2017年8月20日日曜日

後継者 1 - 3

 訓練所は16歳から20歳前後の若いドーマー達が職業訓練を受ける場所だ。彼等は10歳の頃に大方が将来の職業を決められてしまうので、その進路に合わせて勉強する。勿論、訓練所で異なる適性が発露されて進路転換することも可能だ。つまり、ドーマーにとっては訓練所時代が一生を決める大切な時間と言うことになる。
 生まれながらに遺伝子管理局長になると決められていたローガン・ハイネ・ドーマーにとっては唯の「高校時代」みたいなものだろう、とケンウッドは思った。彼はここで仕事のやり方を学んだが、他の子供達とは全く別のことを教わったはずだ。つまり、「いかにして部下や後進を指導して行くか」と言うリーダーとしてのあり方だ。
 ケンウッドはとっくに気が付いていた。ハイネの喋り方が他のドーマーと異なると言うことを。発声からして違う。ハイネは低い声で話しても相手の心に響く様な音声で話す。抑揚も話す速さも発音も全部計算し尽くした様な話し方だが、勿論本人は自然に話している。彼を教育した執政官が、彼がリーダーとして人前で話すことを想定して幼児期から訓練したのだ。だから、初めて彼と対面するコロニー人達は、古い映画で見る地球の王侯貴族を彼の話し方から想像してしまう。そして彼の独特の容姿と合わせて彼は高貴な血統の生まれなのかな、と思うのだ。
 その日訓練所に居たのは15名の若者達で、ケンウッドの授業を受けた経験があるのは3名だった。勿論遺伝子管理局に入局が決まっている少年達だ。彼等は、ケンウッド先生とハイネ局長の見学に気が付くと、一気に緊張した。ケンウッド先生が副長官に就任したことは少年達にもとっくに伝わっており、彼等は「凄い人」に教わったことを誇りに感じた。その「凄い人」が、局長と言うドーマー界の超大物と同行して参観しているので、緊張度マックスだ。その時、彼等は護身術の訓練中だった。これは少年達全員が受けるので、15名の若いドーマー達はドーム幹部に「いいところ」を見せようと張り切った。
特に遺伝子管理局局員候補生3名と保安要員候補生2名は地球人らしい見事な筋肉を動かして格闘技を披露した。

「あの子・・・」

とハイネがケンウッドに1人の少年を指して囁いた。ケンウッドもその少年に気が付いていた。とても目立つのだ。身長はハイネと同じくらい高い。肩幅が広いがっしりとした印象だが、動きを見ているとかなりしなやかだ。筋肉も綺麗にバランス良く付いている。少年の肌は浅黒い。汗でキラキラと輝いている。アフリカ系とアメリカ先住民の血が混ざった南米系の少年だ。勿論、局員候補生なので、ケンウッドは彼を教えたことがある。正直なところ・・・

「あの子は落ち着きがなくてね・・・」

とケンウッドは囁き返した。

「かなりおちゃらけた性格で、養育係も手こずっている。」
「知っています。かなり特殊な生まれの子ですから。」

 少年は母親の胎内に居る時点でドーマー候補に選ばれたのではなかった。新生児誕生リストに載った段階で、母親が出産を拒否した。母親にも子供にも不幸なことに、性犯罪で宿ってしまった生命だったのだ。母親は堕胎を希望し、母親の家族も彼女を保護した警察も診察した病院も彼女の希望を受け容れてくれるよう、担当支局に訴えた。
 地球人類復活委員会は、この世に生を受けた者を大人の事情で排除することを良しとしなかった。彼等はアメリカ・ドーム南米分室に命じ、母親を保護し、胎児を生きたままで母胎から取り出した。胎児は直ちに人工子宮に入れられ、母親は子供が死んだものと思い込み、分室を去った。南米分室は胎児を育て、新生児としてこの世に出した。
 普通なら、その子は養子に出されるはずだった。しかし、父親が誰なのか判明しなかった。父親は遺伝子管理局のリストに載っていない違法出生者だったのだ。遺伝子履歴が判明しない子供はドームの外に出さない、と言う遺伝子管理法が適用され、その子はドーマーとして育てられることが決定した。ところが、ここで予想外のことが行われた。
 南米分室のスタッフ達は、その子がとても可愛らしかったので、ドーム本部に送らずに自分達で育てることにした。これは勿論違反だ。しかし、南米の大らかさで、彼等は自分達の決定を本部の連絡することもなく、その子供を育てた。まるで子犬を可愛がる様に、その子は自由気ままに分室と外の世界を行き来して、一般人と混ざって遊んでいた。
 何時まで経っても南米から子供が送られて来ないので、本部から連絡を受けた月の委員会から視察団が南米に行き、その子を発見した。子供は既に5歳になっていた。分室スタッフは更迭され、大規模な人員入れ替えが行われた。その間、子供は南米に留め置かれたままだった。遺伝子管理局長ハイネが再三にわたって月の委員会執行部をせっつき、やっと子供が北米のドーム本部に来たのは9歳になる直前だった。
 外の世界を知っている子供を他の幼いドーマーと一緒には出来ない。執政官達はそう判断した。その子は隔離養育された。教育の大本からのやり直し、子供の人としての認識の書き換えだ。南米分室での公用語はスペイン語とポルトガル語だったので、子供は英語教育もみっちり仕込まれた。厳しい教育を受けたのだが、その子は天真爛漫さを失わなかった。

「あっ! ローガン・ハイネとケンウッド先生だ!」

 局長を呼び捨てにして、少年が仲間から離れて2人の見学者のそばへ駆け寄って来た。

後継者 1 - 2

 養育棟はドームの中にあって別世界だ。そこでは新生児から15歳迄の少年少女が大人社会から隔離されて養育されている。彼等はひたすらドーマーと呼ばれる特殊な生活環境で生きる地球人として教育されるのだ。コロニー人には決して反抗しないが地球人としての誇りは持つこと、ドーマー達は全員家族で、血縁など絶対に意識しないこと。ドーマーの親は執政官であり、ドーマーの子は地球全体の子供であって個人の子供ではないこと。
 要するに、コロニー人がドーム行政を行うに当たって、都合の良い労働者を養育しているのだ。それがケンウッドの認識だった。子供達は誕生と同時に親から引き離され、親は代わりにクローンの女の子を与えられる。そして我が子だと信じて家族が待つ我が家へ帰って行く。残された子供達の大半は養子として外へ出されるが、執政官会議でドーマーとして採用が決まっている赤ん坊だけがドームに残され、ドーマーとして育てられる。
 ケンウッドはローガン・ハイネ・ドーマーと共に養育棟の建物に入った。IDをチェッカーにかざしてセキュリティを通り、通路を歩いて行くと、やがて賑やかな子供達の声が聞こえてきた。
 ハイネがこの3年間闘病生活をしていたので、現在新生児から3歳迄の子供はいない。現在いるのは3歳から6歳迄の幼い子供達8名だけだ。本来なら20人前後はいなければならないのだが。だからハイネは今回の会議で6名の補充を申請した。1年間に6名は多いのだが、3年のブランクがあるので仕方が無い。
 子供達は丁度砂場遊びの時間だった。室内に設けられた砂場で自由に転げ回って遊んでいた。相撲をしている子供や砂で何か山やらを作っている子供、ただ這いずり廻って砂の感触を楽しんでいる子供・・・。
 監督している養育係の執政官が副長官と遺伝子管理局長に気が付いて会釈した。幹部の見学は久し振りだ。前任者のリン長官の時代は殆ど誰も来なかった。養育棟は忘れられたのかと思われるほど、前任者は無関心だったのだ。だから、養育係は、ケンウッド副長官がニコニコしながら子供達を眺めているのを見て、心から安堵した。そしてハイネ局長が無表情なのを見て肩をすくめた。ハイネはドーマーだから、ここで育ったのだ。そしてドーマーだから、幼い者を見ても無感動だ。関心はあるのだが、幼子が可愛いとか、そんな人としての当たり前の感情がドーマー達には乏しい。女のドーマーはやはり母性本能があるのか、子供達を見ると触りたがるし、話しかけてみたり、抱いてみたりする。
 ケンウッドも隣に立っているハイネの無反応に気が付いた。ハイネは子供達が成長した時にどんな能力を発揮するか、それだけを想像しながら見ているのだ。友人のそんな様子に、ケンウッドは心の奥底で何かチクリと痛みに似た感情を覚えた。

 彼をこんな風にしか子供を見られない人間にしてしまったのは、我々執政官の責任だ。

 ケンウッドはわざと質問してみた。

「ハイネ、自分の子供時代を思い出したのかね?」

 ハイネが首を動かして彼を見た。

「半世紀以上も昔のことをですか?」

と彼が聞き返した。

「70年も前ですよ? 忘れてしまいましたよ。」
「そうかい? ダニエル・オライオンと遊んだろ?」

 言ってしまってから、ケンウッドは後悔した。オライオンは禁句にすべきだったろうか? しかし、ハイネは砂場に視線を戻し、そう言えば、と呟いた。

「砂の中が冷たくて気持ちが良かったです。ダニエルと2人で砂に潜って髪の中まで砂だらけになりました。養育係に叱られましたっけ。」

 と、彼は砂場の子供に不意に声を掛けた。

「おい、そこの坊主、砂を食うな!」

 養育係が慌てて砂を口に入れた子供の方へ走った。ケンウッドはちょっと安心した。ハイネは無感動なだけで無関心ではない。ちゃんと子供達の安全に気を配って観察していたのだ。養育係の助手のドーマー達が砂を食べるなと子供達に注意を与えるを聞きながら、2人はそこを後にした。
 次は訓練所だ。

2017年8月19日土曜日

後継者 1 - 1

 ニコラス・ケンウッドは大会議場を出ると一直線に最寄りのトイレに駆け込んだ。ドアの中に跳び込むと、驚いたことに洗面台の前にハイネ局長が立っていて手を洗っているところだった。ハイネはいきなり跳び込んで来たケンウッドにちょっと驚いた様子だったが、すぐ自身の背後の個室のドアを振り返った。閉じられたドアの向こうで「おえっ!」とヤマザキ医師の声が響いた。
 ケンウッドも空いている個室に跳び込んだ。ドアを閉じるのももどかしく、すぐに便器の上に体をかがめた。
 なんとか胃の中の物を出して楽になったので個室から出ると、壁にもたれてハイネがクックと笑っていた。

「『スリーピーボーイズバーボン』ですな?」
「そうかい?」
「あれを飲んだのは貴方とドクターの2人だけです。」
「口当たりの良い、飲みやすい酒だった・・・」
「あの酒は飲んでから数時間後に胃にくるのです。私はあれを初めてもらった時に酷い目にあったので、昨夜はパスしました。」
「一言言ってくれれば良かったのに・・・」
「コロニー人は大丈夫だと思ったんですよ。」
「2人で1本空けてしまった・・・」
「平気そうに見えましたがね。」
「飲んだ時は平気だった。会議中におかしくなったんだ。」
「ドクターはもっと早くに影響が出ていました。」

 すると、個室から声がした。

「アジア系は肝臓がそんなに強くないんだよ!」

 数分後、ヤマザキがまだ白い顔で個室から出て来た。洗面台で顔を洗い、口をゆすいで、やっと落ち着いた様子だった。

「局長は養育棟に行くんじゃなかったのかい?」
「これから行きますよ。貴方方が跳び込んで来たので、心配で様子を見ていただけです。」

 それでケンウッドはリプリー長官から休む許可をもらったことを思い出した。

「長官が気を利かせてくれて会議を休めるんだ。私も養育棟を見学に行っても良いかな?」
「どうぞ。」

 ヤマザキは哀しそうな顔をした。

「僕はコートニー医療区長が会議を欠席しているので、議場に戻る。」
「無理するなよ。」

 ケンウッドの思いやりの言葉にヤマザキは感謝の意を込めて微笑んだ。そしてハイネを見た。

「ところで、局長、貴方に酒を与えたのは誰です? ドーム内でドーマーに酒を販売出来るのはバーだけで、しかも店から持ち出し禁止のはずだが?」

 しかし、簡単に口を割るハイネではなかった。

「世の中、いろいろと親切にしてくれる人が大勢いましてね、その人々の善意を踏みにじる様な行いは、私にはとても出来ません。」
「ローガン・ハイネ・・・」
「あの部屋の中の酒の種類の数ほどの人数の名前をここで挙げろと仰っても無理です。」

 老獪な局長はニヤリと笑った。

「貴方は少なくとも5人の方の善意を飲まれましたし・・・」



2017年8月18日金曜日

侵略者 11 - 3

 その日の執政官会議は久し振りにドーマー採用検討会だった。出産管理区の責任者キーラ・セドウィック博士が次年度の新生児誕生予定票を中央の会議テーブルの3次元スクリーンに立ち上げた。白い文字で書かれた番号の新生児が取り替え子にされる子供達だ。これらの子供達の選定は先の執政官会議で為されているので討論の対象ではない。白文字の新生児の母親の名前の後ろに付けられた赤い星印、それがドーマー採用候補の印だった。赤い星を付けるのは遺伝子管理局長の仕事で、親の人種、職業、収入、社会的活動、地位、宗教などが選定要素とされている。さらに一人の母親が産む子供に関して、2人以上の取り替え子はしない。この年の採用予定数は6人で、ハイネは27人の候補に赤い星を付けていた。その27人の中から6人を選ぶのは執政官の仕事で、会議で何故その子供をドーマーにするのか、ドーマーにふさわしい遺伝子なのか、とことん話し合う。話合いの結果次第では6人未満になる場合もある。
 執政官達が話し合っている間、遺伝子管理局長は腕組みをして目を閉じ、船を漕いでいた。退屈なのだ。ドーマーになる予定の新生児はまだ母親の胎内にいるのだし、ドーマーとして取り替えられても、配属される部署が決定するのは10歳になる迄待たねばならない。地球人の出番は当分ない。だからハイネ局長は堂々と居眠りをしていた。
 副長官のケンウッドはそんなハイネが羨ましかった。昨晩、ホストのハイネが一番大量に酒を飲んだはずだが、少しも顔に出ない。誰にも気づかれていない。

 だから今まで彼に飲酒の習慣があるなんて誰1人夢にも思わなかったのだ。

 ケンウッド自身は二日酔いではないが、全身がだるくて早く横になりたかった。
 ヘンリー・パーシバルは自身の専門分野の研究に役立ちそうな新生児がいないので、無関心を装ってファンクラブと机の下でメールのやり取りをしていた。少し眠たそうだが、ケンウッドは助けてやれない。
 ヤマザキ医師は可哀想に宿酔で顔色が良くなかった。下を向くと気分が悪いのが酷くなるので顔を上げている。医療区の仕事が立て込んでいると言い訳して帰れば良いのに、とケンウッドは同情した。
 隣に座っていたリプリー長官がケンウッドに囁いた。

「昨夜は随分盛り上がったようですな。」
「お恥ずかしい・・・」

 ケンウッドも囁き返した。

「久し振りなので調子に乗りすぎました。次回は長官もいかがです?」

 リプリーが苦笑した。

「遠慮します。私は下戸なんだ。」

 その時、執政官の中からハイネ局長を呼ぶ声が聞こえた。

「局長、遺伝子管理局は新人を何人希望するのですか?」

 ケンウッドはそちらへ目を向けた。男の執政官が立ち上がってテーブル上の3次元リストを指しながら、数人の新生児にチェックマークを付けていた。
 ハイネは目を開いて面倒臭そうに応えた。

「そんな20年も先のことなんか、わかりませんよ。第1、私は生きていないかも知れない。」
「そんなぁ・・・」

 と執政官が不満気に声を上げた。

「局長が生きていないのだったら、僕等はなおさらだ。」

 議場内で笑いが起こった。ハイネは立ち上がった。

「20年先に人員の補充が必要かどうか、これから養育棟へ行って子供達を見て来ます。」

 意味不明のことを言い、彼は誰の返事も待たずに議場を出て行った。執政官達は呆気にとられた。討議はハイネ抜きでもかまわないが、彼が出て行った理由がわからないのだ。
 その時、ヤマザキ医師が立ち上がった。

「すみません、ちょっと席を外します。」

 顔が真っ青だ。リプリー長官が頷いて了承を伝えると、彼はすぐに出て行った。
 パーシバルがそれを見送り、ケンウッドを見た。ケンウッドは自身も胃がむかむかしてくるのを感じた。

 まさか、2日酔い?

  彼はリプリーに向き直った。

「長官、私も中座させて頂きます。どうも・・・体調が良くなくて・・・」

 リプリーは呆れるより先に笑った。

「この後が無理なら休んでもらって結構。会議で決まったことは後でメールしておく。」
「よろしくお願いいたします。」

 ケンウッドまでが立ち上がったので、パーシバルが不安気に見た。この男は何にも感じない様だ。ケンウッドは彼に微かに頭を下げ、急いで議場から出て行った。





2017年8月17日木曜日

侵略者 11 - 2

 ローガン・ハイネ・ドーマーの部屋は、コロニー人・ドーマー共通の妻帯者用アパートにあった。それも最上階の角部屋、一番上等の部屋だ。彼を育てた執政官達は、彼に最上級の部屋を与えたのだ。その証拠に、ハイネの部屋は本当に半世紀以上たった古い家屋の雰囲気を持っていた。部屋の数や配置は他の妻帯者用と変わらないが、寝室もリビングも少し広い。造り付けの家具もリフォームされた形跡が全くなくてアンティークなデザインのままだ。アパート自体はドームが建設された200年前から存在するが、インテリアは住人が替われば改装されるのが常で、古いインテリアは住人が交替していない証拠だった。
 ケンウッドは同僚の部屋に訪問したことが何回かあるが、殆どの執政官が仮住まいらしい質素な生活をしており、趣味の品物と研究資料しか部屋に置いていない。もっとも彼はドーマー用のアパートに入ったことがないので、ドーマー達がどんな私生活をしているのか知らない。部屋の造りはコロニー人もドーマーも同じはずだが。
 ハイネの部屋の装飾は、酒瓶だった。地球内外の綺麗なデザインの酒の容器が棚に並べられていた。狭いキッチンの食器棚もほとんど酒瓶だ。中身が入っているものがあれば、完全な未開封品もあった。酒瓶が載っていない棚はグラスが占拠していた。
 ケンウッドが見とれている間にハイネは寝室に入ってスーツから部屋着に着替えた。ケンウッドも上着を脱いでタイを外し、ポケットに入れた。楽な姿になった時に、ヘンリー・パーシバルとヤマザキ・ケンタロウがやって来た。室内に入るなり、2人は酒瓶コレクションを見て思わず歓声を上げた。

「ドームのバーに負けていないぞ、これは!」
「ハイネ、まさか毎晩飲んだくれてるんじゃないだろうな?」
「飲むのは次の日に大事な会議が入っていない夜だけですよ。」
「それじゃ、ほぼ毎晩だ。」
「違いますって!」

 寝室でハイネが怒鳴った。パーシバルはケンウッドを見てニヤリと笑い、手土産の箱を掲げて振って見せた。

「素直に白状しないと、ポン・デ・ケイジョをやらないぞ。」

 次の瞬間、電光石火の早業でハイネが寝室から跳びだして来てパーシバルを抱きしめた。

「本当に飲んでませんって、信じて下さい、愛しいヘンリー!」
「君が愛おしく思っているのはポン・デ・ケイジョだろ!」

 ケンウッドとヤマザキは腹を抱えて笑った。
 パーシバルを放したハイネが棚の説明をした。寝室に近い棚に蒸留酒、キッチンの棚は醸造酒、テレビのそばの棚は混成酒で、各上段が地球産、下段がコロニー産、それぞれ10種ずつ冷蔵庫で冷やしてあり、氷は充分用意してあること・・・。

「お好きなものをお好きなだけどうぞ。つまみは食品庫からご自由に出して召し上がって下さい。」
「待て待て、まずはケンさんが副長官に就任した祝いだ。」

 ヤマザキがワインの壜を冷蔵庫から出して、4つのグラスに注いだ。それで
4人でケンウッドの副長官就任と健康を祝福して乾杯した。
 次にまたヤマザキがグラスを満たし、ハイネの全快祝いだと言って乾杯した。

「忙しくて今まで祝えなかったからね。」
「それじゃ、次は僕だ。ポール・レイン・ドーマーがリンから開放されたお祝いだ。」

 それから4人はダリル・セイヤーズ・ドーマーが逃げたきり見つからないことに自棄酒だ、と乾杯し、その日出産管理区で赤ん坊が18人生まれたことを祝福して乾杯し、もうすぐ日付が変わると言って乾杯し・・・
 ケンウッドが喉の渇きで目が覚めた時、午前3時前だった。1,2時間しか眠っていないが、彼はいつの間にか入り込んでいた小寝室から出て、水を飲んで室内を見廻すと、ソファの上でヤマザキが寝込んでいた。主寝室のドアが開放されたままで、2つあるベッドの片方だけに何故かハイネとパーシバルが仲良く寝ていた。と言っても、パーシバルは壁にもたれかかって鼾をかいており、ハイネは彼の膝に頭を預けていた。

 確かに、ヘンリーはハイネをチーズで手懐けている。あの馴れ馴れしさは行政を担う者同士には不適切だな。

 ポン・デ・ケイジョの箱を覗くとまだパンが残っていたので、1個口に入れた。弾力のあるパンを噛んでいると頭が冴えてきた。もう少し寝たかったので、1個だけで止めて、また小寝室のベッドに戻った。

 ここで酒を飲んでしまったら、もう没収は出来ないなぁ・・・

そんなことをぼんやり思い、再び彼は眠りに落ちた。

2017年8月16日水曜日

侵略者 11 - 1

 翌朝の執政官会議でリプリー新長官とケンウッド新副長官はアメリカ・ドーム執政官達から名実共にトップに承認された。この会議には勿論遺伝子管理局長も出席しており、執政官の何人かはハイネの顔色を伺うかの様に、そっと彼の方を見た。ハイネは普通に新長官と新副長官を承認する拍手をして、会議は無事終了した。
 会議が解散すると、リプリー長官はケンウッド副長官、クーリッジ保安課長、ハイネ遺伝子管理局長を長官執務室に呼んだ。そして4名のドーム最高責任者によるマザーコンピュータアクセス権の書き換えを行った。サンテシマ・ルイス・リン長官の権利を削除して、リプリー副長官の権利も削除すると、次にリプリー長官の権利とケンウッド副長官の権利を登録する。2名を削除して2名を新たに登録するので、変化しない2名、クーリッジ保安課長とハイネ遺伝子管理局長の作業が多くなり、全てのコードの書き換えに夕方迄かかってしまった。リプリーにとっては2回目、クーリッジ、ハイネにとってこれは3回目の経験だったが、ケンウッドは初めてだったので戸惑ったし、閉口した。

「この4名の中の誰か1人でも交代すれば、その度にこの作業が待っているからなぁ。」

とクーリッジ保安課長がぼやいた。するとハイネが

「4名全員が1度に交代すればどうなるのです?」

と尋ねて、保安課長を考え込ませた。リプリーが長官らしくその点は学習しており、

「他のドームの長官が立ち会うのだ。地球人はそれとは別のドームの遺伝子管理局長が担当する。新人に手順を教えなければならないからな。旧メンバーは立ち会えない。新規のパスワードを覚えられてはいけないからだ。」
「理解しました。」

 ハイネが殊勝に新長官に頭を下げて見せた。
 ケンウッドは自身が地球の最高機密を扱うコンピュータのアクセス権を持ったことがまだ信じられなかった。

「私がこのコンピュータを呼び出すことがない様に祈っています。億と言う地球人の運命を背負っていると考えただけで押しつぶされそうな気分です。」

 ハイネがチラリと彼を横目で見た。貴方はそんなちっぽけな玉かい? と言われた様な気がして、ケンウッドは大きく息を吸った。

「勿論、責任を投げ出す様なことは絶対にしません。」

 リプリーが苦笑した。

「私が言おうと思ったことを言わないでくれないか、ケンウッド副長官。」

 上位の者の喋り方が少し様になってきた。
 長官室の外に出て隣の会議室で仕事をしていた秘書達がやっと呼ばれて戻って来た。

「皆さん、お食事もまだなのではありませんか?」

とロッシーニ・ドーマーが心配して声を掛けた。リプリーが首を振った。

「ああ、今日はこれで終わりだ。みなさん、ご苦労様でした。解散としよう。」

 ケンウッドが気を利かせて、一緒に夕食でも、と声を掛けたが、リプリー長官はまだ書類整理があるので携行食で済ませる、と言った。彼は秘書達に帰宅を許可したので、残りの人々は長官室を辞した。
 通路に出ると、クーリッジ保安課長もまだ用事があるから、と保安課本部へ足早に立ち去り、ケンウッドとハイネの2人だけが残った。ハイネが尋ねた。

「どちらの食堂にします?」

 ケンウッドはアパートに近い中央研究所にしようか、気安く食事が出来る一般食堂にしようかと迷った。ハイネは一般食堂の方が好みだな、と思ったのだが、そのハイネが

「今日は疲れたのでアパートに近い方にしませんか?」

と提案したので、結局中央研究所の食堂に出かけた。
 遅い時刻になっていたので、食堂は空いており、マジックミラーの壁の向こうの出産管理区も半分照明が落とされていた。妊産婦達の食事時間はとっくに終わって、一部のスタッフが利用しているだけだった。
 夜も遅いので、ハイネは軽いサラダやデリカテッセン類だけを取った。ケンウッドもメインを少量だけ取り、サラダ類だけでお腹を満たした。
 2人で静かに食べていると、やがてハイネが話しかけて来た。

