2017年12月17日日曜日

退出者 10 - 6

 リュック・ニュカネンは、顔を強張らせて立ち上がった。起立する必要はないのだ。だが彼は立ち上がって、局長に進言した。

「私の友人は、あまりお役に立てないかと思います、局長。」
「何故だ?」
「それは・・・」

 ニュカネンが躊躇った。ハイネは端末を出して、何かの画面を検索した。そして言った。

「アンナスティン・カーネルは妊娠したな?」

 えっ!!!! とニュカネンを除く室内の人間全員がハイネを振り返った。ニュカネン・ドーマーは真っ青になった。だが、何故局長が知っているのかとは尋ねなかった。遺伝子管理局は地球上の女性の健康状態を常に把握することが仕事の一つだ。産科・婦人科の医師は患者の情報を遺伝子管理局に報告する義務がある。患者の情報に関する守秘義務は、女性の妊娠に関する限り、無視されるのだ。アンナスティン・カーネルの主治医は彼女の診察結果を法律に則って支局に報告した。支局は当然ながら本部に報告して、局長のコンピュータにデータが入ったのだ。局長は父親の胎児認知届けが出ていない妊娠報告を受けることになっているからだ。しかも、今回の案件は、女性が未婚であることも問題となっていた。男性からの妻帯許可申請も、男女双方からの婚姻許可申請も出ていない。シングルマザーは法律違反とならないが、父親の存在を明確にする義務が地球人全員に課せられている時代だった。
 ニュカネンは観念した。彼は床に視線を落として告白した。

「私の子供です。間違いありません。」
「胎児認知届けがまだだ。」
「昨夜、彼女から告白されました。今日、支局に行くべきでしたが、出張所の最終チェックがありましたので・・・」
「提出するのは胎児認知届けだけのつもりだったのか?」

 ハイネの質問に、ニュカネンが顔を上げた。リプリー、ケンウッド、クーリッジ、ベイル・ドーマー、それにレイン・ドーマーがリュック・ニュカネン・ドーマーに注目した。
ニュカネン・ドーマーは全身を硬直させた。そして声を固くなった喉から搾り出した。

「私はアンナスティン・カーネルとの結婚を望みます。妻帯許可申請と婚姻許可申請を出します。」

 ハイネ局長は頷いた。そしてリプリー長官を振り返った。

「それで、出張所のセキュリティシステムの設置に、予算はどの程度いただけますかな?」

 いきなり話が元に戻ったので、リプリーは混乱した表情で彼を見返した。

「ええっと、それはつまり?」
「クーリッジ保安課長がベイル・ドーマーと共に出張所に出向かれてセキュリティシステムの設置を見積もりされます。工事の監督はニュカネン・ドーマーが行います。ドームの外でのセキュリティシステムがどの程度のものか、局員達は知っています。ベイルは当然わかっています。市役所の職員の手助けは必要ありません。」
「ああ・・・それなら・・・」

 リプリーはケンウッドを振り返った。予算の検討は長官と副長官で行い、執政官会議で承認を取るだけだ。地球の事情に疎いコロニー人の学者達は、法外な値段でなければほぼ100パーセント承認を出すはずだ。
 リプリーは答えた。

「明日中に返答する。大まかな予想金額は今聞かせてもらえるかな?」

 それにはニュカネンが答えた。

「それは私からお答えします・・・」

2017年12月16日土曜日

退出者 10 - 5

 フレデリック・ベイルは長官執務室中央にある会議用テーブルの上にビルの三次元画像を立ち上げた。見取り図も出して、改装の結果を報告して、次に責任者のリュック・ニュカネン自身に何をどう工夫したのかを語らせた。ニュカネンは緊張していたが、それは最高幹部4名の前で直接語ることからであって、自身の仕事に自信がない訳ではなかった。寧ろ彼は自信があった。何故なら・・・
 ケンウッドが尋ねた。

「君がそのビルを利用するとしたら、こうあれば良いと考えて設計したのかね?」
「そうです。他人がどう感じるか、未熟な私には想像が難しかったので、私自身が使用する場として考えて改装しました。ですから、かなり利己的な部分が多いかと思いますが・・・」
「いやいや、なかなかの物だよ。」

 ケンウッドは同意を求めて他の出席者達を見た。リプリーが言った。

「施設は申し分ないと私は思うが、保安責任者の目から見て、どうかね?」

 クーリッジが画像を眺めながら言った。

「ビルには文句がありません。周辺環境はどうですかな? 」

 ベイルはそれも怠らなく準備していた。ビルの画像の周辺に街の風景が広がって行った。ほうっとリプリーとクーリッジが身を乗り出した。地球の風景を見るのは、コロニー人にとって楽しいものなのだ。ケンウッドは訪問した時の様子を思い出し、暫し懐かしさに浸った。ハイネ局長だけが冷静に眺め、外部環境の説明を求めた。ベイルは説明もニュカネンに任せた。ニュカネンは警察署、消防署、医療施設、店舗等、普段生活するのに必要な民間・官営施設を指して説明した。交通手段も調べ上げており、路線バスや市内のタクシーの営業状況、輸送業者も語った。
 クーリッジが頷いた。

「立派な調査結果だ。ビルのセキュリティシステムの設置に大いに参考となる。」

 彼は長官と局長に向き直った。

「私は現地に行ってセキュリティ設置の計画を立ててみようと思いますが、いかがですかな?」

 ベイルが期待を込めて局長を見た。コロニー人の専門家に依頼したいと思っていたのだ。リプリーが許可を出そうと思った瞬間、ハイネが言った。

「出張所を使用するのは主に現地雇用の職員となりますから、地球人が扱えるレベルのシステムでお願い出来ますか?」

 つまり、ぶっ飛んだ最新システムを設置して地球人の雇用者達を困らせてくれるなと言いたいのだ。クーリッジはちょっと考えた。地球の現行システムはどの程度だろう?

「まさか、濠やら土塁やらを造れと言ってる訳じゃないよな?」

 冗談を交えて尋ねると、ハイネはニコリともせずに応えた。

「ビル周辺に濠を造ろうとすれば、さらなる用地買収が必要ですが、予算は降りますかな?」

 ケンウッドは堪えきれずにプッと吹き出した。離れた位置で座っているレインも声を忍ばせて笑っているのが見えた。笑われてもハイネは表情を変えなかった。彼はいきなり部下に爆弾を投げつけた。

「セント・アイブスの市役所に相談しては如何でしょう? ニュカネン・ドーマー、君の友達が市役所で働いているだろう? 彼女に相談してくれないか?」

 

2017年12月15日金曜日

退出者 10 - 4

 アメリカ・ドーム長官執務室で、ユリアン・リプリー長官、ニコラス・ケンウッド副長官、ダニエル・クーリッジ保安課長、そしてローガン・ハイネ遺伝子管理局長が集まって部下の到着を待っていた。このドーム最高幹部4名が集まるのは久しぶりだった。マザーコンピュータのアクセスコード書き換え以来ではなかろうか。つまりそれ以降、ドームの中は平和だった訳だ。
 待つのが退屈なのだろう、クーリッジが無駄口を叩き始めた。

「この4名が集まってのんびり世間話をするのであれば、いつでも歓迎ですが、コンピュータの書き換えが目的でしたら、もう2度と御免ですな。私は既にここで4回も経験しています。1回目は私自身が着任した時、2回目はハイネ局長が就任された時、3回目はリプリー博士が副長官に就任された時・・・」

 彼はサンテシマ・ルイス・リンが長官に就任したとは言わなかった。

「4回目はこのメンバーで1年半前でしたかな・・・」

 すると目を半ば閉じて居眠りをしていると思えたハイネ局長が呟いた。

「次回はお三方が一度に交代されると手間が省けてよろしいのですが。」

 一瞬、3人のコロニー人達はドキリとして彼を見た。ハイネは眠たいのか、それきり黙して下を向いていた。彼はきっと冗談を言ったのだ、そうに違いない、とコロニー人達はそれぞれ自身の胸に言い聞かせた。冗談でなければ、何か彼の気に障ることを言っただろうか。
 不安に苛まれるコロニー人達の耳に、長官秘書のロッシーニがフレデリック・ベイル・ドーマーと部下達の到着を告げる声が聞こえた。リプリーが入室許可を出し、ロッシーニには帰宅許可を与えた。時刻は午後9時を回っていた。普通の地球人は仕事を終えて寛いでいる時間帯だ。しかしコロニー人は出身地のコロニー時間で活動したがるので、夜でも仕事をしている人が多い。ケンウッドは地球時間を採用していたが、宵っ張りには慣れていた。気の毒に地球人のハイネは昼間の疲れが出て眠いに違いない。
 遺伝子管理局北米南部班チーフ、フレデリック・ベイル・ドーマーが部下のリュック・ニュカネン・ドーマーとポール・レイン・ドーマーを伴って入ってきた。彼はレインを秘書机の位置に置かれている待機用席に残し、ニュカネンを連れてドーム幹部達の前へ進み出た。

「貴重なお時間を割いて頂いて有難うございます。」

とベイルが挨拶した。

「セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンの出張所のハード面での準備が整いましたので、ご報告致します。」

 するとハイネが顔を上げた。眠気が飛んだと言うより、初めから眠ってなどいなかったような、鋭い視線で部下を見て言った。

「始めよ。」


2017年12月14日木曜日

退出者 10 - 3

 2日後、セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンの出張所の改装が完了したとの知らせがリュック・ニュカネン・ドーマーから入った。翌日、遺伝子管理局北米南部班チーフ、フレデリック・ベイル・ドーマーは、局員のポール・レイン・ドーマーとクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーを連れて見極めに出かけた。本来ならニュカネンの直属の上司、第3チームリーダー、トバイアス・ジョンソン・ドーマーを同伴すべきなのだが、交通手段を静音へりにしたので、万が一の事故に備えて幹部を置いて行ったのだ。静音へりの操縦士は、これが単独初飛行のワグナーだったから。それにレインとワグナーはニュカネンの部屋兄弟で、彼のことを一番良く知っていた。
 出張所のビルの屋上には、ちゃんとヘリポートが設えてあった。ワグナーは上手に着陸して、ベイルから褒められた。屋上への出口のそばにニュカネンが立って一行を出迎えた。誇らしげな彼の案内で、3人はビル内を見学して廻った。ニュカネンが本部に提出した間取り図そのままに綺麗に改装されたビル内は新築の様だった。どの部屋も使いやすいように仕切られ、開放され、用途目的にピタリと合っていた。

「なかなか良く出来た出張所じゃないか。」

とベイルが呟くと、レインが相槌を打った。

「そうですね、働き易い構造です。かなり生真面目な間取りですけど。」
「生真面目な間取りかね? 確かに遊びの感覚はないな。」

 すると堅物ニュカネンが真面目な顔で、仕事の場ですから、と言い、一行は吹き出した。
 一通り建物内を見学すると、ベイルは周辺環境もチェックした、治安が悪い場所では出張所そのものが危険に曝される。周辺は静かなオフィス街で、小さなホテルやコンビニエンスストアや、クリニックが中小の事業所に混ざって存在していた。大きな研究施設は数ブロック先だが、決して遠くはない。警察署も車で5分とかからない距離だった。
 ベイルは満足そうに頷くと、ニュカネンを振り返った。

「完璧だな、リュック。」
「有難うございます。」
「局長も長官も満足されるだろう。では、ドームに帰って報告書をまとめるとしようか。半時間後にヘリに乗るぞ。ニュカネン、君も一緒に引き揚げろ。」
「えっ!」

 ニュカネンが衝撃を受けるのをベイルもレインも感じた。ワグナーは心配そうな表情で先輩達を見た。ベイルはここからいきなりドーム帰投を命じたのだ。ニュカネンは仮住まいを持っている。家財も少しはあるだろうし、家賃だって払わなければならないし、その上、同居人がいるのではないか・・・。
 しかしベイルはニュカネンに何も言わせない雰囲気で、くるりと背を向け、出張所に戻る道を歩き始めた。
 レインは同僚を見た。ニュカネンはグッと唇を噛み締め、やがてノロノロと歩き始めた。その背を見たレインは心の中で問いかけた。

 お前は黙って帰るつもりなのか? 彼女は何も知らないんだぞ!

 ワグナーは何か言いたそうにレインを見たが、レインが何も言わないので、ヘリコプターの準備をするために駆け足で出張所に向かった。当然上司を途中で追い抜いた。

「ヘリの準備がありますので、失礼します!」

 ベイルは軽く頷いた。そして班チーフは思った。半時間の猶予を与えたのに、何故あの唐変木は女に連絡を取らないのだ?



2017年12月13日水曜日

退出者 10 - 2

 ケンウッドは時間を無駄にしたくなかった。もたもたしているとレインのファンクラブに見つかる恐れがあった。

「話を聞こう。君の部屋兄弟に何かあったのかね?」

 促すと、レインは意を決した。

「そうです。リュック・ニュカネンは外の恋人との結婚を望んでいます。」
「彼女も同じなのか?」
「2日前、俺はクラウスとセント・アイブスに行きました。ニュカネンがあそこで出張所の設置準備をするために滞在していることはご存知ですよね? 俺は彼がクラウスを不動産屋に案内している間に市役所に行き、彼の相手の女性に会いました。勿論、彼女は俺が恋人の同僚だと知っています。俺は彼の所在を知らないふりをして、彼女に彼の現住所を尋ねました。その時、うっかり彼女の手に触れてしまいました。」

 うっかりではなく、確信犯なのだ。レインは彼女の心を読んだ。

「彼女はニュカネンが任務を終えて街を出て行くのではないかと恐れています。」

 そして彼は付け加えた。

「彼等は現在一緒に住んでいるのです。」

 書類を繰るふりをしていたケンウッドは手を止めた。男女が一緒に住むと言うことは、つまり・・・

「彼等は結婚まで待てなかったのか?」
「ええ・・・妻帯許可もまだもらっていません。」

 地球人の妻帯許可証を発行するのは遺伝子管理局の局員、それも班チーフの仕事だが、ドーマーの妻帯許可を出すのは遺伝子管理局長だ。
 規則を守ることが生き甲斐の様な堅物リュック・ニュカネンが、ドームの規則を破った。

 そこまでして、彼女のそばに居たいのか、ニュカネン・・・?

 ケンウッドはレインを見た。薄い水色の瞳で、普段は感情を浮かべない氷の様に冷たい目をしている男だが、ケンウッドと相対する時は甘えているのだろう、ちょっと潤んで見えた。ケンウッドは彼に尋ねた。

「君はどうしたいのだ? ニュカネンを取り戻したいのか、それともドームから放逐したいのか?」

 レインはケンウッドの目から視線を逸らした。ちょっと間をおいてから答えた。

「俺はこれ以上仲間がいなくなるのは嫌です。ドームから出て行くなんて信じられない。だけど・・・」

 彼はケンウッドに改めて向き直った。

「ニュカネンが恋人から離れたくないと言う気持ちは理解出来るんです・・・」

 恋人に脱走されて、今も必死で探している男の言葉だ。ケンウッドは頷いた。誰かを好きになると云う感情は、他人にとやかく干渉されて止められるものではない。

「レイン、ハイネはニュカネンが恋愛をしていることを知っているよ。」

えっ! と驚きの表情をレインが見せた。ずっと一緒に局長室で仕事をしていたのに、局長はそんな素振りを見せなかったのだ。見せる必要がなかっただけだろうけど。
 ケンウッドは続けた。

「多分、トバイアス・ジョンソンもフレデリック・ベイルも気が付いているさ。上司達はニュカネンがどれだけ本気なのか、本人が打ち明ける迄待っているだけだ。これは周囲が心配するだけでは何も進展がない。ニュカネン本人が行動を起こさなければ意味がないんだよ。だから君が部屋兄弟を心配するのなら、彼に告白するように仕向けてやれないか?」


2017年12月11日月曜日

退出者 10 - 1

 ケンウッドがポール・レイン・ドーマーから連絡を受けたのはカーティス・オコーネル騒動から5日経った頃だった。副長官執務室で書類と格闘していると、端末にレインからメッセージが入った。

ーーご相談したいことがあります。ご都合の良い時間を教えて頂けませんか? 急ぎませんが、深刻です。

 ケンウッドにはピンと来るものがあった。リュック・ニュカネンのことに違いない。セイヤーズを見つけたと言うことであれば、レインは「早急に」と書いてくるはずだ。レインはニュカネンの恋愛を知っている。ニュカネンがどれだけ真剣なのか、彼は観察していたのだ。副長官に相談しなければならない程、ニュカネンの気持ちは後戻り出来ない状態になってしまったのか。
 ケンウッドは残っている仕事量を考えてから、午後8時に図書館のロビーで、と返信した。レインが即答で承知と伝えてきた。
 これはハイネに伝えておくべきだろうか? それともレインの話の内容を吟味してからで良いだろうか。こんな時、パーシバルならどうする? 
 ケンウッドはヤマザキ・ケンタロウにメールを送った。レインから相談を持ち込まれたので出会う予定だと書いた。ヤマザキから数分後に返信が来た。

ーーニュカネンの件かね?
ーー多分。まだ内容は不明。後報を待て。

 仕事を可能な限り手早く片付け、なんとか約束の時間に間に合う様に簡単な夕食を摂った。食堂ではヤマザキにもハイネにも出会わなかった。
 夜の図書館は存外混んでいる。昼間働いているドーマー達が静かにくつろげるのが図書館周辺だからだ。
 ケンウッドは館内に入り、ロビーに点在する椅子の一つに座った。低いテーブルの上に持参した書類を置いて仕事をしているフリをしていると、レインがやって来た。いつもスーツ姿しか見たことがなかったが、その夜は私服姿だった。それに野球帽を目深に被っていた。ドームはスペースが限られているので、野球をすることが出来ない。しかしドーマー達はテレビでプロの試合を見るのが好きで、売店では帽子やロゴTシャツなどを購入出来る。レインが帽子を被っているのは、特にどこかのファンだからと言う理由ではなく、ファンクラブから隠れる為だろう。
 彼は断りもなくケンウッドの向かいの席に座った。

「こんばんは。お時間を割いて頂いて有難うございます。」
「かまわんよ。君達の相談を受けるのも私の仕事のうちだからね。」

 ケンウッドに言われて、レインは少し躊躇った。仕事と言うからには、副長官はこの面談を報告書にするのだろうか?

2017年12月10日日曜日

退出者 9 - 8

 リプリー長官は結局メイ・カーティスとジェームズ・オコーネル両研究員に1週間の休職期間を与えた。彼等は地球外に出て、互の今後の身の振り方を決め、1週間後に地球人類復活委員会に報告することを命じられた。
 会議が解散して、女性達はメイ・カーティスを守るかの様に取り囲み、議場から出て行った。オコーネルも友人数名と集まって何か相談していたが、やがて出て行った。友人達の1人が輸送班に連絡を取る声が聞こえたので、アパートを引き払う準備をするらしい。
 遺伝子管理局長はクーリッジ保安課長と一緒に議場を出て行こうとしていたので、ケンウッドは辛うじて追いついた。

「君達の時間を潰して申し訳無かった。」

 開口一番、彼はそう言った。ハイネはニコリともしないで副長官を見た。

「男女間の問題を会議に持ち込むのはどうかと思いますがね。」

と彼はドーム幹部の判断を批判した。クーリッジも同感の気配だったので、ケンウッドは今朝の茶番劇の説明をしなければならなかった。

「近頃若い人達の間で職場恋愛の真似事が流行っていると言う報告があってね・・・君の耳に入っていないらしいが、ロッシーニ秘書がそれらの報告をまとめて長官に提出したのが、偶然3日前だったのだ。コロニー人社会だけの問題なので、ロッシーニは遺伝子管理局や維持班総代に報告しなかったのだろう。 キーラ・セドウィック博士とヘンリー・パーシバルの結婚を羨む若者達が多くて・・・」
「しかし、セドウィック博士は勤続30年の実績があったし、丁度5度目の任期終了に合わせて退職したのだ。パーシバル博士はその1年前に退官していた。彼等の結婚は誰にも文句を言わせない状況だった。」

とクーリッジが言った。

「何よりも、ドーマー達が彼等の交際を歓迎していたんだ。若者達の恋愛ごっことは違うんだよ。」
「うん。だから、それを他の若い連中に教えるために、リプリーは会議の場を利用して大袈裟な痴話喧嘩をさせたのだ。ドーマー達は彼等に恋愛を止めろとは言わないが、不愉快に思っているとね。」

 ケンウッドはハイネを見た。

「その証拠に君は怒って見せてくれただろう?」

 クーリッジが驚いたふりをしてハイネを見た。

「あの口調で怒っていたのかね、局長?」
「ええ、激怒しておりました。」

とハイネがケロリとした表情で言った。そして、周囲にそっと目を配ってから囁いた。

「ドーマーはメイ・カーティスが残ることを希望していますがね。」

 その「ドーマー」は単数形だったので、誰のことを指すのか、ケンウッドは考えた。ステイシー・ドーマーなのか、それともハイネ・ドーマーなのか?
 ハイネはそれ以上職場恋愛の問題に言及することはなく、「では日課がありますので」と断って去って行った。
 クーリッジがその後ろ姿が見えなくなってから、ケンウッドを振り返った。

「長官はまだ多くの恋愛問題の報告を抱えている様だが、どうするつもりだろうね?」
「若者達の自粛を期待するしかないでしょう。地球の外で休暇中にデートする程度で我慢してくれれば良いのですがね。」


退出者 9 - 7

 ケンウッドは更に尋ねた。

「オコーネル研究員、君はここを辞める場合、この先の身の振り方をどうされるつもりですか? 任期を中途で辞める場合、病気や怪我以外の理由の時は、委員会に残ることは出来ません。君が今やっている研究を続けるための施設を探さねばならない。」

 ジェームズ・オコーネルは沈黙した。感情に流されるまま、辞意を表明したので、将来の身の振り方をまだ考えていないのだ。
 ケンウッドはメイ・カーティスを見た。カーティスが言った。

「私は申し上げました通り、ここで研究を続けることを希望します。でも、私がしでかした騒ぎが仲間の研究に支障を与えると仰せでしたら、私はここを離れた方が良いのかも知れません。私はここでの仕事が大好きです。でも地球人の復活の足を引っ張ることは出来ません。」

 彼女はオコーネルを振り返った。

「もし私がここを辞することになっても、もう貴方と将来を語ることは無理です。」
「どうしてだ?」

 オコーネルは思わず席から離れようとして、隣席の同僚に引き止められた。カーティスが言い訳した。

「私は同じ目的で働く貴方が好きでした。でも今の貴方は仕事のことは頭にないでしょう? 私にはこの仕事から離れて暮らす生活は考えられません。」
「それじゃ、君はもう僕のことを愛していないのか?」

 メイ・カーティスは目を伏せて暫く黙っていたが、ハイネ局長が再び議場に入ってきた時に顔を上げた。

「ごめんなさい、私は身勝手な人間です。貴方の幸福よりも私自身の心を満足させる方を選びます。」

 オコーネルの顔面が蒼白になった。ケンウッドは危険だなと感じた。その時、ハイネが着席しながらのんびりとした口調で言った。

「ドーマーの班長会議の結果が出ました。」

 リプリー長官が、ほうっと関心を示した。

「ハリー・ステイシー・ドーマーの処分が決まったのかね?」
「はい。5日間観察棟で謹慎です。それからオコーネル研究員に暴力を振るったことを謝罪させます。」
「オコーネル研究員がステイシー・ドーマーを突き飛ばした件はどうなる?」
「それを考慮に入れた上での処分ですから、ステイシーも納得して受け入れました。」

 ハイネはオコーネル研究員を振り返った。

「貴方もステイシーに謝罪してくれますね?」
「僕が彼に?」

 オコーネルは思わずドーマーを睨みつけたが、相手の青みがかった薄い灰色の目に見つめ返された。ローガン・ハイネを怒らせることはご法度だ、そうコロニー人の間で暗黙の了解があった。生まれる前からリーダーとなると決められて誕生したこの年老いたドーマーは、確かにカリスマ性がある。ドーマー達は彼の指示には絶対に従う。ハイネがコロニー人に逆らえば、他のドーマー達も皆逆らう。ほぼ無条件に・・・。
 だから、ハイネを怒らせる人間は、コロニー人の間で危険視される。ドーム内のコロニー人全員を危険に曝しかねないからだ。
 それにハイネは今でも月の地球人類復活委員会本部で根強い人気がある。執行部のお偉いさん達は彼を実際に育てた世代の最後の生き残りだ。彼等の可愛いドーマーが何かを気に入らないと言えば、排除してやろうと言う世代だ。執行部に睨まれたら、太陽系コロニー社会で遺伝子研究は出来ない。
 オコーネルは言い訳を考えた。

「僕が彼を突き飛ばしたのは、彼が・・・」
「理由は問題ではありません。貴方が彼を突き飛ばしたことは事実です。その行為を謝罪して下さい、と申し上げています。ステイシー・ドーマーも貴方を殴打したことのみ謝罪しますから。」

