダリルはポールのところに行こうとしていたのだ、と察した。「夜這い」などではなく、息子の安否を聞くつもりだったのだ。 可哀想な人・・・

「レインを休ませてあげなさい、彼は今日一日眠らなければ駄目なの、知っているでしょ?」
「ええ・・・」

ダリルは渋々承知した。どんなに急かしても、昨日外に居たドーマーたちは動けないのだ。
 ラナ・ゴーンはダリルがライサンダーが川に落ちて行方不明になったことを知っているとは夢にも思わなかった。 ただ息子の安否を気にしているだけだと思ったので、彼に気分転換させるつもりで、これから住む部屋をカタログで見てみないか、と誘った。
居住区のアパートは、それなりにいくつかタイプがあって、選べることになっている。
 ダリルは仕方なく、観察施設に彼女と共に戻った。
外からは入り口のドアロックを解除しなければ入れない。建物によって入る為の認証方法が異なる。しかし、保安要員や幹部級の執政官、管理局員は登録された指紋だけで入れる。登録されていない人間は、暗証番号をボードに入力するか、カードキーが必要なのだが、ダリルは「収容者」なので、そのどれも資格がない。それなのに、彼は彼女の目の前でボードを叩き、ドアを開いた。彼女を振り返って、優しく声を掛けた。

「どうそ、博士」

ラナ・ゴーンは心の動揺を隠して中に入り、ダリルが続いて入ると、ドアが閉まった。
彼女は意を決して彼に尋ねた。

「ここのドアをどうやって開けて外に出たの? 収容者には開けられないはずですよ。それにさっき入ったのも・・・」




中央研究所 12

 ダリルは監視員の目を盗んで観察施設を抜け出した。向かったのは居住区にあるポール・レイン・ドーマーのアパートだ。
 彼は、ドームのマザーコンピュータに侵入し、昨日の管理局員たちの報告書を閲覧した。そうしなければ、観察施設の端末では見られないからだ。
自身は、あの忌まわしい夜明けにポールに麻酔剤を打たれて、その日の夕方ドームで目覚める迄意識を失っていた。ライサンダーがあの日一日どんな行動を取ったのか、全く教えられていない。管理局と接触があったのかもわからなかったので、どうしても知りたかったのだ。
 しかし、ポール・レイン・ドーマーの報告書は実に簡素だった。

ーー山岳地域でライサンダー・セイヤーズと思しき人物を追跡したが見失った。

とだけ書かれていた。
他の局員たちの報告書はもう少しましで、少年が実弾で銃撃して来たので、麻痺光線で応戦したとあった。
幸い、少年の銃で負傷した者はいなかったが、1人だけ、少年に光線を命中させたと書いている者がいた。ダリルはその報告者の名前は見なかった、知ってしまうと、無用な恨みを抱いてしまうと危惧したからだ。局員は仕事をしただけだ。
撃たれた少年は川に転落し、消息を絶った、とその報告書は締めくくっていた。
 全て、昨日の出来事だ。ライサンダーが怪我をして動けなくなっていたら、すぐ助けなければ・・・
 ポールが抗原注射切れで休んでいることはわかる。そうしなければ動けないことも承知している。しかし、ダリルはポールに抗議せずにいられなかった。早く息子を助けに行け、と。

 観察施設を出て数分も歩かぬうちに、コロニー人と出くわしてしまった。
相手がじろりと自分の頭から爪先まで見たので、ダリルは自分が寝間着にサンダルで目立つ姿をしていると今更ながら気が付いた。
 そのコロニー人が、話しかけて来た。

「そんな格好で何処へ行くつもりだ? ポールに夜這いでもかける気か?」

 ダリルは相手を改めて見た。18年の間に大半のコロニー人は入れ替わっている。知らない顔ばかりだ。しかし、執政官であることはわかる。彼らの多くは消毒の匂いがする。
研究施設で働いているからだ。目の前の男も執政官に違いなかった。
 それにしても、何か品のない言葉を使って絡んできたものだ。

「私のことをご存じの様だが、生憎今は貴方と話している暇はないのでね、失礼するよ。」

 ダリルは相手の横を通り抜けようとした。いきなり、腕を掴まれた。ダリルは反射的に空いている方の手で、執政官を殴った。

中央研究所 11

 観察施設の収容者は、建物から出なければ部屋の外を歩き回ることを許された。ダリルは朝食が遅かったので昼食は摂らずにライブラリーに行った。閲覧出来るアドレスが限られているものの、ネットで世間のニュースや娯楽番組を見ることが出来る。
 収容者は少なくて、顔色の悪い男の子とすれ違っただけだった。あの子は、外の施設に送られるのだろう。彼をメーカーに創らせた親は、刑務所の中だ。子供が元気なうちに出所出来れば良いが、とダリルは同情を覚えた。出所出来れば、施設のクローンの子供に面会を許される。辛い話だが、死期が迫る子供ほど親に再会出来る機会が減る。体が急速に衰弱して命が消えて行く、それがクローンだから、と言う理由で親が子供に対する罪の意識を抱いてしまうのを、和らげる為だ。
 ライサンダーは、通常のメーカーの技術とは全く異なる方法で創られた。生殖細胞から生まれたので、本当の子供と同じ段階を経て細胞が成長している。出自が異なるだけで、普通の子供と同じだ。

