2017年4月12日水曜日

奮闘 12

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーはハイネ局長と直接話しをして逃げた訳ではないと言いたかったが、局長はまだ部屋を留守に居ていたので、諦めて電話を切った。
 ローガン・ハイネ・ドーマーは前日の夕刻から中央研究所に呼ばれて本部を出かけたきりで、第1秘書のネピア・ドーマーは若い第2秘書を帰らせた後も一晩中主の帰りを局長室で待っていた。
 夜が明けて、部下が出勤して来たので少しアパートに戻って仮眠をとってから、昼前に出勤すると、中央研究所からネピアに呼び出しがかかっていた。
 秘書が呼ばれるのは珍しく、ネピアは遺伝子管理局の現役を引退した時に「お勤め」も引退同然だったので、呼ばれたのは10年振りだ。自身に用があるのではなく、局長に何かあったのでは、と彼は不安に襲われながら中央研究所に出頭した。
 案内されたのは長官室だった。入室許可を得て中に入ると、執務机の向こうでケンウッド長官が書類仕事をしていた。ネピアが「こんにちは」と挨拶すると、長官は顔を上げて優しく微笑んだ。

「こんにちは、ネピア・ドーマー、久し振りだね。元気にしてるかね?」
「おかげさまで・・・」

 ネピアは部屋の端に置かれている長椅子の上に人間が横たわっているのに気が付いた。その人物が誰かわかってギョッとした。彼が驚いたのが長官にわかったのだろう、ケンウッドが低い声で説明した。

「ただ寝ているだけだよ、夕べ、私が無理を言って徹夜させてしまったものだから・・・」

 長椅子の上でローガン・ハイネ遺伝子管理局局長が気持ちよさそうに寝息をたてていた。

「徹夜ですって?」

 ネピア・ドーマーは眉を寄せた。100歳を越える局長になんてことをさせるのだ、と無言で苦情を言い立てた。しかしケンウッド長官は彼の態度を無視した。

「君をここへ呼んだのは、その徹夜仕事に関係することだ。」

 長官に椅子を指され、ネピアは仕方なく腰を下ろした。

「君はハイネからマザーコンピュータのプログラミングの再構築の話を聞いているだろうね?」
「はい、口外してはならぬと口止めされました。」
「彼が君に話したのは、君を信用かつ信頼しているからだ。」
「畏れ入ります。」
「その新規プログラムは一昨日完成した。」
「おお、そうでしたか!」

 ネピアは思わず声を上げ、慌てて局長を振り返った。疲れて寝ている人を起こしたくなかったのだ。

「知っての通り、マザーコンピュータの内部を触るには、各ドームの代表4名の認証が必要だ。ここアメリカ・ドームでは、長官の私、副長官のゴーン、保安課課長のゴメス、そしてドーマーの代表であるハイネだ。昨夜、この4名が集まってプログラムのインストールを行った。当初は日付が変わる頃に終了するだろうと予想されていたのだが、存外書き換えられる項目が多すぎて時間をくってしまい、認証を求められる回数も多かったので、終わったのは今朝の9時前だった。」
「それは・・・お疲れ様です。」
「ゴメスとゴーンは帰ったが、ハイネは一つ用事が出来たと言って残った。その用件には、君が必要だった。しかし、本部に連絡を入れると、君は徹夜でハイネの帰りを待った挙げ句、疲れてアパートに帰宅した後だった。」
「用件があるのでしたら、直接電話下さればすぐに参りましたのに・・・」
「ハイネが君の休憩の邪魔をしたくないと言ったのだよ。それで、彼は君が本部に出勤する迄、ここで休んでいると言う訳だ。」
「ああ・・・そうでしたか・・・」

 ネピア・ドーマーは、ローガン・ハイネ・ドーマーの進化型1級遺伝子が「待つために肉体の老化を止める」ものであったことを思い出した。ハイネは待つことが特技なのだ。

「実を言うと、彼がいなくても君の手続きは出来るのだ。彼の承認は後でもらえば済むからね。」
「私の手続き?」

 ネピアは怪訝そうな顔で長官を見つめた。

「何の?」

 少し躊躇ってから、長官は言った。

「ハイネの身にもしものことがあった場合、君が局長職を代行する権限を持てると言う手続きだよ。」

 ネピアは一瞬長官の言葉の意味を捉えられなかった。いつも冷静な彼がうろたえた。

「局長の身に・・・どう言うことです?」

椅子から前のめりに身を乗り出してしまったネピアを長官が手を振って制した。

「今の話をしているのではないよ、ネピア・ドーマー。遠い将来に、彼が歳をとって職務の遂行に支障を来すことが出てくる場合を想定した話だ。」
「遠い将来に・・・」

 ネピアは泣きたくなった。

「私は普通に歳をとります。局長はきっと今のままで生きられます。無駄なことを・・・」
「人間はどんなに頑張っても150歳が限界なのだそうだ。」
「局長には50年あるではないですか。私は後20年生きられたら良い方ですよ。」
「ハイネの50年が平穏無事である保障はないだろう?」

 ケンウッド長官はネピア・ドーマーを優しく宥めた。

「彼の遺伝子の作用は明確に解明されている訳ではない。人工的改良型の遺伝子は、世代を追う毎に変化する。だから、『進化型』と呼ばれる。ハイネは、彼と同じ『待つための遺伝子』がある日突然機能を止めて肉体を急激に老化させた事例があったことを知っている。彼に同じことが起こらないとは言い切れない。
それ所以に、彼は万が一の場合、彼の仕事を引き継いでくれる人物として、君を推薦したのだ。」
「お話はわかりました。」

 ネピア・ドーマーは声が震えるのを必死で制した。ローガン・ハイネ・ドーマーにもしものことがあるなんて想像出来ない。あってたまるか!

「しかし、何故私なのです? もっと若くて才能のある人間がドーマーの中に大勢いるでしょう? 私は幹部になったことはありませんし、秘書の職務で充分満足しているのです。局長代行だなんて・・・繋ぎの職務だと承知していますが、それでもそんな大それたお役目を引き受けられる器ではありません。」

 ケンウッドが溜息をついた。

「君は、ハイネが予想した通りの返答をするのだなぁ・・・しかし、ネピア・ドーマー、君の世代と現在の幹部局員の間は少し年齢が開いているだろう? 数年間取り替え子からドーマーを採らなかったからな。現役の連中は才能は溢れているが、まだ人間としての経験が足りない。だから、例え繋ぎだとしても、君は絶対に必要なのだ。
 頼むから、断らないでくれないか。今は口約束で良いから、常に心づもりしておいてくれ。」

 ネピア・ドーマーが長い沈黙の後でやっと承諾すると、ケンウッドはホッとした表情になった。そして、秘書が部屋から退出してドアが閉じられると、部屋の端っこに向かって声を掛けた。

「おい、何もかも私に喋らせて、自分はタヌキ寝入りかね?」

 ローガン・ハイネ・ドーマーが目を閉じたままで、くくくっと笑った。