 そして遺伝子管理局長は言い添えた。

「皆さん、忙しいのです。私も忙しい。貴方のプライドや個人的事情で大勢の人の貴重な時間を無駄に費やさないでいただきたい。彼女が貴方と一緒になれないと言うのなら、諦めなさい。これ以上追いかけても無駄です。女性は一度『嫌だ』と感じたら、後は理屈抜きで嫌なのです。貴方のことを好いていても、嫌だと感じるし、貴方が追いかければ憎悪さえ抱く。それが女性です。だから、貴方はもう彼女のことを忘れて、貴方の世界を求めるべきです。
 さぁ、早くこのくだらない会議を終わらせてくれませんか?」

 ハイネが怒っている、とケンウッドは感じた。口調は穏やかだし、目に敵意を浮かべもしない。しかしローガン・ハイネ・ドーマーはドームの学者達の研究が1人の男と1人の女の揉め事で中断されていることが我慢出来ないのだ。
 メイ・カーティスが「長官」とリプリーに呼びかけた。

「遺伝子管理局長の仰せの通りです。私は皆さんの貴重な時間を無駄にしたくありません。私を解任して下さい。私達の問題は、地球の外で話し合います。」





2017年12月8日金曜日

退出者 9 - 6

 翌日の執政官会議は普段通り、各セクションの研究進行報告から始まった。地球人の女性誕生の目処はまだ立たない。それでも科学者達は可能性を求めて研究を続けているのだ。
 ただ1人の地球人出席者、遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーはいつも通り居眠りでこの時間をやり過ごした。コロニー人達は彼が目を覚ます様な結果を出さなければならない訳だ。
 研究発表が終わり、前日の喧嘩騒動の当事者であるコロニー人男性と、後から名乗り出たコロニー人女性が別々の入り口から現れた。それぞれ自身の席に着くと、クーリッジ保安課長が立ち上がり、騒動の顛末を語った。そして語り終えると着席した。

「ジェームズ・オコーネル研究員、メイ・カーティス研究員」

とリプリー長官が騒動の当事者2名に呼びかけた。

「我々は裁判官ではないし、君達の将来を決める権限は持っていない。しかし、地球人類復活員会には会則があり、君達は今の職を得る時に、その会則を遵守することを誓ったはずだ。そこで、我々は君達に確かめたい。君達はここに残って研究を続ける意志があるのか、それとも地球を去って君達の幸せを求めるのか、どちらを選択するか、この場合で明確にして欲しい。」

 オコーネルが立ち上がった。

「私はカーティス研究員と結婚したいと思っています。」
「そうすると、地球を去って、研究も断念することになるが?」
「・・・残念ですが・・・」

 するとカーティスが立ち上がった。頰を緊張で強張らせてやや青ざめていたが、しっかりとした口調で行った。

「私は博士になりたくて地球へ来ました。今の仕事が好きですし、辞める意思はありません。」
「メイ!」

 男が声を上げたので、リプリーが睨んだ。オコーネルはトーンを落とした。

「君を愛している・・・」
「ごめんなさい。」

と彼女が呟いた。

「考えましたけれど、やはり私は研究を捨て切れません。貴方は素晴らしい人だわ、ジミー、でも私は貴方についていける自信がありません。研究を捨てて貴方と暮らしても、いつか私は貴方を裏切るかも知れません。」
「地球の外でも研究は出来るじゃないか!」
「でも実際にクローンの赤ちゃんを扱う訳ではないわ。」

 再び男女の喧嘩が始まりそうな気配になったので、リプリーが彼等の会話を遮ろうとした時、遺伝子管理局長が動いた。ハイネが目を開き、自身の端末を出して画面をちらりと見た。そして長官を見て、端末を少し掲げて見せた。連絡を寄越してきた誰かと話をしたいので退席すると意思表示したのだ。リプリーは頷いて承諾を示した。
 ハイネ局長は立ち上がって素早く会議室から出て行った。
 長官は2人の若い男女に注意を戻した。水が入ったのでオコーネルとカーティスは少々気を削がれた様子だった。

「オコーネル研究員」

と呼びかけたのは、ケンウッド副長官だった。

「君はここで研究を続ける意思はないのですか?」
「・・・それは・・・今の仕事は好きです。」
「だが、カーティス研究員と結婚出来るのであれば、辞める、と言うことですね?」
「・・・それは・・・ええ・・・そうです。」
「結婚を諦めてここに残る可能性は考えられませんか?」

 オコーネルは前方の床を見つめた。1分間の沈黙の後、彼は小さな声で囁いた。

「考えられません。」


2017年12月7日木曜日

退出者 9 - 5

 ケンウッドは騒動のその後の展開を語った。

「1時間ほど観察棟で事情聴取していると、女性が1人やって来て、長官に面会を求めた。彼女もクローン製造部の人間だった。」

 するとハイネが推理して言った。

「彼女が騒動の原因なのですね?」
「うん。」

 人生経験豊かなドーマーに要点を先に言われてしまい、ケンウッドは内心がっかりしたが、その素ぶりは見せなかった。

「コロニー人の男とコロニー人の彼女は恋愛していたんだ。君は承知しているはずだが、ドームで勤務するコロニー人は職場恋愛を禁止されている。地球に来る前に結婚しているカップルは問題ないが、地球上での恋愛はご法度だ。男ばかりのドーマー達が自制しているのに示しがつかなくなるからね。」
 「男性同士であれば誰も気にしませんがね。」

とハイネ。女性の絶対数が少ない地球で、しかも住人の9割が男性のドームの中で、女性と恋愛できる男は奇跡の存在だ。

「彼女は恋愛していることを他人に知られるのを恐れた。地球でのキャリアを求めて来ているので、クビにされるのを恐れたんだな。それで彼女は男に任期が終わる迄我慢しようと提案した。しかし男の方は他人に知られても構わないと思ったんだ。ドームに居れば、彼女をいずれ他の男に奪われてしまうのではないかと心配したのだよ。男はいくらでもいるからね。いっそクビになって宇宙に帰った方が自由に彼女と付き合えると思った訳だ。彼は長官に告白しようと言い、彼女は反対した。
 彼女と彼が言い合っているところに、件のドーマーが来た。ドーマーは2人の関係を知っていた。実を言うと彼女とドーマーは同じ部署で働いており、親しい友人同士だったので、恋愛相談も受けていたんだ。言い争っている男女を見て、ドーマーは止めに入った。」
「そして男同士が喧嘩する羽目になったのですね?」
「うん。ドーマーは彼女の意見に賛成だったんだ。彼女のキャリアに傷をつけたくないと思ったのだが、コロニー人の男はドーマーが彼の恋人に横恋慕していると勘違いした。」
「そう言う話でしたら、確かに私には関係ありませんね。ドーマー達にも無関係です。1人の女と2人の男の問題でしょう。」
「君達にはね・・・」

 ケンウッドは冷めてしまった鶏肉のトマト煮込みを口に運んだ。

「明日の執政官会議で、当事者2人のコロニー人をどうするか話し合う予定だ。男の方は喧嘩の仲裁に入ったドーマーを突き飛ばしたのだから、地球人保護法違反に問われる恐れがある。ドーマーはその点では彼を庇っているが・・・」
「ドーマーがコロニー人の男性を殴ったことに対する処罰は、維持班が下すはずですが?」
「うん、コスビー・ドーマーが配下の班長会議で処罰を決めるそうだ。」

 するとハイネが不満気な顔をした。チーズが冷えて硬くなったせいかも知れない。

「班長会議を開くほどの罪でもないでしょう。コスビーとクローン製造部のドーマーの代表が2人で話し合えば済みますよ。」
「私もそう思ったので、長官室でこの騒動を聞かされた時に異見したのだが・・・あっさり無視された。」

 ハイネはケンウッドの顔を見て笑った。

「コスビーは初めて班長会議を開くのです。今回は程度の軽い事件なので練習にもってこいじゃないですか。」


2017年12月6日水曜日

退出者 9 - 4

 遅い夕食を摂りにニコラス・ケンウッドが一般食堂へ行くと、アメリカ・ドーム名物、遺伝子管理局長と司厨長の喧嘩は既に終了していた。若い3人のシェフが月交代で司厨長を務めるのだが、その月の司厨長はチーズ料理が苦手でよく焦がしていた。ハイネ局長は焦げたチーズの味が嫌いではないのだが、見栄えが良くないので文句を言ったのだ。司厨長はそれに口答えをしてしまい、ハイネに絡まれてしまった。

「あの人、絶対に私等を虐めて喜んでいますね。」

 ハイネがテーブルに行ってしまい、入れ替わりにケンウッドが現れたので、司厨長はぼやいた。ケンウッドは、そんなことはないよ、と慰めた。すると司厨長は先代の言葉を教えてくれた。

「先代が与えてくれたアドバイスに、こうあります。
 『ローガン・ハイネがチーズ料理で文句を言ったら、相手にしてやれ。決して無視するな。但し、こちらにミスがない限り、絶対に謝るな。』
 今日もなんとかこの教訓を守れました。」

 ケンウッドは笑って、司厨長に「負けるなよ」と言い残し、局長を追いかけた。
 ハイネはテーブルに着いて焦げたチーズの香りを楽しんでいた。そんな幸福そうな表情をするのなら、司厨長に意地悪しなければ良いのに、とケンウッドは思ったが、これはきっとハイネのストレス解消法なのだろう。その証拠に、食堂を出る時には、彼は必ず厨房に向かって「美味しかったよ」と一言声を掛けて行くのだ。
 向かいに座ったケンウッドに、ハイネが今日は穏やかに終わりそうですね、と言った。ケンウッドは彼がジムで夕方に起きた騒動を知らないことに気がついた。リプリー長官が現場に局長第1秘書が来ていたと言ったので、局長に話が伝わったと思っていたのだ。セルシウス・ドーマーは事件性の低い出来事だったので、局長に報告する価値はないと判断したのだろう。しかし、ドーマー側には意味がなくてもコロニー人社会には問題が生じていた。

「夕方、ジムでちょっとした喧嘩があってね。」

 ハイネはケンウッドの口調がのんびりしたものだったので、食事の手を止めなかった。それで?と先を促すように副長官の目を見ただけだった。ケンウッドは続けた。

「クローン製造部の人間達なのだが、コロニー人とドーマーが喧嘩をした。彼等が揉み合っているのを見た者が保安課に通報した。保安課員が到着した時、コロニー人がドーマーを突き飛ばした。それで激昂したドーマーがコロニー人の顔を拳で殴ったのだ。」
「それはいけませんね。」

 ハイネはあまり興味なさそうだ。もし重要案件だったら既に報告が入っているはずと思ったのだ。

「保安課はドーマーが興奮していたので取り押さえて手錠を掛けた。コロニー人は顔に軽傷を負ったので、一応保護と言う形になったが、事実上は拘束だ。保安課から連絡を受けて、長官とコスビー維持班総代が現場に出向き、内務捜査班の副官も出動した。」
「ドーマーがコロニー人を殴ったからですか?」
「うん・・・当初は地球人とコロニー人の対立だと思われたからだね。しかし目撃者の証言や当事者達の日頃の関係を調べると、そんな深刻な問題ではないとわかった。」
「だが、片方は怪我をしたのですね?」
「軽傷だよ。殴られたが、唇を切っただけで済んだ。長官と総代は双方に喧嘩の原因を尋ねたのだが、どちらも沈黙するか適当なことを言って理由を語らなかった。」


2017年12月5日火曜日

退出者 9 - 3

 ジムに入り、着替えてトレーニングルームに行くと、そこで事件が起きていた。手錠を掛けられた若いドーマーが1人、保安課員2人に挟まれて立っているコロニー人の研究者が1人、そしてリプリー長官とドーム維持班総代ロビン・コスビー・ドーマー、遺伝子管理局内務捜査班チーフ副官が闘技場の入口に立っていた。保安課員に挟まれているコロニー人は顔に殴打された痕跡があり、唇が切れて出血していた。挟まれているのは保護されているためだろうが、セルシウスとレインには逃亡を防ぐために抑えられている様にも見えた。

「何でしょう?」

 レインが不安そうな表情で呟いた。手錠を掛けられるなど滅多にあることではない。ドーマーがコロニー人を殴打したのだと言うことは察せられたが、原因は何だろう?
 セルシウス・ドーマーは維持班総代と長官が話し合っているのを見て、遺伝子管理局は介入すべきでないと判断した。内務捜査班はドームの警察の様な組織だから、そこに居るのだ。局長第1秘書としてセルシウス・ドーマーは事件の経緯だけは抑えておこうと思ったので、近くで野次馬をしているドーマーに声を掛けた。

「何があったのだ?」

 声を掛けられた若いドーマーは、彼が遺伝子管理局長の第1秘書とは気づかなかったが、自身が目撃したことを教えてくれた。

「手錠を掛けられているヤツと保安課員に挟まれて立っているヤツが、揉み合いをしていたんですよ。原因はわかりません。コロニー人が、ドーマーを突き飛ばしたんです。それで激怒したドーマーが相手を殴ってしまって・・・誰かが保安課員に連絡したので、この騒ぎです。」
「地球人とコロニー人故の対立ではないのかね?」

 遺伝子管理局が気にするのはその点だ。目撃者は首を振った。

「そんな深刻な問題とは思えませんね。」

 その時、話し合っていた長官、内務捜査班、維持班総代が散会した。長官と総代がドーマーに話しかけ、長官の指図で保安課員が手錠をドーマーの手首から外した。そしてドーマーとコロニー人を連れてジムから出て行った。
 レインがその後ろ姿を見ていると、いつの間にか内務捜査班副官がそばに来ていた。「やあ」とセルシウスが挨拶すると、相手も「やあ」と返答した。

「君の姿を見て、もう局長のお耳に入ったのかと思ったが、服装から見て、そうじゃないね?」

 セルシウスが苦笑した。秘書の存在イコール局長、と言う図式なのか?

「偶然来合わせただけさ。あれはただの喧嘩だったのか?」
「それが当事者2人共にだんまりで語らないのさ。だから長官が2人を観察棟へ連れて行った。そこで語る気になるまで頭を冷やさせる。」
「重大案件にはならないだろうな?」
「それはないと思う。」

 内務捜査官はちょっと考えてから言った。

「恐らく、彼等は互いに誰かを庇っているんじゃないかな。」



2017年12月3日日曜日

退出者 9 - 2

 セルシウス・ドーマーは立ち上がると、局長に声を掛けた。

「では、レインと私は今日はこれで上がらせて頂きます。」

 局長が顔を上げ、微笑んで応えた。

「うむ、ご苦労様、明日迄ご機嫌よう!」

 ネピア・ドーマーはセルシウスだけに視線を向けて、お疲れ様でした、と言った。後輩には挨拶しないつもりなのか、とレイン・ドーマーは不満を感じたが、「お先に失礼します」と挨拶して第1秘書と共に局長室を後にした。
 通路を歩きながら、レインはセルシウスに訴えた。

「ネピア・ドーマーは俺が気に入らない様ですね。」

 するとセルシウスが苦笑した。

「彼は局長の熱烈なファンなのだ。局長に近づく部下には、片っ端からああ言う態度を取る。そのうち局長からお咎めがあるだろう。秘書は局員全員に平等に接しなければならない。君1人に冷たい訳ではないから、気にするな。」
「全員に平等に冷たい訳ですね?」

 レインも苦笑した。個人的に不愉快な感情を持たれていることを察しているが、それは言わないでおこうと思った。こちらから壁を作ってもろくなことはない。
 本部から出て、彼等は運動施設に向かった。歩きながら、さらにレインは第1秘書に話しかけた。局長室の人々には滅多に会えないので、今の特権を利用して知りたいことを知っておきたかった。

「セイヤーズ捜索に局長の貴重なお時間を割かせていただいて、ご迷惑ではありませんか?」
「何を言うかと思えば・・・」

 セルシウスが彼を振り返った。

「セイヤーズ搜索は正規の仕事だ。進化型1級遺伝子危険値S1の人間を野放しに出来ないからな。それにリスト照合で違法クローン摘発数も増えているだろう? 君がしていることはボランティアではない、局長が認められた正規の任務だ。チームリーダーにも班チーフにも承知させている。君は堂々と局長室に通ってくれば良い。」

 そう言われたレインは、肩の荷が下りた気分だった。
 歩いている彼等を見かけたレインのファンクラブが付いてくるのが見えた。レイン1人ならもっと接近するのだが、セルシウスが一緒なので遠慮しているのだ。だがセルシウスはすぐに彼等の存在に気がついた。君は相変わらず人気者だなぁと言うと、レインがムスッとした表情で囁いた。

「パーシバル博士が作ってくれた当時のファンクラブの人々は良い人達です。俺は好きだし、頼りになります。でも最近のメンバーは駄目ですね。」
「どんな風に駄目なのだ?」
「創設期の人達は、俺と世間話をしたり俺が運動するのを眺めるだけで満足してくれます。それに俺が困っていると思ったら、色々と仕事の便宜を図ってくれます。
 しかし、新しい人達は、それでは満足しないのです。彼等は俺の体に触りたがります。
俺だけじゃない、ドーマー達全員がなんとなく感じています。なんて言うか・・・サンテシマの再来みたいな・・・」

 セルシウス・ドーマーが眉を顰めた。彼もなんとなく同じ印象を抱いていた。用事で中央研究所に行った場合などに、通路ですれ違いざま体をぶつけてくる若い執政官がいる。エレベーターの中で、よろめいて見せてしがみついてくる女性もいる。
 セルシウス・ドーマーは既に60歳を超えている。しかし鍛え上げられた肉体は、重力が弱い宇宙のコロニーで育った執政官達よりも逞しく美しい。

「コロニー人は、地球人の筋肉に憧れているのだよ、レイン・ドーマー。彼等の無礼は不愉快だが、サンテシマの行動とは少し違う。もっとも行き過ぎると同じになるなぁ。
 出来るだけ隙を作らないようにすることだ。無用の争いは避けるように気をつけて行動したまえ。挑発には乗るなよ。」
「承知しました。執政官を怒らせないよう、十分に気をつけます。」




2017年12月2日土曜日

退出者 9 - 1

 ポール・レイン・ドーマーは内勤の日の午後、本来の業務が終わると局長室を訪れる様になった。第1秘書のジェレミー・セルシウス・ドーマーが彼のために机を用意してくれており、彼はそこに座ってコンピュータの中のファイルを覗く。そのファイルは、ローガン・ハイネ・ドーマーが一度チェックした住民登録表と遺伝子プロフィールと、同じ住所地の最新の情報だ。レインの仕事はそれを比較して、新規転入者を探すことだ。局長がチェックして遺伝子履歴のない人間をピックアップする。遺伝子管理局の局員達が現地へ行って、問題の人物の身元を調査する。違法製造のクローンだった場合は逮捕又は保護する。
 チェックすべき住民登録表は膨大な件数で、ハイネはまだ3分の1しかチェック出来ていない。しかし、人間は移動する。ドームの様な狭い社会でも、ドーマーやコロニー人は頻繁にアパートの部屋替えをする。広い外の世界では尚更だ。ハイネがチェックした後の土地に新しい住人がやって来る場合もあるのだ。そしてレインが2度目のチェックを行うわけだ。もし新規住人を見つけたら、彼はセルシウス・ドーマーに報告する。幹部候補生から降格された彼には、遺伝子プロフィールを閲覧する権限がないからだ。悔しいが、悔しがる暇がないほど目を通さなければならない情報が多い。
 レインが手伝う時間は1、2時間だけなのだが、毎回終わると彼はぐったりとしてしまう。外の世界で違法メーカーを追いかけている方がずっと楽だと、若者は思った。そっと局長の執務机を見ると、ハイネは特に苦にすることもなく、天文学的量の資料を1件1件目を通しているのだ。
 セルシウスの机を見ると、第1秘書はそろそろ1日の業務を終えて運動に出かける支度に取り掛かろうとしていた。第2秘書のネピア・ドーマーは中央研究所で拾い集めた情報を報告書にまとめているところだった。レインはネピアが苦手だった。昨年まで内勤局員をしていたネピア・ドーマーは、若い頃は凄腕の局員だったと言う話だ。引退して内勤になってからも上司から指示があれば臨時で外勤務に出ていた。ダリル・セイヤーズ・ドーマーが脱走した当初、ほとんど毎日捜索に当っていた。レインは偶然彼の手に触れてしまい、彼の感情を読み取ってしまった。ネピアはドームに迷惑を掛けたセイヤーズを憎んでいた。そしてセイヤーズを愛しているレインを疎ましく思っていた。
 レインは小さな溜息をついたが、セルシウスに聞かれてしまった。口髭のドーマーが彼を見て、微笑んだ。

「疲れたかね?」
「いえ・・・あ、はい・・・」

 レインは出来るだけ素直になろうと務めた。嘘をついて虚勢を張っても、年長者達は見破ってしまうことを彼は悟っていた。テレパシーではなく、経験からだ。
 彼はそっと局長を見て、セルシウスを振り返った。

「局長は毎日ずっとあんなしんどい仕事をなさっているのですね。」

 セルシウスが苦笑した。

「慣れだよ。」
「俺も毎日申請書や届出書を見ていますが、こんな長時間は耐えられませんよ。」

 セルシウスはまた声を立てずに笑っただけだった。レインは身体を秘書の方に傾けて囁き掛けた。

「局長が入院されていた時、局長業務はどなたがなさっていたのですか?」

 セルシウスは一瞬遠くを見る様な目をした。

「当初は、15代目が来られて代行して下さった。局長が眠り続けて1週間経つと、医療区から長期戦を覚悟する様にと言われたので、15代目はペルラ・ドーマーに業務を教授された。けれど、秘書ではとても毎日はこなせない。秘書の仕事を疎かにする訳にいかないし、局長業務を休むことは絶対に許されない。それでペルラ・ドーマーは15代目の許しを得て、私にも業務を教えて下さった。秘書2人で仕事を分け合ったのだよ。」


退出者 8 - 9

 食堂を出ると、フレデリック・ベイル・ドーマーは食後の運動をすると言って上司等と別れた。ケンウッドとハイネは図書館に向かって歩いた。特に図書館に用事があった訳ではなかったが、図書館のロビーならゆっくり座って会話ができるし、お茶も飲めるのだ。
ハイネはまだデザートの余韻に浸っている様子で、幸福そうな表情でケンウッドの歩調に合わせて足を進めた。ケンウッドは、自身の父親ほども歳が上のこのドーマーが何故か可愛くて仕方がない、と感じる己に気がついた。相手は外観が若く見えるだけで、ドームの中のことは何でも知っているし、コロニー人の心を読み取る能力もある。コロニー人の裏をかいて地球人に優位な方向に物事を運ばせる術も持っている。決して油断してはいけない人物のはずだが、何をしても様になるし、仕草は可愛らしい。そして利己的ではない。ハイネの行動は常にドームの為であり、ドーマー達の為だ。

 この男にはドームが全てなのかも知れない。

 ドームで生まれて一生中で暮らすドーマーはハイネだけではない。ドーマーの8割は一度も外に出ることなく、ドームの中で生涯を終えるのだ。彼等に閉じ込められていると言う意識はない。ドームの中しか知らないから、何も不足を感じないし、外に憧れることもない。勿論視聴が許されている映画やドラマで外の世界の様子を知っているのだが、出てみようと言う気は起こらない様だ。恐らく外気の汚染が恐ろしいからだろうとコロニー人は思う。映像の中の、普通の地球人達の肌は、荒れている。紫外線や放射線で傷つき、早く老化が訪れるので、ドーマーよりも寿命が短い。ドーマーはそれを知っているから、壁の向こうへは行きたがらないのだ。外に仕事を持つ遺伝子管理局や航空班のドーマー達も休日はドームの中でのんびり寛ぐ。外で遊ぼうとは思わないのだ。
 そんなドーマー達のトップにいるハイネは、部屋兄弟や部下達や娘が壁の向こうへ去って行くのをどんな思いで見送ったのだろう。
 図書館は静かだった。個別ブース内で勉強しているドーマーやコロニー人達を眺め、ケンウッドとハイネはロビーの談話コーナーに腰を落ち着けた。
 2人で取り留めのない世間話をして、お茶を飲んだ。常に遺伝子の管理やクローンの成長や新生児の健康状態を気に留めていなければならない彼等にとって、このぼーっとした時間は貴重だった。ケンウッドはヘンリー・パーシバルとキーラ・セドウィックの結婚以来、酒盛りをしていないことを思い出した。ハイネが誘わないので開かれないだけなのだが、実際のところケンウッドもヤマザキもペルラ・ドーマーも、ハイネが娘を嫁がせて気落ちしているのだろう、と気遣って催促しないでいた。だから、ハイネが近々アパートに集まりませんかと提案したので、ホッとした。

「久々に飲むかね?」
「ええ、ずっと皆忙しかったでしょう? ケンタロウも『通過』のドーマー達が退院したと言っていましたから、手が空いたと思いますよ。」
「グレゴリーは来られるのか?」
「今日の昼に買い物に来ていたのを捕まえて、声を掛けておきました。いつでも来られるそうです。」

 ハイネは酒宴を開かなかったのは、仲間が多忙だったせいだ、と言いたげだ。ケンウッドは微笑んで頷いた。
 そこへ、1人の若者が近づいて来た。人目を憚る様に歩いて来たのは、ファンクラブに見つかりたくなかったからだろう。その男は、ポール・レイン・ドーマーだった。