 そのはずだ

 ダリルは、ライサンダーが向かったはずの書類偽造屋の表向きの住所を検索してみた。
あっさりとヒットしたが、連絡は取らなかった。ドームは情報の出し入れを洩れなく把握する。ダリルは誤魔化す為に、その付近の他の店やニュースを検索して、住んでいた地域の情報を知りたがっていると思わせておいた。
 どうすればライサンダーの現在地を知ることが出来るだろう?
思いつく方法は一つだけだった。ドーマーとして、いや、ドームに住む全ての人間がしてはいけないことをする・・・彼は猛然とキーボードを叩き始めた。
端末のスクリーンに無数の数字と文字が猛烈な勢いで流れ始めた。

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは、その進化型1級遺伝子が開発された本来の目的を使った。




中央研究所 10

 朝食後、医療区で簡単な健康チェックを受けてから、ダリル・セイヤーズ・ドーマーは中央研究所と医療区の中間にある観察用施設に戻った。そこは、ドームの外で摘発され収容されたクローン等を収容する場所だった。クローン達は、世間ではドームに「処分」されるのだと噂されていたが、実際は「保護」されるだけだった。
違法でも生まれてしまった命は他の地球人と等しく命であり、ドームは処刑などしない。
メーカーの雑な技術でクローン達の肉体に何か異常なことが起きていないか、検査されるだけだった。治療出来る遺伝病は治療し、何か生きていく上で不都合な障碍があればそれを補う処置が為される。メーカーが創るクローンは、多くの場合あまり長く生きられない。「親」の細胞の年齢そのままで生まれてくるからだ。ドームは彼らを検査・観察して、健康状態に合わせてドームの外の施設へ送り、短い余生を送らせる。
希に健康で長く生きる可能性のあるクローンだけが、子孫を残さないと言う制約の下で、元の生活に戻される。
 ダリルは観察対象人物だったので、観察施設の部屋に数日間留め置かれることになっていた。 健康状態を詳細に調べ尽くしたら、通常のドーマーやコロニー人の居住区画に部屋を与えると言われていた。

 監視役と別れて、ダリルは部屋に入った。ベッドしかない殺風景な部屋だ。ベッドの上に、朝出る時にはなかった物が置かれていた。キルティングだ。
ダリルはそれを手に取った。山の家で、ライサンダーのベッドスプレッドとして使われていた物だ。
 それは、ダリル自身の手作りの品だった。街の収穫祭に親子で遊びに行った時、年配の女性が、代々家に伝わる物として、実際に作るところを披露しながらキルティングやパッチワークを販売していた。ダリルは、興味を持って眺め、作り方を記憶した。
帰宅してから、自分で作ってみた。手間のかかる仕事だが、時間はたっぷりあった。
ライサンダーは、「また新しい物に挑戦したがる親父の悪い病気が始まった」と手芸に没頭するダリルを笑って見ていたが、大きな布が完成すると、早速自分で使い始めた。
それ以降、そのキルティングはライサンダーのお気に入りとなり、リビングでテレビを見る時も、屋外で昼寝する時も、彼は寝室からそれを持ち出してくるまっていた。
 ダリルはキルティングをそっと嗅いでみた。ライサンダーの匂いはしなくて、洗剤の匂いがした。ドームの洗濯係が、管理局員たちの衣服と一緒に洗濯したのだ。あの夜の出来事もライサンダーの日常も、全てなかったかの様に、流されてしまった。
 ダリルはキルティングを抱きしめた。息子が恋しかった。今、何処まで行ったのだろう。何をしているのだろう。JJと一緒にいるのだろうか。独りぼっちで困っていないだろうか。

 観察施設の部屋には、当然ながら監視カメラが設置されていた。収容者には気づかれないように巧みに擬装された隠しカメラだ。
 ダリルがベッドに腰を下ろし、キルティングを抱きしめて俯いてしまうのを、管理局局長ローガン・ハイネ・ドーマーは黙って眺めていた。ハイネは既に100歳を越える高齢であったが、一般の地球人から見ればせいぜい50代後半の容姿だった。ただ、髪の毛は真っ白で、これは彼が会ったこともない父親からの遺伝だった。
 ハイネは管理局の局長だが、局員時代は一度もドームの外に出たことがなかった。局長になってからも出ていない。彼は、生まれてから一度も外へは出たことがなかった。
進化型1級遺伝子を持っているからだ。だから、出してもらえなかった。

「外の生活を懐かしがっているのだろうか?」

彼が呟くと、食堂を出た後でポールのチームの報告書を確認する為に来ていたラナ・ゴーン副長官が映像をチラリと見て、ダリルの本心を見抜いた。彼女は3人の子供の母親で、子供たちは成人して宇宙空間で活躍している。ラナ・ゴーンは、ダリルの「親心」を見抜いたのだ。

「彼は、子供を思って泣いているのですわ、局長。」

2016年9月8日木曜日

中央研究所 9

 ポール・レイン・ドーマーが素直に誘いに応じてやって来たので、彼はファンクラブから逃げたかったのだな、とケンウッド長官は悟った。
手招きしたラナ・ゴーン副長官が、彼女の向かいの席を指したので、ポールはそこに着席した。
おはよう、と言ってから、ケンウッドは既に判明していることを尋ねた。

「夕べは寝ていないのだろう、レイン?」
「横にはなりましたよ。」

ギルの部屋でギルのベッドで、ギルにハグされて横になっていた。肌には触らせなかった。疲れている時に他人の感情など感じたくない。

 ポール・レイン・ドーマーは接触テレパスだ。他人の肌に接すると、相手の感情を感じ取る。元気な時はコントロールが出来るから、何も感じないで済むが、疲弊している時は災難だ。相手の欲望、快不快、喜怒哀楽が怒濤のように彼の中に入ってくる。だから、ポールは疲れている時は心理的に安静状態の人間と一緒にいたい。相手の心が彼を安心させてくれるからだ。
 ゴーンがファンクラブの方をチラリと見て、言った。

