2017年7月26日水曜日

侵略者 8 - 4

 2日後の朝、ドームの空港にヨーロッパからジェット機が飛来した。乗客は5名で、4名はコロニー人、1名がドーマーだった。コロニー人達は執政官ではなく、ドームの建築技師達で、施設の修復の為に地球各地を飛び回っていた。
 ドーマーはまだ若く、ダークスーツを着用して、手には小さなハードケースを提げていた。空港職員達は彼を知っていた。

「お帰り、セイヤーズ! 里帰りかい?」

 優しい声を掛けられて、少し緊張気味だったドーマーは肩の力を抜いた。

「こんにちは、お久しぶりです。西ユーラシアから、遣いで来ました。」

 空港職員は、彼が運んで来た手荷物が、通関検査無用の「検体」であることを知っていた。遺伝子管理局から前日に西ユーラシアから「直便」が来ると連絡が来ていたからだ。
「直便」と言うのは、研究用の生きた細胞を遺伝子管理局の局員が自ら運んでくることを指す。貨物扱いではないのだ。細胞が損傷しないように、検査は研究施設で行われる。
 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは手荷物をゲート職員に預け、自身は消毒を受けた。新しい衣服を与えられ、送迎フロアに入って手荷物を返してもらうと、回廊を歩いて遺伝子管理局に向かって歩き始めた。医療区を抜ければ一番近道だと知っていたが、彼は自身がまだ使いっ走りの下っ端局員だと認識していたので、回廊を選んだ。それに、1年振りの「故郷」にちょっと気持ちが高ぶっていたので、気を静めたかった。
 西ユーラシアは様々な文化や民族が入り交じったドームで、彼の興味は尽きることがなく、とても面白い場所だった。お陰でリン長官の意地悪で飛ばされたことを恨んだり哀しんだりする暇がなかった。それに向こうの遺伝子管理局の仲間は皆優しくて仲良くしてくれた。今回の出張も、西ユーラシア遺伝子管理局長ミヒャエル・マリノフスキー・ドーマーが親心で里帰りさせてくれたのだ。
 セイヤーズはゆっくりと回廊を歩いた。ずっとこの道が終わらなければ良いのに、と思った。そうすれば、ずっとここに居られるのに。
 やがて回廊は庭園の入り口付近で終わった。 セイヤーズは庭園を歩いた。ここでポール・レイン・ドーマーとデートして、愛を交わした。あの頃は、2人で一緒に死ぬまでここで暮らせると思っていた。レインは彼のもので、彼はレインのもので・・・あのコロニー人が全てを破壊したのだ。
 東屋まで来ると、知っている顔が彼を出迎えた。

「お帰り、セイヤーズ。元気そうだね!」
「パーシバル博士!」

 親の様に可愛がってくれた執政官のヘンリー・パーシバルが、彼を待ち受けていた。遺伝子管理局からその日の「直便」がセイヤーズだと教えられていたのだ。だから、リン長官のシンパに見つかる前にセイヤーズを保護する目的だった。
 セイヤーズはパーシバルと両手で固く握手した。

「お会い出来て嬉しいです。」
「僕もだ。どれどれ、もっと顔をよく見せたまえ。すっかり大人になったね。逞しくなった。」

 パーシバルは握手するためにセイヤーズが地面に置いたハードケースに目を留めた。

「生細胞だな。中央研究所へ直接持って行くのか、それとも遺伝子管理局へ先に挨拶に行くのか?」
「ええっと・・・」

 セイヤーズはマリノフスキー局長に言いつけられたことを思い起こした。

「先ず、遺伝子管理局本部の局長室で挨拶して、秘書にケースを渡します。そこで私のお役目は終わり・・・」
「うむ、簡単だな。じゃ、観察棟へ行こう。」
「え? どうして観察棟なんです?」
「目下のところ、観察棟に局長室があるからさ。」
「でも、本部へ行かないと・・・」

 セイヤーズは決して融通の利かない男ではないのだが、初めての仕事なので戸惑っていた。それに「直便」は執政官の為の仕事だが、仕事を請け負うのは遺伝子管理局であって、遺伝子管理局のやり方でやる。執政官の口出しは無用だ。
 セイヤーズの困惑をパーシバルは理解した。彼は端末を出し、電話を掛けた。

「パーシバルだ。『直便』を捕まえているんだが、何処に連れて行けば良い?」

 誰と喋っているのだろう、とセイヤーズは博士の顔を眺めた。パーシバルはうんうんと相手の言葉に相槌を打ち、了解、と呟いて電話を終えた。

「君が言う通り、本部へ連れて行けとさ。」
「そうですか・・・でも、誰に掛けられていたんですか?」
「決まってるだろう、ハイネ局長さ。」
「・・・はぁ?」

 セイヤーズはちょっと混乱した。アメリカ・ドームの局長はヴァシリー・ノバックと言う人じゃなかったのか? セイヤーズはハイネと直接面会した記憶がなかった。少なくとも、訓練所時代に参観に来たハイネを離れた位置から見たことがあっただけだ。キラキラ輝いて見えて、訓練生が話しかけるなど、もったいなくて気後れした。入局式にはノバックが局長として訓示を垂れた。西ユーラシア転属の書類に署名したのもノバックだ。
 セイヤーズの困惑にパーシバルは気が付き、可哀想に、と思った。この子はハイネの庇護を受けられずに転属させられてしまったのだ。ハイネが元気だったら決して許さなかったであろう人事異動なのだ。だがパーシバルはセイヤーズにアメリカ・ドーム内で現在行われている権力闘争を語るつもりはなかった。
 今はセイヤーズをリン長官の目から守るのが彼の役目だ。