「こんばんは、お邪魔でしょうか?」

 ケンウッドとハイネは同時に振り返った。ケンウッドが優しく言った。

「否、構わないよ。何か用かね?」
「ええ・・・局長に・・・」

 レインは少し躊躇ってから、副長官にも聞いて頂きたくて、と言い添えた。ハイネが頷いて許可を与えた。それで、レインは要望を出した。

「局長がセイヤーズを探す為にお仕事の空き時間に住民登録と遺伝子記録を比較されていると副長官からお聞きしました。俺には権限がありませんが、何かお手伝いさせて下さい。お願いします、セイヤーズを見つけ出すためでしたら、何でもします!」


2017年12月1日金曜日

退出者 8 - 8

 局長秘書達は既にその日の仕事を終えて帰宅していたので、ケンウッドとハイネ、ベイル・ドーマーの3名で中央研究所の食堂へ行った。一般食堂にしなかったのは、そちらが丁度混み合う時間帯だったからだ。ハイネには普段より早めの夕食になるが、彼は気にしなかった。
 ハイネは上司として当然とばかり部下の食事代を支払ったが、ケンウッドの分は払わなかった。副長官は遺伝子管理局長の上司になるので当たり前だが、ケンウッドは妙におかしく思えた。ドーマー達はこう言うところで序列にこだわるのだ。
 食事中は当たり障りのない世間話をした。ベイル・ドーマーはケンウッドが育った火星コロニーの話を聞きたがった。ケンウッドは年に1回しか帰省しない故郷に未練がなかったのだが、ドーマーの好奇心を満たす為に流行のミュージシャンやアート、スポーツの話を聞かせた。政治や教育制度の話をしなかったのは、どこのコロニーでも似たり寄ったりだったからだ。地球の様に広々とした世界ではないので、規則が多い。広大な宇宙に出たはずなのに、結局人間が生存可能な場所は限られているのだ。だから、コロニー人は地球を元の自由で活力の満ち溢れた惑星に戻したいのだ。
 デザートになると、ベイル・ドーマーは話題を仕事の方向へ転換した。但し、特定の部下に関する話題だった。彼はリコッタチーズのプルプルパンケーキを真剣な顔で切り分けている局長に話しかけた。

「リュック・ニュカネンのことですが、局長のお耳に入っているでしょうか、彼が外の女性と交際していると言う噂を?」

 その時、ハイネのパンケーキのてっぺんにあったバターの塊がツルリと滑ってシロップの池の中に落ちた。ケンウッドはハイネが残念そうな顔をするのを見て、危うく吹き出すところだった。塗ってしまえば同じなのに・・・。
 ハイネがベイル・ドーマーを見た。

「市役所の女か?」
「やはりご存知でしたか。」

 ハイネはケンウッドを見た。

「副長官がお怪我をされた時に、お世話をしてくれたそうだな。」

 それでケンウッドは頷いた。

「美人だよ。それに世話見の良い人だ。親切で優しい。」
 
 彼はベイル・ドーマーに尋ねた。会議の時からずっと気になっていたことだ。

「もしや、出張所の準備をニュカネンに全て任せたのは、彼女の存在が関係しているのかな?」
「別に女の為に彼をセント・アイブスに行かせるのではありません。彼なら1人でも新規事業の準備をやってのけると期待しているからです。」
「独り立ちさせる為ではないのかい?」
「それは・・・」

 ベイル・ドーマーは局長の顔を見た。ハイネはまた視線をパンケーキに戻していた。部下の将来の話よりリコッタチーズのプルプルパンケーキに神経を集中させたい様だ。
その態度はベイル・ドーマーの無言の問いかけにちゃんと答えを与えていた。
 ベイル・ドーマーはケンウッドに向き直った。

「ニュカネンから将来の希望が出される迄、我々の方から触れることはしません。」

 つまり遺伝子管理局はニュカネン自身が未来を決めると言う考え方なのだ。ドームの執政官達が反対すればそれまでだが、彼がドームを去りたいと言えば引き止めない。遺伝子管理局が局員に恋愛を禁止することはない。だが・・・

「勿論、仲間が去って行くと考えるのは、辛いですよ。」

 ベイル・ドーマーが本音を呟いた。

「出てしまえば、自由にドームを出入りすることは不可能ですからね。」




 

退出者 8 - 7

 ケンウッドが遺伝子管理局本部の受付でIDを提示して入館パスを受け取ったところにリュック・ニュカネンが駆け込んで来た。慌ただしくIDを提示して走って行ったので、受付のドーマーが呆れて舌打ちした。

「彼は礼儀正しい方なのですがね・・・副長官に挨拶もしないなんて・・・」
「なぁに、同じ会議に出席するはずだ、私は全然気にしないから。」

 ケンウッドは約束の時間の1分前に局長室に入った。既にメンバーは全員揃っていた。4名の班チーフ、北米南部班の5名のチームリーダー、リュック・ニュカネン、そして局長だ。ケンウッドは局長に一番近い席に着いた。対面に末席のニュカネンが座っていた。緊張で硬くなっている。ハイネ局長が室内を見回して頷いた。すると北米南部班チーフ、フレデリック・ベイル・ドーマーが会議開始を宣言した。

「諸君、多忙なところを集まってもらい、感謝します。今日は先日話し合った出張所設置について、進展があったので報告と話し合いの場を持ちたいと思っています。
 なお、夕食前ですから、出来るだけ早く話をまとめるようにと局長から指示が出ておりますので、ご協力下さい。」
 
 一同から笑いが漏れた。ニュカネンは強張った頬をちょっと緩めただけだった。
ベイル・ドーマーが会議テーブルの上に3次元映像を立ち上げた。セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンの立体地図で、その一部が拡大され、1棟のビルがさらに拡大表示された。ニュカネンが出した候補地のプラン3のビルだ。ニュカネンが思わず体を前に乗り出した。

「まず、報告です。うちの第3チームのリュック・ニュカネンが出したプラン3を採用することになりました。予算も認められましたので、早急に購入と改装に取り掛かる計画です。」

 ベイル・ドーマーはニュカネンに視線を向けた。

「ニュカネン・ドーマー、君にはさらに働いてもらおうと思うが、どうだろう? 購入手続きと改装の監督を引き受けてもらえないか? 売り手や改装工事業者と交渉してもらう厄介な仕事だが・・・」

 ニュカネンの顔が紅潮した。

「その様な大役を私に任せていただけるのですか?」
「バックアップをローズタウンの中部支局に頼んでおくが、大半は君の腕に掛かることになる。」

 ニュカネンが立ち上がった。興奮を抑えようと努力しながら、かすれる声を精一杯絞り出して言った。

「光栄です! 喜んで引き受けさせて頂きます。」

 まだ20代の若いリュック・ニュカネンには重い任務ではないか、と言いたげな班チーフもいたが、反対する者はいなかった。ハイネ局長が声を掛けた。

「ニュカネン・ドーマー、君には大いなる期待と信頼が寄せられている。だが困った時は遠慮なく支局なりドームなり巡回する仲間に相談したまえ。決して恥ずかしいことではない。君の力量を試す仕事ではないのだから無理をするなよ。無理をしてしくじる方が余程辛い。」
「はい、肝に命じておきます。」

 ベイルが座れと手で合図したので、ニュカネンはやっと自分が立ち上がっていたことに気がついた。耳まで赤くなって、彼は着席した。
 局長がケンウッドに声を掛けた。

「予算の方はお任せします、副長官。」
「うむ。」

 ケンウッドは出来るだけ威厳を保って頷いた。ドーマーばかりの会議に出たのは、実はこれが初めてだった。出席者の表情を観察するのは面白いのだが、自身がどんな役目を割り当てられるのか、わからなかった。そして、自分はドーム側のオブザーバーとして呼ばれたのだな、と悟り始めていた。
 次にベイルは、出張所の役割を明確に決めておこうと提案した。局長室内はやっと小さな議場の様に賑やかになった。班チーフに加えてチームリーダー達も意見を述べ、討論した。ドーマー達は議論しても、行儀良かった。誰かが発言する時は己の口を閉じて他人の意見に耳を傾ける。執政官会議の様に各自勝手に発言することはなく、相手の意見に異議があれば質問して、答えを吟味して、自身の意見を言うのだ。
 そして局長の希望通り、1時間後に話がまとまった。
 出張所の任務は、設置場所の遺伝子産業の監視、臨検、違反企業に対する業務停止手続き等だ。研究機関があれば、そこも検査に入る。所長は「元ドーマー」で、現地の人間を10名まで雇用できる。また、巡回してくる局員が休憩や宿泊にも利用出来るが、支局のような親切な対応をする必要はない。所長は指揮官であると同時に捜査員でもある役職だし、宿泊目的の施設ではないからだ。そして出張所の統括は遺伝子管理局本部であって支局ではない。班チーフが連絡役を担う。所長は支局長と常時情報交換を行う。
 ベイル・ドーマーは中部支局にこの決定を通知することを自身に課し、会議を閉会した。
 出席者達が退室して行くのを見送りながら、ケンウッドは机の上を片付けているハイネに声を掛けた。

「この後空いているなら、夕食を一緒にどうだい?」

 するとハイネはやはり後片付けをしているベイル・ドーマーを見た。

「彼も一緒で良いですか?」
「うん、構わないよ。」
「ベイル?」

 2人の会話を聞いていたベイル・ドーマーは少し頬を赤くして、光栄です、と答えた。

2017年11月29日水曜日

退出者 8 - 6

 遺伝子管理局と保安課の合同訓練施設には、射撃場がある。ドームは生命を創造する施設なので人殺しの方法を教えたりしない。しかし、外の世界で接触する人間には悪意があると想定して、護身術はみっちり教える。ドームの射撃場は麻痺光線銃の使用と実弾射撃の両方を教える。実際に持たせるのは光線銃の方だが、外の敵が使うのは実弾の銃であることを考慮して、敵の武器がどんな物なのかも教えておくのだ。
 ポール・レイン・ドーマーとリュック・ニュカネン・ドーマーは犬猿の仲だが、同じチームで同じ地位にいるので、一緒に訓練を受ける。当然ながら競争心が半端でなく、2人は互いを敵とする仮想戦闘エリアで模擬弾を使った銃撃戦訓練を行った。コンピューターが作り出す市街地の3次元模型の中で撃ち合うのだ。当たっても痛くないが、服は汚れる。
 1時間後、彼等はヘトヘトになってゴールに入った。彼等の汚れ具合を見て、教官が笑った。

「馬鹿にムキになって撃ち合っていたな。」
「実戦を経験したばかりですからね。」

とレインが生意気にも言い返した。ニュカネンは黙って銃を係に返却しながら壁の成績表をちらりと見上げた。そして徐に呟いた。

「やっぱりルパートを超えられない・・・」

 彼等の10歳先輩の局員で、4年前に高得点を出した者がいた。遺伝子管理局と保安課の若いドーマー達は彼を越えようと何度も挑戦するのだが、未だその上の得点を出した者がいない。
 レインはフンと言ったが、彼はルパートの点数にあと20点まで迫っていた。必ず抜いてやる、と心に決めているのだ。
 教官が励ます目的で言った。

「ルパート・ドーマーも目標があって頑張ったのだ。彼もその目標をまだ抜けないでいる。君等も努力を続ければ、ルパートの上へ行けるぞ。」

 レインが振り返った。

「ルパート・ドーマーより上がいるのですか?」
「ああ。」

と教官がニヤリと笑った。

「57年間破られていない記録がある。破りようがないな、満点だったから。」
「満点?!」

 レインとニュカネンが同時に声を上げた。敵を全部倒して、一発も被弾せず、制限時間内に仮想人質を救出してゴールに入ったと言うことだ。
 レインは教官を見つめた。この教官は51歳だ。大記録が樹立された瞬間を見た訳ではない。生まれていなかったのだから。

「本当に? でもどうして記録表に載っていないのですか?」
「壁に表示していないだけで、記録はちゃんと残っている。本人が7年前にその記録に再挑戦してみたが、満点には届かなかったので、表示を希望しないのだ。」

 ニュカネンが教官が現在形を使ったことに気がついた。

「ちょっと待って下さい、57年前の記録に、本人が7年前に再挑戦したのですか?」
「ああ、50年ぶりにここへ足を運ばれたのだ。」

 レインが呟いた。

「ローガン・ハイネ・ドーマーですか?」
「他にいるかい?」

 教官が教育用チップを出した。

「貸し出し禁止なので、ここのロビーで見るが良い。57年前当時の記録映像だ。我々はこれを見て勉強した。彼は実戦ではないので参考にならないと謙遜しているが、実戦経験者でも彼の動きを見て学んだのだ。良いものは良いと素直に受け入れることが大切だな。」
「拝見します。」

 レインがチップを受け取った時、ニュカネンの端末にメッセージが着信した。彼はそれを見て、レインに断った。

「チーフから局長室に来いと連絡が来た。」
「局長室なら遅れるな、局長は許して下さっても、チーフが許してくれないぞ。」

 レインの脅しに、ニュカネンはチェっと呟いた。1人だけ呼ばれるのは、不安だったのだ。



2017年11月28日火曜日

退出者 8 - 5

 恋愛を許可しない権利は誰にもない、とユリアン・リプリー長官は信じている。しかし、対象がドーマーとなると考え込んでしまった。ドーマーは優秀な遺伝子をキープする目的で親から取り上げ、ドーム内で大切に育てている地球人だ。恋をしたからと言って、あっさり外の世界に戻してやる訳にいかない。それに、遺伝子管理局の局員と維持班の外勤のドーマーだけが外の女性と恋をする特権を持っている様にも見えるのが、気に入らなかった。

「どのぐらいリュック・ニュカネン・ドーマーは真剣なのだね? 外に出た途端に女性と仲違いして別れる可能性もあるだろう?」
「そんなことは、実際に彼を外に出してやらなければわかりませんよ。」

 まだ何も決まったことではないのに、ケンウッドとリプリーは真剣に話し合った。1人の男の人生を決めるのだ。当事者が不在で話し合っても埒が明かないのだが・・・。

「ハイネは承知したのか?」
「貴方次第だと言う意見です。ニュカネンが希望すれば反対しないつもりです。」
「要するに、局長は本人次第、長官次第で、丸投げしてくれた訳だな?」
「それが、ローガン・ハイネのいつものやり方ですよ。彼は他人の人生に口を出したがらない。」

 ドーマーは生まれる前から人生を決められてしまう。ローガン・ハイネ・ドーマーに到っては、職業も地位も誕生前に決まっていたのだ。だからハイネは他人の私生活には口を出したがらない。部下の人生は部下のものだから上司が決める権利はないと彼は思っている。ドーム、即ちコロニー人達がリュック・ニュカネンの人生にどんな形で介入するのか、彼は傍観するだけだ。反対しないが賛成もしない。

 否、彼はドームがニュカネンを出さないと言えば、出せと言うかも知れない。

 ケンウッドはふとそう思った。ハイネは部屋兄弟のダニエル・オライオンが外の世界で暮らそうと提案した時、ついて行こうとした。ドームがオライオン1人を外へ出すと決めた時、オライオンに留まってくれとは言わなかった。オライオンが選んだ道を行かせた。そして彼自身は後を追って脱走を図り、失敗した。

 ハイネは今でも外に出たいのではないのか? だが彼は既に自身の肉体が外の世界の空気に耐えられないことを知っている。だから彼は若者達が出て行くことを引き止めない。

 リプリーが物思いに沈んだケンウッドを眺めて言った。

「ではハイネ局長に伝えてくれないか? 私は局長の判断に任せる、と。」

 ケンウッドが顔を上げて長官を見ると、リプリーはニヤリと笑った。事なかれ主義の彼らしい結論の出し方だった。

「ドーマーの人生はドーマー達に任せる。要は、出張所をどんな人物に任せるか、と言うことじゃなかったかね? 出張所の管理者がドーマーだろうが元ドーマーだろうが、遺伝子管理局の任務を着実にこなせる人間であれば、誰もがハッピーになれると思うが、どうだろう?」



2017年11月27日月曜日

退出者 8 - 4

 昼食後、ケンウッドはハイネを誘って森へ行った。局長の日課は午前中で終わっていたので、ハイネは昼寝をしたそうだったが、少しの間だけ我慢させた。東屋はデートスポットとして人気があるので、既に執政官のカップルが座っていた。それで2人は植え込みの中に設置されたベンチの一つに並んで座った。なんだか美しいドーマーを口説いている様に見られそうだが、仕方がない。腰を下ろして落ち着くと、ケンウッドは思い切って尋ねた。

「ニュカネンはドームを去るつもりではないだろうか?」

 ハイネは少し首を傾げた。

「どうでしょうか・・・彼からまだ希望は出されていませんが。」
「言い出すのを躊躇っているのだよ、きっと。『通過』を受けたのは、出るつもりだったのではないかな。」

 ハイネが小さな溜息をついた。

「局員として大きな戦力になる可能性を秘めた男なのですがね・・・」
「可能性を持つ男だからこそ、出張所を任せられると思えないか?」
「勿論思います。しかし、私はまだ彼を手放したくありません。」
「それは私も同じだよ。私の体の上に覆いかぶさって守ってくれた、大事な恩人だし、危険な世界に彼を1人で放り出したくない。」

 するとハイネが皮肉の笑みを浮かべた。

「危険と仰せですが、ここは地球で、彼も私も地球人です。」
「だが・・・ドーマーは世間知らずだ。我々が大切に育てたいと思うばかりに、君達に世俗の地球人社会のことを敢えて教えて来なかった。現実社会で生きていくには、ドーマー達は幼い子供同然だ、心配だよ。」
「しかし・・・」
 
 ハイネは空を見上げた。

「セイヤーズは恐らく一人で生きていますよ。」
「セイヤーズ・・・か・・・」

 陽気なブロンドの能天気な若者の顔が、ケンウッドの脳裏をかすめた。そしてその思い出を振り払うかの様に彼は首を振った。今はニュカネンの話だ。

「ニュカネンはきっとアンナスティン・カーネルと一緒に暮らしたいのではないかね? 私はそんな気がする。」
「貴方はニュカネンを外へ出せと仰せですか?」

 ケンウッドはきっぱりと言った。

「君から彼に出ろと言う必要はないと思うが、彼の方から希望してきたら、反対しないでやって欲しい。」

 ハイネの目が遠くを見つめた。半世紀も前の自身の恋を思い出しているのだろうか?
 やがて、遺伝子管理局長は呟いた。

「セント・アイブスの出張所の準備全てを彼にさせましょう。上手くやり遂げて見せれば、独立を許します。しかし・・・」

 彼はケンウッドを見た。

「ドーマーが外に出るのを許可するのは、長官ではないですか?」






2017年11月26日日曜日

退出者 8 - 3

 翌日の午後、リュック・ニュカネン・ドーマーが帰還した。彼は無断で現地長逗留したことをチームリーダーに叱られたが、任務の成果については褒められた。トバイアス・ジョンソン・ドーマーは彼に調査結果を報告書にまとめさせ、夕方の班チーフ会議で使用出来るように上司のフレデリック・ベイル・ドーマーに提出した。ベイルがそれを披露すると、他の班チーフ達が興味津々でニュカネンのまとめ方を面白がった。南米班チーフがベイルに勧めた。

「一つに限定しないで、ニュカネンがまとめたそのままの報告書を局長にお見せしたらどうだ? きっと局長も面白がって喜ばれるぞ。」

 果たして、ハイネ局長はその報告書を甚く気に入って、翌日昼前にリプリー長官の部屋で行われる定時の業務確認の際に長官と副長官に披露した。
 ケンウッドもリプリーも三次元映像でまとめられた報告書に魅入った。それは5件の不動産物件の立体見取り図なのだが、ニュカネンはそれらの現在の姿と、出張所として使用する場合のプラン図、その為の改装計画、費用見積もりを比較検討出来るよう、目的別に並べ替えられるようにまとめていた。
 ケンウッドは何度かそのプラン画像を並べ替えてじっくり眺め、やがてハイネに目を向けた。

「これを、ニュカネンが1人でまとめたのかね?」
「そうです。不動産屋を片っ端から当たって比較検討して、物件ごとの一番安いプランをピックアップしたそうです。そのために帰還が遅れてリーダーから叱られたそうですが・・・」

 ハッハッとリプリー長官が珍しく声をたてて笑った。

「『通過』を済ませて体に自信がついたので、試してみたかったのだろう。それにしても、かなりマメな男だな。」
「几帳面なのですよ。真面目で堅苦しいところはありますが、仕事に情熱を注ぐ面は誰にも負けないでしょう。」

 ケンウッドは物件3とある3階建てのビルに着目した。1階に職員たちが普段仕事をする事務所と所長室、応接室があり、2階は広い会議室と支局巡りで立ち寄る本部局員が休憩する部屋、3階は検挙した違反者を警察が来る迄拘留しておく「個室」があった。

「無駄がないね、このプランは。しかし、所長が住む場所はないなぁ。」
「所長は別に住居を確保させるのです。ドームと同じで働く場所と休む場所は離しておくと言うのが、ニュカネンの考えです。」
「それじゃ、まるでニュカネン自身が所長職をやるみたいに聞こえないか?」

と言ってしまってから、ケンウッドはハッとした。リュック・ニュカネンは本当にそのつもりではないだろうか? 彼はハイネの反応を見たが、局長は表情を変えなかった。

「誰が所長になるにしても、ニュカネンのアイデアは、どの班の物件プランよりもユニークで現実味があります。」
「まるで現地の人間の協力があったみたいに見えるね。」

と呑気なコメントを述べたのはリプリーだった。

退出者 8 - 2

 結婚式の翌日、ケンウッドとアイダ・サヤカは地球に戻った。パーシバル一家はもっとゆっくりしていけと言ってくれたのだが、ケンウッドは「私は兎も角、アイダ博士がいなければ地球は滅びます」と言って辞退した。
 ドームに戻ると仕事が山のように待っていて、結婚式の様子を聞きたがる執政官仲間や助手達の相手をしてやる時間がなかった。やっとひと段落つけたのは、3日後だった。
 少し遅い時刻に一般食堂で夕食を摂った。時間を惜しんで中央研究所の食堂でばかり食べていたので、久しぶりにドーマー達の顔を見て、ホッとした。結婚式はどうだったのかと聞かれ、彼はチップを助手に渡した。

「ヴィデオ録画してあるのをもらって来た。図書館で見なさい。ドーマーに地球外の情報を与えては行けないと規則にあるが、これは構わないと地球人類復活委員会に許可をもらってある。家族と言うものが写っているが、君達は映画で十分見て知っているだろうからね。」

 深夜になって、ケンウッドは運動施設の片隅にあるジャグジーに浸かった。温かい湯に浸かってぼーっとしていると、ローガン・ハイネとヤマザキ・ケンタロウが来た。3人の男達は湯煙の向こうのドームの天井を暫く黙って眺めていた。
 やがてハイネが口を開いた。

「あの動画は月で撮影されたのですか?」
「否、火星だよ。」

 ケンウッドは右隣に座っている彼をちらりと見た。

「君もあの動画を見たんだね? キーラは綺麗だったろう?」

 ハイネはただ笑っただけだった。ヤマザキが「僕も生で見たかったなぁ」とぼやいた。彼は「通過」の患者を5名抱えていたので、動けなかったのだ。

「ヘンリーはセドウィック家の人々と仲良くやっていけそうだね。」
「あの男はどこでも上手くやっていけるさ。だが家族持ちになったら、あまり巡回に出なくなるだろうね。」
「それで良いのですよ。」

とハイネが呟いた。

「遠い星に向かって旅に出た者をひたすら待ち続けるなんて、辛いだけですから。」

 ケンウッドは思わず彼を見た。ヤマザキも体を傾けてケンウッドを挟んだ反対側から彼を見た。
 ハイネはシラっとして続けた。

「出張所にする物件探しに出たリュック・ニュカネンが4日経っても戻らないのです。キーラが退官した時、彼は泣いてしまいましてね、レインにからかわれたものですから、ちょっと拗ねていたそうです。発信機は彼がセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンにいると告げていますから、私はそんなに心配しておりませんが、ベイル・ドーマーはカンカンで・・・」
 
 娘の新婚家庭の話から強引に仕事の話にすり替えたハイネに、ヤマザキが呆れた。

「君は情愛の話を出来ないのか、ハイネ?」
「情愛?」
「だから・・・」
「湯に長く浸かり過ぎたようです。」

 ハイネは薄っすらピンク色に染まった体を湯から出した。

「明日は班チーフ会議を開くので、今夜はこれで失礼します。おやすみなさい。」

 さっさと出て行ってしまったので、ヤマザキとケンウッドは顔を見合わせた。

「あまりキーラの話をしない方が良いのかも知れないな。」

とケンウッドが反省した。ヤマザキも首を振った。

「彼女の希望通り子供ができたら、子供がある程度大きくなる迄、居住コロニーから出られないだろうからな。春分祭にも来られない。ハイネをいじめるのは、もうよそう。」




退出者 8 - 1

 ニコラス・ケンウッドはアイダ・サヤカ博士と共に火星コロニーに「里帰り」して、それぞれの親友で元同僚だったヘンリー・パーシバルとキーラ・セドウィックの結婚式に出席した。新郎新婦共に50歳を超えていたし、キーラは地球生活が30年も続いたので、出席者は多くなかった。しかし、それの方が内輪の和やかな式とその後のパーティで盛り上がることが出来た。
 パーシバルの老いた叔父が父親に代わって式を取り仕切り、2人に夫婦の誓いをさせた。パーシバルの兄弟たちはそれぞれ妻子を伴って来て、賑やかだった。
 キーラの方は、母親とそのボーイフレンドである引退した弁護士、そして異父弟とその家族、異父弟の父親も来ていたが、マーサ・セドウィックとは顔を合わせて挨拶をしただけで、異父弟一家と共にいた。
 ケンウッドはマーサを初めて見た。ローガン・ハイネ・ドーマーがかつて愛した女性は、まだ美しかったが、やはり80歳を過ぎた年配の女性に過ぎなかった。娘のキーラが50歳を過ぎているのに30代に見えるのは、父親の遺伝子に関係していると見て間違いないだろう。キーラはやはり進化型1級遺伝子を持っている。
 ケンウッドの危惧を察したのだろう、アイダ・サヤカが囁いた。

「大丈夫、キーラは子供ができたら歳をとりますよ。美容に集中する時間がなくなりますもの。」

 女性とはそう言うものなのか? と独身のケンウッドは驚いた。
 ケンウッドとて、全くモテなかった訳ではない。若い頃は数人の女性とデートしたり、結婚に悩んだこともあるのだ。しかし、彼は研究の方を選んでしまった。どうしても相手の女性の肌の状態が気になって、愛想をつかされたのだ。
 ケンウッドが1人でビュッフェの料理を選んでいるところへ、マーサが近づいて来た。
彼女は笑顔で今日は、と挨拶して、出席の感謝を述べてから、小声で囁いた。

「あの方に伝言をお願い出来ますか?」

 「あの方」がローガン・ハイネ・ドーマーのことだとすぐにわかった。なんでしょう?とケンウッドは少しだけ警戒しながら彼女の言葉を待った。
 マーサが微笑んだ。

「一言、有難う、と伝えて下さいませ。娘を長い間守って戴いて有難う、私を許して下さって有難う、それだけです。」

 そして彼女はオレンジを皿に取って現在のボーイフレンドの所へ戻って行った。
 ケンウッドは肩の力を抜いて、新米夫婦を振り返った。キーラの異父弟の家族とパーシバルが仲良くふざけ合っていた。キーラは義理の妹と談笑していた。アイダ・サヤカも一緒だ。
 
 地球でもこんな風景がどこででも見られれば良いのだがな・・・

 

2017年11月24日金曜日

退出者 7 - 8

 翌日の執政官会議での退官式で、キーラ・セドウィック博士は正式に退官した。
送別会に出なかった執政官や研究者達に見送られ、建物から出ると、道路の両側にドーマー達が並んでいた。

ーーキーラ博士、僕等を選んでくれて有難う!

