2016年11月3日木曜日

新生活 22

 ダリルは図書館の中を静かに歩いて行った。子供の頃、時々養育棟を抜け出して一人で遊びに来た場所だ。紙で作られた本物の書籍がかび臭い匂いを漂わせてぎっしり並んでいる。先人の歴史と智慧と心がここにあるのだ。
 奥の通路の先で、アレクサンドル・キエフ・ドーマーのブツブツ声が聞こえるのが耳障りだ。キエフはJJにポールから手を引けと言っている。JJは答えない。答える声を持たないし、彼女は図書館の中なので翻訳機の電源を切っているのだ。それにうっかり思考を音声にしたら相手をさらに興奮させるかも知れない。彼女はきっとそこに考えを至らせて、沈黙を守っているのだ。
 ダリルはキエフに聞こえるように足音を立て、声を掛けた。

「キエフ・ドーマー、勤務時間だ。早く仕事に戻れ。」

 キエフのブツブツ声が止んだ。誰だ、と怒鳴ったので、ダリルは素直に答えた。

「チーフ付秘書のセイヤーズだ。」

 キエフが来るなと喚いた。ダリルは書架の角まで来た。キエフの声は角を曲がって2メートル向こうから聞こえる。つまり、ほんの目と鼻の先の距離だ。

「仕事をしてくれないと困るんだ、君は優秀な衛星情報分析官だろう?」

 角を曲がると、キエフがすぐそこに立っていた。右手の麻痺光線銃をJJに向け、ダリルの方へは医療用メスを向けていた。ダリルは、こいつは右利きなのか、左利きなのか、と考えた。両手を同じ様に使えるとしても、同時に別の武器を使うのは難しいだろう。
 JJは分厚い書物を手に取っていた。遺伝子をテーマにした古い小説集だ。キエフが異常な行動を取っていると理解しているが、相手にしたくないと言う顔で、ダリルを見た。

「あんたなんかに指図されたくない。」

とキエフが言った。目に隈が出来ている。病人みたいだ。きっと心の病気なのだ。

「君が私の指図を受けたくなくても、私はチーフの意向を君に伝えないといけない。チーフは君に職務の遂行を望んでいる。もし君が拒否するのなら、君をチームに置いておけないと言っている。」
「嘘だ!」

 キエフの注意がJJから完全にダリルへ移った。メスをぐいっと突き出してきた。

「チーフはあんたなんか連れて来るべきじゃなかった。あんたが来てから、チーフの身に良くないことばかり起きる。あんたは疫病神だ!」
「だったら、私をドームから追い出してくれれば良い。いつでも喜んで出て行くから。」
「そんなことをしたら、チーフがまた苦しむじゃないか!」

 ダリルはクスッと笑った。

「君は支離滅裂だなぁ。キエフ・ドーマー・・・」

 彼の笑顔が、キエフの怒りを頂点に持っていった。キエフは野獣の様な声を張り上げてダリルにメスで斬りかかった。勿論、ダリルはそれを待っていた。メスをひょいっとかわすとキエフの左手首を掴み、軽く捻った。捻りながらキエフの銃を持つ腕をもう片方の手で打った。キエフが悲鳴を上げながら床に崩れた。銃が床に大きな音をたてて落ちた。その上にキエフのお尻が落ちた。
 咄嗟にダリルは何が起きるか悟り、叫んだ。

「目を閉じろ!」

 現場近くまで来ていた保安課のゴメスと部下達は、書架の向こうで閃光が見え、思わず顔を伏せたり背けたりした。ゴメスが叫んだ。

「セイヤーズ、無事か?」
「私は無事です。」

ダリルは目を開いた。瞼の内側まで光りが押し寄せた感覚で、少しふらっときていた。JJを見ると、少女は手にした分厚い小説集を顔の前にかざしていた。

「大丈夫か、JJ?」

 JJが胸ポケットの翻訳機の電源を入れた。

「大丈夫よ、ダリル父さん、 有り難う!」

一人だけ、大丈夫ではない男がいて、床でピクピク体を痙攣させながら伸びていた。
ゴメスと保安課員達がやって来た。キエフを見下ろして、ダリルに尋ねた。

「何をやったんだ?」
「挑発して私を襲わせました。手を捻ったら、彼は銃を落として、その落ちた銃の上に彼は尻餅をついたんです。銃が暴発しました。」

 キエフを診ていた保安課員が、「麻痺しているだけです。」と報告した。ゴメスは部下にキエフを医療区へ運び、拘束するようにと命じた。
キエフを運ぶ為のストレチャーと共に、ポールが現れた。ダリルに「よくやった」と労ったが、ダリルはその場に立ったまま頷いただけだった。JJもいつもの様にポールに飛びつきもしないで、突っ立っていた。

「2人とも、どうしたんだ?」
「どうも・・・」

とダリルは言った。

「ちょっと麻痺光線を浴びて、脚が痺れて動けないだけだ。」

JJも頷いた。

「そうなの、2人ともビリビリなの。」