「執政官の遊び相手をするのは、貴方の仕事ではありませんよ。」

 ポールは赤面した。上司たちは全てお見通しだ。長官と副長官は、昨日の午後いっぱいダリル・セイヤーズ・ドーマーの体を調べたはずだ。汚染された外気が肉体に及ぼした被害や細菌や放射線から受けたダメージなどを、頭のてっぺんから爪先迄、髪の毛1本も見逃さずに検査しただろう。当然、ポールがダリルに負わせた傷も見たはずだ。
 しかし、上司たちはそれには触れなかった。
ケンウッドが昨夜のダリルとの話し合いを聞かせてくれた。
ダリルの生殖細胞が持つ特殊性を人類復活に活用する計画を立てること、ダリルがそれを承知する条件として、息子には手出ししないでくれと要求したこと。幹部会がダリルの要求を呑んだこと。

「だから、セイヤーズはもう逃げ出したりしないと約束してくれたのよ。」

 ケンウッドもゴーンもポールが喜ぶものと思っていた。ところが、ポールは元気のない表情で、そうですか、と言っただけだった。
 ケンウッドとゴーンは互いの顔を見やった。ケンウッドは、ポールたちが管理局の上司に提出した報告書にまだ目を通していないことに気が付いた。彼はふと嫌な予感がして、ポールに尋ねた。

「レイン、セイヤーズの子供はどうした? ベーリングの娘もまだ保護していないのだな?」

 痛いところを突かれて、ポールは返事を躊躇した。 目を泳がせた彼を眺め、ゴーンは、これはただ逃げられただけじゃないわね、と思った。
 ポールが小さな声で答えた。

「見失いました。川で・・・」




中央研究所 8

 その時、別のテーブルで微かなどよめきが上がった。ポールのファンクラブの面々が彼らの方を見ると、そのテーブルの執政官たちはマジックミラーの向こうの医療区の食堂を見ていた。彼らが見ているもの・・・それは、寝間着を着て監視員を伴って朝食のテーブルに着いたダリル・セイヤーズ・ドーマーだった。
 昨夜は遅かったし、逮捕されて最初の夜で、長官と話し合いもしたので、疲れているはずだが、ポール・レイン・ドーマーより遙かに元気そうに見えた。
手にしたトレイには、ミルクが入ったグラスと、山盛りのスクランブルドエッグ。
それをテーブルに置いて着席すると、近くのテーブルにまだ居残ってお喋りをしていた妊婦の3人組が彼に声を掛けた。ミラーのこちら側には音声は聞こえないのだが、恐らく「おはよう」程度の挨拶だろう。ダリルも彼女たちを見て、笑顔で返事をした。

 彼が何者なのか、壁のこちら側の人間たちは即時に悟った。

伝説の脱走者!
ポール・レイン・ドーマーの逃げた恋人!
昨日、そのポール自身が逮捕して連れ戻したのだ!!

 ケンウッド長官は、ポールのファンクラブの連中が口をあんぐりと開けてダリルを見つめるのを目撃した。
 連中は図書館の記録画像でダリルの写真や動画を見たことがあるはずだ。ポールのことを知りたいと思ったら、必ず彼の存在を無視出来ないからだ。しかし、映像と生の本人はやはり印象が違う。昔のダリルは華奢な可愛い若者に見えただろうが、今、医療区の食堂で妊産婦と世間話を楽しみながら朝食を摂っている男は、18年間太陽光の下で畑を耕して日焼けし、筋肉もしっかり付いた逞しさを持っている。服を着れば華奢に見えるだろうが、寝間着なので、彼が動くと筋肉の動きも見えた。そして、その笑顔は見る者を魅了した。
 大人の男性の色気たっぷりだったのだ。
 
 ポール・レイン・ドーマーが立ち上がり、壁に近づいた。ダリルにはこちらが見えないと知っていたが、彼はそうせざるを得なかった。ダリルがふとこちらの方向を見た。
ポールは立ち止まった。思わず名を呼びそうになった時、誰かが後ろでポールの名を呼んだ。
 ポール・レイン・ドーマーは理性を取り戻した。落ち着き払って振り返ると、少し離れたテーブルで、ラナ・ゴーン副長官が手招きしていた。
ポールは、ファンクラブに「失礼」と一言だけ言って、自分のトレイを掴むとさっさと副長官のテーブルに移動した。

中央研究所 7

 食堂の一角でちょっとした歓声が上がり、ケンウッドの注意を惹いた。
歓声を上げたのは若い執政官たちのグループで、彼らがどう言う種類のグループなのか、ケンウッドはすぐにわかった。歓声の元が現れたからだ。
 アナトリー・ギルが、ポール・レイン・ドーマーを伴ってテーブルに着くところだった。執政官たちは勿論、彼ではなくポールのお出ましに歓声を上げたのだ。
ギルは仲間たちに対して得意満面だが、ポールの方は明らかに疲れが残る生気の乏しい表情をしていた。
 ケンウッドは腹が立った。外から戻った管理局員たちは抗原注射の効力切れで疲弊している。今日1日は寝かせておくべきなのだ。ギルは故意にポールが逆らえない日を選んで彼を連れ回しているのだ。

