2018年1月31日水曜日

脱落者 5 - 6

 ケンウッドはワッツ・ドーマーとペルラ・ドーマーの顔を見比べた。ワッツは親友を傷つけた女性ドーマーを許す気配は全くなく、ペルラは困惑していた。

「まだその女の供述は取っていないのですね?」
「うん、まだ意識が戻っていない。睡眠薬を与えているからね。それに、彼女はハイネを刺した直後、ハイネの手刀を顔面に食らって鼻を折った。他人に見られたくないだろう。」
「それだと、やはり事件当時局長は正常ではなかったのですね。彼の方は女性を殴ったりしない筈です。」
「ローガン・ハイネに女は鬼門なんだよ。」

 ワッツはまだ怒っていた。ケンウッドは彼等に尋ねた。

「彼女を処罰するつもりかね?」
「当然です。」

 ワッツは即答した。

「コスビーに班長会議を開かせます。どんな結果が出ようと、執政官は口を出さないで戴きたい。」
「勿論、地球人の罪は地球人に任せるが・・・彼女の言い分を聞いてからにしてはどうかな? ハイネもまだ話が出来ない。彼がどんな考えなのか、それも聞かなければ。」

 ワッツもペルラも現役を退いて10年以上経っている。しかしその影響力はまだ無視出来ない。ドーマー達は年長者を敬えと教えられて育つ。
 ケンウッドにとっても彼等は20年以上年上だ。
 ハイネから非常時の全権を委任されているペルラ・ドーマーが穏やかにまとめた。

「局長が面会可能な状態に回復される迄、この件はお預けに致しましょう。私たちは、何が起こったのか、班長達にだけ通達します。」

 するとワッツがケンウッドをドキリとさせることを言った。

「アフリカ・ドームのテロも伝えておいた方がよろしいか?」
「それは・・・?」
「執政官が月から口止めされていることは、よく承知しております。しかし。私等ドーマーには横の繋がりもあるのですよ、長官。世界のどこかでドームに被害が出れば、必ず警告や注意が発令されます。アフリカ・ドームの遺伝子管理局から発せられた警告は、ジェレミー・セルシウスが受け取りました。ハイネが刺された時間帯です。
 アフリカ・ドーム長官ルパート・シュバルツバッハ博士と研究者3名が亡くなったのですよね?」

 ケンウッドは渋々認めた。

「ドーマーに不安を与えるなと言う本部からの指示が出ているのだよ、エイブ。」
「私等は子供ではありません。立派な爺です。事件を聞いて狼狽えたりしません。班長達は口外しませんから、どうかご安心を。」


脱落者 5 - 5

 ケンウッドの部屋は独身者用の狭いアパートだった。ローガン・ハイネの特別仕様の豪華な部屋でもなければ、歴代の長官が住んで居た広い部屋でもなく、普通の執政官のアパートだ。グレゴリー・ペルラ・ドーマーは10年前迄同性の恋人と同居していたので妻帯者用のアパートに住んだ経験があったし、エイブラハム・ワッツ・ドーマーも維持班総代表になっていた時代は、会合を開く必要性から独身でも妻帯者用アパートに入居出来た。
だからケンウッドが質素な住まいに満足しているのを見て、驚いた。

「長官はずっとこの部屋に?」
「うん。地球に降りて来てから、この部屋だけだ。」

 ケンウッドは広い部屋を必要としなかった。食事は食堂で食べるし、読書は図書館で、テレビも図書館で見られる。運動はジムやその他の運動施設でするし、入浴だってジムにシャワーもジャグジーもある。サウナだってあるのだから、アパートは寝るだけだ。
あまりにもこじんまりとした室内に、ワッツもペルラも「『黄昏の家』みたいだ」と思ったが、口に出さなかった。
 ドーマー達が3人掛けのソファに座ったので、ケンウッドは小さなキッチンの冷蔵庫から林檎ジュースの容器を出して、グラスに注いだ。キッチンも水やジュースを冷やす冷蔵庫置き場以外使い道がない。ケンウッドは基本的に料理をしない。例えしたいと思っても手に入る食材は限られていたし、道具もない。
 ソファの対面の椅子に座って、ドーマー達に保安課の監視カメラの映像の話を語って聞かせた。可能な限り主観を入れずに、見たままを話した。
 話し終えると、ワッツ・ドーマーは目を怒らせて尋ねた。

「ローガン・ハイネは女に刺されたのですね?」
「女性ドーマーに・・・」
「ドーマーだろうがコロニー人だろうが、女は女です。遺伝子管理局長が女に刺されたなど、世間に公表出来ませんよ。」
「男を刺す女は古今東西存在するよ、エイブ。」

 ペルラ・ドーマーは固い表情ながらワッツを宥めた。そして彼はケンウッドに視線を戻した。

「その薬剤師は何故局長を刺さねばならなかったのです?」
「それは当人が目覚めてから尋問するが、映像を見た限りでは、私には彼女が最初からハイネを狙った様に見えなかった。ハイネがブラコフ副長官の手当に夢中で、彼女の友人を見ようともしなかったので、彼女は腹を立てた。そこ迄はわかる。彼女の言動を見ると、彼女の友人は禁断の恋の相手に思える。」
「コロニー人に恋をしていたと?」
「恋するだけなら違反じゃない。」

とワッツ。

「だが、その男は既に亡くなっていたのでしょう?」
「ハイネは一眼でそう判断した様子だった。我々も映像で彼等研究者3名が即死状態だったと判断した。しかし、彼女はそう思いたくなかったのだろう。」
「それでハイネを刺した?」
「映像はベックマンが可視状態に処理したので、我々にはちゃんと見えたが、恐らく現場は気化した薬品のガスで見通しが悪かった筈だ。それにハイネもセシリアもマスクを外した。ハイネはブラコフの手当に自分のマスクを使った。セシリアは無意識に取ったらしい。何れにしても彼等は吸い込んだ薬品のせいで意識が朦朧としかけていたし、目もガスで痛めて正常に見えたかどうか怪しい。
 セシリアはハイネがブラコフにかかりっきりだったので、ブラコフが亡くなればカールソンを診てくれると思ったのかも知れない。」
「では、ブラコフを刺すつもりでガラスを掴んで突進したら、ハイネが副長官を庇って間に入ってしまった?」
「正常な状態だったら、局長は交わせた筈ですね?」
「うん、彼の体はもう動きが鈍くなっていたのだ。体を後ろへ反らせたので、心臓は守れたのだ。」

 ワッツとペルラが顔を見合わせた。ワッツが言った。

「理由はどうあれ、遺伝子管理局長を傷つけたドーマーは、ドームに置いておけないな。」

2018年1月30日火曜日

脱落者 5 - 4

 結局ケンウッドはワッツとペルラと共に医療区に引き返した。受付に居た夜勤のドーマーが、長官もお忙しいですね、と同情してくれたが、ケンウッドとしては友人達と一緒に居られるのであれば、何時間でも働けた。
 最初にブラコフを見舞ったワッツとペルラは、その顔面の有様に驚愕した。

「可哀相に・・・」

 ワッツが呟いた。

「私はこの若者が初めてハイネに挨拶した時のことを覚えていますよ。ガチガチに緊張して木偶の坊みたいになって居た。」
「副長官として良く尽くしてくれて居ましたね。」

とペルラ。

「治るのでしょう、長官?」
「勿論さ。時間はかかるが、必ず元どおりに直してやる。」
「アメリカ・ドームのドーマー一同が彼の一日も早い回復を祈っています。」
「有難う、ガブリエルに伝えておくよ。」

 彼等はハイネの部屋へ進んだ。ハイネは就寝中だった。壁のパネルでも脳波計が彼が睡眠状態であることを示していた。ガラス越しに眺めていたワッツが呟いた。

「相変わらず可愛い顔をして寝るのですな、ローガン・ハイネは。それにしても顔が綺麗ですね。大きな傷は胸だけのようですが、どうしてですか? 副長官はあんなに酷い傷を負っているのに・・・」

 ケンウッドは通路を見回した。警護の保安課員は、長老が2人も長官と共に現れたので、気を利かせて控え室に退がっていた。それでも夜間の医療区は静まり返っており、ヒソヒソ声でも十分聞こえそうだ。彼は提案してみた。

「私のアパートで軽く一杯やらないか? 酒が駄目ならジュースでも・・・」
「長官がドーマーに酒を勧めるのですか?」

 ワッツがワザと咎める様に言った。ケンウッドと共にハイネの酒盛りメンバーになっているペルラは苦笑するしかない。

「エイブは飲めそうに見えて下戸なんですよ、長官。」
「そうなのか?」
「だからローガン・ハイネの誘いを3回も断りました。」
「ハイネは君が飲めないのを知らないのか?」
「まさか・・・知ってて誘うのです。そう言うヤツなんですよ。」

 嫌がらせではなく、仲間外れにしたくなくて、ハイネはワッツを誘っていたのだ。しかしワッツは酒宴が苦手で誘いに応じなかった。ケンウッドの誘いは酒盛りではない。あまり周囲に知られたくない情報を分けたいから、安全な場所に行こうと言う誘いだ。
 ワッツはペルラを見た。

「他でもないケンウッド長官の誘いは断れないな、グレゴリー。」
「当然でしょう。」
「俺はコロニー人の部屋に行くのは初めてだ。」
「私は若い頃に数回・・・」

 ケンウッドは思わずペルラの顔を見た。コロニー人がドーマーを部屋に誘うのは自重せよと言うのが、地球人類復活委員会からの通達だ。これは命令系統の中で弱い立場のドーマーをコロニー人の虐待から守る為の処置だ。無理強いすれば地球人保護法に抵触するし、1対1でもあらぬ疑いをかけられかねない。ワッツが承諾したのは、ケンウッドを信頼してくれている証拠だ。だが、ペルラが若い頃にコロニー人の部屋に行ったことがあると言うのは、どう言う意味だ?
 3人は医療区を出て男性コロニー人独身者用アパートに向かって歩き出していた。

「私が遺伝子管理局の局員を辞めるきっかけになった背中の火傷が癒える頃です。」

とペルラ・ドーマーが説明した。

「『死体クローン事件』の中心人物ラムジー博士の隠れ家を実際に見たのは、私1人でしたから、内務捜査班やコロニーの連邦警察から何度も事情聴取されました。記憶していることを全て語ったつもりでしたが、もっと細部を思い出してくれと言う執政官がいたのです。」
「執政官? 警察ではなく?」
「執政官でした。もう50年前のことですから、その人は亡くなっているかも知れません。当時でもかなりのお歳でした。私はまだ体調が完全ではなくて、ジムや図書館で話をすると疲れたので、その人はご自分のアパートに私を連れて行き、そこでラムジー博士の研究設備の話を私にさせたのです。試験管の数やら薬品の容器の形状から、兎に角私が記憶していること細部迄聞きたがりました。」
「ラムジーが何を作っていたか、知りたかったのだろう。」
「ハイネ捜査官、今の局長ですが、も同じことを仰いました。」
「君はコロニー人の部屋に行ったことをハイネに伝えたのか?」
「はい、変に疑われても嫌でしたから。」
「長官、この男は遺伝子管理局の人間ですから、若い頃はよくもてたんですよ。私なんか口も利いてもらえないエリートだったんです。」
「私はそんなにツンツンしていなかったよ、エイブ。」

 ケンウッドは久しぶりに遠い昔のドームのスキャンダルを思い出した。サタジット・ラムジー、天才的なクローン製造研究者・・・・
 
 あの男が今ここに居たら、ガブリエルの新しい顔を作らせるのに・・・



2018年1月29日月曜日

脱落者 5 - 3

 出産管理区に預けている2名の女性薬剤師の診察に行くと言うので、ヤマザキとは医療区で別れた。ケンウッドが中央研究所の建物に入ると、ロビーでグレゴリー・ペルラ・ドーマーとエイブラハム・ワッツ・ドーマーに出会った。この2人のドーマーの長老は、現役を引退して体も自由が利かなくなる者が暮らす「黄昏の家」の住人だ。もっともペルラ・ドーマーはまだどこも悪い箇所はなくて、管理人として働いている。ワッツは脚が痛み出して杖が必要だが、それ以外は健康だ。彼等はローガン・ハイネ・ドーマーより10歳若いのだが、普通に歳を取って、年齢相応の容姿だ。真っ白な頭髪に皺が刻まれた顔、しかし目付きは鋭い。長年ドーマー界を引っ張って来た実力者らしい風貌だ。
 体が丈夫なので、彼等は時々「黄昏の家」から這い出して来る。「黄昏の家」に通じる地下道のドーム側の出口が中央研究所の中にあるので、この老人達がロビーをうろついても咎めるコロニー人はいなかった。
 ペルラ・ドーマーは遺伝子管理局の局長付き第1秘書だった。だから「黄昏の家」で使用する備品の調達に来る以外に彼がドームに現れる時は、局長か後輩秘書の仕事の代行だ。ワッツ・ドーマーは遺伝子管理局以外のドーマー全てを束ねるドーム維持班総代表を務めた男だ。彼がドームに現れるのは、後輩が彼の助言を必要としている時だ。しかし、それ以外の目的も、この2人にはあった。
 彼等はローガン・ハイネ・ドーマーの数少ない親友だった。

「こんばんは、長官」

とワッツが声を掛けてきた。ケンウッドは足を止め、振り返ると彼等を見て微笑んだ。

「こんばんは、ワッツ・ドーマー。お散歩かね?」
「ご冗談を・・・」

 ワッツがケンウッドに近づいてきた。ケンウッドはペルラ・ドーマーを見た。ペルラはハイネの負傷を知っている。局長代行をジェレミー・セルシウス・ドーマーに依頼されているのだから当然だ。長官から発表があるまで局長の怪我は伏せられている筈だが、ペルラはワッツに話したのだ。
 ワッツがケンウッドの正面に立った。声を潜めて尋ねた。

「ローガン・ハイネの容体は如何ですか?」
「順調に回復しているよ。」

 ケンウッドはこの件に関して真実を語れることを感謝した。

「喉の火傷のせいでまだ声を出せないのだが、筆談で話は出来る。胸の傷も大人しく寝ていれば塞がるから10日もたたぬ内に退院できそうだ、ヤマザキがそう言っている。」
「大人しく寝ていれば・・・ね・・・・」

 ワッツがクスクス笑った。ハイネが大人しく寝ている人間でないことを知っている。

「どうやって寝かしつけるおつもりですか?」

 ケンウッドもニヤリと笑った。

「大人しく寝ていないとチーズを食べられないぞ、と脅かしたのさ。」

 ハッハッハ、とワッツが笑い、ペルラも苦笑した。

「君等はハイネの見舞いに来たのかい?」
「許可いただければ・・・ガラス越しでも結構ですから、彼の顔を見たいと思いまして。」
「医療区はそろそろ消灯時刻だからなぁ・・・ちょっと待ってよ。」

 ケンウッドは端末を出して医療区の事務所へ掛けた。「黄昏の家」の住人が局長の見舞いに行くので許可してやって欲しい、と頼むと、快く承諾してくれた。
 ワッツが感謝の言葉を口に出した。ドーマー達が医療区に向かって歩き出したところで、ケンウッドはふと思いついて、ワッツの横に並んだ。

「エイブ、ドーマーの薬剤師は維持班の管轄だな?」
「遺伝子管理局と航空班以外は、全て維持班の傘下です。」
「君はセシリア・ドーマーと言う薬剤師を知っているかね?」
「セシリア?」

 女性ドーマーは珍しいので、ワッツは直ぐに思い出した。

「ああ・・・あのブルネットの・・・」
「どんな女性だろう?」
「どんな? さて・・・私は個人的には知りませんが、大人しい娘ですよ。ちょっと陰気
なところもありまして・・・彼女がどうかしましたか?」
「うん・・・例の爆発に巻き込まれて怪我をして入院している。」
「それはいけませんな・・・」

 





2018年1月28日日曜日

脱落者 5 - 2

 夕食は軽く済ませた。時刻は遅くなっており、ケンウッドはクタクタだったが、それでもヤマザキの回診に付き合う気力はまだあった。今回はスタッフ用制服を着せてもらい、消毒ミストのシャワーを浴びて集中治療室の中に入れてもらえた。
 ブラコフはまだ意識が戻らず、ヤマザキが耳元で呼びかけても反応しなかった。耳の中は無事だと言う診断結果だから、意識があれば聞こえる筈だと医師は言った。

「眠っていてくれた方が、僕は気が楽だ。その間に彼の筋組織を細胞再生で直して、皮膚まで綺麗にしてやりたい。」
「それは最短でも半年はかかる。」
「それまでに脳波翻訳機を装着出来る部分だけでも直してやれるさ。」

 ヤマザキはまだ聞こえていないブラコフの耳に囁いた。

「絶対に直してやるからな。」

 ケンウッドはブラコフの代わりに黙って頷いた。
 壁のバイタルチェック表示は、ブラコフの心臓が正常に動いていることを表していた。脈拍も弱々しいが規則正しい。体温はちょっと低い。脳波は眠っている状態を示していた。
 ケンウッドは愛弟子の手を握った。

「負けるな、ガブリエル。」

 ただの条件反射だろうか、ブラコフの手が僅かだが握り返してきたので、彼はちょっぴり嬉しかった。
 次にローガン・ハイネ・ドーマーの部屋に行くと、呆れたことに患者はタブレットを手にして看護師と筆談中だった。ヤマザキが「ヤァ」と声を掛けると、看護師が振り返り、ホッとした表情で「お帰りなさい」と言った。

「患者が無理難題を言ってきたのかい?」
「ええ・・・明日の食堂の献立を教えろとしつこくて・・・」
「チーズが使われていないかチェックするつもりだな?」

 看護師を帰して、ヤマザキは壁のパネルを見てバイタルチェックを確認した。その間にケンウッドはハイネの枕元に近づいた。「ヤァ」と彼は挨拶した。そしてハイネがタブレットに何か書き込む前に言った。

「実験室の監視映像を見た。ガブリエルを救おうと努力してくれたのだね。有難う。それに女性2人も助けてくれた。感謝する。」

 マーガレット・エヴァンズが倒れた衝撃で後頭部を強打してしまったことは言わないでおくつもりだった。彼女の手術は成功し、後遺症さえ出なければ半月で退院出来る筈だ。
 ハイネは複雑な表情をした。あの修羅場での短い時間に恐ろしい体験をしたのだ。コロニー人から大切に育てられ、外の世界の「汚れ」から遠ざけられて生きてきた男が、90歳になってから生命の危機に晒された。しかも娘の様に大事に思ってきた身内の女性ドーマーに刺されたのだ。
 ハイネの指が素早く文章を打ち込んだ。

ーー触媒が違っていた。

 ケンウッドは頷いた。

「うん。監視映像で見た。今、地球周回軌道防衛軍の憲兵が来て、保安課と内務捜査班と共に薬剤管理室を捜査している。何かわかれば報告するから、君は治療に専念してくれないか。」

 ハイネがまた文章を作った。

ーーケンタロウが仕事をさせてくれない。

「局長業務はグレゴリーとジェレミーが代行してくれている。だから安心して寝ていなさい。」
「誰だ、患者にこんな物を与えたのは?」

 ヤマザキがカルテを更新させ終えて、ハイネの手からタブレットを取り上げた。

「大人しく休んでいなさい、局長。さもないと、明後日のキャベツと山芋のふわトロチーズ焼きに間に合わなくなるぞ。」

脱落者 5 - 1

 ケンウッドとヤマザキは長官執務室に入った。2人の秘書は物問いた気に彼等を見たが、まだ何も教えてやれなかった。もっともロッシーニはフォーリーから報告を受ける筈だ。ケンウッドは秘書達に帰って良いよと伝えた。ヴァンサン・ヴェルティエンは素直に帰ったが、ロッシーニはまだ片付けをする振りをして残った。それでケンウッドは仕方なく彼に少しだけ情報を与えた。

「ハイネの怪我は暗殺未遂ではなく、爆発で友人を失ったセシリア・ドーマーが錯乱して彼を刺したとわかった。」
「局長を故意に狙ったのではないのですね?」
「うん。彼女が意識を取り戻して事情聴取を受けられる迄、待たねばならないがね。」
「彼女はどうなります?」
「傷を見て、一般病棟に移せる状態なら、暫く観察棟に隔離する。」

 ドームに牢獄はない。ドーマーが罪を犯せば観察棟に幽閉するのみだ。ロッシーニは頷いた。そしてようやく「お先に失礼します」と部屋から出て行った。
 やれやれ、とヤマザキが来客用の席に腰を下ろした。既に夕食時間だが、まだ2人共食欲が湧かなかった。ケンウッドは先刻見たことを記録しようと思ったが、手が動かなかった。くたびれて、頭がよく働かない。彼がぼんやりコンピュータの画面を見ているだけなので、ヤマザキが話しかけた。

「長官が記録を録る必要があるのかい?」
「起きたことは記録しておかないと・・・」
「それならベックマンや薬剤管理室から来る報告書を保存しておけば良いさ。医療区からも報告書を送る。」

 それでもぼーっとしている友人に、医者が言った。

「偶には手抜きしろよ、ケンさん。君が倒れたらハイネが哀しむ。」
「どうしてハイネが?」

 ヤマザキは黙っているつもりだった事実を告げた。

「手術中、ハイネは譫言を呟いていたそうだ。」
「何て?」
「ガブリエルを守れなかったと君に謝っていたらしいよ。」

 ズキンとケンウッドの胸が痛んだ。ローガン・ハイネは長官が副長官を可愛がっていることを知ってる。だからあの悲惨な爆発の直後、必死で副長官を救おうとした。爆発の瞬間に女性を庇ってしまい、ブラコフを助けられなかったことを後悔していると言うのか?

「ハイネの行動は正しかった。もしガブリエルを庇ったりしたら、男2人共に重傷を負っていたし、女性達も無残な姿になっていた筈だ。あの立ち位置では、ガブリエルを救うことは間に合わなかった。ハイネが謝る必要はない。」
「それは彼にケンさんから直接言っておやり。晩飯の後で診察に行くから。」


脱落者 4 - 9

「セシリア・ドーマーとリック・カールソンは恋愛関係にあったのか?」

 とヤマザキが尋ねた。一同は薬剤管理室長を見た。室長は困惑していた。

「コロニー人とドーマーの恋愛は禁じられています。」
「しかしドーマーが被害者だと言う訳ではない。寧ろ彼女はカールソンに愛情を抱いていた様子だぞ。薬剤管理室ではそれを知っていた人はいないのか?」
「セシリアはカールソン研究員の立場を考えて慎重に振舞っていたのでしょう。」

 フォーリーがタブレットに記号の列を書き込み、最後の列を送信してから顔を上げた。

「局長の怪我は、錯乱した女性の仕業だと考えてよろしいか?」
「暗殺ではなさそうですな。」

とベックマンが呟いた。

「局長はセシリアがブラコフに向かって行ったので、間に入って刺されたのだ。普段の彼なら防げただろうが、あの状況では彼も彼女も判断力が落ちていた。動きも鈍ったのだ。」
「すると・・・」

とドナヒュー軍曹が彼女の端末を仕舞いながら言った。

「軍が調査するのは、製薬会社ですね。薬剤がどこですり替わっていたか、調べなければなりません。」
「こちらの人間は関与していないと判断なさるのですか?」

 ケンウッドの質問に彼女は直ぐには答えなかった。

「ローガン・ハイネの怪我の件はこれで解明されたと思います。しかし、薬剤の件は・・・」

 彼女は室長を見た。

「薬剤管理室を暫く業務停止に出来ますか?」

 ケンウッドはびっくりした、室長は真っ赤になった。ケンウッドが抗議した。

「ドームは研究の場です。研究を休止する訳に行かない。薬剤は必要です。」

 軍曹は溜息をついた。彼女はちょっと考え、提案した。

「では、私はこれから大至急月へ戻ります。あちらで上官と話をして来ますから、私が戻る迄薬剤管理室を使用しない範囲で研究なさってくれますか?」

 ヤマザキが「強引だな」と呟いた。医療区も薬剤管理室が必要だ。出産管理区だって妊産婦に異常があれば医療処置を行う。ストックしてある薬剤が足りなければ中央研究所にオーダーが来る。
 するとフォーリー・ドーマーがケンウッドに言った。

「長官、維持班の薬草管理班に連絡を入れておきます。短期間の医薬品なら都合がつく筈です。」

 ヤマザキが頷いた。ドーム維持班は漢方薬を製造している。医療区は時々その恩恵に預かっているのだ。
 ケンウッドはヤマザキの目での合図で、憲兵に妥協することにした。

「わかりました。では、早く行って、早く戻って来てください。」



脱落者 4 - 8

 爆発シーンの映像は3名の犠牲者から始まった。流石に、強烈な酸を浴び破裂したガラスの欠けらに頸動脈を切り裂かれた人間を見るのは耐えられなかった。多くの手術を手がけて来たヤマザキも、恐らく何度も凄惨な事件現場を見て来たであろうドナヒュー軍曹も目を細め、あるいは視点をずらしてしまった。彼等は何が起きるのかわからなかったのだ。薬品が間違っていた。誰かが細工したのか、それとも製薬会社がミスを冒したのか、それはまだ不明だ。しかし、3名の研究者には爆発は待ったく予想外の出来事だった。
一瞬で亡くなってしまったことが、ケンウッド達にとっては慰めだった。苦しむことも、痛みを感じる暇もなかった。
 室内は薬品から立ち上った蒸気または煙で一瞬白く烟ったが、ベックマンの処理で可視状態に戻った。
 薬剤の飛散は実験台から半径1mばかりの範囲だった。その範囲内に居たガブリエル・ブラコフは薬品を顔面に浴びた。彼は仰向けに倒れた。倒れてもまだ意識は数秒間あった。悲鳴を上げ、両手で顔を庇おうとした。
 ハイネ局長は彼の1歩斜め後ろに居た。薬剤の色の異変に一番早く気づいた彼は「伏せろ!」と叫びながら身体を反転させ、女性2人を抱える様にして床に身を投げた。ゴトっと嫌な音が響いたが、エヴァンズの後頭部が床に激突したのだろう。ハイネはそれに気がつかなかった。爆発の衝撃が一度きりで第二波が来ないと悟ると直ぐに頭を上げ、ブラコフを振り返った。ブラコフが悲鳴を上げてのたうち回っているところだった。
 ハイネは立ち上がると、ハン博士達の方を見て、既に手遅れと判断した様だ。薬品棚に飛びつき、扉を引き剥がす様に乱暴に開き、中の物を掴み、次々と床に捨てた。

