2016年10月30日日曜日

新生活 19

 新しいアパートの部屋番はC−202だった。ジェリー・パーカーの告白内容を記録してケンウッド長官とハイネ局長に報告してから、ダリルとポールは新居に入った。ポールはラムゼイの手の感触を思い出してしまい、食欲を失ったので、夕食はテイクアウトの中華料理だ。
 運送班は、2人の荷物を3つのコンテナに詰めて居間に置いて去った後だった。寝具と衣料品と書斎にあった資料、台所用品数点だけだ。それらを収めるべき場所に収める作業をすると、やっとポールの食欲も戻って来た。
 ダリルは寝室が気になった。大小2部屋あって、大きな部屋はツインベッド、小さい方はシングルだ。2人用なのに、何故ベッドが3台もあるのか謎だが、ダブルベッドの部屋にも小部屋があってベッドがあると言うのだから、子供部屋を想定しているのだろうか。しかしドーマーは子育てしないのに。

「小さい方は客間だろう。」

とポールがお茶を淹れながら言った。料理に合わせて中国茶を淹れている。

「客って・・・泊まるような客がいるのか? ドームの中に住んでいる人間しかいないのに?」
「酔っ払えばドアの外に出るのも億劫な人間がいるだろうが。」
「すると、あの部屋は酔っ払い用なのか?」
「君もいちいちこだわるヤツだな。」

 ポールは春巻きに辛子をたっぷりと付けた。それをダリルの皿に載せた。

「喧嘩した時に、君が使えば良いじゃないか。」
「何故私が追い出されるんだ?」
「俺が上司だからだ。」

 ダリルは辛子を春巻きから取り除きながら、よくわからん理屈だ、と呟いた。

「それじゃ、こうしよう。」

 食事が終わる頃にポールが提案した。

「どちらかが女性を連れて来たら、残った方が小さい部屋を使う。」
「・・・よし、それで妥協しよう。」
「寝る前に音楽を聴く趣味はなかったな?」
「ない。」
「宜しい。では、今夜は一緒に寝よう。」

 ちょっと待て・・・

「ちょっと待て、それは別々のベッドで、と言う意味だな?」
「どう言う意味だ?」
「どう言う意味って・・・」
「今夜も拒むのか?」

 ダリルは溜息をついた。正直に言った。

「君が嫌で拒むんじゃない。今はちょっと心を読まれたくないんだ。」
「俺に秘密を持っているのか?」
「正直に言えば、イエスだ。だが、そのうちに秘密でなくなる。それまで待ってくれないか? 私はその秘密を押さえ込んだまま君と愛し合える自信がないんだ。」

そして優しく言った。

「私だって君を抱きたいんだよ。」
 
ポールはじっと彼を見つめた。メーカーから救出された日の夜、ローズタウンでダリルは彼の額にキスをしようとした。彼が拒み、手の甲にキスをさせた。あれ以来、ダリルは彼に触らせない。怒っているのかと思ったが、そうではなかった。
セント・アイブスで何かがあったのだ。時々ダリルが考え込んでいるのは、息子のことを心配しているのだとばかり想っていたが、そうではないらしい。

「だったら早く問題を解決してくれ。さもないと、また無理矢理やるぞ。」





新生活 18

 夕方近くになって、ポールのコンピュータにドーム維持班住宅課から連絡が入った。申請していた妻帯者用アパートへの転居を許可すると言うものだ。しかも「本日中に」と書いてある。住宅課は独身者用アパートに2人以上の人間が住み着くのを良しとしないのだ。ポールはダリルに伝える前に、運送班に引っ越し依頼を出した。保安課にも連絡を入れ、留守中に運送班が荷物を運び出せるように手配することも忘れない。保安課がドアを解錠してくれる訳だ。ポールの私物は少ないので、運送班は2,3時間もあれば仕事を終えるはずだ。ダリルの私物は服が数着あるだけだ。
 ドームの運送業者とも言える運送班は、存外多忙な部署だ。ドーマーや執政官達は部屋が気に入らないとすぐ引っ越しをする。どの部屋も造りは同じなのだが、隣人が気に入らないとか、窓からの風景が好きでないとか、些細な理由だ。それに執政官の離着任も少なくないので、そっちの仕事も多い。宇宙向けの荷物の梱包などお手の物だ。だから、ポールは彼等の手が空く夕刻のうちに仕事をしてもらえるよう、大急ぎで依頼した。
 引っ越しの手配を終えると、ポールはダリルを連れて中央研究所のクローン観察棟へ出かけた。ラムゼイの秘書だったジェリー・パーカーに面会する為だ。
 ジェリーはようやく落ち着きを取り戻し、病室から普通の観察室に移された。ポールとダリルが保安課員と共に部屋を訪問すると、彼はビーズソファに座ってテレビを見ていた。2人の遺伝子管理局員が近くに来ても振り返らなかった。ダリルが声を掛けた。

「やあ、ジェリー。気分はどうだい?」
「最低だね。」

とジェリーはテレビを見たまま答えた。

「体をあちらこちらいじり廻されて、細胞を採取されて、ウサギになった気分だ。」
「おまえが俺にやろうとしていたこと、そのままを執政官がやっただけだろう。」

ポールの声でジェリーが振り返った。

「脱走ドーマーに『氷の刃』か。おかしな組み合わせだなぁ。逮捕した者と逮捕された者が一緒に居る。」
「今はボスと秘書の間柄でね。」
「ふーーん・・・」

 ジェリーが2人を見比べた。そして、突然笑い出した。「何が可笑しい?」とポールが尋ねると、彼は笑いを抑えて言った。

「おまえ達、ライサンダーの両親だ! よく見ればあのガキ、おまえ達2人にそっくりじゃないか!! 今頃気が付くなんて、俺も馬鹿だなぁ・・・」

 ポールがダリルを見た。ライサンダーは俺に似ているのか?と目で尋ねる。その目が息子にそっくりなので、ダリルももう少しで吹き出しそうになった。慌ててジェリーに質問した。

「ジェリー、トーラス野生動物保護団体の会員で、博士を匿った人間は誰だ?」

 ジェリー・パーカーはまだラムゼイ博士が死んだ事実を知らされていない。そんなこと、言えるかよ、と笑った。団体の名前を遺伝子管理局に知られたことも、しらばっくれるつもりだ。管理局がはったりを利かせてきたと思っているのだ。
 ダリルはポールを見た。真実を告げるべきか?と目で問うた。ポールが頷いた。
ダリルは一息ついてから、言った。

「ジェリー、博士は亡くなったんだ。トーラスの誰かに暗殺された。」

 ジェリーの笑い声が止まった。一瞬、時間が止まったかの様な沈黙があり、それから、「嘘だ!」と叫び声が上がった。
 ジェリーは立ち上がり、一番近くにいたダリルに飛びついた。しかし、ポールと保安課員が彼を捕まえた。ジェリーが喚いた。

「嘘だっ! 博士が亡くなったなんて、そんなことがあって堪るか!」
「本当なんだ、ジェリー。私の目の前で彼は死んだ。重力サスペンダーの誤作動で、事故死したと思われたが、警察の鑑定でサスペンダーのモーター部分に誰かが細工をしていたことが判明した。」
「嘘だ・・・嘘だ・・・」

 ジェリーの体から力が抜けたので、ポールと保安課員は彼を抑えていた手を離した。
ジェリー・パーカーは床の上に座り込み、呆然と宙を見つめた。
 ポールが彼の横にかがみ込んで話しかけた。

「パーカー、ラムゼイはリンゼイと名乗ってトーラス野生動物保護団体の会員になっていたな? そこにいるセイヤーズと、もう1人の局員が団体幹部と交渉して、リンゼイを団体本部へ呼び出した。ラムゼイは素直に正体を明かして、局員の前で演説をぶっていたそうだ。そして、場所を移動しようと重力サスペンダーを操作した途端に、機械が誤作動を起こして、爺さんを天井へ叩きつけた。誰にも救えなかった。即死だったそうだ。
 サスペンダーのモーターが彼が入室した当初から異常音をたてていたと言う証言がある。うちの局員が聞いたのだ。微細な音だが、彼は聴力が良い。爺さんは気が付かなかった。恐らく、普通の人間では気が付かない異常音だったはずだ。だから、爺さんは機械に細工されたことを知らなかった。爺さんのサスペンダーに近づけた人間が犯人だ。」

 ジェリーがポールを振り返った。

「博士にとって、重力サスペンダーは脚だ。他人には触らせない。俺だって触ったことはなかった。」
「しかし、メンテナンスで部品交換はしただろう?」
「俺は部品の店に行ったことがない。メンテナンスは何時もセント・アイブスの店に任せていた。店の人間は調べたのか?」

この問いにはダリルが答えた。

「『スミス&ウォーリー』はオーダー通りに部品を発注して、販売しただけだ。取り付けはしない。最近になってオーダーした人物は、ダフィー・ボーと言う男だ。」
「モスコヴィッツの秘書だな・・・」

 ジェリーがよろめきながらも立ち上がった。

「あいつら、博士が追い詰められたと知って、証人を消しやがった・・・」
「あいつら、とは?」
「博士に自分達のクローンを創らせて、脳を若い肉体に移植しようと企む狂ったヤツらよ。」

 ポールが一瞬顔を歪めて、ジェリーから離れた。ダリルが彼を見ると、彼は今にも吐きそうな顔になっていた。

「どうした、ポール?」
「ラムゼイが俺に触った時に、感じたのは、それだ・・・」






新生活 17

 ポールのオフィスで普通に仕事をするのは初めてだ。執務机にポールが居て、秘書机にダリルが居る。時々職員からオフィス宛で電話が掛かってくるとダリルが取り次ぎ、ポールに廻す必要がないと判断すると自分の裁量で返事をする。ポールから特に物言いが付かないので、取り敢えずは順調の様だ。たまに内勤当番の局員が用事で面会を求めてくる。これはポールから却下の合図がなければ全員通す。
 そんな風に仕事をして、昼食をはさんで午後も同じ。2時過ぎに電話も面会希望も途絶えてちょっと暇になった。
 ダリルは端末を出した。

「チーフ」

と仕事中なので肩書きでポールに声を掛けた。

「ちょっとドーム外へ私用電話を掛けて良いですか?」

 ポールは書類に目を通したまま頷いた。ダリルはセント・アイブス警察に電話を掛け、スカボロ刑事を呼び出してもらった。ラムゼイ殺害事件の捜査の進展具合を尋ねた。
スカボロ刑事は、重力サスペンダーを分析させて、バネの一つが通電しない物質で作られていることが判明した、と言った。それは小さな部品で見た目は金属なのだが、実際は絶縁体と同じ成分のセラミックだった。どこで製造され、何時ラムゼイの重力サスペンダーに取り付けられたのか、調べているところだと言う。

「もっとも、ラムゼイが死ぬ前に何処に隠れていたのか、それすらわかっていないんだがね。」

とスカボロ刑事がぼやいた。

「トーラス野生動物保護団体はセレブの集まりだから、なかなかメンバーに会えなくて困るんだ。殺害現場に居合わせた4人には街から出るなと足止めしてあるが、部屋の外に居たのが誰と誰かなんて、教えてもらえないし。」

 大きな進展があれば、また連絡するよ、と言ってスカボロ刑事は自分から電話を切った。
 次に、セント・アイブス出張所に掛けた。所長のリュック・ニュカネンは所内に居て、不機嫌な声で電話に出た。ダリルは先日世話になった礼を言ってから、ラムゼイが連れていた「ジェネシス」シェイの行方がわかったかどうか、尋ねた。ニュカネンは不機嫌な声
で答えた。

「セント・アイブスは全人口に対する女性の比率が他所より高いんだ。女1人増えたって、誰も気にも留めない。画像のない女の行方など捜せると思うのか?」
「そっちの警察に逮捕したラムゼイの手下達が大勢居るだろう? そいつらにモンタージュを作成させろよ。」
「私に指図するな、そんなことぐらい、さっき思いついた!」

 ニュカネンも先に電話を切った。彼の喚き声が聞こえたのか、ポールが書類に署名をしながら呟いた。

「相変わらず度量の小さい男だな。」
「彼は慎重過ぎるんだよ、独りで妻子を守っていかなきゃならないから。」

 まだ仕事に追いかけられる気配がないので、もう1件、電話を掛けた。山の家だ。
ライサンダーが帰宅していることを期待したが、電源が切れたのか、呼び出しが鳴らない。
 仕方がないので、街の保安官に電話を掛けた。保安官とは長年親しくしていたのだ。
遺伝子管理局の「指名手配」は刑法上の犯罪者ではないので、警察関係には廻っていなかった。ダリルが名乗ると保安官は喜んだ。

「ダリル、一体何処に居るんだ? 君の家がメチャクチャだと郵便屋に教えられて飛んで行ったんだぞ! 畑は全滅だし、家の中は踏み荒らされているし・・・特に畑は重い物で押しつぶされたみたいだ。何があったんだ?」
「あー・・・ちょっとUFOに襲われてね・・・」
「まさか、コロニー人が襲来したなんて言うなよ。」

 ダリルは少し躊躇ってから告白した。

「実は、息子の葉緑体毛髪が遺伝子管理局に見つかってね・・・」

 保安官が少し沈黙した。彼はライサンダーが違法出生児だと知っていた。田舎ではメーカー製造のクローンを育てている人間が多いのだ。警察だって「うっかり」見落とすことがある。

「それで、逃げ通せたのか?」
「今も逃亡中なんだ。」

 ダリルは自身が遺伝子管理局に捕まったとは言えなかった。10年以上嘘をついてきた友達に今更真相を明かす勇気が出なかった。

「ライサンダーとはぐれてしまって。そっちに戻っていないかと思ったんだが・・・」
「いや、見かけていないな。でも、もし見つけたらうちに置いてやるよ。」
「すまない、でも出来れば家に帰れと言ってやってくれないか。あの子は独りでもやっていけるから。18歳になれば成人登録されて逃げる必要もなくなる。」

 電話を切って、思わず深く溜息をついた。ライサンダーは何処に行ってしまったのだろう? 可愛い息子。綺麗な子供なので、なおさら心配だ。悪い奴に捕まって男娼として売り飛ばされたりしていないだろうか?
 ふと顔を向けると、Y染色体の父親と目が合った。

「あのガキ、家出したのか?」

とポールが、父親としては無神経に尋ねた。ダリルは心配で溜まらないことを冗談ごかしに言われたくなかったので、別方面で彼を攻撃してみた。

「君は、私を捕らえた時、ヘリを何処に降ろしたんだ?」

 ポールはすっかりそんなことは忘れていた。寧ろヘリを話題にされると自身が拉致されそうになった事件を思い出す。忌まわしい牛との押しくらまんじゅうとか、ラムゼイ一味から受けた屈辱とか・・・彼はぶっきらぼうに答えた。

「決まってるじゃないか、平らな場所だ。」

 そして彼も別の話題で話しを逸らそうとした。

「ラムゼイの人脈を探りたい。上流階級の中にクローン製造に関する不穏な動きがある様に思える。ラムゼイが俺に触った時に、政界の人間の画像が幾人か見えたんだ。彼のシンパなのか敵なのか、わからん。俺が判別出来た人間から順番に当たっていこうと思う。」
「捜査するのか? 私も参加させてもらえるか?」
「勿論だ。君も深く関わっているじゃないか。」

そして、彼はとんでもないことを言った。

「先ず、手始めに、大統領の母親を尋問する。出来れば大統領一家の思考を読めたら言うことなしだ。アメリア・ドッティに連絡を取れるか?」

 ダリルは危うく手にしていた端末を床に落とすところだった。







新生活 16

 翌朝、ダリルとポールは朝食を摂る為に研究所の食堂へ行った。チームリーダー達も一緒だ。ドーマー達が集合している時は、ファンクラブも寄って来ない。それに集まっている面子を見れば、仕事の打ち合わせを兼ねた朝食会だとわかる。
 クラウスは今回近場の都市を廻るので時間に余裕があるが、朝食は既にアパートで妻と済ませてきたので、珈琲だけだ。2チームは内勤の日で、3チームが外に出かけるのだが、第4チームは昨日から泊まりがけの支局巡りでドーム内に居ない。ダリルは秘書らしく全チームの予定を読み上げてチーフの確認を取った。
 打ち合わせはそれだけだ。仕事内容は局員各自でスケジュールを立てているから、特別な行動を取る以外は何も話し会う必要はない。集まって朝食を摂りたいと言う、ただそれだけの打ち合わせ会だ。

 ドーマーは家族だから

 第5チームのジョージ・ルーカス・ドーマーが、例のパパラッチサイトをチェックした。撮影が趣味なので、パパラッチの仕事の出来映えが気になるのだ。

「今朝のアクセス数ナンバー1は、『レインVSセイヤーズ、レインは勝利するもキスを奪えず!』ですね。」
「はぁ? そんなものまでアップされているのか?」
「素晴らしい動画ですよ。また『海賊屋』が投稿者に無断でダウンロードしてチップで売り出すでしょう。」

 ドーマーの中に、執政官相手に動画や画像の海賊版を販売する『闇商売』をしている人間がいるのだ。幹部は取り締まろうとするのだが、なかなか正体を掴めない。購入する人々の口が固いせいだ。

「アクセス数ナンバー2は、『キャリー・ワグナー先生のドレス姿』、うん、いつ見ても彼女は美人だ!」
「そんなの見なくて良いよ、ジョージ。」
「いいじゃないか、減るもんじゃなし・・・それにチーフがデートしてるなんて、滅多に見られないぞ。」
「ぬあんだってぇ?」

 全員が一斉に各自端末を出した。ポールまでもが慌ててサイトを開いた。10枚の連写画像で、ワグナー夫妻をダシにして隠し撮りした、正にパパラッチ画像だ。JJがポールの腕に手を掛け、2人は親しげに顔を近づけて見つめ合っている・・・

「これは誤解だ。」

とポール。

「ただの会話だ。彼女は声を出せないので、接触テレパスで話し掛けてくるんだ。」
「へー・・・」
「ふーん・・・」
「ファンクラブはそうは取らないでしょうね。キエフも・・・」
「ヤツの名を朝っぱらから出すな。」
 
 ダリルは笑ったが、最後の画像を見て凍り付いた。
カウンター前で、副長官と立ち話している場面を撮られていたのだが、ダリルの視線がラナ・ゴーンの胸に向けられている、と取れる角度だった。彼の方が身長があるので、どうしても見下ろすと彼女の胸の谷間が見えたのは確かだ。

「『セイヤーズ、やっぱり山が恋しいか?』だって・・・何処見てたんだ、セイヤーズ?」

 ジョージ・ルーカスがニヤニヤ笑った。ポールの方はからかう気力を失っているみたいで、JJが危険に晒されなければ良いが、と心配している。


新生活 15

 JJは無邪気にポール・レイン・ドーマーに対する彼女の感情を表現した。彼女は生まれたから世間に隠されて育てられた。知っている男性と言えば、両親の仕事仲間のメーカーたちばかりだった。ポールはメーカーではない、彼女が初めて接した異色の人間の1人だ。だから、ポールは彼女の感情を接触テレパスで知っても素直に受け入れられない。彼女が純粋故に、彼女を何時か傷つけるのではないかと恐れているのだ。

 つまり、ポールもJJが好きなんだ!

 ダリルは親友且つ恋人である人間の心理状態に思い当たり、当惑した。ダリルもポールも互いが異性を好きになることに対して抵抗がない。それが生物として自然なことだと、幼少時からみっちり教育されているからだ。もし、ポールが人妻であるキャリーに恋愛感情を抱いても、ダリルは驚かなかっただろう。しかし、実際は、ポールはJJに心を動かされている。多分、人質になっていた時間に、トラックの荷台で2人はずっとテレパシーで交流していたのだ。邪心のない、素直な感情で数時間一緒に過ごしていた。彼女が好きだから、ポールはこのディナーの席で緊張しているのだ。周囲に自身の感情を気づかれまいとして。
 ダリルの当惑は、2人の歳の差が原因ではない。JJは特殊な誕生の仕方をした。だから、ドームは彼女を研究対象と見なしている。彼女の恋愛を認めるだろうか? しかも、ポール・レイン・ドーマーと言う男も、ドームにとっては特別な存在だ。遺伝子的にも、政治的にも、能力的にも。ドームは、ポールの妻帯にも口出しするはずだ。勝手に恋愛するなよ、と。男同士なら自由を認めるが、女性はドームが決める。
 ラナ・ゴーン副長官は、ただのJJのご機嫌取りでこのディナーをセッティングしたのだろうか? それともドームは2人の交際を認めるつもりなのか?
 ダリルは副長官の表情をそっと伺った。ラナ・ゴーンはJJではなくポールの反応を観察している様に見えた。
 食事が始まると、JJはワグナー夫妻にドームの中の生活についていろいろ質問した。無口になったポールと、ドームに復帰して間もないダリルより、夫妻に尋ねた方が役立つと賢明に判断したのだ。子供っぽいが、大人の片鱗も見せる彼女の言葉にキャリーは面白がっているし、クラウスも会話を楽しんでいる。ポールは時々話を降られて渋々応答する。
 ラナ・ゴーンが飲み物の追加を取りにカウンターへ立ったので、ダリルは手伝いましょう、と追いかけた。
 トレイにグラスを並べる彼女に声を掛けた。

「ポールとJJをカップリングさせるおつもりですか?」

 ラナ・ゴーンが彼をちらりと見た。

「彼氏を盗られるのは嫌なの?」
「そんなんじゃなくて・・・」
「JJの友達は、今のところ、あのテーブルに居るメンバーだけなのよ。だから、彼女の精神を安定させる為に、今夜の会食をセッティングしただけ。」
「本当にそれだけですか?」
「レインの反応を見たかったのは確かよ。彼はケンウッド長官に事件当時の証言をした時、何故かJJの話題だけは避けたの。長時間トラックの中で一緒に居たのに変だと長官は感じて、彼の心理を分析したくなったのね。」
「彼の心理分析なんかして、どうなさるのです?」
「レインは貴方だけでなく、女性も普通に愛せるとわかったわ。」
「それはどう言う・・・?」
「愛する人間がドームの中に2人も居ると言うことは、彼は外へは出て行かない。」
「JJと私が足枷だと?」
「彼の大切な人達と言うことよ。」

 ラナ・ゴーンがダリルの目をまっすぐに見た。

「レインをアーシュラに会わせると良いわ。彼は絶対に戻って来る。」



新生活 14

 午後8時、中央研究所の食堂は適度に賑わっていた。一般食堂と違って執政官や幹部級のドーマーが利用するので、女性の姿が多く、華やかな印象を与える。
 ダリルはまだ単独でこの食堂には入れないが、ポールと一緒なので気兼ねなく利用出来る。クラウスはチーム・リーダーなので問題ないし、妻のキャリーは医療区の医師だから当然利用する権利を持っている。キャリーはこの会食に出る男性3人と幼馴染みだ。彼女はクローンだが取り替え子に出されずにドームに残されてドーマーとして育てられた。理由は明かされていないが、考えられるのは、取り替え子になるはずだった男の赤ん坊が誕生直前に死亡する場合だ。出産予定日に合わせてクローンの女の子を育てるので、肝心の胎児が死んでしまうと予定が狂う。同日に誕生する子供と急遽交換、と言う訳にはいかないのだ。何故なら、取り替え子となる女の子は、両親のどちらかと血縁関係があるコロニー人から提供される卵子から創られるからだ。決してドームは無計画に子供を創っているのではない。
 女性ドーマーは大変人数が少ないので、男性ドーマー達にとって彼女達は高嶺の花だ。ドームの外で男性達の多くが独身なのと同じ理由だ。だから、クラウスはとても幸運な男だ。キャリーと恋愛して、ドームから許可されて彼女を娶った。この夫婦に子供が出来れば、ドームは取り上げてしまうだろう。それがドームのルールだ。だから、クラウスとキャリーは子供を作らない。しかし、ダリルがドームに帰ってきたことが、夫婦の間にちょっとした波紋を生じさせていた。

「子供を育てるって、愉しいですか?」

キャリーがテーブルの主賓を待つ間にダリルに尋ねた。ダリルは頷いた。

「愉しいよ。子供は毎日成長して変化するし、面白い発見だらけだ。それに友達でもあるし、同士でもある。」

 自分で子供を育てないドーマーには想像がつかない。しかしキャリーは母性本能をくすぐられたのか、興味があるようだ。精神科の医師なので、「聖地」で出産に立ち会うことはないが、母親達のメンタルケアはするので、自身も出産を体験するべきだとも思っている。
 ポールはあまり興味なさそうにダリルと夫婦の会話を聞き流していた。テーブルの主賓はまだかな、と思った時、彼の後ろで機械的な女性の声が響いた。

「ダリル父さん!」

 ダリルはその声がした方を振り向き、笑顔で立ち上がった。彼に向かって少女が全力疾走してきて、飛びついた。

「JJ、君が今夜の主賓だったのか! 驚いたな、ポールは何も言わないから。」
「私も驚いたわ。父さんに会えるなんて思わなかったもの。」

 ダリルは彼女のこめかみに付いている小さな端子に気が付いた。彼女は小さな黒い箱を胸ポケットから出して見せた。

「これで喋ってるの。脳波を拾って音声に翻訳してくれるのよ。」

 彼女からかなり遅れてラナ・ゴーンが現れた。

「人工声帯を付ける方法も考えました。でも、JJは呼気を使って声を出すことを知らないので、その訓練から始めないといけません。彼女がここの環境に慣れてから、コミュニケーションの手段を選択してもらうことにして、当面は翻訳機を使ってもらいます。」