「ギルには後で厳重に注意しておきます。でも、どうしてレインはギルに逆らわないのでしょう。」

いつの間にか、副長官ラナ・ゴーンがケンウッドのテーブルの隣にいた。彼女も遅い朝食だ。

「あの男は根本的に寂しがり屋だ。ゴマすりと誤解されているが、彼は自分を守ってくれそうな人間の機嫌を損ねるのは損だと本能的に判断している。
それに、彼は溜めたストレスを他人の肌に触れることで解消しなければ眠れないのだ。」

フン、とゴーンが鼻で笑った。

「ベッドでは頭が空っぽの科学者たちが、格好のストレス解消の道具だと言うことですね。でも、アナトリーが彼に平安を与えてくれるとは思えませんわ。」
「恐らく、彼はこの18年間、平安と無縁だったのかも知れないな。」

 ファンクラブの面々もポールの健康を心配するのだろう、ギルの行動を批判する声も聞こえた。ギルは一晩彼らのアイドルを独占したのだ。もしポールが体調を崩しでもしたら、リンチしかねない雰囲気だ。しかし、当のポールが、「俺は平気だから」と一言言い放って連中を黙らせた。勿論、ギルをかばったのではない。ファンたちに静かにして欲しかっただけだ。


2016年9月7日水曜日

中央研究所 6

 医療区は、ドームの中で一番大きな施設だ。その大半を占める出産管理区では、地球の女性たちが出産の為に収容されている。地球人は、女性の数が少ないことを知っているが、全く誕生しないと言う恐ろしい事実を知らされていない。だから、女性たちが出産の為に安全な施設に収容されることは容認出来ても、彼女たちが本当はコロニー人から提供された体外受精卵子のクローンで、ドームで培養されたことも知らない。
 中央研究所の核となる地下の区画は、そのクローンの培養施設だ。そこには、真に極限られた人間しか立ち入ることが出来ない。培養施設の地上には、遺伝子の研究施設があり、多くの執政官はそこで働いている。
 中央研究所と対になる棟が遺伝子管理局とドーマーの養育棟だ。
 ドーマーや執政官が暮らす居住区は、中央研究所とは建物が別で少し離れている。そこは小さな街の様な場所で商店もある。と言っても、コンビニ程度の店だが・・・。
これらの施設群の周囲、ドームの壁までの空間は、食糧生産の場所であり、住人の憩いの場所の公園でもあった。体育施設もあって、退所時期が近づいた女性たちがそこで運動して体を慣らして出て行く。ドーマーたちもそこで運動するので、たまにドーマーの男性と出産を終えた女性が接近してしまうこともあるのだが、他人の妻に手を出すことは厳禁なので、保安部がこまめに監視しているのだ。

 ドーム人はあまり家事をしない。掃除や洗濯は専門のドーマーがいて、食事はほとんどの人間が食堂で摂る。食堂は3箇所。中央研究所内と、居住区と、養育棟だ。
中央研究所の食堂は、医療区の収容者と、研究所の職員、執政官、そして遺伝子管理局の幹部が利用するのだが、医療区の収容者の区画は他の利用者の場所と壁で区切られていた。壁は、収容者側からは、映像を映すスクリーンにしか見えないが、執政官たちの方からは、収容者たちの食事風景が見えた。これは、妊産婦や患者の食事の様子を観察して健康状態に異常がないかチェックする為で、決して女性たちを鑑賞するのが目的ではない。
だから、収容者の食事の時間帯が終了する頃に、医療とは関係ない執政官たちが食堂に来ることが多かった。
 
 ケンウッド長官は、昨夜遅くまで会議をしていたので、睡眠時間が短く、起床が少し遅れた。もっとも会議に出席した幹部級執政官たちも同じだったので、その日の業務開始時間を1時間ばかり繰り下げることにしていた。
 会議の議題は、逮捕した脱走者の今後の処遇だった。ダリル・セイヤーズ・ドーマーから出された取引条件を認めるか否かを話し合ったのだ。
 ダリルは恐らく、女の子を創れるだろう。ダリルの息子も同じ能力を受け継いでいる可能性がある。進化型1級遺伝子はX染色体上にあるのだから、確実だろう。だが、ダリルは息子には手を出すなと要求している。
 出席した幹部10名のうち、6名がダリルの要求を認めてやろうと言った。

「考えてもごらんなさい、セイヤーズの息子は女性から産まれたのではなく、男同士の遺伝子の掛け合わせで産まれたのです。人間としてあってはいけないことです。例え、その息子が正常な生殖能力を持っていても、人類の未来を託す訳にはいきません。」

 ケンウッドは内心、ダリルの息子に興味があったが、それ以上深入りするのは拙いと思った。不自然な方法で子供を創った「先例」がドームにはあったからだ。
それはコロニーにも大スキャンダルとして伝わり、子供が人工子宮から出る前に処分するようにと指示が来たのだ。
そして・・・

その不自然な誕生をした子供は、50年間行方不明だった。



中央研究所 5

 ポールはアナトリー・ギルが毛布を剥ぎ取って彼を起こし、ハグしても逆らわなかった。疲労困憊で動きたくなかったし、起こされて苦情を言ったり、ギルの管理局への無断侵入を咎める気力もなかった。
 ギルが耳元で囁いた。