「何をしているんです?」

 ドナヒューが思わず呟くと、ヤマザキが答えた。

「薬を探しているんですよ。」
「薬?」

 ハイネが何かを掴み取り、ブラコフのそばに行った。その時、セシリア・ドーマーが起き上がった。彼女はぼーっとして床に座り込んだまま、周囲を見回した。
 警報が鳴り出した。部屋の外で鳴っているのだ。恐らくこの段階でコンピュータがフロアを閉鎖して有害な空気が流れ出るのを塞いだはずだ。実験室の出入り口も封鎖された。
 ハイネがブラコフの脇に屈み込み、ブラコフに「しっかり!」と声を掛けた。ブラコフの動きは弱まっていた。ハイネは彼の溶けかけたマスクを剥がした。血が流れ、肉がマスクに付着して、顔の怪我が広がった様に見えたが、ハイネは御構い無しに手に取った容器から液体をブラコフの顔に振りかけた。薬剤管理室長が「ああ」と納得の呟き声を出した。

「ハイネは中和剤を掛けたんだ。だから副長官は骨まではやられずに済んだ・・・」

 ハイネがブラコフを救おうと努力している間に、セシリア・ドーマーは立ち上がり、ふらつきながら実験台の反対側に倒れている3人の研究者に近づいて言った。

「リック?」

と彼女はリック・カールソンの名を呼んだ。そして顔面を滅茶苦茶に破壊された3人の男を発見した。「リック!」と彼女は悲鳴に近い声で叫んだ。
 ハイネはまだブラコフに掛り切りだった。自分のマスクを取り、ブラコフの顎にマスクを当てて喉を上げ、気道の確保を心がける彼に、セシリア・ドーマーが何かを叫んだ。金切り声はケンウッドの耳には聞き取れなかった。ハイネは彼女を無視した。彼の耳にはその場では無意味な言葉に聞こえたのだろう。彼はマスクを薄く剥がしてブラコフの爛れた口に当て、人工呼吸を試みていた。ベックマンはこの場面をそのまま流した。
 セシリア・ドーマーが、ガラスの破片を掴んでハイネの方へ歩き始めた。やっと彼女の声がケンウッドに言葉として届いて来た。
ーーこっちへ来てよ、リックを助けて! その人はほっといて、リックを助けて頂戴!
 ハイネがやっと振り返り、彼女を見た。そっとブラコフから手を離し、彼は立ち上がった。
ーーリックはもう手遅れだ、セシリア・ドーマー。
 ハイネがかすれ声で言った。喉を薬品で痛めた声だ。セシリアの心には彼の言葉が届かなかった。
ーーリックを助けて! さもないと・・・
 彼女はガラス片をまるでナイフか何か武器の様に掴むとブラコフに向かって行った。ハイネが立ち塞がったのに、そのまま突進して行った。
 ケンウッドは思わず腰を浮かせてしまった。セシリア・ドーマーの身体がぶつかった瞬間、ハイネはわずかばかり体を退いた。その動きが彼の心臓を守った。刺されたと同時にハイネは反射的に彼女の顔面に手刀を食らわせた。セシリアの体が背後へ吹っ飛んだ。彼女が床に叩きつけられ、ハイネは胸に刺さったガラス片を見た。薬品による呼吸器の火傷が彼を咳き込ませ、刺された傷と共に彼に激しい苦痛を与えた。彼は床に膝をつき、胸のガラス片に圧力を掛けぬよう、体を仰向けに横たわった。そして目を閉じた。

脱落者 4 - 7

 小会議室に戻ると、爆発の瞬間の実験室内の人々の表情確認が終了したところだった。ケンウッドはセシリア・ドーマーの目が誰かに向けられて、それからハイネの腕が彼女の顔をカメラから隠すのを見た。
 ドナヒュー軍曹が呟いた。

「誰を見たの?」

 彼女は空中映像のセシリア・ドーマーに問いかけたのだ。ビル・フォーリー・ドーマーが軍曹に初めて目を向けた。フォーリーが彼女を見ながらベックマンに言った。

「保安課長、セシリア・ドーマーの目を拡大出来ますかな?」

 遺伝子管理局内務捜査班は滅多に人前に出てこない。班員はほぼスパイ活動に近いので、身分を明かさずに維持班に混ざって仕事をしている。コロニー人が不正を行わないか見張っているのだ。ボスのロッシーニ・ドーマーさえ潜入任務に就いているので、ベックマンはフォーリー以外の内務捜査班の人間を見たことがない。そのフォーリーは普段遺伝子管理局本部に籠って内勤業務をしているので、コロニー人は彼と滅多に口を利いたことがないのだった。ベックマンは、初めてフォーリーの声を聞いた様な気がした。
 ドナヒュー軍曹がフォーリーに有難うと言った。

「ええっと、貴方は・・・」
「ビル・フォーリーです。遺伝子管理局で働いている地球人です。」

 フォーリーはドーマーとは言わなかった。別にこだわった訳ではない。ドナヒューがドームの外から来たコロニー人なので、そう自己紹介しただけだ。
 地球周回軌道防衛隊が遺伝子管理局に関する知識をどの程度持っているのか不明だったが、ドナヒューはそれ以上質問をしなかった。今は爆発事件を捜査中で、ハンサムな地球人男性を調べる時ではない。
 ケンウッドとヤマザキはベックマンが機械を操作している隙に席に着いた。ドナヒュー軍曹がケンウッドに囁いた。

「ご気分は?」
「お恥ずかしい・・・なんとか落ち着きました。」
「ですが、これからが一番酷いシーンですよ。」
「わかっています。」

 弟子と同僚の最後の顔を見るのが辛かったのだ、とは言わなかった。ケンウッドは姿勢を正して、爆発シーンの検証に心を備えた。



脱落者 4 - 6

 お手洗いの洗面台の前で、ケンウッドは泣いてしまった。一瞬のうちに奪われてしまった3名の命と輝かしい未来に待ったをかけられてしまった愛弟子に涙が出てどうしようもなかった。自分があの場にいても救えなかった。いや、自分が出張しなければ、自分があの場所に居たはずだ。ブラコフはそれでも立ち会っただろうか? 自分はハイネを誘っただろうか? ハイネは2名の女性達を連れて行っただろうか?色々な思考が頭の中でグルグルと回っていた。
 ヤマザキはそばに立ってケンウッドが落ち着くのを辛抱強く待っていた。彼は、ニコラス・ケンウッドが常に冷静な科学者だと言う評判とは裏腹に身近な人々にはとても熱くなれる感受性豊かな男だと知っていた。だから心配だった。ガブリエル・ブラコフの負傷にケンウッドが必要のない責任を感じたりしないかと。

「ケンさん、言っておくけど、ガブリエルは君の身代わりになったんじゃない。それは絶対に間違いない。」
「ああ・・・」
「それから2名の薬剤師はハイネが誘ったからあそこに行ったとも思えない。セシリア・ドーマーは薬品を届けた。そのままそこに残っていた。彼女は最初からあの実験を見るつもりだったのじゃないか? 」
「そう・・・だったのかな・・・」
「エヴァンズもハイネが誘ったから実験を見に行ったのだろうか? そうだとしたら、何故ハイネは彼女を誘ったんだ? 他にも薬剤師はいるし、女性も彼女だけじゃない。」
「そうだね・・・」
「確かなのは、ガブリエルがハイネを誘ったと言うことだけだ。これはジェレミー・セルシウス・ドーマーが証言している。前日の夕食時に、ガブリエルがハイネのテーブルに来て、薬品に詳しいハイネに実験立会いのサポートを頼んだのだそうだ。ガブだって科学者の端くれだから薬品のことぐらい知っている。ジェレミーは、彼がただハイネと一緒に仕事をしたかったのだろうと言っていた。」

 ブラコフは熱烈なローガン・ハイネのファンだ。白い髪のドーマーに会いたくてアメリカ・ドーム勤務を希望して地球にやって来た。初めてハイネと面会した時は、真っ赤になって舞い上がって動けなかったのだ。そんな彼にハイネは優しく接してくれた。曽孫ほども若いブラコフを決して軽んじることなく、ケンウッド博士の一番弟子として敬意を払ってくれていた。ただハイネのそばには大概師匠が一緒に居たので、ブラコフは2人きりで仕事をする機会が少ないと冗談混じりでぼやいていたのだ。ケンウッドの出張は彼にはチャンスだったはずだ。
 ケンウッドは深呼吸して落ち着きを取り戻してきた。冷たい水を顔にかけ、ハンカチで拭いた。

「取り乱して申し訳なかった。」
「僕の前だから許せる。女性とドーマーの前で泣かないでくれよ。」

 ケンウッドはもう一度深呼吸して、ヤマザキを振り返った。

「もう大丈夫だ。小会議室に戻ろう。」


脱落者 4 - 5

 主薬の中に落とされた1滴の触媒の色が緑色から黄色に変化した途端、ローガン・ハイネ局長が叫んだ。「伏せろ!」と。

「停めて!」

とドナヒュー。

「その場面の全員の表情を見せて下さい。」

 ベックマンは面倒くさがらずに機械を捜査して、実験室の人々の表情を出した。まず、変化に気づいて警告を出したハイネ局長は、穏やかな表情を瞬時に硬化させた。色の変化で危険を察知したのだ。青みがかった薄い灰色の目が大きく見開かれた。正真正銘、驚いていた。

「彼は薬剤に詳しいのですか?」
「彼は元薬剤師ですよ、軍曹。」

 黙り込んでしまっている薬剤室長の代わりにケンウッドは答えた。あの瞬間の親友の胸の内を想像した。想像を絶する恐怖を彼は感じたのだろうか? それとも室内の人々を救おうと思ったか? 本能的に危険を察して叫んだだけか?何れにしても、ケンウッドは心の中で呟いていた。

 怖かっただろう? ハイネ・・・

 ガブリエル・ブラコフは何の表情もなかった。爆発に巻き込まれる瞬間迄何も疑っていない。可哀相に、とケンウッドはまた切なくなった。無邪気な若者の笑顔をまた見られる日が来るだろうか?
 ハン博士は変化の異常に気が付いた。両目を見開いた。アッとマスクの下で叫んだはずだ。それが彼の人生の最後の反応だった。ケンウッドは辛くなってきた。残りの2名の映像を見る勇気が潰えた。

「申し訳ない、ちょっと外に出ている。」

 自身ではしっかり立ち上がったつもりだったが、よろめいてしまった。ヤマザキ医師も立ち上がった。

「落ち着いたら戻るから、進めて下さい。」

 医師はそうベックマンに告げ、ケンウッドの肩を支えてドアに向かった。

脱落者 4 - 4

 ベックマンが薬剤師の叫び声に驚いて一時停止ボタンを押した。ケンウッドもドナヒューも薬剤室長も、その他室内に居た人々全員が声を上げた薬剤師を振り向いた。薬剤師は青ざめていた。そして直属の上司である室長に言った。

「触媒を入れる順番が逆ですよ。A剤を入れて緩やかに主薬を中和させ、それからB剤を入れて酸化させなければなりません。それなのに、ハン博士はB剤を先に入れてしまった!」
「B剤で主薬が一気に酸化、気化してフラスコが爆発したのか?!」

 ベックマンが映像を数秒だけ前に戻した。触媒容器のラベルが見えるところだ。ハン博士がスポイトを入れた容器にはA剤のラベルが貼られていた。博士は何の疑いもなく容器の中の液体を吸い取ったのだ。
 ケンウッドは呟いた。

「薬剤容器の中身が反対になっていたのか?」
「あれはどの段階で容器に詰められたのです?」

とドナヒュー軍曹が薬剤室スタッフに向かって尋ねた。スタッフ一同が互いの顔を見合った。室長が代表で答えた。

「それはキルシュナー製薬から送られてきたままだったはずだ。我々が調合する必要はなかったから、容器を移したりしない。」
「蓋を開けて空気に触れたら直ぐに変化してしまいますから、実験本番の時にしか開けない薬剤です。」
「長官、すみませんがスタッフを薬剤管理室に行かせて下さい。残った薬を確認しなければなりません。」

 室長がケンウッドに許可を求めた。ケンウッドはベックマンを見た。ベックマンが頷いた。

「保安課員を付けます。よろしいですな?」
「うちのスタッフを疑っているのですかな?」
「そうではなくて・・・」

 軍曹が執政官同士の内輪揉めが始まりそうな気配を感じて咳払いしたので、ベックマンと室長は口を閉じた。ケンウッドが軍曹の代わりに室長を宥めた。

「通常の捜査手順だ。保安課員が嫌なら、内務捜査班にお願いするまでだ。」

 ビル・フォーリーがチラリと長官を見たが何もコメントしなかった。内務捜査班はコロニー人には有難くない存在だ。事件そのものの他にちょっとした執政官の粗探しまでされそうな気がして、室長は保安課員の監視を容認することに決めた。
 ベックマンが呼んだ保安課員が到着すると、薬剤管理室スタッフは、室長を小会議場に残して出て行った。
 この10分ばかりの中断の後、ベックマンは次の段階に映像を進めた。



脱落者 4 - 3

 映像再生が始まった。

 ブラコフは実験台のすぐそばに立った。ハイネは彼より1歩後ろ、斜め横に立ち、その隣にエヴァンズ、セシリアの順に女性薬剤師が立った。台の反対側に3人の研究者が並んで居る。真ん中のハン・ジュアン博士が主成分の薬品が入ったフラスコを手に持った。記録用カメラに向かい、薬品の名前、成分、これから加える触媒の名前、成分、調合した後の薬品の期待される効果を語った。
 そしてフラスコを台に置き、触媒の一つをスポイトで吸い上げた。

 ドナヒュー軍曹が声を掛けた。

「すみません、各自の表情を見たいので拡大していただけません?」

 ベックマンは無言で彼女の希望に従った。
 立体映像の上に、実験室内にいた7名の顔がそれぞれ映し出された。全員マスクを装着しているので表情は目だけで判断するしかない。ハン博士と2名の助手は真剣だ。彼等は3人共にスポイトとフラスコを見つめている。ブラコフは目の前で使用されている薬剤の変化に詳しくないのだろう、やはりフラスコを見ているが、ハン博士の様な鋭さは彼の視線になかった。だが彼も研究者だ。いい加減な気持ちで見ているのではない。その点ではハイネも同じで、薬剤師からは引退しているのでただ興味があって見ている。本当にその薬剤が羊水分析に大きな効果を出してくれるのかと、それだけが彼の関心を引いていた。女性2人は微妙に違った。セシリア・ドーマーは食い入る様な真剣な眼差しでハン博士の手元を見つめていた。何かが起きる瞬間を見逃すまいとしているかの様だ。マーガレット・エヴァンズは視線を動かして台の反対側の人々を見ている。薬品には興味がないのだろうか。
 ドナヒューがまた頼んだ。

「女性2人をもう一度見せて下さい。」

 彼女は2人の薬剤師を交互に見比べ、何か考え込み、そして映像を元に戻して続きを見せて下さい、と言った。ベックマンは他の人の意見を求めるように見回したが、誰も異存がない様子だったので、ドナヒューに頷いて見せ、再生ボタンを押した。
 ハン博士がスポイトの中の薬品をフラスコに1滴落とした。透明な主薬剤の中に緑色の触媒がゆっくりと落ち込み、緑色が広がりながら黄色に・・・。
 薬剤師の1人が叫んだ。

「そんな馬鹿な!」


2018年1月27日土曜日

脱落者 4 - 2

 ドナヒュー軍曹が片手を挙げてベックマン保安課長の注意を引いた。ベックマンが映像を一時停止させた。

「何でしょうか、軍曹?」
「実験室の3名の研究者は、女性薬剤師が持ってきた薬剤の中身を確認せずに、ラベルだけ見て使ったと言うことですね?」

 すると薬剤室長が答えた。

「触媒2種は製薬会社から送られてきた物を未開封のままハン博士の部屋へ運んだのです。」
「製薬会社?」
「木星第1コロニーのキルシュナー製薬です。」
「ああ・・・あの大手の・・・すると今回の実験で使用された薬剤は、このドーム内で調合されたのではないのですね?」
「薬剤は37種の混合薬剤です。中には混ぜてから反応を起こす迄時間がかかる組み合わせもあります。ハン博士はご自分で試薬を作られた時にその待ち時間に懲りて、量産の可能性を探る目的でキルシュナー製薬に合成を発注したのです。もし実験に成功していたら、キルシュナー製薬が製造と販売権を得ることが出来たでしょう。」
「ハン博士がご自分で開発した薬剤製造をキルシュナー製薬に任せるつもりだったと?」
「成功していれば、の話です。」

 ドナヒュー軍曹はちょっと考え込み、「有難う」と言ってこの質問を打ち切った。
 ベックマンが映像再生を再開した。10数分ばかりの長さを早送りして、やがてマーガレット・エヴァンズとローガン・ハイネ遺伝子管理局長が入室した。コロニー人の研究者達が局長の立会いにテンションを上げるのがわかった。地球人復活の研究を、地球人の代表が直々に見学してくれるのだ。失敗は許されないぞ、と言う心意気が感じられ、ケンウッドは切なさを覚えた。3名の若い研究者達はもう研究を続けられないのだ。
 3分遅れてガブリエル・ブラコフが入室した。いつもの様に溌剌とした動きでハン博士や助手達と握手を交わし、笑顔で実験の成果を期待する旨を語った。すっかり副長官と言う立場が板についている。彼の様に30代前半でドーム幹部になるのは異例の出世だ。ケンウッドの身びいきと陰口を叩く者もいたが、ブラコフは一向に気にしなかった。行動と結果が良ければ認めてもらえる、と楽観的に受け止めたのだ。あのまま無事に全てが進行すれば、博士としてもドーム行政の長としても活躍して行けたのに・・・。
 ベックマンが映像を止めた。

「これから爆発事故の映像になります。かなりショッキングな内容です。もし気分が悪くなったら私の右隣のドアから外へ出て下さい。正面にお手洗いがあります。」


脱落者 4 - 1

 3名の事故犠牲者の遺体が宇宙へ送られ、ケンウッドは事故当時の監視カメラの映像を見る為に小会議室へと急いだ。ヤマザキの他、副長官秘書、薬剤室スタッフ一同、生化学研究者達、保安課員、そして遺伝子管理局内務捜査班の副官ビル・フォーリー・ドーマーも議場に集まった。小会議室は執政官幹部のみの会議を開く場所で、滅多にドーマーを入れないのだが、フォーリー・ドーマーは勝手知ったかの如く一番映像を見易い場所に陣取った。
 ケンウッドはビル・フォーリーの右隣に席を取った。ドーマーを挟んでヤマザキが反対側に座り、ケンウッドの右にドナヒュー軍曹、後ろの円形の列に残りの人々が座ったが、席は途中で自由に移動出来る。他人の邪魔さえしなければ立ち見でも良いのだ。
 アーノルド・ベックマンが議長席に着いた。普段はケンウッドかブラコフが居る席だ。保安課長は予定した人々がほぼ全員集まったので、映像公開開始を宣言した。
 実験室の監視カメラは通常1部屋4台設置されている。入り口の上とその対面の天井付近、左右の壁だ。そして実験そのものを撮影するコンピュータカメラが机上に2台。ベックマンはそれらの映像記録を編集して立体画像に出した。
 部屋の輪郭が現れた。壁は立体映像では消されているが、誰かが何かを見たいと言えば、ベックマンがピンポイントで宙に新たな映像を出してくれる。
 実験室ではハン・ジュアン博士が2人の研究員と共に研究試薬の最終チェックを行なっていた。試薬は8割がた出来ており、残りの薬剤と触媒を実験開始直前に混ぜると言うものだった。そこへセシリア・ドーマーが薬瓶を2本持って現れた。注文していた最後の触媒2種らしいことが彼等の会話でわかった。彼女が薬瓶をリック・カールソン研究員に手渡した。カールソンが薬瓶のラベルを見て確認した。そして彼女とちょっと軽い冗談を言い合った。ハン博士ともう1人のチャーリー・ドゥーカス研究員も時々言葉を掛けて、彼等はすっかりリラックスした様子だった。手にした薬剤が危険なものであると言う心配は全くない様子だ。
 議場の薬剤師の1人が薬剤管理室室長に囁いた。

「あの触媒は事前に提出されていた注文書に記載されていたものに違いありません。」

 室長もリストを端末の画面に出して、映像と比較していた。
 ケンウッドは隣のフォーリーが小まめに手を動かしているのが気になった。そっと見ると膝の上に置いたパッドに記号を入力しては送信するのを繰り返していた。何の記号だろうと思ったが、すぐに内務捜査班のみに通じる「文字」なのだと気が付いた。普通のアルファベットを入力するより早く文章が作られるし、他の部署やコロニー人に見られても意味不明の記号の羅列にしか見えない。だから内務捜査班が潜入捜査していても、コロニー人は気がつかないのだ。だが彼等の間ではちゃんと通じている。恐らくと言うより、必然的に元内務捜査班だったハイネ局長も読めるし書けるはずだ。
 フォーリーは映像の内容を本部に記録しているのだ。録音はしないのだ。観客の会話が入ってしまうからだろう。後でコピーを貰えば良いのにとも思ったが、その場その場で気が付いたことを書いているのだろう。
 やがてセシリア・ドーマーがハン博士の許可をもらって電話を掛けた。相手は同僚のマーガレット・エヴァンズだった。実験の準備が整ったと彼女はエヴァンズに告げた。
 


2018年1月25日木曜日

脱落者 3 - 7

「ところで長官・・・」

 ヴェルティエンがちょっと躊躇いながら話しかけてきた。

「昨日の爆発事故をドーマーに口外してはならぬと言うお達しでしたが、どうも研究助手のドーマーから情報が漏れた様で・・・」
「え?」

 ケンウッドは反射的にロッシーニを見た。ロッシーニが首を振った。私じゃないですよ・・・。

「何人かのドーマーから問い合わせが来ています。誰が亡くなったのか、怪我人はどんな状態なのか・・・」
「何と答えた?」
「その原稿をさっき作成したところでした。」

 ヴェルティエンがケンウッドのコンピュータに原稿を送って来た。開くと、それは短いメッセージだった。

ーー昨日、中央研究所の生化学フロアで薬品の爆発事故があり、ハン・ジュアン博士、リック・カールソン研究員、チャーリー・ドゥーカス研究員の3名が亡くなった。また10数名の重軽傷者が出た。アメリカ・ドームは亡くなった3名の研究者に深い哀悼の意を示すと共に、地球人類復活に生命を捧げてくれた彼等に感謝し、本日午後3時遺体を宇宙に帰す。ドーマーの見送りは禁じないが送迎フロアのみに場所を限定する。見送れない人も彼等の冥福を祈ってくれるようお願いする。また、負傷した人々の一日も早い回復を祈る。

 どこにもテロや犯罪を連想させる言葉は書かれていなかった。実際、まだ事故の真相はわかっていないのだ。
 ケンウッドはヴェルティエンに頷いて見せ、自らの署名を入れた。ヴェルティエンはそれをドーマー達の端末に一斉送信した。
 カレン・ドナヒュー軍曹は大人しく座っていた。もっとも何もしていないのではなく、彼女自身の端末に報告書を入れていた。恐らく負傷者の容体とドーム内部の様子を書いているのだろう。


脱落者 3 - 6

 ヤマザキは午後3時に犠牲者3名の遺体を月へ送り、その後保安課が中央研究所の議場で事故現場の爆発当時の監視映像を公開する予定だと言った。ベックマンがノイズや画面の不鮮明な箇所を処理して可視度数を高めた映像だ。見学予定者はヤマザキの他、2名の長官秘書、副長官秘書、薬剤室スタッフ一同、生化学研究者達、保安課員、そして遺伝子管理局内務捜査班だ。

「私もよろしいですか?」

 ドナヒュー軍曹が声を掛けた。ケンウッド長官は許可した。ひょっとすると軍曹は映像のコピーを欲しがるかも知れないと思ったが、敢えてそれはこの場で言及しなかった。
 昼食後、ヤマザキは軽い休憩を取る為にアパートに戻り、ケンウッドは軍曹を連れて長官執務室に向かった。生化学フロアは規制線が張られ立ち入り禁止になっていた。ハン・ジュアン博士の研究室にも入れない。
 長官執務室では、ヴァンサン・ヴェルティエンとジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーが忙しく働いていた。ケンウッドがゲイトから帰還を告げる連絡を入れておいたので、溜まった仕事を大慌てで片付けているのだ。昨日の爆発騒で業務に遅延が出ているとヴェルティエンが言い訳した。ロッシーニは無言で長官の顔を見た。ケンウッドが途中で医療区に立ち寄ったことは知っていたから、ハイネ局長の容体を目で尋ねた。局長はロッシーニの本当のボスだ。内務捜査班のチーフと言う本業を隠しているロッシーニは、表立ってボスの安否を尋ねない。しかし彼の正体を知っているケンウッドにはわかる態度で質問を寄越してきた。
 ケンウッドはドナヒュー軍曹を秘書達に紹介して、来客用の椅子を勧め、自身は執務机の向こうに座った。そしてガブリエル・ブラコフ副長官とローガン・ハイネ遺伝子管理局長の様子を秘書達に語って聞かせた。ハイネが意識を取り戻したことを知って、ロッシーニが安堵したことが感じられた。ボスが大丈夫だとわかると、ドーマーの秘書は副長官に同情した。

「まだ若いのにお気の毒です。」
「若いから治りは早いでしょう。」

とヴェルティエンは楽観的に言った。勿論彼は決してお気楽にコメントしたのではない。楽観的に振る舞わないと、辛い思いをしている怪我人を励ませないと言う彼流の考えだった。彼は客人の為にお茶の用意を始めた。

「長官、夕方事故当時の監視映像を見に行かれますよね?」
「勿論見る。」
「私は見に行くように保安課長から声を掛けられましたが、長官がご覧になるのでしたら遠慮させてもらってよろしいですか? どうも人が災難に遭う場面を見るのは苦手で・・・」

