2018年12月31日月曜日

新生活 2 2 - 3

 自然な流れでハイネと仲直り出来たケンウッドは彼を伴って昼食に出かけた。打ち合わせは自然消滅したし、遺伝子管理局長の日課も結局ネピア・ドーマーに全て丸投げになってしまったが、それは大きな問題ではなかった。
 一般食堂に行くと、日課を無事に終わらせることが出来たネピア・ドーマーが先輩で彼を局長秘書に選んでくれた恩人でもあるグレゴリー・ペルラ・ドーマーとランチをしている姿が見えた。珍しいこともあるものだ、とケンウッドは思った。
 少し離れたテーブルに席を取ってハイネと食事を始めると、新旧の局長秘書達は先に食べ終えて、席を立った。ネピア・ドーマーは上司に軽く会釈して食堂を出て行った。ペルラ・ドーマーは上司のテーブルにやって来た。この男も最近は杖のお世話になるようになったが、まだ体も頭もしっかりしている。挨拶してから、彼は隣の空いたテーブルの椅子に座った。
 
「ネピアから聞きました。サタジット・ラムジーが死んだそうですね。」

 ハイネは自分で彼に教えるつもりだったので、ちょっとがっかりした。だが思い直した。教えて彼を喜ばせられると思ったのか? それとも生かして逮捕出来なかったと悔しがらせたかったのか?
 ハイネは頷いて見せた。

「突然の出来事だったそうだ。重力サスペンダーの誤動作に見えたそうだが、クロエルは殺人の疑いありと主張している。セイヤーズも同意見だ。」

 ペルラ・ドーマーはハイネとケンウッドを見比べた。ケンウッドは自身の意見を控えた。現場を見た訳でないし、警察の資料も見ていない。第一遺伝子管理局に殺人事件の捜査をさせることは出来ない。
 ペルラ・ドーマーもそこのところは十分承知していた。元局員だし、法律は知っている。

「外の世界は複雑ですな。」

と彼は感想を述べただけだった。

「彼の遺体は宇宙へ送るのですか?」
「否・・・その手続きはしていない。ラムジーは宇宙に親族がいないし、警察も引き取れと言ってこない。」

 まだ検視段階だ。それに宇宙連邦警察が追っていた犯罪者の遺体の世話は、ドームの管轄ではない。元ドームの執政官だが、当時の関係者はもうドーマーしか残っていないので、地球人類復活委員会もドームで処理しろとは言って来ない。
 ペルラ・ドーマーがハイネを見た。

「地球で埋葬するのでしたら、遺伝子管理局の死亡認知が必要ですが?」

 ハイネが溜息をついた。

「マザーコンピュータからラムジーのリストを検索しよう。元執政官だから、データは残っている筈だ。長官、コロニー人のリスト閲覧許可を願います。」

 平素勝手にコロニー人のデータをハッキングしているハイネがそう言うので、ケンウッドはもう少しで笑うところだった。

新生活 2 2 - 2

「しかしハイネ、そんな重要なことを君は此の期に及んで打ち明けたのだ?」
「刑事に硬く口止めされていたことは言いましたね? 連邦警察は大失態を冒しました。事件発覚の40日前に赤ん坊が盗まれ、犯人は地球へ逃亡しました。4000年間死んでいた筈の赤ん坊が蘇ったことが世間に知れた時の大騒動を懸念して全てを秘密裏に処理したかったのです。死者を蘇らせる技術が存在すると世間が誤解すれば、パニックになりますからね。」
「実際は生きたまま冷凍されていたのだな、あの赤ん坊は。」
「先日、キーラからの伝言をパーシバル博士からもらいましたが、その中に、私と面会した刑事が老衰で亡くなったと有りました。」
「君に約束させたのは、刑事ではなく宇宙連邦警察だと思うが・・・」
「そんなこと、私の知ったこっちゃありません。」

 ハイネが俗な言い回しを使ったので、ケンウッドはちょっとびっくりした。最近のハイネは時々若い連中の真似をしたがる傾向にある様だ。

「兎に角、私と約束した男は亡くなった。私はもう秘密を守る義務はないのです。」
「そんなものか?」

 ハイネはそれ以上捜査上の守秘義務について議論するつもりはなく、話を進めた。

「先程のセイヤーズの報告でラムゼイがパーカーをオリジンと呼んだと聞いて、ラムジーが盗んだ赤ん坊とラムゼイの秘書が同一人物だと確信が持てたので、今、ここで貴方に打ち明けたのです。」
「成る程・・・すると、ラムゼイがパーカーを古代エジプト人のミイラから作ったクローンだと嘘をついた理由は・・・」
「古代人の赤ん坊を蘇生させたと我々に悟らせようとしたのでしょう。本当のことは言えない、何故なら彼は元執政官で、告白の現場には普通の地球人達が大勢いましたからね。」
「地球人の現状を知られまいとする元執政官のせめてもの義理か・・・」
「そしてパーカーを刑務所などに入れるのではなくドームで大事に扱って欲しかったのでしょう。」

 ケンウッドは一度も出会ったことがなかった科学者に思いを馳せ、それからハイネに言った。

「私はパーカーをドーマーと同等に扱ってやりたいと思う。その為にも、彼にここが安心して暮らせる場所で、我々を信用出来る人間だと知ってもらいたい。ハイネ、君達にも協力を頼むよ。」
「パーカーを火星に送り返さないのですか?」

 ケンウッドは首を強く振った。

「返す必要などない。パーカーは正真正銘、地球人じゃないか!」

新生活 2 2 - 1

 セイヤーズを帰して、ケンウッドはハイネにも「ご苦労さん」と言うつもりで振り返った。するとハイネ局長は何か物思いをする表情で宙を眺めていた。

「ハイネ?」

 声を掛けると、遺伝子管理局長は、ゆっくりと視線を長官に向けた。

「長官、私は貴方に謝らなければなりません。」
「何をだね?」

 まさか先刻の不機嫌を謝罪すると言うのか? ケンウッドが怪訝な表情をすると、ハイネはまさかの爆弾発言をした。

「50年前、サタジット・ラムジー博士が火星の地球人類博物館から盗み出したのは、氷漬けの赤ん坊の細胞ではありませんでした。」
「はぁ?」
「当時、このドームへ捜査の為にやって来た宇宙連邦警察の刑事がいました。」
「ああ・・・確か、キーラがまだ警察官で、彼女がその刑事に伴われて初めて地球へ来たのだったな?」
「彼女のことはこの際脇に置いて下さい。」

 ローガン・ハイネはドーマーだ。娘への郷愁など仕事の重要性から考えると二の次にしてしまう。

「あの刑事に私は硬く口止めされました。真実を誰にも語るなと。恐らくキーラも知らない筈です。地球上で事実を知っているのは私一人です。」
「一体、何のことだ?」
「ラムジーが盗んだものの正体です。」

 ハイネは溜息をついた。

「私は火星の博物館がどんな場所か知りませんし、展示物も知りません。ですが、そこに展示されている氷漬けの赤ん坊は、レプリカだそうです。」
「ええっ?!」

 ケンウッドは仰天した。宇宙の各コロニーから毎日大勢の見学者が来て、まるで生きているかの様な赤ん坊の遺体を氷越しに見物して感動している・・・それがレプリカだと言うのか? 確かに本物そっくりの人間のレプリカを作るのは簡単だ。クローン製造より簡単だ。しかし・・・

「ラムジーはレプリカの細胞を盗んだのか?」
「いいえ。彼は赤ん坊そのものを盗んだのです。事件が発覚する40日も前に。」

 今度は仰天よりも頭の中が真っ白になってしまった感覚だった。

「ラムジーは氷漬けの赤ん坊の遺体を盗んで地球に運んだのか? 有り得ない! 地球に持ち込まれる貨物はどれも厳しい検査を受ける。」
「それが氷漬けの赤ん坊の遺体だったら、地球に入る前に火星で捕まったでしょう。しかし、生きている赤ん坊だったら?」
「生きているって・・・」

 ケンウッドは重大な事実を思い当たった。

「ラムジーは氷漬けの赤ん坊を蘇生させたのか!」
「恐らく、コールドスリープに似た状態で4000年間、赤ん坊は眠っていたのでしょう。本当の意味では死んではいなかったのです。ですから、蘇生させた赤ん坊をラムジーは地球に連れて来た。彼が赤ん坊を連れて火星を出て、地球に入った記録があったそうです。赤ん坊を連れて地球を旅行するのは違反ではありません。ただ居住は認められない。
しかし・・・」
「ドーム勤務の学者の子供なら、医療体制が整っているから短期滞在の認可が降りる・・・赤ん坊の身分を偽造したのか。」

 ケンウッドはハイネを見つめた。

「その赤ん坊が・・・」

 ハイネが大きく頷いた。

「恐らく、ジェリー・パーカーです。人類のオリジンですよ、長官。」




新生活 2 1 - 11

 セイヤーズは相談もなく息子を奪われてしまった母親の気持ちを想像したのだろう。深く考えこむ表情になった。ハイネはそれに気づかないふりをして説明を続けた。

「我々はフラネリーに、妻を説得せよと何度も勧告した。もしアーシュラがドームの中で行われている取り替え子の事実を公表すれば、地球上は大混乱になる。フラネリーは口で、テレパシーで、何度も彼女に説いて聞かせた。彼女は、世間では騒がなかった。ドームの機能や目的は理解出来たのだ。
 彼女は長男ハロルドが父の後を継いで政界に出ると、大人しくなった。息子を守る母親の立場に居ることが忙しかったのだ。ドームはハロルドを支援し、彼を大統領にまで行かせた。
 この10年近く彼女は黙っていたのだ。それが今になって君に息子との面会を要求するのは、これが最後のチャンスだと考えたに違いない。」
「私は彼女と約束してしまいました。面会か、または離れた所から顔を見せると言う約束です。ラムゼイ逮捕を焦るばかりに、軽率だったと思います。しかし、彼女の気持ちもわかるのです。」

 ケンウッドがセイヤーズを見た。

「君は父親だからなぁ」

と彼は呟いた。ケンウッド自身は結婚も親になった経験もないが、ドーマー達を我が子と慈しんできた長い歳月が、彼に父親としての心を芽生えさせていた。実際に娘を持ち、ドーマー達の父親としても生きてきたハイネ局長が溜息をついた。

「ラナ・ゴーンだったら、アーシュラにレインを会わせろと言うでしょうな。」
「だが、レイン本人はどうかな。彼の頭は生粋のドーマーだからな。親の気持ちは理解出来ないだろう。」
「あ・・・でも・・・」

 セイヤーズが声のトーンを落として言った。

「レインは、私の息子には親だと自ら示しましたよ。」
「示した?」
「テレパシーのエコーで・・・」

長官と局長が顔を見やった。両人とも同じ想像をしたので、少し顔を赤らめた。

「つまり・・・レインは君の息子とキスをしたのだな?」
「私は見た訳ではありません。息子が教えてくれたのです。息子はレインの行動の意味を理解出来なかったのですが。」
「それは・・・大いに戸惑ったことだろう。」
「長官、レインをアーシュラと会わせても良いでしょうか?」
「駄目だとは言えない。」

 ケンウッドは、ドーマーが親恋しさにドームから去るとは思えなかった。

「会わせるのは良いが、ドーム内では打ち明けるな。多分、レインは拒否するはずだ。それでは、君の顔が立たないだろう? 
 何か任務を与えるから、それを口実にして面会にこぎ着けろ。会わせてしまえば、双方大人だ、何とか折り合いをつけると期待する。」

2018年12月30日日曜日

新生活 2 1 - 10

 ケンウッドは今度こそ用件が終わったと思った。ところが、セイヤーズがまたもや発言した。この男は最高幹部を前にしても全く物怖じしない性格の様だ。

「長官、ちょっとプライベイトなご相談があります。」
「相談?」
「私個人のものではなく、外に居るときにある女性から頼まれたのですが、長官のご意見をどうしても伺いたくて・・・」

 セイヤーズはポール・レイン・ドーマーをチラリと見た。

「本当に個人的な話なんだ、ポール。後で必ずオフィスに行くから先に局へ帰っていてくれないか?」
「私も出て行った方が良いかしら?」

 ラナ・ゴーンが既に腰を浮かしかけながら尋ねた。彼女の意見がこの件に必要とも思われなかったので、セイヤーズは「申し訳ありません」と謝った。副長官は特に気を悪くした風でもなく、立ち上がるとレインを促した。

「私は貴方の方に頼みたいことがあるのよ、レイン。」

 レインが渋々立ち上がり、長官と局長に黙礼した。ケンウッドは「朝から呼び出してすまなかった」と労った。
 レインとラナ・ゴーンが部屋から出て行くと、ハイネ局長が「私は良いのか?」と問いたそうな顔でセイヤーズを見た。セイヤーズは彼に頷いた。

「さて、どんな相談かな?」

 ケンウッドは何となく予想がついていた。セイヤーズがレインを追い払いたい話題は恐らく「あの件」だろうと。
 セイヤーズは腹をくくって語った。

「今回、ラムゼイを隠れ家から誘い出す為に、ある女性の協力を頼みました。彼女とはドームで知り合いました。長官はご存じのはずです。」
「アメリア・ドッティだな?」
「そうです。ですが、彼女はラムゼイの知人ではありません。彼女の伯母がラムゼイと同じトーラス野生動物保護団体の会員なのです。それで、アメリアに頼んで彼女の伯母に面会したのです。ラムゼイと会う手筈を整えてもらうのが目的でした。」
「その伯母と言うのが、大統領の母親、アーシュラ・フラネリーと言うことだな?」

 ケンウッドは予想が当たって、少しうんざりした表情になった。ハイネ局長が天井を仰いだ。

「アーシュラか! あの女性はまだこだわっているのか?」

 ケンウッドがセイヤーズに確認した。

「彼女は君にドームに盗まれた子供の話をしたのだろう?」
「ええ・・・そうです。」
「君は彼女に何を話した?」
「何も・・・しかし、手を掴まれました。すぐに彼女の能力に気が付いて手を引っ込めましたが、僅かですが情報を読まれました。」
「君は彼女が接触テレパスだと知らなかった。それは仕方が無い。」

 憂い顔でケンウッドは尋ねた。

「君は彼女がレインの母親だと悟ったはずだ。彼女はレインの存在を君の意識から確認したのか?」
「はい・・・いえ、彼女は私が彼女を接触テレパスだと気が付いたことから、私が彼女と同じ能力者を知っていると悟りました。彼女は息子だと確信したのです。」
「彼女は息子に会わせろと要求したのだろう?」
「そうです。ラムゼイと会う手筈を整える報酬として、息子との面会を要求しました。」

 ケンウッドが黙り込んだ。ハイネ局長がセイヤーズに説明した。

「アーシュラは強力な接触テレパスだ。本来ならドーマーにするべき女子だったのだが、当時の執政官が彼女が持つ因子を見落とした。
 一方、彼女の夫であるポール・フラネリーは、元ドーマーだ。」
「え! そうだったんですか?」
「遺伝子管理局ではなく、外部との交渉で物資調達を行う庶務部の人間で、殆ど自由にドームを出入りしていた。アーシュラと知り合ったのは仕事関係の人脈からだ。彼等は恋愛して、フラネリーはドーマーであることより恋人と生きる方を選んだ。彼は若い頃から政治家志望だったので、ドームとしても外の政界とのパイプ役を確保しておきたかった。それで彼を外へ出した。但し、条件を一つ与えた。
 生まれてくる子供を1人、ドーマーとして差し出せと当時の長官エリクソンが迫ったのだ。 フラネリーはその条件を呑んだ。 妻には一言も相談なしに・・・だ。」

新生活 2 1 - 9

「長官、待って下さい。」

 ハイネ局長が声を掛けた。

「50年前の事件の時、貴方も副長官も地球にはまだいらっしゃらなかったでしょう? 出身地のコロニーで研究に勤しんでおられたはずです。事件は時事ニュースで知られた程度ではありませんか? ここにいる若いドーマー達は生まれてもいなかった。
 しかし、私はここに居ました。進化型1級遺伝子のお陰で外には出してもらえなかったが、遺伝子管理局内務捜査班として、ラムジーの研究室の捜査をしたのは、この私です。」

 ここで一瞬ハイネは言葉を途切れさせた。何かを考え、言おうとして考え直して止めた、そんな印象をケンウッドは感じた。そして、ハイネは再び話し始めた。

「徹底的に彼の研究内容を調べましたが、彼がミイラからクローン再生に成功したと言う記録も証拠も何もありませんでした。 もし、パーカーがミイラから創られたクローンなら、ラムジーは再生に成功したと言う記録を残したはずです。犯罪であっても、クローン技術史には大きな足跡となるからです。」

 確かに、その通りだ、とケンウッドも思った。それにラムゼイことサタジット・ラムジー博士が盗み出したのはミイラの細胞ではなく、生きたまま氷漬けになった赤ん坊の細胞だ。
 しかしハイネはそれに触れずに続けた。

「ラムジーは、セイヤーズ達にはったりをかましたのです。彼は数分後には死ぬ運命だとは想像もしなかったはずです。だから、手の内を見せるつもりはなかった。シェイと言う女性がジェネシスであることは、直にばれるので、明かしただけでしょう。しかし、パーカーの正体は目で見ただけではわからない。」
「ミイラからのクローンでなければ、パーカーは何なのだ? ただの地球人の男か?」
「ですから、セイヤーズが聞いた話の半分は本当なのでしょう、パーカーは古代エジプト人の赤ん坊だったんです。但し、クローンではなく、オリジンとして。」
 
 そんなことは知っている、とケンウッドは言おうとして、ハイネは彼にではなく、ドーマー達に語っているのではないか、と思い直した。「死体クローン事件」は図書館でドームの歴史を調べれば必ず出てくる事件だ。しかし余り詳細は記録されていない。事件の概要だけで、実際にラムジーが持ち出した物や捜査官だったペルラ・ドーマーが瀕死の重傷を負わされたことは一般には公表されていないのだ。

 セイヤーズは局長の言葉を理解しようと考え込んだ様子だ。 その時、レインが呟いた。

「ミイラの腹の中に赤ん坊がいて、そいつは薬品の影響をうけず、防腐処理の時に他の臓器と一緒に取り除かれもせず、奇跡的に時間が止まった状態で眠っていたとしたら?」

 見当違いだが、ケンウッドは、訂正してやるつもりはなかった。そして彼に結論を出すのは時期尚早だと言った。

「パーカーはもう少し慎重に調べよう。あの男が異変前の遺伝子を持っているのであれば、これは地球人の復活に大きな進展をもたらすはずだ。彼が精神的に落ち着き、我々を信用してくれるように、努力するよ。」

新生活 2 1 - 8

 ケンウッド長官は、やっとハイネの機嫌が直った気配を感じ、内心胸を撫で下ろした。遺伝子管理局長とドーム維持班総代を怒らせると、ドーム内の地球人全てを敵に回しかねない。
 レインとセイヤーズを呼び出した用件が終わったので、彼等を帰そうと思った時、セイヤーズが質問してきた。

「長官、少しお時間を頂けますか? ラムゼイが亡くなる前にクロエルと私を相手に喋っていた内容で、気になることがあったのです。」
「何かね?」

 ケンウッドは、ラムゼイと聞いて少し表情を硬くした。あの犯罪者がドーマーに何を吹き込んだのか、と心配になった。

「まず、ラムゼイが連れていた女性が1人いるのですが・・・」
「シェイだな?」

とレインが口をはさんだ。セイヤーズは頷いた。

「そう、シェイと呼ばれていました。ラムゼイがクローンを創る時に用いる卵子の提供者です。ジェネシスと言う役目ですよね? ラムゼイは彼女を金で買ったのだと言っていました。しかも、シェイはクローンではなく、コロニー人だと言うのです。」
「人身売買が行われていると言うのか?」
「恐らく、乳児の頃に売られてきたのでしょう。」

 ラナ・ゴーンが不愉快そうな顔をした。女性や子供の人身売買はどの時代でも密かに行われている犯罪だ。どうして人間は欲望の為に同胞をモノ扱いするのだろう?

「コロニーでは、そう言う犯罪を取り締まる機関はないのですか? 何処かで子供が攫われて売られているのですよ。」
「セイヤーズ、コロニーにも警察はある。組織犯罪を捜査し、取り締まる機関もある。ただ、コロニーは現在24箇所もあるし、宇宙空間は広大で、全てを監視することは難しいのだ。我々地球上に居る者が、シェイの様な存在に早期に気づいて助け出すのが、今出来る最善策だ。そのシェイは今回保護出来なかったのだな?」
「はい。所在すら不明です。私は彼女を保護してやりたかったのですが、ラムゼイが死んでしまっては、手がかりすらありません。ラムゼイのシンパが彼女を証拠隠滅目的で殺害してしまわないかと心配なのです。」
「警察には言ったのか?」
「言いました。ただ、ジェネシスとかクローンの作り方とか話しても理解してもらえそうになかったので、シェイは重要証人なので緊急に保護が必要だとだけ伝えました。」

 長官は頷いた。

「何度も言うようだが、遺伝子管理局は警察の仕事はしない。捜査や捜索は警察に任せておけ。女性が見つかったら連絡が入るはずだ。それまでは動くな。」

 セイヤーズは内心不満だったが、長官の言葉は一理ある。素直に従うことにした。

「わかりました。大人しくしています。ところで、もう一つ、伺いたいことがあるのですが。」
「まだあるのか?」
「ラムゼイの爺さん、よく喋りましてね・・・爺さんの秘書のジェリー・パーカーの出自のことです。」
「ああ・・・あの男はクローンだと言うことでドームに送られて来たが、細胞を調べてもクローンとは思えないのだ。」
「本当ですか? ラムゼイは彼が創ったクローンだと言いましたが?」
「検査結果では、純粋な地球人だ。純粋過ぎる・・・」
「ラムゼイは、古代エジプト人のミイラからパーカーを創ったと言いました。」

 ハイネ局長、ゴーン副長官、それにポール・レイン・ドーマーも、思わずセイヤーズを見た。レインが発言した。

「古代エジプト人のミイラとは、『死体クローン事件』で盗まれた細胞と言う意味か?」

 セイヤーズは、ラムゼイが喋った言葉そのままを復唱して聞かせた。

「『ジェリーは火星にある人類博物館の赤ん坊のミイラから創った。死んだ細胞からクローンなど創れっこないとみんな思っていたらしいがな。ちゃんと赤ん坊になり、育った。古代のエジプト人そのままにだ。あれのDNAは、地球に異変が起きるより4000年も前のものだ。正常な人類のDNAだ。あれは女の子を創れる。』と、ラムゼイは言ったのです。」

 ケンウッド長官は、自分が今馬鹿みたいに口を開いてセイヤーズを見つめていることを意識した。
 「死体クローン事件」、それは50年前、宇宙船の事故で息子を失い、正気を失った執政官サタジット・ラムジーが起こした醜聞だった。死体からクローンを製造することは倫理的に、かつ民事法的に、固く法律で禁じられている。だがラムジーは、息子を蘇らせる方法を探り、警察の遺体安置所が保管する数体の人間の死体から細胞を盗み、ドームの研究室で培養してクローンを創ろうとした。
 しかし、それは同僚達に知られることとなり、ラムジーは逮捕され、培養液の中の細胞は全て廃棄された。ラムジーは出身地のコロニーへ送還される直前、警備の虚を突いて逃走した。その時、彼はドームの外で密かに所有していた自宅から、予備として保管していた細胞を持ち出していた。以降、彼はラムゼイと呼ばれるメーカーとなって中西部の同業者達の上に君臨していたのだ。

「通常、エジプトのミイラは防腐処理などが為されており、被葬者のDNAは完全に破壊されている。それを復活させることは不可能だと考えられてきた。しかし、ラムジーが居たチームは、破壊されたDNAを復活させ、女の子誕生の研究に進展を与えようとしていた。ラムジーは、独自の計算でその微妙な薬品の配合と環境をはじき出した。
 ジェリー・パーカーが、真、古代エジプト人の復活だとしたら、これはもの凄い発見だ。」

新生活 2 1 - 7

 絶対にハイネ局長は腹を立てている、とケンウッド長官もゴーン副長官も確信した。ハイネは無言で端末を出し、レインの端末に電話をかけた。レインは直ぐに出たようだ。ハイネは一言命じた。

「長官執務室にセイヤーズを伴って直ぐに来い。」

 普段の彼なら部下に対して命令口調で話しかけない。「〜してくれないか」と言う優しい言い回しを使うのだ。ケンウッドは老ドーマーを宥める言葉を探したが、なかなか見つけられなかった。ハイネは電話を終えると黙って端末をポケットに仕舞い、無言で座っていた。日課で忙しい午前中に呼び出された時点で腹を立てているのだ。彼にとっては堅物のネピア・ドーマーも早食いのキンスキー・ドーマーも可愛い部下だ。長官の急な局長呼び出しでその可愛い部下が迷惑するのも、ハイネは嫌なのだ。局長を宥められないので、ケンウッドも不機嫌なまま、3人のドーム幹部は座っていた。
 最高幹部からの呼び出しに大急ぎでレインとセイヤーズが長官執務室に現れたのは10分過ぎてからだった。2人の若いドーマーが入室して挨拶すると、彼等は返事をして、座れと指示した。ケンウッドが口を開いた。