「サーシャが嫉妬していたぞ。」

 部下のアレクサンドル・キエフ・ドーマーのことだ。ファンクラブも厄介者扱いをしているストーカーだ。
 キエフは衛星画像解析で実行班をバックアップする仕事をしており、いつも専用ジェットで留守番だ。今日も仕事をしていたら、ポールの副官クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが、誰かを抱えてジェット機に乗り込んで来た。キエフはワグナーには興味がないので無視していたら、ワグナーはその人物をポールの個室に連れ込んだ。ワグナーが入るのは許せる。彼はポールの弟同然だから。しかし、もう1人は何者だ? キエフは気になったが、ワグナーはそれきり部屋から出てこなかった。
 午後になってジェット機に戻って来たポールは酷く不機嫌で、他の実行班の部下達も元気がなかった。ポールは飲み物を調達すると、個室に入り、やはりドームに着くまで出てこなかった。
 部屋にいる第3の人物について、誰もキエフに教えてくれなかった。むしろ、部屋にポールとワグナー以外の人間がいることを、誰も知らない様に思えた。その正体が判明したのは、ドーム横の飛行場に到着して、ドームから迎えのバスが来た時だ。
 ワグナーがストレッチャーを用意させ、第3の人物が寝かされたままバスに乗せられた。 迎えの局員に、ポールが言った。脱走者を逮捕した、と。
 バスの中に衝撃が走った。「脱走者」と言う単語は、アメリカ・ドームではある特定の人物にしか使われなかったからだ。
 
 ポール・レイン・ドーマーが、18年前に脱走した恋人を遂に捜し当て、逮捕した。

噂は猛烈なスピードでドーム内に拡散した。
キエフが荒れたことは言う間でもない。

ギルは、ポールが職場を神聖視していたので、執政官の悪戯を許さないと承知していた。
だから、優しく彼を誘った。

「僕の部屋においで、ポール。ゆっくり休ませてあげるよ。キエフも来ないはずだ。」



2016年9月6日火曜日

中央研究所 4

 ポール・レイン・ドーマーは独身だが妻帯者用の広いアパートに住む権利を取得していた。しかし彼は必要を感じなかったので、狭い独身者用アパートに住み続け、その部屋すら滅多に帰らなかった。彼は管理局本部の自分のオフィスの片隅に休憩スペースを設け、ほとんどそこで寝起きしていた。衣類は、外から帰れば必ず上から下まで全て洗濯に出すのが義務付けられていたし、替えの服はその時点で事前に預けていた物を受け取って着る。入浴も外から帰投したら必ず消毒風呂に入るし、食事はドームの大食堂で取れば済む。だから、彼はある意味、宿無しだった。
 中西部出張から帰ると、彼はダリル・セイヤーズ・ドーマーを管理局に引き渡し、部下達と反省会をした。部下達が山狩りで疲労しているのを承知していたので、反省会は早々に切り上げ、各自報告書を大急ぎで書き上げて局長宛に送信すると、解散した。
 ポール自身、疲れ切っていた。昨日は支局巡りで面会希望者と面談し、夜はダリルを捕まえ、18年分のストレスを発散させた。ダリルは快感どころか激しい苦痛を味わって、ポールに返してきた。想定外の拒絶に遭って、ポールは激昂した。恐らく、今頃ダリルの肉体を検査している長官と副長官は、彼の暴走を知って呆れているだろう。懲戒ものかも知れない。だが、そんなことはどうでも良い。ポールは、ダリルがもう一生許してくれないかも知れない、と恐れていた。

ライサンダーを川に落として見失ってしまったのだ。ダリルの宝物を無くしてしまったのだ。

 ベーリングの娘の行方もわからないままだ。ポールは今回の任務を失敗したと自覚していた。ダリルの逮捕は免罪符ではない。あれは、ポールがダリルを必要としているから連れ戻しただけだ。

 ポールが簡易ベッドの上で眠れぬ夜を過ごしていると、オフィスに無断で入って来た者がいた。
 ファンクラブの幹部を自認する執政官アナトリー・ギルだ。大気汚染が人間の繁殖能力にどう影響するのか研究している科学者だ。地球以上に空気の浄化に神経質なコロニーで育った彼は、地球の大気と人体の関係を調べにドーム勤務を希望し、5年前に赴任してきた。そして、一目でポール・レイン・ドーマーの虜になった。
 ポールのファンクラブは、ポールが養育棟を出て社会デビューした直後から結成され、20年以上の歴史を持っている。核は若い執政官たちで、女性もいた。彼らはポールがダリルに夢中になっていることは黙認出来た。だから、ダリルがユーラシア・ドームに飛ばされてポールが寂しがると、一緒に哀しんだ。ポールがリン長官の愛人にさせられると、陰ながら支援し、出来るだけポールが長官の部屋に行かずに済むように、仕事を与えて守ってくれた。初期のファンクラブは、ポールにとって、心強い味方だったのだ。
 しかし、執政官たちは数年のサイクルで転属してしまう。ファンクラブは人数が増えていったが、同時にポールを守るより、アイドルとしてただ可愛がるだけの人間の集団へと変化していった。
 だから、ポールは現在のファンクラブが大嫌いだった。 執政官に逆らうと後が面倒なので、大人しく相手になってやるだけだ。
 アナトリー・ギルは仲間を出し抜いてポールを独占したい輩の1人だ。それで、彼自身は管理局に無断で立ち入る権限はないにも関わらず、こっそりとやって来た。
 ドームの外へ出るドーマーは、必ず細菌などから身を守る目的で抗原注射と呼ばれる薬剤を注射する。これは48時間で効力が切れるのだが、薬剤が抜ける時にドーマーは激しい倦怠感に襲われる。ギルはその時間を狙ってきた。