 そう言えば、この秘書はテレビでも戦争映画や事故のシーンなど、人間が傷つくシーンが入っているものを見るのが苦手なのだ。血を見るのは平気だが、人が苦しむ様子を見ると落ち着かなくなる。芝居とわかっていても駄目だと言っていた。だから誕生の場であるドームでの勤務を希望したのだ、亡くなる場所で働くのは嫌だったから、と彼は言ったことがあった。
 するとロッシーニも、

「長官が戻られたので、我々秘書が映像を見る必要はないと思います。」

と言い出した。

「そこに捜査のプロが来られていますし、内務捜査班と保安課が見るのでしょう? 我々は素人ですから・・・。」

 捜査のプロが平然とそんなことを言うので、ケンウッドは内心可笑しく思いながら、

「では2人で電話番をしていてくれ。医療区から何か連絡があると困るから。」

と言いつけた。

2018年1月24日水曜日

脱落者 3 - 5

 ヤマザキは昼食が未だだったことを思い出した。それでケンウッドを誘うと、長官は月を出る前にコーヒーを飲んだから要らないと言った。

「ケンさん、それは昼飯と言わない。」

 ヤマザキはケンウッドを中央研究所の食堂へ引っ張って行った。成り行き上、ドナヒュー軍曹も一緒になった。食堂のシステムを軍曹は直ぐに理解して、独力で料理を配膳コーナーで取り、清算カウンターにビジターパスを提示して支払いを済ませた。テーブルに着くと、彼女は感想を述べた。

「ドーマーもお金を払うのですね。地球人類復活委員会が養っているのだとばかり思っていました。」
「彼等はちゃんと働いて稼いでいるんです。委員会が雇用者になるだけでね。出産管理区に掛かるお金は、地球人達が納める税金から賄っているんですよ。」
「そうなのですか・・・知りませんでした。」
「勿論ドームの施設費や研究者の給与は委員会が集めたコロニーからの寄付ですけどね。」

 ケンウッドは委員会がもっとこの財政的な運営を世間に公表すべきだと思った。秘密にしている訳ではないのに、情報の出し惜しみをするから、無駄な出費と思われて、反対派が出てくるのだ。執行部は月で踏ん反り返っていないで、各コロニーを巡って講演会でもやれば良いのだ。
 食べ始めて直ぐに軍曹は次の感想を述べた。料理が今迄に食べた物の中で一番美味しいと言ったのだ。それは辛いカレー料理と甘酸っぱいトマトプディングの組み合わせだった。

「地球の食材ですよね?」
「そうです。」
「それであの値段ですか? コロニーでは私の4分の1シーズン分の給料が吹っ飛びますよ。」
「それは地球から輸出される食糧が少ないからです。それに輸送費がバカになりませんからね。もし地球がコロニーと自由に貿易が出来れば、もっと安くなる筈です。」

脱落者 3 - 4

 カレン・ドナヒュー軍曹が戻ってくるのが目に入ったので、2人はその件に関する会話を中断した。地球人の特殊能力について軍関係者に情報を与えたくなかった。逃亡中のダリル・セイヤーズの話題を出すのも以ての外だ。

「ご気分はいかがですかな?」

 ケンウッドが彼女に尋ねた。ドナヒュー軍曹は澄まし顔を努めて保った。

「気分が悪くなった訳ではありません。でもお気遣い有り難うございます。」

 そして彼女は初めてヤマザキ医師に向かい合った。ケンウッドもまだ紹介していなかったことに気が付いた。

「紹介が遅れました。こちらは我がアメリカ・ドームの医療区長ヤマザキ博士です。博士、こちらは地球周回軌道防衛隊のドナヒュー軍曹だ。憲兵として今回の事故の調査に来ている。」

 ヤマザキとドナヒューは真面目に「よろしく」と挨拶したが、握手はしなかった。ヤマザキが手を出さなかったのだ。彼はケンウッドに向かって言った。

「ハイネは一つ向こうの部屋だ。」

 3人は移動した。ガラス越しにベッドで寝ているドーマーが見えてくると、ドナヒュー軍曹が歩調を早め、2人の男を追い越してハイネの部屋の前に立った。ガラスに手を当てて中を覗き込んだ。

「本物のローガン・ハイネだわ!」

 ケンウッドとヤマザキは顔を見合わせて、肩をすくめた。軍曹が一瞬ミーハーな女性に見えた。
 ハイネは目を閉じていた。覚醒しているのか眠っているのか判断出来なかった。彼の顔に装着されたマスクをケンウッドは哀しそうに見つめた。ハイネは10年前のγカディナ黴感染事故で肺を痛めてしまった。それなのに、今度は薬品による火傷だ。いかに若さを保つ長寿の遺伝子を持っていても、これはヤバイのではないか?
 余程悲壮な目つきをしていたのだろう、ヤマザキがちょっと苦笑して囁いた。

「ハイネは爆発の瞬間何が起こるのかわかって背中を爆心に向けたそうだ。だから薬品もガラス片も体の前面には浴びていない。白衣が彼の背中を守ってくれたので、爆発で彼が負ったダメージは喉と気道の軽度の火傷だ。薬を塗っておいたから2、3日で良くなる。だけど、胸の刺し傷が酷いので、体を動かさないよう、彼には肺のダメージが大きいので動くなと言ってあるんだ。」

 ケンウッドは彼を振り返った。

「肺は大丈夫なのか?」
「うん。咳き込むことはあるが、今後の生活に影響はない。」

 良かった、とケンウッドは呟いた。ハイネはまた運動出来るのだ。激しいものでなければ、一緒に走ったり泳いだり出来るだろう。
 するとドナヒュー軍曹が割り込んで来た。

「さっきのドクターのお話ですと、ローガン・ハイネは意識を取り戻したのですか?」

 ヤマザキは彼女のキラキラと期待を込めて光る目を見た。素早く予防線を張った。

「今日の未明にね。だけど、水分補給をしてやるとまた眠ってしまった。彼は体調が悪い時は眠って治すんだ。起こさないでやってくれ。起こしてもまだ口は利けないから。」

2018年1月23日火曜日

脱落者 3 - 3

 ガブリエル・ブラコフのジェルに包まれた顔を見た瞬間、ケンウッドは呟いた。

「治せる。」

 ヤマザキが彼を見た。

「勿論、治してみせるとも。」

 ケンウッドはガラス壁の向こうの弟子から視線をヤマザキに向けた。

「君の腕を疑っている訳じゃない。ガブリエルは火傷の治療法で大学の卒論を書いたのだ。確か、表皮細胞再生の新しい方法を見出して、それでドーム勤務を認められたはずだ。」
「それじゃ、彼は自分の発見で救われるのか?」
「その可能性が大きい。後で彼の論文を掘り起こして見るよ。」

 2人の会話を聞いている筈のカレン・ドナヒュー軍曹は焼けただれた人間の顔を見て、気分が悪くなったのか、警護の保安課員にお手洗いの場所を尋ねてその場を離れていた。
まだヤマザキに自己紹介していなかったし、ヤマザキもしていない。ケンウッドは彼等を紹介するのを忘れていた。愛弟子と親友の容態を知ることで頭がいっぱいだった。

「ガブリエルは目も口も機能を失っている。もし意識が戻ったら、どうやって互いの意思疎通を図れば良いだろう?」

 ヤマザキは患者本人と治療法の相談をしたかった。ブラコフの治療は時間がかかる。最速で社会復帰を図るか、着実に患者本人の細胞で直すか・・・。

「どんな方法を取るとしても、副長官としての業務は1年間は無理だ。他の役職と違って休職出来る仕事じゃないだろう?」

 ヤマザキが矢継ぎ早に問題点を挙げるので、ケンウッドは待ってくれ、と片手を挙げて制した。

「私だって考えている。意思疎通は・・・」

ふと名案が浮かんだ。名案だと一瞬思えたが、直ぐに自信がなくなった。

「ガブリエルの耳は使えるのか?」
「鼓膜に異常はない。爆風は小さかったようだ。フラスコが破裂して中の薬品とガラスが飛び散ったのだから。爆発と言っているが、火薬が爆発したのとは違う。だからガブリエルとセシリア・ドーマーの後頭部の損傷は軽かった。ハイネは頭部に怪我をしていないし、背中にガラスが刺さる様な事態もなかった。」
「では、マーガレット・エヴァンズの後頭部の負傷は・・・?」
「僕の推測に過ぎないが、ハイネが女性達を庇おうとして、押し倒して覆いかぶさったんじゃないかな? その際に勢いでエヴァンズが頭を打ってしまった・・・」

 ケンウッドはその場面を想像することが出来た。あまりにも瞬時の出来事で、ハイネは庇う相手が彼の行動で怪我をすることを予想することも出来なかったのだろう。

「セシリア・ドーマーは爆発を予想出来たのかも知れない。動機はさておき、彼女がハイネを刺したことを考えると、彼女は自身の後頭部を守ることは出来たのだろう。」

 2人はちょっと黙って、女性ドーマーの行動の説明を考えた。考えつかずに、ヤマザキが話を元に戻した。

「ガブリエルの耳がどうかしたか?」
「うん・・・聞こえるのだったら、私達が話しかければ彼は頭の中で返答するだろう?」
「脳波翻訳機を装着するのは皮膚再生が終わってからだよ。」
「そうじゃない・・・ドーマーを使うんだ。」

 ヤマザキはケンウッドをもう一度振り返った。

「ドーマーを・・・って、ポール・レイン・ドーマーの接触テレパスか?」

脱落者 3 - 2

 ケンウッドは医療区のロビーに駆け込んだところでヤマザキ・ケンタロウを見つけた。駆け寄ろうとすると、ヤマザキも駆け寄って来た。

「ヤァ、お帰り!」

 いきなりヤマザキが抱きついて来たので、ケンウッドはびっくりした。ヤマザキは親友だが、普段はここまで馴れ馴れしくする人間ではない。ヤマザキの祖先の民族性もあるだろうが、日頃は冷静な男だ。それがガッチリとケンウッドを抱き締めた。そしてケンウッドが口を利く前に医師は耳元で囁いた。

「ここにいる人間は昨日の爆発の負傷者だ。ここのドームで起きたことは知っているが、アフリカ・ドームの事件はドーマーに教えていない。」
「わかった。」

 ケンウッドは自身が早く情報を得ようと焦っていたことを悟った。ヤマザキは咄嗟にそれを知って、長官の頭を冷やしてくれたのだ。
 ヤマザキが体を離したので、ケンウッドは深呼吸した。焦る余り、空港でシャトルを降りるなり、ドームに無我夢中で駆け込んでしまった。消毒を受けた時も足踏みしていたのだ。
 落ち着いて来ると、ロビーに居合わせたドーマーやコロニー人達が自分を見つめているのが目に入ってきた。ケンウッドの頭に、長官としての常識が戻って来た。彼はぐるりと見回して、声を掛けた。

「事故のことは聞いた。君達が大変な目に遭っている時にドームを留守にしていて申し訳なかった。君達の怪我が早く良くなるよう願っている。どうか無理はせずに治療を第一に考えてくれ。」

 ロビーに居た人々が彼に向けて軽く頷いたり、微笑みを見せた。ケンウッドは彼等に手を振り、それからヤマザキに声を掛けた。

「重傷者を見舞えるだろうか?」
「通路から様子を見ることは出来る。部屋の中は医療スッタフ以外立ち入り禁止だ。」

 ヤマザキはケンウッドの後ろで黙って立っている軍人が気になったが、敢えて無視した。爆発事件を調査に来た憲兵に違いない、と思ったからだ。
 ケンウッドが自ら先に立って、良く知った集中治療室に向かう通路を歩き始めていた。

「負傷者はここだね?」
「ガブリエルとハイネはここだ。女性2名は出産管理区に預かってもらっている。人手が足りなかったので、女性は女性の区画で診てもらったんだ。アイダ博士によると、経過は良いらしい。」
「遺体は?」
「遺体もここに安置してある。午後4時に月へ移送するので、3時にお別れの集まりをするとヴェルティエンが言っていた。」

 すると、それまで黙っていた軍人が後ろから声を掛けて来た。

「遺体を月へ送るとは?」

 ヤマザキが立ち止まらずに答えた。

「地球人類復活委員会本部で爆発の原因を調べる為に遺体の本格的な分析をする。それが終わったら、遺族に引き渡す。」
「その結果を防衛隊の憲兵隊本部に教えていただけますか?」
「それは僕にではなく、本部に頼んでくれ。僕等は本部の指示に従っているだけだ。」


2018年1月22日月曜日

脱落者 3 - 1

 ローガン・ハイネ・ドーマーは午前の回診の頃には再び眠りに就いていた。ヤマザキ・ケンタロウは患者が眠ていてくれた方が安心出来た。この患者は気力が半端なく強いので、覚醒していると動こうとする。ベッドの上で手足を動かす程度なら良いが、仕事をしようとするのだから、目が離せない。警護の保安課員に絶対に端末をハイネに貸すなと言い聞かせておいた。
 ガブリエル・ブラコフは当然ながらまだ意識が戻らない。顔を失ってしまったので、目覚めない方が本人の為だ。ヤマザキはカルテを眺め、彼の顔のどの部分から再生治療を始めようかと考えた。ガラス片で受けた筋肉の傷が治ればすぐに皮膚を再生してやろう。失った眼球の代替品も既に発注している。視神経が残っていたのは不幸中の幸いだ。唇は本人の希望を聞いた方が良いだろうか? 本来の唇をブラコフは「好きじゃないです」と言っていた。ハイネみたいにちょっと薄めの方が良いのだそうだ。耳も形良く作ってやろう。
だから・・・

「なぁ、ガブリエル、必ずこっちへ戻って来いよ。」

 ヤマザキは滅菌テントの中のブラコフに話しかけた。無菌のドームと言っても、皮膚を失った重症患者に普通の人間が呼吸している空気は害がある。ブラコフは厳重に守られていた。
 ハイネが女2人を庇ったのだとしたら、ブラコフは彼等から少し離れていたのだろう。もしハイネが彼を庇っていたら、女性2人はこの若者みたいな状況に陥ったはずだ。女性が顔を失うのは耐えられないことだ。男だって苦しいのに。
 出産管理区に預けている女性2人の回診結果がヤマザキの端末に送られて来た。アイダ・サヤカは忠実に働く人だ。セシリア・ドーマーがハイネを刺したと聞いているので、彼女に麻酔を与えて当面眠らせておく、と連絡してきた。セシリアは鼻骨骨折が一番大きな怪我なので、目が覚めれば動ける。覚醒状態にしておくのは危険だった。
 エヴァンズはまだ昏睡状態が続いていた。脳内の出血は止まったので、彼女の意識が戻るのを待つだけだ。本来なら親族を呼んで、彼女に語りかけてもらえれば覚醒のきっかけを作れるのだが、地球にいてはそうもいかない。民間人が地球に来るにはややこしい手続きが必要だし、今は地球周回軌道防衛隊が航路を封鎖している。
 外来に行くと、前日生化学フロアで爆発で生じたガスを吸い込んでしまった人々が再診を受けに来ていた。喉の火傷の経過をチェックし、肺の状態を改て検査したりしていると、すぐにお昼になった。
 食欲がなくても規則正しい時刻に食べることにしているヤマザキは中央研究所の食堂へ足を運ぶつもりでロビーに行った。するとケンウッド長官が慌ただしく駆け込んで来た。後ろにヤマザキが見知らぬ中年の女性がいた。

脱落者 2 - 7

 執政官会議は亡くなった3名の研究者に黙祷を捧げることから始まった。その後、長官のコロニー人秘書ヴァンサン・ヴェルティエンが、犠牲者の遺体を月へ送るのでお別れをしたい人は午後3時に宇宙港へ集合すること、と告げた。ドームは地球人の誕生の場所なので、葬儀は行わない。それに宇宙の故郷で犠牲者を待つ家族がいるのだ。愛する人々の下に帰してあげるのだ。
 亡くなったハン・ジュアン博士も2名の助手達も人当たりの良い人達だったので、その死を悲しむ者は多かったし、突然の悲劇に怒りを覚える者も少なくなかった。保安課長アーノルド・ベックマンは、まだテロと断定した訳ではない、と前置きしてから、研究者達に捜査が終わる迄薬品の取り扱いを極力控えて欲しいと言った。

「これから薬剤管理室が現場から薬品の残留物を採取して、爆発物の正体を確認する作業に入る。また調合過程と使用した薬品の分析も行う。ハン博士は新薬の開発をしたそうだが、爆発する様な薬品を使ったとは思えない。何故新薬が爆発したのか、成分の方から調査する。」

 ベックマンの説明に、執政官の中から質問が上がった。

「薬品が爆発したと、何故わかるのです? 爆弾ではないのですか?」

 ベックマンはヤマザキを見た。ヤマザキは保安上あまり話を広めたくなかったので、ハイネが目を覚ましたことをベックマンに黙っていて欲しかった。
 ベックマンが質問に答えた。

「犠牲者及び負傷者の傷を見て、また現場を検証した限り、爆発したのは薬品が入っていたフラスコ以外なかったのだ。」
「では、爆発はハン博士のミスですか?」
「それは検証しなければわからない。」
「実験に使用する薬剤は、実験施行者がレシピを薬剤管理室に提出し、薬剤管理室が計量、調合して実験室に運ぶのです。爆発物を薬剤管理室が調合するとは思えないし、また誤って作ってしまったとしても、薬剤師達は色や匂いが異なると気がつくでしょう。」
「ハン博士か助手が実験段階で何かの薬剤を追加したのでは?」
「生化学実験で爆発する様な薬剤を使うか?」

 執政官達の声を聞いていたヤマザキは、ハイネが爆発直前に危険を察知したことを思い出した。多分、色か匂いが予想と違ったので、彼は異変に気づいたのだ。しかし逃げる暇も仲間を避難させることも出来なかった。彼自身が実験台に背を向けるだけで精一杯だったのだ。
 ハイネは背中で飛散した薬品とガラス片を受け止めた。2名の女性薬剤師は殆ど薬品もガラス片も浴びていなかった。

 ハイネは女性達を自分の体で庇ったんだ!

 衝撃で3人一緒に倒れ、エヴァンズはその時に後頭部を床で強打してしまった。セシリアも後頭部を打ったが、彼女は軽かった。だからその後でハイネを襲うことが出来た。

 だが、何故ドーマーがドーマーを刺さなきゃならん?

 議場内が騒がしくなってきたので、ヴェルティエンが卓上チャイムを鳴らして執政官達を黙らせた。

「さっき長官執務室のロッシーニ・ドーマーから連絡が来ました。ケンウッド長官が昼頃に帰還されます。」

 執政官達から安堵の溜息が聞こえた。やはりリーダーがいなければみんな不安なのだ。
ヴェルティエンは会議をまとめようと努力した。

「ご遺体の輸送は先刻お伝えした通りに行います。博士方は薬品に十分に注意を払って研究にお戻り下さい。それからご承知のことと思いますが、アフリカ・ドームのテロ事件と今回の事故又は事件についてドーマー達には話さないよう願います。研究所内のドーマー達は口が固いですが、コロニー人の中には口の軽い方もいらっしゃいますので・・・」

 


2018年1月21日日曜日

脱落者 2 - 6

 地球人類復活委員会本部の来賓室で眠れぬ「夜」を過ごしたニコラス・ケンウッドはぼんやりした頭を覚そうとロビーに降りた。コーヒーを注文したところに、ハナオカ委員長が1人の軍服姿の女性を伴って近づいて来た。彼女の顔は見覚えがあった。地球周回軌道防衛隊の司令官エリザベート・エルドラン将軍だ。
 ハナオカ委員長は「おはよう」と挨拶して、将軍とケンウッドをそれぞれに紹介した。

「映像通信では出会っているそうだが、直接は初めてだろう?」
「確かに・・・」

 エルドラン将軍はケンウッドを見て微笑んだ。

「実物の方がイケメンですね。」
「将軍からそんなことを言われるとは意外です。貴女もお綺麗ですよ。」

 コーヒーが出て来たので、ケンウッドは2人に断って濃いコーヒーを口に入れた。

「それで、将軍が私にどんな御用ですか? テロリストを捕まえる手伝いをしろとでも?」

 疲れていたので、ついぞんざいな口を利いてしまった。エルドランが肩をすくめるハナオカに目で合図した。ハナオカがすっと離れて行った。ケンウッドは彼がロビーの入り口近くに固まって立っている軍人達の方へ行くのを横目で見ていたが、将軍が咳払いしたので向き直った。

「この度のアメリカ・ドームの犠牲者の方々にはお悔やみ申し上げます。」

と将軍が言ったので、ケンウッドは仕方なく「ありがとうございます」と礼を言った。

「一刻も早く地球に帰って事態の収拾をつけたいのですがね。」
「勿論、お帰りになることは可能ですよ。」

 将軍はハナオカが去った方向を見た。

「当方の捜査官が同行します。戦闘機はお嫌いだと思いますので、輸送機でお送りいたします。」
「はぁ?」

 ケンウッドも将軍と同じ方向を見た。ハナオカが別の女性を伴って戻って来るところだった。女性は軍服を着ていた。位は軍曹だ。憲兵だな、とケンウッドは見当をつけた。
エルドランが紹介した。

「憲兵隊のカレン・ドナヒュー軍曹です。アメリカ・ドームでのテロ事件の捜査に当たります。」

 ドナヒュー軍曹が敬礼して、ドナヒューです、と名乗った。仕方なくケンウッドも自己紹介した。
 エルドランが説明を付け加えた。

「アフリカ・ドームのテロはかなり大きな爆発でドーム内の建造物の被害も広範囲に及んだのですが、アメリカ・ドームは部屋一つだけだったそうですね。異なる爆弾が用いられたのか、それとも上手く爆発しなかったのか、本当に2件は同一組織の犯行なのか、軍曹が調べます。」

 ケンウッドは困った。ドームには遺伝子管理局内務捜査班が存在する。保安課もいる。そこに宇宙軍の憲兵が乗り込んで来るのか?
 多分、断っても彼等は来るだろう。それにケンウッドは早く帰りたいのだ。軍が送ってくれると言うのなら、送ってもらおう。

「わかりました。しかし、ドームにはドームの捜査組織があります。彼等の権利を尊重していただきたい。地球では地球のルールでお願いします。」
「ケンウッド博士・・・」

 ハナオカが困ったと言いたげに声を掛けた。

「これはアメリカ・ドームだけの問題じゃないぞ。」
「わかっています。」
「我々の仲間が殺されたのだ。」
「わかっています。私は捜査するなと言っているのではありません。」
「それなら、憲兵隊の捜査に協力してやってくれ。ドーマー達にも言い聞かせるのだ。何と言っても・・・」

 ハナオカは何かを耐える様な表情をして言った。

「我々の大事な白いドーマーを傷つけたテロリストを許しておけんからな。」




脱落者 2 - 5

 朝食を取る為に中央研究所の食堂へ行くと、ドーマー達は何も知らずに普段通りの平和な生活を続けていた。ヤマザキはホッとするものを感じた。昨日の大混乱をロビン・コスビー・ドーマーとジェレミー・セルシウス・ドーマーは秘密裏に片付けたのだ。中央研究所で働くドーマー達も口を閉ざし、自分達のリーダーが重症だと言う事実を秘している。
 執政官会議が始まる迄アパートでちょっと寝ようと思ったところに、アイダ・サヤカ博士が現れた。彼女も昨日は女性薬剤師2名の手術を指示したり集中治療室の準備で大変だったのだ。
 「おはよう」と挨拶して、彼女は彼の正面に座った。トレイの上に軽い朝食を載せていた。お粥と野菜の煮物だ。

「そちらの患者の様子は如何?」
「ハイネは目を覚ましてくれた。意識もしっかりしているが、口はまだ利けない。」
「良かったわ。彼にもしものことがあれば、キーラに何と言えば良いか・・・」

 キーラ・セドウィックの親友はちょっと安堵したのか、涙を落としそうになり、ハンカチで抑えた。

「ガブリエル・ブラコフはまだ予断を許さない状況だ。危機を脱しても傷が深いので復帰に時間がかかる。」

 アイダ博士は自身の端末でブラコフのカルテを見た。顔の損傷の酷さに眉を顰めた。

「可哀相に・・・意思疎通が暫く難しいわね。この火傷では脳波翻訳機の装着も難しいわよ。」
「何とか方法を考えるさ。君に預けた2人の女性だが・・・」
「薬剤管理室もショックを受けているわよ。あの2人が調合した新薬の実験だったのですもの。」
「あの2人が薬品を調合したのか?」
「うーん・・・」

 アイダ博士は額に指を当てて考えた。

「あの2人が開発したんじゃないわね。レシピは木星の製薬会社から送られてきたのよ。ハン博士の計算で開発されたはずだわ。でも送られて来たレシピを見て、エヴァンズが首を傾げていた、って薬剤管理室の主任が言っていたわ。調合したのはセシリアなの。」
「ええ? 木星の製薬会社がハン博士の開発した薬のレシピを送って来て、それをセシリア・ドーマーが調合したのだね?」
「そう言っていたわよ、主任がね。」
「エヴァンズはレシピを見て首を傾げた・・・?」
「ええ。そう聞いたわ。」

 考え込んだヤマザキをアイダは不安そうに見た。

「どうかしたの?」

 ヤマザキが顔を上げた。

「エヴァンズとセシリアは同じ病室か?」
「ええ・・・」
「別々の部屋に入れて、それぞれ監視をつけてくれないか?」
「いいけど・・・どうして?」

 ヤマザキは出産管理区に危険人物を入れてしまったことを後悔した。正直に出産管理区長に説明した。

「爆発があったすぐ後でハイネがセシリアに刺されたんだ。」

脱落者 2 - 4

 ヤマザキはハイネの返答に溜息をついた。出来れば3回の瞬きを見たかった。しかしハイネははっきりと肯定したのだ。セシリア・ドーマーに刺された、と。

「何故僕がそう推理したかは、後で説明するよ。セシリアも生きている。意識はまだないがね。君は身を守る為に彼女を殴ったんだね。」

 瞬き2回。胸を刺されてもなお敵を撃退する気力を持っていたのだ。ヤマザキはローガン・ハイネ・ドーマーの生命力の強さに感動すら覚えた。

「襲われた理由はわかるかい?」

 これは瞬き3回。相手がコロニー人ならいくらでも理由を考えられるだろうが、この犯人はドーマーだ。身内だ。ハイネにもヤマザキにもショックだった。
 ヤマザキは取り敢えずこの件は横に置くことにした。

