2017年7月30日日曜日

侵略者 8 - 8

 ケンウッドは夕食後に観察棟のハイネ局長の部屋を訪れた。その日の日中いっぱいハイネが医療区で見極め検査を受けたので、その結果を早く知りたかった。そして思った。もし見極めが通れば、一両日中にハイネは観察棟の幽閉から開放され、遺伝子管理局本部の局長室に還る。そうなれば、もう今みたいに気安く面会に行けなくなる。遺伝子管理局はドームの中にあっても地球人だけの役所だからだ。どんなにドーマー達と親しくなっても入るには入り口の受付で入館パスをもらわなければならない。ケンウッドにはヘンリー・パーシバルの様にお菓子で受付を買収する度胸がなかった。
 ドアをノックしてから開くと、いきなりハイネの悲鳴が耳に入ってきた。

「痛い! もっと優しくしてくれ!」
「なによ! これ以上優しくしたら効かないって文句垂れるのは貴方でしょう?!」

 ベッドの上で俯せになったハイネの腰の辺りにキーラ・セドウィック博士が跨がっていた。キーラ博士は自身の指で彼の背に指圧を施している最中だった。
 ケンウッドが咳払いすると、2人が同時に振り向いた。ケンウッドは今晩はと挨拶した。ハイネが今晩はと返事をしてくれたが、キーラ博士はムッとした表情をしただけだった。お楽しみの邪魔をされて機嫌を損ねた様だ。彼女は思いきり彼の背中のツボを圧して、彼がまた声を上げた。

「もう良い、お疲れ様。」

 ふんっと彼女は言って、彼の上から降りた。そしてケンウッドを見て言った。

「貴方もいかが、ケンウッド博士?」
「あ・・・いや、私は結構・・・」

 なんとなく指圧ではなく首を絞められそうな気がした。
 ハイネが起き上がった。ちょっと体を捻って効果のほどを確かめている。彼女が尋ねた。

「少しは楽になったかしら?」
「うん、有り難う。」

 本当かしら? と言いたげな表情で彼女はバスルームに入った。ケンウッドは会議用テーブルの椅子に座って、ハイネを見た。

「見極め検査はどうだった?」
「多分、合格でしょう。」
「多分?」
「最後の検査だけ、逃げ出したので。」

 するとカーテン越しにキーラ博士が言った。

「サンテシマが見ている前で検体採取はないわよね。」

 ああ、とケンウッドは合点がいった。ドーマーの健診には必ず検体採取が付いて来る。それがドーマーを育てる本来の目的だから仕方が無いのだが、ドーマー達はこれが一番好きではない。ケンウッドが知っている限り、何故かローガン・ハイネ・ドーマーには「お勤め」がない。高齢だからと言う理由ではなさそうだ。ハイネの肉体は見た目のままなのだから。

「今日の見極めには検体採取が含まれていたのだね?」
「最後に。それで疲れたと言い訳して勘弁してもらったのですが、サンテシマ・ルイス・リンは不満そうでしたね。」
 
 まさかハイネは不能ではあるまい。それならそれでちゃんと医療区は考慮して検査項目から外しているはずだ。

「兎に角、リンを1日若いドーマー達から引き離せたので、目的は果たせました。」
「君が自ら囮になるとは、畏れ入ったよ。」

 キーラ博士がバスルームから出て来た。彼女は運動着から私服に着替えただけだった。
ドーマーの背中に跨がるには運動着の方が動きやすいのだろう。

「私は帰るわね。」

と彼女が声を掛けた。ハイネが手を振った。彼女はただマッサージする為に来たのだろうか。ケンウッドは彼女とハイネの関係をまだ把握出来ずにいた。彼女がケンウッドに言った。

「疲れたらいつでも声を掛けていただいてよろしいのよ、ケンウッド博士。コロニー人の男性の筋肉は地球人の女性の筋肉と大して変わりませんからね。地球人の男は固くて・・・」

 ハイネが顔をしかめて、早く帰れ、とまた手を振った。キーラ博士は彼にイーッとして、ケンウッドにはニッコリ微笑みかけて部屋から出て行った。
 2人きりになったので、ケンウッドは訊いてみた。

「君が彼女を呼んだのか?」
「向こうから押しかけて来たんです。」

 ハイネは余り触れて欲しくなさそうだ。もっと突っ込んで訊いてみたいが、観察棟なのでモニターされている。ケンウッドは自重した。

「リン長官はずっと君の検査に立ち会ったのか?」
「ええ・・・べったりと・・・」

 ハイネは思い出すと気持ちが悪くなったらしく、うんざりとした表情をして見せた。

「男が男の体を見て、何が面白いのでしょうね。」

 さっきまで美女を腰の上に載せていたハイネがそう言うので、ケンウッドは可笑しくなった。考えてみれば、ハイネはキーラ博士でなくても医療区の女性スタッフに触れられても平気なのだ。男が触る時だけ嫌がっている。要するに・・・

 ハイネは人間の男として普通の反応をしているだけだ。周囲の方が男社会で可笑しくなっているのだ・・・




2017年7月29日土曜日

侵略者 8 - 7

 日中、多くのドーマー達は各自の仕事で忙しい。だから森は無人に近くなる。ヘンリー・パーシバルは東屋にダリル・セイヤーズ・ドーマーを連れ出すと、そこで待てと言い置いて立ち去った。
 セイヤーズは森を眺め、ドームの天井越しに空を見上げ、生まれ故郷に戻って来たんだなぁと思った。明日になればまたジェット機に乗って西ユーラシアに戻らなければならない。向こうのアパートにも馴染んできたし、そんなに辛くはないが、これから旧友達と出会うと里心がついてしまうかも知れない。
 ちょっと時間が余りそうな気配だったので、彼は端末を出し、アメリカ・ドームの最新ニュースを探した。ドーマー達のゴシップや執政官の失敗談などだ。新しい研究成果がないが、それは地球上どこのドームでも同じだった。どのドームも女性誕生の方法を模索し失敗する。あの大家族が本当の血縁関係者だけの集団になれるのは何時だろう、と彼は思った。
 ふと日が陰った。顔を上げると、そこにポール・レイン・ドーマーが立っていた。美しい顔を固くして、じっと彼を見下ろしていた。
 セイヤーズは彼に出会ったら何を言おうといろいろ飛行機の中で考えてきたのだが、この瞬間、全部忘れてしまった。ただ嬉しくて、勢いよく立ち上がった。

「ポール!」

 抱きつこうとして、彼は動きを止めた。レインはニコリともしなかったのだ。ただ幼馴染みで部屋兄弟で恋人だったセイヤーズを黙って見つめているだけだった。
 セイヤーズは困惑した。大好きなポールは一体どうしてしまったのだ?
 彼はやっとの思いで尋ねた。

「元気だった?」

 レインは頷いた。

「君も元気そうで良かった。」

と彼は言った。何の感情も含めない声だったので、セイヤーズはそれまでの興奮が急激にしぼむのを感じた。レインはまだリン長官の愛人をやっているのか? コロニー人のご機嫌をとって出世をしたいのか?
 ドーマー交換に出される前、セイヤーズとレインは喧嘩をしたのだ。レインがリン長官の愛人としていろいろと優遇されるのを、彼は不愉快に思った。人間としてのプライドを捨てて職務上の地位を上げてもらって、それが何になるのか、と彼は恋人に抗議した。しかしレインは、妻帯許可をもらえるじゃないか、と言った。結婚出来る権利をもらえれば、好きな女性ドーマーと一緒になれるし、一人前の男として仕事でも箔が付く、と。
ドーマー達は男社会だから、同性愛が多い。しかし中には女性との結婚許可を得て妻帯する者もいる。そして、これは非ドーマーには理解し難いことだが、彼等は女性と結婚しても男の恋人との仲も続ける。セイヤーズもレインが妻帯を希望することに異を唱えはしなかった。しかし、妻帯する為にコロニー人に自身を売るのは反対だった。だから彼はレインに抗議した。誇りを売るなんて止めろと。しかし、レインは聞き入れなかった。
 セイヤーズは、レインに尋ねた。

「リン長官のペットになるのは楽しいか?」

 すると、レインは平然と答えた。

「仕事だよ。ベッドに入る度に出世出来る。妻帯許可をもらえるのも、間もなくさ。」

 セイヤーズは足許が崩れていくような気分だった。彼は自分の質問でレインが怒ることを期待したのだ。怒って誇りを持っていることを示して欲しかった。しかし、レインは怒らなかった。ただ水色の目でじっと彼を見つめているだけだった。
 セイヤーズは顔を背けた。泣きたい気分だったが、涙は出なかった。泣いてしまうのが悔しかった。
 レインには言いたいことがいっぱいあったのだ。旧大陸で出会った大家族のこと。愛し合い信頼し合う人々と毎日一緒に楽しく暮らせたら、どんなに幸せだろうと・・・。でも、もう何も言えなくなってしまった。
 ダリル、とレインが彼の名前を呼び、彼の肩に手を掛けた。

「今夜は泊まっていくのか?」

と彼が尋ねたので、セイヤーズは小さく頷いた。

「ゲストハウスを用意してくれているそうだから・・・もう私の部屋はないんだろ?」
「ああ・・・」

 セイヤーズは精一杯勇気を振り絞って言った。

「最後にもう1度だけ、君が欲しい。」

 レインはちょっと黙ってから、囁きかけた。

「俺の部屋に来い。」
「今から?」
「ああ・・・夕食まで時間があるだろう。」

 それだけ言うと、レインは彼の肩から手を外し、くるりと背中を向けて歩き始めた。セイヤーズは急いで彼の後ろをついていった。見失うはずのない場所に居るのに、彼を見失うまいと思い詰めて。



侵略者 8 - 6

 サンテシマ・ルイス・リン長官は、西ユーラシア・ドームの遺伝子管理局から「直便」が来ていることを知らなかった。もっともこれは珍しいことではない。「直便」は生細胞をやりとりする執政官同士の間の連絡さえあれば良いのであって、上司にわざわざ報告するような重要性は滅多になかった。それに「直便」は毎週往来していたので、長官が気にする存在でもなかった。それにリン長官はその日、予定外の重要な用事が入って忙しかった。
 医療区から連絡が入ったのだ。

 遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーの見極め診断を行うので立ち会いをお願いする。

 医療区長サム・コートニーから前夜遅くに要請が来た。「見極め」と言うからには、ハイネの病気が完治したと言う宣言を、医療区は出したいのだ。リン長官としても、最近のハイネの噂を耳にして、もう病気はすっかり治っているのではないか、と思っていた。ヤマザキ医師が患者を手放したがらないだけだ。幽閉を続けるのも危険だし、自由に出歩かせた方が、却って捕まえやすいのではないか、とリンは思った。遺伝子管理局長は勤務時間は本部の局長室に篭もっているが、自由時間は単独行動をしている。独りになったところを捕まえれば良い。眠らせて細胞を採取して開放すれば、誰も犯行に気が付かない。ハイネ本人も。
 ヘンリー・パーシバルがダリル・セイヤーズ・ドーマーを連れて遺伝子管理局本部に入ったのと同じ時刻にリン長官は医療区に入った。既にハイネ局長は更衣室に入って検査着に着替えているところだった。リン長官は検査室の一画で医師達と患者が来るのを待っていた。コートニーとヤマザキは検査項目のチェックに忙しく、看護師や技師達も準備に熱中していた。だから、ハイネが入って来た時、リン長官は彼と2人きりになると言う滅多にない機会に遭遇した。
 長官は検査着姿の局長を上から下までじろりと眺めた。

「貴方のその姿を拝めるのも、これが最後でしょうな。」

 と彼が言うと、ハイネも頷いた。

「私もそう願います。この服は好きではありません。」

 コートニーがやって来た。2人に挨拶して、検査項目の説明を行った。核磁気共鳴画像法と聞いて、ハイネが嫌そうな顔をした。コートニーが、短時間で済むし、痛くも痒くもない検査だ、と言っても、彼は気が進まない風だった。他にも多くの検査項目があって、1日を縛られると聞いて、彼は逃げ出したいと呟いた。リン長官はちょっと可笑しく感じてからかった。

「80年も生きてこられて、まだ恐いものがおありなのですな。」

 ハイネはムッとして、

「世の中、恐い物だらけですよ。」

と言った。

「恐い物がないと言う人ほど、早死にしますぞ、長官。」

 そして、ヤマザキに導かれて検査台に向かった。長官に声を聞かれない距離で、彼は医師に囁いた。

「これでアイツを1日ここに足止め出来るかな?」
「退屈させないよう、なんとか努力しますよ。」



2017年7月28日金曜日

侵略者 8 - 5

 昔の古巣、遺伝子管理局本部に入る為に、ダリル・セイヤーズ・ドーマーはロビーの受付で所定の手続きをして入館パスをもらった。指定された場所にしか入ってはいけないのだ。遺伝子管理局は地球人の役所なので、コロニー人のヘンリー・パーシバルも入館許可が必要だが、彼は執政官なのでほぼ顔パスだ。それでも一応はパスを受け取って首から提げた。
 受付のドーマーに彼はそっと低い声で尋ねた。

「ポールは今日は中に居るよな?」
「はい、チームの執務室に居ます。」

 受付係はセイヤーズを覚えていたし、彼とポール・レイン・ドーマーの関係も承知していた。執政官よりも低い声で彼はパーシバルにお伺いを立てた。

「レインに連絡しておきましょうか?」

 パーシバルは答える代わりに大きく頷いて見せた。
 そして既に通路を歩き始めていたセイヤーズを追いかけた。
 セイヤーズはやや固い表情で脇目もふらずに歩いて行く。懐かしがる様子は見せなかった。緊張しているのだ。事実上の追放をくらった身なので、あまり多くの知り合いに会いたくないらしい。同情などされたくないのだ。
 局長室に入ると、局長執務机は当然空で、秘書机で第2秘書のジェレミー・セルシウス・ドーマーが仕事をしていた。局長が目覚めて以来、第1秘書のグレゴリー・ペルラ・ドーマーが局長の世話で部屋を空けることが多いので、セルシウス・ドーマーが局長室の主みたいになっている。それでも一番末席の机で熱心に業務に励んでいるのが、けなげだ、とパーシバルは思った。
 セイヤーズとパーシバルが入室してドアが閉まると、セルシウス・ドーマーは立ち上がって、執政官に挨拶し、セイヤーズに「ようこそ」と言った。それから、もう1度、「お帰り」と言った。
 セイヤーズは来米の用件を告げ、大事に持って来たハードケースを第2秘書に渡した。セルシウス・ドーマーはあらかじめ用意されていた受取書を彼に手渡した。ハイネ局長の署名が書かれている受取書だ。

「西ユーラシアでは上手くやっているかね?」

 セルシウス・ドーマーはペルラ・ドーマーより4歳若いが、内勤職員に許されている口髭を生やしているので、彼の方が年上に見える。セイヤーズはこの人とは転属前に何度か会っていたので、少しリラックスした。彼とパーシバルは来客用の椅子に腰を下ろし、暫くセイヤーズが近況を語った。様々な民族を訪問して支局巡りをしているらしく、仕事は楽しい、と若者は言った。アメリカと違って古い家族制度が残っていて、女性はクローンだが、大家族で住んでいる民族もいる、と彼は目を輝かせて言った。祖父母、両親、叔父叔母、子供達、それは小さなドームの様だ、と彼は言った。

「好きな人の子供をこしらえて一緒に住めるって、良いですね。」

 セイヤーズの言葉に、セルシウス・ドーマーがそっとパーシバルを見た。子供を持って一緒に住むと言うのは、ドーマーにとっては「危険思想」だ。ドーマーは家庭を持ってはいけないのだ。
 パーシバルはやんわりと注意した。

「子供と一緒に住みたいと思ったら、ドームを出るしかないね。」
 
 セイヤーズはハッとして口をつぐんだ。ちょっと気まずい空気になったので、セルシウス・ドーマーがパーシバルに顔を向けた。

「博士、セイヤーズの為に今夜はゲストハウスに部屋を用意してありますので、以前の仲間達にも声を掛けてやって頂けませんか?」

 パーシバルがニヤリと笑った。

「その点は、僕もぬかりなくやっているさ。」

 彼はセイヤーズに向き直った。

「セイヤーズ、それじゃ行こうか?」

 セイヤーズは用事が早く終わったので、昼過ぎにはヨーロッパ行きの飛行機に乗るつもりだった。だから、遺伝子管理局が彼を泊めるつもりで準備してくれていたことに感激した。

「泊まって良いんですか?」
「勿論さ。」
「局長もそのつもりで準備するように指示されましたから。」
「じゃ、向こうに断っておかないと・・・」
「大丈夫、それもハイネ局長からマリノフスキー局長に連絡済みです。」

 セイヤーズの嬉しそうな笑顔に、パーシバルはホッとした。次は彼とポール・レイン・ドーマーを再会させなければならない。これはハイネの指示にはないことだが、恐らく彼も望んでいるはずだ。セイヤーズとレインは「部屋兄弟」だ。大変仲の良い兄弟だ。兄弟を引き離してはいけない、とハイネは思っているはずだ。



2017年7月26日水曜日

侵略者 8 - 4

 2日後の朝、ドームの空港にヨーロッパからジェット機が飛来した。乗客は5名で、4名はコロニー人、1名がドーマーだった。コロニー人達は執政官ではなく、ドームの建築技師達で、施設の修復の為に地球各地を飛び回っていた。
 ドーマーはまだ若く、ダークスーツを着用して、手には小さなハードケースを提げていた。空港職員達は彼を知っていた。

「お帰り、セイヤーズ! 里帰りかい?」

 優しい声を掛けられて、少し緊張気味だったドーマーは肩の力を抜いた。

「こんにちは、お久しぶりです。西ユーラシアから、遣いで来ました。」

 空港職員は、彼が運んで来た手荷物が、通関検査無用の「検体」であることを知っていた。遺伝子管理局から前日に西ユーラシアから「直便」が来ると連絡が来ていたからだ。
「直便」と言うのは、研究用の生きた細胞を遺伝子管理局の局員が自ら運んでくることを指す。貨物扱いではないのだ。細胞が損傷しないように、検査は研究施設で行われる。
 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは手荷物をゲート職員に預け、自身は消毒を受けた。新しい衣服を与えられ、送迎フロアに入って手荷物を返してもらうと、回廊を歩いて遺伝子管理局に向かって歩き始めた。医療区を抜ければ一番近道だと知っていたが、彼は自身がまだ使いっ走りの下っ端局員だと認識していたので、回廊を選んだ。それに、1年振りの「故郷」にちょっと気持ちが高ぶっていたので、気を静めたかった。
 西ユーラシアは様々な文化や民族が入り交じったドームで、彼の興味は尽きることがなく、とても面白い場所だった。お陰でリン長官の意地悪で飛ばされたことを恨んだり哀しんだりする暇がなかった。それに向こうの遺伝子管理局の仲間は皆優しくて仲良くしてくれた。今回の出張も、西ユーラシア遺伝子管理局長ミヒャエル・マリノフスキー・ドーマーが親心で里帰りさせてくれたのだ。
 セイヤーズはゆっくりと回廊を歩いた。ずっとこの道が終わらなければ良いのに、と思った。そうすれば、ずっとここに居られるのに。
 やがて回廊は庭園の入り口付近で終わった。 セイヤーズは庭園を歩いた。ここでポール・レイン・ドーマーとデートして、愛を交わした。あの頃は、2人で一緒に死ぬまでここで暮らせると思っていた。レインは彼のもので、彼はレインのもので・・・あのコロニー人が全てを破壊したのだ。
 東屋まで来ると、知っている顔が彼を出迎えた。

「お帰り、セイヤーズ。元気そうだね!」
「パーシバル博士!」

 親の様に可愛がってくれた執政官のヘンリー・パーシバルが、彼を待ち受けていた。遺伝子管理局からその日の「直便」がセイヤーズだと教えられていたのだ。だから、リン長官のシンパに見つかる前にセイヤーズを保護する目的だった。
 セイヤーズはパーシバルと両手で固く握手した。

「お会い出来て嬉しいです。」
「僕もだ。どれどれ、もっと顔をよく見せたまえ。すっかり大人になったね。逞しくなった。」

 パーシバルは握手するためにセイヤーズが地面に置いたハードケースに目を留めた。

「生細胞だな。中央研究所へ直接持って行くのか、それとも遺伝子管理局へ先に挨拶に行くのか?」
「ええっと・・・」

 セイヤーズはマリノフスキー局長に言いつけられたことを思い起こした。

「先ず、遺伝子管理局本部の局長室で挨拶して、秘書にケースを渡します。そこで私のお役目は終わり・・・」
「うむ、簡単だな。じゃ、観察棟へ行こう。」
「え? どうして観察棟なんです?」
「目下のところ、観察棟に局長室があるからさ。」
「でも、本部へ行かないと・・・」

 セイヤーズは決して融通の利かない男ではないのだが、初めての仕事なので戸惑っていた。それに「直便」は執政官の為の仕事だが、仕事を請け負うのは遺伝子管理局であって、遺伝子管理局のやり方でやる。執政官の口出しは無用だ。
 セイヤーズの困惑をパーシバルは理解した。彼は端末を出し、電話を掛けた。

「パーシバルだ。『直便』を捕まえているんだが、何処に連れて行けば良い?」

 誰と喋っているのだろう、とセイヤーズは博士の顔を眺めた。パーシバルはうんうんと相手の言葉に相槌を打ち、了解、と呟いて電話を終えた。

「君が言う通り、本部へ連れて行けとさ。」
「そうですか・・・でも、誰に掛けられていたんですか?」
「決まってるだろう、ハイネ局長さ。」
「・・・はぁ?」

 セイヤーズはちょっと混乱した。アメリカ・ドームの局長はヴァシリー・ノバックと言う人じゃなかったのか? セイヤーズはハイネと直接面会した記憶がなかった。少なくとも、訓練所時代に参観に来たハイネを離れた位置から見たことがあっただけだ。キラキラ輝いて見えて、訓練生が話しかけるなど、もったいなくて気後れした。入局式にはノバックが局長として訓示を垂れた。西ユーラシア転属の書類に署名したのもノバックだ。
 セイヤーズの困惑にパーシバルは気が付き、可哀想に、と思った。この子はハイネの庇護を受けられずに転属させられてしまったのだ。ハイネが元気だったら決して許さなかったであろう人事異動なのだ。だがパーシバルはセイヤーズにアメリカ・ドーム内で現在行われている権力闘争を語るつもりはなかった。
 今はセイヤーズをリン長官の目から守るのが彼の役目だ。


侵略者 8 - 3

 その日の夕食が終わって、食後の運動までの1時間をローガン・ハイネ・ドーマーはベッドの上に座ってぼーっと過ごしていた。いつもその時間は休憩するか瞑想に耽るのだ。倒れる前は、夕食はもっと遅い時刻に取って、運動を先にしていた。食堂とジムの混む時間帯を避けたので、そんな時間になっていた。
 彼は子供の時から有名人で人々の注目を集めていた。若い頃はそれを気にすることがなかった。彼にとっては当たり前のことだったからだ。しかし職務上の地位が上がって行くと、周囲が彼に遠慮し始めたことに気がついた。気安く話しかけられない人と思われているのだ。執政官達がそんな風に雰囲気を作っているのだと知ったのは、内務捜査班の現場捜査官になった時だ。執政官達は他のドーマー達と少し風貌の異なる彼をドーマーのリーダーにする為に、お膳立てをしていた。カリスマ性があるが、自分達の言うことを聞くリーダーを創っていたのだ。若さを保ち、他人より長命である彼等の可愛いドーマーをリーダーにしておけば、ドームの経営も安泰だと考えたのだった。
 ハイネにすれば良い迷惑だった。彼は好きな捜査の仕事さえ出来れば良かったのだ。それなのに、なんだか神様の子供みたいな扱いを執政官がするものだから、ドーマー達も彼を何か特別な存在を見る目で見始めた。彼は次第に人混みを避けるようになり、食事も独りで、食堂が空いている時間に出かける習慣をつけた。ジムも早朝や食事時でドーマー達が食堂に集まる時間に独りで利用した。
 観察棟に幽閉されて以来、食事時間はクローンの少年達と同じで、外の食堂が混む時間より早く食事が提供されることになった。ハイネにとっては「3時間早い」夕食が終わると、暇な時間が長くなる。
 頭の中を空っぽにしてぼーっとするのも案外快感だと思っていると、ドアをノックする音が聞こえて現実に引き戻された。返事をする迄もなく、ドアが静かに開き、ヘンリー・パーシバルが入って来た。片手に小さな箱を持っていた。

「夕食は済んだのかい?」
「済みました。」
「デザートを持ってきたんだが?」

 パーシバルは箱を持ち上げて見せた。ハイネが黙っていると、彼は説明を付加した。

「カマンベール味のジェラート・・・うっ!」

 パーシバルはハイネが電撃的に素早く動けるほど体力を取り戻していたとは予想もしていなかった。アッと言う間にハイネはベッドから降りてパーシバルに駆け寄り、博士をギュッと抱きしめた。

「愛してます、ヘンリー!」
「君が愛しているのは、カマンベールの方だろ!」

 数分後、2人は思い思いの場所に座ってジェラートを味わっていた。幸せそうにジェラートを味わっているドーマーを見ながら、パーシバルが呟いた。

「君を操りたければ、チーズ味の食い物を持ってくると良い訳だな。」
「そう簡単に操られるような私ではありませんよ。」
「だが、チーズを見た瞬間は油断するだろう、君は? 誘拐するには丁度良い餌だ。」

 ハイネがスプーンを持つ手を止めた。

「そうか・・・食い物に何か中毒性の物を混ぜて与えれば・・・」

 パーシバルがきょとんとして彼を見た。

「何の話だい?」

 ハイネは何でもありませんと言った。そして自分のジェラートを平らげると、まだ何か残っていないかとパーシバルの隣に移動して箱の中を覗き込んだ。まるで子供の様な行動に、パーシバルは思わず笑ってしまった。
 ハイネが顔を上げて彼を見た。