「昨日は15代目と何を話しておられたのです?」
「気になるのかい?」
「あの後で爺様を『黄昏の家』に送って行く時、あの人が妙に静かだったので。喋り疲れたのだと推測しました。」

 ケンウッドは思わず笑った。ハイネは更に続けた。

「エイブラハムとジェレミーも貴方の秘書を連れてサロンに移動していましたし・・・」

 ケンウッドは隠し事は好きでなかった。しかし真実が必ずしも善と言う訳でもない。

「副長官としての心得を講義してもらったんだよ。」

 これは嘘ではない。半世紀前の執政官が犯した過ちを教えてもらったのだ。支配者側の身勝手な考えで1人の若いドーマーの心を深く傷つけてしまったと言う過ちを。マーカス・ドーマーは人間の純粋培養計画の愚かさを伝えてくれた。人間を動物園の希少動物みたいに扱うことの恐ろしさを教えてくれた。
 ハイネは、その恐ろしい体験をした本人はとっくにそれを乗り越えたのだろうが、ケンウッドの顔を眺め、ふーん、と言ったきりでそれ以上は聞かなかった。
 ケンウッドの端末に電話が着信した。出ると、ヘンリー・パーシバルだった。

「もうコード書き換えは終わったのかい?」
「うん。今、ハイネと2人で晩飯中だ。」
「どこで?」
「中央・・・もうすぐ終わる。」
「飲まないか? ちょっとお祝いしたい。」

 するとハイネがその声を聞きつけてケンウッドに囁いた。

「よろしければ、私の部屋で飲みませんか?」

 ケンウッドは思わず彼の顔を見た。もしもし? とパーシバルが声を掛けた。
ケンウッドはハイネを見たまま、端末に言った。

「ハイネが彼の部屋に来いとさ。」
「マジ?」

 パーシバルの声のトーンが上がった。

「行って良いのか?」

 ハイネが声を出した。

「どうぞ、ご遠慮なさらずに。」
「そんじゃ、ヤマザキも連れて行くぞ?」
「どうぞ。」

 ケンウッドは時間を打ち合わせして電話を終えた。ハイネが可笑しそうに言った。

「あちらは既に飲んでますね。」
「その様だね・・・ハイネ、今夜は覚悟しておいた方が良いぞ。明日は遅刻するかも知れない。」


侵略者 10 - 14

 ケンウッドは、ローガン・ハイネ・ドーマーとキーラ・セドウィック博士の言動を思い出してみた。
 彼女は、世の中の娘が父親に振る舞う様に振る舞っていた様な気がした。彼の身の回りの世話をして、彼を守る為に小細工を縫いぐるみに仕込み、彼のミスを見つけて叱ってみたり・・・。彼を抱きしめてキスをした時、唇にだけしなかったのは、男女の仲ではなかったからだ。
 一方、ハイネは女装した折にキーラに似ていると当時のリン長官に気づかれない様に用心深く行動した。彼女に言いたい放題やりたい放題させているが、怒るでもなく、かと言って無視するでもなく。
 互いに父と娘だと知っているに違いない。キーラは母親から地球にいる「囚われの身」の父親の話を聞かされていたのかも知れない。しかし、よもや任務で地球を訪問した時に、同じ事件を捜査する者同士として出会うとは夢にも思わなかっただろう。あまりにも特徴があり過ぎるハイネの姿を見て、彼女は彼が父親だとわかったのだ。

「キーラ博士は警察官として来たのですね?」
「そうです。彼女は1度宇宙へ帰りましたが、元々母親と同じ研究者としての修行もしていたのでしょうな、次は2年後で、産科医として派遣されて来ました。」

 最初の出会いの時は、恐らくハイネは何も知らず何も気が付かなかった。マーサ・セドウィックによく似た若い女性がセドウィック姓を名乗っても、全く気が付かなかった。
多分、キーラの方から正体を明かしたのだ。ドーマーの父親は一体どんな反応をしたのか、それはケンウッドには想像がつかなかった。マーカス・ドーマーもそこまでは語らなかった。

「先月、月から地球人類復活委員会の幹部が3人、ここへ来たそうですな。」

とマーカス・ドーマーが尋ねた。ケンウッドが肯定すると、彼は「ふん」と鼻先で笑った。

「きっと連中はさも懐かしげにローガン・ハイネをそばへ呼び寄せたのでしょうよ。」
「ええ、会議の後の夕食で・・・」
「誰と誰でしたっけな?」
「ハレンバーグ委員長、シュウ副委員長、ハナオカ書記長です。」
「ハレンバーグは西の回廊でローガン・ハイネを捕まえた張本人です。私は遺伝子管理局の局員で、あの日内勤でしたから、ハイネの追跡を命じられました。しかし、私が回廊の入り口まで行ったら、もう終わっていました。ハレンバーグが手錠を掛けたハイネを回廊から引きずり出すところでした。ハイネが泣いていたので、私は仲間に見るなと言いました。執政官達がドーマーのリーダーにするつもりで育てた男が泣いているのを見るべきではないと思いました。
 シュウは、色仕掛けでハイネに迫った女性執政官の1人です。彼と関係を持ったことは確かです。だが魅力ではマーサ・セドウィックに負けたのでしょう。マーサが彼と深い仲になったと勘付いて上層部に密告した女達の1人ですよ。」
  
 あの会議の後のディナーの席でハイネは幹部達にキスをした。あれは、親愛の情を示したのではなく、ただのパフォーマンスだったのだ。親愛どころか憎しみを抱いていたって不思議でない相手だった。

「ハナオカ書記長は?」
「彼はただの執政官でした。ハイネにも私にも日常顔を合わせて挨拶して世間話をするだけの人でしたよ。無害なコロニー人でした。」

 ローガン・ハイネ・ドーマーがコロニー人を嫌う理由が、ケンウッドに明かされた。ケンウッドはマーカス・ドーマーがこんな立ち入った昔話を聞かせてくれた真意を推し量ってみた。ハイネはケンウッドが長官職に就くことを望んでいる。ドーマー達は遺伝子管理局とドーム幹部が上手く折り合っていくことを望んでいる。第15代遺伝子管理局長だったマーカス・ドーマーは、ローガン・ハイネの個人的な歴史を語ることで、ケンウッドに「してはいけないこと」を教えてくれたのではなかろうか。ハイネ個人だけでなく、ドーマー達全員の心を侵略しないでくれと言う、老ドーマーの願いだ。

 ドアの外で微かに物音がして、ノックの後、セルシウス・ドーマーとワッツ・ドーマーがケンウッドの秘書を連れて戻って来た。

「そろそろ長官と局長が戻って来られます。」

とワッツ・ドーマーが言った。

「前回の長官就任式は中央研究所で適当にやってしまったので、手順がわからなくて苦労しました。正式な手順を踏んだ就任式はローガン・ハイネも初めてです。握手のタイミングを間違えたし、私もどこで名乗るべきか戸惑ったし、局内の案内も、本来ならもっと簡単にするはずでしたが、リプリー長官はここへ来られたのは9年振りで、局員の業務内容から説明するはめになって時間がかかった様です。思えば、リンはこの役所のことを何も知らないまま長官を務めていたのですね。だから副長官にも何も教えなかった。リプリー長官は不勉強を悔やんでおられました。」

 セルシウス・ドーマーがケンウッドを見て微笑んだ。

「貴方は大丈夫ですよね、副長官?」



侵略者 10 - 13

 ケンウッドが強い衝撃を受けたことを、マーカス・ドーマーは理解した。ケンウッドは何を言うべきなのか、どう受け止めるべきか、途方に暮れた。絶対にあってはならないことだ。起こるはずのないことだ。しかし現実に目の前に結果が存在していた。
 彼はカラカラになった喉から辛うじて言葉を搾りだした。

「マーサ・セドウィックと言う女性執政官は、ローガン・ハイネ・ドーマーの子供を産んだのですね?」
「そう言うことでしょうな。」

とマーカス・ドーマーは曖昧な答え方をした。
 ケンウッドは声が震えるのを止められなかった。

「しかも、女の子だった・・・」
「確かに、女性です。」

 ケンウッドは立ち上がった。

「これがどう言うことなのか、貴方はおわかりでしょう、マーカス・ドーマー? 当時の委員会にもわかったはずだ!」

 しかし、マーカス・ドーマーはこう言った。

「マーサ・セドウィックは子供の父親が誰なのか頑として明かしませんでした。」
「遺伝子が・・・」
「彼女は遺伝子検査を拒否したのです。彼女のものも、子供のものも。」
「父親は地球人の男ですよ! 地球人にも女の子が作れる証明じゃないですか!」
「そんなことはわかっていますよ。」

 15代目遺伝子管理局長だった老人は落ち着いたままだった。

「地球人の男とコロニー人の女が直接交われば女の子が出来る可能性があることは、最初からわかっていました。」
「・・・」

 ケンウッドはマーカス・ドーマーの言葉を頭の中で繰り返してみた。何か引っかかる。キーワードが存在する・・・
 彼は次第に冷静さを取り戻してきた。キーワードは・・・「直接」?
 前遺伝子管理局長が新副長官に優しく解説した。

「ドームで創る女の子は全員クローンです。コロニー人女性から提供される受精卵からクローン受精卵を作り、オリジナルは母親に返します。クローンの女性の赤ん坊を育て、ドームで生まれた男子の赤ん坊と取り替える。外で成長したクローンの女性が現在の地球人の母親達です。彼女達は男の子しか産まない。試しにドーマーとして育てた女の子3名をコロニー人と結婚させたことがありました。1世紀前の実験です。やはり男の子しか生まれませんでした。
 クローンの女性は男の子しか産めない。だからと言って、オリジナルの受精卵を地球にそのまま提供する訳にはいかない。数だって足りない。だから貴方方は研究しているのでしょう? 何故クローン女性は男の子しか産めないのか、と。」
「原因は女性側であって、男性側ではない?」
「しかしオリジナルの方は成長して女の子を産んでいる。」
「原因はクローン?」
「しかし、比較検査しても、違いはなかったそうです。」

 ケンウッドはクローン工学の専門家ではない。彼の研究は大気汚染が皮膚に与える影響、皮膚の老化現象が生殖細胞に与える影響だ。

「兎に角、マーサ・セドウィックは生まれた子供が研究対象にされるのを避けたかった。だから父親のわからない子として育てたのです。
 キーラ・セドウィック博士のプロフィールをご覧になられるとよろしい。副長官になられたのですから、閲覧出来るはずです。彼女の父親欄は空白です。遺伝子の特徴が書かれていますが、父親から受け継いだであろう項目は青文字です。先ず身体的特徴しか書かれていません。遺伝病はなし。進化型1級遺伝子もありません。幸いにも父親は彼女に身元を明らかにする決定的なものを与えなかったのです。」

 ケンウッドは深呼吸した。今までもやもやしていたものが晴れてきた感じだ。

「2人は互いの関係を知っているのですか?」
「どうでしょうな。」

 マーカス・ドーマーはちょっと目を閉じた。喋り疲れたかとケンウッドが危惧しかけると、また彼は目を開いた。

「キーラは最初、警察官としてここへ来ました。『死体クローン事件』はご存じですな?」
「はい。」
「彼女は上司である刑事のお供で初めて地球へ下りて来ました。そして遺伝子管理局内務捜査班の捜査官であるローガン・ハイネ・ドーマーと出会いました。」

 それは運命だったのだろうか? ケンウッドは運命と言う言葉が好きではなかったが、ふとその単語を思い浮かべてしまった。

「ローガン・ハイネは彼女に気が付きませんでした。ドーマーですからな、いなくなった初恋の女性が子供を産むなどと想像すらしなかったのです。」



2017年8月15日火曜日

侵略者 10 - 12

 ランディ・マーカス・ドーマーはケンウッドの目をじっと見つめて、

「これから話すことは他言無用に願います。勿論、私が貴方に話したことをローガン・ハイネに明かしてもらっては困る。」
「わかりました。誰にも言いません。」

 ケンウッドが誓うと、老ドーマーは彼に尋ねた。

「ローガン・ハイネに弟が居たことはご存じかな?」
「はい、ダニエル・オライオン、その人から聞きました。」
「そうですか、では話は早い。オライオンがドームを去った後、ローガン・ハイネはふさぎ込みました。執政官達は彼の機嫌を取ろうとあの手この手で試してみましたが、無駄でした。そのうちに執政官達が恐れていたことが起こりました。彼がドームを脱走しようとしたのです。」
「ええっ!」

 ケンウッドは仰天した。ローガン・ハイネ・ドーマーがドーム脱走を企てたことがあったのか?
 マーカス・ドーマーが苦笑した。

「外の世界を知らない男が企てたちゃちな計画でした。彼はカードと端末だけ持って、ただ弟に会いに行こうとしただけだったのですがね。外の世界のあらゆる汚れから遠ざけて育てたドーマーの外出を執政官達が許すはずがないでしょう。
 ローガン・ハイネは西の回廊の半分も行かない地点で追っ手に追いつかれ、抵抗空しく連れ戻されました。彼が人前で泣いたのは、あの時が最初で最後でした。」

 ケンウッドはわかる気がした。ハイネはオライオンの人生に責任を感じていた。同時に弟を深く愛していた。

「執政官達は、何か彼の気を紛らわせるものを与えようと考えました。そして、あろうことか、女に彼を誘惑させたのです。」
「女?」
「女性執政官達は彼に興味を抱いていましたから、候補は10人以上いたそうです。彼女達は若いドーマーを代わる代わる誘惑しました。彼女達にとっては遊びのレベルだったのでしょう。」
「まさか・・・ハイネは本気になった?」
「ローガン・ハイネは普通の男ですから。」

 最低だ、とケンウッドは思った。当時の執政官達は最低だ。弟を失って泣いた若者を色気で誘惑して寂しさを誤魔化したのだ。

「地球人保護法があるでしょう?」
「地球人側から告訴があればね。女性に本気で惚れてしまった若者が訴えるはずがありません。」
「彼が本気になって・・・女性側はどうだったのです?」
「彼女も本気になった。拙いことに・・・」

  マーカス・ドーマーはそこで言い淀んだ。

「地球人類復活委員会は、その相手の女性執政官を月に召還して、それっきりドームに戻しませんでした。ドーマー側の失恋と言う形で、連中は事態を収めたのです。」
「彼はまた落ち込んだのですか?」

 ケンウッドは若いハイネが可哀想に思えた。誕生日プレゼントに弟をもらい、弟をドームの外に出されてしまい、慰みに女性達に誘惑され、本気になった女性も取り上げられ・・・。

「我々執政官と名乗る人間達は、一体全体地球へ何をしに来ているのでしょうね。」

とケンウッドは呟いた。

「ドーマー達の心を弄んで、高みから見下ろして神様気分、飼い主気分で喜んでいる・・・ドーマー達を逆らわないように教育までして、心の侵略者も良いところですよ。」

 本気で腹を立てているケンウッドをマーカス・ドーマーが眺めた。

「そうやって本気で怒って下さる貴方を、ローガン・ハイネは信用しているのです。どうか、この地球の為に、若いドーマー達と共に働いて下さい。」

 そして最後に老ドーマーは爆弾を一つケンウッドの心に落とした。

「そうそう、ローガン・ハイネが惚れた女の名前は、マーサ・・・マーサ・セドウィックです。キーラの母親です。」


侵略者 10 - 11

「まぁ、お掛けなさい、副長官。」

 マーカス・ドーマーが声を掛けてくれたが、ケンウッドは自身のことだと気づくのに数秒かかった。セルシウス・ドーマーとワッツ・ドーマーが彼と秘書の為に椅子を出してくれた。ケンウッド達は礼を言って腰を下ろした。

「貴方とお会いするのは初めてでしたね。」

 ドーマーには「上から目線」で話しかけると言うルールが、この恐ろしく歳を取ったドーマーには適用されにくい。15代目遺伝子管理局長だった男が微笑んだ。

「私は30年局長を務めました。お陰でローガン・ハイネを随分待たせてしまいましたがね。貴方はこちら来られて何年目ですか?」
「6年目です。」
「新長官は9年目でしたね。お2人共重力障害は大丈夫ですか?」
「私は筋トレをしています。長官もそんなに苦にはされていない様ですが、あまり個人的な話をなさらない方なので・・・」

 セルシウス・ドーマーがお茶を運んで来た。マーカス・ドーマーは少しだけお茶に口を付けただけで、そばの局長執務机の上にカップを置いた。

「新長官はあまり長くおられないでしょうな。」

と彼は呟いた。

「あの人は望まない地位に戸惑っておられる。」
「その様ですが、今必要とされている人ですから・・・」
「では、あの人がやらねばならないことを、こちらも手伝って差し上げねば・・・」

 マーカス・ドーマーに視線を送られて、ワッツ・ドーマーが「了解しました」と呟いた。ドーム行政改革に協力してさっさとリプリーに辞めてもらおうと言う意味なのか? ケンウッドはドキリとした。コロニー人はドームを統治していると思っているが、実際はドーマー達、地球人が動かしているのだ。その証拠に、マーカス・ドーマーは新長官の耳には入れたくないことをずばりと言った。

「ローガン・ハイネは、貴方が長官になることを望んでいます。」
「えっ?」
「彼は貴方が地球を愛していると信じています。ですから、貴方には地球人を救う機会を与えたいと思っているのです。」
「私が地球人を救う?」
「貴方が女の子誕生の鍵を見つけてくれると期待しているのです。」
「それは・・・」

 それは執政官全員の夢であり願望であり目標だ。ケンウッドは言った。

「長官になろうと、ただの執政官であろうと、私が目指すところは一つだけ、女子が生まれない原因を突き止めることです。」

 ドーマー達が頷いた。ケンウッドの秘書はコロニー人だ。彼は博士の後ろで小さくなって座っていた。周囲に居るドーマー達は老人も含めて体格が大きく強そうに見えた。皺だらけのマーカス・ドーマーでさえ目つきが鋭い。秘書はちょっと恐かったのだ。ワッツ・ドーマーと目が合った時、彼はワッツが老人の言葉を他言するなと言った様な気がした。
 コロニー人達の緊張を感じ取ったのだろう、マーカス・ドーマーが不意に表情を和らげて微笑した。

「まぁ、一番の理由は、ローガン・ハイネが貴方を好いていると言うことですよ。」
「えっ?」
「彼がコロニー人を好きになるなんて、滅多にないことです。」

とワッツ・ドーマーも笑って言った。

「勿論。恋愛ではなくて友達として。」
「・・・でしょうね。」

 ケンウッドは何気なく言った。

「局長には女性の恋人がちゃんといるのだし・・・」

 一瞬、室内に沈黙が訪れた。

 え? 何か拙いことを言ったか?

 ケンウッドはうろたえた。 ワッツ・ドーマーがセルシウス・ドーマーを呼んだ。

「ケンウッド博士の秘書氏をサロンにご案内しろ。あちらの方がリラックスしていただけるだろう?」
「そうですね。」

 セルシウス・ドーマーはケンウッドの秘書に「こちらへどうぞ」と声を掛け、ワッツ・ドーマーと2人で半ば強引に局長室の外へ連れ出してしまった。
 ケンウッドは老いた15代目遺伝子管理局長だった男と2人きりになった。どうなっているのだ? 彼は不安気にマーカス・ドーマーを見た。老ドーマーが言った。

「彼女はローガン・ハイネの恋人ではありません。」
「そうですか? 仲が良いので、私はてっきり・・・」
「仲が良い? 彼女はまたここに来ているのですか?」
「またって・・・彼女は出産管理区で働いていますよ。確か30年間・・・」
「30年間? 彼女は5年しか居なかったはずだが・・・?」
「いや、30年間勤務しています。貴方が現役の頃にも居たでしょう?」

 マーカス・ドーマーはじっとケンウッドの目を見つめ、突然笑い出した。ケンウッドはぽかんとして彼を見つめた。からかわれたのか?
 しかし、老人はこう言った。

「貴方はキーラ・セドウィックのことを仰っているのですな?」
「え? 違うのですか?」
「勿論、キーラはローガン・ハイネの恋人などではありません。」
「そうですか・・・では、貴方方は一体私が誰のことを言っているのだと思われたのです?」

 とんだやぶ蛇だった、とマーカス・ドーマーが呟いた。

「半世紀以上前に、執政官達がしでかした過ちのことです。」






侵略者 10 - 10

 ケンウッドとリプリーは遺伝子管理局に出かけた。研究着を脱いでスーツ姿だ。後ろにそれぞれの秘書を従え、秘書もスーツを着ている。彼等が中央研究所から外に出ると、ドーマー達が足を止めて見送った。

 新しい長官と副長官だ。
 どっちが長官?
 前を行く方だろう?
 ケンウッド博士は知ってる。新長官は誰だっけ?
 顔は知ってる。名前が思い浮かばない。

 リプリーは「世間」の評判を全く意に介さない。目が合った相手にだけ軽く会釈するだけだ。ケンウッドは出来るだけ彼より目立たない様に務めた。それでも知名度が高いので声を掛ける人が多い。
 遺伝子管理局に到着すると、受付でロッシーニ・ドーマーが新長官と新副長官が局長に面会に来たと告げた。受付のドーマーが「伺っております」と言って、局長室に連絡を入れた。いつもくだけた雰囲気の人間が改まった口調で話すのがケンウッドには可笑しく思えた。
 リプリーが緊張しているのが後ろに居てもわかった。リプリーは着任した時に挨拶に来たきりで、遺伝子管理局を訪問するのはこれが2度目だ。彼はリンよりアメリカ・ドーム勤務が長く、一緒に働く遺伝子管理局長は実はハイネが2人目だった。しかしハイネの代になってからはここへ来たことがない。9年振りだった。局長室までは迷わずに来られた。ドアの前で立ち止まり、リプリーはケンウッドと秘書達を振り返った。

「もう引き返せないな。」

と彼が呟いた。ケンウッドは囁いた。

「毎日の挨拶と同様に肩の力を抜いて下さい。」

 リプリーは黙って前に向き直ると、深呼吸してドアをノックした。ドアが開かれ、セルシウス・ドーマーが姿を現した。彼は軽く頭を下げて、一同を中へ案内した。
 執務机の向こうにハイネ局長が、手前の左手にドーム維持班総代表のエイブラハム・ワッツ・ドーマーが、右手にはケンウッドが初めて見る、恐ろしく歳を取ったドーマーが座っていた。3人はコロニー人が入って来ると立ち上がって迎えた。老ドーマーは杖を突いていた。
 ケンウッドは部屋の中央にあるはずの会議用テーブルがないことに気が付いた。テーブルは足許の床に収納されてしまっていた。リプリーは仕組みを承知していたので、そのまま部屋の中央を歩き、3人のドーマーの長老の前に立った。ケンウッドはその後ろに立ったのだが、ロッシーニ・ドーマーからリプリーの隣に立つようにと囁かれた。
 リプリーがロッシーニ・ドーマーから教えられた通りに挨拶した。

「地球人類復活委員会から第24代アメリカ・ドーム長官を拝命したユリアン・リプリーだ。ドーム行政に全力を尽くすつもりでいる。以後よろしくお願いする。」

 ケンウッドも挨拶した。

「同じく、副長官に任じられたニコラス・ケンウッドだ。リプリー長官を補佐し、アメリカ・ドームの使命を1日も早く達成出来る様に尽力する。協力をお願いする。」

 もの凄くムズ痒く感じられた。
 ハイネが黙って老ドーマーを見た。老ドーマーがか細い声で挨拶した。

「遺伝子管理局第15代局長を務めたランディ・マーカス・ドーマーです。今日は16代目が新しい長官と副長官が来ると言うので、ご挨拶を思い、『黄昏の家』から這い出て来ました。」

 「黄昏の家」とは、ドームでの全ての業務から引退して余生を過ごす老いたドーマー達が住む場所だ。ドーム本体から少し離れた場所に建てられた小さなドームだったとケンウッドは記憶している。ドームと「黄昏の家」は地下道で繋がっているので外気に触れずに往来出来るが、執政官が管理しているので現役のドーマーは立ち入らない。
 ケンウッドはハイネより年上のドーマーを初めて見た。どんなに若くても92歳以上のはずだ。
 リプリーがマーカス・ドーマーに「どうぞお掛け下さい」と声を掛けたので、老ドーマーはゆっくりと椅子に戻った。そしてハイネに頷いて見せた。ハイネがちょっと頭を下げて、コロニー人に向き直った。

「遺伝子管理局第16代局長ローガン・ハイネ・ドーマーです。よろしくお願いいたします。」
「ドーム維持班総代表エイブラハム・ワッツ・ドーマーです。何代目かは自分でもわかりません。」