 横断幕に書かれた文字に、キーラは思わず立ち止まった。30才未満の若いドーマー達の多くが、彼女に選ばれ、誕生時に取り上げられたのだ。彼女は彼等が養育棟に居た頃はよく成長の様子を見に行った。一緒に遊んでやって、勉強を見てやることもあった。彼等は彼女の大事な可愛い子供達だ。それでも彼女の胸の奥では罪の意識が存在していた。実の親から盗まれて、彼等は恨んでいないだろうか、と。しかし、今、ドーマー達は涙を浮かべ、彼女に駆け寄り、別れを惜しんでいた。キーラ博士は若いドーマー達にとって母親なのだった。
 キーラが初めて涙をこぼした。泣くまいと思っていたのに、勝手に涙が出てきた。すぐ横にいたアイダ・サヤカ博士がハンカチを出そうとした時、それよりも早くキーラの眼の前に真っ白なハンカチを出した人がいた。キーラが振り向くと、ローガン・ハイネがいた。彼はいつも彼女に見せる無愛想な顔で頷いて見せた。彼女は素直にハンカチを受け取って目尻を押さえた。
 ハイネが腕を差し出した。

「回廊の入口まで。」

 キーラはアイダ博士を振り返った。笑顔で親友に告げた。

「ここからは、ドーマー達と行くわ。貴女はお仕事に戻って下さる? 新しい赤ちゃん達が貴女を待っているわ。」

 アイダ・サヤカは素直に頷き、キーラを抱き締めてから、彼女をハイネの方へ押した。そして回れ右すると執政官達が集まって見送っている場所へ合流するために歩き去った。
 キーラがハイネの腕につかまった。

「東の回廊ね。朝日が綺麗よ、きっと。」

 キーラとハイネが歩き出すと、ドーマー達が付いてきた。次々と話し掛けてくる。彼女は一人一人に返事をした。自らの手で取り上げた子供は全員名前も顔も覚えている。そうでない子供も養育棟で接してそれぞれの個性を覚えている。キーラの手の中のハンカチはしっとりと湿ってきた。ドーマー達の愛情と、ハイネの腕の逞しさが彼女にじっくりと伝わった。
 森のそばの東の回廊の入口に着いた。ハイネが立ち止ったので、ドーマー達も立ち止った。

「私はここまでだ。」

 ハイネは空いている手で彼女の手を腕から外した。

「ヘンリーは良い男だ。だから君も良い女でいなさい。きっと2人で仲良くこれからの人生を歩いていけるはずだ。」
「有難う、局長。」

 キーラ・セドウィックは努めて冷静に言ったつもりだったが、また涙が溢れそうになった。その瞬間、ハイネに抱き締められた。

「元気でな、キーラ・セドウィック博士。」

 彼が小さな小さな声で囁いた。

「元気でな・・・私のキーラ・・・マーサによろしく。」
「パパ・・・」

 彼女は初めて人前で彼をそう呼んだ。

「ずっと元気でいてね、地球人に女の子が生まれる迄、生きていてちょうだい。」

 2人が体を離すと、すぐにエイブラハム・ワッツがそばに来て、腕を差し出した。

「次は私がエスコートしましょう、博士。回廊の途中まで・・・」

 キーラは素直に彼の腕につかまり、空いている手でハイネに手を振った。そして歩き出した。ハイネはドーマー達が彼等に付いて行くのを見送り、その姿が回廊の中に消えて行くと、くるりと向きを変え、日課を片付ける為に遺伝子管理局本部に向かった。
 キーラは回廊の中で15人の老若問わずのドーマー達に交代でエスコートされ、やがて送迎フロアに出ると、そこでケンウッドとヤマザキに付き添われて彼女を待っていたヘンリー・パーシバルと合流した。
 彼女は3人の男達に行った。

「ローガン・ハイネはマーサ・セドウィックを許してくれましたわ。」

2017年11月23日木曜日

退出者 7 - 8

 午後8時、中央研究所の食堂でキーラ・セドウィック博士の送別会が開かれた。参加者はあらかじめ出産管理区スタッフとドーム幹部のみと限定されていたので、1年前のパーシバル博士の送別会とは違って、ささやかではあるが身内だけの気安さがある宴となった。キーラは出席者一人一人に挨拶をして廻ったが、そのうちに友人で出産管理区副区長のアイダ・サヤカ博士に引っ張られて中座した。それで参加者の相手は、婚約者のヘンリー・パーシバルの役目になった。

「主役が姿を消すなんて、客に失礼じゃないか?」

とパーシバルは言ったが、怒っているのではなかった。女性には女性の都合があるのだろう、と思ったのだ。彼自身の送別会の時は、出産管理区のスタッフはキーラも含めて難産の妊婦の世話で出席出来なかったのだ。それに比べれば、数10分の中座など可愛いものだ、と彼は思った。
 ドーム幹部の中には勿論ドーマー達もいて、ハイネやワッツ達長老級のドーマーの偉いさん達が長官と話をしたりしていたが、そのうち彼等は食堂の隅に集まった。何やらゴソゴソと動き回り、やがて彼等はギターやらサックスやらドラムを出してセッティングした。
 
「あれ? 解散したはずのザ・クレスツじゃないか?」

 パーシバルはちょっと驚いてそばにいる親友のケンウッドを振り返った。そしてもう1人の親友の姿が見えないことに気がついた。

「ニコ、ケンタロウは何処へ行ったんだ?」
「さて・・・何処かなぁ?」

 その時、ザ・クレスツが演奏を始めた。エルッキ・メラルティン作曲の「ウェディングマーチ」だ。
(註・エルッキ・メラルティン 1875–1937 フィンランド)
 女性達が入口を見て声を上げた。

「来たわ!」

 男達がそちらを向くと、白いパンツドレスを着たキーラ・セドウィックがヤマザキ・ケンタロウに導かれて食堂に入って来るところだった。白いベールを被って、手には白い花のブーケを持っていた。2人の後ろからアイダ博士がついて来る。キーラとヤマザキはドーマー達が演奏するウェディングマーチに歩調を合わせてパーシバルの前までやって来た。
 びっくりしているパーシバルに、横にいたケンウッドがビロードの小箱を渡した。

「指輪だよ、ヘンリー。ワッツが作ってくれたんだ。」

 ベールの内側でキーラが頰を赤く染めて言い訳した。

「いきなりドレスを着せられて、こんな格好で・・・」
「父親でなくてごめんな。」

とヤマザキが苦笑しながら言った。

「あの御仁がどうしても承知しなくてさ・・・」

 彼が顎で指した方向では、白い髪のギターリストが演奏に精をだしていた。
そう言えば、今夜のザ・クレスツは全員素顔だった。髪も鶏冠ではなく普段のスタイルのままで、顔も白塗りではなく素のままだ。衣装だけが白いスーツだ。

「あれで良いのよ。」

とキーラが言った。

「私は彼にドーマーらしくいてもらいたいの。だって、ここはドーマー達の世界なんですもの。」

退出者 7 - 7

 時間が過ぎて行くが、ケンウッドもパーシバルも気にしなかった。待合室には誰もいないのだ。
 ケンウッドは15代目遺伝子管理局長ランディ・マーカス・ドーマーの逝去を伝えた。パーシバルも会ったことがある。

「皺だらけで目が何処にあるのかわからない程だったが、迫力のある老人だったよなぁ・・・彼の前ではハイネがほんの若造に見えたよ。」

 パーシバルが感慨深げに呟いた。

「これでハイネの行動の謎を解説出来る人がいなくなった訳だ。」
「ハイネは別に謎の人物じゃないよ。」

 ケンウッドは苦笑した。

「彼はストレートにものを言わないだけさ。こっちの反応を眺めて伝わったと思えば話を先に進めるし、伝わらないと思ったら言葉を変えてきちんと教えてくれる。」
「ニコ、君は僕以上にハイネ研究の専門家になったんだな。」
「私は彼を研究などしていないけどなぁ・・・しかしリプリーもハイネ相手に厄介な話をする時は、必ず私を立ち合わせる。通訳だと思われているのかも知れない。」

 パーシバルが可笑しそうに笑った。リプリー長官はあまり人付合いが上手くない。ハイネを怒らせたくなくてケンウッドに仲介して欲しいのだろう、と容易に想像出来た。

「ところで・・・」

とパーシバル。

「さっき、君はニュカネンの恋愛を確認に出掛けたと言っていたな? 本当にあの子は女性と付き合っているのかい?」
「本当さ。レインも驚いていたが、素敵な女性だ。親切で彼を真剣に愛している様だ。」
「そうか・・・いや、ニュカネンに限ってとか、そんな否定的な考えで念を押したんじゃないんだ。むしろ、あの子だからこそ真面目に愛して、愛されるんだと思うんだ。あの子はきっと良い家庭を築けるはずだ。」
「だが、そうなると彼はドームを出なければならなくなる。」

 ケンウッドの心の中に引っ掛かるものがあった。

「ニュカネンは『通過』を数日前に済ませたのだ。彼は外気を気にしなくて済む身体になった。」

 彼とパーシバルは互いの目を見つめあった。リュック・ニュカネンの決意は人生を懸けたものだったのか・・・?


2017年11月22日水曜日

退出者 7 - 6

 入って来た患者は、なんとニコラス・ケンウッドだった。

「蕁麻疹でも出たのかい?」
「そんなんじゃないんだ。」

 ケンウッドは右腕を出した。パーシバルは眉をひそめた。

「何だ? この傷は?」
「初めて見るだろう? 射創だ。」
「射創? 実弾で撃たれたのか?」

 パーシバルの表情が強ばった。コロニー人が撃たれるなんて余程のことだ。ケンウッドは苦笑して、負傷したいきさつを語った。
 パーシバルはジェルを取り除いて皮下神経の状態を探査機で測定した。聞き終わると、彼は異常なし、と宣言してから、親友の災難に話を向けた。

「遺伝子管理局が襲われるのは久し振りじゃないか? 近頃は減っていたからなぁ。時々クローン収容時に抗議デモやら投石があるみたいだが・・・」
「犯人は心理的に追い詰められていたそうだ。全財産を失ったんだな。」
「局員達の身の安全を今迄以上に考えないといけないね。」
「しかし、局員に護衛を付ける訳にはいかない。ハイネは局員を必ず2人1組で行動させるようチーフ達に通達したが、自主性重視だからね。 なにはともあれ、レインとニュカネンが無事で良かったのさ。もし2人が怪我でもしたら、私の責任になるからね。」
「だがあの2人は君が怪我をしたので上司から叱られたんじゃないのか?」
「班チーフからは厳重に注意されたそうだよ。だがハイネは彼等が無事だったことを喜んだそうだ。レインもニュカネンもそれに感激していたと言う話だ。」
「部下の扱いが上手いなぁ、ハイネは。ところで・・・」

 パーシバルは先刻コートニー医療区長から聞いた話を確認しようとした。

「さっきサム・コートニーが、最近ハイネに父性が目覚めてキーラに近づく男達を威嚇すると言っていたが?」
「はぁ?」

 ケンウッドはきょとんとした。

「確かにハイネはキーラが退官することを寂しがっているが、男を威嚇するなんて・・・それに彼はまだ父親であることを公表していないよ。ヘンリー、君はコートニーにかつがれたな?」
「僕がかつがれたって?」
「君達が結婚するので、コートニーがからかったのさ。それに鎌を掛けたんだろう? あの2人が親子かも知れないと言う憶測は以前からあったから。」

 パーシバルは新しいジェルをケンウッドの傷に塗った。もう包帯は必要なくて、保護シールを貼るだけだった。ケンウッドがさらに語った。

「ハイネはちゃんと父性を持っているよ。ドーマーだって人間だ。彼等は自身で子育てをしないだけで、幼い者の面倒はよく見ている。ハイネがレインとニュカネンの無事を喜んだのも、上司としてと言うより、部下を息子の様に思っているからだよ。」

 彼はニヤリと笑った。

「実は近頃出産管理区のアイダ博士がハイネに急接近しているんだ。キーラの送別会の打ち合わせと言う口実で、彼を頻繁に呼び出している。ケンが言うには、彼女はハイネに触りたいからだと・・・」
「触りたい?」
「うん・・・」

 危うく送別会のサプライズを漏らしそうになって、ケンウッドは詳細を避けた。

「ハイネは嫌がらずに彼女の相手をしている。キーラが彼に甘えた時の対応と大差ないんだ。だから彼が近頃キーラと過ごす時間を増やしたからと言って怪しむ人間は殆どいない。寧ろ彼は女帝が好きなので退官する前に一緒に過ごしたがっていると考える人の方が多い。」

 パーシバルはホッとした。ハイネに娘を奪う憎い男と思われたくなかった。ケンウッドは話題をまとめた。

「ハイネは君達の結婚を祝福している。ただ、月へ行ってしまうと彼女と会えなくなるので、それだけが彼の不満なのだよ。ドーマーの側から宇宙へ連絡を取れないからね。」
「それなら僕が回診の時に彼女に画像電話で彼と話してもらうよ。」

2017年11月21日火曜日

退出者 7 - 5

「お帰りなさい、パーシバル博士!」

 ゲート消毒班のドーマーが明るい声で挨拶した。「いらっしゃい」ではなく「お帰り」だ。ヘンリー・パーシバルはいつもこの挨拶を聞くと嬉しくなる。自分はまだこのアメリカ・ドームの一員として覚えてもらっているのだな、と思う。
 消毒を終えると彼は荷物を受け取り、医療区へ向かった。すれ違うドーマー達が皆笑顔で挨拶してくれる。途中で出産管理区へ通じるゲートの前を通った。向こうは女性の世界だ。そしてキーラ・セドウィックがいる。彼女は退官ぎりぎり迄仕事をしているのだ。1度彼女が働いている姿を見てみたいが、規則が許さない。
 パーシバルは医療区長の部屋へ挨拶に行った。いつもの回診の習慣だが、今回は少し違った。サム・コートニー医療区長が笑顔で彼をハグした。

「この幸せ者! 遂に我らの女帝をかっさらいに来たか!」
「申し訳ありません、重力さえなければ、ここで愛の巣を設けるのですがね。」

 コートニーが彼の背を手のひらでバンバンと叩いた。

「ローガン・ハイネには気をつけろ。近頃父性が芽生えたみたいで、男がセドウィックに近づくと牙を剥いて威嚇するんだ。」

はははと笑ってから、パーシバルは医師の言葉が持つ意味に気が付いた。彼はコートニーから身を離した。

「父性? ドーマーに父性ですか?」
「そうだ。もう隠しようがないと言うか、みんな気が付いてしまっている。誰の目から見ても、ハイネの振る舞いは娘を守ろうとする父親の行動だ。」
「キーラは?」
「娘だな。地球から追放されても恐くないから、堂々としたものだ。」
「博士、貴方はどう思われるのです? あの2人は親子ですか?」

 コートニーが彼をじっと見つめた。

「君は真実を知っているのだろう? 私は敢えて聞かないが、ハイネは彼女を遺伝子を共有するコロニー人ではなく、我が子として見ているようだ。」
「先月来た時はそうは見えなかった・・・」
「突然目覚めたのかも知れない。」
「しかし、それは拙いですよ。キーラの母親が法律を破ったことを世間に公表する様なものだ。」
「とっくの昔に時効になっているがね。」

 医療区長は時計を見た。

「そろそろ患者が来る頃じゃないか、パーシバル博士。さっさと仕事を終わらせてゆっくり独身最後の夜を楽しみ給え。」

 パーシバルは医療区長の執務室から追い出された。仕方なく神経科の診察室に行った。
ドアを開き、部屋の準備をしている看護師に挨拶して椅子に座った。独身最後の日と言う実感はなかった。結婚してもべったりくっついて生活する訳ではない。彼女は月で産科医の仕事に就く。地球で30年も働いたので、各コロニーの大病院や研究施設から引く手あまただったのだ。彼女はパーシバルが働く地球人類復活委員会本部に近い病院で働くことに決めた。実家がある火星コロニーに帰るつもりはなかった。地球に一番近い天体から地球を見ていたかったのだ。

 

退出者 7 - 4

 月に出張していたリプリー長官が朗報を持って帰って来た。遺伝子管理局の出張所設置が認められたのだ。

「監視と言う役目のみに限定して行う施設と言う承認だ。」
「副業は?」
「遺伝子管理局のイメージを損なわぬ程度に認めるとのことだ。」
「では、ハーブの販売や育児書の出版、養子縁組申請の手引きなどの配布は出来ると言うことですね?」
「うむ。」

 長官と副長官の会話を局長は黙って聞いていた。表情が穏やかなので、喜んでいる、とコロニー人達は判断した。
 ケンウッドはハイネを振り返った。

「出張所の候補地は決まったかね?」
「はい。南米に3箇所、北米に2箇所、現在はこれだけです。必要に応じて増やしたり減らしたりしますが、当分はこの5箇所でお願いします。」
「では、後は管理者の選任か?」
「班チーフに任せています。南米は元ドーマーに通知を出して公募するようです。」
「南米の元ドーマーは何名いるのかね?」
「現在60歳以下が16名です。家族持ちも考えますが、南米では警護の必要性が北米より強くなるので、班チーフは独身者を考えているようです。」
「既に事業を行っている元ドーマーもいると思うが、その場合はどっちが副業になるのかな?」
「監視の仕事がついでの副業で務まるとは、彼等は思っていないはずです。」

 ケンウッドは以前研究用サンプルを採取する為に元ドーマー達と会ったことがある。あの時に集まってくれた元ドーマー達は、ドームから声が掛かったことを喜んでいた。例え皮膚サンプルを採取するだけの検体としての役目だとしても、生まれ故郷のドームが必要としてくれていると思うと感激すると言っていた。ドームは一旦出てしまうと中に戻るのが難しい故郷だ。中に入る理由と保証人が必要だ。南米の元ドーマー達は遠い故郷から重要な役目をもらうことを喜んでくれるだろうか?

「北米の方はどうするのだ?」

とリプリーが尋ねた。
 北米の元ドーマーの多くはドームに近い街に集中している。仕事で外に出て活動するのがドーム周辺の土地だったので、そこで恋愛をしたり別の人生に憧れてドームを卒業して行ったのだ。しかし殆どはドームが世話した職業に就いているので、新たな仕事をする時間的余裕があるだろうか?
 ハイネはちょっと考えた。

「北米北部班は現地採用で元ドーマーを募集するつもりです。西海岸の街ですから、元ドーマーの人数は少ないのですが、班チーフは応募があると自信を持っています。
 北米南部班はまだ方法を考えついた様子はありません。先に出張所にする物件を探しているようです。」
「物件探しかね? 私が月から戻る前から物件を探しているのか?」
「長官が必ず月を説得して下さると班チーフは信じたのです。」

 ハイネは口が巧い。北米南部班のフライングを上手く誤魔化した。
 ケンウッドは砂漠の風を防風林で防いでいた緑豊かな学究都市を思い出した。大きな街ではないのに、その中は奥深く、有象無象の似非科学者から人類の幸福を探求して生命の神秘を解き明かそうとしている学者まで様々な研究に従事する人々がいた。そんな街を相手に1人で監視をする元ドーマーがいてくれるだろうか。

「誰が物件を探しているんだ? 局員が交替で行っているのか?」
「まだ開始して2日ですよ。『通過』経験者に試験的に探させているのです。『通過』したばかりの者は、注射なしで外に出るのに不安を感じるようです。慣れさせる目的も兼ねています。」
「『通過』したばかりの者? ああ・・・」

 ケンウッドは合点した。

「ニュカネンとワグナーか・・・」
「ワグナーはヘリの操縦免許取得の為に訓練を受けています。当分巡回の仕事はお預けです。」
「すると、物件探しはニュカネンか!」

 堅物ニュカネンに出張所に適した物件を見つけられるだろうか? リプリーがニュカネンとは?と尋ねたので、ケンウッドは返答に窮した。何と説明しよう? しかし、ハイネが先に答えてくれた。

「若い局員です。」



2017年11月20日月曜日

退出者 7 - 3

 酒宴の翌朝、ペルラ・ドーマーが目覚めるとコロニー人達は既に居なかった。彼は静かに服を着てバスルームを使った。ボスを起こさないように心がけたつもりだったが、リビングに出ると既にハイネがソファに座っていて順番を待っていた。

「おはようございます。これからジョギングですか?」
「うん。君は向こうに帰るのか?」
「はい、朝食で介護が必要な人が1名いますので。」
「介護役が居るだろう?」
「それが偏屈な人で、他の食事は介護人でも構わないのに、朝食は私でないと駄目なのだそうです。」
「それは苦労だな。」

 ハイネが笑った。ペルラ・ドーマーはボスの笑顔が大好きだった。

「また5日後に来ますよ。パーシバル博士が回診に来られるでしょう?」
「うん。」

 ペルラ・ドーマーはハイネの表情が微妙に翳ったことに気が付いた。彼は思い切って言った。

「姫様はきっとお幸せになりますよ。」
「姫様?」

 ハイネが怪訝な顔で見た。ペルラ・ドーマーは苦笑した。

「申し訳ありません、『黄昏の家』ではセドウィック博士をそうお呼びするのです。こちらでは女帝ですけど、『黄昏の家』の住人は高齢者ばかりですから、女帝も年下です。ですから、姫様、と・・・」
「彼女が聞いたら喜ぶだろう・・・しかし、年下の女性を姫と呼ぶなら、ドームは姫様だらけになるぞ。」
「セドウィック博士の様に徒名にふさわしい人柄の方はなかなか・・・もし私がもう10ばかり若くて彼女がコロニー人ではなく地球人でしたら、私も求婚したでしょう。」
「なんだって?」
「彼女のファンは多ございますよ。ポール・レインの様にファンクラブが出来ても不思議ではありません。ただあの方は・・・」
「クロエルの様にファンを蹴散らすタイプだな。」

 ハイネとペルラは声をたてて笑った。ボスの笑顔が消えぬ間に、ペルラ・ドーマーは挨拶した。

「では、これでお暇します。良い1日を、局長。」
「君にも良い1日を、グレゴリー。」

 ハイネのアパートを出たペルラ・ドーマーはホッと息を吐いた。もう少しで口に出してしまうところだった。セドウィック博士は局長のお嬢様でしょう? と。


2017年11月19日日曜日

退出者 7 - 2

 ウェディングアイルを歩く練習はハイネにとって「無駄」に思える行為だったが、アイダ・サヤカ博士はどうしても彼にそれをさせたがった。彼女はキーラ・セドウィックの代役を自ら買って出て、彼の腕にしがみつき、歩いて見せた。

