2016年11月21日月曜日

暗雲 19

 ローズタウン支局の支局長、トーマス・クーパー元ドーマーは、髭を生やしていたので消毒に少々時間がかかった。
 ポール・レイン・ドーマーとクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーはドームの入り口で彼が現れるのを待っていた。クラウスの緊張が感じられて、ポールはちょっと不快だった。ダリルから局長の伝言を聞いて、クラウスを叱ったが、そんなに厳しく言った覚えはなかった。既に反省しているのだし、一瞬の隙を突かれたミスを責めるのは酷だ。
 だから、故意にからかってみた。

「悪戯を見つけられた子犬みたいに震えるなよ。」
「震えてなんかいませんよ。」

 クラウスは盗難に遭ったハリスのIDカードがクローン収容所襲撃に使われたことが悔やまれてならない。クーパー元ドーマーに召還の理由を説明する役目を与えられているので、緊張しているのだ。貴方の部下にFOKのスパイがいますよ、と言わなければならない。
 ポールは指先をクラウスの頬に押し当てた。

「ほら、心が震えているじゃないか。」
「兄さん、悪ふざけは止めて下さい。」

 ポールの方から他人を触る時は、何か良くない企みがあるのだ、と子供時代からクラウスは理解していた。

「俺がふざけているだって?」
「ほら、そうやって絡む・・・」

 そばにいる出入管理班のドーマー達が羨望の眼差しでクラウスを見ていた。彼等にとって、ポール・レイン・ドーマーは美しすぎて気安く話しかけられる人ではないのだ。その彼とクラウスはじゃれ合っている・・・。
 ゲートが開いて、消毒が済んでドーム用の新しい衣服に着替えた元ドーマーが現れた。懐かしげに「生まれ故郷」を見回して、小さく溜息をつく。数年ぶりの里帰りが、緊急召還なのが残念だ。もっとも、ドームは遊びに里帰り出来る場所ではないのだが。
 出迎えたポールの挨拶も「お帰り、クーパー」だった。
 支局長クラスは、班チーフより格上のはずだが、現実には現役チーフの方が態度がでかい。これはポールに限ったことではなく、どの班のチーフも同じだ。と言うのも、支局長になるのは元ドーマーで、彼等のほとんどが幹部経験がない平の局員だったからだ。
 ポールが出迎えたのは、支局長の顔を立てる為だった。
 ポールが昼食は済んだかと尋ね、クーパーが未だだと答えたので、3人は食堂へ向かった。

「あまり難しく考えないでもらいたい。支局の職員の行動について、ちょっと調査したいだけなんだ。」

 と言われても、クーパーは不安を拭えない。外に出た元ドーマーがドームに召還されるのは、大概何かの問題が発生した時だ。それに彼は、クラウスが緊張していることをうっすらと感じ取った。

「用件を先に済ませた方が良くないですか? 何だか気になって・・・」

するとポールが彼を遮った。

「用件を聞いたら、ますます食欲がなくなるかも知れないぞ。」

そう言われて、ますますますます食欲が減退したクーパー支局長は、食堂でも軽く食べただけだった。

「呼ばれたのは、私だけですね? 出張所のリュック・ニュカネンは来ていないのですね?」
「ニュカネンは関係ない。君も落ち度があって呼ばれた訳ではない。君の所の職員の素行調査だ。」

 昼食を済ませて遺伝子管理局本部に向かう3人は、途中でハイネ局長と出会った。儀礼的な挨拶を交わした後、全員で局長室に入った。
 各自席に着くと、局長が単刀直入に本題に入った。

「ローズタウン空港で遺伝子管理局の手荷物検査をしている職員は何名いるのだ?」
「3名です。仕事量が少ないので、来年は2名に減らすつもりですが?」

 局長はある日付を言った。

「覚えていると思うが、そこに居るレインがメーカーから救出された日だ。あの日、手荷物検査をしたのは、誰だ?」
「ええっと・・・」

 クーパーが端末を出して過去の支局の勤務シフト表を検索した。

「あの日は・・・夕刻でしたね? ・・・ ガブリエル・モアと言う男です。セント・アイブス・メディカル・カレッジで神経細胞の研究をする傍ら、支局で働いています。」
「ほう・・・神経細胞の研究ね・・・」

 ハイネ局長はクラウスを見た。クラウスの出番だ。彼は少し体を前に傾けて、クーパーに近づけた。

「僕が押収した証拠物件が紛失したのですが、どう考えても手荷物検査の時に失せたとしか思えないのです。」
「何だって?」

 クーパーはクラウスをグッと睨み、それから、ポールを見て、局長に視線を戻した。

「モアが盗んだと考えておられるのですか?」
「ワグナーのアタッシュケースを開いて中の物に手を触れた人間が、モアと言う男1人だけなら、そう考えざるを得ない。」
「何を紛失したのか知りませんが、うちの職員に限って、そんな犯罪を犯すとは思えません・・・モアの実家は裕福な医師の家庭ですよ。」
「食う為に金目の物を盗んだのではないのだ。」

 局長はコンピュータを操作して、中央テーブルに画像を立ち上げた。若い男性の顔だ。
クーパーはそれを見て、ガブリエル・モアだと認めた。マザーコンピュータが、ローズタウン支局のデータから引っ張って来た個人データだ。
 ポールがクラウスに視線を向けた。クラウスは手荷物検査官の顔など覚えていなかったので、素直に「記憶にありません」と言った。

「この男だった様な気がするし、違うような気もするし・・・」
「この男です。当日に空港勤務していたのは、モア1人だけでしたから。」
「局長・・・」

 ポールが提案した。

「明日、第4チームが外に出るので、俺も一緒に出ます。クーパー支局長と共にローズタウンへ行って、このモアと言う男と握手してきますよ。」
「良かろう。だが、無理はするなよ。」

 局長はポール・レイン・ドーマーの平和裏に情報収集活動をする能力を買っていた。
ポールはクーパーを送っていく序でにセント・アイブスの様子も見てきたいのだ。トーラス・野生動物保護団体が現在何をしているか覗いてこようと言う魂胆だ。
勿論、単独行動だ。局長はあまり深入り捜査はするなと釘を刺して置いた。
 それから、部下に泥棒がいると告げられて不安な表情のクーパーには優しく笑いかけた。

「トム、今日はドームに泊まっていけ。部屋は用意させてある。君の昔の仲間達にも連絡を入れておいたら、今夜は君と一緒に食事をしたいと彼等が言ってきた。」

 クーパーの顔がパッと明るくなった。

「本当ですか? 有り難うございます!」

 ポールも表情を和らげて彼に話し掛けた。

「俺たちは邪魔をしないから、ゆっくり昔話にでも花を咲かせてくれ。残念ながらアルコール類はないがね。」