2017年8月26日土曜日

後継者 2 - 4

 午前11時頃にケンウッドはリプリー長官の執務室に定時の面会に行った。その日の正午から翌日の正午迄のドーム内における執政官達の業務内容の確認と打ち合わせだ。誰かが目新しい研究や実験を始めない限りは、両者が部下達から提出されたスケジュール表に目を通して承認するだけで、半時間もかからない。
 だがその日はリプリー長官が用事を作っていた。

「昼休みに食い込むかも知れないが、ちょっと重要な案件がある。良いだろうか?」

 科学者に定時で仕事を終えると言うのは無意味なことだ。ケンウッドは慣れていたので、かまわないです、と応えた。するとリプリーは言った。

「では、ハイネ局長も呼んであるので、彼が来たら始めよう。」

 遺伝子管理局との合同業務と言うことか? ケンウッドはリプリーに2度手間をかけさせたくなかったので、黙って座って待つことにした。
 リプリーはコンピュータで書類を数点片付けた。その間、ケンウッドは秘書のロッシーニ・ドーマーが淹れてくれたお茶を飲みながら自身の仕事の資料に目を通した。真面目な2人の正副両長官にロッシーニ・ドーマーが何か言いたそうな顔をしたが、2人とも気が付かなかった。
 正午直前になって、やっと遺伝子管理局長が現れた。わざわざ本部から歩いて来てやったのだぞ、と言う顔をしながら出迎えたロッシーニ・ドーマーに頷いて見せ、奥に通されてケンウッドと向かい合う形で座った。ハイネ局長、とリプリーが執務机の向こうに座ったまま声を掛けた。

「ご足労願って申し訳ない。実は遺伝子管理局本部では話しづらい案件をこれから論じ合いたいのだ。」
「それは、ドーマーに関係する事案ですか?」
「その通り。」

 リプリーがコンピュータを操作して、中央の会議用テーブルの上に3次元画像を映し出した。楕円形の物体で表面がつるりとした感じの物体だ。

「本当の大きさは1ミリメートルほどだ。」

とリプリーが説明した。

「これは生体埋没型信号発信器だ。人間の細胞が発する電流に反応して電波を発信する。この装置を埋め込んだ人間が生存している限りは信号を発信し続ける。」

 ハイネが視線を画像から長官に向けた。彼はすぐに何故呼ばれたのか、その発信器が何の目的のものなのか悟ったのだ。

「ドーマーにこれを埋め込むのですか?」
「全てのドーマーではない。外に出かけるドーマーだけだ。」
「遺伝子管理局と維持班の両方に?」
「それに航空班もだ。」

 ケンウッドは話の内容を呑み込めた。リプリー長官はいつまで経っても見つからないダリル・セイヤーズ・ドーマーの脱走を気にしていた。第2のセイヤーズが出現する前に、外で仕事をするドーマー達に発信器を埋め込み、所在を掴んでおきたいのだ。

「これを埋め込むことでドーマー達には脱走してもすぐ捕まるぞと警告を与えられる。しかし、それよりも事故や事件に巻き込まれた時に彼等の居場所をすぐに特定出来れば、救助に向かう側も動きやすいだろう? 遺伝子管理局は巡回する地域が届け出られるので、何かあっても大凡の居場所の見当は付く。航空班は航空機にトラブルが発生した場合の不時着地点を探し出せる。」
「生きている場合でしょう?」
「勿論だ!」

 リプリーが力を込めて言ったので、ハイネが珍しくビクッとした。リプリーがちょっと不機嫌そうな声で言った。

「私はドーマーが死亡した時の話をしているのではない。生きて動けない状態になった場合の、救出方法の話だ。」
「失礼しました。」

 ハイネが素直に謝った。ケンウッドは急いで話の続きを長官に求めた。

「その発信器の信号を拾うのは、ドームですか?」
「いや、衛星だ。」

 画像に人工衛星が現れた。

「発信器は小さいので微細な電波しか発せないが、これは人工衛星が拾える機能を持っている。」
「つまり、軍用機器の一部ですか。」
「そうだ。コロニーの技術だから、地球人の技術では感知出来ない。つまり、メーカーが外に居るドーマーを誘拐しても発信器の存在はばれない。こちらは何か事件や事故でドーマーが行方不明になったとわかった時点で、衛星に指示を飛ばし、受信情報を本部に送らせることが出来る。」

 ハイネが質問した。

「本部とは?」
「勿論、貴方だ、ハイネ局長。」

 今度は何らかの書類が画像に出て来た。

「これは衛星から情報を送らせて分析させる為のマニュアルだ。これを貴方のコンピュータに転送するから、学習して欲しい。貴方の部下達を守る為のシステムだ。貴方が管理する。」

 ケンウッドは機械の取説は苦手だ。目の前で操作してもらえれば覚えられるが、文章を読んで覚えろと言われると閉口する。ハイネは大丈夫だろうか、と思って局長を見ると、ハイネは画像をチラッと見ただけで、長官に頷いて見せた。

「わかりました。目を通しておきます。それで、発信器の装着は何時から始めればよろしいですか?」
「貴方が承諾してくれたので、機器の準備を今日の午後から始めたい。埋め込みは医療区で行う。なぁに、圧力注射で腋の下の皮膚下に埋め込むだけだから、数秒で済むらしいよ。
いきなり全員が行っても混乱するだけだから、明日出かける局員から始めてくれないか。抗原注射の接種と同時に出来るそうだ。接種が必要ない『通過』済みの局員も受けて欲しい。」

 リプリーは念を押した。

「これは強制ではないが、出来るだけ受け容れて欲しいと言うのが、ドームの方針だと、部下達に言い聞かせてくれないか?」

 低姿勢の執政官に、遺伝子管理局長は言った。

「回りくどい言い方は不要です。逃亡防止目的だと言っておきます。」
「ハイネ・・・」

 一瞬リプリーが泣きそうな顔をしたのをケンウッドは見逃さなかった。ハイネ局長は気づかないふりをして立ち上がりながら言った。

「冗談ですよ。ところで、これからランチに行きますが、ご一緒しませんか?」