 ワッツ・ドーマーの挨拶にマーカス・ドーマーが笑った。

「おまえは23代目だよ、エイブ。」
「そうでしたか? もっと大勢前にいたような気がしました。」
「各班代表を数えれば100人は越えよう。」

 局長第1秘書のペルラ・ドーマーが咳払いした。ハイネが何かを思い出して、執務机の前に出て来た。リプリーの正面に立って、

「この度の長官就任、おめでとうございます。」

と言った。リプリーもロッシーニ・ドーマーの小さな咳払いに気が付いて、片手を差し出した。

「有り難う。これからもよろしく頼む。」

 素手で・・・リプリーは緊張度マックスになった。もし拒まれたら、と心拍数が跳ね上がった。ハイネが彼の手を掴んで揺すった。

「こちらこそよろしくお願いいたします。」

 強ばった微笑みを浮かべたリプリーの手を放し、ハイネは隣へ移動した。ケンウッドも手を差し出した。

「よろしく。」
「よろしくお願いいたします。」

 互いの命を助け合った仲だが、正式な挨拶として握手をするのは初めての様な気がした。
 ワッツ・ドーマーとも握手を交わし、マーカス・ドーマーは座ったままで、コロニー人の方から近づいて握手した。よく見ると、マーカス・ドーマーは車椅子だった。

「ローガン・ハイネ」

と老ドーマーが呼んだので、ハイネが彼のそばへ行った。15代目が16代目に命じた。

「新しい長官に局の中を案内して差し上げろ。」
「承知しました。」

 ハイネがリプリーにどうぞこちらへ、と手招きした。ケンウッドもついて行きかけると、ペルラ・ドーマーが「長官だけです」と引き留めた。そしてハイネとペルラ・ドーマーはリプリー新長官と(局の中を知り尽くしている)秘書のロッシーニ・ドーマーを案内して局長室から出て行った。





2017年8月14日月曜日

侵略者 10 - 9

 遺伝子管理局の局員は内勤の日の事務仕事を午後3時迄に終えるのが慣習だ。そして夕食迄の時間はジムやプール、運動場等で体力維持の鍛錬に費やす。ドーム維持班の各班も同じ様に体力維持が職務の一つになっているが、混雑を避けるためにそれぞれ時間をずらしている。ハイネ局長はそうした若いドーマー達の邪魔をしないように早朝や深夜に運動するので、午後も局長室で仕事をしていた。2人いる秘書のうち若い方のセルシウス・ドーマーは3時で上がってジムに出かけたが、年嵩のペルラ・ドーマーはまだ仕事中だった。彼はリプリーの秘書からリプリーとケンウッドが局長室に「ご挨拶に伺いたい」と言う、局長の空き時間の打診をもらった時、大きく咳払いして、奥で局長と騒いでいた女性達を黙らせた。

「局長、リプリー博士とケンウッド博士が『ご挨拶』に来られるそうです。」
「ご挨拶?」

とオウム返しに応えたのは、局長ではなく女性の方だ。局長の執務机の周囲には5人の女性執政官が座っていた。ハイネは新生児誕生予定表を眺めていたので、顔を上げて秘書を見た。

「リプリーとケンウッドが?」
「そうです。」
「どちらが長官だ?」

 ハイネには「ご挨拶」の意味がわかっていた。月の本部が辞令を出したに違いない。ペルラ・ドーマーが真面目な表情で答えた。

「ロッシーニ・ドーマーからの電話ですから、リプリー博士でしょう。」
「そうか・・・」

 ハイネは一瞬がっかりした表情をした。ペルラ・ドーマーとキーラ・セドウィック博士はそれを見逃さなかったが、黙っていた。ハイネは時計を見て、1時間後に来てもらえ、と言った。ペルラ・ドーマーがそれを告げると、こちらが待たせた時間の長さで、局長室の失望を感じ取ったのだろう、ロッシーニ・ドーマーが丁寧に「よろしくお願いいたします。」と言って電話を切った。

「リプリーではご不満?」

とキーラ博士が尋ねた。女性達が興味津々で見つめるので、ハイネはぶっきらぼうに応えた。

「あの男はケンウッドより堅物だから。」
「でも行動は読めるわよ。」
「そうだが・・・」
「会議にもちゃんと呼んでくれるわ。」
「わかっているが・・・」
「そんなに長く長官室には座っていないわ。あの人は研究者としてここに来たのですもの。」
「ケンウッドも研究者だ。」
「気合いの度合いが違うの。リプリー博士はやり始めたら邪魔が入るのを嫌う人よ。今はドームの改革に熱中している。改革が終われば自分の研究をやりたくなるわ。長官の椅子に固執しない。きっと辞表を出して月へ帰る。」
「彼は木星コロニーの出身だ。」
「どこでもいいじゃない。」

 彼女は部下の女性執政官がハイネに提出した書類に目を向けた。

「それより、早く取り替え子の中からドーマーに採用する赤ちゃんを決めて頂戴。」
「今年は6人ですよ、局長。」
「人種の偏りがないようにお願いしますわ。」
「居住地もね。」
「親の階層も考慮なさって。」

 ハイネは顔をしかめた。

「私が何年この仕事をしていると思っているのだ?」
「書類上は8年、でもブランクが3年。」

 女性達の攻撃にたじたじのボスを横目で見ながら、ペルラ・ドーマーはドームの外で結婚している元ドーマー達は毎日こんなやりとりを奥さんとしているのだろうか、と思った。

侵略者 10 - 8

 ケンウッドは月から戻ったリプリー副長官に呼ばれて副長官執務室へ行った。部屋に入ると、秘書のジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーから少し待つ様にと言われた。先客が居て、輸送班の代表マリオ・コルレオーネ・ドーマーがリプリーと何やら打ち合わせをしているのだった。リプリーは急ぐ必要はないと言ったが、コルレオーネ・ドーマーは今夜中にやってしまえると言い切った。夜中に仕事をした方が作業がはかどるのだと自信満々なので、リプリーは彼に全面的に任せると言って話をまとめた。
 コルレオーネ・ドーマーは直ぐに部下を招集して作業を開始しますと言い、ケンウッドに軽く会釈して部屋から出て行った。
 リプリー副長官がフーッと大きく息を吐いた。研究一筋が性に合っている男なので、ドーマーであれコロニー人であれ、人と付き合うのが少し苦痛なのだ。無難な男、と言うことでサンテシマ・ルイス・リンは彼を副長官に要請した。月の本部はリンと性格の異なる彼がリンの抑え役となると考えて承認した。結果的に抑え役どころかリンを排除する反対派の先鋒となってしまったが。リプリーとしては周辺で風紀が乱れて研究に没頭出来ないのが嫌だったのだ。
 秘書がケンウッド博士の入室を告げると、副長官は執務机にケンウッドを呼んだ。ケンウッドが机の前に立つと、開口一番、彼は言った。

「ニコラス・ケンウッド博士、アメリカ・ドームの副長官をお任せしたい。受けて下さい。」

 ケンウッドは瞬きした。暫し相手の言葉を呑み込めなかったのだ。

「あの・・・何と仰いました?」
「副長官になって欲しい、と言いました。私は長官職を押しつけられた・・・」

 告げる順序が逆だろうとケンウッドは思った。長官職に就くので、空いた副長官職におまえを、と言うべきだ、と彼はどうでも良いことを考えた。

「長官就任、おめでとうございます。」
「あ・・・有り難う・・・」

 リプリーはあまり嬉しくなさそうだ。そして彼の要請に即答しないケンウッドに不安気な視線を向けた。

「副長官をお願い出来ますか?」
「何故、私なのです?」

 ケンウッドも当惑しているので質問で返してしまった。リプリーは非常に困ったと言う表情で秘書を見た。助けを求めたが、ロッシーニ・ドーマーは気が付かないふりをして書類整理をしていた。
 リプリーが腹をくくって言った。

「貴方は遺伝子管理局長と仲が良いので。私と遺伝子管理局との架け橋になって欲しいのです。」

 ケンウッドはなんと返して良いのかわからない。どうにか言葉に出したのは、

「仲が良いのは、ヘンリー・パーシバル博士もヤマザキ・ケンタロウ医師も同じですし・・・」
「パーシバル博士は、残念ながら特定のドーマーを贔屓にするファンクラブを主催されている。公平に全てのドーマーを見ているとは、私には思えません。」
「いえ、決してそんなことは・・・」
「それに彼は軽い。」
「はぁ?」
「ハイネに対する振る舞いが慣れ慣れし過ぎます。それでは外部の人間が見ればハイネが彼のペットに見えてしまう。」
「・・・」

 リプリーの指摘はもっともだ。パーシバルはチーズを用いてハイネを手懐けてしまっている。挨拶に抱きしめられてもハイネはパーシバルを拒まないのだ。リプリーはパーシバルが敵ではないと承知しているので糾弾の対象にしないだけで、もし行き過ぎた態度が見受けられればきっと注意を与えるだろう。

「パーシバル博士はハイネの友達のままでいてもらいます。役職を与えるのは彼の為にも良くありません。」
「わかりました。」
「それにヤマザキ医師は医療区の業務に忙しい。副長官兼任は無理です。」
「ごもっともです。」
「ですから、貴方にお願いしたいのです。ハイネは貴方には逆らわない。しかし貴方方は距離を適度においている。互いに相手を尊敬し合っている証拠です。」
「しかし、月は・・・」
「月の本部は、私に副長官選任を任せてくれました。
 ケンウッド博士、私は長官の器でないことを自身承知しています。しかし、自分で火を点けてしまったドームの改革を他人に丸投げしたくはない。私はこれから風紀の乱れを直す為にどんどん悪役になります。貴方はドーマー達の不満や不信を感じ取るのが上手い。どうか、私の舵取りをして、私が過ちを犯さないよう見張って下さい。お願いします。」

 ケンウッドは、マリオ・コルレオーネ・ドーマーが呼ばれた理由を悟った。リプリーが長官執務室に引っ越すのと同時にケンウッドの部屋をこの副長官室へ移すようにと指図されたのだ。
 ロッシーニ・ドーマーは一切コメントをはさまない。ケンウッドの出方を観察している。恐らくパーシバルのハイネに対する態度を報告したのはロッシーニの部下だろう。内務捜査班は局長にコロニー人と距離を置けとは注意しないのか?
 ケンウッドはリプリーに言った。

「わかりました。副長官の話をお受けします。」
「有り難うございます。」
「私からもお願いがあります。」
「何でしょう?」

 リプリーが不安そうに見返したので、ケンウッドはちょっと可笑しくなった。

「その腰の低い話し方はもうお止めになられてはいかがでしょう? 長官になられたのですから、堂々となさって下さい。私にも命令口調で結構です。」
「しかし・・・これは私の地ですから・・・」
「秘書のロッシーニ・ドーマーに話しかけるのと同じで良いですよ。」

 するとロッシーニ・ドーマーがプッと吹き出して、「失礼」と横を向いた。ケンウッドはリプリーを検めて見た。この人は秘書にも丁寧に話しかけるのか?
 ケンウッドはきっぱりと言った。

「ですから、長官らしく話して下さい。さもないと、ハイネに舐められます。」
「舐められる?」
「向こうは82歳の爺さんです。我々は彼から見ればドーマーもコロニー人も全員、ガキ、なんです。ガキが下手に出れば、ガキ扱いされるだけです。堂々と大人として接しなければいけません。」
「そ・・・そうなのか?」

 リプリーはまた秘書を見た。ロッシーニ・ドーマーが渋々ボスに意見した。

「ドーム長官は遺伝子管理局長の『親』として振る舞わなければなりません。執政官は全てのドーマーの親なのです。それがドーム行政の基本です。」

 リプリーが考え、そして頷いた。

「わかった。」
「では、これから遺伝子管理局本部、局長室へ連絡を入れます。」
「何の為に?」

 ロッシーニとケンウッドは思わず顔を見合わせた。ケンウッドは新長官に向き直って言った。

「勿論、新長官と新副長官が、遺伝子管理局長に、就任の挨拶をしに行くのですよ!」




2017年8月12日土曜日

侵略者 10 - 7

 1ヶ月後、リプリー副長官は月の地球人類復活委員会本部に召還された。執行部の幹部や理事会幹部達が居並ぶ本会議で、彼は先ずサンテシマ・ルイス・リンが進化型1級遺伝子危険値S1のドーマーを逃亡させてしまった過失を問われて遺伝子学会から永久追放されたことを聞かされた。この処分は刑罰ではなかったが、リンが築き上げた製薬会社の信用を堕とすには充分だった。会社は彼を創業者ではあるものの役員解任を通告した。また。リンは地球人に性的関係を強制した罪にも問われ、こちらは刑事罰の対象となった。地球人側から告訴があったからだ。宇宙連邦裁判所の月の法廷では、地球人の証人喚問が不可能なので地球人保護法を用いて原告抜きで裁判を行った。リプリーはリンとそのシンパの行動を逐一本部に訴えていたので、証人として出廷するよう指示された。
 その後で、彼は本会議場でアメリカ・ドームの長官就任を打診された。リプリーはそれでは約束が違うと抗議した。

「ドームとしがらみのない新人が長官に選ばれると言う約束だったではありませんか。私は飽くまで繋ぎです。長官職は気が重い。どうか副長官のままで居させて下さい。」

 ハレンバーグが困惑して彼に言った。

「新しい人物が長官では、ドーマー達が不安がる。それにハイネ遺伝子管理局長もやり辛かろう。副長官を選ぶので、君は長官職に就いて欲しい。」

 リプリーは首を振った。

「私はハイネと上手くやっていく自信がありません。彼が私の長官就任を歓迎するとも思えません。」
「彼と喧嘩でもしたのか?」
「いいえ・・・彼の部下を10名ばかり、リン一派のペットになっていた連中を私の独断で処分してしまいました。ハイネの許可もなく降格したのです。ハイネは執政官の介入が気に入らなかったらしく、それ以来私に口を利いてくれません。」

 ハレンバーグ委員長はシュウ副委員長を見た。シュウは肩をすくめただけだった。心の中ではこう呟いていたものの・・・。

 この人は本当にハイネを知らないのね。彼はチーズを与えればすぐ機嫌を直すのに。

 ハレンバーグは譲歩した。

「では5年・・・5年間だけ長官職を勤めてくれ。その間に適任者を探す。」
「しかし、遺伝子管理局長は・・・」
「ハイネは己の役目をわきまえておる。君の妨害は決してせん。」

 リプリーはまだ未練がましく訴えた。

「ハイネはニコラス・ケンウッドには決して逆らいません。寧ろ、彼の指示には必ず従う。アメリカ・ドームの長官にはケンウッドが適任です!」
「リプリー君・・・」

 理事長が声を掛けた。

「ケンウッド博士はまだ若い。もう少しだけ辛抱して彼が長官職にふさわしい年齢になる迄待ってくれないか?」

 リプリーがやっと本部の人々の希望に従うことを承知して本会議は閉会した。
彼を始めとする人々が議場から出て行き、ハレンバーグ、シュウ、ハナオカ書記長、それに理事達が残った。ハレンバーグが残った人々を見廻して言った。

「さて、リプリーを長官に据えたことを、ハイネに納得させなければいかん。」
「ハイネは誰か別の人間を希望していたのですか?」
「言うまでも無い、ニコラス・ケンウッドだ。」
「それなら、リプリーの希望でもあるのに・・・」
「ケンウッドはまだ若すぎる。せめて後5年、ドームで修行してもらわないと。ドーマー全体を統治するのだから、それなりに経験を積んでもらいたい。」
「ドーマーを統治するのは遺伝子管理局の仕事ですよ。」
「だがドームの指導権はコロニー人が持っている。それをハイネは理解している。それ故、経験値の高い長官が必要だ。ハイネのサポートがなければドーム行政が出来ない長官は不要だ。ハイネも迷惑だろう? 遺伝子管理局は多忙なのだ。」


 

侵略者 10 - 6

 ハイネとリプリーが連れ立って去って行ったので、ケンウッドは検査室に入った。ジャック・エイデン・ドーマーがベッドの縁に腰掛けて泣いていた。ケンウッドがドアを閉める音で彼は顔を上げた。

「博士・・・すみませんでした。」

 いきなり謝られても理由がわからない。ケンウッドは優しく尋ねた。

「どうしたんだね? 気分でも悪いのか?」
「そうじゃありません・・・僕は博士にご迷惑をおかけするところでした。」
「迷惑?」
「遺伝子管理局長に叱られました。」

 ケンウッドは全く話が読めない。ハイネは副長官の部屋に行ってしまったし、エイデン・ドーマーはケンウッドが全てを承知していると思い込んで喋っている。

「エイデン・ドーマー、私には・・・」
「局長の命令に従って医療区へ行ってきます。博士の忠告も頂いているので、検査も受けます。」

 彼はベッドから降り、ケンウッドに頭を下げて部屋を出て行った。ケンウッドは何がどうなっているのか、さっぱり理解出来ないので、ハイネの端末に電話を掛けた。ハイネは直ぐに出てくれた。

「ハイネ、エイデンが医療区へ行ってしまった。一体、何がどうなっているのか、説明してくれないか?」
「では、すぐに副長官室へ来て下さい。」

 それだけ言うとハイネの方から電話を切った。
 リプリー副長官の部屋は通路を歩いて右折して検査室から5分も歩かねばならなかった。つまり、副長官も部屋に戻るのに時間がかかった訳で、ケンウッドが訪問した時はまだハイネはリプリーに部屋へ押しかけた理由を語っていなかった。
 副長官室は会議用スペースが小さいだけで、長官室や遺伝子管理局長室と似た造りだった。入り口を入ってすぐの秘書スペースにジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーが居て、せっせと事務仕事をしていた。中央研究所の建物の反対側の長官室に種類を取りに出かけた副長官が遺伝子管理局長と共に戻って来たので、お茶が必要かと考えているところに、ケンウッド博士もやって来たので、ちょっと戸惑った。
 ハイネ局長がリプリーとケンウッドに座って下さいと言った。誰が部屋の主かわからない。ロッシーニは取り敢えず3人分のお茶の用意を始めた。副長官は苦みの強いお茶が好きだが、局長はミルク入りでなければ飲まない。ケンウッドは何が好みだろう。
 ハイネはお茶の用意を待たずに話を始めた。

「ドーマーに中毒性のある薬物を混ぜた食物や飲み物を与えて従属させる者が、ドーム内にいます。」

 ケンウッドはリプリーを見た。リプリーも彼を見返した。お互いハイネが言った言葉の意味を俄には信じられなかった。リプリーがハイネに向き直った。

「しかし、ドーム内に麻薬を持ち込むなど不可能だ。」
「薬物はドーム内で製造出来ます。」

 ハイネが数種類の薬品の名を挙げた。

「これらをレシピ通りに調合すれば中毒性の薬物が出来ます。それを飲み物に入れて飲ませるのです。飲んだ人間は暫く快楽的な夢に浸ります。それを何度か繰り返させ、常習性の中毒者になったところで、命令を与えます。仕事をすればご褒美にまた薬をもらえる、と言い聞かせて。」

 彼の顔を見つめていたケンウッドは、ハッと気が付いた。

「ジャック・エイデン・ドーマーは薬物中毒者なのか?」
「中毒するまでは冒されていませんが、ご褒美がもらえるなら、ささいな悪戯はやってやろうと言う程度です。」
「ささいな悪戯?」
「診察を申し込み、執政官に手袋を外させて触診させ、後で無断で素手で肌に触れたと訴える・・・」
「まさか・・・」

 ケンウッドはエイデンの涙を思い出した。あれはケンウッドを罠に陥れようとした後悔の涙なのか?
 リプリーは別のことが気になった。

「そんな卑劣なことを考えたヤツは誰だ?」

 ハイネはエイデンから聞き出した執政官3名の名前を挙げた。リプリーは端末にそれを記録した。

「確かに、彼等は薬品に詳しい。他にも薬を与えられたドーマーはいるのかね、局長?」
「私が耳にしていないので、中毒症状に陥った者はいない様です。恐らく薬物の効力が薄いか、実験段階なのかも知れません。」
「貴方が挙げた名はリン元長官の一味に入って居る。もしかすると、ドーマー達と薬物遊びをするつもりで製造したのかも知れないな・・・許せない暴挙だ。」
「薬物を与えられたドーマーの調査は遺伝子管理局で行います。副長官は執政官の方をお願いします。」
「わかった!」

 ケンウッドは2人を見比べ、「私は?」と尋ねた。リプリーは何となく彼が部屋に呼ばれた理由がわかったので、ハイネに肩をすくめて見せた。ハイネがケンウッドに言った。

「もう少し用心深くなって下さい。」

 そこへロッシーニ・ドーマーがお茶を運んで来て3人に配った。

「副長官は濃いめに淹れました。局長はミルク入り。ケンウッド博士はご自分で味を調整なさって下さい、ミルクと砂糖はあちらにありますから。あ、薬物は入っておりません。ご安心を・・・」



侵略者 10 - 5

 ジャック・エイデン・ドーマーは20代の男で、少しぽっちゃりした体型だった。ドーマーで肥満している人は滅多にいないから、ぽっちゃり体型の男は「太ったヤツ」として見なされる。検査着に着替えて検査用ベッドの縁に腰掛けていた彼は、入室して来た執政官が2人だったので、びっくりした。思わず立ち上がってから、後ろにいる背が高い男が誰なのかわかって顔色を変えた。
 ケンウッドは気が付かないふりをして、「こんにちは」と挨拶した。

「では検査を始めよう。エイデン・ドーマー、君は前回の『お勤め』以後、貝類を食したかね?」
「あ・・・いいえ・・・」

 ケンウッドは手袋をはめた手で彼の体に触れ、前回湿疹が出た場所を診た。エイデン・ドーマーの肌は綺麗に治っていた。

「対処法を知りたいと言うことだが、これは食べないと言うことに限る。貝類の種類にもよるので、医療区で診てもらいなさい。ちゃんと検査してくれるから。」

 エイデン・ドーマーは少し緊張した面持ちで頷いた。目に微かに涙が滲んでいる。ケンウッドは気が付かないふりをした。

「このまま帰してもかまわないのだが、それでは『お勤め』の規定に反するので、血液採取と検体採取を行うが、承知してくれるかね? もし異存があれば、ここに遺伝子管理局長が立ち会っているから、申し立てると良い。」

 血液採取と聞いて、エイデン・ドーマーは不安げに局長を見た。局長が断ってくれないかと期待したのだろうか。ハイネは何も言わずに彼を見返しただけだ。ケンウッドが血液採取用の注射器の準備を終えて振り返ったので、彼は渋々腕を出した。しかし、ケンウッドが彼の腕を優しく掴むと、尋ねた。

「どうしても採取しないといけませんか?」
「注射が嫌いなのは誰も同じだよ。」

 ケンウッドは飽くまでとぼけて言った。このドーマーは何か秘密を抱えている。だからハイネやロッシーニが興味を抱いたのだ。エイデン・ドーマーは躊躇ってから、固い声で言った。

「ハイネ局長と2人きりにしていただけませんか?」

 執政官には言えないことか。ケンウッドはハイネを振り返った。どうする? と目で問うた。ハイネが頷いた。ケンウッドはエイデン・ドーマーを振り返り、わかった、と応えた。
 ケンウッドは部屋の外に出た。通路で壁にもたれてぼーっと立っていると、リプリー副長官が向こうから歩いてくるのが見えた。長官代理の副長官、かなり疲れて見えた。元々目立つのが好きでない人のはずだ。ケンウッドは姿勢を正してまっすぐに立つと、彼に声を掛けた。

「研究とドーム行政の両立はいかがですか、リプリー博士。」

 リプリーがハッと彼の存在に気が付いて顔を上げた。

「そこで何をしているんです、ケンウッド博士?」
「ちょっと時間調整です。」

 リプリーは検査室のドアを見た。中に誰かがいると言うのはわかったはずだ。

「『お勤め』の時間調整ですか。」
「ええ。」

 リプリーはまた歩きかけて、ふと足を止めた。

「そう言えば、変な噂を耳にしました。」
「変な噂?」
「飽くまで噂ですから、どうか気を静めて聞いて下さい。」

 まだ呑み込めないケンウッドの前に戻って来て、副長官が声を低めて囁いた。

「貴方が遺伝子管理局長に手を出していると言う・・・」

 ケンウッドは冷静でいられた。既にその手の噂は耳に入っていた。リンの一味が流していたのだ。リンが更迭されてまだ1日も経っていない。

「その噂はドーマーの間で流れているのですか、それともコロニー人の間で?」
「コロニー人の中で・・・恐らくリンの一味でしょう。根も葉もない噂であることは、私もわかっています。観察棟で収容者に手を出すなんて不可能です。それに、ハイネには誰も手を出せない。」

 リプリーが微かに笑った。

「その噂を流す人間を順番にリストに加えています。信じない人間は聞いても流しませんからね。貴方は不愉快でしょうが、暫く我慢して頂きます。」

 その時、ドアが開いてハイネが通路に出て来た。リプリーが跳び上がる程驚くのがケンウッドにはわかった。「清いドーマー」が「お勤め」室から出てくるか?
 ハイネは副長官に気が付くと、おや、と眉を上げた。

「こんにちは、リプリー副長官。これから今朝の続きですか?」
「あ、いや、偶々通りかかっただけで・・・」
「この後のご予定は?」
「やっと本業の時間だが・・・」
「ちょっとお部屋にお邪魔してよろしいですか?」

 いきなり遺伝子管理局長から訪問の申し込みを受けて、副長官は即答出来なかった。困惑して、躊躇って、ケンウッドを見た。一体何が彼を困らせているのか? ケンウッドが助けてくれると思ったのか?
 ケンウッドはエイデン・ドーマーが気になったが、副長官と遺伝子管理局長の会話の方が優先だろうと思ったので黙っていた。
 リプリーは腹をくくって、どうぞ、と言った。

