2016年12月31日土曜日

誘拐 18

 気が重いフライトだった。ポールは誰とも口を利かなかった。ダリルが送迎のヘリのパイロットと航空免許取得の相談をしても、聞こえないふりをしていた。ヘリはフラネリー家の別荘のヘリポートに着陸した。
 出迎えたのは中年の女性だった。アーシュラ・R・L・フラネリーによく似ていた。それもそのはずで、アーシュラのオリジナルとなったコロニー人女性の娘が更にオリジナルとして卵子を提供したクローン、フランシス・フラネリーだからだ。父親はポール・フラネリーではないが、遺伝子的にはアーシュラの娘と同じ、と言うことになる。
 ポールにもその仕組みはわかっていたから、彼は不思議なものを見る気分で、遺伝子的妹を眺めた。何も知らないはずのフランシスは、しかし、彼が何者なのかわかっている気配だった。接触テレパスの因子はX染色体上に存在し、女はX染色体がホモにならなければ発現しないから、彼女は母親と兄の会話から知ってしまったのだろう。

 俺の取り替え子

 ポールは何だか初対面のこの美しい女性が愛おしく思えた。

「フランシス?」( Francis )

とフランシスが声を掛けた。

「それともポールと呼んだ方が良いかしら?」
「ポール」

とポールは言った。

「君の名前だ、フランシス。」( Frances )

そして彼は尋ねた。

「ハグしても良いか?」
「ええ! 喜んで!」

 ダリルは遺伝子的兄妹が抱き合うのを眺めた。出迎えたのがフランシスで良かった、と心から安堵した。ハロルド・フラネリー大統領が以前会った時に、ダリルに言った言葉が思い出された。「私は双子の妹と弟がいるのだと思っているよ」とポールとフランシスの兄は言ったのだ。
 ポールとフランシスは初対面で意気投合した様子だった。ダリルは兄妹がいるポールをちょっと羨ましく思った。
 やがて体を離したフランシスは、ポールとダリルを別荘へ案内した。

「父はもう長くありません。」

と彼女は感情を抑えて語った。

「やりたいことは精一杯やったので、満足して死ねると言っています。ただ、一つだけ心残りがあるので、それだけはすっきりさせたいと・・・」

 ポールは息子を取引に使った詫びをしたいのかと皮肉を言おうと思ったが、理性的に控えた。
  別荘の屋敷の中にいたのはポール・フラネリーの親族だけだった。大統領の護衛や側近達は控え室やキッチンにいるのだろう。大きな別荘なので、ダリルには見当がつかない。
彼は自身が「他人」だと承知していたので、居間にいたフラネリー家の人々に挨拶をすると、自身の身を何処に置こうかと考えた。するとアメリア・ドッティが気を利かせて書斎に連れて行ってくれた。

「ヘリコプターの中で待っていても良いのですが」

とダリルが言うと、彼女は肩をすくめた。

「そんなことをすると、私が夫に叱られます。私の命の恩人ですのに。」

 暫くして、海運王アルバート・ドッティが入室してきた。

「やぁ、我が細君の恩人にやっとお会い出来ましたね!」

 逞しい海の男と呼べそうな、よく日焼けしたがっしりとした男性だった。夫妻は、ダリルが退屈しないよう、相手をしてくれた。


誘拐 17

 ダリルとポールが食堂で昼食を取り終えた頃に、ポールの端末に電話が着信した。発信元がケンウッド長官だったので、ポールは訝しげに電話に出た。長官は彼が効力切れ休暇中だと承知の上で、長官室に顔を出すようにと言った。命令ではないが、長官の要請は命令と同じだ。更に、ダリルにも一緒に来るよう伝えてくれと言われた。
 通話を終えて、ダリルにその内容を伝えると、ダリルは「何だろう?」と呟いた。ちょっと不安を覚えた。2人そろって長官に呼ばれると言うことは、ライサンダーに関係することなのだろうか。
 長官は何時とも言わなかったが、彼等は食器を返却するとそのまま中央研究所に向かった。ダリルは幹部でないので呼ばれなければ研究所に入れないし、ポールはオフで私服なので、仕事の時は必ずスーツでと心に決めているマイルールを破ることになるが、仕方が無い。それに、仕事なのだろうか? と言う疑問もあった。もしライサンダーに関わることならば、仕事と言うよりプライベイトな問題になる。
 長官は昼食を済ませたのかまだなのか、兎に角執務机に向かって何やら書類を作成していた。秘書が2人の来訪を告げると、それらの書類を脇にどけて、机の上に両肘を付いた。
 ダリルとポールは来訪者用の椅子に座るようにと秘書に言われ、座った。秘書が出て行く迄ケンウッド長官は黙っていた。何から切り出すか、考えている様子だった。
 やがて・・・

「ポール・レイン・ドーマー、今日は効力切れ休暇中だね?」

 電話でも確認したことを、また確認だ。ポールは「はい」と答えたが、それ以上は言うことがないので、次の言葉を待った。
 長官はまた数十秒考えた。そして・・・

「効力切れの日は、抗原注射は打てない。明日も駄目だ。しかし、時間がない。」
「何ですか?」

 ポールはじれったくなった。長官らしくない歯切れの悪さだ。

「外に出なければならない用件が発生したのですか?」

 ケンウッド長官はポールを見て、ダリルを見て、またポールに視線を戻した。そして重々しく告げた。

「ポール・フラネリーが危篤状態だ。」

 ポールの実父だ。ダリルはすぐ気が付いたが、肝心のポールはピンと来なかった。暫く長官を見返してから、ようやく「ああ」と呟いた。

「病気なんですね?」

 ケンウッド長官は彼のそんな反応を予想していたのだろう。肉親への愛情は皆無の、典型的なドーマーなのだから。だから、長官はダリルの援護を必要としていた。長官はポールにではなく、ダリルの方へ視線を向けて言った。

「フラネリーは老衰と内臓の機能低下だ。外の世界では60代と言うことになっているが、実際は80歳だ。外に出た元ドーマーとしては長く生きた方だ。」
「それで?」

とポール。俺に関係ないだろう、と言う表情だ。長官は小さく溜息をついて、ポールに向き直った。

「彼は死ぬ前に君に会いたいそうだ。」

 ポールは、とても困ったと言う顔をした。

「どんな用件でしょう? 今日は出られないし、明日も無理です・・・」

 ダリルは彼に言った。

「君の顔を見たいんだよ。それだけだ。父親だから・・・」
「どうして?」

 ポールが抗議した。

「元ドーマーなら、俺がいつでもドームから出られる体じゃないって、知ってるだろうが!」
「ポール!」

 ケンウッド長官が、姓ではなく、名でポールを呼んだ。ポールはビクッとして長官を振り返った。ケンウッドがドーマー達を名前で呼ぶなど、滅多にないことだ。

「注射は出来ないが、時間がない、行ってこい。セイヤーズ、付き添ってやれ。緊急の場合の薬を持たせる。空気感染で今日明日に倒れることはないが、怪我をした時の細菌感染予防の薬だ。」
「どうして爺さんに会いに行かなきゃならんのです?」

 ポールはまだ抵抗した。

「俺はあの人と『こんにちは』程度の口しか利いたことがないんですよ!」

 ケンウッド長官は、ポールの石頭に親子の情を解説するつもりはなかった。

「行けと言ったら、行ってこい! 命令だ!」

2016年12月29日木曜日

誘拐 16

 ダリルはオフィスに入ると、いつもの仕事をした。時々気分転換に外へ電話を掛けた。セント・アイブス出張所だ。相手は所長のニュカネンではなく、セイヤーズを名乗って取り敢えず「効力切れ休暇」に入っているロイ・ヒギンズだ。次のローズタウン支局巡りの遺伝子管理局の局員が来る迄出張所で大人しくしている予定だが、本物が抗原注射が不要の型破りな男なので、ヒギンズも1人歩きするつもりでいる。彼は連邦捜査局が許す範囲で捜査の進展状況をダリルに教えてくれた。
 先ず、FOKとトーラス野生動物保護団体の両方に繋がりを持つ、セント・アイブス・メディカル・カレッジの医学部長ミナ・アン・ダウンは、まだ取り調べ中だ。彼女は一貫してライサンダー・セイヤーズを名乗る若者に騙され、セイヤーズ誘拐計画に荷担させられたと主張している。
 トーラス野生動物保護団体は、パトリック・タン・ドーマー誘拐に関与したことを認めようとしない。遺伝子管理局がタン救出の際に撮影した画像を提示されても、知らぬ存ぜぬを貫いている。
 もっとも、この件に関しては、遺伝子管理局がタンの体に残された人間の体液や皮膚に残った指紋を提出したので、これから容疑者の特定に入るところだ。遺伝子管理局は当事者になるので、DNA鑑定が出来ない。ドーム内では既にしてしまったのだが、裁判には使えないのだ。だから、タンを暴行した犯人も判明しているのに、警察にも連邦捜査局にもその名前を教えることが出来ないし、捜査当局も尋ねることが出来ない。
 トーラス・野生動物保護団体ビルに侵入して、遺伝子管理局の3人に銃撃したジョン・モアとガブリエル・モア兄弟は黙秘している。ガラス壁に残った銃弾とジョンが所持していた銃は照合され、その銃から発射された弾丸だと鑑定された。銃にはジョンの指紋が残っている。
 献体保管室にあった2少年の遺体は遺伝子管理局によって保護されたクローンで、FOKに誘拐され行方不明となっていた子供達だと判明した。死因は窒息死だが、扼殺ではなく、酸素供給を絶たれたからだろう。彼等を運び込んだ人物や日時は不明だが、大学の記録では、3日前は献体は一体もなかったことになっている。
 警察ではビルの警備システム室の映像を押収して調べているところだ。

「僕は思うのだけど・・・」

とヒギンズが言った。

「遺伝子管理局自体が閉鎖的だよね? ドームも何だか神秘的で、僕等一般の人間にはよくわからない。女性を保護して安全に出産させる為だけの施設じゃなさそうな気がする。君達は一体、何者なんだい?」
「君達と同じ地球人、公務員だよ。」
「だけど・・・」

 ヒギンズはダリルをドキリとさせることを言った。

「僕は君に化けるに当たって、君のことを調べてみたんだ。気を悪くするかも知れないが、敵を信用させるには、化ける人間のことをよく知っておく必要があるからね。だけど、何もデータがないんだ。君のことは何もわからなかった。まるで突然この世に出現したみたいに・・・。」
「ヒギンズ」

 ダリルは相手を遮った。

「君は、私が何故狙われているか、理由を聞かされたか?」
「それは、特殊な遺伝子を持っていて・・・」
「私の身元が簡単にわかってしまえば、私の親族にも害が及ぶんだ。同じ遺伝子を持っているから。だから、当局は私の過去の痕跡を消した。」
「保護プログラムか!」

 ヒギンズは合点がいった、と声を上げた。

「悪かった。もう詮索しないよ。」
「ドームはちょっと特殊な人間を集めているんだ。遺伝子を扱う仕事は、ある特定の一族を保護したり絶滅させたりする危惧があるから、公平に行われなければならない。だから、世間から姿を消しても怪しまれない様な人間が採用されるんだ。変わり者だらけだったろう?」
「まあね・・・」

 電話を切ったところに、ポールがやって来た。彼が私服でオフィスに入るのは滅多にないことだ。
 彼は部屋に入ると真っ直ぐ休憩スペースに向かった。そこにストックしてあるお茶の中から鎮静効果がある日本茶を選び、お湯を沸かして淹れた。彼の一連の作業をダリルは仕事をしながらチラ見していたが、やがて休憩スペースに呼ばれた。取っ手のない陶器の湯飲みに入ったお茶を差し出された。

「苦いなぁ・・・」
「そう言う味なんだ。慣れると病み付きになるぞ。気分を落ち着かせたい時は、東洋のお茶が良い。」
「嫌いじゃないさ。初めてなので、未経験の味に驚いた。」
「先祖の記憶にはないのか?」
「飲食物の味の記憶はストックされていない。」

 そしてダリルはポールを見て笑った。

「君の気分は治まったのか?」
「君のその笑顔を見たら治まった。」

 ポールは大きな溜息をついた。

「パットの体の傷は1,2週間もすれば良くなる。注射された麻薬も抜ける。だが、心の傷は時間がかかる。」
「汚い手段で拷問されたんだな?」
「うん・・・最初、彼は俺が触れるのも嫌がった。心を読まれるのを拒んだんじゃない、他人の手を恐れたんだ。彼が恐怖心を克服する迄待った。俺が尊敬するお茶の先生だ。だから俺はお茶の話をして、彼がリラックスするのを待ったんだ。彼が『弟子に諭されるなんて』と冗談を言える迄待ったんだ。」
「パットは気骨がある人だ。救出される時迄縛られていたのは、彼が拷問に屈していなかった証拠だろ? もし屈していたら、生きていなかったかも知れない。」
「ああ、その通りだ。」

 ポールは、タンの言葉とテレパスで得た情報を整理して説明した。
 パトリック・タン・ドーマーはクローンの権利を主張するプラカードを持った学生達に追い回された。この騒動がFOKが起こしたものかトーラス側が起こしたものか、それは警察の捜査を待たねばならないが、兎に角、その騒動でタンは相棒のケリーと引き離され、ひとまず避難するつもりで目に付いた学舎の入り口に駆け込んだ。そこが献体搬入口だったのだが、その近くの部屋からモア兄弟が出て来るのが見えた。タンはガブリエル・モアの手配書を見ていたので、弟の方をすぐ見分けた。モア兄弟は彼に気づかず、チャペルの方へ抜ける地下道に降りて行った。タンはモア兄弟が出て来た部屋を覗き、台の上の死体を発見して驚いた。直ぐに上司で指揮官であるクロエル・ドーマーに電話をしたのだが、通話を終えた直後に背後から襲われた。頭から袋の様な物を被せられ、スタンガンで気絶させられた。
 次に目覚めると、どこかの部屋の中だった。目隠しをされたまま、椅子に縛られ、質問された。ドームコンピュータのアクセスコードを訊かれたのだ。タンは自分は幹部ではないので知らないと応えたが、信じてもらえず、拷問を受けた。

「ドームコンピュータのアクセスコードだって?」

 ダリルは驚いた。そんなものを外の人間が知ってどうするのだ。全人類の遺伝子情報を手に入れて地球征服でもするつもりなのか?
 ポールが言った。

「外の人間の中には、コロニー人に地球が支配されていると感じている連中がいるってことさ。だから、ドームの存在が気に入らない。女を人質に取られていると思っているんだ。」
「馬鹿な・・・」

 ダリルは呟いた。

「トーラスは政財界の大物の集まりだぞ。その中にドームに反感を抱く敵がいるって言うのか?」



誘拐 15

 翌日、北米南部班第1チームは抗原注射の効力切れ休暇だったが、秘書は出かけないので仕事のはず・・・だったが、ダリル・セイヤーズ・ドーマーは外で仕事をしたのでチーフ・レイン共々朝寝坊した。
 彼が目覚めると、珍しくポールはまだ寝ていた。効力切れ休暇でも以前は早起きしてジョギングに出たりしたのだが、最近は起きられないようだ。そろそろ注射の「飽和」が迫っているようだ、とダリルは心配になった。ケンウッド長官から、ポールに「通過」か「飽和」かどちらかを選択させろと、ダリルは指示を受けていたのだが、忙しくてつい忘れてしまっていた。「通過」は故意に細菌感染させて、風邪や腹痛やその他、外の人間が子供時代から一通り体験する「軽い」病気を経験させ、体を外に慣れさせるのだ。「飽和」は限界まで注射を続け、禁断症状を起こさせることを言う。数日間発熱と意識障害で発狂状態になる。それが治まってから「通過」をさせるのだが、「通過」だけの場合より軽く済む。どちらが好きか、それは体験する人間にしかわからない。
 ダリルは洗顔と着替えを済ませてから、ポールを起こした。朝食に出かけないとランチタイムになってしまう。アパートのキッチンで料理をしても良かったのだが、2日前に出かけたのが夕方で、食材の買い物に行けなかった。昨日はそれをすっかり忘れていたのだ。ヘリコプターを初見で操縦出来る脳も、日常のささいないことは忘れる・・・
 半時間後、2人はアパートを出た。ダリルは食事の後で仕事をするのでスーツ、ポールは1日休みなのでカジュアルな服装だ。食堂の入り口まで来た時、ポールの端末にクラウスから電話が入った。用件は、パトリック・タン・ドーマーの事情聴取が許可されたと言うものだった。タンの容態が安定したと言うことだ。ポールはクラウスと11時に医療区で待ち合わせする約束をした。
 遅い朝食で、邪魔する者はいなかった。班もチームも仲間は誰もいなかった。銘々好みの食べ物を取って、小さなテーブルで向かい合って食べた。
 ダリルは思い切って「通過」を提案してみた。しかしポールは、時間がかかるのは嫌だ、と言った。

「それじゃ、『飽和』する迄注射を続けると言うのか?」

 ダリルは呆れた。禁断症状はかなり辛いはずだ。好んで体験しようと言う人間など聞いたことがない。ポールが短時間勝負が好きなのだと知っているが、これはちょっと違うだろう?