「明後日、北米南部班第4チームのポール・レイン・ドーマーは内勤の日でしたね?」

 いきなり話題を変えられて、パーシバルは面食らった。

「そうだが?」

 彼の頭の中には、全ての贔屓のドーマーの勤務予定表が入っている。
 ハイネが彼に頼み事をした。

「明後日はレインをリンの部屋に行かせないで下さい。リン長官を何か用事で縛れると良いのですが。」

2017年7月25日火曜日

侵略者 8 - 2

「宜しく、ケンウッド博士。」

 ロッシーニ・ドーマーが手を差し出した。素手だ。ケンウッドは規則に則って手袋をポケットから出してはめようとした。ロッシーニ・ドーマーが微笑んだ。

「その必要はありません、博士。局長が素手で触れることを許される数少ないコロニー人と言うのは、貴方のことでしょう?」

 ケンウッドは照れくさく感じた。握手に素手で応じながら言った。

「私独りではないがね。こちらこそ宜しく。仕事の邪魔をして申し訳ない。」
「いえ、これも職務ですから・・・失礼します。」

 ロッシーニ・ドーマーは局長からリストを受け取り、目を通した。

「このジャック・エイデン・ドーマーと言う男は、先月も『お勤め』に呼ばれていましたが?」

 つまり、先月のリストも彼は見たのだ。ケンウッドは説明した。

「エイデンはアレルギー体質で、今までは症状が出なかったのだが、先々月から急に貝類を食べると皮膚が痒くなると訴え始めた。それで、名目上は『お勤め』だが、実際は問診と触診だけだ。医療区に行くように勧めたのだが、貝類を食べた時にしか症状が出ないので、本人は病気だと思っていない。私に症状軽減の方法を聞きたいだけなのだと、本人から連絡してきた。」
「つまり、また食べて痒くなったのですね?」
「食べるなと言っておいたのだがね。」
「アレルギーでしたら、遺伝子にその因子があるので、幼児期から養育係に貝類を食べるなと言われているはずです。何故今頃になって食べたのでしょう。」
「本人は、友達が食べているのを見ていたら、美味しそうだったので食べたと言っている。」

 ロッシーニ・ドーマーはハイネ局長に顔を向けた。

「どう思われます? アレルギーとわかっていて、何故医療区に行かずに、ケンウッド博士の診察を受けたがるのでしょう? それも『お勤め』を利用して・・・」

 ケンウッドもハイネを見た。ロッシーニは何を疑っているのだろう? 普通内務捜査班は執政官の不正を調べるのが仕事だが、彼はドーマーを疑っているのか?
 ハイネがケンウッドに尋ねた。

「前回の検査の時に、手袋を着用されましたか?」
「勿論・・・しかし、湿疹の有無を調べるために、本人の承諾を得てから、素手で触った。ほんの数秒だったが・・・」
「それで、今回の検査も向こうから要請してきたのですね?」
「うん、さっきも言った通り、症状軽減の方法を教えて欲しいと言っていたが・・・」
「つまり、向こうは、検査担当の執政官を貴方に指定してきた訳だ。」
「・・・そう言うことになるね・・・」

 ハイネとロッシーニが目を合わせた。内務捜査班同士の何か通じるものでもあるのか?
ロッシーニ・ドーマーがエヘンと咳払いしてから、ケンウッドに向き直った。

「ケンウッド博士、良ければ私もその検査に立ち会わせて頂けませんか?」
「君が?」

 ケンウッドは戸惑ってハイネをもう1度見た。ハイネが頷いた。ロッシーニのやりたい様にやらせてやってくれ、と言う意味か。
 ケンウッドはロッシーニを見た。

「わかった。日程が決まれば連絡する。ええっと、君の連絡先は・・・」
「ペルラ・ドーマーかセルシウス・ドーマーに言付けて下されば、いつでも都合をつけて行きます。」

 ロッシーニは班チーフと言うことだが、日常は何処で仕事をしているのだろう?
 ロッシーニがリストを局長に返した。ハイネは残りの2人のドーマーの名前を見て、頷き、承認の署名をしてケンウッドにリストを返した。 ケンウッドが日程を決めれば、局長から対象ドーマーにメールで出頭命令を出してくれる。
 ケンウッドはリストをブリーフケースにしまった。実のところ、外が暑いので、この部屋で涼んでから帰るつもりだったのだが、内務捜査班のチーフが仕事をしているので、居づらい。世間話でもしようものなら、叱られそうだ。それで、ハイネに承認の礼を言って、部屋から出て行った。
 ドアが閉まると、会議用テーブルに戻ったロッシーニ・ドーマーが局長に話しかけた。

「罠だと思われますか?」
「多分。」
「ケンウッド博士に手袋を脱がせて触診させ、後で素手で触れたと騒ぎ立てる。博士を何らかの処罰対象にして、貴方から遠ざける・・・」
「恐らく、そんな筋書きだろう。」
「リンに買収されているヤツが他にもいるでしょうね。」
「ドーマーは金では転ばない。何を餌にしているのか、私には見当がつかない。」

 ロッシーニ・ドーマーが溜息をついた。

「早くあのダニをこのドームから追い出しましょう、局長。」





2017年7月24日月曜日

侵略者 8 - 1

 真夏になった。ドームの中は暑くはないが、それでも太陽は眩しいし、空調が頑張っても気温は高い。
 ケンウッドは観察棟へ足を運んだ。「お勤め」を果たしてもらうドーマーのリストを遺伝子管理局長に承認してもらう為だ。「お勤め」はドーマーを育てる一番の目的だ。ドーマー達は年に最低1回、「お勤め」を果たす為に中央研究所に呼ばれる。血液を採取され、走査検査を受け、必要ならば執政官による触診もある。健康診断なのだが、最後に「検体採取」、即ち精液の採取がある。コロニー人の女性から提供された卵子のクローンと受精させて子供を創るのだ。受精させて生まれる子供が女性であればみんな幸せだろうが、不幸なことに男子しか生まれない。執政官達は失望しながらも、研究を続ける。
 「お勤め」に呼ばれるドーマー達は日常の業務内容に関係なく研究所に行かねばならない。だからドーマーは「お勤め」に当たるのを嫌がる。担当する執政官も籤で決められるので、好きでない執政官に当たると不幸だ。だから、ケンウッドはドーマー達の日頃の発言や行動に注意を払って、出来るだけ彼等が不愉快な思いをせずに済むローテーションで順番を決めることにしていた。
 執政官は検査対象にしたいドーマーを数人選び出し、それをリストにして遺伝子管理局に提出する。遺伝子管理局はそれが適切か否か判断して、認めればドーマーに出頭命令を出す。リストの名前全員が認可されることがあれば、全員却下の時もあるし、1人だけ認められると言うこともある。執政官にとってもこれは地球人側から審査されている様なもので、緊張する。
 遺伝子管理局長の仮局長室に入ると、見慣れないドーマーが室内にいた。会議用テーブルに着いて、テーブルの上に広げた書類に目を通していた。きちんとスーツを着て、タイも締めているので、遺伝子管理局の人間だと見当が付いたが、ケンウッドの記憶にはない顔だった。現役局員の多くは訓練所時代にケンウッドの授業を受けたので、ケンウッドは彼等の顔ぐらいなら全員覚えている。だから知らないドーマーを見て、他所のドームの遺伝子管理局の遣いかと思った。
 第1秘書のグレゴリー・ペルラ・ドーマーはケンウッドがドアをノックして入室すると、ちょっと固い表情をした。

「『お勤め』リストですか?」
「そうだ。今回は3人希望なのだが、最低数なので、これより減らさないで欲しい。」

 ペルラ・ドーマーはリストを受け取り、サッと目を通した。ケンウッドは知らないドーマーが気になったが、目をハイネ局長に向けた。ハイネは自身のコンピュータを見ているふりをしながら、やはりテーブルのドーマーを観察していた。
 ペルラ・ドーマーが口を開いた。

「この面子でしたら、問題ないと思います。局長にご自身で渡して承認をもらって下さい。」

 秘書の許可が出たので、ケンウッドはリストを返してもらい、ハイネの執務机の前へ行った。テーブルのドーマーが目だけを上げて彼を見たのを感じた。ケンウッドは紹介がないこのドーマーを無視すべきか迷いながら、ハイネに声を掛けた。

「『お勤め』リストの承認を頂きたい。」

 テーブルのドーマーがいなければ、「やぁ、リストに承認をもらえるかな」と砕けた言い方をしていたところだ。
 ハイネは視線をケンウッドに向けて、柔らかな表情で頷き、リストを受け取った。すると、テーブルのドーマーが声を掛けてきた。

「局長、私にも見せて頂けますか?」

 ケンウッドはムッとした。初対面で、紹介もなく、いきなり執政官の書類を見るとは、どんな了見だ?
 するとハイネが相手に言った。

「見たければ、こちらへ来い。」

 テーブルのドーマーが立ち上がり、ケンウッドの横へ来た。そして、いきなりケンウッドに自己紹介した。

「遺伝子管理局内務捜査班のチーフ、ジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーです。」

 ああ、そうなのか、とケンウッドはやっと合点がいった。内務捜査班はドームの警察機構みたいな組織だが、主に執政官の不正研究の摘発が仕事だ。だからあまり表だって身分を明かさない。コロニー人は彼等を維持班のドーマーだと思っているが、実は助手や研究所職員に紛れ込んで執政官の仕事を見張っているのだ。それ故、執政官の中には「内務捜査班狩り」と称して研究所内のドーマーの行動を探っている者もいる。
 
 そう言えば内務捜査班はハイネの古巣だったな。白い髪の有名人のハイネがどうやって潜入業務を行っていたのだろう?

 ケンウッドはロッシーニ・ドーマーに愛想良く微笑んで見せた。

「中央研究所のニコラス・ケンウッドだ。」

2017年7月23日日曜日

侵略者 7 - 6

 夕陽が回廊の中を黄金色に染めていた。ローガン・ハイネ・ドーマーも金色に光っている。ケンウッドは自身も金色に染まっていることに気が付かずにその場に立ち尽くして、老ドーマーに見とれた。82歳のハイネは光に包まれてまだ20代にも見えた。窓の外をじっと遠く、草原の向こう、地平線の辺りに見えるビル街の上空を見ているのだろう。太陽が沈んでいくところだった。
 地球の古い宗教では、太陽が沈む所に極楽浄土があると言う。死んだ人の魂はそこに行って清浄な光に包まれて幸せになると・・・。
 ケンウッドの知識はいろいろな宗教のごちゃ混ぜで確かなものではなかった。それでも彼は目を閉じて祈った。ドームの存在を支えてくれた多くのドーマー達の魂に、あの世でも幸福がありますようにと。
 どのくらい祈っていただろう? 人の気配がして、目を開くと、すぐ横にハイネが立って彼を眺めていた。金色の光はいつの間にか茜色に変化して、ハイネの白髪がピンク色に見えた。白いシャツも桃色に染まっていた。
 ケンウッドが何を言うべきか迷った隙に、ハイネの方が声を掛けた。

「ここは貴方の祈りの場所なのですか、博士?」

 ケンウッドはちょっとうろたえて、窓の外を見た。世界が赤く染まっている。

「いや・・・あまりに夕景が美しいので、つい祈りたくなっただけで・・・」

 ハイネも外を見た。

「ええ、ここからの夕陽は美しいですね。晴れた日の夕方はよくここに来ていました。」

 独りで? と訊こうとしてケンウッドは止めた。ダニエル・オライオンの思い出に介入すべきではないと判断した。

「私を探しておられたのでしょう?」

 ハイネが彼の心を見透かして言った。

「泣いていると思われたのですか?」

 ケンウッドは微笑んだ。いつものハイネが目の前にいる。ケンウッドは素直に言葉を掛けた。

「ダニエル・オライオン氏の逝去にお悔やみ申し上げる。」

 ハイネはゆっくりと頭を下げて、その言葉を受け取った。そして言った。

「彼は幸せだったのだろうかと考えていました。私が弟が欲しいとさえ言わなければ・・・」
「彼はドーマーとして育ったことを誇りに思っていたよ。ドームを出ても、自由を得ても、それは変わらなかった。そして君を本当に愛していたよ。」

 ハイネが顔を背けた。ああ、泣かせてしまった、とケンウッドは思った。このままでは、彼もバツが悪かろう。ケンウッドは頭の中を回転させ、ダニエル・オライオンの言葉を見つけた。

「君を探して走り回ってしまったが、オライオン氏の忠告を思い出すべきだったな。今になって記憶が蘇ったよ。」

 ハイネが少し擦れた声で尋ねた。

「彼は何と言ったんです?」

 ケンウッドが直ぐに答えなかったので、彼は顔をこちらに向けた。少し目が赤くなっているが、夕陽で目立たない。ケンウッドは気づかぬふりをして言った。

「ローガンに用事があるのに捉まらない場合は、大きなネズミ獲り罠を仕掛けて置くと良いですよ。餌は勿論チーズです。必ず捕まえられますから。」

 2人は数秒間黙って見つめ合った。そして、いきなりハイネが破顔一笑した。

「貴方に私の弱点を教えたのですね、あの弟は?」
「なんとなく前々からわかっていたさ。君と私が初めて言葉を交わしたのも、チーズが原因だっただろう?」
「困りましたね。」

 ハイネが苦笑して、また窓の外を見た。太陽はもう沈んでしまって空が紫色になりつつあった。回廊の天井に照明がぽつぽつと点灯し始めた。

「もう直ぐ夕食の時間だ。 私と一緒に大人しく帰るかね?」
「弱点を知る人には逆らえませんね。」

 2人は並んで歩き始めた。
 ケンウッドは思い切って胸の内を打ち明けた。

「私は、リン長官を何とかしなければと思っている。実は月の委員会には何度か書状を送って、彼と彼のシンパがドーマー達に行っている破廉恥な振る舞いを訴えているのだが・・・」
「哀しいことですが、それはあまり効果のない訴えです。」

とハイネが言った。

「執政官の貴方にこんなことを言うのもなんですが、昔から執政官の悪戯は絶えません。委員会の執行部でも身に覚えのある人間が何人かいます。彼等が貴方の訴えを握りつぶしているのです。」
「では、どうすれば良い? 私は今のままで良いとは絶対に思えない。ドーマーは実験動物ではないし、ペットでもない、私達と同じ権利を持つ人間だ。」

 ハイネはちょっと考えて、言った。

「何か別の方向で、リンの足をすくわねばなりません。」

 そして、彼はふと窓の外の空を見上げた。

「星が出て来ましたね。今夜は月がありませんよ。」

 ケンウッドも夜空に瞬き始めた星を見た。オリオン座も見えた。

 あれはダニエル・オライオンだ、きっと。

 彼は何故かそう思った。観察棟に居ては夜空は見えない。回廊にハイネが出て来たので、オライオンも兄貴の顔を見に出て来たのだ。ダニエル・オライオンは兄貴のそばに誰が居てくれるのだろうと、それだけを心残りにしていた。

 それなら、ダニエル、私がハイネのそばにずっと居るよ、重力に負けて体がくたばる迄、頑張ってみせる。




侵略者 7 - 5

 西回廊は夕方になれば西日が射す。外の風景も夕日で黄金色に、そして赤く染まっていくのでデートスポットになるのだが、入り口が多くの施設の裏手にあるので、利用者が少なく、専ら物資運送用に使われている。
 ケンウッドが入った時も、殆ど人に出会わず、入ってから15分もしてからやっとドーマーの男カップル1組と出会った。窓から外の夕景を眺めている彼等に、ケンウッドは「やぁ」と声を掛けた。

「ちょっと尋ねるが、遺伝子管理局長を見かけなかったかね?」

 すると、カップルの背が高い方が答えた。

「ここから10分ばかり向こうに居た人がそうじゃないでしょうか。近くまで行かなかったので、確かなことは言えませんが・・・」

 低い方が呟いた。

「ちょっと恐かったので・・・光っていたし・・・」
「光ってた?」

 ケンウッドが思わず尋ねると、背が高い方が相方をたしなめた。

「光線の具合でそう見えただけだよ。白い服を着ていたから・・・」

 彼はハッと思い出してケンウッドに告げた。

「髪も真っ白でした。やっぱり局長だったんですね?」
「病気療養中なんですよね?」

 ケンウッドは確かな情報を得て、内心ホッとした。

「そうだよ、局長は療養中だ。まだ静養しないといけないのに時々出歩くので困っているんだ。」

と言った。カップルに礼を言って歩き出すと、後ろで彼等若者のこそこそ話し声が聞こえた。

「やっぱり生きていたんだ。」
「誰だよ、幽霊だって言ったのは?」
「だって、リンに殺されて化けて出たと思って・・・」

 なんでそんな話になるんだ? とケンウッドは可笑しく思った。そろそろハイネには現場に復帰してもらった方が良いかも知れない。後遺症も近頃は殆ど出ていない。ヤマザキ医師が完治宣言を出すのを躊躇っているだけだ。しかし、ハイネが復帰すれば、リン長官との確執が再開するのも必至だ。長官側が懐柔したドーマー達がどうなるのか、考えただけで気が重くなる。彼等は心から長官に服従している訳ではない。ドーマーの指導者が不在なので不安なのだ。だから権力者に身を寄せてしまった。
 大きくカーブした回廊を歩いて行くと、前方に壁に寄りかかって窓の外を眺めている白い人影が見えた。

侵略者 7 - 4

 ケンウッドは観察棟を出て、森へ足を向けた。午後なので仕事を終えたドーマーや執政官達が寛いでいる。監視カメラの数が少ないので、息抜きが出来る場所だ。そこへ行ってみたが、思いの外カップルが多かった。ハイネが独りの時を過ごすにはふさわしくない。
 ケンウッドは小径で立ち止まって考えた。

 そう言えば、キーラ博士からは何も言ってこない・・・?

 キーラ・セドウィック博士は縫いぐるみでローガン・ハイネ・ドーマーを見守っている。彼に異変があれば、或いは彼の部屋に誰かが侵入すれば、彼女はケンウッドに知らせてくれる約束だった。ハイネが「家出」したことに気が付いていないのか? それとも・・・?
 ケンウッドは遺伝子管理局長が出産管理区に出入り出来ることに気が付いた。ただ、この権限を行使した遺伝子管理局長は1世紀前の人物1人だけで、ケンウッドは名前すら覚えていない。ハイネがキーラに慰めてもらいに行ったとも思えない。だが・・・

 回廊はまだチェックしていなかった!

 ドームの住人が居住し働く区画と、出産管理区は仕切られている。男ばかりの社会と女の世界を仕切って女性の安全を守っているのだ。この2つの場所を往来出来る通路は3箇所あって、一つは両方の世界に共通して建っている医療区だ。しかしハイネはそこに行っていない。後の2つはドームの東西両側をぐるりと回り込む回廊と呼ばれる長い通路だ。外から来る人々は出産管理区側にある送迎フロアを通って東西どちらかの回廊を徒歩で歩いてドームの中に入る。乗り物も通れるが、主に物資の運搬に使われている。出産管理区が広大な施設なので、回廊もかなり長大な道だ。そしてこの道には寄り道出来る場所が一つもない。トイレさえないので、ここを通る時は事前に済ませておかねばならない。
枝道がないので、回廊は出口と入り口に監視カメラがあるだけで、回廊本体のカメラは2つか3つしかなかったはずだ。

 長大な死角だ。

 回廊を調べるには、東西どちらかを選ばなければならない。距離が長いから時間がかかる。ケンウッドはクーリッジ保安課長に電話を掛けた。

「保安課長、東西の回廊のドーム側入り口の画像をチェックしてもらえませんか?」
「回廊?」

 保安課長は一瞬戸惑ったが、すぐにケンウッドの思いつきに思い当たった。

「そうか・・・回廊は馬鹿でかい死角だ・・・」

 数分待てと言って、クーリッジは一旦電話を切った。情報管理室に命じて回廊入り口の記録を再生させたのだろう。
 ケンウッドは、もしハイネを見つけたら、何と声を掛けようと考えた。お悔やみ申し上げる、と言うべきだろうか。それとも知らぬふりをして、早く帰ろう、と言うべきか。
 クーリッジから電話が掛かってきた。

「1時間前に、西回廊にハイネが入っていくのが確認された。まだ出た記録がないから、彼は回廊のどこかに居る。」

2017年7月22日土曜日

侵略者 7 - 3

「『お誕生日ドーマー』とは?」

 ケンウッドの疑問に、クーリッジとヤマザキが「さぁ?」と首をかしげた。ペルラ・ドーマーは困った様な顔で下を向いた。

「ペルラ・ドーマー?」
「私の口からはなんとも・・・」

 秘書は躊躇ってから、顔を上げた。

「その言葉の本当の意味は言えませんが、局長がパーシバル博士に話された内容はお伝え出来ます。」
「ハイネはヘンリーに何て言ったんだ?」
「局長が3歳の誕生日のプレゼントに弟をもらったと言う話です。」

 3人のコロニー人は暫し絶句した。

「弟をプレゼントにもらった?」
「はい。プレゼントに何が欲しいかと訊かれ、弟が欲しいと局長が・・・3歳の時ですよ・・・答えたら、数日後に養育係が赤ん坊を連れて来て、弟だと言ったそうです。」

 クーリッジ保安課長はローガン・ハイネ・ドーマーに同じ部屋出身の「部屋兄弟」がいたことを知らないので、ぽかんとした顔でケンウッドを見ていた。ヤマザキは、ハイネが火星から来た介護士を殴ろうとした騒動を思い出した。彼はケンウッドに確かめた。

「ケンさん、ハイネの弟は3歳下かね?」

 ケンウッドはダニエル・オライオン元ドーマーに面会した時の会話を思い出そうと努力した。

「うん・・・そうだ、オライオン元ドーマーはハイネより3歳年下だと言っていた。」
「ハイネは誕生日のプレゼントに赤ん坊のドーマーをもらったのか・・・」
「しかし、何故今頃そんな話を・・・?」

 突然、ペルラ・ドーマーがハッと何かに気が付いた。彼がモニター室から走り出たので、ケンウッドとヤマザキも追いかけた。
 通路を走ってはいけないと言う規則を無視して、遺伝子管理局の職員と執政官2人がドタドタと走り、ハイネの部屋に駆け込んだ。
 ペルラ・ドーマーは秘書机のコンピュータを立ち上げ、午前中の業務内容を表示した。
ケンウッドが彼の後ろから覗き込むと、それは全米各地から遺伝子管理局へ送信されて来る死亡公告だった。
 遺伝子管理局は新しく生まれてくる人を登録し、死んだ人を生存者リストから除外する。この作業が為されないことには、地球人は死者の遺産相続や権利停止などの作業をしてはならないことになっている。「死」を公認するのは、遺伝子管理局の仕事なのだ。
そして、局長は部下が認知したものをチェックする。彼に異存がなければ、初めて死亡が公に告知出来るのだ。
 ペルラ・ドーマーは今朝の死亡報告書をざっと一覧に出した。そして、彼とケンウッドは同時に目的の名前を発見した。

「あった!」
「ダニエル・オライオン、79歳、老衰・・・」

 ドームの外で暮らす地球人の平均寿命はこの時代67歳から69歳の間だった。79歳は長寿になる。元ドーマーだから、この年齢迄生きられた。だが、ドームの外だから、この年齢迄しか生きられなかった。
 ケンウッドは、面会した時のオライオンが、ハイネが送迎フロアで見送った時より老けて見えたことを思い出した。あの間の歳月は、僅か1年4ヶ月だった。あれから更に1年半近く経っていた。ダニエル・オライオン元ドーマーは、力尽きて天に召されたのだ。

 ハイネはこの報告を見つけてしまったのか・・・

 20代でオライオンが外に出た時、彼等はまたいつか会えると思って我慢した。そして60代にして念願の再会を果たし、1年に1回の出会いを楽しみに10年過ごして、3年前、オライオンの退職で互いにそれが永久の別れだと覚悟して、送迎フロアで別れたのだ。

 覚悟して別れても、やはり死の知らせはショックだったに違いない。

 ハイネを独りにしてやりたかった。しかし、今の彼の立場では、それは難しい。若いドーマー達に見られたらやはり騒ぎになるだろうし、リンの一味に見つかれば、今の隙だらけのハイネに連中を上手くやり過ごせるだろうか。
 ケンウッドは仲間に言った。

「私が探して連れ戻す。ドームの中に居るのは確かだから。」

侵略者 7 - 2

 ケンウッドは研究に没頭して3時のお茶の時間を忘れてしまうところだった。彼はお茶などどうでも良いのだが、助手達はブーイングだ。仕方が無いので休憩を入れた。彼は休憩をはさんでしまうと情熱が冷めてしまうタイプで、助手達とお茶を飲みながら世間話をしているうちに、研究の続きは明日でもいいや、と言う気分になってきた。
 そこへ端末に電話が着信した。研究に没頭している時は無視するので、画面を見ると着信が既に2回入っていた。いずれも5分おきで、最初がペルラ・ドーマー、次がヘンリー・パーシバル、そして今度はヤマザキ・ケンタロウだった。この面子が賭けてくると言うことは、ハイネに何かあったのか?
 ケンウッドは電話に出た。

「中央研究所のケンウッド・・・」
「ヤマザキだ。ケンさん、ハイネはそっちに行っていないよな?」
「来る訳ないだろう。」

と応えてから、ドキッとした。

「彼が居なくなったのか?」
「うん。昼過ぎにペルラ・ドーマーが昼食から戻ったら、部屋から消えていたそうだ。彼は祭りの時を除いて、自分からあの部屋を出たことはなかった。」
「本部に行ったとか・・・」
「秘書が確認したが、本部にもいない。医療区にも来ていない。」