侵略者 10 - 4

 不思議な爺さん、ローガン・ハイネ・ドーマーは約束通り午後1時過ぎにケンウッドの研究室に再び現れた。いつもはだらだらと午後の作業を開始する助手達が、今日はきびきび働くのが妙に可笑しい。
 ハイネは来客用の席に座って研究室の中を見物していた。珍しくはないだろうが、研究者毎に中の様子は異なるので、興味津々だ。助手達も彼の存在が気になって仕様が無いらしい。ある女性助手は早速お茶を淹れて彼に持って行くと、いろいろ話しかけている。彼は愛想良く相手をした。女性には常に優しいのだ・・・。
 ケンウッドは咳払いして彼女に勤務中だと言う事実を思い出させた。彼女を追い払って、彼は局長のそばへ行った。

「今朝はリプリー副長官の部屋に居たんだな? わざわざ『お勤め』の立ち会い代理を告げるためだけにここへ君が足を運ぶはずがないからな。」

 ケンウッドが推理を告げると、ハイネは微笑した。

「副長官はリン元長官の腰巾着達の新たな情報がないかと私に訊きたかったのです。私はずっと幽閉されていて情報量が限られていたので、内務捜査班に資料を提出させますと答えておきました。」
「内務捜査班チーフの目の前で?」
「ええ。」

 ケンウッドがロッシーニ・ドーマーの表向きの身分を知ったことに彼は驚きもしなかった。

「すぐ近くに居たのに、どうして私は彼に気が付かなかったのだろう?」
「彼は普段は助手として白衣姿で研究所内を歩いていますから。」

 身なりが違えば人間は雰囲気も変わるものだ。ロッシーニ・ドーマーは中央研究所内で研究者達の中に溶け込んでいるのだ。しかし一旦白衣を脱いでダークスーツに着替えると遺伝子管理局内務捜査班の精鋭に変身する。
 ケンウッドは以前からの疑問を思い切ってハイネにぶつけてみた。

「君は現役の頃、どこに潜伏していたんだ?」

 ハイネが彼を見つめ、やがて破顔した。

「潜伏だなんて・・・私は薬品庫で薬剤の管理人をしていました。執政官からの要請に従ってロボットに薬剤を計量させたり調合させたりして・・・不適当な薬剤使用がないかチェックしていただけです。」
「君は薬剤師だったのか・・・」
「そんなところです。」

 そしてもう1度ケンウッドを真面目な目で見た。

「今日の『お勤め』を受けるジャック・エイデン・ドーマーは不適切な薬物服用の疑いがあるので、私が来ました。」
「薬物?」

 ケンウッドはハイネが言った意味をすぐに呑み込めなかった。

「エイデンは貝類のアレルギーだが?」
「それは事実です。しかし・・・」

 その時、「お勤め」用更衣室にドーマー達が入室したと言う連絡が入った。ケンウッドの端末にライトが点滅し、執政官の籤引きが始まった。「お勤め」を担当する執政官は、その時刻に手が空いていると登録されている執政官達の中からコンピュータが無作為に選ぶのだ。当たった執政官は素直に検査を行わなければならない。ドーマーを待たせて彼等の勤務時間を必要以上に削ってはいけない。
 ケンウッドは今回エイデン・ドーマー自身からの逆指名が入っているので、籤の対象外だが、「お勤め」の指図者だから籤の結果が通知される。
 ケンウッドが当選した執政官の氏名を確認している間に、ハイネは席を発って近くの助手に白衣を借りたいと申し出た。長身の彼の為に一番背が高い助手が予備の白衣をロッカーから持って来た。

「『お勤め』の検査室に入れる執政官は1人と決まっているはずですが?」

と助手が心配するので、ハイネは笑った。

「私はドーマーですよ、先生。」

 遺伝子管理局長に「先生」と呼ばれて、助手は赤面した。彼はコロニー人だがまだ執政官ではない。ドーマー達からコロニー人として距離を置かれても執政官として尊敬の対象にされたことはなかった。ハイネは彼の白衣に袖を通しながら、

「汚さないように気をつけます。」

と言った。助手は、相手が彼をコロニー人として立ててくれているのだと気が付いた。それでも、彼は自身が相手を尊敬していることを伝えたかったので、応えた。

「貴方に着ていただけて光栄です、局長。」


2017年8月11日金曜日

侵略者 10 - 3

 昼休み、ケンウッドは中央研究所の食堂に行った。ヘンリー・パーシバルとヤマザキ医師が先に来ていて、既に食べ物を取って座っていた。ケンウッドが料理を持ってテーブルに行くと、パーシバルがヤマザキの筋肉疲労を笑っているところだった。

「地球人と同じペースで走れるなんて思うのが馬鹿なんだよ、君は・・・」

 みんなから馬鹿呼ばわりされてヤマザキはくさっていた。ケンウッドが席に着くと、パーシバルが話を説明しようとしたので、ケンウッドは「現場を見た」と言って遮った。

「私が行った時にはハイネは影も形もなかった。」
「彼は背が高いし、身体能力は見た目よりさらに若いからなぁ。足は速いだろうさ。」

 それでケンウッドは先刻の助手の指摘を思い出して、ヤマザキに尋ねた。

「ケン、うちの助手達がハイネが3年前より若返って見える、と言うのだが、どう思う?
私はずっと彼を見て来たので変化に気が付かないだけだろうか?」

 するとヤマザキが真剣な顔で言った。

「実は、見極め検査で採取した彼の血液を分析した結果、30代前半の時と同じ数値が出た。健康状態を維持出来る能力が優れているとも言えるが、遺伝子による細胞の活性化かも知れない。なにしろ黴を退治する為に大量の薬剤を投与したからね、どんな副作用が出るのか見当が付かない。彼の体に悪い結果は出ないはずだが、若返りは計算外だ。」
「一時的じゃないのか?」

とパーシバルは真面目に取り合わなかった。

「ハイネはその日の体調によって若く見えたり老けて見えたりするからな。」
「不思議な爺さんだ。」
「だから! その爺さんって呼ぶのは止めなよ。ケンだけだぞ、彼を爺さん扱いするのは。」

 その時、リプリー副長官が食堂に入ってきた。後ろに従えているのは秘書らしい。その男性の顔を見て、ケンウッドはもう少しでフォークを落とすところだった。副長官には関心がなかったし、秘書の存在など気にも留めなかったので、今まで気が付かなかった。

「あの男がリプリーの秘書かね?」

と囁くと、パーシバルが頷いた。

「うん、珍しいドーマーの秘書だ。リプリーは彼の有能さが気に入ってかなり以前から助手から秘書へ取り立てたらしい。ええっと名前はJC・・・なんか音楽家の名前だったような?」

 つまり、ジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーだ。急用と言うのは、リプリーが長官代理の副長官となって多忙になったから、秘書もフル稼働しなければならなくなったのだろう。ケンウッドの視線に気が付いて、ロッシーニ・ドーマーは軽く頭を下げた。勿論リプリーは秘書の正体を知らない。テーブルに着くと食事をしながら午後の仕事の打ち合わせだ。

「リプリーは忙しくなった様だな。」
「チクリ屋の報いだろう。」

 パーシバルはケンウッドも「チクリ屋」なのを知っているのだが、敢えて触れなかった。

「彼はリン派の粛正に着手したんだ。炙りだして糾弾するか、密かにドームから追い出すか、それの判断に当分時間を割かれるだろうよ。」


侵略者 10 - 2

 ケンウッドは研究室に入り、やっと落ち着いて仕事に取りかかれた。昨夜ドーマーの親方達と騒いだ助手も大人しく作業をしている。ドームの食堂では酒類は出さないので夜遅く迄騒いでも飲まないから、二日酔いの弊害は心配しないで済む。彼は作業が一段落付いた時に、ケンウッドに報告に来た。

「博士、昨夜フライングしてハイネ局長に着任の挨拶をしてしまいました。」
「私のアドバイスに従ってマリオ親方に紹介してもらったんだろ?」

 助手はエヘヘと笑った。

「はい。緊張して局長の前で固まっていたら、マリオから『そんなに固くなって、プロポーズでもする気か?』とからかわれました。そしたら局長が笑って手をさしのべてくれたんです。」

それでも彼はまだ固まっていたのだ。ケンウッドは一部始終を目撃していたが、コメントは控えた。

「ハイネは優しいだろ?」
「はい! もっと恐い人だと思っていました。でもあの後、世間話で盛り上がって、局長は監察棟に居た頃の失敗談とかいろいろ面白い話を語ってみんなを笑わせてくれました。」

 ケンウッドはその様子を想像出来た。ハイネは当たり障りのない話題を豊富に持っている。それを披露して若い連中をリラックスさせたのだ。語ってはいけない話は決してしない。
 後1時間で昼休みにしようと思う頃、研究室のドアチャイムを鳴らした者がいた。助手の1人が応対に出て、慌ててケンウッドに報告した。

「博士、遺伝子管理局長です!」

 助手達は驚いたが、一番驚いたのはケンウッドだった。過去に執政官の研究室を遺伝子管理局長が訪問した話を聞いたことがなかった。歴代の遺伝子管理局長は執政官と個人的な付き合いをしなかった。執政官に育てられても地球人としての誇りを保てと、執政官に教えられたからだ。遺伝子管理局長と言う役職は孤高の存在だった。しかし、現役の局長はお気軽にケンウッドの研究室に現れた。

「今日はジャック・エイデン・ドーマーの『お勤め』の日だったと思いますが?」

 とハイネ局長は応対に出たケンウッドに尋ねた。

「うん、午後1時半からの予定だ。」
「部下が急用で来られなくなりました。代わりに私が立ち会いますが、よろしいですか?」

 またもやハイネはケンウッドを驚かせた。部下とはロッシーニ・ドーマーのことだ。ハイネは内務捜査班の部下の名をケンウッドの助手達の前では言いたくないのだ。それにしても遺伝子管理局長がドーマーの「お勤め」に立ち会うなど前代未聞だ。何故ハイネもロッシーニもエイデン・ドーマーの「お勤め」にこだわるのだろう。他に2人のドーマーが選ばれているのに、彼等の方には関心がないのだ。立ち会った後で理由を聞かせてくれるのだろうか。
 ケンウッドは「かまわないよ」と答えた。

「昼食の後で、ここに来てくれ。ドーマー達が着替えたら検査室へ行く。」
「承知しました。では、昼休みの後で。」

 ハイネが立ち去ると、助手達が騒ぎ出した。特に女性達は大騒ぎだ。彼女達はこっそり写真撮影などしていた。

「博士、局長は3年前より若くなっていません?」
「まさか・・・」
「いいえ、私にもそう見えました。若返っています。」
「肌の艶なんか、羨ましいほどですわ。」
「そうだとしたら・・・」

 ケンウッドは皮膚の老化を研究する専門家だ。

「私は彼の皮膚サンプルを採ってこなければ・・・」
 
 冗談のつもりで言ったが、助手達の目は輝いていた。


2017年8月10日木曜日

侵略者 10 - 1

  翌朝、ケンウッドは早起きしてジョギングに出かけた。昨日はドーマーの脱走騒ぎや緊急会議で運動をさぼってしまったので、いつもの体調に戻す必要があった。
陸上競技場のトラックに入ると、前方をとぼとぼ歩いている男がいた。近づくと医師のヤマザキ・ケンタロウだった。肩で息をしながら運動着姿でコースを歩いているのだ。
 ケンウッドがおはようと声を掛けると、彼は疲れた声で返事をした。

「朝っぱらからなにくたびれているんだ?」
「くたびれている訳じゃない。」

 ヤマザキが言い訳した。

「ハイネが退院翌日に運動すると言うので、ぶっ倒れないか心配になって、一緒に走ったんだ。」
「馬鹿じゃないか?」

とケンウッドは思わずそう言ってしまった。

「この重力のある星で地球人と一緒に走るなんて・・・」
「重力を忘れていた訳じゃない。相手が爺さんだと思って油断したんだ。」
「ハイネを爺さんだと思うのは君だけだ。」

 ケンウッドは運動場を見廻した。ハイネの姿はどこにもなかった。ヤマザキは置き去りにされたのだ。

「もう少しすれば若いドーマー達が走り出す。彼等が来る前にジムのシャワーを使おう。」

 ケンウッドはヤマザキに合わせて速度を落とし、2人は並んで走った。

「ケンさん、君は重力が苦にならないのか?」
「苦にならないと言えば嘘になるが、筋力トレーニングを毎日欠かさず行っているから、怠けている人よりはましだね。」
「言ってくれるね。」

 ヤマザキはなんとか呼吸を整えて走るリズムを取り戻した。

「僕も筋トレを始めないと・・・体力が続く限りここに居たいんだ。」

 ケンウッドはチラリと彼を見た。地球人に魅せられた人間がここにも1人・・・。
 ジムの更衣室にもハイネはいなかった。とっくにシャワーと着替えを済ませて朝食を摂りに行ってしまったのだ。既に病気になる以前の生活を始めている。嬉しいことだが、3年間つかず離れず世話をしてきたコロニー人達はちょっと寂しかった。
 1時間後、一般食堂で朝食を摂っていると、入り口でどよめきが上がった。見ると、見慣れぬドーマーが居た。遺伝子管理局のスーツを着用しているが、頭部は髪の毛がなく青々とした坊主頭だ。じっと見て、それがポール・レイン・ドーマーだとわかった時は仰天した。
ヤマザキも少し遅れて気が付いた。

「確か、遺伝子管理局の『美人』だよな?」
「うん、ポール・レイン・ドーマーだ。あの頭はどうしたんだ?」

 ドーマー達もびっくりしている。一体どうしたのか、とレインに尋ねているが、レインは無視だ。緑色に輝いていた黒髪を綺麗に剃髪してしまった。それが却って妖艶な雰囲気を醸し出している。彼は食事のトレーを持って所属チームが集まっているテーブルへ行った。彼の先輩達も驚いて彼を見ていた。
 ヘンリー・パーシバル博士が現れた。彼はチラリとレインの方を見たが、驚いた様子はなく、ケンウッドとヤマザキを見つけると手を振って、急いで料理をトレーに載せて支払いカウンターへ行った。それで彼はレインの剃髪の経緯を知っているのだな、とケンウッドは見当が付いた。
 果たして、テーブルに着くなり、パーシバルは言った。

「昨晩、ポールとリンの送還を見送りに行ったんだ。」
「レインはあの頭で?」
「うん。僕も待ち合わせ場所に彼が現れた時は、腰を抜かしたさ。ポールはリンが彼の葉緑体毛髪を愛していたことを知っていたから、剃髪して見せに行ったのさ。もう2度とあんたの物にならない、と言いにね。リンに伝わったかどうかは、知らない。あの男はポールを見つめて何か言いたそうだったが、ポールが背を向けたので黙ったままシャトルに乗り込んだ。」
「レインはやっと自由になったのか。皮肉だな、セイヤーズは彼が自由になることを望んでいたが、彼自身が脱走することでレインはリンと決別出来たんだ。」

 遺伝子管理局の局員達は所属班毎に毎朝朝食会を開き、その日の業務打ち合わせをする。通常は支局巡りとメーカー摘発の打ち合わせだ。だが今朝はセイヤーズ捜索も業務に入っているのだ。

「セイヤーズは捕まったらどうなるんだ? 再教育か?」
「よくわからないが、恐らくそんなところだろう。」
「誰が再教育するんだ?」
「それは執政官だろう。遺伝子管理局の仕事じゃない。彼等はセイヤーズを捜索して捕縛するだけだ。」
「セイヤーズが自発的に帰って来てくれれば良いのだがなぁ・・・」


2017年8月9日水曜日

侵略者 9 - 17

 ドーマー達のテーブルで笑い声が一段と大きくなった。ケンウッドが振り返ると、助手がハイネの向かいに立っていた。彼の顔は紅潮しており、ドーマー達はその緊張振りを笑っていたのだ。ハイネは暫く黙って若いコロニー人を見上げていたが、やがて優しい笑みを浮かべて片手を差し出した。素手の握手を許可されたのだが、助手は舞い上がってしまってその意味に気が付かない。ケンウッドは局長の機嫌を損ねないかとハラハラしながら見守った。するとマリオ・コルレオーネ・ドーマーが助手の耳に何やら囁いて、若者を現実に引き戻した。助手は慌てて衣服で手を拭いて、差し出されたハイネの手を握った。ドーマー達がまた歓声を上げた。
 力が抜けてボーッとしてしまった助手を空席までマリオ・コルレオーネ・ドーマーが誘導した。 
 ハイネがケンウッドを振り返って、肩をすくめて見せた。彼はちゃんとケンウッド達がそこに居るのを知っていたのだ。ケンウッドは助手を受け容れてくれた彼に黙礼して見せた。
 ハナオカ書記長が元の席に戻ろうと立ち上がったので、ケンウッドは今夜はドームに宿泊するのかと尋ねた。

「いや、3時間後に発つ。サンテシマ・ルイス・リンも連れて行く。真夜中に出発すれば、ドーマー達の目につくこともないだろう。昼間の騒ぎを覚えているか? ドーマーが集結していただろう?」
「目の前で見ました。しかし、あの集結のメインは、ハイネの復帰を見に来ただけですよ。彼等は素直にハイネの言うことを聞いてくれました。」
「そんな風に同胞に指図が出来るように、我々はハイネを躾けたのだ。彼の誕生は偶然だったが、あの身体的特徴を発見した執政官は、使える、と思ったのだろう。若さを保つ細胞と純白の体毛だ。ミヒャエル・マリノフスキーの白髪は成長に従ってダークヘアの色素が抜けていったが、ローガン・ハイネは生まれつきだ。しかし色素欠乏症ではない。白変種だ。父親がああ言う色の体毛を持つ家系の出と言うことだ。そして母親から「待機型」進化型1級遺伝子を受け継いだ。神がかったドーマーとして育てると言うアイデアを、当時の執政官達は最善と考えたのだろう。あんな子供をドームの外に出せば、必ずメーカーに狙われる。だからドームに残してドーマー支配に利用しようと考えた・・・。」
「ハイネにすれば迷惑だったでしょう。」
「迷惑?」
「若い頃の彼は外に出たかった・・・。」
「彼はダニエル・オライオン・・・彼の部屋兄弟だ。」
「知っています。会ったことがあります。」
「そうか・・・では、当時のことを少しは知っているのだな。ハイネはオライオンについて行きたかった、それだけだ。ドームの外の世界がどんなものか、彼には知ったことではない、弟のそばに居られれば、彼は満足だったはずだ。」
「何故ドームはオライオンを引き留めなかったのです?」
「私が赴任する前の話だから詳しいことはわからん。恐らくオライオンが外の世界を知ってしまったので、閉じ込めるのは酷だと思ったのだろう。しかしハイネに外の世界の話を聞かせるのは歓迎出来ない、だからオライオンを外へ出した。そんなところだ。」

 ハナオカ書記長はドーマー達を目を細めて眺めた。

「あのテーブルのドーマー達は全員外に出ないまま一生をドームの中で過ごす連中だ。だから、ハイネは気が楽なのだろう。あんなに楽しそうな彼を見たのは、初めての様な気がする。」

 友人の過去を知る人間に嫉妬した訳ではなかったが、ケンウッドはもっと幸福そうなハイネを見たことがある、と思った。

 蜂蜜をたっぷりかけたクワトロ・フロマージュを食べる時のハイネの至福の表情をこの男は知らないのだ。

侵略者 9 - 16

 ドーム維持班総代表のエイブラハム・ワッツ・ドーマーが食堂に入ってきた。彼が地球人類復活委員会の最高幹部達のテーブルに近づいた。するとハイネが立ち上がり、ワッツをハレンバーグ委員長達に紹介した。足腰に問題がある委員長が立ち上がろうとしたので、ワッツが止めて挨拶した。ハイネは幹部達に何か言って、身をかがめると彼等の頬に順番にキスをした。これを見た若い執政官達は驚いたはずだ。ケンウッドもびっくりした。ローガン・ハイネ・ドーマーがコロニー人にキスをしたのだから。ハイネは特に女性のシュウ副委員長には念入りに両頬にキスをした。そして自身のグラスと皿を手に取り、ワッツと共にドーマー幹部が集まっているテーブルへ移動した。ドーマー達から歓声が上がり、全員が立ち上がってハイネを迎えた。

「ドーマーの親方達が局長の復帰を歓迎しているんですね。」

と助手が囁いた。ケンウッドは頷いた。

「うん、きっとあっちが先約だったんだな。ハイネは委員長の誘いも断れないのできっと困っていたのだろう。」
「局長が挨拶のキスを委員長達にしたら、他のテーブルの人達が驚いていましたね。」
「相手がコロニー人だからだろう。ドーマー達はそんなに驚いた様子を見せなかった。」

 ケンウッドは、ハイネは自分にはしてくれたことがないな、とふと思った。もっともキスをされたらされたで、何か含むところがあるのか、と疑ってしまうだろう。
 ハイネを囲んでドーマー幹部達が賑やかに食事会を始めると、委員長のテーブルにも執政官達がご機嫌伺いに訪れ始めた。今回のリン長官更迭に連座しそうな人々だろう。自分達が処分対象になるのか否か、探りにきているのだ。
 助手がドーマーのテーブルに馴染みの顔を発見した。

「輸送班のマリオ・コルレオーネ・ドーマーだ! 僕は引っ越しを5回もしてしまったので、顔馴染みなんですよ。ちょっと挨拶に行ってきても良いですか?」

 本心はハイネに近づきたいのだろう。正式な紹介なしに遺伝子管理局長に面会してしまおうと言う魂胆だ。ケンウッドは疲れていたし、面倒臭くなったので、助手に言った。

「コルレオーネから局長に紹介してもらえばどうだ? 私はもう帰るから。ここで解散としよう。」

 助手はあっさり承知した。

「わかりました。もし彼を怒らせたら、明日博士が執り成しして下さいね。おやすみなさい。」

 ちゃっかり先手を打つと、彼は自身のトレイを持ってドーマー達のテーブルへ歩き去った。
 若者の恐いもの知らずに呆れながら、ケンウッドが皿の上を綺麗に片付け終わる頃、ハナオカ書記長がやって来た。

「久し振りだな、ケンウッド。」

 幹部の中では一番若いが、それでもハイネよりは年上だ。ケンウッドが立ち上がろうとすると、彼は「そのまま」と言って、さっきまで助手が座っていた席に腰を下ろした。

「君がドーマーの脱走を通報してくれて、やっとリンの処分に取りかかれた。礼を言う。正直なところ、リプリーの訴状の山にはうんざりしていたのだ。」
「副長官が訴状を送っていたなんて、今朝初めて知りました。」
「彼は訴状の他にもメールやら何やら、あの手この手で訴えて来たぞ。しかし似た様な訴えは昔から絶えないし、他のドームからも来る。リンほどではないがな。」
「やはりセイヤーズの遺伝子は問題ですか?」
「大問題だ。君はよく気が付いたな。」
「私ではありません、ハイネが、私に通報しろと勧告したのです。」
「ドーマーからの告訴は後回しにされると警戒したのだな。アイツは結構な策士だろう?」
「そうですね。裏からの操作が巧いです。でも腹黒さがないから、操られる方も気持ちが良い。」
「ドームの中で純粋培養されたからな。」

 ハナオカは離れた所にいるドーマー達をチラリと見た。

「あの群れの中では最も若く見えるが、一番の年寄りだ、ハイネは。」
「でもみんなから慕われています。」
「彼の前後20年間はドーマーを採用しなかったからな。一番年齢が近い男でも10歳下だ。彼はみんなの兄貴なんだ。」

 でもハイネ本人はダニエル・オライオンだけの兄貴のつもりだ、とケンウッドは知っていた。

「私がここで勤務していた頃は、ハイネは大人のドーマーの中で一番若かった。同世代が1人もいないので、可哀想に独りぼっちで、執政官しか話し相手になれなかったのだ。今、ああして大勢に囲まれている彼を見て、安心した。」

 ハナオカ書記長はそう呟いて微笑んだ。



2017年8月8日火曜日

侵略者 9 - 15

 ケンウッドは研究室に行き、助手達に今日は早めに終わっていいよ、と言ってから自身は休憩スペースで長椅子に横になった。助手達が会議の結果を聞きたそうにしていたが、疲れていたし、ネットでドームニュースを見ればわかることだと思った。
 何も考えず何の夢も見ないで爆睡して、目が覚めるとドームの外は夜になろうとしていた。助手達は大方帰っており、2,3人が残って後片付けをしたり日報をコンピュータに入力しているところだった。
 一番若い助手が博士が目覚めたのに気が付いてそばに来た。

「博士、そろそろ部屋を締めようと思っていました。まだ何か用事がありますか?」
「いや、私も食事に行ってそのまま帰る。」

 すると彼はちょっとそわそわした様子で囁いた。

「僕もご一緒させてもらって良いですか? 今日、ローガン・ハイネが幽閉を解かれたんですよね?」

 そう言えばこの若者はまだハイネの実物を見たことがないのだ。ケンウッドについて行けば局長に会えると思っている。ケンウッドは翌朝にでも遺伝子管理局本部に彼を連れて行って遅ればせながらの「着任の挨拶」をさせるつもりだったので、焦って会うこともないだろうと思った。時計を見ると7時を少し過ぎていた。