「レイン、医師の許可もなく医療区から逃げ出すとは何事だ?」

 なんだ、そんなことで呼び出すのか? と言いたげにポール・レイン・ドーマーは肩をすくめて見せた。

「どこも悪くないと言われましたし、治療らしきものも全部終わりましたから、仕事に復帰しただけです。」

 ケンウッドはハイネ局長を見た。局長も肩をすくめた。

「健康で仕事をしたがっている人間に何もさせないのは酷でしょう?」

 セイヤーズはラナ・ゴーンが顔を俯けたのを見た。笑いを堪えているのだ、きっと。
ケンウッドは、レインにこれからは医師の指示に従えと言った。それから、今度は矛先をセイヤーズに向けた。

「君はレイン救出を終えたのに、すぐに帰投しなかったな?」
「ラムゼイを逮捕したかったので、残りました。」

セイヤーズは、自分達が出頭する前にハイネ局長も搾られたのだろうと見当した。局長がどんな言い訳でかばってくれたのかわからないので、正直に説明することにした。

「ラムゼイの部下はクロエル・ドーマーがほぼ一網打尽にしましたので、後は爺様1人を捕まえれば終わりだと思ったのです。セント・アイブスの街に潜んでいるに違いないと、捜査したら、案の定、彼はシンパに匿われていました。逮捕しようとしたのですが、彼が使用していた重力サスペンダーに不具合が起きて、彼は我々の目の前で事故死しました。」
「不具合?」
「恐らく、何者かが、彼の重力サスペンダーのモーター部分に細工をしたと思われます。現在、セント・アイブス警察が調べているはずです。」
「君は、ラムゼイの事故は殺人だと思うのだな?」
「そうです。出来れば、現場に残って捜査に加わりたいのですが・・・」
「それは警察の仕事で遺伝子管理局の仕事ではない。」

 ケンウッドがぴしゃりと言った。セイヤーズはそう言われるだろうと予想していたので、口を閉じた。あまり逆らって執政官を怒らせるのは、こちらの得にはならない、とドーマーらしく考えた。
 ケンウッドは小さく溜息をついて、局長に向き直った。

「ハイネ、何故セイヤーズは君の所にいるのかな? 研究所に戻してくれないのか?」

 レインがどきりとして顔を長官に向けた。ラナ・ゴーンは彼の心が読めた。また恋人を取り上げるつもりか、と彼は目で訴えているのだ。
 ハイネ局長が、それまでずっと隠し持っていた切り札を出してきた。

「長官、貴方もセイヤーズが一ヶ月以上前に戻ったことを西ユーラシア・ドームに連絡していらっしゃいませんよね? セイヤーズは逃げた時、西ユーラシアの所属でしたよ。」

 老練なドーマーはケンウッド長官の痛いところを見事に突いた。アメリカ・ドームは、西ユーラシア・ドームが所有権を持つドーマーで子供を創っているのだ。西ユーラシア・ドームがこの事実を知ったら、気まずいことになるだろう。ダリル・セイヤーズを返せと言ってくるに違いない。さらに悪いことには、ポール・レイン・ドーマーは40歳を過ぎているので、帰属するドームを自身で選択する権利を獲得しているのだ。セイヤーズが脱走していた18年を差し引かれてまだ選択権を得ていないので西ユーラシアへ送還されれば、レインは追いかけて行ける訳だ。アメリカ・ドームには、本人には教えていないが、レインを手放せない訳がある。

「ドーマーに脅迫されるとは、予想だにしなかったよ。」

とケンウッド長官が憮然とした表情で言うと、ハイネ局長がすみませんと謝った。

「しかし、私はここで育った子供達を手放したくないし、セイヤーズは種馬じゃありません。普通に仕事をさせてやって下さい。子孫を創る手伝いでしたら、いつでも必要な時に呼べばそれで宜しいではありませんか?」
「長官・・・」

とラナ・ゴーンが初めて発言した。

「ハイネ局長は正しいですよ。それに、西ユーラシアとは早期に決着をつけるべきです。」
「わかった。」

ケンウッドは話のわかる男だ。彼は頷いた。

「西ユーラシアと交渉しよう。向こうにはセイヤーズの他にも進化型1級遺伝子保有者が数名いるはずだ。同じ様に女子を創れる男がいても可笑しくない。共同研究を提案してみる。」

2018年12月29日土曜日

新生活 2 1 - 6

「あー・・・夕食の時にケンタロウから聞きましたが・・・」
「知っていたのか!」
「病人ではありませんから、ドクターも保安課を使うことはなさらなかったし・・・」
「セイヤーズも一緒だ。それにクロエルもいる。」
「レインから秘書が必要なので、セイヤーズを採用したいと言う申請がありましたので、許可しました。彼に秘書としての心得でも教えていたのでは?」
「夜遅くにか?」
「レインが脱走したのは夕方でしたかね? セイヤーズと出会ったのはその後でしょう。私は食堂へ行く直前迄執務室でセイヤーズの口頭報告を聞いていましたから。」

 ハイネがのらりくらりと躱すので、ケンウッドは苛々した。

「そのセイヤーズだが、何故観察棟に戻っていないんだ?」
「さぁ・・・何故でしょう?」

 ゴーンはハイネがケンウッドに喧嘩を売っているのかと疑った。普段の遺伝子管理局長はドーム長官に従順で素直だ。しかしこの朝のハイネは老獪な面を見せていた。彼女は親しくしている出産管理区長アイダ・サヤカから聞いた忠告を思い出した。

 ハイネ局長が執政官の言うことを素直に聞かない時は、彼が怒っている時だと思えば良いわ。扱い方を間違えると臍を曲げてますます意地悪になるから、気をつけて。

 ゴーンは長官に顔を向けた。なんとか彼と目を合わせて、注意喚起したいのだが、ケンウッドはハイネを睨みつけているばかりだ。

「ハイネ、セイヤーズには地球の未来がかかっている重要な研究に協力してもらわなければならない。わかっているだろう?」
「観察棟の小部屋で座っているだけで、研究に協力していることになるのですか?」
「座っているだけとはなんだ!」

 ケンウッドは思わず大声を出してしまい、それから、しまった、と気が付いた。ハイネがビクッとした表情を見せたからだ。ローガン・ハイネは生まれた時から大事に育てられてきた。子供時代は大声で怒鳴られる経験をしたことがなかった。だから、歳を取っても誰かに大声で怒鳴りつけられると非常に怖がる、と以前の長官秘書だったロッシーニ・ドーマーから聞かされたことがあった。

 いかん、ハイネを本気で怒らせたかも・・・?

 必死で頭を回転させたケンウッドは、思い切って提案した。

「ハイネ、レインとセイヤーズをここへ呼んでくれないか?」


新生活 2 1 - 5

 翌朝、ハイネ局長が朝食を終えて遺伝子管理局本部局長執務室の自身の椅子に座った途端、端末にケンウッド長官から電話が入った。美味しい朝食の余韻に浸りたかったハイネは、電話に出た途端にケンウッドの怒りの声を聞いて、テンションが下がった。ケンウッドはおはようの挨拶もそこそこに、局長に長官執務室にすぐ出頭するようにと命じた。
 ハイネはコンピューターにその日処理しなければならない日課の件数を計算させ、必須課題である誕生者の登録と死亡者のデータ移動が終了する時刻を割り出した。

「11時を少し回ると思いますが・・・」
「私は、すぐ、と言ったのだよ、局長。」

 ケンウッドの声が苛ついて聞こえたので、ハイネは従順にその通りにするしか方法がないと悟った。すぐ行きます、と答えて通話を終えると、第一秘書に声をかけた。

「ネピア・ドーマー、申し訳ないが業務代行を頼む。」
「え?」

 ネピア・ドーマーは予定にないことを命じられるといつも一瞬パニックになる。ちゃんと仕事は出来るのだが、心の準備に数秒かかる男だ。ハイネは辛抱強く言った。

「長官がご機嫌斜めだ。すぐに中央研究所に行ってくる。」
「何故局長が呼ばれるのです?」
「知らんよ。」

 と言いはしたものの、ハイネはケンウッドの不機嫌の原因を察していた。
ネピア・ドーマーが自身のコンピュータで局長業務代行の準備を始めたので、ハイネは自分の方のファイルをネピアとの共有ファイルに移動させた。ネピア・ドーマーは誕生者の数が死亡者より多かったので、ホッとした。死亡者リストを扱うのは心理的に疲れるのだ。だから毎日文句を言わずにこの仕事を行う代々の遺伝子管理局長をドーマー達は尊敬する。
 ハイネは部屋を出ると足早に中央研究所に向かった。まだ若い部下達は食堂で打ち合わせを兼ねた朝食会の最中だろう。病棟から逃亡したポール・レイン・ドーマーはまだ休暇明けになっていない筈だが、あの男の性格できっと朝食会に出ているに違いない。
 ケンウッドの長官執務室に入ると、ラナ・ゴーン副長官もいた。彼女は端末の画面を見て笑っていたが、ケンウッドは苦虫を噛んだ様な顔をしていた。ハイネが朝の挨拶をして席に着くと、ゴーンが端末を差し出した。

「ご覧になりました?」
「何をです?」
「巷で噂のパパラッチサイトですわ。」

 ハイネが覗くと、そこには、夜の道を何かを警戒しながら歩く3人のドーマーが映し出されていた。
 題して、

ーーキエフにご用心! お忍びの我らがアイドルとその恋人、おまけクロエル先生

 レイン、セイヤーズ、それにクロエルの3人が夜食に出かけた様子を正体不明のパパラッチが撮影していた。
 ケンウッドが感情を抑えた声で尋ねた。

「ハイネ、君はレインが病室から逃げたことを知っていたかね?」


2018年12月27日木曜日

新生活 2 1 - 4

 ケンウッド長官に研究室に戻る時間があるだろうか、とハイネが考えていると、彼とアイダのテーブルに向かって足早に近づいて来る人物がいた。アイダが先に気づいて相手に声をかけた。

「こんばんは、ケンタロウ。どうなさったの、そんな怖い顔をして・・・」

 ハイネも顔をそちらへ向けた。口をへの字に曲げたヤマザキ・ケンタロウが彼等のテーブルの横に立った。ヤァ、と彼はドーマーと執政官の夫婦に声を掛けた。

「ハイネ、レインが君の所に来なかったか?」
「レインが?」

 ハイネはキョトンとした表情で医師を見上げた。

「彼は貴方の監視下で入院している筈ですが?」

 アイダが事態を察してクスリと笑った。

「逃げられたのですね?」
「ああ・・・忌々しいドーマーめ。」

 ヤマザキは本心では憎んでもいない相手に対して悪口を述べた。

「どうして明日の朝迄待てないんだ? 執政官がゆっくり寝ていろと言っているのに、ワグナーに服を持って来させて着替えてさっさと出て行きやがった。」
「ドームの中にいますよ。」

 ハイネはお気楽な口調で言った。

「探さなくても向こうから現れますって。それより、このチーズビスケットは味見されましたか? 美味いですよ。」
「ハイネ・・・それは食事なのか、デザートなのか?」

 ハイネの皿にはビスケットがこんもりと山になって盛られていた。アイダが苦笑しながら説明した。

「後でテイクアウトなさるのよ。アパートに持ち帰るのですって。」
「アパート?」

 ヤマザキはポンっと手を打った。

「そうか、レインはアパートに帰ったんだな! あの男は滅多に自分のアパートに帰らないから、探す場所として考えていなかった。」
「アパートにいるのでしたら、そこで寝かせてやれば良いでしょう?」
「うん、そうだな。何処にいてもドームの中なら安心だ。寝てくれれば、それで良い。」

 ヤマザキはハイネのビスケットを一つ取って自分の口に放り込んだ。
 ハイネは黙っていた。レインのアパートにセイヤーズを入れてやったことを。

2018年12月26日水曜日

新生活 2 1 - 3

 セイヤーズが退室すると、ハイネ局長も急いで机を片付けて執務室を出た。足早に遺伝子管理局本部を出ると、中央研究所の食堂へ向かった。彼がそちらの食堂を利用する時は、執政官と話がある時だ。但し、その執政官の中にケンウッド長官は含まれない。ケンウッドは一般食堂派で、時間がない時にしか中央研究所の側を使わないからだ。
 席に着いて待っていたのは、出産管理区長アイダ・サヤカ博士だった。彼女も中央より一般の方が好みだが、仕事上、ガラス壁の向こうを観察しながら食事することが多い。その夜も半分仕事でのデートだった。
 ドーマー達も執政官達も、既にハイネとアイダの仲が親密だと気が付いていた。ただ両人とも人前では節度を守り、地球人保護法に触れるようなことはしなかったので(アイダは度々素手で彼に触れたが、出産管理区の人間は殆ど同様の行為をしていたので誰も気にしなかった)、批判する者はいなかった。
 ハイネが料理を載せたトレイをテーブルに置いて、こんばんはと挨拶すると、彼女は彼を見上げて微笑んだ。

「ドーマーの坊や達は全員無事に帰投しましたのね。」
「ええ、クロエルが手際良く処理してくれましたから。それに、外にいるリュック・ニュカネンもかなりの戦力になってくれた様です。」

 ハイネは椅子に腰を下ろして、彼女が見ているガラスの向こうを覗いた。出産管理区側の食堂ではその夜3度目の夕食のピーク時で、盛大に混雑していた。ドームが巨大だと言っても収容者全員を一度に食事させるスペースはないので、出産管理区では女性達が宿泊しているブロック毎に分けて時間を割り当てている。それでも厳密に分けている訳ではないので、仲良くなった人々はブロックが違っても交流するし、一緒に食べたりする。だから食事時は毎日大騒ぎだ。
 ガラス壁がなければあちらの女性達とドーマー達が交流できて楽しいだろうに、とハイネが思っていると、アイダが話題を変えた。

「レインが連れて帰って来たJJと言う女の子ですけど・・・」
「はい?」
「染色体の内容が見えるとかで、ラナが見えているものの分析を試みています。」
「その様ですな・・・」
「毎日染色体やDNAの配列を見ている人に、すぐにわかるものでしょうか?」
「どう言う意味です?」
「全く同じ塩基配列を持つ他人などいないでしょう? 一卵性双生児ですら個性があってそれを作る配列があります。大勢の染色体を並べて観察しても、私たちにはわからないと思うのです。」
「それで?」
「毎日一人一人の遺伝子を調べている人より、長い間遺伝子を観察したことがない人が見た方が何か違いがわかるのではないかしら?」

 ハイネはアイダが何を言いたいのか直ぐには把握出来なかった。ちょっと考えて、確認してみた。

「貴女は、JJの研究に、素人を使えと仰るのですか?」
「いいえ、素人ではなく、本業から長期間離れている人が研究に参加してみては、と言っているのです。」
「本業から・・・?」

 ドームで働く執政官はほぼ皆遺伝子学者だ。そうでない者はそれぞれの専門職に就いている。本業の遺伝子研究から長期間離れている人間など・・・ハイネは妻の顔を見つめた。

「ケンウッドにJJの研究をさせろと?」

 アイダが観音菩薩とあだ名される卵型の顔にニッコリと優しい微笑を浮かべた。

「あの方は皮膚が専門でしょう? 外気が皮膚を通して遺伝子に与える変化の研究をされていた筈です。JJと呼ばれる女の子がコロニー人と地球の女性を区別出来ると言うことは、地球がコロニー人の卵子に何らかの外的影響を与えているからでしょう?」

2018年12月24日月曜日

新生活 2 1 - 2

  ハイネ局長は、JJの様子をセイヤーズに教えた。 少女は昨日から中央研究所のクローン観察棟に部屋を与えられてそこに入っている。初日は、声を出せない彼女の為に脳波翻訳機を与えて使い方の指導が為された。機械は彼女の思考全てを拾って音声にしてしまうので、彼女はプライバシーを守るためにこま目にオン・オフの切り替えをしなければならない。それに慣れる迄、部屋の外へ自由に出ることは出来ない。

「彼女は実家の敷地内から出たことがなかったそうだな。ドームは彼女にとっては大都市に見えるのだそうだ。早く外に出たがっている。」
「彼女が塩基配列を見ることが出来るとお聞きになりましたか?」
「聞いた。ちょっと信じがたい話だが、レインも接触テレパスで奇妙な物を見せられたそうだから、何か我々と異なる物が見えるのだろう。」
「彼女は見えている物をみんなの為に役立てたいと思っているのです。ただ、何をどうすれば良いのか、わからない。親からそう言う教育は受けていなかったのでしょう。ベーリング夫妻は彼女をただ遺伝子組み換え実験の成果として人形の様に可愛がっていただけです。」
「彼女の担当はゴーン副長官だ。彼女は娘さんがいるから、少女の扱い方も心得ている。先ず、この環境に少女を慣らし、それから観察棟から女性用アパートに移し、一人前の扱いをしてやる。その間に彼女に遺伝子関連の学習を受けさせ、見えている物の正体を明確にさせるのだ。」
「彼女は、普通の少女ですよね?」
「普通の少女だ。遺伝子を組み換えて創られたクローンであっても、普通の女性だ。」
「ドームの外に外出出来ますか? 将来の話ですが・・・」

 局長はセイヤーズを眺めた。セイヤーズは少女の話をしているが、自身の気持ちも入っているのだ、と思った。

「ドームの外に遊びに出かけるドーマーがいると思うかね?」
「いても良いんじゃないですか?」
「君は遊びに行きたいのか? 仕事ではなく?」
「許可頂ければ。」
「そんなに外が良いか?」

 生まれてから一度も外へ出たことがないローガン・ハイネ・ドーマーの問いだ。出張さえさせてもらえずに歳を重ねてきた人の質問だ。
 セイヤーズは往復の機内でクロエル・ドーマーからこの上司の扱い方を注意されていた。

 局長は外に出たいとは思っておられない。でも外に出て去って行った人々を今でも愛しておられるのですよ、部下も亡くなった弟さんも・・・

 セイヤーズは慎重に答えた。

「外に目的がある人間にとっては。私は息子に会って、畑を耕したい。」
「息子をここへ連れてきてやろうか? 畑ならドーム維持班園芸課の手伝いをさせてやる。」

 そうじゃないんだ、とセイヤーズは心の中で否定したが、言葉には出さなかった。

「JJは、外の女の子と友達になったり、買い物をしたりして日常を楽しみたいだけですよ。逃亡したりしません。」

 局長は、ニュカネンの件を思い出したのかも知れない。愛する人の為にドームを去って行った男達のことを、彼はどう思っているのだろう。

「少女は、ラムゼイの秘書にも会いたがっているが、男の方がまだ落ち着かないので当分は面会させられない。」
「ジェリー・パーカーはまだ自殺傾向ですか?」
「精神科の医師たちが慎重に対処している最中だ。薬で鬱状態から抜け出したら、尋問が出来るだろう。但し、ラムゼイが死んだことはまだ秘密にしておく必要がある。」

 この時、セイヤーズは先刻のクロエル・ドーマーの口頭報告に中に、ラムゼイがジェリーの正体について語った内容が入っていなかったことを思い出した。

「そのパーカーの出自について、ラムゼイが興味深いことを言っていました。」

しかし、ハイネ局長はちらりと時計を見て、彼を遮った。

「今日はこの辺にしておこう、セイヤーズ。もし、記憶が新鮮なうちに語りたいと言うなら、すぐに報告書にまとめてくれ。」
「かまいませんが、私はアパートもオフィスもありませんので・・・」
「観察棟には帰らせないぞ。あそこでは君は種馬でしかない。君を活かせるのは、こっちだ。」
「有り難うございます。」
「独身者アパートのMー377を使い給え。保安課に連絡しておくから、君の網膜チェックで開錠出来るようにしておく。」
「Mー377は、ポール・レイン・ドーマーが以前住んでいた部屋ですよね?」
「今も彼はそこに住んでいる。しかし本人は滅多に帰らないから空き家同然だし、今はまだ入院中だ。どこも悪くないのだが、医師が休息を取らせたがって当分退院させないつもりだ。邪魔が入らずに報告書を書けるぞ。」


新生活 2 1 - 1

  ダリル・セイヤーズ・ドーマーがクロエル・ドーマーと共に夕刻、ドームに帰投した。
正体不明の不思議な壁の内部に入るなり、服を全部脱がされて洗濯に出され、体は薬品風呂に浸けられた。頭部から爪先まで綺麗に洗浄され、簡単な細菌・放射能汚染検査を受け、やっと新しい衣服をもらって身につけると日が暮れていた。
 2人は遺伝子管理局本部に出頭した。直ちに局長執務室に案内され、ローガン・ハイネ・ドーマー局長と面会した。
 ハイネはセイヤーズが自発的に帰って来たので内心胸をなで下ろした。ケンウッドを悩ませずに済んだのだ。そして最初に今回の出動の正規の責任者であるクロエル・ドーマーから報告を受けた。クロエルは毎晩報告書を送っているのだから2回も同じことを言う必要はないと思っているので、今朝のラムゼイの事故死だけを語った。殺人の疑い有りと聞いても、局長が心を動かされた様子はなかった。

「それで帰投が予定より遅れたのか?」
「予定なんてありましたっけ?」
「本来の目的は、レイン・ドーマーの救出とベーリングの娘、それにセイヤーズの息子の保護だけだったはずだ。2日前に完了したと思ったが?」
「そうでしたか? どうも最近記憶力が弱ってきて・・・」
「おいおい、クロエル先生・・・」

とハイネ局長は部下のおとぼけに腹を立てた様子でもなく、

「私がセイヤーズの息子をドームに来させろとメールしたのに、逆らっただろ?」
「だって、無理なものは無理です。本人が嫌がったもん。」
「それで、努力も諦めたか?」
「忙しかったもんで。」

 ハイネはクロエルとの会話を楽しんでいる、とセイヤーズは感じた。他の班チーフ達とはこんな風に話さないはずだ。まるで父と子、否、歳の離れた友人同士の会話だ。

「取り敢えず、お疲れさん、と言っておこう。 2日間休暇を与える。」
「3日働きましたよ!」
「1日は帰投が遅れた罰で減らした。」
「ええーーー」

 それでもクロエルは「そんじゃ、2日後に」と言い、セイヤーズにウィンクして局長執務室から退室して行った。
 局長とセイヤーズの目が合った。セイヤーズはクロエル以外の部下が局長と対峙する場面で見せる萎縮するような雰囲気を持っていなかった。ハイネは彼を気に入った。

「面白い男だろう?」
「ええ。一緒にいると愉しいですね。」
「あまり他所で使うと、中米班の部下達が怒るので、早く戻してやらんといかんのだ。だから、作戦終了後にレインと共に帰って来て欲しかった。」
「すみません。ですが、どうしてもラムゼイを捕らえたかったんです。ドームの外に存在する危険を一つでも減らしておきたかったので。」
「息子の為にか?」
「そうです。」
「私がクロエルに君の息子をドームに来させろと指示を与えた理由はわかるな?」
「息子が何処まで私の遺伝子を受け継いでいるか、お知りになりたいのでしょう?」
「そうだ。進化型1級遺伝子は、代を重ねる毎に変化する。君が持っている能力をそのまま息子が受け継ぐと言う訳ではない。それに、この遺伝子はX染色体にある。本来なら父親から息子へは遺伝しないのだ。
 メーカー達はラムゼイの研究を噂でいくらか知っているはずだ。あの爺さんが男性同士の間で子供を創ったと言う噂がもし流れていたら、当然君の息子は珍しさから狩られるだろう。だから私は君の息子をせめて成人する迄ここで保護しておきたいと思ったのだ。」
「お心遣いは感謝します。ですが、息子は1人で生きていく道を選びました。もう私の手を離れてしまったのです。今何処に居るのか、私にもわかりません。」

 セイヤーズはライサンダーを想った。今、何処でどうしているのだろう。所持金は多くないはずだ。少年は、クロエルがわざと出張所に忘れた財布から借金して行ったのだ。セント・アイブスからドームへ帰る飛行機の中で、セイヤーズはクロエルを問い詰めて白状させた。ライサンダーを逃がす算段を、クロエルとライサンダー自身がこっそり立てていたのだ。

 折角自由な世界で生まれたのに、籠の鳥にされるのは可哀想じゃないですか!