 ダリルは、今朝彼女がポールに頼み事をした内容が、この会食だったのだと気が付いた。副長官はJJをリラックスさせる為に、少女と親しくなった人々を食事に呼んだのだ。クラウスはローズタウンからドームへ来る機内でJJの世話をしてくれたし、キャリーは副長官と共に、観察棟に入ったJJの心理的緊張をほぐす役目を担当している。
 しかし、ポールの緊張はどうしたことだ? ダリルとワグナー夫妻を誘っておきながら、当人は食堂に入ってから大人しい。
 JJが椅子に座りながら尋ねた。

「ライサンダーはいないの?」
「彼はドームに来なかったんだ。」

 ダリルは、息子もここに居れば良かったのに、と残念に思った。ライサンダーをドームの研究対象にされたくないが、やはり手元に置きたい。しかし、息子は自分の意志で去って行った。ドームに来ることを拒み、ドームに繋がれてしまった父親に愛想をつかして・・・。
 JJはもう片方の隣に座っているポールの腕に手を当てた。ポールがびくりとしたのをダリルは見逃さなかった。翻訳機がJJの言葉を音声にした。

「もう体調は良いの? Pちゃん?」
「Pちゃん?」

クラウスが驚いてポールを見た。キャリーとラナ・ゴーンはくすくす笑っている。

「だから・・・その呼び方は止めろ。」

 ポールが呻く様に注意した。ダリルは既にこの呼び方を知っているので、微笑んで見せた。

「JJ、聞かれて困る思考の場合は、翻訳機の電源をオフにしなきゃ駄目だよ。」
「あっ、そうなんだ!」

 JJは翻訳機に手を触れた。彼女は沈黙した。そしてポールの腕に再び手を触れた。
ポールは困惑して、彼女に言った。

「俺は仕事があるんだよ、毎日君の希望通りに付き合うのは無理だ。」
「え? 何だ?」

ダリルが尋ねると、JJが翻訳機の電源を入れた。

「デートに誘ったら、断られちゃった。」

 クラウスとキャリーが目を丸くした。ポール・レイン・ドーマーが10代の少女に口説かれようとしている!
 ダリル父さんは、取り敢えず娘を手元に置いておきたい父親の立場を取ることにした。

「JJ、その男は父さんと同い年だ。君が付き合うには歳を食っている。交際は許さない。」
「でも、好きなんだもん。」

 ダリルは素早くテーブル周辺に目を配った。ポールのファンクラブの耳に入ったら、ちょっと厄介だ。それでなくても、パパラッチやストーカーがポールの周辺をたむろしていると言うのに・・・


2016年10月29日土曜日

新生活 13

 ジムはまだ日中と言うこともあり、空いていた。非番の遺伝子管理局の局員が数名と、夜勤に出る前の保安課員、それから数人のドーム維持班のメンバーが体力調整で運動をしているだけだった。
 ダリルとポールは運動着に着替えて、暫くの間、銘々で筋力トレーニングをした。ダリルは医療区で水泳をしていたが、筋トレは久し振りだ。若い頃より早く息が上がって、リハビリをもっと真面目に受けておくべきだったと後悔した。
 ポールがやって来て、マーシャルアーツの闘技場が空いているので、胴着に着替えて対戦してみないかと誘った。子供時代から2人はよく取っ組み合いで喧嘩した。仲良しだが、喧嘩も派手だった。成長すると、それが闘技の訓練に変化した。
 彼等は再び着替えて、闘技場に立った。

「何か賭けるか?」

とポールが聞いた。ダリルは考えた。

「君が負けたら、支局巡りの時に胸をときめかせた女性の話をしろよ。」
「そんなの、いるもんか。」

 結局、勝利のご褒美を決めないまま、2人は格闘技を開始した。ダリルは相手の動きを最初に組み合った段階で読めてしまう。だからポールは組み合ったら絶対にダリルの体から離れない。手を離したら最後、2度と捕まえられないからだ。2人は絡み合い、何度か投げを打ち合い、堪えて、やり返し、と繰り返した。
 なかなか勝負がつかない。流石にダリルの「老体」が弱音を吐き始めた。足が滑りそうになって力が一瞬緩んだところを、床に押し倒された。咄嗟に寝た姿勢でポールを横へ投げた。セント・アイブスの安ホテルでライサンダーに投げられた、あの技だ。ポールは投げられはしたものの、すぐに受け身の態勢で床の上に落ち、体を反転させて起き上がった。まだ上体を起こしたばかりのダリルに再びとびかかり、今度は腕を押さえつけて動きを封じた。ダリルは逃れようともがいたが、無駄だった。気が付くと、ポールがキスを奪おうと迫っていた。ダリルは叫んだ。

「止せ、みんなが見ている!」

 ポールが動きを止めて、顔を上げた。いつの間にか闘技場の周囲にはトレーニング中だった人々や、外から噂を聞いてやって来た人々が集まっており、2人の勝負の行方を見守っていたのだ。
 息を弾ませながら、ポールが囁いた。

「俺は見られてもかまわんが?」
「私は嫌だ。負けてキスされるのは御免だ。」
「相変わらず、気難しい男だな、君は。」

 ポールが体の上から降りてくれたので、ダリルはやっと体を起こせた。
ポールは立ち上がり、観客に向かってお辞儀をした。闘技場に笑い声と歓声が上がった。
ダリルが胴着の着崩れを直しているのを見て、ポールのファンクラブの面々が囁き合った。

「何故ポールがアイツに夢中になるのか、わかったような気がする。」
「うん。ポールと互角に戦えるヤツなんて、今までに居たか?」
「それにセイヤーズって、かなり色気があるよな?」
「僕は、あのままポールが彼を襲うのかと期待してしまったよ。」
「マジか? 公衆の面前だぞ。」

 ダリルはシャワーを浴びてロッカールームへ行った。先に戻っていたポールが着替えながら声を掛けた。

「さっき、俺を投げ飛ばした技はどこで覚えた?」
「ライサンダーからだ。」
「ほう・・・」

ポールが愉快そうに彼を見た。

「要するに、君は息子に投げ飛ばされたんだな?」
「わかってて言うな。」

ライサンダーはポールに投げ飛ばされたのだ。



2016年10月28日金曜日

新生活 12

 ポール・レイン・ドーマーがメーカーに捕まっていた間に山積みに溜まった仕事を片付けると、既に午後2時前になっていた。ポールはダリルとクラウスを連れて一般食堂へ遅い昼食に出かけた。時間をずらせたので、面倒な連中と出会わずに済むと思ったが、世間は甘くなかった。
 3人がテーブルに着いて間もなく、ポールのファンクラブが現れ、周辺のテーブルに散開するかの様に座った。クラウスがダリルに「無視して」と注意した。
 ファンクラブは大人しかった。順番にポールに無事生還したことを喜んでいると挨拶に来たり、クラウスにも声を掛けたが、ダリルには他所他所しかった。ダリルは脱走前のファンクラブはもっと礼儀正しかったなと思ったが、口に出さなかった。

「連中は君を警戒しているんだ。」

とポールが普通の声で言った。周囲に聞こえても気にしない。

「殆どの執政官がこの10年以内にアメリカ・ドームに着任している。君がここに居た頃の人間は数える程しかいない。今その辺りにたむろしている連中は、君が未知数なので様子を伺っているのさ。」
「そのうちに慣れるさ。」

 ダリルは昔同様執政官が何を思うと気にしないことにした。これから死ぬ迄ここで暮らすのだ。いちいち気にしていたら、鬱になってしまう。
クラウスが少し声を低くして話しかけた。

「あの人たちは、ダリル兄さんが恐いんですよ。」
「どうして?」
「ギル博士をぶん殴ったでしょう?」

 ポールはダリルが記憶を削除された期間の出来事だと気が付いた。ファンクラブは敢えて彼に事件を教えなかったが、鼻を腫らしたアナトリー・ギルにポールは出遭っていた。どうしたのかと尋ねたら、ギルは転んだと答えたのだ。ダリルは理由なしに他人を殴ったりしない。ギルはしてはならないことをしたはずだ。
 ポールはクラウスに尋ねた。

「ギルは何をやったんだ?」
「保安課の監視役から聞いた話ですが、ギルは道ですれ違いざま、ダリル兄さんの腕を掴んだそうです。」
「いきなり掴んだのだな?」
「らしいです。」
「馬鹿なヤツ。」

 ポールはダリルを見て笑った。俺の恋人は優しい見かけと違って中身は猛犬だぞ。
ダリルは記憶を無くした期間の話をされると不愉快になるので、聞こえないふりをした。

「飯を食ったら、夜迄何をするんだ?」
「定時報告をチェックして、それからジムへ行く。昨日迄寝ていたから、体を動かさないと歳を取った気分だ。」
「僕は明日の出動の準備をしますよ。それからアパートに帰って、着替えて、キャリーと合流します。」
「それじゃ、私も夕方迄仕事だな。」
「駄目だ、君は俺と一緒にジムへ行く。」
「何故だ? 他のことをしても良いだろう?」
「当分は1人で行動させたくない。」

 ポールは目で食堂の入り口を指した。ダリルが後ろを振り返ると、見覚えのある髭面のドーマーがキョロキョロと中を見廻しているのが目に入った。

「あの男には注意して下さい。」

とクラウスが囁いた。

「ポール兄さんのストーカーです。ファンクラブの執政官ともしょっちゅう揉め事を起こしてます。僕のチームに居るので、明日は外へ出かけますが、ドーム内に居る時は要注意です。」

 アレクサンドル・キエフ・ドーマーが、ポールを発見した。まっすぐこちらへ歩き出したが、ファンクラブも直ぐに気が付いた。それ迄ダリルに対して不快な視線を浴びせていた連中が一斉に立ち上がり、アイドルをストーカーから守る為にキエフの前に立ち塞がった。

「サーシャ、衛星は休みなく地球の周りを飛び回っているぞ。ここで油を売っていて良いのかな?」

 キエフが何か喋っていたが、執政官達がわいわい声をたてるので、ダリルには聞き取れなかった。
 ポールはファンクラブに特に感謝の気持ちもないようで、食事が終わったことを確認して、仲間に「行こう」と声を掛けた。




2016年10月27日木曜日

新生活 11

 ダリルは初めてポール・レイン・ドーマーのオフィスに入った。思っていたよりも広くて綺麗な部屋だった。中央に会議用の丸いテーブルがあり、3次元映像を利用出来る仕組みになっている。テーブルの周囲には移動可能な椅子が数脚。ポールの執務机はその奥にあり、秘書机は入り口の左側。本来なら秘書用のスペースを仕切るはずだが、今まで秘書がいなかったので、仕切りを設けていないだけだ。 
 執務机の右奥に仕切りがあって、その向こう側に簡易ベッドとお茶道具を揃えた棚がしつらえてあるのを見て、ダリルは彼のアパートが何故殺風景なのか理解した。ポールはオフィスに住み着いているのだ。恐らくアパートの部屋は、クロゼット扱いなのだろう。
 秘書机にクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが着いていたが、ダリルが入室すると、立ち上がって席を譲った。時間の無駄を避けて、すぐに仕事の説明を開始する。
秘書の仕事は、ドームの外で支局巡りをするチームからの報告の整理や、支局から送られてくる婚姻申請、成人登録、妊婦の経過報告、養子縁組申請などの書類の整理・処理だ。
それらを仕分けて各チームの担当者のオフィスへ転送する。局員との面会希望申請も同様だ。その中で緊急を要するものや重要度の高いものを秘書判断でチーフ・レインのコンピュータに転送する。
 この細かい作業を今までポールは秘書を置かずに1人で(たまにクラウスも手伝うが)やってきたのだ。部屋に住み着かなければ、こなせないだろう。
 クラウスが各支局、各局員のパスワードを入力して教えてくれた。紙には書かない。ダリルが一見で記憶出来るのを承知しているからだ。
 一通り説明が終わったところで、クラウスは画面のメッセージ機能を出して、文を打ち込んだ。

ーーボスがご機嫌斜め。原因は?

 ダリルはチラリとポールを見た。ポールは無表情で自身のコンピュータの画面を眺めている。

ーー知らない。長官の部屋では普通だった。

 そう言えば、副長官がポールに何か用があると言っていたな、と思い出した。その時、不意にポールが声を掛けてきた。

「クラウス、今夜は予定があるか?」
「いいえ。空いてます。」
「キャリーのシフトはどうだ? 彼女も非番か?」
「非番のはずです。」
「俺が奢るから、夫婦で夕食に付き合え。」
「え? 良いですよ。何時に何処で?」
「8時に中央研究所の食堂だ。ダリルも一緒だ。」
「え? 私の予定を勝手に決めるなよ。」
「他に予定があるのか?」
「・・・ない。」
「だったら、四の五の言わずに俺に従え。」
「横暴なボスだな。」

と言いつつ、ダリルは笑った。子供時代のガキ大将がそのまま大人になっている。
クラウスの方は早速愛妻に電話を掛けて、外食の予定を告げている。
何故かポールは溜息をついて、再び画面に視線を向けていた。今夜のディナーはただの親睦会ではないな、とダリルは感じた。

2016年10月26日水曜日

新生活 10

 ダリルはアーシュラ・R・L・フラネリーが気の毒に思えてきた。彼女の息子は、彼女の夫が政界での夢を叶えるための人身御供としてドームに与えられたのだ。接触テレパスの彼女は、何故息子が奪われたのか、その理由も知ったはずだ。夫やドームの嘘も、嘘と知りつつ、子供を返せと嘆願し続け、無視されたのだ。それでも夫と別れなかったのは、手元に残った長男と取り替え子の娘の為だったのだろう。

「我々はフラネリーに、妻を説得せよと何度も勧告した。もしアーシュラがドームの中で行われている取り替え子の事実を公表すれば、地球上は大混乱になる。フラネリーは口で、テレパシーで、何度も彼女に説いて聞かせた。彼女は、世間では騒がなかった。ドームの機能や目的は理解出来たのだ。
 彼女は長男ハロルドが父の後を継いで政界に出ると、大人しくなった。息子を守る母親の立場に居ることが忙しかったのだ。ドームはハロルドを支援し、彼を大統領にまで行かせた。
 この10年近く彼女は黙っていたのだ。それが今になって君に息子との面会を要求するのは、これが最後のチャンスだと考えたに違いない。」
「私は彼女と約束してしまいました。面会か、または離れた所から顔を見せると言う約束です。ラムゼイ逮捕を焦るばかりに、軽率だったと思います。しかし、彼女の気持ちもわかるのです。」

 ケンウッドがダリルを見た。

「君は父親だからなぁ」

と彼が呟き、ハイネ局長が溜息をついた。

「ラナ・ゴーンだったら、アーシュラにレインを会わせろと言うでしょうな。」
「だが、レイン本人はどうかな。彼の頭は生粋のドーマーだからな。親の気持ちは理解出来ないだろう。」
「あ・・・でも・・・」

ダリルは声のトーンを落として言った。

「レインは、私の息子には親だと自ら示しましたよ。」
「示した?」
「テレパシーのエコーで・・・」

長官と局長が顔を見やった。両人とも同じ想像をしたので、少し顔を赤らめた。

「つまり・・・レインは君の息子とキスをしたのだな?」
「私は見た訳ではありません。息子が教えてくれたのです。息子はレインの行動の意味を理解出来なかったのですが。」
「それは・・・大いに戸惑ったことだろう。」
「長官、レインをアーシュラと会わせても良いでしょうか?」
「駄目だとは言えない。」

 ケンウッド長官は、ドーマーが親恋しさにドームから去るとは思えなかった。

「会わせるのは良いが、ドーム内では打ち明けるな。多分、レインは拒否するはずだ。それでは、君の顔が立たないだろう? 
 何か任務を与えるから、それを口実にして面会にこぎ着けろ。会わせてしまえば、双方大人だ、何とか折り合いをつけると期待する。」


新生活 9

 ケンウッド長官の用件が終わった様子だったので、ダリルはもう一つ思い切って相談することにした。その為には、この場に居てもらっては困る人物を追い払わねばならない。

「長官、ちょっとプライベイトなご相談があります。」
「相談?」
「私個人のものではなく、外に居るときにある女性から頼まれたのですが、長官のご意見をどうしても伺いたくて・・・」

ダリルはポールをチラリと見た。

「本当に個人的な話なんだ、ポール。後で必ずオフィスに行くから先に局へ帰っていてくれないか?」
「私も出て行った方が良いかしら?」

ラナ・ゴーンが既に腰を浮かしかけながら尋ねた。彼女の意見がこの件に必要とも思われなかったので、ダリルは「申し訳ありません」と謝った。副長官は特に気を悪くした風でもなく、立ち上がるとポールを促した。

「私は貴方の方に頼みたいことがあるのよ、レイン。」

 ポールは渋々立ち上がり、長官と局長に黙礼した。ケンウッドが「朝から呼び出してすまなかった」と労った。
 ポールとラナ・ゴーンが部屋から出て行くと、ハイネ局長が「私は良いのか?」と問いたそうな顔でダリルを見た。ダリルは彼に頷いた。

「さて、どんな相談かな?」

 ケンウッド長官は何となく予想がついていた。ダリルがポールを追い払いたい話題は恐らく「あの件」だろうと。
 ダリルは腹をくくって語った。

「今回、ラムゼイを隠れ家から誘い出す為に、ある女性の協力を頼みました。彼女とはドームで知り合いました。長官はご存じのはずです。」
「アメリア・ドッティだな?」
「そうです。ですが、彼女はラムゼイの知人ではありません。彼女の伯母がラムゼイと同じトーラス野生動物保護団体の会員なのです。それで、アメリアに頼んで彼女の伯母に面会したのです。ラムゼイと会う手筈を整えてもらうのが目的でした。」
「その伯母と言うのが、大統領の母親、アーシュラ・フラネリーと言うことだな?」

 ケンウッドは予想が当たって、少しうんざりした表情になった。ハイネ局長が天井を仰いだ。

「アーシュラか! あの女性はまだこだわっているのか?」

 ケンウッドがダリルに確認した。

「彼女は君にドームに盗まれた子供の話をしたのだろう?」
「ええ・・・そうです。」

 やはり幹部達はアーシュラの訴えを知っていたのだ。知っていて、無視を続けた。

「君は彼女に何を話した?」
「何も・・・しかし、手を掴まれました。すぐに彼女の能力に気が付いて手を引っ込めましたが、僅かですが情報を読まれました。」
「君は彼女が接触テレパスだと知らなかった。それは仕方が無い。」

 憂い顔で長官が尋ねた。

「君は彼女がレインの母親だと悟ったはずだ。 彼女はレインの存在を君の意識から確認したのか?」
「はい・・・いえ、彼女は私が彼女を接触テレパスだと気が付いたことから、私が彼女と同じ能力者を知っていると悟りました。彼女は息子だと確信したのです。」
「彼女は息子に会わせろと要求したのだろう?」
「そうです。ラムゼイと会う手筈を整える報酬として、息子との面会を要求しました。」

 ケンウッドが黙り込んだ。ハイネ局長がダリルに説明した。

「アーシュラは強力な接触テレパスだ。本来ならドーマーにするべき女子だったのだが、当時の執政官が彼女が持つ因子を見落とした。
 一方、彼女の夫であるポール・フラネリーは、元ドーマーだ。」
「え! そうだったんですか?」
「遺伝子管理局ではなく、外部との交渉で物資調達を行う庶務部の人間で、殆ど自由にドームを出入りしていた。アーシュラと知り合ったのは仕事関係の人脈からだ。彼等は恋愛して、フラネリーはドーマーであることより恋人と生きる方を選んだ。彼は若い頃から政治家志望だったので、ドームとしても外の政界とのパイプ役を確保しておきたかった。それで彼を外へ出した。但し、条件を一つ与えた。
 生まれてくる子供を1人、ドーマーとして差し出せと当時の長官エリクソンが迫ったのだ。 フラネリーはその条件を呑んだ。 妻には一言も相談なしに・・・だ。」






2016年10月25日火曜日

新生活 8

「長官、待って下さい。」

 ハイネ局長が声を掛けた。

「50年前の事件の時、貴方も副長官も地球にはまだいらっしゃらなかったでしょう? 出身地のコロニーで研究に勤しんでおられたはずです。事件は時事ニュースで知られた程度ではありませんか? 
 ここにいる若いドーマー達は生まれてもいなかった。
 しかし、私はここに居ました。進化型1級遺伝子のお陰で外には出してもらえなかったが、遺伝子管理局内務捜査班として、ラムジーの研究室の捜査をしたのは、この私です。
徹底的に彼の研究内容を調べましたが、彼がミイラからクローン再生に成功したと言う記録も証拠も何もありませんでした。
 もし、パーカーがミイラから創られたクローンなら、ラムジーは再生に成功したと言う記録を残したはずです。犯罪であっても、クローン技術史には大きな足跡となるからです。
 ラムジーは、セイヤーズ達にはったりをかましたのです。彼は数分後には死ぬ運命だとは想像もしなかったはずです。だから、手の内を見せるつもりはなかった。シェイと言う女性がジェネシスであることは、直にばれるので、明かしただけでしょう。
しかし、パーカーの正体は目で見ただけではわからない。」
「ミイラからのクローンでなければ、パーカーは何なのだ? ただの地球人の男か?」
「ですから、セイヤーズが聞いた話の半分は本当なのでしょう、パーカーは古代エジプト人の赤ん坊だったんです。但し、クローンではなく、オリジンとして。」

 ダリルは、局長が何を言っているのか理解しようと努めた。そう、確かにラムゼイ博士は、パーカーを「オリジン」だと言った。ただのクローンではなくオリジンだと言ったのだ。 その時、ポールが呟いた。

「ミイラの腹の中に赤ん坊がいて、そいつは薬品の影響をうけず、防腐処理の時に他の臓器と一緒に取り除かれもせず、奇跡的に時間が止まった状態で眠っていたとしたら?」

ケンウッドは、結論を出すのは時期尚早だと言った。

「パーカーはもう少し慎重に調べよう。あの男が異変前の遺伝子を持っているのであれば、これは地球人の復活に大きな進展をもたらすはずだ。彼が精神的に落ち着き、我々を信用してくれるように、努力するよ。」

2016年10月24日月曜日

新生活 7

 ケンウッド長官がダリルとポールを呼びつけた用件は終わったようなので、ダリルは反対に自身が長官に聞きたかったことをこの場で出すことにした。

「長官、少しお時間を頂けますか? ラムゼイが亡くなる前にクロエルと私を相手に喋っていた内容で、気になることがあったのです。」
「何かね?」

 ケンウッドは、ラムゼイと聞いて少し表情を硬くした。あの犯罪者がドーマーに何を吹き込んだのか、と心配になった。

「まず、ラムゼイが連れていた女性が1人いるのですが・・・」
「シェイだな?」

とポールが口をはさんだ。ダリルは頷いた。

「そう、シェイと呼ばれていました。ラムゼイがクローンを創る時に用いる卵子の提供者です。ジェネシスと言う役目ですよね? ラムゼイは彼女を金で買ったのだと言っていました。しかも、シェイはクローンではなく、コロニー人だと言うのです。」
「人身売買が行われていると言うのか?」
「恐らく、乳児の頃に売られてきたのでしょう。」

ラナ・ゴーンが不愉快そうな顔をした。女性や子供の人身売買はどの時代でも密かに行われている犯罪だ。どうして人間は欲望の為に同胞をモノ扱いするのだろう?