「中央研究所の食堂へ行こう。多分、本部のお偉方と一緒にハイネが居るよ。」

 爺さん婆さんは結構ですよ、と軽口を叩きながら助手はついて来た。ハイネも爺さんだぞ、とケンウッドは心の中で呟いたが言葉には出さなかった。
 食事時にも関わらず、中央研究所の食堂は静かだった。客は入っているのだが、一般食堂の様な活気がない。
 ローガン・ハイネ遺伝子管理局長はハレンバーグ委員長、シュウ副委員長、ハナオカ書記長と共に4人でテーブルを囲んでいた。しかし3人の本部役員が食事をしているのにハイネ1人だけ軽いつまみと飲み物だけを前に置いていた。テーブルは和やかな雰囲気で、どうやら老人の昔話の席の様だ。
 助手が立ち止まってハイネを見つめているので、ケンウッドは肘を突いて追い立てた。他の人の迷惑になるし、ハイネも嫌だろうと思った。
 テーブルに着くと、助手が体を前のめりにして小声で囁いた。

「本当に彼は80歳なんですか? どう見ても40代ですけど?」
「体調によって50代に見える時もあるさ。だが本当は82だよ。」

 助手は感心することしきりで、見るなと言われてもどうしても最高幹部達のテーブルの方へ視線が行ってしまった。
 食事が半ばまで進んだ頃、食堂の客が増えてきた。それが普段の中央研究所食堂の雰囲気ではない客ばかりだ。
 ケンウッドは、新たに入って来た人々がドーマーであることに気が付いた。ドーム維持班傘下の各部署の責任者達ばかりだ。制服姿だったり、私服に着替えていたりしていたが、紛れもなく職人芸を持つ技術系のドーマーばかりだ。
 彼等が出産管理区の食堂が見えにくい隅っこのテーブルに陣取ると、何故かハイネがそわそわし始めた。

侵略者 9 - 14

 リプリー副長官が医療区長に会議の後で書類を副長官執務室へ提出するようにと指示を出した。コートニーはハイネに頷いて見せたので、ハイネも軽く黙礼して議場を出ようとした。するとハレンバーグがまたも声を掛けた。

「ハイネ、今夜は時間を空けておいてくれないか?」

 ケンウッドはハイネが口の中で「ちぇっ」と呟くのを目撃したが、局長は半分だけ振り返って、「では7時に中央研究所の食堂で」と返事をした。そしてさっさと出て行った。
 地球人が姿を消すと、ハレンバーグ委員長は議場内を見廻した。

「このアメリカ・ドームのみならず地球上の各ドーム施設でよろしくない風紀の乱れが目立ってきているようだ。
 地球人は女性の数が少ないから、どうしても男性同士で恋愛する傾向がある。しかし、コロニー人がそれに便乗するのは言語道断だ。勿論、コロニー人に恋愛の自由は保障されているが、地球人を相手にするのは謹んでもらいたい。
 諸君が地球の重力に耐えられる限界は長くても10年かそこらだ。諸君がどんなに真面目に地球人を愛しても、何時かはここを去らねばならない。諸君の健康を守るために、そうせざるを得ないのだ。だが、残される地球人の気持ちはどうだろうか。彼等は宇宙に出ることを禁じられている。諸君と共に生涯を全うすることが適わない彼等に、余計な期待を抱かせないでもらいたい。
 友情や愛情は大切だが、地球人とは距離を置いて付き合うようにお願いする。」

 パーシバルはケンウッドを振り返った。ケンウッドは肩をすくめただけだった。ハレンバーグの言葉はそれこそ事なかれ主義に聞こえる。だが、委員長は今はただドーム内の秩序を取り戻せと言いたいだけなのだ。
 その時、サンテシマ・ルイス・リンが独り言の様に言った。

「確かに距離を置くのは大切だ。ドーマーに入れ込んで家族をないがしろにした女だっていたのだから・・・」

 シュウ副委員長が彼の言葉を耳にした。彼女が座ったまま言った。

「貴方の母上、ナディア・リン博士は決して家族をないがしろになどしませんでしたよ。」
「他人だからそう思えるだけですよ。」

 リンが吐き捨てる様に反論した。

「母はドーマーに恋をしたんです。白い髪のドーマーに入れ込んで、相手にされないのに熱中して、最後には家族と過ごすのが苦痛になってコロニーの家を出て行った・・・。」

 シュウが首を振った。

「貴方のお父様がそう思いたかっただけですよ。ナディアは貴方のお父様と性格が合わなくて家を出て行っただけ。それに彼女が勤務していたのはアメリカではなくアフリカでした。白い髪のドーマーと言うのは、恐らく当時アフリカ・ドームに居たミヒャエル・マリノフスキー・ドーマーのことでしょう。彼の栄養素を溜め込む細胞の遺伝子をアフリカの食糧難に活かせないか、研究の為に西ユーラシアからアフリカへ貸し出されていたのです。ナディアは飢餓に苦しむ西アフリカの子供達を救う研究に没頭していました。
でも貴方のお父様は彼女が大勢の貧しい子供達の救世主になるより1人の子供の母親であって欲しいと願ったのです。」

 シュウ副委員長は痛ましそうにリンを見た。

「貴方はここへ復讐に来たのね。間違ったドームへ、間違った相手を標的にして・・・」
「同情は要りません。」

 リンは顔をハレンバーグに向けた。

「月へ行きます。荷物をまとめたいので退出を許可して下さい。」
「許可する。」

 ハレンバーグは保安課員に合図を送り、リン元長官を議場から連れ出すよう指示した。

 パーシバルがケンウッドに囁きかけた。

「リンの子供時代って、一体何時の時代の話だ?」



2017年8月7日月曜日

侵略者 9 - 13

 正午頃になって食堂に人が集まり始めた。ハイネは空になった食器をトレイに集めて立ち上がった。

「会議再開まで、少し昼寝をしてきます。」
「観察棟で?」
「アパートで。」

 彼は片眼を瞑って見せた。

「3年振りの我が家ですよ。」

 彼は返却カウンターへ向かったが、すぐに人だかりが出来てしまった。

「可哀想に」

とパーシバルが呟いた。

「昼休みが終わる迄に彼はアパートに帰り着けるだろうか?」
「私等もそろそろアパートに帰らないか? シャワーを浴びたいし、着替えもしたい。」

 ケンウッドの提案に彼は頷き、2人も食器を返却して執政官用のアパートに帰った。
 ケンウッドは部屋に入ると真っ直ぐベッドに向かい、服のまま寝転がった。直ぐに眠りに落ちたが、20分後には端末にセットしたアラームで起こされた。20分は体が寝てしまう直前のぎりぎりの時間だ。彼は起き上がり、バスルームでシャワーを浴び、髭を剃った。新しい服を着て外に出ると丁度1時だった。急いで中央研究所の会議室に向かった。
 議場内はまだ全員が揃っていなくて、ざわざわと騒々しかった。上座の幹部達もまだ来ていない。どうせなら2時再開にすれば良かったのに、とケンウッドは恨めしく思った。
ヘンリー・パーシバルもまだ来ていなかった。ポール・レイン・ドーマーのファンクラブ全員がまだ来ていないので、何処かで今後のことを論じ合っているのかも知れない。
 ハイネ局長がシュウ副委員長と共に入って来た。杖を突いているシュウに彼が手を添えている感じだ。副委員長は97歳、若い頃にこのドームで勤務していた。ハイネより15歳年上だから、少年時代の彼を知っているのだ。しかし彼は特に彼女の来訪を喜ぶ風でもなく、無表情に介助しているだけだった。ドアが閉じると、彼女は彼に「ここで良いわ」とそれ以上の介助を断り、1人で上座へ進んだ。
 ハイネは彼女を見守るでもなく、くるりと体の向きを変えて自身の席に着いた。ケンウッドは似た様なシーンを以前にも見た気がしたが、それが何時何処でだったか思い出せなかった。
 シュウ副委員長が時間をかけて席に辿り着く頃に、議場内の席が埋まり始めた。ハレンバーグ委員長とハナオカ書記長は一緒に姿を現した。リプリー副長官も一緒だったので、ケンウッドは何となく心穏やかでないものを感じた。
 やっとパーシバルとファンクラブの面々がやって来て、最後にリン長官が保安課員に付き添われて来た。

「みんな戻ったかな?」

とリプリーが声を掛けた。どこからも異存がないようなので、彼は委員長に頷いて見せた。
 ブーンと重力サスペンダーのモーター音を微かに響かせながら、ハレンバーグ委員長が立ち上がり、執政官会議の再開を宣言した。

「この度のアメリカ・ドームの失態に関し、月の評議会と執行部会、それに理事会とも話し合った結果・・・」

 委員長は場内を見廻して言った。

「サンテシマ・ルイス・リン氏のアメリカ・ドーム長官職を解き、月へ送還することとする。理由は、職務怠慢によってドーム内の秩序を乱し、外野に放つべきでない進化型1級遺伝子危険値S1のドーマーを逃がしたためである。」

 リンが立ち上がり、決議を受け容れることを示して頭を下げた。更迭される屈辱で顔は血の気がなかった。進化型1級遺伝子危険値S1ランクの人間を野放しにすることは、宇宙連邦法違反でもある。コロニーによっては宇宙軍が管理する遺伝子なのだ。委員長は月に送還された後、リンにどんな処分が下されるのかまでは言わなかった。それは裁判があるからだろう。
 委員長は続けた。

「リン氏に引き連れられて行動した者も複数いるが、今日は触れない。但し、これから詳細に吟味して行くので、心当たりの者は身辺整理をしておくように。」

 リンの腰巾着達も青い顔をしていた。

「リン氏の後任には、いずれ正式な通達が月から来るが、取り敢えず今日から副長官のリプリー氏にお願いする。間違えないように言っておくが、リプリー氏は副長官のままであるから、長官職は空いている。」

 委員長はリプリーに勘違いするなよと言って聞かせているのだ。ことなかれ主義の副長官は頷いて見せただけだった。
 ハレンバーグ委員長は遺伝子管理局長の席を見て、眉を寄せた。ケンウッドも同じ方角を見て、もう少しで笑いそうになった。椅子に座ったままハイネが大きく船を漕いでいたからだ。
 隣席の女性執政官がハイネの肩を軽く叩いて起こした。ハイネは大きく溜息をついて目を開き、委員長を見据えた。そして尋ねた。

「新しい長官は月から来るのですか?」
「その予定だ。」

 ハレンバーグはハイネが寝ていたのかタヌキ寝入りをしていたのか、判断しかねた。

「今回の様なドーム内の多数の人間が関わっている事案では、全く無関係の人間を送り込む。しがらみがない場所で、好きな様に改革をしてもらう。」

 ハイネが何も言わないので、彼は尋ねた。

「君は反対かね?」
「いいえ、それで進めて下さい。私は新しい長官をどんな風に虐めるか考えておきます。」

 ハイネは立ち上がった。

「業務があるので失礼します。ところで、コートニー医療区長・・・」

 いきなり名前を呼ばれて、コートニーがぎくりとした。

「何かな?」
「昨日の見極めの結果を知りたいのですが?」
「ああ・・・」

 コートニーは固い微笑みを浮かべた。

「もう君の病気は完治している。長官の承認をもらえれば、君は今日から自由に仕事が出来る。」

 ハイネは委員長を見た。

「長官が更迭されました。副長官の署名でかまいませんか?」

 ハレンバーグ委員長が首を振った。

「病気が治っているのだから、署名する人間にこだわる必要はない。リプリー長官代理、君の初仕事だ。」






2017年8月6日日曜日

侵略者 9 - 12

 一般食堂は11時に朝食メニューが終わってランチメニューに切り替わったところだった。昼休みには早いので食堂内は閑散としていた。殆どの執政官が中央研究所の食堂に行ってしまったからだ。だから、配膳コーナーの料理は多くが出来たてで誰も手を付けていない状態だった。これは滅多にランチメニュー開始時刻に巡り会えなかったローガン・ハイネ・ドーマーを喜ばせた。彼は出来たてほやほやのラザニアにサーバーをグイッと押し込み、なんとバットの中身半分をごっそりと自身の皿の上に載せた。
 厨房長が飛んで来た。

「おい、なんてことをするんだ! 今日はローガン・ハイネが自由の身になったお祝いにそれを作ったんだ。おまえさんが半分食ったらハイネの分がなくなるだろ!!」

 ハイネは全く気にしないでまだグツグツ音を立てているラザニアに粉パセリを振りかけながら言い返した。

「まだ半分残っている。もう半分を焼いて足せば良いじゃないか。」

 彼の声を聞いて厨房長はハッとした。配膳棚の間から客を覗いて、純白の髪のドーマーを見た。彼が仰天している間にハイネは副菜を3皿選んで支払いを済ませ、先に食べ物を取ってテーブルを確保したケンウッドの元へ行った。テーブル周辺にチーズの香りが広がった。ケンウッドはハイネがラザニアを選ぶだろうと予想したので、自身のメインをアクアパッツァにしておいた。少し遅れてパーシバルが2つのメインディッシュを少しずつ取ってやって来た。

「厨房長が泣いているのだが、虐めたんじゃないだろうな、ハイネ?」
「そんな覚えはありません。」

 ケンウッドは笑った。厨房長は再びハイネとチーズ料理を巡って喧嘩が出来たので感激して泣いているのだ。ハイネ本人はチーズの伸びが良くないと文句を付けながらも幸せそうだ。

「それにしても、今朝はリンが集中砲火を浴びていたが、彼のシンパも無事では済まないだろうな。」

とパーシバルが会議の内容に話しを持って行った。

「実を言うと、僕は不安なんだ。ファンクラブもドーマーをペット扱い同然に振る舞っていたからね。糾弾されたら、違うなんて言えないし、証明も出来ない。もし更迭されることになったら、ニコ、君はきっと無事だろうから、ポールを頼むよ。あいつはああ見えて寂しがり屋なんだ。セイヤーズが逃げたから、かなり参っている。」
「何を言っているんだ、ヘンリー。君達はレインや若い連中を何時もリンから守っていたし、相談にも乗っていたじゃないか。それにレインは存外しっかりしている。」

 ハイネはこの会話に入って来なかった。チーズの糸をまとめるのに忙しかったのだ。

「ポールも無事に済むとは思えないんだ。リン一味に懐柔されたドーマー達は異例の出世をしている。ポールも地位こそ上げてもらっていないが幹部候補生としてかなり優遇されている。きっと処分対象にされると思う。」

 ケンウッドはハイネを見た。ハイネは固まり掛けたチーズで挽肉を包み込もうと奮闘中だ。だが、会話を全部聞いて理解している、とケンウッドは確信した。ただ現在は審議中だから何も言わないのだ。

侵略者 9 - 11

 中央研究所の出口で先に会議場を出た執政官達が渋滞していた。ケンウッドが最後尾の人にどうしたのかと尋ねると、その執政官は不安げな声で答えた。

「外にドーマーが集まっているんです。」

 ケンウッドはハイネを振り返った。ハイネもその返答が聞こえたので、執政官達を掻き分けて前へ出て行った。ケンウッドとパーシバルもくっついてついて行くと、中央研究所の玄関の外に大勢のドーマー達がいて、こちらを見ていた。維持班もいればスーツ姿の遺伝子管理局の局員もいる。彼等はハイネが建物から姿を現すと、突然歓声を上げて押し寄せて来た。ケンウッドの目の前でハイネがドーマーの波の中に消えてしまった。ケンウッドはドーマー達がハイネの名前を連呼し、リンを追放せよと叫んでいるのを聞き取った。
 パーシバルが囁いた。

「まいったな、ドーマーが執政官に意見しているぞ。」

 建物の中の地球人類復活委員会の幹部達には聞こえないはずだが、報告は行くだろう。ドーマー達はハイネがドーマー社会に帰還したことを喜び、リン長官の横暴を止めてくれと訴えているのだ。ドーム幹部の対応次第では暴動が起きかねない。玄関にいる保安課員がうろたえているのが見えた。同胞に同調すべきか、それともこの騒動を鎮圧すべきか、迷っているのだ。
 ケンウッドは出せる限りの声を張り上げた。

「ハイネ、この騒動を鎮めろ!」

 人の波の中から手が高く上へ伸ばされた。

「静かに!」

とハイネのよく透る声が響いた。途端に騒ぎが潮が引くようにハイネが立っている辺りからすーっと収まっていった。ドーマー達が興奮を我慢しているのを確認して、ハイネが言った。

「今日は朝から月の地球人類復活委員会の幹部が3名、地上に降りて来られて、執政官会議を開いている。博士達は早朝から朝ご飯も食べずに話し合ってお疲れだ。昼休みをはさんで、午後からも会議の続きがある。執政官達に休憩を取らせてあげて欲しい。道を空けて通して差し上げよう。」

 すると、ドーマーの人垣の中から1人のドーマーが出て来た。ドーム維持班の総代表エイブラハム・ワッツ・ドーマーだ、とケンウッドは見分けた。普段はあまり執政官と接点がないが、ドーム修復で巡回してくるコロニー人技術者達と裏方仕事をしている職人だ。執政官達は彼を「親方」と呼んでいる。

「ローガン・ハイネ・ドーマー、貴方が生きて戻って来て嬉しく思う。」

 彼が挨拶すると、ドーマー達がまた口々にハイネに復帰を祝う言葉を叫びだした。ハイネはまた片手を挙げて彼等を制した。

「3年も職務から遠ざかり、心配をかけてしまって、申し訳なかった。君達の元気な姿をここで見られて私は嬉しい。私はコロニー人に命を救われた。地球はコロニーに命を繋いでもらっている。だから、彼等の仕事を遅らせないようにしなければならない。
 会議の内容は後で発表があると思うが、ドーム行政の改善に関することだ。みんなの生活にも関わってくる。だから妨害してはならない。さぁ、道を空けなさい。」

 ドーマー達が左右に分かれて通路を作った。ハイネが建物を振り返り、どうぞ、と手を振った。執政官達がおっかなびっくりの様子で歩き出した。自分達が育てたドーマーを恐いと思ったのは初めてだ。言いなりになっていた地球人がいきなり自我を持ったと感じられた。
 ケンウッドとパーシバルはハイネの横に立って執政官達が食堂に入っていくのを見送った。ハイネにはドーマー達が代わる代わる近づいて来て声を掛けていく。ハイネは1人1人に返事をする。疲れないかとケンウッドは心配になったので、そっと声を掛けた。

「我々も食堂へ行かないか、ハイネ?」

 ハイネがハッとした表情で振り返った。

「そうでしたね、早く行かないと昼休みが終わってしまいます。」

 そして彼は尋ねた。

「どちらの食堂へ行きますか? 私はチーズ料理が多い一般食堂が好きなのですが・・・」


侵略者 9 - 10

 サンテシマ・ルイス・リン長官は、確かにローガン・ハイネ・ドーマーに危害を与えるつもりはなかっただろう。だがちょっかいは出し続けた。まるでハイネの気を惹こうと悪戯する幼子の様に。

 この男は精神状態が幼いままなのではないか?

 ケンウッドは蒼白な顔で椅子に戻った長官を見つめた。呼吸器系の遺伝病研究で大きな成果を上げて社会的に成功した男だが、誰かに愛情を表現するのが下手なのだ。
 ハレンバーグ委員長が溜息をつき、次の質問を開始した。

「西ユーラシア・ドームはセイヤーズの遺伝子情報を得たはずだが、向こうも彼をそのまま局員として使用したのは、どんな訳があったのだろうか?」

 ハイネが答えた。

「私は動けるようになってから、マリノフスキーに書状を送り、セイヤーズが自身の能力に気が付いていないことを知らせておきました。マリノフスキーはセイヤーズの素直な性格を鑑み、普通に扱ってやるつもりだと返事をしてきました。セイヤーズは彼の期待に背かず、真面目に勤務に励みました。それで、マリノフスキーは、ご褒美に彼に『直便』の役割で里帰りの機会を与えたのです。残念ながら、それが徒となってしまいましたが。」
「セイヤーズは逃げる目的でここへ帰国したのか?」
「それはないです!」

とパーシバルが声を上げ、周囲の注目を集めた。幹部達は彼を咎めず、発言を許す合図に頷いて見せた。パーシバルが語った。

「セイヤーズは到着した時、緊張していましたが、それはリン長官や彼の仲間と出会すことを恐れていたからです。彼は生細胞を届けると直ぐに西ユーラシアに帰るつもりでした。ですが、我々は彼を昔の仲間と会わせてやりたかった。宿泊の準備をして、彼をポール・レイン・ドーマーに会わせました。レインは彼をアパートに連れて行き、そこで何かがあったのです。」

 パーシバルは心の苦痛で顔を歪ませた。

「ファンクラブを主催する私が言うのも何ですが、ポール・レイン・ドーマーは愛情表現が下手な男です。自身の言いたいことをはっきり言えないのです。ですから、周囲に誤解を与えることがよくあります。相手を拒否したつもりで逆に誘っていると思われたりするのです。」

 彼は長官を見たが、長官は彼を見ようとしなかった。

「レインは恐らく愛情を示したつもりで、セイヤーズを撥ね除けてしまったのではないでしょうか。セイヤーズは絶望したに違い有りません。ただ、彼の選択に『死』はなかったと信じます。彼は知らない人ばかりの場所を求めて旅立ったのです。」

 ハレンバーグ委員長は、シュウ副委員長とハナオカ書記長を見た。2人の幹部が目で彼に訴えた。もうこれ以上は話し合うこともないだろう、と。
 委員長は議場内を見廻した。

「ダリル・セイヤーズ・ドーマーが脱走した経緯はわかった。原因はこのドームの職員の勤務態度にあるようだ。これから幹部で審議に入る。午後1時から会議を再開する。それまでは、各自普段通りの業務に励んで欲しい。」

 するとキーラ・セドウィック博士が立ち上がって言った。

「出産管理区は会議に時間を割ける余裕があまりありません。審議の結果はみなさんに委任致します。午後も通常業務に戻ってよろしいでしょうか?」

 女帝の固い表情にハレンバーグ委員長が頷いた。

「出産は待ってくれない。貴女方の貴重な時間を取ってしまい申し訳なかった。どうか業務に戻って下さい。」

 出産管理区の女性達が立ち上がり、黙礼すると足早に議場から退出して行った。
 残った執政官達も立ち上がった。みんな疲れていた。早朝6時からの会議だ。朝食がまだだったし、寝不足の者もいた。
 ケンウッドとパーシバルも立ち上がり、出口に向かって歩き始めると、ハイネも席を立って彼等のそばに来た。

「これから朝食ですか?」
「うん・・・ブランチになるがね。午後の再開までちょっと寝たい。」
「お2人共、酷いお顔ですよ。」

 ケンウッドは頬を手で撫でた。無精髭が伸びている。それはパーシバルも同じだった。ファンクラブのメンバーは全員とても研究者とは思えないボロボロの姿だ。
 ハイネが彼等を見廻して提案した。

「朝食にご一緒してよろしいですか? 外の食堂は久し振りなので勝手がわからなくて。」
「おい、ハイネ・・・」

 ケンウッドは思わず愚痴った。

「君はいつからそんな爺さんみたいなことを言うようになったんだ?」
「私は最初から爺さんですが?」
「それじゃ、僕等は爺さんの引き立て役だな。」

 パーシバルの言葉にファンクラブの面々が笑った。

侵略者 9 - 9

 ケンウッドは、地球人類復活委員会の最高幹部達がアメリカ・ドームに来た本当の目的がわかりかけてきた。彼等はセイヤーズ・ドーマーが逃亡したから捕まえに来た訳ではない。脱走ドーマーの捕縛は遺伝子管理局に任せておけば良い。委員会の目的は、サンテシマ・ルイス・リン長官の職務怠慢と職権乱用の糾弾だ。ケンウッドが委員会本部に送ったものを含め54通の訴状には、リンとそのシンパがドーマー達をペット扱いして性的関係を強制したり、彼等を懐柔する為に無理な人事を行ったりしたことがつらつらと並べ立てられていた。しかし、それらは地球上のどこのドームでも大なり小なり行われているので、委員会としてははっきりと処罰対象として扱いにくかったのだ。ハイネが言ったように、執行部幹部にも地球勤務時代に同じ様な罪を犯した人間が複数いて、在勤の執政官に対して強く出られない弱みもあった。だが、進化型1級遺伝子危険値S1のドーマーを脱走させてしまった事実は見逃せなかった。

 セイヤーズはその気になれば地球上から宇宙へ攻撃も出来る能力を持っている。

「セイヤーズが自身の能力に全く気が付いていなかったのは幸いだった。それにしても、何故あんな危険な男を他所のドームに転属させたのだ? 知らぬこととは言え、本人の希望があったとも思えないが?」