 ケンウッドは助手達の視線が気になった。助手達は博士が遺伝子管理局長と仲が良いことを知っている。だから、彼が電話で誰のことを話題にしているのか、わかるはずだ。
ケンウッドは取り敢えず観察棟に行く、とヤマザキに告げて電話を終えた。助手達が興味津々で見ているので、「今日はここまでにしておく」と宣言した。一番若い助手が好奇心いっぱいの顔で尋ねた。

「遺伝子管理局で何かあったんですか?」

 本当は局長に何かあったのかと尋ねたいのだが、そこは少し遠慮が入った。ケンウッドは肩をすくめて見せた。

「わからん。わからないから、話を聞いてくる。」

 嘘は言っていない。彼は研究着を脱いでロッカーに入れると、部屋を出た。
 ローガン・ハイネ・ドーマーはドーム内に混乱を生じさせるのを何よりも恐れていた。ドーム内の権力闘争が地球人の出産と復活の障害になることを懸念して、彼の方からリン長官に抵抗することを避けていた。だから大人しく幽閉の身に甘んじていたのだ。
それなのに自分から部屋を出て行ったのだろうか? それとも、秘書が留守の間にリンに攫われたのか? 保安課は何を見張っていたのだ?
 観察棟に入ると、保安課員が入り口で待ち構えていて、モニター室に案内された。
そこにペルラ・ドーマーとヤマザキ医師とクーリッジ保安課長が居た。彼等は再生室に居て、ケンウッドが入ると通路の記録を見ているところだった。クーリッジが指摘した。

「ハイネは自分の意志で観察棟を出て行った様子だな。」
「彼はロック解除が出来るんですね?」
「当たり前だ、遺伝子管理局の局長だぞ。彼は出産管理区も含めて、ドーム内の全てのロックを解除出来るんだ。幽閉なんて意味がないんだ。長官と顔を合わせたくないからここに入って居るのさ。」

 ケンウッドは彼等の後ろから声を掛けた。

「それで、彼は何処へ行ったんです?」

 3人が同時に応えた。「わからない」と。

「この3年近く『世間』から姿を消していた局長が人前に出たら、ドーマー達もそれなりに騒ぐと思うんだ。だが、彼が観察棟を抜け出してから3時間近く経つのに、誰も彼を見ていない。」

 ヤマザキの言葉に、ケンウッドは考えた。ハイネは誰にも見られたくなかったのか?
クーリッジ保安課長を見ると、クーリッジは彼の言いたいことを察して首を振った。

「情報管理室のモニターで調べても無駄かも知れない。彼を含めて、ドーマー達はカメラの死角が何処にあるか熟知している。ここは彼等の家そのものだからな。
 それに情報管理室のモニター全部を再生させるとなると、結構な騒ぎになるぞ。」

 ケンウッドはまた考えた。

「午前中の彼は普段通りだったのだね?」

 ヤマザキがペルラ・ドーマーを見たので、秘書が少し固い表情で答えた。

「今朝、パーシバル博士が来られた時は、機嫌良かったのです。ところが、博士が『お誕生日ドーマー』の質問をされてから急に様子がおかしくなって・・・」
「どんな風におかしくなったんだ?」
「どんなって・・・」

 ペルラ・ドーマーはガラス壁の向こうの保安課員達を見た。こっちの声は聞こえていないはずだ。

「局長は冗談とも事実ともとれる話しをされて、それから気分が優れないと仰って仕事を中断してベッドに横になられました。
 それでパーシバル博士は話題が不適切だったのかと心配されながら帰られました。
 局長はそれから一切私に業務の指示をなさらずに、まるでふて寝でもしているかの様でした。仕方が無いので私は局長が中断された仕事を引き継ぎました。勿論、断りは入れました。局長は手で「頼む」と合図されただけで、何も仰いませんでした。
 私が昼休みに出かける時も、手で許可を下さっただけです。
 私はまた熱でも出たのかと思い、昼食後に医療区に連絡を入れようと思っていました。」
「ところが、彼が食堂から戻ると、ハイネは消えていた。」



侵略者 7 - 1

 その年の初夏はいつもより暑かった。ドームは空調が効いているので快適なはずだが、やはり日差しがきついのは影響が出るし、湿気も普段より多いと思われた。
 体調が良くないクローンの子供達を収容する観察棟は万全の態勢で環境整備に努めた。
お陰でハイネ局長の監禁部屋には、彼の友人達がたむろすることになり、ペルラ・ドーマーは業務に遅れが出ないかと内心心配した。
 ヘンリー・パーシバル博士は特に頻繁に用事もないのにやって来た。ハイネにリン長官がいかにドーマー達を弄んでいるか、報告するだけだが、ハイネは退屈する暇もない忙しさなのにちゃんと耳を傾けた。
 パーシバルは部屋の中央に置かれた会議用テーブルに持参した自身のコンピュータや書類を広げ、仕事をしながら喋っている。それを執務机で仕事をしながらハイネが聞いている。秘書机のペルラ・ドーマーはその様子をこっそり本部の局長室で留守番をしている第2秘書セルシウス・ドーマーに送信した。

ーー信じられるか? あの2人は異なる2つのことを同時にやってのける。
ーー似た者同士で気が合うのでしょう。

「ところで・・・」

とパーシバルが何かを思い出した。

「昨日、聞き慣れない言葉を耳にしたんだが、局長はご存じかな?」

 その時、ハイネはコンピュータの画面に何かを見つけ、一瞬固まった。彼の顔色が青ざめたのにパーシバルは気が付かなかった。数秒間の沈黙後、ハイネが尋ねた。

「何です?」
「『お誕生日ドーマー』って言う言葉だ。」

 ペルラ・ドーマーがチラッと執政官を見た。何か知っていそうな目だったが、彼は何も言わなかった。ハイネはまた数秒間黙った後で、

「『お誕生日ドーマー』ですか。」

と繰り返した。

「うん、何か意味深な顔で助手が言ったんだ。」
「その助手はコロニー人ですか?」
「そうだが?」
「それは・・・」

 秘書は今度は局長をそっと見た。ちょっと咎める様な目つきだったが、誰も気が付かなかった。
 ハイネが言った。

「3歳の誕生日の時に、養育係がプレゼントに何が欲しいかと私に訊いたのです。」

 ペルラ・ドーマーが不意打ちを食らった様な表情をしたが、やはり誰も気が付かなかった。 
 パーシバルは興味を抱いて尋ねた。

「何て応えたんだい?」
「私は『弟が欲しい』と応えました。」
「弟?」
「数日後に、養育係が赤ん坊を連れて来ました。そして言ったのです。
『ローガン・ハイネ、君の弟を連れて来てやったよ』と。」

 パーシバルはハイネの顔を見た。何の話をしているのだ? と彼は戸惑った。ハイネが彼を振り返った。

「私は誕生日プレゼントに、弟をもらったんです。勿論、ドーマーですよ。」

 ハイネは画面をクリアして次のメッセージを出した。

「常識にはあり得ないですね。人間を贈り物にするなど。」

 彼はそれっきり黙り込んでしまった。
 パーシバルはペルラ・ドーマーを振り返った。ペルラ・ドーマーも局長の話の意味がよく理解出来なかったのだろう、小さく首を振って見せた。
 先刻までの楽しい雰囲気が失われてしまった気分がして、パーシバルは引き揚げることにした。自身の物を片付けて鞄に入れ、立ち上がると、ハイネもコンピュータをシャットダウンさせて立ち上がった。

「少し気分が優れないので休ませてもらいます。」

 パーシバルにそう断ってベッドに横になり、みんなに背を向けた。
 パーシバルはペルラ・ドーマーに暇を告げ、部屋を出た。通路は少し気温が高かったが、不快ではなかった。彼は歩きながら考えた。ハイネの機嫌が急に悪くなった理由を考えた。「お誕生日ドーマー」にどんな意味があるのだろう。プレゼントに赤ん坊をもらったと彼は言ったが、それはケンウッドが会いに行った元ドーマーのことなのだろうか。それともハイネが何かを誤魔化すために咄嗟に作り話をしたのか?

 

2017年7月21日金曜日

侵略者 6 - 14

 午前中に執政官会議があった。中央研究所の大会議室で執政官ほぼ全員が集まって話合いをする。その日の議題はドームに入って来るマスコミ対策だった。
 保安課長ダニエル・クーリッジが前日の春分祭の最中に観察棟に侵入したテレビ記者を捕まえた話をした。執政官の多くは女装したり模擬店の世話をしていたので、初耳だった。収容されているクローンの子供達に実害はなかったのかと心配の声が上がった。
クーリッジは重症者が撮影されたが、遺伝子管理局長が画像を確認して削除したと報告した。

「幸いなことに、子供達へのインタビューや接触はなかった。また軽症の子供達は祭りで遊びに行かせていたので、無事だった。」

 執政官達から安堵の声が漏れた。ドームに無許可で製造された違法クローンと雖も、生まれた以上は人間だ。権利や安全は守ってやらねばならない。
 遺伝子管理局長とクーリッジの口から言葉が出た時、何人かは末席の遺伝子管理局の椅子を見た。その日もそこは空席だった。ハイネ局長はもとよりペルラ・ドーマーもセルシウス・ドーマーも呼ばれていなかった。これは「執政官会議には必ず地球人を参加させるべし」と言う地球人類復活委員会の会則に違反していた。
 リン長官が部下達の頭から地球人代表の不在を取り除こうと、話題を振った。

「どうすれば今後あの様な事件を繰り返さずに済むか、諸君の考えを聞かせて欲しい。」

 執政官達は最初ぼそぼそと隣席の人と話をしていた。それから声が少しずつ大きくなり、かなり会議室内が賑やかになってきた。
 ケンウッドはマスコミ対策は保安課の仕事ではないのかと思った。長官と保安課がしっかりタッグを組んで入り込む連中の身元確認や目的を明確にさせることを徹底させれば良いだけの話だ。学者達がああだこうだと議論する問題ではない。友人のパーシバルを見ると、神経系の研究者は居眠りをしていた。

「そのテレビ記者の本当の目的は何だったのでしょう?」

と不意にキーラ・セドウィック博士が誰に対してと言うでもなく質問した。

「お祭りの最中にクローンの子供達を撮影して、寝ている姿を宇宙に流しても意味はありませんわねぇ。観察棟の子供達は病気の治療を受けているだけですもの。元気な子供は勉強を教わっていますでしょ? テレビがわざわざ流す様な内容はありませんわね。」
「では、あの男は何を撮りたかったと言うのだ?」

 リン長官が警戒しながら逆に尋ねた。幽閉している遺伝子管理局長を取材しに来たとでも言うのか、と心配しているのだ。キーラは彼をちらりと見て、会議場をぐるりと見廻した。

「その記者は、取り替え子の実態を取材したかったのではありませんか?」

 ざわっと会議室内が揺れた様な感覚をケンウッドは覚えた。キーラは縫いぐるみの目を通して記者がハイネの部屋に侵入した時の模様を見ていたのだ。記者にはその部屋が監禁部屋だとはわからなかったはずだ。ハイネは遊びに出ていて留守だったから。保安課は昨日お祭りが開催されている時間帯、クローンの子供達が自由に出入り出来るよう、各部屋のロックを開錠したままにしておいた。観察棟は牢獄ではないので、日頃から建物内は自由に出歩けるのだ。棟の入り口だけパスワードがなければ開かないのだが、昨日はそれも開放されていた。記者は順番に部屋を覗いて、ハイネの部屋にも偶然入っただけだったはずだ。
 他の部屋とは調度や雰囲気が異なることに記者は気づいただろう。コンピュータにも気が付いたのだ。遺伝子管理局長はドームの最高機密を扱う人物だ。彼のコンピュータは彼にしか開かれない。記者はそれを触っているところを確保された。夢中でパスワードを探っていたのだ。
 ハイネがカメラのデータを初期化したのは、記者が子供達を撮影したからではなかった。彼の部屋を撮影したからだ。メディアが知りたいのは、ドームが地球人の種の保存に対して具体的にどんな方法で取り組んでいるのか、それがどれだけ功を奏しているのかと言うことだ。クローンを収容しておく建物に、何やら秘密めいた部屋がある。それだけで記者は興味を惹かれた。誰の部屋なのかわからないが、重要なものが見つかるかも知れない。自主製作ドキュメンタリー番組を大手テレビ局に売って暮らしているフリーの記者にとって、もしかするととんでもないお宝に見えた可能性があった。

「何があろうと、研究施設に外部の人間が入らないよう、しっかり見張って頂きたいですわ。」

 キーラ・セドウィック博士は、長官やその腰巾着達に、無能ね、と言いたいのだ。ドーマーを玩具にして楽しむことばかりに時間を費やし、本当の仕事を忘れている。自分達の仕事は、ドーマーをなくすことだ。と彼女は言いたいのだった。
 クーリッジが自分の仕事にケチを付けられたと感じたらしく、赤くなって彼女に言った。

「質の悪いメディア関係者の情報を各大陸ドームで交換し合うことにした。取り替え子は創る数が限られて来る。増やしたいが、それにはコロニーの協力が不可欠だ。マスコミの取材を拒否する訳にはいかない。これからは立ち入り許可を与えるジャーナリスト達も厳選する。」

 キーラ・セドウィック博士は、本当はそんなことを言っているのではない、と言いたげな顔をしたが、それ以上は突っ込まなかった。リン長官のシンパが何人いるのかわからない場所で、大勢を敵にまわすのは危険だと判断した。
 彼女はケンウッドの方を見た。ケンウッドは彼女が賢明にも黙り込んだのを見て、頷いて見せた。敵は、頭であるリン長官を取り除けば自然に解体されるはずだ。そのきっかけを見つけなければならない。





 

2017年7月20日木曜日

侵略者 6 - 13

 祭りの翌朝は気怠い。あんなに大勢いた観光客は表彰式が終わるとあらかじめドームに入る時にもらった番号表の順にドームから出て行き、宇宙へ還るシャトルに乗り込んで去って行った。ジャーナリスト、ケンプフェルトも保安課員に付き添われて空港まで連行され、殆ど強制送還の形で去った。
 ドーム内を汚すのは犯罪に等しいので、観光客達はゴミを残さずに綺麗に立ち去ってくれた。残った執政官達は化粧を落とし、衣装を脱いだ。ドーマー達は翌日からの仕事の準備に追われた。
 ケンウッドは祭りのメイン会場となった一般食堂近辺をその朝は避けて中央研究所の食堂で朝食を取った。ゴミがないと言っても数百人の人間が集まっていたのだから、当然汚れは出る。掃除ロボットが集結して働いていたので、邪魔をしないように気を遣ったつもりだった。
 ヘンリー・パーシバルが合流した。彼は女装大会でシンデレラをやって準優勝してしまった。恐らく彼が作ったファンクラブのドーマー達が票を入れてくれたのだ。パーシバルは優勝賞金も副賞の口紅1年分もどうでも良かったが、リン長官の白雪姫に勝ったことは誇らしく思った。

「それにしても優勝した若いのは、そんなに美人とも思えなかったがなぁ。」
「長官の腰巾着の1人だろ? 長官側の組織票が入ったのさ。」


 いつの間にかヤマザキ医師も来て、ケンウッドのテーブルは急に賑やかになった。
2人が、誰が美人だったとか、アイツは滑稽だったとか他人の批評で盛り上がったので、ケンウッドは水を挿すつもりはなかったものの、目撃した今回の祭りで一番の美女を挙げた。

「私が出会ったアン・シャーリーは見事な美人振りだったよ。」
「アン・シャーリー?」
「『赤毛のアン』のアン・シャーリー?」
「うん。そばかすはなかったがね。」
「そばかすがなけりゃ、アン・シャーリーじゃないだろう。」
「当人はそのつもりになっていたぞ。」
「アン・シャーリーはそばかすが売りだ。」
「そばかすはドーマーにはないよ。」

 うっかり口を滑らしてしまった。ヤマザキとパーシバルが彼をぐいっと睨んだ。

「ドーマー? 女装したドーマーがいたのか?」
「ええっと・・・」
「ケンさん、誰と出会ったんだ?」

 パーシバルは贔屓のドーマー達の顔を順繰りに思い浮かべていった。女装させれば絶対に可愛い美少女になるはずの男の子達だ。

「ポールとクラウスは素で俺達ファンクラブのそばに居たからなぁ・・・ニュカネンは絶対に女装なんかしない性格だし・・・」

 若いドーマーの名前ばかり挙げるパーシバルに、ヤマザキが苦笑しながら自身の推測を述べた。

「ケンさん、まさか、そのアン・シャーリーは幽閉中の御仁じゃないだろうね?」

 ケンウッドは腹をくくった。

「その御仁さ。昨日はお祭りで観察棟の給食がなかったんだ。重症者だけ出産管理区が面倒を見てくれたがね。それで保安課が、動ける子供達とその御仁に女装させて、食べ物を自力で確保して来いと一日野放しにしたんだよ。」
「保安課が?」
「うん。クーリッジ保安課長は承知している様子だった。」

 ヤマザキとパーシバルは驚いたが、彼等が驚いたポイントはそれぞれ別の所にあった。
パーシバルはケンウッドに尋ねた。

「彼は逃げなかったのか? 昨日は宇宙からジャーナリズムが大勢来ていたじゃないか。連中に今の境遇を訴えれば、リンの横暴が暴露されて彼もポールも解放されたのに・・・」
「それは出来ない相談だよ、ヘンリー。」

 ケンウッドは友人を諭した。

「そんなことをしたら、このドームの中は大混乱に陥る。ドーマー達は今でさえ彼が長官から虐待を受けていると思っている。もし彼がコロニー人に救助を求めれば、彼等が抱く疑惑が真実だと確信するだろう。もしかすると暴動が起きるかも知れない。
もし暴動が起きたら、出産管理区に収容されている地球人の女性達はどうなる? 地下のクローン育成施設にいる赤ん坊達は? 
彼は同胞の地球人の為に忍耐強く時が来るのを待っているんだ。祭りに乗じて逃げるなんて考えていなかったよ。」

 パーシバルは口を閉じた。ケンウッドの言葉は正論だ。彼等は執政官、地球人が元通りの自力で人口を増やせる能力を取り戻す為の手伝いをしているのだ。アメリカ・ドームの内部で混乱が生じれば、アメリカ大陸の地球人社会が崩壊しかねない。
 ヤマザキの方は、もっと平和で直接的なことだった。

「ケンさん、彼は昨日、部屋から出してもらってから、何を食べたんだ?」
「え? ええっと・・・ピッツァかな?」

 ケンウッドは思わずしらばっくれた。

「私が見つけた時はもう食べてしまっていたから・・・」
「そうかい? 夕べ、保安課が彼が夕食に手を付けていないと言うので様子を見に行ったら、部屋の中に強烈なチーズと蜂蜜の香りが残っていたのだが・・・」
「チーズと蜂蜜なら、クワトロ・フロマージュだろ。」

とパーシバル。

「夕食は給食が出たのかい?」
「保安課が屋台でスープを買って持っていったらしいが・・・後遺症が完全に消えたと僕が言う迄、チーズは駄目だって言ってある。しかし、あの部屋の中の匂いは確実にチーズだ。」

 ケンウッドはちょっと心配になった。

「彼の具合が悪いのか?」
「夕方から眠り込んで、夜の運動はさぼっているし、今朝も僕が様子を見た時はまだ寝ていた。」
「体調を崩したのか?」
「と言うより、チーズの食べ過ぎで消化に時間がかかり、彼の体力が追いつかないと思われる。治療に大量に薬を投与したからね。今の彼の胃腸は発酵食品の消化には適していない。 
昏睡ではないんだ。呼べば目を開けて返事はする。でもすぐに寝てしまう。」
「すると、今日の業務に支障が出るな。」
「朝食の後でペルラ・ドーマーが来てくれるから、それは問題ないだろう。」

 ヤマザキが心配そうな声で呟いた。

「ハイネはペルラ・ドーマーに叱られるぞ、きっと・・・」







2017年7月19日水曜日

侵略者 6 - 12

 幽閉部屋に戻ると、直ぐに保安課員が大きなピッツァの箱を運んで来た。ハイネは彼を待たせ、会議用テーブルの上で箱を広げ、付属の使い捨てナイフでピッツァを4等分に切り分けた。そして保安課員に「お駄賃だ」と言って、一切れ箱の蓋の載せて分け与えた。
保安課員は恐縮して受け取り、仲間と分けますと言って部屋から立ち去った。
 室内にチーズの香りが広がった。ケンウッドはソーセージのクレープ巻きを1本食べただけだったので、また空腹を感じた。
 ハイネが「よろしければ半分どうぞ」と言った。

「どうせ私独りで全部は食べ切れませんから。」
「端っから保安課員に分けるつもりで特大サイズを買わせたのだな?」
「彼等には日頃から世話になっていますからね。」

 ケンウッドは遠慮なくピッツァに蜂蜜をかけて一切れもらった。

「さっきのテレビ記者の本当の目的は何だと思う?」
「恐らくドームを標的にしたドキュメンタリーでしょう。ああ言う輩は大概フリーで活動しています。所属局名を名乗っていましたが、実はフリーであることが多いのです。」
「病状の重い子供達を撮影して、ドームが虐待しているとマイナー宣伝をするのか?」
「そんなところでしょう。ただ治療して親に返すと言うだけでは、彼等の仕事にならないのだと思います。」

 クワトロ・フロマージュは素晴らしく美味しかった。ケンウッドは糸を引くチーズに手こずりながらもなんとか自身の分を平らげた。ハイネはチーズが固まることを常に心配するくせに食べるのが遅い。好きな物はゆっくり食べる主義かと思ったが、考えれば普段の食事の時も彼は時間をかけていた。そして固まったチーズも愛おしそうに食べてしまう。

「本当に君はチーズが好きなんだね。」
「チーズだけではありませんよ。」
「酒も飲むだろう?」

 ハイネの手が止まった。目だけケンウッドに向けた。

「誰に聞きました?」

 ケンウッドは縫いぐるみの熊がハイネの執務机の上から見ていることに気が付いた。キーラ・セドウィック博士はハイネの弟の存在を知っているのだろうか。
 彼は慎重に言葉を選んだ。

「君の古い親友からだよ。」

 そう言えば、まだハイネの私室の臨検をしていない。彼がダニエル・オライオンの元からドームに戻って直ぐにハイネが1年4ヶ月の眠りから目覚めたので、すっかり忘れていた。
 ハイネは暫く動きを止めていたが、やがて再び食べ始めた。

「私はもう年寄りですから、今更遺伝子に傷が付いても誰も気にしません。」

 いや、多分この男はまだ子供を作れるはずだ、とケンウッドは思った。40代の体を持っていると言うことは、子孫を残す能力もまだ健在だと思われる。だから、リン長官から狙われているのだ。「待機型」進化型1級遺伝子は惑星開拓事業を営む企業に高く売れる。開拓団の第2世代に組み込み、世代交代の間隔を長くして労働力を確保するのだ。

 それにしても、何故ドームはこの男の子供を創らないのだ? 