とクロエルはセイヤーズに訴えた。ジャングルで自由に遊んでいたのに、ある日突然ドームに連れてこられ、特殊教育を受けさせられて育てられた男の訴えだ。自身も自由を求めて逃げたセイヤーズは、クロエルを責められなかった。

リンゼイ博士 2 1 - 5

 ハイネ局長の予定はいつもと変わらなかった。ケンウッドも特に大きな変化はない。JJ・ベーリングの遺伝子が見えると言う能力の確認もクローン製造部に任せることにした。恐らくダルフーム博士も興味を抱いているから、ゴーンに共同研究を持ちかけるだろう。
 昼食の誘いをゴーンは断った。女性達で食べる約束をしているので、と言い訳して、打ち合わせを終えるとさっさと部屋から出て行った。
 ケンウッドが打ち合わせの記録をコンピュータに登録している間、ハイネは端末を眺めていた。部下からの報告だと思っていると、局長が顔を上げた。

「セイヤーズから報告が上がりました。」
「ラムゼイの死亡の件か?」
「そうです。確かに異常な出来事に思えます。」

 ハイネは簡潔に報告内容をケンウッドに説明した。セイヤーズとクロエルはトーラス野生動物保護団体のビルで、リンゼイと名乗るラムゼイと面会した。面会の手筈は、アーシュラ・R・L・フラネリーが団体の幹部役員に話をつけてくれたのだ。出会ってしまうとラムゼイは遺伝子管理局の2人と色々話をした。そのうち彼は場所を移動しようとして、反重力サスペンダーの操作をした。その時、クロエルが機械の異常音に気がつき、彼を止めようとした。しかし遅かった。ラムゼイは突然跳び上がり、天井に頭部を激突させ、即死した。その場にいた人々は全員ショックを受けた。

「セイヤーズは直ちにその場を封鎖し、ビルの下の階で出入りする人間を見張っていたニュカネンに連絡しました。ニュカネンは警察と共に現場へ急行し、初動捜査に当たりました。」
「クロエルは?」
「彼は飛び散ったラムゼイの血液や脳髄などを浴びてしまったので、セイヤーズが洗浄を命じ、彼はそれに従いました。」

 ケンウッドは思わずその光景を想像してしまい、気分が悪くなった。

「昼食前に聞く話ではなかったな・・・」
「申し訳ありません。しかし、朗報もあります。」
「なんだね?」

 ハイネがちょっぴり皮肉っぽく笑った。

「セイヤーズ自ら、今夜帰ると言っています。」

2018年12月22日土曜日

リンゼイ博士 2 1 - 4

 お昼を少し過ぎていた。ケンウッドはラナ・ゴーンとローガン・ハイネを自身の執務室に連れて行き、銘々の席に座らせた。

「打ち合わせをしなければならないが、時間が遅くなったし、今は気分的にも乗らないだろう。各自の予定確認で済ませよう。」

 それでゴーンが手を挙げ、彼女自身の予定を告げた。

「昨夜遺伝子管理局が押収してきたラムゼイの資料第2弾の分析に昼食後に取り掛かります。第1弾の整理はつきましたので、両方を合わせて今夜から本格的にラムゼイのクローン製造技術と手法を解いて行きます。」

 ケンウッドとハイネが頷くと、彼女は少し躊躇ってから提案した。

「ジェリー・パーカーが落ち着いたら分析の手伝いをさせたいのですが、よろしいでしょうか。」
「パーカーに?」

 ケンウッドは驚いた。ジェリー・パーカーはまだ鬱 状態が続いているので薬剤で治療中だ。それに彼はラムゼイの秘書だ。ドームの最重要部門であるクローン製造部に入れるべきではない・・・彼が反対しようとすると、ハイネが裏切った。

「それは良い考えかも知れませんな、副長官。パーカーはラムゼイの研究を一番良く理解していたでしょう。それに何かをさせることで、彼は精神的に安定すると思います。」

 ケンウッドはハイネの青みがかった薄い灰色の目で見つめられて、ドキドキした。反対しようとしたのを、ハイネが知っていて故意に妨害したのだと思えた。
 ゴーンも上司を見つめた。

「許可をいただけますか、長官?」
「うむ・・・」

 ケンウッドは渋々同意した。

「しかし、パーカーは外から来た人間だ。当分の間、保安課を監視に付ける。彼が破壊行動に出るのを防止し、彼自身を傷つける行為をしないよう見守る。それで良いかね?」
「結構です。それから・・・」
「まだ何か?」

 ゴーンはそんなに沢山要求していませんよ、と苦笑した。

「JJ・ベーリングを私の目の届く場所に置きたいのです。彼女はドーマーとして育ったのではなく、大人になりかけた年齢でドームに来ました。しかも外の世界すら十分に知らないまま、と言う稀なケースです。でも・・・」
「クロエル・ドーマーと似た環境の育ち方です。」

とハイネが彼女の言葉を継いだ。そうか、とケンウッドはストンと心に収まるものを感じた。ドームの人間として生まれたのではないが、外の世界の住人でもない。ジェリー・パーカーもJJ・ベーリングもクロエル・ドーマーと似た育ち方をしているのだ。だから、クロエルの養母であるラナ ・ゴーンは新しくドームに来た2人の男女を身近に置いて世話をしたいのだ。
 ケンウッドは大きく頷いた。

「クローン製造部は出産管理区とも密接に繋がっている。女性の数も多い。ベーリングをドームに馴染ませるには、貴女に預けるのが良いのだろう。承知しました。」

2018年12月21日金曜日

リンゼイ博士 2 1 - 3

 ケンウッドには、聞こえた話の内容がすぐに理解出来なかった。議場内の執政官達もシーンとなってハイネ局長の端末から聞こえる男性の声に耳を傾けている。
 ハイネが尋ねた。

「ラムゼイは殺されたのか?」
「わかりません。」

とニュカネン。

「トーラス野生動物保護団体の連中は事故だと言っていますが、クロエル・ドーマーとセイヤーズ・ドーマーは殺害されたと考えています。私は現場を見ていませんので、意見を差し控えます。」

 優等生らしい言葉だった。ハイネが再び質問した。

「ラムゼイが死ぬのを複数の人間が目撃したのだな?」
「はい。現場はトーラス野生動物保護団体ビルの来賓室です。団体の幹部役員数名とクロエル、セイヤーズ、それに死亡したラムゼイがいました。」
「怪我人は出なかったのか?」

 それはケンウッドもゴーンも聞きたかったことだ。大切なドーマー達に何か危害が及んだりしていないだろうか?
 ニュカネンは、怪我人はいないと答えた。

「詳細は警察の現場検証が終わってから報告します。」
「セイヤーズをドームに再収容する。今日中に送り返せ。」

 ハイネが執政官達の、と言うより、ケンウッドの意を汲んで命令した。承知しました、とニュカネンは応えた。

「クロエル・ドーマーにしっかり監視させて帰投させます。」

 ハイネがケンウッドを見た。何か現地に言うことはないか、と目で問いかけた。ケンウッドは小さく首を振った。今は事態をよく呑み込めていない。
 ハイネは端末の向こうの元ドーマーに言った。

「ラムゼイの部下は全員逮捕したと思われるが、残党がいる可能性もある。出張所の警戒を怠らぬようにしなさい。君と職員の家族も気をつけるように。」

 仕事の性質上、遺伝子管理局出張所は監視対象から逆恨みされることも考えられる。ニュカネンはその点において日頃から十分用心していた。それでも上司から気遣ってもらうと、この真面目な男は感激してしまった。声を震わせないよう努力しながら、彼は「わかりました」と応え、通話を終えた。
 ハイネの通話が終わると、議場内にザワザワと囁きが起こった。銘々がラムゼイの死に驚いていた。追い詰められた犯罪者が自死するならわかるが、何故殺人なのだ? クロエルがそう考えた根拠は? 
 ケンウッドはダルフーム博士を見た。老科学者は信じられないと何度も呟きながら、端末をいじっていた。ドームの外のニュースを探しているのだ。恐らくネットニュースには出ていない筈だ、とケンウッドは予想した。リュック・ニュカネンが重要な情報を軽々しく世間に公表すると思えない。トーラス野生動物保護団体も同様だ。ケンウッドは昔副長官時代に、レインとニュカネンと共にあのビルを訪ねたことがあった。ニュカネンはまだあの時は現役局員だった。団体は政界・経済界に所属する富豪達の趣味で設立されたもので、野生動物をクローン技術で復活させる事業を展開していた。

 ラムゼイが隠れ蓑にするのに都合の良い団体ではないか・・・

 そして悪名高いメーカーが自分達のビルで死亡したなどとスキャンダラスな話を巷に流す人々の団体ではない。
 議場内の私語が煩くなってきたので、ケンウッドは自分のマイクを叩いて出席者達を黙らせた。

「思いがけない知らせで我々は動揺してしまったようだね。何が起きたのかは、遺伝子管理局の報告を待つしか知りようがない。今日はここで閉会としよう。皆さん、ご苦労様でした。それぞれの研究に戻ってください。」




2018年12月20日木曜日

リンゼイ博士 2 1 - 2

 幹部会議で話が通っていることを他の執政官達に納得させる為にまた繰り返す。ケンウッドはいい加減疲れていた。ハイネも幹部達も同じだろうと思った。ラムゼイの秘書ジェリー・パーカーが「死体クローン事件」で盗まれた細胞から作られたクローンに違いないと言う意見もまだ一般には公開出來ずにいる。確定しないことには発表出来ないのだ。
 この日の執政官会議は普段の時刻より開始を2時間送らせて午前9時から始めた。ハイネの日課が終わったのが8時半だった。会議があると聞いてハイネはいつもより早めに早朝の運動を切り上げ、仕事をしたのだ。彼の努力に報いる為にケンウッドは会議を定時の7時開始を9時まで遅らせた。すると意外にも執政官達にも評判が良かったのだ。朝食を余裕で済ませて研究の準備だけしてから会場に集まって来た。これからこの時刻で始めても良さそうに思えたが、ハイネの日課が多い日は遺伝子管理局長抜きで会議をしてしまうことになるので、それは考えない方が良さそうだ。
 議場内の話題がラムゼイからJJ・ベーリングの存在に移った。遺伝子操作で生まれた少女を今後どう扱うべきかと議論した。クローンとして扱い、健康の問題がなければドームの外に戻せば良いと言う意見や、人造の染色体を持つ人間を野放しに出來ないので彼女を一生ドームに住まわせるべきだと言う意見が出た。少女の尋常ではない能力をここで公表する訳にいかず、彼女をドームに留め置く正当な理由を幹部は捻り出さねばならなかった。
 ラナ・ゴーン副長官が発言した。

「ベーリングはまだ17歳です。親の勝手で屋敷の中に幽閉の形で育てられ、外の世界を知りません。はっきり言えば、私達のドーマーよりも世間知らずです。けれど、知能は高く、人としての常識や感情は備わっています。彼女を外の世界に出すことは、彼女を見捨てることになるでしょう。しかし、彼女をドームに留めて教育を受けさせれば、彼女は優れた遺伝子学者になる筈です。親の影響で染色体の分析に優れた能力を発揮させるのですよ。」

 重鎮ダルフーム博士も副長官の肩を持った。

「もうすぐ退官する私にも意見を言わせて頂きたい。JJ・ベーリングには私も面会しました。非常に利発で思慮深い女性だと言う印象を持ちました。彼女は染色体の分析に大いに興味を持っており、現在の地球が抱えている最大の問題も承知しています。何が必要な研究なのか、彼女はあの若さで既に理解しているのです。
 皆さんの中には、あんな小娘と同列で研究をするのは御免だと思う人もいるでしょう。しかし、我々の本来の役目を思い出して頂きたい。我々は地球人を復活させる、それだけの為にここにいるのです。そして、あの少女は我々には考えつかなかった、想像すらしなかった遺伝子の謎を解こうとしてるのです。
 どうか、彼女をこのドームに置いてやってくれませんか?」

 議場内がザワザワと騒がしくなった。少女にここで話をさせてはどうかと言う意見がケンウッドの耳に入った時、ハイネの端末に緊急連絡の信号が入った。ハイネが眉を顰めて端末をポケットから出した。画面を見て、ケンウッドを振り返った。電話に出て良いか、と目で許可を求めて来た、とケンウッドは解釈した。

「出なさい、ハイネ局長。」

 議場内が静かになった。ハイネ局長は発信者の名を告げた。

「リュック・ニュカネン、セント・アイブス出張所の所長です。」

 そして端末に声を掛けた。

「ハイネだ。どうした?」

 ハイネが拡声にした端末から、リュック・ニュカネンの硬い声が聞こえてきた。

「局長、ラムゼイが死亡しました。クロエルが、殺人事件だと言っています。」

2018年12月19日水曜日

リンゼイ博士 2 1 - 1

 翌朝、執政官会議が開かれた。
 ケンウッド長官は、端末でポール・レイン・ドーマーの話を再生して幹部達に聞かせていた。勿論会議に関係ない部分は編集して削ってあった。レインは慣れているので説明は簡潔で分かりやすくこなした。ただ、ラムゼイ博士に顔を触られた時に感じた恐怖だけは上手く表現出来なくて言葉に困っていた。

「要するに、ラムゼイの手から何と言うか、欲望とか邪な感情が大量に流れて来て、彼はパニックに陥ったと解釈して宜しいのでは?」

とある執政官が発言した。

「言葉で表現出来ないラムゼイの思考の根源みたいなものでしょう。」

と別の執政官。テレパスが他人の感情をどんな形で受信するのか、能力のない人間には理解出来ない。執政官達はただ、普段冷静沈着なポール・レイン・ドーマーが自ら意識をシャットダウンして自己を守らなければならなかった事態が起きた、と言うことだけを理解した。

「これだけでは、ラムゼイが何を企んでいたのか、わかりませんね。レインにもわかっていないのでしょう?」
「そうだ。だからレインは当時の心理状態が正常でなかったことを悔やんでいる。分析出来るほど冷静でいるべきだったと。」
「自分を責めるなと言ってやって下さい。」
「それにしても、ラムゼイの秘書に関する証言は興味深いですね。パーカーと言う男はクローンなのでしょう? どうして彼に触られた時、宇宙空間のイメージをレインは感じたんです?」
「それは、パーカー自身に聞いた方が良いかも知れないな。」
「彼は今ここにいるんですよね?」
「クローン観察棟で監禁状態だ。逮捕される直前に自殺を図ったので、薬で頭をぼんやりさせて危険な行動を取らないようにしている。」

 ケンウッド長官は執政官達を見回した。

「彼の細胞は私達と変わらない。むしろ純粋な地球人のものと言っても良い。今DNAを分析しているが、彼のオリジナルの人間はまだ不明だ。」
「人種は?」
「わからない。」
「混血と言うことですか? コロニー人の様に?」
「彼は地球人だ。人種が混ざった地域の人間のクローンと思われるが、ラムゼイは遺伝子組み換えも行っていたから、特定困難だ。」
「遺伝子組み換えと言えば、ベーリングの娘はどうしています?」

この問いには、ラナ・ゴーン副長官が答えた。

「JJは健康診断では異常なし。DNAを分析しましたが、今のところ普通の人間と変わりありません。ただ、彼女は声を出せないので、脳波翻訳機を介して会話する必要があります。こめかみに装着する端子の感触にまだ馴染めなくて落ち着かないようです。
もう暫く様子を見てから、徐々に研究に協力してもらうことになるでしょう。」

 彼女は、JJがポール・レイン・ドーマーに会いたがっていることを敢えて言わずにおいた。少女は機械を通さずに話しが出来るポールがお気に入りなのだ。だがポールは子供と遊んでいる暇などないし、彼の取り巻きが少女の存在を疎ましく思うだろう。

「ところで、ハイネ局長・・・」

 ケンウッド長官は、会議室の末席に座っている遺伝子管理局の長に話しかけた。この会議の参加者では唯一人のドーマーだ。

「管理局は、何時になったらセイヤーズを返してくれるのかな? レインが戻ったのだから、もうセイヤーズもドームに帰ってきているはずだが?」

 室内の注目が自分に集まったことを意識したローガン・ハイネ・ドーマーはしらっと答えた。

「セイヤーズは仕事熱心ですからね。ラムゼイ逮捕まで頑張るそうですよ。アレは集中出来る物事に当たると徹底的にやらんと気が済まんのです。」
「また逃げたりしないか?」
「しません。監視を付けています。」
「誰だ?」
「クロエル・ドーマーです。」

 コロニー人の間からブーイングが起きた。

「最悪のコンビじゃないか! クロエルはセイヤーズより自由奔放だぞ! 鎖を外したら何処へ行くかわからん狼みたいな男だ。」
「だからと言って、駆け落ちなんかしませんよ。」

ハイネの言葉に、ラナ・ゴーンがプッと吹き出した。

「クロエルは大人ですわ。ちゃんと自身の立場をわきまえています。必ずセイヤーズを連れて帰って来ます。」
「そう願っている。」

とケンウッド。

「私はレインから苦情を訴えられたんだ。18年かけて見つけ出し、やっと逮捕した脱走者を一月もたたないうちに外へ出すとは何事か、とね。」

2018年12月18日火曜日

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 ケンウッドがクロエルの報告書を読み終えた途端に、ハイネの端末にセイヤーズから報告が入った。ハイネは無言でそれを読んだ。セイヤーズはアーシュラと面会する迄の過程をクロエルより詳細に書いているくせに、肝心のアーシュラとの会談は簡潔に済ませていた。

ーーアーシュラ・R・L・フラネリーは知人のリンゼイ博士なる人物がメーカーのラムゼイであると知ると、彼を匿っていると思われるトーラス野生動物保護団体の役員に繋ぎをつけてくれると約束した。明朝午前10時に団体ビルでリンゼイと面会予定。

 その簡潔さにハイネは、逆に深い意味を感じ取った。アーシュラはセイヤーズに何か交渉条件を提示したに違いない。あの女性は何を望んでいるのか。今更ながら息子に会いたいと言うのだろうか。
 気がつくと、ケンウッドとヤマザキがハイネを見つめていた。ハイネは無言のままセイヤーズの報告書を2人の端末にシェアした。それを読んだヤマザキは「おっ!」と明るい驚きの声を上げ、ケンウッドはセイヤーズがまだ帰って来ないと知ってがっかりした。
 ヤマザキがハイネに質問した。

「ラムゼイを逮捕したら、誰が取り調べるんだ? 警察か? それともドームか?」

 ハイネは即答した。

「メーカーとしての取り調べは警察がします。『死体クローン事件』の容疑者としての取り調べはドームがします。彼はコロニー人ですから、執政官の判断にお任せします。」
「どっちが優先するんだ?」

 するとケンウッドが我に帰ってヤマザキに言った。

「警察が優先だよ、ケンタロウ。ドームが先に彼を収容したら、警察に戻すことはないだろう。月の連邦検察局に送致されるからね。だから、地球人の仕事を優先させる。それが私の判断だ。」
「地球の刑務所にぶち込まれたら、彼は生きているうちにこっちの裁判を受けられないんじゃないか?」
「そこは、私が地球の政府と交渉するさ。その為の長官だ。」

 彼はハイネが口元に意味不明の笑みを浮かべるのを目撃したが、それに関して言及しなかった。

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 普段食事中は仕事をしない筈のローガン・ハイネが、その日に限ってテーブルの上に端末を置いていた。時々メッセが入るのを眺めながら食べるので、ヤマザキ・ケンタロウがいきなり端末を取り上げた。

「余所見しながら食べるんじゃない、ハイネ。」

 ハイネは怒らず、苦笑しただけだった。

「部下達の報告を待っているだけです。急がないメッセばかり入るので、読んでいませんよ。」
「セイヤーズとクロエルの報告か?」

とケンウッドも興味があるので身を乗り出した。ヤマザキがブーイングした。

「君達、食べることに専念したまえ。消化に悪いぞ。」

 その時、ヤマザキの手の中でハイネの端末にメッセが入った。思わずヤマザキはそれを覗き込み、発信人を見て渋々端末をハイネに手渡した。

「クロエルちゃんの報告だよ。」
「どうも。」

 ハイネは簡単に礼を言って受け取った。ケンウッドが興味津々で見つめた。報告書の内容を聞きたいのだが、周囲の人々の耳に入って欲しくない情報だ。だから読んでくれと言えなかった。
 ハイネはざっと目を通してから、ケンウッドとヤマザキの端末に転送した。
そこには、クロエルとセイヤーズがトーラス野生動物保護団体と接触したこと、幹部に会えなかったこと、セイヤーズがラムゼイの反重力サスペンダーの修理屋を見つけ、ラムゼイと繋がりがあると確信したこと、ラムゼイがトーラス野生動物保護団体の幹部と繋がっている可能性が高く、会員であるアーシュラ・R・L・フラネリーに協力を依頼して、セイヤーズがラムゼイとの面会を約束させたこと、などが書かれていた。
 リュック・ニュカネン元ドーマーが、報告書の中でセイヤーズの身勝手ぶりとクロエルが彼に陶酔していると愚痴っていたのだが、ケンウッドは局員達はよく頑張っていると思った。
 予定では今夜戻ってくるのだが・・・


2018年12月16日日曜日

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「おやおや、当ドームのコロニー人最高責任者と地球人最高責任者が、医療区の廊下で密談かね?」

 ヤマザキ・ケンタロウの陽気な声で、ケンウッドは現実に還った。ヤマザキは途中の病室から出て来たところで、その部屋は女性用である為に内部が見えない仕様になっていた。ケンウッドはちょっと気になった。

「誰が入院しているのかな?」
「クローン製造部のメイ・カーティス博士だよ。ちょっと体調を崩しただけで、病気とは言えないが、ここで休ませないとまた仕事に熱中するからな。」

 ああ、とケンウッドは首を振った。メイ・カーティスは昔恋愛騒動を起こしたことがあった。ドームで働くコロニー人は職場恋愛禁止なのだが、彼女は同僚の男性と交際を始めかけたことがあったのだ。彼女は職を失いたくなかったので、地球勤務の間は自重しようと相手に提案したのだが、男性側は結婚を急いだ。2人は口論となり、友人のドーマーを巻き込んでしまったので、執政官会議に掛けられてしまう騒動に発展した。彼女は一旦辞職願いを出し、男性も退職した。しかし彼女の地球人復活に関する研究意欲は衰えず、改めて再就職を希望し、相手の男性とも切れたことと熱意を認められて、極めて稀なケースではあったが、アメリカドームに復帰出来たのだ。それ以来、彼女は仕事に没頭した。上司のラナ・ゴーンが心配する程に時間を惜しんで丈夫な女の子のクローンを育てることに情熱を注いできた。そして、ゴーンの心配が現実になってしまったのだ。

「過労か?」
「うん。本人には無理していると言う意識がないから、困りものだ。」

 するとハイネが言った。

「友達を増やしてやれば良いでしょう。」
「それは私たちが押し付けられるものじゃないよ。」
「押し付けなくても、出来ますよ。」

 ハイネはそれ以上コロニー人の話題に興味がないのか、ヤマザキを見た。

「ところで、私はこれから夕食ですが、皆さんは?」
「僕もこれからだよ。」
「私もまだだ。」
「では、ご一緒しませんか?」
「いいね!」

 ハイネは端末をちらりと見た。時刻を確認したように見えたが、実際はニュカネンからメッセが入ったのだ。

ーークロエルとセイヤーズが戻りました。

 ハイネは端末をポケットにしまった。

「どちらの食堂にします?」
「いつもの場所でいいよ、ハイネ。女性を愛でながら食べる趣味はないから。」

2018年12月15日土曜日

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 勿論、ハイネ局長がわざわざ医療区までケンウッドを追いかけて来た目的は、ドーマー達が万が一大統領の母親に失礼な振る舞いをした時に、庇ってやって欲しいと頼みに来たのだ。同時に、アーシュラが接触テレパスでドームの秘密を知っていることを承知しているので、彼女がドームに取り替え子で奪われた次男に会わせて欲しいと言う要求をして来ることも覚悟して欲しいと言いたかったのだ。アーシュラ・R・L・フラネリーは若い頃、夫が息子をドームに引き渡す約束をして自由を得たことを知り、次男が女の子と取り替えられたことを恨み、何度も返して欲しいと訴えてきた。その時代、ケンウッドはまだ火星で働いていたし、ハイネは遺伝子管理局内務捜査班の捜査官で、彼女に悩まされたのは先代の局長ランディ・マーカス・ドーマーであり、また当時の2代のドーム長官達だった。代替わりする時に、ハイネはマーカス・ドーマーから多くの注意事項の一つとしてアーシュラの問題を引き継いだ。その頃には、アーシュラは長男のハロルドと取り替え子の娘フランシスを育てるのに忙しく、訴えは忘れられていた。彼女は娘をきちんと実子として愛せたのだ。だが、やはり次男も欲しい・・・母親の欲だった。

「ドーマーと接触したら、レインの存在を思い出すだろうな・・・」

 ケンウッドは憂鬱に感じた。我が子がどこかで生きていると知ったままで会えずに生きてきた母親の気持ちに同情を感じるが、それは地球人を絶やすまいと努力している地球人類復活委員会の人間としては、考えてはいけないことなのだ。

「レインの件は彼女から何か言ってくる迄、放置して良いでしょう。」

とハイネが言った。

「問題は、彼女がラムゼイとどんな関係があるのかと言うことです。セイヤーズから説明がある迄待たねばなりませんが、面倒なことにならねば良いのですがね。」

 つまり、ハイネはアーシュラがラムゼイの支援者の一人だったら、と心配しているのだ。ケンウッドは時計を見た。そろそろ午後7時だ。

「普通は局員から報告書が届く頃合いだね? いや、通常はもう少し早い時刻だったかな。まだニュカネンから何も言ってこないのかね?」
「ニュカネンからですか?」
「彼がセイヤーズ達と別れたのは何時だ?」
「確か、昼前で・・・」

 ハイネは端末を見た。その時、メールが着信した。

「噂をすれば・・・ニュカネンの報告書が届きました。」

 ケンウッドはハイネがシェアしてくれたその報告書を大急ぎで開いた。生真面目なニュカネンらしく、仲間と別れてからの出来事を順番に丁寧に書いてあるが、セイヤーズもクロエルもアーシュラも登場しなかった。ニュカネンは、警察からDNA鑑定を依頼された身元不明者の遺体の鑑定結果と、その人物が遺体となって砂漠に転がっていた理由を書いていた。それを読んだケンウッドはびっくりした。思わずレインの病室の方向を振り返った。