「この年齢迄注射を続けてきた。今更インフルエンザやら麻疹やらご丁寧に順繰りにやっていく時間なんてないんだ。」

 ポールは食事を手早く済ませると、席を立った。

「このまま医療区へ行ってくる。」

 折角心配してやっているのに、素っ気ない対応をされて腹が立ったダリルは彼の後ろ姿に言った。

「見舞いついでに、『通過』手続きをしてきたらどうなんだ?」
  
 ポールはバイバイと手を振っただけだった。




2016年12月27日火曜日

誘拐 14

 ポール・レイン・ドーマーは夕刻疲れ切ってドームに帰投した。ダリル・セイヤーズ・ドーマーは彼の帰りを待って夕食に行くつもりだった。1人では食欲が湧かなかったのだ。ポールはオフィスに入り、いつもの様に短い報告書を仕上げて局長に送った。実のところ、オフィスに入る前に局長室でハイネ局長に直接任務の報告をしてきたので、今更詳細に書く必要を感じなかったのだ。もし局長が詳しく記録せよと言えば、その時に書けば良い、と彼流の考え方で仕事をしていた。
 それからダリルに声を掛けて、一緒にオフィスを出た。幼馴染みなので、相手の様子を見れば何かあったことは互いにすぐわかる。

「元気がないな。局長に絞られたか?」
「うん。」
「ヘリコプターの件だな。」
「うん。」
「俺が叱った時は、平気な顔をしていたじゃないか。」
「君と局長は違うよ。ハイネは私達の倍以上生きているんだ。それにタイプは違うが同じ進化型1級遺伝子保有者だ。何故能力を使ってはいけないのか、私の様な脳天気にもわかるように諭された。」
「理解出来れば良いんだ。」

とポールが呟いた。

「俺の能力だって、本当は他人に知られてはいけないんだ。だが、仕事に活かせるように、トニー小父さんがみっちり作法を仕込んでくれたんだ。 だからマナーを守っている限り、みんな俺の能力を知っていても忘れてくれている。」

 トニー小父さんとは、ダリルやポールを育てた養育係のコロニー人だ。

「局長は執政官には今回の件を黙ってくれているんだろ?」
「うん。」
「じゃぁ、航空班に特別訓練コースを設定してもらって、航空免許を取ってしまえ。そうすれば次にうっかりやっちまっても誤魔化せる。」

 元ガキ大将ポールは、抜け道を考え出すのが上手い。ダリルはやっと笑顔を取り戻した。

「君はいつも私を守ってくれるなぁ・・・私は君をどうすれば守れるだろう?」
「守るのではなく、助けてくれるじゃないか。今回だって、君がいなければ、トーラスの連中と大揉めになって、パットを更に危険な状態に追い込んだかも知れない。」
「残りの仲間は全員無事に帰投したんだな?」
「ああ、みんなそれぞれのオフィスで報告書を作成している。そのうち食堂で出遭うだろう。クロエルも帰って来ている。流石に彼も今回はくたびれた様子だ。もう中米に戻してやるよ。」

  食堂では、いつもの様にポールのファンクラブが近くに集まって来たが、遺伝子管理局のドーマー達がダリルとポールのテーブルの周囲に席を取ったので邪魔は入らなかった。
北米南部班第1チームは静かだったので、他のチームも気遣ったかの様に静かにしていた。パトリック・タン・ドーマーの災難は他のチームに知らされていなかったのだが、彼の姿が食堂にないことは多くの人間が気が付いた。可愛らしい中国人ドーマーは目立つのだ。その彼がいないのだから、何かあったのかと不審に思われても当然だ。彼が医療区に入院していることは明日になれば噂になっているだろう。勿論、医療区では患者の症状について公表したりしないから、巷には憶測が流れるのだ。ダリルは医療区がタンの症状について嘘の情報を流すことを知っていた。タンは外での勤務中に怪我をして細菌感染したので大事を取って入院したことになるのだ。あながち嘘ではないが、肝心な怪我の原因は臥せられる。
 北米南部班が大人しいので、食堂全体が沈んだ雰囲気になった。食堂は広いし、他の部署のドーマー達も大勢いるのだから、賑やかなはずなのに、今夜は妙に暗い。これはなんとかしないといけない、とポール・レイン・ドーマーが思った時、中米班が現れた。チーフ・クロエルが戻ったので、中米班は陽気に騒いでいた。

「おい、見ろよ、クロエル先生、両手に花だぞ!」

 誰かが囁き、みんなが中米班を振り返った。クロエルが左右に女性ドーマーを伴ってお喋りに夢中になっているのが見えた。
 ジョージ・ルーカス・ドーマーが仲間の発言を否定した。

「右側は女じゃないぞ。あれは設備班のヤツだ。立派な野郎だよ。」
「なに? そう言えば、アイツはキース・バークランド・ドーマーだ!」
「しかし、女装が似合うなぁ・・・」

 食堂内が賑やかさを取り戻し、ポールはやれやれと胸をなで下ろした。ふと隣を見ると、ダリルが座ったまま居眠りをしていた。



2016年12月25日日曜日

誘拐 13

 さあ、次は己の番だ。

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは腹をくくって立っていた。
 ローガン・ハイネ遺伝子管理局局長は再びキーを叩きながら言った。

「航空班から君の違反行為に対する苦情が3件届いている。静音ヘリの無断使用、無免許操縦、無許可フライトだ。」

 こんな場合、ひたすら謝ると言うことを、ダリルは幼少の頃から実行してきた。

「申し訳ありません、一刻も早くタンを救出しなければと気が逸って、周囲の迷惑を顧みず身勝手な行動を取ってしまいました。チーフ・レインからもきつく叱られました。」
「確かに、レインから『叱っておきました』と報告が来た。」

 ハイネ局長は、幼馴染みで恋人のレインの小言などダリルが屁とも思っていないことを承知していた。

「君自身は事の重大さを全く理解しておらんようだ。」
「・・・と仰いますと?」
「ほら、その態度!」

 局長が顔をダリルに向けた。

「軽ジェット機より高価な静音ヘリを乗り逃げしたと言う、しょーもない違反では済まないことを君はやったんだぞ!」

 ライサンダー・セイヤーズ製造費より高価なヘリコプターを無断で操縦したことより大きな問題って何だ? ダリルはぽかんとして上司を見つめた。
 ハイネ局長は哀しげな顔をした。

「君は何故進化型1級遺伝子保有者がドームから出してもらえないのか、理解していないのか?」
「それは・・・本来地球人にはない遺伝子が拡散するのを防ぐ為で・・・」
「だから、何故そんな遺伝子が地球に存在してはならないと考えられるのか、わからないのか?」
「・・・」

 ダリルは今朝トーラス野生動物保護団体ビルに侵入した時にクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが言ったことを思い出した。ビルの厳重なセキュリティシステムをいとも簡単に無力化してしまったダリルを見て、クラウスは「なんで貴方がドームから出してもらえないのか、よ〜くわかりました。」と言ったのだ。

「でも、セキュリティシステムは宇宙にもあるし・・・」
「宇宙船操縦士はな・・・一生宇宙船の中で過ごすんだ。彼等はコロニーには住まないのだ。生まれてから死ぬ迄、機械に囲まれて過ごすのだ。」
「・・・」
「君は人間が好きだろう? 機械相手に一生過ごすより、レインやワグナーと一緒に働いていた方が楽しいだろう?」
「勿論です!」
「だったら、そのずば抜けて優秀な脳をもっと鈍らせておけ。今回の行動が執政官達に知られたら、観察棟に幽閉されて2度と外に出られなくなるぞ。」

 ダリルは心から反省した。ローガン・ハイネ・ドーマーが彼のことを心底心配してくれていることを理解したからだ。局長が怒っているのは、彼の違反行為ではなく軽率さに対してだったから。

「本当に申し訳ありませんでした。2度としません。」

 しゅんとしたダリルを数十秒間ハイネ局長は見つめた。
 やがて、彼は口元に優しい微笑を浮かべた。

「これに懲りてくれぐれも自重しろ。タンを無事救出した功績に対して今回のことは不問にする。航空班には私から謝っておくが、君も今からすぐに謝罪文を班長に書いて送れ。さもないと次回から外での移動は動物用貨物室に乗せられるぞ。」

 ドームの航空班の主たる仕事は、全米から妊産婦を無事にドームと居住地の間を送迎することだ。遺伝子管理局の送迎は彼等にとって「ほんの手間仕事」に過ぎない。その「手間」に面倒を掛けられたくないのだ。
 ダリルは小さくなったまま、局長室を退出し、言われたことをする為にポール・レイン・ドーマーのオフィスに向かった。当分は自粛だ。





2016年12月24日土曜日

誘拐 12

 セント・アイブス出張所の所長リュック・ニュカネンとローズタウン支局の支局長トーマス・クーパーは仲が良いとは言えなかったが、ダリル達が捕まえたFOKのメンバーと思しきモア兄弟を取り調べる警察の証人として揃ってセント・アイブス警察に向かった。ニュカネンが兄のジョン・モアを、クーパーが弟のガブリエル・モアを知っていたからだ。
 ダリルは出張所に残ったヒギンズと挨拶をした程度でそれ以上の接触は避けた。囮捜査官にとって、知古の人間と出会うことは時に命取りとなるからだ。
 静音ヘリにパトリック・タン・ドーマーとジョン・ケリー・ドーマーを乗せて出張所から支局へ飛び、給油してからドームに向かった。途中、機内で目を覚ましたタンが錯乱状態に陥ったのでケリーが素早く麻酔を打った。再びぐったりとした同僚を見て、ケリーは哀しそうに呟いた。

「ヤツらはパットに何をしたのでしょうね。」
「恐らく、パットは誰にも言いたくないだろう。体の傷より精神的なダメージの方が心配だな。」

 ダリルもケリーも何となくタンの身に起きたことが想像出来たので、胸が悪くなる思いだった。
 ドームに到着すると、いつもの消毒が待ち構えていた。ダリルは消毒班のドーマー達にタンの扱いを慎重にするよう注意を与えることを忘れなかった。
 ダリルは私服で出かけたのだが、その衣服を洗濯に出したので代わりに着せられたのはスーツだった。
 ジョン・ケリー共々消毒と着替えを終えると、遺伝子管理局本部へ戻った。普通なら各自のオフィスに入って報告書を作成するのだが、2人共局長室に呼ばれた。嫌な呼び出しだ。ダリルはヘリコプターの無断操縦、ケリーは同僚とはぐれてその結果同僚を危険な目に遭わせてしまったと言う負い目があった。どちらも叱られるのを覚悟で局長室に入った。
 ローガン・ハイネ・ドーマーはコンピュータの前で何やら忙しそうにキーを叩いていた。ダリルとケリーは秘書に案内された場所でただ突っ立って局長が気づいてくれるのを待つ他なかった。
 たっぷり5分間立たされてから、やっと局長が声を発した。

「ジョン・ケリー・ドーマー、同僚が災難に遭ったからと言って自身を責める必要はないぞ。」
「えっ?・・・あの・・・」

 ケリーはもじもじした。

「パトリック・タン・ドーマーが攫われたのは、彼自身に油断があったからだ。君が責任を感じていると知ったら、パットの立つ瀬がないだろう。」

 ハイネ局長が顔を上げた。

「今、医療区から簡単なタンの診療所見が届いた。身体的拷問を受けていた。恐らく、精神的なダメージが残るだろう暴力だ。」

 ダリルもケリーも彼が言っている意味を悟った。ケリーが両手をグッと握りしめるのをダリルは視野の端っこで見ていた。局長はまた画面に視線を戻した。

「パットを哀れむな。あれは今混乱しているが、静養すればすぐに立ち直る。君が同情するのは却って迷惑だろう。君がやるべきことは彼の身に起きたことを忘れてFOKを倒すことだ。」

 ケリーは大きく息を吐いた。そうやって感情の爆発を止めた。そしてかすれた声で応えた。

「わかりました。では、これからも囮捜査に協力するのですね?」
「他の局員達は引き揚げさせる。遺伝子管理局の仕事を停滞させる訳にはいかない。しかしヒギンズの捜査にはまだ本物の局員のサポートが要るだろう。君は当分専属で彼について行くが良い。レインには私から話しておく。」
「了解しました。」
「オフィスに戻って報告を作成しろ。終わったら休め。」

 ケリーは「失礼します」と挨拶して、ダリルに頷くと、部屋から出て行った。





2016年12月23日金曜日

誘拐 11

 文字通り朝飯前でパトリック・タン・ドーマーを救出したダリル・セイヤーズ・ドーマーはセント・アイブス出張所に到着した。
 出張所の所長室では、ジョン・ケリー・ドーマーが留守番を命じられて座っていた。彼の役目は立体画像のタンから発信される電波の位置が動いたらすぐにチーフ・レインに報告すると言うものだった。最初に電波の点滅が移動した時は、「救出に成功だ」と返答が来た。そして「出張所に向かわせた。今度は不自然に停止したり道を逸れたら直ぐに連絡せよ」と言う命令を受けた。ジョン・ケリーは画像を見つめ、こんなことをしている場合なんだろうかと微かな焦燥感を覚えていた。しかし点滅が出張所の前で停まった時、我を忘れて外に飛び出していた。
 ダリルが車から降りたところだった。彼がタンの体を慎重に車から出そうとしたので、ケリーは急いで手を貸した。ダリルがタンを抱え上げた。

「悪いが職員達に私の顔を見られたくないので、楯になってくれないか?」

 出張所では、ヒギンズが「セイヤーズ」なのだ。同じ顔の男が2人いると思われたくない。運転手役の同僚がドアを開けてくれたので、ケリーはダリルと並んでビル内に入った。1階フロアで働いている出張所職員達の目になるべくダリルとタンが入らないように並んで歩き、素早くエレベーターに乗り込んだ。
 休憩室のドアを開けて、一番近くのベッドにタンを寝かせた。タンの顔からアイシェードを取ると、痛々しい傷が見えた。無菌状態のドームで育ったドーマーが外の世界で怪我をすると細菌感染で一般人より酷い症状になる。手を触れるな、とダリルに注意された。
 ダリルは端末を出し、ドームに連絡を取った。ハイネ局長にパトリック・タン・ドーマーを救出したと報告すると、既にポールから連絡を受けていた局長は指示を出した。

「直ぐにタンを連れて帰って来い。」
「仲間がまだですが?」
「君とタンだけ先に帰って来い。」

 無断でヘリを操縦して出て来たダリルは逆らえない。それに彼の今回の任務は「タンの救出」だけなのだ。

「ヘリの中でタンの面倒を見る人員が必要です。ジョン・ケリーも連れて帰ります。」
「良かろう、寄り道するなよ。」

 どうしていつも誰もが同じ注意をしてくれるのだ? ダリルは不満を覚えたが、堪えた。局長との通話を終えると、今度はポールに連絡を取り、タンとケリーを連れて一足先に帰投すると伝えた。

「わかった。こっちも夕方には帰る。気をつけて飛べよ。寄り道はするな。」

 短く言いたいことだけ言って、ポールの方から先に電話を切った。
 運転手役を務めた部下が上がって来た。ダリルは彼に仲間が戻る迄出張所で待機するよう指示を与え、ヘリの飛行前点検をする間休憩するようジョン・ケリーに言った。

「最寄りの給油出来る場所は何処かな?」
「ローズタウン空港の支局です。そこ迄は飛べるでしょう?」
「大丈夫だ。」

 ダリルは、昨夜が初飛行だった事実をケリーには言わないでおこうと思った。
免許だって持っていないのだ。


誘拐 10

 裏口から外に出ると、待機していた出張所の車にタンを乗せ、ダリルも乗り込んだ。クラウスとクロエルは表玄関でトーラス野生動物保護団体の職員と警察官相手に頑張っているポール・レイン・ドーマーに加勢する為に、そこでダリルと別れた。
 2人が玄関に行くと、理事長のモスコヴィッツが来ていた。ポールと殆ど口論になっていたが、ビルの中からドーマーが2人現れたのを見て、口をつぐんだ。クロエルがモア兄弟のIDを見せた。

「ビルの中にFOKの一味と黙される男2人が寝ているんだけど、何なのかなぁ?」
「寝ている?」
「うん、多分お昼迄寝てると思うよ。」

 ポールは2人の仲間を見た。手を触れなくても、無事にパトリック・タン・ドーマーを保護してダリルが出張所に向かったのだとわかった。
 クラウスが警察官に言った。

「中で倒れている男達は銃を僕たちに向けて発砲した。幸い壁が防弾ガラスだったので、僕等は助かった。何故遺伝子管理局の職員に発砲したのか、訊いてくれないか?」

 警察官は、クラウスがスーツ姿ではなく私服なので、訝しげな顔でポールを見た。
ポールはすまし顔で説明した。

「臨検に望む時は私服で行うこともある。相手を油断させる必要がある場合だ。」
「霊長類の資料室に人間が縛られていたんですが、どう言う訳でしょうか?」

 クラウスは縛られているタンを撮影した端末の画像を警察官にではなく、モスコヴィッツに見せた。理事長はうろたえた。

「それは・・・」

そこへ、クロエルが知っている刑事が到着した。ラムゼイ殺害事件を捜査しているスカボロ刑事だ。彼はポールとは初対面だったので、取り敢えずクロエルに「やあ」と声を掛けた。