「ガブリエル・ブラコフは生きている。ただ顔面を火傷とガラス片を浴びた怪我で失った。意識もまだない。手術が終わったのは4時間前で、君より長くかかったんだ。まだ危険な状態だが、僕等は全力を尽くして彼を救う。必ず救ってみせる。」

 ハイネが2回瞬きした。ヤマザキはまた彼の手を握った。

「信じてくれるんだね。有難う。」

そして悲しい事実も告げなければならないことを思い出した。

「マーガレット・エヴァンズは生きているが、ハン・ジュアン博士とリック・カールソン研究員、チャーリー・ドゥーカス研究員は亡くなった。ハン博士はほぼ即死で、2名の助手も救助隊員が駆けつける迄に絶命していた。エヴァンズはセシリアの共犯なのだろうか?」

 ハイネは答えなかった。
 ヤマザキはハイネがアフリカ・ドームで起きたテロを知らないはずだと思った。だからケンウッドがまだ地球に帰って来られないことも知らないのだ。彼はテロのニュースは黙っておくことにした。

「ケンウッド長官はまだ月に居る。宇宙船の不具合でシャトルが飛べないので足止めを食っているのだよ。爆発事故の話をベックマン保安課長から聞かされて大変心配している。アメリカ・ドームは今正副両長官が不在の状態だ。君も動けない。ベックマンが責任者になるが、彼は警備で手一杯だから、ペルラ・ドーマーを呼んだ。中央研究所は長官秘書2名が指示を出してこれから執政官会議を開く。遺伝子管理局はグレゴリーを顧問に君の秘書2名が業務を代行する。君は大人しく治療に専念する。いいね?」

 ハイネが微かに口元を歪めた。苦笑したのだ。ヤマザキはさらに念を押した。

「刃物で刺されたのであれば、傷口が塞がるのは早いのだが、君の傷はギザギザのガラス片で付けられたものだから、治りが遅いと思う。無理に動かすと悪化するから、静かに寝ているんだよ。わかったね?」

 ハイネは、ちょっと間を空けてから、2回瞬きをした。


脱落者 2 - 3

 どんなに多忙でも、ヤマザキ・ケンタロウは必ず一定の長さの睡眠を取る。もし彼が寝不足が原因のミスを犯したら患者の生命に関わるからだ。控え室の仮眠用ベッドに横になると、すぐにストンと眠りに落ち、3時間後に目覚めた。起きたらまだドームの外は真っ暗なはずだ。彼は控え室の横に設置された簡易バスルームでシャワーを浴び、着替えて顔を洗い、診療スペースに出た。スタッフを集め、短いミーティングを行って、昨日から働きづめのスタッフはアパートに帰宅させ、交代要員の点呼を取った。患者の容体報告を聞き、それからスタッフに一般診察を頼むと、集中治療室に入った。
 先ずはガブリエル・ブラコフを診た。顔面に火傷治療のジェルが塗られているので、人間の顔ではないみたいだ。呼吸と栄養補給の管がジェルの塊の中に差込まれている。カルテをチェックして、ガラスによる裂傷の数にうんざりした。火傷のジェルが消毒用包帯の役目を果たしているので、裂傷そのものの手当は当分お預けだ。生き延びれば、ブラコフには細胞再生治療を施さねばならない。眼球も鼻も唇も全部再生してやるのだ。元どおりの顔を取り戻すには長い時間がかかるはずだ。

 まだ若いのに、可哀相に・・・

 マスクを作ってやらねば、とヤマザキは思った。本物の皮膚そっくりのマスクを作る技術はある。本人が装着したいかしたくないかの問題だ。

 マスクを作ってやるから、必ず生き延びろよ、ガブリエル。

 次にハイネの部屋に行った。ブラコフもハイネも護衛付きだ。部屋に入る前にヤマザキは出産管理区に電話を掛けた。アイダ博士は休憩に入っていたので、副区長が出た。ヤマザキは2名の女性薬剤師を暫く預かって欲しいと要請した。理由は後で話すから、と言って電話を終えた。
 ハイネの部屋に入ると、驚いたことにローガン・ハイネ・ドーマーは目を開いて彼を見た。ヤマザキは思わず笑を浮かべてしまった。

「やあ、お目覚めかい? 君が生きていてくれて嬉しいよ。」

 ハイネが手を動かそうとした。呼吸マスクを取ろうと思ったのだろう。ヤマザキはその手を抑えた。

「肺に軽度の火傷を負っている。君は肺が弱いから僕が許可する迄マスクをしていてくれないか?」

 ハイネが素直に腕の力を抜いた。

「マスク装着で喋れないから、瞬きでイエスかノーか答えて欲しい。2回がイエス、3回がノーだ。わかったかい?」

 ハイネは2度瞬きした。ヤマザキは頷くと、思い切って尋ねた。

「爆発の瞬間を覚えているかい?」

 瞬き2回。

「爆弾が仕掛けられていたのか?」

 瞬き3回。

「薬品の調合ミスか?」

 瞬きをしなかった。ヤマザキは質問を変えた。

「薬品が爆発した?」

 瞬き2回。

「君は瞬間に爆発するとわかった?」

 瞬き2回。

「OK、そこのところは、話せる様になったら聞かせてもらおう。次は重要な質問だ。君は・・・」

 ヤマザキはゆっくりと言葉を出した。

「セシリア・ドーマーに刺されたのかい?」

 ハイネはしっかりと2回瞬きをした。

脱落者 2 - 2

 執刀医が出て行くと、ヤマザキ・ケンタロウはハイネのベッドに近づいた。ハイネは呼吸マスクを装着されていたが、その美しい顔に目立つ傷はなかった。3名の死者とブラコフ副長官が判別もつかないほどの火傷を負ったことを考えると奇跡だ。執刀医が証言した様に白衣を着用した背中に薬品とガラス片を浴びたとすると、ハイネは爆発の瞬間に何が起きるかを察知して咄嗟に背中を向け、頭を下げたのだ。
 ヤマザキは残りの2名の生存者、マーガレット・エヴァンズとセシリア・ドーマーのカルテを端末で呼び出した。2名の手術も終わっていて、出産管理区は一晩様子を見てから医療区に搬送するか否か決めると言っていた。
 エヴァンズはガスを吸い込んで肺に軽い火傷を負っていた。脳内出血を起こしたが、それは後頭部の打撲が原因で、爆発の時に後ろ向きに倒れて床で殴打したのだろう。ガラス片と薬品は手に少しだけ浴びていたが、これは命に関わる程ではなかった。彼女の手術は頭部の傷に重点を置かれていた。
 セシリア・ドーマーはやはり肺に軽い火傷を負っていた。彼女の傷は右顔面と後頭部の打撲だ。ヤマザキは透視画像を見て、奇異に感じた。後頭部の傷はエヴァンズの物と似ていた。床に打ち付けたのだろうが、内出血を起こす程ではない。顔面は鼻骨が折れ、誰かに殴られた様な感じだ。そして右の掌と指に裂傷を負っていた。ガラスの破片を摘出したとカルテにある。飛散したガラス片が刺さったと言うのはなく、切ったみたいな傷だ。
 ヤマザキは考え込んだ。ガブリエル・ブラコフのカルテを検索して見た。ブラコフは後頭部に軽い打撲傷を受けていた。顔の傷が大き過ぎて重体に陥っているが、体の他の部分の傷は軽い。
 執刀医はハイネの胸の傷はガラスが刺さったのではなく、ガラスで刺されたと思われると言った。
 ヤマザキはハイネを覗き込んだ。彼の・・・彼と親友達の大切な「僕等のドーマー」は色白の肌をさらに青ざめた血の気のない顔で、それでも必死で生きようと息をしていた。ヤマザキは彼の右腕をそっと掴んだ。小指から下方向に青あざがあった。何かで打ち付けたのか? ヤマザキはハイネの腕を下ろして、またセシリアのカルテを見た。顔面の打撲傷を見た。

 まさか、ハイネの手刀を食らったのか?

セシリア・ドーマーの手の画像を見た。ガラスの破片を握って怪我をしたのか? そうだとしたら、ハイネを刺したのはこの女なのか?ハイネは刺されて、彼女を退けようと手刀で女の顔を打ったのだろうか。

 だが、何故ドーマーが局長を襲うのだ?

 ヤマザキは集中治療室を出た。医療区はまだ騒めきの中にあった。彼はベックマン保安課長に電話を掛けた。深夜だが、保安課長はまだ休めないでいた。

「ベックマン課長、ヤマザキだ。」
「ヤマザキ先生・・・副長官と遺伝子管理局長の容体は?」
「ハイネは手術が終わって観察下に入った。ブラコフはまだオペ室だ。」

 ヤマザキは疲れている保安課長を消耗させたくなかったが、必要なことを言わなければならなかった。

「テロか事故かわからないが、誰かがハイネを暗殺しようとした形跡がある。」

 ベックマンが一瞬息を飲んだ。

「何ですって・・・?!」
「怪我の状況を見ての推測だから、断定は出来ない。爆発現場の記録映像を見たい。モニターしてあるよな?」
「勿論です。これから調べます。」
「いや、君も疲れているだろう、モニター映像を見るのは明日にしよう。今夜はハイネの部屋に保安課員を警護につけて欲しい。犯人は近づけないと思うが、用心に越したことはないからね。」

 ヤマザキが「明日」と言ったのは、セシリア・ドーマーが昏睡状態にあったからだ。

 

脱落者 2 - 1

 アメリカ・ドーム医療区は戦争状態だった。重傷者4名の他に爆発現場から発生したガスを吸い込んで喉や呼吸器官に炎症を起こした執政官やドーマー達10数名の治療、それに死者の検屍もしなければならなかった。
 医療区長ヤマザキ・ケンタロウは女性2名の重傷者を出産管理区に託した。出産管理区にも手術室と高度な医療技術を有する医師がいるのだ。出産管理区長アイダ・サヤカ博士は進で負傷者を受け入れてくれた。
 ヤマザキは男性2名、ガブリエル・ブラコフ副長官とローガン・ハイネ遺伝子管理局長の手術を外科チームに託した。彼も外科医として働けるが、高度な技術と言われると自信がない。専門は内科だ。だから彼は指揮を執りながら軽傷者の手当を請け負い、最後の患者の治療を終えると遺体の検屍に取り掛かった。ドームに検屍官はいない。だから生者を診る医師が検死をしなければならないのだ。
 3人の遺体から検体を採取して保安課に渡した。アーノルド・ベックマン課長がペルラ・ドーマーの手伝いでマザーコンピュータから引き出した遺伝子情報と照合して身元確認をするのだ。
 3名の死者は、飛び散ったガラス片で頸動脈を切り、薬品で熱傷を負っていた。顔が焼けただれてしまったので、身元確認に手間取ったのだ。朝、元気に食堂で挨拶を交わした人々が今は物言わぬ遺体になってしまっている。ヤマザキはやりきれない思いだった。事故なのか、それとも・・・?
 最後の検死を終え、控え室で水分補給をしていると、外科チームからハイネ局長の手術が終了したと連絡が入った。集中治療室に搬送されたハイネに会いに行ったのは半時間後だった。ブラコフ副長官の手術はまだ終わっていない。
 執刀医はヤマザキが集中治療室の入り口から入ってくるのを見ると、ハイネの治療記録を見せた。

「貴方は局長の主治医です。後をお任せしてしてよろしいですか?」
「うん、僕が引き受けよう。副長官はまだオペ室なのだな?」
「彼はガラス片を浴びていますから、除去に時間がかかっています。」

 ヤマザキはハイネのカルテを見た。

「ハイネはブラコフと一緒に居たのではなかったのか? あまりガラス片を浴びていないようだが?」
「立ち位置が明暗を分けたのではないかと思います。 局長は背中にガラス片と薬品を浴びていましたが、白衣が身を守ったみたいです。爆発の瞬間に体を丸めて防いだのではないですか?」
「ブラコフは白衣なしで部屋に入ったのか?」
「いえ、副長官も白衣を着用されていましたので、首から下は大丈夫でした。しかし、顔面が・・・」

 ヤマザキは手術前に見たブラコフの様子を思い出した。ブラコフ副長官は、確かに副長官だと所持していた端末で判明する迄誰なのかわかならなかった。顔が血まみれで焼けただれていたのだ。生きているのが不思議なほどのダメージだった。ブラコフの手術に時間がかかっているのは、肉にめり込んだガラス片除去に手間がかかっているからだ。そして薬品による熱傷の手当も急を要した。
 ヤマザキはもう一度ハイネのカルテを見た。ハイネが負った一番大きな傷は左胸に刺さったガラス片によるものだった。ヤマザキは執刀医に確認した。

「ハイネは白衣の背中にガラス片と薬品飛沫を浴びていたのだね?」
「そうです。」
「前面は? 体の表側にもガラス片と薬品を浴びていたか?」
「いいえ、胸に刺さった大きなガラス片1つだけでした。それが冠状動脈を傷つける恐れがあったので、手術に慎重を要したのです。」

 ヤマザキは執刀医の顔を見た。執刀医も彼を見返した。

「ヤマザキ博士・・・」

と執刀医が声を低くして言った。

「局長の胸の怪我は爆発によるものではありません。誰かに刺されたのではありませんか?」



脱落者 1 - 7

 地球上で起きた爆発事件は2件だった。そして「青い手」がその2件に関してマスコに犯行声明文を送信してきたので、宇宙連邦は騒然となった。人類は地球の歴史を承知している。しかし大異変後の地球は「聖地」扱いで、宇宙からの攻撃対象になったのは初めてだった。
 ケンウッドの端末に火星コロニーに居るヘンリー・パーシバルから電話が掛かって来た。
 パーシバルは地球人類復活委員会執行部勤務の医師として働いているが、現在は育児休暇中で、妻キーラ・セドウィックと3人の子供と共に夫妻の故郷である火星に居を移していた。月より火星の方が広くて自由で、政治から遠いので育児に適していると判断したのだ。それに3人の子供の世話を夫婦2人でするのは大仕事だったので、キーラの実家の母親にも手伝ってもらっていた。マーサ・セドウィックは90代半ばだったがまだ丈夫で、子供の世話の手伝いは出来たのだ。
 宇宙連邦の法律では、子供が10歳になる迄、養育権を持つ人間は宇宙空間に出てはいけないことになっている。勿論子供を宇宙船に乗せることなど論外だ。だから、ヘンリー・パーシバルもキーラ・セドウィックも愛する地球にまだ数年降りられないでいた。

「テロのニュースを聞いておったまげたんだが・・・君が月に居ると聞いて、ちょっと安心したよ。」

と電話の向こうでパーシバルが言った。いつもの人懐こい笑顔はなかった。ケンウッドも笑顔を作れなかった。

「言語道断の出来事だ。副長官が負傷した。もしかすると、私がそこに居たかも知れない。」
「他にも怪我人が出たとニュースで言っていたね。アフリカでは長官が亡くなったそうだが・・・」

 アメリカ・ドームにも死者が出たのだが、それはまだ身元確認が終わっていないので発表がないのだ。身元確認が遅れている意味をパーシバルは気が付いただろうか?

「アメリカでも研究者が3名犠牲になった。惜しい人材を亡くした。」
「許せんなぁ・・・」

 パーシバルは地球を心から愛しているので悔しそうだ。

「副長官は君の弟子のガブリエルだよな?」
「うん・・・」
「ケンタロウがきっと助けてくれるよ。」
「うん・・・」
「早く帰ってやれよ。ハイネも待っているはずだ。」
「うん・・・」

 詳細がわかればまた連絡すると言って、ケンウッドは通話を終えた。重傷者の氏名は公表されていないのだ。ケンウッドが執行部に公表しないでくれと頼んだのだ。アメリカ・ドームの副長官と遺伝子管理局長が重体などと発表したら、他のドームにも動揺を与えてしまう。アフリカの事件だけでも十分悲劇なのに。
 コロニー人である犠牲者の遺伝子情報をデータベースから引き出すのは、遺伝子管理局長の仕事だ。それをハイネが今は出来ないので、ベックマンが局長業務全権委任の対象者であるグレゴリー・ペルラ・ドーマーとロビン・コスビー・ドーマー維持班総代表立会いの下で行わねばならない。身元確認が遅れているのはそのせいだ。パーシバルはそれに気がつかなかった。ハイネの負傷を知らないのだ。だから、キーラも知らないはずだ。
 ケンウッドは親友の医療区長ヤマザキ・ケンタロウに念じた。

 ケンタロウ、ハイネとガブリエルを救ってくれ、頼む!


脱落者 1 - 6

 ケンウッドは椅子の上で脱力しそうになった。愛弟子と親友が、爆発現場に居合わせたと言うのか? 彼は副長官が実験に立ち会ったのだと思い当たった。だが、遺伝子管理局長が何故そこにいたのだ?

「死傷者の内訳はわかるか、アーノルド?」
 
 ベックマンがちょっと目を閉じた。部下の報告を思い出しているのだ。数秒後、彼は目を開いた。

「死亡者は損傷が激しく、まだ身元確認が取れておりませんが、現場の責任者ハン・ジュアン博士、リック・カールソン研究員、チャーリー・ドゥーカス研究員と思われます。」

  ああ・・・とケンウッドは呻いた。3人とも良い仕事仲間だった。ハン博士の研究には期待していたのだ。カールソンもドゥーカスも熱心な学者だった。
 ベックマンが続けた。

「負傷者は、ガブリエル・ブラコフ副長官、ローガン・ハイネ・ドーマー遺伝子管理局長、それから薬剤管理室の・・・ええっと・・・マーガレット・エヴァンズ研究員とセシリア・ドーマーです。」
「怪我の具合は?」
「それはまだ私の方では・・・4名共に重体としか・・・」
「重体・・・」

 まだ予断を許さぬと言うことか。ケンウッドは居ても立っても居られない気分だ。

「建物の被害は? 他の部署に及んでいるのか、その・・・」
「1フロアだけです、幸いにも中央研究所の外には何ら影響は出ていません。出産管理区にもクローン製造施設も無事です。」
「ドーマー達に動揺は?」
「現在のところ、報告はありません。爆発の衝撃は研究所のフロアで抑えられましたので、外に居た者にはまだ伝わって居ない模様です。執政官達には、助手のドーマー達に箝口令を出すよう指示しておきました。ロッシーニ・ドーマーが遺伝子管理局本部と連絡を取っています。局長が重体なので、秘書に代行を求めているようです。」

 ケンウッドは現在月が厳戒態勢であるので足止めを食っていること、出来るだけ早く帰る努力をするので、それまではベックマンにドームの維持を委任すると告げた。アメリカ・ドームの4名の管理責任者のうち、2名が重体で1名が月に居るのだ。ベックマンしか残っていなかった。着任してわずか4年の保安課長は固い表情で命令を承った。

脱落者 1 - 5

 月の地球人類復活委員会本部の通信室でケンウッドはアメリカ・ドームに連絡をつけようと努力していた。何度かパスワードを入れてみたのだが、なかなか繋がらなかった。通信室の責任者は、地球周回軌道防衛隊がテロリストの通信を傍受する為に網を張っていて、通常の電波がなかなか通らないのだと説明した。

「我々も地球各所のドームに連絡を入れているのですが、なかなか繋がりません。もしかするとアフリカ・ドーム以外にも被害が出ているのかも知れない。」
「同時多発テロと言うことですか?」

 ケンウッドは背筋にゾッとするものを感じた。あの素晴らしい惑星で悲惨な事件が起きている。勿論、地球の歴史は多くの血を流す戦いだらけだ。決して清いものではない。だが、この200年間、大異変で絶滅しかけた地球は、必死で蘇ろうと努力してきた。地球人達は国同士、異文化同士の争いを止めて、生き残ろうとしているのだ。それを宇宙から妨害するなど、言語道断だ。コロニー人は地球人の子孫じゃないか!
 ケンウッドの脳裏にアメリカ・ドームの人々の顔が次々と浮かんだ。彼が愛するドーマー達、コロニー人の親友達、可愛い弟子達・・・

 失いたくない

 一刻も早く地球に帰って、彼等の無事を確認しなければ落ち着かない。

「ケンウッド博士、繋がりましたよ!」

 係官の声に彼は我に返った。慌てて最寄りのモニターの前に座った。IDを叩くとすぐに画像が現れた。アーノルド・ベックマン保安課長だった。てっきり副長官のガブリエル・ブラコフか秘書のヴァンサン・ヴェルティエンが出ると思っていたので、ちょっと驚いた。

「アーノルド、アフリカ・ドームの事件を聞いたか?」

 いきなり本題に入ろうとするケンウッドに、ベックマンが暗い表情で頷いた。

「知っています。ですから、副長官に注意をしようと思ったのですが・・・」

 ケンウッドの胸に重いものが落ちてきた。彼は尋ねた。

「何かあったのか?」

 ベックマンが少し間を置いてから、低い声で答えた。

「生化学実験室で爆発事故がありました。」
「爆発事故だと?! 」

 ケンウッドは多分叫んでしまったのだ。通信室内に居た全員が彼を振り返った。
 ベックマンが急いで補足した。

「まだ詳細は不明です。現在ドーム維持班が全力で救護に当たっています。生化学フロアは封鎖され、医療区は救急救命体制に入っています。」
「負傷者が出ているのだな?」
「私が受けた報告では、3名死亡、4名重傷です。」

 そして保安課長は勇気を振り絞って長官に告げた。

「爆発現場に、ブラコフ副長官とハイネ局長がおられました。」


2018年1月20日土曜日

脱落者 1 - 4

 アメリカ・ドーム副長官ガブリエル・ブラコフは中央研究所のある実験室の中に居た。テーブルの前には羊水研究の第一人者ハン・ジュアン博士と2名の助手が居て、薬品の調合に着手していた。ブラコフは新規実験立会いの役目をしていた。新しい実験には必ず長官か副長官が立ち会うのだ。実験が成功すればめでたし、なのだが、未だ最終目的である女子誕生の特効薬はない。ハン博士は羊水に問題があると言う自説の証明の為に分析を行なっているのだ。地球人の羊水とコロニー人の羊水を比較して、比重の異なる分子を抽出し、それが性決定染色体に及ぼす影響を調べている。
 ブラコフの隣にいるのは遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーだった。普通局長は遺伝子学者達の研究にいちいち立ち会ったりしない。今回は新薬を使った薬品調合と言うので、元薬剤師の彼は興味を抱いて見学に来ていた。局長は薬剤管理室の2名の女性薬剤師も同伴していた。彼女達はコロニー人とドーマーで、執政官とドーマーと言う関係は大概の場合師弟関係があるのだが、彼女達は対等の同僚だった。
 女性のドーマーは大変人数が少なく、希少だ。どんなに美人でもコロニー人の男性は彼女達に求愛する権利を許されない。地球人の女は地球人の男のものだ。もっとも彼女達は地球人の母親から生まれたのではなく、コロニー人の女性から提供される受精卵から作られるクローン受精卵から成長した子供だ。現在地球上に居る全ての女性がそうなのだ。女性が誕生しない惑星だから。女性ドーマーは本来なら「取り替え子」として男の子と交換されて母親に渡されるはずだった。しかし、肝心の男の子が誕生前に母胎内で死亡してしまうことが偶にある。女の子のクローンは、取り替え子の母親のオリジナルであるコロニー人の近親者から提供される卵子のクローンだから、遺伝子的には「血縁者」だ。だから、取り替える予定の男の子が死んだから、別の子と取り替える、と言う訳にいかない。
遺伝子管理局が遺伝子履歴を調べて同じ血統の家族を発見出来なければ、女の子はドームに残され、ドーマーとして育てられる。男のドーマーが地球で母親から生まれてくるのと違って、女性はクローンなのだ。
 遺伝子履歴は厳格に管理されている。これは、卵子提供者が決して多くない為に、近親の者同士が出会って結婚してしまわないようにと言う措置だ。出来るだけ多くの可能性を作り、女性誕生の機会を作るのだ。その為に遺伝子管理局と言う役所が設けられている。遺伝子管理局が地球人男性の婚姻の許可や、養子縁組の認可を裁定するのも、遺伝子の偏りを防ぐのが目的だ。地球人には、女性保護の目的で経済状態の良い男性に許可を与えると見せかけているが・・・。
 ブラコフは薬剤師のドーマーが先刻から気になっていた。火星で彼女とよく似た女性を見かけたことがあるのだ。確か同じ高校に通っていた女の子だ。多分、ドーマーのオリジナルだ。 高校の同級生には興味がなかったが、ドーマーの方は魅力的に見えた。きっとドーム内の女性人口が少ないせいだ。
 ブラコフはまだ30代前半だ。副長官などと言う大役に若過ぎると執行部から異論が出たほどだが、師匠であるケンウッド博士が才能と人柄を見込んで重用してくれたのだ。
だから、彼はケンウッド長官が留守の間、しっかりドームを守ることを心がけていた。
新薬の研究には細心の注意が必要だ。だから元薬剤師のハイネ局長にも立会いを求めると、局長は快く応じてくれた。そして嬉しいことに女性薬剤師を2名も連れてきてくれたのだ。彼女達は副長官より局長に興味があるように見えたが、研究室内ではちゃんと実験の手順を観察していた。とりわけ女性ドーマーは真剣な眼差しでハン博士の手元を見つめていた。
 ハン博士が、新しい薬品をスポイトで薬瓶から採取してフラスコに1滴落とした。透明の液体の中に落ちた薬の雫が緑から黄色に変化した。突然、ハイネが叫んだ。

「伏せろ!」

脱落者 1 - 3

 ケンウッドがそろそろホテルに戻って地球に帰る支度をしようと思い始めた頃だった。サロンに居るハナオカ委員長の端末に連絡が入った。ハナオカが電話を掛けてきた相手と数分話し込むのを、聞くともなしに聞いて居ると物騒な単語が聞こえてきた。
 暗殺、爆破、封鎖 ・・・
 ケンウッドはハナオカを見た。ハナオカが通話を終え、ケンウッドを振り返った。目で問いかけるケンウッドに、委員長が説明した。

「アフリカ・ドームでテロが発生した。」

 ケンウッドはその言葉を理解するのに2秒要した。彼の予想に全くなかった言葉だったからだ。

「アフリカ・ドームでテロ・・・と仰いましたか?」
「うん。」

 ハナオカは厳しい表情で端末をポケットに仕舞った。

「緊急会議を開く。」
「ちょっと待って下さい。一体何が・・・?」

 ケンウッドには何がどうなっているのか解らない。ドームでテロが起きるなど信じられない。警備は宇宙一厳重なはずだ。地球人誕生の場所を守るために、宇宙防衛軍が地球に降りる全ての航宙船をチェックする。ドームにはセキュリティゲイトがあり、地球人であろうとコロニー人であろうと裸にされて消毒され、荷物も全部解体されて消毒・検査される。麻薬も武器も持ち込めない。細菌すら持ち込むのは難しい・・・
 ハナオカはケンウッドに真っ直ぐ向き直った。

「まだ詳細が不明なので、私の口から言えることは僅かだ。しかし君も不安だろうから、語れる範囲で説明しよう。
 アフリカ・ドームの中央研究所の研究室の一つで爆破事件があった。何かの実験を行なっている時に爆発が起きたそうだ。実験に立ち会っていたアフリカ・ドーム長官ルパート・シュバルツバッハ博士と3名の遺伝子学者が飛び散った薬品を浴びて火傷で死亡したと言う。」
「それは・・・事故ではなく?」
「たった今、広域テロ組織『青い手』が犯行声明を出した。」

 広域テロ組織「青い手」は、地球人が繁殖能力を失ったのであるなら、自然の成り行きに任せて絶滅させれば良いと考える人々の団体だ。彼等は地球人がいなくなれば地球の天然資源を自由に採掘採取出来ると主張している。地球人類復活委員会を設立した多くの大企業に妨害工作をしている組織だ。だが、彼等は今まで地球自体には手出し出来ないでいた。警備が厳重過ぎたからだ。それが一体どうやってアフリカ・ドームを爆破したのか?