「ハイネ、読んだか?」
「読みました。」
「ニュカネンが鑑定した遺体は、レインとキエフを拐おうとしたヘリコプターの操縦士だった!」
「ラムゼイに買収されていたタンブルウィード支局の雇われ操縦士でしたな。」
「ラムゼイに消されたのだろうか?」
「どうでしょう・・・もっと先まで読まれましたか?」
「否、まだ・・・」
「遺体はハイウェイ沿いの砂漠に捨てられていました。タンブルウィードからは遠く、ラムゼイのアジトからローズタウンへ向かうルートの途中です。ラムゼイの部下達が向かっていた道筋とは途中で分岐しています。昨日のクロエルと局員達の報告書では、彼等はジェリー・パーカーのトラック隊を待ち伏せ地点から追尾していましたから、ラムゼイの部下が一人でも隊から離れて行けば、警察が追跡した筈です。」
「つまり?」
「ヘリの操縦士は、ラムゼイとは無関係の人間に殺害された可能性もあると言うことです。」

 ヘリの操縦士はレインに逃げられたことをラムゼイに非難され、報酬をもらえなかったので、逆恨みして途中のドライブインでトラック隊が休憩した時に、レインを襲ったのだ。偶然トラックに戻ってきたライサンダー・セイヤーズがそれを見つけ、大声を出したので、レインは危うく難を逃れた。操縦士は、ライサンダーが叫んだ「積荷泥棒!」の声を聞きつけた大勢のトラック野郎供に囲まれた。積荷泥棒は、トラック仲間にとっては天敵だ。天敵は排除される。集団リンチの結果、操縦士は落命して、捨てられたのだ。
 ハイネもケンウッドもそこまでは想像が及ばなかった。ハイネはラムゼイとハリス支局長の繋がりを証言する人間が一人減ったなぁと思っただけだった。
 ニュカネンの報告書は、出張所に帰り、クロエルが指揮していた北米南部班の部下達がドームに帰投するのを見送ったところで終わっていた。
 ケンウッドが落胆した。

「セイヤーズは今夜も帰って来ないのか?」

 ハイネが彼を見た。ちょっと面白がっている様にも見えた。

「まだ仕事中ですからね。」

と遺伝子管理局長は言った。

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「キラキラひかるもの?」
「はい。俺が感じたのは、そう言うイメージでした。けれど、図に描かせると彼女はちゃんと遺伝子マップを描くのです。」
「不思議な娘だな・・・」

 思わずケンウッドはそう呟いてしまった。科学者として「不思議」はない筈なのだが。
レインは疲れてきたのか、目を閉じかけたが、長官の前で眠るのは失礼と思うのだろう、頑張って瞼を上げた。

「長官・・・」
「なんだい?」
「セイヤーズはこれからもこのドームに居ますか?」

 レインは恋人とずっと一緒に暮らせるのかと聞いているのだ。
 ケンウッドは大きく頷いて見せた。

「ああ、彼は約束してくれた。一生ここにいると。」
「良かった」

 最後は小さな声だった。レインは本当に疲れたらしく、目を閉じた。
 ケンウッドも小声で「おやすみ」と囁きかけ、静かに病室を出た。
 通路に出ると、驚いたことにハイネ局長が立っていた。ガラス越しに見えていた筈だが、ケンウッドはレインにばかり注意を向けていて気づかなかったのだ。

「来ていたのか。入ってくれば良かったのに。」
「私はレインに用事があったのではありません。」

 2人は出口に向かってゆっくり歩き始めた。ハイネが端末をちらりと見て、ケンウッドに告げた。

「セイヤーズとクロエルが、アーシュラ・フラネリーと面会します。」
「アーシュラ・・・?」

 ケンウッドは咄嗟にそれが誰なのか思い出せなかった。女性だ、と思ったが、何者なのかわからなかった。怪訝そうな顔の彼を見て、ハイネが説明した。

「現アメリカ大統領の母親です。」

 ケンウッドはちょっと考えて、ハッと気が付いた。ポール・レイン・ドーマーの母親だ。ケンウッドが20年前に研究用細胞提供に協力してもらった政治家の元ドーマー、ポール・フラネリーの妻だ。息子2人に接触テレパスの遺伝子を継がせたサイキックだ。だが、何故遺伝子管理局が彼女と接触するのだ? セイヤーズ達はラムゼイを追っているのではないのか?

「セイヤーズとクロエルは何が目的でアーシュラに面会するのかね?」

 ハイネは立ち止まって低い声で言った。

「ニュカネンの報告はセイヤーズとクロエルが彼女と会うつもりだと、そこで終わっています。」
「ニュカネンは一緒ではないのか?」
「彼は警察の要請で身元不明の遺体のDNA鑑定をする為に、彼等と別れたのです。」
「では・・・」

 問題児と破天荒なドーマー2人は野放しか、とケンウッドは思わず天を仰いだ。ラムゼイ捜査の為に大統領の母親と面会するのだろう。失礼なことをしなければ良いが・・・。



2018年12月14日金曜日

トラック    2  3 - 4

 ポール・レイン・ドーマーは今回の捕虜体験で一番恐怖を覚えたのは、ラムゼイに素手で触れられた時だったと打ち明けた。ラムゼイの思考とも空想とも判別つきかねる暗黒の感情がレインを襲ったのだ。ラムゼイ自身は全くそのことに気づかなかった。レインは無言で耐え・・・

「俺はそこで気絶してしまいました。それ以上は耐えられませんでした。」
「それで良かった。君の精神が崩壊してしまうところだったろう。」

 ケンウッドはドーマーの目を見て微笑んだ。

「君が正常の精神を保っていて嬉しいよ。」
「次に目が覚めたら、小部屋に監禁されていました。セイヤーズの息子が食事を持って来てくれましたが、食欲がなかったので口にしませんでした。」
「その時に彼と話したのだね?」
「はい。思ったより素直でしっかりした子でした。怪我をしたのでラムゼイに拾われてしまい、少女と互いを人質にされて反抗出来ない状況になっていました。」

 ケンウッドは少し躊躇ってから尋ねた。

「彼は君の息子だと思うかね?」

 するとケンウッドの気が抜ける程にあっさりとレインは「はい」と答えた。

「テレパシーのエコーで確認しました。」

 テレパシーのエコーとは、同じ遺伝子を持つ人間同士がキスをすることで互いの思考の波の周波数が同じであることを感じ合う・・・とケンウッドは遠い昔に聞いたことがあった。彼自身はテレパシーを持っていないので、それがどんな感覚なのか皆目見当がつかないのだ。
 うん、と曖昧に頷いて、彼はレインが疲れる前に少女に話題の中心を持っていった。

「JJ・ベーリングとは、トラックの中で知り合ったのか?」
「そうです。アジトを出発した時は、彼女とライサンダーと俺の3人で荷台に押し込まれていました。ライサンダーが眠ったので、彼女が俺に話しかけてきました。つまり、手を握って心で話しかけて来たのです。」
「君が若い女性を上手にあしらうことは知っている。どんな話をしたのか教えてもらえるかな? これから我々は彼女の能力を研究し、我々の研究の手助けをしてもらおうと思っている。彼女はその・・・」

 ケンウッドが言葉に詰まると、レインは長官が何を言いたいのか理解した。

「あの娘が本当に染色体を見ているのか、と言うことですね。実を言うと、俺もよくわからないのです。言えることは、普段の彼女は俺達と同じ風景を見ているってことです。ただ、人を識別する時に、何かキラキラひかるものを見ているみたいで・・・」

2018年12月12日水曜日

トラック    2  3 - 3

 ケンウッド長官は尋問には慣れていないし、事情聴取を目的に病室に来た訳でもなかった。勿論精神カウンセラーでもない。しかし、ポール・レイン・ドーマーが心的ストレスを抱えているのは素人目にもわかったし、それをケンウッドに聞いてもらいたがっていると感じた。本当はJJのことをレインから聞く目的があったのだが、彼は目の前のドーマーの心の傷が気になった。報告書に書かれていなかったレインの本音を聞きたい。
 彼は椅子をベッド脇に引き寄せて、端末を出した。

「記録しても良いかな? 良ければ、君が体験した嫌なことを洗いざらい語ってくれないか。胸の内にしまっておいても良いことはないぞ。」

 レインは一瞬迷う表情をしたが、それは語るのを躊躇ったのではなく、何から話すべきか考えたのだ。そして、つまらないことも言います、と断ってから、牛との押しくらまんじゅうから語り始めた。ケンウッドはコロニー人だから、牛の生態がよくわからない。しかしレインが牛囲いの中で体験した不快で恐ろしい感覚は理解出来るような気がした。
牛囲いから出てメーカーに捕らえられ、裸にされて風呂に入れられたことも不快な思い出だ。ケンウッドは複数の手が美しいドーマーの体をもてあそぶのを想像して怒りを覚えた。不良執政官でさえ触れたことがないドーマーの体にメーカーがお触り放題だと?
しかし、そこ迄の体験はレインにとっては「大したことではない」のだった。
問題は、半裸状態でラムゼイの前に引き出された時だ。ラムゼイは、ライサンダーを従えており、少年の目の前でレインを裸にした。

「セイヤーズの息子がそこにいたのか・・・」
「情けない姿を見られました。」
「しかし、不可抗力だっただろう? 君は子供達を保護しに行ったのだ。セイヤーズの息子が居ても不思議ではない。彼等が捕虜扱いされていないと、事前に君は想定して出かけたのだ。ラムゼイは子供達に己の力を誇示したかったのだろう。」
「セイヤーズの息子は、我々から逃げた際に負傷してラムゼイに拾われたのだと、後で2人きりになった時に説明しました。脚を折ったが3,4日で治ったそうです。」

 ケンウッドは唸った。ダリル・セイヤーズ・ドーマーの息子は明らかに身体的な進化型の細胞補修能力を持っている。地球人とは思えない能力だし、コロニー人でも希だ。
だが・・・とケンウッドは思った。セイヤーズにはそんな能力はない。もう片方の親であるレインにもない。

 ならば、少年の能力は何処から来ているのだ?

 すると、レインが長官の思考を読んだかの様に、目撃した事実を伝えた。

「ラムゼイは、女を1人連れています。使用人扱いですが、恐らく彼のクローン製造に卵子を提供する役目を負っているのではないでしょうか。セイヤーズの息子も、彼女の卵細胞の遺伝子情報をいくらか受け継いでいるはずです。」
「女だって?!」

 ケンウッドはびっくりした。細胞補修能力を持つ女? 彼は思わず呟いていた。

「まさか、ジェネシスなのか?」

トラック    2  3 - 2

 昼前の打ち合わせ会を珍しくハイネが欠席した。理由は「忙しいから」。ケンウッドは仕方なくゴーンと打ち合わせをして決定事項をハイネにメールしておいた。
 午後、ケンウッドは医療区の入院棟のあるフロアで、廊下を行ったり来たりしていた。近頃ドーマーたちが、もっと詳細に言うならば、遺伝子管理局で働くドーマーたちが彼の言うことを聞かなくなっている様な気がしてならなかった。彼の、ではなく、ドームの、と言った方が良いのかも知れない。コロニー人に対して地球人が反抗的になっているのだろうか。それともこれは只の彼のひがみで、本当は何もないのかも知れない。
 病室の一つからヤマザキ医療区長が出て来た。

「ケンさん、何をそわそわしているんだ? まるで細君の出産を待っている旦那みたいじゃないか。」

 変な例えでからかわれて、ケンウッドはムッとした。

「私は、ローガン・ハイネがダリル・セイヤーズを借り出したきり、返さないから苛立っているのだ。セイヤーズは、ポール・レイン救出と言う役目を果たした。もう帰って来ているはずなのに、まだ外に居る。私は彼にラムゼイ追跡を命じた覚えはない。」
「そうかね。だが、君はセイヤーズの性格を承知しているはずだが?」
「セイヤーズだけの問題ではない。ハイネが何故セイヤーズの勝手を許すのか、それが解せない。」
「それはハイネと直に話し合うことだな。それより、君はレインに面会するのか、しないのか? しないのだったら、レインにはまた睡眠薬を与えて眠らせておくが・・・」
「面会はする!」

 ケンウッドは医療区長の横をすり抜けて病室に入った。
 ベッドの上に、ポール・レイン・ドーマーが横たわっていた。腕や胸に端子を付けられ、機械に繋がれているが、目は開いていた。ケンウッドは機械の表示を見て、彼のバイタルが正常なことを確認した。正常だから面会許可が下りたのだが、自身の目で確認せずにはいられない性格だ。
 レインが小声で言った。

「残念ながら、生きていますが?」
「生きて帰ってきてくれて嬉しいよ。」
「抗原注射の効力切れで動けないだけです。どこも悪いところはないと言われました。」
「うん・・・」

 ケンウッドは用心深くレインの右手を握った。冷たい手だが、それは点滴のせいもあるだろう。レインが深い息を吐いた。ケンウッドが本当に彼の生還を喜んでいるのを感じて、ちょっと照れくさかったのだ。ケンウッドはそっと手を離した。

「メーカーどもに酷いことをされたりしなかったかね? 」

 ケンウッドは、この誇り高きドーマーがメーカーたちから屈辱的な扱いを受けたはずだと推測していた。レインには、『尻軽ポール』と言う渾名がある。執政官たちが誘うと拒まずに言うことを聞くからだ。しかし、彼の方からは絶対に媚びないし、服の下の肌には絶対に手を触れさせない。彼が接触テレパスであることは、ほとんどの人間は知らないのだ。彼は誇り高い態度でもって自身を守ってきた。
 何も知識を持たないメーカーたちが生け捕ったドーマーをどう扱ったのか、ケンウッドは容易に想像出来た。連中は汚い不潔な手でレインの肌を触りまくったはずだ。下品な想像をしながら彼の腕を掴んだだろう。実際には何もされなくても、精神的にレインは暴行を受けたのだ。
 レインは溜息をついた。小者たちの手から伝わった下品な思考は、執政官とそんなに変わりない次元のものだ。不潔だが、我慢出来たし、時間がたてば忘れることも出来る。しかし・・・
 彼はケンウッドの目を見上げた。そして囁くように告白した。

「ラムゼイの手が恐かったです。」

2018年12月11日火曜日

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 JJ・ベーリングが生物を遺伝子レベルで見ているらしいことはわかった。彼女はそれで個体識別をしているのだ。一体どんな世界を見ながら生きているのだろう?
 ケンウッドはラナ・ゴーン副長官に彼女を預けた。若い女性の扱いは、女性に任せた方が良いだろうと思われたからだ。

「Pちゃんに会いたい。」
「ピーちゃん?」

 ケンウッドは、なんとはしたないことを言う娘だ、と思ったが、キャリーが笑った。

「ポール兄のことです、長官。」
「ああ・・・」

 ポール・レイン・ドーマーの報告書に、彼はJJと一緒にトラックの荷台に乗せられたとあった。銃声を聞いて泣き出す迄、彼女は彼の腕に手を触れて「会話」をしていたのだ。レインの接触テレパス能力を彼女は驚きもせず、寧ろ脳波翻訳機も指文字もタブレットも不要で会話が出来る唯一の人間を見つけたのだ、とレインは分析していた。
 ケンウッドは時計を見た。

「レインはまだ医療区で入院中だ。疲労で寝ているだけだから、直ぐに良くなる。これからいつでも会えるさ。」

 若いJJは不満そうな顔をしたが、結局強く強請ることは止めて素直に副長官執務室を出て行った。キャリー・ワグナー・ドーマーが微笑んだ。

「屋敷の中で大事に育てられたと聞きましたが、予想を裏切って他人への思いやりを十分持っている子ですね。」

 そして彼女は少女の後を追いかけて出て行った。ケンウッドはゴーンを見て、声をかけた。

「君の息子を銃撃戦があるような任務に就かせてしまい、申し訳ない。」

 ゴーンは自身の執務机で次の業務の仕度をしていたが、手を止めてケンウッドを見た。

「何を仰るかと思えば・・・大丈夫ですよ、 クロエルはあっさり敵に撃たれるようなヘマはしません。」

 養子を信じて疑わない。 ケンウッドは母親の強さを彼女に見た。

2018年12月10日月曜日

トラック    2  2- 8

 ローガン・ハイネ遺伝子管理局長は、ケンウッドが遺伝子組み替えで誕生した少女の想像を絶する能力に驚愕している時、別件で悩んでいた。前日は局員達から送られてきた報告書を読んだ。そしてその日の朝は、日課の合間の休憩時間に、セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウン出張所のリュック・ニュカネン所長からの報告書を読んだ。ニュカネンは捕物に関しては元同僚達が詳細に書くだろうと思ったのか、几帳面な彼にしては珍しく簡潔に済ませていた。しかし、その後のメーカー達の取り調べについては丁寧に記述していた。彼はポール・レイン・ドーマーが警察の事情聴取を受けた時に付き添い、ついでにラムゼイの手下供の取り調べを見学したのだ。手下供は主に首領であるラムゼイの行方について尋問されたのだが、中にはどんな研究をしていたのか喋る口の軽い者もいた。その一人が、ライサンダー・セイヤーズとJJ・ベーリングを拾った時の様子を供述していた。

ーー少女が川から少年を引き揚げ、車で通りかかった我々に手を振って停車させた。彼女は口が利けなかったが、少年が怪我をしていることを伝えることは出来た。ラムゼイ博士は彼等が何者なのか、すぐにわかった様子で、親切を装って車に乗せて農場へ連れ帰った。車に乗せた時点で、少年は左脚腓骨を折っていたが、農場に着いて手当をしようとすると、既に骨は固まりかけており、博士は手術の必要なしと判断した。少年の脚は翌日には綺麗に治っていた。

 ハイネは考えた。ライサンダー・セイヤーズはクローンだ。セイヤーズとレインの遺伝子を半分ずつもらっている。だがどちらの親も、怪我が物凄いスピードで治癒する力は持っていない。セイヤーズは確かに子供時代から怪我の治りが早かった。だがそれは普通の子供と比較して、2、3日早いと言うだけだ。僅か半日で骨折が治る筈がない。
 ラムゼイは第3の人物の遺伝子も組み込んだのだろうか。それとも、ライサンダーがダリル・セイヤーズから受け継いだ進化型1級遺伝子S1の能力が進化したのか。
 放っておいても良いだろうと思えたが、別の心配があった。もし誰かがライサンダーの能力を知って悪用を目的に彼に近く恐れはないのか? 自然治癒が異常に早い、それは長寿に繋がるのではないのか? ライサンダーの能力を知る誰かが、彼を悪用しないだろうか?
 ハイネは端末を出した。また考えてから、クロエル・ドーマーの端末にメッセを送った。電話では誰かに聞かれる恐れがあった。

ーーセイヤーズの息子をドームに来るように説得せよ。

 まだ世間では朝食を終えてのんびりしている時間帯だ。早過ぎることはない、とハイネは思った。程なくしてクロエル・ドーマーから返信が届いた。

ーー無理

 逆らうつもりか? ハイネはそのそっけない文面に腹が立った。指を動かし、別の文章を打ち込むと再び送信した。

ーー努力せよ

 これには返信が来なかった。しかしハイネの端末には既読のマークが入っていた。

 俺を無視するつもりか? 

 なんとなく反抗されて可笑しく思えた。ハイネの要求にドーム内の人間は誰でも素直にしたがってくれる。 しかしクロエルはハイネに逆らうことが自身の特権だと思うようだ。それだけハイネに親近感を覚えているのだ。
 兎に角、少年とクロエルは親しくなっているらしい。

トラック    2  2- 7

  結局ハイネは多忙を理由に来なかった。アイダ出産管理区長も急に3名の妊婦のお産が始まったので持ち場を離れられず、ケンウッドが到着するとすぐにJJの「見ているもの」の検証が始まった。
 JJはお絵描きツールで図を描き、それを実際の遺伝子マップと比較した。キャリー・ワグナー・ドーマーとラナ・ゴーン自身の遺伝子だ。手描きに関わらず、JJは遺伝子マーカーの間隔を正確な比率で描いた。そして、誰のマップなのかも説明を聞く前に当てた。
ケンウッドはちょっと考えてから、少女が接触したドーマー達のマップを呼び出し、画面に出した。

「どれが誰なのか、君はわかるのかな? 君が昨日出会った人々のものだが・・・」

実は3名全く接触がなかった人物のものも混ぜておいたのだ。JJは大きな画面に表示された遺伝子マップを眺め、やがてポインターで3つを指した。脳波翻訳機が耳障りな音声で言った。

「この3人は知らない。」

 ケンウッドは驚いた。混ぜておいた無関係の人間のものだった。JJは一つを指した。

「Pちゃん」

 ケンウッドはゴーンとキャリーを振り返った。キャリーが肩をすくめた。

「多分、ポール兄です。」

 つまり、ポール・レイン・ドーマーだ。 JJはその隣を指した。

「名前知らない。でも昨日、一緒に飛行機に乗った人。」

 彼女は遺伝子管理局の局員達とゲート係のドーマーを区別して当てた。クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーはちゃんとクラウスと名前を呼んで、キャリーをニッコリさせた。
 ケンウッドは開いた口が塞がらなかった。こんなことがあるだろうか? 肉眼で染色体を見ているなんて・・・。

「君は・・・その・・・遺伝子レベルで生物を見ているのかな?」

 JJは肩をすくめた。

「知らない。これが私の世界。」

 彼女には当たり前の光景なのだろう。
 ゴーンが新たな遺伝子のグループを表示した。JJが振り返り、首を傾げた。

「知らない人いっぱい。」
「男かしら、女かしら? 性別はわかる?」
「これは女の人のグループ。」

 JJは左から2番目のマップを指した。

「これは貴女、ラナ博士。」

 彼女は偶数番目に置かれている3人分のマップを順番に指した。

「貴女と同じ。他の人はキャリーと同じ。」
「それは・・・」

 ケンウッドが口を挟んだ。

「コロニー人と地球人が違うと言うことかね?」

 少女が彼を見た。

「コロニー人? この人達はコロニー人なの?」
「そうよ、私はコロニー人、キャリーは地球人。貴女も地球人。」

 ところが、JJは言った。

「違う。私はラナと一緒。キャリーとは違う。」




2018年12月9日日曜日

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 朝食の後、ラナ・ゴーン副長官はアイダ・サヤカ医療区長と別れて、キャリー・ワグナー・ドーマーとJJ・ベーリングを中央研究所の副長官執務室へ連れて行った。JJには脳波翻訳機の調整があるので、技師にも来てもらい、その場で先に用件を済ませてもらうことにした。
 キャリーに付き添いを頼んでから、彼女は部屋を出て、通路が無人であることを確認して、ケンウッド長官に電話を掛けた。

「ケンウッドだ。」
「ゴーンです。長官、お忙しいとは思いますが、半時間後に私の執務室へ来て頂けますか?」
「何かあるのかね?」

 勿論、何かあるから電話しているのだ。ケンウッドは自身の質問が馬鹿げていると気が付いた。

「すまん。半時間後に行くよ。行くのは私一人かね?」

 ゴーンは少し考えてから、ハイネ局長も呼んで下さい、と言った。

「ハイネは日課が終わる迄来ないと思うよ。」
「では、サヤカから連絡してもらいます。」

 ゴーンの提案に、ケンウッドが思わずクスッと笑った。

「その手があったか!」

 ラナ・ゴーンはハイネとアイダが秘密裏に結婚していることを知らない筈だが、雰囲気で察しているらしく、2人の邪魔をしないように常に心がけている。ハイネとアイダが目で交わす熱い会話が既に身近で働く人々の間では知られているのだ。結婚していると思わなくても、2人が恋人同士だと言う認識は幹部執政官達の中ではあるのだ。

「せめて用件のヒントだけでもくれないかな?」

 あまり隠し事が得意でない長官が言うので、ゴーンは折れた。

「JJ・ベーリングが見ていると主張しているものです。」

 ケンウッドが電話の向こうで息を飲んだ。ダリル・セイヤーズ・ドーマーが言っていた、少女が染色体を見ていると言う、その実証なのか。

「わかった、必ず行く。」

 通話を終えて、ゴーンは自室のドアを見つめた。

 さぁ、JJ、貴女が見ているものの正体を確認させてもらうわよ。

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 遺伝子と言えば・・・と言いたそうに、JJが人差し指を立てて何かの合図を送り、タブレットに文章を打ち込んだ。手慣れているし、スピードも速いので、生家でも他人とのコミュニケーションはこうして行なっていたのだろう。

ーーラナとサヤカは他の人と違うけど、どうして?

