2017年8月24日木曜日

後継者 2 - 2

 ハイネはケンウッドをチラリと見て、簡単に答えた。

「15代目が元気だったからですよ。局長職は終身ですから。」

 そして何かつまみはないかと食品庫を覗きに席を立った。ケンウッドはまたはぐらかされた気がした。ハイネは嘘をつかない。だが都合の悪い質問には核心を答えない。
 パーシバルがポケットから小さな箱を出した。軽く振るとカサカサと音がした。

「ハイネ、良い物をあげるから、僕の隣へおいで。」
「何です?」
「チーズクッキー。」

 ハイネにはテレポーテーションの才があるのだろうか? ケンウッドはアッと言う間に彼の正面に座った局長に呆れた。ヤマザキは笑いっぱなしだ。
 一口サイズのチーズクッキーをつまみにお酒を飲んで、パーシバルが立ち上げたいくつかのドーマーのファンクラブの運営状況を聞いた。ドーマーは芸能人ではないから、ファンクラブと言っても、彼等の職務の応援をしたり、便宜を図ってやるのが活動内容だ。だからハイネも真面目に話を聞いていた。
 パーシバルの一番の気がかりはポール・レイン・ドーマーだった。ダリル・セイヤーズ・ドーマーの脱走事件以来、レインは取り憑かれた様にセイヤーズ捜索に没頭していた。局員としての通常業務の合間に捜索活動を挟み込み、抗原注射を打つ間隔を最短で組んだ。リン前長官の愛人として幹部候補生になり、優遇されていたのを、リプリー新長官によって降格され、唯の局員に戻ったので、却って動きやすくなったのだ。殆どドームに居着かず、外に出かけて行く。部屋兄弟のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが彼の健康を心配してヤマザキに医療警告を出してくれと泣きついたほどだ。

「ハイネ、セイヤーズはまだ見つからないのか?」
「まだ手がかりさえ見つかりません。端末を遺棄した上に、ネット環境のない場所に隠れた様です。」
「メーカーに捕まったと言う様なことはないだろうな?」
「メーカーに?」

 ハイネが皮肉そうな笑みを浮かべた。

「セイヤーズはそんな柔なヤツではありません。西ユーラシアのマリノフスキーも言っていましたが、彼は戦闘能力に秀でています。メーカーの組織の一つぐらい1人で片付けられます。」
「そんなに凄いのか、セイヤーズは?」

 ヤマザキが驚いて尋ねた。ケンウッドは訓練所で教鞭を執った時の、生徒としてのセイヤーズを思い出した。

「彼はとても個性的なんだ。ドーマーらしい型にはまった発想しか出来ない普通の子供達とは違う。凄く豊かな才能を持っている。」

 ハイネがグラスの中身を飲み干して付け加えた。

「でも、脳天気なんです。」

 パーシバルが笑った。それからしんみりと言った。

「そう・・・脳天気だから脱走したんだ。知らない人ばかりの所に行けば、なんとかなると思ったんだろう。ポールを忘れることが出来ると思ったに違いない。だけど、きっと今も苦しんでいるさ。」

 お代わりを取って来ます、とハイネが席を立った。彼が寝室に近い棚を眺めて客に背を向けた隙に、ヤマザキがポケットから点眼薬の様な小さな容器を出して、ハイネのグラスの中に1滴雫を落とした。ケンウッドが尋ねる前に彼は素早く容器をポケットに仕舞い込んだ。
 ハイネがブランデーの壜を持って席に戻った。空になっているヤマザキと彼自身のグラスに注ぎ、ケンウッドの前に壜を置いた。ご自由にどうぞ、と言うことだ。そしてヤマザキが謎の薬を入れたことに気が付かずにブランデーを飲んだ。

「もしセイヤーズを捕まえたら、ドームは彼をどうするつもりだい?」

 話を振られてケンウッドは我に返った。質問したパーシバルに顔を向けた。

「恐らく観察棟に入れて反省させるだろうな。セイヤーズは西ユーラシア所属だから、向こうから迎えが来るだろうし、それまでは幽閉するだろう。もっとも、この件に関しては、リプリーと話し合ったことがないんだ。リプリーはドーム内の粛正に忙しくて、地球上の何処かに隠れたドーマー1人に時間を割けない。」

 パーシバルが視線を向けたので、ハイネも仕方なく答えた。

「ケンウッド博士が仰せの通り、西ユーラシアに強制送還となるでしょう。その後の処分はあちらが決めることで、私は口出し出来ません。」

 ハイネはセイヤーズを本当は手放したくなかったのだ。γカディナ黴の病気で昏睡状態にいた間に、サンテシマ・ルイス・リンが無断で若いドーマーをドーマー交換に出してしまったのだから。
 パーシバルがケンウッドに向き直った。

「ニコ、早く長官になってセイヤーズを取り戻す算段をしてくれよ。僕はポールの辛そうな顔を見ると、心が痛むんだ。」
「君はポールの為にセイヤーズを取り戻したいのか?」
「勿論、セイヤーズも好きさ。あの子は性格が良いから、一緒に話をしたり運動しても楽しいんだよ。彼が居たら、きっと遺伝子管理局の雰囲気も変わるぞ。」

 するとヤマザキが口をはさんだ。

「クロエルが入局したら、ずっと明るくなるんじゃないか?」
「明るくなり過ぎて毎日お祭り騒ぎかも知れない。」

 いつの間にか話しの流れが新入局員の話題に変わった。わいわい言っているうちに、ケンウッドはハイネの口数が減ったことに気が付いた。見ると局長は目を半ば閉じてうとうとし始めていた。ブランデーの壜を見るとまだ殆ど減っていない。

「ハイネ、疲れたのかい?」
「いえ・・・ちょっと・・・」

 ハイネは頑張って答えたが、数分後にはパーシバルの肩にもたれかかって目を閉じてしまった。
 ケンウッドはヤマザキを見た。

「君が彼に何か盛ったな?」
「睡眠薬を1滴・・・」

とヤマザキが苦笑した。

「あまり大酒を飲んで欲しくないので、眠らせたんだ。大丈夫、明日の定時に彼はちゃんと目覚めるはずだ。」
「ばれたら絶交されるぞ。」

とパーシバルが脅かした。彼はハイネに囁きかけた。

「ハイネ、起きてベッドまで歩け。さもないとキスをするぞ。」

 しかしハイネは「うふん」と艶めかしい声を出したきりで、動かなかった。パーシバルは諦めた。

「きっとチーズの山でも見つけた夢を見ているんだろう。誰か、彼を運ぶのを手伝ってくれ。僕独りで抱っこするには大き過ぎるから。」