2017年3月10日金曜日

オリジン 21

 オフィスに戻る道すがら、パトリック・タン・ドーマーは局長秘書がお茶を台無しにしたことを悔やんだ。ポールは笑った。

「彼は新しい茶を贈ると必ず濃いめに淹れるんだよ。そして局長に苦情を言わせて、局長の好みの濃度を探るんだ。恒例になっているんだ。」
「それにしても、もっとお茶に愛情を注いでくれても良さそうですが。」

 チーフとリーダーには個室のオフィスがあるが、一般の局員はチーム毎の共同部屋だ。広い部屋をパネルで4分割してそれぞれの空間を造っている。どんな形式で区切るかはチーム毎に任されている。タンの第1チームは田の字に区切って周回通路を設けている。彼のスペースは奥の窓際だった。チーフと別れてオフィスに入ったタンは、仲間が出かけてがらんとした部屋を一周してみた。事件に巻き込まれて以来、初めて部屋に足を踏み入れた。懐かしくて嬉しくて、彼は胸がいっぱいになった。ちょっと目頭が熱くなった。誰もいなくて幸いだ。彼は自身の席に座り、背もたれに身を預けて深呼吸した。

 やっと復帰出来た!

 数秒間じっとしてから、彼は身を起こし、コンピュータを起動させ、報告書の作成に取りかかった。
 ポールも自身のオフィスに入った。本来なら秘書の場所は区切るのだが、彼はダリルの顔を見たくてパネルを置かずにいる。そして、ダリルはデスクに着いて腕組みをした格好で居眠りをしていた。午後の仕事はほぼやっつけてしまったので気を抜いたのだ。
 ポールは土産に購入したジャスミンのお茶の袋をダリルの鼻先にもっていった。ダリルが鼻をひくひくさせた。

「モーリーフアチャーだ・・・」
「正解。淹れてやるから目を覚ませ。」

 ポールは休憩スペースに行き、湯を沸かし始めた。ダリルは伸びをして、それからボスを見た。

「私がやろうか?」
「否、お茶は俺の仕事だ。」

 タン先生に教わった通りに80度の湯で淹れたお茶をカップに注ぎ入れてダリルに渡した。

「タンはどうだった? もうすっかり良くなったのか?」
「ああ、彼は大丈夫だ。周囲が気を遣いすぎるのは良くないから、これ迄通りに扱ってくれ。」
「うん、そうする。」
「彼が淹れるお茶の味が変わらなければ大丈夫だ。」
「うん。」

 甘く良い芳香が室内に広がった。
 ダリルがリラックスしている様子なので、ポールは思い切って昨夜のことを訊いてみた。

「夕べのことだが・・・」
「うん?」
「ジェリーと何か話をしたか? 世間話の内容だ。お天気とか飯の話はいい。何か報告に値するような話題は出なかったか?」

 ダリルはカップを両手で包み込むように持ったまま、数秒間考えた。そして、思い出した。

「ジェリーが、ラムゼイ博士がセント・アイブスに向かった時、運転手は2人いたはずだと言ったんだ。」
「2人?」

 ポールはニューシカゴ郊外の農場を出て行った時の光景を思い出そうと努めた。彼は縛られていたし、夜が明ける時分で周囲はまだ薄暗かった。彼はラムゼイ博士が農場を出立する場面は見ていなかった。

「俺が外に連れ出された時には、ラムゼイは既に出発した後だった。」
「そうか・・・ジェリーは、2人目の運転手は先発で誰よりも早く農場を出て、後で博士の車に合流したはずだと言ったんだ。」
「その第2の運転手がどうかしたのか?」
「ジェリーはそいつがラムゼイの重力サスペンダーに細工をした実行犯ではないかと疑ったんだ。私達は第2の運転手の存在を知らなかったので、博士のサスペンダーに手を触れるのが可能な人物を特定出来なかった。ジェリーは私達が第2の運転手のことを訊かないので既に逮捕されたものと思って黙っていた。シェイが保護された時、逮捕された運転手はネルソン1人だけで、第2の運転手は行方不明だと、昨夜の話でやっとジェリーは気が付いたのだ。
 ポール、その第2の運転手、ジェシー・ガーを探して逮捕出来ないか、地元の警察に持ちかけてくれないか?」
「半年以上前の話だ。警察を動かすのは難しいなぁ。」

 ダリルは考え、ふと呟いた。

「もしかすると、ジェリーのキスは警察を動かせる大物に会わせろと言うメッセージか?」
「君にキスをすることで大物に繋ぎをつけられると考えたってことか? それは無理があるな。誰もパパラッチがあそこにいるなんて思わなかっただろう?」
「ネットに画像を投稿されたのはジェリーにとっても想定外だったと思う。彼は私の口から君に情報が伝えられ、君から誰か上の方へ伝わることを期待したのかも。」
「頼りない伝達方法だな。」

 ポールはジェリーがダリルにキスをした一番の理由を知っていると思ったが、口には出さなかった。ジェリーは18年以上の長い片恋にある種の区切りをつけたかったのではないのか。