 ゴーンとアイダは思わず顔を見合わせた。その時、彼女達の周囲にいたのは大勢の地球人の妊産婦と世話係の男性ドーマーが2名だけだった。ゴーンが尋ねた。

「サヤカと私は、他の人とどう違うの? キャリーとも違うのかしら?」

 するとJJはタブレットの機能を探り、数秒後にお絵描きツールを見つけ出した。彼女はそこに指で何かを描き始めた。アイダが目を細めた。

「遺伝子マップに見えるけど?」

 JJは描きながら頷いた。彼女は2本の帯状の物を描き、1本を軽く叩いてキャリーを指差し、もう1本を叩いてゴーンを指差した。ええ? とゴーンが呟いた。

「キャリーと私の遺伝子マップなの?」

 少女がコクリと頷いた。そしてある箇所を交互に指して、違うのだと言いたげに2人を見比べた。
 まさか、とアイダが呟いた。

「コロニー人と地球人の遺伝子情報が違うって言いたいの? 私達、皆んな同じ地球人の子孫ですよ。」
「重力に弱いところが遺伝情報になっているのかしら?」
「でも、そんなにはっきりわかるものなの?」

 するとキャリーが軽く咳払いした。2人の上司に周囲が地球人だらけであることを思い出させた。女性達に現在の地球が抱える真実の問題を教える訳にいかない。ゴーンとアイダは口をつぐんだ。
 テーブルのメンバーが黙り込んだので、JJが不思議そうな顔をして大人達を見た。
 アイダが微笑んで見せた。

「朝食の後のお勉強で何が私達を驚かせたか教えてあげるわ。先ずは朝ご飯を食べてしまってね。」



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「おはよう、ワグナー博士。」

 アイダ・サヤカが正規の医師であるキャリーに敬意を持って挨拶した。そしてすぐに言い直した。

「今日も良い日だと良いわね、キャリー。」
「ええ、サヤカ先生。」

 ゴーン副長官もおはようと挨拶して、2人はJJを見た。キャリーが紹介した。

「こちらは、ミズ ジュマ・ジェレマイア・ベーリング、JJと呼んであげて下さい。」

そして少女にも上司達を紹介した。

「副長官のラナ・ゴーン博士と出産管理区長のアイダ・サヤカ博士よ。アイダ博士は姓が先に来ます。医療区長のヤマザキ・ケンタロウ博士と同じよ。」

 JJは座ったままで手を差し伸べ、大人達に握手を求めた。ラナ・ゴーンもアイダ・サヤカも快くそれに応じた。

「おはよう、JJ、私のことはラナと呼んでくれて良いわ。みんな仕事の時は博士なんて呼ばないから。」
「おはよう、JJ、私もサヤカで大丈夫ですよ。男性ドーマー達は陰で、ママとかおばちゃんと呼んでますけどね。」

 JJは何か言おうと思ったのか、タブレットを見たが、結局それに触れずにただ笑顔を返しただけだった。彼女が口を利けないことは既に幹部執政官の耳に入っていたので、ゴーンもアイダも気にしなかった。
 2人の執政官は同じテーブルの空いた席に座ったが、朝食はどちらも既に済ませていたので、コーヒーを飲んだだけだった。ゴーンがこれからのJJの生活についてドームが計画していることを告げた。

「先ずは、貴女にここでの生活に慣れてもらわなければいけないわね。統制が取れていると言っても、男性ばかりの世界に近いので、女性は用心しなければなりません。だから暫くは貴女が寝起きする観察棟と中央研究所、そしてここ、出産管理区のスタッフ区域でドームのルールについて学習してもらいます。学力についてもちょっと調べさせてね。貴女がここで暮らすことを希望していると、ダリル・セイヤーズから聞いたのだけど・・・」

 JJが大きく頷いた。彼女はタブレットを引き寄せ、文章を入れた。

ーー外は広過ぎて怖い。ドームの中も広い。私はここで世界に慣れたい。

 キャリーが励ますように彼女の手を軽く叩いた。JJが彼女を振り返ってニッコリした。
 ゴーンが頷いた。

「わかりました。貴女はここで暮らすことを希望していると判断しますね。ここで暮らす人は皆何らかの仕事に就いています。何もしないで暮らすことは出来ません。貴女がここで暮らす為の知識をつけてもらいます。それから研究のお手伝いもしてもらいます。」

ーー赤ちゃんに関係する研究?

「ええ、そうです。」

ーー私はたくさん勉強したい。パパもママも赤ちゃんの研究をしていた。

 クローンの赤ん坊を製造して依頼者から金銭をもらっていたメーカーの両親だ。ゴーンもアイダもキャリーも内心複雑な思いだった。
 アイダが言った。

「貴女はきっとご両親より立派な遺伝子学者になれるわ。」




2018年12月8日土曜日

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 ケンウッド達が医療区でジェリー・パーカーの今後の処遇を相談している頃、中央研究所食堂の出産管理区エリアでは、JJ・ベーリングとキャリー・ワグナー・ドーマーが朝食を摂っていた。ビュッフェで好きなものを好きなだけ取れると教えられ、食べたい盛りのティーネイジャーは大喜びで、朝ご飯にしては多過ぎるのではないかとキャリーが心配する程皿の上に肉類や野菜、果物をどっさりと盛り付けてテーブルに着いた。

「いつもそんなに食べるの?」

 思わずキャリーが尋ねると、JJは首を横に振った。ドームから渡されたタブレットに文字を打ち込んだ。脳波で思考を音声に変換する装置があるのだが、彼女は昨夜遅く来たばかりで機械の調整がまだだった。食事の後でその機械を調整して受け取るのがその日の午前中のスクジュールだ。

ーーいつもはダイエットしてる。でも今日は特別。こんな食べ方、初めてだから。

 JJは冒険しているのだ。キャリーは思わず微笑んでしまった。

「貴女って、いつも前向きなのね!」

 JJは嬉しそうに微笑みを返した。褒められたとわかったのだ。周囲には出産を控えた女性やお産が済んで間も無く帰宅を許される女性が大勢いた。JJの様な若さの人は少ないが、それでも誰も彼女を特別な存在とは思っていないらしい。心地よい無視の状態で、2人は賑やかな会話の声に包まれて食事をした。
 JJがまた文字を打ち込んだ。

ーーこんなにたくさんの女の人を見たのは初めて。まるで映画かテレビみたい。

 ああ、この子は世間から隔離されて育ったのだ。キャリーは部屋兄弟のダリルから彼女のことを聞かされていたので、事情は呑み込めた。男ばかりの世界、狭い屋敷の中で、唯一知っている女性は母親だった。

「ここにいる女性はね、赤ちゃんを産む為にここに来ているの。そして赤ちゃんを産んだら、赤ちゃんを連れてお家に帰るの。」

ーーここは赤ちゃんを産むところなの?

「そうよ。ドームは赤ちゃんを産む為の施設なの。後でここの歴史を学習しましょう。」

 JJには嘘をつく必要がない。取り替え子のことも説明して良いと上から指示をもらっていた。何故なら、この少女はこれからずっとこのドームで暮らすからだ。
 ふーんと言いたげにJJは食べながら周囲を見回した。向こうからラナ・ゴーン副長官とアイダ・サヤカ出産管理区長が歩いてくるのが見えた。彼女が首を傾げた。そしてキャリーを振り返った。

ーーあの人達は何なの?

「誰のこと?」

 キャリーはキョトンとした。JJが指差した2人が彼女達のテーブルに近づいて来た。キャリー・ワグナーはちょっと慌てた。JJの手をそっと抑えた。

「人を指差しては駄目よ。」

 そして上司達に挨拶した。

「おはようございます、副長官、出産管理区長!」

トラック    2  2- 2

 ケンウッドは日課の為に遺伝子管理局本部へ向かうハイネと別れ、ペルラ・ドーマーと共に医療区へ向かった。ヤマザキ・ケンタロウに面会を求めると、たっぷり10分待たされた。

「昨夜からやたらと忙しいなぁ。」

 ヤマザキは文句を言いつつも、ペルラ・ドーマーに微笑みかけた。ケンウッドの用件は見当が付いていた。

「ラムゼイの秘書の様子はどうだね?」
「彼にはジェリー・パーカーと言う名前が付いているよ。」

 ヤマザキは3次元スクリーンに眠っている男の姿を表示した。

「健康状態は良好。メタボと縁がない生活をしていた様だ。栄養状態は良いし、運動もしっかりしていたらしい。」
「クローンの健康障害はないのだね?」

 ケンウッドの質問に、ヤマザキが振り向いた。

「何を根拠に彼をクローンと呼ぶのかな?」
「えっ? だって・・・」
「彼の細胞の隅々まで分析したが、クローンである特徴は見られなかった。ちゃんと母親から生まれて成長した人間そのものだ。」
「それは、赤ん坊の細胞から製造されたからですよ。」

 ペルラ・ドーマーが割り込んだ。端末の写真をヤマザキに見せた。医師はシミュレーション画像を眺め、3次元映像の中の男と見比べた。

「確かに、似ているな。」
「ラムジーは赤ん坊の遺体から盗んだ細胞で、あの男を作ったのだ。」

 ケンウッドは主張した。しかしヤマザキは素直に納得しなかった。

「そうだとして、その設備はどこにあったのだい? 死んだ細胞を復活させるには、かなりの装置が必要だ。グレゴリーが怪我をした隠れ家に、それほどの設備があったのかね?」
「大掛かりな装置があったのは、火事の後の現場検証で判明しています。」
「ではラムジーは蘇らせた細胞を持って逃げた訳だ。」

 医師は元遺伝子管理局の局員だったドーマーに畳み掛けた。

「逃亡中の人間がクローンを成長させる設備を備えた隠れ家を何軒も持っていたのかなぁ? 考えてもみたまえ、ラムジーはコロニー人だ。地球上に複数の隠し研究室を持てる可能性は低いぞ。」
「君は一体何を言いたいのだね?」

 ケンウッドは苛ついた。世紀の大発見を親友は否定しようとしているのか?
 ヤマザキが彼をじっと見つめた。

「君達の発見を否定したい訳じゃない。ただ、しっかり証拠固めしておかないと、世間に公表出来ないぞ。君が浮き足立っているのがわかったから、ちょっと頭を冷やしてやろうと思ったんだよ。」

 ヤマザキは再び視線を3次元映像に向けた。

「それに、局員達の報告では、このパーカーと言う男は捕まる直前に銃口を自分の頭に向けたそうじゃないか。だから麻痺光線で捕獲された。クロエルが麻酔剤を注射してドームに彼を送って来たのもそのせいだ。パーカーが自殺を諦めて生きようと思う迄、僕等は目を離せない。暫くは抗鬱剤を投与して精神カウンセリングを行う。遺伝子の研究に協力させるのはその後だ。」

 ヤマザキ・ケンタロウはきっぱりと言った。

「彼がクローンだろうが古代人の遺伝子を持っていようが関係ない、今の時間を生きる人間として生命を大切にしてくれるように治療するのが、僕等の仕事だよ。」



トラック    2  2- 1

 どんなに就寝時間が遅くても、目覚めは普段と同じ時刻になる。
 ケンウッドは一般食堂でハイネ局長と、珍しく早朝からドームに来ていたグレゴリー・ペルラ・ドーマーに合流した。挨拶もそこそこに、ペルラ・ドーマーがケンウッドに顔を寄せるようにして言った。

「見事ですな、あの男は!」

 ケンウッドは説明されなくても誰のことを指して言ったのかわかった。

「もう見たのかね?」
「はい、局長からの伝言をジェレミーからもらってすぐに医療区に問い合わせました。ヤマザキ博士がいつでも見においでと仰って下さったので、すぐに行きましたよ。」

 ペルラ・ドーマーは80歳を超えているが、まだ若者の様に艶々した肌の顔を上気させた。若き日にラムゼイことサタジット・ラムジーに命を奪われかけた男だ。無関心を装ってもやはり興味があったのだ。
 彼は自身の端末を出した。

「ラムジーが細胞を盗んだと言われるアイスベビーが火星に保存されていることは、地球人でも知っています。まぁ、歴史に興味がある人が、と言う意味ですが。ですから、アイスベビーの写真は地球でも見られるのです。私は、ラムジーが盗んだ細胞からクローンを作ったことを想定して、子供が成長にしたがって変化していく様子をシミュレーションしていました。」

 ケンウッドは火星の人類歴史博物館に保存されているアルプス氷河で氷漬けになっていた赤ん坊の顔写真を見た。まるで生きている様に綺麗な顔だ。4千年前の赤ん坊だ。
 ペルラ・ドーマーが端末をちょいちょいと操作した。今度は中年男性の顔が表示された。

「赤ん坊が50歳になったと想定した写真です。」
「なんと!」

 ケンウッドは思わず声を上げた。ハイネも身を乗り出して覗き込んだ。ほうっと彼は感嘆の声を漏らした。

「ジェリー・パーカーですな。」
「そっくりだ。コンピュータが考え出した面相とよく似ている。あのラムゼイの秘書は・・・」

 ケンウッド、ハイネ、そしてペルラ・ドーマーは顔を見合わせ、思わずハモった。

「アイスベビーだ!」

 ケンウッドは遺伝子管理局からラムゼイが特別扱いしている秘書の存在を教えられた時、その男はラムゼイの試作品第一号だと思っていた。ハイネ局長も同じ考えだった筈だ。本物の人間と寸分違わぬ完璧なクローンの第一号だから、研究したいと思っていた。
サタジット・ラムジーは当時多くの死体から細胞を盗み、クローン製造を研究していたのだ。死者の細胞を使用する研究は宇宙法で禁止されている重罪だ。どの死体から作られたクローンか、それはケンウッドにとって問題ではなかった筈だった。だが、この瞬間、ジェリー・パーカーと言う男は、全く別の意味を持つ存在になっていた。
 ケンウッドはペルラ・ドーマー以上に顔を上気させた。

「この意味がわかるか、ハイネ? グレゴリー? 我々は物凄いものを手に入れたのだぞ!」

 ハイネが重々しく頷いた。

「地球人の原型ですね。」

2018年12月6日木曜日

トラック    2  1 - 11

 ケンウッドがワグナーにジェリー・パーカーのことを説明する間も無く、女性用ゲートから一人の少女が現れた。先刻のパーカーが消毒の後寝巻きを着せられていたのと同様に、彼女も寝巻きにガウン姿だった。少女の身体情報が少なかったので、被服班が用意できたのはその程度だったのだ。それでも彼女は気にしていなかった。
 ケンウッドはダリル・セイヤーズ・ドーマーから彼女に関する情報を前もってもらっていた。どう言う訳か口が利けず、性格は明朗で勇敢、優しい面もあるが、世間の常識はあまり知らない、と世間知らずのドーマーから聞かされていた。そしてセイヤーズはさらに重要で信じられないような情報も持っていた。

「JJはDNAが見えるのです。」

 セイヤーズ自身は見たことがないので、少女がどんな風に染色体を見ているのか説明出来なかった。ただ彼女が螺旋状の絵を描き、どれが誰のDNAなのか見分けるのだと言う。
 少女はケンウッドを見て立ち止まった。未知の人間を警戒するのは当たり前だ。今自分は彼女の目にどんな風に見えているのだろう。ケンウッドは少し不安になった。
 少女はワグナーを見てニッコリした。航空機の中で親切にしてくれた男を見て、安心したのだ。彼女は自ら2人の男のそばに来た。ワグナーが紹介した。

「JJ、こちらがこのドームの最高責任者、ニコラス・ケンウッド長官だ。遺伝子学者でもあられる。」

 そしてケンウッドに彼女を紹介した。

「長官、こちらはジュマ・ジェレマイア・ベーリングさんです。」
「こんばんは、ジュマ・ジェレマイア、当ドームにようこそ!」

 ケンウッドが笑顔で手を前に出すと、少女はワグナーをもう一度見た。ワグナーが笑顔で頷いて見せると、彼女はやっとケンウッドの手を握った。柔らかで温かい人の手だった。遺伝子組み替えで作られた人であっても、温かい心を持った生きている人だ。
 少女はメーカーの闘争で両親を殺害され、一人で砂漠の中に残された。セイヤーズ父子に発見された時は果敢にも抵抗した。川に転落したライサンダー・セイヤーズを泳いで救出し、助けを求めた相手が偶々通りかかったラムゼイだったのだと、ポール・レイン・ドーマーは接触テレパスで彼女から情報を引き出した。それを報告書に書いていた。
 生まれてから外部と接触させらずに大切に家の中で育てられた少女。まるでドーマーだ。いや、ドーマー達が暮らすドームは彼女の家より広く、住人は多い。彼女は本当に箱入り娘だったのだ。それなのに、すぐに外の世界に順応しようとしている。

 これは彼女の特殊能力なのか、それともただの性格から来るものなのか?

 ケンウッドは精一杯愛想良く声をかけた。

「来てくれて嬉しいよ。しかし、色々大変な経験をしたね。疲れているだろうから、今夜はこれ以上引き留めはしない。ここの規則で医療区と言う病院施設で検査を受けてから、観察棟と言う施設に入ってもらう。暫くはそこで寝起きしてもらうことになるが、近いうちに君にもアパートの部屋を割り当てよう。快適に住んでもらえると嬉しいが。」

 少女は笑顔で返事をした。きっと、よろしく と言ったのだ。女性保安課員が来て、彼女に医療区迄案内すると言った。ワグナーが声をかけた。

「医療区では、キャリーと言う医師が待っている筈だ。僕の妻だよ。君の世話を暫く担当することになるだろう。何か不満や疑問があれば彼女に訴えてくれれば、彼女が解決方法を考えてくれる。」
「おやすみ、ジュマ・・・」

 ケンウッドは少女を早く休ませてやりたくて、ワグナーを遮る形になったが声をかけた。気の良いワグナーは気にしなかった。すると少女が指で何かを合図した。ワグナーが通訳してくれた。

「JJと呼んで、と言っています。」
「失礼・・・」

 ケンウッドは苦笑した。

「おやすみ、JJ、良い夢を・・・」


2018年12月5日水曜日

トラック    2  1 - 10

 ケンウッドはクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーと2人きりになった。ワグナーも疲れている筈だ。レイモンド・ハリス支局長の裏切り行為を捜査し、証拠固めを行い、逃亡したハリスをヘリコプターを自ら操縦して追跡した。そして事故死したハリスの遺体の回収とドームへの送付も行った。それからクロエルが率いる仲間と合流して、衰弱しているポール・レイン・ドーマーの世話をしていたのだ。

「無理をしなくても良いんだよ、ワグナー。レインは暫く医療区に留め置かれるだろうから、君が北米南部班の指揮を執ることになるだろう。早く帰って休みなさい。」

 体格の良いワグナーが微笑した。

「お気遣い有り難うございます。でも、あと少しだけですから。」

 その時、ゲートからストレッチャーに載せられた男が現れた。ぐったりとして、目を閉じていたが、顔色は悪くない。年齢は40代後半か50代になるかならないかだ。
 ケンウッドは思わずストレッチャーに近づき、その男を見下ろした。ワグナーが後ろで紹介した。

「ラムゼイの秘書、ジェリー・パーカーだそうです。」

 ワグナーにしても、このパーカーと言う男をよく知らない。メーカーの捜査をしている時にラムゼイと共に彼の名前をよく耳にしたが、実物に会ったのはその日が初めてだった。
 ケンウッドは己の心臓がパクパク音を立てているかと思った。それだけ彼は緊張していた。そっと手を男の顔に伸ばしてみたが、指が震えていたので、触れるのを止めた。
彼は喉から声を搾り出した。

「素晴らしい。」

 ワグナーは長官の後頭部を見つめた。ジェリー・パーカーの何がケンウッドを感動させたのだろう?
 ケンウッドは係官にストレッチャーとパーカーを医療区へ連れて行けと指図した。

2018年12月4日火曜日

トラック    2  1 - 9

 ケンウッドとハイネは送迎フロアで帰投した若いドーマー達を迎えた。前日にラムゼイ一味を一網打尽にするつもりで意気揚々と出かけて行った彼等は、この夜は疲弊して足取りも重く消毒ゲートを抜けて戻って来た。先頭はクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーで、すぐ後ろにポール・レイン・ドーマーが自分の足で歩いて来た。弱みを見せたくないので、やせ我慢して自力歩行しているのだが、その後ろにはストレッチャーを用意したゲート係官が待機していた。
 ワグナーとレインは長官と局長に気がつくと足を止めた。レインが前に出た。

「ただ今戻りました。ご心配をおかけし、申し訳ありませんでした。」

 顔色が悪い、とケンウッドが気付いた直後に、ハイネが前に踏み出した。

「よく戻った。報告書は読んだぞ。あの状況で敵の様子をしっかり観察したとは、大したものだ。」

 そしていきなりレインを抱き締めたので、ケンウッドは驚いた。しかしレインの足がもつれかかるのを見て、ハイネは彼を支えるのが目的で前に出たのだと悟った。ローガン・ハイネは若い連中に自身の弱いところを見られるのを極力嫌う。だから、彼はレインが部下の目の前で倒れるのを防いだのだ。ポール・レイン・ドーマーにもその心は伝わったのだろう、美貌のドーマーの顔にやっと安堵の色が浮かんだ。
 ケンウッドはストレッチャーを手前に置いて待機しているゲート係に声を掛けた。

「チーフ・レインをそれに載せて医療区へ運んでくれないか? 無傷だと聞いているが、清潔とは言えない場所にいたから、検査が必要だ。」

 そしてレインを振り返った。

「レイン、ストレッチャーに乗りなさい。たまには楽をするのも良いものだよ。」
 
 普段のレインなら強がって自分で歩くと言い張っただろうが、この時、彼は周囲が驚く程素直にケンウッドの言葉に従った。ワグナーに一言、あとは任せる、と言って、彼は医療区へ運ばれて行った。
 やはり体力の限界に来ていたのだ、とケンウッドは若いドーマーが可哀想に思えた。ラムゼイは彼にどんな仕打ちをしたのだろう。
 ハイネ局長は残った部下達を見回した。局員達も前日早朝から働き詰めだ。昨日は敵に捕まったチーフの身を案じて一睡も出来なかっただろうし、今日は捕物と押収物の仕分けで忙しかった。彼等もチーフ同様抗原注射の効力が切れかかっていた。
 ハイネが優しく言った。

「君達の報告書も読んだ。指揮官不在の状況でチームの和を乱さずによく頑張った。疲れているだろうから、今日はこれで解散しなさい。明日はゆっくり休むと良い。」

 ケンウッドも一声掛けた。

「ご苦労だったね。色々大変だったろう。体調が悪い者はすぐ医療区へ行くこと。局長の許可が出たから、明日はゆっくりしなさい。では、おやすみ。」
「おやすみなさい。」

 ドーマー達は銘々上司に挨拶して通路へ入って行った。
 ケンウッドとハイネが彼等を見送っていると、ワグナー・ドーマーが最後まで残っていて、話しかけてきた。

「ラムゼイの秘書と、JJと呼ばれる少女も連れて帰ってきましたが、まだ消毒が終わっていません。彼等は外の人間なので、消毒も念入りにしています。ここへ出てくる迄僕は待とうと思いますが、お二人はどうされますか?」

 ケンウッドとハイネは顔を見合わせた。遅い時刻だ。コロニー人のケンウッドはあまり時間に縛られないが、ハイネは朝が早い。それに前夜は徹夜させてしまった。

「私が残ろう。局長はもう帰ってよろしい。」

 長官の権限で局長に指示を出した。

「ラムゼイの秘書と少女も今夜は医療区に収容させる。これからいつでも会えるだろう?」

 ハイネも素直に従った。ちょっと笑って見せて、

「わかりました。では今宵はこれで退散します。おやすみなさい。」

と挨拶した。そしてワグナーには、早く帰れよ、と囁いて去って行った。




2018年12月3日月曜日

トラック    2  1 - 8

 ニコラス・ケンウッドは一般食堂で夕食を食べようとしていたが、心は落ち着かなかった。今朝早く、クロエル・ドーマーは「24時間以内にポール・レインを救出する」と言ってダリル・セイヤーズを連れて出かけたきり、何も言ってこない。ローガン・ハイネ遺伝子管理局長も何も連絡を寄越さないので、食堂で待ち構えているのだ。通常勤務の遺伝子管理局の外勤務局員達は既に帰投して書類整理や報告書の作成に追われている。ひと段落つけて夕食のテーブルに着いた者もいる。
 入り口にローガン・ハイネの姿が見えた。ケンウッドが合図を送る為に片手を上げかけた時、若い執政官がハイネに声をかけた。会話はケンウッドには聞こえなかったが、執政官の質問にハイネが答え、執政官を何やら納得させた。執政官は向きを変えて食堂から遠ざかって行った。
 ケンウッドはハイネが料理を取って支払いを済ませるのを辛抱強く待った。ハイネはご丁寧に司厨長と口論までして彼を焦らし、そこへヤマザキ・ケンタロウが現れてまたケンウッドは待たされた。
 すっかりスープが冷めてしまった頃に、ハイネとヤマザキが彼のテーブルにやって来た。

「なんだ、ケンさん、食べていないじゃないか。駄目だぞ、ちゃんと食べないと・・・」
「君達を待っていただけだよ。」

 ケンウッドは斜め前に座ったハイネに声を掛けた。

「例の件はどうなった?」
「なんのことです?」

 ハイネはとぼけた。食事中は仕事の話をしたくない、と暗に仄めかした。ケンウッドは部下達のことだと言おうとして、ヤマザキが首を振るのを見た。遅い時刻と言っても、まだ食堂内には多くのドーマー達がいた。彼等に仲間がメーカーに捕まった話など聞かせたくない。ケンウッドが仕方なく口を閉じると、ヤマザキがさりげない風に言った。

