2016年9月10日土曜日

中央研究所 13

 アナトリー・ギルは、ダリルが寝間着姿で観察施設を抜け出すのを、偶然自身の研究室の窓から見つけてしまった。
彼のアイドル、ポール・レイン・ドーマーの元恋人、ポールを18年間苦しめた許しがたい男だ。彼はスタンガンを掴むと外へ出た。スタンガンは収容したクローン達が暴れた時の用心に執政官たちが装備している物だ。それでダリルを大人しくさせて、ポールから手を引けと言い聞かせるつもりだった。言うことを聞かなければ、辱めてやっても良いと思った。
 しかし、彼は、ダリルが元管理局員だと言うことを失念していた。管理局の人間は事務系も含めて、戦闘訓練を受けている。そんな人間に「いきなり腕を掴む」行為など、もってのほかだ。
 鼻から血が流れ出た。ギルは思わず悲鳴を上げた。

「助けて、殺される!」
「大丈夫よ、死にはしないわ。」

 ギルの手から逃れたダリルは、少し離れた所にラナ・ゴーンが立っているのに気が付いた。彼女は一部始終を目撃したのだ。 それに、他にも目撃者がいた。
彼の無断外出に気が付いて追いかけて来た保安要員だ。彼は尻餅をついていたギルを助け起こしながら、

「あんたが悪い。」

と言った。 彼はダリルがどう言う戦闘能力を持っているか、既に管理局から情報をもらっていた。 ダリル・セイヤーズ・ドーマーに不意打ちは厳禁だ。体に敵の手が触れた瞬間に相手の顔に的確に拳骨を叩き込む。ほとんど本能的な防御行動だ。
だから、あの夜、ポールは麻痺銃を使用した。監視役も距離を置いてついて歩くだけだ。彼のリーチ圏内には入らない。
 ラナ・ゴーンは保安要員にギルを医療区へ連れて行くよう指示した。保安要員は彼女がダリルと2人きりになるのを心配したが、彼女は大丈夫だと言った。

「この人は、危害を加えさえしなければ暴れません。」

そして、何故ギルが怪我をしたのか、きちんと説明するようにとの指示も忘れなかった。

 ギルと保安要員が立ち去ると、彼女はダリルを見た。ダリルはポールのところに行こうとしていたのだ、と察した。「夜這い」などではなく、息子の安否を聞くつもりだったのだ。 可哀想な人・・・

「レインを休ませてあげなさい、彼は今日一日眠らなければ駄目なの、知っているでしょ?」
「ええ・・・」

ダリルは渋々承知した。どんなに急かしても、昨日外に居たドーマーたちは動けないのだ。
 ラナ・ゴーンはダリルがライサンダーが川に落ちて行方不明になったことを知っているとは夢にも思わなかった。 ただ息子の安否を気にしているだけだと思ったので、彼に気分転換させるつもりで、これから住む部屋をカタログで見てみないか、と誘った。
居住区のアパートは、それなりにいくつかタイプがあって、選べることになっている。
 ダリルは仕方なく、観察施設に彼女と共に戻った。
外からは入り口のドアロックを解除しなければ入れない。建物によって入る為の認証方法が異なる。しかし、保安要員や幹部級の執政官、管理局員は登録された指紋だけで入れる。登録されていない人間は、暗証番号をボードに入力するか、カードキーが必要なのだが、ダリルは「収容者」なので、そのどれも資格がない。それなのに、彼は彼女の目の前でボードを叩き、ドアを開いた。彼女を振り返って、優しく声を掛けた。

「どうそ、博士」

ラナ・ゴーンは心の動揺を隠して中に入り、ダリルが続いて入ると、ドアが閉まった。
彼女は意を決して彼に尋ねた。

「ここのドアをどうやって開けて外に出たの? 収容者には開けられないはずですよ。それにさっき入ったのも・・・」