2016年9月5日月曜日

中央研究所 3

 ケンウッド長官は執務机をはさんでダリルを座らせた。
机の上に、検査室で撮ったダリルのレントゲン画像を立体的に立ち上げ、骨格や骨の組織に問題がないことを告げた。筋肉も同年齢の普通の地球人に比べれば、遙かに若い。つまり、ドーマーの肉体そのものだ。
 血液検査の結果はゴーン副長官の分析を待つだけだ、とケンウッドは言った。

「君は普通のドーマーがドームを去って一般人になると、老化が早まると言う事実を知っているだろう?」
「私が普通ではないと仰りたいのですか?」
「ああ、そうだよ。」

 ケンウッドは少し哀しそうに見えた。

「これは一部の幹部にしか開示されていない情報だが、君は進化型1級遺伝子保持者だ。
元は、宇宙飛行士が多くの知識を頭に入れる為に開発された人工的な遺伝子だ。コンピュータ並の量の情報を記憶して、しかも即座に思い出し、応用出来る能力だよ。」
「私はそんなに頭は良くありませんよ。」
「だが記憶力は並じゃないだろう。君の細胞はドーマーとして生活していた頃の情報を元に新陳代謝を繰り返している。だから、普通の地球人より老化が遅い。」
「でも、ドーマーとして歳を取っていけるでしょ?」
「それはまだ誰にもわからない。だから、観察が必要だ。」

ダリルは微かな目眩を覚えた。

「まさか、私を一生ここで飼うつもりじゃないでしょうね?」
「君が歳を取らないから留める訳ではない。」

ケンウッドはレントゲン画像を消して、次の画像を出した。染色体だ。ダリルは不快になった。意識を失っている間に、一体どれだけの種類の検体を採取されたのだろう?

「地球人が男の子しか産めなくなった理由の一つは、地球人の男が保有するX染色体が弱いからだ。膣内に入っても、卵子にたどり着く前に、X染色体を持つ精子はY染色体の精子より先に死んでしまう。何故そうなるのか、その謎はまだ解明されていない。ところが・・・」

ケンウッドはじっとダリルの顔を見つめた。

「君のX染色体は、子供になったね?」

 ダリルはどきりとした。冷や汗が出て来た。
ラインサンダーの存在が報告されていることは覚悟していたつもりだったが、長官からずばりと言われると、身がすくむ思いだ。

「Xなのか、Yなのか、私は知りません。」
「Xに決まっているだろう。」

ケンウッドがぴしゃりと言った。

「ポールのはYしか生き残れないのだから。」

ケンウッドは、両手で顔を覆ってしまったダリルに、はっきりと言い渡した。

「これから、ドームは君の子供を創る。君をコロニー人の女性クローンと掛け合わせる。
ドーマーを種馬にするのは人権蹂躙だとわかっているが、君には地球人の未来がかかっているのだ。女の子が必要なんだ。進化型1級遺伝子が、強いX染色体を子孫に伝えるはずだ。」

 ダリルは泣いているのだろう、とケンウッドは思った。涙を流さなくても、心で泣いてる。本人には何の罪もないのに、一生を囚われの身で生きることを強いられねばならない。
 しかし、顔を上げたダリルは、泣いてはいなかった。何か覚悟を決めた固い表情で、いきなり取引を申し出て、長官を驚かせた。

「私の息子には絶対に手を出さないでください。約束していただけるなら、私は一生貴方方の言いなりになって差し上げます。」



中央研究所 2

 女性に関して言えば確かにダリルはノーマルだった。世の大多数の男たち同様、異性には大いに興味があった。ただ、今まで出遭いの機会がなかっただけだ。
ドームに住んでいれば、女性は限られた場所に居て厳重に守られているので、まず自由に恋愛するのはよほどの幸運がなければ不可能だ。婚姻は執政官が決めた相手と、となる。
脱走して自由な世界に出ても、やはり女性には出会えなかった。女性の絶対数が少なかったし、子育てが忙しくて、食べて行くのがやっとの生活で、異性のことを考えている暇がなかった。子供から手が離れたら、自分がお尋ね者で女性を追いかける身分でないことを思い出した。女性に好かれる容姿をしていながら、ダリルは今まで女性と無縁だったのだ。
 ケンウッド長官が言った「扱い方」と言うのは、検査や診察の時に男性ドーマーの興味を惹くような言動をするな、と言う意味だった。ケンウッドは、職場恋愛を禁止している訳ではなかった。彼は、昔先任者のリンがポール・レイン・ドーマーを立場を利用して愛人にしたことを、今もコロニー人の恥と思っていた。執政官の中には、ドーマーをペットと勘違いしている人間がいることを否定出来ないことも、恥じていた。だから、無闇にドーマーの性欲を刺激する様な言動を執政官たちが取ることを危惧していた。
 ケンウッドは、まだ生まれたままの姿だったダリルに研究所内で被験者が着用する寝間着を渡した。

「これを着て、隣の部屋に来なさい。君は外から戻ったばかりだから、暫くは中央研究所で検査浸けになる。不安を抱かないよう、検査の予定を教える。」

 ダリルが寝間着を受け取ると、彼は検査室から出て行った。
ダリルは、ベッドから下りて寝間着を身につけながら、ラナ・ゴーンが検査器具を片付けるのを目で追った。
副長官は何歳だろう? 外見は自分より10歳ばかり上に見えるが、恐らくコロニー人の平均的な老化速度を考えると5,60歳か? 地球人だったら高齢者になるが、コロニー人では女盛りの頃だ。まいったな、ドームにこんな佳い女がいたなんて・・・
 気が付いたら、ゴーンが睨んでいた。