 ローガン・ハイネ・ドーマーは「お勤めのないドーマー」として知られている。中央研究所の検体採取室で彼をその気にさせて子種を採取した執政官は1人もいない。だからハイネは中央研究所では「清いドーマー」と呼ばれている。しかし、ケンウッドは彼が今日まで80年間何も知らずに生きてきたとは到底思えなかった。

「病気が完治したら、また飲むつもりかね?」
「いけませんか?」

 ハイネは最後の一切れを食べてしまった。手をウエットタオルで拭い、やっと人心地付いたのか、椅子の背もたれに体重を預けた。少し眠たそうだが、突発性睡眠症候群の発作ではないとケンウッドには見て取れた。

「遺伝子に関係なく、君の健康を考えると、私は君の飲酒に反対だ。」

 きっぱりと言った。ハイネは目を閉じてちょっと笑って見せた。



侵略者 6 - 11

 会議室のドアをノックすると保安課員が開けてくれた。部屋の中で、クーリッジがテレビカメラをいじっていた。若いコロニー人の男が顔を真っ赤にして保安課長にカメラの扱いを慎重にしてくれと訴えているところだった。2人から少し離れた位置に立っているリン長官が男の持ち物を検めていた。
 ケンウッドが室内を覗き込んでいるのをリンが見つけた。

「その赤頭巾ちゃんは誰だ?」
「中央研究所のニコラス・ケンウッドです。」

とケンウッドは素直に名乗った。

「友人の部屋に不審人物が侵入したと耳にしたので様子を見に来ました。不審者とは、その男ですか?」

 男が自己紹介した。

「ガニメデ通信社のカール・ケンプフェルトです。クローンの子供達の現状を取材に来ました。」

 リン長官がグッと彼を睨んだ。

「今日は祭りの取材を許可したが、当ドームの研究や方針に関する取材要請を受けた覚えはない。」

 するとクーリッジがカメラを机の上に置いて言った。

「確かに、少年達の画像が多いようです。観察棟に残っている重症患者ばかりですね。」

 ケンウッドはケンプフェルトを見た。

「体調が悪くて臥せっている子供達を撮影したのですか?」
「そう言う子供しかいませんでしたね。」
「体調の良い子供達は外出許可を与えられて遊びに行っているのです。」
「そもそもクローン収容施設を取材する本当の目的は何だ?」

 リン長官が警戒心剥き出しで尋ねた。遺伝子管理局長を幽閉していることを知られたくないのだ。
 ケンプフェルトは正義のジャーナリストと自負しているかの様に胸を張って答えた。

「クローンがクローンと言うだけの理由で虐待されていると言う噂をご存じですか?」
「当ドームにそんな疑惑はない!」

 クーリッジもリン長官に味方した。

「その噂は太平洋の向こう側のドームで起きた事件だろう? あれは事故で、虐待でも何でもないと証明されたはずだ。」

 ジャーナリストは引き下がらなかった。

「地球人類復活委員会は秘密主義が多すぎる。少なくとも地球人にはもっと情報を公開するべきだと思いませんか? クローンが逮捕後どうなるのか知らない人々が多い。」
「クローンの処遇はきちんと広報で知らせている。プライバシーの問題があるから顔写真や氏名を公表出来ないだけだ。」
「遺伝子管理局はどう考えているのですか? 局長の意見も聞きたいですね。コロニー人側の言いなりになっていると言う噂もあるのですよ?」

 リン長官とクーリッジ保安課長が互いの顔を見合わせた。当然のことながら長官は局長と記者を会わせたくない。保安課長はコロニー人だが、幽閉中の局長を祭りの日限定で遊びに行かせたことを長官に知られたくなかった。
 リン長官が咳払いした。

「以前にも公表したと思うが、ハイネ局長は病気療養中だ。」
「インタビューも出来ない程悪いのですか?」

 ケンプフェルトは引き下がらない。
 リン長官はクーリッジをまた見た。ハイネを呼ぶべきだろうか? と目で問うたが、クーリッジはハイネが外出していると思っているので、長官の期待には添えない。だから、面会させられないと言おうとした。
 するとケンウッドの背後でハイネ局長の声がした。

「ここの執政官はクローン達を大事に扱っていますよ。」

   白雪姫とアルテミスがギョッとして戸口を振り返った。Tシャツにコットンパンツ姿のハイネが立っていた。大急ぎで着替えたのだろう、髪が少し乱れて、唇もまだほんのり赤く紅が残っている。しかし、2人の幹部執政官よりケンプフェルト記者の驚きの方が大きかった。

「本物のローガン・ハイネだ!」

 彼は机の上のカメラに手を伸ばした。クーリッジの部下が素早く彼の手を押さえた。

「撮影禁止と言っただろう!」

 保安課員はコロニー人と雖もルールを破る者には容赦しない。ジャーナリストが抗議した。

「彼は最近2年間祭りに出てこなかった。巷では死亡説まで流れていたんだ。ここで撮影しなければ生存の証拠画像が撮れないじゃないか!」

 ケンウッドは後ろを振り返ってハイネ局長を見た。ハイネが肩をすくめ、長官は白雪姫の厚塗り化粧の下で顔をしかめた。クーリッジの方はホッとして肩の力を抜いていた。

「規則に従って頂きたい。ここは撮影禁止だ。」

 クーリッジがきっぱりと宣言した。

「子供達が神経質になってしまう。撮影は広場の方でお願いする。」
「何を撮影したんです?」

 ハイネが机に歩み寄り、ケンプフェルトのカメラを手に取った。慣れた手つきで再生ボタンを押し、記録画像を眺め、更にボタン操作をして、データ初期化を押した。ケンウッドはカメラの画面に「初期化終了」のメッセージを読み取り、リン長官もそれを見た。長官が呟いた。

「でかしたぞ、ハイネ。」

 ケンプフェルトが怒りで赤くなった。しかしハイネは一向に気にせずに、彼を無視して長官に向き直った。

「捕まえた時に直ぐにデータを消して広場に叩き出してしまえば良かったのです。いちいち言い分を聞いていたら、現在ドーム内にいるマスコミ連中全員を相手にするはめになりますよ。」
「次はそうする。」

 ドーマーに諭されて、白雪姫はブスッと応えた。
クーリッジが部下に命じてケンプフェルトを会議室の外へ連行して行った。記者が「権力者の横暴だ」と喚いていたが、すぐに静かになった。麻酔薬を打たれたのだな、とケンウッドは思った。祭りが終わる迄、ケンプフェルトは眠っているだろう。
 ハイネがリン長官に軽く黙礼して出て行こうとした。大人しく幽閉されている部屋に戻るつもりだ。長官が「局長」と呼び止めた。

「折角の休日だ。私のアパートに来ないか? これからのドームのことを2人でゆっくり話合いたい。」

 ケンウッドは小さく首を振った。長官執務室ならわかるが、アパートの私室とは奇妙な場所に誘うものだ。ドームの居住区にあるアパートは、監視カメラだらけのドームの中で唯一プライバシーを守れる場所だ。逆に言えば、中で犯罪が行われても防ぎようがない。
 長官嫌いのハイネがそんな誘いに応じる訳がない。問題はどうやって断るかだ。

「お誘いは有り難いのですが・・・」

とローガン・ハイネ・ドーマーは言った。

「保安課員に頼んでクワトロ・フロマージュの特大サイズを買いに行ってもらっているのです。もうすぐ戻って来るはずですから、チーズが固まらないうちに食べたいと思います。
それでは、失礼。」

 彼は部屋を出る際にケンウッドと目を合わせた。「来い」と言われたような気がして、ケンウッドは慌てて長官に「では、表彰式で」と言い、部屋から足早に出た。





2017年7月18日火曜日

侵略者 6 - 10

 ケンウッドはキーラ・セドウィックに尋ねた。

「侵入した不審者とは女ですか?」
「いいえ。」

 キーラが固い声音で答えた。

「男です。パスらしき物を首から提げているから、宇宙から来た人間でしょう。」

 その時、ハイネのローブのポケットの中からも緊急信号が聞こえた。ハイネは保安課から持たされていた連絡用の端末を出した。彼が名乗ると、保安課が何かを彼に告げた。
ハイネはちらりとピッツァの屋台を見てから、「すぐ戻る」と返事をした。
 ケンウッドもキーラに

「私が様子を見に行きます。それから、彼は今日は給食がないので、私と一緒に食べ物を探していました。」

と告げて安心させた。
 2人は空になった食器を返却ブースに置いて観察棟に向かって歩き始めた。中央研究所、観察棟、出産管理区の入り口は一般のコロニー人は立ち入り禁止だ。規制線が張ってあるのだが、無視して入り込んだ人間が居たのだ。
 歩きながらケンウッドはハイネに仮装の衣装や化粧品はどの様にして調達したのか尋ねた。すると返答内容は簡単だった。お祭りなので、保安課は例年の如くクローンの少年達も楽しませる為に女装道具をあらかじめ準備してあったのだ。だから少年達の数人は女装して遊びに行っている。ハイネも体格に合わせた服を用意してもらって化粧もしてもらったのだ。この日は女装している方が観光客に見つからずに安全に過ごせるからだ。
 観察棟の前迄来て、ハイネが立ち止まった。ケンウッドも足を止めた。白雪姫姿のリン長官と狩人姿のアルテミスに扮した保安課長クーリッジが一足先に観察棟に入って行くのが見えたからだ。彼等も保安課員に呼び出されたのだ。
 ハイネがケンウッドに囁いた。

「先に入って下さい。私は保安課の詰め所で衣装を返して化粧を落としてから戻ります。」
「私も化粧を取るよ。」

ところが

「駄目です、貴方は執政官だ。夜の表彰式迄その姿で居なければなりません。」

 ハイネがニヤニヤしながら断言した。ケンウッドは抗議した。

「何故君だけが男に戻れるんだ?」
「私はドーマーですから。」

 ハイネは声を落とした。

「それに、先刻貴方は私にキーラ・セドウィック博士に化けたのかと訊かれた。それなら、サンテシマにこの姿を見せる訳にはいきません。」

 それはどう言う意味なのか。ケンウッドはもっと突っ込んで尋ねたかったが、時間はなかった。
 ハイネと別れて、ケンウッドは観察棟に入った。顔馴染みの執政官なので、入り口をガードしていた保安課員には顔パスで通れた。彼は保安課員に尋ねてみた。

「侵入者は捕まえたのか?」
「はい、奥の会議室で取り調べ中です。」

 それでケンウッドは会議室に行ってみた。

2017年7月17日月曜日

侵略者 6 - 9

 ケンウッドは女装したローガン・ハイネ・ドーマーを捕まえた。腕を掴んで近くのベンチに誘導し、座らせた。ハイネはチーズケーキが冷えて固まってしまうのを恐れて、素直にそこに腰を下ろして食べ始めたので、取り敢えずケンウッドも近くでソーセージや野菜をクレープで巻いた物を買って来た。隣に座って検めて見ると、女装したハイネはキーラ・セドウィック博士にそっくりだった。それでケンウッドはさりげなく質問した。

「誰の仮装をしているんだね?」

 するとハイネは食べ物から目を離さずに答えた。

「アン・シャーリーですよ、赤頭巾ちゃん。」
「そうなのか・・・私はてっきりキーラ・セドウィックに変身しているのかと思った。」

 何か反応するかと期待したのだが、ハイネは動ぜず、

「セドウィック博士は物語に登場しませんよ。」

と言った。

「誰が見てもわかる人物にならなければ仮装の意味がありません。」
「そうだったかな・・・しかし、今日仮装するのは執政官であって、ドーマーではないだろう?」
「ドーマーの姿では観察棟から出られませんからね。」

 遂にハイネは「脱走中」であることを白状した。
 よくも保安課は彼の外出を見逃したものだ、とケンウッドは呆れた。保安課員達はドーマーだから、ハイネの味方だが、もし彼を外に出したことを長官に知られれば懲罰を受けるだろう。

「君がここに居ることがリン長官にばれたら・・・」
「かまいませんよ、今日は給食がないのですから。」
「えっ?」
 
 驚くケンウッドに、ハイネは春分祭の特別ルールを教えてくれた。

「収容されているクローン達も健康状態に支障がない限りは、この祭りの間外出許可が出るのです。重症の子供にだけ出産管理区の方から給食が届けられます。動ける子供達と私には給食がないので、こうやって食べ物を探して徘徊しているのですよ。」

 チーズケーキを平らげてしまったハイネは、まだ足りないのだろう、次はピッツアの屋台の方を見た。ケンウッドは彼を牽制した。

「チーズの食べ過ぎは良くない。」

 ハイネが反論しようとした時、ケンウッドの端末に緊急信号が入った。ケンウッドは皿をベンチに置いて端末を取り出した。緊急信号を発したのは、出産管理区のキーラ・セドウィックだった。 彼は彼女に電話を掛けた。

「ケンウッドです。どうかしましたか?」

 キーラが言った。

「ローガン・ハイネの部屋に不審者が侵入したわ。ハイネの姿が見えない。」

 彼女は縫いぐるみの目を通してハイネの部屋を監視しているのだ。視野が限られているので、ハイネの位置がわからず不安を抱いたのだ。
 それにしても、不審者とは?





侵略者 6 - 8

 ドームの中で暮らしていると、雨は無縁だ。コロニー人にとっても雨は無縁だが、ドームでは外の世界がそのまま見えているので、壁の外が土砂降りだったり、雷雨だったりすると、濡れないし音も聞こえないのだが、空が暗くて鬱陶しさは感じられる。
 ドーマー達は雨の日が嫌いだ。昼間なのにドームの中が薄暗いし、稲妻は綺麗だが不安をかき立てる。内勤のドーマー達がそんなだから、外勤のドーマー達はなおさらだ。彼等は実際に雨に濡れるし、風に吹き付けられる。激しい雷鳴も聞く。
 その年の春分祭はよりにもよって大雨だった。ドーマー達の多くはこの日に休みをもらう。どうしても仕事の手を休められない部署は当直が籤で決められる。春分祭は1年で一番馬鹿馬鹿しいお祭りだ。男性執政官が女装して、ドーマー達が一番の「美女」を投票で決めるのだ。これは地球上の全てのドームで行われるので、宇宙にもテレビ中継される。
男性執政官全員が女装を義務付けられているので、ドーム長官と雖も逃げられない。テレビは「変身前」と「変身後」を見せて視聴者の笑いを誘う。
 しかし、視聴者の一番の楽しみはドーマーと呼ばれる地球人を見ることだ。強い子孫を残す為に選ばれた健康な男性達の筋肉美を、重力の弱い世界で生きる人々は羨望の目で見ている。
 アメリカ・ドームでは、最近新しいスターが誕生した。ポール・レイン・ドーマーだ。女性も羨む輝く様な美貌で、しかも・・・愛想が悪い。つんとした生意気な印象が女性に人気がある。当人は嬉しくないのだが、テレビカメラが彼の後ろをついて廻る。

「どうして俺が追いかけられるんだ?」

と彼は弟分のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーに愚痴った。

「女装した執政官を見るお祭りだろうが!」
「だけど兄さん、ローガン・ハイネ・ドーマーがいないんじゃ、兄さんが注目を集めても仕方が無いですよ。」
「だから、なんで俺なんだよ?」

 ケンウッドは赤頭巾ちゃんになっていた。本当は猟師か狼で良かったのだが、それでは女装にならない。幸いなことに、赤頭巾ちゃんは他に3人いたので、落選する確率が高かった。女装で表彰台に上がるのは御免だった。
 リン長官は白雪姫だ。この男も女装は好きでないのだが、義務なので化粧してドレスを着ている。かなりグロテスクな白雪姫だった。
 テレビ局は複数来ていたが、長官のインタビューはどこも短い時間しかとらなかった。あまり面白くない人物だと思ったのだろうし、長官も相手にして欲しくないオーラを発していた。
 ケンウッドはイオTVのスタッフがハンディカメラで撮影して廻っているのを見かけた。この木星コロニー系のテレビ局は執政官を殆ど撮影しないでドーマーばかり撮すので女性視聴者を多く掴んでいる。ケンウッドが見つけたスタッフは誰かを探している様子だった。誰を探しているのかは、すぐにわかった。白いウィッグを付けた執政官に駆け寄って行き、がっかりした顔で離れて行ったからだ。

 ハイネは3年連続でこの祭りから遠ざかっているからな・・・

 長年の人気者がカメラの前から姿を消してしまい、ファンからブーイングが起きているのだ。コロニー人達はハイネが高齢であることを知っている。進化型1級遺伝子で若さを保っていることも知っている。それなのにカメラの前に出てこないのは、何か深刻な病気なのではないのか、とあながち外れでもない推測が飛び交っているのだ。
 リン長官の無愛想も、これが原因だった。コロニー人の不手際で地球人を恐ろしい病原菌に感染させてしまったことを世間に暴露されたくない。人気者を幽閉していることを知られたくない。そして自身が若いドーマーに手を出していることを告発されたくない。
 ドーム内は賑やかだった。テレビクルーだけでなく、一般のコロニー人も女装大会に参加費を払えば参加出来るので、大勢の観光客が来ている。彼等は勿論ビジターパスを首から提げており、ドーム内の通路や食堂は日頃の数倍の人間で溢れかえっていた。
 食堂は休みで、と言ってもドーマーは家事をしないし、コロニー人はドームの外に出るには別の許可証が必要なので、屋台が出ている。女性執政官やお祭り好きのドーマー達が自身で料理した物を販売する。春分祭の間、食事はこれらの屋台が頼りだった。
 ケンウッドは空腹を覚えたので、いくつかのフードブースが並んでいる一画に脚を向けた。どのブースも大盛況だ。何を食べようかと考えていると、香ばしい香りが鼻をくすぐった。チーズが焼ける匂いだ。匂いがする方向を見ると、若いドーマーがパンケーキの上に平たいチーズを載せてバーナーで炙っていた。彼の前に背の高い赤毛の女性が立っており、チーズが溶けるのをまだかまだかと待っていた。ケンウッドは彼女の後ろに並び、それから彼女の体格を見て、男だと気が付いた。頭からざっくり被って着るスモッグの様な長いローブを身につけ、長い赤毛の鬘を被ってサングラスを掛けている。綺麗な横顔だが、ケンウッドより身長が高い。

 こんなでかい女がいるものか・・・

 ブースのドーマーは丁寧にチーズを炙り、とろとろに溶かしてからコテでパンケーキを皿に取って、セラミックのナイフとフォークを添えて「彼女」に渡した。「彼女」がドーム内でのみ通用するカードを手渡し、ドーマーがリーダーに掛けた。カードは無事に通った。しかし、ドーマーは表示された画面の内容を見て、一瞬固まった。何か問題でも? とケンウッドが不審を覚えた時、赤毛の「彼女」が声を掛けた。

「早くしてくれないか? チーズが固まってしまう。」

 ケンウッドはギョッとなった。その声は・・・

「ハイネ?」

 ブースのドーマーが「彼女」の顔を見た。

「やっぱり?」

と彼が呟いた。「彼女」が指を自身の唇に当てて、「しーっ」と合図した。そしてカードを返してもらうとチーズケーキの皿を持って立ち去ろうとした。ケンウッドは慌てて追いかけた。

2017年7月16日日曜日

侵略者 6 - 7

 ケンウッドはキーラ・セドウィック博士のグレーの目を見つめた。少し青味がかった綺麗な薄いグレーの目だ。細身のきりりと鼻筋の通った顔、意志の強そうな締まった唇。
彼は突然、ドキッとするものを感じた。

 この女性はハイネに似ている・・・

 彼はその感想を言わずに、推理したことだけを言葉に出した。

「ハイネに贈った熊の縫いぐるみの中に監視装置を仕組みましたね?」

 ぐっと彼を見返したキーラ博士の顔が不意にニコッと笑顔になった。

「見破られましたわね。」
「ハイネ局長があの熊をずっと壁に向けて置いていたので、熊に室内の様子を見せたくないのだろうと思いました。盗聴器も仕掛けていたのですね。」

 キーラ博士はイエスとは言わず、ただニコニコしているだけだ。ケンウッドは推理の続きを語った。

「あの縫いぐるみは、局長の監視ではなく、局長に近づく人間を監視しているのでしょう? 私達3人組が彼に対して悪さをしていないかどうか、見る為に。」

 キーラ博士はさらに笑を大きくした。笑うと、この出産管理区の女帝はとてもチャーミングだ。

「貴方がた3人だけを監視しているのではありませんことよ、ケンウッド博士。ハイネ局長は長官室に居る悪い病原菌に何時何を仕掛けられるかわかりませんからね。」

 リン長官を病原菌呼ばわりする話は以前にも聞いたことがあった。ローガン・ハイネ・ドーマーが、同じ部屋の弟、ダニエル・オライオン元ドーマーに職務上の愚痴をこぼした時に使ったのだ。ハイネはキーラにも同じ愚痴をこぼしたのか? それともキーラがその言葉を「発明」してハイネに教えたのか?

「我々3人は、その病原菌に感染したつもりはないのですが。」

とケンウッドが言うと、キーラ博士は首を振った。

「その様ですわね。ローガン・ハイネは貴方がたを心から信用しているみたいです。」
「貴女は私達を信用して下さらないのですか?」
「ケンウッド博士、貴方は堅物で通っていらっしゃるわ。」
「それはどうも・・・」
「でもパーシバル博士は美男子好きですわよねぇ?」
「彼は確かにポール・レイン・ドーマーのファンクラブを主催していますが、レインを長官から守るのが目的です。同様に他の若いドーマー達の相談にも乗っています。美男子好きと言っても、長官とパーシバルの仲間は方向が違いますよ。」
 
 ケンウッドは素手でドーマーに触れた女帝にきっぱりと言った。

「パーシバルは、ハイネ局長と同じ感染事故に遭い、局長と仲間意識を持っているのです。私は同じ場所に居たにも関わらず、ハイネの咄嗟の機転で感染せずに済みました。ヤマザキはハイネの主治医で、医者が患者に思い入れを持つのはよくあることです。
 我々は命の恩人であり、友人であるハイネ局長を1日も早くあの部屋から解放したい、それだけです。」

 キーラ博士は暫く黙って彼を見返していた。そして、黙ったまま頷いた。
 彼女は膝の上のナプキンを折りたたみ、テーブルの上のトレイの端に置くと、立ち上がった。

「あの熊ちゃんが何か不穏な気配を嗅ぎ取って送信して来たら、貴方がたの何方かにお知らせするわ。私は妊産婦を放り出して駆けつけることが出来ませんから。」

 彼女はトレイを持ち上げた。

「ローガン・ハイネをよろしくお願いしますわ、ケンウッド博士。」

 彼女は結局自身と局長の関係には一言も触れずに去って行った。

侵略者 6 - 6

 観察棟のモニター室で、ケンウッドはパーシバル、ヤマザキと共に衝撃的な映像を見た。ペルラ・ドーマーはモニター室の前まで来たものの、何故か怖じ気づいてしまい、入室しなかったので、映像を見ていない。モニター室にいた保安課員は見たはずだが、見なかったと言い張った。クローン達を見るのが役目で、局長の夜間の監視は異常がない限り特にしないと言うのだ。しかしケンウッドは、それが異常でないと言い切れないだろうと思った。
 モニターの記録再生は、ハイネ局長が独りで夕食を終え、1時間休憩した後から始まった。
 ハイネは室内に置かれた健康器具で運動を始めた。ヤマザキに作ってもらったメニューに従って筋トレや柔軟運動などをして汗を流した。ヤマザキは彼が運動をしている途中で休憩をはさまないことを心配したが、彼は1時間経つとやるべきことをやってしまい、シャワーを浴びるつもりなのだろう、バスルームに向かった。そして、カーテンを目前にしていきなり床に崩れ落ちた。
 ヤマザキが「あーあ」と溜息をついた。

「だから休憩をはさみなさいと言ったのに。」

 ハイネは床に横たわり、そのまま眠り込んだ。汗をかいた直後だから体を冷やさないかと、前日のことながら3人のコロニー人の博士達は心配した。
 ハイネが倒れて10分後、部屋の入り口が開いて、女性が入って来た。キーラ・セドウィック博士だったので、一同は仰天した。彼女は勤務時間が終わったらしく私服姿で、片手に大きなショッピングバッグを持っていた。大きさから言って、あの熊のぬいぐるみが入っているのだろうと推測された。
 キーラはハイネの姿が見えなかったので、一瞬戸惑い、そしてバスルーム直前で倒れている彼を発見した。
 彼女は騒がなかった。慌てもしなかった。ショッピングバッグを近くに置かれた秘書机の上に置くと、ハイネに歩み寄った。端末でさっと走査して彼がただ眠っているだけだと確認する手際は、いかにも出産管理区で30年と言う長きにわたって勤務してきたベテランのものだった。
 彼女はベッドから枕と上掛けを持って来て、彼の体が冷えないように掛け、楽な姿勢になおしてやって、自身は近くの椅子に座った。あまりにも慣れていたので、ヤマザキは思わず監視室のドーマーに、キーラ博士は既に何度か来ているのかと尋ねた。しかし、答えはノーだった。セドウィック博士が来られたのは昨夜が初めてです、と彼等は異口同音に証言した。もし何度も来ていたのであれば、あんなに派手に美しい女性が通って来るのだから、収容しているクローンの少年達も気が付くだろう、騒ぐだろう、と言うのだ。
 半時間後、ハイネが目を覚ました。彼は枕と上掛けに気が付き、自身が何処にいるのか悟ると一瞬不思議そうな表情をした。それから顔を上げて、椅子に座って彼を見下ろしている美女を見つけた。彼は体を起こしながら言った。
ーーおや、キーラ、君か・・・久し振りだな。
 
 ケンウッドは思わず隣のパーシバルと顔を見合わせた。それからヤマザキをも見た。どちらも彼同様驚いていた。

「ハイネがコロニー人を名前だけで呼んだぞ!」
「博士を付けないのか?」

 キーラ博士は微笑んで返事をした。
ーーローガン・ハイネ、貴方が消えてからもうすぐ2年経つと言うのに、まだ私を覚えてくれていたのね。

 ケンウッドは冷や汗をかいている自分に気が付いた。この会話は何を意味しているのか?
 ハイネは立ち上がりもせず、床の上に座ったままで彼女を見上げた。
ーー何をしに来たんだ? また要注意遺伝子を持つ子供が生まれでもしたか?
ーーそう言う報告があれば昼間にしているわ。
 彼女はカーテンを指さした。
ーーシャワーを浴びたら? そのつもりだったのでしょう?
 ハイネは、はいはいと言いたげに首を振って立ち上がり、カーテンの向こうに入って行った。キーラ博士は彼がシャワーを浴びている間に枕や上掛けをベッドに戻し、衣装ケースをベッドの下から見つけ出して彼の着替えを用意してやった。しかし、カーテンの向こうから戻って来たハイネは観察棟の係官が置いて行った寝間着を身につけていた。
 あら、と彼女はがっかりした顔をした。
ーーまた寝るの?
ーー夜は寝ることにしている。
 ハイネはベッドの縁に座った。キーラが彼の隣に座った。
ーーそれで? 体の調子はどうなの?
ーー良好だ。後遺症さえなければ外に出てもかまわないのだが。
ーーここに居るのは、貴方自身の意志なの?
ーーいや、私は医療区に居たかった。あちらは部下の面会が自由だからね。ここに居るのはサンテシマの希望だ。

 パーシバルが咳払いした。遺伝子管理局長がドーム長官をファーストネームで呼び捨てにした。ハイネはリン長官を確実に「格下」と見なしているのだ。
 ヤマザキが呟いた。

「あの2人はかなり親しい間柄の様だな・・・」

 ちょっとつまらなそうだ。「僕等のドーマー」に秘密のガールフレンドが居たことがショックなのだろう。
 
 キーラ博士がまた尋ねた。
ーー執政官から悪さをされていない?
ーーどんな悪さだ?
 ハイネが笑った。キーラが真面目な顔で言った。
ーー中央研究所のヘンリー・パーシバル、ニコラス・ケンウッド、それに医療区のヤマザキ・ケンタロウが貴方をペットにしていると言う噂が流れているわ。
 ハイネが笑いながら首を振った。
ーーそれは、サンテシマの一味が流しているデマだろう? 君だってわかっているはずだ。あいつ等は私から友人達を遠ざけたいだけなのだ。
 キーラは笑わず、
ーーあの3人がどれだけ役に立つか、見ているわ。
と言った。するとハイネが
ーー友達を利用してはいけないよ、キーラ。
とやんわり諭した。
 キーラは彼を優しく抱きしめ、彼の顔にキスをした。何故か唇以外の場所をくまなくキスした。ハイネは全く抵抗せずに彼女にやりたい放題させていた。

 パーシバルが髪をかき乱した。

「これって・・・地球人保護法違反だよな?」
「だが、ハイネは嫌がっていない。」

 3人は思わず顔を見合わせた。

 キーラ・セドウィック博士はローガン・ハイネ・ドーマーの恋人なのか?