 ハレンバーグ委員長の言葉に、ハナオカ書記長がさらに数通の訴状を表示した。

「その件に関しましては、リン氏の個人的な嫉妬心があったようですな。」

 訴状には、リン長官が力尽くでポール・レイン・ドーマーを愛人にしたこと、レインと親しいドーマー達に冷たい仕打ちを繰り返していたことが連綿と書かれていた。中にはファンクラブが知らない出来事まであり、描写も具体的で刺激的、パーシバルが口の中で「ぬあんだとう?」と怒りで呻く場面もあった。
 リン長官はもうリプリー副長官を見なくなっていた。副長官も訴状をこんな場所で公開されて、密告屋みたいな扱いで不愉快だったろう。
 ケンウッドの訴状はそんな芸能メディアが取り上げる様なスキャンダラスな内容ではなかった。長官やシンパの行動がドーマー社会に不安と相互不信を与え、ドーム全体の雰囲気が悪くなっていくことを憂えたものだった。ドーム行政の長がそんな社会を創って良いものだろうか、そんな人間がアメリカ大陸の地球人の未来を背負っているのは不安だ、と言う訴えだ。
 場内に居たリン長官の腰巾着の1人が立ち上がった。真っ青な顔で退席許可を求めた。気分がすぐれないと言うのだ。ケンウッドは彼の表情を見て、不安に襲われたので、クーリッジに声をかけた。

「彼の退席を認めてやって下さい。但し、保安課員の監視を付けて頂きたい。」

 クーリッジもケンウッドの懸念を理解した。部下を呼ぶと、その執政官に付き添うことを命じた。
 他にも数名が居心地悪そうな表情で退席を希望した。委員会幹部達はうんざりした表情でクーリッジに更に部下を呼ぶように要請した。
 訴状の全部がリプリー副長官とケンウッドのものとは限らず、他にも数名から送られて来ていた。ある1通は、リン長官が1年4ヶ月の眠りから覚めてまだ日が経っていないハイネを病室で襲うとしたと言う衝撃的な内容が書かれていた。これにはリン長官が蒼白な顔で立ち上がって抗議した。

「襲ったのではない、見舞っただけだ!!」

 彼は医療区の執政官達を睨み付けたが、医師達はただ黙って彼を見返しただけだった。リン長官はハイネにすがるような目で言った。

「私は貴方を襲ったりしていない、危害は加えなかった。そうだよな?」

 ハイネは考え込むふりをした。彼ははっきり記憶しているはずだ、とヤマザキ医師は思った。ケンウッドもハイネが目覚めた直後のことさえしっかり記憶しているのだから、病室侵入事件を忘れるはずがないと思った。
 しかし、ハイネは言った。

「よく覚えていません。なにしろ、年寄りですから・・・」
「ハイネ!!!!」

 リン長官が喚いた。しかし、ハイネはあの夜すっとぼけたのと同じく、ここでも呆けたふりをした。

「聞いた話によれば、私はベッドから落ちたそうです。そのままカディナ病の後遺症で昏睡状態に陥りましたので、当時のことは記憶にないのです。」
「ハイネ・・・」

とシュウ副委員長が愛しい我が子を見る様な優しい眼差しでドーマーを見つめた。

「貴方は本当に危険な状態から生還したのね。今、ここで元気な姿を見られて嬉しいわ。」

 ケンウッドはキーラ・セドウィック博士が「ふん」と言うのを聞いた。シュウ副委員長がハイネを見る目つきが気に入らないのだろう、きっと・・・。
 ハイネは特に感動もない目で副委員長を見返した。

「私も、貴女が今でもお元気でいらっしゃることに驚きましたよ。」

 80歳が100歳を励ましている。100歳の方はその年齢にふさわしく劣化した肉体だが、80歳は実年齢が信じられないほど若々しい。
 彼はリン長官に向き直った。

「長官は私に危害を加えようとなさったことは一度もありません。それは断言します。」


2017年8月5日土曜日

侵略者 9 - 8

 会議室の入り口にローガン・ハイネ遺伝子管理局長が立っていた。スーツ姿でネクタイを結びながら言い訳した。

「遅くなりまして申し訳ありません。なにしろスーツを着るのは3年ぶりですから、タイの結び方がわからなくて・・・」

 パーシバルが目を細めた。多分、多くの出席者が彼と同じ思いだったはずだ。

 この地球人はいつ見ても美しい

 ローガン・ハイネ・ドーマーはやはり寝間着よりもダークスーツが似合っていた。絹糸の様に輝く真っ白な髪はふさふさで、3年間の闘病生活で元々の色白がさらに白くなっているが肌は艶がある。とても80歳には見えない。
 ハイネは遺伝子管理局長の席に歩み寄ったがふと足を止め、

「この席でよろしかったですか?」

とわざとらしく尋ねた。隣席の女性執政官がとろけそうな笑顔で頷いた。

「貴方が戻ってこられるのをずっとお待ちしておりましたわ、局長。」
「どうも有り難う。」

 ハイネは上座に座っている地球人類復活委員会の最高幹部達に軽く会釈して椅子に座った。そして「どうぞ続けて下さい」と言う様に頷いて見せた。
 クーリッジが彼に、セイヤーズがバスに乗って去ったところまでを映像で一同に見せたと教えた。そして尋ねた。

「遺伝子管理局はセイヤーズ捜索にいつ取りかかる?」
「既に取りかかっております。」

とハイネ。

「ドーム内に居た局員で外出可能な者全員にシフトを組ませ、バスの追跡をさせています。彼が立ち寄りそうな箇所も検討して数名はそちらへ向かっています。」
「西ユーラシアには通報したのか?」
「しました。もし向こうに彼が戻ればマリノフスキー局長が直ぐに連絡をくれるはずです。」

 そしてハイネはさらに言った。

「連邦捜査局にも協力を要請しました。但し発見しても決して手を出さないように言い含めてあります。セイヤーズ捕縛には麻痺光線しか効力がありませんから。」

 彼はハレンバーグ委員長を見た。これ以上の報告はありませんよと目が言っていた。
 ハレンバーグ委員長は視線をハイネからリン長官に向けた。

「リン長官、セイヤーズはここのドームで生まれたドーマーだったと、我々は認識しているが?」
「そうですが・・・?」
「何故、進化型1級遺伝子危険値S1ランクの者を外廻りの遺伝子管理局員に任じて、他所のドームに転属させたのだね?」

 リン長官は汗を拭いながら言い訳した。

「それは・・・彼の入局の際に遺伝子管理局から何ら報告がなかったので・・・」
「でも入局者のプロフィールはご覧になったでしょう?」

と副委員長。彼女が副長官を見たので、副長官は渋面をしながらセイヤーズのプロフィールを映像に出した。顔写真と氏名、二親の氏名、生年月日、血液型、人種、身体的特徴の後に遺伝子情報がずらりと並んでいた。赤い文字で表示されているのは進化型1級遺伝子の特徴だ。セイヤーズには赤文字表示項目が13もあった。
 リン長官の表情が硬いまま、青ざめて見えた。彼は初めてセイヤーズのプロフィールを見たのだ。恐らく、愛人扱いしているポール・レイン・ドーマーのプロフィールも見たことがないだろう。レインの特技、接触テレパスを知らないのだから。
 シュウ副委員長が議場内に尋ねた。

「これを初めて見たと言う人はいますか?」

 彼女は場内のほぼ全員が手を挙げるのを見て驚愕した。唯一人、ローガン・ハイネ・ドーマーだけが挙手していなかった。ハイネ、とハレンバーグ委員長が呼んだ。

「君はこんな重要な案件を長官に報告するのを怠ったのか?」
「怠ったのではありません。不可能でした。」
「その件につきまして・・・」

 コートニー医療区長が発言しかけた。ハナオカ書記長が首を振って彼を黙らせた。ハイネに喋らせろと言うことだ。

「不可能とは?」
「当ドームにて、γカディナ黴による感染事故が発生しまして、私は不覚にも感染、発症してしまいました。セイヤーズの遺伝子特異性を入局式で発表するつもりだったのですが、出席することは適わず、一言も発言出来ませんでした。リン長官始めここに列席されている執政官の皆さんがセイヤーズの遺伝子情報をご存じないのは、そのせいです。」

 何故ハイネはリン長官を庇う様な言い方をするのだ? とケンウッドは不思議に感じた。

「すると、君はセイヤーズを局員にするつもりはなかったのだな?」
「ありませんでした。彼は内務捜査班に配属予定だったのです。」
「すると、彼を局員にしたのは、誰だ?」

 人々の視線が自分に集まったのを感じたリン長官が言い訳した。

「人事は私が代理局長を任じたヴァシリー・ノバックが行いました。」

 ここに不在の者に責任を押しつけた。ケンウッドは苦々しく思った。
 その時、ハナオカ書記長が自身の端末を出して言った。

「ここに、過去3年間、アメリカ・ドームから本部へ送付されて来た訴状が54通ある。執政官の素行に関する苦情だ。」

 ケンウッドは15通送った記憶がある。残りの39通は誰からだ?
 書記長が最初の1通を画像で表示した。

「ここに書いてある。3年前の入局式の様子だ。
 リン長官は遺伝子管理局長を画像中継で新人に面会させた。しかし、新人3名が自己紹介を終えると、局長に一言も話しをさせずに中継を打ち切った。
 それに間違いないか、リプリー副長官?」

 一同はまた驚愕して、ことなかれ主義の副長官を見た。
 副長官が小さく頷いた。隣の席のリン長官が真っ赤になって睨み付けているので、絶対にそちらを向こうとしない。
 リン長官が言い訳した。

「あの時、ハイネ局長は高熱を出していました。早くジェルカプセルに入れないと危険だったのです。」

 委員長は正面のハイネ局長を見た。ハイネは肩をすくめただけで何も言わなかった。それで、やっと委員長はコートニー医療区長に声を掛けた。

「当時、ハイネはどんな状態だったのだ?」
「確かに高熱を出していました。しかし、あの時はまだ意識がしっかりしており、中継を切られた後、秘書に後の事務処理等の業務引継を行いました。少なくとも1時間は正常に意識を保っていました。記録に残っています。」
「もし、中継が続けられていたら、セイヤーズの遺伝子情報を正確に長官に伝えられたのかな?」
「可能だったはずです。ですが、秘書への引き継ぎにそれを含める時間はなかった様です。」

 するとヤマザキ医師が発言許可を求めた。委員長が許可すると、彼は証言した。

「局長は秘書に長官へ伝言を依頼しました。新人のプロフィールを見るようにと。」
「その証言を裏付ける訴状もある。」

 ハナオカ書記長がまた別の文面を表示させた。

「遺伝子管理局局長第1秘書グレゴリー・ペルラ・ドーマーが幾度かリン長官へ面会を求めたが、長官は取り合わなかった。長官は贔屓のドーマー以外は接触するのを拒否している。」

 ハレンバーグ委員長が不思議なものを見る目でリン長官を見た。

「君は地球人を拒否するくせに何故地球勤務を希望したのだ?」






侵略者 9 - 7

 会議場内にいた執政官達は全員そこに現れた3人のコロニー人の顔と名前を知っていた。知らなければもぐりだ。
 リン長官が立ち上がった。青ざめた顔をして、固い声を搾りだして彼は尋ねた。

「ハレンバーグ委員長、シュウ副委員長、それにハナオカ書記長、何時地球へ・・・?」
「ほんの数分前だ。」

 3人は恐ろしく歳を取ったコロニー人だった。ハレンバーグ委員長は重力サスペンダーの助けを借りなければ地球の重力場では歩けなかった。シュウ副委員長も杖を突いていた。ハナオカ書記長は自力で立って歩いていたが、やはり高齢なのは確かだ。3人共100歳はいっているだろう。しかも地球人類復活委員会の最高幹部である。彼等は屈強な若者5名に守られて議場内に入ってきた。
 彼等は座っている執政官達の背後を回り込みながらリン長官の席に近づいて行った。近づきながら、黙礼する執政官達に頷き返した。
 リン長官が尋ねた。

「まさか、ドーマーの脱走の件で来られたのではないでしょうな?」
「そのまさかだ、馬鹿者!」

 シュウ副委員長が足を止めて、遺伝子管理局長の席を振り返った。彼女が尋ねた。

「ローガン・ハイネは何処にいるのです? 何故地球人がこの会議にいないの?」

 リン長官は慌ててクーリッジ保安課長に命令した。

「ハイネを連れて来い。」

 そして室内の人々の視線に気が付いて、急いで言い直した。

「ハイネ局長をお呼びしろ。」

 クーリッジが端末を出して、観察棟の部下に連絡を入れた。

「大至急ハイネ局長を中央研究所大会議室にお連れしろ。月から委員長が来られているとお伝えするのだ。」

 ケンウッドは時計を見た。観察棟のハイネの部屋から月へ連絡を入れてまだ2時間ちょっとだ。最高幹部の老人達は通報を受けて直ぐにシャトルに乗り込み、地球へ下りて来たことになる。そしてドームの長い回廊を恐らくエアスレーか何か乗り物をすっ飛ばして来たのだ。
 副長官が急いで幹部達の席を用意させた。老人を立たせたままには出来ない。
ハレンバーグ委員長は椅子に腰を下ろすと、仲間が座るのを待たずに長官に言った。

「何が起きたのか、順を追って説明したまえ。」
「僭越ながら、私が説明いたしましょう。」

と立ち上がったのは、ヘンリー・パーシバルだった。リン長官やそのシンパの執政官達が目を剥いたが、彼は意に介しなかった。シュウ副委員長が頷いた。

「ええっと、パーシバル博士でしたね? どうぞ、座ったままで結構ですから、説明をお願いします。」

 それで、ヘンリー・パーシバルはまだ事態をよく飲み込めていないドームの執政官達の為にも、昨日の朝「直便」としてダリル・セイヤーズ・ドーマーが西ユーラシアから到着したところから語り始めた。
 セイヤーズは無事に役目を果たして遺伝子管理局で運んで来たサンプルの生細胞を引き渡した。パーシバルは彼が仲良しだったドーマーと彼を引き合わせ、後は彼等の自主性に任せて退散した。
 午後も遅く夕方近くになって、遺伝子管理局員クリスチャン・ドーソン・ドーマーからセイヤーズがドームの何処にも見当たらないと連絡が来た。

「何故ドーソンは貴方にセイヤーズの異変を伝えたのです?」

 シュウ副委員長の質問に、レインのファンクラブのメンバーの1人が素早く答えた。

「パーシバルと我々は日頃からドーマー達と親睦を図り、いろいろと相談にも乗っていたのです。」
「彼等はドーマーのファンクラブですよ。」

と普段は口を出さない副長官が余計なチャチャ入れをした。最高幹部達はその件に関しては地球人の意見を聞くことにしたのだろう、それ以上突っ込まなかった。説明を続けるようにとパーシバルを促しただけだった。
 パーシバルは、ファンクラブを認めた上で、メンバーや遺伝子管理局の若者達とセイヤーズをドーム内くまなく探したことを告げた。夜になってもセイヤーズは見つからず、困ったパーシバルは友人のニコラス・ケンウッド博士にもセイヤーズを見かけなかったかと尋ねた。ケンウッドはセイヤーズが行方不明と聞いて驚き、ドームのゲートの監視映像を確認する為に保安課へ行った。
 そこでクーリッジがケンウッドを見て、頷くと今度は彼が立ち上がって説明の引き継ぎを宣言した。

「監視映像を今ここで議場卓に出しますが、よろしいですかな?」
「お願いする。」

 委員長の許可が下りたので、クーリッジは自身の端末を操作して大きな楕円形の議場卓の上に3次元映像を出した。セイヤーズがゲートを出る姿が映し出され、次にハイネが「要請なしに協力してもらった」警察の監視カメラによるドーム空港ロビーの映像を転送して映した。
 セイヤーズがバスに乗り込んで姿を消すと、映像を息を詰めて見守っていた執政官達から溜息が漏れた。

「現金を持って行った。カードで追跡されるのを防ぐ為だ。」
「完全に脱走を意図した行動だ。」

 何故だ、とは誰も言わなかった。みんなわかっているのだ、とケンウッドは感じた。ダリル・セイヤーズ・ドーマーは、恋人のポール・レイン・ドーマーがリン長官の愛人になっているドームに居るのが嫌になったのだ。
 その時、会議場のドアが開いた。

侵略者 9 - 6

 午前6時からの執政官会議は流石にコロニー人達にとっても不評だった。眠いし、朝ご飯はまだだし、着替えだってちゃんと出来ないし・・・。
 リン長官の髪もぼさぼさだった。長官のすることに口出ししないが同調もしない放任主義の副長官は不機嫌な顔で彼の右隣に座っていた。左隣に座っているクーリッジ保安課長は寝不足で目が赤いが頭ははっきりしている。ケンウッドとパーシバルは疲れていたが早めに席に着いた。中央研究所内に居たのだから当然だ。執政官達は互いにこそこそ私話を交わしながらそれぞれの席に着いた。医療区からもコートニー医療区長とヤマザキ、それに5名のコロニー人医師が、そして最後に一番遠い出産管理区からキーラ・セドウィック博士と3名の女性医師が到着した。キーラは遺伝子管理局長の席が空いているのを見て、不満そうな顔をした。見極めは通るはずだから、そこにハイネが居て良さそうなものなのに、と思ったのだろう、コートニーに問いかけるような目を向けたが、コートニーはセイヤーズ失踪騒動を知らないので、知らん顔をしていた。
 リンが咳払いをして、議場内の関心を自身に向けさせた。

「早朝に集まってもらって申し訳ないが、重大事案が発生した。進化型1級遺伝子保持者が脱走したのだ。」
「え? ハイネが?」

と誰かが声を上げたので、長官はその人物をグッと睨み付けた。

「ハイネは逃げたりせん、彼は観察棟に居る。」
「しかし、当ドームの進化型1級遺伝子保持者は現在ローガン・ハイネしかいないでしょう?」
「逃げたのは、西ユーラシア・ドーム所属のダリル・セイヤーズだ。」

と答えたのは、クーリッジだった。リン長官の勿体ぶった演説口調が癇に障るので、つい口を出したのだ。
「直便」を依頼していた執政官が説明した。

「昨日、西ユーラシアから生細胞を取り寄せました。『直便』でそれを持って来たのがセイヤーズです。彼は荷物を届けた後で姿を消したそうです。」

 セイヤーズがレインとレインのアパートでデートしたことは伏せられていた。リン長官が知れば、レインが後でどんな目に遭わされるかわかったものではない。
 長官がクーリッジを見た。

「遺伝子管理局はセイヤーズを監視しなかったのか?」
「『直便』の監視は遺伝子管理局の仕事ではありません。彼等は荷物を運搬する仕事と受け渡しをするだけです。『直便』が任務を終えた後、何時帰還するかは、特に決まっていません。普通は1泊して翌日に新しい荷物を持って帰ることになりますが・・・」
「セイヤーズを『直便』に選んだのは、誰だ?」
「それは西ユーラシアに訊いて下さい。」

 リン長官はイラッとした表情で遺伝子管理局長の空っぽの席を睨み付けた。局長は昨日終日彼と一緒に医療区に居た。彼自身が証明出来る。ドーマーの美しい肉体を生で見て喜んでいたのは彼自身なのだから。ハイネは「直便」のことを一言も口にしなかった。ひたすらこれ見よがしにコロニー人が持っていない筋肉美を大胆に披露していた。
 地球人を責められないので、リン長官は攻撃の矛先を保安課に向けることにした。

「セイヤーズをあっさりドームから出したのは、何故だ?」

 クーリッジはそう来ると予想していた。

「彼は何も持ち出していませんでしたから。持参したハードケースが空になっているのを係官に見せて、出て行きました。」
「それで、飛行機には乗らず、バスに乗ったんですね?」

とケンウッドが声を掛けた。クーリッジは頷いた。

「ATMで大量の現金を引き出してね。」

 議場内がわざついた。一体何故若いドーマーは家出してしまったのか。 あんなに素直で明るい、みんなから好かれる子だったのに。西ユーラシアでイジメに遭ったのだろうか。向こうへ帰りたくない理由があったのか。
 リン長官が議場内を鎮めようと声を掛けようとした時だった。
 入り口のドアが勢いよく開かれた。大きな物音で一同が一瞬にして静まりかえった。リン長官がそちらを見て、固まった。ケンウッドも振り返って、意外な人物が立っているのを見て驚いた。パーシバルも、コートニーもクーリッジもヤマザキも、執政官達はびっくりした。中には立ち上がりかけた人もいた。キーラ・セドウィック博士だけが、冷ややかにそちらを見て呟いた。

「案外早かったのね・・・」


侵略者 9 - 5

 ケンウッドが観察棟を出るのと入れ違いに遺伝子管理局の在ドームの幹部達が入館して行った。彼等とはあまり親しくないのでケンウッドは黙礼を交わしただけだったが、彼等は彼が局長と親しく付き合っていることは承知なのだった。寧ろ局長の命を救った人として評価されていた。だから本来なら寝ている時間に地球人をコロニー人が訪ねていても、彼等は不審に思わなかった。最後に内務捜査班のジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーと出口から数メートル行った辺りで出会った。

「ケンウッド博士、おはようございます。」

と彼が声を掛けてきた。先に入館した幹部達同様、彼も私服だった。急いで起きて出て来たので、スーツに着替える時間がなかったのだ。ケンウッドは局長も寝間着だったな、と思いながら、返事をした。

「おはよう、ロッシーニ・ドーマー。ドームの不手際で大事になってしまった。」

 ロッシーニはまだ何も知らされていない。しかし、パーシバルや若い遺伝子管理局員達がセイヤーズを探し回っていたことは知っていた。

「セイヤーズの行方がわかりましたか?」
「いや、わからないが、確証を得たことが一つだけある。局長から報告があるはずだ。」

 ケンウッドが詳細を語らないことで、ロッシーニはことの重大さを理解した。彼は頷き、先を急いだ。
 ケンウッドは歩きながら、パーシバルの端末に電話を掛けた。パーシバルはまだ起きていた。寝ずにケンウッドの報告を待っていたのだ。

「手がかりは見つかったか、ニコ?」
「うん。セイヤーズは脱走した。」
「はぁ?」

 パーシバルはリン長官みたいに間抜けな声を出した。ケンウッドは歩きながら喋りたくなかったので、相手の現在地を訪ねた。パーシバルは彼自身の研究室に居た。ファンクラブの仲間とポール・レイン・ドーマー、クリスチャン・ドーソン・ドーマー、それにクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが一緒だと言った。散開しての捜索は既に打ち切っていた。ケンウッドは真っ直ぐにそこへ行く、と告げた。

「ただし、ドーマー達はアパートに帰らせてくれ。彼等には、遺伝子管理局から正式な説明があるはずだから。」

 そして一言付け加えた。

「セイヤーズは現在のところ無事だと思う。バスの中だから・・・」


侵略者 9 - 4

 ケンウッドが連絡を取った相手はすぐには繋がらなかった。月は地球の反対側にいたのだ。数秒の待機時間にクーリッジ保安課長の端末がリン長官に繋がった。その瞬間、ハイネがクーリッジの手から端末を取り上げ、電話を切った。クーリッジが局長の暴挙に驚いて、「おいっ!」と抗議の声を上げた。しかし、ハイネが唇に指を当てて「しっ」と制し、ケンウッドを目で指した。クーリッジはハイネの意図を瞬時に理解した。保安課長は長官への通報を数分間遅らせることを決めた。 
 月の地球人類復活委員会本部の執行部窓口にいたのは、ケンウッドには馴染みのない委員だった。彼は長官ではなく一執政官から緊急連絡が入ったので、訝しげな表情で画面に現れた。

「アメリカ・ドームの遺伝子学者ニコラス・ケンウッドです。当ドームから進化型1級遺伝子保持者が1名、脱走しました。危険値レベルS1の男性ドーマーです。」

 ケンウッドが一気に喋ると、相手は名乗ったがケンウッドは彼の姓がシラーだとしか聞き取れなかった。
 シラーは別のコンピュータをさっと操作してから、カメラに向き直った。

「アメリカ・ドームに危険値S1のドーマーはいないはずですが?」
「西ユーラシアから『直便』で遣いに来ていたのです。用事を終えて帰るふりをしてゲートから出たまま、姿を消しました。」
「脱走とは、確かですか?」
「彼は空港ロビーで現金を下ろしてバスに乗ったところまで確認が取れています。端末は放棄していました。」
「対象ドーマーはダリル・セイヤーズに間違いありませんか?」

 本部はケンウッドが知らなかった情報を持っていた。何故自分にその情報がなかったのか、とケンウッドは不思議に思えた。重要なことなのに、当事者のドームの執政官が知らなかったのは何故だ?

