2018年1月2日火曜日

購入者 1 - 7

 ゲストハウスで余計な電力を使わせる訳にはいかない、と西ユーラシア遺伝子管理局長ミヒャエル・マリノフスキー・ドーマーはドーム空港が使用可能になった午後7時、最終便でヨーロッパに帰国した。送迎フロア迄見送りに出たローガン・ハイネ・ドーマーはちょっぴり寂しそうだった。停電がなければ一晩マリノフスキーと酒を飲んでのんびり語り明かすつもりだったのだ。次に会える保証はない。2人共に90歳だ。進化型1級遺伝子を持っているからと言って永久に生きていられる訳でない。
 一緒に見送りに出たケンウッド長官は、ハイネが黙って閉じられたゲイトを見つめているのが切なく思えた。ハイネにとって同世代の唯一の友人が帰ってしまったのだ。残った友人はコロニー人も含めて全員年下だ。
 何か励ましの言葉を掛けてやらねば、と思った時、ハイネが振り返った。

「寒くないですか、長官?」

 彼が両腕で自身を抱くようにして見せた。生まれてからずっと暖かいドームの中で育ったドーマーには、今回の停電による暖房上限設定は初体験だ。室温15度は、コロニー人には寒い範疇に入らないが、ドーマー達には寒いのだ。
 ケンウッドは友人がいなくなった寂しさより室温低下で健康を損なう方がドーマーには深刻な問題だと気が付いた。特に90歳の友人にとっては、場合によっては命取りになりかねない。

「早く居住区に帰ろう、ハイネ。」

 ケンウッドもハイネも長い回廊を歩くのが好きなのだが、この夜は近道で出産管理区のスタッフ通路を通り、医療区を通り抜けた。

「マリノフスキー局長は、ダリル・セイヤーズ・ドーマーがまだ見つからないことに何か言っていたかね?」
「いいえ、今回は何も・・・忘れていたのかも知れません。」
「セイヤーズを出張させたことを、月の執行部は怒っていた。西ユーラシアの長官が叱られたが、遺伝子管理局は何もお咎めはなかったのだろうか? 勿論、執行部は長官を叱っても地球人には直接苦情を言いはしないのだが、長官の方から局長に叱責はあったはずだ。」
「あったとしても・・・」

 ハイネが苦笑した。

「もう10年前のことです。マリノフスキーはなぁんにも気にしていませんよ。彼は正しい判断を下せる男です。セイヤーズの脱走に直接関係したサンテシマ・ルイス・リンはもうここにいないのですから、貴方や私に彼が文句をつける理由がありません。」
「そうか・・・それなら良いんだ。私の取り越し苦労だったね。」
「彼は貴方が好きですよ。」
「そうかい?」
「あの男は他人の優しさを敏感に感じ取るのです。どんなに冷たく振る舞う人でも、その心の奥底にある優しさを、彼はすぐ察知します。ですから、彼が他人を嫌いになることは滅多にありません。」
「彼に嫌われたら、真の悪党と言うことか・・・」

 医療区のロビーには数人のドーマーが居た。無菌管理されているドーム内で感染性の病気になることは滅多にない。普段より人が多かったので、ケンウッドは訝しく思った。ハイネもちょっと驚いた様子で、受付の方を見た。受付ロボットは機能を止めていて、人が働いていた。その事務員と話をしていた医療区長ヤマザキ・ケンタロウが2人に気が付いて、「やあ」と声をかけた。ケンウッドとハイネは彼のそばに行った。

「患者が普段より多い様だが?」
「ああ、心配ないよ。停電で物にぶつかったり、仲間と衝突した連中が打ち身の治療に来ているんだ。大怪我した者はいないから、湿布薬を処方して終わりさ。」

 ヤマザキはちょっと笑った。

「暗闇恐怖症とか閉所恐怖症の者が3人ばかりいたけど、キャリー・ワグナー医師に面倒見てもらっている。」

 キャリー・ワグナーは珍しい女性のドーマーで、精神科の医師だ。彼女に診てもらいたくて神経症を患うドーマーがいるぐらいだが、彼女は既婚者だ。夫は同じ部屋で育ったドーマーで遺伝子管理局の局員クラウス・フォン・ワグナーだった。ドームとしてはこの夫婦に子供を作らせたいのだが、ドーマーの子供は親ではなく他人に育てられる。外へ養子に出されるのだ。だから、ワグナー夫妻は子供を作らない。ケンウッドは子供好きなこの夫婦が可哀想に思えるのだった。

 ドーマーでなければ、今頃は子供達に囲まれて温かな家庭を築いているだろうに・・・。