「コロニーでは、そう言う犯罪を取り締まる機関はないのですか? 何処かで子供が攫われて売られているのですよ。」
「セイヤーズ、コロニーにも警察はある。組織犯罪を捜査し、取り締まる機関もある。ただ、コロニーは現在24箇所もあるし、宇宙空間は広大で、全てを監視することは難しいのだ。我々地球上に居る者が、シェイの様な存在に早期に気づいて助け出すのが、今出来る最善策だ。
 そのシェイは今回保護出来なかったのだな?」
「はい。所在すら不明です。私は彼女を保護してやりたかったのですが、ラムゼイが死んでしまっては、手がかりすらありません。ラムゼイのシンパが彼女を証拠隠滅目的で殺害してしまわないかと心配なのです。」
「警察には言ったのか?」
「言いました。ただ、ジェネシスとかクローンの作り方とか話しても理解してもらえそうになかったので、シェイは重要証人なので緊急に保護が必要だとだけ伝えました。」

 長官は頷いた。

「何度も言うようだが、遺伝子管理局は警察の仕事はしない。捜査や捜索は警察に任せておけ。女性が見つかったら連絡が入るはずだ。それまでは動くな。」

 ダリルは内心不満だったが、長官の言葉は一理ある。素直に従うことにした。

「わかりました。大人しくしています。ところで、もう一つ、伺いことがあるのですが。」
「まだあるのか?」
「ラムゼイの爺さん、よく喋りましてね・・・爺さんの秘書のジェリー・パーカーの出自のことです。」
「ああ・・・あの男はクローンだと言うことでドームに送られて来たが、細胞を調べてもクローンとは思えないのだ。」
「本当ですか? ラムゼイは彼が創ったクローンだと言いましたが?」
「検査結果では、純粋な地球人だ。純粋過ぎる・・・」
「ラムゼイは、古代エジプト人のミイラからパーカーを創ったと言いました。」

 ハイネ局長、ゴーン副長官、それにポール・レイン・ドーマーも、思わずダリルを見た。ポールが発言した。

「古代エジプト人のミイラとは、『死体クローン事件』で盗まれた細胞と言う意味か?」

 ダリルは、ラムゼイが喋った言葉そのままを復唱して聞かせた。

「『ジェリーは火星にある人類博物館の赤ん坊のミイラから創った。死んだ細胞からクローンなど創れっこないとみんな思っていたらしいがな。ちゃんと赤ん坊になり、育った。古代のエジプト人そのままにだ。あれのDNAは、地球に異変が起きるより4000年も前のものだ。正常な人類のDNAだ。あれは女の子を創れる。』
 と、ラムゼイは言ったのです。」

 ケンウッド長官は、自分が今馬鹿みたいに口を開いてダリルを見つめていることを意識した。
 「死体クローン事件」、それは50年前、宇宙船の事故で息子を失い、正気を失った執政官サタジット・ラムジーが起こした醜聞だった。死体からクローンを製造することは倫理的に、かつ民事法的に、固く法律で禁じられている。だがラムジーは、息子を蘇らせる方法を探り、警察の遺体安置所が保管する数体の人間の死体から細胞を盗み、ドームの研究室で培養してクローンを創ろうとした。
 しかし、それは同僚達に知られることとなり、ラムジーは逮捕され、培養液の中の細胞は全て廃棄された。ラムジーは出身地のコロニーへ送還される直前、警備の虚を突いて逃走した。その時、彼はドームの外で密かに所有していた自宅から、予備として保管していた細胞を持ち出していた。以降、彼はラムゼイと呼ばれるメーカーとなって中西部の同業者達の上に君臨していたのだ。

「通常、エジプトのミイラは防腐処理などが為されており、被葬者のDNAは完全に破壊されている。それを復活させることは不可能だと考えられてきた。しかし、ラムジーが居たチームは、破壊されたDNAを復活させ、女の子誕生の研究に進展を与えようとしていた。ラムジーは、独自の計算でその微妙な薬品の配合と環境をはじき出した。
 ジェリー・パーカーが、真、古代エジプト人の復活だとしたら、これはもの凄い発見だ。」

2016年10月23日日曜日

新生活 6

 アパートに帰って間もなく、ポールに局長から電話が掛かってきた。ダリルを連れてケンウッド長官の部屋へ来いと言う。「来い」と言うからには、局長は既にそこに居るのだ。
 前日ドームに帰投した際に洗濯に出した服が部屋に届けられていたので、ダリルはそれに着替えて、やはりスーツに着替えたポールと共に中央研究所に出かけた。途中、何度かポールのファンクラブのメンバー達と出遭った。ファン達はポールに挨拶したが、ポールはいつも通り素っ気ない返事しかしなかった。ドーマーを相手にする時と執政官を相手にする時の態度は雲泥の差だ。誰かがダリルにも挨拶してくれたので、ダリルが愛想良く返事をすると、ポールはそいつを思いっきり睨み付けた。そんな顔をするなよ、とダリルは小声で注意したが、彼はフンッと鼻先で笑っただけだった。
 長官室には、果たしてローガン・ハイネ・ドーマーが居て、不機嫌な顔のケンウッド長官とあまり乗り気でなさそうな表情のラナ・ゴーン副長官が奥に座っていた。
 2人の若いドーマーが入室して挨拶すると、彼等は返事をして、座れと指示した。
ケンウッドが口を開いた。

「レイン、医師の許可もなく医療区から逃げ出すとは何事だ?」

 なんだ、そんなことで呼び出すのか? と言いたげにポールは肩をすくめて見せた。

「どこも悪くないと言われましたし、治療らしきものも全部終わりましたから、仕事に復帰しただけです。」

 ケンウッドはハイネ局長を見た。局長も肩をすくめた。

「健康で仕事をしたがっている人間に何もさせないのは酷でしょう?」

 ダリルはラナ・ゴーンが顔を俯けたのを見た。笑いを堪えているのだ、きっと。
ケンウッドは、これからは医師の指示に従えと言った。それから、今度は矛先をダリルに向けてきた。

「君はレイン救出を終えたのに、すぐに帰投しなかったな?」
「ラムゼイを逮捕したかったので、残りました。」

ダリルは、自分達が出頭する前にハイネ局長も絞られたのだろうと見当がついた。局長がどんな言い訳でかばってくれたのかわからないので、正直に説明することにした。

「ラムゼイの部下はクロエル・ドーマーがほぼ一網打尽にしましたので、後は爺様1人を捕まえれば終わりだと思ったのです。セント・アイブスの街に潜んでいるに違いないと、捜査したら、案の定、彼はシンパに匿われていました。逮捕しようとしたのですが、彼が使用していた重力サスペンダーに不具合が起きて、彼は我々の目の前で事故死しました。」
「不具合?」
「恐らく、何者かが、彼の重力サスペンダーのモーター部分に細工をしたと思われます。現在、セント・アイブス警察が調べているはずです。」
「君は、ラムゼイの事故は殺人だと思うのだな?」
「そうです。出来れば、現場に残って捜査に加わりたいのですが・・・」
「それは警察の仕事で遺伝子管理局の仕事ではない。」

 ケンウッドがぴしゃりと言った。ダリルはそう言われるだろうと予想していたので、口を閉じた。あまり逆らって執政官を怒らせるのは、こちらの得にはならない、とドーマーらしく考えた。
 ケンウッドは小さく溜息をついて、局長に向き直った。

「ハイネ、何故セイヤーズは君の所にいるのかな? 研究所に戻してくれないのか?」

 ポールがどきりとして顔を長官に向けた。ラナ・ゴーンは彼の心が読めた。また恋人を取り上げるつもりか、と彼は目で訴えているのだ。
 ハイネ局長が、奥の手を出してきた。

「長官、貴方もセイヤーズが一ヶ月以上前に戻ったことを西ユーラシア・ドームに連絡していらっしゃいませんよね? セイヤーズは逃げた時、西ユーラシアの所属でしたよ。」

 老練なドーマーはケンウッド長官の痛いところを突いた。アメリカ・ドームは、西ユーラシア・ドームが所有権を持つドーマーで子供を創っているのだ。西ユーラシア・ドームがこの事実を知ったら、気まずいことになるだろう。ダリル・セイヤーズを返せと言ってくるに違いない。さらに悪いことには、ポール・レイン・ドーマーは40歳を過ぎているので、帰属するドームを自身で選択する権利を獲得しているのだ。ダリルが脱走していた18年を差し引かれてまだ選択権を得ていないので西ユーラシアへ送還されれば、ポールは追いかけて行ける訳だ。アメリカ・ドームには、本人には教えていないが、ポールを手放せない訳がある。

「ドーマーに脅迫されるとは、予想だにしなかったよ。」

とケンウッド長官が憮然とした表情で言うと、ハイネ局長がすみませんと謝った。

「しかし、私はここで育った子供達を手放したくないし、セイヤーズは種馬じゃありません。普通に仕事をさせてやって下さい。子孫を創る手伝いでしたら、いつでも必要な時に呼べばそれで宜しいではありませんか?」
「長官・・・」

とラナ・ゴーンが初めて発言した。

「ハイネ局長は正しいですよ。それに、西ユーラシアとは早期に決着をつけるべきです。」
「わかった。」

ケンウッドは話のわかる男だ。彼は頷いた。

「西ユーラシアと交渉しよう。向こうにはセイヤーズの他にも進化型1級遺伝子保有者が数名いるはずだ。同じ様に女子を創れる男がいても可笑しくない。共同研究を提案してみる。」


2016年10月22日土曜日

新生活 5

 その夜、結局ダリルはポールとベッドを共にすることを拒んだ。アーシュラ・R・L・フラネリーのことをポールに悟られたくなかったのだ。ポールはがっかりしていたが、怒ることはなく、素直に寝てくれた。やはりまだ疲れが残っていたのだ。ダリルは予備の毛布と枕で狭いリビングの長椅子で寝た。
 翌朝、目を覚ますと、ポールは既に起きて何処かに出かけていた。出動するとは聞いていなかったので、ドーム内に居るはずだ。果たして端末に伝言が入っていた。
ドーマー用の一般食堂で朝食、とあった。ダリルは顔を洗い、昨夜帰り道で立ち寄った店で買ってもらった普段着に着替えた。
 部屋を出ると、2人の執政官と廊下で出くわした。ドーマーのアパートに執政官が現れるのは滅多にないことだ。誰かに招かれた場合に限るはずだが。
 彼等もダリルがM−377から出て来たのを見て、ギョッとした様子だった。

「その部屋は、ポール・レイン・ドーマーの部屋のはずだが?」
「そうです。」

とダリル。ポールのファンクラブだな、と察しがついた。そうだとしても、執政官がドーマーの居住区に無闇に立ち入って良い訳がない。

「彼の部屋で何をしていたんだ?」
「居候です。夕べから、遺伝子管理局の局長から命じられて、ここで寝泊まりさせてもらってます。」
「夕べから・・・?」

1人がハッと気が付いた。

「こいつ、例の脱走ドーマーだ。」
「なに・・・ポールの・・・アレか?」

 ダリルはファンクラブと無駄に時間を過ごしたくなかったので、ドアを閉めて、歩き始めた。

「そこで待っていても、ポールは出て来ませんよ。私が目覚めた時にはもう居なかったから。」

 ファンクラブの執政官は追いかけて来なかった。ダリルは記憶を削除されて覚えていないが、彼等はアナトリー・ギルが彼にうっかり手を出して鼻を折られたことを知っていた。
 ダリルはのんびり歩いて食堂へ行った。昨夜とは別の場所だ。ドーマー達が大勢居て、賑やかで煩雑な場所だが、彼には18年ぶりの懐かしい場だった。
 ポールは、ジョギングをしたらしくトレーニングウェア姿で、彼のチームのリーダー達と朝食を摂っていた。勿論、留守中の部下達の仕事ぶりを聞く報告会を兼ねているのだ。
ダリルがテーブルに近づくと、彼はリーダー達に紹介した。

「昨夜、局長から辞令が出た。まだ本人は知らないだろうが、俺の秘書のダリル・セイヤーズ・ドーマーだ。」
「え? 秘書ぉ?」

 ダリル自身が驚いただけで、リーダー達は「宜しく」と挨拶をした。ポールが説明した。

「君は遺伝子管理局に復帰する。ただし、外にはやたらと出せないので、内勤だ。偶々俺は暫く前から秘書が必要だと思っていたので、申請したら速攻で許可が出た。今日から俺のオフィスで事務処理をやってくれ。」
「いいけど・・・」
「何だ? 文句でもあるのか?」
「いや・・・ただ、ラムゼイ殺害の捜査状況を知っておきたいと思って・・・」

 ラムゼイの死は、ポールのチームにはまだ知らされていなかったらしい。ちょっとした衝撃がテーブルを囲む男達を襲った。ダリルは朝食の場にふさわしくない話題だと気が付いて、「後で詳細を話す」とその場を収めた。
 ダリルが山盛りのスクランブルドエッグとベーコンを取ってテーブルに戻って来ると、妻とアパートで朝食を済ませたクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが合流していた。

「ねぇ、ちょっとこれを見てくれよ。」

クラウスが端末の画面を隣の仲間に見せた。

「今朝はこれでドーム中が持ちきりだぞ、きっと!」
「何だ、こりゃぁ?」

銘々が自身の端末を出して、クラウスが拡散した画像を覗いた。思わず失笑する者もいた。ポールも端末を出して見て、苦笑した。

「くそ、パパラッチが居たか・・・」

 ダリルは隣の席の仲間に画像を見せられた。
そこには、夜の道を何かを警戒しながら歩く3人のドーマーが映し出されていた。
 題して、

ーーキエフにご用心! お忍びの我らがアイドルとその恋人、おまけクロエル先生


新生活 4

 クロエル・ドーマーはTシャツにジーンズの完全な私服姿だった。ポールも私服で、ダリル1人が着た切り雀のスーツだ。彼等は中央研究所の食堂に居た。ダリルは壁のこちら側は初めてだったので、マジックミラーの存在を教えられ、先日の合コンが多くの執政官やドーマー幹部達に見られていたことを初めて知った。ポールは承知の上での参加だったのだ。
 夜の10時近い食堂はがらんとしていた。コロニー人は24時間活動するので、食堂も24時間営業しているが、やはり夜中の利用者は少ない。たまに医療区関係者やドーム維持班が食事に来る程度だ。
 ポールは賑やかなクロエルが苦手かなと、ダリルは心配したが、杞憂だった。考えればチーフ会議でいつも顔を合わせている間柄だし、クロエルを嫌う人間なんているのか? と思える程、ポールがクロエルに気を許しているのが見て取れた。

「で? これから2人で同居するんですか?」

と遠慮無くクロエルが尋ねると、ポールは当然だと答えた。ダリルが意見を言う暇を与えずに、

「セイヤーズは一文無しだから、生活の面倒は当分俺が見なければならん。着る物も食い物も全部、俺が買ってやる。」
「そんじゃ、アパートを移らないと、狭いでしょ?」
「そうだな。移動申請を明日にでも出そう。」

 そして、ダリルに教えた。

「クロエル先生は、独身なのに妻帯者用アパートに住んでいるんだ。パーティ好きなんで広い場所が必要だとか言う理由だったと思うが、パーティーを開いたと言う話はまだ一度も聞いたことがない。」
「???」

 パーティー好きと言う理由で妻帯者用アパートに部屋をもらえるのか? ダリルは困惑してクロエルを見た。クロエルは希望が叶ったからくりを教える気はないらしく、ピッツァの最後の一切れをもぐもぐと食べてしまってから、

「忙しいんで、開く暇がないだけなの。」

と言い訳した。

「それに、おっかさんが来るしね。」
「おっかさん?」

 ダリルの疑問にポールが答えた。

「知らないのか? クロエルはラナ・ゴーンの養子だ。」
「ええ!!!!」

 ダリルはもう少しで手にしていたグラスを落とすところだった。
クロエルがやっと説明してくれた。

「正規じゃないですよ。コロニー人は地球人を宇宙に連れ出せないし、ラナが僕ちゃんを見つけた時はまだジャングル時代で、遺伝情報不明の子供を保護して引き取りたいって血迷っただけなんです。僕ちゃんはまだいたいけな子供だったんです。ラナはまだ月の事務局に勤務していて、たまたま視察団の1人として南米に行っただけ。
 当然ドームは養子縁組申請を却下したし、僕ちゃんはこっちへ送還されちゃった訳。
成人してから、副長官として赴任して来たラナと再会して、おっかさんと倅ごっこをしてるんです。」
「とか言いながら、結構彼女に甘えてるじゃないか。」
「でも仕事には一切関係ないですよ。」

 クロエルはいかにも母性をくすぐる顔で片眼を瞑って見せた。

「おっかさんはね、僕ちゃんにお嫁さん候補の情報を持ってくるんです。ドームの方針で、僕ちゃんのお嫁さんはコロニー人の中でインカ系の血筋の濃い女性と限定されているんですよ。地球人ではもう該当する女性がいないそうです。だけど、コロニー人にもそんな血筋の人って、なかなかいないでしょ? 見せられる写真って、おばちゃんばっかりで、僕は正直、げんなりしてます。」
「それなら、結婚しないで、子供だけ創らせておけば良いじゃないか。」

とポール。自身に息子がいると言う意識が希薄だ。 クロエルは不満顔だ。

「童貞で父親になるなんて、僕ちゃんは嫌なんですう・・・」
「だから、結婚は別の若い子として、子供は別・・・」
「ポール、そんな話は止めろよ。」

 ダリルは遂に口をはさんだ。

「家族って、そんな割り切れるものじゃないんだ。」

 ポールとクロエルが彼を見た。え? とダリルは戸惑った。何か間違ったことを言ったか?

「家族だと?」
「ドーマーに家族?」

ポールとクロエルは顔を見合わせ、吹き出した。 ダリルは、結婚や家族と言った概念が彼等と自身のでは違うことを思い知らされた。2人とも「結婚」は「好きな相手と一緒に暮らすこと」で、それ以上のものではない。「家族」なんて、持つつもりもない。
ラナ・ゴーンは、クロエルを息子として扱い、その生涯のどこかに彼女の位置があればと願っているだろう。しかし、クロエルにとっては、「おっかさん」は「可愛がってくれる人」でしかないのだ、きっと。
 ポールも「結婚」は念頭にない。ダリルと一緒にこれからずっと暮らせれば幸せなのだ。「母親」の存在など、これっぽちも意識にない。父親も兄も従妹も、彼には存在しないに等しい。

 例えアーシュラの願いを叶えても、彼女はただ寂しい想いをするだけではなかろうか?




新生活 3

 M−377は18年前と少しも変わらない、殺風景な部屋だった。ダリルも必要最低限の物しか持たないが、ここまで何もない部屋は珍しい。ポール・レイン・ドーマーの私物は全て棚や引き出しに仕舞い込まれて、作り付けの家具しか見えない。住宅展示場のモデルハウスでさえ、もっと装飾品があるだろう。キッチンも食器が存在するのかと疑ってしまうほどだ。シンクは当然ながら乾ききっていた。唯一目に付くのは、小さな書斎のコンピュータだけだ。
 ダリルはデスクに着くと、すぐに報告書作成に取りかかった。ラムゼイとの会話を詳細に記録した。指の動きが速すぎてコンピュータの画面表示が変化するのを待たねばならないこともあった。作業に没頭し、1時間後には報告書を仕上げて局長室に送信した。

「あー、終わった!」

 思わず声を上げて彼は腕を挙げて伸びをした。すると、誰かが彼の両手首を掴んだ。

「良かったな、仕事が終わって。」

 ダリルは振り返らなかった。不意打ちをくらった場合は、躊躇なく殴りつけるのだが、両手首を封じられては動けない。それに聞き覚えのある声だったし、手首を掴んでいる人間の手の感触は一生忘れられない。

「バックを取られたな・・・」
「君は物事に熱中すると背後が疎かになる。」

 手首を離され、ダリルは立ち上がって後ろを振り返った。すぐに体を引っ張られ、次に抱き締められた。

「局長が退院祝いのサプライズがあると言ったが、君だったとはな!」
「退院? 局長は君はまだ当分入院していると言ったぞ?」
「それは俺が医療区から逃げ出す前の話だろ?」
「はぁ?」

 ダリルはポール・レイン・ドーマーから身を離そうとした。ポールが寝室に向かって移動しかけたからだ。

「逃げて来たのか?」
「どこも悪くないし、バイタルチェックも全部外されたし、点滴も終了した。看護師もいなくなったから、クラウスに服を持って来てもらって、着替えて出て来ただけだ。 局長には報告済みだ。問題は何もない。」

 ハイネ局長も人が悪い・・・。 アパートでダリルとポールが遭遇することを承知して黙っていたのだから。

「私は空腹だ。まだ寝るつもりはないし・・・」
「それなら、終わってからにしろ。」
「終わってからって、何を・・・」

その時、ダリルの端末に電話が着信した。 ダリルは強引に体をポールから離し、電話に出た。ポールがむくれているが、仕方が無い。電話は「緊急」とあったのだ。

「セイヤーズ・・・」
「僕ちゃんでーす!」

とクロエル。

「もし良ければ夜食に行きませんか? 飛行機の中でスナック食ったきりで腹が減って・・・」
「ああ・・・いいね・・・」

ダリルはポールを見た。

「レインも連れて行って良いかな?」
「いいっすよ! 医療区から脱走したんですってね? ストーカー・キエフが探しまくってます。」




2016年10月21日金曜日

新生活 2

 ハイネ局長は、JJの様子を教えてくれた。 少女は昨日から中央研究所のクローン観察棟に部屋を与えられてそこに入っている。初日は、声を出せない彼女の為に脳波翻訳機を与えて使い方の指導が為された。機械は彼女の思考全てを拾って音声にしてしまうので、彼女はプライバシーを守るためにこま目にオン・オフの切り替えをしなければならない。それに慣れる迄、部屋の外へ自由に出ることは出来ない。

「彼女は実家の敷地内から出たことがなかったそうだな。ドームは彼女にとっては大都市に見えるのだそうだ。早く外に出たがっている。」
「彼女が塩基配列を見ることが出来るとお聞きになりましたか?」
「聞いた。ちょっと信じがたい話だが、レインも接触テレパスで奇妙な物を見せられたそうだから、何か我々と異なる物が見えるのだろう。」
「彼女は見えている物をみんなの為に役立てたいと思っているのです。ただ、何をどうすれば良いのか、わからない。親からそう言う教育は受けていなかったのでしょう。ベーリング夫妻は彼女をただ遺伝子組み換え実験の成果として人形の様に可愛がっていただけです。」
「彼女の担当はゴーン副長官だ。彼女は娘さんがいるから、少女の扱い方も心得ている。先ず、この環境に少女を慣らし、それから観察棟から女性用アパートに移し、一人前の扱いをしてやる。その間に彼女に遺伝子関連の学習を受けさせ、見えている物の正体を明確にさせるのだ。」
「彼女は、普通の少女ですよね?」
「普通の少女だ。遺伝子を組み換えて創られたクローンであっても、普通の女性だ。」
「ドームの外に外出出来ますか? 将来の話ですが・・・」

 局長はダリルを眺めた。

「ドームの外に遊びに出かけるドーマーがいると思うかね?」
「いても良いんじゃないですか?」
「君は遊びに行きたいのか? 仕事ではなく?」
「許可頂ければ。」
「そんなに外が良いか?」

 生まれてから一度も外へ出たことがないローガン・ハイネ・ドーマーの問いだ。出張さえさせてもらえずに歳を重ねてきた人の質問だ。
 ダリルは慎重に答えた。

「外に目的がある人間にとっては。私は息子に会って、畑を耕したい。」
「息子をここへ連れてきてやろうか? 畑ならドーム維持班園芸課の手伝いをさせてやる。」

 そうじゃないんだ、とダリルは心の中で否定したが、言葉には出さなかった。

「JJは、外の女の子と友達になったり、買い物をしたりして日常を楽しみたいだけですよ。逃亡したりしません。」

 局長は、ニュカネンの件を思い出したのかも知れない。愛する人の為にドームを去って行った男達のことを、彼はどう思っているのだろう。

「少女は、ラムゼイの秘書にも会いたがっているが、男の方がまだ落ち着かないので当分は面会させられない。」
「ジェリー・パーカーはまだ自殺傾向ですか?」
「精神科の医師たちが慎重に対処している最中だ。薬で鬱状態から抜け出したら、尋問が出来るだろう。但し、ラムゼイが死んだことはまだ秘密にしておく必要がある。」

 この時、ダリルは先刻のクロエル・ドーマーの口頭報告に中に、ラムゼイがジェリーの正体について語った内容が入っていなかったことを思い出した。

「そのパーカーの出自について、ラムゼイが興味深いことを言っていました。」

しかし、ハイネ局長はちらりと時計を見て、ダリルを遮った。

「今日はこの辺にしておこう、セイヤーズ。もし、記憶が新鮮なうちに語りたいと言うなら、すぐに報告書にまとめてくれ。」
「かまいませんが、私はアパートもオフィスもありませんので・・・」
「観察棟には帰らせないぞ。あそこでは君は種馬でしかない。君を活かせるのは、こっちだ。」
「有り難うございます。」
「独身者アパートのMー377を使い給え。保安課に連絡しておくから、君の網膜チェックで開錠出来るようにしておく。」
「Mー377は、ポール・レイン・ドーマーが以前住んでいた部屋ですよね?」
「今も彼はそこに住んでいる。しかし本人は滅多に帰らないから空き家同然だし、今はまだ入院中だ。どこも悪くないのだが、医師が休息を取らせたがって当分退院させないつもりだ。邪魔が入らずに報告書を書けるぞ。」


2016年10月20日木曜日

新生活 1

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーはクロエル・ドーマーと共に夕刻、ドームに帰投した。
正体不明の不思議な壁の内部に入るなり、服を全部脱がされて洗濯に出され、体は薬品風呂に浸けられた。頭部から爪先まで綺麗に洗浄され、簡単な細菌・放射能汚染検査を受け、やっと新しい衣服をもらって身につけると日が暮れていた。
 2人は遺伝子管理局本部に出頭した。直ちに局長室に案内され、ローガン・ハイネ・ドーマー局長と面会した。
 局長はダリルが自発的に帰って来たので内心胸をなで下ろした。そして最初に今回の出動の正規の責任者であるクロエルから報告を受けた。クロエルは毎晩報告書を送っているのだから2回も同じことを言う必要はないと思っているので、今朝のラムゼイの事故死だけを語った。殺人の疑い有りと聞いても、局長が心を動かされた様子はなかった。

「それで帰投が予定より遅れたのか?」
「予定なんてありましたっけ?」
「本来の目的は、レイン・ドーマーの救出とベーリングの娘、それにセイヤーズの息子の保護だけだったはずだ。2日前に完了したと思ったが?」
「そうでしたか? どうも最近記憶力が弱ってきて・・・」
「おいおい、クロエル先生・・・」

とハイネ局長は部下のおとぼけに腹を立てた様子でもなく、

「私がセイヤーズの息子をドームに来させろとメールしたのに、逆らっただろ?」
「だって、無理なものは無理です。本人が嫌がったもん。」
「それで、努力も諦めたか?」
「忙しかったもんで。」

 ハイネはクロエルとの会話を楽しんでいる、とダリルは感じた。他の班チーフ達とはこんな風に話さないはずだ。

「取り敢えず、お疲れさん、と言っておこう。 2日間休暇を与える。」
「3日働きましたよ!」
「1日は帰投が遅れた罰で減らした。」
「ええーーー」

 それでもクロエルは「そんじゃ、2日後に」と言い、ダリルにウィンクして局長室から退室して行った。
 局長とダリルの目が合った。

「面白い男だろう?」
「ええ。一緒にいると愉しいですね。」
「あまり他所で使うと、中米班の部下達が怒るので、早く戻してやらんといかんのだ。だから、作戦終了後にレインと共に帰って来て欲しかった。」
「すみません。ですが、どうしてもラムゼイを捕らえたかったんです。ドームの外に存在する危険を一つでも減らしておきたかったので。」
「息子の為にか?」
「そうです。」
「私がクロエルに君の息子をドームに来させろと指示を与えた理由はわかるな?」
「息子が何処まで私の遺伝子を受け継いでいるか、お知りになりたいのでしょう?」
「そうだ。進化型1級遺伝子は、代を重ねる毎に変化する。君が持っている能力をそのまま息子が受け継ぐと言う訳ではない。それに、この遺伝子はX染色体にある。本来なら父親から息子へは遺伝しないのだ。
 メーカー達はラムゼイの研究を噂でいくらか知っているはずだ。あの爺さんが男性同士の間で子供を創ったと言う噂がもし流れていたら、当然君の息子は珍しさから狩られるだろう。だから私は君の息子をせめて成人する迄ここで保護しておきたいと思ったのだ。」
「お心遣いは感謝します。ですが、息子は1人で生きていく道を選びました。もう私の手を離れてしまったのです。今何処に居るのか、私にもわかりません。」

 ダリルはライサンダーを想った。今、何処でどうしているのだろう。所持金は多くないはずだ。少年は、クロエルがわざと出張所に忘れた財布から借金して行ったのだ。セント・アイブスからドームへ帰る飛行機の中で、ダリルはクロエルを問い詰めて白状させた。ライサンダーを逃がす算段を、クロエルとライサンダー自身がこっそり立てていたのだ。

 折角自由な世界で生まれたのに、籠の鳥にされるのは可哀想じゃないですか!