「そうです、ダリル・セイヤーズ・ドーマー、西ユーラシア・ドーム所属の遺伝子管理局の局員です。」
「何故、S1のドーマーが局員なんかしているのです?」

 そうだ、外に出してはいけないはずの遺伝子保有者を何故外勤務の局員にしていたのか? 安全な遺伝子を持っているハイネでさえ、生まれてから一度も外に出してもらえなかったのに。
 ケンウッドはハイネを見た。ハイネが口だけ動かして伝えた。

ーー説明するから来い

 ケンウッドはシラー委員に告げた。

「その件に関する詳細はこちらへ来ていただければお伝え出来ます。今は時間がありません。大至急捜索しなければ・・・」

 シラー委員は物わかりが良い人の様だ。頷くと、執行部を招集します、と言って、通信を向こうで切った。
 ケンウッドが深呼吸すると、ハイネがクーリッジに向き直って、「どうぞ通報を」と促した。
 クーリッジはもう1度リン長官に電話をかけた。長官は先刻の呼び出しで目覚めていたが、頭はまだぼんやりしている様子だった。まだ夜が明けていないと文句を言った。クーリッジがセイヤーズの脱走を告げても、ピンと来なかった。

「セイヤーズ・・・? 誰だ、そいつ?」
「当ドームで生まれて、昨年西ユーラシア・ドームに転属させたドーマーです。」
「ああ・・・」

 とリンの声がクーリッジの端末から聞こえた。

「あのブロンドの坊やか・・・だが、他所のドームのドーマーが逃げて、何故私がこんな早朝に叩き起こされないといけないんだ?」

 リン長官は「直便」が来ていたことも、「直便」がセイヤーズだったことも知らない。ポール・レイン・ドーマーは彼がセイヤーズを攫ったのではないかと疑って探りに行ったとクリスチャン・ドーソン・ドーマーが言っていたが、レインはきっと長官の手に触れて思考を探っただけで、何が起きているのかは告げなかったのだ。
 クーリッジはドーム行政に無関心な長官に教えてやった。

「セイヤーズは『直便』で昨日西ユーラシアから当ドームに来ていました。用事を終えて帰ったと思われたのですが、航空機には乗らず、ATMから現金を引き出してバスに乗り、何処かへ去りました。端末を遺棄していますから、自らの意志で行方をくらませたのは明らかです。」

 ああ、とまた長官は寝ぼけた声を出した。

「当ドームから他所のドームのドーマーが逃げたのは、確かに問題だな。」

 長官もセイヤーズの遺伝子情報を知らないのか? とケンウッドは呆れた。ドーマー交換を決めた時、長官は交換されるドーマーの全ての個人情報を吟味するのが義務だろうに。
 クーリッジがお馬鹿長官に一発お見舞いした。

「ハイネ局長が言うには、セイヤーズは進化型1級遺伝子危険値S1だそうですぞ。」

 長官は5秒間沈黙した後、大声を上げた。

「ぬぁんだぁってぇえええええ!」

 ケンウッドはハイネが小さな声で囁くのを聞いてしまった。

「あの大馬鹿者が・・・」





侵略者 9 - 3

「脱走?!」

 ケンウッドは馬鹿みたいにハイネの言葉を復唱した。脱走とは、ドームの中に戻らないと言う意志を持っているのだ。ドーマーとしての義務も権利も放棄して、ドームの保護も拒否して、大気汚染と雑菌だらけの世界に逃げて行ったのだ。

「どうして・・・」

とクーリッジが呟いた。彼はドーマー達は普通の地球人より幸福な生活をしていると信じている。そんな生活を捨てて逃げる意味が理解出来ない。
 ハイネはそんな感傷的な気分に浸っている暇などなかった。彼は端末を出し、誰かに電話を掛けた。

「ロッシーニ・ドーマー、朝早くから申し訳ないが、幹部を大至急仮局長室に集合させてくれないか。」

 そして、電話を終えるとケンウッドを振り返った。

「博士、お願いがあります。」
「なんだろう?」
「今、ここから月の地球人類復活委員会本部へ連絡を入れて下さい。」
「ここから?」

 ケンウッドは驚いた。月への通信は中央研究所からでしか出来ないはずだ。しかし、ハイネは断言した。

「今は出来ます。さっきクーリッジ保安課長が情報管理室のデータを呼び込む為に、このコンピュータにフリーコードを入力されました。今、この機械は中央研究所の機械と同列の権限を持っています。」

 アッとクーリッジが声を出した。彼はうっかりして地球人が使用しているコンピュータにマザーコンピュータのアクセス権限を与えてしまったのだ。ハイネはそれをしっかり見ていた。冷や汗をかいている保安課長を横目に見ながら、ケンウッドはハイネに尋ねた。

「ドーマーの脱走を月に報告するのかね?」
「逃げたドーマーは、ただのドーマーではありません。」

 ハイネは、ケンウッドもクーリッジも重要な情報を与えられていないことに気が付いた。彼自身は、その事実に驚いて、思わずコロニー人達に尋ねた。

「お2人はご存じなかったのですか?」
「何を?」
「ダリル・セイヤーズ・ドーマーは進化型1級遺伝子保有者なのですよ。」
「君と同じなのか?」
「いいえ!」

 ハイネが強く否定した。そして固い表情でケンウッドが想像すらしていなかった事実を告げた。

「セイヤーズの遺伝子は、危険値S1、絶対に地上に放ってはいけない遺伝子です。彼は全ての機械を見ただけで操作出来るし、分解出来るし、組み立ても出来る。カードなしでATMからいくらでも現金を引き出せるし、どんな厳重な警備システムも無力化出来る能力を持っています。1人で地上に大混乱を引き起こせる可能性を持っているのです。
早く捕まえないと駄目です。」

 ケンウッドとクーリッジは顔を見合わせた。ケンウッドはハイネの言葉を頭の中で繰り返してみた。危険値S1・・・コロニーでも野放し禁止の遺伝子じゃないか!
 彼はコンピュータのキーを叩き始めた。地球人類復活委員会の執行部へ直通で連絡だ。
横ではクーリッジがリン長官を起こそうと電話を掛けていた。

2017年8月3日木曜日

侵略者 9 - 2

 クーリッジ保安課長はコンピュータのキーを叩いて情報管理室のモニター映像を仮局長室でも見られるようにした。彼が合図を送ると、ハイネが会議用テーブルのスィッチを入れた。3次元画像が立ち上がった。送迎フロアの出口ゲート前の様子だ。
 ダリル・セイヤーズ・ドーマーが係官の所に歩み寄るところから再生が始まった。きちんとスーツを着て、手にはハードケースを持っている。手荷物はそれだけだ。局員が出張時に持ち歩く小さな鞄はまだゲストハウスに置きっぱなしだから、当たり前だ。
 セイヤーズは名乗り、帰還するのでドームから出ると申告した。係官はアメリカ・ドームから持ち出す物はないかと尋ね、セイヤーズはないと答えた。
 ケンウッドが思わず呟いた。

「それでは、あのハードケースの中は空か?」

 奇異に感じた。「直便」が持ってくる検体が入ったハードケースは普通中央研究所にそのまま届けられ、こちらのドームが持っている。「直便」が持ち帰る場合はこちらから向こうのドームに届ける新しい検体が入っているものだ。持ち出す物は「有る」と答えねばならない。
 セイヤーズはハードケースを開いて中が空洞であることを証明して見せた。係官は確認して、彼の為にゲートを開いた。セイヤーズは落ち着いた足取りで出て行った。
 クーリッジが再生を止めてハイネを見た。ハイネはちょっと考えてから、コンピュータに戻って保安課長と場所を替わった。彼はキーを叩いて複雑な画面を出した。ケンウッドは彼が何をしているのか皆目見当がつかなかったが、クーリッジは途中で気が付いた。

「おい、警察の監視カメラをハッキングしているのか?」
「人聞きの悪い・・・要請なしで協力してもらっているだけです。」
「・・・誰から教わったんだ?」
「さて・・・忘れました。年寄りなもので・・・。」

 ハイネはいかにも慣れた手順で警察の情報システムに侵入した。ケンウッドはふと思った。これは、連邦捜査局で働いていた弟ダニエル・オライオンが兄貴に教えたのではないだろうか。僅か10回程度の逢瀬に、オライオンはドームに置き去りにしてしまった兄貴を喜ばせるために精一杯努力をしたはずだ。ドーマーの楽しみは、いかに仕事を上手くやってのけるか、と言うことだ。オライオンは何をすればハイネが喜ぶか、よく知っていた。
 ハイネの作業が終了した。会議用テーブルには新しい映像が立ち上がった。ドーム空港ビルのロビーだ。一般人が自由に出入り出来る場所だから、警備は警察の管轄になっている。だから監視システムも警察のものだ。
 ハイネは時間を戻してセイヤーズがドームを出た直後から再生を開始した。ロビー全体の映像が映り、数秒後に10箇所の細切れ映像に別れた。ケンウッドが真っ先にセイヤーズのブロンドを見つけた。

「2番目のカメラだ。ATMに向かっている。」

 セイヤーズはドーム銀行のカードで現金を引き出した。札の数が多いので、ケンウッドは嫌な予感がした。

「彼は全額下ろしたのか?」
「1度は無理だろう。」

とクーリッジ。

「いかに若いドーマーでも、ATMの引き出し限度額以上の預金はあるはずだ。全額下ろすのだったら、後でまた何処かで・・・」

 彼はハッとしてハイネを振り返った。

「次のカード使用場所で追跡出来るぞ。」
「追っ手がその場所に到着する前に逃げられますよ。」
「だが行く方向は見当がつく。」

 ハイネはそれ以上保安課長と議論する必要を感じなかったので、ケンウッドにわかったことを告げた。

「セイヤーズは大金を持って移動しています。少なくとも、自死する意志はなさそうです。」

 ケンウッドも首を振った。彼も懸念していたのだ。恋人レインをリン長官に奪われて絶望したセイヤーズが生きることを諦めたのではないかと。
 セイヤーズはお金を引き出すと、近くのトイレに入った。2,3分で出て来たので、現金を体の何処かに隠したのだろう。
 彼はバスのチケット売り場へ行き、何処かへ行くチケットを現金で購入した。ハイネはカメラの別の角度の映像を探したが、チケットの内容がわかるものは見つからなかった。
 セイヤーズは空港ビルの地下へ行き、やって来た長距離バスに乗り込んだ。バスはLA行きだったが、セイヤーズが現在もそのバスに乗っているかどうかは不明だ。もしLAに行きたいのであれば、民間の航空機で行った方が早い。バスに乗ったのは途中下車が出来るからだろう。
 ハイネはコンピュータを操作して、別のアプリを立ち上げた。端末の追跡システムだ。セイヤーズが現在所持している端末の番号を入力すると、直ぐに位置情報が出た。クーリッジが失望の声を上げた。セイヤーズの端末は空港ビルのトイレの中にあったのだ。
 ハイネ局長は深い溜息をつき、ケンウッドを振り返った。

「ダリル・セイヤーズ・ドーマーは脱走しました。」

と彼は断言した。



侵略者 9 - 1

 ケンウッドは観察棟のハイネの仮局長室の前で躊躇っていた。まだ報告するのは早いのではないかとも思えたのだが、もし推測が当たっていれば早い方が良い。時刻は午前3時だ。コロニー人にはあまり意味がないが、地球人は爆睡している時刻だから、起こすのは酷だと思えた。しかし問題は深刻だ。彼の背後でクーリッジ保安課長が咳払いした。ケンウッドがドアを開けないのなら、彼が自身でノックすると無言で言ったのだ。
 ケンウッドは決心してドアを叩いた。当然返答はない。彼はドアを開いた。観察棟は被収容者が消灯しても誰かが入室すれば自動的に照明が点く。ドア付近の物音と照明の点灯でハイネが目覚めたのか、ベッドの上で動くのが見えた。ケンウッドは思い切って声を掛けた。

「ハイネ局長、夜分に申し訳ない・・・」

 クーリッジ保安課長も声を掛けた。

「局長、ケンウッド博士とクーリッジだ。起こしてすまないが、緊急用件だ。」

 ハイネが上体を起こした。まだ覚醒しきれていないのか、片手で目をこすっている、その脇へ2人のコロニー人は近づいた。ハイネが枕の下から端末を出して時刻を見た。そして呻く様な声で尋ねた。

「緊急用件とは?」

 ケンウッドとクーリッジが殆ど同時に言った。

「セイヤーズが行方不明だ。」
「直便のドーマーが無断で外出した。」

 ハイネが彼等の顔を見た。青みがかった薄いグレーの瞳に次第に光りが増してきた。
彼はケンウッドを見つめ、それからクーリッジに視線を移して、保安課長に尋ねた。

「外出とは、ドームの外へ出たと言うことですか?」
「そうだ。ゲートのモニターで確認した。昨日の午後1時頃に、セイヤーズは1人でドームから出て、空港に行かずに姿を消した。どの飛行機にも乗っていないから、西ユーラシアへ帰ったのではない。」

 ハイネはケンウッドに視線を戻した。そしてまた尋ねた。

「レインは一緒ではないのですね?」
「レインが彼の不在に気が付いた。探したが見つからないので、パーシバル達に協力を求めてきたんだ。」

 ハイネは一瞬目を遠くを見るように宙へ向けた。そしていきなり枕を掴んで床に叩きつけたので、ケンウッドとクーリッジはびっくりした。
 ハイネはベッドから降りて執務机のコンピュータを起動させた。

「保安課長、ゲートのモニター映像をここへ呼んで下さい。もう1度検証します。」



2017年8月2日水曜日

侵略者 8 - 11

 庭園の森の入り口でケンウッドはパーシバルと出会った。ケンウッドの後ろに助手3名がついていたが、パーシバルの方はレインのファンクラブ10名がいた。

「セイヤーズがいなくなったとは、どう言うことだい?」

 ケンウッドが説明を求めると、パーシバルはそっと周囲を見廻した。夜間なので人通りはないが、それでも不夜城の出産管理区の方角は明るい。中央研究所でも灯りが点っている部屋がいくつかあった。居住区のアパートも明るい部屋がいくつかある。

「今朝、直便で来たセイヤーズを遺伝子管理局本部へ連れて行き、それからこの庭園の東屋でポールに引き合わせたんだ。」

とパーシバルが語り始めた。

「僕は2人の邪魔をしないように研究室に帰ったので、後の話はポールの証言だけなのだが、彼等はポールのアパートへ行った。誰の邪魔も入らない場所はそこだけだからね。2人は愛の確認をして、それから眠った・・・」

 パーシバルはちょっと言い辛そうに話した。

「ポールはすっかり眠り込んでしまったそうだ。だからセイヤーズが本当に眠ったのかどうかわからないと言っている。ポールは空腹を覚えて目が覚めた。時刻は午後3時過ぎだったそうだ。そして部屋の中にセイヤーズがいないことに気が付いた。」

 彼が少し休んだので、ケンウッドは静かに待った。まだ展開がよくわからない。助手達も黙って次の話を待っている。
 パーシバルが溜息をついて、話を再開した。

「ポールは彼が旧知の者達に会いに行ったのかと思って1時間ほど部屋で待った。しかしセイヤーズは戻って来ない。それでポールは部屋の外へ出て、クラウスの部屋を訪ねた。クラウスは部屋にいなかった。仕事の日だから当然だよな。4時過ぎだから、遺伝子管理局の局員達は事務仕事を終えてジムで運動をするのが普通の日課だ。ポールはジムへ行ってみたが、そこにもセイヤーズはおらず、食堂にもいなかった。」
「端末に電話を掛けなかったのか?」
「セイヤーズの端末は西ユーラシアの番号だ。そしてポールはその番号を教えてもらっていなかった。互いに情報管理室で傍聴されるのが嫌だったのだろう。
 その時点でポールは嫌な想像をしてしまった。セイヤーズが長官の一味に見つかって何処かに監禁されてしまったのではないか、とか、ドームから追い出されてしまったのではないか、とか・・・」
「リン長官は今日は夕方迄医療区に居た。ハイネ局長の見極め健診に終日立ち会ったのだ。彼は直便がセイヤーズであることも、直便が来ること自体も知らなかったはずだ。」
「僕もポールにそう言った。ポールが行き詰まって先輩ドーマーのクリスチャン・ドーソン・ドーマーに相談したのだが、クリスもセイヤーズの行方に見当が付かなかったので、僕のところに2人してやって来たんだ。
 ことを大袈裟にしたくないから、取り敢えずファンクラブで手が空いている面子だけが、今探しているところだ。」

 ケンウッドはもう1度周囲を見廻した。遺伝子管理局は夜は業務をしないので暗い。クローン観察棟も消灯してしまっている。ハイネも眠っただろう。

「迷子になるはずがない。セイヤーズはここで生まれ育ったドーマーだ。」
「しかし、ドーマーが立ち入るのを禁止されている場所もあるぞ。出産管理区やクローン育成施設とか・・・」
「セイヤーズがそんな場所に入ってどうするって言うんだ? 中を探して見つからないのであれば、外に出たとしか思えないだろう?」
「もう帰ったって言うのか?」
「ゲートに確かめてみたのか?」

 ケンウッドに指摘されて、パーシバルは黙り込んだ。するとファンクラブの1人がある規則を思い出した。

「他所のドームから来た人間は、ゲートで端末の番号を申告するはずだ。保安課に明かして番号を教えてもらえばどうだろう?」
「保安課にセイヤーズが行方不明だと教えるのか?」
「直便は西ユーラシアのドーマーだ。アメリカ・ドームで西ユーラシアの局員が行方不明と言うのは拙いだろう? 早く捜し出さないと、大騒ぎになりかねない。」

 その時、彼等の方へ近づいて来るスーツ姿の男がいた。暗がりから現れたのは、遺伝子管理局の幹部候補生クリスチャン・ドーソン・ドーマーだった。
 パーシバルがセイヤーズは戻ったかと尋ねると、彼は首を振った。

「まだ見つかりません。レインはリン長官のアパートへ行きました。セイヤーズを攫ったのではないかと疑っているんです。」
「それはないだろう。」

 パーシバル達ファンクラブ数名が首を振った。

「セイヤーズには例の特技がある。あの男を捕まえるのは一苦労だ。ドームの中で麻痺光線は使えないし・・・」

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは他人の筋肉の動きで相手の次の行動を予測出来る。だから彼を捕まえようとするとするりと躱されてしまう。
 ケンウッドはもう1度クローン観察棟を見た。そしてパーシバルに提案した。

「クーリッジ保安課長にゲートのモニター再生を見せてもらえる様、頼んでみる。」



侵略者 8 - 10

 縫いぐるみの熊を自宅アパートに持ち帰るのも気が重かったので、研究室に持ち込んだ。夜だったが、コロニー人はあまり地球の昼夜にとらわれない人間が多く、助手達がまだ仕事をしていた。彼等は縫いぐるみを抱えた博士を見て驚いた。ケンウッドは可能な限り真面目な顔で熊を棚に置いた。

「知り合いにもらったんだよ。」
「何方です?」

 助手達はケンウッドが縫いぐるみをプレゼントするような友人を持っていないことを承知している。博士の友人達は皆大人で、もっと気の利いたものをくれるはずだ。それに彼等はケンウッドが誰に会いに言っていたか知っているのだ。
 ケンウッドは渋々真実を告白した。

「ハイネ局長にもらったんだ。」

 助手達が驚いて熊の前に集まって来た。余り覗かれると内臓しているカメラが発見されてしまう。慌てて説明した。

「ハイネは他の人からもらったのだが、もうすぐ本部に帰るので不要品の処分としてくれたんだよ。」
「局長に誰かがこれをあげたんですか?」

 女性助手の1人が縫いぐるみを抱き上げた。

「私がもらっても良いですか?」

 ケンウッドは躊躇った。研究室に置いていてもキーラ・セドウィックに監視されるだけだ。研究内容を見られてもかまわないが、こちらは気が散る。しかし、助手のプライベートな場面を見せる訳にもいかないだろう。

「いや、一応私がもらったのだから、ここに置いておく。遊びたかったら、休憩時間に遊びなさい。」

 助手はあっさり引き下がってくれたので、内心ホッとした。

「博士は今夜はもう上がられましたよね?」
「うん、私はこれから帰って寝る。君達も早く仕舞いなさいよ。」

 すると一番若い助手が尋ねた。

「ハイネ局長は幽閉を解かれるんですよね?」
「そのはずだが・・・長官も駄目だとは言えないだろう、局長はもうどこも悪くないのだから。」
「局長が出てこられたら、僕、挨拶に行って良いですか? まだ着任の挨拶をしていないんですよ。僕が来た時は、ノバックがいたから・・・。」

 そう言えば、この助手はまだハイネの実物も見たことがないのだ。ケンウッドは、「いいとも」と答えた。
 部屋から出ようとしたケンウッドの端末に電話が着信した。画面を見ると、ヘンリー・パーシバルからだった。ケンウッドが出ると、パーシバルが開口一番に尋ねた。

「ニコ、セイヤーズはそっちに行っていないか?」
「いや、来ていないが・・・レインと一緒じゃないのか?」
「そのポールがセイヤーズを探しているんだ。」

 パーシバルの声が固かった。何か悪い予感がしているのだろうか。ケンウッドは、セイヤーズはドームの中にいるのだから心配しなくて良いと思った。それでも、少し気になった。

「今、君は何処に居るんだ?」
「今は図書館のロビーだ。これから庭園に行く。」
「では、私もそちらで合流しよう。」

 電話を切ると、助手達がケンウッドを見ていた。

「先生、セイヤーズって、昨年西ユーラシアへ転属したドーマーのセイヤーズですか?」
「ああ・・・今朝、直便で一時帰国した。」
「それで、いなくなった?」
「と、レインが言っているらしい。」

 助手達が顔を見合わせた。彼等が何か知っているのではないか、と期待したが、助手達からは何も情報はなかった。

「レインがセイヤーズを探しているのですね?」
「僕も手伝いますよ。」

 此奴等はセイヤーズではなくレインと一緒に行動したいだけなのでは? と思ったが、ケンウッドは彼等に頷いて見せた。



2017年8月1日火曜日

侵略者 8 - 9

「ところで、ご用は何でしたか?」

とハイネが尋ねた。ケンウッドは不意を突かれた感じで驚いた。

「用事?」
「ここへ来られる時は、貴方は必ず何らかの口実を持って来られるでしょう?」

 ああ、ケンウッドは頷いた。大した口実ではなかったのですっかり忘れていた。

「先日の『お勤め』の日取りを4日後にするとロッシーニ・ドーマーに伝言を頼みたい。」
「承知しました。」
「内務捜査班と言うのは、普段は本部にいるのかい?」
「内勤業務をする時は本部にいますよ。」

 しかし捜査する時は、とはハイネは言わなかった。仕事に関しては訊かれないことは喋らない、それがハイネの流儀だ。ケンウッドは執政官として自身も調査される場合があるのだな、と思った。だからロッシーニ・ドーマーが普段何処で何をしているか、ハイネは教えてくれない。
 ケンウッドはがっかりした気分を誤魔化す為に室内を見廻した。

「この部屋とも君が本部に戻ったら、もうお別れだなぁ。」

 ハイネがクスッと笑った。

「部屋を懐かしむなんて、変わったお人だ。」
「そう言う意味ではないよ・・・」

 君と気安く会えなくなるのが寂しいのだ、と心の中でケンウッドは呟いた。パーシバルやヤマザキやペルラ・ドーマーと、仕事にかこつけてみんなでお茶を飲みながらわいわい世間話も出来なくなる。

「引っ越しの荷物は輸送班が運んでくれるのだね?」
「そのはずです。」
「君の私物と言えば、そのベッドの下の衣装ケースだけだと思うが、それはアパートから持って来てもらったのかな?」
「これは、秘書達に買って来てもらったのです。私のアパートには3年間ロボット以外誰も入っていないはずです。」
「では、その服は秘書の趣味か・・・」

 ハイネが着ているTシャツのデザインが彼のイメージにそぐわないと思ったら、案の定だ。現在着用中のシャツの背中には漢字で「一発屋」と書かれている。これがペルラ・ドーマーの趣味なのか、セルシウス・ドーマーの好みなのかは不明だ。ハイネはただ模様として考えているのだ。
 ハイネのアパートに誰も入っていないのだとすると、ダニエル・オライオン元ドーマーが言っていたハイネの個人バーは手つかずで残っているはずだ。自由の身になったら、彼はまた飲み始めるのだろうか。 独り酒は良くないと言いたかったが、きっかけがなかった。
 ハイネが立ち上がった。

「今日は疲れたのでそろそろ休もうと思いますが・・・」
「ああ、私も帰るよ。邪魔をしたね。」

 ケンウッドも立ち上がり、縫いぐるみの熊に目を向けた。

「その熊もアパートに持って帰るのか?」

 するとハイネがとんでもないことを言った。

「お気に召したのなら、差し上げましょう。」
「い、いや、結構・・・」
「ご遠慮なさらずに。」

 ハイネは熊を掴み、ケンウッドの腕の中に押しつけた。

「私にはもう不要です。ですが、貴方には必要になるかも知れません。」
「私に?」

 ケンウッドは戸惑った。キーラ・セドウィックに監視されることが必要なのか?
ハイネを見ると、老ドーマーは真剣な目で彼を見返した。

「貴方は私の心配ばかりして下さいますが、ご自分の身の安全も考慮されるべきです。」



2017年7月30日日曜日

侵略者 8 - 8

 ケンウッドは夕食後に観察棟のハイネ局長の部屋を訪れた。その日の日中いっぱいハイネが医療区で見極め検査を受けたので、その結果を早く知りたかった。そして思った。もし見極めが通れば、一両日中にハイネは観察棟の幽閉から開放され、遺伝子管理局本部の局長室に還る。そうなれば、もう今みたいに気安く面会に行けなくなる。遺伝子管理局はドームの中にあっても地球人だけの役所だからだ。どんなにドーマー達と親しくなっても入るには入り口の受付で入館パスをもらわなければならない。ケンウッドにはヘンリー・パーシバルの様にお菓子で受付を買収する度胸がなかった。
 ドアをノックしてから開くと、いきなりハイネの悲鳴が耳に入ってきた。