「研究室で起きた爆破を、連中が自分たちの犯行だと言っているだけなのでは?」
「そうであれば良いが、まだ爆破事故は一般に報道されていない。事故報告と犯行声明が同時に地球人類復活委員会と各メディアにほんの数10分前に届いたのだ。」

 ケンウッドはサロンの出口に向かおうとした。ハナオカが声を掛けた。

「何処へ行く? 建物の外は厳戒態勢だ。委員会のメンバーが狙われてはいけないと言うことで、月の治安警察がこの建物内の人々に外へ出るなと指示してきた。」
「しかし・・・私はアメリカ・ドームに帰って警備を指示しなければ・・・」
「シャトルは出ないぞ。宇宙港は全て封鎖だ。爆破事件の詳細が判明するまでは犯人の行動を抑えねばならない。」

 ケンウッドは窓の外に浮かぶ宇宙の青い宝石、地球を見つめた。

「せめて連絡だけでも・・・」
「通信室に案内しよう。しかし、軍に傍聴されるぞ。」
「構いませんよ、警備の指示をするだけですから。」
「それは危険だ、テロリストに聞かれる恐れがある。」

 ケンウッドは少し考え、やがて何かを思いついた。

「映像通信でしょう? 構いませんよ。」




2018年1月19日金曜日

脱落者 1 - 2

 ケンウッドは後2ヶ月で春分祭がやって来ることを思い出した。ちょっとうんざりする。春分祭は、年に一度の地球にある全てのドームで行われる大きなお祭りだ。男性執政官達が女装して、ドーマー達が一番の「美女」を投票するのだ。それだけなら我慢出来るのだが、地球人類復活委員会は資金集めの為に、この祭りを宇宙全般に公開している。
取材費を払ったメディアが集まり、この祭りを終日全宇宙に中継するのだ。はっきり言って、恥ずかしい。本当に美しければ良いのだが、グロテスクな女装もいるし、ユーモラスな人もいる。ケンウッドは優勝経験があるが、決して美しかったから得票数を集めた訳ではなかった。彼と共演のヘンリー・パーシバルのコンビが、ちっとも似ていないのに「2人のロッテ」を演じたことがドーマー達に大受けしたからだ。あれから10年近く経つのに、まだ「あのロッテを演じた博士」と宇宙では囁かれる始末だ。
 もっとも、全てのメディアが女装する科学者を映す訳ではない。何割かのメディアは、ドーマーを追いかける。ドーマー達は女装などしない。祭りの間は見物人に徹するか、屋台で食べ物を売って、メディアや特別チケットを購入して参加する民間のコロニー人達の相手をするのだ。それをテレビカメラは撮影する。ドーマー達はコロニー人が憧れる筋肉を持っている。地球の重力に耐える筋肉だ。そして美形が多い。容姿の良い親の子供を選んでいるのだから当然だ。だから宇宙にはドーマー達のファンが多い。ケンウッドが長官を務めるアメリカ・ドームには10数名のアイドル・ドーマーがいるのだが、そのうちの3名は本当にスター扱いだ。しかも3名共に遺伝子管理局の職員だった。
 1人は、局員のポール・レイン・ドーマー。少年時代は「お姫様」とあだ名されるほどの美形で、誰もがハッと目が覚めるような美貌の持ち主だ。冷たい水色の目で無愛想なので、それがクールでカッコイイと評判だ。髪の毛は本来緑色に輝く黒髪、葉緑体毛髪と呼ばれる一時期地球人の間で大流行した改造遺伝子の賜物なのだが、本人は好きでないらしく、現在はツルツルの坊主頭になっている。これには悲しい理由がある。ケンウッドの先先代の長官サンテシマ・ルイス・リンと言う男が、レインの美貌に執着して彼を強引に愛人にしてしまった。レインにはダリル・セイヤーズ・ドーマーと言う幼馴染にして部屋兄弟の恋人がいたのだが、リンはセイヤーズを他のドームに交換に出してしまい、セイヤーズは脱走した。レインは抗議を込めてリンが愛した緑の黒髪を捨てたのだ。メディアはレインを追いかけるが、レイン本人は逃げ回っている。絶対にインタビューに応じないし、笑顔も見せない。
 2人目はやはり局員のクロエル・ドーマー。レインより4歳年下だが体格はクロエルの方が大きい。南米生まれの陽気な男でアフリカ系と先住民の血が流れている。残念なことに父親が不明で遺伝子経歴不詳の為、結婚相手を地球人類復活委員会から制限されており、結婚目的の自由な恋愛が出来ないでいる。クロエルは自身の身の上を哀れんだりしない。積極的にカメラの前に身を晒し、平気で体制批判をしたり、執政官の品評をラップ口調で行うので、若者に大人気だ。しかもファッションセンスが抜群で、奇抜な服装をしてもバシッと決まっている。大きなガタイにも関わらず、童顔で可愛らしい。メディアサービスが良いので、マスコミにも受けが良い。恐らくドーマーではなく外の世界で暮らしていたら、地球でも宇宙でも芸能界の大スターになっていただろう。
 3人目は、スターの座に就いてから既に70年近くなっている。アメリカ・ドーム遺伝子管理局の局長ローガン・ハイネ・ドーマーだ。肉体の老化を極端に遅らせる「待機型」と呼ばれる進化型1級遺伝子を持って生まれたので、90歳を超えても未だ40代、体調がよければ30代にも見える若い容姿を保っている。代々男子が真っ白な体毛を持って生まれて来る白変種の家系に生まれたので、髪の毛が純白で彼もまた美形だ。レインと違って大人の落ち着きがあるので、メディアは安心して接近出来る。ハイネは局長と言う役職柄インタビューに応じてくれるのだが、相手がしつこいと突然逃げ出すことがあり、ファンは彼が何時走り出すかと半ば期待してテレビを見るのだ。
 ケンウッドは資金集めとは言え、ドーマー達を宇宙でさらし者にすることに賛成出来ないでいる。地球人はドーマーと呼ばれる彼等の存在を知らないのだし、ドーマー達は自身が映っている番組を見ることを許可されていないからだ。





2018年1月18日木曜日

脱落者 1 - 1

 窓の外の暗い空間に地球が青い宝石の様に浮かんでいた。いつ見ても美しい惑星だ。ケンウッドは早くそこへ帰りたかった。地球は職場で故郷ではないが、彼は地球で骨になっても良いと思っている。
  背後でハナオカ地球人類復活委員会委員長が新しいブランデーのグラスをテーブルに置いた。

「いつまで眺めても見飽きない星だな、全く・・・」

 彼も地球に惹かれた人間の1人だ。重力の呪いがなければ、この男ももう10年は地上にいたかも知れない。
 地球人類復活委員会に関係したことがある人間は大なり小なり地球に惹かれているのだ。人類の故郷、大いなる母星・・・しかし今、地球人は絶滅しかけている。宇宙に移住したコロニー人と呼ばれる子孫の科学力によって辛うじて存続を保っている。

「星も美しいですが、地球人はもっと魅力的ですよ。」

とケンウッドは自身のグラスを手に取って呟いた。
ハナオカは彼をちらりと横目で見た。地球人と言うよりドーマーに惹かれているのだろう、と言いたかったが黙っていた。
 地球では女子が誕生しなくなって早200年経った。コロニー人は各大陸に巨大なドーム状の建造物を造り、放射線や細菌、化学汚染物質から遮断された世界を築いた。その中に地球人の女性を集めて出産させることにしたのだ。これは地球規模の法律で定められ、どの大陸でも守られなければならない。
 女性が誕生しないので、コロニー人の有志から借りた受精卵のクローンを創り、ドームの中で培養して女の赤ん坊にする。出産で集まった女性達の子供から3割ばかりをその女の赤ん坊と取り替えるのだ。親は我が子は娘だと信じて帰宅する。取り替えられた男の子は結婚出来ずに子供を望む男性に養子に出される。
 取り替え子の中からごく一部だけ、優秀な遺伝子を持って生まれる子供をドームは研究用の地球人として手元に残して育てる。それがドーマーと呼ばれる人々であった。ドーマーは地球人だが、ドームの外では「存在しないはず」の人間だ。実の親にも存在を知らされずに成長し、ドーム機能の維持の為に働いて一生を終える。だが彼等は奴隷ではない。地球上では最高レベルの教育を受け、毎日健康管理を義務付けられて最高レベルの医療を受け、運動も十分する。給料を受け取り、食事は好きなだけ食べられるし、ドームの中で買い物も出来る。希望すればドームの外へ出て暮らすことも許される。
 だが、ドーマーはドームが「所有」する地球人で、真の自由はない。彼等の一生はドームが監視して管理していた。女性誕生の緒を探す研究用地球人なのだから。
 ニコラス・ケンウッドにとって、ドーマーは可愛い息子達同然だった。彼より年長のドーマーも大勢いるのだが、それでもドーマーは執政官と呼ばれるドームで働く科学者達を親として敬い従っている。コロニー人科学者達は、彼等を統率する為に指揮系統を明確にする必要があり、ドーマーに「執政官を親だと思え」と言い聞かせて育てる。だから歳を取ったドーマー達も若い執政官を決して蔑ろにしない。ケンウッドも彼等の信頼を裏切らぬよう日々努力しているのだ。
 地球を愛して止まないケンウッドであったが、唯一どうしても彼の意のままにならないものがある。それが、地球と言う惑星の重力だった。コロニー人はそれぞれの生まれたコロニーで発生させている重力の下で育った。少しずつ違うのだが、それでも人間の健康を損なわない程度のGだ。ところが、地球の重力は彼等には強すぎるのだ。地球人であるドーマーは平気なのに、執政官は何年ドームに居ても馴染めない。筋力を鍛えておかないと心筋などに障害が出て、時に命に関わる。だからコロニー人達は年に最低2ヶ月「重力休暇」を取って宇宙へ出なければならなかった。
 ケンウッドはアメリカの南北両大陸を統括するアメリカ・ドームの長官なので、2ヶ月ぶっ通しで休暇を取る余裕がない。だから月に数日、出張を兼ねて月の本部へ行く。今回は2日間会議に出て、1日休暇と言う日程で、その最終日だった。ハナオカ委員長はもう2、3日ゆっくりしていけ、と言ってくれたが、彼は既に帰りたいモードに入っていた。
早くドーマー達の喧騒の中に戻りたかった。そして誰よりもあの・・・

「白い髪のドーマーは相変わらず元気かね?」

とハナオカ委員長が尋ねた。ええ、とケンウッドは答えた。あのドーマーに何かあれば宇宙でもニュースになるでしょう、と彼が言うと、ハナオカは苦笑した。

「我々は芸能人を育てた訳ではないがね・・・宇宙では女性達が彼等ドーマーをアイドル扱いしている。当人達は全く知らないのになぁ・・・」




2018年1月15日月曜日

Break 16

 今回はちょっと雰囲気を変えて、「もしドームに停電が起きたら?」と言う趣向で書いた。
 ドームに停電があってはならない。もしそんなことが起きれば、アメリカ大陸の住人はどうなるのか? だから地球人類復活委員会は、出産管理区とクローン製造施設だけは特別に電源を複数設けている。今回は宇宙からの落下物で主電源のケーブルが切断されてしまった。
 ケンウッド長官は節電のため、必要最低限の電力使用を決行。ドーム居住区は室温(気温)が低下して、ドーマーもコロニー人も混乱する・・・と言う話。
 電気があるのは当たり前、と言う生活をしているので、災害で停電を経験した人は理解できるだろう。

登場人物紹介


ガブリエル・ブラコフ

コロニー人。ニコラス・ケンウッドの研究室の助手から博士号を取ったと思ったら、ケンウッドが長官に昇格してブラコフは副長官に選ばれてしまった。
「侵略者」「後継者」では「助手」とだけ書かれているが、ブラコフのことである。
ケンウッドには他にも数人助手がいるが、ブラコフが一番熱心で、かつローガン・ハイネのファンであることからケンウッドの信頼を得た。
こまめに働く男。


ヴァンサン・ヴェルティエン

コロニー人。ケンウッド長官の秘書。
ケンウッドの副長官時代から働いている。
ケンウッドにはドーマーのロッシーニと言う秘書もいるが、こちらは遺伝子管理局内務捜査班チーフが本業であり、前任者リプリー元長官の秘書をケンウッドがそのまま引き継いだ形になっている。


アーノルド・ベックマン

コロニー人。保安課長。
ダニエル・クーリッジの後任。クーリッジ程にはハイネ局長と接点がないので、あまり親しくない。


ロビン・コスビー・ドーマー

第24代ドーム維持班総代表。
前任者エイブラハム・ワッツ・ドーマーに見込まれて就任した。
電気工事から機械の組み立て、建築までやってしまうドーム設備維持の親方。


ウィリアム・チェイス・ドーマー

遺伝子管理局北米北部班チーフ。
局員シャッフルなる物を提案してポール・レイン・ドーマーとクロエル・ドーマーの上司になった。
冷静な判断力を持つ穏やかな性格の男。


ダン・シュナイダー・ドーマー

遺伝子管理局北米北部班第5チーム・リーダー。
局員シャッフルで新たな部下となったレインとクロエルに振り回されている。



2018年1月14日日曜日

購入者 4 - 6

 客がゲイトを出てシャトルに乗り込み、宇宙へ去って行った。
 ケンウッド長官とブラコフ副長官はやっと肩の荷が下りた思いで、回廊を歩き出した。

「なんとか彼女達とハイネを会わせずに済んだな。」
「そうですね。まさかテロリストと防衛軍が戦っていたなんて知りませんでしたよ。もしドーマー達と彼女達を接触させていたら、地球人に宇宙の恥を知らせてしまうことになっていましたね。」
「ああ・・・だからハナオカ委員長はハイネと彼女達を接触させるなと念を押したのだなぁ・・・」
「せめてサインだけもらって送ってあげましょうか?」
「止せ、そんなことをしたら、これからも同様のサービスをしなきゃならん。」

 それから2人は師匠と弟子らしく研究の話をしながら歩き、長い回廊を時間をかけて抜け出した。中央研究所の近く迄来ると、4人の白髪の男達がやって来るのが見えた。ローガン・ハイネ・ドーマー、エイブラハム・ワッツ・ドーマー、ジョージ・マイルズ・ドーマーにグレゴリー・ペルラ・ドーマーだ。足腰が達者なハイネとペルラが車椅子のマイルズと杖のワッツを守るように寄り添っていた。
 ケンウッドは足を止めて4人が来るのを待った。ブラコフは「お先に」と挨拶して、ドーマー達に手を振って建物に入って行った。

「4人お揃いとは珍しい。」

 ケンウッドは久しぶりに会う元司厨長に声を掛けた。

「やぁ、司厨長、元気そうで何よりだ。」
「こんにちは、長官。貴方もお元気そうですな。」

 ペルラ・ドーマーが「黄昏の家」から3人が揃って出てきた理由を教えてくれた。

「ジャン=カルロスが、局長のところへ遊びに顔を出せと電話してきたのです。」
「丁度菓子が焼けたところだったので、タイミングが良かったですよ。」
「ロッシーニが?」

 ケンウッドは、秘書がボスを客の目から隠す目的で白髪頭の長老達を呼んだのだと気が付いた。
 なんだか可笑しく思えた。すると、ワッツが何かを思い出した。

「そう言えば、今日は外から通販の荷物が大量に入ってきたとコスビーが言ってましたな。なんでも、コートとマフラーを買った者が多かったとか・・・」
「ああ・・・」

 ペルラ・ドーマーが笑った。

「ジェレミーが言ってました、局長のコート姿がカッコ良かったので、真似したがるドーマー達がこぞって通販で購入したそうですよ。」


購入者 4 - 5

 宇宙開拓事業団の2人の職員は結局無断で散歩に出たにも関わらず、目的の人物に会えぬまま、帰る時間を迎えた。ケンウッドとブラコフは2人の高温多湿に強い頑健な体のドーマーの子種が入ったケースを彼女達に手渡した。グラッデンとバルトマンはそれぞれ受け取りに署名をして、送迎フロアへ向かった。

「今回の落下騒ぎは災難でしたわね。」

とグラッデンが言った。

「地球周回軌道防衛隊はテロリストの戦闘機を撃墜して通信衛星が破壊されるのを防ぎましたけど、地球に残骸が落ちて被害を出したことに関して、連邦議会で追求されるようですわ。」

 ケンウッドとブラコフは驚いた。

「テロリスト、と仰いましたか?」

 あらっとグラッデンとバルトマンは互いの顔を見合わせた。まさか地球の人々に今回の事件が知らされていなかったとは、知らなかったようだ。

「ご存知ありませんでしたの? 太陽系人類戦線と名乗る過激派が宇宙開拓に反対して破壊活動を企みましたのよ。」
「木星と海王星のコロニー数カ所で爆破事件などを起こして多数の犠牲者を出したので、軍が掃討作戦を行ったのです。そして最後のグループが地球に逃げ込もうとしたので、周回軌道防衛隊が迎撃しました。」
「それで破片が地球に落ちたのですか・・・ゴミでも無人戦闘機の暴走でもなく?」
「ええ・・・きっと地球の皆さんに心配をかけないように、嘘の説明をしたのですね。」

 ケンウッドとブラコフは顔を見合わせた。地球人類復活委員会は知っていたはずだ。だが真実を教えてくれなかった。まるで地球人に故意に宇宙の情報を教えないのと同じだ。ドームで働くコロニー人にも宇宙で起きた事件を教えてくれないなんて・・・。
 ケンウッドは客に言った。

「防衛軍が地球をしっかり守ってくれさえすれば、私達は何も知らなくても構いません。どうせ2週間遅れで情報が届きますからね。」

 グラッデンが苦笑した。

「わざと貴方方に情報をセイブしている訳ではないと思います。貴方方が事件を知れば、地球人にも伝わってしまうと危惧しているのでしょう。地球は再生の途中です。宇宙空間での争いとは無縁でいてもらいたいのです。」
「貴女方の事業団もテロの標的にされているのですね?」
「ええ・・・重役には護衛がついています。私達はただの職員ですから、却って目立たないと言う理由で今回の大役を仰せつかりました。」

 バルトマンががっかりした表情を作って言った。

「ローガン・ハイネのサインをもらえるかと期待したのですが、出会えませんでしたわ。」


 

購入者 4 - 4

 ローガン・ハイネ・ドーマーは遅めの昼食をそろそろ終えようとしていた。食事の後は庭園で昼寝をするのが習慣なのだが、停電騒ぎの後、なんとなく足がそちらへ向かなかった。気温は停電以前より低めに設定されてしまっており、芝生の上に横になるには寒かったのだ。だから昼寝は本部へ戻るかアパートに帰るか、或いは図書館でどこかの読書ブースに入って座ったまま寝るか、何れにしても彼の好みではなかった。
 昼寝が難しいのであれば、しなければ良い。宇宙から来た女達を探しに行こうか、と彼は考えた。ケンウッドに近づくなと言われたが、興味はある。何しろ・・・

 客は女だからな・・・

 彼が立ち上がろうとした時、「ローガン・ハイネ!」と呼ぶ声がした。振り返ると、車椅子に乗った男が近づいてくるところだった。頭髪は真っ白で顔も皺だらけになって、手足は若い頃の面影もなくやせ細っているが、まだ目は力強く光っており、肌の艶も良かった。ハイネは思わず微笑した。相手が彼のテーブルの対面に着くのを待って、「やあ」と声を掛けた。

「久しぶりじゃないか、若い連中をしごきに来たのか?」
「そんなことをしようものなら、鍋の中にぶち込まれてしまいますよ。」

 一般食堂の先代司厨長ジョージ・マイルズ・ドーマーだった。彼は大事そうに膝の上に抱えていた箱をテーブルの上に置いた。

「まだ温かいはずです、味見をしてもらえませんか?」

 彼が箱を開くと、フワリと湯気が立ち上り、甘い香りが広がった。ハイネが思わず満面の笑みを浮かべた。

「チーズの香りだ!」

 マイルズ元司厨長が言った。

「半熟とろとろチーズスフレです。遂に完成したのです。」
「なんと!!」

 ハイネは箱を覗き込んだ。きつね色に焼けた菓子が見えた。彼は元司厨長を改めて見た。

「私の為にわざわざ持って来てくれたのか?」
「当然でしょう。」

 その時、食堂に入って来た2人の老人がいた。どちらも頭髪はハイネに劣らず真っ白で、1人は杖を突いており、もう1人は両の足でしっかりと歩いてハイネのテーブルにやって来た。

「ジョージ、車椅子をかっ飛ばしては危ないじゃないか!」

とエイブラハム・ワッツ・ドーマーが杖で元司厨長を指して言った。

「ジョージはローガン・ハイネに会えると思ったら居ても立っても居られなかったのですよ。」

とグレゴリー・ペルラ・ドーマーが笑いながらワッツを宥めた。ハイネは「黄昏の家」から這い出して来た3人の旧友を眺め、それから菓子に目を落とした。

「取り皿が要るな。それからナイフとフォークも4人前だ。」
「私等は結構ですよ。散々試食させられましたから。」
「そう言わずに、一緒に食べよう。」

 ハイネは素早く配膳コーナーへ行き、新しい皿とフォークとナイフを4人分取って来た。ワッツが笑った。

「チーズが絡むと本当に行動力が半端じゃないんだから・・・」

 宇宙から来た客が一般食堂を覗き込んだ時、白髪の男性が4人、テーブルを囲んでわいわいお茶をしているのが見えた。彼女には誰が誰なのかわからなかった。ハイネは入り口に背を向けていたので。




購入者 4 - 3

 客が動いたのは、半時間後だった。ケンウッドが執政官達の研究報告を読んでいるところに、保安課から連絡が入った。殆ど同時にロッシーニにも電話が掛かってきた。

「グラッデン女史がゲストハウスから出た。止めようか?」
「いや・・・何処へ行くのか見張ってくれ。破壊工作はないと思うが、ドーマーに無闇に接触して欲しくない。」
「わかった。」

 ベックマン課長はロッシーニの要請を蹴った直後に同じ指示をケンウッドから受けたので、ちょっと機嫌が悪い。ドーマーを見くびってしまった己を悔やんでいるのだ。
 ケンウッドは客が犯罪を企んでいるとは思わなかったが、違和感がどうしても拭えなかったので、観察していたいのだ。宇宙開拓事業団は、人類居住可能な惑星を見つけると、そこを農業が可能な星に改造するのが仕事だ。工場を建てるだけの星には行かない。土地の改良だ。だから高温多湿の惑星を発見したと言うことは、水と酸素と気温が人間の生存可能な範囲と言う、非常に希少な星を手に入れたと言うことに他ならない。そこで開拓業務に従事する開拓団の人間の遺伝子を自然条件に合う様に組み替えるのだ。だからクローン製造施設等に興味を持つはずなのに、グラッデンもバルトマンも殆ど素通りに近かった。

 本当に宇宙開拓事業団の職員なのか?