「絶対にサヤカはハイネに触りたいだけなんだ。」

とヤマザキ・ケンタロウがブツブツ言った。久し振りのハイネのアパートでの酒宴でのことだ。その夜、初めてその酒宴に新メンバーが参加した。ハイネが殆ど強引に連れて来たので、ソファの上で小さくなって座っている彼に、ケンウッドがブランデーを勧めた。

「地球産のまともな酒だから、君の口にも合うさ。」
「有り難うございます。頂きます。」

 グレゴリー・ペルラ・ドーマーは恐る恐るグラスに口を付けた。琥珀色の液体を口の中に流し込み、暫く目を閉じて味わってから呑み込んだ。彼がむせるのではないかと半ば期待していたコロニー人2人は、彼が平気な顔をしているのでがっかりした。
 ハイネはキッチンでチーズやクラッカーやハムなどを皿に並べ、彩りがつまらないと独り言を呟いていた。それで彼は冷蔵庫に入っていた植物をひとつまみ皿の中央に盛りつけて客に出した。
 
「何だ、これ?」
「綺麗だが・・・食べ物なのか、ハイネ?」

 元薬剤師ハイネはヤマザキの言葉に傷ついた様な顔をした。

「食べられないものを冷蔵庫に入れたりしません。」

 ペルラ・ドーマーが苦笑してコロニー人達に教えてやった。

「ホウセンカです。園芸課で栽培していますよ。」
「見たことがないぞ。」
「それは、みなさんに行き渡る程の量を栽培している訳ではありませんので・・・」

 コロニー人達に見つめられて、彼は説明を追加した。

「出産管理区で女性達をリラックスさせる為に食用花を作っているのです。」
「じゃぁ、ハイネが持っているのは、局長の特権か?」
「・・・そんなところです。」

 ペルラ・ドーマーはボスの表情を伺った、ハイネは気が付かないふりをして、自身のグラスに酒を注ぎ入れた。ペルラ・ドーマーが尋ねた。

「私の他に何方がこちらへ招かれるのですか?」
「ドーマーでは君が初めてだ。」
「え?」
「エイブに声を掛けたが、3回誘って3回断られた。酔うと手元が狂うのが嫌なのだそうだ。」
「あの人は大工仕事命ですから・・・」

 ヤマザキが質問した。

「グレゴリー、あちらの家では酒は飲めるのかい?」

 ペルラ・ドーマーは「黄昏の家」の話をこちらの世界でして良いものか、ちょっと迷ってから、打ち明けても良い内容だと判断した。

「終末の家ですから、好きなだけ飲めます。」
「それで君は強いんだ・・・」
「別に私は飲んだくれている訳ではありません。」
「わかってるさ、君の性格なら、規則正しく暮らしているのだろうよ。」
「グレゴリー、ここにも外に漏らしてはいけない秘密があるんだ。」

 ケンウッドの言葉に、ペルラ・ドーマーは室内を見廻した。見たこともない酒瓶がずらりと並んだ棚に取り囲まれている。

「局長がこんなコレクションをお持ちだとは存じませんでした。」
「口外しないでくれよ。ドーマーに飲酒を許したと知られたら、私は副長官を罷免される。」
「勿論です。こんな素晴らしい場所を他人に明かしたりしません。」

 ヤマザキが彼を抱き締めて頬にキスをした。

「良いヤツだなぁ、君は!」

 彼等は仕事の話はせずに、最近の若者の流行やら、火星コロニーで流行っているダンスの話や、テレビで見た地球の企業のCMやら、とりとめのない話をうだうだとして夜を過ごした。ペルラ・ドーマーは泊まるつもりはなかったのだが、結局帰る機会を失い、ハイネに寝室へ引きずり込まれた。1年前迄ヘンリー・パーシバルの定位置だったハイネのベッドではなく、ツインのもう片方の小さいベッドに彼は寝た。


退出者 7 - 1

 どうしてもキーラ・セドウィック博士の退官を見送りたいと言うクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーとリュック・ニュカネン・ドーマーの「通過」が始まった。2人は別々の隣り合った個室に入り、そこで病原菌を軽いものから順番に与えられた。通路からガラス越しに観察出来るので、面会時間になると親しいドーマー仲間が見舞いに来た。ポール・レイン・ドーマーは可愛い弟分を見舞いに毎日時間が許す限り通ってきた。部屋の位置の関係でどうしても犬猿の仲のニュカネンの部屋の前を通らなければならないので、必然的にニュカネンも見舞うことになった。互いにガラス越しにアッカンベーをしたり、挑発的なボディランゲージを見せ合うので、看護師達が面白がって休憩室で話題にした。
 ワグナーの恋人、キャリー・ジンバリスト・ドーマーは医師免許がもうすぐ取れると言うところまでいっていた。本当は勉強に専念したいはずだが、彼氏が心配で通って来るので、ヤマザキは彼女の方を心配して、入院病棟に出入り禁止と言い渡した。

「勉強に専念出来ないのなら、君を観察棟に入れてしまうぞ。」

 2人の直属の上司であるトバイアス・ジョンソン・ドーマーは多忙なので見舞いに来たのは1回だけだった。彼は最初にワグナーを見舞った。体調を尋ねてから、見舞いに来た本題に触れた。

「ベイル・ドーマーから聞いたぞ、パイロット免許を取るつもりらしいな?」
「許可頂ければ・・・」
「君の様なでかい男が飛べるだろうか?」

 ジョンソンの言葉に、頭痛で悩んでいるワグナーは涙目で上司を見た。その生気のない顔を見て、ジョンソンは吹き出した。

「情けない顔をするなよ。君なら直ぐに免許をもらえるさ。山岳地帯での巡回に君が操縦するヘリがあれば大助かりだ。必ず合格しろよ!」
「はい、頑張ります。 ゴホゴホ・・・」

 ガラス越しなのに風邪をうつされそうな気がして、ジョンソン・ドーマーは「お大事に」と言って、隣に移動した。
 リュック・ニュカネンはベッドの上で体を丸めて寝ていた。腹痛が酷いのだ。下痢で水分が体から抜けてしまい、熱が下がらない。ベッド脇には水のボトルが3本置かれていたが2本は既に空っぽだった。
 ジョンソンが「話せるか?」と尋ねると、彼は重い頭を持ち上げて、窓の方を向き、マイクを引き寄せた。

「体調の件でしたら、ヤマザキ先生にお聞き下さい。」
「そんな用事ではない。」

 ニュカネンは衰弱してもリュック・ニュカネンだ、とジョンソンは思った。手続きはきちんとやらないと落ち着かないのだ。こちらもイラッとするので、用件をさっさと済ませることにした。

「『通過』が終わったら、君に特別任務を命じる。これは局長のお考えから始まったもので、班チーフも大乗り気だ。『通過』中の代行をそのまま働かせる間に、特別任務をこなしてもらうから、早く元気になれ。病気を長引かせるなよ。」

 ニュカネンは特別任務の内容を尋ねなかった。質問する気力がないのだ。ただ「了解しました」と答えただけで、ぐったりと枕に頭を戻してしまった。
 ジョンソンは溜息をついた。ニュカネンの特別任務とは、セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンで売りに出ている空き家か空きビルを探すことだ。

 しかし、この男の固い頭で不動産屋と渡り合えるのだろうか?

 ジョンソン・ドーマーは不安を覚えた。

退出者 6 - 8

 翌朝、執政官達は普段通り食堂で朝食を摂った。しかし中央研究所に入るとロッカーで各自の祖先の文化に習って喪の服装に着替え、地下通路を通って「黄昏の家」へ移動して行った。
 その様子を目にしたドーマーの職員や助手達が情報を仲間に拡散した。

 「黄昏の家」から旅立った人がいる

 ドーマー達はそれぞれの職場で「黄昏の家」がある方角に向かって黙祷し、祈った。誰が旅立ったのか、それは問題ではなかった。地球の為に一生を捧げたドーマーが1人、役目を終えて地球の土に還って行ったのだ。それ以上、何があると言うのだろう?

 昼前に、ドームは通常の業務に戻った。リプリー長官もケンウッド副長官も書類仕事に追われ、特にリプリー長官は月の地球人類復活委員会執行部本部にランディ・マーカス・ドーマーの訃報を通知して葬儀が無事に終了した報告を行った。
 ハレンバーグ委員長は、ドーマー達に不幸を教えていないことを何度も確かめた。リプリー長官はドーマーが仲間の死を知ることが何故いけないのか疑問に思いながらも、教えていません、と断言した。
 ロッシーニ・ドーマーは耳が聞こえないふりをした。中央研究所のドーマー達は何も気が付かなかったふりをした。ドームの他の部署のドーマー達も平然と日常業務をこなした。
 ケンウッドは一睡もしていなかったが、アパートに帰って出来るだけ身綺麗にしてから昼食に出た。疲れたので中央研究所の食堂にしたのだが、そこにハイネ局長がやって来た。

「腕の具合はいかがです?」

とハイネが何事もなかったふりをして尋ねた。ケンウッドは彼が15代目逝去を知らないことにホッとして、笑顔を作って見せた。

「今日はもう痛みも和らいで、1人でトレイを持てるんだ。心配してくれて有り難う。」

 ハイネは彼の目元の隈に気が付いたが、言及を避けた。向かい合ってテーブルに着くと、昨夜の会議の話を始めた。
 出張所を開設する案を、ケンウッドは疲れた頭でなんとか理解した。そして治安を守る以外の意味をさらに理解した。

「出張所設置の費用を出せと言うのだね?」
「ドーマーの所持金では絶対に無理ですから。」
「しかし、財務部が何と言うか・・・」
「ですから、中古住宅やビルなどの物件を探せと班チーフに言ってあります。」

 浮き世離れした容姿のローガン・ハイネが中古物件や不動産の話をするのは、なんとも滑稽に思えた。

「出張所の人員は何名置くのかね?」
「1人です。」
「1人?! しかし・・・」
「ドーマー、又は元ドーマーを1人、彼が手足として使う現地の人間を何人雇うかは、予算次第です。安全の為にも被雇用者は10名欲しいですね。」
「その人件費もドームが出すのだな?」
「出張所が副業をしてもよろしいのであれば、少しは節約出来るかと。」
「副業? ドーマーに商売をさせるのか?」
「いけませんか? ドーム内の薬草育成施設で収穫したハーブから薬品や香料を製造しているでしょう? 宇宙に販売しないで地球で販売して下さい。」

 ハイネの口から金儲けの話が出るとは思わなかった。ケンウッドの頭から今朝の葬儀の思い出が吹っ飛んだ。

「ドーム製の薬品や香料はコロニーで高く売れるんだよ。貴重な収入源だ。」
「あれっぽっちの量でドームを養っているとは思えません。」

 ケンウッドはドキリとした。地球人類復活委員会には、もっと高価で売れる収入源があるのだが、それは口が裂けてもドーマーに教えられなかった。

「ドームを養えなくても、出張所経営の足しにはなるはずです。」

 ケンウッドは溜息をついた。

「ハイネ・・・それは執政官会議で執政官達を納得させなければ、私の一存では何も言えないよ。」
「では、そうします。明日執政官会議を開いて下さい。これは必要な案件ですから。」

 決してコロニー人に逆らわないドーマーは、決してコロニー人に「否」とは言わせないのだ。ケンウッドは日付が変わって数分後にランディ・マーカス元第15代遺伝子管理局長に手を握られて告げられたことを思い出した。

「地球をよろしくお願いします。我々を救って下さい。」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは決して無駄な案件を出して来ない。必要だから、地球の将来の為に役に立つから、アイデアを出してきたのだ。
 ケンウッドは頷いた。

「わかった。リプリーにも伝えておく。」



退出者 6 - 7

 会議が終了して、班チーフ達が部屋から出て行った。ハイネが手早く議事録をコンピュータに入力していると、ロッシーニ・ドーマーの咳払いが聞こえた。彼は顔を上げた。

「まだ居たのか?」
「ええ・・・遅刻の言い訳を申し上げたくて・・・」

 ハイネは肩をすくめた。ロッシーニは長官秘書だ。忙しさは局長秘書と肩を並べるだろう。もし遅刻でなく欠席でもハイネは文句を言わないつもりだった。
 彼は最後の文章を締めくくり、署名を入れてファイルを閉じた。コンピュータの電源を落とし、もう1度ロッシーニを見た。

「重要案件か?」
「そう言う訳ではありません・・・」

 ロッシーニは彼にしては珍しく歯切れの悪い言い方をした。少し躊躇ってから、思い切って言った。

「夕刻、グレゴリー・ペルラがリプリー長官を訪ねて来ました。」

 ハイネはロッシーニを見つめ、やがて片手で口元を押さえた。ゆっくりと立ち上がり、たった今迄自身が座っていた椅子を見下ろした。手を下ろして顔を天井へ向けた。

「何時だ?」
「局長・・・」
「15代目は何時逝かれたのだ?」
「私にはわかりません。まだご存命かも知れませんし・・・」
「長官をお呼びになったと言うことか?」
「長官と副長官を呼ばれた様です。他の執政官達はまだ何も知らないと思います。」

 ハイネは小さく首を振り、ロッシーニを振り返った。

「もう遅い時刻だ。君も早く帰って休みなさい。明日長官は業務を休まれるかも知れない。秘書が執務室にいなければ長官はお困りだろう。」

 ロッシーニは素直に席を立ち、出口まで歩いて行った。「お休みなさい」と言う為に振り返ると、局長は再び椅子に座っていた。もしかすると一晩中そこに座っているのではないかと彼は心配になったが、挨拶をしてドアから出て行った。
 彼は本部ロビーまで降りると受付のデスクに着いているドーマーに声を掛けた。

「今から1時間経っても局長がお帰りにならなければ、私に連絡をくれないか?」

 ローガン・ハイネは部下が部屋から出て行って1人になると、コンピュータの電源を入れた。何かをするでもなく、立ち上がった画面をぼんやりと眺めていた。何をしたかったのか、忘れてしまった。何も思い出せなかった。くたびれた時にもたれかかって休める大樹が消えてしまった、そんな感じだった。
 コンピュータがメッセージを受信した信号音が響いた。小さな音量のはずだが、静まりかえった局長室に響き渡った。ハイネはゆっくりと手を動かしてメッセージを開いた。画面に表示された短い文章に、彼はハッと目を見開いた。
 
 泣くなよ、ローガン・ハイネ

 それは、遠い昔、ダニエル・オライオンを追いかけて脱走を試み、失敗した時のことだった。執政官の手で連れ戻され、涙を流した彼に、ランディ・マーカス・ドーマーが掛けた言葉だ。
 ハイネはメッセージが送信された時刻を脳裏に刻み込み、画面に向かって言った。

「承知しました。」

 そしてメッセージを削除すると、コンピュータの電源を落とし、席を立った。出口まで行くと、ドアを開き、室内の照明を落とし、暗い奥にある執務机に向かって一礼してドアを閉じた。


退出者 6 - 6

 遺伝子管理局本部局長室に4名の班チーフが集まった。普段は忙しくて、任地も異なるので滅多に顔を合わせないのだ。だから局長が会議の開始を告げる迄彼等は少しリラックスして互いの近況を伝え合った。遅れて内務捜査班チーフのロッシーニ・ドーマーが入って来たので、彼等はちょっと驚いた。ロッシーニはドーム長官秘書でもあり、本部に顔を出す機会が滅多にない。リプリー長官は彼の「本業」を知らないからだ。それに内務捜査班が班チーフ会議に参加すること自体珍しかった。
 ハイネが執務机の向こうに着席した。班チーフ達は居住まいを正した。

「疲れているところを呼び出して申し訳ない。」

とハイネが切り出した。

「一つ新しいことを始めようと思い、君達の意見を聞かせて欲しいと思っている。」

 彼はコンピュータのキーを叩き、中央の会議用テーブルの上に街の三次元画像を立ち上げた。フレデリック・ベイル・ドーマーは何処の街かすぐわかった。

「セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンですね?」
「うん。」

 ハイネは他の班チーフ達を見た。彼等は任地は遠く離れているが、その街がどんな場所かは承知していた。地球人の遺伝子学者や部分人体製造業者が多く集まっている得体の知れぬ街だ。
 そして彼等は一昨日の事件も知っていた。遺伝子管理局に逆恨みした男が、局員を襲撃して副長官に怪我を負わせたのだ。

「大きな街を見張るのは大仕事だが、この街の様に複雑怪奇な所も厄介だ。メーカーの巣とは言わないが、温床にはなる。月に1度の巡回では足りないと思うが、どうだろう?
ここだけではなく、南米にも3箇所、北米北部にも西海岸に1箇所、怪しげな街があるな? ノヴォ・サント・アンドレ、ヌエヴォ・サン・フアン、カリ、ニュー・カチカン・・・」
「巡回の回数を増やせと仰せですか?」
「否・・・監視専門の出張所を置こうかと思う。」

 班チーフ達が顔を見合わせた。

「監視専門と言うことは、ドーマーを常駐させると言う意味ですか?」
「常駐でも良いが、退出者をそこに住まわせて任に当たらせる方法もある。」

 班チーフ達はそれぞれ考え込んだ。ロッシーニ・ドーマーが尋ねた。

「出張所はどこが管轄になりますか? 支局ですか、各班ですか?」
「君達はどこが良いと思う?」

 逆に話を振られて、チーフ達はまた互いに見合った。
 南米班チーフが手を挙げて、発言した。

「監視と言うことは、何か不審な動きを見つけたら本部に出動要請すると言うことですね? それでしたら、支局に通報して支局が本部に報告する迄時間のロスが生じます。南米の場合、分室を拠点に動いていますから、分室、即ち私の管轄で出張所に働いてもらえれば都合が良いです。本部に居る時も私に直通で連絡するシステムを作って頂くことをお願いします。」
「南米班はもう出張所を置くことを前提に喋っている。」

と北米北部班チーフが呟いた。南米班がそれを聞き逃さず、

「君は反対か?」

と尋ねた。

「北米北部では出張所は必要ないと言うのだったら、置かずに済むだろう? 私の守備範囲は広大だ。出張所は支局とは違って私の目の役割をしてくれるのだから、必要だ。」
「しかし、出張所を置くとして、物資や緊急の援護が必要な場合はどうします?」

と中米班が尋ねた。 中米では島毎に事情が異なるので既に現地の人間に出張所の様な施設を任せているのだが、それは12代目かそれ以前の局長の時から行われているのだった。ハイネが彼に尋ねた。

「君の所では緊急時はどうしているのだ?」
「メキシコかコスタリカの支局からヘリか軽飛行機で応援が飛びます。まぁ、私の所ではメーカーや違反者より妊産婦の救護が殆どですが。」

 それに中米は人口が極端に減少してしまって無人の島が増えている。女性が生まれないから、クローンの女児の配分も減っているのだ。キューバやドミニカ、ジャマイカなどの大きな島に監視所を設けている。

「出張所の管理者は最寄りの支局とも密に連絡を取り合って情報を交換させるのが良いだろう。緊急時はヘリや車の輸送手段の確保を手伝ってもらう援護態勢を整えておくことが先決だ。但し、管轄は班に任せようと思う。出張所の定時報告は班チーフに任せる。」

 ハイネが部下達の意見をまとめてみた。異論はないか、と室内を見廻すと、ロッシーニが何か言いたそうな顔をしていたので、目で発言を促した。
 ロッシーニが言った。

「出張所の管理者は地元の研究施設や企業と顔馴染みになる訳ですな? 癒着の恐れはありませんか?」

 いかにも内務捜査班らしい意見に、班チーフ達が苦笑した。ベイル・ドーマーが言った。

「局員が巡回で月に1回訪問しますよ。抜き打ち訪問もありです。」

 ハイネは時計をチラリと見た。

「では、出張所を置く方向で進めよう。各班、本当に出張所が必要と思える場所をピックアップしてくれないか? 私が先刻挙げた街にこだわることはない。君等が本当に怪しいと思える街を監視するのだ。場所を決めたら、物件を探してくれ。」
「え? 物件・・・ですか?」
「支局と違って、新しい建物は造らない。遺伝子管理局でございますと街に言いふらす必要がないからだ。空き家でも空きビルでもかまわないから、使える物件を見つけておくように。但し、賃貸は駄目だぞ。必ず売り地だ。仕事中に大家が家賃の取り立てにくると困るからな。」

 ハイネの最後の言葉に、班チーフ達がドッと笑った。ロッシーニが別の心配をした。

「ドームが土地購入の予算を認めますかね?」

 ハイネが彼を見つめて言った。

「認めさせるのが、私の仕事だ。」



退出者 6 - 5

 その日の夕刻、ケンウッドが業務を終えて秘書を帰らせた直後に、副長官室に訪問者があった。彼が電話連絡を受けてからものの5分もしないうちにその客はやって来た。

「廊下のそこの角から掛けたのか?」

とケンウッドが笑って言うと、客も苦笑して頷いた。

「お仕事が終わる頃にお伺いして申し訳ありません。」
「構わないさ、君の元気な顔を見られて嬉しいよ、グレゴリー。」

 元遺伝子管理局長付き第1秘書のグレゴリー・ペルラ・ドーマーの頭はボスのハイネに負けないくらい真っ白になっていた。しかし肌はまだ艶があり、皺もそんなに目立たない。引退したドーマーの終の棲家である「黄昏の家」の管理者となって活き活きとして見えた。若いドーマー達は「黄昏の家」に行くことを許されないが、「黄昏の家」の住人は好きな時にドームに出かけて来られる。ペルラ・ドーマーは備品や薬品の調達にやって来るのだが、地下通路の出口が中央研究所の建物内にあるので、どうしてもコロニー人の世界を通ることになるのだ。
 ケンウッドはペルラ・ドーマーは買い物に来たのだろうと見当を付けたので、端末を持って立ち上がった。

「今日は終わるつもりだったので、一緒に店か食堂へ行かないか?」

 店とは、ドーマーやコロニー人が日用品を購入するドームで唯一のコンビニのことだ。するとペルラ・ドーマーはちょっと躊躇った。

「今日は買い物で来たのではありません。副長官にお願いしたいことがありまして・・・」
「お願い?」

 ケンウッドは来客用の椅子をペルラ・ドーマーに勧めて再び席に着いた。
 ペルラ・ドーマーはまた少し躊躇ってから言った。

「15代目がいけません。」
「マーカス・ドーマーが?」

 ケンウッドはドキリとした。第15代遺伝子管理局長だったランディ・マーカス・ドーマーは一月前から寝たきりになっていた。老齢で衰弱してきたのだ。
 マーカス・ドーマーはケンウッドがアメリカ・ドームに着任した時には既に現役を退き、「黄昏の家」に移住していた。ケンウッドが彼に初めて会ったのは副長官に就任した時だ。16代目のハイネより10歳上で、ケンウッドにハイネの生い立ちとも言える若い頃の話を聞かせて、コロニー人が地球人に優越感を抱き創造主の様に振る舞うことがないよう戒めた。ケンウッドの目には、彼の前ではハイネがほんの若造に見えた。それだけ威厳があり迫力のある老人だった。

「危ないのか?」

 胸に重いものが振ってきた様な感覚だ。マーカスの存在はハイネの心の支えでもあるはずだ。コロニーの技術で延命処置を施せば、まだあの老ドーマーは10年は生きられるだろう。しかしドーマー達はそれを望まない。地球人として地球の大地に戻って行くことを願って一生を終える。

「今夜のうちに、と医師が言っていました。」

 ケンウッドは端末を出した。

「すぐハイネに・・・」
「いけません!」

 ペルラ・ドーマーの鋭い声に、彼は驚いて動きを止めた。

「駄目?」
「駄目です。現役のドーマーには『黄昏の家』の住人の生死など教えないものです。ドームは地球人が生まれて来る場所。死ぬ者の情報など元気なドーマーに教えてはなりません。」
「しかし・・・最期を看取る者を呼べる決まりになったじゃないか・・・」
「ですから・・・」

 ペルラ・ドーマーは懇願の目でケンウッドを見つめた。

「15代目は貴方にお願いしたいと仰せです。」

 ケンウッドは脱力した。端末を執務机の上に投げ出した。

「それは光栄だが・・・ハイネは最後に彼に会いたいのではないかな・・・」
「局長は決まりをご存じです。ですから、15代目がこちらに来られた面会の時は、必ず別れ際に『最後』の握手をされました。何度でも、『最後』の握手を。」

 ペルラ・ドーマーは涙を抑えたのか、目尻を指で押さえ、もう一度ケンウッドを見た。

「15代目は昔ながらの習慣通り、執政官に看取られて逝きたいと仰せです。先刻、長官にもお願いしてきました。正副両長官にお見送りをお願い致します。」

退出者 6 - 4

 フレデリック・ベイル・ドーマーはまだ「通過」を経験していなかった。そして局長も経験していないことを知っていた。外に出たことがない人に「通過を甘く見るな」と言われて、彼はちょっとムッとした。ハイネはそれを敏感に感じ取ったが気づかないふりをした。部下達のこの手の反応は嫌と言う程見てきたので慣れていた。彼はそれとなく説明した。

「私は内務捜査班の頃に薬剤師をしていたので、執政官がドーマーに『通過』の処置を施すのを何度も見て来た。どんな薬剤を用いて苦痛を緩和すべきか、体重や症状に合わせて量をいかほどに決めるべきか教わった。その為に観察室の前に座って何時間も観察する役目を与えられた。
 だから苦痛を体験したことはないが、体験している人間の症状は幾通りも見て来た。『通過』は拷問ではないし、外の人間ならば子供時代から少しずつ経験する病気を一度に体験してしまうだけだ。外の人間でも丈夫な人は病気に罹らない。ドーマーも体質によっては軽く済んでしまう者と重篤に陥る者がいる。初入局者の外界初体験とは勝手が違うものなのだよ、ベイル。」

 ベイル・ドーマーは頬を赤らめた。己の心の中を局長に見透かされていたと悟ったのだ。

「失礼致しました。代行者は誰でも良いと考えておりましたが、間違っていました。局員経験のある者で『通過』を済ませた人を選びます。一月は見ておくべきでしょうね?」

 それでハイネは周囲にさっと目を走らせて彼等の会話に聞き耳を立てている人間がいないことを確かめてから、本当のことを班チーフに打ち明けた。

「昨日ジムでワグナーから『通過』の相談を受けた。受けたい理由は君やジョンソン・ドーマーが聞いた通りだが、実は彼の要望にはまだ先がある。」
「先?」

 ベイルは驚いた。ワグナーの様なペーペーが畏れ多くも局長に直談判したと言うのか?