とクロエルはダリルに訴えた。ジャングルで自由に遊んでいたのに、ある日突然ドームに連れてこられ、特殊教育を受けさせられて育てられた男の訴えだ。自身も自由を求めて逃げたダリルは、クロエルを責められなかった。

リンゼイ博士 21

 リュック・ニュカネンはお茶に手を付けずに、こちこちになって座っていた。現役ドーマーと違い、俗世に暮らす彼は、上流社会と付き合うと肩が凝る、と言うことを学んだらしい。ダリルが帰ると言うとホッとして立ち上がった。
 ホテルから出て車に乗り込むと、ダリルは重力サスペンダーの店「スミス&ウォーリー」に行ってくれと頼んだ。ニュカネンはうんざりした。セイヤーズを帰さなければドームから睨まれる。

「まだ何か調べるつもりか?」
「あと一つだけ。それが済んだら、クロエルと共にドームに帰る。」

 店にいたのは初対面の男だった。彼はスミスと名乗り、ダリルが昨日会った男がウォーリーだと判明した。ダリルが重力サスペンダーが人間を天井まで持ち上げるにはどんな細工が必要か、と尋ねるとスミスは不機嫌になった。

「重力サスペンダーは自力歩行が出来ない人間が自分の脚で歩くために補助的な役割をする機械だ。跳ぶんじゃない。」
「知っています。だが、モーターの不具合で事故が起きたんです。」
「事故? さっきあんたは『細工』と言ったな。細工なんかして跳んだヤツでもいるのか? サスペンダーはデリケートな機械だ。素人が触れば壊れるか、大きな事故に繋がる。うちの顧客が事故を起こしたのか?」
「そうです。しかし自身で細工したんじゃない、誰かにこっそり細工されたんだ。」
「まさか、うちの店が細工したなんて言いがかりをつける気じゃ・・・」
「そんなつもりはありませんよ。でもこの街で重力サスペンダーを扱うのはお宅だけだ。これから言う型番のサスペンダーの部品を発注した客を教えて下さい。」

 それはプライバシーの侵害だと言うスミスを無視して、ダリルは店のカウンター内に入り込み、コンピューターを触り始めた。スミスは当惑してニュカネンを見た。彼はニュカネンが何者か知っていたし、ニュカネンもスミスの顔と名前くらいは知っていた。

「こいつ、ドーム人だな? 礼儀知らずもいいところだ。」
「遺伝子管理局の捜査だ。我慢してくれ。」

ダリルが手を止めた。画面に顧客のリストの1ページが表示されていた。中年の男の笑顔が映っており、ダフィー・ボーと言う名が読み取れた。ダリルが呟いた。

「誰だ、これは?」

 ニュカネンが苦々しげに答えた。

「モスコヴィッツの秘書だ。」





リンゼイ博士 20

「マダムは、リンゼイ博士と最後に会われたのは何時でしょうか?」
「実際に会ったのは、一月前です。」
「では、今回の連絡は・・・」
「ビューフォード氏を通しました。リンゼイ博士の窓口はビューフォード氏が務めていたのです。」
「今朝、トーラス野生動物保護団体ビルに来ておられましたが、リンゼイ博士が入室する前に部屋から出て行かれましたね?」
「友達が逮捕される場面に居合わせたくありませんでしたし、モスコヴィッツや他の理事達からも、私はあそこに居るべきではないと忠告を受けていました。私の立場を考えて頂いたのだと思います。」

 ダリルは納得した。アーシュラはラムゼイに直接会った訳ではなく、重力サスペンダーに細工する必要もない。

「今回の会議の目的は何だったのですか?」

 すると、アーシュラは窓の外を見たまま溜息をついた。

「本当は、会議などありませんでした。3日前の夜に、ビューフォード氏から連絡があり、リンゼイ博士が私に会いたがっていると告げたのです。」
「リンゼイが? 理由は聞かれましたか?」
「私に会わせたい人を連れて来ると言っていました。」

 3日前と言えば、ラムゼイ博士がポール・レイン・ドーマーを捕らえた日だ。ラムゼイはポールとアーシュラの関係に気が付いたのだろうか? 確かにポールは、アーシュラの夫の若い頃に非常によく似ている。あの美貌を忘れるのは難しい。それにラムゼイは元執政官だった。ドーマーの命名方法のルールを知っているのだ。ポール・フラネリーの息子はポールと言う名だ。もし、ラムゼイがポールの出生の秘密を知ったとして、アーシュラに会わせる目的は何だったのだろう? 大統領の弟を人質に取っていると知らせる為か?人質を取って、何を要求したかったのか?
 考え込んだダリルをアーシュラが眺めていた。

「リンゼイ博士・・・いえ、ラムゼイが私に会わせたかった人物は誰だったのでしょう、ミスター・セイヤーズ?」

 ダリルは真実を言うつもりはなかった。年老いた母親を心配させるべきではない。

「私には見当がつきません。しかし、ミズ・フラネリー、どうかトーラス野生動物保護団体とは暫く距離を置いて頂けませんか? ラムゼイは誰かに殺害されたのです。」



2016年10月19日水曜日

リンゼイ博士 19

 遅い昼食の後、ダリル・セイヤーズ・ドーマーはセント・アイブス出張所の会議室で報告書を製作していた。
 ラムゼイ博士がリンゼイと名乗ってトーラス野生動物保護団体の会員になっていたこと。 
 ラムゼイ博士を現場に連れて来たのは当該団体の理事ビューフォードであったこと。
 ラムゼイ博士がDNA鑑定により指名手配されていたコロニー人サタジット・ラムジーであったこと。(リュック・ニュカネンが確認)
 ラムゼイ博士がクローン製造に用いた卵子はシェイと呼ばれるコロニー人女性のものであったこと。
 シェイの所在は未だ不明。
 ラムゼイ博士の秘書ジェリー・パーカー(逮捕済み)は博士の言によると古代エジプト人のミイラから製造したクローンであること。(未確認)
 ラムゼイ博士逮捕は当人の死亡により失敗。
 ラムゼイ博士の死亡原因となった重力サスペンダーの事故は部品の故障又は何者かの細工と疑われる。(セント・アイブス警察が鑑定中)
 大雑把に以上の内容でまとめ、ドームへ送信した。
 ラムゼイの死に関して、ダリルはもっと調べたかったのだが、この先は警察の仕事だとスカボロ刑事からもリュック・ニュカネンからも強く主張されて断念した。
「生きているメーカーだったら、いくらでも取り調べてもらって結構。しかし、死んだメーカーの捜査は警察の領分だからな」とスカボロに釘を刺された。
 報告書を書いてしまうと、することがなくなった。
 クロエル・ドーマーは出張所の簡易バスルームでシャワーを浴びて綺麗になり、今回の出動初日に手に入れた派手な服装に着替えた。すっかりレゲエの兄ちゃんになったが、昼食を終えるとくたびれたのか、休憩室で昼寝だ。
 ダリルは暫くネットでセント・アイブスの紹介記事を眺めていたが、ふと思いついて階下へ降りた。ニュカネンに出かけると告げてくれと職員に言うと、所長が慌てて部屋から出て来た。

「何処へ行くつもりだ?」
「ロイヤル・ダルトン・ホテルだ。」
「何をしに?」
「ラムゼイとの面会を仲介してくれた人に会うんだよ。不幸な結果になったことを謝罪しなければならない。」
「一人では出かけるな。ラムゼイが死んだ直後だ。残党がいて仕返しをされると困る。」
「では誰かつけてくれるのか?」
「クロエルは?」
「お昼寝中。」

 結局ニュカネン自らが護衛且つ監視で付いて来た。勿論、アッシー君もしてくれた。
 ダリルはフロントでアーシュラ・R・L・フラネリーに面会を申し込んだ。相手の名前を聞いてニュカネンがギョッとするのがわかったが、何故大統領の母親と知り合いなのか説明はしなかった。
 アーシュラは部屋に帰って来ており、面会は一人だけ、と昨日と同じ条件で許可した。
当然ながらダリル一人で部屋に入った。ニュカネンは豪華なリビングでお茶の接待だ。
アーシュラの秘書は、ダリルの連れが昨日のハンサムな南米人でなかったのでがっかりした様子だ。 ニュカネンも充分美男子なのだが、魅力に欠けるらしい・・・。
 昨日と同じ部屋で、同じ窓際にアーシュラは入り口に背を向けて立っていた。
ダリルはリンゼイ博士の死に対するお悔やみを述べた。

「穏便にことを運ぶつもりでしたが、失敗しました。貴女を騒ぎに巻き込んだことをお詫びします。」

 ダリルが謝罪すると、アーシュラは手で「もういい」と合図した。それで彼は質問をしてみた。




リンゼイ博士 18

 ケンウッド長官は、端末でポール・レイン・ドーマーの話を再生して幹部達に聞かせていた。レインは慣れているので説明は簡潔で分かりやすくこなした。ただ、ラムゼイ博士に顔を触られた時に感じた恐怖だけは上手く表現出来なくて言葉に困っていた。

「要するに、ラムゼイの手から何と言うか、欲望とか邪な感情が大量に流れて来て、彼はパニックに陥ったと解釈して宜しいのでは?」

とある幹部が発言した。

「言葉で表現出来ないラムゼイの思考の根源みたいなものでしょう。」

と別の幹部。テレパスが他人の感情をどんな形で受信するのか、能力のない人間には理解出来ない。幹部達はただ、普段冷静沈着なポール・レイン・ドーマーが自ら意識をシャットダウンして自己を守らなければならなかった事態が起きた、と言うことだけを理解した。

「これだけでは、ラムゼイが何を企んでいたのか、わかりませんね。レインにもわかっていないのでしょう?」
「そうだ。だからレインは当時の心理状態が正常でなかったことを悔やんでいる。分析出来るほど冷静でいるべきだったと。」
「自分を責めるなと言ってやって下さい。」
「それにしても、ラムゼイの秘書に関する証言は興味深いですね。パーカーと言う男はクローンなのでしょう? どうして彼に触られた時、宇宙空間のイメージをレインは感じたんです?」
「それは、パーカー自身に聞いた方が良いかも知れないな。」
「彼は今ここにいるんですよね?」
「クローン観察棟で監禁状態だ。逮捕される直前に自殺を図ったので、薬で頭をぼんやりさせて危険な行動を取らないようにしている。」

 ケンウッド長官は幹部達を見回した。

「彼の細胞は私達と変わらない。むしろ純粋な地球人のものと言っても良い。今DNAを分析しているが、彼のオリジナルの人間はまだ不明だ。」
「人種は?」
「わからない。」
「混血と言うことですか? コロニー人の様に?」
「彼は地球人だ。人種が混ざった地域の人間のクローンと思われるが、ラムゼイは遺伝子組み換えも行っていたから、特定困難だ。」
「遺伝子組み換えと言えば、ベーリングの娘はどうしています?」

この問いには、ラナ・ゴーン副長官が答えた。

「JJは健康診断では異常なし。DNAを分析しましたが、今のところ普通の人間と変わりありません。ただ、彼女は声を出せないので、脳波翻訳機を介して会話する必要があります。こめかみに装着する端子の感触にまだ馴染めなくて落ち着かないようです。
もう暫く様子を見てから、徐々に研究に協力してもらうことになるでしょう。」

 彼女は、JJがポール・レイン・ドーマーに会いたがっていることを敢えて言わずにおいた。少女は機械を通さずに話しが出来るポールがお気に入りなのだ。だがポールは子供と遊んでいる暇などないし、彼の取り巻きが少女の存在を疎ましく思うだろう。

「ところで、ハイネ局長・・・」

 ケンウッド長官は、会議室の末席に座っている遺伝子管理局の長に話しかけた。この会議の参加者では唯一人のドーマーだ。

「管理局は、何時になったらセイヤーズを返してくれるのかな? レインが戻ったのだから、もうセイヤーズもドームに帰ってきているはずだが?」

 室内の注目が自分に集まったことを意識したローガン・ハイネ・ドーマーはしらっと答えた。

「セイヤーズは仕事熱心ですからね。ラムゼイ逮捕まで頑張るそうですよ。アレは集中出来る物事に当たると徹底的にやらんと気が済まんのです。」
「また逃げたりしないか?」
「しません。監視を付けています。」
「誰だ?」
「クロエル・ドーマーです。」

 コロニー人の間からブーイングが起きた。

「最悪のコンビじゃないか! クロエルはセイヤーズより自由奔放だぞ! 鎖を外したら何処へ行くかわからん狼みたいな男だ。」
「だからと言って、駆け落ちなんかしませんよ。」

ハイネの言葉に、ラナ・ゴーンがプッと吹き出した。

「クロエルは大人ですわ。ちゃんと自身の立場をわきまえています。必ずセイヤーズを連れて帰って来ます。」
「そう願っている。」

とケンウッド。

「私はレインから苦情を訴えられたんだ。18年かけて見つけ出し、やっと逮捕した脱走者を一月もたたないうちに外へ出すとは何事か、とね。」






2016年10月18日火曜日

リンゼイ博士 17

 警察が到着したのは通報から10分後だった。その間に理事たちは汚れた顔や衣服を少しでも清めようと手洗いに行った。モスコヴィッツ理事長は医師に肩を支えられてやっと歩ける状態だ。 ダリルは隣室を覗いて見たが、大統領の母親はどこにも姿がなかった。
 理事たちは空の隣室に集められた。ダリルとクロエルも警察の事情聴取を受けるので、一緒だ。彼等は警察が現場検証する間、狭い部屋の中で静かに座っていた。女優がすすり泣き、弁護士が慰めているのを聞いていると、彼女達はラムゼイまたはリンゼイ博士を尊敬して友情を抱いていたらしい。彼の突然の非業の死がまだ信じられないのだ。
 警察と共に現場にいたリュック・ニュカネンが刑事を1人連れてやって来た。刑事はスカボロと名乗った。彼は自己紹介してから、女性達に大丈夫ですかと尋ねた。女優も弁護士も目を赤くしながら大丈夫だと答えたので、事情聴取を行うことになった。
 スカボロはモスコヴィッツの理事長室の使用を願い出て、茫然自失状態がまだ続く彼に変わってビューフォードが許可を出した。
 スカボロはニュカネンをちらりと見た。

「遺伝子管理局の人から始めて良いですか? あんたら、後回しにするとドームが五月蠅いから。」
「良いとも。但し、私も同席する。何があったのか知りたいのでね。」

 ニュカネンは警察に対して高飛車だ。ドーマー時代の悪習が抜けないのだろう。ドームの用件は全てに優先すると言う・・・。

 最初はダリル・セイヤーズ・ドーマーからだった。ダリルはラムゼイとの会話の内容を語っても、スカボロには理解出来ないだろうと思ったので、今日の面会の約束を理事の1人を介して取り付け、面会してリンゼイと名乗る老人がメーカーのラムゼイだと確認したことをかいつまんで話した。スカボロ刑事は、仲介した理事の名前を聞かなかった。政財界の有力者ばかりが会員になっているトーラス野生動物保護団体を怒らせたくないのだ。

「ラムゼイと問答をしているうちに、突然クロエル局員が 『止せ、危ない!』と叫んだ。その直後にラムゼイの体が天井に向けて飛び上がり、頭部を天井に激突させた。後は見ての通りだ。」
「クロエル局員は、何を止めようと叫んだんです?」
「知らないよ。私は何が起きたのか、全く見当が付かない。」

ダリルは重力サスペンダーに関する疑問を口に出さなかった。クロエルが何かに気が付いたはずだ。スカボロが尋ねた。

「問答していたと仰いますが、彼を追い詰めたと言うことですか?」
「心理的に、と言う意味なら、違う。ラムゼイは余裕を持っていた気がする。」
「では、切羽詰まって自殺した訳ではない?」
「自殺したとは思えない。」

 スカボロはニュカネンを見た。ニュカネンは質問がなかったので、首を振った。
次のクロエルの事情聴取にダリルは同席すると言った。

「私も彼が何に気が付いたのか知りたい。」

 ニュカネンが渋い顔をしたが、異論は唱えなかったので、スカボロも渋々許可した。
理事長室に入って来たクロエルは疲れた表情だったが、それは理事達の愚痴を聞かされていたからだった。
 彼が語った事情は概ねダリルと同じ内容だった。

「それで、クロエル局員、貴方は亡くなったラムゼイ? の何を危ないと思ったんです?」

 クロエルはチラリとダリルを見た。ダリルは目で「教えてやれ」と指図した。クロエルは刑事を見た。

「爺様の重力サスペンダーがですね、あの部屋に入った時からモーターから変な音をたてていたんです。それが段々大きくなっていくのに、誰も気が付かない。爺様も気が付かない。」
「貴方は耳が良いんですね?」
「僕はアマゾンのジャングル育ちなの。虫の足音も聞こえるの。」
「はぁ・・・そうですか。それで、何が起きたんです?」
「爺様がサスペンダーのレバーを押したんです。多分どこかの椅子に座る為に移動しようとしたんだと思う。だけどその瞬間にサスペンダーのモーターの異常音が変化した。僕はサスペンダーが爆発するのかと思った訳。だから、止せって言ったんだけど、その直後に爺様が天井に向かって発射されちゃった。」
「ふむ・・・」

スカボロ刑事が顎に手をやって考え込んだ。

「重力サスペンダーってヤツは、確か飛行能力はなかったですよね・・・平行移動専門の歩行器だ。」
「そうだ、ユーザーの体重を登録して体を持ち上げるが、足は必ず地面に着くことが前提になっている。ユーザーは自分で歩くんだ。」

 ニュカネンは言ってから、ラムゼイに起きた異変がかなり異常であることに気が付いた。

「サスペンダーに細工しなければ空中へ飛び上がったりしない。ラムゼイは現場に来る迄に何回かレバー操作をしたはずだから、その間は正常に動いていたのだ。これは、モーターの故障が原因の事故か?」
「事故だろうか?」

とダリル。

「もし、メーカーがここで捕まって困るヤツの仕業だったとしたら?」



リンゼイ博士 16

 ダリルは咄嗟にソファの後ろに跳び込んで難を逃れたが、ラムゼイのすぐそば迄接近していたクロエルは汚い赤い汚物を被った。ダリルはその様子を目撃して、彼に怒鳴った。

「早く手洗いへ行け! ここは私が見張っている!」

 クロエルは平気だと思ったが、素直に室外へ出て行った。
理事達は茫然自失の状態で立ちすくんでいた。女性たちの衣服にも赤い滲みが飛び散っている。モスコヴィッツは頭髪から雫が垂れていた。医師がラムゼイだったモノに近づこうとした。ダリルは「動くな」と命令した。 ビューフォードは壁に背を押しつけて立っていた。
 ダリルは端末でその場の様子を記録した。そしてニュカネンに電話を掛け、すぐに来いと言った。反論は許さなかった。次いで警察にも連絡した。理事達は何も口出ししなかった。
 やがてビルの警備責任者が監視カメラの映像を見て駆けつけた。ダリルは彼にフロアの封鎖を命じた。警察と遺伝子管理局以外は入れるなと命令したのだ。
 それから、やっと理事たちを金縛り状態から解放した。
 女性達は互いに身を寄せ合い、体に付着した赤いモノを取り合った。モスコヴィッツはまだ動かない。腰が抜けて立ち上がれないのだ。医師は果敢にも遺体に近づき、死んでいることを確認した。検屍官が来る迄触れてはいけないので上から覗いただけだが、誰が見てもラムゼイは頭部に酷い損傷を受けて死んでいた。
 ダリルは重力サスペンダーを見た。機械はラムゼイが床に落ちた時に壊れていた。

 誤作動なのか? それとも・・・?

