2016年10月16日日曜日

リンゼイ博士 14

 一昨日ドームを出る時に着ていたシャツが洗濯されて戻って来たので、3日目はそれを着て出かけることが出来た。出張所の休憩室で泊まったので、快眠とは言えなかったが、休息は取れた。 朝食後、簡単な打ち合わせをした。ニュカネンは部下とトーラス野生動物保護団体ビル周辺を固め、メーカーの逃亡を防ぐ役割を担当し、ダリルとクロエルがビル内でリンゼイ博士と会う。
 団体は今、繁殖期の動物に体外受精させた胎児を注入する仕事で大忙しだと言う。出来るだけ自然のサイクルを守る為、早すぎても遅すぎても駄目だ。タイミングを上手く合わさなければならない。だから多くの会員が野山に出かけて留守だ。
 ビル内は病院の匂いがする博物館と言った雰囲気だ。野生動物の写真、映像、剥製、骨格標本などが展示され、学習と自然保護の啓蒙に努めている公開フロアを抜け、寄付を募るカウンター横から事務室に入ると、スーツ姿の中年男性が待っていた。政治家の秘書の匂いがしたが、理事のビューフォードと名乗った。

「話はミズ・フラネリーから聞きました。こちらへどうぞ、理事が数名集まっています。」

 事務室奥のドアからスタッフ専用のエレベーターへ案内された。ビューフォードは遺伝子管理局に仲間を捜査されるのを歓迎していない様子だ。セレブの団体なので、他所から指図されるのが気に入らないのだろう。

「ところで、管理局の方は銃をお持ちですね?」
「コロニーの麻痺銃です。お気に召しませんか?」
「銃アレルギーの理事もいます。なるべく目に付かない様に気をつけて下さい。」

 まさか銃を見た途端に蕁麻疹が出る訳ではあるまいに。それに遺伝子管理局は警察ほども銃を使用しない。疚しいところがなければ、銃の心配をすることはないはずだ。
 エレベーターは6階まで上がり、そこで一同は広い部屋に入った。理事が5人、立ったり座ったりして、遺伝子管理局の2人を迎えた。
 理事長席の隣に座っていたアーシュラ・R・L・フラネリーが客を見て立ち上がった。

「約束の時間ぴったりね、ミスター・セイヤーズ。」

彼女はクロエルにも挨拶した。

「可愛いドーマーさん、おはようございます、秘書が貴方によろしくと申しておりました。」
「こちらこそ、秘書さんによろしくお伝え下さい。夕べはご馳走様でした。」

 離れた位置にいる女性2人組が囁き合った。

「綺麗な南米人ね。あのドレッドに頬ずりしたいわ。」
「白い方もセクシーよ。ドーム人って、本当に美形揃いね。」

 ダリルは聞こえないふりをして、クロエルを紹介し、自己紹介した。一般人に名乗る場合はドーマーを省くのだが、アーシュラが「ドーマー」と口にしたので、ついうっかり付けてしまった。 女性の1人が驚いた。

「ご親戚?」
「ま、そんなもんです。」

とクロエル。名前と姓が一つでしかないクロエルには親切な結果だったのかも知れない。
理事長のモスコヴィッツが自己紹介した。彼の顔は知っていた。団体のウェブサイトに写真が載っているし、彼が経営する清涼飲料水会社のテレビCMでもお馴染みだ。
残りの3人も名前を聞けば知っている人々だった。女優に有名医師に弁護士だ。
「さて・・・」とモスコヴィッツが口を開いた。

「我らが団体の古き会員で良き友人であるアーノルド・リンゼイ博士がメーカーのラムゼイであると言う証拠はあるのかな?」
「物的証拠はありません。」

とダリル。

「ですが、私はラムゼイを個人的に知っています。当人をこちらへ呼んで頂ければ、全て解決です。我々は彼を逮捕し、速やかに撤退します。」

 理事長は頷いて、ビューフォードにリンゼイ博士を呼んでくるよう命じた。ビューフォードが部屋から出て行った。
 理事たちは2人のドーマーを観察していた。「野生動物を保護する」団体の人間たちにとって、ドームの中で保護され育てられるドーマーは不自然な地球人なのだろう。ある意味で「忌むべき者」だ。しかし、サラブレッドが高価で素晴らしい生きた芸術作品であるように、ドーマーも鑑賞に堪えうる存在であることは否定出来ない。

「リンゼイがラムゼイだとしても、彼は野生動物復活に多大な貢献をしてくれた。失うに惜しい人材だ。どうしても逮捕しなければならないのかね?」

 モスコヴィッツが尋ねた。人の上に立つことに慣れた男の質問だ。お金でなんとかならないか、と匂わせている。ドームには政治的圧力も賄賂も効かない。しかし、外に出てくるドーマーは人間だ。どうとでも扱える。そんな慢心が感じられた。クロエルは笑いたいのを我慢した。ドームの中で暮らしている限り、お金は意味がない。ご飯を食べる為の交換券程度の価値だ。ダリルがモスコヴィッツの誘惑をやんわり躱した。

「ラムゼイはクローン製造ばかりか、誘拐と殺人をやらかしました。連邦警察に訴えても良いのです。」
「それは困る。」

と医師が呟いた。

「なんたることだ、我らが友人がメーカーとは・・・」

案外知っていたんじゃないのか、とドーマーたちは疑った。ラムゼイは団体にどっさり寄付をしているのだろう。

「私達は薄汚い犯罪者にまんまと騙されていたのね。」

 女優が身震いした。演技だとしたら、上手くない。クロエルが笑いそうになって咳払いした。
 するとアーシュラが部屋から出て行った。彼女と入れ替わるように、別のドアからビューフォードが戻って来た。彼の後ろに重力サスペンダーの音を低く響かせながら入って来た男がいた。
 彼は室内のダークスーツ姿の2人を見て、ちょっと笑った。

「やれやれ、地球も狭くなったもんだ、ドーマーたち、おはよう!」