「彼はまだ何か要求したのですか?」

 ハイネが小さく笑った。

「あの男は仕事熱心な上に兄貴分を助けたいと思っているのだろう。ヘリコプターの操縦免許を取得したいと希望したので、それは『通過』を終えてから君に相談しろと言っておいた。」
「ヘリの操縦免許ですか・・・」

 ベイルは予想外の部下の希望に驚いた。暫く黙り込んで、ヘリの操縦席に座るクラウス・フォン・ワグナーの姿を想像してみた。

「あの男なら、飛ばせるでしょうね。」

と彼は言った。

「物覚えが早いですし、何をするにしても丁寧です。複雑な計器を読み取れるでしょうし、咄嗟の判断力も抜群です。それに班に1人ぐらい自前のパイロットを持つのは誇れることですよ。」

 彼は局長に微笑んで見せた。

「わかりました。ワグナーの代行は彼の訓練期間も考慮して考えます。しかし、羨ましいですね、若者は。私は今更飛ぼうなんて思いませんよ、恐ろしくて・・・」
「私より遙かに若い君が何を言うか!」

 局長に拗ねて見せられて、ベイルは思わず声をたてて笑ってしまった。

「すみません、いつも局長が年長でいらっしゃるのを忘れてしまって。」
「世辞が上手くなったな。君もそろそろ歳だ。」

 2人はまた笑った。それから、ハイネは彼に自然に聞こえるように言った。

「今夜は班チーフが全員ドーム内に居るはずだな。会議を開くから午後8時に局長室へ集まるよう、君から伝言を頼む。」



2017年11月18日土曜日

退出者 6 - 3

 一昨日と昨日は新生児も死者も数が少なくて日課が午前の早い時間に終わってしまったのだが、その反動の様にその日は死者の数が多かった。中米で海難事故が発生して78名もの貴重な人命が失われたからだ。病死や老衰と違って事故死は遺伝子管理局長がじっくりと報告書に目を通す。だから終了してファイルを閉じたのはランチタイム終了10分前だった。既に昼食と昼休みを終えた第2秘書ネピア・ドーマーが局長室に戻って来て昼の業務を始めていた。
 ハイネが椅子から離れた途端、ネピア・ドーマーの端末に電話が入った。掛けて来たのは北米南部班チーフ、フレデリック・ベイル・ドーマーだった。

「局長室、ネピアだ。」
「北米南部班のベイルです。局長はまだお昼休み中でしょうか?」

 ネピアは執務机の向こうからこちらを見ている局長をチラリと見て答えた。

「局長は今からお昼休みだ。」

 やっと昼休みを取れる局長の邪魔をするなと言うニュアンスを声に込めた。果たしてベイルが「今から?」と驚いた様な声を上げた。時計で時刻を確認したらしく、彼は早口で言った。

「食堂に伝えておきます。いつものお席でよろしいですね?」

 つまり一般食堂のテーブルを確保しておくと言う意味だ。恐らく局長の為にランチを残しておけと厨房班に言うつもりなのだ。ネピアが「頼む」と言うと、ベイルは用件も言わずに「了解」と電話を切った。
 問いかけたそうな局長に、ネピアは第2秘書になってまだ1年経たない人間とは思えぬ口調で言った。

「ベイル・ドーマーがランチを確保するそうです。一般食堂ですから、お間違えのないように。」

 ハイネは一瞬ムッとして彼を睨み付けたが、それでも「有り難う」と言うのは忘れなかった。
 本部を出て、一般食堂に入ると、彼のお気に入りのテーブルでベイル・ドーマーが手を挙げて存在を示した。ハイネは配膳コーナーへ行った。「今月の司厨長」が彼を見て、既に取り分けておいたランチのトレイを差し出した。

「辛うじて1人分かき集めておきました。」

 残り物かい! と思いながらもハイネは「有り難う」と言ってトレイを受け取り、ベイルが待つテーブルに向かった。
 席に着くと、彼は部下を真っ直ぐに見た。

「お気遣い有り難う。さて、何か話があるのかな?」

 ベイルは苦笑した。電話では肝心なことを言い忘れたのだが、却ってゆっくり話が出来そうだ。

「重要案件ではありませんが、少々戸惑いを感じています。うちの第3チームから2名が一度に『通過』の要請を出して来ました。代行を探さなければなりませんので、ジョンソンが困っています。代行を選ぶのは私の役目ですが、1名で足りるのか2名必要なのか迷っているのです。」

 ハイネは料理を口に運びながら、「2名とは?」と尋ねた。1人はワグナーだ。もう1人は誰だ?

「クラウス・フォン・ワグナーとリュック・ニュカネンです。初めにワグナーがジョンソンを通して要請して来ました。ジョンソンが私の部屋でそれを告げている最中にニュカネンは電話で要請して来たのです。」

 ハイネは前日ジムでニュカネンが何か言いたそうだったのを思い出した。あれはこのことだったのか。 ワグナーは「通過」が終わればヘリコプターの操縦免許取得を申請してくるはずだ。ニュカネンはどんな目的があるのか? ケンウッド副長官が言っていた恋愛に関連するのだろうか?
 ハイネは口の中の食べ物を呑み込んでから言った。

「代行は2名。長期を想定して選びなさい。『通過』を甘くみてはいけない。」



退出者 6 - 2

 遺伝子管理局北米南部班チーフ、フレデリック・ベイル・ドーマーは第3チームのリーダー、トバイアス・ジョンソン・ドーマーからクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーの「通過」の要請を受けて、少し考え込んだ。

「ワグナーから要求が出ているのだな?」
「そうですが?」
「レインからではない?」
「レインは一言もそんな要求を出しません。」

 ジョンソンのチームには同じ「トニー小父さんの部屋」出身の局員が3人もいる。部屋兄弟と言うのは普通絆が強く仲良しのはずだが、ポール・レイン・ドーマーとリュック・ニュカネン・ドーマーが犬猿の仲なので、ジョンソンはよく喧嘩の仲裁で閉口していた。レインとニュカネンがなんとか同じチームで我慢出来ているのは、穏やかな性格の弟分ワグナーがいるからだ。
 ベイルは彼自身は「通過」をまだ経験していない。多忙なせいだ。恐らく「通過」を経験する前に「飽和」が来てしまうのではないかと内心危惧していた。「飽和」は体内の抗原注射の薬剤が限界量に達っすることで、薬が体内から抜けてしまう迄1週間か10日ほど正気を失ってしまう現象だ。「通過」又は「飽和」を体験してしまえば、普通の地球人同様外気に平気な肉体が手に入るのだが、どちらも苦しみの経験だ。

「俺はレインが最初に『通過』を受けるものと思っていたがな・・・」

 ポール・レインは今でも脱走した恋人ダリル・セイヤーズ・ドーマーを探し続けている。任務の合間に捜査活動しているのをベイルは承知していた。時間を気にせずに探せる肉体を欲しているのはレインだろうと思ったのだ。だからジョンソンからワグナーの要望を聞かされて意外な気がした。
 ワグナーには女性ドーマーの恋人がいる。一生女性に縁がないドーマーが殆どなのだから、ワグナーは「めっちゃラッキー」な男なのに、外に出る時間を増やしたいとは、どう言う了見だ? とベイルは考えた。

「理由を聞いたか?」
「ただ時間に縛られずに捜査活動したいと言うだけで・・・」

 単純な理由だ。もっとも遺伝子管理局では殆どの「通過」経験者がこの理由で許可をもらうのだ。維持班の様に「通過」を受けなければまともな仕事が出来ない職場ではない。
 ベイルはワグナーが誠実な男であると評価している。発信器を埋め込んであるし、ドームには恋人が待っている。脱走の心配はないはずだ。
 彼は頷いた。

「わかった。医療区で手続きをしておこう。ワグナーが休んでいる期間、シフトはどうする? 代行は必要か?」
「2週間でしたね? 私と残りの4名でなんとかやりくりします。」

 ジョンソンがそう応えた時、彼の端末に電話が着信した。失礼、と上司に断って彼は画面を見た。掛けて来たのはリュック・ニュカネン・ドーマーだった。彼は画面をチラリとチーフに見せてから、電話に出た。

「ジョンソンだ。」
「ニュカネンです。ジョンソン・ドーマー、ちょっとご相談したいことがあります。」
「電話で言えることか?」
「あの・・・」

 ニュカネンが躊躇った。ジョンソンは嫌な予感がした。何だ? と促すと、ニュカネンは固い声で言った。

「『通過』の許可をお願いします。」

退出者 6 - 1

 ケンウッドは夕方迄研究室で彼自身の皮膚を分析した。放射能や細菌などの微生物が彼の皮膚を汚染した形跡はなかった。

「地球はもう安全な星に戻ったと思う。」

 ケンウッドが呟くと、助手達の目が輝いた。

「しかし、私はたったの2日しか外にいなかった。これだけでは、安全宣言は出せない。」
「でもドーマー達は大丈夫じゃないですか?」
「地球人の皮膚とコロニー人の皮膚は耐性が異なるからね。コロニー人のひ弱な皮膚が耐えられると証明しなければ。誰か1年ばかり外で暮らしてみてくれないか?」

 助手達は互いに顔を見合わせるだけだった。

「でも、昨年パーシバル博士とセドウィック博士は1週間旅行されましたよね?」
「彼等はスクリーンクリームを塗りたくっていたんだよ。」

 それにキーラは半分地球人だ。公式にはコロニー人のシングルマザーの子供と言うだけで・・・。
 アイダ博士から指定された時刻が近づいたので、ケンウッドは研究室を出た。助手達の半分はまだ残るようだ。彼等は論文を書くので熱心に研究を続ける。近頃研究室から遠ざかっているケンウッドはちょっと恥ずかしいが、時間が足りない。
 中央研究所の食堂に行くと、マジックミラーの壁の脇で既に彼女とハイネ局長とヤマザキ・ケンタロウがテーブルに着いていた。ケンウッドが適当に料理を取ろうとすると、ハイネが素早く席を立って手伝いに来た。

「君は召使いじゃないんだから、座っていれば良いんだよ。」

 気恥ずかしいので心にもないことを言ってしまったが、ハイネは気にしなかった。

「地球人が貴方を傷つけたのですから、地球人の私が介助しますよ。」

 テーブルに着くと、アイダ博士が「では」と言った。

「打ち合わせを兼ねて夕食会を始めましょう。」

 彼女はハイネを見た。ハイネ局長はこの夜はチーズ料理がなかったので大人しくしていた。彼に彼女が囁いた。

「ケンウッド博士は司祭役が良いと思う? それとも新郎の介添え人?」
「新郎? 司祭?」

 ケンウッドはもう少しで大きな声を出してしまうところだった。ヤマザキも目を丸くした。

「結婚式をするのか? 送別会ではなく?」
「サプライズよ。送別会と見せかけて結婚式をするの。勿論略式だし、正式でないから・・・でも・・・」

 アイダ博士はもう一度ハイネを見た。

「キーラの花嫁姿を見たいでしょう、局長?」

 ハイネがきょとんとした。ドームの歴史が始まって以来この中で結婚式など行われたことがない。当然ドーマー達は結婚式と言う儀式を映画やドラマの中の遠い世界の行事だと言う認識しか持っていない。アイダ博士が言っていることを理解出来ないのだ。

「貴女は私にキーラに腕を貸して歩けと仰いましたが、それと関係があるのですか?」

 あーっと理解したのはケンウッドとヤマザキだった。アイダ博士はハイネに父親として娘を新郎に引き渡す役目を果たさせたいのだ。司祭とか介添え人とか、そんなのは本当はどうでも良くて、長年上司として親友として共に働いて来たキーラに、父親に祝福されて結婚すると言う体験をさせたいのだ。ケンウッドは周囲に聞こえないよう声量に注意しながら、ドーマーの長老に言った。

「アイダ博士は君にキーラの父親として仕事をして欲しいと頼んでいるのだ。」

 ヤマザキも言った。

「きっとギターをもらった時よりも彼女は喜ぶさ、ハイネ。」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは暫くコロニー人達の顔を順番に見て、ちょっと考えた。それから尋ねた。

「貴方方はどうやってキーラにドレスを着せるおつもりですか?」




退出者 5 - 11

「あれって、思いっきり『地球人保護法違反』ですよね?」

とワグナーが笑いを抑えきれずに声を搾り出した。ケンウッドも笑い出した。

「確かに強引に素手で手を掴まれて引っ張られて行ったな。だがハイネがレイプされたと届け出を出さない限りは、違反にならない。」
「局長は女性に弱いんですね・・・」

 レインがぽつんと呟いた。ケンウッドは彼を振り返った。

「男は大概そう言うものさ。筋力はこっちが強いとわかっているから、女性に腕力を使えない。腕力を行使すれば、それは立派な暴力行為になる。男に暴力を振るっても罪になるが、相手が女性ならばなおさら罪は重い。だからハイネは女性執政官には決して逆らわない。」
「俺達も肝に銘じておきます。」
「局長も普通の男性なんですね!」

 レインとワグナーが笑った。ニュカネンは作り笑いをして、運動を再開した。彼が局長に何を言いたかったのか、ケンウッドは気になったが、仲間がいる場所では打ち明けてくれないだろうと言う予感がしたので、ドーマー達に「じゃぁまたな」と言って、別れた。
 更衣室で着替えをして運動施設から出たところで端末にヤマザキから電話がかかってきた。

「アイダ博士から夕食を一緒にどうかと連絡が来たが、君の都合はどうだ?」

 ケンウッドは少し驚いた。アイダ博士とは数10分前に出会ったばかりだ。

「彼女は私も招待してくれるのか?」
「君にも来て欲しいと言っている。君の返答次第で僕の返事を決めると言ってあるんだ。」
「合コンじゃないよな?」
「セドウィックの送別会の打ち合わせだと言っていた。」

 ああ・・・とケンウッドは呟いた。もうそんな時期なのか。

「わかった。それじゃ行くよ。時間と場所が決まったら教えてくれ。私は研究室の方へ行っているから。」

 キーラ・セドウィック博士は、送別会は必要ないと言っていた。殆どの執政官はひっそりと退官してドームを去るのだ。仲良くなったドーマー達と別れるのが辛くて、仲の良い者だけで別れを惜しんで去って行く。あるいは嫌われたとわかっているので、こっそりと去って行く。キーラは昨年のヘンリー・パーシバルの送別会に来なかった。あの時は出産管理区で難産の女性がいて、離れられなかったのだ。後に送別会がお祭り騒ぎだったと聞いて、「そんな送別会ってある?!」と驚いたのだ。

「私はひっそりと引退しますわ。だって、私は数え切れないほどの地球人の母親から息子を盗み取った悪女ですからね。」

 彼女の言葉に、執政官会議の出席者達は苦笑したのだ。

「でも貴女は同時に数え切れないほどの娘を母親に与えてきたじゃないですか。地球人社会が存続しているのは、貴女がここの仕事に人生の半分を捧げてこられた結果ですよ。」

 リプリー長官を始め、執政官達は彼女の貢献を讃えた。それでもキーラは派手な送別会は必要ないと言ったのだ。

「出産管理区の仲間とささやかに食事会をして、それで勘弁して頂きたいわ。私、人前で泣きたくないので・・・この歳で化粧崩れを見られたら、もう人生お終いだわ。」

 議場内を爆笑の渦で包み、彼女は長官に送別会を諦めさせたのだ。
 アイダ博士が出産管理区スタッフでの送別会に医療区のスタッフを含めて考えるのは当然としても、副長官と遺伝子管理局長も参加させると言い出したのは、つい数日前のことだ。彼女はずっと以前から気が付いていた。きっと初対面の時から気が付いていたのだ。彼女はケンウッドに確認してきた。

「ローガン・ハイネ・ドーマーはキーラ・セドウィックのお父さんですよね?」

 ケンウッドは驚いて尋ねたのだ。

「何故そう思うのだね?」
「思うのではありません。確信です。ローガン・ハイネの振る舞いは明らかに、父親の娘に対する行動です。彼はいつも彼女の我が儘を許し、彼女が彼に対して何をしても怒りません。何か問題があっても彼女を庇っています。彼女を守ろうとしています。あれは単に遺伝子を共有するコロニー人とドーマーの関係と言うものではありません。」

 アイダ・サヤカはマーサ・セドウィックがドームにいた時代を知らない世代だ。だがマーサが当ドームに勤務していたことを、キーラから聞いたことはあるのだろう。だから推理した。そして結論を導き出した。

「ご存じですか、副長官? ハイネ局長は最近やたらとキーラと一緒に居たがりますのよ。彼女の勤務明けに回廊で待っていたり、食堂で同席したり・・・娘を嫁がせると決めた父親そのものですわ。」

 ドーマーが父性に目覚めた・・・ケンウッドは他の執政官に知られないよう、アイダ博士に固く口止めしたのだった。勿論、アイダ博士は秘密を厳守した。出産管理区の人間の口の固さは宇宙一だ。


2017年11月17日金曜日

退出者 5 - 10

 支局のヘリコプターは僻地の妊産婦の他に病人の搬送などにも使用される。遺伝子管理局所属ではあるが、局員がメーカー捜査や手入れに使う機会は少ない。パイロットも戦闘訓練を受けていないので、危険なフライトに使えない。ワグナーは彼が操縦することでいざと言う時にヘリで出動出来ると考えたのだ。
 ハイネはケンウッドの心配をあっさり無視した。

「了解した。航空班に私から話をつけておくから、君は先に『通過』を済ませなさい。航空班の訓練は厳しいから、局員業務は休むことになるぞ。代行してくれる者を内勤業務者から選んでもらえるよう、班チーフに頼むと良い。」
「チームリーダーには?」
「耳に入れておいた方が良いだろうが、それは『通過』を終えてからで良い。パイロットを養成する案を出したら局長が乗り気になったと言えば良いだろう。事実なのだから。」

 2つも要望が通ったので、ワグナーは満面の笑みで喜びを表現した。ケンウッドは微笑ましく思いながら、視野の隅でニュカネンがもじもじしているのを見た。局長に要望を出すなら今のうちだぞ、と心の中で声援を送った。するとニュカネンとレインがほぼ同時に、「局長」と声を掛けた。そして2人は互いの顔を見た。どっちが先かと目と目で対決しようとした瞬間・・・

「あらぁ、ここにいらしたのね!」

 女性の明るい声が響き、出産管理区副区長のアイダ・サヤカ博士がいきなり男達の前に姿を現した。彼女はハイネ局長に声を掛けたのだが、ケンウッド副長官に気が付くと頭を軽く下げた。

「副長官、お加減はよろしいの?」

 ケンウッドの負傷のニュースは出産管理区に既に拡散されているらしい。ゲートに近いので外からの情報が真っ先に伝わるのだ。ケンウッドは苦笑して右腕を持ち上げて見せた。

「この通り、ちゃんと腕は付いていますし、動きます。お気遣い有り難うございます。」
「大きな怪我でなくて良かったですね。」

 彼女はドーマー達に視線を向けた。

「貴方達が副長官をお守りしてくれたのね?」
「守ったのはリュック・ニュカネンです。」

 レインが素早く反応した。この男はこう言う気配りが出来る。手柄への賞賛は正しい者へ送られるべきだと考えるのだ。ニュカネンも負けていない。

「犯人を捕まえたのはポール・レインです。」

 アイダ博士は優しく微笑んだ。キーラ・セドウィック博士と余り年齢は違わないのだが、彼女の方が少し年上に見える。やはりキーラにはハイネの遺伝子が少し影響しているのではないか、とケンウッドはぼんやりと考えた。
 アイダ博士はその間にジムに現れた目的を果たそうとした。彼女はハイネの手を取った。

「約束の時間を半時間も過ぎていますわ。早くお出でになって。」

 ハイネが困惑の表情を浮かべた。

「約束? それは明日でなかったですか?」
「いいえ、今日です。」

 ハイネは端末を出そうとして、運動着なので手元にないことを思い出した。端末は更衣室のロッカーの中だ。

「申し訳ありません、年寄りなもので、忘れていました。」

 失敗した時のハイネの奥の手だ。ドームのどの執政官よりも明晰な頭脳を持っていながら、都合が悪くなると耄碌爺さんのふりをするのだ。
 アイダ博士は彼の手を掴んで歩き出した。ハイネは仕方なく引っ張られて行く・・・。
彼女がケンウッドを振り返った。

「副長官、申し訳ありませんが、こちらが先約ですので、遺伝子管理局長拉致させて頂きます。お夕食の時間にはお返ししますので。」

 呆気にとられているケンウッドと若いドーマー達を残してハイネは攫われていった。


2017年11月16日木曜日

退出者 5 - 9

 ケンウッドは筋力トレーニングをしているレインに声を掛けた。

「やぁ、レイン・ドーマー。今日は効力切れ休暇だろう? もうそんなに体を動かせるのかね?」

 レインが器具を止めて振り返った。副長官と局長がそばにいるのを見て、立ち上がった。

「ご心配なく、俺達は慣れていますから。それより副長官のお怪我の経過はいかがですか?」
「私も平気だ。力が入らないだけで、それ以外は普通に生活出来る。気遣い有り難う。」

 ワグナーとニュカネンも運動を休止してしまっているのを見て、ケンウッドは彼等の邪魔をしてしまったなぁと後悔した。
 気の良いクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが局長の顔を見て、少し緊張の面持ちで声を掛けた。

「あの、局長・・・僕、ちょっとご相談したいことがあるのですが・・・」

 ハイネが彼に顔を向けた。何だ? と訊かれて、ワグナーは少し躊躇してから言った。

「僕・・・『通過』を受けたいのですが・・・」

 「通過」は無菌状態で育ったドーマーを故意に感冒や麻疹や下痢などの病気に罹らせて外の世界の空気に慣れさせる荒療治だ。これを経験すれば抗原注射を打たなくてもドーマーは外で活動出来るようになる。勿論、「通過」を行わず、注射を打たずに外に出て自然の成り行きに任せる方法もあるが、その場合は感染する病原菌の種類は罹ってしまわなければわからないので、危険を伴うのだ。
 「通過」を受ける時は発熱、悪寒、下痢、鼻水、腹痛などが順番に体を襲ってくるので、ドーマーは大変不愉快な期間を過ごすことになる。何しろ殆どの普通の地球人が生まれてから成人する迄に罹る病気をたった2週間で全部経験させるのだ。体力を要する治療だ。だから「通過」を受けるのは若いうちが良いとされている。
 レインとニュカネンが同時に弟分のワグナーを左右から見た。ワグナーの決意を知らなかった様子だ。2人共驚いていた。
 ワグナーは「通過」を受けたい理由を一所懸命局長に伝えようとした。

「時間を気にしないで働きたいです。いつも制限時間を気にしながら活動していては、要領の悪い僕には成果を上げられません。『通過』さえ済ませておけば、仲間と同じ48時間の勤務でも時間を気にせずに働けます。心に余裕を持てると思うのです。」

 ハイネが優しく微笑んだ。

「ワグナー、その希望をチーム・リーダーに伝えたか?」
「いいえ・・・まだです。」
「今すぐに私から医療区に伝えることは出来るが、間を飛ばしてはトバイアス・ジョンソン・ドーマーが不愉快に思うだろう。急ぐ必要はない。明日にでもジョンソンに君の希望を伝えなさい。班チーフに伝えてくれるはずだ。医療区の手続きは班チーフの役目だからな。もしジョンソンが渋るようなことがあれば、ハイネに既に伝えてあると言えば良い。ジョンソンは反対するまい。」