「長官が仰ったことを聞かなかったの? 身支度が出来たなら、隣へ行きなさい。」

 ダリルは「はい」と素直に答えて、ドアに向かって歩きかけた。するとゴーンが予想外の言葉を投げかけてきた。

「傷は痛くない? レインに無理強いされたでしょ?」

 ダリルは足を止めた。あの屈辱の夜の出来事が突然頭の中に溢れてきた。ポールが嫌なのではなかった。あの時は、したくなかったのだ。しかし、ポールは聞き入れてくれなかった。18年間我慢させられた怒りを一度にぶつけてきたのだ。
 ダリルはゴーンに背を向けたままで言った。

「私は罰を受けただけですよ。」



2016年9月4日日曜日

中央研究所 1

  これは消毒薬の匂いだ・・・誰か怪我でもしたのか? ライサンダーなのか?

 ダリルは息子の無事を確認するつもりで体を起こそうとして、何かに阻まれた。
びっくりした拍子に目が開いて、天井の灯りに眩しくて、また瞼を閉じた。

「あら、お目覚めね。」

と女性の声がした。初めて聞く声だ。誰だろう?
ダリルはそっともう一度目を開いた。今度は目が照明の明るさに慣れる迄、半眼にして、声がした方向を見た。
女性が立っていた。ヘアキャップを被り、マスクをしていたし、白衣を着て手袋も付けていたので、茶色の目が見えただけだったが、女性だ。

「照明を少し落としてやろう、眩しいだろう。」

今度は聞き覚えのある男の声だ。光度がすっと落ちて、幾分目が楽になった。
自然光に近い明るさになったのだ。
ダリルが視線を向けるより先に、顔の上に男が顔を覗かせた。マスクを取って見せる。

「私を覚えているか、ダリル・セイヤーズ・ドーマー?」
 
 ダリルは暫く無言で彼を見つめた。思い出せないのではなかった。はっきり覚えていたので、彼がそこに居ることに驚いたのだ。

「18年以上も地球上に残るコロニー人を初めて見ました、ケンウッド博士。」

 それが彼の返事だった。相手は、少し皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「初めてではあるまい、君はもっと長く地上にいる男と知り合いのはずだ。」

 ダリルがその意味を解しかねていると、女性がマスクを外した。

「私は、初めまして、ね、セイヤーズ。副長官のラナ・ゴーン、医学博士です。血液の研究をしています。」

彼女はダリルの身体をベッドに拘束しているベルトを外しにかかった。

「検査中に貴方が動いて怪我をしないように、縛っていただけです。自由にしてあげますから暴れないでね。」
「暴れませんよ、ゴーン博士。」

 ダリルは彼女の横顔を見て、ちょっと笑った。自身をリラックスさせる目的もあったが、思った通りの感想を口にした。

「綺麗な方ですね。唇が可愛らしい。」

ラナ・ゴーンが少しびっくりして、ケンウッド長官を見た。ケンウッドは、彼女が今までドーム内に流布する噂を鵜呑みにしていたのだと悟り、誤りの部分を訂正してやった。

「セイヤーズは、女性に関して言えば、ノーマルなんだ。 だから、扱いには気をつけ給え。」




捕獲作戦 13

 アレクサンダー・キエフ・ドーマーから衛星画像の分析結果が端末に送信されて来た。
2人の人物が山の中を移動している。北を目指している。
拡大すると、1人は女性の様だ。
 ポール・レイン・ドーマーは部下達の端末にも同じ情報を分けた。
部下は2チームで、クラウスが不在なので、全部で9人。第2チームに山を下りて北の街道へ廻るように指示した。子供たちは徒歩だから、山を下りたらヒッチハイクでもして逃げるだろう。
 第1チームはポール自身が指揮して山道を追跡することにした。
子供たちの現在位置は、ダリルの家から歩いて1時間ほどだ。恐らく地元の利で道を知っているのだろうが、管理局は近道を端末で計算させて先回り出来る地点を割り出した。
ドーマーたちは山狩りに未経験だったが、体力はあったし、衛星から見守られている安心感で山に突入した。もし子供たちを捕まえられなくても、山を下りて仲間に落ち合える。
 スーツ姿で革靴の男たちが山の中を歩いて行くのは、一種異様な光景だった。各自、麻痺銃を携行していて、時々端末を覗いては位置確認をする。

 ポール・レイン・ドーマーは、川を見下ろす崖に沿って付けられた細い道で、遂にライサンダーとJJに追いついた。
 先に追跡者の気配に気が付いたJJが、ライサンダーの手を掴んで教えた。ライサンダーは後ろを振り返り、ポールの坊主頭を見た。

「逃げろ、JJ!」

彼は叫んで、ポールに向かって発砲した。ポールは少年が銃を所持していると気づいた時点で岩陰に身を隠したので、難を逃れた。手で後ろの部下に隠れろと合図した。
ライサンダーが走り出したので、岩陰から出て追った。
ライサンダーはまた振り返り、撃ってきたが、当たらなかった。射撃の腕はまだまだだな、とポールは思った。多分、ダリルの腕以下だ。それとも、ダリルは息子に射撃を教えていなかったのか?
 ポールは少年が3度目に撃ってきた時、岩に身を隠しながら怒鳴った。