「また遺伝子管理局とトーラス野生動物保護団体が揉めているのかい?」
「三つ巴っすよ。FOKもいるんす!」
「何!FOKだって?!」

 クローン収容所襲撃と子供誘拐の組織の名前が出て、警察は色めき立った。

「ここで口論してないで、中に来てよ。」

 クロエルはポール、スカボロ、モスコヴィッツに手招きした。


2016年12月22日木曜日

誘拐 9

 ガラス扉の中は部屋と言うよりロビーの様な空間で、左右にまた廊下が続いていた。扉の反対側はガラスの壁で外が見える。採光空間かも知れない。廊下の片側にはまた扉がいくつか並んでおり、部屋の名前が書かれている。イヌ科、ネコ科、等、動物の分類で部屋があるので、それぞれ専門の遺伝子研究室なのだろう。
 ダリルとクラウスがタンが囚われている部屋を目指して歩き出して間もなく、行く手に先客がいた。研究者の様な白衣を着ているが、夜勤明けの学者には見えない。男は順番に扉の小窓から中を覗いていたが、近づいて来る2人の男に気が付くと、覗くのを止めてこちらへ体を向け、歩き始めた。出口へ向かおうとしたのだ。ダリルとクラウスは出来るだけ相手と目を合わさない様に、「おはよう」とだけ声を掛けてすれ違った。その直後に、男が「あっ」と立ち止まった。

「まさか、昨日の・・・」

 瞬間、ダリルは振り返りざま彼を殴りつけた。男は完璧にノックアウトされて倒れかけ、ダリルは素早く彼の体を掴んで男の頭部が床に打ち付けられるのを防いだ。気絶した男をそっと床に横たえると、クラウスが囁いた。

「ガブリエル・モアですよ、ローズタウンの空港で僕のアタッシュケースからレイ・ハリスのIDを盗んだ・・・」
「『昨日の』と言いかけたな・・・私を見て、ヒギンズと混同したらしい。」
「トーラスのビルにFOKが入り込んでいるんですね?」
「こいつも何かを探していた様だ。まさか、パトリックを狙って来たのか?」

 その時、彼等が入って来た入り口から、もう1人の男が現れた。

「ガブリエル、見つけたか・・・」

 彼は低い声で尋ねたが、すぐにガブリエルが床に昏倒しているのを発見した。男が背中に手を回したのを見て、ダリルは麻痺光線で威嚇した。男が柱の陰に隠れた隙に、2人は走り、タンの発信器の電波が出ている部屋の扉の前にたどり着いた。クラウスがパネルを叩きながらぼやいた。

「兄さん、射撃は相変わらず下手なんですね。」
「乱射は上手かっただろ?」
「狙って撃ったのは当たらないんだ・・・」
「狙ってないさ、ただの威嚇だ。」

 開錠に成功したクラウスが扉の中に駆け込み、ダリルも続いた。彼が扉を閉めた途端、銃弾の衝撃が扉に響いた。 扉は銃弾を通さなかったが、気持ちの良い音ではない。
ダリルは施錠した。
 室内には、パトリック・タン・ドーマーが1人、椅子に縛り付けられていた。身につけているのは下着だけで、顔には殴られてできた痣があった。体にも痣があるところを見ると、原始的な拷問を受けたらしい。ぐったりとしており、クラウスが声を掛けても反応がなかった。気を失っている。夜通し放置されていたので、体が冷え切っていた。
 クラウスは彼の手を縛っているシリコン手錠を外し、自身の上着を脱いでタンの身を覆った。そして端末を出すと、簡単なバイタルチェックを行った。
 ダリルはポールに電話を掛けた。

「レイン、タンを確保した。但し、FOKが潜り込んでいて、部屋の外で銃を構えている。早く応援に来てくれ。」
「待ってろ、警察が来て、ちょっと話がややこしくなっているんだ。」

 ポールは横にいる人間に話しかけた。

「クロエル、中で応援を求めている。廊下にFOKがいるそうだ。」
「んじゃ、ちょっと行ってくる。」

 ダリルは外の気配を伺った。防音壁なので、敵がまだそこにいるのかどうか、把握出来ないでいると、ふと壁の造りに気が付いた。二重ガラスの壁で、中に縦型のブラインドが入っているのだ。ブラインドの開閉は内側からのみ出来る。彼はスイッチを探して、「開」を押した。ブラインドが動き、外の廊下が見えた。そして、男も見えた。
 ブラインドが開いたので、男は驚いて銃を数発撃ってきたが、ガラスが厚いので外側に傷が入っただけだ。しかし、同じ箇所を連続して攻撃されると崩される。
 ダリルは、こちらの武器が光線銃であることを忘れなかった。外の人間に向かって、一発撃つと、光線はガラスを突き抜けた。これは外したが、目的は果たせた。彼は、ガラスの屈折率を瞬時に割り出し、角度を変えて2発目を撃った。
 クラウスが呆れたような声を出した。

「やっぱり下手じゃないですか、胴を狙ったんでしょ?」
「見なかったことにしてくれ。」

 外の男の右手に光線が命中した。気絶はしていないが、右肩から先が全部麻痺して銃を床に落とした。本人は腕が無くなった様な感覚だろう。驚愕の目で自身の右腕を見つめ、左手で支えた。
 ダリルは彼が右腕を支えるのを諦めて左手で銃を拾い上げるのを見た。もう1発必要か? と銃を構えた時、外の男は何かに驚いて背後を振り返った。光の弾が彼の胴体にぶつかった。男は後ろ向けに倒れ、ひくひくと体を震わせた。
 ダリルはクラウスに声を掛けた。

「応援が来たぞ、クラウス。外に出よう。」

 ガラスの壁の向こうにクロエル・ドーマーが現れ、倒れている2人の男の所持品を調べ始めた。
 クラウスがタンを抱え上げた。ダリルが手を貸そうかと訊くと、結構と断られた。

「この前はもっと大きな人を運びましたからね。」

 クラウスは意味深に彼を見て微笑した。
 彼等が部屋の外に出ると、クロエルが倒れている男達からIDを取り上げたところだった。

「この男は薬剤師のジョン・モアで、あっちが弟のガブリエル・モアだ。」
「モア兄弟は何をしにここへ来たのだろう?」
「パットを探していた様に見えましたね。」

 3人はクラウスが抱えている中国人を見た。可愛らしい顔に今は殴打された痕が痛々しく晴れ上がっている。クロエルがポケットからアイシェードを出してタンの顔に掛けてやった。

「病院とドーム、どっちに運ぶ?」
「ドームだ。パットも目覚めた時、知っている場所にいる方が安心するだろう。」






2016年12月21日水曜日

誘拐 8

 トーラス野生動物保護団体に巣くう連中は、ラムゼイ博士同様、脳を若い肉体に移植して長生きをしようと言う空想はするが、実現可能だとは考えていない。彼等はドームの科学力が欲しいのだ。政財界の実力者達が自分達の地位を揺るぎないものとする為に、ドームの秘密を握りたいのだ。だからラムゼイ博士を援助してドームに接近する手段を模索していたのに、博士が逮捕されそうになって殺害した。博士の口から自分達の叛乱をドームや地球の各政府に伝えられるのを恐れたのだ。
 FOKは本当に脳移植で若返りを目指しているのだろうか。それとも何か別の目的でクローンの子供達を攫って実験をしているのだろうか。
 大学の献体保存室に少年の死体を置いたのはFOKだろう。ミナ・アン・ダウン教授は退院後警察に留め置かれて取り調べを受けるはずだ。
 パトリック・タン・ドーマーはその死体を見つけてしまい、その現場にドーマーの誘拐を企てたトーラス野生動物保護団体のメンバーが来たのだ。恐らく彼等にとっても死体は想定外のものだったろう。だからタンを誘拐したものの、世間が大騒ぎになったので、ビル内に軟禁して手を出すのを控えているのに違いない。
 遺伝子管理局のドーマー達は、翌日の早朝に行動を起こした。先ず、いかにも遺伝子管理局と言うスーツ姿のポール・レイン・ドーマーとトーラス野生動物保護団体にとっては馴染みの顔になってしまったクロエル・ドーマーがまだ入り口が開放されていないビルの正面玄関へ来て、中に入れろと騒いだ。

「昨日のセント・アイブス・メディカル・カレッジで起きた学生のデモ騒動の最中に、大学で死体が発見された。その直前に構内から出ていった車がここの公用車であることがストリートカメラで確認された。車を調べさせてもらいたい。」

 責任者に連絡を取る迄待てと言う警備員と2人が押し問答している間に、裏口でダリル・セイヤーズ・ドーマーがセキュリティシステムをあっさり破って、クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーと共にビル内に潜入した。

「なんで貴方がドームから出してもらえないのか、よ〜くわかりました。」

とクラウスが苦笑いしながら言った。ダリルはチェッと舌打ちした。

「私自身は全く意識していないんだけどね・・・機械を見ると全部わかっちゃうんだ。」

 2人は私服なので、普通の見学者に見えた。もっとも早朝なので見学者を入れる時間帯ではないのだが。クラウスはクロエルにもらった派手なシャツがよく似合っていた。クロエル・ドーマーのファッションセンスはかなりのものだ。ダリルは、実は昨夕ドームで仕事を終えて私服に着替えた後の出動命令だったので、私服のままで出て来ていたのだ。彼等は麻痺光線銃だけを装備していた。
 セキュリティシステムを無力化する為に、ビルの警備システム室に入ると、そこでは3人の警備員が数台のモニターを前に座っていた。彼等は玄関前で騒いでいるポールとクロエルをぽかんとした表情で眺めていた。ダリルが彼等の背後で咳払いした。警備員達が振り返ると、彼は麻痺光線を乱射した。アッと言う間に警備システム室を制圧すると、彼は外で待機していた部下を呼び、そこに来るよう指示を出した。それからビル内の監視システムを全部無力化した。
 クラウスは麻痺して動けない警備員達を部屋の隅に集めた。麻痺している時間はダリルの銃の出力次第だが、最短で半時間、最長で6時間だ。

「御免なぁ、怪我をさせたくないので、ちょっと痺れていてくれよ。用事が済んだら、すぐ帰るから。」

 クラウスが優しく声を掛けたところへ、部下が来た。

「彼等を見張っていてくれ。彼等は麻痺しているから動けないが、気分が悪くなって嘔吐したりすると危険だから、気をつけてやってくれ。」

 部下はモニターに映っているポールとクロエルの2人の上司を見た。

「面白そうですね。」
「うん。見ていたいが、こっちは忙しいからね。」

 ダリルとクラウスは警備システム室を出た。監視システムが死んでいるので、堂々と歩いて廊下を行き、エレベーターに乗り、タンが捕まっている階へ上った。
 エレベーターを出て少し歩くと、角の向こうから足音が聞こえた。ダリルは咄嗟に立ち止まり、後ろを振り返るとクラウスを抱きしめてキスをした。1人の警備員が足早にやって来た。階下の騒ぎに加勢する為に急いでいたのだ。彼は廊下で抱き合っている2人の男にチラリと一瞥をくれただけで通り過ぎて行った。男同士の恋愛なんて難しくない時代だ。早朝の人がいないビルで逢い引きする会員もいる・・・?
 警備員がエレベーターに乗って降りていくと、やっとダリルはクラウスから離れた。クラウスは頬を赤く染めて、唇を袖で拭った。

「ダリル兄だから許しますけど、舌を入れるのは止めて下さい。」
「すまない、ただ唇をくっつけているだけでは笑いそうになって・・・」
「ポール兄に見られたら、僕は百叩きの刑ですよ。」

 廊下の角を曲がると、ガラス扉があって電子ロックの制御盤が壁に付いていた。クラウスはこのビルに何度か臨検で入っているので、制御盤の操作もわかっていたし、この部屋のパスワードも知っていた。

「兄さんは見ればわかるでしょうけど、僕も盗み見は出来ますからね。」

 彼はパネルを叩いて扉を開いた。



2016年12月19日月曜日

誘拐 7

 一同が驚いたのは、ダリル・セイヤーズ・ドーマー自身がヘリを操縦して飛んで来たことだった。パイロットの調整を待っていられなかったと彼は言い訳したが、いつものフライングだろうとポールは信じなかった。

「第1、君は何時ヘリの操縦を習ったんだ?」
「習ったことはない・・・」
「計器を見て、楽勝だ と思ってそのまま飛ばしたんだろ?」
「・・・うん」
「馬鹿者!」

 ポールとダリルのやりとりをクラウスとクロエルがクスクス笑いながら見ていた。しかし放っておくとポールの小言が何時までも続きそうな気配だったので、クロエルが割って入った。

「もうそのくらいにしてやりなさいよ、レイン。セイヤーズ、晩飯は?」
「まだだ。」
「そんじゃ、僕がちょっと買ってくるから、大人しく待ってて。」

 クロエルが出かけた間に、ポールはダリルを所長室に連れて行き、もう1度トーラス野生動物保護団体ビルの映像を出した。パトリック・タン・ドーマーの発信器は先ほどの場所から動かず、弱々しく点滅を続けていた。
 
「この階はエレベーターで素通りしたから、部屋の用途はわからないけど、階段もあるし、あのビルは下半分が野生動物の遺伝子組み換え研究の施設で、上半分は会員のサロンや事務所みたいな使われ方をしている。パトリックはその中間辺りにいるから、空き部屋みたいな空間に軟禁されているのかも知れない。」

 ダリルはポールを振り返った。

「君はどんな策を考えている?」
「先ず、ビルの出入り口を固めておく。少人数でパットに出来るだけ近づき、安否確認と、可能ならば本人の身柄を確保する。接近又は接触に成功した時点で、下で待機させる人員がビル内の人間全員を抑える。勿論、無関係な者もいるだろうが、取り敢えず、全員から事情聴取の必要はある。」

 ダリルは頷いた。

「パットに近づくのは2人だけにしよう。私と・・・クラウスで行く。」
「え? 僕ちゃんは駄目?」

 いつの間にか戻って来ていたクロエルが入り口で声を上げた。ダリルは応えた。

「駄目だ。君は目立つし、前回の訪問で顔をしっかり覚えられている。クラウスの方が目立たない。」
「そう思って、実はクラウスに変装用シャツを買っておいたんす。」
「え? さっきのシャツがそうなんですか?」

 クラウスは派手なシャツを思い出した。あれで目立たないのだろうか・・・?
 クロエルは室内に入ってきて、ダリルに食べ物が入ったビニル袋を渡した。ダリルは早速チーズサンドを取りだして食べながら立体画像を眺めていた。

「しかし、一晩何もしないでパットを閉じ込めているだけなんでしょうか?」

 クラウスが疑問を口にした。あの美しい中国人が何か恐ろしいことをされているのではないかと考えるだけでも不安になるのだ。
 ポールが芝生並に伸びた髪を掻きながら呟いた。

「もしかすると、俺たちはとんでもない勘違いをしているのかも知れないな。」
「勘違い?」
「そうだ、パットを攫った目的は何だと思う? 小柄な中国人の頭に白人のでかい男が自分の脳を移植しようなんて考えるだろうか? 東洋系の会員もいるかも知れないが、そいつが一味であるとは限らないし、パットのクローンを創ろうと思えば、使い物になる大きさに成長する迄に一味の連中は歳取って死んじまうぞ。」
「つまり?」
「クローンを攫って実験に使っている連中と、ドーマーを攫って何かに使おうと考えている連中は別物だってことだ。」
「それじゃ、ヒギンズを攫おうとしたミナ・アン・ダウン教授とFOKは一味で、学生を扇動して騒ぎを起こしパットを誘拐した連中とトーラス野生動物保護団体は別の一味と言うことか?」
「そうでなけりゃ、パットを動物の体外受精程度の処置しか出来ないビルに連れて行く理由がない。セイヤーズ、あのビルに手術室はないのだろう?」
「そこまで見ていないが・・・しかし、この立体見取り図を見ると外科手術が行える施設があるとは到底思えない。」

 ドーマー達は暫く黙り込んで画像を見ていた。

「ねぇ」

とクロエルが声を出した。

「パットは、マザーのアクセス権をどの程度認められているんですか?」





2016年12月17日土曜日

誘拐 6

 チーフ・レインは部下達の夜の休息も考えてやらねばならなかった。出張所の休憩室では1度に5人までしか寝る場所がない。遺伝子管理局の人員は抗原注射の効力がある48時間しか外にいられないので、徹夜も平気でこなすが、翌日のハードな仕事に備えて部下達に十分な休息を取らせたい、と彼は考えた。すると、思いがけずリュック・ニュカネンが3人だけなら自宅に泊めても良いと申し出た。