 わかりました、と言ってから、ワグナーはまだもじもじしながら、「もう一つ・・・」と言った。ニュカネンが顔をしかめて見せた。

「おい、厚かましいぞ。」

 しかしレインは

「かまわないから、今のうちに話を聞いてもらえ。」

とけしかけた。
 ハイネとケンウッドが待っているので、ワグナーは「通過」の時より固い表情になって要求を出した。

「局長、僕にヘリコプターの操縦士の資格を取らせて下さい、お願いします!」
「ヘリの?」

 ハイネはケンウッドを見た。ケンウッドは重力のある惑星上でヘリコプターや飛行機が飛ぶのを内心恐ろしいと思っている。小さく首を横に振った。反対したのだ。
 ワグナーは副長官を無視して局長に訴えた。

「中部や西部の山岳地帯は地上の移動よりもヘリを使った方が便利です。ですが支局のパイロットは民間人です。ドーム内の話題を聞かせる訳にいきません。ドームの航空班のヘリは、中部まで飛ぶスピードを考えれば飛行機に負けます。支局のヘリを使った方がエネルギー代を考えればお徳です。僕が操縦して仲間を運びます。
 どうか、僕にヘリコプターの航空免許を取らせて下さい、お願いします!」

退出者 5 - 8

 腕の怪我なので走ることは出来る。しかし前夜熱を出したので、無理はしないようにとヤマザキに注意されていた。ケンウッドは走るのではなく散歩を選択した。運動になるようにだらだらではなく、早足で歩いたが、同行するハイネにはゆっくりになるのだろう、ちょっと脚の長さの差を気にしながらケンウッドは歩いた。
 運動施設のトラックを3周すると流石に汗が出た。午後の体力維持も仕事の内なので、周囲ではドーマー達が熱心に体を動かしていた。彼等は運動着姿の副長官と遺伝子管理局長が走らずに歩いているので、不思議そうに振り返ったが、特に話しかけてくる者はいなかった。

 偉いさんが2人並んで歩いている時は、重要な話合いをしているんだ。

 それがドームの中での暗黙の了解だった。
 ケンウッドとハイネが歩きながら話し合っていたのは、遺伝子管理局の外勤局員の安全確保の問題だった。外の人々にとって遺伝子管理局は地球人の結婚も出産も全て管理するお役所だ。申請が却下されると逆恨みするし、出産が無事に終われば感謝される。違法製造されたクローンを逮捕して処分していると誤解もされる。彼等が危険に晒されるのは今に始まったことではないし、外の世界の警察機構の人間の方が余程危険な目に遭う確率が高い。局員は基本的に2人1組で行動するが、幹部クラスになると単独行も増える。

「支局の数を増やせませんか?」

とハイネが尋ねた。

「局員がトラブルに巻き込まれた場合にすぐ手を打てる施設があれば、少しは安心出来るはずです。」

 遺伝子管理局は以前から新規支局設置を提案してきたが、ドームは予算の都合上却下し続けている。ケンウッドの立場から言えば、またその話か、となるのだが、当人がトラブルに巻き込まれて負傷しているので、今回は支局が現場の街にあればなぁ、と思った。

「予算を動かすのは、月の財務部だからなぁ・・・まずはリプリー長官を説得するしかないだろう。」
「長官を説得出来たとして、長官は月を説得出来ますか? 予算の問題はアメリカ以外のドームからも常に出されているはずです。競争相手は多いですよ。」
「支局はいろいろと金がかかる施設だからな。窓口業務で妻帯許可申請を受け付けることから空港から戦闘ヘリを飛ばすところ迄、全て支局が行っている。ドーム本体の維持費も年々増大しているところに、支局開設となると・・・」

 局長を安心させられる返答が出来ないのが歯がゆい。ケンウッドは副長官ではなく長官でなければ月に話を持って行けないのが悔しかった。この際、「チクリ屋リプリー」のお株を取って月へ直訴しようか?
 2人はジムに入った。筋力トレーニングのコーナーに、効力切れ休暇のレイン、ワグナー、それにニュカネンがその順で並んで運動をしているのが見えた。2人は自然にそちらへ足を向けた。

2017年11月15日水曜日

退出者 5 - 7

「私の話ではなく貴方のお話を聞きに来たのですが?」

とハイネが強引に話題を変えた。助手と何の話をしたのか言うつもりはないらしい。
それでケンウッドはファイルを閉じた。

「実は先日ワグナー・ドーマーから相談を受けてね・・・リュック・ニュカネンが恋をしていると言うのだ。」

 ハイネが黙っているので、ケンウッドはニュカネンがどこまで真剣なのか、確認する目的で局員の支局巡りについて行ったのだと言った。

「レインはセイヤーズ捜索でいっぱいいっぱいで、部屋兄弟の恋に気が付いていないようだった。ニュカネンも用心深く感情を抑えていたからね。あの事件が起きる迄、女性の話題は全く出なかった。」
「事件が起きる迄?」
「うん。事件は市役所の入り口で起きただろう? ニュカネンの相手の女性は市役所で働いているのだよ。文化教育課のアンナスティン・カーネルと言う人で、ニュカネンは怪我をした私を彼女に託した。彼女を心から信頼していると考えられる。」

 ハイネが端末を操作して、1人の女性のプロフィールを画面に出した。失礼しますよ、と言って副長官室の会議用テーブルの上にその画像を立ち上げた。

「この女性ですか?」
「うん、正にその女性だ。」

 2人は女性の遺伝子情報、経歴を読み取った。何の問題もない普通の女性だ。

「どんな女性でした?」
「親切で優しい人だ。多分彼女も真剣にニュカネンのことを考えている。銃撃の後、彼女は直ぐにニュカネンの所に走って来た。彼の身を案じての行動だ。」

 ハイネが考え込んだ。若い部下が何を考え、これからどうしようと思っているのか、それを彼は考えているのだ。
 もしニュカネンが中途半端な未来像で交際をしているのであれば、別れさせなければならない。それはハイネでなくともドームの執政官なら当然考える。ドーマーは貴重な人材だ。1人でも失う訳にいかない。ドームの外の女にあっさりくれてやる訳にいかないのだ。

「帰りにレインに打ち明けた。彼は驚いていたが、否定はしなかった。ニュカネンが恋愛していることを認めたのだ。しかしチームリーダーのトバイアス・ジョンソンは気が付いていない。ジョンソンが知らないので班チーフにも報告は行っていない。」

 ハイネが腕組みした。まだ考えている。何を考えているのだろう? 外に出たドーマーは過去にも何人かいた。ポール・レイン・ドーマーの父親もその1人だ。彼等の多くは外の女性と恋愛をして女性を選択したのだ。堅物で名高いリュック・ニュカネンが恋愛するのは意外だったが、堅物だからこそ真剣さも固いのだろう。
 ハイネが尋ねた。

「ミズ・カーネルはニュカネンを真剣に想っているのですね?」
「私にはそう思える。彼女は我々が出発する時も見送りに来て、食べ物や水を買ってもたせてくれた。そしてレインと私の目の前で彼等はハグし合ってキスを交わした。あれには私達は面食らったがね。彼女は本当に素敵な女性だったよ。」

 ハイネがまた考え込んだ。何故彼が考え込むのか、ケンウッドは分かる気がした。ハイネは若い頃恋愛で失敗をしている。愛してはいけない人を愛してしまい、事実上捨てられた。彼は可愛い部下に哀しい思いをさせたくないのだ。
 やがて彼は顔を上げた。結論が出たのかとケンウッドは思ったのだが、そうではなかった。ハイネはのんびりした口調で、夕食迄どうしますか、と尋ねたのだった。



 

2017年11月14日火曜日

退出者 5 - 6

 昼食の後、ケンウッドは医療区に出頭した。ヤマザキ・ケンタロウが「逃げずに来たね」と笑った。
 傷口のジェルを新しい物と交換した。弾丸で削られた部分の肉が盛り上がって見えた。

「再生が始まっている。ケンさん、案外治りは早いかも知れないね。」

 励まされてケンウッドは心強く感じた。
処置室を出ると、医療区のロビーでハイネ局長が端末で仕事をしながら待っていた。ハイネの仕事には終わりがない。常に人間は生まれ死んでいく。ハイネはひたすらその記録を検分して、人々の法律上の存在を新たに付け加えたり削除したりする。
 ケンウッドが彼の隣に座るとハイネは端末の画面を閉じた。

「どこでお話をお聞きしましょう?」
「私の副長官室で良いかな? ちょっと仕事が溜まっているのでね。」
「結構です。私はゆっくり出来そうですから。」

 ハイネはちょっと楽しそうだ。他人の職場を覗くのが面白いらしい。そう言えば今回の旅の道中、ニュカネンとレインが珍しく意見が一致した話題があった。内勤の日に局員オフィスで仕事をしていると、局長が音もたてずに背後に立って仕事ぶりを見ている時があって、

「あれはびびるよなぁ!」

と2人が苦笑していたのだ。内務捜査官だったので、ハイネは他人の仕事をこっそり覗くのが上手い。しかし部下を監視しているのではないことをケンウッドは知っていた。局長は部下が何をしているのか知りたいだけだ。局員が支局から集めてくる書類の多くは局員自身で審査して許可を出したり証明書を出す。局長の元に送られて来るのは重要度が高いと班チーフが判断したものだけだ。だから局長は局員オフィスに足を運んで「その他」の書類を眺めているのだ。
 副長官室に入るとケンウッドはデスクに着いた。すぐにコンピュータを起動させファイルを開いた。溜まっている書類を順番に片付けた。その間ハイネは面会者用の席に着いて端末を触っていた。
 秘書が助手の来訪を告げた。ケンウッドの研究室の助手だ。副長官の仕事と研究者としての仕事が重なってケンウッドは忙しい。助手に研究の一部を一任していたので、その結果報告だった。女性の助手で、彼女は副長官室内に遺伝子管理局長が居るのを見て、一瞬びっくりして立ち止まった。ハイネは年齢に関係なく女性に人気が高い。
 報告が終わって帰りかけた助手にハイネが声を掛けて呼び止めた。ケンウッドが何気なくそちらを見ると、驚いたことにハイネが自身の端末の画面を助手に見せているところだった。助手が覗き込み、何か言うとハイネが頷いた。

 何だろう?

 ケンウッドは気になった。ハイネが彼の仕事関係の書類を他人に、それもコロニー人に見せるとは思えない。ましてや若い助手に意見を求めたりしないだろう。

 ハイネは仕事をしているのではないのか?

 ハイネが礼を言うと、助手は微笑みながら「何時でもどうぞ」と囁いて部屋から出て行った。ドアが閉まるとケンウッドは我慢出来なくなって尋ねた。

「彼女に何を訊いていたんだね? 私や秘書では間に合わないことか?」

 ハイネはケンウッドを振り返り、それから副長官秘書を見た。

「どちらも男性ですからね。」

と彼は言った。

「女性のことは女性に訊かないと・・・」

2017年11月12日日曜日

退出者 5 - 5

 午後、ケンウッドは少し遅めの昼食を取りに食堂へ行った。一般食堂に行きたかったが、怪我をしていることをドーマー達に見られたくなかった。それに昼食後にまた診察を受けることになっていたので医療区に近い所で食事を摂ることにしたのだ。
 中央研究所の食堂は昼休みが終わろうとしていたので空いていた。一般食堂の様に何時昼休みが終わるのかわからない程絶えず人が来ると言うことがないのだ。ケンウッドがトレイを左手で持って、軽い物を取ろうとしていると、誰かが横からトレイを支えた。振り向くとハイネが居た。

「私がトレイを持っていますから、料理を取って下さい。」
「有り難う。」

 ケンウッドは素直に礼を言って、食べたい物を取り、支払いを済ませてハイネが先に席を取っていたテーブルに行った。そこにはキーラ・セドウィックが居た。彼女がケンウッドを見て優しく微笑んだ。立ち上がり、椅子を引いてくれたので、ケンウッドは恐縮した。

「力が入らないだけで、普通に腕は動かせるのですよ。」
「では今日1日だけでも甘えて下さいな。」

 彼女はハイネをちらりと見て言った。

「貴方が怪我をなさったと私に教えてくれた時の局長は、かなりうろたえていましたのよ。」
「そんなに私は取り乱していたか?」

とハイネが驚いて見せたので、ケンウッドとキーラは笑った。
 キーラがセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンはどんな所でしたかと尋ねたので、食事をしながらケンウッドは事件が起きる迄の楽しかった旅の話を聞かせた。リプリーに話したこととそんなに違いがなかったが、ここでは同行した2人のドーマーの様子も語った。ハイネは部下の行動を知りたかっただろうし、キーラはリュック・ニュカネンが誕生した時に取り上げたのだ。ポール・レインは担当ではなかったが、それでも生まれた時からずっと成長を見守って来た子供達の1人だ。

「喧嘩すると言っても、あの子達は憎み合っているのではありませんから、放って置いてよろしいのよ。」

と彼女は笑った。

「性格の違いだけですから。業務に支障が出る喧嘩ではありませんでしたでしょ?」
「ええ、仕事に差し支えると思ったら、どちらかが先に引きますね。互いに手加減は心得ている様子です。」

 するとハイネがケンウッドに尋ねた。

「博士は彼等の何を観察されたかったのですか?」
「私が彼等を観察?」
「数日前から博士はリュック・ニュカネンを観察されておられた様ですが?」

 むむ・・・鋭い・・・

 ケンウッドは時々ハイネに1本取られたと感じる。相手は84年生きている人生のベテランだ。「執政官は全てのドーマーの親として振る舞え」と言う地球人類復活委員会の原則が空しく感じられる一瞬だ。
 気が付くとキーラ・セドウィックも彼を見つめていた。ハイネ父娘が彼に真実を語れと目で告げていた。
 ケンウッドはテーブルの周囲を見廻した。近くには誰もいない。空いている食堂に、数人が離れたテーブルで食事をしているだけだった。静かなので声が響きそうだ。
 ケンウッドは2人に言った。

「出来れば他の人間の耳には入れたくないのだが・・・」

 ハイネがキーラを見た。彼女は肩をすくめた。

「私は午後から仕事があります。博士のお話を私が聞いておくべきなのかどうか、それは局長の判断にお任せしますわ。悪いお話でないことを願っています。」

退出者 5 - 4

 ポール・レイン・ドーマーは力のない声で説明した。

「俺はローガン・ハイネ・ドーマーが遺伝子管理局の局長であることにずっと疑問を抱いていました。あの人は執政官に可愛がられ大事にされて、一度もドームの外に出たことがありません。外の世界の危険を何も知らない人が、俺達のトップに居て良いのだろうか、と思っていたのです。」

 ドーソンは黙って聞いていた。レインは続けた。

「あの人は俺達に何をどうしろとも言いません。メーカーの捜査も摘発も全部事後報告で・・・」
「それは違う。」

 初めてドーソンが口をはさんだ。

「局員が具体的な活動を開始するのは、必ず班チーフが局長の了承を得てからだ。局長は毎日僕等局員全員の報告書に、全てその日のうちに目を通しておられる。活動に意味がなかったり、危険性が高いと判断されたら、直ぐに却下される。」

 レインは動揺を覚えた。

「そうなのですか? 知りませんでした・・・」
「局長は一々僕等に説明などされないからな。通常は班チーフとしか面会されないから、君が知らないのは無理もない。だが、直接声をおかけすれば、きちんと説明して下さる。例えば、食堂やジムで・・・」

 ドーソンはレインが食堂やジムで何時もファンクラブに取り囲まれていることを思い出した。この後輩は人気が高すぎて自由に動けないのだ。
 ドーソンはニヤリと笑って付け加えた。

「レイン、局長に声をおかけすれば、ファンクラブから逃げられるぞ。」

 レインは微かに頬を赤らめた。

「俺は本当にローガン・ハイネと言う人を誤解していた様です。」
「しかし、何故今そんなことを言い出したのだ?」
「昨日、ドームに帰投した時、局長が送迎フロアで俺達を待っておられたのです。」
「送迎フロアで?!」

 これはドーソンも初耳だったらしく驚いた。カディナ黴の事故以来、ドーマーも執政官もハイネを送迎フロアに近づけまいと注意して見張っていたのだ。ドームの「生き神様」は外界の汚れから出来るだけ遠ざかって居て欲しかった。
 レインは続けた。

「局長はニュカネンと俺をハグして、俺達の無事を喜んで下さいました。その時、俺はあの人の肌に触れて感じたのです。」

 接触テレパスは嘘を感じない、真実の感情しか感じない。ドーソンは興味津々でレインの次の言葉を待った。

「あの人は、俺達を無償で愛してくれています。ひたすら俺達の無事を祈って帰りを待ってくれていたのです。」

 ドーソンが微笑んだ。そんな単純な真実を、この男は今頃気が付いたのか・・・。

「あの方は、僕等の父親なんだよ、レイン。君の言う通り、あの方は外の世界を何もご存じない。何もご存じないからこそ、僕等があの方の全てなんだ。だから、僕等はあの方の愛情に応える為に、常に安全に心がけて任務を遂行しなければならない。君等が無事に帰還したことをあの方が喜ばれるのは当然だ。」
「俺があの人を悪く思っていたことをお詫びするには、どうしたら良いのでしょう?」

 ドーソンは思わず声をたてて笑ってしまった。

「そんなことを詫びる必要はないさ。あの方は君がどう思っていようと気になさらない。君が詫びたいと思うなら、これからも安全に気をつけて真面目に任務に励めば良い。そしてあの方が君になさる様に、君も後輩達に愛情を掛けてやれば良いのだ。」

 レインは静かに立ち上がった。

「お疲れのところを、俺のつまらない気持ちを聞いていただいて感謝します。先輩の忠告を心に留めてこれからも任務に励みます。」

 ドーソンも立ち上がった。

「忠告と言うより、ちょっとした入れ智慧をしてやろう。局長がチーズ好きなのは有名だろう? チーズ料理が出る日に一般食堂で張っていれば、絶対に局長を捕まえられる。」


退出者 5 - 3

 翌朝、ケンウッドは秘書と研究室の助手に付き添われて退院した。3人で軽く朝食を取ってから長官室に出頭した。
 リプリー長官はハイネ局長から報告をもらっていたので、既に事件の概要と犯人の動機を知っていた。彼は逆恨みのとばっちりで負傷した副長官を労い、慰めた。

「少なくとも、コロニー人憎しでなかったのは幸いだったね。」
「しかし、犯人が同じ地球人の遺伝子管理局を憎むのも困りものです。」
「所謂官憲はどう奉仕しても庶民から恨まれるものだよ。我々が早く女子誕生の鍵を見つけなければならないと言う忠告だな。」

 ケンウッドが心配するほども弱っていなかったので、リプリー長官は早くも好奇心の方を募らせていた。

「ケンウッド博士、君の第1日目の報告書は電送されて来たのを読んだ。大学の研究者達の紹介は面白かった。2日目は事件が起きる前にどこへ行っていたのかね?」

 それでケンウッドもトーラス野生動物保護団体とマルビナス・クローニング・サービスの話をして、楽しかった半日のことを思い出せた。リプリーは大富豪の趣味団体であるトーラス野生動物保護団体よりも、民間企業のマルビナス・クローニング・サービスの方に興味を抱いて、いろいろ質問した。やはりミツバチがコロニーでも重要な生物だったからだ。

「ケンウッド博士、皮肉だと思わないか? ミツバチはその殆どが雌なんだ。人間の女性が産まれない地球が、雌ばかりの昆虫を宇宙に輸出しているんだよ!」

 その頃、反省会を兼ねた朝食会が終わって、今後はメーカーだけでなく顧客も注意を払って事後観察が必要だと言う結論を出した遺伝子管理局北米南部班は、それぞれのチームの日程に従って解散した。
 ポール・レイン・ドーマーは外勤務から戻ると何時もファンクラブに取り囲まれるのだが、その日はそんな気分ではなく、副長官の負傷を知らない暢気な執政官達を見ていると腹が立ったので、足早に食堂から出た。抗原注射の効力切れで体が重く、動きも鈍かったが、コロニー人達を振り切って先輩のクリスチャン・ドーソン・ドーマーに追いついた。ドーソンはアパートに帰って効力切れ休暇で寝ようと思っていたところだった。だからレインが聞いて欲しいことがありますと言った時、面倒な話でなければ良いが、と内心思った。
 彼等はアパートのドーソンの部屋に入った。
 ドーマーは基本的に料理をしないし、飲酒もしないことになっている。ドーソンのアパートの小さなキッチンにも水以外何もなかった。ドーソンはグラスに水を注いでレインに出した。そして自身は後輩の正面に座った。

「さぁ、君の話とやらを聞かせてくれ。但し手短に頼む。休日は貴重だからな。」
「お疲れのところを済みません。」

 レインはどう語ろうかと少し躊躇った。自身の気持ちを上手く先輩に伝えられるだろうか。ドーソンが促すつもりで尋ねた。

「今回の襲撃事件のことか?」
「いいえ・・・」

 レインは勇気を出して顔を上げた。

「俺は、ハイネ局長を誤解していました。ですが、どう謝罪して良いのかわからないのです。」
「誤解?」

 ドーソンは怪訝な顔をした。レインが局長と問題を起こしたとは聞いていないが?
 


2017年11月11日土曜日

退出者 5 - 2

 ローガン・ハイネ・ドーマーは部下達と医療区を抜けるルートでドーム内に向かったが途中で部下達と別れ、ヤマザキ・ケンタロウ医師の診療室へ足を向けた。ヤマザキは内科だが、外科も担当することがある。特に親友の怪我は当然ながら彼が診るのだ。果たして診療室ではケンウッドが椅子に座ってヤマザキの治療を受けていた。外の世界の地球人の医師を信用しない訳ではないが、ヤマザキは他人の処置に満足出来ない医師だった。
 情けない声を上げるケンウッドを叱咤しながら彼は傷口から地球製のジェルを取り除き、コロニーから取り寄せた最新の薬品ジェルを埋め込んだ。保護シールを貼って包帯を軽く巻いたところへ、ハイネがドアをノックして入って来た。

「来る頃だと思ったよ。」

とヤマザキが苦笑しながら言った。

「もう少し早く来れば、この何時もすまし顔の男が幼子みたいに泣きわめく姿が見られたのになぁ。」
「私は泣きわめいた覚えはないよ。」

 ケンウッドがムッとして言った。ドームに帰った安心感で気分が良くなった。熱も下がった様な気がした。ヤマザキが地球の医師が作成した処方箋を眺めた。

「ここにない薬品が書かれているが、代用品はあるはずだ。」

 元薬剤師のハイネが覗き込んだ。彼は直ぐに何が必要か判断した。ヤマザキは彼が言った薬品名を処方箋に訂正として書き加えて、薬品部へ送信した。
 ハイネが検めてケンウッドを正面から見た。

「ご気分はいかがです? 部下達が貴方に怪我をさせたと悔やんでいました。」
「彼等の責任じゃない。不意打ちだったから・・・しかし事件の真相はまだ聞かされていないんだ。」

 ハイネが視線をヤマザキに向けたので、ヤマザキが隣の観察室を顎で指した。

「今夜はケンさんをそこに泊めるから、時間があるなら、そこで聞かせてもらっても良いかな? 僕も聞きたい。一体何があったんだ?」

 看護師の手伝いを受けながらケンウッドは寝間着に着替え、観察室のベッドに横になった。深夜に近かったが、夕食を逃した彼の為に軽い食事が運ばれてきた。彼がお粥を食べている間にハイネがレインとニュカネンの報告書をまとめて事件の概要を語った。それは大して長い話ではなかった。

「先月、遺伝子管理局北米南部班の第1チームと第3チームが中部地方で活動していたメーカーを摘発しました。その時に合同で捜査活動をしたローズタウン市警本部が、メーカーに客を紹介していた裏組織も一緒に摘発、逮捕したのです。
 遺伝子管理局と警察はそれで仕事を終えたと思ったのですが、裏組織に金を払ってクローンを造ってもらうことになっていた客は、それで終わりではありませんでした。」
「金を払ってしまっていた客と言うことだね?」
「そうです。彼等は大金を払ったのです。しかし、法律違反の行為ですから、逮捕された裏組織の連中に返金を要求することは困難です。」
「取られ損じゃないか?」
「ですから、数人の客は勇気を奮って拘留中の容疑者を相手に訴訟を起こしています。」
「恨む相手は裏組織だな?」
「それが筋ですが、訴訟する勇気のない者、訴訟する財政的余裕のない者は、怒りをどこにぶつけて良いのかわかりません。」

 ケンウッドは、撃たれる直前に耳にした声を思い出した。犯人は遺伝子管理局に怒りをぶつけてきた。

「犯人は遺伝子管理局がメーカーを捕まえたので、財産を失い、子供を得る機会を潰されたと思い込んだのだね?」
「そうです。全財産を裏組織の紹介者に支払った直後に、摘発があったそうです。当然、金は戻って来ません。警察はそこまで世話をしてくれないのです。勿論、遺伝子管理局の関知する範囲でもありません。
 犯人は護身用に持っていた拳銃を持ち出し、遺伝子管理局の黒塗りの車を見かけて市役所に報告に来るのを待ち伏せていたのです。ダークスーツを着たニュカネンを狙ったらしいのですが、下手な腕前なので、横におられた副長官の腕を弾丸がかすったのです。」

 ヤマザキがケンウッドを振り返った。

「とんだとばっちりだったな、ケンさん。でも、この程度の怪我で良かった!」

彼はケンウッドの右腕をぽんと叩き、副長官に悲鳴を上げさせた。

2017年11月10日金曜日

退出者 5 - 1

 ヘリコプターで移動中、ケンウッドは再び熱が上がってうとうとし始めた。シートベルトをしているので横になれない。レインが彼の隣に座って副長官の体がベルトで痛めつけられないよう、支えた。その姿勢で彼は端末にその日の出来事を報告書としてまとめた。ニュカネンと世間話をする仲ではなかったし、ニュカネンも報告書を書いていたので、他にすることがなかったのだ。いつもは簡潔に書くレインだったが、今回は時間があったので詳細に書いて、書き終わると本部の局長宛に送信した。
 局長はもうアパートに帰っているかジムで体力創りの最中だろうと思ったのだが、ドーム空港に到着して、ゲートで消毒してもらっていると、消毒班のドーマーが囁きかけてきた。

「おい、送迎フロアにローガン・ハイネ・ドーマーが来ているぞ。あの方があそこに来られるなんて、カディナ黴の事故以来だ。しかもかなり苛ついておられると言う話だぜ。おまえ達、何かやらかしたのか?」

 レインとニュカネンは思わず顔を見合わせた。副長官に怪我をさせてしまったので、きっと叱られるのだ、と2人共思った。ケンウッドはゲートの消毒室から直接医療区へ運ばれて行ったので、彼等は新しい服を受け取って身につけると覚悟してゲートからドームの中に入った。
 送迎フロアの奥まった所に班チーフが立っていて、その前でローガン・ハイネ・ドーマーが行ったり来たりしていた。顔は無表情だったが、行動は彼がかなり苛ついていることを表していた。ゲートの扉が開く音で彼は振り返り、若い部下2人が入って来ると、彼はそちらへ歩いて行った。
 ハイネは背が高くて歩幅も広い。歩くのが速いのだが、レイン達にはスローモーションの様に感じられた。彼等は一気に緊張した。脚を止めて局長が前に立つ迄気をつけの姿勢で待った。 ハイネが両腕を広げ、いきなり彼等を同時に抱き締めた。

「よくぞ無事に戻ってくれた!」

 ハイネがよく透る声を微かに震わせて囁いた。

「おまえ達に何かあったら、私はあの町を許さない。全ての遺伝子事業を停止させてやる。」

 レインはハッとした。

 ローガン・ハイネの遺伝子は遠い宇宙へ旅立つ宇宙飛行士の無事を祈りながらただひたすら帰りを待つ人の為に開発されたもの・・・。

 胸の奥からグッと上がってくるものがあった。レインはそれを誤魔化す為に慌てて言った。

「しかし、ケンウッド副長官に怪我をさせてしまいました。」
「申し訳ありません、我々が不注意でした。」

 ニュカネンも急いで口添えした。ハイネが彼等から体を離した。

「君達の報告書に目を通した。事件の発生は不可抗力だったのだ。誰かが我々に逆恨みして遺伝子管理局の人間なら誰でも傷つけて良いと思っても、知りようがない。副長官は犯人が射撃の下手な人間だった為に巻き添えをくったのだ。君達の責任ではない。」

 彼はレインの手を取った。

「君は犯人が撃つ銃弾を物ともせずに、彼が警察に射殺されてしまう前に麻痺光線で捕獲に成功した。お陰で事件の真相解明に大いに役立った。よくやった!」
 
 レインはハイネの心の呟きを感じ取った。

 もう無謀なことはするな、大事な命だぞ!

