2016年9月8日木曜日

中央研究所 9

 ポール・レイン・ドーマーが素直に誘いに応じてやって来たので、彼はファンクラブから逃げたかったのだな、とケンウッド長官は悟った。
手招きしたラナ・ゴーン副長官が、彼女の向かいの席を指したので、ポールはそこに着席した。
おはよう、と言ってから、ケンウッドは既に判明していることを尋ねた。

「夕べは寝ていないのだろう、レイン?」
「横にはなりましたよ。」

ギルの部屋でギルのベッドで、ギルにハグされて横になっていた。肌には触らせなかった。疲れている時に他人の感情など感じたくない。

 ポール・レイン・ドーマーは接触テレパスだ。他人の肌に接すると、相手の感情を感じ取る。元気な時はコントロールが出来るから、何も感じないで済むが、疲弊している時は災難だ。相手の欲望、快不快、喜怒哀楽が怒濤のように彼の中に入ってくる。だから、ポールは疲れている時は心理的に安静状態の人間と一緒にいたい。相手の心が彼を安心させてくれるからだ。
 ゴーンがファンクラブの方をチラリと見て、言った。

「執政官の遊び相手をするのは、貴方の仕事ではありませんよ。」

 ポールは赤面した。上司たちは全てお見通しだ。長官と副長官は、昨日の午後いっぱいダリル・セイヤーズ・ドーマーの体を調べたはずだ。汚染された外気が肉体に及ぼした被害や細菌や放射線から受けたダメージなどを、頭のてっぺんから爪先迄、髪の毛1本も見逃さずに検査しただろう。当然、ポールがダリルに負わせた傷も見たはずだ。
 しかし、上司たちはそれには触れなかった。
ケンウッドが昨夜のダリルとの話し合いを聞かせてくれた。
ダリルの生殖細胞が持つ特殊性を人類復活に活用する計画を立てること、ダリルがそれを承知する条件として、息子には手出ししないでくれと要求したこと。幹部会がダリルの要求を呑んだこと。

「だから、セイヤーズはもう逃げ出したりしないと約束してくれたのよ。」

 ケンウッドもゴーンもポールが喜ぶものと思っていた。ところが、ポールは元気のない表情で、そうですか、と言っただけだった。
 ケンウッドとゴーンは互いの顔を見やった。ケンウッドは、ポールたちが管理局の上司に提出した報告書にまだ目を通していないことに気が付いた。彼はふと嫌な予感がして、ポールに尋ねた。

「レイン、セイヤーズの子供はどうした? ベーリングの娘もまだ保護していないのだな?」

 痛いところを突かれて、ポールは返事を躊躇した。 目を泳がせた彼を眺め、ゴーンは、これはただ逃げられただけじゃないわね、と思った。
 ポールが小さな声で答えた。

「見失いました。川で・・・」