2017年7月9日日曜日

侵略者 5 - 10

 保安課のモニター室は執政官クラスなら自由に見学出来る。観察棟はクローンの子供達に異変があればすぐスタッフが駆けつけられるように、棟内にモニター室があった。医療区よりも緊急時の対応が早いのだ。これは医療区の患者が日頃健康維持に努めている人間ばかりなのに対し、観察棟の収容者は生まれた時点から健康問題を抱えているからだ。
 ケンウッドはリン長官の仲間が既にハイネの部屋の記録を見たのではないかと心配したが、連中はまだ来ていなかった。立腹して火星に帰ってしまった介護人の応対で手が塞がっていたのだろう。パーシバルはドーマーを介護人に付ければ問題はなかったのでは? と言ったが、ケンウッドはそれは違うような気がした。ドーマー相手にハイネが手を揚げるだろうか。
 保安課の担当者が音声は必要かと尋ねたので、勿論、とヤマザキ医師が答えた。彼は現場に居たが、何がハイネの激怒の原因になったか掴みかねている。もう1度映像を見て検証したかった。
 再現用モニター室にケンウッド、パーシバル、ヤマザキの3人は入った。保安課員も1人同席した。これは規則であって、リンの言いつけでも何でも無い。
 二次元モニターと3次元モニターの同時進行で記録再現が始まった。二次元モニターは入り口の上にあるカメラと、奥のベッドの上にあるカメラからの2方向だから、ケンウッド達は3つの記録を見ることになる。パーシバルが「忙しい」と文句を言ったが、先ず3箇所同時に流してみた。
 ローガン・ハイネ・ドーマーが執務机の縁に手を置いて体を支えて歩く練習をしている姿が映し出された。両側に支える物があれば良いのだが、片側にしかないので、空いている手でバランスを取って数センチずつ脚を運んでいた。パーシバルが呟いた。

「それでも歩けるまでになったんだな・・・」

ちょっと感無量と言った声音だ。一月前は死体同然だったのだから、無理もない。
ハイネの腕に筋肉が戻りつつあった。体を支えられるのだから、もう署名などは問題なく書いている。脚は画像ではよく見えない。肩から膝までのざっくりとした筒型の検査着を着せられているので、頭髪が白い長身の彼は歩く布に見えた。顔は斜め上からの撮影だが、血色も良くなっている。少し頬にも肉がついた様だ。ケンウッドはヤマザキに尋ねた。

「食事は普通に出来るのか?」
「うん、量は少なめだが、普通の食事を摂れるようになった。体を動かすから、食欲も出て来たんだ。」
「話も出来るのか?」
「ペルラ・ドーマーとは仕事の打ち合わせをしている。でもスタッフとは挨拶程度しか口を利かない。」
「ドーマー相手でも?」
「ドーマーだからなおさらだ。仲良くした相手がリンに睨まれては可哀想だと思っているのだろう。」

 ハイネが動きを止めた。休憩しているのかと思ったら、ドアが開いた。ヤマザキ医師が顔を出し、「やぁ、ハイネ局長」と声を掛けた。ハイネが頷いた。

「彼は君が来たことを気配で感じ取ったのか?」

とパーシバルが尋ねた。ヤマザキが苦笑した。

「この映像を見ると、そう受け取られるね。一応ノックをしたんだよ。」

 映像の中のヤマザキ医師は後ろを振り返り、誰かに「どうぞ」と言った。それから中に向き直り、「介護人が到着しましたよ」と言った。介護人が来ることは事前にハイネに通知されていたようだ。
 ハイネはとくに喜んでいる風でもなく、黙って立っていた。ドーマーでも執政官でもない介護人はコロニー人に決まっているし、リン長官の指示で何か介護以外の役目も負っているはずだ。
 介護人がヤマザキの横を抜けて室内に入ってきた。被介護者を抱えたり支えたりする仕事だから、肩幅があり、筋肉もしっかりついた頑健な体格の中年男性だった。ヤマザキが彼をハイネのそばまで案内してから紹介した。
ーー局長、こちらは火星第1コロニーの社会福祉事業団から派遣されてきた公認介護士ダニエル・ジョンソン氏です。
 ハイネは無表情でコロニー人の介護士を眺めている。ヤマザキがコロニー人に向き直った。
ーージョンソンさん、こちらが、アメリカ・ドーム遺伝子管理局長ローガン・ハイネ氏です。
 ヤマザキは公式な場所ではドーマーの名前に「ドーマー」を付けないと言う基本ルールを守った。この紹介にもハイネは表情を変えずに介護人をただ見ているだけだった。
 介護人が手を差し出した。プロなので、きちんと手袋を着用していた。彼は愛想の良い笑みを浮かべ、挨拶した。
ーー初めまして、ダニエル・ジョンソンです。アメリカ・ドームのリン長官から貴方の介護を仰せつかりました。お体が元通りに戻る迄、お世話をさせていただきます。

「ここまでは普通だよな?」

とパーシバルが囁いた。介護人は何の非礼もしていないし、ハイネも相手を観察しているだけだ。
 ケンウッドはハイネが反応しないで、ちょっと不安を感じた。もしかして、立ったまま寝てしまったのか? しかし、その時、ハイネが返事をした。

ーー失礼、まだ反応が鈍くて理解に時間がかかります。

「嘘だよな?」

とパーシバル。ケンウッドも同じ感想を抱いた。ハイネは相手の人物を見極めようと故意に時差を創っているのだ。
 ジョンソンが肉付きの良い大きな顔に優しい微笑みを浮かべたまま、少しだけ前に出た。彼はもう1度言葉を発したが、それは介護人が被介護者をリラックスさせようとするものだった。
ーー仲良く致しましょう。家族の様に扱ってもらえると嬉しいです。私のことは、ダニーと呼んで下さい。私は貴方をローガンと呼びます・・・

 いきなり事件が勃発した。ハイネの顔がサッと蒼白になったと思ったら、いきなり拳を振り上げて介護人に殴りかかったのだ。体がまだ自由に動かせないので、ジョンソンはびっくりしながらも後ろに身を退くことが出来た。元気なハイネだったら、彼は一撃でノックアウトされたはずだ。パンチが空振りに終わったので、ハイネはよろめいたが、なおも次の攻撃を試みようと前に踏み出した。脚がもつれる前にヤマザキが後ろから抱き留めた。
ーー駄目だ、何をしている、ハイネ!
 ヤマザキの制止の声を無視してハイネが怒鳴った。
ーー出て行け! 1分以内にドームから出て行け、さもないと殺す!

 ケンウッドは思わず記録再生を止めた。パーシバルは口元に手を当てて、信じられないものを見たと言う表情でヤマザキとケンウッドを見比べた。保安課員は無表情で3人のコロニー人を見ていた。
 ケンウッドは保安課員を見て尋ねた。

「君はこれをリアルで見た?」
「はい。」
「局長は何で腹を立てたのだ?」
「僕にはわかりません。」
「驚いただろう?」
「勿論です。」

 保安課員は見てはいけないものを見てしまったと言う顔をした。

「ローガン・ハイネ・ドーマーは僕等ドーマーの頂点にいる人です。あの人が取り乱すなんて・・・」
「保安課はみんなこれを知っているのか?」

 保安課員は少し躊躇ってから、観察棟の当直だけです、と答えた。

「保安課長クーリッジとリン長官には報告しました。」

 ケンウッドがモニターに向き直り、続きを再生した。