 保安課の監視は監視カメラでの追跡だ。保安要員は制服着用なので、尾行はしない。尾行しているのは内務捜査班のドーマーだ。
 もう1人の客バルトマンがゲストハウスを出たのは10分後だった。こちらも保安課のカメラに捕捉されていたが当人は気づいていない。ロッシーニの部下も尾行しているのだが、目立たないのでバルトマンの視界に入っても注意を払われることはなかった。
 グラッデンは運動施設に向かっていた。バルトマンは遺伝子管理局本部を目指している。ケンウッドは彼女達が進化型1級遺伝子を求めているのではないかと思い始めた。
ローガン・ハイネ・ドーマーに出会いたければ運動施設か食堂に行くと良い。或いは本部の出入り口だ。まさか局長のサインをゲットしたいと言うのではあるまい。だが遺伝子を手に入れるのは不可能だ。ハイネをその気にさせねばならない。
 ケンウッドはハイネの端末に電話を掛けてみた。ハイネは5回目の呼び出し音で通話口に出た。長官からの電話だとわかったはずだが、出るのがちょっと遅い。

「ハイネです。」
「ケンウッドだ。今、本部かね?」
「いいえ・・・食事中です。」

 ケンウッドは時計を見た。午後2時だ。ハイネの食事時間はいつも遅いが、今日はそれより遅い。思わずそう感想を述べると、局長は言い訳した。

「ここ数日の寒波で北米での死者が多かったのです。特に独居高齢者の死亡率が高くて・・・」
「それはご苦労だった。仕事とは言え、辛いな・・・。」
「ご用件は?」
「それが・・・」

 ケンウッドはロッシーニの方を見た。ロッシーニは部下の報告を聴き終えて仕事に戻っていた。

「客がゲストハウスから抜け出して、1人が運動施設へ、もう1人が本部に向かっているそうだ。君に会いに行ったのかも知れない。」
「私の方では用はありません。無視してよろしいですか?」
「うん。無視して欲しい。」
「承知しました。」

 ケンウッドは電話を終えた。ロッシーニが顔を上げてこちらを見ていたので、彼は言った。

「ハイネは客に会うつもりはないそうだ。」

 しかし、ロッシーニはちょっと不安げな表情を見せた。

「しかし、あの方は女好きですから・・・」


購入者 4 - 2

 保安課への連絡をブラコフ副長官に任せてケンウッドは中央研究所の長官執務室に戻った。秘書席でロッシーニ・ドーマーが仕事をしていた。長官が戻って来たので、彼は立ち上がった。

「長官、ちょっとよろしいですか?」
「うん?」

 ケンウッドは秘書机の前で立ち止まった。ロッシーニはケンウッドと同世代だが、地球人なので少し老けて見える。しかし同じ世代のドームの外で暮らしている一般の地球人から見ればずっと若い。
 ロッシーニは躊躇わずに言った。

「今日の客に監視をつけました。」

 ケンウッドは思わず彼を見た。

「何故だね?」

 ロッシーニが無表情に彼を見返した。

「違和感を感じたからです。」

 ケンウッドは暫く黙ってドーマーの秘書を見つめた。彼が感じたことをロッシーニも感じたと言うのか? ケンウッドが何も言わないので、ロッシーニは付け加えた。

「出産管理区に興味を示さない女性は珍しいと思いましたので・・・」

 ケンウッドは頷いた。そして尋ねた。

「監視は内務捜査班か?」
「はい。さりげなく周囲に配置させました。保安課が動かなかったので・・・」
「保安課にブラコフが電話を入れた。私達も奇妙だと思ったのだ。取り越し苦労であると良いが・・・」
「武器は持っていないはずです。ドーム入場の際に徹底的にゲイトで消毒と検査を受けますから。」
「うん。だが、この違和感の原因は何だろうね? 彼女達はただのお遣いだ。そうでないなら、目的は何だ? と言う疑問が残る。」

購入者 4 - 1

 グラッデンとバルトマンは昼食を終えるとゲストハウスで帰りのシャトル迄の時間をゆっくり過ごしたいと言った。それでケンウッドとブラコフは彼女達をゲストハウスに送って中央研究所に戻った。2人で歩いている時、ふとケンウッドは副長官に尋ねた。

「君は彼女がいるのかな?」

 ブラコフはギョッとした表情で長官を見た。

「なんです、唐突に?」
「いや・・・つまり、女性の扱いに慣れているのかな、と思って・・・」

 ブラコフは毎月半ば頃、2日間の有給休暇を取って実家がある火星第1コロニーへ帰る。ケンウッドの手持ちの情報では、彼の両親は離婚しているが双方まだ元気でそれぞれ別の家庭を築いているとある。ブラコフが帰るのは母親が住んでいる所だが、母親と2日間べったりと言うことはないだろう。母親にはガブリエル以外にも子供がいるのだ。ケンウッドはブラコフには恋人がいるのではないかと疑っていた。
 副長官が苦笑した。

「今日の客のことを仰っているのでしたら、私は彼女達を女性とは意識せずにただの客だと思っています。」

 ケンウッド長官は独身だが、若い頃はもてたと長官の昔を知る火星の知人に聞いたことがあったので、ブラコフは長官こそ何故恋人を作らないのだろうと疑問に思っていた。研究者仲間の女性とは普通に接しているし、女性ドーマーにも男性ドーマー同様に声を掛けている。慣れているのは長官の方ではないのか、と思った。

「今日の客だが・・・」

 ケンウッドが声を低くした。

「なんだか違和感を感じるのは、私だけだろうか?」
「違和感?」
「過去の女性の訪問者は、ほとんどが出産管理区を見たがった。クローン製造施設も中を見たいと要求して来たものだ。しかし、今日の客は2人とも無関心だ。この地球人類復活委員会の出資者なのに、ドームの一番重要な場所に関心を持たないとはどう言うことだ?」

 ブラコフが足を止めた。ケンウッドが振り返ると、彼はゲストハウスを見ていた。

「そうですね・・・赤ん坊に関心を示さない女性は少なくありませんが、なんだかおかしいです。ただのお遣いだとしても、宇宙開拓事業団の職員なら、もっとドーム事業の本質に興味を示すはずです。本社に報告する任務もあるでしょうし・・・」

 ブラコフがゲストハウスの方へ戻り掛けたので、ケンウッドは腕を掴んだ。

「行ってどうする? 保安課に監視させるのだ。」



購入者 3 - 10

 長官執務室の主人が食堂で接客に精を出している頃、部屋ではドーマー秘書のジャン=カルロス・ロッシーニが執政官達から送られてくる研究報告書の整理に励んでいた。コロニー人秘書ヴァンサン・ヴェルティエンは副長官秘書と共に客が帰る時に持たせる品物の準備の為に送迎フロアの方へ出かけていた。
 客は中央研究所の入り口ロビーまで来たが、長官、副長官とはゲストハウスで面談した。それから儀礼的に各研究施設の入り口を見て回っただけだ。長官執務室も副長官執務室にも入らなかった。否、ケンウッドは入れなかったのだ。客は宇宙開拓事業団の社員であって、重役ではないし、研究者でもないからだ。ただ冷凍精液を運ぶ為だけに来たお遣いだ。出資者様のお遣いだから、失礼がないようおもてなしをする、それだけだ。
 ロッシーニは中央研究所で働いて長いので、コロニー人女性を数多く見てきた。9割は遺伝子学者か産婦人科医だ。たまにメディア関係の記者も来た。出資者様のお遣いの相手も初めてではない。しかし、今日の客は何か違っている様な印象を受けた。だから、長官や客と別れて長官執務室に戻った時、保安課のアーノルド・ベックマン課長に電話を掛けた。
 客の身元は確かなのか、と言うロッシーニの質問に、ベックマンは笑った。

「地球に降りてくるコロニー人は、月でしっかりとしたチェックを受けてからシャトルに乗るのだ。それにドームに入る時、徹底的に消毒するのは君等だろうが? 密入国なんて出来やしないさ、ドーマー君。」

 ベックマンはロッシーニと同年齢の66歳だが、コロニー人なので地球人より若く見える。それにコロニー人はドーマーを子供として見ると言うルールがあるので、ロッシーニに対しても年下として口を利く。ロッシーニは慣れているはずだが、この返答にはちょっと気を悪くした。彼は地球を守る目的で質問をした。もっと真剣に答えて欲しかった。

「わかりました。」

と返答して電話を切ると、彼は次に遺伝子管理局の内務捜査班オフィスに掛けた。副官のドーマーが出たので、彼は宇宙から来た客から目を離さない様にと指示を出した。

「客には長官がついていますが?」
「だから心配なのだ。あの長官は人が良いから。」
「しかし、客にはドーマーを近づけるなと指示が出ています。」
「1人も近づかないのは却って可笑しいだろう?」
「わかりました。では数名、さりげなくまとわりつかせます。」

購入者 3 - 9

 グラッデンが食後のコーヒーを飲みながらケンウッドにまた質問した。

「長官は何故地球で働こうと思われたのですか?」
「私は皮膚の老化と遺伝子の関係を研究する学者です。人間だけでなく、動物の表皮にも興味がありまして、若い頃に象を見たいと思ったのですよ。それで地球派遣の研究者の採用に応募した時、アフリカを任地に希望したのですが、籤引きでアメリカに当たってしまいまして、それ以来、ずっとここにいます。」
「転属願いは出されずに?」
「執政官は上司の推薦がなければ自分から赴任先を選べないのです。」

 するとガブリエル・ブラコフ副長官も口を挟んだ。

「私も皮膚の研究者です。ケンウッド博士の不肖の弟子でして・・・」
「貴方も老化を研究なさっているの?」
「私の場合は、紫外線と皮膚の関係です。老化現象も含みますが・・・」
「何故、不肖などと仰るの?」

 ケンウッドとブラコフは互いの顔を見合った。ブラコフが言った。

「前任の長官が退職された時、副長官だったケンウッド博士が前任者と月の本部の委員達の推薦で長官に昇格されました。ところが副長官の席が空いてしまいまして、1ヶ月程空席になってしまったのです。」
「なり手がなかったのですか?」
「いいえ、希望者が多過ぎて、本部が選任に手間取ったのです。ですが、副長官が不在だと長官の仕事が滞ってしまいます。何もかも1人ですることになりますからね。それで、弟子の私が手伝っていたら、ケンウッド長官が本部に、『ブラコフで構わないから、早く決めてくれ』と・・・」

 後半の説明はほとんど笑顔で喋ったので、ケンウッドも笑うしかなかった。グラッデンもバルトマンも笑った。

「でも実力があったから、長官に選ばれたのでしょう?」
「そうだと良いのですが・・・」
「そうだよ、ガブリエル。君が一番よく働いてくれるからさ。」

 バルトマンは博士達の研究に興味を惹かれた。

「皮膚の老化研究と言うことは、若返りのヒントも研究なさっているのかしら?」
「いいえ、遺伝子に与える影響です。皮膚の老化現象が外気の放射線や太陽光を体内に浸透させる量にどう影響するのか、それが細胞内の遺伝子にどんな作用を与えるのか、つまり最終的には女性誕生のメカニズムにどんな影響を与えて行くのか、と言う研究です。」

 ブラコフの説明に、ケンウッドが簡潔に結論を加えた。

「地球上の全てのドームの最終研究目標は、地球に女性を誕生させること、それに尽きます。」



2018年1月13日土曜日

購入者 3 - 8

 遺伝子管理局長の協力のお陰で、高温多湿に強く、また体力的にも頑丈な若者2人が「お勤め」を無事に果たした。1人は輸送班、1人は運動施設の管理整備員だった。
この「お勤め」を担当した執政官は正副長官2名で、それだけで中央研究所で働く人々は、コロニー人もドーマーも、今回の「お勤め」は重要な仕事なのだなと察した。
 宇宙からの客は4日目にやって来た。2名の女性で、てっきり男性が来るものと思っていたアメリカ・ドームの住人達はちょっと驚いた。彼女達はケンウッド長官とブラコフ副長官の歓迎を受け、儀礼的にドームの施設見学をして、中央研究所の食堂でランチを食べた。

「地球の食材をいただくと暫くはコロニーの食事が不味く感じられる、と言う伝説は真実でしたのね。」

と彼女達はドームの食事を褒め称えた。ケンウッドもブラコフも自分達が食材を作った訳でも料理した訳でもないのに嬉しかった。
 客が食事をしている間、食堂内にいたのはコロニー人ばかりで、しかも出産管理区の女性達が見えるはずのガラス張りの壁は「目隠しモード」になっており、地球人の姿が見えないようになっていた。勿論客はそんな仕掛けに気がつかなかった。地球人は見世物ではない、と言うケンウッドの考え方を、ドームで働く他のコロニー人達全員が支持してくれているのだ。客が目にするのは、忙しく働いているドーマーばかりだった。
 グラッデンと名乗った女性が食堂内を見回した。

「確か、ローガン・ハイネはこちらのドームに住んでいるドーマーでしたわね?」

 春分祭の中継を見てハイネのファンになったに違いない。バルトマンと名乗った女性も期待を込めて頷いた。

「そうよ、白い髪の地球人はここの人ですよね?」

 ケンウッドが一瞬どう答えようかと迷って間を置いてしまったので、ブラコフが代わりに答えた。

「そうです。しかし残念ながら彼はご挨拶に出て来られません。」
「ちょっとお顔を拝見するのも出来ませんの?」
「遺伝子管理の仕事は大変重要かつ難しいのです。彼は毎日多忙で、我々も滅多に出会えません。春分祭の様な行事でもなければ彼は現れないのです。」
「ドームの中に住んでいるのに?」
「ええ・・・我々は彼の仕事の邪魔をしてはいけないと言う規則を守らねばなりません。」
「見学も駄目なの?」
「遺伝子管理局は地球人の役所です。コロニー人の立ち入りは法律で禁じられています。」

 それは真実だった。もっとも執政官の中には顔パスで入ってしまう人間もいるが・・・。

「それじゃ・・・頭をツルツルにした若い人は?」

 ポール・レイン・ドーマーだな、と見当はついたが、これも会わせる訳に行かなかった。何故なら・・・

「彼は今日はアラスカへ出張しています。」
「あら・・・がっかり。」
「可愛らしい南米の男の子がいましたよね? ラップの上手な背が高い、ドレッドヘアの・・・」
「彼もアラスカです。あの2人はコンビを組んでいまして、外回り中です。」
「まぁ、美男子がセットでお出かけ?」

 他のハンサムなドーマー達も挙げられたが、どれも多忙なのだった。実際、ドーマー達は遊んでいる人間などいないのだ。そして彼等が仕事を終える夕刻には、彼女達は宇宙へ帰るのだ。


購入者 3 - 7

 食事が終わると、ケンウッドとハイネはクロエル・ドーマーと別れて遺伝子管理局本部へ行った。既に業務は終わっていて夜勤の受付と残業の内勤業務をしている局員しか残っていない建物に入り、局長執務室へ向かった。受付は局長が仕事を上がった後でも戻って来ることが珍しくないので何も言わなかった。
 停電が解消されたばかりで、広い局長室はガランとして空気が冷たかった。ハイネは部分暖房を入れて送風口の近くに椅子を置いた。2人はそれぞれ送風口の方を向いて座った。
 落ち着くと、ケンウッドは直ぐに要件に入った。

「今回の墜落事故は、実は浮遊ゴミの墜落ではなく、宇宙防衛軍が演習中に起きた無人戦闘機の事故なのだよ。」

 ハイネが黙っているので、彼は続けた。

「無人機が暴走したので軍は安全の為に破壊したのだが、運悪く地球の引力圏に入ってしまっていた。それで空気の摩擦で燃えた戦闘機の燃えカスが地上に落下したのだ。だから送電線ケーブルの修理費は軍が支払うことになっていた。」

 過去形に気が付いたハイネがケンウッドを見た。ケンウッドは彼の無言の問いかけに答えた。

「軍は支払えなくなったのだ。シティにも被害が出ただろう? あちらの被害の方が甚大でね、地球政府の要請により、軍はあっちを優先することにした。それで、地球人類復活委員会に支払い代金の立て替えを頼んで来たそうだ。」
「委員会は支払う気がないのですか?」
「委員会にも金はない。」

とケンウッドは言った。

「いや、元々委員会自体、営利団体ではないからね。出資者達に払ってもらうのがベストなのだが、その出資者の一つにケーブルの部品製造会社が債権を売ったのだよ。それが、宇宙開拓事業団で・・・」
「ああ・・・」

と得心がいったとハイネが頷いた。

「宇宙開拓事業団が部品会社にケーブル代を支払ったので、その代金を地球人の遺伝子で支払えと地球人類復活委員会に請求して来たのですね。」

 ハイネの様に物分かりの良いドーマーがいるとドームは助かる。ケンウッドは固い表情で頷いた。

「そう言うことだ。軍は1年以内にこちらへ立て替え代金を返すと言っているそうだが、私は宛にならないと思う。ケーブルの代金は戦闘機より安いが、連中はケチだから・・・」
「期限はいつ迄です?」

 ハイネはケンウッドの愚痴を遮った。問題はさっさと片付けようと言うことだ。
 ケンウッドは正直に答えた。

「3日以内だ。しかも、高温多湿の気候に耐えられる遺伝子が欲しいと条件が付いている。委員長は2人分で十分だと言っているが・・・」
「高温多湿に耐えられる人種でしたら・・・」

 ハイネは端末を出してちゃっちゃと検索した。

「インドネシア系とベトナム系のドーマーが数名います。勤務予定を調べて明日の午前中に『お勤め』指示を出しておきましょう。2人だけでよろしいのですね?」
「うん。頼んだよ、君の素早い対応は本当に助かる。」

なぁに、とハイネは小さく笑った。

「子供達も具体的にドームの役に立つことでしたら喜んで協力してくれますよ。」
「宇宙開拓事業団の係は4日後に地球へ降りて来るそうだ。なるべく彼等がドーマーと直接接触しないように気をつけて対応する。」
「私は挨拶に出た方がよろしいでしょうか?」
「いや、その必要はない。ハナオカ委員長も君が彼等に会うことを望んでいない。」
「成る程・・・」

 ハイネはちょっと考え込むふりをした。

「では、若い者はお客さんの前に出来るだけ出ないように言っておきます。コスビーにも伝えておきます。」




購入者 3 - 6

 ローガン・ハイネ遺伝子管理局長はニコラス・ケンウッド長官とクロエル・ドーマー遺伝子管理局員が座っているテーブルにやって来た。トレイを空いている席のところに置いて、「珍しい組み合わせですな」と言いながら座った。クロエルは憧れの局長が隣に座ったので、もう幸福絶頂と言う表情だ。

「1人より2人で食べた方が楽しいからね。」

とケンウッドは普段1人で食事をする習慣の局長に言った。ハイネは肯定も否定もしなかった。クロエルが肉にナイフを入れた局長に尋ねた。

「さっきは司厨長と何か議論されてました?」
「肉の大きさについてな・・・」

 ハイネはどうでも良いことに時々こだわる。司厨長も無視しても構わない抗議にまともに反論する。厨房の恒例行事みたいなものだ。
 ケンウッドは食べ物の話題に突っ込まないことにしている。局長と司厨長、どっちの方を持っても長官として不適切な行為になるから。それよりも・・・

「食事の後で君に相談したいことがある。この後は何か予定があるかね?」
「いいえ、ジムで軽く食後の運動をして、アパートに帰って寝るだけですよ。」

 ドーマーが周辺に大勢いる場所で、宇宙開拓事業団の「買い物」について相談する訳にいかない。

「それでは、運動が終わったら私に電話をくれないか? 会う場所はそれから決めよう。」

 恐らくそれだけで厄介な要件だと察しがついたのだろう。ハイネは肉を一口大に切り分けながら提案した。

「食事後すぐではいけませんか? 気になります。何かを気にしながら運動するのは良くない。」
「何かを気にしながら食べるのも良くない。」

とクロエルがすぐに茶茶を入れた。ハイネは彼を横目で見てから、切り分けていない肉の塊を部下の皿の上に置いた。クロエルは思わぬ贈り物に目を輝かせた。

「良いんすか?!」
「構わないから、それを食べて大人しくしていなさい。」

 上司の会話に口を挟むなと言われたのに、クロエルは幸せいっぱいの顔で肉を食べ始めた。
 ケンウッドは可笑しく思ったが、笑うのを我慢してハイネに言った。

「送電ケーブルの代金支払いをしばらく立て替えてくれと、月が言って来たのだよ。」

 本当は宇宙防衛軍が言ってきた訳だが、地球人に宇宙での政治の話は聞かせたくなかった。ただの宇宙ゴミの落下と言うことになっている無人戦闘機の墜落を地球人に教えたくなかった。だから今回の案件に軍の存在が関係していることを言いたくないのだ。
 ハイネは聡い。何かもっと複雑な事情があると察した様で、「わかりました」とだけ答え、食事に集中した。


2018年1月12日金曜日

購入者 3 - 5

 食堂のテーブルで、クロエル・ドーマーは仕事中に体験した面白い出来事や珍しい物を休む暇なく喋った。ケンウッドはそれを心から楽しむことが出来た。クロエルは話し方も上手だ。相手を退屈させず、うんざりさせることもない。

 ヘンリーやケンタロウが常日頃言っているが、この子はドーマーでなければ絶対に芸能界で大成功していただろうな・・・

 1人の人間の輝かしい人生を駄目にしてしまったのだろうか? しかし、クロエルはドームの生活も楽しんでいる。彼は仲間が大好きなのだ。そして一番好きな人物は・・・
 喋っていたクロエルが一つの話に区切りをつけて飲み物を口に含んだ時、誰かが彼の目に入ったようだ。彼は口の中の物をゴックンと飲み込んでから言った。

「御大が来られましたよ!」

 ケンウッドがその視線を追うと、丁度ハイネ局長が食堂に入って来て配膳コーナーに向かうところだった。彼に相談したいことがあったケンウッドが、好都合だと思った時、クロエルが囁いた。

「良かったすね、長官。局長に相談事がおありでしょう?」

え? とケンウッドは驚いて彼に向き直った。何故わかるのだ? しかしクロエルは「エヘヘ」と笑って種明かしをした。

「だって、歩いている間、長官はずっとドーマー達に目を配っていたっしょ? そんな場合、大概貴方は局長か医療区長を探しておられます。」
「へぇ・・・君にはわかるんだ?」
「お互い、長い付き合いじゃないっすか!」

 クロエルは呟いた。

「僕ちゃん達、ドーマーもコロニー人も家族なんすよね。」

 ケンウッドはこのガタイのでかい若者を抱きしめたくなった。体格の良し悪しも大きさも美醜も関係ない。年齢も関係ない。ドーマーは全員彼にとって可愛い子供達だった。
 配膳コーナーで何か一悶着あった様だ。ハイネは暫くそこで足を止め、今月の司厨長が配膳棚の向こうで彼を相手に何かまくし立てていた。
 クロエルが囁いた。

「また御大が何かに文句を言ったんですね?」
「その様だね・・・あの司厨長はやっと彼に口答え出来るようになったんだな。」

 厨房班に喧嘩をふっかけるのは、ハイネ局長の趣味の一つだ。勿論本気で怒っているのではない。ちょっとだけ我儘を言って甘えたいのだ。そして月交代制の3名の司厨長は、それぞれのやり方で彼の相手をする。受け答えのテクニックが研かれ、彼等は他のドーマーや執政官達からの苦情の処理が上手くなっていくのだった。
 やがて決着がついたのか、局長が配膳コーナーから離れ、レジに向かった。彼が視線を食堂内に走らせた時、ケンウッドは片手を挙げて合図した。


2018年1月11日木曜日

購入者 3 - 4

 人間の遺伝子に値段をつけると言う考え方を、遺伝子学者ケンウッドは気に入らなかった。きっと親友のヘンリー・パーシバルもヤマザキ・ケンタロウも同意見だ。しかし地球人類復活委員会がお金に変えられる物と言えば、それも高額な商品となる物と言えば、ストックしている地球人の遺伝子しかないのだ。
 ハナオカ委員長は、送電ケーブルの代金なので2人分の遺伝子で十分だと言った。通信を終えたケンウッドは溜め息をついた。現在16人分の精液を冷凍保存しているが、どれも使い道が既に決まっている。ケーブルの代金に回せる物はない。そんなことをすれば研究の進行に支障が出る。ケンウッドは学者だから、研究を優先した。
 代金にする遺伝子は、やはり「お勤め」で新しく採取しなければならない。
 2人の秘書は既に仕事を終えて上がっていたので、彼は執務室の戸締りを自身でして、中央研究所を出た。夕食を取る為に歩き出した。中央研究所には立派な食堂があるが、彼は一般食堂の方が好きだ。ドーマー達の喧騒を聞きながら食べるのが彼の好みだった。
今夜はちょっと遅い時刻になっていたが、まだ利用者は大勢いるはずだ。アジア系のドーマーを探してみようと考えながら歩いていると、後ろから声をかけてきた者がいた。

「こんばんは! 今夜はお一人ですかぁ?」

 陽気な声に振り返ると、クロエル・ドーマーがニコニコしながら立っていた。真っ赤なフェルトの帽子を被り、赤やオレンジや青の縞模様のウールのコートを着て、白いマフラーを首に巻いていた。ド派手だが、似合っていた。クロエルは南米人の子供だ。母親は由緒正しい生粋の先住民だ。しかし父親が不明だった。アフリカ系の血が入っていることは確かだ。クロエル自身の身体的特徴が、彼のルーツの一つがアフリカであることを如実に表していた。南米人にしては肌の色が黒く、長身で肩幅も広い、がっしりとした体型だが、筋肉は均衡を保ち、骨は意外にしなやかだ。髪の毛はチリチリと細かく縮れているのを長く伸ばしている。

 この子の父親が誰なのか判明していたら、きっとハナオカはこの子を指名してきただろう。

 しかし実際は具体的な指名はなく、ハナオカはアジア系を重視していた。アメリカ・ドームのドーマーの中で南米人は少なくないが、全員が人種的にミックスだ。生粋の南米先住民は宇宙に出なかったのか、コロニーから提供された卵子に南米人の物はなかった。
 クロエル・ドーマーは他人の感情の変化などに敏感だが、気づかない振りも巧い。ケンウッド長官が彼の顔を見て何か悩ましげな目つきをしたことに気が付いたが、すっとぼけた。

「長官、これからご飯ですかぁ? ご一緒してもよろしいですかぁ?」

 いつもなら「ご飯すか?」「よろしいっすか?」と言う訛りで話しかけるのだが、何故か正しい発音で喋ろうとしていた。
 ケンウッドは我に返った。ドーマーに悩んでいるところを見せたくなかった。彼は笑顔を作った。

「ああ、構わないよ。一緒に食べよう。」

 大きな体に似合わず可愛らしい顔をした南米人のドーマーが喜んで彼に並んだ。

「今日は休みなのかね、クロエル?」
「カナダが悪天候で、飛行機が飛ばなかったんす・・・飛ばなかったんです。」
「いつもの喋り方でいいよ、クロエル。」
「いや、練習ですから・・・」
「誰かに注意されたのかね?」
「内勤の先生に・・・」

 クロエル・ドーマーは、チーフ・チェイスに指示されて報告書の正しい書き方を教わりに内勤オフィスへ行ったのだと説明した。そこで外回りの仕事を引退した大先輩達にスペイン語の訛りを指摘された。

「こっちへ来て15年以上経っているのに、まだ訛っているのはけしからんことだそうです。」

 ケンウッドは思わず笑った。クロエルは今この瞬間、綺麗な英語を喋っている。ちゃんと習得しているのだ。でも訛っている英語を話せば周囲が彼を認識しやすい。だから彼は流暢に英語を話せるにも関わらず、訛っている英語を日常話す。それが彼らしいのだから。

「苦労だね、クロエル。君の仲間は君がどんな言葉を話そうが気にしないだろう?」
「そうです・・・長官にそう仰って頂けると、気が楽になります。」

2018年1月10日水曜日

購入者 3 - 3

 宇宙開拓事業団は、地球人類復活委員会のドーム事業に最も多額の資金を出している出資者だ。彼等が出資する目的は、未知の惑星開拓の為に人間の遺伝子を改造する目的で進化型遺伝子を地球にストックすることだ。だから、本来地球上に存在しないはずの進化型遺伝子を持つ女性の卵子がクローン用に提供され、その遺伝子を受け継ぐ男子の赤ん坊が生まれてくる訳だ。遺伝子管理局長ローガン・ハイネもミヒャエル・マリノフスキーも、逃亡中のダリル・セイヤーズも、ストック用に誕生させられた子供なのだ。
 だが、宇宙開拓事業団が必要とする遺伝子は必ずしも進化型だけとは限らない。人類のオリジナルである地球人の肉体は、宇宙で改良された人類の肉体と比べると劣っているかも知れないが、オリジナルであるが故の利点もたくさんあるのだ。何よりも一番の利点は「代を重ねても簡単には変化しない」ことだ。地球人は何代経ても「人間」なのだ。だから改良型遺伝子を持って生まれた人類に病気が発生した場合、地球人の遺伝子を調べて改良型の何が良くなかったのか発見出来る。それに宇宙では予想しなかった環境の惑星が沢山あるし、それに適応する遺伝子組み替えを行うには、オリジナルが必要だった。
 ハナオカ委員長はケンウッドに言った。

「今回の売り物は、湿度の高い環境に耐え得る人種の遺伝子だ。」

 ケンウッドは数秒間黙してから意見した。

「それは東アジア・ドームのドーマー達の遺伝子でしょう?」
「ケンウッド君、送電ケーブルを購入したのは、アメリカだろう?」

 ああ、そうだった、これは送電ケーブルの代金支払いの話なのだ。ケンウッドは苦い思いを噛み締めた。こちらに落ち度がある訳でないのに、どうしてこんな話になるのだ?

