2016年9月6日火曜日

中央研究所 4

 ポール・レイン・ドーマーは独身だが妻帯者用の広いアパートに住む権利を取得していた。しかし彼は必要を感じなかったので、狭い独身者用アパートに住み続け、その部屋すら滅多に帰らなかった。彼は管理局本部の自分のオフィスの片隅に休憩スペースを設け、ほとんどそこで寝起きしていた。衣類は、外から帰れば必ず上から下まで全て洗濯に出すのが義務付けられていたし、替えの服はその時点で事前に預けていた物を受け取って着る。入浴も外から帰投したら必ず消毒風呂に入るし、食事はドームの大食堂で取れば済む。だから、彼はある意味、宿無しだった。
 中西部出張から帰ると、彼はダリル・セイヤーズ・ドーマーを管理局に引き渡し、部下達と反省会をした。部下達が山狩りで疲労しているのを承知していたので、反省会は早々に切り上げ、各自報告書を大急ぎで書き上げて局長宛に送信すると、解散した。
 ポール自身、疲れ切っていた。昨日は支局巡りで面会希望者と面談し、夜はダリルを捕まえ、18年分のストレスを発散させた。ダリルは快感どころか激しい苦痛を味わって、ポールに返してきた。想定外の拒絶に遭って、ポールは激昂した。恐らく、今頃ダリルの肉体を検査している長官と副長官は、彼の暴走を知って呆れているだろう。懲戒ものかも知れない。だが、そんなことはどうでも良い。ポールは、ダリルがもう一生許してくれないかも知れない、と恐れていた。

ライサンダーを川に落として見失ってしまったのだ。ダリルの宝物を無くしてしまったのだ。

 ベーリングの娘の行方もわからないままだ。ポールは今回の任務を失敗したと自覚していた。ダリルの逮捕は免罪符ではない。あれは、ポールがダリルを必要としているから連れ戻しただけだ。

 ポールが簡易ベッドの上で眠れぬ夜を過ごしていると、オフィスに無断で入って来た者がいた。
 ファンクラブの幹部を自認する執政官アナトリー・ギルだ。大気汚染が人間の繁殖能力にどう影響するのか研究している科学者だ。地球以上に空気の浄化に神経質なコロニーで育った彼は、地球の大気と人体の関係を調べにドーム勤務を希望し、5年前に赴任してきた。そして、一目でポール・レイン・ドーマーの虜になった。
 ポールのファンクラブは、ポールが養育棟を出て社会デビューした直後から結成され、20年以上の歴史を持っている。核は若い執政官たちで、女性もいた。彼らはポールがダリルに夢中になっていることは黙認出来た。だから、ダリルがユーラシア・ドームに飛ばされてポールが寂しがると、一緒に哀しんだ。ポールがリン長官の愛人にさせられると、陰ながら支援し、出来るだけポールが長官の部屋に行かずに済むように、仕事を与えて守ってくれた。初期のファンクラブは、ポールにとって、心強い味方だったのだ。
 しかし、執政官たちは数年のサイクルで転属してしまう。ファンクラブは人数が増えていったが、同時にポールを守るより、アイドルとしてただ可愛がるだけの人間の集団へと変化していった。
 だから、ポールは現在のファンクラブが大嫌いだった。 執政官に逆らうと後が面倒なので、大人しく相手になってやるだけだ。
 アナトリー・ギルは仲間を出し抜いてポールを独占したい輩の1人だ。それで、彼自身は管理局に無断で立ち入る権限はないにも関わらず、こっそりとやって来た。
 ドームの外へ出るドーマーは、必ず細菌などから身を守る目的で抗原注射と呼ばれる薬剤を注射する。これは48時間で効力が切れるのだが、薬剤が抜ける時にドーマーは激しい倦怠感に襲われる。ギルはその時間を狙ってきた。