 ニュカネンがクロエルと共に入って来た。クロエルは上半身を脱いで、見事な肉体を曝していた。肌に直接銃ホルダーを掛けていた。シャツもスーツの上着も汚れてしまったのだ。ダリルは自分の上着が汚れていないか自信がなかったが、脱いでクロエルに渡した。クロエルのドレッドヘアから水の雫が垂れている。ここが片付いたらすぐ入浴させるべきだろう。
 ニュカネンは遺体を見て、思いっきり不機嫌な顔をした。昨日から死体ばかり見せられている気がした。それでも、するべきことはした。遺体からサンプルを採取してDNAで身元確認をしたのだ。

「木星第3コロニー、第5セクション出身、サタジット・ラムジー 84歳 男性。」

 彼が結果を読み上げると、室内の人々は無言で顔を見合わせた。
 最初に口を開いたのは、クロエルだった。

「ラムジー? やはり『死体クローン事件』の中心人物だった、あの遺伝子学者ってこと?」
「そうだ。マザーコンピュータに登録されているコロニー人は、執政官とジェネシスだけだ。」

 ニュカネンはその場に居た人々を見回した。

「何があったんだ?」
「それは後で説明する。」

とダリル。
 ビューフォードが言った。

「自殺だ。彼はメーカーだとばらされて、逃げられないと悟って自殺した。」

 ダリルとクロエルは顔を見合わせた。ラムゼイが自殺するような人間とは思えなかった。


2016年10月16日日曜日

リンゼイ博士 15

 ダリルは老人が理事長の横に来るのを見ていた。重力サスペンダーの音が以前と違うような気がした。何かが引っかかるような・・・
 クロエルはこんなに歳を取ったコロニー人を見るのは初めてだったので、珍しげに眺めた。ドームの外で暮らすとコロニー人も地球人も表皮の劣化速度は変わらないんだ、と思ったのだ。ラムゼイ博士はそんな彼を見て微笑み、ダリルに声を掛けた。

「なかなか魅力的な連れを伴って来たもんだな。」
「貴方はドーマーを見るといつもそう言う。」

ダリルの返答に彼はフフンと笑った。理事達を完全に無視して、ドーマーだけを相手にすることに決めたらしい。

「おまえが来るとは予想外だったな、脱走ドーマー。」
「そうかな。私の息子を抑えたのは私を呼ぶためじゃなかったのか?」
「儂を逮捕することが、おまえの免罪符になるのかね?」
「残念ながら世の中そんなに甘くなくてね。私は貴方をドームに連行したら、また囚人になる。」
「なんでそんな物好きなことをする? 折角の逃亡のチャンスなのに。」
「ドームには、守りたい人がいるのでね。」
「倅のもう片方の親か? まだ仲が続いているのだな。結構なことだ。」
「貴方の息子もついでに守ってやるさ。」

 ラムゼイが眉をひそめた。

「儂の息子だって?」
「ジェリーのことだ。それとも、彼は只の使用人か?」

 ラムゼイが理事長を見た。他の理事たちも見た。まるでダリルが重大な秘密を暴露してしまったみたいだ。ラムゼイはジェリー・パーカーの存在をトーラス野生動物保護団体に知られたくなかったのか?
 その時、クロエルの端末にメールが入った。クロエルがちらりと(彼には充分だ)見て端末を仕舞った。そして初めてラムゼイに話しかけた。

「ジェリーの意識が戻ったらしいよ、爺さん。」
「何のことだ?」
「彼は逮捕された時、自殺を図ったんだ。」

 本当は、自殺を図ったので麻痺光線で撃たれ、麻酔でずっと眠っていただけなのだが、ラムゼイにはジェリー・パーカーが重傷を負った様に聞こえたはずだ。
 ラムゼイの顔が苦悩で満ちた。ダリルが初めて見る表情だった。

「ジェリーは儂が創ったクローンだ。だが、ただのクローンではない。あれはオリジンだ。あれの価値が、おまえたちにはわかるか?」
「オリジン?」

 モスコヴィッツが怪訝な顔で尋ねた。 ダリルは先祖の記憶に答えを求めた。

「baseか? 人類のbase なのか?」

 クロエルも何か思い出したようだ。

「50年前の『死体クローン事件』で盗まれた細胞があの男なのか?」

 モスコヴィッツや他の理事たちには、ラムゼイとダリルたちの会話の意味がまったくわからない。ラムゼイは解説するつもりはなかったし、ドーマー達にもそんな暇はない。
ダリルとクロエルは少しずつラムゼイに近づこうとしていた。隙を見て老人を取り押さえるつもりだった。
 ラムゼイは、ドーマー達がきちんとドームの歴史の授業を覚えていたのだな、と笑った。

「ジェリーは火星にある人類博物館の赤ん坊のミイラから創った。死んだ細胞からクローンなど創れっこないとみんな思っていたらしいがな。ちゃんと赤ん坊になり、育った。古代のエジプト人そのままにだ。あれのDNAは、地球に異変が起きるより4000年も前のものだ。正常な人類のDNAだ。あれは女の子を創れる。」
「では、農場にいた女性、シェイは何者だ?」
「あれはコロニー人の女だ。クローンではない、純粋にコロニー人だ。地球育ちだがね。」
「コロニー人の親から盗んだのか?」
「買ったのだ。どこでも金に汚い人間はいるのさ。お陰でクローン製造の時に必要なジェネシスを得ることが出来た。」
「クローン製造に用いる卵子の提供者のことだな。彼女は今どこにいる?」
「さて、何処かな?」

 ラムゼイは薄ら笑いを浮かべた。そして重力サスペンダーに手を当てた。クロエルがその動作に気が付いた。

「止せ! 危ない!!」

 しかし、次の瞬間、ラムゼイの体はロケットの様に空中に飛び上がった。モスコヴィッツが驚いて身を退くと、ラムゼイは天井に激突し、そして今度は床に叩きつけられた。
女性達が悲鳴を上げた。赤い物が室内に飛び散って人々に降りかかった。
 清潔第1のドーマーには恐怖の瞬間だ。ダリルとクロエルは殆ど本能的に部屋の隅に逃げた。


 



リンゼイ博士 14

 一昨日ドームを出る時に着ていたシャツが洗濯されて戻って来たので、3日目はそれを着て出かけることが出来た。出張所の休憩室で泊まったので、快眠とは言えなかったが、休息は取れた。 朝食後、簡単な打ち合わせをした。ニュカネンは部下とトーラス野生動物保護団体ビル周辺を固め、メーカーの逃亡を防ぐ役割を担当し、ダリルとクロエルがビル内でリンゼイ博士と会う。
 団体は今、繁殖期の動物に体外受精させた胎児を注入する仕事で大忙しだと言う。出来るだけ自然のサイクルを守る為、早すぎても遅すぎても駄目だ。タイミングを上手く合わさなければならない。だから多くの会員が野山に出かけて留守だ。
 ビル内は病院の匂いがする博物館と言った雰囲気だ。野生動物の写真、映像、剥製、骨格標本などが展示され、学習と自然保護の啓蒙に努めている公開フロアを抜け、寄付を募るカウンター横から事務室に入ると、スーツ姿の中年男性が待っていた。政治家の秘書の匂いがしたが、理事のビューフォードと名乗った。

「話はミズ・フラネリーから聞きました。こちらへどうぞ、理事が数名集まっています。」

 事務室奥のドアからスタッフ専用のエレベーターへ案内された。ビューフォードは遺伝子管理局に仲間を捜査されるのを歓迎していない様子だ。セレブの団体なので、他所から指図されるのが気に入らないのだろう。

「ところで、管理局の方は銃をお持ちですね?」
「コロニーの麻痺銃です。お気に召しませんか?」
「銃アレルギーの理事もいます。なるべく目に付かない様に気をつけて下さい。」

 まさか銃を見た途端に蕁麻疹が出る訳ではあるまいに。それに遺伝子管理局は警察ほども銃を使用しない。疚しいところがなければ、銃の心配をすることはないはずだ。
 エレベーターは6階まで上がり、そこで一同は広い部屋に入った。理事が5人、立ったり座ったりして、遺伝子管理局の2人を迎えた。
 理事長席の隣に座っていたアーシュラ・R・L・フラネリーが客を見て立ち上がった。

「約束の時間ぴったりね、ミスター・セイヤーズ。」

彼女はクロエルにも挨拶した。

「可愛いドーマーさん、おはようございます、秘書が貴方によろしくと申しておりました。」
「こちらこそ、秘書さんによろしくお伝え下さい。夕べはご馳走様でした。」

 離れた位置にいる女性2人組が囁き合った。

「綺麗な南米人ね。あのドレッドに頬ずりしたいわ。」
「白い方もセクシーよ。ドーム人って、本当に美形揃いね。」

 ダリルは聞こえないふりをして、クロエルを紹介し、自己紹介した。一般人に名乗る場合はドーマーを省くのだが、アーシュラが「ドーマー」と口にしたので、ついうっかり付けてしまった。 女性の1人が驚いた。

「ご親戚?」
「ま、そんなもんです。」

とクロエル。名前と姓が一つでしかないクロエルには親切な結果だったのかも知れない。
理事長のモスコヴィッツが自己紹介した。彼の顔は知っていた。団体のウェブサイトに写真が載っているし、彼が経営する清涼飲料水会社のテレビCMでもお馴染みだ。
残りの3人も名前を聞けば知っている人々だった。女優に有名医師に弁護士だ。
「さて・・・」とモスコヴィッツが口を開いた。

「我らが団体の古き会員で良き友人であるアーノルド・リンゼイ博士がメーカーのラムゼイであると言う証拠はあるのかな?」
「物的証拠はありません。」

とダリル。

「ですが、私はラムゼイを個人的に知っています。当人をこちらへ呼んで頂ければ、全て解決です。我々は彼を逮捕し、速やかに撤退します。」

 理事長は頷いて、ビューフォードにリンゼイ博士を呼んでくるよう命じた。ビューフォードが部屋から出て行った。
 理事たちは2人のドーマーを観察していた。「野生動物を保護する」団体の人間たちにとって、ドームの中で保護され育てられるドーマーは不自然な地球人なのだろう。ある意味で「忌むべき者」だ。しかし、サラブレッドが高価で素晴らしい生きた芸術作品であるように、ドーマーも鑑賞に堪えうる存在であることは否定出来ない。

「リンゼイがラムゼイだとしても、彼は野生動物復活に多大な貢献をしてくれた。失うに惜しい人材だ。どうしても逮捕しなければならないのかね?」

 モスコヴィッツが尋ねた。人の上に立つことに慣れた男の質問だ。お金でなんとかならないか、と匂わせている。ドームには政治的圧力も賄賂も効かない。しかし、外に出てくるドーマーは人間だ。どうとでも扱える。そんな慢心が感じられた。クロエルは笑いたいのを我慢した。ドームの中で暮らしている限り、お金は意味がない。ご飯を食べる為の交換券程度の価値だ。ダリルがモスコヴィッツの誘惑をやんわり躱した。

「ラムゼイはクローン製造ばかりか、誘拐と殺人をやらかしました。連邦警察に訴えても良いのです。」
「それは困る。」

と医師が呟いた。

「なんたることだ、我らが友人がメーカーとは・・・」

案外知っていたんじゃないのか、とドーマーたちは疑った。ラムゼイは団体にどっさり寄付をしているのだろう。

「私達は薄汚い犯罪者にまんまと騙されていたのね。」

 女優が身震いした。演技だとしたら、上手くない。クロエルが笑いそうになって咳払いした。
 するとアーシュラが部屋から出て行った。彼女と入れ替わるように、別のドアからビューフォードが戻って来た。彼の後ろに重力サスペンダーの音を低く響かせながら入って来た男がいた。
 彼は室内のダークスーツ姿の2人を見て、ちょっと笑った。

「やれやれ、地球も狭くなったもんだ、ドーマーたち、おはよう!」


リンゼイ博士 13

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーとクロエル・ドーマーが出張所に帰り着いたのは午後8時過ぎだった。職員たちは帰宅し、北米南部班のチームはドームに帰投してしまい、がらんとした建物の中にリュック・ニュカネンが1人で待っていた。
 ダリルは思わず尋ねた。

「1人で?」
「そうだ。1人で!」
「私の息子は?」
「帰った。」
「何処へ?」
「自宅だろう?」

 ダリルは頭を殴られた様な気がした。ライサンダーが1人で家に帰っただって? 誰もいない山の家にか? 長い道のりを1人で? 所持金0で? 
 そこでダリルはハッとして2階へ駆け上がった。クロエルが1人で会議室を片付けていた。ダリルは彼に尋ねた。

「財布はあったか?」
「うん。」

 クロエルが財布を出して見せた。

「全額ありますよ。そうだ、リュックに借金を返さないと、怒られるな。」

 彼はさっさと階下へ降りていった。
 残されたダリルは何をどうして良いのかわからなかった。ライサンダーは所持金なしだ。電話も持っていない。彼が昨日まで使っていたメーカーの端末はJJと共にドームへ送られてしまった。息子は何処にいるのだろう。身を守る武器もないのに。あんな綺麗な少年が1人で旅をしていたら危険だとわからないのか?
 そばの椅子に座り込んで考え込んだダリルを、クロエルが戻って来て覗き込んだ。

「ライサンダー坊やに捨てられたんですか、セイヤーズ?」
「・・・うん・・・」
「可哀想に・・・でもあの子なら大丈夫ですよ。貴方とレインの息子ですから。」

 ダリルは顔を上げて、すっとぼけた表情のクロエルを見上げた。まさか、こいつ、朝出る前に既に知っていたんじゃないのか?

「君がそそのかしたのか?」
「何をです?」
「ライサンダーに1人で帰れって・・・」
「そんなことは一言も言ってません。」
「しかし・・・」

 朝の光景が脳裏に蘇った。クロエルは遺伝子管理局からのメールを受けて、ライサンダーに見せていた。どんな内容だったのだ? 

「クロエル、今朝の局長のメールは何て言ってきたんだ?」
「貴方に教えるような内容じゃないです。」
「だが、ライサンダーには見せただろう?」
「そうでしたっけ?」

 クロエルは端末を差し出した。ダリルがメール履歴を見ると、今朝のメールは既に削除されていた。ダリルは端末を操作した。

「クロエル、削除したって、復活させられるんだよ。」

 消されたメールが表示された。

ーーセイヤーズの息子をドームに来るように説得せよ。

 クロエルが溜息をついた。

「だから進化型一級の連中は恐いんですよ。」
「息子はこれを見て、逃げたんだな?」
「決断したのは彼です。僕は何も指図してません。」

 ダリルも溜息をついた。息子に手を出さないと約束したのはケンウッド長官だった。ハイネ局長ではない。違法製造クローンの処遇を決めるのは、長官ではなく、局長だ。

すまない、息子よ、父の手落ちだ・・・




2016年10月15日土曜日

リンゼイ博士 12

 ダリルは慎重に老婦人に近づいた。彼女の肌に触れないように気をつけながら、彼女の肩を支えて椅子に座らせた。

「全ての女性がわざわざドームに集められて出産するのは、地球人の種を維持する為です。大異変の後、地球では女性の出生率が極度に減少し、男女比率が大きくバランスを崩してしまいました。」

 女性が全く誕生しない、とは言えなかった。現在の地上の女性全てがコロニー人のクローンだとは口が裂けても言えない。

「女性を安全に且つ文化的に高い教育を受けられる家庭に託すのが一番だと、コロニーと地球政府の初期指導者たちは考えたのです。ですから、貧しい家庭や問題のある保護者がいる女の子たちを豊かな家庭に託すことにしました。両親を騙す形になりますが、養女では数が少ない女性を奪い合って、金で売買される危険があります。それで取り替え子が行われました。貴女の息子さんは、決して貧しい家庭に与えられた訳ではありません。貴女と同じ裕福な子宝に恵まれない家庭に養子として育てられました。彼は幸せです。だから、哀しまないで下さい。」

 アーシュラ・R・L・フラネリーはダリルを見上げた。

「貴方はドーマーね、ミスター・セイヤーズ?」
「ええ、そうです。」
「ドーマーは親がいないのよね。」

 この婆さん、手強い。ダリルは気を引き締めた。何と言っても、あのポール・レイン・ドーマーの母親だ。

「引き取り手がない子供がドーマーになるのです。」
「そうは思えない。」

 アーシュラは自分を取り戻した。

「貴方は美しいし、とても賢そうだわ。健康で運動も出来る。ドームで見たドーマーはみんなそうだったわ。ドームは特別優秀な子供だけを残してドーマーに育てるのではなくて?」
「・・・」
「貴方は私が手を掴んだ瞬間に私の力を見抜いた。貴方の近くに私の息子がいるはずです。あの子もドーマーにされているのでしょう?」

 ダリルは「イエス」と言うべきか「ノー」と言うべきか迷った。ポール・レイン・ドーマー本人の意見が聞きたかった。ポールは教育棟で「親」と言う人間がいると知った時、親に会いたいとは言わなかった。ドーマーは殆ど皆そうだ。親身になって育ててくれる養育係が親だった。執政官たちが暇を見て遊んでくれたから、生みの親の存在を知らなくても幸せだった。それにポールとダリルは一緒にいる時が一番幸福だった。ポールは40歳を過ぎてから親と対面したいと思うだろうか。

「貴方も親御さんに会いたいとは思わないのかしら。」

 アーシュラが囁いた。ダリルの表情から彼が迷っていることを見抜いていた。

「もし息子に会わせて頂けるのなら、リンゼイ博士に面会する手筈をつけます。彼がメーカーだとは信じがたいですのですが、貴方方遺伝子管理局がそう言うのだから、間違いないでしょう。誤りなら、こちらも法的手段を採らせて頂きます。宜しいですか?」

 政治家の妻であり母親である女性は強引に取引をもちかけてきた。ダリルは仕方なく譲歩した。

「友人に話してみます。ですが、面会はラムゼイを逮捕した後です。それで宜しいですか? また友人が面会を拒めば、無理に連れて来ることは出来ません。」
「結構です。」

アーシュラが頷いた。

「もし、彼が面会を拒否するのでしたら、遠くからでかまいません、一目だけでも姿を見させて下さい。あの子に会わずに死ぬのは嫌です。」

 母親の執念は強い。ダリルは気迫で負けた。

「わかりました、約束は必ず守ります。」
「明日の午前10時に団体のオフィスにお出で下さい。私の名前を出して頂ければ結構です。」

 ダリルは礼を言って、アーシュラの部屋を辞した。
 リビングではクロエル・ドーマーが幸福感に浸りながらテーブルの上の食べ物を掃討していた。出迎えた時は固い表情だった秘書が、そんな彼を憧れの目で見つめていた。クロエルは本当に女性によくもてる。こんなに可愛らしい男が、実の母親に存在を否定され、この世から消されかかったのだ。
 世の中、どこかでバランスを取っているとしたら、それは人の幸福と不幸が半々と言うことだろうか? それとも幸福ばかり来る人と不幸ばかり来る人がいると言うことか?




リンゼイ博士 11

 ロイヤル・ダルトン・ホテルグループは名門高級リゾート施設として知られていたが、セント・アイブスではこぢんまりとした建物で目立たなかった。部屋数も多くなく、大きなイベントも開かれない。しかし静かでゆったりとした空間には高価な調度品や装飾品がさりげなく配置され、館内には静かな音楽が流れていた。

「ううう・・・ムズ痒い・・・」

とクロエルが囁いた。

「僕ちゃん、こう言うの、苦手ですぅ・・・」

 ダリルは彼の横顔を見てクスッと笑った。クロエルの顔は、色は黒いが高貴な雰囲気が漂っている造りだ。このホテルの雰囲気にぴったりの貴公子にもなれるのに、心の芯から拒否している。ダリル自身も好きになれないと感じていたので、おかしさはなおさらだ。
ドーマーは上流階級でも通用する作法を躾けられているが、実際にその場に出かけることは滅多にないし、その世界の住人との付き合いもない。
 エレベーターで7階に上がると、高級感はますます上昇した。7階はS2と言う部屋しかなかったのだ。
 ドアチャイムを鳴らすと、宿泊者の秘書と名乗る女性が出迎え、リビングに案内された。 テーブルの上に軽食が並べられ、どうぞ召し上がれ、と言われた。

「時間が惜しいです。面会をお願いします。」

とダリルが要求すると、秘書は、面会出来るのは1人だけだと言った。するとクロエルがちゃっかり椅子に座り、自分はお茶して待ってます、といけしゃあしゃあと宣言した。
ここで夕食を済ませる魂胆だ。ダリルは仕方なく、秘書の案内で奥の部屋へ向かった。
 大統領の母親、アーシュラ・R・L・フラネリーは窓際に立って客を迎えた。午後6時はまだ陽が高く、逆光でダリルからは彼女の顔がはっきりと見えなかった。

「ダリル・セイヤーズ、貴方が姪を助けてくれたドーマーね。」

 アーシュラの第一声がそれだった、ダリルはおやっと思った。一般人は普通「ドーマー」と言う単語を使わない。遺伝子に関する仕事をしている人間にとっては珍しくなくても、一般人にとっては耳慣れぬ「業界用語」で、彼等はドーマーもコロニー人もひっくるめて「ドーム人」と呼ぶ。政治家の妻だから知っていると言う言葉でもないのだ。

「お忙しいところを無理を聞いて頂き、感謝します。」

 ダリルが挨拶すると、彼女は椅子に掛けるように、と言った。座ると、お茶か珈琲かと尋ねられたので、珈琲を選択すると、すぐに珈琲と少しばかりの食べ物が運ばれてきた。
本当は、時間制限など気にしていないのではないか、とダリルは疑った。
 アーシュラが少し立ち位置を移動して、ダリルはやっと彼女を見ることが出来た。
背の高い女性で、髪は真っ白だった。60代半ば、地球人としては高齢だが、背筋はまっすぐだし、足腰もしっかりしている。その目は冷たい薄い水色だった。ダリルはどきりとした。彼女は彼の身近な人によく似ていたからだ。

「トーラス野生動物保護団体に何のご用でしょうか?」
 
じっと彼を見つめる目つきは鋭く、まるで敵意を抱いている様だ。ダリルは正直に打ち明けた。

「大物のメーカーが団体に潜り込んでいる疑いがあります。ラムゼイ博士と呼ばれるコロニー人です。重力サスペンダーで歩行する老人で、昨日彼の部下たちを一網打尽にしたのですが、本人は別行動で逃げおおせました。その後、彼を知っているらしい人物が、我々が訪ねて行った直後にトーラス野生動物保護団体に連絡を入れました。彼は違法クローン製造の他に同業者の殺害や誘拐などの罪も重ねています。」

 アーシュラが黙っているので、ダリルはさらに押してみた。

「フラネリー大統領はクローン技術の開示をドームに求めておられますが、それは違法クローン製造取り締まりに関連していたはずです。大統領は取り締まりには積極的に協力して下さいます。その母上が理事を務められる団体に、メーカーが潜り込んでいるのは拙いのではありませんか?」
「ラムゼイとか言う人は会員にはいませんが?」
「では、重力サスペンダーを使用する老人はどうです? インド系の男性です。」
「ネコ科の動物のクローンを研究するリンゼイと言う博士がおられますが・・・」
 
 ダリルは端末にラムゼイの写真を出した、望遠撮影なので少しぼけているが、特徴は掴んでいる。アーシュラが溜息をついた。彼女はリンゼイ博士とラムゼイ博士が同一人物だと認めた。

「彼は30年前、一人息子を事故で失ったと言っていました。彼がクローン技術で息子の身代わりを創ろうと考えた気持ちは、私には理解出来ます。」

 彼女は突然敵意を剥き出しにした。

「私も息子を1人失いました。ドームが奪ったのです。女の子とすり替えて。」

 ダリルは心臓が停まるかと思った。何故ミズ・フラネリーが人類の極秘事項を知ってるのだ? ラムゼイが喋ったのか?
 アーシュラが近づいて来た。眼力のある水色の目でじっと見つめられて、ダリルは嘘をつくのが難しいと感じた。平静を装うのがやっとだった。

「誰がそんな話を貴女に吹き込んだのでしょう?」
「誰からも聞いておりません。こうやって・・・」

 アーシュラが手を伸ばし、ダリルの手を取った。

「・・・知ったのです。」

 衝撃だった。接触テレパスだ。ダリルは反射的に手を引っ込めた。心の動揺を抑えるのが難しかった。アーシュラは一瞬にしてどれだけの情報を彼から得たのだろう?
彼女の顔を見ると、驚いたことに相手も驚いていた。目を大きく見開いて、彼をいっそう強く見つめた。

「私と同じ力を持つ人を知っているのですね? 誰です? 何処にいるのですか?」

 彼女がテーブルを廻って来たので、ダリルも立ち上がった。

「その人は私の息子ではありませんか?」

 ダリルは彼女に触れられないよう距離を保たねばならなかった。

「ミズ。フラネリー、貴女は誤解しておられる。貴女のお子さんは貴女の娘です。」
「いいえ、あの子は私の娘ではあるけれど、私が産んだ子供ではありません。」

 アーシュラは足を止めてダリルに訴えた。

「私は確かに2人目も男の子を産みました。産声を上げてすぐに子供は別室に連れて行かれました。私が子供の顔を見る暇もありませんでしたが、私はあの子がお腹にいる時から男の子だとわかっていました。でも、授乳室で渡された赤ちゃんは女の子だったのです。私が違うと主張しても誰も聞いてくれませんでした。
 フランシスは確かに可愛い娘です。本当の親に返したくはありません。でも、私の息子は何故すり替えられたのでしょう? 息子はどうなってしまったのでしょう? 誰も教えてくれません。夫に訴えても信じてくれませんでした。私は病気扱いされ、惨めな思いをしました。フランシスには良い母親であろうと努力はしました。ですが・・・」

 彼女は両手で顔を覆った。

「私の弟の子供、あの子も義妹のお腹にいた時は男の子だったのに、ドームから帰った義妹が抱いていたのはアメリアだったのです。」

 ダリルはその場から逃げ出したくなった。大統領の母親は接触テレパスだ。しかも子宮の中にいる胎児の性別まで判別出来る強力な力を持っている。その上、彼女の夫の名はポール・・・ポール・フラネリー元上院議員だ。あの老政治家の顔を40歳ほど若返らせたら、かつて葉緑体毛髪だったあの髪の毛を取り除いたら・・・

ポール・レイン・ドーマーの顔になる!!