「わかりました。アジア系のドーマーに『お勤め』をさせよ、と言うことですね?」
「そう言うことになるかな。アメリカには南米人もいると思うが・・・」
「ドーマーとして育てたのは移民の子孫です。生粋の南米人は数が少ないし、取り替え子をしようにもコロニー人に同じ人種が見つからないのです。」
「ああ・・・そうだったな・・・」

 アメリカ勤務だった頃を思い出したのか、ハナオカは渋い顔をした。ハナオカもアジア系だな、とケンウッドはぼんやりと思った。残念ながらコロニー人なので売り物として価値がないのだ。
 
「ハイネ局長と相談して、『お勤め』をドーマーに指図します。」
「出来れば3日以内に頼む。4日後に開拓事業団の係の者が地球に降りる予定になっている。それまでに済ませてくれれば、ドーマー達も事業団の連中と直接接触せずに済むだろう。」

 そして最後にハナオカはケンウッドに注意を与えた。

「万が一連中がハイネに興味を持っても、絶対に相手にするな。進化型1級遺伝子は、ケーブル代より遥かに高価なのだからな。」


2018年1月9日火曜日

購入者 3 - 2

 夕刻、ケンウッドが仕事を終えて夕食に出かけようと片付けをしていると、月の執行部から連絡が入った。本部からの通信は大概ロクでもない用件だ。ケンウッドは渋々応答した。
 画面にハナオカ委員長が現れた。3年前に先代ハレンバーグが勇退して、選挙で選ばれた男だ。ハレンバーグ時代は書記長をしていた。アメリカ・ドームの遺伝子管理局第15代局長だったランディ・マーカス・ドーマーがかつて「無害なコロニー人」と評した人物だ。つまり、凡人だと言ったのだ。

「こんばんは。」

とハナオカがアメリカ東海岸の時間を考慮に入れて挨拶した。ケンウッドが挨拶を返すと、委員長はその日の出来事に触れた。

「送電線の修理は終わったかね? 」
「はい、うちの優秀なドーマー達が極寒の外気の中で3時間かけて修復作業をしてくれました。」

 ハナオカが微笑んだ。彼はアメリカ・ドーム執政官のOBだ。ロビン・コスビー維持班総代表は彼がここに勤務していた時代に生まれたのだ。届出があった胎児の中から採用するドーマーを選考した会議に、彼も加わっていた。

「コスビーはワッツが認めた男だ、優秀であって当然だ。」

 まさか自身で選んだドーマーの優秀さを確認する為に通信している訳ではあるまい。ケンウッドが目で本題を催促すると、ハナオカはそれに気づいた。彼は咳払いして、ちょっとだけ躊躇った。

「実は、送電線の部品代のことなのだが・・・」
「宇宙軍が全額負担すると言うお話だったと思いますが?」
「勿論あちらが全額負担する。ただ、今直ぐと言う訳にはいかないそうだ。」

 ケンウッドは画面を見つめた。

「何です、それ?」
「ほら、あの落下した部品はドーム周辺のシティにも被害を及ぼしただろう?」
「ええ・・・ドームからも火災や停電しているのがわかりましたが・・・?」

 ケンウッドは嫌な予感がした。もしかして、優先事項ってやつか?
 ハナオカが「軍が言っているんだ」と強調して前置きした。

「地球政府からの要求で、シティの被害総額を軍が賠償するのだそうだ。」
「当然でしょう。」
「しかし、防衛軍の財政は決して豊かではない。」
「・・・」
「それで、軍は先ずはシティへ支払う賠償金を優先させることにした。」
「では送電線の部品の支払いは・・・」
「当方が立て替えることになった。軍は1年以内には返してくれるそうだが・・・。」

 信じられるものか。ケンウッドは気分が落ち込んだ。執行部も財政が豊かとは言えない。地球人類復活委員会は、有志の寄付金で運営されているのだ。その有志と言うのは、宇宙で事業を展開する企業や富豪達、所謂「出資者様」達のことだ。出資者達は綺麗事でドームを経営しているのではない。地球人を絶滅の危機から救うことで、地球にまだ豊富に残っている天然資源の採掘権や、広大な農地から収穫される農産物の仕入れ権を得たいのだ。送電線の代金など出資者様の財政レベルではワンコイン以下だ。それを直ぐに払ってくれないとなると・・・
 ケンウッドはハナオカに確認した。

「『当方』とは、当アメリカ・ドームのことですね?」

 ハナオカが重々しく頷いた。彼はケンウッドが一番懸念していた案を言葉に出した。

「ドーマー達の遺伝子を宇宙開拓事業団に売る。部品の業者が債権をあそこへ売ったのだ。」

2018年1月8日月曜日

購入者 3 - 1

 新しいケーブルの部品が翌日の昼前に届いた。ロビン・コスビー維持班総代表は早速技術系執政官立会いの下で荷物の内容を検めた。これには副長官ガブリエル・ブラコフも立ち会った。そして昼食も取らずにコスビー率いるアメリカ・ドームの技術屋達は作業着の上に防寒具を重ね着て寒風吹き荒ぶ外へ出かけて行った。
 ケンウッドは作業の様子を長官執務室でモニター観察した。地球人達はロボットを使いながらも細かな部分は自分達の手で修理した。コスビーと若いドーマーの2人が手袋を脱いで素手で小さな鋲を留める作業に入った時には、ケンウッドは思わず「止さないか!」と独り言を叫んでいた。凍傷や傷がドーマーの手を痛めつけないかと心配で堪らなかった。横で一緒にモニターを見ていたドーマーの秘書ロッシーニが思わず苦笑した。

「心配症ですな、長官。」
「からかうな、ジャン=カルロス。私は宇宙で怪我をした人々の診察をした経験がある。宇宙空間にも細菌は居るし、船外温度は極地より低いのだ。地球人の君には想像出来ない様な酷い症状に陥った男もいた。ドーマー達にはあの男の様な辛い目に遭って欲しくないのだよ。」
「それは失礼しました。コスビーにはもっと短時間で仕事を終えるよう言っておきます。」

 だが低温の場所では人間の作業効率は落ちるのだ。ケンウッドは時短よりロボットをもっと使えと言いたかった。
 たっぷり3時間使ってコスビーのチームは送電線の修理を完徹した。コスビーはモニター用カメラに向かって、勝利宣言をするかの如くOKとサインを出した。
 中央研究所の照明がグッと明るくなった。エアコンから温風が出て来た。「ああ」とロッシーニが肩の力を脱いた様な声を出した。

「これでハイネ局長の素敵なコート姿ともお別れですな・・・」
「そうだね。」

 ケンウッドも惜しい気がした。通年気温が安定しているドーム内部では、コート着用は不要なのだ。するとブラコフが思わぬ提案をした。

「『外』の気温を冬はちょっと下げてはどうですか? 地球人の体力なら耐えられる温度にして、建物の内と外に温度差を設けるのです。電力節約になりますし、ドーマー達にも刺激になるでしょう。」


購入者 2 - 9

「長官、停電は何時解消されるんすか?」

 クロエル・ドーマーが温かいシチューで生き返ったのか、元気を取り戻した。若いって良いな、と思いながらケンウッドは、順調なら明日の午後かな、と答えた。

「吹雪にならなければ維持班が修復してくれるはずだ。」
「コスビー・ドーマーは雨でも平気ですよ。」

とセルシウスが呟いた。雨と雪は違うとレインは言いたかったが、シュナイダーにまた絡まれたくなかったので黙っていた。ハイネは再び食事に神経を注いでおり、停電の話題に入ってこなかった。彼が何に興味を抱くのか部下達はさっぱりわからない。既に維持班から停電対策の説明を聞かされているので、食事中に話題にしたくないだけなのかも知れない。
 突然ネピア・ドーマーがチェイス・ドーマーに話し掛けた。

「明日も局長室で業務をするつもりですか?」

 ケンウッドが何の事なのかなと思った時、クロエルも尋ねた。

「そうそう、どうしてさっきは局長室だったんすか? チーフのオフィスでも良かったと思いますけど?」

 ケンウッドはきっとキョトンとした表情を浮かべたのだろう。セルシウス・ドーマーがそれとなく説明してくれた。

「チェイス・ドーマーの部屋の照明が電圧低下で落ちてしまったので、彼は局長室で若い連中の報告書をチェックしていたのです。そのままそこへレインとクロエルを呼び出したので、ネピア・ドーマーは機嫌が悪い。」
「私はただ・・・」

 ネピアがちょっと慌てた。心の狭い人間だと思われたくなくて、急いで言い訳した。

「局長室の業務の妨げにならないかと気になっただけです。」
「局長が許可されたのだから、秘書の我々が口を出す事ではないぞ、ネピア。」

 セルシウスがやんわりと先輩らしく注意した。がっしりとした体格で口髭を生やしているせいで怖いイメージを持たれる男だが、実際は気が優しいのだ。お堅いネピアもあまり反発を感じない様子で、素直に「わかりました」と応じた。
 チェイス・ドーマーが苦笑した。

「明日は、注射の効力切れ休暇で業務を休みます。お邪魔はしませんから、ご安心を。」
「なんだ・・・来ないのか・・・」

とハイネがいきなりがっかりした様な声を出して、一同を驚かせた。

「折角若い者が来て賑やかで面白かったのに・・・」



2018年1月7日日曜日

購入者 2 - 8

 レインとクロエルの報告書の内容を聞かされて、ケンウッドは思わず声を立てて笑ってしまった。勿論ドーマー達はドームの最高責任者に向かって腹を立てたりしない。しかしレインは赤くなり、クロエルは唇を尖らせて笑われたことに対して不満を表した。

「笑ってすまなかった。」

とケンウッドは謝った。

「だけど、『てん、てん、てん』だけの報告書はないだろう?」
「だって、死ぬほど寒かったんですう・・・」

 クロエルは哀しそうに抗議した。チェイスが長官に言った。

「南米班と北米南部班が手抜き教育をしたとは思いませんが、コイツ等、ちょっと気が緩んでますよ。」

 シュナイダーが頷き、お固い秘書として有名なネピアも同意した。ハイネは我関せずの顔で食べることに集中している。
 ケンウッドはクロエルとレインに尋ねてみた。

「カナダはどれだけの寒さだったのだい?」
「そりゃもう、吹雪で前は見えないし、路面は凍結してツルツルだし、位置確認システムはダウンするし・・・」

 クロエルが早口でまくし立てると、リーダーのシュナイダーが口を挟んだ。

「天候を事前にチェックして、ブリザードが来るとわかっていたのです。だから部下達に今回はオタワとモントリオール周辺だけにしておけと言ったのですがね・・・この2人は北側の森林地帯に入り込んじゃって、4時間も連絡を絶っていたんですよ。電話も嵐で通じないし、遭難したのかと心配で、局長に衛星で体内電波を探査してもらおうかとチーフに相談していたら、やっとレインが電話を掛けてきて・・・」

 ケンウッドが視線を向けたので、レインが言い訳した。

「吹雪で視界を奪われてしまい、動くのは危険だと判断しました。路上に停車して吹雪が止むのを待つ間、エネルギー節約のためにエンジンを切っていました。電話もバッテリー節約で切って・・・」
「せめて、その連絡ぐらい事前にしろよな!」

 シュナイダーは心配させられた分、腹が立ったようだ。

「ケベックシティ近郊ではバスやトラック等20台の車が事故を起こして大勢の死傷者が出ていたんだ。君等が巻き込まれたんじゃないかと気が気じゃなかった。」
「・・・もうそれ3回も聞きました。」
「ケベックには行きませんよ。最初から予定に入れていません。」

とつい口答えする若造2人。反省しているのかしていないのか、ケンウッドには判断つきかねた。すると、ハイネが初めて口を挟んだ。

「シュナイダー、もうそれぐらいにしてやれ。レインもクロエルも早く温かい物を腹に入れろ。レインは明日効力切れの日だ。温めておかないと体が保たないぞ。」

 シュナイダー・ドーマーが素直に引き下がったので、やっと平の2人は落ち着いて食事にありつけた。ケンウッドは対面のハイネを見て、微笑んで見せた。ハイネもちょっと笑って返した。ハイネはチェイスとシュナイダーの怒りを解消させ、若いレインとクロエルに上司の心配する気持ちを聞かせたのだ。しかししつこい叱責は逆効果を生む。だから適当な時を見計らって介入した。

購入者 2 - 7

 ニコラス・ケンウッド長官が遅めの夕食を取りに一般食堂に行くと、ハイネ局長が部下達と一緒にテーブルを囲んでいるのが目についた。局長が大勢と食事をするのは珍しかったので、彼は遺伝子管理局のメンバーばかりだったが気にせずに声を掛けた。

「今夜は賑やかだね。私も同席しても構わないかな?」

 地球人達が振り向いた。局長の他にテーブルに居たのは、第1秘書セルシウス・ドーマー、北米北部班チーフ、チェイス・ドーマー、それに彼の部下レイン・ドーマーとクロエル・ドーマーだった。第2秘書の姿が見えないと思ったら、彼はまだ配膳コーナーで何かを迷ってうろうろしていた。
 テーブルの面々が微笑んだ。

「どうぞ! ご遠慮なく!」

 彼等は皆ケンウッド長官の気さくな人柄が好きだった。ケンウッドはハイネと向かい合う席に座った。そこしか空いていなかったのだ。8人用のテーブルなのだが、残りの1席にはケンウッドにはあまり馴染みのない北米北部班第5チームのリーダー、シュナイダー・ドーマーが居た。上司が揃っているので、レインとクロエルは静かだ。特にクロエル・ドーマーは大人し過ぎる。ケンウッドの両隣になる平の2人は抗原注射効力切れなのかと思ったが、レインは元々無愛想だし、クロエルは注射不要の体だ。

「お待たせしました。」

 ネピア・ドーマーが戻ってきた。ケンウッドに気が付いて、こんばんは、と挨拶した。
するとセルシウス・ドーマーがノンアルコールのワインのグラスを手に取って食事開始の挨拶をした。

「では、停電で滅多に味わえない寒さに乾杯!」
「乾杯!」

 何故寒さに乾杯するのかわからないが、一種の冗談なのだろう。チェイスやシュナイダーは局長同様笑っているが、レインとクロエルは固い表情だった。だから食事が始まって数分後に、ケンウッドは思い切って声を掛けた。

「クロエル、元気がないようだが、外で風邪でも引いたか?」

 無菌状態で育ったドーマーばかりの世界で風邪を引いた人間がいると大変なことになる。ゲイトの消毒班がしっかり仕事をしているはずだが、肺の中迄は消毒出来ない。
ケンウッドの質問は半分冗談で半分真剣なものだった。
 セルシウスが笑った。

「長官、この若者達はさっき班チーフに叱られたばかりなのですよ。」
「叱られた?」

 ケンウッドはレインとクロエルを交互に見比べた。

「何をやらかしたんだ?」
「やったんじゃありません。やらなかったから叱られたんです。」

とチェイスが言った。

「真面目に報告書を書かなかったんですよ。」

 

2018年1月6日土曜日

購入者 2 - 6

 局長執務室も通路と同様に肌寒かった。暖房が効いていない。執務机の向こうに座っている局長はコートを脱いでいるがマフラーを巻いたままだった。彼はコンピュータの画面を眺めていて、第1秘書のジェレミー・セルシウス・ドーマーが2人の部下の入室を告げても顔を上げなかった。
 局長の机から遠い位置に座っていた北米北部班チーフ・ウィリアム・チェイス・ドーマーが彼等に手招きして空いている椅子を指した。普通局長とチーフが部下を呼び出す時、チーフは局長のそばに座るものだが・・・?
 レインとクロエルは不審を覚えながら指された椅子に座った。チェイスが端末の画面にレインが今朝送った報告書を表示して、2人に見せた。

「この報告書は何だ?」

 声が低い。局長に聞かれたくないみたいだ。レインは首を伸ばして画面を見た。

「何だと聞かれましても、報告書としか答えようがありませんが・・・」
「これのどこが報告書だ?」

 チェイスは低い声でレインの報告書を読み上げた。

「『寒くて堪らないので、支局巡りは予定を切り上げて中止しました。』」
「事実を書いたまでです。」

 チェイスの濃い青い瞳がレインの薄い水色の目を見つめた。

「他に表現の仕様はなかったのか? 吹雪のため視界不良で運転困難、とか、路面凍結で走行に危険が生じる、とか・・・」
「つまり、仕事をサボった理由を具体的に書いて上司を納得させろと?」

 レインの生意気な言葉に、第1秘書のセルシウスがクスクス笑った。クロエルはそっと局長の顔色を伺って見た。局長は部下達の会話が聞こえていないのか、相変わらず画面を見つめていた。クロエルはふと疑問を抱いた。この呼び出しに局長は関係していないのではないか? チーフ・チェイスはただ場所を借りているだけでは?
 ドアが開いて第2秘書のネピア・ドーマーが戻ってきた。手にトレイを持っており、テイクアウト用コーヒーカップが3つ載っていた。彼は1つを先輩セルシウスに手渡し、1つを彼自身の机に置き、最後の一つを持って3人の部下の横を通り、局長の執務机に運んだ。

「キャラメルマキアートでございます。カードをお返し致します。」
「ご苦労。」

 局長が初めて声を発し、カップを受け取って机に置き、次いでカードを受け取ってポケットにしまった。そしてまた画面に視線を戻した。ネピア・ドーマーは恭しく一礼して自身の机に戻った。
 レインとクロエルはコーヒーの香りに挟まれた。冷え切った彼等にそれはさながら拷問だった。
 レインはチーフ・チェイスに謝った。

「申し訳ありません、寒さで心まで凍えてしまい、反抗的になっていました。指がかじかんでキーを打つのが面倒だったのと、唇が上手く動かず音声入力もままならなかったので、ついいい加減な報告を書いてしまいました。以後気をつけます。」

 チェイスはちらりとボスの机の上で湯気を立てているコーヒーカップを見た。ハイネ局長は猫舌なので、まだコーヒーに手をつけずに仕事を続けていた。チェイスは視線を部下に戻した。

「報告書に主観的なことは書くな。『寒いから』とか『冷たいので』と言うのは主観だ。簡潔でも要点が伝われば、問題ない。天候不良で業務中止、で構わないのだ。」
「わかりました。ご指導、有り難うございます。」

 クロエル・ドーマーもコーヒーカップの湯気を見ていた。ドームの中で販売されているコーヒーはカフェイン抜きだ。しかし転属前は南米で働いていたクロエルは、カフェインが含まれた苦いコーヒーが好きだった。体の芯まで冷えている彼は、例え局長好みの砂糖とミルクたっぷりの甘いキャラメルマキアートでも構わないから、熱々のコーヒーが飲みたかった。ふと気がつくと、局長が彼を見ていた。視線がぶつかった。クロエルは口元に微笑を浮かべた。彼は局長が大好きだ。どのドーマーよりも深く局長を愛している自信があった。思いっきり愛情を込めてボスを見返した。「クロエル」と局長が彼の名を呼んだ。

「はい?」

 もし犬だったら、クロエルは尻尾をちぎれるほど振って見せただろう。局長に見つめられ、名前を呼んでもらって、それだけで有頂天になりそうだった。ハイネが言った。

「文面が『てん、てん、てん』とそれだけの報告書なんて、ないよなぁ?」
「・・・」

 レインが、セルシウスが、ネピアがクロエルを見た。既に報告書に目を通していたチェイス・ドーマーが咳払いして、部下の注意を自分に向けた。

「クロエル・ドーマー、報告書の書き方を内勤オフィスへ行って教わってきてはどうだ?」

2018年1月5日金曜日

購入者 2 - 5

 局員オフィスの前にレインとクロエルがたどり着くと、直属の上司、チームリーダーのダン・シュナイダー・ドーマーが待っていた。

「遅いじゃないか、何回遅れると気が済むのだ?」

 レインはわざとらしく時計を見た。時間制限を設定された覚えはない。

「今日はこれが初めてですが?」

 口答えする部下にシュナイダーはウンザリした表情で指示を出した。

「チーフ・チェイスが局長室で待っておられる。早く行け。」
「チーフが局長室で?」

とクロエルが尋ねた。

「局長がお待ちじゃないんすか?」
「君等を呼び出しているのはチーフだ。」

 シュナイダーはそれ以上説明する気はないようだ。もしかすると彼にも部下達が呼ばれている理由がわからないのかも知れない。

「僕ちゃん達2人共に?」
「そうだ。」

 レインは不安を覚えた。局長とチーフが揃って部下に呼び出しをかける場合、何か大きな仕事が与えられる。転属でまだ落ち着かないのに、何をさせるつもりだろう。
 彼は脱走した恋人ダリル・セイヤーズ・ドーマーを探したい。転属でドームから任地が遠くなった分、捜索の時間が減ってしまって焦っていた。それに局長と共同でチェックしていた遺伝子&住人リストの照合も出来ないでいる。
 クロエルは「何か叱られるようなことをしましたっけ?」と呑気な顔をしていた。この若者はこの世に怖いものなどないような振る舞いをする。恐らく弱気を他人に見せるのが嫌なのだろう。或いは、周囲からいつも愛されてきたので、本当に怖い体験をしたことがないのかも知れない。
 2人はシュナイダーに「お疲れ様でした」と挨拶して、局長執務室に向かった。
 相変わらず寒くて、レインは抗原注射の効力がまだ残っているにも関わらず、風邪を引くのではないかと不安だった。クロエルも大きな身体を時折震わせていた。
 局長執務室の前に来ると、局長第2秘書のネピア・ドーマーが部屋から出て来るのに出くわした。レインはこの真面目な男が苦手だ。冗談が通じないし、セイヤーズ捜索に駆り出されたことを今でも恨みに思っているかの様な目付きでレインを見る。
 ネピアは2人が来ることを知っていたので、ドアを開けて、「入れ」と合図した。そして彼自身は何処かへ立ち去った。

購入者 2 - 4

 お昼過ぎに北米北部班の第5チームが帰還した。消毒が終わるのももどかしく、ポール・レイン・ドーマーとクロエル・ドーマーは仲間に「お先に」と言い残して本部に向かって駆け出した。近道をしようと出産管理区スタッフ通路に駆け込んだところで保安課に捕まった。

「通路を走るな!」

 叱られている間に、仲間に追い越された。出産管理区は暖房が効いており、暖かいのだが、レインもクロエルも寒くて仕方がなかった。カナダの荒野で危うく遭難仕掛けて低体温症に陥る寸前まで行ったのだ。さっさと報告書をまとめて運動施設のサウナに入りたかった。
 ブルブル震えながらお説教を聞かされ、やっと解放されて足早に去ろうとした2人に保安課員が何気に言った。

「今日は居住区の停電で運動施設は使用出来ないからな。」
「サウナは?」
「使えない。」
「ジャグジーは?」
「そろそろ水になっているだろう。」

 歩きながら、クロエルが尋ねた。

「なんで停電?」
「俺に聞くな。」

 落胆していたので、普段から無愛想なレインがさらに冷たく答えた。
 医療区も暖かったので、建物の外に出た途端に彼等は気温低下を実感した。カナダよりは遥かにましだが、それでも普段と違うことはすぐにわかった。照明も点いていないし、空はまだ曇っていて肌寒い。見かけるドーマー達は皆一様に厚着していた。滅多に見かけないジャンパーやコートを着ていた。

「非常事態見たいっすね?」
「・・・」

 2人は遺伝子管理局本部に入った。受付の職員もジャンパー姿だ。帰還の手続きをして、クロエルは受付に尋ねた。

「停電の原因は何?」
「人工衛星の落下。」
「はぁ?」
「破片だ。廃棄衛星のゴミが落ちて、うちの送電線とシティの南西部を破壊したんだ。」
「シティを?」

 これにはレインも反応した。

「被害状況は?」
「火災と停電発生だったけど、もう収まったらしい。ドームからの援助は不要だったとかで、こちらはこちらの停電対策で必死だよ。」

2018年1月4日木曜日

購入者 2 - 3

 電力節約の為に食堂のメニューは普段の半分に削られていた。それでもトーストにチーズを載せることは出来たし、卵をたっぷり食べることも、温かいスープやミルクを飲むことも出来たので、ドーマー達もコロニー人達も苦情を申し立てることはなかった。

