2016年11月23日水曜日

暗雲 21

 ポール・レイン・ドーマーは幹部クラスだから中央研究所の食堂に自由に出入り出来た。しかし今まで彼が自らの意志でそこに行くことはなかった。遺伝子管理局の幹部で集まって食事会の形で会議をするか、ファンクラブの連中に殆ど無理矢理連れて行かれるか、そのどちらかだった。仕事でなければ大勢の集まりで、個人で来ることはなかった。
 だから、彼が彼自身の意志で、私服姿で、しかも同伴はダリル・セイヤーズ・ドーマー1人だけで、食堂に現れたので、その場に居合わせた人々は驚いた。
 時刻は午後8時を過ぎて、食堂は空いていた。マジックミラーの壁の向こうは、規則正しい生活を義務づけられた妊産婦がいるはずもなく、医療区関係者が数名食事をしているだけだった。
 ポールは入り口で中をざっと見回してから、配膳カウンターへ向かった。その足取りはいつもより堂々として力強かった。一方、後に続くダリルは少々疲れた表情で脱力感を漂わせていた。
 厨房スタッフが「こんばんは」と声を掛け、ダリルをチラリと見て、ポールに「大丈夫か?」と囁いた。ポールは相方を振り返りもせずに答えた。

「彼は眠いだけだ。飯も食わずに寝かせたら、夜中に腹を空かせて目を覚ます。騒ぎ出されると困るから、連れて来た。」

 2人はそれぞれメインディッシュを受け取ると、銘々好きなサイドディッシュを取りそろえて、窓際の空いたテーブルに席を取った。
 暫く黙って食べていたが、そのうちにダリルが話し掛けた。

「君とライサンダーは食べ物の好みが全く同じなんだなぁ。違っているのは、息子は甘味料が入ったソフトドリンクを好むが、君は絶対に飲まないと言うところだ。」

 ポールが食事の手を止めた。

「さっきは完全にガキのことを忘れていたのに、もう思い出したのか?」
「仕方がないよ。18年間、ずっと傍らに彼は居たんだから。」
「君の頭の中はガキのことでいつもいっぱいだ。」

 ポールが愚痴った。

「セント・アイブスでの救出作戦の時だって、そうだった。君は俺ではなく、ライサンダーの所へ真っ先に行ったんだ。」
「あの時は、クロエルが指揮官だったから、一番の大物救出を指揮官に譲ったんだ。チームの誰もライサンダーが危険な状態に居ると考えもしなかったからね。だから私があの子を助けに行った。それだけだ。君のこともいつも想っているよ。」
「君の心の半分はガキで占められているってことだ。」
「50、50では不満なのか?」
「俺は君が生まれた時から隣に居たんだぞ。」
「では、60、40にする。」
「どっちが60だ?」
「君だよ、決まっているだろ?」
「たったの60?」
「それじゃ、70、30。 これ以上は譲れない。」

 ポールの水色の目がダリルをじっと見つめた。
 次の瞬間、ダリルは彼の笑い声に驚かされた。ポールは平手でテーブルの面を叩き、それから体を仰け反らせて笑った。

「人の心は尺では量れないといつも言っているのは、ダリル、君じゃないか!」
「話を始めたのは、君の方だろ?」
「俺は半分と言ったんだ。50パーセントなんて言ってないぞ。」
「半分と50パーセントは違うのか?」
「大違いだ!」

 ポールはまだ笑っていた。

「上手く説明出来ないが・・・半分って言うのは、ある瞬間は君はガキのことしか考えていない、別の瞬間は俺のことだけを考えているってことだ。50パーセントって言うのは、君がガキのことを考えている時に同時に俺のことも考えているってことだ。」
「よくわからん理屈だ・・・」

 ダリルはワイン風味の葡萄ジュースのグラスに手を伸ばし、ふと周囲の人々が自分達を見ていることに気が付いた。
 実際、食堂内に居た人々、とりわけポール・レイン・ドーマーのファンクラブの面々は2人の会話に聞き耳をたてていたのだ。そして突然のポールの笑い声に驚かされた。
ポールが彼等の前で声をたてて笑うなど、初めてだ。それも演技ではなく、本当に愉快そうに豪快に笑ったのだ。 ファンクラブとしては、これは衝撃的な出来事だった。

ポールの本当の笑顔を見てしまった!
今までのポール・レイン・ドーマーは、本当の笑顔を見せてくれていなかったのだ!

 凄く悔しいが、同時に嬉しい、と言うのが彼等の感想だった。アイドルが幸せなら、それがファンの幸せでもあるのだ。
 ダリルは、ポールの方に顔を寄せて、少し声を落として話しかけた。

「さっきの会話、彼等に全部聞かれたと思うか?」
「思うどころか、確実だ。」

 ポールは聞かれたってかまわないと思っていた。ライサンダーが誰の子供なのか知られたってかまわない。ダリルがライサンダーの親で、ライサンダーがポールの子供でもあるなら、ダリルはポールのものだ。
 ファンクラブの幹部の1人が、意を決して2人のテーブルに近づいて来た。

「こんばんは、ポール。」

 彼はダリルにも「こんばんは、セイヤーズ」と声を掛けた。ポールはいつもの通り頷いただけで、ダリルは「こんばんは」と挨拶を返した。その執政官は隣のテーブルの椅子を引き寄せて2人のテーブルのそばに座った。

「悪いけど、先刻の君達の会話が聞こえてしまったんだ。それでちょっと聞きたいのだが・・・」

 彼は、少し躊躇ってから、ダリルに向き直った。

「ライサンダーと言うのは、君の子供なんだね、セイヤーズ?」
「そうです。」
「確か、メーカーに創らせた・・・」
「そうですが?」
「進化型1級遺伝子を持っているのか、その子供は・・・」

 ダリルが一瞬躊躇うと、ポールが代わりに答えた。

「持っているが能力の発現には至っていない。不完全だ。」
「不完全?」
「サタジット・ラムジーは普通の地球人を創ったんだ。所謂『超能力』を持っていない人間だ。」

 不信感が顔に表れた執政官に、ポールはきっぱりと断言した。

「俺が本人に直接面会して確認した。遺伝子管理局の審査を疑うのか?」

 ぐっと睨まれて、執政官はたじたじとなった。ポール・レイン・ドーマーが執政官に強い態度で出るのは初めてだ。この変化は何なのだ? 今までコロニー人に逆らわなかったアイドルが牙を剥いて唸っている?
 ダリルがのんびりと口をはさんだ。

「私は普段から素行が悪いから、息子まで疑われるんだなぁ。」

 ポールは執政官から視線を外し、ダリルの皿を見た。

「早く食ってしまえ。俺は明日早いんだから、食べたらさっさと帰って寝るぞ。」
「待ってくれ、デザートまで行きたいんだ。」
「だから早く食え!」

 ダリルが執政官を見て苦笑いした。

「この男はいつも命令口調なんだ。」