 キーラは手袋さえしていなかった。ハイネがシャワーを浴びている間に外してポケットに入れたのだ。
 彼女はショッピングバッグから熊の縫いぐるみを出して、彼に渡した。
ーーお見舞いよ。私だと思って大事にしてね。
 そして最後に彼女自身の指先にキスをして、その指で彼の唇に軽く触れた。立ち上がり、手袋をはめ、くるりと体の向きを変えるとさっさと部屋から出て行った。
 残されたハイネは熊の縫いぐるみを抱き上げ、しげしげと眺めた。それから無造作にベッドの端に置くと、ごろりと寝転がった。






2017年7月15日土曜日

侵略者 6 - 5

 翌朝、ケンウッドはアパートを出て中央研究所の食堂へ向かった。中央研究所の食堂は広い。その8割は「聖地」出産管理区に属しており、ドーム住人の場所とはマジックミラーの壁で仕切られている。研究所側からは出産管理区の女性達の食事風景が見られるが、反対側からは見えない。四季折々のアメリカの大自然の風景の映像が流れているだけだ。
研究所側は、別に女性の姿を愛でる目的で見ているのではない。妊産婦達の健康状態を食事をする様子で観察しているのだ。どこか様子がおかしいと思えば、すぐに壁の向こう側に連絡をする。連絡は執政官でもドーマーでも、誰もが出来る。体調の悪そうな女性がいるテーブル番号と女性の特徴を告げれば良い。直ぐに係のドーマーが駆けつけ、声を掛ける。
 ケンウッドはドーマー達が利用する一般食堂の方が好きで、執政官の朝食会がなければ必ずそちらへ行く。しかし今朝は目的があったので中央研究所の方へ行った。
 早い時間だったので、壁の向こう側は人数が少なく、こちら側もパラパラとしか人がいなかった。ケンウッドが会いたい人は、壁の近くで食事をしていた。
 軽くカールした赤毛を長く伸ばして、ちょっと流行に後れた感じのデザイン服を着た50代半ばのスリムな美女が、シリアルにミルクを掛けていた。執政官の50代だから外の地球人には30代から40代に見えるだろう。いや、彼女はその美貌からもっと若く見てもらえるかも知れない。
 ケンウッドは彼女のテーブルの横に立った。

「おはようございます、セドウィック博士。同席してよろしいでしょうか?」

 赤毛の女性は彼を見上げた。

「あら、貴方は中央研究所の・・・」
「ケンウッドです。ニコラス・ケンウッド、皮膚の老化の研究をしています。」
「おはようございます、ケンウッド博士。どうぞ、おかけ下さい。」

 にこやかに微笑んで見せるが、彼女の意識の半分は壁の向こうにある。キーラ・セドウィック博士は、出産管理区の責任者だ。「聖地」を守っている重要な役職だ。ドームのこちら側の住人は執政官と雖も彼女の機嫌を損ねるとここに居られなくなると言われている。長官も彼女には意見を言えない。彼女は事実上ドームの女帝だった。
 ケンウッドは彼のトレイをテーブルに置き、食事を始めた。彼女ももりもりと食べている。彼はどうやって切り出そうかと考えていた。何を言っても彼女を怒らせる様な気がした。
 食事が終わりかける頃、やっと彼女の方から声を掛けてきた。

「考え事をしながら食べても体の為になりませんことよ、ケンウッド博士。」
「そうですか?」
「私に何のご用ですの?」

 ケンウッドは手を止めた。彼女を見ると、女帝はグレーの目で彼をじっと見ていた。

「こんなにテーブルが空いているのに、わざわざここにいらしたのですもの、私に何か仰りたいことがあるのでしょう?」

 ケンウッドは覚悟を決めて、フォークとナイフを置いた。

「セドウィック博士・・・」
「キーラと呼んで下さい、私の姓は発音しにくいでしょう。」
「では、キーラ博士、貴女の機嫌を損ねることを申しますが・・・」
「勿体ぶらないで。」

 ケンウッドは深呼吸してから、言った。

「ドーマーをペット扱いするのは良くありません。」

 彼は彼女に平手打ちを食らうことも覚悟していた。しかし、キーラは彼をじっと見つめたまま。珈琲を一口飲んで、口元をナプキンで拭ってから言った。

「あれからモニター室に行かれたのね。」
「え?」
「男4人であれを見たのでしょう?」
「・・・」



侵略者 6 - 4

 ペルラ・ドーマーが火傷を負った過去から意外な方向へ話が向かったが、ドーマー達が話せるのはそこまでだった。常軌を逸してしまった執政官サタジット・ラムジーは30年前に姿を消し、彼が創ったかも知れない古代人の胚は実在の確認も取れぬまま人々の記憶から忘れ去られていた。
 遠い過去の話を語ったローガン・ハイネ・ドーマーは少し疲れたのか、暫く黙ってテーブルに両肘を突き、組んだ手の上に顎を載せて目を閉じていた。腕がしっかり立っているので昏睡しているのではない、とヤマザキ医師は判断した。彼はペルラ・ドーマーの診断結果を当人に手渡し、マッサージ室の予約を取るサイトを紹介した。
 パーシバルは何気なく室内を見廻しながら、ハイネに質問した。

「君の古巣の内務捜査班は君がここに閉じ込められているのに捜査に乗り出さないのか?」

 サンテシマ・ルイス・リン長官がしていることは不正研究ではないが、立派な人権蹂躙だ。するとペルラ・ドーマーがパーシバルにちょっと怒った表情を作って見せながら言った。

「その件に関しては、執政官の貴方に私達の口からは何も申せません、博士。」

 つまり、捜査中と言う意味だ、とケンウッドは思った。人権蹂躙は証拠集めが大切だ。内務捜査班はきっとドーマー達から証言を集めるのに苦労しているだろう。リンと彼のシンパは手を付けた贔屓のドーマー達に「褒美」を与えて懐柔している。優遇してもらっているドーマー達は後ろめたいので証言を躊躇う。リン達は汚い手を使っているのだ。ハイネも自身が不当に幽閉されていると言えば済むのだが、療養中だと自らドームの住人に誤魔化してしまっている。リンはまだハイネが1日のうちに4,5回は短時間の昏睡状態に陥ることを知っているのだ。ヤマザキもコートニーもハイネを医療区に留め置きたかったのだが。
 パーシバルは執政官に実態を知られていない内務捜査班の存在が不安でならない。不正研究をしていないのだから捜査対象にならないはずだが、彼にはポール・レイン・ドーマーのファンクラブと言う組織があって、それを地球人類復活委員会に報告されればどう受け取られるかと心配していた。
 室内をキョロキョロしていた彼は、突然ハイネのベッドの上に置かれた意外な物を発見した。

「ハイネ、君は縫いぐるみを抱いて寝る習慣があるのか?」

 え? とケンウッド、ヤマザキ、そしてペルラ・ドーマーまでもがベッドを見た。
 確かに、茶色の身長50センチほどの縫いぐるみの熊がこちらに背中を向けて座っていた。
 ハイネが目を閉じたまま答えた。

「抱いて寝たりしませんよ。そこに置いてあるだけです。」
「だが、君の宝物なんだろ? そこにあるってことは・・・」
「違います。」

 ケンウッドはペルラ・ドーマーを見た。秘書は毎日朝食の後から夕食の直前まで局長に付き添っている。上司が昏睡状態に陥りかければ素早くベッドへ誘導するし、ハイネが眠っている間に部下が面会を求めて来れば代理で応対する。昼食に食堂へ行く時間を除けば、常に局長の傍らにいるのだから、ハイネの習慣は知っている。その秘書も驚いているのだ。

「昨夕、私が帰る時はその熊はありませんでした。今パーシバル博士が指摘されるまで気が付きませんでした・・・」

 彼の声が弱くなっていった。夜中にこの部屋に入った人間がいる。保安課員がこんな物を持ってくると思えないので、夜中に秘書が知らない訪問者があったのだ。そして局長は黙っていた・・・?

「ハイネ」

とケンウッドは言った。

「君の安全に関わる問題だ。君が知っている人間が夜中に来たのだと思うが、私達に教えてくれないか? 日中君を守っているペルラ・ドーマーの面目が立たないだろう?」

 ハイネは沈黙している。言いたくない相手なのか? ケンウッドは彼自身も言いたくなかったが脅しを賭けてみた。

「君が言わないのなら、これからペルラ・ドーマーも一緒にモニター室で昨夜のこの部屋の記録を見てくるぞ。」



侵略者 6 - 3

 「サタジット・ラムジーと言う遺伝子学者は、不幸な経歴を持っていました。」

 とハイネが語り出した。

「彼の妻は結婚後3年目で病死しました。とても仲の良い夫婦だったそうです。2人の間には1人息子がいて、ラムジーは妻の死を深く悲しみましたが、息子の為に身を粉にして働いたそうです。研究者ですから、収入もそれほどではなく、子供の養育費も馬鹿にならなかったでしょう。しかし彼は立派に息子を育て上げ、自身も地球人類復活委員会に招かれ、職を得ました。地球で働くことは、コロニーの科学者の世界では出世コースなのだと聞きましたが?」

 ハイネが問いかけるようにテーブルの周囲に座った博士達を見廻した。ケンウッド達は互いの顔を見合わせた。

「どうだろうね?」
「まだコロニーに帰っていないから、何とも言えないよ。」
「まぁ、ドームの中に居る限り、そんなに自分の金は使わないから、貧乏はしないなぁ。必要経費が通ればお金は使い放題だし。」
「使い放題は言い過ぎだろう。」

 ケンウッドはハイネを見て、話の先を促した。それでハイネは続きを語った。

「ラムジー博士はクローン製造部門で働いていました。私は彼とは中央研究所の通路や食堂ですれ違う時に挨拶する程度で、付き合いはありませんでした。恐らくペルラ・ドーマー達局員も直接彼と口を利く用事はなかったはずです。」

 ペルラ・ドーマーが首を振って同意した。

「ラムジーの息子は航宙貨物船の乗員として働き始め、5週間に1度ドームの荷物を届ける際には、ラムジーは送迎フロアへ会いに行っていたそうです。その息子が乗った貨物船が事故を起こしました。船は救助信号を発した後、太陽の引力で引きずられ、人間の手では何も出来ない距離まで流され、やがて消滅しました。」

 どんな事故だったのかドーマー達には知らされなかった。だからハイネは事故の話はそれ以上語らなかった。

「ドームはラムジー博士に休暇を与え、博士は木星コロニーに帰っていましたが、息子の遺体のない葬儀を済ませると早々にドームに戻って来ました。そして寂しさを解消させるかの様に業務に励みました。彼の研究室の人々は、働くことで博士の気が紛れるのであればと思っていたそうです。」
「ところがラムジーは死体から細胞を盗んできてはクローンを造ろうとしていた?」
「そうです。彼は息子の代用を造ろうとしていたのでしょう。」

 事件が発覚してラムジーが逃亡した後、当時内務捜査班に所属していたハイネは中央研究所のラムジーの研究室やアパートを捜索した。ラムジーが残した資料を検証し、彼の研究がどこまで進んでいたか調べたのだ。

「死体からクローンを製造する技術は新しいものではありません。地球で現在生活している野生生物の多くは1度絶滅したのです。それを博物館や多くの在野の収集家が所有していた標本から再生させクローンを増やし、復活させたのです。ただ、人間は倫理や宗教の問題があって、禁止されています。どんなに亡くなった子供が愛しくても、復活させることは許されないのです。」
「それにラムジーの息子は宇宙船ごと燃え尽きたんだろ?」

 パーシバルが理解出来ないと呟いた。

「他人の細胞から造った子供は息子の代用ですらないのに。子供が欲しければ養子をもらえば良い・・・」
「ラムジーは自身の細胞と死体の細胞を組み合わせて息子を創ろうとしていたのですよ。」

 ハイネは秘書を見た。

「私は火傷を負って入院していたペルラ・ドーマーに会い、事情聴取をして、ラムジーがミシガン湖の畔で設けていた私設研究所の中の様子を聞き取りました。」
「大して記憶していなかったので、私はお役に立てませんでしたが・・・」

 ペルラ・ドーマーは微かに頬を赤く染めた。

「あの時、私は初めて局長と直にお会いして言葉を交わしました。」

 当時ハイネは既に50歳頃だった。外観は20代に見えただろう。執政官達から大切にされている、ドームの中では知らない者がいない有名な白い髪の美しいドーマーに病室に尋ねて来られて、30代のペルラ・ドーマーはド緊張したはずだ。
 ハイネはちょっと意外そうな顔をした。

「そうだったかな? 私はもっと前から君を知っていたと思ったが・・・」

 内務捜査班は遺伝子管理局の中でも異色の部門だ。ドームの中での犯罪、主に執政官の不正研究を捜査するので、普段は身分を明かさず、維持班や研究助手の中に混じって働いている。
 しかし、ローガン・ハイネ・ドーマーを知らないドーマーや執政官はいないだろう!
 ハイネはペルラ・ドーマーの近くで働いていた様な口ぶりだが、ペルラ・ドーマーはハイネがそばに居た記憶などない。
 ヤマザキがその件は無視することに決めて、ハイネに先を促した。

「それで、君の捜査でどんなことがわかったんです?」

 ハイネが溜息をついた。

「ラムジーは火星の人類博物館から貴重な古代人の細胞を盗み、胚を創っていました。」
「それは・・・?」
「古代人を復活させていたかも知れないのです。」

 ハイネは曖昧な言い方をした。確証が取れなかったのだ。ケンウッドはその話の重要性に気が付いた。

「古代人の胚? 古代人のクローンと言うことは・・・まさか・・・」

 ハイネが頷いた。

「ええ、女の子を生める人間だったかも知れません。」




侵略者 6 - 2

 死体クローン事件。 それは30年前に起きた犯罪だった。
ヘンリー・パーシバルは事件の概要は知っていたが当時は関心がなかったのでよく覚えていなかった。ヤマザキ・ケンタロウは医大で真面目に勉学に励んでいたので、事件そのものも覚えていなかった。ニコラス・ケンウッドだけが当時のことを記憶していた。
 火星にある地球人類博物館に保存されている4千年前の人間を傷つけた者がいた。古代人はアルプスの氷河から発見された成人男女1体ずつと男の赤ん坊の遺体だった。その赤ん坊の細胞を盗んだ者がいたのだ。警察の捜査で犯人が割り出された。地球のアメリカ・ドームで女性のクローン製造に携わっていた遺伝子学者サタジット・ラムジーだった。
地球側の捜査で、ラムジーが古代人だけでなく、ドームの外で捜査協力をしていた警察のモルグから死体の細胞をも盗んでいたことが判明した。ラムジーは汎宇宙連合で禁止されている死体からクローンを造る実験をしていたのだ。
 これは人類社会にとって大スキャンダルだった。死んだ人間からクローンを造る、神の領域を侵す大罪だと騒ぐ宗教団体や、死者から生まれた人間の遺産相続権はどうなるのかと法曹界で大論争にもなった。
 結局人類社会を大騒ぎにしただけで、論争の決着は曖昧に終わってしまったが、事件そのものも曖昧に終了した。
 サタジット・ラムジーがドームの外へ、地球の何処かへ逃亡し、行方知れずとなったからだ。 彼の消息はアメリカ大陸の東海岸でぷつりと途絶え、それきりだった。

「グレゴリー、君はラムジーを追跡したのか?」
「アメリカ・ドーム遺伝子管理局としては、自分のところのスキャンダルでしたから、局員総動員で追跡しました。しかし、ラムジーは見事に足跡を消してしまい、今もって発見されていません。」
「君の火傷はその時のものなのか?」

 するとペルラ・ドーマーは恥ずかしそうに語った。

「当時、私は北米南部班に所属する局員でした。同僚と2人1組でラムジーの立ち寄りそうな場所を探していました。ラムジーはまだ死体から盗んだ細胞を持ち逃げしている疑いがあり、遺伝子管理局としては彼の逮捕は勿論ですが、盗まれた細胞の奪還もしくは回収を命じられていました。外の警察もドームからの要請で動いていましたが、彼等は細胞の重要性を知りません。細胞を破壊される前にラムジーを見つけることが我々の使命でした。」
「でもラムジーは見つからなかった?」
「1度だけ、彼の手がかりをミシガン湖の近くの街で見つけたことがあります。そこは古い廃屋の様なビルでした。同僚は応援を待とうと言ったのですが、私は気が逸ってビルの中に入りました。応援と言っても、局員の仲間は全米に散開して捜査していたので、来るのは地元警察だとわかっていたからです。
 今思えば、私は単純だったのです。ラムジーはただ逃げ回り、隠れ廻るだけの愚かな学者と思えました。しかし、ラムジーは老獪でした。
 その古いビルは彼が事件が発覚する前から密かに持っていた彼の研究所だったのです。彼は自身の研究が奪われるのを恐れ、ビル全体に罠を仕掛けていました。敵が侵入すれば自動的にビルが自爆するような仕組みです。
 私は彼が仕掛けた罠に掛かり、迷路の様なビルの中で出口を見失ってしまいました。
ラムジーがビル内に仕掛けた仕組みが作動して火災が発生しました。ビルの最深部で爆発が起こり、煙が充満しました。私は煙の中を闇雲に走り回り、呼吸が出来なくなって床の上に腹ばいになって空気の確保を試みました。その時、天井が燃えながら落ちてきて、背中に当たったのです。
 私は床の上を転げ回って火を消そうとしました。しかし、煙の中ですから火が消える前に呼吸が困難になり、気を失いました。幸いなことに、同僚が私の端末の位置確認をして、救助隊と共に中に入り、私を発見してくれました。私が気を失ったと同時に見つけてくれたのです。さもなくば、私はあの場所で焼け死んでいたことでしょう。
 意識が戻った時、私は医療区のジェル浴室に中にいました。」

 パーシバルがからかった。

「それでジェル浴室の時からハイネの見舞いの手際が良かったんだな。」
「ヘンリー、グレゴリーをからかっては可哀想だ。彼はラムジー確保までもう一歩のところまで行っていた。優秀だよ。」
「有り難うございます、ケンウッド博士。でもラムジーがあの時あのビルの中に居たかどうか、今でもわかりません。彼の研究施設は綺麗に焼け落ち、実験道具の残骸が辛うじて鑑識の結果で見つかっただけです。勿論、盗まれた細胞がそこにあったのかどうかもわかりませんでした。」

 その時、不意に彼等の背後で声がした。

「ラムジーはそこでクローンを造っていた形跡があった。」

 一同はびっくりして振り返った。いつの間に起きたのか、ハイネ局長がすぐ後ろに立っていた。今日もTシャツとジーンズ姿だ。もう寝間着は飽きたのだろう。幽閉がドーム内に知れ渡ってから、遺伝子管理局の幹部クラスの部下達が時々職務上の面会を求めて観察棟にやって来る。局長が寝間着で面会するのは拙いだろうし、かと言って制服同然のスーツはまだ支給されていないので、ラフな私服姿になるしかないのだ。
 パーシバルはこの前の面会時からかなり時間を空けていたし、ハイネの私服姿は初めて見た。この美男子好きの博士は内心大喜びで彼を鑑賞した。
 ケンウッドが尋ねた。

「そう言えば、君は内務捜査班だったね。ラムジーの事件を捜査したのかい?」
「ええ、最初に事件を嗅ぎつけたのが、我々の先輩でしたから。執政官の1人が何やら頻繁に機材の出し入れや薬品の購入をしていたのに気が付いたのです。普通は一括購入する物ですから、個人で行うのは可笑しい、と睨んだ訳です。ラムジーがあまりにも堂々と帳簿の誤魔化しをしていたので、誰も気が付かなかったのです。」

 ハイネはペルラ・ドーマーを見て微笑んだ。

「君の話に割り込んで御免よ。」
「いいえ、かまいませんよ、局長。私が知っていることは全部話してしまいました。局長の方が事件の内容をよくご存じでしょう?」
「座りなさいよ、局長。また倒れられては、僕が困る。」

とヤマザキが自身の正面の席を指した。ハイネは苦笑して、「仰せの通りに」とテーブルを廻って空いている椅子に着席した。





2017年7月13日木曜日

侵略者 6 - 1

 アメリカ・ドームの中は微妙な緊張感が漂っていた。
 遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーが1年4ヶ月の長い眠りから覚めて、今はクローン観察棟に幽閉されている、と言う噂がドーマー達の間に広まっていた。誰が広めたのかわからない。ケンウッドもパーシバルも喋った覚えはない。執政官が己の立場を危うくする様な話を、例え事実であっても、ドーマー達に喋るはずがない。それに、ローガン・ハイネ自身が望まなかった。彼はドームの中の秩序が乱されることを嫌った。幽閉されていることは腹立たしいが、彼はまだ病身でいつ深い睡眠に陥るかわからないγカディナ病の後遺症に悩まされている。彼を神様みたいに尊敬し愛してくれている若いドーマー達の前で倒れる訳にいかなかった。彼は秘書を通じて、療養しているだけなので心配しないようにとドーム内ネット通信で呼びかけた。
 それでもなお、遺伝子管理局長がサンテシマ・ルイス・リン長官の手で虐待されていると言う噂が密かに流れていた。
 リン長官も噂を消そうと躍起になっていた。他の大陸のドームから遺伝子管理局宛の通信などが来ると、大急ぎで内容を検め、本部へ廻した。自身に不都合な内容は自身で返答を送った。この作業は遺伝子管理局に手伝わせる訳にいかない。リン長官はおかしな方向で多忙になった。
 執政官達は以前にも増して慎重にドーマーに接しなければならなかった。贔屓のドーマーを抱きしめたり、キスをしたりしていたファンクラブも、ただ取り囲んでご機嫌を取ったり、贈り物をする程度に自重した。誰かが月の地球人類復活委員会に告げ口するかも知れない。アメリカ・ドームではドーマーをペット扱いしている、と。

 ケンウッドとパーシバルはクローン観察棟のハイネの部屋を訪ねていた。ヤマザキ医師も一緒だった。彼等はハイネではなくハイネの第1秘書のグレゴリー・ペルラ・ドーマーの古傷の診断結果を持って来たのだ。そんな用事でもなければ訪問し辛い。リンに睨まれるのは平気なつもりだったが、ドーマー達からハイネを慰み者にしているのではないかと疑われるのは御免だった。
 ハイネは昼食後の昼寝をしていた。こま目に休息を取ることで後遺症の昏睡状態に陥る時間を減らす努力をしているのだ。ケンウッド達は今回の「患者」は彼ではないので、ペルラ・ドーマーを会議用テーブルに呼んで診断結果を報告した。
 ペルラ・ドーマーの古い火傷の痕に起こる不快な痛みは、やはり神経の先端の痛みだった。

「君は無意識に怪我をした体躯の左側を庇って行動している。だから身体に歪みが生じて筋肉に無理を強いているんだ。筋肉の歪みに末梢神経が反応していると思われる。」
「傷が治って長いですが・・・」
「癖になっているのだろう。これは病気とは言えない軽い病気だ。でも君は不快なのだろう?」
「ええ、疲れた時は特に・・・」
「医療区のリハビリセンターにプログラムを組んでもらってマッサージを定期的に受けると良いよ。健康維持はドーマーの仕事だ、遠慮なくリラックスして体をほぐしてもらえ。」
「有り難うございます。」

 ペルラ・ドーマーは面倒な病気でないと判明して、晴れ晴れとした表情になった。ヤマザキ医師がちょっと好奇心で尋ねた。

「一体その背中の火傷はどうして負ったんだね? ドームの中でそんな大きな事故があったのか?」

 ペルラ・ドーマーはちらりと昼寝中のボスを見た。そして博士達に視線を戻した。

「この背中の傷は、外で負ったんですよ。」
「外? ああ、君は局員だったんだね。任務中の事故なのか。」
「しかし、普通は支局巡り程度の安全な仕事がメインだろう? メーカー相手の捕り物かい?」
「メーカーではありませんでした。」

 秘書はちょっと躊躇った。彼自身の過去だが、ドーマーの過去はドームの過去でもある。執政官相手と言っても、当時ここに居なかった人々に喋って良いものか、と迷ったのだ。結局、彼は喋りたいと言う誘惑に負けた。

「博士の皆さんは、『死体クローン事件』をご存じですか?」


2017年7月12日水曜日

侵略者 5 - 15

 ケンウッドはペルラ・ドーマーに断って手袋を脱ぐと、指先で彼の背中の色が変わっている境目に沿ってなぞってみた。くすぐったいのだろう、ペルラ・ドーマーはちょっと身を固くした。

「これは再生細胞治療をしたのだね?」
「そうです。移植や人工皮膚装着も選べましたが、私は自分の細胞で治したかったので。時間はかかりましたが、他の治療法より痕が綺麗ですから。でもお陰で局員の職は辞めざるを得なくて・・・その後はずっと内勤の職員でした。」

 少し悔しそうに彼は語った。

「自分のミスで怪我をしたので、文句は言えませんが・・・深追いは駄目ですね。」

 過去に何があったのか、彼が自分でもっと語りたくなる迄ケンウッドは待とうと思った。今は昔話を聞く時間はあまりない。

「どんな時に痛むのかな? 触診では、完璧に治癒していると思えるが・・・」
「いつも痛む訳ではないのです。極端に緊張したり、嫌なことがあったりした時に多い様な気がします。医療区で診てもらったこともあるのですが、原因はわからないと言うことでした。」
「どんな痛みだ? 表皮が痛むのか? それとも皮下組織で痛むのか?」
「痛みは針で刺したようなピンポイントの鋭い痛みより、広い範囲でチクチクする感じです。 表皮ではなく皮下組織の浅い場所です。左半分の背中で痛みが移動して行くのです。」