「息子が高校の課外授業で昨日から1週間の予定でニューヨークに出かけている。息子の寝室と客間、それに居間のソファで1人ずつ寝られる。」

 200年以上昔まで大都会だったニューヨークは、今でも現役の都市だが、人口の激減でかっての半分の面積しか利用されていない。残りの摩天楼がある地区は広大な遺跡になっていた。広すぎて歩き回るのは危険なので、指定された道路を認可された観光業者のバスで通過する見学コースが人気だ。
 ポールはニュカネンの申し出を快く受けることにした。

「では、ヒギンズ君を預かってもらおう。彼はまだセイヤーズを演じるから護衛が必要だ。ジョン・ケリー、君は今日プラカードの連中に追い回されたらしいから、ヒギンズの護衛で付いていってくれ。もう1人、誰か行かないか?」

 残りの3人が互いの顔を見やった。彼等は堅物ニュカネンが苦手なのだ。しかし、ここでニュカネンの顔を潰す訳にもいかないし、早く決めてしまって部下達に休息を取らせたい。ポールが指名する相手を探して見回した時、ニュカネンがまた言った。

「さっき妻に連絡したら、キドニーパイと茸のクリームスープを作って待っていると言っていた。」
「ああ、君の奥方は料理名人だったなぁ。」

 するとクロエルが、「僕ちゃんが行く!」と手を揚げた。ポールが速攻で却下した。

「幹部は駄目だ。」
「いや〜ん、キドニーパイ、食べた〜い!」

 部下達が笑った。パトリック・タンの誘拐が発覚して以来、初めて緊張がほぐれたのだ。
 1人が手を揚げた。

「行きます。護衛ですよね? 飯に釣られて行くんじゃないです。」
「素直じゃないねぇ!」

 また笑いが起こった。
 ポールが許可を与え、ヒギンズ、ケリー、それに3人目のマコーリー・ドーマーに注意事項を告げている間に、ニュカネンがクラウスに囁いた。

「レインとクロエルはやっぱり指導者の器だなぁ・・・私はかなわないよ。」
「そんなことないですよ。ここを立派に運営されてるじゃないですか。」

 妻帯しているクラウスは、いつか子供を持つことがあればドームを去らねばならないと思っている。そんな時、先輩のニュカネンは頼りになってくれるはずだ。
 てきぱきと翌日の段取りを決めると、ニュカネンはヒギンズ、ケリー、マコーリーを車に乗せて帰宅して行った。
 出張所の夜勤職員が配置に就くのを待って、ポールは残った部下2人とクロエル、クラウスを連れて近所の店に食事に出た。ケイジャン料理の店ではなく、普通のカフェだったので、クロエルはがっかりしたが、表情には出さなかった。帰り道、彼はコンビニに立ち寄って派手なシャツを買った。それをクラウスに渡した。クラウスが怪訝な顔をしてシャツを眺めた。

「何ですか、これ?」
「明日の小道具。」

 クラウスはポールを見た。ポールも意味がわからないので、肩をすくめただけだった。
彼等が出張所に戻ると、上空から機械音が響いて来た。それは静音ヘリのローターの音だった。聴力の良いクロエルが最初に気づいて空を見上げた。

「出張所の屋上って、ヘリを置けましたっけ?」
「置けるはずだ。」

 ポールも見上げて、着陸態勢に入ったヘリを見守った。

「俺はあれを見ると、まだゾッとするよ。」

 彼等は出張所のビルに入り、屋上へ上がった。丁度ヘリが着陸してエンジンを止めたところだった。そして、風に金髪を遊ばせながらダリル・セイヤーズ・ドーマーが降り立った。



誘拐 5

 「データが来るぞ。」

 リュック・ニュカネンがコンピュータ前の丸テーブルの映像投影装置の電源を入れた。
微かに電磁波の衝撃を伝える様な空気の振動を感じた、と思ったらセント・アイブス・カレッジ・タウンの俯瞰図がテーブルの表面に立ち上がった。その中の一点に赤い光が点灯し、その部分が次々と拡大されて行った。5度目の拡大で、一棟のビルが表示された。

「うーむ、やっぱりここか・・・」

 ニュカネンとクロエルが同時に唸った。ハモってしまって2人は互いの目を逸らした。ポールが尋ねた。

「ここって、何処だ?」
「例の悪名高いトーラス野生動物保護団体ビルだ。」

 赤い光がビルの中で点滅しているのを3人は見つめた。発信器は人間の細胞が発する微弱な電流で動いている。この点滅は、パトリック・タン・ドーマーの生存を告げているのだ。
 クロエルがポールに尋ねた。

「突入する?」
「駄目だ!」

と反対したのはニュカネンだ。

「あの団体は政財界の大物ばかりが会員になっている。連中はドームの運営資金のスポンサーでもあるんだぞ! もし機嫌を損ねたら、ドームの中で行われていることを全部教えろと要求してくる。それは絶対に避けなければいけないだろ!」
「んじゃ、どーすれば良いのよ? 正面から出かけて行って、お宅にうちのドーマーが攫われて閉じ込められているから返して下さいって言う訳?」
「だから、このデータの履歴を記録して、それを警察に・・・」
「それで警察を動かせるの? 遺伝子管理局の人間が誘拐された理由も説明出来る?連中とFOKの繋がりを証明出来るものはまだないんですよ。」

 ニュカネンがクロエルに言い負かされる間にポールは本部に電話を掛けた。外からドームの中に電話を掛けるとセキュリティを通すのでちょっと時間が掛かる。数秒待たされて、やっと相手が出た。

「ハイネだ。」
「局長、レインです。」
「タンは見つかったのか?」
「位置は確定出来ました。まだ生存していますが、ややこしい場所に連れて行かれたようです。それで、お願いがあります。」
「救出に必要な提案と言うことか?」
「そうです。」

 ポールは一息置いてから、ダメ元で上司に頼んでみた。

「セイヤーズをこっちへ寄越して下さい。彼にタンを救出させます。」
「セイヤーズを誘拐しようと企んだ連中に捕まったタンを、セイヤーズに救出させるのか?」
「そうです。彼は1度トーラス野生動物保護団体ビルを訪問しています。恐らくビル全体の構造を理解しています。中に居る人間も記憶しているでしょう。」
「策士レイン、セイヤーズを使う他にも何か策があるのだろうな?」
「あります。囮捜査官はまだ有効なので、ヒギンズに陽動作戦に出てもらいます。本物と偽物のセイヤーズに同時に動いてもらって、敵を混乱させます。」

 ハイネ局長が数秒間沈黙したのは、成功率を考えたのか、それとも安全性を考えたのか。 3人のドーマーと元ドーマーは局長の返答を緊張しながら待った。
 やがて、局長が呟いた。

「どうせタンが誘拐された時点で俺が叱られるのは目に見えていたからなぁ・・・」

 彼は、ケンウッド長官の怒りを想像しているのだ。ドーマー達を誰よりも大切に思ってくれるあのコロニー人を心配させたくないのだ。

「セイヤーズを派遣させる。君達はしっかり彼を守ってサポートしろ。次は誰1人怪我したり攫われたりするなよ。」





誘拐 4

 ポール・レイン・ドーマーが夕方近くにセント・アイブス・カレッジ・タウンに到着した。彼が来る前に行方不明のパトリック・タン・ドーマーを発見出来ればと言う遺伝子管理局員達の願いは叶えられなかった。ポールは空港まで彼を迎えに行ったリュック・ニュカネン出張所所長と共に警察へ行き、そこで大学で起きた銃撃事件、遺伝子管理局局員誘拐及び誘拐未遂事件、そしてクローン収容所から誘拐された少年2名の遺体発見の経緯の説明を受けた。
 クロエル・ドーマーがチャペルの司祭控え室で見つけた女性は、医学部長のミナ・アン・ダウンで、エーテルで意識を失っていたが、ポールが到着した時は既に病院で目覚めて警察の事情聴取を受けた後だった。 囮捜査官ヒギンズはまだセイヤーズのふりを続けなければならないので、ポールはヒギンズが気絶していた経緯をダウン教授に訊いた。

「セイヤーズさんは、息子さんを探しておられました。」

とダウン教授は語った。

「写真の少年とよく似た男性を探したのですが、学生がライサンダー・セイヤーズと名乗る若者を見つけて、大学に連れて来たのです。」
「ほう・・・その若者は何処に居たのですか?」
「ローズタウン近郊のバーで働いていました。」

 教授はちょっと躊躇って見せた。

「何と申しますか・・・少しいかがわしい店です。」

 女性が極端に少ない時代だ。若者が体を売る店は珍しくなかった。しかし、ポールは息子がそんな所で働くなど決して信じなかった。
 ダウン教授は続けた。

「その若者とセイヤーズさんを面会させる約束をしました。セイヤーズさんは、息子さんの発見を遺伝子管理局に知られたくないと仰り、他の局員に内緒でチャペルで会うことにしたのです。
 現場には息子と名乗る若者と紹介した学生が2人で来ました。セイヤーズさんが来られた時、チャペルの中は薄暗くて・・・祭壇の近くまで来て、セイヤーズさんが若者を見て、『息子ではない』と仰ったのです。」
「『息子ではない』とはっきり言ったのですね?」

 ダウン教授はヒギンズが無事だと言うことを知っている。チャペルの中の出来事は事実なのだろう。ヒギンズには、現れた若者が合成写真の人物と似ていないと確信出来る程、偽物のライサンダーは似ていなかったのだ。

「その時です、学生がセイヤーズさんの後ろから突然襲いかかり、麻酔を嗅がせたのです。私はびっくりして、声も出せませんでした。そこへチャペルに入ってきた人がいました。
誰だかわかりませんが、セイヤーズさんが倒れたのを見て、その人は何か言いました。
すみません、何を言ったか、覚えていないのですけど、その直後に銃声が聞こえました。
息子だと名乗った若者なのか、学生の方なのか、どちらかが発砲したんです。
 2人はセイヤーズさんを連れて行くのを諦め、私を人質にしようとしたのでしょう、奥の部屋へ引きずっていきました。でも私が地下通路へ降りるのを拒んだので、麻酔を嗅がされました。
 私が覚えているのは、これだけです。」

 ポールは、「有り難う、お大事に」と言って、ダウン教授に握手を求めた。教授は彼の手を握った。

 なんて綺麗な男なんだろう・・・そばに置いておきたいわ

 ケッとポールは心の中で毒づいた。ダウン教授は経過を筋立てて思考に出さなかったので、詳細はわからなかったが、偽の息子自身がチャペルに後から入った男を銃撃したことはわかった。パトリック・タン・ドーマーの情報は拾えなかった。
 同じ病院の別の部屋にヒギンズが収容されていた。こちらも麻酔から覚めて、仲間の捜査官から事情聴取を受けた後だ。ポールは違反した部下を見舞う上司の役を演じなければならなかった。 クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが付き添っているが、これも表向きは逃亡を防ぐ為の見張りだ。
 ヒギンズは気絶させられたことを悔しがっていた。気絶する迄のことはダウン教授の供述と同じだった。 但し、彼は「学生」の存在を知らなかった。

「申し訳ありませんでした、背後にもう1人いたなんて、気が付かずに・・・」
「恐らく最初から隠れていたのだろう。君を攫うのが目的だったが、邪魔が入ったので、慌てたのだ。」
「同僚が撃たれたことは知りませんでした。」
「重傷だそうだが、命に別状はないそうだ。良かった。」
「ええ・・・」

 本物のダリル・セイヤーズ・ドーマーなら、こんなへまはしなかったはずだ、とポールは内心愚痴った。あの男はバックは甘いが、敵が手を触れた瞬間、速攻で殴りつける。
しかし、背後から襲った男を殴った途端に偽の息子に撃たれたかも知れない。やはり囮捜査官を使って良かった。
 ヒギンズは退院手続きを済ませ、クラウスも一緒に3人はリュック・ニュカネンの車で出張所に入った。
 出張所では、クロエル・ドーマーと残りの部下達が静かに待っていた。彼等はヒギンズを見て、無事で良かった、と言ってヒギンズを安心させた。パトリック・タンが消えたことはヒギンズには告げられなかった。
 ポールはクロエルを所長室に呼んだ。

「君の部下を奪われて申し訳ない。」

 クロエルが開口一番謝罪した。ポールは首を振った。

「君の落ち度じゃない。それに君が謝ったりしたら、パットとはぐれたジョンの立場がないじゃないか。それより、パットの位置確認を早くしなければならない。」
「ここのコンピュータでは、彼の腋の下の発信器の電波は拾えないでしょ。本部に連絡したいけど、パットの認識番号を知っているのは君だけだから、君の到着を待っていたんです。保安課に依頼したらドームが大騒ぎになっちまうし・・・」
「病院より先にここへ来れば良かったな。」
「どうせニュカネンが病院の方が先だって判断したんでしょ。」
「ダウン教授が隠れる前に情報を得たかった。俺がヤツに頼んだんだ。俺の判断ミスかもな。」
「互いに謝り合っても埒があきません。」
「うん、謝罪合戦はこれで終わろう。」

 所長室のコンピュータを使用する為に、ポールはリュック・ニュカネンを呼んだ。




2016年12月16日金曜日

誘拐 3

 セント・アイブス・メディカル・カレッジは騒然となった。警察車輌が次々とやって来て、構内には制服の警察官が溢れかえった。プラカードを持って遺伝子管理局に抗議行動を起こそうとしていた学生達はちりぢりになり、運動そのものが消滅してしまったかの様だ。
 別行動を取っていたクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーも駆けつけ、クロエル・ドーマーからパトリック・タン・ドーマーが姿を消したと言う報告を受けた。
 クラウスは、パトリック・タンが行動を共にしていたはずの相方、ジョン・ケイシー・ドーマーを電話で呼び出した。

「パットは君と一緒じゃなかったのか?」
「そうですが、大学の校舎に入ってすぐに、学生達がプラカードを持って追いかけて来まして、相手をしているうちに彼とはぐれてしまいました。端末で連絡を取れるので、お互いに気にしていなかったのですが・・・パットがどうかしましたか?」
「消えてしまった。」
「え?!」
「君は出張所でひとまず待機してくれ。他のメンバーもそこへ集める。僕が行く迄、全員待機だ。」

 通話を終えたクラウスに、クロエルが囁いた。

「敵はヒギンズを呼び出したのに、何故パットを攫ったんでしょ?」
「わかりません。ただ、パットは小柄です。武道の腕は確かですが、不意打ちで麻酔を打たれたのでしょう。気絶させてしまえば、運ぶのは簡単だったと思います。」
「多分、僕が階段を上がって来た時に耳にした車の音が、彼を乗せた車が出て行く音だったんだな・・・」
「クロエル・ドーマー、貴方達が巻き込まれた学生運動そのものが胡散臭いですね。貴方をチャペルに近づけまいと妨害し、パットをジョンから引き離した。敵は、偽セイヤーズとパットの2人を同時に攫う計画だったのかも知れません。或いは、ジョンが攫われたかも知れない。どちらかを狙って、攫いやすい方を選んだ・・・。」
「僕が、あの女を無視して直ぐに階段を下りていれば・・・」
「そんな後悔しないで下さい、貴方らしくもない。誰だって、人が倒れていれば無視出来ませんよ。」

 クラウスの端末にメールが入った。クラウスはそれを見て、深く溜息をついた。

「ポール兄が来ます。支局巡りのメンバーを中西部支局の空港で下ろしたら、そのままこっちへ飛んで来るそうです。文面が短い・・・怒ってますね。」
「あー、もしかして、またリュック・ニュカネンと喧嘩しに?」
「するでしょうね。」

 その時、件の部屋から検屍官が遺伝子管理局を呼ぶ声が聞こえた。クラウスとクロエルは顔を見合わせた。どちらも死体を見るのは嫌だった。しかし、DNA分析を行うのは、遺伝子管理局の仕事だ。
 クロエルが提案した。

「コイントスで?」
「受けましょう!」

誘拐 2

 クロエル・ドーマーは倒れていたヒギンズを抱き起こした。ぐったりとしたヒギンズに外傷はなさそうだ。彼の顔にキス寸前まで自身の顔を近づけて呼気の匂いを嗅いでみた。

 ちぇっ、エーテルを吸引させられたか・・・

すぐには目覚めそうにない。後ろにやって来たバックアップの連邦捜査官に彼を託す時、クロエルは念を押した。

「まだこの男はセイヤーズですからね。」

 捜査官は頷いた。戸口で倒れていた男は既に数人に囲まれ、救急車のサイレンが聞こえてきた。
 クロエルの端末に電話が着信した。パトリック・タン・ドーマーからだった。

「チーフ・クロエル、まだチャペルですか?」
「そうだ。」
「西隣の学舎の救急搬入口から南へ3つ目のドアへ来て下さい。」

 タンは興奮していた。

「必ず誰かと一緒に来て下さい。大変な物を見つけました!」
「何だか知らんが、すぐ行く。そこを離れるな。」

 クロエルは暗がりの中で2人の人物が出て行ったドアを開けた。そこは司祭の控え室の様に見えた。床に地下通路へ続く穴が開いており、階段が付いている。穴のそばに、女性が1人倒れていた。彼女もエーテルで気絶していた。

 よく人が倒れている大学だこと・・・

 クロエルは礼拝堂にいる人々に声を掛け、女性を保護するよう命じた。その場の指揮権は連邦捜査局にあるはずだが、クロエルの知ったことではなかった。彼は周囲に有無を言わさず指示を出し続けた。

「この女性の手当をしてやれ。但し、絶対に目を離すな。さっき逃げた2人のうち1人は女性の声だった。恐らく、この女だ。僕等を足止めする為に自ら囮になったんだ。」

 そして階段を下りかけた。連邦捜査官が止めようとしたが、彼は無視した。それどころか、捜査官に「ついて来い」と命令したので、捜査官はムッとした表情を作ったが、後ろから付いてきた。

「何処へ行くんだ?」
「恐らく、隣の学舎でしょ。僕んちの部下が応援を求めて来たんだ。」

 捜査官は背後に合図を送り、更に2名がついてきた。 通路はただ雨の日用の連絡路らしく、すぐ西隣の学舎の廊下に上がる階段があり、出口が開放されたままだった。クロエルは銃を構えたまま外へ出た。廊下は無人で、彼は救急搬入口の表示を探し、そちらへ向かった。
 外で車の扉が閉まる音がして、すぐに車が走り去った。

 逃げられた!