「撃つな! 今度撃ったら、二度と親父に会わせてやらんぞ!」

 銃撃が止んだ。ポールはさらに言った。

「おまえの親父は捕まえてある。今日中に管理局本部に身柄を送る。おまえが逃げれば、二度と会えないと思え。」

 返事がない? と思った次の瞬間、ポールは山側の岩の上に気配を感じた。
振り向きざま麻痺銃を銃撃すると、ライサンダーが道の上に転がり落ちてきた。
しかし、気絶はしないで、川の方へ足を引きずりながら走り出した。麻痺光線が当たった訳ではないのだ。

なんてガキだ、気配を消して俺に接近するなんて・・・

ポールの横に来た部下の1人が、ライサンダーの背中に照準を合わせた。標的の位置が良くない、とポールが彼を制止しようとしたが、部下は撃った。
光線はライサンダーの背中に命中し、全身の麻痺に襲われた彼はよろめき、そのまま道から外れて川へ落ちた。
「拙い!」と部下が叫び、ポールは当然だろうと思いつつ、崖っぷちに駆け寄った。
茶色に濁った水が勢いよく流れていた。濁流の中にチラリと人影が見えたが、すぐに消えて行った。




捕獲作戦 12

 クラウスはポールより冷静だった。ポールにベッドスプレッドをヘリに持ってくるように頼んで、ダリルを抱え運んで行った。
ポールは彼の要求の意味を深く考えなかったが、キルティングを掴んだ時に、布に付着した小さな血痕や体液の滲みに気が付いた。

DNAを残すな、と言うことか・・・

 クラウスはそこで何が起きたのか、察したのだ。多分、俺を軽蔑しているだろう、とポールは苦々しく思いながら、布をヘリへ持っていった。
クラウスは何食わぬ顔でそれを受け取り、座席に座らせたダリルの体にかけた。
そして尋ねた。

「子供は、貴方の遺伝子を受け継いでいるんですね?」
「いや・・・いや、そうだ・・・恐らく、両方だ。」

 ポールは巧く説明出来なかった。彼はライサンダー・セイヤーズを全く知らない。同じ葉緑体毛髪を持っているとしか、わからないのだ。何処までダリルの能力を受け継いでいるのだろう。それがある種の脅威だった。進化型1級遺伝子は、世代を重ねる毎に進化する。劣勢遺伝子なので、女性はX染色体がホモでなければ発現しないが、男性はヘテロで発現する。恐らく、セイヤーズ一族の女性が代々受け継いで、誰にも気づかれぬまま、進化も止まったまま、ダリルが生まれたのだ。
 クラウスはポールをじっと見つめ、兄貴が言葉を濁した意味を考えた。そして、ハッと気が付いた。

「単体クローンじゃないんですね?」

 ポールは渋々認めた。

「ダリルは俺と自分のを混ぜやがったんだ。」
「そんな技術を持つメーカーなんて・・・」

いないと言おうとして、クラウスは口をつぐんだ。一人いたではないか、元コロニー人のメーカーが・・・
 ポールは自動車のエンジン音が山道を上がってくるのを耳にした。

「部下たちが来る、君はもう行ってくれ。」

捕獲作戦 11

 ヘリコプターは平坦な場所に着陸する。当然のことながら、クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは、操縦するヘリを質素な石造りの家の前にある畑のど真ん中に着陸させた。 家の主が丹精込めた野菜が押しつぶされても気にしなかった。
 ヘリのエンジンを切って外に出ると、家の入り口の中でポールが立っているのが見えた。珍しく口元に笑みを浮かべているのを見て、クラウスはドキッとした。幼い頃から策士で知られていたポールが、そんな笑みを浮かべる時は、必ず何か企んでいる。
 朝の挨拶もそこそこに、ポールはクラウスを家の中に招き入れた。

「他の連中が来る前に、専用ジェット機に運んで欲しい。特に、あのややこしいキエフには見られたくないんだ。」

そして、付け加えた。

「ガキと小娘も山の中にいるんだ。ガキは攻撃して来る恐れがある。」

どこのガキ? と思いつつ、クラウスは案内された寝室に入り、ベッドの上に横たわる人物を見て、アッと声を上げて立ち止まった。
思わず駆け寄り、そっと頬を手で撫でた。

「ダリル兄さん・・・」

 これが他のドーマーだったら、ポールはぶん殴ったかも知れない。子供の時から他人がダリルに触れるのを嫌っていたからだ。もっとも、これはキエフがポールに執着するのとは理由が異なった。ポールにはポールの「遺伝子の都合」と言うものがあるのだった。
 ポールは、クラウスが兄貴に頬ずりしてキスするのを暫く眺め、弟分が落ち着きを取り戻すのを待った。

「麻酔が効いているから夕方迄は寝ているはずだ。君はすぐに彼をヘリで空港へ運んでくれ。ジェット機の俺たちの専用席に入れて、君もそこで待機しておくように。
俺は、ガキと4Xを探す。」
「わかりました。しかし、ガキって?」

ポールが一瞬ムッとした表情になり、クラウスは聞いてはいけないことを聞いたと知った。話題を変えようとしたら、ポールが先に説明した。

「どうせ、後で噂が広がるだろうから、先に教えておく。ダリルが18年前に俺の遺伝子を盗んで、メーカーにガキを作らせて育てていたんだ。」

 クラウスは、冗談を聞いたのかと思った。冗談を言わないポールが、こんなとんでもないことを、冗談で言うだろうか。
 彼はコメントを避けた。いきなりダリルを抱き上げた。

「ヘリに運びます。出来るだけ、目撃されないようにします。」