 ケンウッドは端末で走査して、結果をそばのスクリーンに投影してみた。神経に重点を置いて調べたが、どこも悪くない様だ。
 ハイネがシャワーを終えてカーテンの向こうから戻って来た。着替えを要求しなかったので、新しい寝間着がない。彼はケンウッドの後ろを通ってベッドの下から衣装ケースを引き出した。ケンウッドは彼が着替えるのを見ないふりをした。男ばかりの世界だし、ハイネはドーマーでケンウッドは執政官だから、互いに意識する必要はないのだが、やはり相手に対して礼節を守りたかった。
 ケンウッドはペルラ・ドーマーに彼の考えを述べた。

「私は神経の専門家ではないから診断結果を出す訳にはいかない。この診察データをヘンリー・パーシバルに見せるが、かまわないだろう? 彼は神経の専門家だから。」
 ケンウッドの横に服を着たハイネが並んだ。寝間着の代わりがないのでTシャツとジーンズのラフな姿で、ケンウッドは初めて彼の私服姿を見た。脚が長いのでジーンズがよく似合っている。

「それで、博士の見解は?」

とハイネ。ケンウッドは仕方なく持論を語った。

「ペルラ・ドーマーの火傷を負った部分は、神経も死んでしまった。しかし、細胞再生で神経も再生されたのだと思う。新しい神経は皮下組織が記憶している事故のショックを覚えたのだろう。ペルラ・ドーマーにとって事故の記憶は忌まわしいものだ。」

 ペルラ・ドーマーが頷いた。

「だから、ペルラ・ドーマーが嫌な思いをすると、背中の神経も辛かった入院生活の時に戻って擬似的な苦痛を感じるのではないか。気のせいと言えば気のせいだろうが、本人には苦痛だろう。精神的なカウンセラーを受けてみるとどうかな。」

侵略者 5 - 14

 2日後、ケンウッドは観察棟へ足を運んだ。収容されているクローンの少年達の健康診断の当番が当たったのだ。執政官達は持ち回りでクローンの健康管理を担当する。各自の専門分野を中心に診察し、診断し、異常を見つけて治療法を検討するのだ。
 収容中の10名の少年のうち1名が初期の皮膚癌を患っていた。父親が遺伝子的に繋がりのない男なので、親からの遺伝なのかわからない。ケンウッドは少年の患部から細胞を採取して分析に廻した。救える命は救ってやりたい。救えなくても最後まで諦めたくない。少年の親は1年の学習刑に服している。クローンを違法に製造する罪を学び、クローンの子供達が正式の市民権を得る為の親の義務を学習するのだ。親が出所すれば少年も収容所を出て一緒に暮らせる。その収容所に入るには、ドームの観察棟で病気を治療して生き延びなくてはならない。
 ケンウッドは少年に病気のことを隠さずに説明し、ドームから与えられるカリキュラムで療養に専念すること、病気を治す努力をすること、希望を捨てなければ観察棟を出て収容所に異動出来ること、1年後には父親と暮らせることを教えた。
 突然父親が警察に逮捕され、自身は遺伝子管理局に保護されて生活が一変した少年は、動揺と無気力に襲われていた。だが、父親と再び暮らせる日が来るのだと教えられて、生きる気力を取り戻したようだ。父親がとても支払えない治療費もドームで療養する間は全部国持ちだと聞かされて、彼は素直に治療を受けることを承諾した。
 少年達の診断を終えると昼近くになっていた。
 ケンウッドは保安課に遺伝子管理局長との面会を申請して許可された。健康診断の当番に当たる執政官は、遺伝子管理局長に報告義務があるので、当然と言えば当然だった。
 保安課が入っても良いと言うので、ハイネの部屋のドアをノックすると、驚いたことに若い保安員がドアを開けてくれた。

「やぁ、ケンウッド博士、今日は君が当番だったのか。」

 部屋の中にサンテシマ・ルイス・リン長官が居たので、ケンウッドはギョッとして入り口で立ち止まってしまった。局長第1秘書のグレゴリー・ペルラ・ドーマーが上半身裸で会議テーブルの横に立っていた。ペルラ・ドーマーは60歳を過ぎているが、元局員らしく筋骨隆々とした肉体美だ。まだ健康維持の運動は毎日欠かさずしている。しかし、何故こんな場所で裸に?
 リン長官は奥の執務机の向こう側にハイネ局長と共に立っていた、ハイネも上半身を脱いでいた。彼は病み上がりなので以前の様な筋肉はまだ戻っていないのだが、地球の汚染された外気に一度も曝されたことがない白い滑らかな肌が、80歳とは思えない艶で輝いて見えた。リン長官はハイネの胸に端末をかざして呼吸器の状態を走査検査しているところだった。マニュアル通り手袋は着用していたし、検査キットを机の上に広げて、いかにも執政官の回診と言う光景だ。
 ハイネもペルラ・ドーマーも長官に逆らわずに診察を受けていると思われた。ドーマーがドーマーである第1の目的は、研究用の検体を提供することだ。中央研究所と観察棟では、全てのドーマーは執政官に従う。服を脱げと言われれば人前でも脱ぐし、血液を採取させろと言われれば、命の危険がない限りいくらでも提供する。
 医療区でハイネの検体採取に失敗したリン長官は、観察棟で意趣返しをしているのだ。
と言っても、ケンウッドが見た限りでは、長官は本当に呼吸器系の診察をしているだけだった。無駄に脱がしていると言うだけで・・・。 室内には彼が連れて来たのか、それとも保安課が派遣したのか、保安課員もいる。モニター室でも監視しているので、リン長官は無茶な悪戯は出来ない。中央研究所とは勝手が違うだろう。
 リンは採取した鼻腔の粘膜サンプルを入れた保存容器をキット鞄の中に慎重に仕舞い込んだ。そして、形式的にハイネに

「すっかり良くなりましたな。肺も正常だ。貴方は本当に驚異の存在だ。」

と言って、部屋から出て行った。ケンウッドの横を通る時に、ちらりと彼を見て一言言った。

「君のドーマーに手出しはしていないぞ。」

私のドーマーだって? とケンウッドは不快に思った。

 ドーマーを奴隷やペットの様に考えたことはない。地球人とコロニー人は対等だ。あんたは間違っている。

 ドアが閉じられると、ペルラ・ドーマーがボスに尋ねた。

「もう服を着ても大丈夫でしょうね?」

 リンはその件に関して何も言わずに出て行ったのだ。ハイネ局長は、しかし、ケンウッドを見てこう言った。

「ケンウッド博士が来られたから、ついでに例の場所を診てもらったらどうだ?」

 何のことかわからないので、ケンウッドはペルラ・ドーマーに向き直った。ペルラ・ドーマーは躊躇う様子を見せた。
 保安要員が局長に声を掛けた。

「私はこれで引き揚げます。また何かあればいつでもお呼び下さい。」
「有り難う。」

 保安要員はリン長官の護衛ではなく、ハイネの護衛だったようだ。恐らくリン長官は予約なしで突然観察棟に来たのだろう。モニター室でそれに気づいた保安課が大至急で課員をハイネの部屋に寄越したのだ。リン長官は自身がドーマーの世界で暮らしていることを忘れているのだろう。執政官が踏ん反り返っていられるのはドームの中だけで、ここはドーマーの故郷、地球なのだ。
 保安要員が出て行った。ペルラ・ドーマーはケンウッドがそばに来たので諦めたのか、背中を彼に向けた。ハイネがケンウッドに説明した。

「グレゴリーは古傷が痛むのだそうです。ちょっと診てやって下さい。」

そして彼自身はバスルームに入った。
 ケンウッドはペルラ・ドーマーの背中を眺めた。綺麗な筋肉が付いた広い背中だ。どこも悪くなさそうに見えた。しかし、ケンウッドは、背中の左半分が体の他の部分と少し色が違うことに気が付いた。

「これは火傷の痕だね、ペルラ・ドーマー?」
「そうです。局員時代に、ちょっとドジを踏んで怪我をしました。」

 バスルームから水音が聞こえて来た。ハイネがシャワーを浴びだしたのだ。手袋越しでもリン長官に体を触られたのが余程嫌だったのだろう。





2017年7月10日月曜日

侵略者 5 - 13

 ケンウッドがヤマザキ医師、ヘンリー・パーシバルと共にローガン・ハイネ・ドーマーの部屋に入ると、ハイネは食事のトレイを机の端に追いやってコンピュータで何か作業をしていた。ヤマザキが皿の上を見て顔を曇らせた。

「半分も食べていないじゃないですか、局長。」

 ハイネは顔を上げようともせずに応えた。

「また後で食べます。」

 パーシバルが肩をすくめた。そんなことを言うヤツに限って食べないのだ、と言いたげだ。

「食べなきゃ良くならないですよ。」

と言いつつ、ヤマザキは机を回り込み、ハイネが何をしているのか見ようとした。数日前まで自由に動かせなかった指を自在に使ってキーボードを叩いているのだから、医師は内心驚いていた。ハイネが先手を打って答えを明かした。

「書簡を作成しています。業務のうちです。」

つまり、覗くな、と言っているのだ。ヤマザキは肩をすくめた。ケンウッドは室内を見廻した。狭いが筋トレ用の用具が隅に置かれていた。ハイネは明日になればあれも使いこなすかも知れない。全く、80歳とは思えない。進化型1級遺伝子とは、実に恐ろしい。
彼は会議テーブルの周囲に置かれていた椅子の一つに腰を下ろした。
 暫く静かな時間が流れた。ヤマザキは端末を出して、距離を置いて患者の走査検査を行った。血圧、脈拍、体温などを測定した。パーシバルは自身の端末に誰からメールが入ったので、やりとりで忙しくなった。彼の研究室からのようだ。
 ケンウッドは室内にハイネの私物を求めたが、それらしき物はなかった。アパートの私室にあるのだろう。アパートは住人が1年半近く戻って来なくても掃除ロボットが勝手に掃除するので、清潔なはずだ。

 ハイネの部屋にダニエル・オライオンの写真はあるのだろうか。

 オライオンはドームを出た後、ハイネと再会出来たのはほんの10年前だった、と言った。それから1年に1回ほどの割合で職務上の用件でドームを訪問したそうだ。つまり、再会してから、仲良し「兄弟」は10回ほどしか会っていないのだ。そして、突然2度目の別れがやって来た。オライオンはまだ長生き出来そうだったが、「生きているうちに会うことはないだろう」と言っていた。ドームの中に入る用事がないからだ。「兄貴」は送迎フロアに出ることさえ珍しがられる「箱入り」だったから。
 オライオンに何か用事を創ってやれないだろうか。ドームの中へ、遺伝子管理局に、入って局長と話が出来る様な用事を。
 ケンウッドが物思いに耽っていると、ハイネがヤマザキに話しかけた。

「昼間は騒ぎを起こして申し訳ありませんでした。あの介護人はどうしました?」
「彼はさっさと辞表を出して火星へ戻りました。でも気にすることはないですよ、局長。彼は重力に体を慣らす暇もなしにここに派遣されて来ましたからね。もし留まっていたら、明日の昼頃には疲弊して介護の仕事どころじゃなくなっていたでしょう。彼の体には良かったんですよ。」
「それでも、私は彼のキャリアに傷を付けてしまいました。謝罪の手紙を送っておきます。」

 プリンターから印刷された紙が吐き出されて来た。ハイネはそれを手に取り、さっと目を通してから、一番下に直筆の署名をした。そして丁寧に折りたたんで、机の抽斗から封筒を出して中に入れた。そして先に作ってあった封書と共にヤマザキに差し出した。

「すみませんが、明日朝一の郵送便にこれを入れてもらえませんか?」

郵送便と言うのは、電子メールではなく文書や荷物をドームからドームへ、或いはドームから月の地球人類復活委員会本部へ送るものだ。電子メールと違って途中で傍受されたり消えたりしないし、実物を送れるので、殆ど毎日大陸間や宇宙空間を定期便が飛んでいた。
 ヤマザキではなく、パーシバルが手を伸ばした。

「僕は毎朝サンプル交換を他所の大陸と行っているから、僕の荷物に入れてあげるよ。」

 ハイネは遠慮なく彼の手に封書を渡した。1通は西ユーラシア・ドームの遺伝子管理局宛、もう1通は火星の介護人宛だった。ハイネは詫び状を書いていたのだ。
 ケンウッドは彼に尋ねた。

「ハイネ、オライオン氏には書かないのかい?」

 ハイネが一瞬固まったので、パーシバルがケンウッドを睨み付けた。折角穏やかに交流しているのに、また興奮させるつもりか?と。
 ハイネがケンウッドを見た。弱々しい微笑みを浮かべて、彼は首を振った。

「外から来る郵便は全て消毒班が開いて消毒するのです。ご存じありませんか?」

 つまり、オライオンからの返事が来れば、他人が先に読んでしまうと言っているのだ。
ハイネは弟と彼の間に他人が割り込むのを好まない。私信は読まれたくない。普通の個人として当然の感情だ。ケンウッドは己がドームの規則を全部知っている訳ではないと悟った。

「ドームに住んで5年近くになるのに、まだ私は初心者なんだな。」

 ケンウッドは思わず自嘲した。
 ハイネが顔を背けてあくびをした。ヤマザキがいつでも彼の体を支えられるように、後ろに回った。ハイネは苦笑した。

「まだ寝ませんよ、博士。食事の続きをしなければ・・・」




侵略者 5 - 12

 ケンウッドがローガン・ハイネ・ドーマーが激怒した原因について彼の見解を述べようとした時、ヤマザキ医師の端末に着信があった。医師は電話に出た。

「そうか・・・うん、有り難う、1時間後に行く。」

 彼は端末を仕舞って2人の博士を見た。

「ハイネが目を覚ました。」

 彼等は再現用モニター室を出て、監視モニター室に移動した。部屋の数だけモニターが並んでいる。その日の他の収容者は11名、どれも未成年だ。寝ている少年や、音楽を聴いている少年、ロビーに出てテレビを見ている少年、学習用コンピュータを使用している少年、様々だ。彼等に少しでも異変があれば、すぐ保安課と担当の執政官に連絡が行く。少年達は遺伝子管理法違反者のクローンの子供達で、健康状態の観察を受けているのだ。
 ケンウッド達は監視モニター室を横切って観察モニター室に入った。特定の部屋だけをそこで観察出来る部屋で、監視モニター室とはガラス壁で仕切ってある。ヤマザキ医師はハイネの部屋の映像をそこに映し出した。
 ローガン・ハイネ・ドーマーはゆっくりとベッドの上に起き上がって室内を見廻しているところだった。眠りに陥る前に何があったのか思い出そうとしているのだろう。観察の為に室内に待機している係官のドーマーが、「こんばんは、局長」と声を掛けて彼の注意を惹いた。ハイネは彼を認め、係官の名前を呼んだ。
ーージェームズ・オニール・ドーマーか・・・
ーー思い出していただいて光栄です。
 観察棟は遺伝子管理局の業務と密接に関係しているので、職員全員の名前ぐらい局長は記憶しているのだろう。オニール・ドーマーが夕食を運ばせますと言うと、彼は断ろうとした。しかし、オニールが「しかし」と言いかけると、片手を挙げて、「わかった」と言った。
ーー君を困らせたくない。食べるよ。

 パーシバルが頭を掻きながら言った。

「全然普通だよな、いつものハイネだ。」

 ハイネは自力でベッドから降りて部屋の隅にしつらえられたバスルームに向かってそろりそろりと移動を始めた。観察棟の部屋は個室にトイレがないのが普通なのだが、ハイネの部屋は広さと言い、設備と言い、特別にしつらえてある。ケンウッドはヤマザキに尋ねた。

「彼の部屋は元は何の部屋なんだ? まさか幽閉用ではないよな?」

 ヤマザキが複雑な表情をした。

「あの部屋は、執政官用なんだ。地球の業務やら生活に馴染めなくて心神耗弱状態になる執政官が偶に居て、療養する為の場所だ。だから机とか会議用設備がある。過去に4人ほど使用したらしいが、どの人も1ヶ月居て故郷に帰ったそうだ。」
「地球の生活が苦痛だって? 信じられないなぁ。」

とパーシバル。そしてケンウッドを見た。

「君はハイネの怒りの原因がわかったのか?」
「多分ね。」

 ハイネがバスルームに到着した。眠りに陥る前より歩くのが速くなっていた。彼はカーテンの向こう側に姿を消した。ヤマザキが手を揚げて、仲間に暫く黙ってくれと合図した。ハイネの姿が見えないので、出てくる迄音で判断しなければならない。彼がカーテンの向こう側で倒れでもしたら大変だ。だから、数分後に彼が無事に出てくると、医師はホッと肩の力を抜いた。
 ハイネが執務机とベッドがある方へ歩きかけると、食事が到着した。係官がドアの外に来た運搬ロボットからトレイを受け取り、中へ運んで来た。どこに置きましょうか、と尋ね、指示された執務机の上に置いた。ハイネが彼に尋ねた。
ーーモニター室で見ているだろう?
ーーはい。
ーーでは、君はもう帰って良ろしい。何かあれば誰かが飛んで来るはずだ。
 
 ヤマザキが係官の端末に連絡を入れた。

「彼の指示に従ってくれ。僕が後から行くことを伝えて、帰りなさい。」

 係官が医師の指示通りに伝えると、ハイネは頷いた。そして係官が部屋から出て行くと、彼は椅子に腰を下ろし、つまらない物を見る様な目で病院食を眺め、諦めて少しずつ口に入れ始めた。
 
 ヤマザキがケンウッドを見た。パーシバルも見たので、ケンウッドはやっと持論を述べた。

「ジョンソン氏は、ハイネに言ってはいけないことを言ってしまったんだ。」
「何だ?」
「彼は『家族の様に扱って』と言った。」

 パーシバルがちょっと笑った。

「ドーマーに家族って言ってもなぁ・・・僕等が知っている家族とドーマーが考える家族は違うだろう?」
「うん。ドーマーにとって家族は日常一緒に行動している仲間のことだ。」

 ヤマザキの言葉にケンウッドは首を振った。

「ハイネの家族は、もっと違うんだよ。」
「どう違うんだね?」
「ジョンソン氏の名前はダニエルだ。彼はハイネに『ダニーと呼んで下さい』と言った。」
「それが?」
「ハイネの弟はダニエル・オライオン、ダニーだ。」
「弟ぉ?」

 パーシバルが素っ頓狂な声を上げた。

「弟だって? ハイネに弟なんていたのか?」
「いるんだ。」

 ケンウッドはヤマザキを見た。

「私がハイネを目覚めさせた時のことを覚えてないか? 私はハイネが事故に遭う直前に会っていた人を探し出したんだ。送迎フロアに出たことがなかったハイネが、わざわざ見送りに出て行った人だ。」

 パーシバルはダニエル・オライオンがゲートから出て行った直後に送迎フロアに入ってきたので、オライオンを見ていなかった。

「ハイネの弟が、ダニエル・オライオンって言う名前なのか? 」
「うん、元ドーマーだ。記録を見ると、オライオンは54年前にドームを去っていた。」
「弟って言うのは、同じ部屋で育ったドーマーと言う意味だな。」
「それも、2人きりの部屋だったそうだ。だから、ハイネはオライオンをもの凄く可愛がっていた。」
「だがオライオンは彼を置いてドームから出て行った?」
「2人一緒に出て行くつもりだったそうだ。だが、ハイネは進化型1級遺伝子保有者だ。ドームは絶対に彼を外に出さない。」

 ああ、とパーシバルとヤマザキは理解した。ドームは仲が良い「兄弟」を引き裂いたのだ。

「そのオライオンが、あの時、ドームにハイネを訪ねて来ていたのか。」
「仕事でね・・・オライオン氏は連邦捜査局の科学捜査班主任だったが、定年退職するので、もう2度とドームの中には来られないと最後の挨拶に来ていたんだ。」

 ヤマザキが呟いた。

「外に出て行けないハイネは、どんな気持ちでその挨拶を受けたんだろう・・・」

 パーシバルも先刻の取り乱したハイネの気持ちを思いやった。

「ダニーの名前と家族と言う言葉に、ハイネが今まで抑えていた感情が爆発したんだな。」
「それと、ジョンソン氏はもう一つ、誤った。ハイネをローガンと呼んだろ? このドームの中で、ハイネを名前だけで呼んだ人間が居たかね?」
「ハイネはハイネだ、或いは、局長だ。」
「彼をローガンと呼んで許されるのは、ダニエル・オライオン唯一人なんだ。」

 ケンウッドは考えをまとめた。

「ジョンソン氏に落ち度はなかった。だが、彼は知らずにハイネの大切な思い出を踏んづけてしまったんだ。」

 そして彼は仲間に断言した。

「ハイネはもう落ち着いているよ。ジョンソン氏も辞表を出すのが早すぎたな。」









2017年7月9日日曜日

侵略者 5 - 11

 記録画像の中で、ローガン・ハイネ・ドーマーはヤマザキ医師に抱き留められながらも、なお介護士ダニエル・ジョンソンに殴りかかろうともがいた。まるで喧嘩を止められている子供みたいだ。
 ジョンソンは何が彼を怒らせたのか理解出来ないでいる。
ーーどうしたんです? 私が何か気に障ることでも言いましたか、ローガン?
 またもやハイネが腕を振り上げたので、ヤマザキは必死でジョンソンに怒鳴った。
ーー部屋の外へ逃げて下さい。僕に抑えきれるかどうか・・・
 病人と思えない力でハイネが暴れるので、ヤマザキは手こずっている。介護人は患者が暴れるのに慣れているはずだが、ハイネが武道の達人であると言う情報を事前にもらっていたのだろう、後ずさり始めた。
 その時、ドアが開いてグレゴリー・ペルラ・ドーマーが入って来た。彼はボスが暴れているのを見て、驚いて立ち止まった。するとジョンソンがくるりと体の向きを変え、素早くペルラ・ドーマーの横を駆け抜けて通路へ避難して行った。
 ドアが閉まった途端に、ハイネが大人しくなった。全身の力を抜いたと思えた次の瞬間にぐったりとなり、ヤマザキが慌てて体を支えた。ペルラ・ドーマーは何が起きたのかわからぬまま駆け寄り、ヤマザキに手を貸した。
ーー局長?
ーー眠ったらしい・・・

 ケンウッドはそこでまた再生を止めた。この先を見ても何もわからないと思えた。
パーシバルが腕組みした。

「いきなり子供還りしたみたいだな・・・」
「ジョンソン氏はミスを犯したとも思えないが・・・」

 ヤマザキが溜息をついた。

「ジョンソン氏は冷静に行動してくれたが、恐かったんだと思う。ハイネの目が常軌を逸していたと言って、リン長官に今日のうちに辞表を出して月行きのシャトルに乗ってしまった。」
「ペルラ・ドーマーは何と言ってる?」
「彼にも何もわからない。外に居たからね。この後、2人でハイネをベッドに運んで暫く様子を見ながら、彼に先刻起きたことを話したのだが、彼は見当が付かないと言った。」
「それでハイネは今・・・」

 ケンウッドは隣室のモニター室の方を見た。先刻入室した時は、ハイネはまだ寝ていたような気がした。

「激昂してエネルギーを大量に消耗したらしくて、まだ眠っている。ペルラ・ドーマーを帰宅させたかったので、観察棟の係官に見張ってもらっている。目覚めたら食事も摂らせたいしね。」

 ヤマザキが疲れた表情をした。

「この事件がリン長官に悪用されると困るんだ。ハイネ自身もわかっているはずなのだがねぇ・・・」

 ケンウッドは記録映像にヒントがあるはずだと思ったので、黙ってもう1度再生してみた。

ーー局長、こちらは火星第1コロニーの社会福祉事業団から派遣されてきた公認介護士ダニエル・ジョンソン氏です。
ーージョンソンさん、こちらが、アメリカ・ドーム遺伝子管理局長ローガン・ハイネ氏です。
ーー初めまして、ダニエル・ジョンソンです。アメリカ・ドームのリン長官から貴方の介護を仰せつかりました。お体が元通りに戻る迄、お世話をさせていただきます。
ーー失礼、まだ反応が鈍くて理解に時間がかかります。

「ここまでは、普通だ。」

とケンウッドは呟いた。パーシバルが頷いた。

「寧ろ、ハイネは考えて喋っている。相手の様子を探っているみたいだ。」

ーー仲良く致しましょう。家族の様に扱ってもらえると嬉しいです。私のことは、ダニーと呼んで下さい。私は貴方をローガンと呼びます・・・

 ケンウッドは少し巻き戻した。

ーー仲良く致しましょう。家族の様に扱ってもらえると嬉しいです。私のことは、ダニーと呼んで下さい。私は貴方をローガンと呼びます・・・

 映像を一時停止させて、ケンウッドは考えた。また巻き戻し、次にスローで再生しながら、3次元ではなく2次元映像の方を見た。

ーー仲良く致しましょう。

 ハイネは無表情だ。

ーー家族の様に

 ハイネの表情が微かに変化したように思えた。

ーー扱ってもらえると嬉しいです。私のことはダニーと呼んで下さい。

 ハイネの顔色が変わった。

ーー私は貴方をローガンと呼びます・・・

 ハイネの形相が、目つきが完全に変化した。怒りで美しい顔を歪め、憎悪で目を吊り上げて・・・

「そうかっ!」

 ケンウッドが投影テーブルを叩いたので、室内に居た残りの3人が驚いて彼を見た。


侵略者 5 - 10

 保安課のモニター室は執政官クラスなら自由に見学出来る。観察棟はクローンの子供達に異変があればすぐスタッフが駆けつけられるように、棟内にモニター室があった。医療区よりも緊急時の対応が早いのだ。これは医療区の患者が日頃健康維持に努めている人間ばかりなのに対し、観察棟の収容者は生まれた時点から健康問題を抱えているからだ。
 ケンウッドはリン長官の仲間が既にハイネの部屋の記録を見たのではないかと心配したが、連中はまだ来ていなかった。立腹して火星に帰ってしまった介護人の応対で手が塞がっていたのだろう。パーシバルはドーマーを介護人に付ければ問題はなかったのでは? と言ったが、ケンウッドはそれは違うような気がした。ドーマー相手にハイネが手を揚げるだろうか。
 保安課の担当者が音声は必要かと尋ねたので、勿論、とヤマザキ医師が答えた。彼は現場に居たが、何がハイネの激怒の原因になったか掴みかねている。もう1度映像を見て検証したかった。
 再現用モニター室にケンウッド、パーシバル、ヤマザキの3人は入った。保安課員も1人同席した。これは規則であって、リンの言いつけでも何でも無い。
 二次元モニターと3次元モニターの同時進行で記録再現が始まった。二次元モニターは入り口の上にあるカメラと、奥のベッドの上にあるカメラからの2方向だから、ケンウッド達は3つの記録を見ることになる。パーシバルが「忙しい」と文句を言ったが、先ず3箇所同時に流してみた。
 ローガン・ハイネ・ドーマーが執務机の縁に手を置いて体を支えて歩く練習をしている姿が映し出された。両側に支える物があれば良いのだが、片側にしかないので、空いている手でバランスを取って数センチずつ脚を運んでいた。パーシバルが呟いた。