 クロエルはタン・ドーマーが告げたドアをすぐに見つけた。これも開放されたままだったのだ。室内から冷気が流れ出ていた。
 クロエルは中を覗き込んで、ギョッとした。テーブルが数台並んでいて、そのうちの2台に人が横たわっているのが見えたのだ。2人とも全裸の男で、生きているように見えなかった。どちらも若い。少年だろう。
 クロエルは細心の注意を払いながら、静かに室内に足を踏み入れた。タン・ドーマーの姿は見えなかった。台の上の人間に指を触れると、ゾッとする程冷たく、彼は慌てて手を引っ込めた。室内には生きている者はいない、と思った時、背後に捜査官達が現れた。

「局員、これは?!」

彼等もすぐに異常に気が付いた。医学部だからと言って、献体された遺体が無造作に放置されたままになっているはずはない。クロエルは死体を見つめたまま、指示を出した。

「検屍官を呼んでくれ! 検屍が済んだら直ちにDNAで身元確認をする。」
「わかった。」

 その捜査官は仲間に建物の封鎖を命じた。
 クロエルはその間に、この場所を通報してきたパトリック・タン・ドーマーは何処だろうと考えた。端末を出して、タンの端末に電話を掛けてみた。すると驚いたことに、部屋の隅っこから呼び出し音が聞こえた。
 連邦捜査官がそちらへ行き、端末を拾い上げた。

「電話だけ落ちていた。持ち主は?」
「遺伝子管理局の局員のはずだが、見当たらない。」

 クロエルはもの凄く嫌な予感がして、身震いした。敵の狙いは、セイヤーズではなく、別のドーマーだったのか・・・?



2016年12月15日木曜日

誘拐 1

 クロエル・ドーマーはセント・アイブス・メディカル・カレッジの東端にあるチャペル前に車を乗り入れた。ダリル・セイヤーズ・ドーマーに扮した連邦捜査官ロイ・ヒギンズはそこへ入ったと先に潜入させていたパトリック・タン・ドーマーから連絡があったからだ。ヒギンズは、職務の合間に行方不明の息子を捜索していたのがドームにばれて、懲罰から逃れる為に逃走した、と言う筋書きになっている。ヒギンズがミナ・アン・ダウン教授から落ち合う場所として指定されたのは別の学舎だったが、そこで出遭った人物からチャペルへ行けと指示されたのだ。クロエルは芝居の上で逃げたヒギンズを追わなければならないので、関わるなと言われても、それなりの行動を取らなければ辻褄が合わない。
 彼が車から出てチャペルの方へ歩きかけると、横から近づいて来た男がいた。

「そこのスーツの人、もしかして、遺伝子管理局の人?」

 クロエルは足を止めた。振り返ると、学生が数名、その若い男の後ろに控えており、手に手にプラカードを持っていた。そこに書かれている文を見て、クロエルは眉をひそめた。

ーークローンに人権を!
ーークローン逮捕反対!

 無責任に体制批判をして代替案を出せない学生運動家が大学にいると聞いたことがあるが、彼等がそうなのか?

「遺伝子管理局に用ですか?」

 クロエルは丁寧に応対してみた。学生達は彼にじりじりと近づいて来た。

「クローン収容所が襲われて子供達が攫われているでしょう? 管理局は自分達の責任をどう考えているんです?」
「責任?」

 クロエルは厄介な連中を相手にしなければならないと悟った。ヒギンズの守備を見届けたいが、学生達を無視すれば騒ぎ出すだろう。

「君達が言う責任とは、何に対してですか?」
「何って・・・収容者に対する安全責任ですよ。」
「テロリストのふりをした人身売買組織が収容所を襲うなんて想定外でしたよ。多くの収容者が寝入りばなを襲撃されて逃げることが出来なかった。彼等はクローン特有の虚弱体質を改善する治療を受けて、親が服役を終えたら、再び親の元に返されるのです。所内では自由だし、クローン収容所は決して牢獄ではありません。普通の人権を認められて登録を終えたら、貴方達と同じ権利と持った市民になるのです。
 収容所は牢獄ではないので、セキュリティが厳重とは言えなかったことは確かです。職員も武装していませんからね。それに対して非難なさるのでしたら、裁判所に訴えると良いです。これは行政の問題ですから。」

 喋りながら、クロエルは視野の隅で1人の男がチャペルに入って行く姿を捉えていた。男の体の動きを見ていると、銃ホルダーを上着の下に装着している様だ。潜伏捜査官か、それともFOKか?
 学生の代表がクロエルの言葉に反論しようとした時、チャペルの方角から銃声が聞こえた。 学生達がびっくりしてそちらを見た。クロエルはチャペルに向かって走り出した。彼は武装していない。麻痺光線銃を携行しているだけだ。しかし、ヒギンズの保護は出来るかも知れない。
 彼と同時に学生の群れの中から、或いは歩道や植え込みから数人の男達が走り出してきた。連邦捜査官達だ。遺伝子管理局の局員も1人いた。 誰かがクロエルにチェペルに近づくなと怒鳴っていた。クロエルだけでなく遺伝子管理局の人間に向かって言っているのだ。危険だから近づくなと。 遺伝子管理局が危険な任務に就いたことがないとでも思っているのか? メーカー達は結構危険な連中なんだ。
 チャペルの扉を開いた途端、中から銃撃された。クロエルは間一髪扉の陰に隠れて難を逃れた。扉のすぐ内側に1人倒れていた。先ほど中に入っていった男だ。
 後ろから走ってくる男達にクロエルは手で合図した。近づくなと。数名が建物の裏手に向かって走って行った。
 ヒギンズは無事だろうか。クロエルは声を掛けた。

「セイヤーズ、そこにいるのか?」

 囮捜査官は返事をしなかった。いないのか、それとも・・・?
 中で声がした。

「囲まれたんじゃない?」
「裏口も抑えられたのか?」
「人質がいるから大丈夫・・・」
「そいつを連れて逃げるのは無理だ。置いて行こう。」

 クロエルはそっと中を覗いた。中は暗いのでよく見えないが、人間が2人、奥の扉を開けて出て行く気配がした。彼は中に入った。倒れている男の首筋に手を当てた。まだ脈がある。彼は外に居る人影に合図を送り、倒れている人を託した。
 クロエルは麻痺光線銃を抜いて、用心深くチェペルの中を歩いて祭壇に向かった。
祭壇のすぐ下でも1人倒れていた。ブロンドの髪のスーツ姿の男だ。ヒギンズだった。




2016年12月13日火曜日

囮捜査 22

 実は、クロエル・ドーマーの部屋にラナ・ゴーン副長官はいなかった。クロエルは、彼女とは食堂で夕食を共にしただけで、彼女は囮捜査の協力と言う彼女にとっては嬉しくない任務に就いている「倅」の元気な姿を確認すると、安心して研究所に帰って行った。
クロエルが電話でヒソヒソ声で喋ったのは、ポールのそばにダリルが居ると承知していたからだった。
 ラナ・ゴーンとカエルの話は事実だったが、それは前半で終わっており、電話の後半は翌日の仕事の話だった。夕食後にヒギンズから連絡が入り、ミナ・アン・ダウン教授が面会を求めて来たと言うのだ。それもクロエルが撒いた餌に食らいついて来たのだ。まだ計画していた「喧嘩別れ」もしていないうちから、敵が接近してきた。

「僕はヒギンズにセイヤーズには息子がいると教えておいたんだ。但し、ライサンダーの葉緑体毛髪や遺伝子の秘密は伝えていない。セイヤーズが法を破ってラムゼイにクローンの子を創らせたとだけ言っておいた。その子がドームに存在がばれて逃亡中だとね。
ダウン教授は、その子供を発見したと言ってきたんです。」

 クロエルは、現在のダリルとヒギンズの写真を合成して、更に若返り処理をしたものをヒギンズに渡し、ヒギンズはそれを周囲に見せて「この子を見かけなかったか?」と訊いて廻っていたのだ。 写真の架空の人間にポールの要素は全く入っていない。だから、ダウンが見つけたと言う人物は真っ赤な偽物に違いない。
 翌日、クロエルとヒギンズは北米南部班第1チームと共にセント・アイブスに出かけた。飛行機の中で2人はいかにして喧嘩別れするか打ち合わせ、決定したことをチーム・リーダーのクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーに報告した。クラウスはそれを中西部支局に出かけたチーフ・レインに連絡しておいた。

「恐らく、FOKは僕を拉致するでしょうね。」
「君は拉致されるのか、それとも寸止めで連中を捕まえるのか?」
「出来れば後者が良いのですが、前者の可能性が高いです。連邦捜査局はそう考えています。」
「僕等は君と喧嘩別れした後は手を引けと言われている。」
「ええ、それで結構です。以降は僕と一切関わらないことです。それが囮捜査官の仕事のやり方です。」

 クロエルは普段のおちゃらけを控えて、決死の覚悟の囮捜査官を見た。この捜査官は過去を語らなかったが、恐らくこれが初めての任務と言う訳ではないのだろう。しかし遺伝子管理局の局員を演じるのは、普通の外の世界の人間を演じるのとは勝手が違ったはずだ。ドームの中の世界を彼はどう思っただろう。地球じゃないみたい? 常識が通じない?
 クロエルはドーマーの中でも特殊な生い立ちを経験している。南米の分室で生まれ、ジャングルで自由に遊んで幼少期を過ごし、多感な年頃になっていきなりドームへ連れて来られた。「中途採用」のドーマーなので、他のドーマーの子供達とは隔離されて教育を受けた。彼の目から見たドームは「異様な世界」だったから、ドームは彼の認識を変えなければならなかったのだ。
 ヒギンズの目から見ても、ドームは絶対に「異様な世界」だったに違いない。女性達に安全な分娩をさせる為に外から完全に切り離した清潔で規律正しい世界の中で、生活をする人々は外を知らない。一般から採用された人とは思えない。
 ヒギンズが知っている世界は、ドームに比べたら危険だらけだ。しかしヒギンズはドームの中に逃げようとは思わないだろう。命の危険がある任務から逃げたりしないのだ。
 クロエルはヒギンズに言った。

「今回の任務が無事に終わったら、連絡くれよ。カリブ海のビーチでビールでも飲もうぜ。」


囮捜査 21

 ポール・レイン・ドーマーは何故かいつもアパートのリビングに置かれている2人掛けのソファの真ん中に陣取ってテレビを見る。だからダリルは無理矢理隙間に体を押し込んで彼を押しのけなければならない。その日も手作りの夕食を済ませた後、、食器を洗ってから彼はソファに体をねじ込んだ。

「向かいに座れよ。」

とポールが文句を言った。ダリルは言い返した。

「端に寄れよ。私だってこっちに座りたいんだ。」
「つまり、可愛がって欲しいってことか?」

 ポールに抱き寄せられそうになって、ダリルは仕方なく向かいの1人掛けの椅子に逃げた。「もう、勝手なんだから」とぶつぶつ言いながら。1人掛けの椅子に座るとテレビを見るには椅子の向きを変えなければならない。

「ところで、今夜の料理の感想をまだ聞いていなかったぞ。」
「うん? いつも通り、美味かった。」
「本当か?」
「嘘は言わん。」

 不満を言うと完璧に作ろうと毎日同じメニューが続くので、ポールは絶対に「美味しい」としか言わない。
 食材は厨房班からお金を払って分けてもらう。だから、食堂のメニューと同じ材料だが、料理は違うので、ポールとて少しは得した気分になるのは確かだ。だがあまり褒めてもダリルが調子に載るので、どうしても愛想良く出来ない。
 ふとポールはあることが気になった。

「JJは料理をするのか?」

 ダリルの返答は絶望的なものだった。

「山の家に居た時は、ライサンダーも私も彼女を台所に入れまいと努力していた。小麦粉と洗剤の区別がつかなかったからね。」
「・・・」

 ダリルは自身の彼女のことを思った。

「ラナ・ゴーンは料理をするのかな?」
「訊いてみれば良いだろう。」
「本人に?」
「倅に。」
「?」

 ポールが端末を出して誰かに電話を掛けた。

「やぁ、レインだ。ちょっと訊きたいことがあるんだが・・・君のおっか様は料理をするのか?」

 相手はクロエルだ。 ダリルは思わず聞き耳をたてた。

「・・・そうか・・・うん、うん・・・へぇ! それは・・・想像すると愉快だなぁ!」

電話で話しながらポールが笑い出した。ダリルは必死で耳を澄ましたが、クロエルの声は聞こえるのに話の内容が聞き取れない。ポールが1人で楽しんでいるのが癪に障った。

「おい、スピーカーで話せよ!」
「五月蠅いな・・・あ、いや、こっちの話だ。ダリルが横で五月蠅いんだ。」

 ポールはそれから更に5分も喋ってから電話を切った。彼が長電話をするのは珍しいのだが、相手がクロエルだと誰でもつい話し込んでしまうのだ。
 ポールがダリルの顔を見て、ニヤッと笑った。ダリルはじれて催促した。

「クロエルは何て言ったんだ?」
「彼のおっか様は、彼がカエルのシチューを食いたいと言ったら、果敢にも生きたカエルを仕入れて来て逃がしてしまい、アパートのキッチンで大捕物をしたそうだ。」
「副長官がカエルを追いかけた?」
「そうだ。自分では掴めないのに生きた物を買ったからだ。結局、クロエルが自分でカエルを捕まえて捌いて、料理して、おっか様に食わせてやったそうだ。」
「しかし・・・カエルでなければ料理出来るんだろ、彼女・・・」
「生きたカエルでなければ出来るそうだ。」

 そして、何故電話の話がダリルに聞き取れなかったのか、ポールは教えてくれた。

「彼の部屋に、おっか様が来ていたんだよ。だから、失敗話をクロエルはヒソヒソ声でしか話せなかったんだ。」




2016年12月12日月曜日

囮捜査 20

 ドームには、ドーマーやコロニー人達の息抜きの為の施設がいくつかある。収容されている妊産婦と共用出来ないのは残念だが、女性達と同じ施設の小規模のものだ。(勿論、女性ドーマーやコロニー人の女性は大きな施設を使用出来る。)
 チーフ会議が開かれている時間、ダリル・セイヤーズ・ドーマーはジムの隣のサウナへ行った。しかし思いの外混雑していたので、諦めてジャグジーへ行った。温めのお湯に浸かり気泡に包まれていると気持ちが良くなって、ぼんやりと座っていた。そこへ珍しくケンウッド長官が現れた。普通なら、その他大勢のドーマーの一員として挨拶程度でやり過ごすのだが、随分長い間長官と顔を合わせていなかったので、ダリルは思い切って声を掛けてみた。

「新しいプロジェクトは進んでいますか?」

 ケンウッドは振り返り、彼を認めると微笑した。

「ああ、なんとか進行しているよ。出来れば君の孫の世代には間に合わせたいがね。」
「孫の世代ですか・・・」

 もう年頃の息子がいるのにと言おうとして、ダリルは長官が思っているのは今試験管の中で生まれたばかりの子供達のことだと気が付いた。彼は出しかけた言葉を呑み込み、別の台詞を搾り出した。

「間に合うと良いですね。」

 少し間を置いて、長官が呟いた。

「本当は次の春に引退するつもりだったのだよ。」
「えっ?」
「しかし、プロジェクトを開始する役目を掴んでしまったからね、今更逃げる訳にはいかない。」
「地球の重力はお体に負担ですか?」
「歳を取ったからなぁ。5年若ければ、まだやれると思うのだろうが、少々弱気になってきた。」

