2016年12月4日日曜日

囮捜査 10

 ポール・レイン・ドーマーがチーフ会議を終えてオフィスに行くと、誰もいなかった。重要案件だけが残されていたが、休みの日なので彼は無視して、アパートに戻った。
ドア上のライトは在室になっていた。ドアは施錠されていた。彼は当然開けられるのだが、敢えてチャイムを鳴らした。
 たっぷり3分経ってから、ダリルがドアを開けた。私服に着替えていて、石鹸の匂いがした。彼は文句を言った。

「自分で開けろよ。」
「早く開けたら困るのは、君じゃないのか?」
「どう言う意味だ?」

 ポールは答えずに中に入った。微かに普段と異なる香りが室内に漂っていた。
彼が寝室のドアに手を掛けた時、バスルームのドアが開いて、ラナ・ゴーンが現れた。

「あら、お帰りなさい。」

 副長官は特に悪びれもせずに挨拶した。彼女は石鹸の香りがしない。ポールはダリルを見た。副長官にモーションを掛けていることは知っていたが、部屋に引っ張り込むなど予想しなかった。しかし、何だか想像していることとは違う様な気がする。

「野暮な質問かも知れませんが、ここで何をなさっているのです? ドーマーのアパートを執政官が訪問するのは滅多にないことですが・・・」
「仕事の話。」

とダリルがリビングの長椅子に座りながら言った。

「極秘事項だ。食堂とか庭園では話せないので、ここへお越し戴いた。」

 ポールは副長官をもう1度見た。ラナ・ゴーンも頷きながらダリルの向かいに座った。

「貴方が出席していた会議と関係があるのかないのか、私にはわかりません。でも、貴方はJJから聞いた可能性があると思いました。彼女が言わなくても、貴方は感じ取れるでしょう?」

 ポールは昨夜JJとデートした時のことを思い出そうと努めた。少女は珍しく彼に余り触れなかった。彼の話を聞くことに専念してくれているとばかり思ったのだが・・・。

「彼女は昨夜は俺に触らせなかったんです。」

と彼は正直に言った。

「機密事項を抱えていると言うことですか?」
「多分、感情と言う形で貴方に伝えると誤解を生むと思ったのでしょう。理路整然とした説明で貴方に理解してもらいたいのです。」

 彼はダリルに尋ねた。

「君は副長官から聞いて、理解したんだな?」
「理解したと思うよ。」

 ダリルは曖昧に答えた。

「納得いかないけど・・・」

 ポールは彼と副長官を見比べた。ここで彼女から説明を聞くか、ダリルの手を触って彼女の説明を間接的に感じ取るか・・・どちらも今は気が進まなかった。 ポールだって、先刻の会議で厄介な役目を局長から仰せつかったところなのだ。

「その極秘事項と言うのは、緊急を要することなのですか?」
「いいえ・・・私達にとっては急を要しますが、貴方達には現在は関係ありません。」
「つまり・・・」

とダリルが口をはさんだ。

「女の子が生まれなくなった原因がわかったってことさ。」
「それで?」
「私達の世代では、遺伝子の修復が間に合わない。次の世代で治して、その次の世代で本当に治ったかどうか判明する。」
「それが極秘なのか?」
「原因がドーマーに知られたら、暴動が起きるかも知れない。」
「君はさっき『納得いかない』と言った・・・」
「うん。聞いていたら腹が立ったから。」
「私もショックだったのよ。ケンウッドもショックだったし、月の会合に出席した人々全員がショックだったわ。」

 ポールはラナ・ゴーンではなくダリルに請うた。

「簡単に説明してくれないか、何が原因だったんだ?」

 ダリルは副長官をチラリと見て、ポールに向き直った。

「マザーコンピュータにプログラミングされていた、クローン製造の為の方程式が間違っていた。」