「それでも歩けるまでになったんだな・・・」

ちょっと感無量と言った声音だ。一月前は死体同然だったのだから、無理もない。
ハイネの腕に筋肉が戻りつつあった。体を支えられるのだから、もう署名などは問題なく書いている。脚は画像ではよく見えない。肩から膝までのざっくりとした筒型の検査着を着せられているので、頭髪が白い長身の彼は歩く布に見えた。顔は斜め上からの撮影だが、血色も良くなっている。少し頬にも肉がついた様だ。ケンウッドはヤマザキに尋ねた。

「食事は普通に出来るのか?」
「うん、量は少なめだが、普通の食事を摂れるようになった。体を動かすから、食欲も出て来たんだ。」
「話も出来るのか?」
「ペルラ・ドーマーとは仕事の打ち合わせをしている。でもスタッフとは挨拶程度しか口を利かない。」
「ドーマー相手でも?」
「ドーマーだからなおさらだ。仲良くした相手がリンに睨まれては可哀想だと思っているのだろう。」

 ハイネが動きを止めた。休憩しているのかと思ったら、ドアが開いた。ヤマザキ医師が顔を出し、「やぁ、ハイネ局長」と声を掛けた。ハイネが頷いた。

「彼は君が来たことを気配で感じ取ったのか?」

とパーシバルが尋ねた。ヤマザキが苦笑した。

「この映像を見ると、そう受け取られるね。一応ノックをしたんだよ。」

 映像の中のヤマザキ医師は後ろを振り返り、誰かに「どうぞ」と言った。それから中に向き直り、「介護人が到着しましたよ」と言った。介護人が来ることは事前にハイネに通知されていたようだ。
 ハイネはとくに喜んでいる風でもなく、黙って立っていた。ドーマーでも執政官でもない介護人はコロニー人に決まっているし、リン長官の指示で何か介護以外の役目も負っているはずだ。
 介護人がヤマザキの横を抜けて室内に入ってきた。被介護者を抱えたり支えたりする仕事だから、肩幅があり、筋肉もしっかりついた頑健な体格の中年男性だった。ヤマザキが彼をハイネのそばまで案内してから紹介した。
ーー局長、こちらは火星第1コロニーの社会福祉事業団から派遣されてきた公認介護士ダニエル・ジョンソン氏です。
 ハイネは無表情でコロニー人の介護士を眺めている。ヤマザキがコロニー人に向き直った。
ーージョンソンさん、こちらが、アメリカ・ドーム遺伝子管理局長ローガン・ハイネ氏です。
 ヤマザキは公式な場所ではドーマーの名前に「ドーマー」を付けないと言う基本ルールを守った。この紹介にもハイネは表情を変えずに介護人をただ見ているだけだった。
 介護人が手を差し出した。プロなので、きちんと手袋を着用していた。彼は愛想の良い笑みを浮かべ、挨拶した。
ーー初めまして、ダニエル・ジョンソンです。アメリカ・ドームのリン長官から貴方の介護を仰せつかりました。お体が元通りに戻る迄、お世話をさせていただきます。

「ここまでは普通だよな?」

とパーシバルが囁いた。介護人は何の非礼もしていないし、ハイネも相手を観察しているだけだ。
 ケンウッドはハイネが反応しないで、ちょっと不安を感じた。もしかして、立ったまま寝てしまったのか? しかし、その時、ハイネが返事をした。

ーー失礼、まだ反応が鈍くて理解に時間がかかります。

「嘘だよな?」

とパーシバル。ケンウッドも同じ感想を抱いた。ハイネは相手の人物を見極めようと故意に時差を創っているのだ。
 ジョンソンが肉付きの良い大きな顔に優しい微笑みを浮かべたまま、少しだけ前に出た。彼はもう1度言葉を発したが、それは介護人が被介護者をリラックスさせようとするものだった。
ーー仲良く致しましょう。家族の様に扱ってもらえると嬉しいです。私のことは、ダニーと呼んで下さい。私は貴方をローガンと呼びます・・・

 いきなり事件が勃発した。ハイネの顔がサッと蒼白になったと思ったら、いきなり拳を振り上げて介護人に殴りかかったのだ。体がまだ自由に動かせないので、ジョンソンはびっくりしながらも後ろに身を退くことが出来た。元気なハイネだったら、彼は一撃でノックアウトされたはずだ。パンチが空振りに終わったので、ハイネはよろめいたが、なおも次の攻撃を試みようと前に踏み出した。脚がもつれる前にヤマザキが後ろから抱き留めた。
ーー駄目だ、何をしている、ハイネ!
 ヤマザキの制止の声を無視してハイネが怒鳴った。
ーー出て行け! 1分以内にドームから出て行け、さもないと殺す!

 ケンウッドは思わず記録再生を止めた。パーシバルは口元に手を当てて、信じられないものを見たと言う表情でヤマザキとケンウッドを見比べた。保安課員は無表情で3人のコロニー人を見ていた。
 ケンウッドは保安課員を見て尋ねた。

「君はこれをリアルで見た?」
「はい。」
「局長は何で腹を立てたのだ?」
「僕にはわかりません。」
「驚いただろう?」
「勿論です。」

 保安課員は見てはいけないものを見てしまったと言う顔をした。

「ローガン・ハイネ・ドーマーは僕等ドーマーの頂点にいる人です。あの人が取り乱すなんて・・・」
「保安課はみんなこれを知っているのか?」

 保安課員は少し躊躇ってから、観察棟の当直だけです、と答えた。

「保安課長クーリッジとリン長官には報告しました。」

 ケンウッドがモニターに向き直り、続きを再生した。

2017年7月8日土曜日

侵略者 5 - 9

 3日後、ローガン・ハイネ・ドーマーは医療区からクローン観察棟へ移された。
 クローン観察棟は、遺伝子管理局が逮捕した遺伝子管理法違反者の子供、つまり違法製造されたクローン達を収容して健康状態をチェックする施設だ。違法クローン製造業者、所謂メーカー連中が製造したクローンは、あまり丈夫でない体で生まれてくる場合が多い。ドームの様な完成された設備や薬品が使用されないからだ。保護されたクローン達の多くは何らかの疾病に罹っている。心臓病や血液の病気、癌、皮膚病、つまり親の細胞にあった疾病の遺伝がそのまま出て来ているのだ。ドームはクローン達を観察して、治療法を検討する。クローンも生まれた以上は人間だ。生命の尊厳を冒さないように、彼等が与えられた生を全う出来るようにドームは努力する。治療の甲斐あって元気になったクローンはドームの外にあるクローン保護収容所に移され、親が刑期を終えて出てくる迄そこで生活する。彼等は正式な出生届けを為されておらず、教育を受ける機会を得られなかったので、収容所で基礎的な学習を受ける。学業優秀なら、出所後に学校や大学に行けるように政府から援助ももらえる。そして18歳になれば、成人登録され、晴れて「地球人」としての権利をもらえるのだ。
 ハイネがクローン観察棟に移されたのは、そこにリハビリ設備が整っていたからだ。(と、リン長官は言い訳した。)観察棟は、医療区と中央研究所の間にあり、ハイネにあてがわれた角部屋は、長官室からよく見えた。室内にコンピュータや執務机、会議用テーブルなどが設置され、局長室が引っ越して来たような光景だったが、奥にはベッドがあるし、全体的に手狭だった。
 ハイネはなんとか自力で立ち上がり、物に捉まって伝い歩きをする練習を始めた。突発性睡眠症候群の発作が出て怪我をするといけないと言う理由で、引っ越しの2日後、リン長官は火星の第1コロニーから評判の介護人を招致したのだが、この人物はどう言う原因なのか当人にもわからないまま、ハイネの激怒を買って初日で地球から逃げ去った。

「ハイネ局長が顔色を変えて、あのコロニー人をぶん殴ろうとしたので、僕は慌てて後ろから彼を羽交い締めにして止めたんだ。」

 介護人に付き添ってハイネの部屋に入ったヤマザキが、その日の夕食時にケンウッドとパーシバルに説明した。

「その介護人は何故ハイネの逆鱗に触れたのだ?」

とケンウッドが尋ねた。

「ハイネが怒ったところなど、私は見たことがないし、噂でも一度も聞いたことがない。彼はどんな時も冷静でいられる男だぞ。」
「僕にはわからない。僕だって、彼が取り乱したのを見たのは初めてだった。」

 パーシバルが提案した。

「観察棟の部屋は全て保安課がモニターしているだろ? 食事の後で見せてもらいに行かないか? 医師が患者の状態をチェックするのは当然の行為だから、保安課も拒めないはずだ。それにリン一派も、何がハイネの気に入らなかったのか、知りたいだろうよ。」
「激怒した後、ハイネは何か言ったのか?」
「言う前に眠ってしまった。怒りはエネルギーを消費するから。」
「リンは長官室から見ていたかな?」
「どうだかね・・・ハイネは中央研究所側窓のブラインドを閉めていたから。」
「秘書はいなかったのか?」
「2人のうち、年嵩の方・・・ペルラ・ドーマーが観察棟、若い方が本部で連携して業務をすることになっているのだが、あの時ペルラは部屋の外にいた。騒ぎを聞いて慌てて戻って来て、今、ずっと部屋でハイネに付き添っている。」
「ペルラ・ドーマーも苦労だな。ボス本人は良い上司だが、周囲がちょっかいを出してくるから、守らなきゃいけない。」

 美しい若いドーマーを守っているパーシバルは、局長秘書に同情した。彼が愛するポール・レイン・ドーマーはまだリン長官の『愛人』をやっているが、生まれ持った接触テレパスの能力を長官に知られないように用心深く振る舞っている。そして時々長官の手から読み取った情報をパーシバルや仲間のドーマーにこっそり流している。
 火星から来たコロニー人の介護人の情報もレインが昨日仕入れて来た。長官はハイネの行動を逐一報告させる目的で介護人をわざわざ宇宙から雇い呼び寄せたのだ。しかし、ハイネは介護人のスパイ行為ではなく、何か別のことで怒りを爆発させた。それが何か、そばにいたヤマザキにもわからないのだ。
 ケンウッドはハイネ本人に会って理由を聞きたかったが、今回の引っ越しは体の良い幽閉だ。観察棟は執政官であれば入場出来るが、収容者に面会する場合は保安課の許可が要る。フリーパスでハイネに面会出来るのは、グレゴリー・ペルラ・ドーマーとヤマザキ・ケンタロウ医師だけだ。リン長官は幽閉の批判を避ける為に、自らフリーパスの面子から外れていた。仕事はさせるが、部下のドーマーとは接触させない。リンは言いなりになってくれないドーマーのリーダーをそうやって仲間から引き離した。






2017年7月7日金曜日

侵略者 5 - 8

 翌朝、ケンウッドが一般食堂で朝食を取っていると、ヤマザキ医師がやって来た。夜勤明けで私服姿、疲れた顔をしていた。彼はケンウッドのテーブルの向かいに座った。

「おはよう、ケンさん。君はこれから仕事だね?」
「そうだが・・・君は夜勤だったのか。」
「うん、これからアパートに帰って寝る。」

 ヤマザキはトレイにオートミールの皿とチーズオムレツとフルーツの盛り合わせを載せていた。飲み物は珈琲ではなく紅茶だ。ケンウッドはオムレツから漂ってくるチーズの香りに鼻をひくひくさせた。

「ハイネが嗅いだら欲しがるだろうな。」
「チーズはまだ駄目だよ。」

とヤマザキ。

「黴の除去薬を大量に服用させた後だから、発酵食品は後2ヶ月は控えさせる。」
「可哀想に・・・彼はチーズには目がないんだ。」
「経過が良ければ、解禁後は好きなだけ食べられるさ。」

 そして彼は、ケンウッドのテーブルに同席した目的を低い声で囁いた。

「昨晩、リンが彼の部屋に侵入した。」
「えっ!」

 ケンウッドは手にしていた珈琲カップをもう少しで落とすところだった。彼は大声を出してしまったかと自分で心配になって周囲に目を配った。誰もこちらを注目していないことを確認してから、ヤマザキに向き直った。

「一体、何の目的で・・・?」
「検体採取キットを持っていた。当人は、ハイネの呼吸器の粘膜サンプルを研究用に採取するつもりで来た、と言い訳していたが、キットの中には当然ながら、『お勤め』セットも入っていたはずだ。」
「誰かに見つかったのか、彼は?」
「公式には看護師と病室の入り口側の消毒室で出会ったことになっているが、恐らくそれより以前に中に入っていたと思う。」
「消毒室は一方通行だろ?」
「だから、彼は一旦出口から出て、逃げる時間がなかったのでまた入り口側に入ったんだ。」

 ちょっと待ってくれ、とケンウッドは言った。話の内容がよく読めない。

「最初から説明してくれないか?」
「それが説明のしようがないんだ。」

とヤマザキ。

「リンの証言では、彼は患者の呼吸器系のサンプルを採るために病棟に入った。彼が入るのは誰も見ていないが、医療区ロビーのチェッカーには記録が残っていた。怪しまれないように、ちゃんとセキュリティーチェックは受けていた。彼は訪問者用防護服を着て、通路を歩いて行き、患者の部屋の前迄来ると、突然室内の照明が点滅を始めた。ナースコールが掛かったんだ。それで彼は患者の様子を見ようと慌てて消毒室に入った。」

 ヤマザキはそこで一旦言葉を切って、食べ物を口に運んだ。ケンウッドは自分の珈琲を飲みながら、次の話を待った。
 ヤマザキが口の中を空にして、話を続けた。

「看護師はナースステーションで、ハイネの部屋のナースコールを受けた。通話で呼びかけたところで患者がまだ上手く話せないことを知っているから、彼はすぐに防護服を着て、手袋をはめながら通路を急いだ。誰かが消毒室の中に入る後ろ姿が見えたので、局長秘書だと思ったそうだ。それで消毒室に彼が入ると、そこに居たのは秘書ではなく、長官だったので驚いた。」
「ハイネは?」
「患者は入り口とベッドを挟んだ反対側の床の上で倒れていた。」

 ケンウッドは胸に冷たいものを感じた。

「リンに何かされたのか?」
「看護師と僕の双方で走査検査をしたが、何ら体に異常はなかった。彼はただ突発的に眠っていた様だ。」
「ナースコールを押したのは誰なんだ?」
「ハイネ局長、その人だ。発見された時、手に自身の端末を握っており、緊急通信ボタンを押したままだった。」
「君はさっき、リンが1度室内に侵入して、出て、また中に入ったと言ったが・・・」
「実は、ハイネは僕等が駆けつけて数分後に目覚めたのだが、何があったのか言わないんだ。一時的な記憶喪失のふりをしてね。」
「ふり?」
「頭部には何も異常がなかった。ベッドから落ちたとしても、あの高さでは記憶を失うほどの打撲はないだろう。床は患者の転落を想定して緩衝剤を貼ってあるのだからね。」
「すると、ハイネとリンは1度病室内で顔を合わせ、ハイネが緊急通信ボタンを押した。
慌てたリンは一旦通路に出たが、看護師が近づいて来たので、急遽やって来たばかりと言う演技をした、と言うのか?」
「僕はそれしかないと思う。リンが検体採取を彼に迫ったんだろ。ハイネは拒否して助けを求めたんだ、きっと。だが、何故ハイネはリンを庇う・・・?」

 もしハイネがリン長官の病室侵入を医療スタッフに訴えれば、大問題に発展する。ドームの秩序を守るべき人間が自ら遺伝子管理法と地球人保護法を破ったことになるのだ。アメリカ・ドームの権威が地に落ちてしまう。執政官はドーマーから信用を失うだろう。いや、リンとそのシンパの破廉恥行為が既にドーマー達の心を乱している。ドーマー達の多くがコロニー人に不審を抱き、憎悪さえ持つ者もいるのだ。ケンウッドやパーシバルの様にドーマーと親しくしている人間でさえ、時々心穏やかでない視線を浴びることがある。
 遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーは病室に隔離されていてもなお、その空気を読んで、これ以上ドームの中を乱してはいけないと感じたのだ、きっと。彼は既に病室内にスクリーンを置いてもらい、ドーム内の様子を見たり、部下の報告に目を通して仕事を再開している。自身が病床に伏している間にドームの中が不穏な雰囲気になってしまっていることを、とっくに察していたのだ。
 リン長官をアメリカ・ドームから放逐したいのは、ハイネも同じだ。しかし彼はまだ動けない。体調が万全ではない。彼が害されようとしたことを若いドーマー達が知ったら大騒動になるのは間違いない。今の彼はそれを抑制することが出来ない。彼はドームを誰にも荒らされたくないのだ。

 ドームは彼の家なのだから

「ハイネは知っているんだよ。」

とケンウッドは呟いた。

「リンを追い出すには、まだ時期尚早だってことをね。」




2017年7月6日木曜日

侵略者 5 - 7

 ハイネが背後に廻していた右手を手前に出して来た。体を支えるために後ろにやっていたのかと思っていたら、そうではなかった。右手に端末を握っていた。
 リン長官は悟った。ハイネがベッドから降りたのは隠れた訳ではなかったのだ。彼は棚の上に置いていた端末を取ろうとして落としたので、拾うために自身の体をベッドから落としたのだ。
 ハイネが囁く様に言った。

「お帰りを」

 彼はリンに端末を見せた。

「なかったことにします。」

 素直に引き揚げれば、侵入を黙っていてやる、と言うのだ。情けを掛ける気なのか?

  ドーマーごときが、飼い主に情けを掛けるだと?

 リンはハイネの寝間着の胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。ハイネがスッと体を下に沈めた。見下ろすと、彼は目を閉じていた。眠ってしまった・・・
 部屋の照明がいきなり点滅し始めた。リン長官はハッとして立ち上がった。遠くで非常ベルが鳴りだした。リンはもう1度ハイネを見下ろした。ハイネの指が端末の緊急通信ボタンを押していた。眠りに陥る瞬間に押したのだ。
 端末の緊急通信ボタンは、押すと最寄りの施設の受信機にエマージェンシーコールを発信する。ドームの外の世界では警察か救急になるし、ドーム内では保安課か医療区のナースステーションになる。
 すぐに看護師が駆けつけるだろう。リンは素早く考えを巡らし、出口の消毒室に入った。シュッと風が吹き付け、ドアが開くと通路に走り出た。そして再び入り口に向かった。彼が入室用消毒室に入って直ぐに看護師が駆けつけた。彼は消毒室に長官が居るのを見て、びっくりした。リンがでっち上げの説明をした。

「この部屋の照明が点滅していたので、様子を見ようと思ってね・・・確か、ここはハイネ局長の部屋ではなかったかな?」

 2人は扉が開くと病室に入った。リンは看護師が防護服と手袋を着用しているがマスクは装着していないことに気が付いた。飛沫感染の恐れがない、つまり、ハイネのγカディナ黴は死滅したのだ。看護師がベッドの向こう側で倒れている患者を発見した。名前を呼びながら近づき、端末を出して全身を素早く走査した。
 リンが彼の背後で眺めていると、遅れてヤマザキ医師が入って来た。彼が「どうした?」と尋ね、看護師が目視検査結果を報告した。

「血圧、脈拍共に正常です。打撲、捻挫などの外傷もありません。ベッドから降りている間に睡魔に襲われた様です。」
「それで、弾みで緊急通信を押したんだな。」

 ヤマザキは自身の手でもう1度患者の身体をチェックした。そばに長官がいることなど、完全に無視だ。だがリンは腹が立たなかった。疚しいことをした後は、無関心でいてもらった方が助かる。
 ヤマザキがハイネの上体を抱きかかえた。看護師が指示なしで動き、患者の脚を持って、2人掛かりでハイネをベッドの上に横たえた。

「骨と皮だけのくせして、重い爺さんだ。」

とヤマザキが文句を言った。看護師が苦笑した。

「老人の骨じゃないですね。」
「うん、80を過ぎたとは、とても信じられない。何から何まで全部40歳程度だ。」

 2人は口をつぐんだ。ハイネが目を開いたからだ。突発性睡眠は何時襲ってくるかわからないが、何時解けるのかもわからない。
 リンは緊張した。ハイネが何を言うのか、聞いておかなければ、今夜は眠れない。
 ヤマザキ医師が陽気に「こんばんは、局長」と声を掛けた。ハイネが目を動かして彼を見つけた。

「何か?」

と彼が尋ねた。声は殆ど出なかったのだが、リンには充分聞こえた。ヤマザキが微笑んで説明した。

「貴方は床の上で寝ていたんですよ。覚えていませんか?」

 ハイネは顔をしかめた。そして数十秒後に「いいえ」と答えた。

「ベッドから降りたことは覚えていますか?」
「何時?」

 話が少し咬み合っていない。ヤマザキが優しく会話を終わらせた。

「思い出せないのなら、それでかまわないですよ。でも、これは覚えておいて・・・朝食は7時半です。遅れないように。」




侵略者 5 - 6

 出産管理区は24時間体制で運営されているが、隣接する医療区は執政官とドーマーの為の施設で地球時間を採用しているために夜間は夜勤のスタッフ以外は休んでいる。患者も医師も看護師も寝ているのだ。それにドーム内なので警備も特にない。入り口のレセプションで見舞う人の名前を告げれば部屋番号を教えてくれるし、2度目からはIDを機械に通せば入ることが可能だ。
 ヴァシリー・ノバックが2度目の見舞いをすると言ったが、リン長官は止めた。ノバックは既に局長代理を解任された身だ。ドームの規定では、翌朝には地球から出なければならない。出発の準備をするように命じて、医療区にはリン長官自らが出かけた。
 ハイネの見舞い(或いは観察)はジェル浴室にハイネが居た頃月に1回の割合でしていたので、IDチェックは無条件で通った。
 夜間の医療区は静まりかえっていた。通路も病室も照明が落とされ、常夜灯が灯っているだけだ。「通過」の部屋はその夜は空っぽだった。隔離病棟の患者はローガン・ハイネ・ドーマー1人だけだ。リンはスタッフの夜回りの時間割を事前に調べていたので、誰にも出会わずにハイネの部屋に到着した。ガラス越しに見ると、ハイネは眠っていた。普通の睡眠なのか後遺症の睡眠なのか判断がつかない。後遺症の睡眠ならば、多少痛い目に遭わせても起きないはずだが・・・。
 リン長官は、検体採取道具が入ったケースを持って、隔離室に入った。入り口で消毒ミストの風を浴びる時の音が気になったが、誰も聞いていないようだ。部屋の中に足を踏み入れる時は、流石に緊張した。本当にγカディナ黴はドーマーの体からいなくなったのだろうか。
 ベッドに目をやった瞬間、リンはギョッとして立ち竦んだ。ベッドが空になっていたからだ。さっき迄ハイネが寝ていたはずだが?
 慌てて室内を見廻したが、隠れる場所はなかった。唯一箇所、ベッドの向こう側を除いては。
 リンは微笑んだ。 そこに逃げたつもりか?
 ハイネは消毒ミストの音で目が覚めたのだろう。真夜中に照明も点けずに入って来るスタッフなどいないから、危険を察したのかも知れない。
 ベッドを廻ると、果たして床の上に白髪のドーマーが座り込んでいるのを見つけた。リンは自身も姿勢を低くして相手の目線の高さに合わせた。

「こんばんは、ハイネ局長。」

 相手が怯える様子を見せれば可愛いと思っただろうが、ハイネはただ見返しただけだった。返事すらしない。
 リンは持参したケースを床に置いた。手袋を出して着用した。

「貴方が望む通り、手袋を使用する。」

 ハイネが動いた。逃げるのではなく、寝間着から剥き出しになっていた脚を隠す様に体に寄せただけだった。
 リンはケースから検体保存容器を出した。ハイネが顔を背けた。ドーマーはそれを見れば何をされるのか理解する。