 ケンウッドは自嘲した。

「君がここへ連れ戻された時のことを覚えているかね? 君がベッドの上で目覚めた時、私に言った言葉だ。」
「ええ・・・『18年以上も地球上に残るコロニー人を初めて見ました』と言いました。」
「私は地球に来て今年で23年目だ。当初は6年で帰るつもりだった。残ったのは他でもない、君が逃げたからだ。」
「何故です? あれはリン長官の責任と言うことになったのでしょう?」
「ドーム統率者の責任問題と言う次元の話ではないのだ。私はあの時、ドーマー達が動揺するのを見てしまった。ドームに逆らうことを知らなかった人々が、1人の脱走者の出現で自分達が置かれている立場に疑問を持ち始めたのだよ。それまでにもドームから去るドーマー達はいたが、彼等は静かに平和的に外でドームの為に働くことを条件に出て行ったのだ。しかし、君は違った。」
「私は身勝手な男ですから・・・」
「そんなことを言っているんじゃないよ。君はドーマーにも生き方の選択権があると言う当たり前のことをみんなに気づかせたんだ。だが、ドームは決して君を諦めない。君を見つけたら必ず次は逃げられないように閉じ込めてしまうはずだ。
 私は、そんなことになってはいけないと思ったのだ。君には進化型1級遺伝子があるから本当の自由は与えられないが、他のドーマーと同じに扱ってやりたいと思った。だから、君が帰ってくるのを待っていた。君がせめてドームの中では自由に動き回れる安全な人間だと証明してから、宇宙に帰るつもりだったのさ。」
「私は安全な人間ですか?」
「当然だろう!」

 ケンウッドは微笑んだ。

「君は誰かに脱走を勧めたり、叛乱を起こそうと呼びかけたりしたことがあるかね? 君が帰って来てからしたことは、人類の為に塩基配列を見ることが出来る少女を連れて来てくれたことと、人類のオリジナルの遺伝子を持つ男を我々に委ねてくれたことだ。大いに役立ってくれているよ。」

 ダリルも微笑んだ。

「貴方がここに居て下さるだけで、私は安心出来るのですが・・・これからもずっと居て下さいと言えば、貴方には酷でしょうか?」
「流石に、この年齢になってくるときついなぁ。 嬉しいがね。」

 ケンウッドは湯気の向こうに見えるドーム越しの空を見上げた。

「私の唯一の心残りと言えば、ローガン・ハイネに外の世界を体験させてやれなかったことだ。」
「局長はまだ若いでしょう?」
「そう見えるだけだよ。」

 ケンウッドはダリルの顔を見た。

「ハイネは私より年上なんだよ、知らなかったのかね? あの男の進化型1級遺伝子は君のとはタイプが違うんだ。君の遺伝子は宇宙船の操縦士の為に開発されたものだが、ハイネのものは、宇宙船乗りを待つ家族の為に開発された特殊なものだ。」
「家族の為ですって? それは一体・・・?」
「宇宙船乗りは1回航宙の旅に出ると数10年は帰って来られない。コロニーや惑星で待つ家族はその間に歳を取ってしまうが、宇宙船乗りはゆっくりとしか歳を取らない。ああ、その辺の説明は省くが、兎に角、帰還した時に家族が歳を取っていなくなってしまう場合もあると言うことだ。だから、歳を取る速度を落とす遺伝子が開発された訳だが、これは失敗だった。」
「失敗?」
「人間はね、セイヤーズ、どんなに科学が進歩しても、せいぜい150年生きられれば良いところなんだ。それ以上はどんなに研究を重ねても無理なんだ。ハイネは今100歳に近いが肉体はまだ50代だ。しかし、間もなく老化が速度を速めて襲ってくるはずだ。
本人もそれを知っているから、彼はとうの昔に子孫を残すことを諦めている。ある日突然体が老い始めるかも知れない恐怖を子孫に味わせたくないのだそうだ。」
「恐怖・・・局長は毎日そんな思いで・・・」
「彼は強いだろう、全く君達には気取られずに生きている。」
「ええ!」
「だが、体はもう抗原注射には耐えられない。彼は今ドームから出れば忽ち肺炎にでも罹って命を落としてしまうだろう。私はもっと早い時に彼を外に出してやれば良かったと後悔している。」

 ケンウッドはまた空を見上げ、ダリルも見上げた。2人とも白髪の美しい年を経たドーマーを想っていた。彼の先祖は遠い宇宙の旅に出た身内を待っていた。彼は今ドームの外の危険に満ちた世界に仕事で出て行く部下を毎日待っているのだ。

 待つためだけに開発された遺伝子なんて・・・

 ダリルは人間とはなんて身勝手な生き物なのだろうと思った。子孫がどんな思いをして生きるのか考えもしないで科学を推し進めていく、それは今も変わらない。


2016年12月11日日曜日

囮捜査 19

 セント・アイブス・メディカル・カレッジの医学部長ミナ・アン・ダウン博士との面会に囮捜査官が成功したのは2ヶ月も経ってからだった。その間にクロエルとヒギンズのコンビはローズタウンからセント・アイブスの間の市町をかなり歩き回った。チーフを貸し出している中米班からは、「まだ終わらないのか?」と局長に苦情が来たので、局長が「代わりにレインを貸そうか?」と申し出ると、「結構」と断られた。性格が全く異なる上司が来ると業務がやりにくいのだ。ポールも熱帯気候は苦手なので、断られてホッと安堵していた。
 ミナ・アン・ダウンはクロエルの言葉を借りると「若作りのおばちゃん」だ。皺を隠す為に整形して化粧して、マネキンみたいな肌をしているそうだ。そして・・・

「セイヤーズに化けたヒギンズに盛んにラムゼイのクローン製造の話をしていた。ヒギンズも学習しているので、そつなく答えていたから、上手く騙せたと思う。」
「ダウンはクローンの何に関心を持っていると思う?」
「一言で言えば、大量生産。」
「大量生産? 1人の人間のストックを複数創っておくと言うことか?」
「その通り。」

 チーフ会議でクロエルは、もの凄く汚い物に触れてきた、と言いたげな表情をした。

「人工羊水の中にクローンの肉体をストックしておいて、自分の脳を移植した体が駄目になったら、次のを出して来て使うって考えだと思う。」
「聞くだけで吐き気がする。」
「人間のやることじゃないな。」
「クローンにも人格があると言う考えは全くないんだな。」
「でもダウンは明確にそれを言った訳じゃない。言えばFOKの思想と同じだとばれるからね。他人がそう言っている、誰かがそう言う考えを持っている、と言う言い方をするんだ。」
「ヒギンズはそれを連邦捜査局に報告したのか?」
「まだ証拠がないし、証言とも言えないから、もっと接近したがっている。」

 するとハイネ局長が口をはさんだ。

「遺伝子管理局としての協力は果たせたようだな。」
「と仰いますと?」
「こちらが手を引く潮時だと言うことだ。これは連邦捜査局のヤマだからな。これからは連中のやり方でやるはずだ。」
「つまり、僕はもうお役御免?」
「ヒギンズはセイヤーズになりきっている訳だ。」
「はい?」
「セイヤーズは規則には従わない男だ。」
「つまり?」
「ヒギンズはそろそろチーフ・クロエルから反抗して単独行動を取る頃合いだ。」

 チーフ達は黙り込んだ。局長は外の世界を知らない人だ。何処まで危険の度合いを理解しているのだろうと部下達は疑問に思ったのだ。しかし、局長は言った。

「連邦捜査局は我々以上に危険の度合いを理解している。彼等から見れば我々は素人だ。下手な手出しは無用と言うことだ。」
「向こうからそう言ってきたんですか?」
「さりげなく手を引いてくれと言ってきた。」

 クロエルが「愛想がないな」とぶつくさ言った。ポール・レイン・ドーマーが尋ねた。

「しかし、いきなり引き揚げると却って怪しまれるでしょう?」
「だから、さりげなく、だ。クロエルはヒギンズと喧嘩でもすれば良い。バックアップの組は少しずつ人数を減らし、連邦捜査官達だけにする。囮捜査は時間がかかる。この件にばかり関わっているほど遺伝子管理局は暇ではないぞ。」
「そうですが・・・」
「何か不満でもあるのか、クロエル?」

 クロエル・ドーマーがちょっと躊躇った。

「ジェリー・パーカーから人捜しを頼まれていて、それがまだ果たせていないんです。」
「人捜し?」

 ポールはぴんと来た。

「ラムゼイのジェネシスを務めたシェイと言う女性の捜索だな?」
「うん。パーカーは彼女の安否を酷く気にしている。」
「現地の警察にも依頼しているのだろう?」
「うん・・・」
「では、そっちに任せておけ。俺たちが限られた時間で歩き回っても、彼女は見つからない。」

 ライサンダーの誕生に一役買った女性。ポールはシェイとは一度も顔を合わさなかったが、彼女のスープは一匙だけ口に入れた。どんな味だったか記憶はないが、彼女が無事なら、ジェリーもJJも喜ぶだろう。
 ポールはクロエルに言った。

「俺の部下達に、支局巡りの時に彼女の捜索を続けるよう言っておく。」



2016年12月10日土曜日

囮捜査 18

 ロイ・ヒギンズとクロエル・ドーマーは2日外に出て4日休むと言う基本的な遺伝子管理局の勤務形態を3回続けた。セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンでラムゼイ博士の組織の残党を探すと言う触れ込みで捜査をした。初日は仏頂面した出張所のリュック・ニュカネンも付き添ったので、ラムゼイが死んだ時の組み合わせにそっくりで、ダリルと実際に出遭った人々もヒギンズがダリルだと思い込んだ。1回きりしか本物と会っていないので当然かも知れない。ただ、トーラス野生動物保護団体の理事長モスコヴィッツと理事のビューフォードは2回会っているのでクロエルも彼等に近づくのを避けた。

「連邦捜査官はどんな調子だ?」

 ハイネ局長に訊かれてクロエルは「まあまあです」と答えた。

「他の職業と違って遺伝子管理局は一般の人と接触する機会が少ないので、ヒギンズはどんな振る舞いをして良いのか戸惑っていますが、周囲に気づかれないように平然として見せる度胸はありますね。」
「君のペースについてきているのか?」
「迷子にならない程度に。」

 そしてクロエルは苦情を言い立てた。

「僕等を取り囲む連中をなんとかしてもらえませんか? バックアップしてくれるのは良いけど、うざいし、管理局の行動を見張られている様で不愉快です。」
「ヒギンズは、女の子を生めるセイヤーズを演じている。ラムゼイがシンパにその情報を漏らしている可能性がある以上、君達が襲われないよう警護する必要があるのだ。」
「連邦捜査局は、セイヤーズの特異性を知りません。何故彼が狙われるのか、ヒギンズもわかっていない。理由がばれたら地球人の実態もばれてしまいます。」
「それは囮捜査に協力すると決めた会議でも話題に上っただろう? もしばれたら・・・」

 局長はクロエルをじっと見つめた。

「君が上手く誤魔化せ。」
「え〜、僕ちゃんに責任をおっかぶせるんですかぁ?」
「君なら出来ると踏んだから、みんなで君に決めたんじゃないか。」
「しくしく・・・」

 クロエルは抗原注射が不要なので外から帰った次の日に休む必要はないのだが、部下のローテーションに合わせて休むことにしている。囮捜査官ヒギンズも外の人間だから効力切れ休暇は必要ないが、一緒に出動するチームに合わせて休日をもらった。クロエルが午前中局長に報告して昼迄アパートで寝ると言ったので、午後ジムで落ち合う約束で午前中はダリル・セイヤーズ・ドーマーの秘書業を見学すると言って、ポール・レイン・ドーマーのオフィスに入った。
 クロエルは局長室を出ると、そのまま本部の建物から外に出た。出口で彼は危うく掃除ロボットに躓きそうになった。ドーム内は常に清潔に保たれており、いつでもどこでも掃除ロボットが徘徊している。それが本部から出た所で静止していたのだ。
 悪態をつきながらクロエルは態勢を整え、ふと数10メートル先で言い争っている2人のドーマーに気が付いた。1人は遺伝子管理局の局員で昨日一緒にセント・アイブスを廻った北米南部班のパトリック・タン・ドーマー、もう1人は研究所で助手を務めているドーマーだ。クロエルは局員以外のドーマーの名前を覚えないことにしている。直接関わりを持たない人間は顔さえ覚えていれば良いと言う主義だからだ。
 タンは中国系の美男子で、少女の様な優しい顔をしている。クロエルは彼に1度花魁の格好をさせてみたいと思っているが、それを言うと殴られそうなので黙っている。タンはお茶が趣味と言うより殆ど専門家でポール・レイン・ドーマーのお茶の先生だ。世界中のお茶と言うお茶に通じており、クロエルも故郷のマテ茶が欲しい時はタンに分けてもらう。親しくしている男が、親しくない男と言い争っている。クロエルは彼等に近づいて行った。

「パット、どうかしたのか?」

 タンが振り返った。拙い場面を見られたと言いたげな顔をした。

「チーフ・クロエル、何でもありません。」

 研究所の男がクロエルに説明した。

「執政官の1人が、タンに交際を申し込んだのです。だけどタンが蹴ったので、仲介した僕の立場がないって文句を言っただけですよ。」

 クロエルはタンに訊いた。

「僕ちゃんが口出しする必要はなし?」
「ありません。」

 きっぱり断られて、そんじゃ、とクロエルは手を振って彼等と別れた。
背後で水を入れられた2人が気をそがれたらしく、勢いをなくした口調で話し合いを再開していた。



2016年12月8日木曜日

囮捜査 17

 ポール・レイン・ドーマーは接触テレパスによって他人の情事を感じ取ることが出来るが、職務上必要とされる場合でなければ、絶対にやらなかった。彼に能力があることは母親の代で既にドームに知られていたので、彼は物心が付く頃には養育係からしっかりテレパスのマナーを叩き込まれていた。倫理上してはいけないことは、他人のプライバシーを興味本位で覗くことだ。
 だから、「お勤め」から帰って来たダリルがまたもや落ち込んでいるのを見て、言葉で説明を求めた。つまり、「研究所で何かあったのか?」と尋ねたのだ。
 ダリルは暫く黙り込んでいたが、やがてキッチンに入り、何かごそごそやりながら、ラナ・ゴーン副長官をまたもや射止め損なったことを告白した。彼が正確に2人の会話を再現して聞かせると、ポールは我慢出来なくて大笑いした。

「つまり、君は苦労してなびかせた牝馬にやっとの思いで跨がったら、反対に馬はおまえの方だと言われた訳だな?」
「そんなに笑うなよ。私は自分が情けないんだ。あの時に止めずに進めば良かった。」
「馬鹿、そんなことをしたら懲罰房行きだぞ。立派な犯罪だ。」
「どの口が言う?」

 ダリルは山の家でポールに強引に奪われたことをちょっと思い出して不機嫌になった。
勢い野菜を刻む手に力が入った。ナイフの音を聞いて、ポールが不安げに尋ねた。

「さっきから何をやっているんだ?」
「料理。」
「君が?」
「見ればわかるだろ? 18年間、ずっと自分の食べる物は自分で作ってきたんだ。」

 ドーマーの食事は食堂の厨房班が作る。それがドームの常識だ。アパートにあるキッチンは簡単な調理済み食品を温めたり、テイクアウトの食べ物で汚れた食器を洗ったりする程度の利用しかされない。誰もが仕事を持っているので、アパートで調理に専念する時間はないし、第1十分な食材が手に入る訳でもない。
 ポールは思わず席を立ってキッチンのカウンターまで足を運んだ。

「そんな植物をどこから調達してきたんだ?」
「厨房班に分けてもらったんだ。これはオクラ。園芸班が栽培しているだろ?」
「植物の名前なんか知るものか。」
「これは缶詰のトマト。」
「それくらい知っている。」
「これはチキン。それからスパイスは・・・」

 ダリルが読み上げたスパイスの名前をポールは右から左へ聞き流した。

「それで、何を作っているんだ?」
「ガンボ。」
「ガンボ? ケイジャン料理の?」
「それは知っているんだな。」
「仕事でルイジアナ辺りへ行く時に時々食うから。」
「材料を見るのは初めてなんだ?」
「厨房の中なんか見ないからな。」

 ポールはダリルが手際よく調理を進めていくのを眺めた。

「そんなことを毎日やっていたのか?」
「他に誰もいなかったからね。ライサンダーの食事の世話も全部1人でしていたんだ。」

 ダリルはふと手を止めて顔を上げた。

「君さえ良ければ、これから時々ここで料理をしたいのだが?」

 ポールはダリルの「病気」を思い出した。子供の頃から興味を抱いた物事に熱中する男だ。始めると止まらない。

「時間があって他にやることがない時だけなら、許す。」
「そう言われると辛いな・・・結構毎日忙しいから。」

 ダリルは鍋に肉を入れて炒め始めた。キッチンには換気装置が設置されていて自動で作動する。ポールは脂やスパイスの匂いが室内に籠もるのは嫌な人間だ。匂いのきつい料理は許可が出ないだろう。
 ダリルはガンボを作りながら、山の家の、彼が手造りしたキッチンを思い出していた。
ライサンダーがお腹を空かせて、期待を込めて食事の支度が出来るのを待っていた。
息子にまた手料理を食べさせてやれる日は来るのだろうか。


