2017年1月10日火曜日

誘拐 34

 パイロットのマイケル・ゴールドスミス・ドーマーは働き者だった。彼はモップで床を掃除して、ガラスの破片が付いていないクッションを探して綺麗にした床に置き、そこでダリルを休ませた。
 次にダリルの首から無断でネクタイを抜き取り、外で伸びているニコライ・グリソムの手足を背中で縛り上げた。グリソムは狩りで仕留められたウサギみたいに惨めな姿で食堂の入り口に転がされたが、麻痺光線をたっぷり浴びせられたので、文句一つ言えなかった。
 ちょび髭の男は、ネルソンだとシェイが教えてくれた。彼は、FOKでもトーラス野生動物保護団体の会員でもなく、驚いたことにラムゼイ博士の牧場で働いていた台所の下働き兼運転手だった。シェイの「部下」だったのだ。彼はダリルの麻痺光線で痺れていただけだったので、マイケルに縛られて間もなく口が利けるようになった。
 ダリルはシェイにニューシカゴ近郊の牧場から出た時からのことを尋ねてみた。シェイの説明はところどころ言葉足らずの部分があったが、それは幼い時から殆ど牧場の外に出たことがなかった彼女の語彙が少ないからだった。それでも大体のことは判明した。また、説明が足りない箇所はネルソンが補足してくれた。

 シェイは、ラムゼイに連れられ、ネルソンが運転する車でジェリー・パーカー率いる仲間達のトラック部隊より先んじてセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンに到着した。そこで博士は迎えに来た男の車で何処かへ行ってしまった。シェイとネルソンは、博士が密かに用意した廃村リトル・セーラムの家に隠れた。
 シェイは2,3日もすれば博士かジェリーが迎えに来てくれると思っていた。しかし、5日待っても1週間待っても、誰も来なかった。
 10日目に食糧が尽きたので、ネルソンが買い物に出かけ、町で博士の死とジェリーの一行が警察と遺伝子管理局に逮捕されたことを知った。
 シェイもネルソンも行く宛がなかった。それで、ネルソンは隠れ家としている古い食堂で、通りすがりの車相手に軽食を出すことを思いついた。シェイは料理が得意だし、牧場ではコックだったのだ。それで2人は小銭を稼ぎ、なんとか食いつないできた。
(これは主にネルソンが語ったことだが)シェイの料理が美味しいので、トラックドライバー達の間で、リトル・セーラムの食堂の噂がじんわりと広がって行った。それがスカボロ刑事の耳に入った訳だ。噂は刑事だけでなく、FOKの耳にも入った。
 ニコライ・グリソムが現れたのは、ダリルがリトル・セーラムに来た1時間前だった。
グリソムはドーマーを標的に罠を張ったのではなかった。ダリルにはいかにも罠を仕掛けた様なことを言ったが、只のはったりだったのだ。真の目的は、シェイだった。クローンではない、コロニー人の女。ラムゼイの高品質クローン製造に不可欠な卵細胞を持つ女。
彼女を抑えておけば、トーラス野生動物保護団体に高額な身代金を要求出来る。
 グリソムは銃でネルソンを脅し、シェイを縛り上げた。ネルソンはその後で殺害してしまうつもりだったのだろう。しかし、計算外の事が起きた。滅多に通らないトラックが通ったのだ。トラックドライバーは、道路にヘリを降ろして歩いていたスーツ姿の男にクラクションを鳴らしたのだが、それを聞いたグリソムは慌てた。彼はシェイを食品庫に押し込め、ネルソンに接客をするよう命じた。そこへダリルが入店した訳だ。

「あのFOKの若造が銃を乱射した時は、俺もこれで終わりかと思ったぜ。」

とネルソンがしんみりと言った。

「若造め、麻痺光線を浴びて手の指が言うことを聞かなくなって、銃の引き金を引いたまんまだったんだ。」

 その時、シェイがダリルの異変に気が付いた。

「ねぇ、父さん、大丈夫? 顔が真っ青よ・・・」
「これはいかん。」

 マイケルはダリルの止血帯が真っ赤になっているのを見た。出血が止まらない。端末でバイタルをチェックすると血圧が極端に下がっていた。救護班はまだか? と思った時、シェイがキッチンナイフを手に取った。

「私が弾を取り出すわ。ウサギを捌いたことがあるから、なんとかなるわ。」
「止せ、セイヤーズに触れるな。」

 その時、窓ガラスが振動し始めた。
 マイケルは窓に駆け寄り、遺伝子管理局ローズタウン支局のヘリが降下してくるのを見た。