「部屋の準備はしておいたから、帰って来たら直ぐに休めるぞ。」
「それはどうも。」

 ハイネは器用に生春巻きのサラダを口に入れて、野菜を味わってから、ケンウッドを慰めるように言った。

「後1時間ほどでゲートに到着しますよ。リュック・ニュカネンが自ら連絡して来たので間違いありません。」
「そうか!」

 ケンウッドの気分がやっと晴れた。リュック・ニュカネン元ドーマーは堅物だが、誠実だ。決してドームを裏切らない。ケンウッドは彼がドームを去ったことが今でも寂しく思えるのだが、元気に仕事に励んでいることを知って嬉しかった。ドームに忠実だから、あの男は家族もきっと大切にしている筈だ。幸せな家庭を築いていることだろう。
 ケンウッドの幸せな気分をぶち壊したくなかったが、ハイネは言わねばならないことを告げた。

「残念なお知らせがあります。」
「なんだ?」
「あの男に逃げられました。」

 一瞬、ダリル・セイヤーズが再び逃亡したのかと思い、ケンウッドはドキリとした。そして2秒後に、ハイネが別の人物のことを話しているのだと気が付いた。

「また逃げたのか、あの学者崩れは?」
「クロエル達が押さえた輸送隊の中にいなかったそうです。下っ端を締め上げると、あの男は一足先に農家を出発して別行動だったと明かしたのです。」
「悪運が強いな。」

 ヤマザキがハイネの皿から蒸し鶏を一切れくすねながら呟いた。

「だが研究資料などは押収したのだろう?」
「トラックに積まれていた薬品、資材、資料は全て回収したとクロエルが報告して来ました。今、後発隊が警察と遺伝子管理局の扱う物を仕分けしているところです。」
「それじゃ、後発隊は明日押収物と一緒に帰って来るんだな?」
「ええ・・・」

 ハイネは鶏肉が減っていることに気が付いた。横目で医師を睨んだが、ヤマザキは平気な顔をしていた。ケンウッドが確認の為に質問した。

「指揮官と助っ人も明日帰って来るのかね?」
「それが当方の希望ですが、彼等はあの男を追うつもりのようです。」
「追う・・・って・・・」

 それは警察に任せれば良いではないか、とケンウッドが文句を言おうとした時、ハイネの端末にメッセージが入った。ハイネは失礼と呟いて画面を見た。彼の表情がわずかだが和らいだので、ヤマザキがニヤッと笑った。

「サヤカからだな?」

 ケンウッドはローガン・ハイネが微かに頬を赤らめるのを目撃した。



2018年12月1日土曜日

トラック    2  1 - 7

 現地との通話を終えて、ハイネは自身の席に戻った。ネピア・ドーマーも秘書席に戻り、セルシウス・ドーマーは局長に帰宅の挨拶をする為に近づいた。ハイネは南北アメリカ大陸現地から送信が始まった部下達の報告書を読む為にファイルを開きかけていたが、セルシウスがそばに来ると手を止めた。

「ジェレミー、グレゴリーに会う予定はあるかね?」
「今日ですか?」
「うん。」

 セルシウスはグレゴリー・ペルラ・ドーマーが買い物をする時刻はいつだったかと頭の中で考えた。

「多分、夕食の後にコンビニに行けば出会えるかと。何か言付けでも?」
「言付けと言うほどの物でもないが・・・」

 ハイネが奥歯に物が挟まった様な言い方をした。

「我々はラムジーの宝物を手に入れた様だと言っておいてくれないか? 出会った時で良いから。」
「ラムジーの宝物・・・ですか?」

 怪訝そうな表情のセルシウスだったが、やがて何かに思い当たった。彼は思わず局長の執務机の縁を掴んで体を前へ傾けた。

「局長、では、先程の男が・・・?」

 ハイネがしーっと指で合図した。ネピアとキンスキーは上司と元上司の会話を聞いていないフリをした。聞こえているが、何のことなのか、彼等にはまだ理解出来ていなかった。ハイネが囁いた。

「まだ確定した訳ではない。実物を検査してみなければならないからな。」

 セルシウスはわかりましたと応え、挨拶をして部屋から出て行った。
 ハイネは物問いたげな2人の秘書を無視して報告書のファイルを開いた。日常業務の報告書が南北アメリカ各地から次々と送られて来る。北米中西部で行われた大捕物と無関係の平和な人間の生活を円滑に進める為の、申請書や証明書の希望者との面談の様子や、山奥の村の女性不足の実態など、毎日読んでいるものと似たり寄ったりの内容だ。しかしハイネは飽きることなくそれらに目を通す。部下達がどの様に働いているか、ドームの外の人々が何を求めているのかを知る為に。
 2時間後には、セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンにある遺伝子管理局出張所からも報告書が送信されて来た。部下達が砂漠の中で行われた捕り物の報告を始めたのだ。勿論クロエルとセイヤーズが書いたものもあった。セイヤーズの報告書は初めて目を通したが、能天気な性格の割には詳細でわかりやすい真面目な文章だった。



2018年11月30日金曜日

トラック    2  1 - 6

 クロエル・ドーマーはストレッチャーに横たわっている男にカメラを向けた。40代後半、50歳になるかならないかの中肉中背の黒っぽい茶色の髪の男だ。肌は日焼けしているが、荒れていない。小麦色の艶のある皮膚だ。
 ハイネはじっと見つめていたが、やがて頷き、呟いた。

「素晴らしい・・・」

 セルシウス、ネピア、キンスキー、そして電話の向こうのクロエルが、思わず彼の顔を見た。彼等はローガン・ハイネが何に感動したのか、わからなかった。
 ハイネはそのまま無言で1分間ラムゼイの秘書を見つめ、やがてクロエルを呼んだ。

「ちゃんとここにいますよ、局長。」
「その秘書をドームに連れて来なさい。その男だけで良い。残りのメーカー供はいつもの様に警察に任せる。」
「了解しました。」

と応えはしたものの、クロエルは何故ジェリー・パーカーをドームに送るのか、理由がわからなかった。

「今夜、レインと先発チームと共に彼を航空機に乗せます。僕はラムゼイを追ってもう暫くこの辺りに残ります。」
「ラムゼイが潜伏している場所に見当が付いているのか?」
「トラック隊が向かっていた方角を考えて、恐らくセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンでしょう。セイヤーズも同じ考えです。ニュカネンは嫌がるでしょうけど、出張所にスペースを借りて拠点にします。」
「長期は駄目だぞ。」

 ハイネが囁いた。

「ケンウッドが文句を言うぞ。」

 クロエルがニヤリと笑った。ハイネは彼にセイヤーズを同伴しても良いと暗に許可したのだ。

2018年11月29日木曜日

トラック    2  1 - 5

 ハイネの端末に電話が着信した。保安課が直通を通したのだ。発信者は正に今局長執務室内で全員が見つめている白い点の主だった。

「ハイネだ。」
「クロエルです、局長! レインを無事に保護しました。」

 クロエル・ドーマーの声をハイネは拡声にして秘書達にも聞かせた。

「レインは疲れていますが怪我はありません。今日中にドームに送り返します。それから、ライサンダー・セイヤーズとJJ・ベーリングも保護しました。例の少年少女です。彼等も無事で、今、セイヤーズが健康チェックしています。」

 セルシウスが、キンスキーがホッとした表情になり、ネピアすら口元に微笑を浮かべた。ハイネが尋ねた。

「部下達に怪我はないか?」
「ちょっと銃撃戦がありましたが、味方は局員も警察も無事です。メーカーは4名が負傷しましたが命に別状ありません。手当が済み次第逮捕します。」

 そしてクロエルは珍しく少し間を置いてから言った。

「ラムゼイは確保出来ませんでした。彼は仲間より早く出発したそうで、このトラック隊にはいなかったのです。」
「また逃げたのか・・・」

 ハイネ局長が少しがっかりした声を出した。アメリカ・ドーム最大の汚点を解消出来る機会だと思っていたので、落胆したのだが、若い部下に失望したのではなかった。本物の地球人の女性を作り出した仕組みを知りたかったのだ。

「ラムゼイには逃げられましたが、彼の身の回りの世話一切合切を仕切っている秘書、ジェリー・パーカーを逮捕しました。我々が急襲した際に、逃亡を図り、さらに自死を選ぼうとしましたので、麻酔で眠らせています。」
「ラムゼイの秘書?」

 ハイネの表情がかすかに動いた。興味を抱いたのだ。クロエルに少し待てと言い、セルシウス・ドーマーとネピア・ドーマーを振り返った。

「悪いが発信機の練習はそこまでにしてくれないか。現地の映像を見たい。」
「わかりました。」

 セルシウスが応え、ネピアが端末を操作した。生体エネルギーの白い点を中心とした空中模型が消えた。ハイネは自身の端末を覗いた。

「クロエル、カメラを使ってそのラムゼイの秘書を映してくれないか?」
「わかりました。」

 クロエルは何故局長がメーカーの秘書を見たがるのだろうと疑問を感じながら、歩き出した。端末のカメラを起動してテレビ電話に切り替えた。埃っぽい砂漠の道路が局長執務室の会議テーブルの上に現れた。警察官達がラムゼイの手下達を護送車に連行して行くのが見えた。局員達がトラックの積荷を下ろして遺伝子管理局が押収するものと警察が押収するものに仕分けている。誰かが怒ったような声で怒鳴っていた。それを聞いて、ハイネが微笑んだ。

「クロエル、ニュカネンも引き込んだのか?」

 リュック・ニュカネンは元ドーマーだ。ポール・レインとダリル・セイヤーズ、クラウス・フォン・ワグナー、それに司厨長のピート・オブライアンと一緒に育った部屋兄弟なのだが、局員時代に外の女性と恋に落ち、ドームを卒業して行ったのだ。ドームは彼の為に、そして遺伝子管理局の業務を補佐する目的で出張所と言う機関を創設した。地球人が違法な遺伝子研究をしないよう研究機関を見張る役所だ。ニュカネンは南北アメリカ大陸で最初の出張所所長だ。真面目で頑固で規則重視の堅物で有名だ。
 クロエルは中米班のチーフで、今の地位に上がる前は南米班にいた。ニュカネンとは仕事上の接点が殆どなかったのだが、彼の堅物ぶりは有名で、まだ訓練所にいた頃からクロエルの耳にもそれは届いていた。だから、彼はテレビ電話で局長に片目を瞑って見せた。

「だって、地元なのにシカトしたら、後がややこしいっしょ?」

 リュック・ニュカネンが腹を立てていた相手はポール・レイン・ドーマーだった。レインはくたびれた表情で車の座席に座っていたが、部下に指揮を執ろうとしてニュカネンに叱られたのだ。

「今日の君の部下はクロエルの部下だ。君は大人しく休んでいろ!」

 近くの別の車の陰では、ダリル・セイヤーズが息子と少女と共に休憩していた。セイヤーズの息子は綺麗な緑色に輝く黒髪を持っていた。クロエルが前を通った時、ちらりと顔を上げ、カメラにしっかりその顔を写された。ああ、とハイネが電話のこちら側で呻いた。

 レインによく似ているじゃないか・・・なんてことをしてくれた、セイヤーズ!






2018年11月28日水曜日

トラック    2  1 - 4

 昼寝を終えて頭をスッキリさせたローガン・ハイネ局長が局長執務室に戻ると、第2秘書のアナトリー・キンスキーが彼を見て、そっと指を唇に当てた。しーっと言う意味だ。ハイネが室内を見ると、会議テーブルを端末で操作する説明をネピア・ドーマーに行なっているジェレミー・セルシウス・ドーマーが大きく首を振って言った。

「それじゃ正面にいる人にしか見えないだろう? 必ずマルチワイド設定にするのだよ。」

 ネピア・ドーマーは端末を使いこなせる筈だったが、初めて扱うアプリだったのだろう、注意されて赤くなった。完璧をモットーとする秘書は、先輩と雖も注意されるのは屈辱に感じるのだ。彼は深呼吸して気分を落ち着かせ、教わった通りに端末を操作した。
 テーブルの上に小さな白い点が出現した。それを中心に地形図が形成され、ネピアはそれを拡大した。トラックと思われる物体のそばに白い点は位置していた。トラックは平地に停止している。周囲には他にもトラックが2台、乗用車数台がいる。
 ハイネはそれが外勤務のドーマー達の体に埋め込まれた生体電波発信装置に拠る位置確認アプリだとすぐに気が付いた。今表示されている点の主は・・・?
 セルシウスがネピアに頷いて見せた。

「上手いぞ! それでは次はクロエル・ドーマーの位置を探してみよう。レインの表示はそのままで、2人の位置関係を知るのだ。」

 実際の活動中のドーマーの発信機を使って練習をしているのだ。ネピア・ドーマーはクロエル・ドーマーの識別コードを入力した。局長秘書なので局員全員のコードは知っている。
 もう一つの白い点が表示された時、ハイネは眉を上げた。ネピアもセルシウスも映像を見つめた。彼等が言いたいことを、キンスキーがのんびりした口調で言った。

「クロエルはレイン救出に成功した様ですね。」
「その様だな。」

 ハイネも相槌を打って呟いた。2つの白い点は互いに近くに位置していた。セルシウスがネピアに指図した。

「両者から半径1マイルの範囲の全てのドーマーを表示して見たまえ。」

 ネピアは素直に操作した。外にいるドーマー達が無事なら彼は何も文句を言わないで済む。彼の上司達、ハイネ局長もケンウッド長官もドーマー達が怪我をしたり病気になることを何よりも厭う。

2018年11月27日火曜日

トラック    2  1 - 3

 遅い昼食の後、ラナ・ゴーン副長官は好きな時に暗闇の中で眠れる地下のクローン製造部へ戻って行った。ニコラス・ケンウッド長官も図書館の個別ブースで昼寝をすると言うので、ローガン・ハイネ遺伝子管理局長は1人で庭園へ向かった。そして歩き続け、庭園を抜けて森に入り、さらにその端に辿り着いた。樹木が途切れ、目の前に草原が広がっているのを彼は暫く立って眺めた。それから静かに用心深く足を前へ踏み出した。腕を前に伸ばし、10メートル程行くと、指が硬い物体に触れた。ドームの壁だ。内側から見ると透明で何もないように見えるが、外から見ると虹色の光が絶え間なく蠢く不思議な巨大な繭だ。
 ハイネは壁の位置を確認すると、数メートル後退した。ポケットから端末を出し、近くの地面に置くと、見えない壁に向かってダッシュした。壁の手前でジャンプして、そのまま彼の体は空中で停止した。急いで彼は体を捻り、顔を上に向けた。体が柔らかなウレタンの様な物で包まれ、ほんのり温かく、ベッドに入った気分だ。
 ドームの壁は宇宙船の外壁と同じ素材で造られている。宇宙空間を猛スピードで飛んでくる石や古い宇宙船の残骸が衝突した時に、ふわっと包み込んで衝撃を緩和させ、船体にダメージを与えない様になっている。時間が経てば壁は形状を元どおりにして、捕まえた物をポロリと排出する。
 ハイネは子供時代に偶然この壁の特徴を自分の体で学んだ。部屋兄弟のダニエル・オライオンと鬼ごっこをして、近づいてはいけないと大人から言われていた壁に気づかずに激突したのだ。壁は彼を優しく受け止めてくれた。ハイネは、壁が受け止めるのはスピードを出してぶつかる物だと知った。ゆっくり手を伸ばして触れても、壁は硬い壁のままなのだ。試しに体当たりすると、空中に浮かんだ形で彼の体は壁の中に斜めになって停止した。顔を壁に接触させたままにすると、壁が包み込んで呼吸が出来なくなる。急いで体を反転させる必要があることも知った。
 オライオンに教えると、弟は面白がって、2人で何度も壁に飛びついて遊んだ。壁は2人だけの秘密の遊び場となり、大人になってオライオンがいなくなると、ハイネは泣きたい時に1人で過ごす場所として使った。そして長い時間の経過と共に、壁は彼だけの昼寝の場所になったのだ。壁の中にいる時は、端末を携帯出来ない。電子機器が変調を来すので、必ず体から離して地面に置いておく。誰にも邪魔されずに昼寝をしたい時にだけ使う、貴重な場所だった。
 ハイネは目を閉じた。大事な子供達が外で敵と戦っている時に、彼は不安を抱えてただ机の前に座っているより、体と精神を休めて非常事態に備えて体調を万全に保っておきたかった。
 壁の仕組みを知らない人が見たら、それは不思議な光景だっただろう。真っ白な髪のスーツ姿の男が空中で斜め姿勢で浮かんでいるのだから。

2018年11月26日月曜日

トラック    2  1 - 2

 クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは北米南部班のチーフ副官だ。本来なら彼がレインの代理で班の指揮を執るべきだ。しかしハイネは彼にレイモンド・ハリスの身柄確保を命じ、レインの代理に中米班のチーフを起用した。ハリスの逮捕は重要な任務だったのだ。ハリスはドームの内部事情を知っていたし、メーカーとの繋がりを解明する必要もあった。だからハイネはワグナーにその任務を与えた。
 ワグナーは自分が任務に失敗したことを十分過ぎる程承知していた。だから、他班のチーフの下で働くことを受け容れた。クロエルは彼より歳下だが、体格は互角だし能力は彼より優れている。キエフ・ドーマーは屈辱だと捉えるだろうが、ワグナーは上司の考えを理解した。それに、セイヤーズは彼にとって愛する優しい兄貴だ。

「了解しました。では、部下を先に救助活動に向かわせます。僕とキエフはこの事故現場の後片付けを済ませたら大至急追いかけます。ところで、クロエルは何処にいますか?」

 するとハイネはケロリとした表情で、「私は知らん」と言った。ケンウッドとゴーンは思わず彼の顔を見た。作戦会議をしなかったのか? しかしコロニー人上司の懸念をワグナーは気にしなかった。

「では僕から彼に連絡をつけます。報告は以上です。」

 ハイネが頷いたので、ワグナーは自ら電話を切った。彼の顔が会議室のテーブルの上から消えた。
 通話を終えるとハイネ局長は端末をポケットにしまい、長官と副長官の打ち合わせが途中だったことを思い出した。

「まだお話が続くようでしたら、昼食前に少し寝ても良いですか?」

 勿論ケンウッドは100歳のドーマーに無理をさせる意志はなかったので、頷いた。休憩スペースの長椅子を指差した。

「そこで横になっていなさい、局長。打ち合わせが終わったら昼飯だ。起こしてあげるよ。」

2018年11月25日日曜日

トラック    2  1 - 1

 ケンウッドは仕事をしていても救助活動に出たドーマー達が心配でならなかった。第2、第3のポール・レインが出ては困る。貴重な遺伝子を持っているセイヤーズが戻って来なくなる事態になっては困る。
 睡眠時間が短ったせいもあるが、気が散って仕事がなかなか捗らぬまま、昼前の打ち合わせの時刻になった。いつもの様にローガン・ハイネ遺伝子管理局長とラナ・ゴーン副長官が長官執務室に来て、所定の席に着いた。ゴーンは愛する養子のクロエル・ドーマーが救助隊の指揮を執っているのに落ち着いて見えた。息子を信頼しているのだろう。一方、ハイネ局長は眠たそうな顔をしていた。早くお昼ご飯を済ませて昼寝をしたいのだろう。
彼にとって部下を外に出すこと自体が心配な筈だ。毎日心配しながら過ごしている。だから今回の出動をそんなに気にしていない様にも見えた。彼にとって心配なのは、敵の手に落ちたレインだけなのだ、きっと。
 ケンウッドは仕方なく救出作戦が成功した場合を想定した研究予定を提示した。セイヤーズを再び観察棟に収容して検体を提供してもらう。遺伝子管理局は逮捕される予定のメーカー達からの押収品を調べる。
 遺伝子管理局から異議が出なかったので、取り替え子の予定のチェックをゴーン副長官と共に確認し合った。赤ん坊は毎日誕生する。何をおいてもこれは必ずやらねばならない仕事だ。
 ハイネは眠たそうに長官と副長官のやりとりを聞いていたが、彼の端末に電話が着信した。画面をちらりと見た彼は、顔を上げ、上司達に声を掛けた。

「申し訳ありませんが、部下から緊急連絡が入りました。」

 ケンウッドはドキリとした。ゴーンもハッとした表情で局長を振り返った。ハイネは失礼します、と言うなり、端末を操作して長官執務室の会議テーブルの上に発信者の画像を出した。クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーだったので、ケンウッドとゴーンは肩の力を抜いた。

「打ち合わせ中、申し訳ありません。」

 ワグナーが謝ったので、ハイネは無駄な時間を使わせずに、報告せよ、と一言応えただけだった。ワグナーの背後は砂漠の様に見えた。ケンウッドは何処だろうと考えた。
 ワグナーが硬い表情で喋り出した。

「タンブルウィード支局長のレイモンド・ハリスが亡くなりました。逮捕するつもりだったのですが・・・」
「ハリスが亡くなった?」

 ケンウッドは思わず口を挟んでしまった。ハイネがチラッと睨んだので、慌てて手を振って、ワグナーに先を続けさせた。

「ハリスは昨日の午後から行方をくらませて、警察と僕等で探していたのですが、今朝になってキエフが衛星画像で砂漠の道路を走る彼の車を発見しました。直ぐに僕はキエフと警官1名を乗せてヘリを飛ばしたのですが、空からの追跡に気が付いたハリスは車のスピードを上げて逃げようとしました。」

 ワグナーは端末を背後の景色に向けた。そこでは10数名の警察官と鑑識官が働いていた。ケンウッドは地面に伸びる長い線状の物に気が付いた。何だろう?と思う間も無く、ワグナーが説明した。

「ハリスは鉄道の線路を横切ろうとして、踏切でない場所に突っ込みました。そこでタイヤがレールに引っかかって身動きが取れなくなり、車を放置して逃げれば良いものを、彼はそこで車を動かそうと虚しく努力したみたいで・・・」

 ワグナーはちょっと息をついだ。

「そこに貨物列車が来ました。あの・・・ご存知かと思いますが、列車って車より制動距離が長いんです。」

 ケンウッドもゴーンもハイネも全然ご存知ではなかったが、鉄道の線路で何が起きたか予想が着いた。

「列車と車がぶつかったら、まず車は負けます。グチャグチャで・・・」

 大きな鉄の塊になったグチャグチャの車の残骸に、ゴーンが目を覆った。ハイネが尋ねた。

「遺体の確認はしたのか?」
「はい。しかし、誰が見てもわからないほど損傷が激しかったので、キエフにDNA検査をさせ、つい先ほど結果が出ました。遺体はレイモンド・ハリスです。」

 ワグナーは溜め息をついた。

「すみません、逮捕してラムゼイとの関係を吐かせるつもりだったのですが・・・」
「起きてしまったことは仕方がない。」

 ケンウッドはまたハイネ局長より先に言ってしまった。ハイネは肩をすくめた。

「ハリスの遺体は宇宙へ送らねばならない。警察の検死が終わったら、ドームへ遺体を送ってもらえるよう、頼んでおいてくれないか?」
「わかりました。」

 するとハイネが言った。

「君とキエフはクロエルと合流したまえ。」
「えっ? クロエル・ドーマーとですか?」

 意外な名前が出て、ワグナーは驚いた。ハイネは説明を簡単に済ませた。

「レインの救出にクロエルとセイヤーズが北米南部班の部下と共に出動した。クロエルと連絡を取り合って、行動しなさい。指揮官はクロエルだ。」

2018年11月24日土曜日

牛の村   2 2 - 9

 ベッドに入って目をとじたものの、ケンウッドは2時間後の午前4時過ぎには目が覚めてしまった。やはり心の中ではドーマー達の安全が気になっているのだ。
 彼は結局シャワーを浴びて服を着替え、運動施設に向かった。軽くトレーニングをして体をほぐし、スーツに着替えて一般食堂へ行くと、クロエル・ドーマーがピート・オブライアン・ドーマーと話をしていた。隣のテーブルにハイネ局長もいる。オブライアンはレインとセイヤーズ、ワグナーと部屋兄弟のドーマーだ。一般食堂の若き司厨長で、既にハイネと堂々と喧嘩する度胸がある。だがこの朝はハイネは大人しくお粥を食べており、オブライアンはクロエルと話し込んでいた。
 ケンウッドは彼等の周囲にスーツ姿の遺伝子管理局の若い局員達を見かけた。既に何人かは食べ終えており、クロエルと出動する局員なのだろう、上司の合図を待っている様子だ。
 ケンウッドがテーブルに近づくと、会話が終わったらしく、オブライアンがテーブルから離れ、クロエルが仲間に声を掛けた。

「んじゃ、僕ちゃんは一旦本部へ行って、セイヤーズに朝飯を食わせるから、君達は各自準備しておいて。1時間後に送迎フロアに集合、すぐ出発するから。」
「了解!」

 ドーマー達が立ち上がり、局長に挨拶して立ち去って行った。ケンウッドも会釈してもらい、返礼してから、ハイネの向かいに座った。

「おはよう、局長。もしかして、寝ていないんじゃないかね?」
「おはようございます、長官。1時間眠りましたよ。長官こそ寝ておられないのでは? 酷いお顔です。」
「そうか?」

 ケンウッドが思わず顔を撫でると、ハイネがクスッと笑い、からかわれたと知った。

「さっきクロエルと話していたオブライアン・ドーマーはセイヤーズとレインの部屋兄弟だったね?」
「そうです。クロエルがセイヤーズの人となりを訊いていました。扱い方の予習ですな。」
「勉強は大事です。」

 気がつくと、ハイネの後ろにジェレミー・セルシウス・ドーマーが妻と共に座っていた。頭髪が薄くなって、ちょっと印象が変わり、ケンウッドは馴染み深い筈の彼の存在に気がつかなかったのだ。後ろから見た姿に馴染みがなかっただけかも知れないが。
 ハイネが説明した。

「私が殆ど寝ていないと知って、ジェレミーが業務の手伝いをしてくれることになりました。ジェレミーはこの際、ネピアに局長業務の補佐を教え込むつもりのようです。」
「ネピアは君の業務を手伝ったことがないのかね?」

 少し驚きだ。ネピア・ドーマーが第一秘書になってかなりになるのではないか? しかしセルシウスは言った。

「彼は秘書業一筋でしたからね。後輩のキンスキーの方が局長のお仕事に詳しいです。しかしネピアを飛ばすとネピア自身の機嫌が悪くなるので、キンスキーは控えています。面倒臭いので、ネピアに局長のお仕事を手伝えるよう叩き込んでやります。」

 セルシウスの意気込みに、ハイネと妻がクスッと笑い、ケンウッドも苦笑した。ネピア・ドーマーは下の者には強いが、先輩のセルシウスには腰が低い。
 ケンウッドは長官代行を秘書に教えるべきだろうかとちょっと考えてしまった。ゴーン副長官はクローン製造部の仕事があるので、忙しい。出張の時は頼るが、急病などは対応が難しい。上手く代行や代理を頼める人材を養成しているドーマー達を見習うべきだろう。


2018年11月22日木曜日

牛の村   2 2 - 8

 ケンウッドは会議場内を見渡し、執政官達に閉会を告げた。

「我々は地球人の世界に干渉することを許されていない。ドームの外で起きていることは、ドーマー達に任せるより他はない。彼等が今夜全員無事に帰投することを祈ろう。
 この会議のことは、ここだけの話だ。招集されなかった者には他言無用。よろしいか?」

 ダルフーム博士を始めとする幹部執政官達が頷いた。皆秘密を守ることには慣れている。彼等はドームでの研究内容や生活のことをコロニーの家族にすら語らないのだ。
 学者達が立ち上がって議場から出て行くのを見送り、ケンウッドは端末を出した。ハイネからメッセージが入っていた。慌てて開いた。

ーー執政官達は納得しましたか?

