2016年12月16日金曜日

誘拐 2

 クロエル・ドーマーは倒れていたヒギンズを抱き起こした。ぐったりとしたヒギンズに外傷はなさそうだ。彼の顔にキス寸前まで自身の顔を近づけて呼気の匂いを嗅いでみた。

 ちぇっ、エーテルを吸引させられたか・・・

すぐには目覚めそうにない。後ろにやって来たバックアップの連邦捜査官に彼を託す時、クロエルは念を押した。

「まだこの男はセイヤーズですからね。」

 捜査官は頷いた。戸口で倒れていた男は既に数人に囲まれ、救急車のサイレンが聞こえてきた。
 クロエルの端末に電話が着信した。パトリック・タン・ドーマーからだった。

「チーフ・クロエル、まだチャペルですか?」
「そうだ。」
「西隣の学舎の救急搬入口から南へ3つ目のドアへ来て下さい。」

 タンは興奮していた。

「必ず誰かと一緒に来て下さい。大変な物を見つけました!」
「何だか知らんが、すぐ行く。そこを離れるな。」

 クロエルは暗がりの中で2人の人物が出て行ったドアを開けた。そこは司祭の控え室の様に見えた。床に地下通路へ続く穴が開いており、階段が付いている。穴のそばに、女性が1人倒れていた。彼女もエーテルで気絶していた。

 よく人が倒れている大学だこと・・・

 クロエルは礼拝堂にいる人々に声を掛け、女性を保護するよう命じた。その場の指揮権は連邦捜査局にあるはずだが、クロエルの知ったことではなかった。彼は周囲に有無を言わさず指示を出し続けた。

「この女性の手当をしてやれ。但し、絶対に目を離すな。さっき逃げた2人のうち1人は女性の声だった。恐らく、この女だ。僕等を足止めする為に自ら囮になったんだ。」

 そして階段を下りかけた。連邦捜査官が止めようとしたが、彼は無視した。それどころか、捜査官に「ついて来い」と命令したので、捜査官はムッとした表情を作ったが、後ろから付いてきた。

「何処へ行くんだ?」
「恐らく、隣の学舎でしょ。僕んちの部下が応援を求めて来たんだ。」

 捜査官は背後に合図を送り、更に2名がついてきた。 通路はただ雨の日用の連絡路らしく、すぐ西隣の学舎の廊下に上がる階段があり、出口が開放されたままだった。クロエルは銃を構えたまま外へ出た。廊下は無人で、彼は救急搬入口の表示を探し、そちらへ向かった。
 外で車の扉が閉まる音がして、すぐに車が走り去った。

 逃げられた!

 クロエルはタン・ドーマーが告げたドアをすぐに見つけた。これも開放されたままだったのだ。室内から冷気が流れ出ていた。
 クロエルは中を覗き込んで、ギョッとした。テーブルが数台並んでいて、そのうちの2台に人が横たわっているのが見えたのだ。2人とも全裸の男で、生きているように見えなかった。どちらも若い。少年だろう。
 クロエルは細心の注意を払いながら、静かに室内に足を踏み入れた。タン・ドーマーの姿は見えなかった。台の上の人間に指を触れると、ゾッとする程冷たく、彼は慌てて手を引っ込めた。室内には生きている者はいない、と思った時、背後に捜査官達が現れた。

「局員、これは?!」

彼等もすぐに異常に気が付いた。医学部だからと言って、献体された遺体が無造作に放置されたままになっているはずはない。クロエルは死体を見つめたまま、指示を出した。

「検屍官を呼んでくれ! 検屍が済んだら直ちにDNAで身元確認をする。」
「わかった。」

 その捜査官は仲間に建物の封鎖を命じた。
 クロエルはその間に、この場所を通報してきたパトリック・タン・ドーマーは何処だろうと考えた。端末を出して、タンの端末に電話を掛けてみた。すると驚いたことに、部屋の隅っこから呼び出し音が聞こえた。
 連邦捜査官がそちらへ行き、端末を拾い上げた。

「電話だけ落ちていた。持ち主は?」
「遺伝子管理局の局員のはずだが、見当たらない。」

 クロエルはもの凄く嫌な予感がして、身震いした。敵の狙いは、セイヤーズではなく、別のドーマーだったのか・・・?