 彼はまた胸にこみ上げてくるものを感じてうろたえた。幸いにもハイネが彼の手を放し、ニュカネンの前に移動してくれたので、ハンカチで汗を拭うふりをして涙を拭いた。
ハイネはニュカネンにもケンウッドを自身の体で庇ったことを感謝して、後の市長や支局への交渉も上手くやってのけたことを褒めた。ニュカネンはレインの様な器用さがなかったので、不覚にも局長の前で涙をぽろりと落としてしまった。
 ハイネが微笑んだ。

「今夜はもう遅いし、明日は抗原注射の効力切れで体が辛いだろう。早く帰って休め。」

 彼は後ろで控えていた班チーフを振り返った。

「この2人を引き留めたりするなよ、反省会は彼等が十分な休息を取ってからにしろ。」
「承知しました。」

 班チーフは部下をチラリと見た。レインもニュカネンも知っていた。チーフは心の中で彼等にこう言ったのだ。

 局長は優しい言葉を下さったが、明日の朝食会で反省会をやるからな、必ず出て来い。


 


退出者 4 - 7

 リュック・ニュカネン・ドーマーは局長第1秘書ジェレミー・セルシウス・ドーマーにケンウッドの負傷を報告した後、直属の上司であるトバイアス・ジョンソン・ドーマーにも同じ報告をしておいた。チームリーダーのジョンソンは当然ながら彼自身の直属の上司である班チーフに連絡を入れ、班チーフの指示の下で支局にも連絡をしておいた。その際、彼はケンウッドの傷の治療に時間がかかることを想定して、支局長カイル・マルホランド元ドーマーに要請したことがあった。
 ローズタウン空港からドームへ飛ぶ最終便のジェット機に間に合いそうにないので、ドームから静音ヘリの派遣をお願いしたい、と。遺伝子管理局が使用出来る専用ジェット機はその日南米班が使用していた。僻地で緊急処置が必要な妊婦がいて、彼女を病院があるネオ・サンパウロへ移送したのだ。
 ケンウッドが次に目覚めた時は既にローズタウンの中部支局に到着していた。支局長のマルホランドがニュカネンと車外で話しをしているのが見えた。レインが外からドアを開けたので、ケンウッドは振り返り、そこが空港だと気が付いた。レインは静音ヘリコプターを指差した。

「飛行機の最終便に間に合わなかったのですが、ニュカネンがヘリを手配していましたので、あれで帰ります。ジェット機より時間がかかりますが、よろしいですか?」
「ああ・・・かまわない。明日までは待てない。早く帰ろう。君達も時間が迫っているだろう?」
 
 ケンウッドはまだ目眩がしたが自力で車外へ出た。レインが肩を貸してくれたので、ヘリコプターまで歩いた。

「君達の仕事の邪魔をした挙げ句、こんな怪我で手間を取らせて申し訳ない。」

とケンウッドが囁くと、レインがびっくりして振り返った。

「貴方のお世話も仕事のうちですよ、博士。貴方もお仕事をされたじゃありませんか。」

 うちの子供達はなんて素直なんだろう、とケンウッドは小さな感動を覚えた。ポール・レイン・ドーマーはコロニー人から身も心も傷つけられる酷い体験をしたにも関わらず、ケンウッドやパーシバルの愛情を信じてくれるのだ。

「君達に怪我がなくて本当に良かった。」

 ケンウッドはそう言うのが精一杯だった。
 ヘリコプターの中は想像したより広くて、座席が3列になっていた。ケンウッドは後部席で、出発まで横になっていて下さいとレインに指図された。飛行中は安全の為に座らなければならないので、それ迄体を休めて欲しいと言うのだった。毛布を掛けてもらい、ケンウッドは少し熱が下がったことに気が付いた。楽になったと言うと、レインはまだ安心出来ませんと真面目な表情で注意した。射創による発熱はこれから一晩続くだろうと言うのだ。ドーマー達が撃たれた話は最近なかったので、これはレインの耳知識から来る忠告なのだろう。
 ニュカネンがヘリに乗ってくる気配はまだなかった。支局長に昨日と本日訪問した研究施設や企業、団体の報告をしているのだとレインが教えてくれた。ドーム副長官がセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンを非公式に訪問したことを口外しないよう、手を打つのだ。 コロニー人のドーム副長官が地球の街角で暴漢に襲われたと公に知られれば、外交問題に発展しかねない。マルホランドがこれから駆けずり回ってケンウッドの足跡を消して廻るのだ。ケンウッドは溜息をついた。

「私が余計なお節介をしようと試みたばかりに、大勢に迷惑をかけているなぁ・・・」
「お節介? 何です?」

 レインが耳聡く尋ねた。接触テレパスの能力を持つ若者に、ケンウッドは思い切って今回の旅の真の目的を明かした。

「実は、ニュカネンに恋人がいると言う噂を聞かされてね・・・どんな女性なのか見ようと思ったんだ。外の人間との恋愛は、ドーマーの将来に重要な意味合いを持ってくるからね。」

 その噂を教えてくれたクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは、レインはニュカネンの恋を知らないと言ったのだが、レインはケンウッドの口から聞かされても驚かなかった。

「先刻市役所で博士のお世話をした女性ですね。ニュカネンとかなり親しい様子でしたから、俺もピンと来ました。」

 親しい様子、どころではなかった。抱き合っていたし、キスもしていた。リュック・ニュカネンは本気で彼女を好きになっている。

「君は知っていたのかね?」
「あの唐変木は嘘をつくのが下手なのです。市役所に相手がいると勘付いていましたが、相手を実際に見たのは、今日が初めてです。」
「どのくらいニュカネンは真剣なのかな?」
「俺にはわかりません。」

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーに真剣に恋をしていたレインは、同じ部屋兄弟のニュカネンには殆ど無関心だった様だ。しかし今日はしっかり相手の女性を見ていた。

「あの女性もニュカネンのことを思っている様ですね。親切で気が利く人だと思います。車に乗り込む時に紙袋をくれたでしょう? 博士の為に水と熱取りジェルのパックを買ってきてくれたのです。俺達の為の軽食も入っていました。」

 どこまで真剣なのかなぁとレインが呟いた。その彼は、ドーマーだった父親が外の女性に恋をして、ドームから去って結婚した結果、産まれたのだ。ケンウッドはふと思った。
リュック・ニュカネンを手放すことになるのだろうか?






2017年11月9日木曜日

退出者 4 - 6

 遺伝子管理局の車は防弾処理が為されているので、ボディの表面に弾丸がかすった痕が残っていただけだった。往路の運転はレインがしたので、復路はニュカネンがハンドルを握ることになった。ケンウッドが後部席に座ると、レインも助手席ではなくケンウッドの隣に乗り込んだ。右腕が剥き出しになっているケンウッドを気遣い、自身の上着を脱いで体にかけてくれた。
 アンナスティン・カーネルが車に駆け寄って来たので、ニュカネンが車外に出た。彼女が大きな紙袋を彼に手渡し、何か言っていたが、車内の人間には聞こえなかった。
 ケンウッドは背筋に悪寒が走るのを感じた。体の奥から寒気がする。右腕の傷は鈍痛で、そこだけ熱い。微かながら身震いすると、隣のレインがすぐに気が付いた。

「ご気分が悪いのですか?」
「いや・・・大丈夫だよ・・・」

 しかし実際は酷い眠気がしていた。目眩かも知れない。呼吸も浅くなってきた。
 ケンウッドの容態の変化にレインは当然気が付いた。副長官の額に手を触れ、まるで熱い鉄でも触ったかの様に素早く引っ込めた。彼は車外のニュカネンを振り返った。ニュカネンとカーネルが抱き合って別れを惜しんでいるところだった。背景の夕陽は真っ赤で、下町も赤く染まっていた。
 レインは舌打ちして、窓を開けて声を掛けた。

「博士がお疲れだ、ニュカネン、早く出発しろ。」

 ニュカネンはカーネルに素早くキスをして、運転席に滑り込んで来た。

「申し訳ない、すぐに出発する。」

 ニュカネンの運転は慎重だ。発車も静かだった。ケンウッドはカーネルが手を振っているのを見た。

「素敵な娘さんじゃないか。」

気力で元気なところ見せようと、彼はニュカネンの背中に話しかけた。ニュカネンは照れくさいのか、

「ええ、聡明で親切な人です。」

と真面目な答え方をした。レインは口元に謎の微笑を讃えたまま、無言で窓の外を眺めた。
 ニュカネンは話題を変えたいのだろう、レインに犯人から情報を引き出したかと尋ねた。ケンウッドもその答えを聞きたかったが、強い眠気に襲われた。発熱で頭がぼんやりして来たのだ。彼は気力を振り絞って提案した。

「君達は局長に報告をするのだろう? ここで喋っては二度手間になるだけだ。ドームに帰って君達が局長に報告したことを私はハイネから聞くことにする。」

そして

「疲れたので、ローズタウンに着くまで寝ておくよ。」

と言って目を閉じた。


退出者 4 - 5

 セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンの市役所の医務室には簡単な設備ながら手術室があって、虫垂炎程度の手術なら行えた。ケンウッドの怪我は、弾丸がかすった擦過射創で、切り傷などではなく、肉が削られてしまっていたので縫合は出来ない。医師は患者が痛がるのもものともせずに服の袖を切り取り、繊維を皮膚から剥がした。摩擦熱で繊維が微量ながら皮膚に焼き付いていたのを除去し、傷口を消毒して包帯代わりにジェルで肉を削られた箇所を埋めた。その上からシールを貼って、包帯を巻いた。
 ケンウッドは端末のIDを示し、カルテを作ってもらったが、医師は彼の身元に関して口に出すことはなかった。ただ一つだけ、「弾丸を跳ね返すような衣服は宇宙でも作れないのですか?」と尋ねたのだった。「地球では地球の衣服で」とケンウッドは答え、麻酔で痺れた腕を気にしながら立ち上がった。片腕の袖がなくなったので締まりがないが、ドームに帰る迄の辛抱だ、と自身に言い聞かせた。

「射創ですから、この後で発熱するはずです。化膿止めと解熱剤を処方しておきます。」

と医師が言った。ケンウッドはドームに帰ればヤマザキ・ケンタロウ医師に診てもらうつもりだったので、薬は要らないと思ったのだが、素直にもらっておくことにした。
 処置室を出ると、アンナスティン・カーネルが待っていた。ニュカネンは市長室にいると彼女は言った。市役所前で人が撃たれたのだ。何が起きたのか市長に説明しているのだと言う。ケンウッドはお忍びのつもりで市役所に来たので、ちょっと気まずく感じた。
 ニュカネンより先にレインがやって来た。警察の人間を同伴していた。刑事がケンウッドに見舞いの言葉を掛け、事情を聞いても良いかと尋ねた。ケンウッドは後ろから撃たれたので何も見ていないとしか答えられなかった。

「私の他に怪我をした人はいなかったのですか?」

 ケンウッドが市民にも被害が出ていないか心配すると、刑事が教えてくれた。通行人が1人流れ弾で怪我をしたが命に別状はないこと、別の通行人が逃げようとして転倒し、2名が脚に怪我をしたこと、駐車車両3台が銃弾で傷物になったこと等。

「テロですか?」
「それはこれから取り調べます。」

 刑事はレインをチラリと見て言い訳した。

「遺伝子管理局の麻痺光線銃で犯人が麻痺状態になっていて、話が出来ないのです。」

 レインはすまし顔だ。ケンウッドは彼が接触テレパスで既に犯人から情報を得たのだな、と推測したので、それ以上刑事に質問するのを止めた。
 遅れてニュカネンが市長を連れて来た。市長はケンウッドに事件を詫びて、市長室へどうぞ、と言ったが、ケンウッドは早く帰りたかった。時刻は夕方の5時で、ドーマー達は抗原注射の効力が切れると動けなくなる。

「申し訳ありませんが、我々はドームに事件の報告をしなければなりません。ここでお暇致します。」

 レインもニュカネンも異論なさそうだ。ケンウッドはカーネルを振り返った。ブルネットの美女はニュカネンと見つめ合っていた。ケンウッドはさりげなく彼女に声を掛けた。

「今日はびっくりさせてすまなかった。親切にして頂いて有り難う。」

 カーネルが振り返って微笑んだ。

「いいえ、市民が貴方に暴力を振るったことをお詫び致します。どうぞお大事に・・・」



退出者 4 - 4

 遺伝子管理局長付第1秘書ジェレミー・セルシウス・ドーマーはドームの森の中を歩き回っていた。時刻は午後4時で、遺伝子管理局本部では殆どの職員がその日の業務を終えて運動施設へ体力創りと格闘技などの武術の練習に出かけていた。局長室では通常秘書が先に仕事を終えて部屋を出るのだが、その日は局長が早々と日課を片付けてしまい、「お先に失礼」と部屋を出てしまった。局長室独自のルールでは、3人の部屋の住人のうち最後まで残った者が戸締まりをして本部を出ることになっている。多くの場合、局長が最後まで残って、大概は午後6時頃まで仕事をしているのだが、たまには秘書が遅くまで残ることもあるのだ。
 そして、こんな時に限って、外廻りの局員から緊急連絡が入った。ことの重大さに驚いたセルシウスは局長の端末に電話を掛けたのだが、局長は運動中は電源を切っていたので出なかった。それで仕方がなくセルシウスは部屋を施錠して自らボスを探しに出て来たのだ。彼のボスは運動施設にはいなかったので、彼は森へ足を向けた。早く帰る時、局長は森で昼寝をする習慣だったことを思い出したのだ。
 歩いていると音楽が聞こえて来た。セルシウスはそれが昔懐かしいドーマーのロックバンド「ザ・クレスツ」のオリジナル楽曲だと気が付いた。「ザ・クレスツ」は昨年1回だけ、ヘンリー・パーシバル博士の送別会で復活したが、それを最後に解散したはずだ。
それに今聞こえてくる演奏は、お世辞にも上手とは言えなかった。誰かが「ザ・クレスツ」の曲を練習しているのだ。
 東屋のそばで、若いドーマー達が楽器を演奏していた。教えているのは「ザ・クレスツ」のドラマーで前ドーム維持班総代表のエイブラハム・ワッツだった。ワッツは引退後教育棟で情操教育を担当していた。日頃は子供を教えているのだが、この時は大人の若いドーマー達に指導していた。趣味のバンド活動のはずだが、ワッツは真剣だ。教わる方も真面目にやっていた。
 セルシウスは足を止めて彼等の演奏を暫く眺めていたが、東屋の向こうの芝生の上で寝そべっている人物に気が付くと、そちらへ足早に向かった。
 「ザ・クレスツ」のリードギター担当だったローガン・ハイネ遺伝子管理局長は芝生の上に肘枕で横になって、ワッツ達を見物していた。昼寝したかったのかも知れないが、そばで演奏をやられたので、眠れなかったのだろう。若いギター奏者が下手くそなので、ちょっとご機嫌斜めだ。その証拠に彼は秘書が近づいて来るのを知っていながら無視した。
 セルシウスは少し距離を置いて立ち止まり、ボスに声を掛けた。

「局長、リュック・ニュカネンから緊急連絡が入っています。」

 ニュカネンと聞いた途端に、ハイネはパッと身を起こした。その名の部下が誰と同伴しているのか、知っていたからだ。彼は秘書に向き直った。

「副長官に何かあったのか?」

 とても84歳とは思えぬ姿の彼は、やはり84歳とは思えぬ身軽さで立ち上がった。セルシウスは情報の重要性を考え、身振りで歩きながら報告しますと合図した。ハイネは直ぐに本部に向かって歩き出した部下に並んだ。
 秘書が小声で報告した。

「副長官が怪我をされた模様です。」
「何があった?」
「暴漢による銃撃です。」

 ハイネは眉を寄せた。

「ケンウッドの怪我は酷いのか?」
「詳細の報告はまだです。ただ、お命に別状はないとのことで・・・」

 ハイネは黙って頷いた。彼は本部に入る迄部下に連絡を取ることはしなかった。一つだけ秘書に尋ねた。

「リプリーにはその知らせは行っているのか?」
「いいえ・・・詳細がわかってからと思いまして・・・」
「それで良い。」

2017年11月8日水曜日

退出者 4 - 3

 市役所の建物内に入ると、人々が物陰から出てくるのが見えた。銃声を聞いて咄嗟に身を隠したのだろう。ケンウッドが出血しているのに気が付いた近くの人が「大丈夫ですか?」と声を掛けてきた。ニュカネンが医務室の場所を尋ねていると、「リュック!」と叫ぶ女性の声が聞こえた。
 1人の若い女性が駆け寄って来た。ブルネットの中背の女性で、長い髪を後ろで束ねて黒いリボンで括っていた。スーツは地味な濃いグレーでいかにも事務員と言った姿だ。彼女はニュカネンに飛びついた。

「無事だったのね?」
「私は平気だ。それよりケンウッド博士が撃たれた。」

 ニュカネンが早口で告げた。

「医務室へ案内してくれ、アンナスティン。」

 撃たれたと聞いて、彼女はケンウッドを見た。すぐに視線が腕に行った。

「歩けますね?」
「ええ、怪我は腕だけです。」
「こちらへどうぞ!」

 彼女はニュカネンに代わって、ケンウッドの左側に寄り添った。ニュカネンは数メートルついて歩いたが、すぐに後ろから追いかけてくるレインに気が付くと、女性に声を掛けた。

「博士を頼む。私は後始末をする。」

 ケンウッドはドーマー達が銃撃犯の取り調べをするのだろうと思った。それで女性に導かれるまま歩いて行った。
 彼女がニュカネンの思い人に違いない。何故なら、彼は彼女を信頼して副長官を託したのだから。
 ケンウッドは彼女に話しかけた。

「ご親切に有り難う。私はニコラス・ケンウッドと申します。」
「アンナスティン・カーネルです。ここの文化教育課で勤務しています。」

 アンナスティン・カーネルはケンウッドを見上げた。

「遺伝子管理局の方ですか?」
「いいえ・・・ドームの者です。」

 アンナスティンは一瞬足を止めたが、すぐに歩き出した。小さな声で囁いた。

「昨日大学に行かれたコロニー人の学者先生と言うのは、貴方ですね?」

 文化教育課に既に情報が来ているのだ。ケンウッドは正直に名乗って良かったと思った。下手に誤魔化していたら、後でややこしくなるだけだったろう。

「セント・アイブスの大学でどんな研究をしているのか、見学に来ました。個人的な訪問です。」
「リュックから伺っています。偉い学者先生をご案内すると聞いていました。」

 そんなに偉くないが・・・とケンウッドは心の中で苦笑した。

退出者 4 - 2

 ケンウッドは無意識に小さな悲鳴を上げて階段の上に膝を突いた。また乾いたパンパンと言う音が2回続き、男性の怒号が聞こえたが意味は聞き取れなかった。

「博士!」

 叫んだのはレインだったろうか、ニュカネンだったろうか? ニュカネンがケンウッドの体の上に覆い被さる様にして、叫んだ。

「伏せて!」

 別方向からもパンパンと音が響き、誰かが怒鳴った。

「殺すな!」

 ケンウッドは右の二の腕に左手を当てて、その手に付いた血を見た。

 まさか、銃撃?

 弾丸を用いる武器は地球だけのものではないが、宇宙では滅多に使用されない。宇宙空間で弾丸を使えば、その場所の人間が一瞬に全滅する恐れがあるからだ。しかし地球ではまだ昔の武器、兵器が残っている。寧ろ光線銃など見たこともない人ばかりだ。光線銃を持っているのは、政府軍の特殊部隊か、遺伝子管理局だけだが、遺伝子管理局の光線銃には殺傷能力はない。
 ニュカネンの鼓動が聞こえるぐらい体を密着させて、若いドーマーはケンウッドを庇ってくれていた。彼は装備している光線銃を抜き、首を捻って状況を見ようとした。ケンウッドは男達が怒鳴る声を聞き、数人で争っている様子だと判断した。
 腕が猛烈に痛かったが、彼はニュカネンに声を掛けた。

「君は怪我はないか?」
「大丈夫です。」

 と答えてから、ニュカネンがケンウッドの体から離れた。彼は立ち上がり、ケンウッドに手を貸して立たせてくれた。

「暴漢は取り押さえました。」

 ケンウッドは階段の上がり口で3,4人の制服警察官が1人の男を取り押さえているのを見た。そばに立っているのはポール・レイン・ドーマーで、警察官に何か言っていた。
 ケンウッドはレインが無事なのでホッと胸をなで下ろした。ドーマー達にもしものことがあれば、心から悔やまれる。レインもニュカネンもドームの大切な息子達なのだ。

「博士、血が出ています!」

 ニュカネンが初めてケンウッドの異変に気が付いた。服の袖が裂けて血が滲み始めていた。ニュカネンはケンウッドの無事な方の左腕を掴んだ。

「市役所の医務室に行きましょう!」
「これはかすり傷だ・・・」

と強がってみたものの、経験したことがない痛みだった。どうしても顔が強ばってしまう。
 ドーマー達は無菌状態のドームで育っているので、外の世界で負傷するとどうなるか、散々教えられてきた。耐性のない病原菌を体内に入れてしまうと大変なことになる、と彼等は教わるのだ。
 ニュカネンはレインに声を掛けた。

「レイン、博士が怪我をされたっ! 医務室にお連れする。」

 レインが振り返った。ニュカネンに腕を取られて階段を上り始めているケンウッドを見て、彼は警察官に何か言い、急いで仲間の後を追いかけた。