リンゼイ博士 10

 午後5時には「スミス&ウォーリー」を再訪しなければならない。ダリル・セイヤーズ・ドーマーとクロエル・ドーマーはそれまでの間にもう一軒、クローン技術で事故などで失った手指を補う体躯の部分を製造している業者を当たった。この業者は好意的で雇っている研究者全員と技術者を紹介してくれた。真面目な医療に取り組んでいる研究所だ。彼等はリュック・ニュカネンとも顔馴染みらしく、本部局員だけの訪問を訝しんだが、ニュカネンが警察の仕事で留守なのだと説明すると納得した。設備はそんなに最新の物を置いていないので、クロエルが補助金を受給しているのかと尋ねると、審査が厳しくて申請金額の8割しか受けていないと言う。クロエルは次年度の申請書に自分たちの名前を入れて訪問を受けたとコメントを書いておくように、とアドバイスした。

「使えるコネはなんでも使って頂戴。」

とクロエルが中米流の仕事の仕方を伝授した。
 研究者たち全員と面談したので、重力サスペンダー屋に駆け込んだのは5時ジャストだった。
 店主は「本当に来たのか」と言う顔をした。それでもバネを見せ、小さな紙袋に入れて渡してくれた。値段はクロエルがニュカネンから借りた昼食代の残金ぎりぎりだった。
 店から出ると2人は出張所に向かって歩き始めた。バス代はなかったし、電話を掛けて迎えに来てもらうのは気が引けた。なにしろ、別れ際は喧嘩同然の状態だったから。
 歩いていると、アメリア・ドッティから電話が入った。

「午後6時にロイヤル・ダルトン・ホテルに行けますか?」

 ダリルはセント・アイブスの地図を思い浮かべた。現在地から徒歩20分。

「行けます。」
「伯母が夕食前の30分だけ面会しても良いと申しております。伯母の部屋へ直接行って下さい。フロントは通さないで。部屋は7階のS2です。」
「わかりました。有り難うございます。」
「伯母はちょっと変わり者で気難しい人です。怒らせたと感じたら、すぐ待避して下さい。」

 最後はちょっと笑い声だったので、誰もが経験することなのだな、とダリルは想像した。 クロエルに、夕食が遅れそうなので先に出張所に帰ってもかまわない、と告げると、ダリルの監視も兼ねているクロエルは、冗談でしょ、と笑って同行することを同意した。帰るのが遅くなるとライサンダーが怒るだろうな、と思ったが、息子なりになんとかやるだろうと突き放した考えもあった。息子はもうすぐ18歳、成人になるのだ。


2016年10月14日金曜日

リンゼイ博士 9

 昼食は学生達が集まるカフェテリアで珈琲とハンバーガーで済ませた。
クロエル・ドーマーは食べ終わると、中米の部下からの報告チェックだ。疑問点を見つけるとメールを送ったり、直接電話を掛ける。
 学生達が興味津々で2人を見物しているのにダリルは気が付いた。遺伝子管理局の仕事に好奇心を持っているのだ。もっともクロエルはマシンガン並のスペイン語で喋っていたので聞き取れた学生がいたのかどうか定かではない。
 ドームの中にスペイン語を喋る集団がいるが、どうやら中米班と南米班の連中だな、とダリルは思った。西ユーラシア・ドームに居た頃はもっと多くの言語が飛び交っていた。お陰でダリルは読み書きだけなら10カ国語以上出来るが、喋るとなるとクロエル並の早口は無理だ。クロエルは本当はスペイン語が母語なのだろう。しかし、あの早口を聞き取れる部下って・・・凄い・・・
 突然クロエルが口を閉じたので、ダリルはびっくりしたが、彼はただ用件を終えただけだった。

「サスペンダー屋がトーラスに電話を掛けたんでしょ? 今日行かないと拙いんじゃないですか?」
「私もそう思う。何か突破口はないかな・・・」

 ふとダリルの頭に閃いたものがあった。 彼は端末を出すと、ドームのプールで助けたアメリア・ドッティの番号をダイアルした。彼女が合コンの時に教えてくれたのだ。もし記憶が確かなら、アメリア・ドッティはフラネリー大統領の従妹だ。トーラス野生動物保護団体の理事の1人に、大統領の母親がいたではないか。
 大富豪の奥方は、子供を産んだばかりなので自宅に居た。そして退屈していた。
ドームで命を助けてくれたイケメンのドーマーから電話をもらって、彼女は喜んだ。
是非夫に紹介したいと喋り掛ける彼女を穏やかに制して、ダリルは用件に入った。

「実は仕事の関係で貴女のお力添えを頼みたいと思って電話を差し上げているのです。」
「お仕事で?」
「トーラス野生動物保護団体をご存じですか?」
「伯母が理事を務めていますわ。」
「彼女に至急連絡を取りたいのですが、どうすれば連絡がつきますか? 彼女の都合が悪ければ、他の理事でも良いのですが。」
「今、ドームにいらっしゃるの、ミスター・セイヤーズ?」
「いいえ、セント・アイブスです。」
「それでは好都合ですわ。伯母はそちらのロイヤル・ダルトン・ホテルに居ります。会議に出席するために一週間ほどそちらに滞在する予定ですわ。今日、お会いになりますか?」
「伯母様のご都合が宜しければ、是非お願いします。」
「では、連絡を取ってみましょう。そちらは今お使いの番号で宜しいですか?」
「はい、この番号にお願いします。」
「この次にお電話下さる時は、お仕事の話は抜きでお願いしますね、ミスター・セイヤーズ。」

 通話を終えると、クロエルが感心した。

「ひょっとして、医療区で合コンしていた人?」
「うん・・・って、知ってるのか?」
「知ってますよ。見てたもん。」

 クロエルが思い出し笑いした。

「レインのファンクラブが悔し涙流しながら見てたもんなぁ。あれは面白かった。」
「見ていたって・・・?」

 ダリルは食堂のマジックミラーを知らない。クロエルはウィンクした。

「今度ドームに帰った時に教えてあげます。」


リンゼイ博士 8

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーとクロエル・ドーマーはセント・アイブス医大のキャンパスを通り抜けて行った。大学なので若者が多い。地方の小父さんばかりの田舎町に住んでいたダリルには新鮮な風景に見えた。息子もこんな環境で育てたかったなぁと思った。
女性もよく見かけた。彼女たちは研究者か学生で、2人を見て好奇心で近づいて来たり、手を振ったりして存在をアピールした。クロエルは慣れているのか、笑いかけたり、手を振り替えしたりと忙しい。

「さっきリュックに切れて見せたシビアな君と、今のおちゃらけた君と、どっちが地なんだい?」

 ダリルはちょっと可笑しくなってからかってみた。クロエルは困ったと言う顔をした。

「どっちも僕なんですけどぉ・・・」
「オンとオフの切り替えが速くて驚くよ。」
「感情の起伏が激しくてね。」
「そうは見えないな。君は完璧に自身をコントロール出来ているよ。」
「貴方だってそうでしょ。ニュカネンに腹を立てて見せても暴挙には出ない。」
「腹を立てても立てるだけ無駄な相手と18年も過ごして来たからね。」
「ライサンダー坊やは、そんなに聞き分けが悪かった訳?」
「否・・・私が怒っても反応がないんだ。怒られた理由をすぐ理解して自分で修正してしまうから。」

 話をしているうちにキャンパスを出て、トーラス野生動物保護団体のビルの前に到着した。灰色の石で壁を築き上げた古い建物だ。2人の遺伝子管理局の人間が入り口に行くと、ドアの内側の受付カウンターに居た女性が慌ててドアを開けた。
 クロエル・ドーマーが彼女に責任者を呼んでくれ、と頼んだ。

「誰でも良いけど、今このビル内に居て、メンバーリストの開示に責任が持てる人を頼みますよ。」

 遺伝子管理局の「頼み」は遺伝子を扱う事業を行う団体や研究者には「命令」と同じだ。 機嫌を損なえば忽ち業務停止処分を食らう。女性は誰かに電話を掛けた。
 ダリルがクロエルに囁いた。

「君がここへ来ようと思った理由は何だ?」
「なに、大学のクローン研究施設一覧にここも載っていたと言うだけですよ。」

 クロエルが声を低くして言った。

「野生動物のクローン再生をやってるんです。」

受付の女性が彼等に振り返った。

「申し訳ございません、今日は理事は1人も来ておりません。明日、出直して頂けますか?」




2016年10月12日水曜日

リンゼイ博士 7

 リュック・ニュカネンの端末に着信があった。ニュカネンが出ると出張所の部下からで、彼は暫く部下と何やら話をしていた。
 またしても足止めを食ったダリル・セイヤーズ・ドーマーはドアに手を掛けた。ニュカネンが横目で見ていて、空いている手でロックを掛ける。

「おい・・・」
「勝手に出るな。」

 ニュカネンは早口で部下に指示を与えてから電話を終えた。

「悪いがこれから出張所に帰る。」
「なにぃ?」
「レインのチームが押収品の仕分けを終えたので、ローズタウンの警察署に運んでそのまま空港からドームに帰投する。」
「勝手に行かせろよ。」
「ローズタウン警察から、今朝砂漠で発見された身元不明の死体のDNA鑑定依頼が来ている。行かねばならん。」
「だったら、君が行け。私は残る。」
「駄目だ。ここにいる間は、私の指示に従え。私は君の安全に関してドームから必ず守れと命令されている。私の立場も考えてくれ!」

突然、クロエルがドアをドンッと手で叩いた。

「いい加減にしろ、リュック・ニュカネン! セイヤーズは君より遙かに用心深いし、経験も積んでいる。君とつるんで歩くより、彼1人で捜査させた方がずっとスムーズに仕事が捗る。それに何か忘れていないか? セイヤーズは今回僕のサポート役だ。僕が指示することに彼は従う。君の指示ではない、僕の指示だ。僕はこれからトーラス野生動物保護団体ビルへ行く。セイヤーズは僕に同行する。君は出張所に帰って君の仕事をやれ。」

 中米班チーフ、クロエル・ドーマーの剣幕にニュカネンがたじろいだ。間近に睨み付けられ、彼はドアを解錠した。
 クロエルが先に外に出て、ダリルも降りた。彼は憮然として運転席に座っているニュカネンを宥めた。

「敵陣に乗り込む訳じゃないから、先方の様子を見て帰るよ。この街での君の顔を潰したりしないから。」

 ニュカネンが何か言い返そうとした時、運転席側に移動したクロエルが彼に声を掛けた。

「あのさ、言いにくいんだけど、僕ちゃん財布忘れたの。昼飯代だけでも貸してくんない?」

2016年10月11日火曜日

リンゼイ博士 6

 ダリルが退屈し始めた頃にやっとクロエル・ドーマーとリュック・ニュカネンが学舎から出て来た。クロエルには早速女子学生の取り巻きが出来ており、その後ろをニュカネンが仏頂面で歩いてくる。クロエルは自身の話術で女の子が寄ってくると信じているらしい。マシンガンみたいに喋りまくって彼女達を笑わせている。しかし、ダリルは別の面を見ていた。

 クロエルは本人が気づかないだけで、かなりのイケメンなのだ。

 ドームの中は男性の数が断然多いので、ドーマー達は気が付いていないが、クロエルの容姿は女性が好むタイプだ。もしドームが彼の子孫を残したいと思えば、簡単に希望者が集まるだろう。だが、彼にはそれが出来ない理由がある。クロエル自身が語った父親が不明だと言う事実の他に、母親の家系にも問題があったのだ。
 クロエルの母親は、アンデスに住む絶滅寸前の少数民族の娘だった。ドームは彼女を取り替え子で世に送り出す時に、既に彼女の婚約者を決めていた。絶滅寸前だから選択の余地がなかったのだ。しかし不幸な事件で彼女はクロエルを身ごもり、堕胎した。母親はこの事件がきっかけで婚約者と別れてしまった。彼女はそれきり結婚を諦め、子供を産むこともなく歳を取り、別れた婚約者はドームから許可をもらえず結婚出来ずに歳を取った。
 母親の部族の血を引く子供は、皮肉なことにクロエルだけになってしまったのだ。
「地球人復活プロジェクト」では、出来るだけ少数民族の絶滅を避けることと明記されている。クロエルは「雑種」だが「希少種」でもあるので、ドームは彼の相手を適当にあてがうと言うことが出来ない。遺伝的に問題がない相手で希少民族の血を引くクローンの女性でなければ、クロエルと結婚させられないと「委員会」は考えるのだ。

「おまたせ〜」

 クロエルが女子学生達を追い払いながら車に乗り込んで来た。随分もてるんだな、とダリルがからかうと、ナンパされそうになったと笑いながら言ったが、冗談ではなかった。
運転席に座ったニュカネンが、彼に女子学生から渡された物を提出させたのだ。

「嬉しそうに女の子の住所や番号を集めるんじゃない!」
「僕ちゃんが集めたんじゃありません、向こうが勝手に手に押し込んで来たんです!」
「鼻の下を伸ばしてデレデレしていると、メーカーに攫われるぞ。」
「そんなへましないもん。」

まるで子供の喧嘩だ。ダリルは強引に割り込んだ。

「何か収穫はあったか? 私はトーラス野生動物保護団体に行きたいのだが・・・」

するとクロエルが、

「そこ、この学舎の隣。これから行く所ですよ。」

と言って彼を驚かせた。野生動物保護団体がクローン研究に関係してるのか。 野生動物の多くがクローンの子孫なのかも知れない。




リンゼイ博士 5

 ケンウッド長官は尋問には慣れていないし、事情聴取を目的に病室に来た訳でもなかった。勿論精神カウンセラーでもない。しかし、ポール・レイン・ドーマーが心的ストレスを抱えているのは素人目にもわかったし、それをケンウッドに聞いてもらいたがっていると感じた。
 彼は椅子をベッド脇に引き寄せて、端末を出した。

「記録しても良いかな? 良ければ、君が体験した嫌なことを洗いざらい語ってくれないか。胸の内にしまっておいても良いことはないぞ。」

 ポールは一瞬迷う表情をしたが、それは語るのを躊躇ったのではなく、何から話すべきか考えたのだ。そして、つまらないことも言います、と断ってから、牛との押しくらまんじゅうから語り始めた。ケンウッドはコロニー人だから、牛の生態がよくわからない。しかしポールが牛囲いの中で体験した不快で恐ろしい感覚は理解出来るような気がした。
牛囲いから出てメーカーに捕らえられ、裸にされて風呂に入れられたことも不快な思い出だ。ケンウッドは複数の手が美しいドーマーの体をもてあそぶのを想像して怒りを覚えた。不良執政官でさえ触れたことがないポールの体にメーカーがお触り放題だと?
しかし、そこ迄の体験はポールにとっては「大したことではない」のだった。
問題は、半裸状態でラムゼイの前に引き出された時だ。ラムゼイは、ライサンダーを従えており、少年の目の前でポールを裸にした。

「セイヤーズの息子がそこにいたのか・・・」
「情けない姿を見られました。」
「しかし、不可抗力だっただろう? 君は子供達を保護しに行ったのだ。セイヤーズの息子が居ても不思議ではない。彼等が捕虜扱いされていないと、事前に君は想定して出かけたのだ。ラムゼイは子供達に己の力を誇示したかったのだろう。」
「セイヤーズの息子は、我々から逃げた際に負傷してラムゼイに拾われたのだと、後で2人きりになった時に説明しました。脚を折ったが3,4日で治ったそうです。」

 ケンウッドは唸った。ダリル・セイヤーズ・ドーマーの息子は明らかに身体的な進化型の細胞補修能力を持っている。地球人とは思えない能力だし、コロニー人でも希だ。
だが・・・とケンウッドは気が付いた。ダリルにはそんな能力はない。もう片方の親であるポールにもない。

 ならば、少年の能力は何処から来ているのだ?

 すると、ポールが長官の思考を読んだかの様に、目撃した事実を伝えた。

「ラムゼイは、女を1人連れています。使用人扱いですが、恐らく彼のクローン製造に卵子を提供する役目を負っているのではないでしょうか。セイヤーズの息子も、彼女の卵細胞の遺伝子情報をいくらか受け継いでいるはずです。」
「女だって?!」

 ケンウッドはびっくりした。細胞補修能力を持つ女? 彼は思わず呟いていた。

「まさか、ジェネシスなのか?」



2016年10月10日月曜日

リンゼイ博士 4

 アメリカ・ドームの長官ケンウッドは医療区の入院棟のあるフロアで、廊下を行ったり来たりしていた。近頃ドーマーたちが、もっと詳細に言うならば、遺伝子管理局で働くドーマーたちが彼の言うことを聞かなくなっている様な気がしてならなかった。彼の、ではなく、ドームの、と言った方が良いのかも知れない。コロニー人に対して地球人が反抗的になっているのだろうか。それともこれは只の彼のひがみで、本当は何もないのかも知れない。
 病室の一つから医療区長が出て来た。

「ニコラス、何をそわそわしているんだ? まるで細君の出産を待っている旦那みたいじゃないか。」

 変な例えでからかわれて、ケンウッドはムッとした。

「私は、ローガン・ハイネがダリル・セイヤーズを借り出したきり、返さないから苛立っているのだ。セイヤーズは、ポール・レイン救出と言う役目を果たした。もう帰って来ているはずなのに、まだ外に居る。私は彼にラムゼイ追跡を命じた覚えはない。」
「そうかね。だが、君はセイヤーズの性格を承知しているはずだが?」
「セイヤーズだけの問題ではない。ハイネが何故セイヤーズの勝手を許すのか、それが解せない。」
「それはハイネと直に話し合うことだな。それより、君はレインに面会するのか、しないのか? しないのだったら、レインにはまた睡眠薬を与えて眠らせておくが・・・」
「面会はする!」

 ケンウッドは医療区長の横をすり抜けて病室に入った。
 ベッドの上に、ポール・レイン・ドーマーが横たわっていた。腕や胸に端子を付けられ、機械に繋がれているが、目は開いていた。ケンウッドは機械の表示を見て、彼のバイタルが正常なことを確認した。正常だから面会許可が下りたのだが、自身の目で確認せずにはいられない性格だ。
 ポールが小声で言った。

「残念ながら、生きていますが?」
「生きて帰ってきてくれて嬉しいよ。」
「抗原注射の効力切れで動けないだけです。どこも悪いところはないと言われました。」
「うん・・・」

 ケンウッドは用心深くポールの右手を握った。冷たい手だが、それは点滴のせいもあるだろう。ポールが深い息を吐いた。ケンウッドが本当に彼の生還を喜んでいるのを感じて、ちょっと照れくさかったのだ。ケンウッドはそっと手を離した。

「メーカーどもに酷いことをされたりしなかったかね? 」

 ケンウッドは、この誇り高きドーマーがメーカーたちから屈辱的な扱いを受けたはずだと推測していた。ポールには、『尻軽ポール』と言う渾名がある。執政官たちが誘うと拒まずに言うことを聞くからだ。しかし、彼の方からは絶対に媚びないし、服の下の肌には絶対に手を触れさせない。彼が接触テレパスであることは、ほとんどの人間は知らないのだ。彼は誇り高い態度でもって自身を守ってきた。
 何も知識を持たないメーカーたちが生け捕ったドーマーをどう扱ったのか、ケンウッドは容易に想像出来た。連中は汚い不潔な手でポールの肌を触りまくったはずだ。下品な想像をしながら彼の腕を掴んだだろう。実際には何もされなくても、精神的にポールは暴行を受けたのだ。
 ポールは溜息をついた。小者たちの手から伝わった下品な思考は、執政官とそんなに変わりない次元のものだ。不潔だが、我慢出来たし、時間がたてば忘れることも出来る。しかし・・・
 彼はケンウッドの目を見上げた。そして囁くように告白した。

「ラムゼイの手が恐かったです。」

リンゼイ博士 3

 セント・アイブス医大総合本部に到着すると、駐車場に乗り入れた車の中でリュック・ニュカネンはエンジンを切って、座ったまま考え込んだ。ダリル・セイヤーズ・ドーマーとクロエル・ドーマーはしびれを切らして車外へ出ようとした。ニュカネンはいきなりドアをロックした。

「勝手に出るな。」
「出るくらい良いだろう? 遠くへは行かないよ。」
「駄目だ。私が許可する迄動くな。」
「何を考え込んでいるんです?」

 クロエルの質問にニュカネンが2人を見比べた。

「どっちを連れて行くか迷っているんだ。」
「はぁ?」
「両名共は駄目なのか?」
「連れて行くのは1人だけだ。」
「どっちでも良いじゃん。」
「だから考えている。クロエルは目立ちすぎる。印象に残りすぎる。」
「潜入捜査じゃないんだから、良いでしょ?」
「私は何が問題なんだ?」
「服装が可笑しい。」
「それだけか?」
「遺伝子管理局の品位を疑われる。」
「僕ちゃんのコーディネートにいちゃもん付ける?」

 ダリルは外にいる学生たちがこっちを見ているのに気が付いた。絶対に怪しまれている・・・

「私が残るから、クロエルを連れて行けよ。名簿を見せてもらうだけだろう? クロエルはパラパラめくって全部記憶するんだから、適役だ。」

 ダリルの提案にやっとニュカネンは決意した。車から降りる時に、ダリルに、ドアはロックしろ、知らない人が来ても窓を開けるな、と子供に言い聞かせるみたいに指示した。
クロエルがニュカネンの後ろで顔をしかめて見せた。
 ニュカネンとクロエルが学舎に入って行くと、ダリルは端末を出した。出張所に電話して、重力サスペンダー業者の通話記録を尋ねると、業者がトーラス野生動物保護団体と言う処に電話を掛けたと言う答えが返ってきた。時刻はダリルが店を出て5分後だ。

「拙いですよ。」

と職員が言った。

「この団体は政財界の著名人が大勢会員になっています。フラネリー大統領の母親も理事を務めている由緒正しいボランティア団体です。こんな組織にラムゼイが隠れているとは思えません。」
「だが、スミスだかウォーリーだか知らないが、店主は私がラムゼイのサスペンダーの型番を知っていたので、誰かに連絡した。その団体にラムゼイのシンパか繋がりのある人物が居るに違いない。」

 どうやってセレブたちと接触すれば良いのだろうか? ダリルは考え込んだ。こんな時、ポール・レイン・ドーマーなら捜査相手と握手するだけで事足りるだろうな、と思いながら。

2016年10月9日日曜日

リンゼイ博士 2

 ダリルは歩行者から教えられた道を普通の人が散歩する歩調で歩いて行った。ニュカネンの車は1度彼を追い越し、次の角で停車した。クロエルが外に出て何か用事をするふりをして、また車内に戻った。ダリルが道を渡ると、車も動き、次の交差点の手前で停まった。ダリルはそこまで歩いて行き、信号が赤なので立ち止まった。反対側の歩道で歩いていた若い男性も立ち止まり、こちらを見た。ダリルは信号を眺めた。
 信号が青になった。向かいの歩道の男性はその交差点を横断してダリルの斜め向こうへ渡った。
 ダリルは渡らず、左に曲がった。教えられた場所に店はあった。
 開店準備をしている店内にダリルは入った。3階建てのビルの1階が店舗で、上は作業所や倉庫なのだろう。初老の男がカウンターの向こうにいて、ダリルが入って来るのを見ると顔をしかめた。

「まだ開店していないが・・・」
「わかっています。申し訳ないが、友人のサスペンダーのバッテリーボックスが故障したので困っているのです。バネがいかれてしまったらしいので、交換部品を探しています。研修で昨日初めてこの街へ来たので、街の様子がよくわからなくて・・・」
「部品ならいくらでもある。しかし、今は準備中ですぐには出せない。」
「ああ、それでは夕方また来ます。型番を言いますから、記録してもらえますか?」

 渋々男が端末を出したので、ダリルは昔目撃したラムゼイ博士の重力サスペンダーの型番を述べた。男の顔が強ばった。

「そいつは特注タイプだ。どこにでもある品物じゃない。」
「では、ここではバネは手に入らないのですね。」

 ダリルががっかりした口調で言うと、男はフフンと笑った。

「バネくらい、ちょっと手を加えれば大概の型に合わせられる。今夜5時に来な。遅れるなよ、俺は時間にルーズなヤツはお断りだからな。」
「必ず来ますよ。」

 ダリルは店の外に出た。数十メートル先にニュカネンの車が停まっていた。ダリルが乗り込むと、運転席から怒声が飛んできた。

「1人で行動するなと言ったはずだ!」
「君たちがバックアップしてくれているから平気なんだよ。」

 ダリルは車を出せと手で合図した。ニュカネンは不満顔ながらもアクセルを踏んだ。
ダリルが店内での会話を説明した。

「店主はラムゼイのサスペンダーの型番を知っていた。あれは市販ではない、特注品だって。」

 ダリルは出張所に電話を掛けた。『スミス&ウォーリー』の通話記録を調べて欲しいと告げた。特に今から10分前後のものを。
 ニュカネンが、勝手に私の部下を使うなと苦情を言いかけると、クロエルまでが彼に指図を出した。

「リュック、次の角で右へ曲がって、それから左へ曲がって、また右へ曲がってくれない?」
「どこへ行くつもりだ? これから大学本部へ行くんだぞ!」
「知らない。でも尾行者はまけるから。」
「尾行者?」

 素っ頓狂な声を出すニュカネンを無視して、クロエルが後部席のダリルを振り返った。

「気が付いてたでしょ?」
「うん、反対側の歩道にいた男だな。私が歩行者に店を尋ねた時、近くに居た。恐らく、あの時点では、たまたま居合わせたのだろう。話の内容を聞かれたかどうかはわからないが、ダークスーツの男が3人も乗り合わせているのを見て、遺伝子管理局だと察したはずだ。すぐに方向を変えて、反対側を歩いて付いて来た。2つ目の交差点で、私が青になっても道を渡らなかったので、尾行に気づかれたと思ったのだろう、道を渡ってから数メートル歩いて立ち止まってこちらを伺っていた。」

 ニュカネンは自分が尾行に気が付かない無能だと言われた気がして、黙り込んだ。
セイヤーズは脱走者で18年間山奥で暮らしていた。ほとんど野蛮人だ。クロエルはアマゾンのジャングルで育った野生児だ。此奴等の野生の勘を俺に求めるな・・・
 ダリルが彼に注意した。