「維持班から復旧の予定日を聞いたかね?」
「ええ、部品は2日後に届くので、順調に行けばその日の内に停電も解消されるはずです。」
「とんだトバッチリだったな。」

 何気ないケンウッドの言葉に、チーズトーストを齧っていたハイネが動きを止めた。

「トバッチリ? 単純な落下事故ではないのですか?」

 相変わらず鋭く細かいところを突いてくる来る男だ。だがケンウッドはロッシーニが口外するなと言う箝口令を守ったことを評価することにした。

「いや、言葉のアヤだよ。宇宙のゴミ処理管理はきちんとして欲しいものだ。」

 ドーマー達が動き始めた。第一弾が朝食を終えて仕事に出て行き、第2弾のグループが現れ始めた。停電のお陰でテレビが見られないので、誰もが仕事で身体を動かして暖かくしようと言う考えなのだ。
 食事を終えたハイネが立ち上がったので、ケンウッドも立ち上がり、コートを着るのを手伝ってやった。首元のボタンは留めずにマフラーを少し緩めに巻いてやる。ハイネはスマートな長身なのでロングコートも長いマフラーも良く似合っていた。周囲の若いドーマー達がこのハンサムなリーダーを惚れ惚れと見つめているのを、ケンウッドは感じていた。ハイネは後数日で90歳の誕生日を迎えるが、見た目はまだ50歳になるかならないかの若さだ。だから、ダニエル・オライオンの忘れ形見である2人の息子達には会いたくても会えない。進化型1級遺伝子は地球上では存在してはならないものなのだ。そんな稀な遺伝子を持っている説明を一般の地球人に聞かせる訳にいかない。
 2人が食堂から出たところへヤマザキ・ケンタロウ医療区長が入れ替わりにやって来た。

「なんだ、もう食べてしまったのかい?」
「今朝は運動する気になれなくてね。」
「体を動かせば暖かくなるだろう?」
「でもシャワーを使えないじゃないか。」
「ジャグジーで汗を流せばいいさ。」

 ヤマザキはジャグジーの湯がまだ温かいことを指摘して食堂に入って行った。
 ケンウッドとハイネは顔を見合わせた。2人共夕方迄ジャグジーが温かいとは思っていなかった。2日の我慢だ。
 それぞれの職場に別れ、ケンウッドは中央研究所の長官執務室に入った。幸い昨日の暖房の名残が残っていた。上着を着たままで仕事に取り掛かる準備をしていると、秘書達が出勤してきた。第1秘書ヴァンサン・ヴェルティエンは寒さに強いが、第2秘書ジャン=カルロス・ロッシーニはドーマーなので厚着していた。ケンウッドはドーマーを過保護に育てたことをちょっぴり後悔した。地球人はもう少し寒さに平気なはずだが・・・。




2018年1月3日水曜日

購入者 2 - 2

 オライオン元ドーマーは76歳で定年退職して79歳で老衰でこの世を去った。彼は元ドーマーだったので普通の地球人より老化が遅く、10歳ばかり年齢を誤魔化していた。長男のジュニアは彼が30歳の時の子供で、3年前54歳で退職した。まだ定年の歳ではなかったが、本人はやりたいことがあったので仕事を辞めたのだと、ハイネに宛てた書簡に書いてあったそうだ。退職に当たって、彼は父親から譲られた屋敷と財産を整理して弟と分け合った。その時になって、父親が「兄」に贈ろうと思って果たせなかった贈り物を父親の書斎だった部屋から見つけ出したのだ。
 父親の「兄」の存在は、ジュニアだけが知っていた。連邦捜査局に採用された時に、父親が自らの出自を打ち明けてくれたのだ。オライオン元ドーマーは「取り替え子」の秘密は守ったが、自身の身の上を「両親がいない孤児」と呼び、一緒に育った血の繋がらない、しかし最愛の「兄」がいるのだと息子に説明していた。そしてその「兄」はドームの中で働いていて、高齢ではあるがまだ健在であり、オライオン元ドーマーは自らの形見としていくつかの品物を彼に贈るべく用意していた。
 実際にオライオン元ドーマーは生前にハイネ宛てに贈り物を送ったのだ。しかし、当時ハイネは大病の後遺症を治療する間、観察棟に幽閉されていた。そしてドームはハイネの仇敵サンテシマ・ルイス・リン長官に支配されていた。ハイネ宛ての荷物を外から受け取った保安課は困った。遺伝子管理局長宛ての荷物は、リンがチェックすることになっていた。だがその荷物はどう見ても私物であって、公的な物には見えなかった。当時の保安課のクーリッジ課長は、ケンウッドからハイネの部屋兄弟ダニエル・オライオンの存在を聞かされていたので、その荷物をリンに見せてはならないと判断し、返送したのだ。「今は時期ではありません」と書き添えて・・・。
 オライオン元ドーマーは、きっと落胆したことだろう。彼はハイネが病気から完治するのを待たずにこの世を去った。そして返送された荷物は、長い間忘れ去られ放置されていたのだ。
 ジュニアは、父親より年上のハイネがまだ健在であると言う信じられないような事実を連邦捜査局時代に知った。そして、書斎で発見した荷物をもう一度ドームに送ったのだ。
 荷物は無事にローガン・ハイネの手元に届けられ、ハイネは初めて「コート」なる衣服を手にした。冬場に外へ出かけていく部下達が着用している物だ。ドーム内では用がないと思えたが、その暖かく優しい手触りに、彼は亡き弟の心を感じ、大切に保管していた。
それがとうとう・・・

「停電で出番が来たのです。ダニエルも贈って良かったと思っているでしょう。」

とハイネが笑いながら言った。ケンウッドも嬉しかった。ダニエル・オライオン元ドーマーのことは長い間ハイネの人生にとってシコリの様なものだった。だから、ケンウッドもヤマザキもオライオンの話題は努めて避けた。それがハイネの口から語られることが最近多くなった。思えば、ジュニアが引退をケンウッドに知らせて来た頃からだ。ハイネは弟の形見を受け取り、何かを吹っ切れたのだ。

「コートの由来はわかった。そのマフラーも形見かい?」
「これは違います。」

 ハイネはマフラーを広げて見せた。ちょっと線がいびつな手編みだとわかった。

「誰かからのプレゼントか?」
「ええ・・・」

 ハイネが意味深に笑って見せた。

「編み物が趣味の部下がいまして・・・いろんな物を編んで局内で順番に配っているのです。私とジェレミーはお揃いのマフラーです。ネピアは鍋敷きでしたか・・・ベイルはレッグウォーマーでしたね。」
「あのネピア・ドーマーに鍋敷き?」

 お堅い秘書が鍋敷きをもらった? ケンウッドは想像がつかなくて笑うしかなかった。

購入者 2 - 1

 破損したケーブルの部品は2日後に届くと言う連絡が月の執行部から入ったのは、翌朝早朝だった。ケンウッドは朝食に出かける前にその連絡をアパートで受けた。室内は肌寒く、宇宙空間で着用する保温アンダーシャツを着て、その上にいつもの服を着た。体を動かすと暖かくなるのだ。ドーマー達にもコンビニで販売されているので、寒さの問題は解消されていると思ったのだが、外に出ると着膨れした男達が歩き回っていた。
 運動施設に行く気分にならないので、一般食堂に直行すると、まだ暗いドーム内で食堂のグリーンのガラス壁が煌々と輝いて見えた。中は混雑していた。運動をサボることにしたドーマーやコロニー人達が業務開始迄の時間を潰していたのだ。暖房と照明に用いる電力を節約してコンピュータや業務に必要な機械を動かせることがわかったので、仕事は普段通り行われる。
 ケンウッドは料理を取って空いているテーブルを見つけた。時間的にハイネ局長が早朝の運動を終えてやって来る頃だと思っていると、ドーマー達がにわかに騒ぎ出した。静かだが、ざわついたのだ。食堂の入り口に視線を向けたケンウッドは、思わず吹き出しそうになった。
 濃紺のウールのロングコートを着て前のボタンを上から下まできっちり留めた長身の男が入って来るところだった。顔の下半分はグレーの毛糸のマフラーでグルグル巻きで見えないが、頭髪は純白で、ローガン・ハイネ・ドーマーその人だと一目で判別出来た。
 ハイネはぎこちない動きで料理を取って、支払いを済ませると、食堂内を見回した。ケンウッドが手を挙げて見せると小さく頷き、テーブルにやって来た。

「おはよう。厳重な防寒対策だが、そんなに寒いのかね、局長?」

 ケンウッドが思わずからかうと、ハイネはトレイを置いてからマフラーをほどきながら答えた。

「年寄りには応えますよ。」

 次いでコートも脱ぎにかかった。ケンウッドは衣料品に詳しくなかったが、それは上質のカシミアのコートだとわかった。宇宙でも地球でも高価な品だ。ハイネがお金を持っていることは知っているが、こんな買い物をする人間だったろうか? どこでこんな物を買ったのだろう?
 彼は尋ねてみた。

「素敵なコートだが、どこで買ったんだい?」

すると意外な答えが返って来た。

「買ったのではなく、もらったのです。」
「誰に? 何時?」

 ハイネは無造作にコートを丸めて隣の椅子に置いた。

「ダニエル・オライオン・ジュニアからです。」
「!」

 その名前を聞いて、ケンウッドはびっくりした。ローガン・ハイネ・ドーマーの部屋兄弟ダニエル・オライオン元ドーマーの長男だ。10年前、病気で意識不明の状態が続いていたハイネを覚醒させる手がかりを求めて、ケンウッドが面会した人だった。ジュニアは父親の後を継いで連邦捜査局の科学捜査班で働いていた。そして介護施設に入居していた父親をケンウッドに紹介してくれたのだ。ケンウッドはジュニアとその後書簡でやりとりしていたが、ハイネは彼とは付き合いがなかった。意識してオライオン家の人々と付き合わなかったのだ。ジュニアは3年前連邦捜査局を退職していたので、遺伝子管理局とも繋がりが切れていた。
 だからハイネがジュニアからカシミアのコートをもらったと言ったので、驚いたのだ。


2018年1月2日火曜日

購入者 1 - 7

 ゲストハウスで余計な電力を使わせる訳にはいかない、と西ユーラシア遺伝子管理局長ミヒャエル・マリノフスキー・ドーマーはドーム空港が使用可能になった午後7時、最終便でヨーロッパに帰国した。送迎フロア迄見送りに出たローガン・ハイネ・ドーマーはちょっぴり寂しそうだった。停電がなければ一晩マリノフスキーと酒を飲んでのんびり語り明かすつもりだったのだ。次に会える保証はない。2人共に90歳だ。進化型1級遺伝子を持っているからと言って永久に生きていられる訳でない。
 一緒に見送りに出たケンウッド長官は、ハイネが黙って閉じられたゲイトを見つめているのが切なく思えた。ハイネにとって同世代の唯一の友人が帰ってしまったのだ。残った友人はコロニー人も含めて全員年下だ。
 何か励ましの言葉を掛けてやらねば、と思った時、ハイネが振り返った。

「寒くないですか、長官?」

 彼が両腕で自身を抱くようにして見せた。生まれてからずっと暖かいドームの中で育ったドーマーには、今回の停電による暖房上限設定は初体験だ。室温15度は、コロニー人には寒い範疇に入らないが、ドーマー達には寒いのだ。
 ケンウッドは友人がいなくなった寂しさより室温低下で健康を損なう方がドーマーには深刻な問題だと気が付いた。特に90歳の友人にとっては、場合によっては命取りになりかねない。

「早く居住区に帰ろう、ハイネ。」

 ケンウッドもハイネも長い回廊を歩くのが好きなのだが、この夜は近道で出産管理区のスタッフ通路を通り、医療区を通り抜けた。

「マリノフスキー局長は、ダリル・セイヤーズ・ドーマーがまだ見つからないことに何か言っていたかね?」
「いいえ、今回は何も・・・忘れていたのかも知れません。」
「セイヤーズを出張させたことを、月の執行部は怒っていた。西ユーラシアの長官が叱られたが、遺伝子管理局は何もお咎めはなかったのだろうか? 勿論、執行部は長官を叱っても地球人には直接苦情を言いはしないのだが、長官の方から局長に叱責はあったはずだ。」
「あったとしても・・・」

 ハイネが苦笑した。

「もう10年前のことです。マリノフスキーはなぁんにも気にしていませんよ。彼は正しい判断を下せる男です。セイヤーズの脱走に直接関係したサンテシマ・ルイス・リンはもうここにいないのですから、貴方や私に彼が文句をつける理由がありません。」
「そうか・・・それなら良いんだ。私の取り越し苦労だったね。」
「彼は貴方が好きですよ。」
「そうかい?」
「あの男は他人の優しさを敏感に感じ取るのです。どんなに冷たく振る舞う人でも、その心の奥底にある優しさを、彼はすぐ察知します。ですから、彼が他人を嫌いになることは滅多にありません。」
「彼に嫌われたら、真の悪党と言うことか・・・」

 医療区のロビーには数人のドーマーが居た。無菌管理されているドーム内で感染性の病気になることは滅多にない。普段より人が多かったので、ケンウッドは訝しく思った。ハイネもちょっと驚いた様子で、受付の方を見た。受付ロボットは機能を止めていて、人が働いていた。その事務員と話をしていた医療区長ヤマザキ・ケンタロウが2人に気が付いて、「やあ」と声をかけた。ケンウッドとハイネは彼のそばに行った。

「患者が普段より多い様だが?」
「ああ、心配ないよ。停電で物にぶつかったり、仲間と衝突した連中が打ち身の治療に来ているんだ。大怪我した者はいないから、湿布薬を処方して終わりさ。」

 ヤマザキはちょっと笑った。

「暗闇恐怖症とか閉所恐怖症の者が3人ばかりいたけど、キャリー・ワグナー医師に面倒見てもらっている。」

 キャリー・ワグナーは珍しい女性のドーマーで、精神科の医師だ。彼女に診てもらいたくて神経症を患うドーマーがいるぐらいだが、彼女は既婚者だ。夫は同じ部屋で育ったドーマーで遺伝子管理局の局員クラウス・フォン・ワグナーだった。ドームとしてはこの夫婦に子供を作らせたいのだが、ドーマーの子供は親ではなく他人に育てられる。外へ養子に出されるのだ。だから、ワグナー夫妻は子供を作らない。ケンウッドは子供好きなこの夫婦が可哀想に思えるのだった。

 ドーマーでなければ、今頃は子供達に囲まれて温かな家庭を築いているだろうに・・・。


購入者 1 - 6

 ドーム維持班が防寒着を作業着の上に着て外へ出かけた。太陽光発電の蓄電施設周辺のケーブルを調べているのがドームの壁越しに見えた。ドーマーもコロニー人も滅多に壁に近づかないのだが、この日は大勢が壁に近づいて外を眺めていた。停電しているので仕事が中断しているせいもあった。図書館は使えないし、ジムも闘技場も球技場もシャワーが使えないのでは使用する気分になれない。非常用電源は全て出産管理区とクローン製造施設、医療区を優先して使っている。
 維持班総代ロビン・コスビー・ドーマーがケンウッド長官の端末に電話を掛けてきた。

「主ケーブルが人工衛星の破片で切断されています。補助ケーブルで電流を通しますが、ドーム全体を賄うのはちょっと無理があります。」
「宇宙から資材を取り寄せよう。大至急必要な物をリストアップしてくれ。」
「了解しました。」
「最低限、どの程度の範囲で電気を使用できるのかな?」
「それもリストアップします。現在は厨房、ドアの開閉、通信機能のみですが、節約すれば範囲は広げられるでしょう。」

 ケンウッドは時計を見た。夕方の5時、もう外は夜の帳が降りかけていた。今夜は寒さに耐えなければならない。ガブリエル・ブラコフ副長官が食堂にドーマー達を集めていた。厨房は食事の支度があるので電気が通っている。薄暗いが照明が灯っていた。わいわいガヤガヤと喋っていたドーマー達は、配膳カウンター横に副長官が立つと静かになった。

「ドーマー諸君、それに執政官を始めとするコロニー人諸君。」

とブラコフは説明会を開始した。彼は事故の被害状況を説明し、今夜の復旧は無理であること、今夜使用可能な電力量を説明して節電協力を求めた。

「復旧にはどの程度時間が掛かりますか?」

 誰もが気にしていることだ。ブラコフは正直に答えた。

「現在維持班が必要な資材をリストアップする作業に入っている。それが出来たら、直ちに月の本部に発注する。急がせるから、どうか工事が終わるまで辛抱して欲しい。前代未聞の事故に我々も困っているが、出産管理区とクローン製造施設には被害が出ていないのは不幸中の幸いだ。ドームの外のシティにも被害が出ているそうなので、我々は我々だけでこの災難を乗り切ろう。」
「シティへの援助は?」
「それは地球政府が行う。役割分担はきちんとする。こちらの問題が先に解決出来れば、シティの援助も出来るはずだ。
 今夜は外気温がかなり低下している。君達のアパートの暖房は上限を決めておくが、止めることはしない。だが『外』は普段通りにはいかないので、防寒対策を各自お願いする。体調を崩さないように、夜間は出来るだけアパートに居ること。
 大丈夫、1週間はかからないはずだ。君達なら乗り越えられる。」

購入者 1 - 5

 遺伝子管理局本部はゲストハウスではない。しかし、飛行機に乗り損ねた西ユーラシアの遺伝子管理局長を休ませることは出来る。ただし、電源復旧がまだなので真っ暗だったが・・・。
 局員達は各自オフィスの窓際に集まり、薄暗い雪空の明かりだけを頼りに書類仕事をしていた。午後は通常内勤業務を終えて運動の時間なのだが、その日は午前中に局長会議が開かれていたので、局員達の業務開始がずれたのだ。
 何が起きたのかは、局長から各自の端末にメッセージで説明があった。局長は長官から説明をもらったのだ。電源復旧まで我慢するしかない。維持班はマザーの非常時対応回路を開き、医療区と厨房、そして各自のアパートの暖房に電気を通したが、その他の部分、照明やコンピュータ、浴場関係などは後回しだ。唯一動かせるコンピュータは遺伝子管理局長のメインコンピュータだけで、これは南北両アメリカ大陸の住民の生死の記録に関係するからだ。
 部下達が難儀しているのを尻目に、ハイネ局長は自身の職務を着実にこなしていた。それを横で退屈そうな表情でミヒャエル・マリノフスキー局長が眺めていた。やっている内容は彼の日課と全く変わらない。世界中の遺伝子管理局長が毎日同じ作業を繰り返し行なっているのだ。彼等が年齢的に消耗して仕事が出来なくなる日まで。
 マリノフスキーは西ユーラシアに電話を掛けたいのだが、事故の詳細が判明する迄待ってくれとケンウッド長官から「待った」がかかっている。

「帰りが遅れると言いたいだけなのになぁ・・・」
「ついでに夕飯の内容も聞きたいのだろう?」

 作業をしながらハイネがからかった。同年齢だし、実際に会うのはこの日で2度目なのだが、2人は若い頃から気が合った。画像電話や書簡で色々な話をしてきた。だが半日以上一緒に過ごすのは初めてだ。
 局長執務室は長官執務室と同じ造りで窓がない。真っ暗なので、コンピュータの明かりだけが頼りだ。2人の秘書、ジェレミー・セルシウス・ドーマーとネピア・ドーマーは秘書としての業務は終わっていたのだが、客人とボスを置いて運動に出かける気分ではなかった。ジムに行っても真っ暗だろうし、シャワーも使えないのでは、運動したい気分にならない。

「遠くからお越し戴いたのに、お茶も出せず、こんな事態になって残念です。」

とセルシウスが断った。筋肉質の頑健な体躯で口髭を生やしているので、見た目は怖そうな男だが、気が優しい。マリノフスキーはニコニコと笑い返した。

「一生に一度はこんな経験も良いもんだよ。私等はコロニー人に大事にされ過ぎているからなぁ。」

 大事にされていても、マリノフスキーは若い頃から何度も外国へ出張に出ている。1歩もドームの外に出たことがない箱入り息子のハイネとは大きな違いだ。第2秘書のネピアは部下達が何か情報を持ってこないかと通路の方を気にしていた。人工衛星の墜落なんて彼は信じていなかった。古い廃棄人工衛星は防衛軍が常時見張っている。うっかり落っこちて来るのを見逃すはずがない。

「これは何かの陰謀ですよ。」

とネピアが呟いたので、ハイネとマリノフスキーは顔を見合わせ、クスッと笑った。


購入者 1 - 4

 アメリカ合衆国(第二世代)大統領チャールズ・ヨコタはケンウッド長官に挨拶もそこそこについ数分前に起きた異変についてドームに異常がなかったですか?と尋ねた。
空からの落下物がドーム方面に落ちたと言うアメリカ大陸防衛軍の報告を聞き、慌てて人類の「揺り籠」の安否確認に電話を掛けてきたのだ。
 ケンウッドは努めて冷静に応対した。

「当方の出産管理区及びクローン製造施設に被害はありません。ドームの外に被害が出ていると聞きましたので、そちらの方が心配です。」

 ドーム居住区の停電には言及しなかった。外の政府には関係ないことで心配を掛けたくなかった。ドーム外郭シティの被害を食い止めるのが、地球人側の役目だ。そちらに専念してもらえれば、ドームはドームで対処出来る・・・はずだ。

「何が落ちたのか、そちらでは何か情報がありますか?」

 ケンウッドの質問にヨコタ大統領は側近に声を掛けた。ちょっと遠くの方で声が答え、大統領が電話口に戻った。

「国防総省からの報告では、人造物だそうです。」
「人造物?」

まさかミサイル攻撃ではあるまいな? ケンウッドはテロを想像してドキリとした。しかし大統領は言った。

「恐らく古い人工衛星の破片などが大気圏に突入し、燃え尽きずに地上に落ちたと考えられるそうです。詳細はこれから調査します。ドームに被害がなくて何よりでした。」
「お心遣い有り難うございます。被害に遭われたシティにはお見舞い申し上げます。」

 電話を切ると、直ぐにまた通信が入った。今度はコンピュータだ。停電しているが、宇宙からの通信回路をマザーが優先的に回復させたらしい。
 ケンウッドが出ると、宇宙防衛軍の制服を着た女性が画面に現れた。肩章は少将だ。

「地球周回軌道防衛隊の司令官エリザベート・エルドランです。」

と将軍が名乗った。ケンウッドは直ぐに落下物の件だと察した。

「アメリカ・ドーム長官ニコラス・ケンウッドです。先刻の落下物の件でしょうか?」
「そうです。申し訳ありません。」

と将軍が謝った。

「軍の演習中に制御不能に陥った無人戦闘機があり、地球の引力圏に入った為、撃墜しました。大気圏で燃え尽きることを期待したのですが、いくつかの破片が地表に到達してしまい、地球に被害を与えた模様です。」

 ケンウッドはコンピュータ画面の明かりで隣に来たブラコフ副長官の顔が見えたので、そちらへ顔を向けた。ブラコフもケンウッドを見た。
 ケンウッドはエルドラン少将に言った。

「防衛軍の失態を地球側に知らせる訳にはいきませんな?」
「そうです。」

 将軍はドーム長官が話のわかる人だと思ったのか、ちょっと表情を和らげた。

「地球政府には、古い人工衛星の残骸が落下したと報告しますので、どうかドームでもそれで押し通していただきたいのです。よろしくお願いします。」
「地上に被害が出ています。当ドームでも発電施設関連で被害が生じ、現在ドームの一部で停電が発生しています。」
「地球政府には、宇宙空間の漂流物管理の手落ちとして当方から復旧作業の援助を申し出ます。そちらは当方にお任せ下さい。」

 つまり、シティの被害についてはドームは一切口出しするなと言っているのだ。

「ドームの被害については・・・」
「放射能被害がなければ良いのですが・・・」
「その点は大丈夫です。シティにもドームにも放射能の心配はありません。物的被害につきまして・・・」
「物的修復に関しては、当方のドーマー達が優秀な技術力で対処してくれるはずです。防衛軍は資材と費用で援助願います。」

 ケンウッドは軍が地球に降りてくるのを良しとしなかった。ドームは地球人の出産の場だ。誕生の場だ。神聖な場所だ。そこに軍人が来るのは好まなかった。軍は宇宙空間で守ってくれれば良い。

「被害状況を直ちに調査させ、必要な物と費用を確定次第そちらへ請求します。」

 強気のケンウッドに、少将は苦笑した。ドームで働く遺伝子学者達はどうしてこうも強気になれるのだろう。兵器も将兵も何も持っていないのに。

「承知しました。では、こちらは合衆国政府との話し合いに入りますので、失礼します。」

 コンピュータ画面が閉じられ、マザーがまた電源を落とした。執務室内は真っ暗になった。
 ブラコフが囁いた。

「怪しいですね、あっさりと長官の言い分を聞き届けるなんて・・・」
「演習中の事故ではないのかも知れないな。」

とケンウッドは呟いた。

「恐らく軍の外に漏らしたくない事件が起きたのかも知れん。しかし、私等には関係ないことだよ、ガブリエル。」
「そうですね・・・私等は地球人を守られればそれで十分です。」

 ケンウッドは秘書達を思い出した。第1秘書はコロニー人だが、第2秘書は地球人だ。しかも、コロニー人を監視する遺伝子管理局内務捜査班のチーフなのだ。ジャン=カルロス・ロッシーニの正体を知っているのは、この室内ではケンウッド唯1人だった。
 ケンウッドは、他の部下の手前、ロッシーニに口止めしなければならなかった。

「ロッシーニ、聞いての通り、コロニー人の不手際だ。ドーマー達に動揺を与えぬよう、人工衛星の落下で話を統一しておく。」

 彼は第1秘書ヴァンサン・ヴェルティエンとブラコフにも言い聞かせた。

「執政官や助手達にも人工衛星落下で納得させる。良いかね?」
「承知しました。」
「直ぐに維持班に電源復活を指示します。」

 恐らくロッシーニは、言うなと言われてもローガン・ハイネ局長には報告するだろう。