2017年12月6日水曜日

退出者 9 - 4

 遅い夕食を摂りにニコラス・ケンウッドが一般食堂へ行くと、アメリカ・ドーム名物、遺伝子管理局長と司厨長の喧嘩は既に終了していた。若い3人のシェフが月交代で司厨長を務めるのだが、その月の司厨長はチーズ料理が苦手でよく焦がしていた。ハイネ局長は焦げたチーズの味が嫌いではないのだが、見栄えが良くないので文句を言ったのだ。司厨長はそれに口答えをしてしまい、ハイネに絡まれてしまった。

「あの人、絶対に私等を虐めて喜んでいますね。」

 ハイネがテーブルに行ってしまい、入れ替わりにケンウッドが現れたので、司厨長はぼやいた。ケンウッドは、そんなことはないよ、と慰めた。すると司厨長は先代の言葉を教えてくれた。

「先代が与えてくれたアドバイスに、こうあります。
 『ローガン・ハイネがチーズ料理で文句を言ったら、相手にしてやれ。決して無視するな。但し、こちらにミスがない限り、絶対に謝るな。』
 今日もなんとかこの教訓を守れました。」

 ケンウッドは笑って、司厨長に「負けるなよ」と言い残し、局長を追いかけた。
 ハイネはテーブルに着いて焦げたチーズの香りを楽しんでいた。そんな幸福そうな表情をするのなら、司厨長に意地悪しなければ良いのに、とケンウッドは思ったが、これはきっとハイネのストレス解消法なのだろう。その証拠に、食堂を出る時には、彼は必ず厨房に向かって「美味しかったよ」と一言声を掛けて行くのだ。
 向かいに座ったケンウッドに、ハイネが今日は穏やかに終わりそうですね、と言った。ケンウッドは彼がジムで夕方に起きた騒動を知らないことに気がついた。リプリー長官が現場に局長第1秘書が来ていたと言ったので、局長に話が伝わったと思っていたのだ。セルシウス・ドーマーは事件性の低い出来事だったので、局長に報告する価値はないと判断したのだろう。しかし、ドーマー側には意味がなくてもコロニー人社会には問題が生じていた。

「夕方、ジムでちょっとした喧嘩があってね。」

 ハイネはケンウッドの口調がのんびりしたものだったので、食事の手を止めなかった。それで?と先を促すように副長官の目を見ただけだった。ケンウッドは続けた。

「クローン製造部の人間達なのだが、コロニー人とドーマーが喧嘩をした。彼等が揉み合っているのを見た者が保安課に通報した。保安課員が到着した時、コロニー人がドーマーを突き飛ばした。それで激昂したドーマーがコロニー人の顔を拳で殴ったのだ。」
「それはいけませんね。」

 ハイネはあまり興味なさそうだ。もし重要案件だったら既に報告が入っているはずと思ったのだ。

「保安課はドーマーが興奮していたので取り押さえて手錠を掛けた。コロニー人は顔に軽傷を負ったので、一応保護と言う形になったが、事実上は拘束だ。保安課から連絡を受けて、長官とコスビー維持班総代が現場に出向き、内務捜査班の副官も出動した。」
「ドーマーがコロニー人を殴ったからですか?」
「うん・・・当初は地球人とコロニー人の対立だと思われたからだね。しかし目撃者の証言や当事者達の日頃の関係を調べると、そんな深刻な問題ではないとわかった。」
「だが、片方は怪我をしたのですね?」
「軽傷だよ。殴られたが、唇を切っただけで済んだ。長官と総代は双方に喧嘩の原因を尋ねたのだが、どちらも沈黙するか適当なことを言って理由を語らなかった。」