 10分も前の送信だ。局長はケンウッドが上手く幹部達をまとめてくれたかと心配しているのだろう。急いで返事を送った。

ーー我々は全員納得した。有難う。君達の任務が無事に成功するよう祈っている。

すると折り返しメッセが来た。簡単に、「お休みなさい」とあった。
 時計を見ると午前2時だった。セイヤーズとクロエルはレインの部下を率いて朝1番の航空機で中西部へ向かう。ハイネは彼等に短くても睡眠を取るよう命じたに違いない。
ケンウッドは疲れを感じ、アパートへ引き揚げた。ヤマザキは勤務明けなので、十分眠る時間があると言っていたが、長官はそうも行かない。チャーリー・チャンとジャクリーン・スメアの両秘書に1時間ばかり出勤が遅れるとメッセージを入れておき、やっと彼はベッドに入った。

2018年11月21日水曜日

牛の村   2 2 - 7

 クロエル・ドーマーが陽気に「はいっ」と手を揚げた。

「僕ちゃんがセイヤーズのサポートをします。北米2班と違って、僕ちゃんはこっちのメーカーには知られてませんからね、近づいても怪しまれませんよ。」
「それに、誰もそんなおちゃらけたヤツが遺伝子管理局にいるなんて思わないだろうしな。」

と南米班。
 セイヤーズがクロエルを眺めた。きっとこのドレッドヘアのおちゃらけた若者を値踏みしているのだろう、とケンウッドは思った。確かに、中西部でドレッドの男は珍しい。たまに長距離トラックの運転手で見かけるくらいだ。クロエルは態度こそ不真面目に見えるが、抑えるべきポイントで質問を入れ、意見を述べている。中米は地峡とカリブ海諸島の複雑な地域だ。支局は形ばかりで、局員たちはほとんど独力で担当地域を飛び回って仕事をしている。「馬鹿」では絶対に務まらない地域だ。
 セイヤーズが局長を見た。

「彼にサポートをお願いしたいと思います。」
「君がそれで良いのであれば・・・」

 ハイネ局長はケンウッド長官を見た。セイヤーズは外に出せないドーマーのはずだ。出すには長官許可が要る。既に会議で決まりかけているが、まだ決定していない。
 ケンウッド長官は、ラナ・ゴーン副長官を見た。私はセイヤーズを信じるが君は? と目で問うたのだ。ラナ・ゴーンが頷いた。
 長官は「許可する」と宣言した。反対派の執政官達が彼を睨んだが無視した。

「ワグナーがまだ現地にいる。彼は『通過者』だ。彼も使え。」
「では、これから局に戻って作戦を練ります。セイヤーズを連れて行きますが、宜しいですね。」

 長官と副長官の了承を得て、ドーマーたちは会議室を出て行った。
 会議室に残ったケンウッド達は脱力感に襲われた。大切なドーマーの1人がメーカーに捕まり、地球人の未来がかかっている別の大切なドーマーが救助に向かう。執政官達には何も出来ない。ただドーマー達の作戦が成功することを祈るのみだ。
 ラナ・ゴーン副長官がケンウッドに尋ねた。

「何故ハイネ局長は私達に聞かせた情報をまた繰り返したのでしょう? セイヤーズに伝えるのでしたら、観察棟へ行って語って聞かせても良かったのではありませんか?」

 するとヤマザキが、眠たそうな目をしながら言った。

「副長官にはわかりませんかねぇ・・・」

 ゴーンが彼を振り返ると、ダルフーム博士も医療区長を見た。

「私にもわからないですよ、ヤマザキ博士。ハイネは何故時間を費やして我々に同じ話を聞かせたのです?」

 ヤマザキはケンウッドを見た。ケンウッドもハイネの意図がわからなかった。ハイネだけでなく、ドーマー達の考えが理解出来なかった。セイヤーズを救出作戦に使う許可を得てから、セイヤーズに情報を与えても良かったのではないか? 
 ヤマザキが頭を掻いた。

「僕等を守るためですよ。」
「私達を守る?」
「ドーマー達が我々を守ると仰ったのですか?」
「そうですよ。」

 ヤマザキは議場内を見回した。

「セイヤーズには地球の未来がかかっています。それは我々以上にドーマー達が一番よく理解している筈です。しかし、彼等はレインを救いたい。レインは彼等の家族ですからね。そして彼を24時間以内に救えるのは、セイヤーズだけでしょう。もしセイヤーズに何か悪いことが起きれば、或いは彼が再び逃亡してしまったら、責任は誰が負います? 」

 コロニー人達は互いの顔を見合った。ケンウッドが答えた。

「私だ。」

 ヤマザキが首を振った。

「確かに、長官の責任は重大だ。しかし、セイヤーズを外に出すことを認めた我々全員の責任でもある。もしセイヤーズが怪我をしたり、最悪死んだりしたら、地球もコロニーも、このアメリカ・ドームを責めるでしょう。だから・・・」

 彼はフッと溜め息をついた。

「ハイネはセイヤーズが自主的に救助活動に行く方向へ話を持って行ったのですよ。我々が命令したのではなく、要請したのでもない、セイヤーズに自分から進んで行くと言わせたのです。万が一のことが起きても、それはセイヤーズ自身の責任だと、我々に逃げ道を用意して、ハイネは彼とクロエルに部下達を託してレイン救出に向かわせるのです。」

 ケンウッドは胸に熱いものが込み上げてきて、そっと一同に背を向けた。心からドーマー達を愛おしいと思った。




2018年11月20日火曜日

牛の村   2 2 - 6

 セイヤーズは局長の言葉が理解出来なかったらしい。否、出来たが信じられなかったのだろう。まさか、と彼は呟いた。ハイネ局長の言葉が間違いであれと思ったに違いない。

「レインは私より利口です。メーカーの罠などにはまったりしない。」
「だが相手が一枚上だった。支局長のレイ・ハリスだ。」

エッと驚いたのは、セイヤーズだけではなかった。チーフたちの間に動揺が起きた。知っている筈なのだが、この芝居はなんだろう? とケンウッドはぼんやりと思った。南米班チーフ・ドルスコ・ドーマーが、「確かですか?」と尋ねた。ハイネ局長は頷いた。

「南部班第1チームのリーダー、ワグナーが支局を捜査して、ハリスの部屋から大量の抗原ワクチンのアンプルを押収した。ドームで製造した純正ワクチンではない。
 抗原注射を知っているのは、ドーマーかドームの外に出かけるコロニー人だけだ。偽造ワクチンを作る発想は、元ドーマーか元コロニー人のものだが、ハリスにそんな技量はないし、設備も持っていないはずだ。
 つまり、ハリスは誰かが製造したワクチンで薬浸けにされて、スパイをしていたと思われる。」
「1週間我慢すれば、抗原注射なんか必要ない『通過者』になれるのになぁ。」
 
 クロエル・ドーマーが呟いた。

「そのハリスって野郎は、よほど雑菌が恐かったんだろうよ。」

と南米班のチーフが吐き捨てる様に言った。彼は局長とケンウッド長官を見比べた。

「それで、ラムゼイはレインを人質にして何か要求してきているのですか?」
「否、まだ何も・・・」

 ケンウッドが苦渋の表情で言った。訳がわからないが、ドーマー達のペースに合わせてやろう。

「ラムゼイがラムジーと同一人物ならば、ドームと交渉するよりも美味しい話があると考えるだろう。つまり、レインにはいろいろと使い道があると言うことだ。」

 セイヤーズは、南米班と中米班がこそこそ喋るのを聞いた。メーカーが捕らえたドーマーをクローン製造の材料にする為に切り刻んだ実際に起きた事件の話だ。年長の北米北部班のチーフが生まれるより前の事件だから、ほとんどホラー伝説化している。
 いてもたってもいられない、とは今の心理状態を言うのだろう、と彼は思った。彼は立ち上がっていた。

「レインを助けに行きます。私は抗原注射なしで動けるし、あの近辺は生活圏でした。私に行かせて下さい。」
「助けるのはレインだけなの、セイヤーズ?」

 不意にラナ・ゴーン副長官が声を掛けてきた。セイヤーズは彼女を振り返った。ゴーンが母親の目で言った。

「優先順位を付ける必要があると、男性たちは言うでしょうね。でも、私は、貴方に息子と女の子も助けてあげて欲しいわ。 子供たちは、お父さんを待っているはずよ。」

2018年11月19日月曜日

牛の村   2 2 - 5

 再びハイネ局長が語り出した。

「ニューシカゴ近郊の山間に、牛の放牧をしている農家がある。牛はクローン技術で増やして、今は自然交配も出来る様になった。その農家は、パーカーと言う人物の名義なのだが、パーカーは数年前に死亡していることがわかった。
 北米南部班はその農家の内偵をして、多くの人間が出入りしている事実を掴んだ。
さらに、出入りする人物の中には、葉緑体毛髪の少年も含まれていることを、付近の聞き込みで掴んだ。」
「ちょっと待って下さい。」

 セイヤーズが聞き捨てならぬことを耳にして、局長を遮った。

「その緑の髪の少年と言うのは・・・?」

なんで部下たちは自分の話を遮ってばかりいるのかなぁ・・・ハイネ局長は苦虫を潰した様な顔をした。

「レインはその少年を君の息子だと断定した。」
「どうして・・・」

とセイヤーズは呟いた。息子が謎の農家にいる理由を考えたのだが、ハイネは違う意味に捉えた。

「少年が自らレインの直通電話に掛けてきたそうだ。」
「ライサンダーが?」
「何故彼はレインの番号を知っていたんだ?」

尋ねられてセイヤーズは考えた。何故だ? そして可能性の高い答えを導き出した。

「レインが連絡用に送って来た端末で番号を知ったのでしょう。」

親子ねぇとラナ・ゴーンが呟いたが、その言葉の意味がわかったのは極少数だった。

「息子はレインに何の用があって掛けたんです?」
「少年はレインに、『ラムゼイは引っ越す』と告げたそうだ。」
「ああ、成る程、その農家がラムゼイのアジトだったんですね。」

北米北部班チーフ、ドーソンが発言した。

「すると、ベーリングの娘もそこに居るんですね?」
「南部班のルーカスが目視で確認した。娘もそこに居る。但し、子供たちが捕虜なのか使用人になったのか、それは不明だ。」

そこでやっとハイネ局長は本題に入った。

「昨日の早朝、レインは北米南部班第1チームを率いてラムゼイのアジトへ家宅捜査に向かった。子供2人を保護してラムゼイも逮捕出来れば上出来だったはずだが、計算が狂った。」

局長は一拍おいてから、結果を述べた。

「支局にいたスパイに罠を仕掛けられ、レインがラムゼイに捕まった。」

2018年11月18日日曜日

牛の村   2 2 - 4

「我々がレインと取引したのだ。」

とそれまで黙していたケンウッド長官が口を開いた。

「セイヤーズを逮捕せずに説得して連れ戻すと彼が言うので、それなら4Xの保護に協力させろと、ね。」

 彼はセイヤーズを見た。

「君は4Xを見つけただろう?」
「はい。」

 セイヤーズは素直に認めた。ここで誤魔化しても意味がない。しかし、こんな話はみんな知っているのではないか? 何故ここで繰り返すのだろうと彼は疑問を感じた。

「自宅に保護しました。」
「それで?」
「引き渡すつもりで、中西部支局を通してレインに連絡を取りました。」
「だが、中西部支局長を君は殴って怪我をさせた。」
「支局の職員の指示でボーデンホテルのレインに面会に行きました。フロントで取り次ぎを頼むと、レインの部屋に行けと言われ、行ってみたら知らない男がいたので・・・」

クロエルがクスッと笑って、また口を出した。

「反射的に殴ったんだなぁ・・・」
「クロエル!」

ハイネ局長がイラッとした声を出した。ケンウッドはクロエルも局長も無視して話しの続きをダリルに促した。

「続けなさい。」
「支局長が私を権限もなしに逮捕しようとしたので逃げました。それで、レインが追ってきて、私を逮捕しました。」
「子供たちはどうした? ベーリングの娘と、君自身の子供が家にいただろう?」

 セイヤーズの子供? チーフたちには初耳だったらしい。室内がざわっとした。
セイヤーズは簡単に説明した。

「少女を見つけた時、ラムゼイと出遭ってしまいました。後をつけられた可能性があったので、留守の間、子供たちを山奥の隠れ場所に隠しておきました。レインが来た時、子供たちは山にいたのです。」

牛の村   2 2 - 3

 ゴメス少佐が戻って来ると、やっとハイネが目を開いた。初めから寝てなどいなかったみたいに、スッキリした顔で入り口を見た。ゴメスに続いてダリル・セイヤーズ・ドーマーが姿を現した。寝入り端を起こされて、髪はボサボサ、観察棟入所者らしく寝巻き姿だ。彼は不安がることはなかったが、会議室内を見回して、一瞬「あれ?」と言いたげな表情をした。
 ケンウッドが声を掛けた。

「起こして悪かった。だが、今回の事案は君の力を借りた方が良いと思ったのでね。」

 するとハイネが立ち上がり、会議テーブルのそばに立った。この会議の主導権を取るつもりだ。ケンウッドは物問いたげな執政官達に頷いて承認させた。
 ローガン・ハイネ・ドーマー遺伝子管理局長が、テーブルの中央に3次元画像を立ち上げた。熟年の男性の画像だ。

「元執政官サタジット・ラムジー博士だ。50年前、アメリカ・ドームで起きた『死体クローン事件』の中心人物で、火星に送致される直前に逃亡し、今もって行方をくらませている。」

 彼はチーフたちが誰1人として反応しないことに気が付いた。全員50歳以下、若いので、50年前の事件など知らないか、歴史の一コマ程度の認識だ。ハイネ局長は事件の説明をしている場合ではないと判断したので、話を進めた。

「2月ほど前に、北米南部班が、メーカーのベーリングが4Xと言うクローン技術を開発したと言う情報を得て、それを故意に巷に流した。情報に飛びついたのが、ラムゼイ博士と呼ばれるメーカーの組織だった。」
「つまり、ラムジーとラムゼイは同一人物?」

 とクロエル・ドーマーが口を挟んだ。初めて聞く話なので、質問せずにおられなかったのだろう。ハイネは口を挟まれてムッとした表情をしたが、「未確認だが、恐らくそうであろうと考えられる。」と答えた。クロエルがまだ何か言いたそうなのを無視して、ハイネは続けた。

「ラムゼイはベーリングの研究所を襲撃してベーリングの妻子を誘拐した。それをベーリングが取り戻そうとしてラムゼイの研究所を襲い、2つの組織は共倒れになった。
しかし、ラムゼイ博士は当日不在で生き延びたのだ。そして、ベーリングの4Xだが、それは当局が考えた数式ではなく、遺伝子組み換えで生まれたベーリングの娘であることが判明した。」

おやおや、とクロエル。彼はいつも会議の時にこうなのか? とケンウッドはハイネをそっと伺い見た。局長は部下のチャチャ入れを無視した。

「北米南部班チーフ、レイン・ドーマーは、何を血迷うたか、18年前に脱走したセイヤーズ・ドーマーを共倒れになった両メーカーの研究所の近くで発見し、ラムゼイの研究所から逃亡した4Xの捜索をセイヤーズに依頼した。」

 ハイネが自分のアイデアをレインの発案にすり替えたのを、ケンウッドは気が付いた。奇抜なアイデアを部下に譲ったのだろう。責任を部下におしつける男ではないから、と彼は自身に言い聞かせた。セイヤーズは室内の人々の視線が自分に集まったのに気が付いた。すると、クロエルがまたしても横槍を入れた。

「レインは合理的に仕事をしただけでしょう。脱走者を働かせて娘の捜索をさせて、後で2人共回収する。」
「少し黙ってくれないか、クロエル・ドーマー!」

クロエルは、舌をぺろりと出して、黙り込んだ。そしてセイヤーズを見てウィンクしたので、セイヤーズはちょっと驚いた。

2018年11月15日木曜日

牛の村   2 2 - 2

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーをドームの外へ、危険な任務をさせる為に、出動させる是非を執政官達だけで話し合った。ダルフーム博士を始めとする半数が反対の立場を取った。今セイヤーズを失うことがあれば、地球人の復活は2度と望めないかも知れないと彼等は危惧した。賛成派は1人のドーマーもメーカーの魔の手に渡したくないと言い張った。それにセイヤーズの子種は既にかなりの数をストックしている。新しい子供を作って、その子供が女の子である確率は五分五分だ。生まれてくる女の子が、次の世代に女の子を産んでくれるまで、まだ四半世紀近く待たねばならない。その間に、セイヤーズ1人に頼らなくても問題を解決することができるかも知れない。
 議論を聴きながら、ケンウッドは会議室内のドーマー達の様子をそっと見た。ハイネ局長はテーブルに両肘をつき、顎を手に載せて完全にうたた寝状態だ。地球人が就寝する時刻だから無理はない。若いドルスコ・ドーマーとクロエル・ドーマーは互いの端末を使って業務の引き継ぎを行なっていた。会話がスペイン語なのでケンウッドにはわからない。ドーソン・ドーマーは救出作戦に出ない北米南部班のリーダー達とメッセで打ち合わせ中だ。
 突然、誰かがテーブルをバンッと叩いて、議論していた執政官達を黙らせた。

「堂々巡りの議論をしていても仕方がないでしょう?」

と言ったのは、ラナ・ゴーン副長官だった。

「遺伝子管理局はもうレイン救出の準備に取り掛かっているのですよ! 局長もクロエルも、セイヤーズを戦闘に出すとは言っていません。道案内に必要だと言っているだけです。早くこちらの方針を決めないと、彼等から貴重な時間を奪ってしまいます。レインをどんどん危険な状況に追い込んでしまうのは、私達の優柔不断さですよ!」

 それまでハイネ同様うたた寝状態だったヤマザキ・ケンタロウが目を開いて、クスッと笑った。彼は言った。

「セイヤーズの健康はすっかり回復して、毎日女性執政官相手に研究材料を提供しているじゃないか。たまには外に出して運動させてやれよ。どうしても結論が出ないのであれば・・・」

 彼はケンウッドを振り返った。

「長官の英断に任せるこった。」

 こっちへ振るのか? ケンウッドは他人事みたいなヤマザキの言葉にムッとしたが、彼自身も議論が無駄なことがわかっていた。ハイネもクロエルも、セイヤーズを救出作戦に加えたいから、この会議を開かせたのだ。
 ケンウッド自身は、研究を脇に置いても、セイヤーズを外に出したくなかった。セイヤーズだけではない、救出作戦に出て行くドーマー達全員を引き止めたい思いだ。彼は可愛いドーマー達に危険な目に遭って欲しくなかった。しかし、それが過保護だとも承知していた。だから・・・
 ケンウッド長官は、出口近くで静かに会議の行方を見守っていた保安課長、ロアルド・ゴメス少佐に声を掛けた。

「ゴメス少佐、悪いがダリル・セイヤーズをここへ連れて来てくれないか?」

 ゴメス少佐は「わかりました」と一言だけ応えると、立ち上がって小会議室から出て行った。
 ケンウッドはハイネ局長を見た。真っ白な髪のドーマーはまだ目を閉じていた。

2018年11月13日火曜日

牛の村   2 2 - 1

「さてと・・・ドーマー諸君、ポール・レイン・ドーマーを救出する具体案を聞かせてもらえるのだろうね?」

 執政官幹部と遺伝子管理局幹部だけになった小会議室で、ケンウッド長官が尋ねた。時刻は午後11時になろうとしていた。
 長官の言葉を聞いて、ハイネ局長がクロエル・ドーマーを見た。ドルスコ・ドーマーもドーソン・ドーマーも、中米班チーフを両側から見た。
 クロエルが肩をすくめ、両手を上向けにして持ち上げた。

「具体案なんて、なぁ〜んにもないっす!」
「何だって?」

 クロエルの養母ラナ・ゴーン副長官が眉を顰めた。

「ふざけるのはお止しなさい、クロエル・・・」
「ふざけてなんかいないっす。」

 クロエルが頭を掻いた。

「夕方、いきなり僕が救出の指揮を執るって決まったんす。だから実際に現地に行かないと、なぁんにもアイデアが浮かばないっす。」

 ケンウッドは不安になって局長を見た。

「ハイネ?」
「私も何も考えていませんよ。現場がどんな場所なのか、想像がつきませんから。」

 生まれてから一度もドームの外に出してもらったことがない100歳のローガン・ハイネ・ドーマーは当然のことの様に言った。
 ケンウッドは困惑して、同席しているヤマザキ・ケンタロウ医療区長を見た。ヤマザキは眠いのか、ぼーっとした表情で座っていた。

「それでですねぇ・・・」

 クロエルが突然喋り出した。

「僕ちゃんは北米の地理に詳しくないんすよ。昔、レインとカナダで勤務したことがありますが、今回は南の中西部ですから、街の様子も道路状況も何もわかんないんす。」
「どうして君が選ばれたんだ?」
「適任だからっしょ?」

 ケロリとした顔で言って退ける。

「ドーソン・ドーマーはレインの班の通常業務も引き受けなきゃいけません。ドルスコ・ドーマーは僕ちゃんの班の分をやってくれます。だから、レインは捕虜で、僕ちゃんは救助隊なんす。」

 言っていることはわかるが、それが選任された理由になるのか? ケンウッドは熱が出そうな気分になった。どうして我がドームの遺伝子管理局は曲者ばかりなのだ?
 するとクロエルがいきなり本題に入った。

「地理が不案内の僕ちゃんの為に、ダリル・セイヤーズ・ドーマーをお借りしたいっす!」
「はぁ?!」

 ケンウッドは不意打ちを食らった気分で、ハイネを見た。ゴーンも養子の顔を呆然と見つめているし、幹部執政官達もドーマー達の顔を見比べるばかりだ。
 ヤマザキ・ケンタロウだけが、のんびりと呟いた。

「セイヤーズはジモティだからなぁ・・・強力な助っ人に違いない。」

 しかし、とダルフーム博士が呻いた。

「セイヤーズは女の子を生める地球人男性だ。危険な任務に就かせることは出来ない。」
「それはどうでしょう。」

とようやくハイネが口を開いた。

「セイヤーズは1人でラムゼイと渡り合ったことがあります。そして18年間無事に生きて、子供を育てました。ドームの中で育った人間にしては非常に逞しい。頭が良いし、知恵が回る。そして誠実です。18年間取り替え子の秘密を守り通す気概がありました。
それに救出するのは、彼の恋人です。事件を知れば、誰に言われなくても彼は救助に行きたがるに違いありません。クロエルの相棒として彼は適任ですよ。」