「運転が荒いぞ、リュック。いかにも逃げてるじゃないか。」

リンゼイ博士 1

 ダリル・セイヤーズ・ドーマー、クロエル・ドーマーとリュック・ニュカネンはニュカネンの自家用車で街中を走っていた。ハンドルを握るのはニュカネンで、助手席にクロエル。後部席にダリルが座っていた。ニュカネンは、最初にセント・アイブス医大の総合本部へ行くと言った。そこで大学の理事の名簿を参照させてもらうつもりだ。大学が拒めば遺伝子管理局の権威を使ってクローン研究を休止させると脅すのだ。
 ダリルはぼんやり車窓を眺めていた。前ではクロエルとニュカネンがラジオの選局でもめている。いきなりダリルが叫んだ。

「停めろ!」

 ニュカネンは慌ててブレーキを掛けた。何だ、と尋ねる前にダリルが車外へ飛び出した。ラムゼイがいたのか? ニュカネンがシートベルトを外してホルダーの銃に手を掛けると、その手をクロエルが押さえた。

「慌てない、慌てない、相手はただの通行人ですよ。」

 ダリルは1度車ですれ違った歩行者に追いついた。

「すみません、ちょっとお尋ねします!」

 男性が立ち止まった。ラフな服装をしているが薬品の匂いがして、どこかの研究施設で働いていると思われた。ダリルが彼に声を掛けたのは、それが理由ではなかった。

「重力サスペンダーを使用されていますね?」
「そうですが?」
「この街で重力サスペンダーのメンテナンスをしてくれる業者をご存じですか? 知人のサスペンダーが故障したので、探しています。」

 その男性歩行者はいかにも機械で吊り下げられて歩いている様子だったのだ。果たして、彼はダリルの質問に素直に答えてくれた。

「それなら、2ブロック北へ歩いて、左に折れてすぐの所にある、『スミス&ウォーリー』と言う店があります。セント・アイブスじゃ、そこだけですよ。愛想が悪いけど、大概の品は揃えてありますから、便利です。値段も良心的です。」

 ダリルは礼を言って彼と別れた。歩き始めると直ぐにニュカネンの車が横に来た。

「セイヤーズ、勝手に外へ出るな!」

 ニュカネンが怒っている。彼はドームからダリルの『重要性』を告げられているので、ダリルの身にもしものことがあればと気が気でない。ダリルは脚を停めずに言い訳した。

「重力サスペンダーのメンテをする店へ行くんだ。」

ニュカネンも馬鹿ではない。それでダリルの行動の目的を悟った。悟ったからと言って、賛成する訳ではない。

「1人で行くな。我々と一緒に行動せよ。」
「大勢でぞろぞろ行けば相手を警戒させるだけだよ。」
「そうそう、バックアップで少し離れて監視すべきです。」

クロエルがダリルの肩を持つので、ニュカネンは不愉快そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。

出張所 17

 ライサンダーはクロエルと目を合わせた。彼は首を振った。行きたくない。そう告げたつもりだ。クロエルは表情では反応しなかったが、端末に返信文を入れて彼に見せた。

ーー無理

そして送信した。数秒後に速攻で返信が来た。

ーー努力せよ

「はいはい。」

クロエルは呟いて、返信せずにポケットに端末をしまった。誰から? とダリルが尋ねた。クロエルは、局長、と答えた。

「僕ちゃん、1度にたくさんの仕事を言いつけられてもこなせないんだよね。」

 彼は財布を出して机のコンピュータの横に置いた。 そしてダリルのそばに行った。

「捜索にリュックも連れて行きます?」
「連れて行かないと、拗ねるだろう。ここは彼の街だ。」
「でしょうね。小言を聞かされるのは御免だから、彼に運転させましょう。」

 ダリルは指についたドーナツの脂を洗い流しにトイレに行った。鏡にひょうきんな服装の男が映っているのを眺め、これからどんな人生が自身と息子に待っているのだろうとふと思った。息子は17歳で、もうすぐ成人の市民権を取得出来る18歳の誕生日が来る。18歳になれば、例え違法クローンでもドームは市民権を与える。婚姻許可は与えられなくても、その他の権利は一般人と変わらないのだ。
 
 だが息子にも恋をする権利はあるはずだ。

 トイレから出ると、ライサンダーはまだクロエルにくっついていた。どうやらおちゃらけ南米男がすっかり気に入ったみたいで懐いてしまっている。ポールにもあんな風に懐いてくれると嬉しいのだが・・・
 階下でリュック・ニュカネンが車の用意が出来たと怒鳴っていた。


2016年10月8日土曜日

出張所 16

 ダリルとニュカネンが捜査して廻る施設の選択と順番で相談(もめる とも言う)している間に、クロエル・ドーマーは2階へ上がった。
 北米南部班の局員たちが昨日の続きで証拠品の山の仕分けを行っている。9割方片付いているので、この分だと彼等と証拠品を昼過ぎにはローズタウンの警察署へ送れそうだ、とクロエルは判断した。警察署に品物を届けさせたら、そのまま空港からドームへ帰投させれば良い。
 ライサンダーは局員の1人と品物の一つを前にして話をしていた。どうやらラムゼイの農場で見覚えのある品で、説明をしているらしい。
 隅っこのテーブルの上には、ドーナツが3箇残っていた。ダリルの分だ。ニュカネンも気が利かない男だ。朝食を食べさせてやれば、セイヤーズも素直に言うことを聞いてくれるはずなのに、とクロエルは思った。
 彼は自身のコンピュータを開いた。中米で展開している部下達から報告が入ってきている。そちらの面倒も見なければならない。彼は5人の部下から送られて来ていた報告書を読んだ。
 ふと人の気配が近くでしたので振り返ると、ライサンダーが立っていて、彼を見ていた。

「聞いていい?」
「何?」
「さっきのは、読んでたの? それとも見ただけ?」

 クロエルは画面を見た。最後のページを閉じてから、

「読んだけど、それが何か?」

 すると近くの机にいた局員が可笑しそうに解説した。

「その子は、クロエル・ドーマーの速読術に驚いているんですよ。」
「速読術?」
「クロエル・ドーマーはページを見た一瞬で全体の文章を読めるんだ。」
「え? そんなことが出来るの?」

 ライサンダーは感心した。クロエルさんって、本当に凄い人なんだ、色彩感覚だけじゃなく・・・
 クロエルにとっては、当たり前のことなので、感心されても何とも言えない。

「セイヤーズだって出来るでしょ。」
「否、私だったら最低5秒は要する。」

 ダリルが上がって来ていた。

「それに私は目で文章を追って読むが、君は見た瞬間に全部頭に入っている。」

 恐らくクロエルは自身が話題の中心になりたくなかったのだろう、捜索場所は決まったのか、と尋ねた。 ダリルは5箇所の施設の名前を挙げた。ニュカネンがかねてより怪しいと警戒をしている研究施設だ。いいね、とクロエルは言った。部屋で缶詰になって物品を見ているより外で仕事をしたいのだ。
 ダリルがドーナツと珈琲の朝食を摂りに、隅へ行った直後、クロエルの端末に本部からメールが入った。ライサンダーは、それを見たクロエルが彼らしくもない難しい表情をちらりと浮かべたのを見逃さなかった。

「悪い知らせ?」

 なんとなく小さな声で尋ねると、クロエルが画面を彼に見せてくれた。それを見たライサンダーは一瞬息を呑んだ。

ーーセイヤーズの息子をドームに来るように説得せよ。



出張所 15

 翌朝、ダリルが目覚めるとライサンダーは既に起きていて、難しい顔をして紙袋の中を見ていた。クロエル・ドーマーが購入してくれた着替えと「お泊まりセット」が入っている袋だ。
 何か問題でも? と尋ねると、少年は無言のまま、中に入っていたシャツを引っ張り出した。それはクリスマスツリーの様に派手な模様のボタンダウンのシャツだった。

「誰のだ?」
「決まってるじゃん、父さんのだよ。」
「私の? おまえのじゃないのか?」
「俺はもうTシャツをもらったよ。」

確かに、彼が今身につけているのは、初めて見るものだった。

「ダークスーツにそのシャツはないだろう?」
「ダークスーツにTシャツもないじゃん。」

 ライサンダーは袋を逆さまにして振って見せた。パンツと歯磨きと歯ブラシが出て来ただけだ。

「買い換える?」
「金がない。」
「朝飯は?」
「金がない。」
「ここの支払いは?」
「クロエルが済ませている。」
「もしかして、父さん、逃亡を防ぐ為にお金持たせてもらってないの?」
「・・・うん・・・」
「着替えて出張所に行こうか、父さん・・・」

 父子で出張所に顔を出すと、ドーマーたちは既に仕事に精を出している最中だった。職員たちは出勤したばかりで、これからこの日の勤務を始める準備だ。リュック・ニュカネン所長は堅物なので、とっくに来ていて、所長室でクロエル・ドーマーと打ち合わせをしていたが、ダリルたちが所内に入ってくると事務室に出て来た。
 ライサンダーが「おはよう!」と声を掛けると、クロエルも笑顔で返事をくれた。
ニュカネンはダリルの服装を見て渋い表情になった。

「なんだ、それは? ダークスーツに対する冒涜じゃないか。」
「どうしてさ?」

と『コーディネーター』のクロエル。

「ばっちし決まってるじゃん。髪と目の色が引き立つでしょ?」

あー、この人の趣味なんだ、とライサンダーは変に納得した。確かに、色の組み合わせはおかしくない。遺伝子管理局の仕事のイメージに合わないと言うだけで・・・
クロエル、とダリルが声を掛けた。

「今日も少しばかり金を貸してくれないか? 朝飯を息子に食わせないといけないのでね。」
「そう言うと思って、2階にドーナツと珈琲が置いてありますよ。今朝は全員それで済ませた。」

 ライサンダーがさっさと2階へ上がって行った。「おはよう」と声が飛び交うのが聞こえた。ダリルはニュカネンとクロエルに向き直った。

「さて、今日は何から始める?」
「ラムゼイの捜索ですね。」
「この街にあの老人が逃げ込んだと言う確証はないぞ。」
「しかし、ここから始めないと。 リュック、ラムゼイが協力を求めそうな研究機関はないのか?」
「不明瞭な研究をしている施設はいくつかあるが・・・今日1日で全部は廻れないぞ。」

 ニュカネンは局員たちが今夜ドームに帰投してしまうことを頭に置いて発言した。しかしクロエル・ドーマーが彼が恐れていた事実を述べた。

「ニュカネン、あんた忘れてない? ここにいる3人は3人共、抗原注射は要らないんですよ!」

 脱走者と、卒業生と、ジャングル育ちのドーマーたちは互いの顔を見合った。



出張所 14

 ライサンダーは父親の性格を知っていた。父は反省を始めると納得がいくまで考え込む。だから、彼は話題を変えさせようと、試みた。

「ドームから逃げ出した父さんは、ラムゼイの爺さんにすぐ会えたの?」
「うん・・・2日ほどかかったが・・・」

 ダリルの転換速度は速い・・・

「昔雇った情報屋に繋ぎをつけてもらうと、すぐ連絡が来た。メーカーはドーマーの細胞に興味があるから、会いたがっているドーマーがいると聞いて、爺さんは乗ってきたんだ。
 初対面だったが、爺さんがコロニー人だとすぐにわかった。重力サスペンダーを使用していたからね。あれは地球の重力に馴染めないコロニー人が足腰を弱らせた時に使用するんだ。地球では非常に高価だし、技術もないから地球人は使わない。せいぜい富豪がコロニー人の真似をして用いるだけの品物だ。
 コロニー人でクローン製造を生業にしていると言うことは、彼は元執政官だったに違いない。実は、彼の正体を今になってドームは知ったところだ。話が横道に逸れるので今ここでは触れないが、彼は宇宙でもお尋ね者なのだよ。
 爺さんは、私がクローンを発注すると驚いていた。遺伝子管理局の人間が遺伝子管理法を破るのだから。 彼は私が持ち出したポールの遺伝子だけで子供を創るのは難しいと言った。彼は巷のメーカーが創る単体クローンは作らない。単体クローンと言うのは、卵子の核を取り除いて、そこに成人の体細胞から取り出した細胞核を移植するやり方だ。要するに、親のコピーを創る訳だ。
 ラムゼイのクローンは体細胞核移植ではなく、未受精卵に親の生殖細胞を移植する生殖細胞核移植だ。つまり、ドームの女性たちと同じ方法で創る。だから寿命は体細胞核移植のクローンより長く、健康で普通の人間と変わらない。
 本当は、ポールの遺伝子だけで子供は創れたはずだ。爺さんは実験をしたかったのだ。
男同士の生殖細胞で子孫を創れるかと言う・・・。男しか生まれない今の地球にとっては、これも必要な研究だったのだろう。
 爺さんは、クローン製造の代償として法外な値段をふっかけてきた。」

ダリルはライサンダーを見て、ちょっと笑った。

「おまえは、軽ジェット機1機分の値段だったんだ。」
「・・・」
「巷のクローンは、乗用車1台分で創れるんだよ。」
「それじゃ・・・俺、ぼったくり?」
「いや・・・ぼったくられた気分はなかったな。おまえはそれ以上の価値は充分あるからね。」
「でも、父さん、そんなにお金持ってた?」
「持ってる訳ないじゃないか。ドーマーの給料は一般の公務員と変わらないんだぞ。」
「それじゃ、どうやって支払いを?」
「爺さんは、私の遺伝子を要求したんだ。ポールのと私のを混ぜる。そして残りは別オーダーのクローン製造に使って、売り飛ばす。」
「まさか・・・」
「そのまさかだ。おまえには何人か同じ私の遺伝子を持つ兄弟姉妹がいる。うん・・・女の子が生まれたんだよ、ラムゼイの研究所でね。」

 ライサンダーは父を見つめた。ラムゼイもそんなことを言っていなかっただろうか。父親は女の子を生める地上で唯一人の男だと。だからドームはダリルを捕まえた以上、決して手放さないだろうと。
 ダリルは溜息をついた。

「つくづく自分が身勝手な人間だと思い知らされるよ。私の子供は大勢いるのに、私が愛せるのは、おまえ一人だけなんだ。私の意志とは無関係に生まれた子供たちのことはどうでも良いのだ。最低なヤツだな、私は・・・」

また反省している。 ライサンダーは父親を抱きしめた。

「俺も存在を知らなかった兄弟のことなんか、どうでも良いよ。父さんがいてくれてさえすれば。」

彼は小さな声で囁いた。

「創ってくれて有り難う。」




2016年10月6日木曜日

出張所 13

「ポールは1年振りに会ったと言うのに、喜んでくれなかった。私は思わず彼に尋ねたんだ。『リン長官のペットになるのは楽しいか?』 と。
 彼は平然と答えた。
『仕事だよ。ベッドに入る度に出世出来る。妻帯許可をもらえるのも、間もなくさ。』
 彼は私の近況を尋ねることすらしなかった。
 私は未来に絶望した。

 ユーラシアでは古い家族制度が残っていた。年寄りを中心に暮らし、子供たちが成人しても配偶者と共に親と住んで、一緒に仕事をして生きていくんだ。彼等は一致団結して困難な時も共に闘っていた。女たちはクローンなのだけど、勿論そんなことは彼等は知らない。男も女も大人も子供も一つの家や村に住んで仲良く暮らして一生を終える。
 私はそれを実際に見て、強く憧れた。私は親を知らないドーマーだ。親の存在など考えたこともなかった。しかし、東アジアの田舎で見た大家族の光景が、私に影響を与えた。
私は家族を持ちたいと強く感じた。妻と子供と、そしてポールと一緒に暮らせたらなぁと願ったんだ。
 それを、ポールに告げるつもりだった。でも、ポールはそんな話を聞いてくれる人ではなくなっていた。
 それでも彼は、私がベッドに誘うと、応じてくれた。ほんの数時間、現実を忘れて快楽にふけった後、私は疲れて眠り込んだポールを眺めて、ふと思った。
 このまま、みんなの前から消えていなくなろう、と。 どこかで子供を創って、2人で暮らそう、と。 私だけの家族を作ろう、と決意したんだ。
 子供はクローンでなければ持てないとわかっていた。女性は高嶺の花だからね。私は遺伝子管理局の人間だったから、どこに行けばどんなメーカーがいるか知っていた。
中西部に、ラムゼイと呼ばれる、凄腕のメーカーがいる。そいつに子供を創らせようと思ったんだ。悪魔の囁きさ。
 大急ぎでポールの遺伝子を保存カプセルに採取した。遺伝子管理局の局員は、常に一般人から検査を頼まれた時に検体を採取保存する為の道具を装備している。だから作業は簡単だったし、すぐに終わった。 私は、ポールを残してそのままドームを出た。
ドームは、入るのは難しいが、出るのは案外簡単だったんだ。今は厳しいけどね。多分、私が逃げてから規則が改正されたんだ、きっと。
 私は口座から全財産を引き出して、中西部へ向かった。

 今思えば、私は物凄ーく愚かだった。ポールが笑わなくなったのは、私がいなくなったからだ。一人でリン長官の嫌らしい行為に耐えていたからだ。そして、リンは常に美しい愛人が他人に奪われないように見張っていたから、私と再会してもポールは感情を出せなかったんだ。もし喜んだところをリンに見られたら、私に危害が及ぶと思ったんだ。
 彼は接触テレパスだから、私の考えなどお見通しだった。私が将来の夢を口で言わなくてもわかっていたんだ。でも私は馬鹿だったから、彼の能力を忘れていた。
ポールは、出世出来れば長官の意のままにならずに済むと、考えていたんだ。妻帯許可をもらえると言うことは、一人前と認められて、それなりの地位に就けると言うことだ。そうなれば、仕事にも自由が利くし、自分から転属願いも出せる。彼は私にそれまで待っていろと言ったつもりだったのに、私は理解出来なかった。
 私はポールに裏切られたと思い、本当は彼を裏切ってしまった。」

「父さん・・・」

 ライサンダーが囁いた。

「Pちゃんは言葉足らずだったんだよ。父さん、そんなに自分を責めることないって。」

 ダリルは首を振った。

「いや、私の罪だ。私がおまえと山で愉しく暮らしていた時、ポールはドームで孤独と闘っていたんだ。本当は、すごく甘えん坊で寂しがり屋の彼が。」


2016年10月5日水曜日

出張所 12

 ダリルは最初にドームが出来た歴史を軽くおさらいした。
21世紀の終わりに地球が戦争や天災やその他人為的環境汚染で1度ほぼ絶滅しかけたこと。
宇宙で新しい人類社会を構築していたコロニー人たちが「地球人類復活プロジェクト」を立ち上げ、地球人と地球上の生物、主にほ乳類や鳥類を復活させたこと。
ただし、地球人は他の生物と違って女性が生まれなくなっていたこと。
コロニー人の女性たちの援助でクローンの製造が始まったが、女性を「物」扱いする風潮が生じる危険性があったので、女性がクローンであることは極秘であること。
ドームは安全に出産する場所と女性復活の研究の為の機関であること。
生まれた子供の3割がクローンの女の子と取り替えられること。
取り替え子は結婚出来ないが子供が欲しい男たちの元へ養子に出されること。
取り替え子の中から年に1人か2人が選別されてドームに残され、ドーマーとして育てられること。
だから、ドーマーは研究用の検体を提供する為の人間であり、またドームの機能を維持する為の働き手でもあること。
ドーマーは外に出て暮らすことになっても死ぬまでドームとの繋がりを切れないこと。
 そして、ダリルは本題に入った。

「ポールと私は、たまたま1日違いで産まれて、ポールは健康な子供だったから、私は地球では存在しないはずのコロニー人の遺伝子を持っていたから、ドーマーとして残された。 そして、同じ養育係の元で兄弟みたいに育った。同じ『トニー小父さんの部屋』の卒業生には、セント・アイブスの出張所所長になったリュック・ニュカネンや、ポールの副官のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーや、あと5名ばかりいるのだが、成長して遺伝子管理局に入ったのは4人だけだ。他の『兄弟』は別の部署で働いている。
 ポールと私はとても馬が合った。子供時代は双子みたいにいつも一緒にいた。お互いに相手を必要としたし、体の一部みたいに思うこともあった。そして思春期に入ると、まぁ、なんだな・・・2人で恋愛みたいな関係になった。
 もっとも、この関係はドーマーでは珍しくないんだ。男の子しかいない世界だからね。
女性のドーマーもいることはいるんだが、彼女たちは勿論クローンで、ガードが堅くて簡単には近づけなかったから、私たちは成長にともなって生じる欲求のはけ口を男の子同士で解消しなければならなかったんだ。 これは、私達を育てているコロニー人、執政官と呼ばれているのだが、彼等も黙認しているんだ。そう言う訳で、ポールと私は『公認の仲』だったんだ。
 事態が急変したのは、私たちが20歳になった頃だ。
 ドームの長官が交代したんだ。新しくやって来たコロニー人は、リンと言う男で、此奴は地球人を見下していた。コロニー人より短命でひ弱な地球人を、犬か猫みたいに考えていたんだな。そんな男が、ポールを見て、一目惚れしたんだ。
 ポールは今でも綺麗だが、少年時代は本当にお姫様と冷やかされる程の美少年だったんだ。リンは、綺麗な地球人の少年を見て、自分のものにしたいと思った。それで、邪魔者を排除した。
 つまり、私を追い払ったんだ。
 私は、西ユーラシア・ドームへ転属になった。遺伝的要素の偏りを避ける目的でドーマーの交換が各大陸のドーム間で行われるのだが、私はそこへ入れられた訳だ。
転属そのものは、私には辛くなかった。ユーラシアは広くて、文化も多種多様で、支局巡りは世界旅行と同じだったからね。とても面白かった。ただ、横にポールがいないのが寂しかったんだ。友達は大勢出来たけど、ポールの様に心を許せる仲にはなれなかった。
 1年ほどして、西ユーラシアの遺伝子管理局の局長が、私にアメリカへ出張に行けと命じた。ただの使いっ走りだが、里帰りでもあったから、私は浮かれた。
 アメリカに帰ってきた私は、用事が済むとまっすぐポールに会いに行った。」

そこでダリルが小さく溜息をついたので、ライサンダーは振り返った。 ダリルは少し疲れた様な顔をした。

「ポールは、人が変わっていた。美しかった葉緑体毛髪をすっぱり剃髪して、笑わない男になっていた。」




出張所 11

 ライサンダーが父親を観察していた。ダリルが何かに思い当たったのだとわかったが、何に思い当たったのかは、彼にはわからない。だから、彼は少し躊躇ってから尋ねた。

「父さん、ドームに連れて行かれてから、Pちゃんと寝た?」

 ダリルは息子を見た。親に何と言う質問をするのだと少し腹が立ったが、顔には出さなかった。

「いや、互いにいろいろ忙しくて、そんな暇はなかった。」

何がどう忙しかったのか、それは言いたくなかった。言えば、ライサンダーはますます心配するはずだ。その代わりに・・・

「ライサンダー、今まではおまえの18歳の誕生日に明かそうと思っていたが、おまえは既に周囲からいろいろ聞かされて知識を持っているし、もう充分大人だから、今夜、ここで話しておきたいことがある。」

 ライサンダーが少し緊張した。ちょっと体を離して、座り直した。

「何? 俺の出生の秘密ってヤツ?」
「それもあるが・・・ポールと私のことだ。18年前に何があったかと言うこと。私がドームを逃げ出した理由とおまえを生んだ理由だ。」

 ライサンダーは壁を見つめた。何だか恐い話を聞かされるような気分だった。だから、

「おのろけ話だったら、聞かないよ。」

と言った。そんなんじゃない、とダリルは言った。

「私がおまえをポールの身代わりのつもりで生んだのではないと知っておいて欲しいんだ。おまえの18歳の誕生日に私はおまえのそばに居て一緒に祝ってやれる保証がないから。」

 ライサンダーは座っているベッドのシーツをグッと掴んだ。まるで遺言じゃないかと茶化そうと思ったが、言えなかった。
 父親は、ほんの数時間だけ自由をもらってドームから出て来ているだけだ。明日になれば・・・あるいはラムゼイを捕まえたら、またドームに連れ戻されてしまうのだ。

「大人しく聞いているから、話してよ。」


2016年10月4日火曜日

出張所 10

 ホテルは小さなビジネスホテルで、ツインの部屋はかなり狭かった。観光地ではなく学究都市なので、利用者は出張してくる研究者や学生、薬品・機材の業者なのだろう。
部屋に入ると、ライサンダーは直ぐにシャワーを浴びた。
 ダリルは上着を脱いで、ベッド脇にある唯一の椅子に掛けた。端末がメールの着信を告げたので、見るとJJからだった。
 そう言えば、ライサンダーが使っていた電話は、JJのタブレットだったな、と思った。JJは誰からダリルの番号を教えてもらったのだろう? 今使っている端末は昨夜遺伝子管理局からもらったばかりなのだ。
 メールを開くと、

ーーダリル父さん、もう寝た?