「痛い! もっと優しくしてくれ!」
「なによ! これ以上優しくしたら効かないって文句垂れるのは貴方でしょう?!」

 ベッドの上で俯せになったハイネの腰の辺りにキーラ・セドウィック博士が跨がっていた。キーラ博士は自身の指で彼の背に指圧を施している最中だった。
 ケンウッドが咳払いすると、2人が同時に振り向いた。ケンウッドは今晩はと挨拶した。ハイネが今晩はと返事をしてくれたが、キーラ博士はムッとした表情をしただけだった。お楽しみの邪魔をされて機嫌を損ねた様だ。彼女は思いきり彼の背中のツボを圧して、彼がまた声を上げた。

「もう良い、お疲れ様。」

 ふんっと彼女は言って、彼の上から降りた。そしてケンウッドを見て言った。

「貴方もいかが、ケンウッド博士?」
「あ・・・いや、私は結構・・・」

 なんとなく指圧ではなく首を絞められそうな気がした。
 ハイネが起き上がった。ちょっと体を捻って効果のほどを確かめている。彼女が尋ねた。

「少しは楽になったかしら?」
「うん、有り難う。」

 本当かしら? と言いたげな表情で彼女はバスルームに入った。ケンウッドは会議用テーブルの椅子に座って、ハイネを見た。

「見極め検査はどうだった?」
「多分、合格でしょう。」
「多分?」
「最後の検査だけ、逃げ出したので。」

 するとカーテン越しにキーラ博士が言った。

「サンテシマが見ている前で検体採取はないわよね。」

 ああ、とケンウッドは合点がいった。ドーマーの健診には必ず検体採取が付いて来る。それがドーマーを育てる本来の目的だから仕方が無いのだが、ドーマー達はこれが一番好きではない。ケンウッドが知っている限り、何故かローガン・ハイネ・ドーマーには「お勤め」がない。高齢だからと言う理由ではなさそうだ。ハイネの肉体は見た目のままなのだから。

「今日の見極めには検体採取が含まれていたのだね?」
「最後に。それで疲れたと言い訳して勘弁してもらったのですが、サンテシマ・ルイス・リンは不満そうでしたね。」
 
 まさかハイネは不能ではあるまい。それならそれでちゃんと医療区は考慮して検査項目から外しているはずだ。

「兎に角、リンを1日若いドーマー達から引き離せたので、目的は果たせました。」
「君が自ら囮になるとは、畏れ入ったよ。」

 キーラ博士がバスルームから出て来た。彼女は運動着から私服に着替えただけだった。
ドーマーの背中に跨がるには運動着の方が動きやすいのだろう。

「私は帰るわね。」

と彼女が声を掛けた。ハイネが手を振った。彼女はただマッサージする為に来たのだろうか。ケンウッドは彼女とハイネの関係をまだ把握出来ずにいた。彼女がケンウッドに言った。

「疲れたらいつでも声を掛けていただいてよろしいのよ、ケンウッド博士。コロニー人の男性の筋肉は地球人の女性の筋肉と大して変わりませんからね。地球人の男は固くて・・・」

 ハイネが顔をしかめて、早く帰れ、とまた手を振った。キーラ博士は彼にイーッとして、ケンウッドにはニッコリ微笑みかけて部屋から出て行った。
 2人きりになったので、ケンウッドは訊いてみた。

「君が彼女を呼んだのか?」
「向こうから押しかけて来たんです。」

 ハイネは余り触れて欲しくなさそうだ。もっと突っ込んで訊いてみたいが、観察棟なのでモニターされている。ケンウッドは自重した。

「リン長官はずっと君の検査に立ち会ったのか?」
「ええ・・・べったりと・・・」

 ハイネは思い出すと気持ちが悪くなったらしく、うんざりとした表情をして見せた。

「男が男の体を見て、何が面白いのでしょうね。」

 さっきまで美女を腰の上に載せていたハイネがそう言うので、ケンウッドは可笑しくなった。考えてみれば、ハイネはキーラ博士でなくても医療区の女性スタッフに触れられても平気なのだ。男が触る時だけ嫌がっている。要するに・・・

 ハイネは人間の男として普通の反応をしているだけだ。周囲の方が男社会で可笑しくなっているのだ・・・




2017年7月29日土曜日

侵略者 8 - 7

 日中、多くのドーマー達は各自の仕事で忙しい。だから森は無人に近くなる。ヘンリー・パーシバルは東屋にダリル・セイヤーズ・ドーマーを連れ出すと、そこで待てと言い置いて立ち去った。
 セイヤーズは森を眺め、ドームの天井越しに空を見上げ、生まれ故郷に戻って来たんだなぁと思った。明日になればまたジェット機に乗って西ユーラシアに戻らなければならない。向こうのアパートにも馴染んできたし、そんなに辛くはないが、これから旧友達と出会うと里心がついてしまうかも知れない。
 ちょっと時間が余りそうな気配だったので、彼は端末を出し、アメリカ・ドームの最新ニュースを探した。ドーマー達のゴシップや執政官の失敗談などだ。新しい研究成果がないが、それは地球上どこのドームでも同じだった。どのドームも女性誕生の方法を模索し失敗する。あの大家族が本当の血縁関係者だけの集団になれるのは何時だろう、と彼は思った。
 ふと日が陰った。顔を上げると、そこにポール・レイン・ドーマーが立っていた。美しい顔を固くして、じっと彼を見下ろしていた。
 セイヤーズは彼に出会ったら何を言おうといろいろ飛行機の中で考えてきたのだが、この瞬間、全部忘れてしまった。ただ嬉しくて、勢いよく立ち上がった。

「ポール!」

 抱きつこうとして、彼は動きを止めた。レインはニコリともしなかったのだ。ただ幼馴染みで部屋兄弟で恋人だったセイヤーズを黙って見つめているだけだった。
 セイヤーズは困惑した。大好きなポールは一体どうしてしまったのだ?
 彼はやっとの思いで尋ねた。

「元気だった?」

 レインは頷いた。

「君も元気そうで良かった。」

と彼は言った。何の感情も含めない声だったので、セイヤーズはそれまでの興奮が急激にしぼむのを感じた。レインはまだリン長官の愛人をやっているのか? コロニー人のご機嫌をとって出世をしたいのか?
 ドーマー交換に出される前、セイヤーズとレインは喧嘩をしたのだ。レインがリン長官の愛人としていろいろと優遇されるのを、彼は不愉快に思った。人間としてのプライドを捨てて職務上の地位を上げてもらって、それが何になるのか、と彼は恋人に抗議した。しかしレインは、妻帯許可をもらえるじゃないか、と言った。結婚出来る権利をもらえれば、好きな女性ドーマーと一緒になれるし、一人前の男として仕事でも箔が付く、と。
ドーマー達は男社会だから、同性愛が多い。しかし中には女性との結婚許可を得て妻帯する者もいる。そして、これは非ドーマーには理解し難いことだが、彼等は女性と結婚しても男の恋人との仲も続ける。セイヤーズもレインが妻帯を希望することに異を唱えはしなかった。しかし、妻帯する為にコロニー人に自身を売るのは反対だった。だから彼はレインに抗議した。誇りを売るなんて止めろと。しかし、レインは聞き入れなかった。
 セイヤーズは、レインに尋ねた。

「リン長官のペットになるのは楽しいか?」

 すると、レインは平然と答えた。

「仕事だよ。ベッドに入る度に出世出来る。妻帯許可をもらえるのも、間もなくさ。」

 セイヤーズは足許が崩れていくような気分だった。彼は自分の質問でレインが怒ることを期待したのだ。怒って誇りを持っていることを示して欲しかった。しかし、レインは怒らなかった。ただ水色の目でじっと彼を見つめているだけだった。
 セイヤーズは顔を背けた。泣きたい気分だったが、涙は出なかった。泣いてしまうのが悔しかった。
 レインには言いたいことがいっぱいあったのだ。旧大陸で出会った大家族のこと。愛し合い信頼し合う人々と毎日一緒に楽しく暮らせたら、どんなに幸せだろうと・・・。でも、もう何も言えなくなってしまった。
 ダリル、とレインが彼の名前を呼び、彼の肩に手を掛けた。

「今夜は泊まっていくのか?」

と彼が尋ねたので、セイヤーズは小さく頷いた。

「ゲストハウスを用意してくれているそうだから・・・もう私の部屋はないんだろ?」
「ああ・・・」

 セイヤーズは精一杯勇気を振り絞って言った。

「最後にもう1度だけ、君が欲しい。」

 レインはちょっと黙ってから、囁きかけた。

「俺の部屋に来い。」
「今から?」
「ああ・・・夕食まで時間があるだろう。」

 それだけ言うと、レインは彼の肩から手を外し、くるりと背中を向けて歩き始めた。セイヤーズは急いで彼の後ろをついていった。見失うはずのない場所に居るのに、彼を見失うまいと思い詰めて。



侵略者 8 - 6

 サンテシマ・ルイス・リン長官は、西ユーラシア・ドームの遺伝子管理局から「直便」が来ていることを知らなかった。もっともこれは珍しいことではない。「直便」は生細胞をやりとりする執政官同士の間の連絡さえあれば良いのであって、上司にわざわざ報告するような重要性は滅多になかった。それに「直便」は毎週往来していたので、長官が気にする存在でもなかった。それにリン長官はその日、予定外の重要な用事が入って忙しかった。
 医療区から連絡が入ったのだ。

 遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーの見極め診断を行うので立ち会いをお願いする。

 医療区長サム・コートニーから前夜遅くに要請が来た。「見極め」と言うからには、ハイネの病気が完治したと言う宣言を、医療区は出したいのだ。リン長官としても、最近のハイネの噂を耳にして、もう病気はすっかり治っているのではないか、と思っていた。ヤマザキ医師が患者を手放したがらないだけだ。幽閉を続けるのも危険だし、自由に出歩かせた方が、却って捕まえやすいのではないか、とリンは思った。遺伝子管理局長は勤務時間は本部の局長室に篭もっているが、自由時間は単独行動をしている。独りになったところを捕まえれば良い。眠らせて細胞を採取して開放すれば、誰も犯行に気が付かない。ハイネ本人も。
 ヘンリー・パーシバルがダリル・セイヤーズ・ドーマーを連れて遺伝子管理局本部に入ったのと同じ時刻にリン長官は医療区に入った。既にハイネ局長は更衣室に入って検査着に着替えているところだった。リン長官は検査室の一画で医師達と患者が来るのを待っていた。コートニーとヤマザキは検査項目のチェックに忙しく、看護師や技師達も準備に熱中していた。だから、ハイネが入って来た時、リン長官は彼と2人きりになると言う滅多にない機会に遭遇した。
 長官は検査着姿の局長を上から下までじろりと眺めた。

「貴方のその姿を拝めるのも、これが最後でしょうな。」

 と彼が言うと、ハイネも頷いた。

「私もそう願います。この服は好きではありません。」

 コートニーがやって来た。2人に挨拶して、検査項目の説明を行った。核磁気共鳴画像法と聞いて、ハイネが嫌そうな顔をした。コートニーが、短時間で済むし、痛くも痒くもない検査だ、と言っても、彼は気が進まない風だった。他にも多くの検査項目があって、1日を縛られると聞いて、彼は逃げ出したいと呟いた。リン長官はちょっと可笑しく感じてからかった。

「80年も生きてこられて、まだ恐いものがおありなのですな。」

 ハイネはムッとして、

「世の中、恐い物だらけですよ。」

と言った。

「恐い物がないと言う人ほど、早死にしますぞ、長官。」

 そして、ヤマザキに導かれて検査台に向かった。長官に声を聞かれない距離で、彼は医師に囁いた。

「これでアイツを1日ここに足止め出来るかな?」
「退屈させないよう、なんとか努力しますよ。」



2017年7月28日金曜日

侵略者 8 - 5

 昔の古巣、遺伝子管理局本部に入る為に、ダリル・セイヤーズ・ドーマーはロビーの受付で所定の手続きをして入館パスをもらった。指定された場所にしか入ってはいけないのだ。遺伝子管理局は地球人の役所なので、コロニー人のヘンリー・パーシバルも入館許可が必要だが、彼は執政官なのでほぼ顔パスだ。それでも一応はパスを受け取って首から提げた。
 受付のドーマーに彼はそっと低い声で尋ねた。

「ポールは今日は中に居るよな?」
「はい、チームの執務室に居ます。」

 受付係はセイヤーズを覚えていたし、彼とポール・レイン・ドーマーの関係も承知していた。執政官よりも低い声で彼はパーシバルにお伺いを立てた。

「レインに連絡しておきましょうか?」

 パーシバルは答える代わりに大きく頷いて見せた。
 そして既に通路を歩き始めていたセイヤーズを追いかけた。
 セイヤーズはやや固い表情で脇目もふらずに歩いて行く。懐かしがる様子は見せなかった。緊張しているのだ。事実上の追放をくらった身なので、あまり多くの知り合いに会いたくないらしい。同情などされたくないのだ。
 局長室に入ると、局長執務机は当然空で、秘書机で第2秘書のジェレミー・セルシウス・ドーマーが仕事をしていた。局長が目覚めて以来、第1秘書のグレゴリー・ペルラ・ドーマーが局長の世話で部屋を空けることが多いので、セルシウス・ドーマーが局長室の主みたいになっている。それでも一番末席の机で熱心に業務に励んでいるのが、けなげだ、とパーシバルは思った。
 セイヤーズとパーシバルが入室してドアが閉まると、セルシウス・ドーマーは立ち上がって、執政官に挨拶し、セイヤーズに「ようこそ」と言った。それから、もう1度、「お帰り」と言った。
 セイヤーズは来米の用件を告げ、大事に持って来たハードケースを第2秘書に渡した。セルシウス・ドーマーはあらかじめ用意されていた受取書を彼に手渡した。ハイネ局長の署名が書かれている受取書だ。

「西ユーラシアでは上手くやっているかね?」

 セルシウス・ドーマーはペルラ・ドーマーより4歳若いが、内勤職員に許されている口髭を生やしているので、彼の方が年上に見える。セイヤーズはこの人とは転属前に何度か会っていたので、少しリラックスした。彼とパーシバルは来客用の椅子に腰を下ろし、暫くセイヤーズが近況を語った。様々な民族を訪問して支局巡りをしているらしく、仕事は楽しい、と若者は言った。アメリカと違って古い家族制度が残っていて、女性はクローンだが、大家族で住んでいる民族もいる、と彼は目を輝かせて言った。祖父母、両親、叔父叔母、子供達、それは小さなドームの様だ、と彼は言った。

「好きな人の子供をこしらえて一緒に住めるって、良いですね。」

 セイヤーズの言葉に、セルシウス・ドーマーがそっとパーシバルを見た。子供を持って一緒に住むと言うのは、ドーマーにとっては「危険思想」だ。ドーマーは家庭を持ってはいけないのだ。
 パーシバルはやんわりと注意した。

「子供と一緒に住みたいと思ったら、ドームを出るしかないね。」
 
 セイヤーズはハッとして口をつぐんだ。ちょっと気まずい空気になったので、セルシウス・ドーマーがパーシバルに顔を向けた。

「博士、セイヤーズの為に今夜はゲストハウスに部屋を用意してありますので、以前の仲間達にも声を掛けてやって頂けませんか?」

 パーシバルがニヤリと笑った。

「その点は、僕もぬかりなくやっているさ。」

 彼はセイヤーズに向き直った。

「セイヤーズ、それじゃ行こうか?」

 セイヤーズは用事が早く終わったので、昼過ぎにはヨーロッパ行きの飛行機に乗るつもりだった。だから、遺伝子管理局が彼を泊めるつもりで準備してくれていたことに感激した。

「泊まって良いんですか?」
「勿論さ。」
「局長もそのつもりで準備するように指示されましたから。」
「じゃ、向こうに断っておかないと・・・」
「大丈夫、それもハイネ局長からマリノフスキー局長に連絡済みです。」

 セイヤーズの嬉しそうな笑顔に、パーシバルはホッとした。次は彼とポール・レイン・ドーマーを再会させなければならない。これはハイネの指示にはないことだが、恐らく彼も望んでいるはずだ。セイヤーズとレインは「部屋兄弟」だ。大変仲の良い兄弟だ。兄弟を引き離してはいけない、とハイネは思っているはずだ。



2017年7月26日水曜日

侵略者 8 - 4

 2日後の朝、ドームの空港にヨーロッパからジェット機が飛来した。乗客は5名で、4名はコロニー人、1名がドーマーだった。コロニー人達は執政官ではなく、ドームの建築技師達で、施設の修復の為に地球各地を飛び回っていた。
 ドーマーはまだ若く、ダークスーツを着用して、手には小さなハードケースを提げていた。空港職員達は彼を知っていた。

「お帰り、セイヤーズ! 里帰りかい?」

 優しい声を掛けられて、少し緊張気味だったドーマーは肩の力を抜いた。

「こんにちは、お久しぶりです。西ユーラシアから、遣いで来ました。」

 空港職員は、彼が運んで来た手荷物が、通関検査無用の「検体」であることを知っていた。遺伝子管理局から前日に西ユーラシアから「直便」が来ると連絡が来ていたからだ。
「直便」と言うのは、研究用の生きた細胞を遺伝子管理局の局員が自ら運んでくることを指す。貨物扱いではないのだ。細胞が損傷しないように、検査は研究施設で行われる。
 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは手荷物をゲート職員に預け、自身は消毒を受けた。新しい衣服を与えられ、送迎フロアに入って手荷物を返してもらうと、回廊を歩いて遺伝子管理局に向かって歩き始めた。医療区を抜ければ一番近道だと知っていたが、彼は自身がまだ使いっ走りの下っ端局員だと認識していたので、回廊を選んだ。それに、1年振りの「故郷」にちょっと気持ちが高ぶっていたので、気を静めたかった。
 西ユーラシアは様々な文化や民族が入り交じったドームで、彼の興味は尽きることがなく、とても面白い場所だった。お陰でリン長官の意地悪で飛ばされたことを恨んだり哀しんだりする暇がなかった。それに向こうの遺伝子管理局の仲間は皆優しくて仲良くしてくれた。今回の出張も、西ユーラシア遺伝子管理局長ミヒャエル・マリノフスキー・ドーマーが親心で里帰りさせてくれたのだ。
 セイヤーズはゆっくりと回廊を歩いた。ずっとこの道が終わらなければ良いのに、と思った。そうすれば、ずっとここに居られるのに。
 やがて回廊は庭園の入り口付近で終わった。 セイヤーズは庭園を歩いた。ここでポール・レイン・ドーマーとデートして、愛を交わした。あの頃は、2人で一緒に死ぬまでここで暮らせると思っていた。レインは彼のもので、彼はレインのもので・・・あのコロニー人が全てを破壊したのだ。
 東屋まで来ると、知っている顔が彼を出迎えた。

「お帰り、セイヤーズ。元気そうだね!」
「パーシバル博士!」

 親の様に可愛がってくれた執政官のヘンリー・パーシバルが、彼を待ち受けていた。遺伝子管理局からその日の「直便」がセイヤーズだと教えられていたのだ。だから、リン長官のシンパに見つかる前にセイヤーズを保護する目的だった。
 セイヤーズはパーシバルと両手で固く握手した。

「お会い出来て嬉しいです。」
「僕もだ。どれどれ、もっと顔をよく見せたまえ。すっかり大人になったね。逞しくなった。」

 パーシバルは握手するためにセイヤーズが地面に置いたハードケースに目を留めた。

「生細胞だな。中央研究所へ直接持って行くのか、それとも遺伝子管理局へ先に挨拶に行くのか?」
「ええっと・・・」

 セイヤーズはマリノフスキー局長に言いつけられたことを思い起こした。

「先ず、遺伝子管理局本部の局長室で挨拶して、秘書にケースを渡します。そこで私のお役目は終わり・・・」
「うむ、簡単だな。じゃ、観察棟へ行こう。」
「え? どうして観察棟なんです?」
「目下のところ、観察棟に局長室があるからさ。」
「でも、本部へ行かないと・・・」

 セイヤーズは決して融通の利かない男ではないのだが、初めての仕事なので戸惑っていた。それに「直便」は執政官の為の仕事だが、仕事を請け負うのは遺伝子管理局であって、遺伝子管理局のやり方でやる。執政官の口出しは無用だ。
 セイヤーズの困惑をパーシバルは理解した。彼は端末を出し、電話を掛けた。

「パーシバルだ。『直便』を捕まえているんだが、何処に連れて行けば良い?」

 誰と喋っているのだろう、とセイヤーズは博士の顔を眺めた。パーシバルはうんうんと相手の言葉に相槌を打ち、了解、と呟いて電話を終えた。

「君が言う通り、本部へ連れて行けとさ。」
「そうですか・・・でも、誰に掛けられていたんですか?」
「決まってるだろう、ハイネ局長さ。」
「・・・はぁ?」

 セイヤーズはちょっと混乱した。アメリカ・ドームの局長はヴァシリー・ノバックと言う人じゃなかったのか? セイヤーズはハイネと直接面会した記憶がなかった。少なくとも、訓練所時代に参観に来たハイネを離れた位置から見たことがあっただけだ。キラキラ輝いて見えて、訓練生が話しかけるなど、もったいなくて気後れした。入局式にはノバックが局長として訓示を垂れた。西ユーラシア転属の書類に署名したのもノバックだ。
 セイヤーズの困惑にパーシバルは気が付き、可哀想に、と思った。この子はハイネの庇護を受けられずに転属させられてしまったのだ。ハイネが元気だったら決して許さなかったであろう人事異動なのだ。だがパーシバルはセイヤーズにアメリカ・ドーム内で現在行われている権力闘争を語るつもりはなかった。
 今はセイヤーズをリン長官の目から守るのが彼の役目だ。


侵略者 8 - 3

 その日の夕食が終わって、食後の運動までの1時間をローガン・ハイネ・ドーマーはベッドの上に座ってぼーっと過ごしていた。いつもその時間は休憩するか瞑想に耽るのだ。倒れる前は、夕食はもっと遅い時刻に取って、運動を先にしていた。食堂とジムの混む時間帯を避けたので、そんな時間になっていた。
 彼は子供の時から有名人で人々の注目を集めていた。若い頃はそれを気にすることがなかった。彼にとっては当たり前のことだったからだ。しかし職務上の地位が上がって行くと、周囲が彼に遠慮し始めたことに気がついた。気安く話しかけられない人と思われているのだ。執政官達がそんな風に雰囲気を作っているのだと知ったのは、内務捜査班の現場捜査官になった時だ。執政官達は他のドーマー達と少し風貌の異なる彼をドーマーのリーダーにする為に、お膳立てをしていた。カリスマ性があるが、自分達の言うことを聞くリーダーを創っていたのだ。若さを保ち、他人より長命である彼等の可愛いドーマーをリーダーにしておけば、ドームの経営も安泰だと考えたのだった。
 ハイネにすれば良い迷惑だった。彼は好きな捜査の仕事さえ出来れば良かったのだ。それなのに、なんだか神様の子供みたいな扱いを執政官がするものだから、ドーマー達も彼を何か特別な存在を見る目で見始めた。彼は次第に人混みを避けるようになり、食事も独りで、食堂が空いている時間に出かける習慣をつけた。ジムも早朝や食事時でドーマー達が食堂に集まる時間に独りで利用した。
 観察棟に幽閉されて以来、食事時間はクローンの少年達と同じで、外の食堂が混む時間より早く食事が提供されることになった。ハイネにとっては「3時間早い」夕食が終わると、暇な時間が長くなる。
 頭の中を空っぽにしてぼーっとするのも案外快感だと思っていると、ドアをノックする音が聞こえて現実に引き戻された。返事をする迄もなく、ドアが静かに開き、ヘンリー・パーシバルが入って来た。片手に小さな箱を持っていた。

「夕食は済んだのかい?」
「済みました。」
「デザートを持ってきたんだが?」

 パーシバルは箱を持ち上げて見せた。ハイネが黙っていると、彼は説明を付加した。

「カマンベール味のジェラート・・・うっ!」

 パーシバルはハイネが電撃的に素早く動けるほど体力を取り戻していたとは予想もしていなかった。アッと言う間にハイネはベッドから降りてパーシバルに駆け寄り、博士をギュッと抱きしめた。

「愛してます、ヘンリー!」
「君が愛しているのは、カマンベールの方だろ!」

 数分後、2人は思い思いの場所に座ってジェラートを味わっていた。幸せそうにジェラートを味わっているドーマーを見ながら、パーシバルが呟いた。

「君を操りたければ、チーズ味の食い物を持ってくると良い訳だな。」
「そう簡単に操られるような私ではありませんよ。」
「だが、チーズを見た瞬間は油断するだろう、君は? 誘拐するには丁度良い餌だ。」

 ハイネがスプーンを持つ手を止めた。

「そうか・・・食い物に何か中毒性の物を混ぜて与えれば・・・」

 パーシバルがきょとんとして彼を見た。

「何の話だい?」

 ハイネは何でもありませんと言った。そして自分のジェラートを平らげると、まだ何か残っていないかとパーシバルの隣に移動して箱の中を覗き込んだ。まるで子供の様な行動に、パーシバルは思わず笑ってしまった。
 ハイネが顔を上げて彼を見た。

「明後日、北米南部班第4チームのポール・レイン・ドーマーは内勤の日でしたね?」

 いきなり話題を変えられて、パーシバルは面食らった。

「そうだが?」

 彼の頭の中には、全ての贔屓のドーマーの勤務予定表が入っている。
 ハイネが彼に頼み事をした。

「明後日はレインをリンの部屋に行かせないで下さい。リン長官を何か用事で縛れると良いのですが。」