牛の村   2 1 - 10

  ホアン・ドルスコ・ドーマーが中央研究所の小会議室に駆け込んだ時、ケンウッド長官とダルフーム博士を始めとする執政官の重鎮達が額を寄せ合って相談しているところだった。会議室の中央円卓の上には、ドルスコが飛行機の中で読んだクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーの報告書が浮かんでいた。
 ドルスコは室内を見回し、クロエル・ドーマーとクリスチャン・ドーソン・ドーマーが並んで座っているのを発見した。クロエルの右隣の席が空いているが、別の見方をすれば、それはローガン・ハイネ・ドーマーの左隣が空いているのだった。ドーソンの左には各班のチーム・リーダー達が並んでいて、ドルスコが割り込む余地はなかった。仕方なく、ドルスコは局長の左隣に座った。
 ハイネ局長はテーブルに片肘を突いて顎を支えていた。執政官の相談がまとまるのを待つ間、退屈しているのだ。つまり、局長の考えは既にまとまっていて、執政官がどんな結論に至ろうと自説を押し通すつもりだ。ドルスコが着席すると、彼は横目でチラリと見ただけで何も言わなかった。
 同僚のクロエルとドーソンも黙っている。クロエルはテーブルの下で端末をいじっているし、ドーソンは瞑想でもしているのか目を閉じていた。部下のリーダー達は執政官達同様、重大事件発生にショックを受けていたが、上司達が落ち着いているので、騒がず静かに状況を見守っているのだった。
 やがて、執政官達が各自の席に戻った。ケンウッド長官が、ハイネ、と局長を呼んだ。

「ポール・レイン・ドーマーはまだ生きているのだね?」
「生きています。現在地も把握しています。」

 ハイネはそれ以上無駄なことは言わなかった。口を閉じて、長官の次の言葉を待っている。ケンウッドはさらに尋ねた。

「ラムゼイがラムジーだと言う確証は得たのかね?」
「彼がレイ・ハリスを薬漬けにしたことはわかっています。その薬剤は、抗原注射のワクチンと同じものですが、正規製品ではなく、密造品です。地球人は抗原注射を知りません。一般のコロニー人も知りません。知っているのは、清浄な空気で満たされたドームの中で生活するコロニー人とドーマーだけです。ラムゼイは元ドーマーなどではありません。ドームの中の生活を知っているコロニー人です。少なくとも50年は地球で暮らしているコロニー人です。」

 ざわざわと執政官達が囁き合った。50年前の「死体クローン事件」を知っている世代だから、ハイネの言葉だけでメーカーのラムゼイと事件の中心人物だった遺伝子学者を結びつけるのに十分だった。
 若いドーマー達はまだラムジーなる人物について知識がない。リーダー達は戸惑っていたし、3人のチーフも局長を見たが、ハイネはそれ以上説明しなかった。
 
「彼は何も要求してきていないのか?」

 ケンウッドの質問に、ハイネは首を振って見せた。もしラムゼイがドームに要求することがあれば、誰宛てに言ってくるのだろう? 長官か、局長か?
 ケンウッドは念の為に、もう一つ尋ねた。

「外の政府に接触した気配はないのかね?」

 ハイネは肩をすくめた。彼は連邦捜査局とは業務上連絡を取り合うことはあるが、政府と付き合いがない。
 ケンウッドが溜め息をついた。

「現状では、レインが保護するつもりだった少年少女より、レインの救出を優先した方が良いと言う意見で我々はまとまった。遺伝子管理局はレインを救出出来るか? もし無理なら・・・」

 彼は連邦捜査局に協力を依頼すると言おうとした。ハイネが遮った。

「我々は24時間以内にレインを救出してみせます。」

 執政官達が、そしてリーダー達が驚いて彼を見た。クロエル・ドーマーがニヤリと笑い、ドーソンが目を開いて部下達に向かって頷いて見せた。ドルスコはなんだか嬉しくなって気分が高揚するのを感じた。
 ハイネがリーダー達に声をかけた。

「君達に来てもらったのは、現在起きている重大案件を伝えるためだ。これからチーフと執政官だけで話し合うので、君達は帰ってよろしい。但し、チームによっては明日早朝に出動する者が出てくるので、各自準備はしておくように。出動チームが決まれば直ちに連絡する。以上だ。」
「解散!」

 チーフで年長のドーソン・ドーマーが声を掛け、リーダー達が素直に立ち上がった。




2018年11月11日日曜日

牛の村   2 1 - 9

 ニコラス・ケンウッド長官は遅い夕食を一般食堂で摂っていた。セイヤーズの子供を作る研究に没頭し過ぎて食事を忘れていたので、若い執政官から注意されたのだ。

「長官、やはり研究着を付けられると活き活きとされますね!」

 からかわれて、慌てて食事を摂りに来たのだ。半分も食べないうちに、ローガン・ハイネがクロエル・ドーマーとクリスチャン・ドーソン・ドーマーを伴って現れた。ハイネはケンウッドを見つけると、素早く料理を取って彼のテーブルにやって来た。部下がまだ料理を選んでいるのに、彼は挨拶もそこそこに長官の向かいに座ってすぐに食べ始めた。
 ローガン・ハイネらしからぬ礼儀のなさに、ケンウッドは驚いた。そして隣のテーブルに着いたドーソン・ドーマーを見た。

「ついさっき迄チーフ会議でもしていたのかね?」
「ズバリ! 大当たりっす!」

 クロエル・ドーマーが最後にやって来てドーソンの向かいに座った。
 ケンウッドはハイネを見た。こんな風に振る舞う時のハイネは、大概何か大きな爆弾を持っている。ケンウッドは胸騒ぎがした。ハイネは彼を無視して食べ続ける。ケンウッドはまたドーソンとクロエルを見た。

「クリス、君は今日はカナダにいると思ったが・・・?」
「ええ、緊急事態発生で帰って来ました。」

 クロエルがニンマリ笑った。

「もうすぐホアンも帰って来ますよ、長官。」

 ケンウッドは再び正面のハイネを見た。ハイネは子牛肉のチーズ挟み焼きを真剣な顔で切り分けていた。チーズがこぼれないように慎重にフォークにすくい上げる。
 ケンウッドは恐る恐る声をかけてみた。

「ハイネ・・・?」
「9時半から中央研究所の小会議室で緊急会議を開いて下さい。執政官幹部の招集をお願いします。」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは必要なことだけ言って、また食事に戻った。早く食べろよ、会議だぞ、と全身で訴えている。部下達も表情は穏やかだが、手は忙しく動いて料理を口に運んでいた。ケンウッドは何が何だかわからないまま、急いで食べ物を口に入れた。
 時間はあまりない。ローガン・ハイネが急ぐなど、滅多にないことなので、緊急事態に間違いないのだろうが、説明が一切ないので、ケンウッドとしてはどうして良いものかわからなかった。
 それでも一旦手を止めて端末を出した。

「9時半で良いのだね?」
「お願いします。」
「幹部だけ?」
「執政官は幹部だけです。ドーマーも幹部クラスを招集しました。」

 遺伝子管理の問題なのか? ケンウッドは、セイヤーズの子種の実験にクレームでもつけられるのだろうかと不安になった。

「何かヒントをくれないか、ハイネ・・・」
「ヒント?」

 初めてハイネが顔をあげて長官を見た。彼は水を一口飲んでから、言った。

「サタジット・ラムジーですよ。」

2018年11月9日金曜日

牛の村   2 1 - 8

「僕ちゃん、やります。」

 クロエル・ドーマーがポール・レイン・ドーマー救出作戦の指揮を引き受けた。ハイネは頷き、ドルスコ・ドーマーに中米の遺伝子管理業務を引き受けるよう要請した。ドルスコは我慢できなくなって、局長に意見した。

「局長、どうしてそんな遠慮がちな物言いをなさるのです? はっきり、私に『やれ』と命じて下されば済むことです。」

 ハイネは微笑んだ。

「君に中米と南米の両方をこなせる能力があることは十分承知している。君の才能に敬意を表したつもりだよ。」

 クロエルとドーソンは、ドルスコが頬を赤らめるのを見た。南米班チーフははにかみながら言った。

「失礼しました。高く買っていただいて光栄です。クロエルが安心して救出作戦に専念出来るよう、通常業務をしっかり管理します。」

 ドーソンも微笑んだ。

「ホアン、君は一体何年局員をやっているんだ? 局長はいつも若い者にだって敬意を払ってくださっているじゃないか。」

 すると、クロエルが「よろしく〜」とドルスコに挨拶した。おちゃらけたと思うと、すぐに真面目な表情に戻った。

「局長、さっきも言いましたが、僕は北米の地理に詳しくありません。そこで、助っ人を選ばせて下さい。」
「助っ人が要るのか?」
「要ります! 現地の地理に詳しくて、僕同様に時間制限がなくて、僕のアイデアに乗ってくれる人です。」

 そんなヤツがいるのか?とドーソンが目で問いかけた。ドルスコも画面の中で首を傾げた。ハイネは一瞬考え、そして、ああ、と呟いた。

「セイヤーズを連れて行きたいのか。」

 えっ!とドーソンが声を上げた。ドルスコも目を剥いた。ダリル・セイヤーズはレインが逮捕してまだ日が浅い。しかも執政官達が数日前から彼の子供を作るプロジェクトに取り掛かったばかりだ。それに、ドームの外に出してはいけないS1遺伝子保有者ではないか。
 2人共、ハイネが反対するものと思ったが、ハイネ局長は面白そうに頷いた。

「確かに、君が提示する条件にぴったりの男だな。」
「ケンウッド長官を説得して頂けませんか、局長?」
「長官を説得しろと言うのか?」

 ハイネは時計を見た。時刻は午後8時前になろうとしていた。

「緊急事態発生をまだ報告していないのだ。」

と彼は言った。

「出来れば遺伝子管理局の内だけで解決させたかったが、そうも行くまいよ。地球人の問題に地球人を投入するのは間違いではない。コロニー人達からセイヤーズを返してもらおうか。」

 そして彼は画像の中の部下を見た。

「夜中前にドームに到着するだろう? それまで休んでいなさい。深夜に緊急会議の招集がある筈だ。」
「わかりました。では、暫く失礼します。」

 ドルスコ・ドーマーは自らカメラをオフにして、局長執務室の会議テーブルの上空から消えた。
 ハイネはドーソン・ドーマーとクロエル・ドーマーを見た。

「さて、深夜の大仕事の前に、腹ごしらえに行こうか?」


2018年11月8日木曜日

牛の村   2 1 - 7

 3人のチーフがテレビを利用して局長と会議を持った。ドーソンもドルスコもワグナーの報告書から事態の深刻さを直ちに理解した。

「レインの抗原注射の効力を考えると、24時間以内の救出を前提に話を進めないといけないな。」

とドーソンが言った。

「南部班は現在第1チームと第4チームが現地にいるのだね?」
「彼等も24時間が限度っすよ。」
「ワグナーはハリスを追跡中だな?」
「すると第4チーム・リーダーが指揮官か?」
「否、まだワグナーが指揮を執っているらしい。」
「そいつは大変す。」
「レインの救出に24時間の制限があると言っても、部下は新たに送り込んだ方が良いだろう。」
「指揮官もワグナー以外の者に任せるべきだ。ワグナーはハリスの追跡に専念させる。」
「では、誰を指揮官にする?」

 テレビの中のホアン・ドルスコ・ドーマーが、局長執務室のクロエル・ドーマーを見た。クリスチャン・ドーソン・ドーマーもクロエルを見たので、ローガン・ハイネ・ドーマーもクロエルに顔を向けた。クロエルが目を丸くした。

「え? え? 僕ちゃん?」
「まさかこんなおちゃらけたヤツが遺伝子管理局の人間だとは、ラムゼイも想像すらしないだろうさ。」

とドルスコが呟いた。ちょっと待って、とクロエルが焦った。

「僕ちゃん、リオ・グランデから北は地理がわかんないっす。」
「何も1人で行けとは言ってない。」
「北米南部班がいるじゃないか。」

 ドーソンがハイネ局長に向き直った。

「私が指揮を執ることも考えたのですが、それでは北米大陸の遺伝子管理業務を統括する者がいなくなります。レインが不在の間、私が北米全般の業務を担当します。また、クロエルの中米は、ホアンが南米と同時に統括出来る筈です。
 クロエルは昔レインと組んで業務をした経験があったでしょう? レインの性格はわかっている筈ですから、救出の際のレインの動きや考えもある程度見当がつくと思います。」
「だけど・・・」

 クロエルは躊躇った。レインが先輩として慕っていたドーソンの方が、レインを理解しているのではないか、と。
 ハイネが首を振った。

「確かに、遺伝子管理業務は1日たりと休む訳にはいかん。レインの救出が24時間以内で成功すると仮定しても、ラムゼイ逮捕や少年少女の保護、全てを同じ時間で行える保証はない。
 クロエル、君は北米のチーフ代理を務められるか?  それとも、ドルスコを指揮官にして君が中南米の統括をするか?」

 クロエルは事務仕事より外で救出活動を指揮する方がましだ、と感じた。


2018年11月7日水曜日

牛の村   2 1 - 6

 クロエル・ドーマーが自分で訪問者用暗証番号を入力して局長執務室に入って来た。ハイネを見て、彼は立ち止まった。

「何か良くないことっすね?」

 彼はいつもの陽気な笑みを消した。局長が大好きなので、一目でハイネが何か心痛を抱えていると看破したのだ。
 ハイネは彼の席を指して座れと無言で命じた。そして会議テーブルの上にワグナーの報告書を出した。クロエル・ドーマーには無類の才能がある。例えば、広げた新聞を一目で全部読み記憶してしまう、速読の才だ。中米班チーフは、同僚が危機に瀕していることを一瞬にして悟った。ああ、と彼は呻いた。そして局長を振り返った。

「彼は生きているんすか?」
「生きている。」

 ハイネは別画面を立ち上げた。ポール・レイン・ドーマーの体内に埋め込まれた生体エネルギー電波発信装置から受信された信号が、立体地図の中で弱々しく光っていた。クロエルは地図を見上げた。

「農場みたいっすね?」
「農場だ。牛を生産しているが、メーカーの隠れ家だ。」
「ラムゼイの家なんすね?」

 レインの光は一点から動かない。どこかの部屋に軟禁されているに違いない。
 クロエルは先日のチーフ会議の内容を覚えていた。レインはダリル・セイヤーズの息子から接触を受けた。ラムゼイが引っ越すと少年は告げ、実際衛星データ分析で農場の人の出入りが急に慌ただしくなったことが判明した。レインはラムゼイが何処かに移動してしまう前に、引越しの準備で忙しい時に、奇襲をかけて少年少女を保護してしまおうと計画したのだ。実際に奇襲攻撃だったので、ラムゼイ側はレイン以外の遺伝子管理局に対する攻撃はしていなかった。だが、誰もが予想だにしなかった裏切り者、レイ・ハリス支局長の存在が、レインを窮地に追い込んだのだ。

「ラムゼイは何か要求してきてるんすか?」
「否、今は何も・・・」
「でもレインの価値はわかってるでしょうね? ドーマーの細胞はメーカーの間では高値で取引されるらしいっすよ。それにレインは上玉だし・・・」

 クロエルは時々俗な言葉を使う。しかしハイネは気にしなかった。ドーマーだってテレビや映画を見るし、外の世界の文化を面白がって真似る者は多い。

「局長、ラムゼイは引越しにレインも連れて行くとお考えですか?」
「レインの価値を高く評価しているなら、連れて行くだろうな。」

 ハイネはレインの生みの親を思い出した。レインの実家は、今やアメリカで最も権力のある人物の実家でもある。ハロルド・フラネリー大統領の顔を見た時、ハイネはレインがスキンヘッドにしていることを感謝したものだ。兄弟はよく似ている。もしラムゼイがレインの出自を知ったら、ドームだけでなく大統領にも圧力をかけてくるだろう。
 クロエル・ドーマーが再び地図に視線を戻した。

「僕ちゃんなら、ラムゼイがレインや子供達を連れて移動する最中に攻撃するっす。」
「ヤツが何処へ行くつもりなのか、わかっているのか?」
「それは人の動きを分析しないと・・・」

 その時、チャイムが鳴って、ドーソン・ドーマーが入室して来た。


2018年11月6日火曜日

牛の村   2 1 - 5

 優秀なクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは約束の時間きっちりに報告書を送信して来た。ハイネはそれを読み、ワグナーと半時間ばかり話し合った。レイモンド・ハリスの裏切りによってポール・レイン・ドーマーがラムゼイに売られたのは確実だ。ワグナーは警官をハリスの自宅に送ったが、逃亡した後だったと言った。

「現在追跡させています。ハリス支局長はあまり遠出をなさる人ではなかったそうで、あまりここの地理に詳しくありません。警察は大きな道路を重点的に封鎖して検問を行うと言っています。」
「ハリスの追求を君に一任して良いか? レインの救出はこちらでやる。」

 ワグナーは少し躊躇った。彼も部屋兄弟で上司のレインを救出したいのだ。しかし、彼は冷静な男だった。大勢で一つのことに取り掛かっても物事が早く解決するとは限らない。彼は局長の判断を尊重することにした。

「わかりました。ハリスを追います。レインをお願います。」
「ハリスの追求には君とキエフを充てる。他の部下達は指示があり次第すぐ動けるよう待機させてくれ。」

 何故キエフが俺と? とワグナーは一瞬疑問に思ったが、レインがいない時にキエフを他の部下達と一緒にさせるのは拙いと思い当たった。アレクサンドル・キエフ・ドーマはレインに異常な程執着している。誰かが監視していないと身勝手な行動を取るだろう。それに他の部下達は、チーフを敵の手の中に残して戻って来たキエフを快く思っていない。西ユーラシア・ドームから望まれてやって来た筈なのに、キエフ・ドーマーはその神経質で一つのことに固執する性格が災いして、チームの誰からも歓迎されていなかった。

 局長はキエフの性格をご承知なのだ・・・

 「了解しました。仲間は休憩を取らせて、移動もしくは出動に備えさせておきます。僕はこれから警察と共にハリスを追います。もしあの男がメーカーと合流などしたら、ドームの情報が漏れてしまいますから。」
「十分に気をつけるように。」

 ハイネは通話を終えた。ワグナーには妻がいる。キャリー・ワグナー・ドーマーを悲しませるようなことになってはならない。ワグナーは必ず無事に帰還しなければならない。
 ハイネはどの子供達も失いたくなかった。レインも、あのよく理解出来ないロシア系の衛星データ分析官も、大事な子供達だ。自分がドームの外に出て行って指揮を執れれば良いのだが。
 くよくよ悩む暇もなく、ホアン・ドルスコ・ドーマーから搭乗機が安定飛行に入ったと連絡が入った。ハイネはクロエル・ドーマーに局長執務室に来るよう指示を送り、ドーソン・ドーマーに現在地を尋ねた。ドーソンは間も無くドーム・シティの上空に到達する頃ですと答えたので、会議を半時間後に開くと伝えた。


2018年11月5日月曜日

牛の村   2 1 - 4

 ハイネはワグナー・ドーマーに尋ねた。

「報告書を5分で書けるか?」
「すみません、10分下さい。」

 ワグナーは正直だ。ハイネはわかったと答え、一旦通信を切った。
 ちょっと考えてから、南米班のホアン・ドルスコ・ドーマーに電話をかけた。ドルスコはリオ・デジャネイロに居た。

「ホアン、大至急帰還出来るか?」

 いきなりの要請だが、遺伝子管理局の仕事には珍しくない。ドルスコ・ドーマーは滅多にない局長からの電話に、異常事態発生を感じ取った。

「帰還は私1人でよろしいですか?」
「君だけで良い。」
「では、直ちに帰還します。」

 ハイネは素早く考えて言葉を追加した。

「飛行が安定してテレビ会議が出来る状態になったら連絡をくれないか?」
「わかりました!」

 通話を終えてから、ドルシコ・ドーマーはふと思った。何故局長は「要請」するのだろう? 「命令」で構わないのに、と。
 ハイネはドルスコに対して行った要請と同じ物を、北米北部班のドーソン・ドーマーにも送った。ドーソンはモントリオールに居て、すぐに帰れると答えた。彼は尋ねた。

「レインが何かヘマをしましたか?」

 南部班が無謀とも言える作戦を取っていることを知っているから、そう尋ねた。レインは前回のチーフ会議の後、衛星データを駆使して標的のアジトを何度も確認して、人間の動きも観察し、敵のスケジュールを把握して出かけた筈だ。しかし、2人で敵のど真ん中に降りるのは無謀そのものだろう、とドーソンは思っていた。
 ハイネはぶっきらぼうに言った。

「レインがヘマをしたとすれば、それは俺のヘマだ。」

 通話が切れて、ドーソンはびっくりして端末を見つめた。ローガン・ハイネ・ドーマーが時々普段と違う、砕けた言葉遣いをすることは噂で知っていたが、実際に聞いたのは初めてだ。ハイネがそんな言葉を使うのは、感情が昂ぶっている時だと聞いていた。
 ドーソンは本気で後輩が心配になった。

 ポール、お前は何をしたのだ?

 ハイネは最後にクロエル・ドーマーにかけた。中米班チーフは、ドームの中に居た。自身の執務室で事務仕事に励んでいた・・・実際は休憩スペースに置かれたドラムを叩いてストレス発散をしていたのだ・・・局長の電話に急いで飛びついた。

「クロエルでーーすっ!」

 ハイネは端末を耳から遠ざけた。

「クロエル、今夜緊急会議を開く。だが、その前にテレビ会議があると思ってくれ。」
「会議って・・・チーフ会議っすか?」
「そうだ。」

 ハイネはそれ以上語らず、電話を終えた。
 否、もう1人、連絡しなければならない相手がいた。ローガン・ハイネは溜め息をついた。叱られるのは必至だ。しかし気が重いのは、叱られるからではない。

 ドーマーを我が子として愛してくれるあのコロニー人に、何と言おうか・・・

 ハイネはケンウッド長官の心を傷つけることを何よりも恐れた。

2018年11月4日日曜日

牛の村   2 1 - 3

 ポール・レイン・ドーマーがライサンダー・セイヤーズと4Xと呼ばれる少女の保護に向かった日の夕刻。
 ローガン・ハイネ遺伝子管理局長はいつもの日課と午後の業務を終えようとしていた。否、実際は終えたくても終われなかった。北米南部班の第1チームと第4チームからの報告書が上がって来ていなかったのだ。レインが直接指揮を執っているチームだ。摘発に手こずっているのか、忙しいだけなのか、局長は少し胸騒ぎがして落ち着かなかった。こんなことは初めてだ。局員が生命の危険に晒される危険な目に遭ったのは初めてではない。だがこんなに嫌な気分になったことはなかった。

 子供達に何かあったのか?

 子供達とは、少年少女のことではない。彼の子供達、若いドーマー達だ。ハイネが珍しく自分からレインに電話をかけようかと思った時、保安課から電話が入った。

「局長、ワグナー・ドーマーから直通が入っています。」

 直通が保安課を通るのもおかしな話だが、外からドームに掛かってくる電話は全て保安課がチェックしている。保安課は話の内容ではなく、発信者の確認をしたのだ。ハイネは礼を言って、電話に出た。

「ハイネだ。」
「ワグナーです。局長、面倒な事態になりました。」

 北米南部班チーフ副官であり、第1チーム・リーダーであるクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは冷静な男だ。気は優しいが配慮を怠りなく、仲間を上手くまとめられる。レインが試験で上位の成績を納めなければ、この男が南部班のチーフになっていただろう。
 ワグナーは、ハイネに質問をさせずに本題に入った。

「チーフ・レインがラムゼイに捕まりました。今回の作戦は失敗です。」

 ハイネは黙って端末を見つめた。それから、尋ねた。

「君は今どこからかけている?」
「タンブルウィード支局の支局長室です。ハリス支局長が行方不明です。彼が我々の情報をラムゼイに流したと思われます。」
「ハリスが裏切った?」
「そうです。彼の部屋の机に、抗原注射の薬剤があります。ドームの正規薬剤ではありません。恐らく地球の外気が怖いコロニー人のハリスに、ラムゼイが密造薬剤を売りつけて、薬浸けにしたのだと思われます。ハリスはその代償にこちらの情報を流していたのでしょう。」
「では、今日の作戦も漏れていたのか?」
「作戦をハリスに打ち明けたのは今朝です。ハリスは慌てた筈です。ラムゼイに買収されていたパイロットをヘリに乗せ、それにチーフ・レインとアレクサンドル・キエフを乗せたのです。恐らく計画的ではなかったと思います。キエフが逃げて戻って来たのです。」

 ハイネは、髭面のひょろりとしたロシア人を思い浮かべた。あの衛星データ分析官が逃げて来た?

「キエフはチーフを見捨てたのか?」
「チーフが逃したのです。」

 ワグナーはキエフに聞かされたヘリの上でのレインの奮闘ぶりを語った。レインはヘリから落とされかけたキエフを救おうとして、2人で池に飛び降りて、そこから二手に別れたのだと。

「チーフは夕刻になっても連絡をして来ません。端末は破壊されていました。」

 ワグナーの報告は絶望的だった。