2016年12月7日水曜日

囮捜査 16

 マザーコンピュータの再構築が完成していなくても、子供は生まれるし、取り替え子も行われる。ドーマーの「お勤め」も続くのだ。
 ダリルは翌日の午後、中央研究所に呼ばれた。ロイ・ヒギンズがクロエル・ドーマーに連れられて外へ出かけた後だった。ヒギンズは元々外の人だし、初日はクロエルとのコンビに慣れるための外出だ。ダリルはそんなに心配しなかったので、中央研究所からの呼び出しに素直に応じた。
 担当はラナ・ゴーン副長官だった。今回は籤ではなく彼女が自身で引き受けたのだ。
ダリルは検査着に着替え、部屋に入ると体重、身長、血圧等一通りの健診を受け、彼女の前の椅子に座った。普通執政官は検体採取の時に手袋着用が義務づけられているが、ラナ・ゴーン副長官は実際に採取する迄は素手でドーマーに触れる。皮膚の感触や血管の状態を指先で確認するためだ。少しでもドーマーの皮膚が荒れていたり、血管に異常を感じたりすると、血液の検査項目を増やす指示を検査室に与える。彼女は血液の専門家だ。だからドーマー達はほぼ全員、2年に1回は彼女の手で検査を受ける。ダリルは彼女と知り合ってまだ半年経つか経たないかだが、既に何度も検査を受けている希なケースだ。
 少々くすっぐたい検査を受けながら、彼は質問を受けた。

「クロエルは連邦捜査官と上手くやっていけそうかしら?」

 最初の質問は「養子」を心配する母親のものだった。大丈夫ですよ、とダリルは答えた。

「むしろ、ヒギンズがクロエルについて行けるかどうか、心配ですけどね。」
「FOKが上手く引っかかってくると良いわね。」
「そう願っています。」
「レインの調子はどう? 最近ドームの中に居ることが多い様だけど・・・」
「私が秘書の仕事に専念出来ていないので、書類仕事が溜まっているせいです。今更ワグナーに手伝わせるのも可哀想ですから。」

 本当のところは、ドームの外が寒くなってきたので、ポールは暖かい場所に籠もっているのだ。寒いのが苦手な男だった。

「JJがちょっとプログラミングに疲れてきたみたいなので、レインの体調の良い時に会わせてあげたいの。」
「では、私が頃合いを図って、彼の方から彼女に連絡させます。」
「そうしてくれると有り難いわ。私達には、遺伝子管理局が何時外に出かけるのか、内勤にシフトを当てるのか、わかりませんからね。特にレインは、以前は殆ど中に居着かなかったから・・・。」

 ダリルを探すために外に仕事を作ってずっと出かけていたのだ。ダリルは今でもそれを思うと胸が痛んだ。
 ラナ・ゴーンはふと気になっていたことを思い出した。

「レインの白血球数が増えています。恐らく抗原注射の飽和が近づいているのだと思うわ。飽和してしまうと地獄の苦しみだと聞いたことがあります。その前に彼に『通過』をさせたいのだけど・・・彼の体調の変化で気づいたことはないかしら?」
「そう言えば、近頃疲れやすくなったみたいですね。私からも『通過』を勧めておきます。」

 そこでダリルは口をつぐんだ。副長官が彼の太腿を撫で始めたからだ。彼女の手が膝から下へと這っていく。こそばゆいのだが、我慢だ。

「静脈瘤はありませんね。」

と彼女が触診結果を告げた。

「肌の艶も良いです。このまま健康維持に努めなさいね。」

 血液採取の後は、本来の目的である検体採取だ。彼女が催淫剤の注射を打とうとすると、ダリルは腕を引っ込めた。

「薬を使わなくても出来ますよ。」
「例の方法ね?」

 ラナ・ゴーンは苦笑いした。若い女性執政官達は時々自分達の体を使って男性ドーマーから検体採取を行う。ドーマー達はすっかりその気になって彼女達を満足させようと張り切るのだが、最終的には逃げられる。子種を採取容器に入れられてお終い・・・。

「注射器を置いて下さい。」

 ダリルは彼女に頼んだ。先刻の触診で充分にその気になってしまっている。ラナ・ゴーンは彼の目を見た。そしてそっと注射器をデスクに置いた。彼女の手が器具から離れた途端、ダリルは彼女の手を掴んで引き寄せた。彼女はキスに応じてくれた。
 彼は彼女をベッドに誘導し、暫くの間彼女の上になってすっかりその気になってしまった。しかし・・・

「位置を間違えているわよ。」

と彼女が言った。

「位置?」
「貴方が下で私が上でなければ駄目。」
「何故?」
「それがここでのルールなの。」

 ダリルは思わず不満の声を上げたが、逆らわずに言われた通りの姿勢になった。ラナ・ゴーンは上手に彼をリードして、検体採取に成功した。

「この前の子は寸前まで許してくれましたよ。」

 ダリルは抗議したが、笑い飛ばされただけだった。

「この建物の中では、ルールを守りましょうね。ダリル坊や。」

2016年12月6日火曜日

囮捜査 15

 ポール・レイン・ドーマーは他人を信用しない男だ。彼はロイ・ヒギンズの身元や経歴を徹底的に調べ上げ、やっと仲間と行動を共にさせても良いと判断した。敵側と通じていないと言う意味だ。ヒギンズが異性愛者だと言う点も気に入った。部下を誘惑されては堪らない。それにポールの目から見たヒギンズは雑菌だらけの人間だ。キスの一つでドーマー達が病気になっては困る。
 考えすぎだ、とダリルが笑った。

「ヒギンズのキスで病気になるんだったら、外から帰った時に、私が既にドームを全滅させているよ。そうだろ、クラウス?」

 クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーも笑った。

「ポール兄さんは貴方が下水で泳いでも絶対に汚れないと言う神話を信じているんです。」

 本当のことなので、ポールはコメントしなかった。
 最近、ポールは頭部に剃刀を当てるのを止めた。髪が伸びかけている。ちょっとむさ苦しいので外に出る時は帽子を被ることにした。ファンクラブには大いなるショックをもたらした。現在のファンクラブは髪の毛があった頃のポールを知らない。せいぜい過去の映像で見るだけだ。古くからのファン達、主にドーマー達だが、彼等はまた「お姫様」にお目にかかれると期待していた。ちょっと歳を取ってしまったが、美しさは衰えていない。むしろ色気が出て来て、魅力が増している。
 しかし、もしポールが意地悪して髭まで伸ばし始めたらどうしよう?
可笑しな心配までする者もいた。
 ポールの端末に電話が着信した。彼が出ると、発信者はハイネ局長だった。局長はいきなり囮捜査官のことをケンウッド長官に漏らしたのは誰かと尋ねて来た。ポールはマイクを手で押さえて部下達に尋ねた。

「ケンウッドに囮捜査のことを喋ったヤツはいるか?」

 クラウスがブンブンと首を横に振った。ポールはダリルが何か言いたそうな表情なのに気が付いた。彼はダリルに端末を投げて寄越した。ダリルは仕方なく電話に出た。

「それは私です、局長。」
「君か、セイヤーズ! 言い訳出来るのか? コロニー人には内緒の作戦だったはずだぞ。」
「ええ・・・それは・・・その・・・ギル博士がヒギンズ捜査官に興味を抱いたので、近づかないよう予防線を張ったつもりでした。連邦捜査局から研修に来ている人なので、手出し無用と言っておいたのですが・・・。」

 それは昼休みのことだった。午前中ヒギンズに遺伝子管理局の標準的業務を教えたダリルは食堂でクロエル・ドーマーにヒギンズの守り役をバトンタッチした。クロエルは何故かアイスクリームの大食い競争でヒギンズに挑みかかり、食堂が少々騒がしくなった。
そこへ、アナトリー・ギルが現れた。度重なる失態であまり人前に出なくなったギルだが、ポール・レイン・ドーマーが最近髪を伸ばし始めたと聞いて、居ても経っても居られなくなって様子を見に来たのだ。しかしポールには出会えず、代わりにダリルと出くわしてしまった。

「セイヤーズ、クロエルと遊んでいる男は誰だ? 君によく似ているが・・・」
「彼は外からのゲストだ。ドームの外でクローンの子供が襲われる事件が連続して起きたので、彼が遺伝子管理局の局員を装って犯行グループと接触を図ることになった。それで管理局の業務研修に来ている。一時的な滞在だから、あまり多くの人と接触させたくない。」
「当然だ。ドームの業務を全部知られる訳にはいかないからな。」

 ギルは素直に納得してくれたと思ったのだが、ケンウッド長官に告げ口したらしい。或いは長官公認の案件だと思って口を滑らせたか?

「ギルは口が軽い。あの男にはもっと注意し給え。ケンウッド長官は殺人事件を知らなかったので、非常に驚いておられる。コロニー人には関係ない事件だがな。」
「あの人は命を粗末にする人間は許せないんですよ。」
「今、執政官達はマザーコンピュータの再構築で忙しい。余計なことで時間を取って欲しくない。地球人の問題は地球人で解決する。」

 局長は「話す相手に気をつけろよ」と釘を刺して電話を切った。
 溜息をつくダリルにポールがからかった。

「君は上司を困らせるのが上手い。」
「止してくれ、私はやることがいつも裏目に出て自己嫌悪に陥っている。」
「そう言うのって、確か東洋では『厄年』って言うんでしたね?」

 弟分のクラウスが言わなくて良いことを言ってしまい、ダリルとポールに睨まれた。

 

2016年12月5日月曜日

囮捜査 14

  連邦捜査局から送り込まれてきた男は、ロイ・ヒギンズと言うブロンドの美男子だった。背格好がダリルと似ているが、ダリルの方は服を着ていると華奢に見える。ヒギンズは肩幅が広くてしっかりした体型に見えた。ヒギンズはダリルの仕草を真似る様に指示を受けており、ダリルは彼の教育係の責任者となった。
 ドームの秘密全てを教える訳にはいかないが、遺伝子管理局の仕事はある程度理解させなければならない。ヒギンズは遺伝子に関する学習から始めることになった。彼は少々面食らっていた。遺伝子管理局の仕事全てを理解している一般人は少ない。違法出生児の保護とメーカー摘発、婚姻許可証発行、妊産婦の保護と出産準備指導、養子縁組の許可と斡旋など、仕事の種類は多い。
 連邦捜査局の幹部クラスは、FOKが脳移植をするクローンを製造する為に、選別された優秀な遺伝子保持者を狙うだろうと言う遺伝子管理局の説明を受けており、某局員がそれに相当する遺伝子を保有していると言う情報を与えられていた。ヒギンズもその情報を元に捜査するのだ。

「すると君は優秀な遺伝子を持っているんだね?」

 ヒギンズは実際は年上の、年下に見えるダリルに尋ねた。

「どう優秀なのかは知らないけどね。」

とダリルはしらばっくれた。

「メーカーのラムゼイ博士を捕縛しようとして失敗したのだが、その時にラムゼイが私の噂を流したらしいのだ。その噂がFOKの耳にも達したと上は睨んでいる。」

 ヒギンズは外の雑菌に対する異常な迄のドームの警戒ぶりにも興味を抱いた。獲物が食いつく迄、彼はドームを出たり入ったりしなければならない。その度に入念に消毒されるのだ。

「赤ん坊を守る為の滅菌消毒だと言うのはわかる。しかし、赤ん坊は生まれて数日で外に出るだろう? どうしてそんなに清潔にしておかなければならないんだ?」
「ここにはコロニー人もいるし、宇宙に地球の微生物を持ち出す訳にはいかない。それに微生物の遺伝子は常に変化しているから、新種の病気の発生を防ぐ目的もあるのだ。」

 ヒギンズの質問は時々ドーマーの思考範囲を超えているので、ダリルは何度も冷や汗をかかされた。
 それに、囮捜査官の受け入れは殆どのコロニー人には知らされていない。中央研究所にヒギンズを案内することはないし、コロニー人が外の殺人事件に関心を示すこともない。
だが、研究所から出てくるコロニー人を止める訳にはいかない。彼等はヒギンズがドーマーでないことにすぐ気づくはずだ。或いは、他の大陸のドームから来た客人ドーマーかトレードされたドーマーだと思うだろう。そうなると、必ず興味を抱いて近づいて来る。ヒギンズがダリルに似た男だと言うことも、絶対に彼等の注意を惹くはずだ。だからダリルは先にヒギンズに忠告しておいた。

「コロニー人には出来るだけ接触しないでくれ。彼等は地球人を子供扱いする傾向がある。まず、君を不愉快な目に遭わせるだろう。特に、遺伝子学者の中には同性愛者が多い。女性が少ないからね。」
「同性愛者はドームの外にだって大勢いるじゃないか。」

 ヒギンズは深刻に受け止めなかった。さらにダリルを困らせる質問をしてきた。

「遺伝子管理局に就職するには、どうすれば良いんだい? 僕の従弟が管理局で働きたがっているんだが、どこで人員を募集しているのか、調べてもわからないんだ。」
「あー、それは・・・」

 まさか生まれた時から就職が決まっているなんて口が裂けても言えない。

「支局があるだろ? 出張所でも良いけど、そこから始めるんだ。成績が良ければドームの本部に採用される。」
「そうなのか! 従弟に伝えておくよ。」

 2人はドームの施設の間を歩いて行った。建物の簡単な説明をする。遺伝子管理局本部、居住区域、医療区、出産管理区、新人ドーマーの教育施設、中央研究所、食堂、体育エリア等・・・。内部までは見せない。見せて良いのは食堂と体育エリアだけだ。
 ヒギンズが緑地帯と教育施設の間にある区画を指さした。

「あそこはまだ案内してもらっていないね?」

 幼い取り替え子達、つまりドーマーの卵達が育てられている養育棟だ。内部は広いが、子供達は10代半ばまで棟の外には出られないし、外からも覗けない。
 ダリルははぐらかした。

「あそこは行った。君が混乱しているだけだ。」

 彼はヒギンズが覚えきれないように故意に複雑な順路でドーム内を歩かせた。ヒギンズが後にドーム内の様子を他人に喋った時の用心だ。囮捜査官は愚かではない。案内された場所それぞれは正確に記憶しただろう。しかし迷路の中の様に歩かされて、空間感覚が麻痺してるはずだ。
 
「行ったかなぁ?」

 ヒギンズが考え込んだので、ダリルは図書館に連れて行った。そこで教育映像を見せた。遺伝子管理局では新人に必ず見せるのだと言って、デオキシリボ核酸の分析画像や、染色体の組み替えに用いるややこしい方程式や、メンデルの法則などの遺伝学の歴史や、最後に「正しい性行為の仕方」など、あまり必要のないものばかりをヒギンズに見せた。
 初日ですっかりくたびれたヒギンズは、夕食後ゲストハウスに案内され、滞在中に使用する部屋に入ると、ベッドに直行してしまった。
 その夜、1人で書類仕事を片付けたポール・レイン・ドーマーはアパートに帰ると、シャワーを浴びてバスルームから出て来たダリルを捕まえた。半裸の彼を抱きしめてヒギンズの扱いを確認した。

「君も随分意地悪なんだな。」

とポールは笑った。

「意地悪をした覚えはないがね。」

とダリル。

「ただ、相手は連邦の捜査官だ。まともに対すると、ドームが一般人に知られたくない事まで探られてしまうだろ? どれだけ誤魔化すべきか、悩んだよ。」
「上手くやってるじゃないか。明日もその調子で頼む。」
「明日も私1人でやるのか?」
「クロエルがコスタリカから戻ったら、交代してくれるさ。彼が一緒にセント・アイブスで捜査するのだから。それまでの辛抱だ。」









2016年12月4日日曜日

囮捜査 13

 翌朝、北米南部班は一般食堂で朝食会を持った。いつものことだから、外で泊まりの勤務に就いているチームは欠席だ。
 その日の予定を秘書ダリル・セイヤーズ・ドーマーが読み上げて各自に確認させると、チーフであるポール・レイン・ドーマーが前日のチーフ会議の内容を説明した。

「あれは北部班のチーフ・ドーソンからの訴えで、FOK対策を練る会議だった。クローンの少年達を何らかの人体実験に使って殺害する卑劣な連中が存在する。連中はクローンの解放を謳っているが、実際に彼等に収容施設から誘拐された少年達が生きて解放された話はどこにもない。FOKは大義名分を掲げたテロリストを装っているが、その実体は恐らく研究目的で人間を調達する組織なのだろう。クローンを狙っているのは、クローンならば大きな社会問題にならないと勘違いしているからだ。だがクローンも人権がある人間だ。
クローン殺害は殺人事件に他ならない。
 殺人は警察の担当だが、狙われるのが遺伝子管理局が保護したクローンであるなら、これは我々の担当でもある。だから、今回、我々は警察、連邦捜査局に協力することになった。」

 局員達がざわついた。メーカーの捜査は手慣れているが、殺人事件の捜査は畑違いだ。ダリルも初耳だったので、思わずポールを見つめた。あれほど捜査に加わりたいと彼が言っても管轄外だと取り合わなかった幹部達が、急に警察に協力すると言い出したのだ。

