2016年9月8日木曜日

中央研究所 8

 その時、別のテーブルで微かなどよめきが上がった。ポールのファンクラブの面々が彼らの方を見ると、そのテーブルの執政官たちはマジックミラーの向こうの医療区の食堂を見ていた。彼らが見ているもの・・・それは、寝間着を着て監視員を伴って朝食のテーブルに着いたダリル・セイヤーズ・ドーマーだった。
 昨夜は遅かったし、逮捕されて最初の夜で、長官と話し合いもしたので、疲れているはずだが、ポール・レイン・ドーマーより遙かに元気そうに見えた。
手にしたトレイには、ミルクが入ったグラスと、山盛りのスクランブルドエッグ。
それをテーブルに置いて着席すると、近くのテーブルにまだ居残ってお喋りをしていた妊婦の3人組が彼に声を掛けた。ミラーのこちら側には音声は聞こえないのだが、恐らく「おはよう」程度の挨拶だろう。ダリルも彼女たちを見て、笑顔で返事をした。

 彼が何者なのか、壁のこちら側の人間たちは即時に悟った。

伝説の脱走者!
ポール・レイン・ドーマーの逃げた恋人!
昨日、そのポール自身が逮捕して連れ戻したのだ!!

 ケンウッド長官は、ポールのファンクラブの連中が口をあんぐりと開けてダリルを見つめるのを目撃した。
 連中は図書館の記録画像でダリルの写真や動画を見たことがあるはずだ。ポールのことを知りたいと思ったら、必ず彼の存在を無視出来ないからだ。しかし、映像と生の本人はやはり印象が違う。昔のダリルは華奢な可愛い若者に見えただろうが、今、医療区の食堂で妊産婦と世間話を楽しみながら朝食を摂っている男は、18年間太陽光の下で畑を耕して日焼けし、筋肉もしっかり付いた逞しさを持っている。服を着れば華奢に見えるだろうが、寝間着なので、彼が動くと筋肉の動きも見えた。そして、その笑顔は見る者を魅了した。
 大人の男性の色気たっぷりだったのだ。
 
 ポール・レイン・ドーマーが立ち上がり、壁に近づいた。ダリルにはこちらが見えないと知っていたが、彼はそうせざるを得なかった。ダリルがふとこちらの方向を見た。
ポールは立ち止まった。思わず名を呼びそうになった時、誰かが後ろでポールの名を呼んだ。
 ポール・レイン・ドーマーは理性を取り戻した。落ち着き払って振り返ると、少し離れたテーブルで、ラナ・ゴーン副長官が手招きしていた。
ポールは、ファンクラブに「失礼」と一言だけ言って、自分のトレイを掴むとさっさと副長官のテーブルに移動した。