2016年12月29日木曜日

誘拐 15

 翌日、北米南部班第1チームは抗原注射の効力切れ休暇だったが、秘書は出かけないので仕事のはず・・・だったが、ダリル・セイヤーズ・ドーマーは外で仕事をしたのでチーフ・レイン共々朝寝坊した。
 彼が目覚めると、珍しくポールはまだ寝ていた。効力切れ休暇でも以前は早起きしてジョギングに出たりしたのだが、最近は起きられないようだ。そろそろ注射の「飽和」が迫っているようだ、とダリルは心配になった。ケンウッド長官から、ポールに「通過」か「飽和」かどちらかを選択させろと、ダリルは指示を受けていたのだが、忙しくてつい忘れてしまっていた。「通過」は故意に細菌感染させて、風邪や腹痛やその他、外の人間が子供時代から一通り体験する「軽い」病気を経験させ、体を外に慣れさせるのだ。「飽和」は限界まで注射を続け、禁断症状を起こさせることを言う。数日間発熱と意識障害で発狂状態になる。それが治まってから「通過」をさせるのだが、「通過」だけの場合より軽く済む。どちらが好きか、それは体験する人間にしかわからない。
 ダリルは洗顔と着替えを済ませてから、ポールを起こした。朝食に出かけないとランチタイムになってしまう。アパートのキッチンで料理をしても良かったのだが、2日前に出かけたのが夕方で、食材の買い物に行けなかった。昨日はそれをすっかり忘れていたのだ。ヘリコプターを初見で操縦出来る脳も、日常のささいないことは忘れる・・・
 半時間後、2人はアパートを出た。ダリルは食事の後で仕事をするのでスーツ、ポールは1日休みなのでカジュアルな服装だ。食堂の入り口まで来た時、ポールの端末にクラウスから電話が入った。用件は、パトリック・タン・ドーマーの事情聴取が許可されたと言うものだった。タンの容態が安定したと言うことだ。ポールはクラウスと11時に医療区で待ち合わせする約束をした。
 遅い朝食で、邪魔する者はいなかった。班もチームも仲間は誰もいなかった。銘々好みの食べ物を取って、小さなテーブルで向かい合って食べた。
 ダリルは思い切って「通過」を提案してみた。しかしポールは、時間がかかるのは嫌だ、と言った。

「それじゃ、『飽和』する迄注射を続けると言うのか?」

 ダリルは呆れた。禁断症状はかなり辛いはずだ。好んで体験しようと言う人間など聞いたことがない。ポールが短時間勝負が好きなのだと知っているが、これはちょっと違うだろう?

「この年齢迄注射を続けてきた。今更インフルエンザやら麻疹やらご丁寧に順繰りにやっていく時間なんてないんだ。」

 ポールは食事を手早く済ませると、席を立った。

「このまま医療区へ行ってくる。」

 折角心配してやっているのに、素っ気ない対応をされて腹が立ったダリルは彼の後ろ姿に言った。

「見舞いついでに、『通過』手続きをしてきたらどうなんだ?」
  
 ポールはバイバイと手を振っただけだった。