とあった。まだ起きていると返信すると、すぐに返信が来た。

ーー後半時間でドームだって。

誰に番号を教えてもらったのかと尋ねると、意外な返答が来た。

ーーラナと言う女の人。ドームの偉い人だって。

 副長官がJJに接触したのだ。恐らく、若いJJが初めてドームに来るに当たって、不安を和らげる為に事前に話しかけてみたのだろう。ドームはベーリングの遺伝子組み換えの少女に興味津々なのだ。彼女が塩基配列を目で見ていると知ったら、仰天するだろうな、とダリルは思った。
 その後、JJは機内の様子を簡潔に伝えてきた。 ドーマーたちは疲れたのか静かにしていること、髭面の男だけが時々喋って仲間から注意されていること、Kと言う人が親切にしてくれているが、Pには会わせてもらえないこと。

ーーPは専用席で寝ている。彼の席にはKしか入れない。

 Kはクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーだな、と察しが付いた。
ジェリーは変化がなく、麻酔で眠ったままだ。

 ダリルはメールに熱中していたので、ライサンダーがシャワーを終えて出て来たのに気が付かなかった。JJに「お休み」と最後の文を送信して会話を終え、振り返るとライサンダーは裸のままベッドに仰向けになって寝ていた。

「ライサンダー、そのままでは風邪をひくぞ。」

 声を掛けても眠ってしまったのか、反応しない。ダリルは端末をテーブルに置いて、ライサンダーの上に身をかがめた。いつ見ても可愛い我が子だ。きっとこいつが爺さんになっても、やっぱり可愛いと思うだろうな、とダリルは自身も歳を取ることを忘れてクスッと笑った。お休みのキスをしてやるつもりで顔を近づけた時だった。
 いきなり下から襟首を掴まれ、次の瞬間投げられた。
 ダリルは咄嗟に空中で体を廻転させて受け身の形を取ったが、滞空時間が短かったので間に合わずに隣のベッドの上に落ちた。危うく床に転げ落ちそうになって辛うじて止まった。 彼は思わず呻いた。

「なんなんだ、一体・・・?」
「Pちゃんの必殺技。」
「ポールの?」

 ダリルは身を起こした。ショックで頭が軽くふらついた。

「どうしてそんなものを、おまえが知っているんだ?」

 ライサンダーは答えずに意味深に笑みを浮かべただけだった。

「もう一つ、教わったんだ。ねぇ、ちょっと目を閉じてくれる?」
「?」

言われた通りに目を閉じると、息子が近づいて来た。そしていきなり抱きしめられて、唇にキス・・・
 ダリルは思わず息子を押し返した。

「悪ふざけは止めなさい。」
「ドキドキしなかった?」
「たまげたよ。」
「俺は体がとろけそうになって、ドキドキしたんだけど・・・全身の血が逆流したみたいで・・・父さんが感じないのなら、俺、キスが下手なのかなぁ?」

 ダリルは手で目を覆った。ポール・レイン・ドーマーは息子に何を教えたのだ?
疲れた体でキスなどしたら、相手の思考が・・・
 ダリルはハッと気が付いた。

 彼は、ライサンダーが自分の子供であることを確認したんだ!

 ライサンダーは気が付いていない。ポール・レイン・ドーマーが血縁関係のある者同士だけが可能なテレパシーの交換をやってのけたことを。養育棟時代に、養育係の「トニー小父さん」が言っていた。接触テレパスは普段は相手の思考や感情を一方通行で感じ取るだけだが、血縁関係がある人間には自分の思考や感情を伝えることが出来る、と。ライサンダーが感じた「ドキドキ」は、ポール自身の緊張感だったのだ。





2016年10月3日月曜日

出張所 9

 帰りは自動車を支局に返却したのでリュック・ニュカネンの車に同乗させてもらった。同乗と言っても、運転をしたのはダリルで、ニュカネンは助手席で寝ていた。寝ていてくれて助かった。彼とは顔を合わせれば小言を頂戴するので会話をしたくなかった。
 出張所に帰り着くと、既に遅い時刻になっていた。職員は既に帰宅しており、ニュカネンもダリルを下ろすと運転席に移って帰宅した。
 出張所の2階では、まだ居残りチームが仕事を続けていた。ドーマーは外で動ける48時間に可能な限り働く習慣がついているので、苦にはならないのだ。交代で食事に行ったり休憩を取るのも自然にこなしている。
 ライサンダーは休憩室の長椅子で寝ていたが、ダリルが起こすとブツブツ言いながらも起きた。ホテルの部屋を取ってくれたクロエル・ドーマーが、着替えも購入してくれており、紙袋に入った細々とした物を手渡した。

「明日は何時に来られます?」
「うーん・・・ライサンダー次第かな。」
「え? 俺の都合?」
「おまえが起きたら、私も起きるよ。」

 ライサンダーはクロエルを見た。クロエルが笑った。

「もしかして、18年間時計なしの生活だったのでは?」
「時計はあったけど・・・そう言えばアラームを使ったことなかったね、父さん。」
「晴耕雨読の生活だったからな。」

 多分8時には出てこられる、とあやふやな約束をして、ダリルとライサンダーは出張所を後にした。
 ホテルはケイジャン料理の店とは反対方向にあり、2人は夜道を歩いて向かった。

「父さん、一つ聞いていい?」
「何だ?」
「今日、道路を封鎖したのは、俺たちがこの街に向かっているってわかったから? どうしてわかったの?」
「おまえがラムゼイの農場からポールに電話を掛けたそうじゃないか。それでポールがおまえが使用した端末の位置情報を登録して追跡していたんだ。まさか彼も自身がそれで救出されるとは思わなかっただろうけど。」

 本当はポール・レイン・ドーマーの皮膚下から発信される電波も追跡したのだが、ダリルは敢えてそれは言わなかった。ポールに発信器が埋め込まれていると言えば、それはダリルにも同じ処置が施されていると言う意味であり、ドームが父親を鎖で繋いでいるとライサンダーに思われてしまうと危惧したのだ。
 ふーん、とライサンダーは納得してくれた。

「そんなことが出来るんだ。」
「衛星画像の解析でもトラックの動きを掴んでいたんだ。」
「宇宙からも見張られていたんだね。でも、どうしてあそこで道路を封鎖しようと思ったの?」
「最初は、おまえたちが何処へ向かっているのかわからなかった。恐らくローズタウンかセント・アイブスかだろう、と予測した。クロエルと私はセント・アイブスはクローン研究の施設がたくさんあって、メーカーが隠れるには都合が良い場所だから、セント・アイブスの手前で捕まえようと言ったのだが、ニュカネンはローズタウンは空港があるから国外逃亡を企むかも知れないとローズタウンの方を主張した。
 それで、分岐のところで隠れていたんだ。トラックがセント・アイブスへ向かったので、先ずクロエルと私で追いかけた。誰がどのトラックに乗っているか、追い越しながらセンサーで見ていた。最後尾のトラックは運転席と助手席に1人ずつ、荷台に2人。真ん中のトラックは運転席と助手席の他に、荷台に10数名。あの大きさのトラックだから、かなり狭くて暑苦しかっただろうな。先頭のトレーラは荷台は荷物だけだが、運転席におまえがいた。 それで、最後尾の荷台にいるのがポールとJJだろうと当たりを付けた。
おまえとポールたちと、互いに人質にする配置だ。」
「うん、ジェリーが俺にそう言った。」
「クロエルが茶目っ気を出しておまえに声を掛けた時は、おまえが私に気づいて呼びかけたりしないかと不安だったけど・・・」
「その割には、父さんもお茶目に声を掛けてきたじゃん。」
「おまえがミュージシャンかなんて言うからさ。」
「俺もあの時、冷や汗もんだったんだ。ジェリーは父さんの顔を覚えていたから。」
「そうだった、ジェリーもいたな。」

ダリルはふっと遠くを見る目をした。

「おまえが生まれた時、ジェリーがミルクの与え方やオムツの替え方や抱っこの仕方を教えてくれたんだ。」
「そうだったんだ・・・」
「ジェリーはドーマー並の歳の取り方だな。クローンでも普通の地球人でもなさそうだ。」
「なに、それって・・・?」

2016年10月2日日曜日

出張所 8

 ダリルとドーマーたち一行がローズタウンの空港に到着したのは日没から2時間たってからだった。ローズタウンには、中部支局があるが今回の捕り物には関与していない。支局は本部局員が使用する車を手配し、本部から乗ってきたジェット機の整備と給油をしただけだった。
 中西部支局同様、空港の隣にあるので、ポール・レイン・ドーマーとリュック・ニュカネン元ドーマーはそこで仲間の到着を待っていた。さらに、中西部支局から車を走らせて来たクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーとアレクサンドル・キエフ・ドーマーも一緒にいた。
 ダリルは第1チームの局員たちに荷物とJJとジェリー・パーカーをジェット機に乗せるよう指示してから、支局に入った。
 ニュカネンが「遅い」と文句を言ったが無視して、ロビーの長椅子に横になって端末に報告書を入力しているポールのそばへ行った。どんな時でも仕事優先の男だ。そばの椅子に座っていたキエフがダリルに気が付くと立ち上がった。飼い主に近づく不審者に牙を剥く犬みたいにダリルを敵意丸出しで睨み付けた。そのキエフとダリルの間に、クラウスが入った。

「今日はお疲れ様、ダリル兄さん。」

 気の好いクラウスが、穏やかにキエフを牽制した。ダリルは彼を抱きしめた。
山の家で逮捕された時、クラウスは現場にいたのだが、ダリルは麻酔をかけられて意識がなかった。 クラウスに抱きかかえられてヘリに運ばれたことも知らなかったし、その後ドームでもクラウスが忙しくて会う機会がなかった。まともに会ったのは、18年振りだ。

「クラウス! 元気だったか? また世話になることになった。君の奥さんには既に医療区で世話になったけど。」
「また一緒に働けて嬉しいです。いろいろ教えて欲しいこともありますし・・・」

 ダリルはクラウスの後ろでイラッとしているキエフをチラリと見たが、このややこしい部下については言及しなかった。クラウスから体を離して、仕事の話に移った。

「中西部支局はどうなった?」
「ハリス支局長がラムゼイに薬漬けにされて情報を流していた様です。逃亡したので、ヘリとパトカーで追跡したのですが、ハリスはハイウェイで事故を起こして死亡しました。」
「死んだのか・・・」
「コロニー人は鉄道を知らないんですよ。だから、踏切を通過しようとして脱輪したところに列車が突っ込んだのです。もうグッチャグチャですよ。DNAで身元確認をやらなきゃならなくて、後始末に手間取り、ここへ来るのが遅くなりました。なんとか仲間と合流出来て、ホッとしています。」

 第1チームはクラウスとキエフを入れて6人。 荷物の積み込みをしている4人を思い出し、クラウスはキエフに「手伝え」と命令した。キエフはポールのそばに居たかったのだが、上司の命令なので渋々外へ出て行った。
 堅物ニュカネンがキエフを見送りながら、珍しく笑えるコメントを口にした。

「レインが弱っているのに、同じように池に落ちたアイツがなんでぴんぴんしているんだ?アイツ、どこか可笑しいのじゃないか?」

 そしてポールに声を掛けた。

「レイン、報告書は後回しにして、さっさとジェット機に乗れ。」
「うるさい、もう少しで終わるんだ。」

 ダリルはポールのそばへ行き、手元を覗き込んだ。言葉通り、ポールが書類を送信したところだった。ダリルは彼のスキンヘッドにキスをしようと体をかがめた。ポールが「止せ」と言った。

「今夜はそんな気になれない。」
「ただ挨拶のキスをしようと思っただけだ。」

 するとポールは片手を差し出した。ダリルはその手の甲に軽く口づけした。
 ポールは端末をニュカネンに返し、長椅子から起き上がった。動作が鈍いが誰も手を貸さない。彼の自尊心を尊重したのだ。
 支局の建物から空港の搭乗口までは5分だ。風は冷たくなっていた。ジェット機に近づくと、キエフと局員の1人が睨み合っていた。よくあることなのでポールはキエフではなく相手に「早く乗れよ」と声を掛けて、その場を収めた。諍いの原因はいつもつまらぬことで、キエフが一方的に腹を立てるのだ。キエフには、大人しくしないと置いて行くぞ、と脅して機内に追い立てた。
 犬猿の仲のニュカネンに、一応「世話になった」と礼を言って握手なしで挨拶を終える。
それからダリルには、必ず帰って来いよ、と言って、さっさと機内の人になった。
ダリルはクラウスともう一度ハグを交わした。

「ポールを頼むよ、ドームに着いたら必ず速攻で医療区に叩き込んでくれ。」
「任せて下さい。逆らえば麻痺銃を使ってでも入院させますよ。」


2016年10月1日土曜日

出張所 7

 夕食から戻ると、出張所の中では第1チームが大急ぎで帰り支度をしていた。彼等は昨日の朝からドームの外で任務に就いていたので、もうすぐ抗原注射の効力が切れるのだ。
居残り組にバトンタッチする仕事を仕分けて、自分たちが持ち帰る押収品を車に積み込む。
 ダリルが、ニュカネンとレインはまだ警察から戻らないのかと尋ねると、至極当たり前の返答があった。

「リュックから連絡があって、レインはこっちへ連れてこずにそのままローズタウン空港から飛行機に乗せるので、僕等も早く来いと言われたんです。」

 ポール・レイン・ドーマーの体力は限界に来ているらしい。ダリルは納得した。それで、クロエルに留守を頼んで自身もローズタウンまでジェリー・パーカーの護送をすることにした。ライサンダーに一緒に来るか、と尋ねると、少年は迷った。

「父さんはまたこっちへ戻って来るんだろ?」
「今夜は戻って来る。だが、JJとはここでお別れになるぞ。」

 JJがタブレットに文章を書き込んだ。

ーードームに慣れたら、外に出してもらえると思う。また会えるわ。

「元気でね。」

 ライサンダーは短い間だったが妹みたいに思えるJJを抱きしめた。

「君と暮らせて、本当に愉しかったよ。」

ーー私も面白かった。いつかまた一緒に畑を耕そうね。

 ジェリー・パーカーが車に乗せられた。彼は麻酔が効いたままで、自分が何処へ連れて行かれるのかもわかっていない。
 ふと、ライサンダーはあることを思い出した。とてもささいなことだが、不思議と記憶に残ったことだ。父さん、と彼はダリルに話しかけた。

「トラックで移動していた時のことなんだけど、ジェリーがスキ・・・Pちゃんの手に触れたんだ。そうしたら、Pちゃんが一瞬だけど、怯えた様な顔をした。」
「ポールが怯えた? ジェリーが殺意でも抱いていたと?」
「そんなんじゃないと思う。」

 ライサンダーは未確認だった事実を父に問うた。

「父さん、Pちゃんは手で他人の思考を読めるの?」

 ああ、そんな重要なことをまだ息子に告げていなかったのか、とダリルは自身の失態に気が付いた。自分が知っていることは息子も知っていると思い込んでいた。

「ポールは、手だけじゃない、全身で接触テレパスをやるんだ。だから、体調が悪い時は絶対に他人に触れさせない。コントロールが利かなくて無制限に他人の感情や思考を感じ取ってしまうからだ。だが、快調な時は、必要な情報だけを読み取れる。
 ジェリーに触られて怯えたと言うのは、恐らく、ジェリーが何か尋常でない思考をその時点で抱いていたからだろう。もしかすると、ジェリーが野原に彷徨い出たことと関係があるのかも知れないな。」

 ライサンダーは自分の手を眺めた。

「俺は、Pちゃんの接触テレパスも、父さんの何でも操縦出来る能力も遺伝していないんだなぁ。」
「そんなもの、ない方が良いに決まっている。」







出張所 6

 ライサンダーとJJは思わず顔を見合わせた。2人とも同じ女性の顔を思い浮かべていた。いつも台所でエプロンを着けて大鍋の前で笑顔を作っていた優しい小母さん。

「シェイだ!」

 ライサンダーが呟くと、JJも頷いた。 ダリルが、心当たりがあるのか、と尋ねたので、彼等は頷いた。

「台所に住み着いたみたいな小母さんがいたんだ。ラムゼイの農場で唯一人の女の人だった。コロニー人だって言ってた。ラムゼイもジェリーも彼女のことを大切にしていたんだ。」
「だけど、今日の逮捕者に女性はいなかったぜ。」
「ラムゼイがシェイだけ連れて先に出発したんだよ。彼女は住み慣れた家を出るのを嫌がっていたけど、逆らえなかったんだ。」

 クロエル・ドーマーが真面目な表情になって、ダリルに真面目に話しかけた。

「その女性がラムゼイのクローン製造に重要な役割を果たしていますね。ラムゼイは彼女の卵子がなければ高質なクローンを創れないんですよ。それにしても、ラムゼイは彼女を何処で手に入れたのでしょう?」
「ライサンダーが彼女の卵子から生まれたのだとしたら、彼女は私たちと同じ頃に生まれたのだろう。行方不明になったクローン女性の記録がないか調べてみる必要がある。」

 JJがライサンダーにタブレットの文章を見せた。

ーー貴方にもお母さんがいたのね。私はシェイが好き。良い人だもの。

 ライサンダーは苦笑いした。シェイは彼がラムゼイの「作品」だと知っていたが、自分の子供と言う認識はなかった。彼女はあまりにたくさんのクローンの製造に関わったので、母親と言う概念がないのだろう。それに彼女は妊娠したことがない。ライサンダーに母と呼ばれても、恐らく自覚しないはずだ。ライサンダーは彼女を母親と思わないことにした。しかし、一つだけ、彼に安堵を与えてくれた人だと思えた。

 俺も女性から生まれたと言えるんだなぁ・・・

それは、おまえは人間だよと言ってもらえたのと同じ重みをライサンダーに感じさせた。

出張所 5

 「なんだか話が弾んでいるみたいだな。」

 ダリルが厨房から戻ってきた。ライサンダーはちょっと皮肉を言ってみた。

「スキンヘッドにご馳走してやるレシピが増えたね。」

 ダリルは息子をちらりと見やった。

「彼をそんな風に呼ぶのは止めなさい。父親だぞ。」

 ライサンダーは反射的にクロエルを見てしまった。クロエルは特に驚いた様子を見せなかった。

「だけどセイヤーズ・ドーマー、父さんと父さんはどうやって呼び分けたらいいんです?」
「パパとか、ダディとか、いろいろあるだろう。」
「今決めなくてもいいだろ?」

ライサンダーはちょっと拗ねた。

「そんじゃ、Pちゃんにするよ。」
「Pちゃん?」
「JJが彼をそう呼ぶんだ。」

 ダリルとクロエルは顔を見交わし、プッと吹き出した。

「あいつが、Pちゃん?」
「可愛くね?」
「うっかり呼んだら蹴飛ばされるぞ。」
「僕ちゃん、これから彼の顔をまともに見られなくなっちゃう・・・」

 クロエルがクックックと喉の奥で笑った。ダリルがそんな彼を優しい眼差しで見ながら、さらりと言った。

「クロエル・ドーマー、私の息子の片親はポール・レイン・ドーマーなんだ。」
「あー、そんな気がしていましたよ、本人に会う前から。」

クロエルはライサンダーを見た。

「君とJJの所在が判明する迄、レインは狂ったみたいに君を探しまくっていたからね。例えて言うなら、子供を盗られた親猫みたいに。」
「探していたのは俺じゃなくて、JJだろ?」
「JJの捜索だけだったら部下だけで充分だったと思うよ、JJには失礼かも知れないけど。それに、長い間スキンヘッドなんでみんなレインの髪の色を忘れているけど、僕ちゃんは覚えてました。アマゾンのジャングルの色みたいで綺麗だったもん。 葉緑体毛髪の因子はY染色体上だけだからね。絶対にセイヤーズ1人じゃ、君は生まれない。」

 それから、クロエルは今まで誰も思いつかなかった事実を述べた。

「お母さんもいるだろ、ライサンダー。 ラムゼイが作った子供たちが健康なのは、女性の卵子を使っているからだ。多分、レインのと卵子を受精させて、そこにセイヤーズのを組み入れたんだ。」




出張所 4

 「クロエルさんはクローンなの?」
 
 ライサンダーは失礼かなと思いつつも尋ねずにいられなかった。JJが流石にこの質問にはデリカシーがないと思ったのか、横から肘で突いた。クロエルは気にしなかった。

「クローンじゃないよ。体外受精児でもない。」
「でも・・・」
「母親が堕胎したんだよ。」

 JJが息を呑んだ。ライサンダーもショックで口が利けなかった。

「ドームって言うか、南米はいろいろ事情があって北米まで行けない人が多いから、お産だけする分室があるんだけどね、僕ちゃんの母親は僕ちゃんをどうしても産みたくなかった訳。それで分室で堕胎したんだけど、子供は大事だからね、分室は胎児を無傷で取り出して人工子宮で育てたの。それが、この僕ちゃん。」

 ライサンダーはクロエルをじっと見つめた。母親に望まれなかった子供? 母親に殺されかけた子供? この優しい陽気なアンちゃんが?

「だからさ、僕ちゃんの名前は、クロエルだけだろ? 気が付いてた? 父親が誰だかわかんないんだ。だから名前をもらえなかったの。母親の家系はドームが管理しているから、母親が嫌でも母親の名字は子供に付けておく。」
「でも・・・DNAを調べたら、お父さんはわかるんじゃないの? ドームは地球人全ての遺伝子を管理しているんでしょ?」
「それがね、南米って所はそう簡単な場所じゃないんだよ。法律から逃れる方法がいっぱいあってさ、ドームに登録しないで子供作っちゃうんだね。男の子ばっかりだけど。そんで、その子供たちが大きくなって、ちゃんとした家庭の女の子を襲う訳。 すると、僕ちゃんが生まれちゃう。」

 クロエルは何が面白いのかクックッと笑った。

「分室は本来お産と交換(公共の場なので、クロエルは『取り替え子』をこう表現した)だけの場所なんだけど、当時の執政官は僕ちゃんをドームに送らずに自分たちの手で育てたんだよ。はっきり言って、気まぐれでさぁ、子犬を育てるみたいなもんだね。だから僕ちゃんは普通の子供と一緒に外で遊んでたの。それなら養子に出せば良いものを、執政官たちはペットを手放したくなかったんだ。
 そしたら、支局巡りしていた遺伝子管理局に発見されちゃった。そこの分室は全員更迭、僕ちゃんは別の分室に保護されて、そこでなんと3年も処遇決定待ちってことになって、その間にドーマーとしての教育を受けさせられた。
 ドームは父親のわからない遺伝子管理されていない子供を世間に出せないと思ったんだ。それで10歳にして、やっとドーム本部に送られて、そこの養育棟で成人するまでお勉強さ。スペイン語と現地の言語が2つばかり出来るんで、遺伝子管理局に入れられてすぐ南米支局勤務になったんだ。本部に戻された時は、君のお父さんは脱走した後だった。だから伝説の『ポールの恋人』と出遭う機会は昨日まで全然なかった。」
「え? 父さんと出遭ったのは、昨日が初めてだって?」
「正確には、昨日の深夜。まだ知り合って24時間たってないなぁ。」

 ライサンダーはクロエルを改めて見つめた。目の前にいるおちゃらけた兄ちゃんは、本当は凄い経歴の人だったのだ。

出張所 3

 ケイジャン料理の店はすぐ見つかった。開店直後だったので窓際の庭に面した席に案内された。ライサンダーとJJは初めての経験だったので、クロエル・ドーマーにメニューを選んでもらった。 ライサンダーはクロエルと同じキャットフィッシュのソテー、JJはシュリンプクレオール、ダリルはガンボ。

「レインが戻ったらすぐにローズタウンに送って行こう。」

とクロエルが言った。

「気が付いただろ? 彼はもう一杯一杯だ。あれ以上無理をさせると、僕等が長官に叱られるよ。」
「そうだな。逆らえば、麻酔を打ってやれ。」
「ローズタウンに何があるの?」
「空港。」

クロエルはJJを見た。

「君も飛行機に乗る?」

JJが頷いた。ライサンダーがドームに行くと言う考えは誰も持っていないらしい。ライサンダーは父親を見た。息子の今後について何か言ってくれないのか、と目で催促したが、ダリルは無視して、いきなり、

「このガンボって美味いなぁ。どうやって作るんだろ?」

と言うなり、席を立って厨房の方へ行ってしまった。ライサンダーは深い溜息をついた。

「また親父の新し物好きが始まった・・・」
「いつもああなの?」

とクロエルが興味津々で尋ねた。

「うん。自分で作れそうだと思ったら、すぐ作り方を教えてもらいに行っちゃうんだ。」
「いいじゃん、美味い物を作ってくれるんだろ?」
「でも、満足出来る物が完成するまで毎日同じ料理が続くんだ。」
「そりゃ、災難だ。」

クロエルが笑うと、JJも声をたてずに笑った。ライサンダーも笑いながら、でも俺はガンボを食べられないだろうな、と思った。ダリルが次に料理をするのはドームの中なのだろうか?
 すると突然、クロエルが彼に尋ねた。

「君はお母さんはいたの?」
 
 ライサンダーはどきりとした。ダリルはまだ仲間に息子がクローンだと明かしていないのだ。彼が返事に詰まったのに気が付かないふりをして、クロエルが言った。

「僕ちゃんは母親いないの。父親もいないんだ。」

え? とライサンダーとJJが彼の顔を見た。クロエルが苦笑いした。

「あー、生物学的にはいるんだろうけど。でも他のドーマーたちと違って、母親のお腹の中で育ったんじゃないんだな。」