2017年9月10日日曜日

後継者 4 - 1

 みんな時間がもっとゆっくり過ぎてくれないかなと思いながら、初夏を迎えようとしていた。夏が終われば、お別れの日はすぐに来るだろう。月は頭上に見えている天体だし、シャトルで数時間もあれば往来出来るが、地球人は地球から出ることを禁止されているし、コロニー人も宇宙連邦移民局の許可証がなければ無闇に地球に下りることは出来ない。地球が汚染されるのを避ける目的が一番だが、他にも理由がある。地球はコロニーよりも遙かに広大だ。宇宙から逃げて来た犯罪者が身を隠す場所がいくらでもある。だから、宇宙連邦の治安当局は地球に下りる人間を厳重にチェックする。ドーマーにとって、月は目の前にあっても絶対に手が届かない世界だ。

 でも大昔からそうだったんだ・・・

 ケンウッドは地球に伝わる月にまつわる伝説や昔話を思い出しながら、夜空を見上げた。ドームの透明な壁の遙か上空に明るい月が浮かんでいる。人工の森の東屋では、いつものメンバーが座っていて、軽い夜食を摂っていた。食堂とアパート以外で飲食が許されるのは、この場所ぐらいで、大人気のデートスポットなものだから、空きがあるのは滅多にないことだ。偶然ヤマザキが見つけて、仲間に電話して呼び寄せた。

「月見と行こうぜ。」

 月を愛でるのは、日本人ぐらいだろう、とパーシバルが言ったが、彼は月光に輝くハイネの白髪が美しかったので、それ以上文句を言わなかった。ヤマザキは医療区から直接来ていたので、医療関係者の制服を脱いだだけで、Tシャツとラフなパンツ姿だった。ケンウッドとパーシバルは中央研究所から来たので、研究着を脱いでシャツとスーツのパンツ、タイは取っていた。ハイネはジムに居たので、運動着のままだった。着替えるのが面倒でそのまま来たのだ。
 食堂で購入した軽食とアルコールなしの飲み物だけで、彼等は特に仕事の話をするでもなく、うだうだと世間話をしたり、仕事中に興味を惹かれた細胞の現象を語ったりして時間を過ごした。そのうちに日中の疲れが出たのか、ハイネがパーシバルの膝枕でうたた寝を始めた。

「この爺さん、僕の膝がお気に入りなんだよな。」

 パーシバルが重みに耐えながら毒づいた。

「そのうちに、膝だけ置いて月へ行けと言い出すんじゃないかな?」
「膝だけクローンで作って置いていけば良いじゃないか。」

 ケンウッドの冗談に、パーシバルは苦笑した。彼はハイネの白い髪を優しく撫でていた。ハイネは最近理髪をさぼっているのか、髪が少し伸びている。パーシバルが彼の顔を見下ろしながら、仲間に囁いた。

「なぁ、こうやって横顔を見ると、ハイネはキーラによく似ているよな?」

 ケンウッドはドキリとした。ハイネが一番触れて欲しくない話題に違いなかった。話を逸らそうと考えている間に、ヤマザキもパーシバルに同意した。

「その白い髪を赤く染めたら、セドウィック博士になるなぁ・・・」

 パーシバルとヤマザキは互いの顔を見合った。パーシバルが先に思ったことを口に出した。

「ハイネが似ているんじゃない、キーラがハイネに似ているんだ。」

 すると、熟睡に至らずにうたた寝の状態だったハイネ本人が呟いた。

「迷惑な話ですよ・・・」

 パーシバルが髪を撫でる手を止めて、「起きていたのか」と言った。ハイネがゆっくりと体を起こした。仲間を順番に見てから、彼は言った。

「私は胎児認知届けも妻帯許可申請も出した覚えはないのです。」

 ケンウッドは、パーシバルとヤマザキが沈黙してしまったのに気が付いた。2人共、ドーマーの言葉の意味を推し量っているのだ。ケンウッドは独りだけ真実を知っているのが心苦しくなった。彼はハイネに向かって言った。

「私は、15代目から聞いたよ、ハイネ。」

 ハイネ、パーシバル、ヤマザキがケンウッドを見た。ケンウッドは腹をくくった。

「14代目は申請書も届け出も見たことがなかったはずだ。君は本当に出さなかったんだから。何も知らなかった。そうだろう?」

 ハイネがちょっと苦笑して訂正した。

「当時はまだ13代目の局長でしたよ。」

 彼は東屋の周囲に目を配ってから、パーシバルとヤマザキに向き直った。

「『お誕生日ドーマー』と言う言葉を聞いたことがありますよね?」

 2人の執政官は考えた。ケンウッドも以前耳にしたような気がしたが、何時だったか、何処でだったか、思い出せなかった。
 ハイネが説明した。

「女性執政官だけの秘密の習慣で、彼女達が誕生日の贈り物に、ドーマーを贈るのです。」
「はぁ?!」
「何だって?」
「まさか?!」

 ケンウッドも他の2人も思わず声を上げてしまった。ハイネが苦笑した。

「男性執政官がご存じないのも無理ありません。これは女性達とドーマー達の間での秘密なのです。ですから、私が今ここで貴方方に喋ったと言うことを、決して他所では言わないで下さい。さもないと、私がドーマー達から総スカンを食らいます。」
「なんだか聞くのが恐いなぁ・・・」

とパーシバルが弱々しく言って、彼等は低く笑った。