「貴方の『お勤め』だ。全てのドーマーは拒むことを許されない。」

 リン長官は、地球人の「主人」になった気分でそう言った。

2017年7月5日水曜日

侵略者 5 - 5

 ローガン・ハイネ・ドーマーが意識を取り戻したニュースは、リン長官に反発する執政官達がすぐにドーム内に流してしまった。ハイネが病床に伏していると言う噂を聞いていたドーマー達は、皆一様に安堵した。もしかするとリンにこっそり暗殺されたのではないかと疑っていたドーマー達は、なおさらだ。ドーム中から注目されると敵は手を出しにくくなる。
 遺伝子管理局はさらにリン一派の巻き返しを阻止する為に、局長代理解任要請を公式に長官に提出した。長官室と同時に届くように、一足先に月の地球人類復活委員会にも同じ要請が送られていたので、リン長官はノバックを元の個人秘書に戻すしかなかった。
 ヴァシリー・ノバックは初めて医療区に足を運び、離任の挨拶をした。彼がガラス越しに対面したローガン・ハイネ・ドーマーは、髪をきちんとカットしてもらい、髭も剃って、寝間着姿だったが、綺麗な姿で上体を起こしたベッドの上に座っていた。 ノバックに付き添った医療区スタッフは後に、ノバックがハイネの美しさに言葉を失って数分間沈黙したまま立ち尽くしていた、と伝えた。
  ノバックが黙り込んで隔離室の中を見つめている間、ローガン・ハイネ・ドーマーはペンを手に取って、ベッドの上に置かれた小さなテーブルに置かれた書類に署名をしていた。まだ指に力が入らず、腕もテーブルの上に置いて、ローガン と書いて休憩し、ハイネ と書いてまた休んだ。署名には「ドーマー」は書かないのだが、身分を表すDの字は姓の後ろに付ける。彼は書いたばかりのDの字が気に入らなかった。右側のカーブが手の震えで歪んでしまったからだ。
 ガラス壁の向こうから知らない男がこちらを見つめていることは承知していた。彼は幼い頃からそんな風に見られることに慣れていた。生まれついての白髪は目立つし、進化型1級遺伝子を持って生まれた子供は何か変わったところがあるのではないかと、いつも観察されていた。見られることに慣れているので、彼はノバックの存在を無視した。
 ノバックに付き添っていた医療スタッフがしびれを切らして通話器を手に取った。

「ハイネ局長、ノバック氏が面会に来られています。」

 署名の出来映えが気に入らなかったので、彼は不機嫌な顔でガラス壁を振り返った。まだ急な動きが出来ないので、ゆっくりと振り返ったのだが、ノバックはそれで緊張度が高まってしまった。

「ああ・・・ヴァシリー・ノバックと言います。貴方が寝ておられた間、私が貴方の代理を務めました。この度の恢復、おめでとうございます。私は今日で離任致します。」

 元気だったら何か皮肉の一つも言うだろうが、ハイネは黙って頷いただけだった。
まだ声を上手く出せないでいた。しかしノバックが彼の言葉を待っている様子だったので、仕方なく出来るだけ声をかすれさせないよう、腹に力を入れて言葉を出した。

「ご苦労。」

 途端に眠気が襲ってきた。

 これはいかん・・・

 書類に傷を付けたくなかったので、ペンをテーブルの端に置いて、腕を下へ下ろした。そのまま睡眠状態に陥った。
 ハイネが目を閉じてしまったので、スタッフはちょっと慌てた。リンの仲間にハイネの後遺症を知られるなと医療区長から指示を受けていたのだ。彼はノバックを促し、ハイネの部屋の前から離れた。

「あの方はコロニー人がお好きでないので、時々あんな風にあしらわれるのです。」

 スタッフの説明に、ノバックは、それでは仕方がないですね、と苦笑いして医療区を去った。
 中央研究所の長官室に入ると、リン長官は1人で仕事をしていた。若いドーマーを弄ぶ時以外は、真面目に科学者として働いているのだ。ノバックは秘書が留守であることを確認して、医療区を訪問したことを報告した。リン長官はコンピュータから目を離さずに尋ねた。

「本物の生きたハイネだったか?」
「ええ、それは間違いありません。」

 ノバックは長官のデスクに歩み寄り、体を机の上に載りだして長官に囁いた。

「先日の映像よりかなり恢復しています。あれの菌は死滅しているんじゃないですか。」
「カディナ病は甘く見てはいかんぞ。」
「しかし、ハイネは『突発性睡眠症候群』を発症しています。」

 リンはコンピュータから視線を外してノバックを見た。

「突発・・・何だって?」
「『突発性睡眠症候群』です。カディナ病の後遺症ですよ。黴が完全にいなくなった証拠です。」

 リン長官は黙り込んだ。医療区が嘘をついたのか? それとも、このドームの医師達はカディナ病に関して無知なのか?
 そもそも1年半近く治療の決め手を発見出来なかったのに、突然患者が目覚めて元気になるなんて、おかしいではないか。

「ハイネは報告よりもずっと早く目覚めていたのではないかな。」

とリンは呟いた。気に入らなかった。ドームのトップは長官ではないのか。何故報告がなかったのだ。
 ノバックが提案した。

「今夜、私がもう1度見舞って来ましょう。」


2017年7月4日火曜日

侵略者 5 - 4

 ケンウッドがヤマザキ医師に「話がある」とメールすると、数分後に返事が来た。ランチの後で庭園の東屋で会おうとあった。ケンウッド達に追求されることを予想していたかの様だ。
 会議室を出ると、パーシバルがすぐに横に来た。コートニー医療区長はリン長官に捉まって説明をしているので、まだ出てこない。

「僕等、素手で彼に触れたよな?」

 パーシバルは昨夜の感動を台無しにされた気分だろう。ケンウッドはサッと周囲に目を走らせて、囁いた。

「医療区が何か企んでいるようだ。私はランチの後でヤマザキに会ってくるが、君はどうする?」

 パーシバルも前後を見てから答えた。

「2人で行動すると気取られるだろう。君が1人で行ってくれ。結果はメールで充分だ。」

 ランチも別々に取った。ケンウッドはサラダとスープで軽く済ませ、食後の散歩のふりをして庭園へぶらぶらと歩いて行った。庭園は、人工の土に樹木を植えて人工の森と人工の小川を造った場所だ。ドーマーはこれを本物の森だと思っている。コロニー人は人工物だとわかっているが、コロニーにこんな贅沢な場所は少ないので、人気の散歩スポットだ。時々カップルがデートしている姿も見かける。ただし、女性は殆どいない世界なので、男性同士のカップルだ。
 東屋のところでヤマザキ医師がベンチに座って端末を眺めていた。ドームでは所定の場所でしか飲食を許されない。森の中では東屋が唯一許可されたスナックポイントで、ヤマザキは昼食だろうか、携行高カロリー食と飲料水のボトルを傍らに置いていた。
 ケンウッドは東屋に保安課の監視カメラが設置されていることを知っていた。ドーム内には至所に監視カメラがある。犯罪防止ではなく、男社会のドーム内で喧嘩が発生するのを防ぐためだ。誰かが殴り合いを始めようものなら、すぐ保安要員がすっ飛んで来る。だが、穏やかに会話している分には、彼等は無視してくれる。会話を盗聴している訳ではないのだ。
 ケンウッドが近づくと、ヤマザキが顔を上げた。端末をポケットに仕舞い込んで、彼の隣を指した。

「会議で驚いたことだろうね。」
「ああ、ハイネの体内に黴が残っていると医療区長が言ったが・・・」
「ああでも言わないと、患者を守れないからな。」

 ケンウッドが見つめたので、ヤマザキは苦笑した。

「昨夜、コートニー博士と急遽相談して下手な芝居を打ったんだよ。朝一番に今日の業務予定を持って来たセルシウス・ドーマーを説得して、着なくて良い防護服を着てもらった。ハイネにも説明した。話の途中で眠られると困るので、大急ぎで概略だけ話したのだが、理解してくれた。」
「何から彼を守るつもりだ?」
「決まっているだろう、長官室に居る男からさ。」

 ヤマザキは端末を出して、先刻まで見ていたものをケンウッドに見せた。辺境開拓事業の続行が決まったと言う、人類連邦議会の発表のニュースだった。

「また進化型遺伝子の相場が上がった。リンがこのニュースを無視すると思えないのでね。」
「彼がハイネに何か仕掛けてくると?」
「今ハイネを外に出せば、そうなるだろう。昨夜、君は見ただろう? 『突発性睡眠症候群』の症状を。もし、長官室でハイネとリンが2人きりになった時に、あの後遺症がハイネに出たら、どうなると思う? あの睡眠の深さでは、何をされても目が覚めないだろう。」
「では、ハイネを外に出さないように、嘘の報告をしたのか、コートニーは・・・?」
「そうだ、同時にリンが病室に侵入して悪さをするのも防げるだろう。ハイネが完治する迄の辛抱だ。元通りの体に戻れば、彼は武道の達人だから、リンやノバックごときに負けはしない。」

 ケンウッドはハイネの衰弱ぶりを思い出した。元通りに戻るのは、何時のことだ?

「では、ヘンリーや私もこれからガラス越しで彼と会話するしかないのか?」
「リンの一派がいない時は中に入れば良いさ。 医療区は誰もがあの連中を嫌っているから、連中がやって来れば、すぐに警報が出る。」

 ヤマザキが端末を操作すると、ケンウッドの端末に着信があった。見ると、タイトルが「空襲」と言う空メッセージだった。

「奇妙なもので・・・」

とヤマザキが自嘲しながら言った。

「1年4ヶ月、面倒を見ていると、コートニーも看護師達も僕も、彼のことは『僕等のドーマー』と言う認識を持ってしまった。ペット扱いはいけないし、実際彼は人間で、僕等の誰より年上なのだがね。長官には絶対に渡したくないし、指1本触れて欲しくない。」
「情が移ったのだね。」
「君とヘンリーもそうだろう? 君が彼を助けるためにベータ星人の医者に会いに行って、肺洗浄の案をもらってきたことを、彼に伝えておいた。彼は感謝しているはずだ。」
「情だけじゃないさ。彼に戻って来てもらわなければ、このドームはリンに滅茶苦茶にされてしまうと思ったからだ。」

 だが、やはり情もある。ケンウッドは心の中では否定しなかった。誇り高き美しい地球人をもう1度ドームのトップに据えたいのだ。なんだか士気が沈滞しているこのアメリカ・ドームをもう1度元気にしたかった。
 遺伝子管理局は、維持班と呼ばれるドームの生活を支える仕事をしている多くのドーマーにとっては雲の上の存在だ。エリートだから、あまり言葉を交わす機会がないし、友達になることもない。ドームの中に意味のない身分制度が出来ているのだ。だが、ハイネ局長は維持班に気さくに話しかけるし、優雅なその姿はドーマー達の憧れであり尊敬の的だった。ハイネが姿を消して、死亡説まで流れると、ドーマー達は気分が沈んでしまっている様だ。
 だから、ケンウッドは彼を目覚めさせようと奔走した。そしてコートニーとヤマザキも、彼の復活を公表に踏み切ったのだ。
 ローガン・ハイネ・ドーマーには、これから後遺症との闘いが待っている。

侵略者 5 - 3

 翌日、定例の執政官会議が開かれた。ドームの研究内容の確認だ。地球人の女子誕生にこぎつける研究がどこまで進んでいるか、遺伝子学者達が報告と意見交換をする。
正直なところ、ケンウッドはこの会議は好きでない。ちっとも進展がないし、時間の無駄だ。それに自分達の無能さを互いに披露して批判し合っているだけだ。
 リン長官もこの時は科学者の顔で部下達の報告を神妙に聞き、自身の研究内容を紹介する。彼の研究も地球人女性のX染色体が男性のX染色体を拒絶する理由を解明出来ない。
 2時間ばかりのだらだらした話合いの後、そろそろお開きにしようとなったところへ、サム・コートニー医療区長が現れた。

「遅れて申し訳ありません。」

 彼がわざとらしく息を弾ませて謝罪した。

「遅れたどころじゃないだろ、もう閉会だ。」

 リン長官は怒っていない。彼はポール・レイン・ドーマーを独占出来て嬉しいので、近頃機嫌が良かった。パーシバルのファンクラブは、既存のファンクラブを吸収して大きくなり、なんとかポールや若いドーマー達をリン一派から引き離そうと画策するが、肝心のドーマー達が無気力なので功を奏さない。
 その日珍しく遺伝子管理局長の席に座っていたヴァシリー・ノバック局長代理がからかい口調で言った。

「遅れた理由を聞く時間はありますがね。」

 他の執政官達は苦い表情をした。医療区長の遅刻は大概ドーマーの「通過」で経過観察をしていて時間を忘れてたことに拠るものが多かったからだ。
 コートニーはニヤッと笑った。

「では、理由を説明しましょう。貴方にとっては朗報ですよ、ノバックさん。」

 ノバックは博士ではないので、「さん」付けで呼ばれた。局長や局長代理とは誰も呼ばない。朗報と言われて、ノバックは怪訝な顔をした。
 コートニー医療区長はリン長官を真っ直ぐに見た。

「遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーが目覚めました。」

 ええっ! と会議室に衝撃が走った。ケンウッドとパーシバルも驚いたが、この2人の驚きは「今頃の発表かい!」だった。
 ざわざわと騒がしくなった会議室内で、ノバックが顔を蒼白にして座っていた。リン長官の目も一瞬泳いだ。
 執政官の中から質問が上がった。

「確かですか? 彼は、その・・・」
「確かです。映像に出しましょうか?」

 コートニーは端末を操作して、会議室の中央にある3次元画像テーブルに映像を立ち上げた。
 隔離室のベッドの上でローガン・ハイネ・ドーマーが秘書の介助を受けながら水を飲んでいた。秘書が話しかけると、彼はかすかながら頷き、また頭を枕に戻した。
 ケンウッドは呆気にとられた。秘書が2人のうちのどちらか判明しなかったのだが、それは防護服を着ていたからだ。その必要はないはずだが?
 パーシバルも不思議そうな顔でケンウッドを見た。
 コートニーが説明した。

「彼は昨夜遅く目覚め、驚異的な体力で恢復し、自力で水分補給が出来るようになりました。奇跡としか言いようがありません。」
「本当に・・・昨夜目覚めたのか?」

 リン長官が疑わしげに尋ねた。無理もない、1週間前は死体同然だったのだ。
 コートニーは「本当です」とムッとした口調で答えた。

「彼はまだ体内に黴の胞子を持っているので、あの様に介護者は防護服着用が必須です。ですが、食事が出来るようになりましたから、自身の体力と薬剤で黴を除去出来るでしょう。」
「何故、目覚めたのだ?」
「それが謎ですねぇ。」

 コートニーは科学者らしくない言い方をした。

「進化型1級遺伝子の所持者は、本当に謎だらけですよ。」

 リン長官がまた重ねて尋ねた。

「まだ彼を部屋から出せないのか?」
「出せません。」

 コートニーが断言した。

「しかし、仕事は出来ます。2,3週間で元通りの仕事が出来るようになります。」
「しかし、黴が・・・」
「それが問題でして・・・当分、隔離室の中で業務させることになるでしょうね。」

 パーシバルがケンウッドの端末にメッセージを入れた。

ーー彼はどう言うつもりなんだ?

 彼とは、コートニーのことだとケンウッドはわかったが、答えはわからなかった。昨夜、ヤマザキはもう再発はないと断言したのだ。


侵略者 5 - 2

 部屋の中は少し涼しかった。寝間着だけの患者には寒いのではないかとケンウッドは少し心配になったが、ヤマザキ医師は何も言わなかったし、ベッドの上のハイネも寒がっている様子はなかった。もっとも彼の胸から下は薄い上掛けで覆われていたが。
 ベッドの足側の壁のドアから中に入ると、ハイネは直ぐに気が付いた。瞼は半眼のままなのに、その奥にある瞳が動いたのをケンウッドは見た。ヤマザキ医師が患者に対する時に使う優しい声音で話しかけた。

「ハイネ局長、お客さんですよ。」

 瞼がゆっくりと持ち上がり、青みがかった灰色の瞳が見えた。気のせいか表情が和らいで見えた、と思ったら、横でパーシバルが勝手に通訳した。

「彼は今、『やあ、久し振り』と言ったぞ。」

 ヤマザキが彼を振り返って笑った。ケンウッドはパーシバルの通訳を信じた訳ではないが、彼もそう感じたので、声を掛けた。

「久し振りだね、局長。」

 彼はベッドに近づこうとして、ふと足を止めた。ヤマザキを振り返って尋ねた。

「そばに近づいても良いのかな? いや、黴はもう心配していない。私達が彼に害になるものを移すといけないと思って・・・」
「気になるのなら、手袋とマスクをすれば良いじゃないか。」

と言いながら、パーシバルが遠慮なくベッドに近づいて、ハイネの手を素手で取った。

「君がこちら側に戻って来てくれて嬉しいよ。僕の方があのベータ星人と長く一緒にいたのに、すぐに恢復したので、なんだか申し訳なくてね。」

 正直なところ、彼が素手でハイネを触ったので、ケンウッドはぎくりとしたのだ。ヤマザキもちょっと驚いていた。医療区の人間は原則患者に触れる時は手袋着用が義務なので、彼も診察時以外は素手にはならない。今まで彼等は一度も素手でハイネに触れたことがない。触れる必要はなかったし、ドーマーの方からコロニー人に接触してくることもなかったからだ。それに、ドーム内では、ハイネ局長は絶対にコロニー人に体を触れさせないと言う定評があった。なにしろ、唯一人の「お勤め」のないドーマーだったから。
 ケンウッドもヤマザキもハイネが怒るのではと危惧した訳だ。
 しかし、ハイネは特に顔色を変えるでもなく、表情を硬化させるでもなく、パーシバルに手を握らせていた。パーシバルは仲間のコロニー人達の危惧も解さず、ハイネの手を軽く揺すり、「早く良くなれよ」と言ってから、ようやく離れた。
 ハイネの目がこちらを向いたので、ケンウッドは意を決して自分も彼の手を取った。

「君があの時、『来るな』と怒鳴ってくれなかったら、私も感染していたかも知れない。我々コロニー人が恐ろしい宇宙黴で地球を汚染してしまったのは事実だ。そして君がその拡散を防いだ。直ちにフロア封鎖命令を出してくれただろ? あの場合、咄嗟に病原菌侵入を疑う人間なんて、普通はいないだろう。君の素早い判断で地球は救われたんだ。私は人類代表じゃないが、君に心から感謝している。」

 ハイネの手が弱々しくだが握り返してきたので、ケンウッドは驚いた。相手の顔を見ると、ハイネは顔の筋肉を動かして唇を動かそうとしていた。何か言いたいのだ。ケンウッドが顔を近づけると、不意にその動きが止まった。ハイネの手から力が抜け、彼の全身がだらりと脱力して目を閉じてしまった。
 ケンウッドは仰天した。

「ハイネ! どうした? しっかりしろ!」

 パーシバルも飛びついた。

「どうしたんだ?」
「わからない。」

 ところが、2人の後ろでヤマザキ医師がクスクス笑っていた。

「説明するのを忘れていたなぁ。」

 ケンウッドはハイネの肩に手を掛けたまま振り返った。

「説明?」
「うん、それはカディナ病の後遺症で、『突発性睡眠症候群』だよ。」
「なに?」

とパーシバル。彼は蒼白になっていたが、ヤマザキが笑っているので、徐々に赤くなってきた。

「笑えることなのか?」
「笑えることじゃないが、心配することでもない。」

 ヤマザキはハイネの手元からリモコンを取り上げて棚に置いた。

「カディナ病の罹患者は、黴と全身で闘うんだ。だから治っても暫く疲労が残っている。
覚醒している時は普通の生活が出来るが、突然スイッチが切れて眠ってしまうんだ。歩いている時でも、食事中でも、会話の途中でも、いきなり眠りに陥ってしまうんだ。」
「それじゃ・・・」

 ケンウッドとパーシバルはベッド上のドーマーを見下ろした。

「彼は、ただ眠っているのか?」
「うん。ぐっすり、爆睡中だ。」
「何時目覚める?」
「わからない。だが、この睡眠は2時間程度しか持続しない。また目覚め、活動して、眠って、目覚めて、を一日に何回も繰り返すんだ。体調が戻って行くに従って、睡眠に陥る迄の間隔は長くなるがね。 今のハイネは1日のうち20時間眠っている。」
「1年4ヶ月も眠っていたのに、まだ寝足りないのか。」

とケンウッドは思わず愚痴ってしまった。

「まあ、そう言いなさんな。目覚める度に彼は恢復しているんだから。さっき、君は見ただろ? ハイネが唇を動かして喋ろうとしていた。」
「ああ・・・」
「昨日は食事の時に看護師が口を開けてやらないと食べられなかったんだ。水を飲み込むのはその前日に出来るようになった。」

 うーーん、とパーシバルが唸った。

「元通りになる迄、どの位時間がかかるんだ?」
「それは個人の体力に拠る。彼は固形物の食事が出来るようになれば、めきめき良くなるはずだ。ドーマーはみな丈夫だからね。」

 だが、ハイネはもう80歳を越えた。「待機型」の進化型1級遺伝子はどの程度彼を助けてくれるのだろう。







侵略者 5 - 1

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは身の回りの物を詰めた鞄一つで旅立った。ヘンリー・パーシバルと彼が設立したポール・レイン・ドーマーのファンクラブは彼を空港ビルまで出て見送った。セイヤーズは緊張をほぐす為か、明るく笑って、弟分のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーやパーシバルと冗談まで言い合った。そして最後に

「ポールを守ってやって下さい。」

と一言残して機上の人になった。
 肝心のポール・レイン・ドーマーは来なかった。彼は遺伝子管理局の仕事でセイヤーズより1時間前にフロリダ方面へ出張したのだ。それが上司の計らいだったのか、リン一派の嫌がらせなのかは不明だった。
 ケンウッドは自身の研究に戻り、医療区から距離を置いた。無関心を装うのではなく、患者が心配だが研究も心配だ、と態度に示して、リン長官とシンパの動きを観察した。リン長官はハイネが意識を取り戻したことを知らない様子で、普段通りに振る舞っていた。遺伝子管理局の局長代理ヴァシリー・ノバックはリンの個人秘書なので、地球には居着かず、月の事務所の方に専ら詰めている。リンが築いた医療財団の経営が彼の仕事なのだ。サンテシマ・ルイス・リンの専門は呼吸器系の遺伝病だから、患者は大気構成が地球と異なる惑星の開拓団に多い。地球の大気に合わせて造られたコロニー世界が多い太陽系ではく、辺境にお客さんがいる訳だ。

 辺境の客には、進化型遺伝子はある種の特効薬みたいなものだ。

とリンは口癖の様に言っている。客本人の遺伝子を組み換えることは出来ないが、その子供に有効なのだ。
 ケンウッドは不安を覚えた。肺の病気を克服出来たハイネの遺伝子は、リンの研究材料になり得る。恐ろしいγカディナ黴に1年4ヶ月も耐え抜いた肺は、リンが覗いて見たいサンプルだろう。
 長い一週間が過ぎ、ようやくコートニー医療区長から連絡が入った。

「黴の再発はどこにも見られない。隔離室から患者を出せないが、通路からの面会は出来る。彼に会うかね? まだ彼は声を出せないが・・・」
「ええ、話が無理でも顔を見たいです。」

 夕方、仕事を終えて夕食を取ってから、ケンウッドはパーシバルと共に医療区へ出かけた。こそこそする必要はなかったが、リン一派には見られたくないな、と2人共感じた。
コートニーはまだハイネ復活を公表していないのだ。
 隔離室は通常、ドーマーの「通過」に使用される部屋だ。ドームは入る際に徹底的に消毒をするので、普通は感染症の病人はいない。γカディナ黴の事故は初めての事例だった。
無菌で育てられるドーマー達は、外に出る時に肺炎菌などに感染しないよう、抗原注射と呼ばれる薬剤の注射を打たれる。薬剤の効力は48時間だ。この注射は若干中毒性があり、回数が増えると麻薬の禁断症状に似た苦しみを人間に与える。だから、外に出る回数の多い仕事をするドーマーはある年齢になると、大体30代半ば辺りだが、自身で薬が不要な普通の地球人の体を創るために、「通過」を行う。麻疹、風邪、ちょっとした腹下し、地球人ならほぼ全員が体験するような細菌を接種して故意に病気になるのだ。そうやって外気に体を慣らす。
 ローガン・ハイネ・ドーマーは生まれてから一度もドームの外に出してもらえなかったので、抗原注射も「通過」も無縁だった。その彼が、隔離室で寝ていた。一つ置いた部屋に若いドーマーが居たが、彼は局長が近くに居ることを教えられていない。
 ケンウッドとパーシバルはその若者を見舞うふりをした。若者は遺伝子管理局ではなく維持班で、建築班所属だった。ドームの外廻りの整備担当だ。彼は純粋に2人の博士が見舞ってくれたことを喜んだ。ケンウッドも「通過」を受けているドーマーを見るのは初めてだったので、彼にどんな様子か根掘り葉掘り聞いてしまった。軽い病気だし、最新医療の医療区内だから心配は皆無なのだが、気分が悪い状態が続いているのでドーマーは心細くなっていた。執政官が話を聞いてくれるので、幾分気が晴れた様だ。
 その部屋を離れると、パーシバルが呆れた様に言った。

「君は本当に地球人が好きなんだなぁ。」
「私は人間が好きなんだよ、ヘンリー。勘違いするな。」

 ハイネの部屋はすぐ近くだから、会話が終わるともうガラス窓の前に立っていた。
 ローガン・ハイネ・ドーマーは上体側をやや起こした状態のベッドに横たわっていた。前日からやっと水と流動食を少量口から摂れるようになったと言うことで、ベッド脇の棚の上にストロー付きのカップが置かれていた。顔の斜め上に天井から吊したスクリーンがあり、ハイネはそれをぼんやりと半眼で眺めているかの様に見えた。しかしよく見ると、手がベッド上に置かれたリモコンを触っており、画面が切り替わった。
 パーシバルがまた呆れた声を出した。

「あいつ、仕事をしているぞ!」

 ケンウッドはまさかと思ったが、スクリーンに映っているのは遺伝子管理局の部下達が書いた報告書だった。

「ただ読んでいるだけだがね。」

 ヤマザキ医師がいつの間にかそばに来ていた。

「腕を上げる筋力が恢復していないので、署名も出来ない。だが彼は秘書に最近の報告書で難しい案件を選ばせて読んでいる。秘書が素人のノバックに廻さなかった事案だ。」
「良いのか、仕事などさせて・・・」
「彼の頭は正常だよ。この一週間で空白の1年4ヶ月をなんとかクリアしてしまった。」

 ケンウッドは人間と言う生物が持つ底力を目の当たりにした思いだった。それとも、今目の前に居るのは進化型1級遺伝子を持つ新種の人類なのだろうか?
 ヤマザキが尋ねた。

「中に入って彼と話してみるかい?」