「捜査協力とは、具体的に何をするのだ?」
「連邦捜査局は囮捜査を行う。その囮になる捜査官は遺伝子管理局の局員に擬装するので、我々は彼の教育を頼まれた。」
「それだけか?」
「それだけとは、どう言う意味だ?」
「私達が外で捜査するのではないのか?」
「それはない。」

 ダリルは拍子抜けした。偽ドーマーを仕立てる教育係が捜査協力だって? わざわざ南米班のドルスコ・ドーマーをブエノスアイレスからとんぼ返りさせて、それだけのことを決めたのか?
 しかし、ポールは続けた。

「北米南部班の役目はそれだけだ。」
「では、他の班は?」
「これから説明するから、黙っていろ。
 囮捜査官は、我々南部班の局員のふりをする。FOKの仲間がいると黙されるセント・アイブス・メディカル・カレッジに捜査に入るのだ。この時、連中を信用させる為に、連中が知っている局員に似た人物を起用する。」

 ローズタウンやセント・アイブスを担当するチームのメンバー達が互いを見やった。

「FOKが局員に接触するでしょうか、チーフ?」
「接触したくなる局員の名を使うのだ。」

 ポールはダリルを見た。

「囮捜査官は、セイヤーズに化ける。」
「はぁ?」

 ダリルは自分でも間抜けだと思える声を上げてしまった。

「なんで私なんだ?」
「FOKはラムゼイと繋がって彼を殺した人物と関係があると思われる。もしラムゼイが連中に君が女の子を創れる男だと明かしたとしたら、連中は君に興味を持つだろう。
 FOKがクローンに脳移植をすることを計画しているとすれば、女性のクローンも必要とするかも知れない。女の子を創れるドーマーが現れれば、接近してくるはずだ。」
「では、私が自分で行く。」
「それは、ドームが絶対に許さない。」
「しかし、囮捜査官独りでは、怪しまれるぞ。」
「だから、囮捜査官は、連中が知っているもう1人の局員と行動する。こちらは本人だ。」
「まさか、君じゃないだろうな?」
「残念ながら、違う。俺はセント・アイブスでは君と行動しなかった。」
「すると、リュック・ニュカネン?」
「否、クロエルだ。」

 ダリルは驚いたが、他の局員達もびっくりした。

「クロエルだって狙われるかも知れないぞ!」
「クロエルが女性を創れるかどうか、誰も知らん。ラムゼイだって、死んだ時が初対面だったはずだ。クロエルはFOKにとっては未知数だ。」
「それにクロエル先生の偽物って難しいですよ。」

と部下の間で声が上がって、班内にちょっと笑いが生じた。

「勿論、クロエルも守らないといけないので、バックアップが付く。連邦捜査局の人員と、遺伝子管理局の人員だ。」
「北米班は南北共に顔を知られているだろう? 私の情報を得ているとすれば、南部班の局員のことも顔リストなどを作成しているかも知れない。」
「だから、バックアップは、南米班が付く。大学街だ、南米人がうろついても怪しまれない。」
「我々は何をすれば?」
「先ず、囮捜査官の教育だ。それから、何気にクロエルと囮捜査官のコンビを外勤務の時に仲間として送り迎えする。初日で獲物が食いついてくるとは思えないからな。」






囮捜査 12

 私服に着替えたポール・レイン・ドーマーとダリル・セイヤーズ・ドーマーと共に彼等の部屋から出たラナ・ゴーン副長官は、同じくチーフ会議の後、少し昼寝をしていたクロエル・ドーマーとアパートの通路で出遭った。

「あれまぁ、変わった組み合わせだこと!」

とクロエルが呟いた。ダリルが声を掛けた。

「これから夕食に行くんだが、君も一緒にどう?」
「うーーん・・・」

 クロエルは3人組の内容を少し考えて、ま、いいか、と呟いた。彼はさっとラナ・ゴーンに近寄ると彼女の腕を取った。

「おっかさんには僕がエスコートに付きますよ。変な噂にならずに済むでしょ?」
「一体、貴方は何に気を回しているの?」

 ラナ・ゴーンが笑うと、ポールもダリルをチラリと見て、

「俺に此奴と腕を組めってか?」
「私はかまわないぞ、ポール。」
「止せよ、俺の腕は女性に取ってあるんだ。」

 4人は一般食堂へ脚を向けた。アイドルと恋人、副長官におちゃらけドーマーの珍しい取り合わせにそこに居た人々が少し興味を持って注目したが、彼等は気にせずに食べ物を銘々取ってテーブルに着いた。ダリルはクロエルは極秘事項を知っているのだろうかとふと思ったが、この南米人は知っていても決して顔にも口にも出さないだろう。

「もうすぐクリスマスですよね。」

とクロエルが不意に言った。宗教的行事はドームにはないのだが、楽しいお祭りは子供のドーマーの為に採用されていて、大人になっても彼等は真似事をする。クリスマスはプレゼントの交換行事とご馳走の日だ。
 クロエルはラナ・ゴーンに尋ねた。

「今年は月に行かないんですか?」
「上の娘が木星コロニーに行って当分帰らないのよ。だから、クリスマスは今年はしないの。」
「でも、下の娘さんはおっかさんに会いたいでしょ?」
「彼女がこっちへ来るわ。」

 えっ! と男達が驚いた。好んで地球に来る女性は珍しい。地球人や地球の文化を研究している人間を除けば、汚染された星に来たいとは思わないだろう。

「娘達ももう良い歳なのよ。子供の心配をしなくても済む年齢ですからね。」
「では、お孫さんも一緒に?」
「3人、小さいのが付いてくるわ。」

 ラナ・ゴーンは、家族と言うものをドーマー達に見せたかった。特に、結婚する気がないクロエルと、結婚の意味をイマイチ理解していないポールに。
 ダリルは養育棟以外で幼子を見られるのかと期待している。好きな女性が誰かの母であり祖母であると言う事実は意識していない。
 ラナ・ゴーンは話題を男達に向けた。

「貴方達は誰かに贈り物をする予定でもあるの?」
「いいえ。」
「ありません。」
「僕ちゃんも・・・」

 彼女は3人の男達を見比べた。

「好きな女性とか、親しい友達とか、いないの?」

 ポールがダリルとクロエルを見た。

「贈り物は欲しいか?」
「別に・・・」
「全然・・・」
「俺もだ。」
「セイヤーズ、貴方は子供に何も贈らなかったの?」
「欲しがる物はその時々に与えましたから・・・」

 ポールはJJに贈り物をする考えすらないようだ。ダリル父さんも娘に何か贈ろうと思いつかないらしい。だから、ラナ・ゴーンは仕方なく教唆した。

「JJは期待していると思うわ。」

 あっと男達。

 もう・・・馬鹿なんだから。

ラナ・ゴーン副長官はわざと溜息をついて言った。

「女性がいない世界って、これだから駄目よね。」

 




囮捜査 11

 遺伝子管理局の職員は遺伝子学者ではない。だから、マザーコンピュータの方程式と言われてもぴんと来ない。 ダリルが言うには、最初のクローンがコロニーで製造された時、人として形成する為の遺伝子情報を記録する時に手違いがあって、X染色体にX染色体を拒否する情報が組み込まれてしまったと・・・

「もういい、わかった。」

とポール・レイン・ドーマーはダリルを遮った。

「つまり、そのミスに誰も気が付かないまま、200年以上も地球人は苦しんでいたと言うことだな?」
「コロニー人のミスでね。」
「最初は、本当に環境汚染が原因の染色体異常だったのです。それを修復する為のクローンの染色体が狂ったまま登録されてしまいました。
 もし誰かが気が付いていれば、ドームは100年ほどで役目を終え、ドーマーも取り替え子も必要なかったのです。」

 ラナ・ゴーンは目を伏せて言った。

「本当に、地球に対して、私達は取り返しの付かないようなことをしてしまいました。」
「でも、修復する手立てがある訳ですよね?」

 ダリルが尋ねた。

「それに今、長官や貴女が取り組んでいるのでしょう?」
「ええ・・・地球上の全ドームだけでなく、宇宙でも全力で修復プログラムの構築に取り組んでいます。JJとジェリー・パーカーの協力で判明したことです、早急に役立てなければなりません。」

 ポールは冷ややかだった。

「しかし、俺たちの世代では何もない。俺たちの生活は少しも変わらない、と言うことですね?」
「そうです。ごめんなさい。」
「貴女のせいじゃありません。」

 ラナ・ゴーンはポールがニヤリと笑ったので、驚いた。ポールが言った。

「俺はドームから追い出されるのかと一瞬ひやりとしましたよ。俺はここの暮らししか知りませんからね、外で暮らせと言われたら、途方に暮れて泣きます。それに・・・」

 彼はダリルを見た。

「まだこの男もここに閉じ込めておくのでしょう?」

 彼の言いたいことを理解して、副長官はやっと笑顔になった。

「大丈夫よ、レイン、貴方の大事なセイヤーズは1世紀は逃げられないから。」
「えーーー! そうなんですか?」

 ダリルがわざとがっかりして声を上げたので、彼女とポールは笑った。
 ポールは時計を見た。彼は珍しく副長官に親しげに声を掛けてみた。

「そろそろ夕食時間ですが、一緒にどうですか?」
「有り難う。でもパパラッチに見つからないように出られるかしら?」




囮捜査 10

 ポール・レイン・ドーマーがチーフ会議を終えてオフィスに行くと、誰もいなかった。重要案件だけが残されていたが、休みの日なので彼は無視して、アパートに戻った。
ドア上のライトは在室になっていた。ドアは施錠されていた。彼は当然開けられるのだが、敢えてチャイムを鳴らした。
 たっぷり3分経ってから、ダリルがドアを開けた。私服に着替えていて、石鹸の匂いがした。彼は文句を言った。

「自分で開けろよ。」
「早く開けたら困るのは、君じゃないのか?」
「どう言う意味だ?」

 ポールは答えずに中に入った。微かに普段と異なる香りが室内に漂っていた。
彼が寝室のドアに手を掛けた時、バスルームのドアが開いて、ラナ・ゴーンが現れた。

「あら、お帰りなさい。」

 副長官は特に悪びれもせずに挨拶した。彼女は石鹸の香りがしない。ポールはダリルを見た。副長官にモーションを掛けていることは知っていたが、部屋に引っ張り込むなど予想しなかった。しかし、何だか想像していることとは違う様な気がする。

「野暮な質問かも知れませんが、ここで何をなさっているのです? ドーマーのアパートを執政官が訪問するのは滅多にないことですが・・・」
「仕事の話。」

とダリルがリビングの長椅子に座りながら言った。

「極秘事項だ。食堂とか庭園では話せないので、ここへお越し戴いた。」

 ポールは副長官をもう1度見た。ラナ・ゴーンも頷きながらダリルの向かいに座った。

「貴方が出席していた会議と関係があるのかないのか、私にはわかりません。でも、貴方はJJから聞いた可能性があると思いました。彼女が言わなくても、貴方は感じ取れるでしょう?」

 ポールは昨夜JJとデートした時のことを思い出そうと努めた。少女は珍しく彼に余り触れなかった。彼の話を聞くことに専念してくれているとばかり思ったのだが・・・。

「彼女は昨夜は俺に触らせなかったんです。」

と彼は正直に言った。

「機密事項を抱えていると言うことですか?」
「多分、感情と言う形で貴方に伝えると誤解を生むと思ったのでしょう。理路整然とした説明で貴方に理解してもらいたいのです。」

 彼はダリルに尋ねた。

「君は副長官から聞いて、理解したんだな?」
「理解したと思うよ。」

 ダリルは曖昧に答えた。

「納得いかないけど・・・」

 ポールは彼と副長官を見比べた。ここで彼女から説明を聞くか、ダリルの手を触って彼女の説明を間接的に感じ取るか・・・どちらも今は気が進まなかった。 ポールだって、先刻の会議で厄介な役目を局長から仰せつかったところなのだ。

「その極秘事項と言うのは、緊急を要することなのですか?」
「いいえ・・・私達にとっては急を要しますが、貴方達には現在は関係ありません。」
「つまり・・・」

とダリルが口をはさんだ。

「女の子が生まれなくなった原因がわかったってことさ。」
「それで?」
「私達の世代では、遺伝子の修復が間に合わない。次の世代で治して、その次の世代で本当に治ったかどうか判明する。」
「それが極秘なのか?」
「原因がドーマーに知られたら、暴動が起きるかも知れない。」
「君はさっき『納得いかない』と言った・・・」
「うん。聞いていたら腹が立ったから。」
「私もショックだったのよ。ケンウッドもショックだったし、月の会合に出席した人々全員がショックだったわ。」

 ポールはラナ・ゴーンではなくダリルに請うた。

「簡単に説明してくれないか、何が原因だったんだ?」

 ダリルは副長官をチラリと見て、ポールに向き直った。

「マザーコンピュータにプログラミングされていた、クローン製造の為の方程式が間違っていた。」





2016年12月2日金曜日

囮捜査 9

 昼食の後、ポール・レイン・ドーマーはハイネ局長の部屋へ緊急会議の為に向かった。他の班のチーフ達も集合だ。中米班のクロエル・ドーマーは外へ出かける予定を急遽キャンセルしたし、南米班のホセ・ドルスコ・ドーマーに至っては、南米は遠いので1回出かけると1週間は帰らないのだが、2日で切り上げて早朝の飛行機で戻ってきた。
 遺伝子管理局のドーマー達は、一体何事だろうと不安になった。しかし誰も会議の内容を知らなかった。
 ダリルは午後の仕事を片付け、3時過ぎに食堂へ休憩に出かけた。すると珍しくラナ・ゴーン副長官が1人で遅い昼食を取っていた。ランチタイムはとっくに終了していたが、最高幹部の特権で厨房部に取り置きしてもらっていたらしい。
 ダリルは周囲を見回し、パパラッチらしき者がいないか確認してから、カフェイン抜きの珈琲を取って副長官のテーブルに近づいた。

「こんにちは、そこへお邪魔しても宜しいですか?」

 ラナ・ゴーン副長官は皿から目を上げた。ちょっと微笑んで見せた。

「良いわよ。貴方は休憩なの?」
「ええ・・・オフィスの方が片付いたので、ジムへ行く前の休憩です。」
「相棒は一緒じゃないのね。」
「今日は緊急会議です。」

 ラナ・ゴーンには初耳だったらしい。

「遺伝子管理局の緊急会議ですか?」
「そうです。中央研究所には情報が行かなかったんですね?」
「多分、学術的な話題ではないからでしょう。」

 メーカーの摘発や外の世界の現実的な問題にドームは関わらない。コロニーからの内政干渉になるからだ。ドームに報告がないと言うことは、ドーマーにトラブルが発生したと言うのでもないのだ。
 外の問題となると、恐らくFOK関連だろうな、とダリルは推測した。現在、深刻な問題となっているクローン収容所襲撃と殺人事件の話だ、きっと。

「レインは忙しくなるでしょうね。」

とラナ・ゴーンが呟いた。

「JJもこれからマザーコンピュータのプログラム再構築に参加するので、あの2人は当分交際を発展させる暇はなさそうよ。」

 彼女からポールの交際問題に関する発言があったので、ダリルはびっくりした。

「執政官の間でも話題になっているのですか、あの2人の交際が?」
「当然でしょう。ドーム一の美男子と、今注目を集めている遺伝子を見ることが出来る少女の恋愛ですよ。」
「貴方方は彼等を結婚させたいのですか? それとも別れさせたい?」
「貴方はどうなの?」

 どうして誰も彼もが私の意見を聞きたがるのだろう・・・。

 ダリルは少しうんざりした。ちょっと意地悪く言ってみた。

「私が、2人は別れた方が良い、と言ったら、ご満足ですか?」

 ラナ・ゴーンは彼をじっと見て、それから彼を驚かせることを言った。

「レインは、私に貴方とつきあってくれと言ったのよ。」
「え?」
「貴方方は女性が間に割り込んでも平気だって。」

 ポールがそんなことを? 勿論、ダリルもそう思っている。しかしポールとそんな話をしたことはなかった。世間の男性同士のカップル、女性が極端に少ないこの時代では男性同士の恋愛は珍しくなかったが、彼等は第3者が間に入るのを好まない。ダリルとポールも、男が割り込めば気まずくなるはずだが、女性が入って来るとどうなるのかは、実はまだ経験がないのでわからなかった。

「私は、JJがレインのことを大好きだと言うのは知っています。レインも彼女が好きなんです。でも、彼は家族と言うものを知りません。JJは両親と一緒に暮らしていたので、当然知っています。JJが目指しているものが家庭を作ることだったら、レインは応えられないかも知れません。私はそれを心配しています。JJを傷つけたら彼自身も傷ついてしまいます。」
「セイヤーズ」

とラナ・ゴーンが優しく言った。

「貴方が山奥の家で子供を育て始めた時、貴方は家族がどんなものか知っていたの?」